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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


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紅葉の頃



紅葉が美しく彩る季節となってきた。落葉も掃除した翌日に又新しい沢山な落葉を見る。

緑一色の夏の時期とは異なり,色とりどりの紅葉がその色を誇示するかのごとくに

緑から樹々の種類によつてそれぞれの特有の綺麗な色を呈してくる。

そして最後は全てが落ち葉と化し落下してしまう。

後に残るのは裸のまんまの木と枝だけの姿がある。又冬の近ずきを感じる時節でもある。

空を見上げると飛行機がいつもと違い多く飛んでいるように思える。

アフガニスタンの戦争が此処にも影響を与えているのかも知れない。

今や世界の何処かで起きた出来事は大なり小なり世界中の各国に影響を与えている。

特にアメリカによる世界に与える影響は非常に大きくなって来た。

例えその影響が多く有ろうとも,指導者であるアメリカ大統領を選ぶ権利はアメリカ国民しか持たない。

そのアメリカは執拗にタリバンを追い込み,テロの首謀者であるビンラテ゛ィン氏を探し求めている。

戦争の気配は山岳でのゲリラ戦への展開の様相を呈してきた。一方アフガニスタンは恰も日本の戦国時代同様

部族毎に勢力を争っている。それ故にタリバン後の統一政権構想は難航している。

唯々,ガムシャラに戦い続けるアメリカに世界中が振り回されている格好にある。

昨日,今日,明日へと時の経過は一回しかない。間違いを起こしたからとて反復はできない

接戦だったアメリカ大統領選挙でブッシュ大統領が敗北していても,やはり今日のような事態になつただろうか。?

指導者の責任は極めて大きい。全て指導者が歴史を作り出すと言っても過言ではない。

タカ派的ブッシュ大統領に対し,最初から疑問を抱いている。日本国民である自分には

アメリカ大統領をば選ぶ権利は何も持たない。アメリカ人以外は誰も同じことである。

その多くの人たちは,何も権利の無い人たちにもアメリカの影響は襲いかかってくる。

だが国境のないインタ-ネツトの世界で批判することは可能である。大いに批判しよう。

日本もアメリカ一辺倒ではなく,もっともつと独自の路線を進むべきである。日本の国の行動によりアメリカを変えることは

出きると思う。小泉首相が世界の首脳達 、とりわけアジア各国の首脳達と行動を伴にすればアメリカは必ず振り向く。

行動を変えさすこともありえる。

日本はアメリカの属国では無い。良い事に対しては協力し,悪いことに対し批判し助言するのも友好国としての

当然の責務ではなかろうか。首相の責任は重い。植民地まがいの日本から早く脱却してほしいものである。




ふりこの如く


松下幸之助の言葉より
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 時計のふりこは、右にふれ左にふれる。そして休みなく時がきざまれる。

