明けましておめでとうございます。 昨年は色々とお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。今年は皆様にとって良い年になりますようにお祈り致します。 平成十四年元旦


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幸福をもたらす午年


年の瀬

誰が作ったのか判りませんが,一月から十二月までで一年になり,又新しい一年が始まる。

年の暮れは忙しい気分でセカセカした感じで過ごすが,年の初めは静かで長閑な気分になる。

不思議なものだ。同じ時間でも人間の過ごし方,時の捉え方によって此れだけ異なってくるのである。

今年はなんと言ってもアメリカの二ューヨークで起きた飛行機によるテロ事件に一番に驚いた。

その後,アメリカのブッシュ大統領がテロを戦争と位置ずけ,空爆が始まりどんな事態が起こるかと

心配していたが,あつさりと戦争らしき戦いが起こらずにタリバーンが撤退していった事にホットした気分に

なっている。誤爆による報道で亡くなった人はいるようだが,市街戦をすることなく,戦わない

タリバーンの方がなんとなく戦い好きのアメリカのブッシュ大統領より大人に見えてくる。

それとも市街戦が出来ないくらいに圧倒的な戦力の違いと,激しい空爆で仕方なくタリバンが撤退したのかも知れない。

どちらにしても一般の人々の被害が最初に思っていたより少なかった事は良かった事だ。

戦争で傷つき苦しむのはいつの時代も一般庶民である。指導者は安全で身の危険の少ない所より命令している。

そのような理不尽が昔からず-と続いている。指導者により世の中が,時がどのように経過するかガラリと変わる。

指導者を選ぶ基準になるものが一般世論である。皆が声を出す事がこれが一番大切のように考える。




初詣は伏見のお稲荷さんへ



子供の頃よりずーと氏神さんである藤森神社と伏見稲荷神社に親しんできた。丁度住んでいた所がその中間地にいた関係から

両神社には特に親しみを持つ。

第二次大戦終戦前までは同じ町内に第十六師団司令部が有り,その近くには騎兵隊, 野砲隊, 歩兵隊, 兵器庫, 

それに広大な錬兵場が有った。戦後はそれぞれに聖母女学院, 深草中学, 藤森中学,京都教育大学,龍谷大学 住宅街に

生まれ変わっている。戦後,軍隊の町から教育の町へと変貌した。 藤森神社は終戦前まで戦勝祈願の神社だったのが

戦後は学問・ 競馬の神様に生まれ変わっている。だが伏見のお稲荷さんだけ戦前 戦後を通じ商売繁盛の神さんで,全く変わっていない。

正月になると全国から大勢の参拝客がお参りにみえる。賑わいは大変な事である。京阪電車の稲荷駅も鳥居を模した朱色が目立つ。

京都伏見の町で自慢できるのは伏見のお稲荷さんと伏見の酒くらいかも知れない。

初詣は是非伏見のお稲荷さんへ。又出来ない人はインターネットに今秋,立派な伏見稲荷大社のホームページが出来たのでそこからでも

お参りして下さい。ついでに全国の稲荷神社を集めたリンク集も覗いてみてください。 




史上最大の倒産


12月6日の天声人語

 史上最大の倒産といわれる。米国企業のエンロンである。その規模の大きさもさることながら、複雑多岐にわたる取引は、

まさに現代の怪物だ。それが突然倒れた。これまた現代の怪談といってもいいだろう。

 85年に、天然ガスのパイプラインを運営する会社として誕生した。「世界有数の企業が100年かかったことを15年で達成した」と自賛する。

実際、ここ数年最も「革新的な企業」として注目されてきた。去年は全米7位の企業に躍進した。

