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反・ギリシア神話

失われた女神たちの復権





古ヨーロッパの神々



古ヨーロッパ文明
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 紀元前7000年紀ごろ、小麦や大麦をはじめとする作物をつくり、牛や豚、羊、ヤギなどを飼育する人々の集落が、南東ヨーロッパに出現し、アナトリア、メソポタミア、シリア=パレスティナ、エジプトにおける類似した文化的発展に平行しながら、独自の土着文化を展開していた。

 ここに含まれる地域は、南はエーゲ海およびアドリア海とその島々から、北はチェコスロヴァキア、ポーランド南部、ウクライナ西部にまで及ぶ一帯である(右上図)。これを古ヨーロッパと呼ぶ。

 古ヨーロッパの文化は、前5000年ころまでには、ドナウ河を西漸するかたちでオランダにまで及んでいるが、西漸が一段落すると、土器芸術や建築、祭儀の仕組みの面で、それまで人々をつなぎとめていた文化的統一性が崩れ、よりはっきりと地域的な発達を遂げるに至った。その主要な地域は次の5つである。

 1. エーゲ海・中央バルカン(スタルチェヴォ文化、ヴィンチャ文化)
 2. アドリア海地方(押圧文土器文化、ダニロ/ブトミール文化、フヴァル文化)
 3. ドナウ河中流域(線帯文土器文化、レンジェル文化)
 4. 東バルカン(カラノヴォ文化、ボイアン文化、グメルニツァ文化)
 5. モルダヴィア/西ウクライナ(ドニエストル=ブーク文化、ククテニ文化)

 ところが、この文化は、前4000年紀に、半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の祖先がヨーロッパ中・東部に侵入・定住したことによって、急速に衰退に向かった。しかしながら、その遺産は、前3000年紀末のエーゲ海沿岸地帯と島嶼地方に、次いで前2000年紀中葉のクレータ島に受け継がれ、生き延びてゆく。古ヨーロッパ文化は、ギリシアの初期青銅器文化、キュクラデス文化、そして宮殿美術の宝庫であるクレータのミノア文化に集約されたと言える。


宇宙の生成

 農耕時代初期の芸術においては、図形的な文様が飽くことなく描き続けられた。これら一種の表意文字として表された文様には、二つのカテゴリーがある。ひとつは、水または雨、に関するシンボル。もうひとつは、、植物の生命周期、季節の循環、生命の存続を決定する誕生と成長に結びつくシンボルである。

 第1のカテゴリーには、単純な平行線、V字文、ジグザグ、鋸歯文、雷文および渦巻きが、また、第2のカテゴリーには、十字、円十字、より複雑な十字、三日月、、毛虫、などが含まれている。

 「十字」は宇宙の四方位を示し、このシンボリズムは、歳が四方位を廻る旅であるという信仰に基づいている。歳の経過は宇宙の周期を存続させ、これを確実なものとする。つまり、の諸相や季節の循環を通して、この世界を促進するという役割があるわけである。

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 エジプト、バビロニア、ヒンドゥー、ギリシアなどの古代神話では、宇宙というものは、神が生み、宇宙や宇宙によって創造された宇宙卵としてとらえられていた。

[Version 1]
 初め、すべては水であった。やがて水からのある宇宙が現れた。(もしくは牡牛、または巨人)は世界卵を生んだ。そしては二つに割れ、上半分は空に、下半分は大地となった。

[Version 2]
 初めに未生の夜(ニュクス)が在り、巨大な黒い羽を持つが果てしない闇に舞っていた。このはつがいではなかったにもかかわらずを生んだ。そしてから黄金の羽を持つエロースが生まれ、二つに割れたの殻からウラノス(天)とガイア大地)が生まれた。〔オルペウス教の神話〕

 臀部を少し突きだした格好が、古ヨーロッパの太女神の特徴である。全体の格好は、これが女神であることをうかがわせる。上半身はもちろん男根〔原(プロト)セスクロ文化〕。後にこの男根が独立して、ヘルメースアポッローン、あるいは再生信仰と結びついてディオニューソスとなってゆく。
 それにしても、突きだした臀部の何というなまめかしさよ!
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 こうした神話は、アフリカから北極圏まで、ほぼ全世界的に知られており、その始まりは旧石器時代にまでさかのぼりえよう。オーリニャック期初頭からマドレーヌ期を通して、西ヨーロッパから中央ヨーロッパにまで広く造られた像*〔右画像1〕の臀部の多くが、形にかたどられているのはこのためであろう。