それが原則であり、時計が生きている証拠であると言ってよい。

 世の中も、また人生もかくの如し。

右にゆれ左にゆれる。ゆれてこそ、世の中は生きているのである。

躍動しているのである。

 しかし、ここで大事なことは、右にゆれ左にゆれるといっても、そのゆれ方が中庸を得なければならぬということである。

右にゆれ左にゆれるその振幅が適切適性であってこそ、そこから繁栄が生み出されてくる。

小さくふれてもいけないし、大きくふれてもいけない。

中庸を得た適切なふれ方、ゆれ方が大事なのである。



中庸と言う言葉・概念はアメリカにはないのだろうか。自分に味方しないものは全て敵だと言い出すのは極端である。

もし無ければ是非とも東洋思想でもある中庸の考え方をアメリカ人も学んで欲しいものである。





最盛期の中東のイスラーム文明は、まさに壮観だった


11月5日の天声人語より

 
 文化の流れというのは不思議なもので、どこかでよどんでいるかと思えば、別のところでは奔流になっていて、

それらがいつのまにか合流して大河になったりする。

 中世に花開いたイスラム文化なくして近代の西欧文化はなかったのではないか、とはよく言われる。

そのイスラム文化は、ギリシャの古典文献をアラビア語に翻訳することでさまざまな学問を吸収し、

それらが後にラテン語に訳されて西欧に還流していった。もちろんイスラム独自に学問を発達させもした。

 「最盛期の中東のイスラーム文明は、まさに壮観だった。

いろいろな意味で、その時点までに人類の成し遂げえた最高のものだった」(B・ルイス著『イスラーム世界の二千年』草思社)。

 文学の世界では、たとえば「アラビアン・ナイト」で知られる「千夜一夜物語」がある。

これはむしろ西欧で再発見されたといってもいい。

ペルシャ・アラブ文化圏で集積されたこの説話集が西欧を経由して世界に広がり、さまざまな芸術に霊感を与えてきた。

たとえば週刊朝日百科「世界の文学」の118号「アラビアン・ナイト、王書ほか」などに詳しい。

 きのうはユネスコ憲章記念日だった。

それに先立つ総会では「文化の多様性」を尊重する宣言が採択され、この「多様性」こそが人類の共有財産であることがうたわれた。

またそれが人間の尊厳と切り離せない、と。

 人類の文化の流れを見てみると、その多様性の保持と異文化間の接触、合流がいかに肝要であったかがよくわかる。

とりわけいま、その重要さを痛感する。




中世のイスラム文化は絢爛豪華であった。その頃のアメリカは原住民だけが住む未開の地である。

それが現在のイスラム世界は戦争に明け暮れて荒廃に荒廃を来たし化石とも言われる状態になった。

石油産出が禍をしているのだろうか。

近代になり西洋諸国が干渉し,現在は世界一である超大国アメリカによって干渉が繰り返えされている。

固有の文化を西洋の基準により計り,それから外れていれば後進国であり近代化が進んでいないと非難される。

同じ事は日本固有の文化に対しても云えることだ。

西洋の基準に計つて,第二次大戦の敗戦後の日本ではそれから外れていれば封建的とか,後進国であるかの如くに

日本人自身も思うようになってきている。

西洋の文化だけが一番優れた文化だとは思わない。それぞれの文化の多様性が有って良いのではなかろうか。

何処の国を旅行してもハンバ−グ文化では面白くない話である。

各国の固有の文化はそれぞれ大切にしたいものだ。それにアメリカは実利主義優先の国で有る。

自分の利益になる所は干渉し続け,利益にならぬと見れば放置しておく。

身近を見渡せば,そのような考えの人達が大勢いるように思えて仕方がない。




戦争による滅亡の日を「運命の日」



11月07日の天声人語より 

 いま午後11時51分である。午前0時まであと9分のところで止まっている。

いわゆる「核の時計」である。

核戦争による滅亡の日を「運命の日」とし、その日が始まる午前0時までの残り時間を示す。

 米国の科学者が中心になって発行する会報に47年から掲載され始めた。

核兵器という史上最悪の兵器をつくってしまった科学者たちの痛みをこめた警告である。

冷戦時代には、2分前までいったことがある。