 商売の中身を聞かれると素人は少々困る。中心は電力、天然ガスの卸売りだが、インターネット取引では1200の商品を扱っているという。

たとえば天候も商品にする。冷夏とか暖冬によって生じる需要の変動、そのリスクをデリバティブ(金融派生商品)として売買するというのだが、

統制緩和で新しい市場ができる。そこに素早く参入する。というより、規制緩和を獲得し、新しい市場を創設していく。

そうして急成長したらしい。

本社がテキサス州にあり、同郷のブッシュ大統領一族とは親交深く、彼らへの政治献金も莫大(ばくだい)だった。

 帳簿のごまかしがばれたりして傾き始めたら、あっという間に倒れた。

「鉄の胴に、粘土の足」と形容する英紙もあった。

 「危機管理」もエンロンの商品のひとつだった。テキサスの本社の様子を報じる米紙は「ほとんど社員は消えたが、

どの階にも(捜査に入った)警官がいる。現実とは思えない」と語る同社の危機管理責任者の話を掲載していた。

皮肉な光景だ。


エンロンと言う会社は初めて聞く。倒産したのかどうかも知らなかった。大変な会社のようだ。

一番気になるのはブッシュ大統領との関係である。やはりそうだったかとの思いがする。

会社と言えども私欲に走ると駄目だ。勿論政治家も同様である。必ずに世の中は勧善懲悪で有って欲しい。

悪いことをする人々が伸びる社会は最悪である。暗い。未来がない。

小泉首相の構造改革で今は苦しくともなんとか明るい未来に結びついてほしいものです。





草創期の飛行家たちの多くは、敬けんな自然崇拝者であり詩人



12月01日の天声人語 


 航空自衛隊のジェット戦闘機の元パイロットから、こんな話を聞いた。

「飛行中、複雑なレバーやスイッチ類を四六時中動かしていると、千手観音になった気分です」「必要なのは、

瞬時に状況をつかむサッカーの中田英寿選手の判断力」。

 先端技術を詰め込んだ機体が、鋭い金属音をとどろかせて大気を切り裂く。

超音速の世界の緊張感が、多くのパイロットたちを魅了してやまない。

けれども、それを「大空のロマン」と呼ぶには、少々ためらいを覚える。より速く高く。

そんなことよりも太古の昔から人は、ただ鳥のように自由に空を舞うことを夢見てきたのではなかったか。

 「ぼくらは一個の遊星の上に住んでいる。ときどき飛行機のおかげで、

その遊星がわれわれに本来の姿を見せてくれる」(サン=テグジュペリ『人間の土地』)。

20世紀に実用化した飛行機は、たちまち凶暴な戦争の道具と化した。

それでも、草創期の飛行家たちの多くは、敬けんな自然崇拝者であり詩人であった。

 日本で初めて人力飛行に挑んだのは、江戸中期に現在の岡山県玉野市に生まれた表具師、浮田幸吉だといわれる。

幸吉は捕らえたハトの翼と胴の比重を参考に、竹や木の骨に紙を張った翼を作製。それを身につけて橋の欄干から飛んだ。

 だが、雄図むなしく河原に落下。騒ぎを起こしたかどで岡山を「所払い」になる。

「グライダーの父」と称されるドイツのリリエンタールが木綿布を張った翼で滑空する100年以上も前のことだ。

 初冬の大空をハトがはばたく。ふと、鳥人幸吉の心意気を思う。



飛行機のロマンと凶器とは紙一重である。使う人間の気持次第で変わる。初めて飛んだ人たちの心意気を大切にして

大量殺人の道具の一つにならないことを願うものである。アフガンからの報道を読んでいるとすさまじいばかりに

凶暴化した道具の一つにしか思えなくなってきている。





世界に誇れる国民性


松下幸之助の言葉より
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 同じ日本人でも細かくみれば、考え方や性格など実にいろいろな人がいるわけですが、