 *いわゆるウェヌス〔ヴィーナス〕像。画像1は、オーストリアのヴィーレンドルフのウェヌス〔ヴィーナス〕である。乳房に見えるのは、ペニスか? あるいは、頭部が陰茎で、乳房は睾丸とも見える。乳房のついた陰茎もまた、古ヨーロッパの遺跡から発掘されている。
 なお、この画像を提供してくれているImages of Magna Materをも参照。

 宇宙卵を孕んだのシンボリズムはかなり後代まで生き続け、キュクラデス、ミノア、ギリシア本土の美術にもその姿を残した。初期・中期ミノアのには、大きなを宿した飛が描かれている。


水の女王 — -女神-女神

 先史人たちは、地上や空や雲の彼方に本源的な水域があり、そこには「-女神」や「-女神」の霊が漂っていると信じていた。女神の住処は水面の底深く渦巻く迷宮の彼方にある。「-女神」と「-女神」は、形姿を異にしていても同じひとつの神格である。それはや鶴、鵞や鴨や潜水するなどを装う水と空の女神なのである。水と水との結合は、両義的な神を表そうとする古ヨーロッパのシンボリズムの特色である。

 前4000年期、インド=ヨーロッパ語族が、西ウクライナ、モルダヴィアおよびドナウ河流域のほぼ全域に侵入したあと、ヨーロッパ中東部では、偉大な-女神の伝統は途絶えてしまう。しかし、ミノア=クレータやエーゲ海諸島、およびミノア文明の影響を強く受けたギリシア本土などの地域では、数多くの、有翼の女性、腕や頭上にとぐろを巻くを伴う女性像、女神の顕現としての動物像および人間の姿をとる女神像がつくられ、それらは古ヨーロッパの神界から受け継がれた神像であることを示している。

 かくして、-女神とその原初的イメージの記憶は鉄器時代へと受け継がれた。雷文や水はギリシアの幾何学様式時代の美術に再び出現し、-女神そのものは古代ギリシアのアテーナー女神像となって現れた(画像2)。古代ギリシアの黒像式、赤像式陶器に描かれたアテーナーを見れば、この女神がと密接な関係を持っていたことがわかる。アテーナーこそは、ミノア宮殿に納められた女神の直系の子孫にして、古ヨーロッパの女神の遠い継承者であった。

 また、海から生まれたアプロディテ・ウラニアは、前6-5世紀のテラコッタに見られるとおり、鵞の背に乗って空を飛ぶ姿や(画像3)、3羽の鴨に伴われた姿で表されたが、アテーナー同様この女神も古ヨーロッパ的な-女神の性質を保持している。

 さらには、ヘーラーは、神話・伝承の中ではアテーナーといっしょに現れることが多く、この二人の女神は深い関係にあることをうかがわせる。考古学的な記録は、彼女こそ人々に最も尊敬される卓越した女神の一人だったことを示している。ホメロスはヘーラーのことを意味深くも「牡牛の眼をした者」と呼んでいる。ヘーラーのように渦巻いていることが多く、彼女のはくスカートの真ん中にはとぐろを巻くや縦のジグザグが表されることが多く、はからずも彼女が古ヨーロッパの-女神に結びつくことを物語っている。ヘーラーアテーナーとは古ヨーロッパの神界の真の継承者にほかならない。


生と死と再生の女神

 「豊穣の女神」や「母神」のイメージは、一般に考えられているよりもはるかに複雑である。この神は、農耕時代以前から幾重にも重ねられてきた神々の特性を合成した像を形成していた。そして農耕時代にいたって、彼女は本質的「再生の女神」「の女神」となった。彼女は生命の賦与者にして豊穣を促すと同時に、自然の持つ破壊力として顕現する神でもあった。その女性的性質はのごとく明暗両相を兼ね備えていた。