冷戦終結後の91年に17分前と「運命の日」から最も遠ざかった。

 現在の「9分前」は98年以来だ。

インドとパキスタンの核実験と核の分散の危険を計算にいれて、その前から5分間進められた。

しかし9月11日以降、新たな不安が忍び寄っている。

 国際原子力機関(IAEA)が先日「核テロの可能性が増している」と警告した。

テロリストが放射性物質をばらまいたり、核施設を襲撃したりする可能性を指摘した。

最悪事態に備えての警戒であり、過剰に恐怖を募らせてはならないだろう。

 折しも国連では日本提案の核廃絶決議案が採択された。

何を思ったか米国が反対票を投じたというから驚きだ。


いまこそ廃絶への足並みをそろえるべきときなのに。

 「核の時計」を管理するS・シュウォーツ氏に現況について質問した。

「時計をいつどれくらい動かすのかどうか慎重を期してしばらく待ちたい」と言い、

テロの危険だけでなく米ロ交渉など国際情勢をにらんで判断したい、と。

氏はパキスタン政府の核管理能力を懸念もしていた。ひとまずは「時計」よ、止まれ、だ。




なんと言ってもブッシュ氏が大統領になってからのアメリカは異常である。異常と思われるアメリカに世界中が振り回されている。






空軍による戦略爆撃


11月8日の天声人語より 

 その悲劇を、画家パブロ・ピカソはパリの行きつけのカフェで知った、といわれる。

スペイン内戦さなかの1937年4月、スペイン北部の町ゲルニカは、ナチスドイツとイタリアの空軍機による爆撃で壊滅する。

大作「ゲルニカ」は、非道に対するピカソの怒りをぶつけたものだ。

 敵の軍事拠点や兵士ばかりか、後方の生産施設や市民の生活基盤もたたく。

戦略爆撃と呼ばれる戦法は、第二次大戦中に確立された。前線も銃後もない。

容赦なく市民の頭上に爆弾の雨を降らせる無差別爆撃の先駆けが、ゲルニカだった。

 米ジョンソン政権が65年2月から始めた北ベトナム爆撃(北爆)を思い起こす。

「限定的」から「継続的」「全面」へと空爆はエスカレートした。

投下された爆弾の量は、第二次大戦で約610万トン、朝鮮戦争では約311万トン。

それが65〜73年に限っても、インドシナ半島には1400万トンを超す爆弾が降り注いだ(松岡完『ベトナム戦争』)というから、

べらぼうだ。


 「密林が生い茂るベトナムでは、じゅうたん爆撃の軍事的効果は乏しかった」。

米戦略爆撃機B52の元搭乗員の話を聞いたことがある。アフガニスタンに密林はない。

岩山と乾いた大地の国である。ベトナムとは違う、のかどうか。

 「古来、イスラム教徒はラマダン(断食月)の間も戦い続けた」。

米政府系の海外向け放送VOAは、アラブの歴史にふれながら空爆続行への理解を世界に訴えた。

 空爆開始から1カ月。大地を揺らして今日も爆弾がさく裂する。過度の空爆信仰はないか。そこが気になる。





第二次大戦中に爆撃機B29によって日本も至る所の都市部が爆撃に見舞われた。

当時住んでいた京都では目立った爆撃は見なかったが,でも最近の調査では何箇所かに爆弾が投下されたことが

記録されている。当時は小学生だったが,白線を描くような飛行雲だけが遥か彼方上空に見え,B29の機影は殆ど見えなかった。

それが敗戦近くになって来ると大きな機体が見られるようになった。

敵機襲来すると空襲警報のサイレンが鳴り,周りが積み重ねられた布団の中に隠れたり,土嚢が積み重ねられた防空壕に退避した。。

警戒警報解されると,布団の外に出たものである。当時大人達により真面目に竹槍訓練がされていた。

今から考えると馬鹿げた事をしていたものだ。爆弾が直撃すれば全てそれまでのことである。

当時と違いアフガニスタンでは戦略爆撃機B52により破壊力が莫大な高性能の爆弾が使用されているようである。

アフガニスタンの人達の苦しみが良く判る,体験したものにとつて自然に伝わってくる。

早く戦争は終わらせたい。!

戦争に会った人々,世界中の爆弾に遭遇した人達は誰もがそのように思っているに違いない。

昔の「悪夢」をば,アメリカがいまさらに世界の人達に呼び起こさせる必要も無いと思うのだが。!!