しかしまた一面には、日本人には日本人としての共通の特性というか、日本人独特の民族性、国民性というものがやはりあるように思います。

日本独特の気候や風土の中で長い間過ごしているうちに、たとえば日本人特有の繊細な情感というようなものが、

しだいに養われてきたと言えるでしょう。

 日本人の国民性のなかにも、反省すべき点は少なくありませんが、とくに勤勉さとか、器用さとか、

恵まれた気候風土と長い歴史伝統によって養われてきたこういう特性には、世界にも大いに誇り得るものがあるように思うのです。



日本人の勤勉さとか、器用さとかは外国に旅行すると特にその違いは良く判る。僅かな旅行体験だが外国に比べ街が整然として

綺麗なことはわかる。だが勤勉さとか器用さについては外国に旅行して日本人と全く変わらないか又はそれより優秀な人に遭遇する事がある。

世界に誇れる国民性も次第に影か薄くなってきたように感ずるのは僕一人だけだろうか。





20世紀から21世紀にかけても戦乱の時代であり続けるのか



12年8日の天声人語 


 まさに宗教戦争の時代であった。開催中のカラバッジョ展(東京都庭園美術館で16日まで。

22日から愛知県の岡崎市美術博物館)を見ながら、16世紀から17世紀にかけての戦乱のヨーロッパから現代へと思いは行き来したのだった。

 16世紀のヨーロッパで戦争がなかったのは10年に満たない。

17世紀ではたった4年という(『世界の歴史17』中央公論社)。折しも鉄砲などの火器が開発されていく時代で、

戦争がもたらす惨状も増すばかりだった。

 宗教改革とそれへの反撃が渦巻いていた時代だ。戦争に発展する武力抵抗が起きるのは、

政府が地域の実情を無視して宗教政策を強制したときか、あるいは増税を図ったときだったという。

16世紀後半から始まって80年あまり続いたネーデルランドの反乱も17世紀の30年戦争もそうだった。

 イタリアの画家カラバッジョ(1571〜1610)は、そうした戦争に直接はかかわっていないにしても、同時代の荒々しい空気を吸っていたはずだ。

作品の多くは宗教画だったが、描かれる人物の何と人間くさいことか。恍惚(こうこつ)と苦悩とが交錯する官能的な人物がなまなましく描かれる。

 そして光と闇(やみ)とのくっきりした対照が、時代が下るにつれしだいに闇に沈んでいく。

彼の人生の反映でもあろうが、時代への絶望や諦念(ていねん)がにじみ出てもいるのだろうか。

 日本が米国に戦争を仕掛けた日からきょうで60年、いまなおアフガニスタン、パレスチナをはじめ世界各地で爆弾が銃が火を噴いている。

20世紀から21世紀にかけても戦乱の時代であり続けるのか。



原始の時代から戦いは続いている。石器時代にも戦争があった。勝者が敗者を支配しつづけていた。

歴史を読み返してみると人類の歴史は戦争の繰り返しで戦争の歴史でもある。

勝者が敗者を支配しつづけている。敗者の後裔は昔の敗北を忘れて,勝者を偉大な人,さらには高貴な人と思うように

なってきている。人類の歴史が終わるまでその構図は変化しないのかも知れない。

人間は愚かな事を繰り返しているように思えて仕方がない。





持ち味を生かす


松下幸之助の言葉より
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 家康は日本の歴史上最もすぐれた指導者の一人であり、その考え方なり、業績に学ぶべきものは多々ある。

