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2月1日の天声人語より
あいまいな日本の政治言語にはうんざりさせられるが、あまりに明快な政治の言葉にも脅威を感じる。
ブッシュ米大統領の29日の一般教書演説は、その見事な例だ。
すっぱりと世界を二分するブッシュ流の善悪二元論に、さらに磨きがかかっている。
「悪の枢軸」という言葉が登場した。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、イラン、イラクの3カ国である。もちろん第二次大戦時の「日独伊枢軸」を思い出さざるをえない。
前から標的になっているイラクはともかく、北朝鮮、イランの反発を招くことは必至だろう。
対テロ戦争は始まったばかりだという。もちろん批判の余地のない正義の戦争とされる。
「歴史がアメリカとその同盟国に行動を求めた」「世界がこれほど明確で重大な選択を迫られたことはいまだかつてないといっていいほどだ」。
この戦いにしり込みしている国もある、という。彼らが行動しなければ、アメリカが行動する。
そう言って「軟弱国家」に警告している。
さすがに米紙も「枢軸」論などには「タカ派の定義を受け入れた」と距離を置き、
皮肉をこめて「まだ捕まっていないオサマ・ビンラディンと疑惑が広がっている倒産したエンロンについては、名前をあげるのを避けた」と。
英紙は「自分の主張や政策を正当化するために9月11日の事件を利用している」と厳しい。
拍手のあらしの中で弁じるブッシュ大統領を見ながら、あの国の底力と空恐ろしさとをともに感じた。
わが方のあいまいさを是とするわけではないが、あちらのまねをされるのも困る。
無謀である。またまた単純明快なブッシュ氏の論理が紹介された。
悪の枢軸国である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、イラン、イラクの3カ国をどのようにしょうとブッシュ氏は考えているのだろうか。?
戦争好きのブッシュがなんとか適当な戦争出きる国がないかと模索した結果かも
知れないとかんぐる。指摘された国に問題があるとはいうものの,悪の枢軸国と名指しされた国の反発は必至である。
超大国アメリカにとって自国の言うことを聞かない国は悪の枢軸国になるのかも知れない。
なんとか指摘されている国を世界の仲間にしようと努力している人達に対して冷水を差すようなものである。
悲しいかなこのような人物がアメリカという国の大統領である。誰も正面から意見言うことが出来ないくらいに
世界中にアメリカの軍隊が展開している。世界で一つだけ飛びぬけた超大国である。
これが悲しいかな今の世界の現実なのである。
季節の変わり
2月4日の天声人語より
節分から立春へ、と季節は移る。しかし、暦ほどの変化は身辺に感じられない。
まだ雪深い地方があるし、寒さもまだまだ緩んではくれない。自然界はこれからゆっくりと春に向かう。
季節の移り変わりで、春の訪れほど気ままな訪れはないだろう。
梅の便りが各地から届くかと思えば、大雪に見舞われたり、そうやって行きつ戻りつしながら進んでいく。
夏は違う。ある日、入道雲が出現し、あっ夏だ、と実感する。
秋はやはり風だろう。毎年、毎年同じように〈風の音にぞおどろかれぬる〉(藤原敏行)、そんな経験がふりつもる。
そして冬。これは、〈きつぱりと冬が来た〉(高村光太郎)だ。
変わり目を迎えた小泉政権のことを考えた。
実際の季節とは逆に、冬の時代に入るのかどうかは即断できない。
ただ、これまではずっと異常気象が続いていたような気がする。
あの熱気は何だったのだろうか。頭を冷やして考えるいい機会かもしれない。
更迭された田中真紀子さんが意外にさばさばしていたのが印象的だった。
外相として多々問題はあったが、外務省の問題点をさらけ出してくれたのも確かだ。
たとえは悪いかもしれないが、本人も憑(つ)き物が落ちたようだったし、小泉政権の方もさっぱりする。
これから政権の真の力量が問われる。
皆これまで政治を「愛憎劇」として見過ぎていたのではないか。そのドラマの主役の一人が舞台からおりた。
いや、おろされた。