世の出来事は、ときに逆の立場から見ることも要求される



11月11日の天声人語より 

 先日、米大リーグのワールドシリーズについて書いたところ、

優勝したダイヤモンドバックスの本拠地アリゾナの大学の客員教授からご意見をいただいた。

 あの4、5戦のヤンキースの逆転勝ちは「奇跡」ではなく「悪夢」でした。

2戦連続土壇場で同点本塁打を打たれた韓国出身のキム投手が「可哀想で可哀想でなりませんでした」。

7戦の幕切れは「あっけない最後」ではなく「劇的な最後」です。アリゾナの地からのそんな便りだった。

 言われてみると、確かにヤンキース側からシリーズを見ていたかもしれない、と思う。

ヤンキースファンではないが、今回は、知らず知らずヤンキースの側の言葉をつかっていた。

そしてこの「知らず知らず」が要注意だと思った。

 同じ試合でもどちらの側から見るかで、まったく違うものになるのは当然だろう。

野球の試合はそれでいいと思う。

しかし、世の出来事は、ときに逆の立場から見ることも要求される。

 アフガニスタン空爆は、空爆される側からの視点が必要だ。

巻き込まれる人々にとっては「悪夢」以外の何物でもないだろう。

私たちは「知らず知らず」米国側の言葉で語っていないか、注意が必要だろう。

日本の自衛艦派遣も、アフガン攻撃に批判的な国々、人々はどう見ているか、反省が必要だろう。

 クリントン前米大統領の長女チェルシーさんが留学先の英国で、反戦集会に乱入して妨害したそうだ。

ちょっとした悲喜劇ではないか。彼女にとって、事態は単純に見えるのかもしれない。

しかし、これは野球の試合ではない。





アフガンの人達の立場に立てば何故にこのように長い間苦しみをあじわなけばならないかと考えているに違いない。

アメリカ側からすれば面子にかけても9月11日のニュヨークのテロ事件の犯人を探し出し出したい気持ちで一杯である。

犯人探しの為に既に莫大な費用と時間が費やされている。対抗するものは容赦なく爆撃するとの感じだ。

イラク 北朝鮮も対象になりそうなニュ−スが流れてきている。

その間大勢の犠牲者が続出しだしている。それでもクジケナイと今の所アメリカは頑張りつづけている。

それでいいのだろうかと誰もが疑問を抱くに違いない。

暴れ狂う巨人を誰もが手をつけ止めさせることは出来ない。それを止める事が出きるのは今の所良識あるアメリカの世論だけである。

だがその世論は今の所ブッシュ大統領を支持している人達が多いようだ。






テロで犠牲になった人たちのことを思うと胸がしめつけられる

けれども米国のその後の言動はおかしい



11月13日の天声人語より  

先週、本紙に「アフガニスタン難民を凍死から救おう」という写真付きの短い記事が出た。

東京のモスクから古着を送る活動の紹介だ。読者の反応は驚くほど素早かった。

 モスクには瞬く間に予定の古着が集まり、早々に締め切らざるをえなかった。

こんどの事態で「何かをしたい」「何かをしなければ」と思っている人がいかに多いか。

 東京の主婦、伊藤美好さん(45)もそんな一人だった。

友人と「思いを伝えあいたい」とインターネットのホームページで呼びかけたのは9月末だった。

テロで犠牲になった人たちのことを思うと胸がしめつけられる。

けれども米国のその後の言動はおかしい。そんな思いを伝えあう。

 1通、また1通。メールがきた。若い母親は子どもを前よりいっそう強く抱きしめて寝ていると書いてきた。

空爆下を逃げまどうアフガンの人々に自身の空襲体験を重ねる女性がいた。

パートの女性は「自分には何ができるのか」と問いつづけている。

父親の暴力と教師の体罰に傷ついた会社員は、暴力の連鎖に心を痛めていた。子どもの声も交じり始めた。

 怖がりの伊藤さんが、自分でも思いがけない行動に出た。

この声を友人たちと国会議員に届けて回ることにした。

最初は119人の声を。次に163人。その3日後には179人。議員たちにはあきれられた。

テロ対策特措法が成立したいまも、声はとぎれることなくつづく。

 2001年秋を、こんなふうに感じながら過ごした人たちがいた。

その事実を形にしたくて、伊藤さんらは声の束を冊子に残す。





今のアメリカはどう見てもおかしい変である。

指導者ブッシュが狂っているようにしか思えない。巨大な権力を握り正義と言う棒でもって殺人を次から次に

起こしているとしか思えない。多分にゲリラ戦になりヴェトナム戦争同様にアメリカ兵士に被害が出始めてきて

初めて止まるのではないかと思われる。

その間に亡くなった人達はそうすればなんだったのだろう。?

指導者は何時の時代も一番安全な所から号令をかけている。被害を被るのは何時の時代も戦場と化した所にいる

庶民達だけだ。

こんな馬鹿げた事が繰り返されてよいものだろうか。!