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 旧石器時代のウェヌス〔ヴィーナス〕と同じように、新石器時代の「処女」も豊満な体つきをしていたが、前6000年紀の間に、女神の姿は肩と二の腕と前腕を誇張した表現によって、力強く引き締まったものとなった。彼女は両腕を折り曲げ、両手を胸の上か下に当てている。これは-女神には見られなかった特徴である。また、女神の頭部は新石器時代を通じて男根状にかたどられているが、これは女神が両性具有の性格を持つということ、もしくは男根の活力によって女神の力が高められるということ、そしてこの表現が旧石器時代から受け継がれたものであることを暗示している(画像4)。

 この太女神は、前3000年紀以降、ヘカテ-アルテミスの先祖として青銅器時代を生き延び、やがてギリシアに現れたばかりか(画像5)*、さらにはその外観や名称を何度も変えながら、後の歴史時代に生き延びている。

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 *ボイオティアのアンフォラに描かれた女神像(前700年ころ)。
 「野生の女主人」「動物たちの女王」アルテミスと考えられているが、むしろ「周期的な再生を司る女神」と考えるべきである。女神が昆虫のような腕をしていることは示唆的で、や下半身を囲むジグザグ線は、おそらく蜜蜂の毛深さを意味しているだろう。斬首された牛頭は犠牲として捧げられたもので、蜜蜂とあわせて、これは死んだ牡牛から新しい生命が生まれることを示している。また、女神のスカートの下には、水と結びつく子宮の象徴であるがいる。

多産女神と植物女神

 農耕の揺籃期において、女性の妊娠した胎は耕地の肥沃さにも結びつけられていた。女性が多産であるか不妊であるかが農耕を左右するという信仰は、ヨーロッパの民間伝承にほぼ普遍的に残されている。石女は危険なものとみなされ、多産な女性は穀物に魔術的な影響を及ぼすとされた。ここに、豊穣に影響を与え、これを促す特権的な力を授けられた多産女神の像が生まれた。

 太女神や-女神、-女神が、農耕時代以前に蓄積された幾多の象徴を抱え込んでいるのに反し、多産女神は農耕の生活様式から自然に生まれたものである。とはいえ、明らかにこの女神は、後期石器時代の多産女神〔いわゆるウェヌス〔ヴィーナス〕〕と密接な繋がりを持っている。

 多産女神の特徴は、その腹部、大腿、首、胸などに描かれる表意文字ふうの文様 — 点〔実際に穀物の種子を押しつけた跡である場合もある〕や菱形や二重の菱形〔耕地の表象である〕 — によって読み解けるし、腹部の上に両手を置くという妊婦の自然なしぐさも、多産女神像の特徴的な表現である。大地に根ざした多年生の植物や永続のシンボルである四角形もこの女神と結びついている。

 また、成長の早い豚の躯は、おそらく初期農耕民をいたく感動させたことであろう。豚が肥え太ることは、穀物の生長と成熟になぞらえられた。ふくよかに肥えた豚が大地そのものを象徴するようになったのは明らかであり、遅くとも前6000年ころに豚は聖なる動物となったようである。初期ヴィンチャ文化の多産女神は豚の仮面をかぶっている。

 この多産・植物女神の末裔が、ギリシア神話におけるデーメーテールペルセポネーと考えられる。アテーナイ人はペルセポネーをペルセパッサPersephassaすなわち「仔豚を殺す者」とさえ呼んだ。じっさい、デーメーテールペルセポネーの秘儀において、仔豚はきわめて重要な役割を演じた。例えば、10月、デーメーテールを奉じて新しい穀物の秋播きに催される「テスモポリア祭」は、ギリシアで最も重要な祭礼のひとつだった。この祭りはすべて女性の手によって3日間にわたり執り行われた。女性は祭りの3ヶ前に地中の洞窟に放置して腐らせた何頭かの仔豚を運び出し、テスモポロイの祭壇に他の供物といっしょに捧げる。ちなみに、テスモポロイとは、デーメーテールの分身にして娘でもあるコレーの祭祀期間中の呼び名である。次に女性は播種に用いる種を奉納物にまぶす。

