先斗町のお茶屋さん、おたぬきさん、瑞泉寺を歩く
先斗町
POINT→PONT→先斗町
むかしの鴨川は、かなり川幅が広かったそうで、河原町の名が河原であったことに由来することから想像できます。先斗町は鴨川の州でしたが、寛文十年(1670) 護岸工事のため埋め立て、石垣を築き、町家ができて、新河原町通といったそうです。ここの人家すべてが川原の西側に立ち、先ばかりに集中したところより先斗町 という説や、英語のPOINT、ポルトガル語のPONTの発音によったものと諸説あります。 近年、お茶屋さんや料理屋さんなど風情のあるお店は減少傾向にあります。
おたぬきさん
知る人ぞ知る。ここは先斗町と木屋町をつなぐ細い路地の一角に居られますおたぬきさんの場所です。
その昔 ・・・ といっても歴史は浅いのですが、四条通の方から先斗町が大火事になった際にちょうどこのあたりで鎮火したそうで、以来 「おたぬきさんが守ってくれはった
」と感謝の気持ちを込めて、町内の方々やお商売をなされている方が御参りされます。
お賽銭をいれますと、軽快なリズムにのって〓 今日のおみくじ 〓を小さな声でおっしゃいます。聞き漏らすまいとお辞儀をする様に耳を傾けますと、
「よう、御参りしておくれやした。あんたさんの今日のおみくじは・・・」 と京都弁でおよそ30秒。なるほどと思わず納得してしまう小京都でした。
瑞泉寺
先斗町界隈ということで
ここは、木屋町三条に在ります瑞泉寺です。叔父に翻弄された元関白 秀次をとむらう寺です。子宝に恵まれなかった秀吉が姉の子(秀次)を養子に
もらった2年後、秀頼が生まれるとやがてはその存在を疎んじられ、後継者とされながらも、最後は謀反の罪で自刃させられました。
その首が晒され、妻子を含めた39人が処刑されたそうです。1595年 8月2日 鴨川の水が朱に染まった出来事でした。