適切なモルヒネの使用


11月16日の天声人語より 

 ケシの実から採れるアヘンは古くから痛み止めとして利用されてきた。

ドイツの薬剤師がアヘンから純粋な結晶を取り出したのは19世紀初めだ。

ギリシャ神話に登場する夢の神・モルフェウスにちなんで、モルヒネと名づけられた。

 英国の東インド会社が輸出したアヘンが中国国内で乱用され、アヘン戦争が起きたのは周知の通り。

使い始めるとやめられなくなり、ついには死に至る薬だと知られるようになったのは、そのころからだろう。

 怖い薬というレッテルは、とりわけ日本で強く張り付いたようだ。

世界保健機関(WHO)が、がんの痛みにはモルヒネを積極的に使った方がいいと86年に打ち出し、

それから先進各国で消費量が大きく伸びた。

しかし、日本の伸びは鈍く、人口当たりの消費量はカナダやオーストラリアの7分の1程度しかない。

 健康な人が使うと確かに怖い薬なのだと星薬科大学の鈴木勉教授はいう。

ところが、薬がやめられないという依存性は、痛みのある人には現れない。

それを鈴木さんはネズミを使った実験で確かめた。

 健康な人がモルヒネを使うと心と体がもっと薬を欲してしまう。神経系のバランスが崩れるからだ。

痛みのある人は、もともとバランスが崩れていてそれがモルヒネの作用で元に戻る。

だから、薬をそれ以上欲することはない。そう説明されると、なるほどと思う。

 がんの痛みは適切にモルヒネを使えば取り除ける。それなのに日本では、患者も医師も使用をためらう。

一度ついたレッテルを引きはがすのがいかに難しいか、思い知らされる。






開業医になると末期の患者を診る機会は少なくなる。麻薬の取り扱いも非常に厳しく,厳重な管理義務と

毎年に使った量を報告する義務が法律で科せられている。其れとは別にに麻薬ではないが強力な鎮痛剤も出てきている。

だからそちらの薬を使用し,麻薬を必要とするような患者さんは病院に行っていただくようにしている。

これだけ医学が専門化し細分゙化してくると一人の開業医で知リえる知識は極めて限定される。

積極的に病院に通院をすすめ,その補完的なことをば開業医としてしていく事にしている。

その方が患者さんの為に幸せになるのではないかと考えている。






「どうしたらいいのかまったくわからない」というせりふを大統領から



11月21日の天声人語より 

 「どうしたらいいのかまったくわからない」というせりふを大統領から聞かされたらどうだろうか。

しかも戦争を指揮している大統領からである。

それこそ「どうしたらいいかわからない」

 ベトナム戦争時のジョンソン米大統領が夫人に語った言葉である。

秘密テープをもとにジョンソン時代を研究している歴史家M・ベシュロス氏が以前、著書で暴露した。

氏が今月その続編を出版した。

 きのうの本紙に、その新著で明らかになったトンキン湾事件をめぐる会話などが紹介された。

その記事や米紙の紹介記事などを読んでいると、いまさらながら暗い気分に陥る。

 「勝利へのプランがない。軍事的にも外交的にも」と大統領。

国防長官や国務長官への不満をもらす。

「ただ祈り、あえいでモンスーンを持ちこたえる。そうすれば敵は屈服するのではないかと言うばかりだ」

「私は彼らが屈服するなんて信じられない」  ジョンソン大統領はこうまで言う。

「ベトナム情勢は日々悪くなっている。大きな犠牲を覚悟して一歩踏み込むか、あるいは不名誉の撤退か。

まるで飛行機に乗っていて、飛行機を破壊するか、飛び降りるかの選択を迫られているようだ。私にはパラシュートはないのに」

 著者は、国論が統一され、国民の安全のために戦っている今の対テロ戦争とはまったく違うことを強調する。

その通りだろう。しかし教訓はある。

ずるずる進む事態を食い止めるのはいかに難しいか。戦争をやめるのはいかに難しいか。

指導者はいかにしばしば表の顔と裏の顔とを使い分けるか。





まさかブッシュ大統領もこのような気持ちで指導しているのではなかろう。

でもその兆候があるように思えて仕方がない。

或いは我々が思い描いているような目的だけに戦争を続けているのではないのかもしれない。

それは戦争の為の戦争だ。

ブッシュ大統領よ,全ての人たちは豊かで平和な生活を求めている事だけは決して忘れないでいてほしい。




弁解より反省



松下幸之助の言葉より
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 仕事でもなんでも、物事がうまくいかない場合、必ずそこには原因があるはずである。

だからうまくいかなかったときに、その原因を考えることは、同じ失敗を重ねないためにも、きわめて大切である。

 そのことは誰もが承知しているのであるが、人間というものは往々にしてうまくいかない原因を究明し反省するよりも、

「こういう情況だったからうまくいかなかったのだ。あんな思いがけないことが起こって、それで失敗したのだ」

というように弁解し、自分を納得させてしまう。

原因は自分が招いたことである、という思いに徹してこそ、失敗の経験も生かされるのではないだろうか。


失敗も弁解するのでなく,素直に受け入れて反省して明日への糧とする気持ちが大切だ。




車社会の国とは日本の国土は違う



11月23日の天声人語より 


 こんな懐かしい詩を思い浮かべた。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る……」。もちろん有名な高村光太郎の「道程」だ。

