偶然に出会った1枚の瓦から・・・

京都の大仏様

大仏御用瓦師の瓦 ぶらり虫眼鏡の別ページで書きました瓦に関してですが、その裏側には【大佛】【瓦師】【福田甚太夫】と刻印されていました。今回はここから話を始めようと思います。


お寺の方から、この福田と刻印された瓦は二条城と永観堂、そして仏光寺にのみ現存するとお聞きしていました。専門的な知識は無いものの歴史的な重みを感じ、 もう少し知ることができないものかとネットで探してみましたところ、大仏御用瓦師 福田英太夫というのが見つかりました。 (香川大学附属図書館 古文書目録(十二)職人・奉公人等 863) 京都の瓦屋で、代々襲名して屋号を守られているところが在ることや、名前が「甚」と「英」の一字違いであること。そして、以前にお聞きしていた名の通った瓦職人 であったことなどから推察しまして、この福田は代々続く瓦師のことと思われます。 更に、文書に見られる御用の文字は「宮内庁御用達」といった意味で用いられている「御用」であり、瓦屋のなかでも特別な瓦屋でしょう。実際に、御用瓦師といったもの があったそうで、お上からこの名称と共に原料粘土の産地を授かったり、税を免除されたそうです。


次に大佛。これは一体どういう意味でしょうか?

まずは単純に、この瓦が葺かれていたのがお寺であることから、大佛はお寺関係専門の瓦屋の屋号ではないかと考えました。 ところが、調べていくうちに、昔『大佛瓦町』という職人町があったことを知ります。それは、現在の京都市東山区の国立博物館付近で、同所に完成した、 方広寺大佛殿の造営時にできた職人町と推測されている場所です。いろいろ考えましたが、お寺の関係者の方から、「窯元は東山周辺に在ったそうです。」とも お聞きしていたので、大佛瓦町からきているのではないでしょうか。

京の大仏様の名残り

大仏様の名残り 写真には『大仏南門大和大路東入新瓦町西組』 とあります。大佛瓦町の在った辺りには『瓦』の文字の入った町名が他にも見受けられます。


次の写真は東山区本町の郵便局です。注目は、名前が「大仏前郵便局」となっていることです。以外な所に名残りが見られますね。せっかくですので、少し歩いてみますと・・・


地元の方は知っていますが、おそらく、市外の方は気にもかけない町名が正面という住所です。もうピンとこられたでしょうが、 今は無き大佛殿の正面にあたるということです。

方広寺大佛殿

方広寺大佛殿 大仏殿は寛政十年(1798)に焼失し、現在では、方広寺に残る梵鐘や巨大な石垣から思い起こさねばなりませんが、発掘調査(大仏殿跡の遺構は地下に保存され、 調査地点は写真のような緑地公園となっています)などによって、かなり具体的に知ることが出来ます。


その規模は、南北四十五間二尺七寸(約88メートル)・東西二十七間六尺三寸(約54メートル)・高さ二十五間(約49メートル)で、 この中に高さ六丈三尺(約19メートル)の大仏が安置されていたそうです。大仏は、奈良(約15メートル)よりも更に大きいのですが、秀吉がこだわった点の ひとつでしょう。

伏見にある 京大仏街道の道しるべ

京大仏街道の道しるべ
この石碑は江戸時代の天明年間に立てられたもので、かつては伏見街道沿いにありました。


「左 京大仏街道大津道」
「右 京橋ふねのり場」
「ひだり 竹田かいだう」
「すぐ 大仏かいだう」


当時の往来の賑わいを想像することが出来ます。


石碑を背に、視線の先を遠く東山へ向けた時、職人町で瓦を焼く人や、大きな大仏様が目の前に現れるような気がします 。