残ったもう一人の主役、小泉首相がどう舞台転換を図るか。〈ちぐはぐの下駄から春は立ちにけり〉一茶
季節は移り変わり,時は過ぎてゆく。常に同じ状態である事は不可能な事である。
冬の後には必ず順序としては春がやってくる番である。更迭された田中真紀子さんに対して誰もが不審を抱くのは当然である。
小泉さんの行動を異常と感じた人が多かった為に支持率を下がったのがその証拠でもある。
小泉支持率低下もこれから来る春への第一歩と考えても良いのではなかろうか。
一丸となった米国の独走
2月6日の天声人語より
その少し前のブッシュ大統領の愛国的な演説といい、「愛国者たち」の劇的な勝利といい、米国の人たちはさぞ一体感を強めたことだろう。
しかし、外からみると、この愛国心の高まりが気がかりだ。とくにブッシュ演説の「悪の枢軸」論が波紋を呼んでいる。
イラン、イラク、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を名指ししての攻撃に多くの国が困惑している。
各国のメディアも、この「枢軸論」に批判や疑問を投げかけた。
そんなとき米ワシントン・ポスト紙が3日の社説で「そう、彼らは邪悪だ」とブッシュ演説を正面から擁護した。
少々驚いた。
ポスト紙も「あの演説はヨーロッパを狼狽(ろうばい)させた」としつつ「きわめて明快な内容で、
ほとんどが米国外交を正しい方向へ導いている」と弁護する。
「枢軸論」については、それが「真実であるのが強みだ」といって3国の脅威を列挙してみせた。
その上で、フランス、ロシア、中国をイラクに甘いと名指しで批判もしている。
ヨーロッパ、アジアからの冷たい視線に反撃を試みる愛国的社説と読んだ。
気がかりなのは、その主張自体より、米国内の雰囲気だ。
外の国とのずれである。一丸となった米国に独走されるのを恐れる。
一丸となって突っ走るアメリカに対しては誰もが手をつけることが出来ない。
アメリカさえ良ければ他の国はどのようなっても良いとの考えがアメリカでは支配的な考えなのだろうか。
一国独善主義のアメリカが全てのアメリカ内において支配的になっているのだろうか。
アメリカには良心はなくなつてしまつたのだろうか。
ブッシュ氏が大統領である限りこの傾向は続くものと考える。
アメリカ内でブッシュ氏を批判出きる人が出てくることを願うものである。
平穏無事な日の体験
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体験というものは、失敗なり成功なり何か事があったときだけに得られる、というものでしょうか。
決してそうではないと思います。平穏無事の一日が終わったとき、
自分がきょう一日やったことは、果たして成功だったか失敗だったかを心して考えてみると、
あれはちょっと失敗だったな、もっといい方法があったのではないか、というようなことが必ずあると思います。
それについて思いをめぐらせば、これはもう立派な体験と言えるのではないでしょうか。
形の上での体験だけでなく、日々お互いがくりかえしている目にみえないささいなことも、
みずからの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと思うのです
なにげなく過ぎてゆく時に対し心する事の出きる人間に育ちたいものです。
個人の良心ということと少数意見の尊重
2月7日の天声人語より
きのうは、米国の愛国心についての懸念を書いたが、雪印問題では、日本人の愛社精神について考えさせられる。
明らかに不正とわかることをあえてやる。会社のためと思ったのだろうか。
もうひとつ、「不正」を感づいていた社員もいただろう。
実際にかかわった社員も少なくないと思われる。
そのなかのだれかが「これは良くない。やめよう」と言って、やめさせられなかったものか。
それこそが愛社精神だと思うが、きれいごとに過ぎるだろうか。
狂牛病をめぐる農水省の調査がある。担当職員が、この問題をどう考えていたかを調べたものだ。
狂牛病の原因と推測される肉骨粉を牛に与えるのを禁止すべきかどうか。
少数派だが、かなり早い段階で法的に禁止すべきだ、と考えていた職員がいた。