しかしだからと言って他の人が家康の通りにやったらうまくいくかというとそうではない。むしろ失敗する場合が多いと思う。

と言うのは、家康のやり方は家康という人にしてはじめて成功するのであって、家康とはいろいろな意味で持ち味の違う別の人がやっても、

それはうまくいかないものである。

 人にはみなそれぞれに違った持ち味がある。一人として全く同じということはない。だから偉人のやり方をそのまま真似るというのでなく、

それにヒントを得て自分の持ち味に合わせたあり方を生み出さねばならないと思う。


それぞれの人々iは持ち味があるので,自分の最高の持ち味を生かした生き方が最高である。

人の真似は真似する人が如何に立派な人であろうとも,それ以上にはなれない。

参考にしても良いが,自分の持ち味を生かしきればそれで最高である。





ハリー・ポッターと賢者の石



12月9日の天声人語より


 映画に行こうかどうしようか迷っている。例の「ハリー・ポッターと賢者の石」である。

これまでの経験では、映画が原作を上回ることはまれだった。

たとえば映画が大成功した「ジュラシック・パーク」や「羊たちの沈黙」も、確かによくできていたが、原作の方が衝撃が強かった。

 ハリー・ポッターは、最初たまたま英語版を手にして読み始めたらやめられなくなった。

英米でうけるのはわかるが、日本ではどうだろうか、と当初は思った。

ところが、日本も含めてたちまち世界中の人気者になってしまった。

たぶん世界のベストセラーの記録をいろいろ塗り替えたことだろう。

 「新しくない」ことが人気の秘密ではないかと思うことがある。寄宿学校を舞台にした古くからある「学園もの」の一種である。

魔法使いの学校だが、その魔法といえば箒(ほうき)で飛んだり、マントで姿を消したり、いわば旧式の魔法である。

言い換えれば、何世代にもわたって子どもたちをとりこにしてきた世界だ。

 そういえば、幼いころ「魔法の杖(つえ)」などにわくわくした感じがよみがえる。人物造形が巧みだから感情移入がしやすい。

わき役に魅力的な人物が多いのもいい。

 批判もある。トールキンの「指輪物語」のような深みがないという声はよく聞く。

米国では、魔法を奨励して有害だ、として排斥運動もあった。

しかし子どもたちをテレビやゲーム類から、一時的にせよ、活字に引き戻す力があったことは確かだろう。

 こんどは映画である。旧式の魔法を最先端の技術で再現するらしいが、さて


「ハリー・ポッターと賢者の石」の映画は見たいものです




ABM脱退――米国は身勝手すぎる
     (テロリストの倫理


12月11日の天声人語 


 テロリストというと思い浮かべるのが、次のような話だ。帝政ロシアの時代である。

皇帝暗殺をねらってテロリストが馬車を待っていた。

 目指す馬車がやってきた。テロリストは爆弾をかまえる。投げようとしたとき、馬車の中に子どもの姿が見えた。

テロリストは一瞬ちゅうちょした。馬車は去り、テロリストは機会を逃した。

 確か作家の故高橋和巳氏の文章ではなかったかと思う。

「子どもは未来だ。テロリストは『未来』を抹殺はできない」といった趣旨の感想があったと記憶する。

暗殺をやめたのは、テロリストの感傷ではなく、テロリストの倫理だというのだ。

 帝政を倒して、新しい体制をつくろうというテロリストたちのことだ。

後の世代のためのやむを得ない行動だというなら、子どもたちを巻き添えにはできない。そんな解釈である。

 米国での同時多発テロではなお明確なメッセージが出ていない。

「反米」はうかがえるにしても、目的は何だったのか、いまだにはっきりしない。
そこが中東をはじめ他のテロと違うところだ。

 独立という目標があった北アイルランドをめぐるテロでは、交渉の余地があったし、実際話し合いが進んだ。

もっと困難な問題を抱えているにせよ、パレスチナも同様だ。

対イスラエルの姿勢にかなりの違いはあるが、目標が掲げられている以上、話し合いの余地はある。

こちらも実際、一度は和平交渉が軌道に乗ったのだ。

 無残なテロを防ぐためにも、米国流「対テロの戦い」を、他の地域に安易に拡大するのはまずい。とりわけ中東へは、と思う。

ABM脱退――米国は身勝手すぎる。



最近アメリカの身勝手さが目につく。ブッシュ大統領になってから始まったと云ってよい位に今の米国の独善主義は目立ち過ぎる。

世界中で,唯一の超大国だけに世界の国々,強いては人々に与える影響が大きすぎる。

京都における温暖化防止法案,又 日本提案の核禁止条約法案の反対 それに反してアフガンのタリバン攻撃には米国に賛同しない国は

敵国とみなすとして強制的に世界の国々を半分は恫喝するが如くに支援をとりつけている。恐ろしい国である。

アメリカの世論は今の所ブッシュ大統領への支持が多い。あまりにも米国は身勝手すぎる。

身勝手な超大国米国に助言を与える国はない。アメリカの新型爆弾 兵器の記事だけが勇ましく新聞を賑わしている。

今のアメリカを変える事ができるのは良心的なアメリカ国民の世論の高まりだけである。





米国は独善的な行動は慎むべきだ。
(大国の力を背景にした身勝手な行動と言わざるを得ない)