詩人には失礼かもしれないが、ついこんな連想をした。

 自民党道路族が口ずさむ。「僕の後ろに道は出来る」。そうやって選挙を勝ち抜き、業界を束ねてきた人たちだ。

ところが、情勢が変だ。自分たちが選んだ総裁・首相が、こう口ずさみ始めた。「僕の前に道はない」。そう言って「改革」へ走り始めた。

 「道」をめぐる首相と道路族との「暗闘」は一段落しそうだが、これ以上高速道路が必要なのかどうかの議論はこれからだ。

出たばかりの日本道路公団の『年報』で見ると、主要国の道路投資額では日本が目立って大きい。

国土交通省は、日本は後発のうえ、自然環境や用地費などでコストが高いことのほか、電線の地中化なども進めていることを理由にあげる。

吟味が必要なところだ。

 話を混ぜっ返すようで恐縮だが、散歩派としては歩道をもっと何とかしてもらえないだろうかとしばしば思う。

ゆったり歩ける歩道がもっとたくさん欲しい。

 ある米国の作家のこんな文章を読んだことがある。あの国では、道路の向かい側の店に行くのにも車が必要だ。

そう言って経験談をつづる。目の前に店はあるのに、歩道橋は遠いし、あぶなくて徒歩の横断はできない。

車で遠回りしてUターンをするしかない。変な社会だ、と。

 車社会のあの国の実情だ。そこまでは行ってほしくないと思う。議論がわき道にそれたが、散歩派のささやかな感想である。






日本の国土はアメリカに比べて遥かに狭い。だから道路行政も日本に合ったものが計画されるべきである。

四国の本州の間に3ルートもの道路が必要だったか否か素人の目でみてもおかしい変な話である。

道路行政の見直しも必要だが,身近に有る狭い橋の傍に橋げただけが建設され,工事がストップされている。

如何に損失が大きいかおも考えて欲しい。必要な所には惜しみなく税金を投入すべきである。

政治家の為による片寄った道路は作らなくとも良いが,本来必要とする所には是非道路は作るべきである。

自分の票獲得の為の政治家の為の道路だけはご免です。





アフガニスタンの風景はこころに沁(し)み入るようだった


11月24日の天声人語より

 
 「この国の人々はまことになごやかで親切である。ゆうゆうと天から与えられた人生を送っているかにみえる」。

こう描かれているのは、アフガニスタンの人々である。25年ほど前のことだ。

 いまアフガニスタンというと荒涼たる風景を思い浮かべてしまう。

戦争、難民、廃虚といった連想をしてしまう。

しかし少し前のアフガン紀行などを読むと、まったく違う顔が見えてくる。

 冒頭に引いたのは『アフガニスタンの旅』(久野健・六興出版)で、仏教美術の専門家の旅の記録だ。

著者の久野氏はよく人々の顔を観察する。首都カブールでは、ペルシャ系、アラブ系にギリシャ系、モンゴル系とその多様さに驚く。

 シルクロードの真ん中、東西文化がこの地でぶつかった。そのことが人々の顔からもうかがえる。

もちろん遺跡や美術工芸には、東西の合流が色濃く表現されている。貴重な文化財がいたるところにある。

 若い旅人はこうつづった。「アフガニスタンの風景はこころに沁(し)み入るようだった。

とりわけ、ジャララバードからカブールまでの景観は、『絹の道』の中でも有数のものなのではないかと思えるほど美しいものだった」。

作家の沢木耕太郎さんの20代の旅の記録だ(『深夜特急4』新潮文庫)。そのように、いろいろなアフガンがある。

 久野氏は「あとがき」に「欧米や日本などとは比較にならない古い歴史を秘めており、

ある意味では、二十世紀の先進国とよばれる国々よりも、はるかに人間的な生活が残っている」と記した。

いま争点になっているのはそんな国だ。




今のアフガニスタンには瓦礫と砂漠と山岳に空爆に破壊され続けている情景しか浮かんでこない。

何年も前から戦争に明け暮れ,避難民があふれ飢餓で死んで行く人たちが大勢いることを

9月11日のテロ事件以後に知った。大方の人達がそうだったと思う。

こんな国が有ったのかと気ずいた。やはりと言うか以前は文化に恵まれた国であることが判る。

何故にそのような国が今のような事態に至ったのかは理解できてこない。

タリバンが政権を取ってからはテロの拠点になり,其の為に国際的に制裁を受け貧しい国へと変貌していった。

それに各部族がアフガニスタンと言う国がない位に日本の戦国時代同様部族によって各地の支配が行われている。

例えそうであっても何故に平和なアフガニスタンがどうして作れないのだろうか。?



死も生成発展



松下幸之助の言葉より
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 私は、人生とは“生成発展”、つまり“日々新た”の姿であると考えています。