こうした少数意見を吸い上げられなかったものか。
外務省の一連の不祥事でも同じことがいえるだろう。
「これはまずい」と声をあげることができなかったのか。
こちらは愛省精神というよりは、旧弊を打破できないお役所体質というべきか。
イスラエルで軍務拒否の運動が広がっているという。
占領地でのパレスチナ人抑圧に耐えられないという人たちの運動だ。
「戦争状態」にあるあの国でそれをやるにはたいへんな覚悟が必要だ。
それこそ「非国民」と言われかねない。
しかし、国策が誤っていると思ったら、それに従わない。それもまた愛国心の表現ではないか。
個人の良心ということと少数意見の尊重ということを考えさせられた。身近なところでも日々問われていることだ。
個人の良心は誰にも有ると考える。大きな流れに対し反対するような場合は口に出しにくいものである。
大きな流れに身を任して生きている方がずーと楽である。でもおかしい 変であるとの声を自己の良心に従い発することは
大変な勇気がいることです。大人らしくないとの声に封殺されてしまう場合の方が多いようだが。
「愚」になつても良い。 自分一人でも良い。自己の良心に従った声を出せる人間になりたいものです。
同行二人
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弘法大師さんが開かれた高野山にある霊場に詣でる人びとの菅笠には、みな一様に“同行二人”とかいてある。
どこにいようと、どこに行こうと、自分は一人ぼっちではない、いつもお大師さまと二人という意味である。
つまり、これら信仰三昧の人びとの心の中には、いまもなお大師は生き生きと存在しておられるのである。
もちろん、大師の生身の身体が、そのままここにあるというわけではない。
しかし、大師はいまもなおここにおわすと感じること、また感じようとつとめるところに、大師の教えが永遠に生きてくることになる。
真理は永遠に生きるというのは、こんな姿を言うのであろうか。
常に大師とともにあって,自分一人でいる事はない。何時の世においても信仰に生きる人の姿は力強い。
反核・核軍縮と強国に破壊されたということへの共感(大国のエゴ)
2月16日の天声人語より
こんなとき関心の差を痛感する。未臨界核実験のことだが、英米のメディアは沈黙に近い状態だ。
米国と英国が初めて共同で実施したとされる実験である。
しかし両国の有力新聞とも、政府発表をそのまま引き写したような気のない扱いだ。
広島では一連の抗議行動とともに、市長らがブッシュ米大統領、ブレア英首相に抗議文を送った。
また平和記念資料館の地球平和監視時計の数字がゼロに戻された。
去年設置された時計で、最後の核実験からの日数を表示している。
この彼我の関心の落差を前に、アフリカの地方でしばらく暮らしたことのある同僚の話を思い浮かべた。
周囲の人たちは日本についての知識は乏しかった。しかし、かなりの人が「ヒロシマ」については知っていたという。
もちろん世界で最初に原爆投下をされたところとして、である。
「ヒロシマ」をシンボルに進められてきた戦後の反核運動が、その記憶をつないできた成果のひとつなのかもしれない。
さらに、想像をたくましくすれば、ある種の共感、同情もあるのではないか。
ぼんやりした反米意識、あるいは欧米への反感に根ざす感情だ。
ヒロシマに最もはっきり表されるように、強国に破壊されたということへの共感、同情である。
アフリカの歴史を振り返れば、あって不思議ではない感情だと思うが、深読みしすぎかもしれない。
今回は英国が参加したことの衝撃も大きい。
「核軍縮に熱心との印象を持っていたのに残念」との声もある。「監視時計」はゼロに戻されたが、気分としてはマイナスである。
大国のエゴは何時の時代にも罷り通っている。大きな力には反対の声は無力である。核実験を繰り返してどうしょうと考えているのか。
世界中に安全な場所が無い事をニュヨークのテロ事件か゛証明している。さらにどのような核爆弾を作ろうとしているのか,判らない。
正気の沙汰でない。核戦争が勃発すれば地球が破滅すること位,子供でも理解できることだ。
それにも拘わらず英米が核実験することの意図・意義はなんなのだろうか。?