12月15の朝日新聞社説より  


 米国が72年に旧ソ連と結んだ弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から、

一方的に脱退することをロシアなど関係国に通告した。

 冷戦時代の米ソ両国は核軍備を続け、最盛期には両国で6万発前後の核弾頭が蓄積されていた。

相手国を完全に破壊できる戦力をはるかに上回る数量である。

 両国は核弾頭数の均衡を維持した。

その上で、核戦争になれば双方とも壊滅するという「相互確証破壊」の恐怖があるから、自制が働くと考えた。

しかし、片方が敵の弾道弾を迎撃する防衛ミサイル網を築けば、この「恐怖の均衡」は崩れる。

 それを防ぐのがABM条約である。

国土全域を覆うミサイル防衛網の展開を禁止し、迎撃ミサイルの配備は両国とも1カ所ずつに制限している。

しかし、いまこれを守る限り、米国はミサイル防衛(MD)計画を進められないことになる。

 ブッシュ大統領は「いまや米ロ両国にとって最大の脅威は、テロリストや大量破壊兵器を入手しようとするならず者国家である。

ABM条約はこれらの攻撃から国民を守る能力を開発する妨げになる」と、条約から脱退する理由を述べた。

 同時多発テロを引き合いに出してはいるが、要するにブッシュ大統領の選挙公約でもあるMD計画を進めるうえで、

実験や配備の手足を縛るこの条約が邪魔になったという意思表示にほかならない。

 核超大国である米国は、核軍縮・軍備管理体制の基軸であるABM条約をロシアとともに順守するのが責任ある態度ではないか。

自国に都合がよくないからと30年近く機能してきた国際的な枠組みを一方的につぶすのは、

大国の力を背景にした身勝手な行動と言わざるを得ない。

 米国が、自国だけの安全を確保しながら経済力と技術力を駆使して軍事的優位を拡大するならば、

世界は強者が支配するジャングル状態になりかねない。

指導的国家としての自覚を求めたい。

 ブッシュ大統領は、ロシアとともに戦略核弾頭を3分の1以下に削減する方針を表明している。

米国に期待するのは、こうした核軍縮であり、そのためにも米ロが歩調をそろえることが大切である。

 プーチン・ロシア大統領は、米国のABM条約脱退をある程度織り込んでいたとは見られる。

だが、そのミサイル防衛力が強化されれば、ロシアの戦略核削減のスピードが鈍る恐れも否定できない。

中国は米政府の決定に懸念を表明している。

 ブッシュ政権は、包括的核実験禁止条約(CTBT)への否定的な対応や、臨界前核実験などでも批判を浴びている。

 不安定な時代だからこそ国際社会は足並みをそろえる必要がある。

米国が対テロ包囲網で協調を呼びかけたのも、そうした考えが根底にあったからではないか。

 独善的な行動は慎むべきだ。



これだけ世界の各国の距離が短くなつた時代に自国だけよければそれで良いですむ時代ではない。

是非アメリカの指導者ブッシュ氏がそのことに気ずいてほしいものです。

腰巾着のようにアメリカべったりの日本の外交にもあきれる。助言するのも友好国の務めではなかろうか。





A国がB国に核攻撃を仕掛ける。攻撃を受けたB国が核で反撃をすれば、仕掛けたA国も壊滅的な打撃を受ける

(MAD(相互確証破壊)が狂った)




12月15日の天声人語 


 いまから思えば不思議な時代だった。MADである。マッドは、普通「狂った」という形容詞だが、

この場合は「ミューチュアル・アシュアード・ディストラクション」という言葉の頭文字を取ったMADだ。

いや実際狂っていたかもしれない。

 日本語には「相互確証破壊」と訳される。

お互いに破壊されることが確実に保証されていることである。

A国がB国に核攻撃を仕掛ける。攻撃を受けたB国が核で反撃をすれば、仕掛けたA国も壊滅的な打撃を受ける。

B国から仕掛けても同じだ。

だから両国とも攻撃を仕掛けないだろう。そんな想定である。

 東西冷戦と核軍拡が並行して進んだ時代のことだ。お互いに「全滅」を担保に「安全」を得ようとした。

あの時代のことを考えると、ついこのMADという核大国間の異様な「信頼関係」に思いが至る。

 今度米国が脱退を決めた弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約は、その「確証破壊」を壊さないための条約だったから、また話がややこしい。

ABMで守りを堅くしたら、確実な破壊ができなくなる。守りはほどほどにしよう、と。

 大雑把すぎる議論かもしれないが、核抑止戦略というのは、結局のところ、相手がむちゃはしないだろうという想定の下にあった。

そして9月11日の同時多発テロである。事態は変わった。

 米国の「条約脱退」を聞いて、冷戦とは何だったのかと改めて考えさせられた。

そして、米国本土のミサイル防衛構想を推進するためのこの「脱退」が、はたして冷戦的思考を脱しているのか疑問に思った。




アメリカは相手と喧嘩をしても相手からは殴られない道具をつくろうとしている。これではおかしい。

喧嘩を売れば殴り返されるから止めておくの気持が起きるのが普通である。

それがなくなるとアメリカは怖いものなしになる。無理なことを言えば相手に喧嘩を売ればそれでよい。

幾ら喧嘩をしても殴られてもそれを防ぐ防具をつけているから痛くも痒くもない。

好き勝手放題のことを云う事ができる。無理な自分の意見をもとうすことの出来る国になってしまう。

私欲を絡めブッシュ氏はそれをやろうとしている。





そんなビンラディン氏たちが少なからずいることを知っておく必要はある



12月18日の天声人語 


 オサマ・ビンラディンという人物のことを考える。同時多発テロの首謀者と目されている。先日は、その有力な証拠とされるビデオも公開された。

しかし、なぞの多い人物だ。

 彼に関する本もいろいろ出ているが、たとえばこんな一節に触発される。

「一般にオサマおよび戦闘的な『原理主義者』たちの非アラブ世界に対する認識はきわめて貧弱である」(保坂修司『正体』朝日選書)

 こう続く。「時系列的で体系的な歴史認識は決定的に欠如している」。外の世界を知らないのだ。

それに、もう一言加えたい気がする。

イスラムの教義や歴史には精通しているだろうから、その落差があまりに大きい。私たちの想定する世界から見ると、ゆがみが甚だしい。

 彼らの話は、100年どころか1000年単位で軽く飛躍し、過去・現在入りまじることがよくある。

時間感覚が違う。

日本でいえば、戦国時代どころか源平合戦、さらには壬申の乱が現代に直結するできごととして語られる。

 人はぼんやりと他人も自分と同じように世界を見ていると思いがちだが、世界をまるで違ったふうに見る人たちもいることを思い知らされる。

その上、保坂氏も指摘するように「自分たち」と「自分たちでないもの」とを峻別(しゅんべつ)するから「自分たち」の世界像を修正する機会がない。

 そうやって「自分たちでないもの」に敵対している。だから、かたくなである。

イスラム教徒一般のことではない。突出した人たちのことで、そんなビンラディン氏たちが少なからずいることを知っておく必要はある




アメリカ本土にテロ攻撃をかけることは誰もは思いつかない。アメリカが変わらない限り彼等はこれからもやるかも知れない。






寿命を知る



松下幸之助の言葉より
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 人間に寿命があるように、われわれの仕事にも、それがいつのことかわからないにしても、