人間が生まれ死んでいくという一つの事象は、人間の生成発展の姿なのです。生も発展なら死も発展です。

 人間は、今まで、ただ本能的に死をおそれ、忌みきらい、これに耐えがたい恐怖心を抱いてきました。

人情としては無理もないことと思います。

 しかし、われわれは生成発展の原理にめざめ、死はおそるべきことでも、悲しむべきことでも、つらいことでもなく、

むしろ生成発展の一過程にすぎないこと、万事が生長する一つの姿であることを知って、

死にも厳粛な喜びを見出したいと思います。


む-, 其処までの悟りの境地にはまだまだ至り得ない。




基地の中の沖縄



11月28日の天声人語より



  ずっと気になっている。沖縄のことだ。アメリカでの同時多発テロの影響を直接被っているところだ。

観光客が減った。とりわけ修学旅行が激減したという。少々寂しい事態だ。

 国土交通省によると、11月中旬までに沖縄への修学旅行のキャンセルは17万人を超えた。

昨年に比べると半減することになる。

同省などでは28日から学校関係者を沖縄に招いて視察してもらうが、回復につながるかどうか。

 旅行会社の調べでは、行き先を変更した学校が大半で、変更先は東京、大阪周辺がけっこう多い。

かなりの部分がディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンに流れたのではないかと見られる。

米軍基地を敬遠して米国産テーマパークへ向かう。考えてみれば皮肉な光景である。

 沖縄タイムスのコラム筆者が書いている。

「形を変えた沖縄切り捨てに似ている」「『基地の中にあるオキナワ』は戦後日本の一つの歩みだ。

それを学習するのが修学旅行のはず」。

回避する気持ちもわからないではないが、と言いつつ、それを沖縄理解の中でどう位置づけたかを問う。

そして「今ほど沖縄の実情を学ぶいい機会はない」と。

 悩みながら中止を決めたところが多いとは思うが、予定通り沖縄へ行った高校の教師からのこんな声に共感を覚える。

「この状況下で行ったからこそ、ガマ(洞窟(どうくつ))の暗やみや『平和の礎(いしじ)』も過去の遺物としてではなく、

現在も続く戦争の悲惨さを実感させるものとして心に残ったと思う」

 自戒をこめつつだが、「沖縄」を回避してはいけないと思う。





何年か前に沖縄旅行した。楽しい思い出が一杯有るが,一番に驚いた事は基地の中に沖縄があるとの印象である。

殆どの沖縄の一等地はアメリカ軍が基地として利用している。基地の入り口に鳥居が建っている。異様な感を受けた。

日本本土に比較してその多さに驚く。これではまるで沖縄はアメリカの植民地である。

観光地は第二次大戦時の沖縄戦跡が多い。海の青さ 空の青さは日本国内では見ることは少ない場所である。

人情も細やかで,すっかり沖縄が気に入った。情緒豊かな沖縄舞踊も良かった。

沖縄戦で虐げられ 今もまだアメリカ軍の基地に虐げられている沖縄の人達か本当に気の毒である。

今飛行機に乗ってアメリカ軍基地の多くある沖縄へ修学旅行として避ける学校が多い事も,その気持ちも判らない事はない。

万一のことを考えればそのようになる。戦争が終わらない限り又テロの可能性は無くならない。

早くアフガン戦争は終わって欲しいものだ。!今の所神に祈るしか方法しかないものだろうか。?