2月19日の天声人語より
自分の仕事をしてきたし、これからもするだけ、
女が2人泣いているのを見てぎょっとした。といっても雑誌の表紙のことで、たまたま書架に2誌が並んでいたから目を引いた。
英エコノミスト誌と米タイム誌で、前者は能の女面のまぶたから涙が一滴、
後者は竹久夢二の美人画ふうの女の目から涙が一滴、である。
図柄が酷似しているのにも驚いた。
田中前外相の「女の涙」事件から発想したものか。
見出しの文句はタイム誌が「お涙頂戴(ちょうだい)物語」、エコノミスト誌は「悲しい日本」だ。
もちろんいまの日本の不況を論じている。ブッシュ米大統領の訪日にあわせての特集だろう。
エコノミスト誌は「日本人の失望する能力」について書いていた。
その能力の驚くべき欠如を言う。これだけ問題をかかえながらも、なお政権党に失望しない驚くべき能力についてである。
現況突破のかぎを握るのは、失望する能力をもつかどうかだ、とも。
そんなとき、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」がベルリンで金熊賞受賞との報が入った。
51年に黒沢明監督の「羅生門」がベネチア映画祭でグランプリを取ったときには
「敗戦後の日本に自信を与えた」といわれたものだが、そんな気分である。
英誌には、簡単に希望をもってしまう能力、とひやかされそうだが。
日米首脳会談後の記者会見で小泉首相は「改革は着実に進んでいる」と断言した。
宮崎監督は「受賞は励みになるでしょう」との質問に「なりません」と断言した。
自分の仕事をしてきたし、これからもするだけ、といったふうの宮崎監督の方が、小泉首相より颯爽(さっそう)として見えた。
構造改革とやらに対し 以前のような期待感は持つ人たちが少なくなってきた。又小泉首相も常識の有る人なのかとの疑念を持つに至った。
国民の期待感があまりにも大きかった。田中前外務大臣更迭以後はなにかが変だと国民が感ずるようになって来ている。
小泉首相のやろうとする事は弱いものだけに負担を強いるものではなかろうかと思うようになってきた。
今回の不況はかなり深刻である。日米のIT技術の力の差により日本の経済がおかしくなって来ているのではないかとも思う。
自分の仕事をしてきたし、これからもするだけとの気概の有る首相が是非現れて欲しいものです。
最善の上にも最善がある
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会社としては、常に何事も最善と思ってやっているし、みなさんもそれに基づいて最大の努力を払っていると思います。
しかし、立場をかえて、お客様の側からいうと、まだまだこう考えてほしい、こうあってほしいという希望が出るのも、また当然だと思います。
そういうことを考えてみると、ものには最善の上にさらに最善がある、限りなく上には上がある。
それを一段一段、そういう訴えを聞くたびに素直にそれを聞いて、検討するということが永遠に必要ではないかと思うのです。
そういう意見をよく汲み上げて、改める点があれば改める、というようにすることが必要だと思います
最善には限りがない,最善と考える以上の最善がある筈である。
競争
2月20日の天声人語より
ブッシュ大統領が国会演説で福沢諭吉にふれたので、『福翁自伝』を開いてみた。
幕末に英語を学ぶたいへんさがよくわかる。
江戸中でだれか英語のできる人はいないか尋ね、ある人物にたどり着いた。
忙しいといってなかなか相手にしてもらえなかったが、2、3カ月通った。
その彼も少し発音を知っている程度で、徒労だった。辞書も手に入らないところからの学習だった。
ブッシュ大統領が言及した福沢の訳語「競争」では「笑い話」が残っている。
幕末、経済書の邦訳を頼まれた。そのとき「コンペチションと云う原語に出遭い、