やはり一つの寿命があると言えるのではないかと思う。

しかし、だからといって、努力してもつまらない、と放棄してしまうようでは、人間で言うところの天寿を全うせしめることはできない。

これはいわば人間はやがて死ぬのだからと、不摂生、不養生の限りを尽すのと同じであろう。

 それよりもむしろ、いっさいのものには寿命がある、と知った上で、寿命に達するその瞬間までは、

お互いがそこに全精神を打ち込んでゆく。

そういう姿から、大きな安心感というか、おおらかな人生が開けるのではないかと思う。


人生が無限につづくならばダラダラと生きる。全てに寿命があるから輝いてくる。





 日本株式会社と称する会社



12月21日の天声人語 

 不況の影響をあまり受けない業界というのもある。いや、実際はまともに受けている。

それどころか、病は重く、世界不況の起点になるのではないか、と非難のまなざしさえ浴びている。

にもかかわらず、当面リストラ・失業の心配のない業界だ。

 日本株式会社と称する会社で、政治家といわれる人たちを雇って運営させている。

こんど、その雇い方を少し変えた方がいい、という勧告が出された。

地域ごとに雇用しているが、地域間の人口比格差が広がったためだ。

 衆議院の区割りの是正である。

雇う側は国民で、是正は当然という人が多いと思う。雇われる側では、地域によって失業の危機があることから猛反発する人もいるらしい。

全体の定数を変えない緩やかな改革案だ。多少の「痛み」が生じるのは仕方ないだろう。

 そうそう、失業の心配がまったくないわけではない。社長が「解散権」を握っていて、それを発動するといったん幹部が全員失業する。

ただしすぐ再就職の機会が与えられるから、多くは一時的失業だ。

 何をつくっている業界か、と聞かれると困る。

「あの橋は私がつくった。あの道路も私だ」という政治家もいるそうだが、実際につくっているところを見た人はいないから信用できない。

普通は国民からお金を集めて適当に分配する仕事をしている。

 政策という商品をつくるところという見方もある。

この商品の国際競争力のなさが致命的な欠陥だという人もいる。

雇われているのに、雇い主の国民より威張っている「主客転倒業界」という批判は常にある。





雇われている政治家が威張って,社長も雇い主たちに向かずに雇われている人に半分以上向いている。

雇い主も雇われている側にコネで自分に都合の良いように頼む込むので雇われている側は威張っている。

雇い主の信念があまりないので雇われている側に自由放題にされている。雇っている人にお任せの状態なので経理内容は皆目わからない。

雇われている側はコロコロと変わるので全く会社には責任を持たない。すき放題のことをしている。

給料 罰則は雇われている側で勝手に作れる。

雇われているのに、雇い主の国民より威張っている「主客転倒業界」という批判は常にある。






小事を大切に


松下幸之助の言葉より
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 ふつう大きな失敗は厳しく叱り、小さな失敗は軽く注意する。