寒くなると血圧には要注意


高血圧の患者さんを診ているとこの時期になると血圧が 暖かい頃に比較して上昇する人を多く見かけることがあります。

又統計的にも循環器疾患で例えば脳卒中 心臓虚血疾患で倒れる人達が一年中で一番この時期多いようです。

寒さには充分注意して血圧の高い人は必ずお薬の服用するのを忘れないでください。薬を中断すると必ず

血圧は上昇するものですから,下がったからとて油断したり安心しては駄目です。

体重の減量 塩分の制限 そして適度の運動は血圧を自然に下げる作用があるので一番勧められることです。

アルコールの飲みすぎは血圧を上げます。過労は避けてストレスの無い社会はないのだから,ストレスは貯めないように

趣味とかスポーツで発散させるよう心がけて下さい。

よく自分は仕事で動き廻っているから運動をする必要はないと云う方がおられるが,同じ運動でも趣味としてのスホーツによる

運動はストレスを解消して身体には良いですが,仕事による運動はストレスを貯め疲れは取れないから,改めて休養後に

好きなスポーツでもすることをおすすめます。散歩が手軽にできる一番の運動です。

長生きしている人たちをみていると規則正しい丁寧な生き方をしておられるを見かけます。

タバコは百害有って一利なしで思い切ってスッパリと止めるようにしましょう。

適度のアルコールは身体にプラスの場合もあるので度を過ごさずに飲んでもらった方がよいようです。

健康維持も又始めの頃は努力が必要ですが,其れが習慣化し慣れればそれをしなければ

却ってしないと気持ちが悪くなるものです。





不況そして人間としての智慧


経済の仕組みはどういうようになつているかわかりませんが,今回の不況は今までと違いかなり長引いているようです。

現在は一国だけの経済だけで動いてはいないので,世界の中の日本として複雑な絡まりの中で景気の動向が

左右されていると考えます。かなりの場合シュミレーションすれば人間が考える以上に機械が判断してくれる世の中に

なってきていました。例えば大型コンピュターを使い戦争が始まれば,経済の動きはどのようになるかを計算し

もし戦争を継続するような事があるならば,こうなると人間が機械に使われ,そして悪魔の手先になるようなもので

絶対に有ってはいけないことです。。

実証主義 実利主義も大切かも知れませんが,そのようなことを度外視した人間の営みには理屈では解せない

もっともっと大切なことが沢山あると思います。

人間には神から授けられている不可解で神秘的なことが,人間が知りえる範囲からするならば99.9%以上不可解な部分であると思います。

実証主義 実利主義先進国アメリカの考えが人間の最高の智恵だとは思えません。良い部分も有るが,

そのことをばよく理解しながら本当の人間らしい営みが出来る社会の実現を目指して行きたいものです。

人間の理想とするものには実証主義 実利主義の点から考えて相反することはいくらでも沢山有ると思います。





我がIT革命


ITとは情報技術のことである。Information Technologyの略です。

始めITとはインターネットの略ではないかと位にしか考えていませんでした。

IT革命が叫ばれだしてから,数年が経過しています。

IT革命は産業革命に匹敵する位大きな社会革命だと言われており,産業革命はモノの革命で蒸気機関車が走り,

紡績機械が動き,ランプに変わって電気が発明されて,電灯が灯るようになりました。

それと同時に自動車 飛行機などが開発され,電話 ラジオなどの発明があって世の中が非常に便利な社会になって来ました。

一方工業社会が成長発展するにつれ,それによる環境破壊に対して公害が叫びだされて出てきているのが現状のようです。

日本でのIT革命は森内閣当時に,始めて言い出されました。それ迄にもパソコンを使ってのパソコン通信があり情報のやりとりはしていたが,

当時はITなんと言う言葉は聞かれませんでした。ただ通信センターを中心にして情報のやりとりができ

センターには各種のフォ-ラムが開かれていました。

携帯電話機も既に以前からは有りましたが,その当時は携帯して外に持ち出し電話が出きるといった代物でした。

それが次第に進歩し,インターネットといったものが導入され出したのは1990年代の初頭の頃からの話です。

それから急速なパソコンの改良発展と共にインターネットも又急速に普及しだして来ました。

今となるとパソコンは毎日の生活には欠かせない道具となりつつあります。

だが一番困る事は故障したりして何か理由がわからないことが起きたりした時です。

その時は直るまでに無用の箱の状態で何日間も時には何週間も掛かる事があります。

パソコン自身は色んなソフトが売られており,色んな利用法ができます。

色んなゲームが例えば 囲碁も,将棋も何でもできて大変便利な世の中になってきました。

又インターネット上には色いろなホームページが立ち上がっており,色んな情報が飛び交っています。

もちろん最新医学情報の取得も可能です。

インターネット上に自分で発表したい事をどんなことでも容易に簡単に発表することが可能です。

その情報は遥か国境を越え,世界中の人達が発表したものは全部何処の国にいても読めることになっています。

インターネットの世界には国境はありません。ただ国によってはインターネットを制限している国もあるようです。

ホームページを作る為にはHTML言語が必要だがそれを使わず唯ワープロ感覚で

文章を書くだけとか写真を貼り付けるだけで簡単に作る事ができます。

その為のソフトが沢山に売られていて,どれが良いのか迷うほど多くあります。

電話もIモードを使うとインターネットに接続でき,インターネット同様にメール交換ができます。

メール交換とはパソコン乃至携帯電話機で手紙のようなやり取りが出来ると言う事です。

だから切手はいらずにポストにも行く必要もないです。

パソコンとか携帯電話機で書いたものが直ぐに相手の元に届く仕組みになっております。

非常に便利なものなので,まだやっていない人が有るならば是非されると便利さを実感されると思います。

二十世紀が過ぎ,新しい二十一世紀になるとまだまだもっと思いもかけない新しいITの革命が有るのではないかと期待しています。

現在ラジオ テレビ カメラ  録音機 ビデオ DVDなどがデジタル化していて大変便利になってきました。

これらは全てパソコンで扱うことができます。

自動車でのカーナビケ゛―ションも使ってみると非常に便利な道具の一つです。これもIT革命の一つかと思います。

特に始めて出かけて知らない所とか,夜なんかで景色が昼間とはすっかり変わった場合に大変便利な道具です。

画面に地図が出ていて,行く先をば最初に設定しておくと道路に沿って道案内を女性の声で右に廻れとか左に廻れとかの案内をしてくれて,

それに従い走行すればよいだけです。

インターネット上で株の取引とか買い物などが出来ますが,まだしたことがないことなのでこれについては省きます。

その他,医療における電子カルテ並びにレセプト請求の電子化についての記事要請に対しては国立京都病院での体験学習などからして,

まだまだ先のことではないかと考えています。将来どうなって行くかは判断しかねますが,

入学試験 入社試験での願書提出をインターネットでする学校 会社が増えて来ている状況なので

何年か先のいずれ何時かは導入されるのではないかと考えます。

今の時代パソコンを使わない人達が医師のなかでも,まだまだ多勢いるので無理な話ではないでしょうか。


   ───以上は一部変更して,伏見医報で発表したものです───



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