色々考えた末、競争と云う訳字を造り出し」幕府の担当者に見せた。
争いとは穏やかでない。どんなことか、と聞かれて、「商売世界」の競争について説明した。
「西洋の流儀はキツイものだね」と要人。
その上で「何分ドウモ争いと云う文字が穏やかならぬ。
是れではドウモ御老中方へ御覧に入れることが出来ない」と言うのであきれてしまったが、
競争の文字だけ黒塗りにつぶして渡したという。「お上」の驚くべき頑迷さである。
夏目漱石あたりになると普通の言葉になったようで
『吾輩は猫である』でも「猫」が何か運動をしようか、という段で
「鰹節競(かつぶしきやう)争(さう)、鮭探(しやけさが)し」などとつぶやいている。
ブッシュ大統領は演説で新渡戸稲造にも言及したのだから、漱石にも触れればよかった。
福沢、新渡戸、漱石とくればそろい踏みになる。もちろん日本のお札の顔である。
日本経済への、円への関心の強さをそっと忍ばせるしゃれた判じ物になった。
競争は有っても良い,互いに争い合い発展して行くのは良いが,戦争にいたつては破壊・破滅があるのみである。
世の中競争と戦争が混同されることが往々にしてある。
競争の手段として戦争が利用されるに至ってはどのように表現すれば良いか判らない。
これは本末転倒してしまって,人間の愚かさを一番に証明している。
「顔の見えない日本外交」
2月21日の天声人語より
時期が時期だけに採点表を手にテレビに向かった。
フィギュアスケートではなく、国会の参考人質疑の方だが、田中前外相は重圧から解放されたせいか毒舌の切れ味が戻ったようだ。
鈴木代議士は良くも悪くも彼らしさを見せてくれた。
「知らざあ言って聞かせやしょう」といったふうの田中氏は
「とらわれず、何とかせずとか、ず、ず、とおっしゃるが、自身がとらわれて抵抗勢力になってしまったのではないか」と
小泉首相に一撃を浴びせた。
「取り巻きが悪い」とは、首相へのささやかな気遣いか。
確か京劇に仮面を素早く取り換える早業があったが、鈴木氏の方はそんなふうで、
懸命に顔の使い分けをしているように見受けた。
地元向け、海外向け、外務省向け、NGO向けといろいろあるようで、たぶん国会向けは特製だったのだろう。
ただし京劇の早業の域には達していないと見た。
そうこうするうち、だんだん採点意欲を失った。
採点すべきは2人ではなく、別のところにいるのではないかと思い始めた。
この国の外交はだれがしていて、だれが責任を取るのか。
前外相は「官邸に外務大臣がいるのではないか」とおっしゃる。
実力者と見られている鈴木氏は、自分はそんな大物じゃない、とまるで使い走りのような言い方だ。
外務省の方は、力のありそうなところにお伺いをたてるのに忙しいようだ。
「顔の見えない日本外交」とはよくいわれる。一因がわかった。
水面下で足を引っ張り合って、沈めっこをしている。顔を出させないようにしている。その実相が少し見えた。
田中前外務大臣と 鈴木宗男代議士の参考人尋問は中継放送がされると共にその再放送をも何度も見た。
どう見ても田中前外務大臣に理がある。鈴木宗男代議士には新しい疑惑が沢山出てきた。
鈴木宗男代議士は外務省を自分の都合良いように利用してきている。議員を辞職するべきだとも声もある。
鈴木代議士は法律に違反することは何一つしていないと主張しているが,それ以上に悪い事をしているのではなかろうか。
どうしてにこれまに歴代のの外務大臣及び外務省が何もできなかったのが不思議である。
鈴木氏の所属している派閥の力がそれを支えていたのか,となるとその派閥が一番の悪の根源ではなかったのか。
数が力という時代は過ぎたように思う。これは民主主義の悪用である。理想とする民主主義の理念を
腐らしてしまっている。誰もが理想に燃えて議員になられたものだと思う。誰一人として議員になつて金儲けしてやろうと考え
議員になった人はいないと信ずる。