しかし、考えてみると、大きな失敗というものはたいがい本人も十分に考え、一生懸命やった上でするものである。

だからそういう場合には、むしろ「君、そんなことで心配したらあかん」と、一面励ましつつ、失敗の原因をともども研究し、

今後に生かしていくことが大事ではないかと思う。

 一方、小さな失敗や過ちは、おおむね本人の不注意や気のゆるみから起こり、本人もそれに気がつかない場合が多い。

小事にとらわれるあまり大事を忘れてはならないが、小事を大切にし、小さな失敗に対して厳しく叱るということも一面必要ではないか



大事を失敗した時は本人は身も心も打撃を受けている。小事にはあまり本人も気にせずに反省も不足しいる。

小事にとらわれるあまり大事を忘れてはならないが、小事を大切にし、小さな失敗に対して厳しく叱るということも一面必要ではないかは

その通りである。





アフガニスタンのタリバーン後の暫定政権正常化も多難


12月22日の天声人語より 

 きょう発足するはずのアフガニスタンの暫定政権の外務大臣か教育大臣に推薦したいと思った。

ニルファー・パズィラさんである。来年1月公開の映画「カンダハール」に主演したアフガニスタンの28歳の女性だ。

 きのう来日して記者会見をしたが、極めて明快にアフガンの現状と展望を語った。

彼女はカブール育ちだが、迫害を避けてカナダに渡り、ジャーナリストになった。

彼女をめぐるある実話をイランのマフマルバフ監督が映画化し、彼女が主演した。詳しい経緯はここでは省略する。

 彼女は「希望と恐れ」を語った。とりわけ恐れについて。アフガン全土に憎しみが降り積もっている。

いつ内戦が再開するかわからない状態だ。

それを避けるためにはまず武装解除をしなければならない。

 この武装解除がすべての始まりであることを繰り返し語った。

米国メディアは北部同盟が味方で、タリバーンが迫害者だと言い続けているが、人々は両方から迫害を受けてきたという。

暫定政権にも人権侵害で裁きを受けるべき人が加わっていると批判もする。

 分断された共同体の間で言葉を失っていることも深刻な問題だ。

銃による対決ではなく言葉による会話を取り戻さなければならない、と。

「たいへんな困難が待ち受けている」ことをわかりつつ「私は楽観的だから私の恐れが誤りであることを願っている」。

 現状の深刻さの認識と、それでも希望を捨てない意志とを感じさせた。彼女の言うように暫定政権は、前途多難だろう。

多くの亀裂と傷をいやしながら進まねばなるまい。


アフガニスタンの正常化への道を塞いでいるのは一番が貧困である。それに外部からの干渉, 部族対立で丁度日本の戦国時代同様

領土が部族の長によって支配されている事である。

アメリカの干渉はテロに対する憎しみだけなのだろうか,実利主義アメリカの行動としては大変不思議である。





時を尊ぶ心



松下幸之助の言葉より
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 以前、ある床屋さんに行ったとき、サービスだということで、いつもなら1時間で終わるサンパツを、その日は1時間10分かけてやってくれた。