 古代ギリシアでは、打穀の季節になると、テスモポリア祭の他にスキロポリア祭と呼ばれるもうひとつの祭りが営まれた。白いローブをまとった処女に、夜、スキラskillaと呼ばれる聖なる品物が授けられる。それは仔豚の小像とをかたどった菓子であり、祭りのあと、デーメーテールの聖所に奉納された。

 デーメーテールゆかりのエレウシース祭において、豚は儀礼を浄化する重要な動物として大きな役割を果たした。エレウシースの都市が、前350-327年にみずから貨幣を発行することを認可されたとき、豚はエレウシースの紋章となったほど重要な動物だった。


イヤー・ゴッド — 蘇生を促す男神

 男根や野牛の造形的表現は、すでに後期旧石器時代のオーリニヤックおよびマドレーヌ期から見られる。しかし、それは農耕社会の「イヤー・ゴッド」たる男根像とはシンボルのコンテクストを異にする。

 古ヨーロッパの男神や牡牛神をより完璧に理解するための鍵は、アンテステーリア祭、レーナイア祭、大ディオニューソス祭といったディオニューソスを祀る祭典にあるだろう。そこでは、男根、男根状の杯、柄杓、祭事用皿、女王(女神)と結婚する牡牛神(ディオニューソス)が登場し、農耕にまつわる物語が熱狂的に演じられた。そこを支配しているのは蘇生という理念であり、ディオニューソスは「イヤー・ゴッド」として顕現する。

 1のレーナイア祭の前に祝われる小ディオニューソス祭〔古代アッティカの各地で12月半ばに行われた〕では、秋播きの種と冬の農閑期の土が実りをもたらすよう、人々がこぞって浮かれ騒ぐ中、男根像を運ぶ行列が繰り出す。ディオニューソス像の前に供物とプリアーポスPriapos(男根像)が供えられ、ヤギの歌がうたわれる。次に行われるレーナイア祭は、まどろみの状態にある植物を目覚めさせ成長を促すことを目的とした。

 3の大ディオニューソス祭も豊穣を期して行われ、アテーナイのポリスは豊穣を約束する最もたくましい表象 — 男根像 — をこの祭祀に祀った。

 アンテステーリア祭は、春の神ディオニューソスの名のもとに、2末の3日間行われる春祭りで、酒盛りや歓声によって祝われた。その第2日目はコーエスと呼ばれる「盃の日」である。かめから葡萄酒が注がれ、沢にあるディオニューソスの聖所に運ばれたあと、しめやかに小瓶に分けられ、4歳以上の全市民に振る舞われた。全員が葡萄酒を飲み干すと、執政官の妻がブコレーイオンすなわち牛舎でディオニューソスと婚礼をあげる。付き添う女たちは純潔を表す礼をしてディオニューソスを礼拝する。その後牛の姿をしていたと思われるディオニューソス像もしくはをつけた役者が、獣皮とともに船のような造りの荷車に乗せられて牛舎へと運ばれ、婚礼の儀が完了する。

 ケオス島で発見された聖所からして、ディオニューソスの聖所は前15世紀にさかのぼるものと思われる。イヤー・ゴッドの祭祀に見られる聖婚劇の起源は、おそらくは前6500年より前にまでさかのぼりえよう。


古ヨーロッパ文明の遺産

 太女神を至高の神性とする古ヨーロッパの母系制社会は、その後、まったく別のシンボルや価値観から成り立つ父系制のインド=ヨーロッパ語族の世界に取って代わられる。古ヨーロッパにおいては発展しなかった男性原理が、いわば焼きつけられたのである。こうして全く相異なる二つの神話的世界像が向き合うことになり、やがて男性的なるものを示す一群の象徴が古ヨーロッパの神像に取って代わっていった。そこでは旧来の要素のいくつかが新しい象徴的神像を補うかたちで混合したが、本来担っていた意味は失われた。しかし、神像の中には、相変わらず旧来の調和的混沌を創造しつつ生き延びていったものもある。あるいは失い、あるいは付け加えられながら、新しい複雑な象徴が発達した。それはギリシア神話に最もよく反映されている。



Marija Gimbutas
The Goddesses and Gods of Old Europe : 6500-3500 B.C.
University of California Press, 1982.
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