つまり、床屋さんはサービスだということで10分間も多く手間をかけてくれたというわけである。

そこで私は、サンパツが仕上がってから冗談まじりにこう言った。

「君がサービスしようという気持は非常に結構だと思う。しかし、念入りにやるから10分間余分にかかるということであっては、

忙しい人にとって困るようなことになりはしないか。

もし君が、念入りに、しかも時間も50分でやるというのであれば、これはほんとうに立派なサービスだと思うのだが……」



時は無限にあるかの如くに贅沢に使っている。人間として健康で生活できる時間は考えれば少ない。

そのことに気ずく人は案外少ないのかもしれないる






 歴史は戦争の歴史でも有る



12月28日の天声人語 


 『世界戦争事典』(河出書房新社)という600ページを超す分厚い本を、ぱらぱらとめくる。

紀元前2000年から最近に至るまで、古今東西にわたる戦争や争乱、内戦の「総目録」といった趣である。

 中には、聖戦も正義の戦いも、あったのかもしれない。だが、殺戮(さつりく)に違いはあるまい。

よくもまあ、人類は性懲りなく蛮行を重ねてきたものか。いずれ、あの同時多発テロに対抗する「新しい戦争」が、そこに書き加えられるのだろう。

 戦争の最大の被害者は、いつの世も社会の底辺を支える庶民だ。

藤木久志・帝京大教授の『雑兵たちの戦場』(朝日新聞社)には放火、苅田(かりた)(田畑の作物を荒らす)、乱取り(人や物を奪う)という

「雑兵たちの作戦の三点セット」におびえる戦国時代の農民の過酷な姿が生々しい。

 そして、乱暴狼藉(ろうぜき)や略奪に走る雑兵たちの多くもまた、強引に徴用され、あるいは飢えに耐えかねて村を捨て、

戦場に一時の稼ぎの場を求める農民たちだった。

弱者が弱者を襲う。かくれもない戦争の一面の真実だろう。

 戦乱にくまどられてきた歴史の故なのかどうか。

日本語には、合戦や戦争にまつわる言葉が随分と多いように思う。

「陣中見舞い」「一騎打ち」「白兵戦」「矢面に立つ」「槍玉(やりだま)にあげる」「軍配をあげる」「鎬(しのぎ)を削る」などなど。

 争いごととは縁が深い選挙や政治の世界で、よく耳にする。

メディアの業界用語にも、例えば「夜討ち朝駆け」「抜け駆け」「遊軍」。

目くじらをたてることはないのかもしれないが、戦争用語はあまり多用したくないものだ。



戦争のない世紀は無かった。多分これからの人類が続く限り戦争はつづくであろう。

戦争も政治の一部ともいわれている。政治家の使う言葉に戦争言葉が多いのも其の所為でも有るか。

第二次大戦後の日本は戦争と直接に関与してきていない。世界の至る所で戦争は続いている。

今までに有った朝鮮戦争 ベトナム戦争 湾岸戦争 今回のアフガニスタン戦争 イスラエルとパレスチナの戦争

アメリカが関与していない戦争はないくらいに第二次大戦後も続いている。

アメリカ本土に直接被害を被ったのは今回のテロ事件が初めてのこと位である。日本が長い間戦争と直接無縁だったのも

国民が第二次大戦で酷い目に会い懲りたからである。其の教訓をアメリカも受けない限り

軍事産業が益々に盛況なのか。武器が無ければ戦争は起こらないと考えるが。







総決算


松下幸之助の言葉より
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 12月は総決算の月。このときに当たり、1年の歩みをふり返り、お互いの心のケジメもつけたいものです。

この1年、よかったことはよかった、悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりません。

 そしてこの1年は、決して自分ひとりの力で歩んだものではありません。

自分で気づかないところで、人びとの協力を得、また思わぬところで迷惑をかけていることもあると思うのです。

そんな周囲の人びとの協力に対しては、ありがたく感謝し、迷惑をかけたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。

そうした素直な自己反省こそ、次の新しい年の自分の成長にプラスする何かを、必ず与えてくれると思うのです


今年ももう直ぐに終わる。無事に新年を迎える事ができるのも自分の力だけではない。

色いろな力により生かされていることに感謝して新しい年を迎えたいものである。




ウィルス

これは一般の病気によるウィルスではありません。パソコン上で起こるウィルスのことです。名前はウィルスではありますが

病気によるウィルスとは違い悪質なパソコンマニアによる犯罪行為である。

今回新しくメーリンググループに参加したのところ期を一にして同時にウィルスが連日の如くに入ってくるようになりました。

パソコン上のウィルスは一般の病気の如くに自然に罹患するのでなく,かなりパソコンに精通した人による犯罪行為である。

これまで長年メールを交換していても今までに一度もこのような事は起こらなかったことです。

その前にはメーリングでもってウィルスの情報が流されたと同時位に,パソコン上で犯罪行為が行われるようになって来た。

恰も予言するが如くにパソコンに浸入するようになた。これは全くにパソコンマニアによる犯罪行為であり,是非警察による

捜査,犯人を刑罰に処するくらいの法律を作ってもらいたいものです。そのような法律あるかどうか知らないか゛既にあるのかもしれない。

たかがパソコンというものの,このような反社会的行為に対してはやはり社会全体が断固たる姿勢を示す必要があると思います。

少なくともテロ同様に,一歩誤ると自分のパソコンが駄目になるかもしれないことからして,かなりパソコンのウィルスに精通して

いないと恐ろしくて取り扱う事は出来ません。なり詳しいパソコンマニアで且つ反社会的人格を持った人による行為かと思います。

プロバイダーのサーバー上で仕方がないが如くに普通の病気のようにウィルス情報を流し通知してくるが,

これは全く病気によるウィルス感染と違って極めて悪質な愉快犯による犯罪行為そのものであることを認識して欲しいものである。

プロバイダーの方で既に施行している所が有るように聞くが,浸入ウィルスに対し早急にプロバイダーの方でくい止める処置をしてほしいものです。

迷惑メールも然り,これも純然たる犯罪行為である。このような犯罪行為に対して,現状では当然あっても仕方ないとの世間の風潮があるが

警察 法による取締りを厳重にしてもらいたいものである。

送信されてきたものだから当然に送信されてきたメールをば警察に届ければ直ぐに送信元はわかる筈である。

メールという犯罪の痕跡を犯人が残しているのだから,科学的に捜索すれば必ず犯人を割り出し探し出す事が出来るはずです。

例えば其のメールを110番捜査官の所に転送で送ればウィルス ,迷惑メールの送信元が誰だかが判明して 

犯人を検挙する事ができると思う。少なくとも交通違反と同様位の罰金刑でも科するか,例外的に悪質なものであれば体刑があっても然りである。

そのようにすれば犯罪行為をする人たちを根絶できるか,又は少なくすることは出来ると考える。

インターネット上のことだから将来的には国際的な協力が必要になってくることであろう。

これからの世の中はIT社会が到来してくるといわれているので是非とも実行してほしいことである。

パソコン上のウィルス並びに迷惑メールはれっきとした犯罪であることを加害者も被害者も人々は是非自覚してもらいたいものだ。

ウィルスをばら撒く人たちは炭疸菌をばら撒く人たちとは本質的になんら変わりは無い。二次感染を引き起こした人は仕方無い事で

このような人たちは被害者でもある。




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