この際全部の議員が初心に返り,政界の浄化に努めて欲しいものです。同様に官吏を目指した人たちも同様初心に返り
公正な政務に邁進して欲しいものです。
まさにブッシュ宣教師だった。
2月23日の天声人語より
内外の新聞などをざっと眺める。ついささいなことに目が行ってしまう。
「神は細部に宿る」というと大げさだが、ブッシュ米大統領の訪中でも、宴席の場面の報告が目を引いた。
江沢民主席の芸達者は知られているが、21日の宴席でも「ムーンリバー」などの曲に乗って、
ブッシュ夫人、そしてライス補佐官らともダンスをしたそうだ。そのうえ、イタリア民謡「オー・ソレ・ミオ」で美声を披露した。
主席は、大統領にも「一曲どうか」と勧めたらしいが、大統領は断り、そのかわりパウエル国務長官に、と横に振った。
しかし国務長官も「ノー」だった。英フィナンシャル・タイムズ紙で読んだ。
どこの宴席でも見られる風景だが、米中首脳の間でのやりとりとなると、ほほえましいともいっていられない。
その前の記者会見でのブッシュ大統領の不機嫌そうな表情が浮かんでくる。
江沢民ペースで進んだ訪中だったか、との思いが強まる。
翌22日の清華大学でのブッシュ演説は、たいへん興味深い内容だった。
米国がいかに素晴らしい国かを学生たちに説いた。「米国教」の信者になれば、こんなに良いことがある、とさまざま列挙した。
まさにブッシュ宣教師だった。アメリカ人の95%が神を信じているといい、自分もそのひとりだ、と話しかけた。
「私には信仰はない」と前日に語った江沢民主席との対照が鮮やかだ。
米中という2大国には、利害の一致する点も少なくない。同時に、文化の違いについても互いに痛感させられたことだろう。
とすれば、それも収穫のひとつだ。
アメリカ教の信者として,一番熱心な日本の他にも世界に沢山いる。いまさらにそれ以上増やす必要がブッシュ宣教師にとつて必要なのか。
大統領の職を失うと金儲けに困るから,相手国に手っ取り早く戦争も辞さずを示し,国民の支持率を得ようとしているしか思えない。
戦争が一番手っ取り早く国民が熱狂し支持する事を「親」前ブッシュ大統領から教わっているように思える。
単純思考型の人のように思えてくる。
むしろパウエル国務長官の方がリベラルで物分りが良いように見える。最近の新聞記事では清華大学の学生の90%以上が
ブッシュ宣教師の演説に反感を抱いているように報じられている。さもありなんで,力での押し付けだけでは何をしても
駄目であることを証明している。
露骨な地元有利の判定だ
2月24日の天声人語より
納得できない。私たちがよくつかう言葉だが、英語には訳しにくい。そんな話を聞いたことがある。
理解できない、とは違う。我慢できない、ほど感情的ではない。時と場合によるが「フェアでない」と訳すとぴったりするときがある、と。
確かに「フェア」という言葉は、英語ではよくつかわれる。普通「公正」と訳されるが、あちらでは頻繁につかわれる言葉だ。
「フェアでない」と言われると、多くの人は極めて敏感に反応する。むきになって反論もする。
その「納得できない」ことが多かった冬季五輪だ。
フィギュアスケートの採点問題に始まって、問題が噴出した。
ついにはロシアのプーチン大統領までが口を出す騒ぎである。
審判も人間だからときに誤りを犯す。
それはそうだ。そう考えて涙をのんだ人は、これまで数知れずいるだろう。しかし「誤り」に偏りがあるときには、どうだろうか。
たとえば露骨な地元有利の判定だ。フェアとはいえないだろう。
判断の基準がバラバラでも困る。ある抗議は受け入れるが、別の抗議は受け入れない。
それでは納得できない。
もし誤りを是正する仕組みがあるなら、公平に適用すべきだ、と普通は考える。
そのへんが説明不足でわかりにくい。不満が続出して当然だろう。
しょせんスポーツとはそんなものだ。大体メダル競争にこだわりすぎている。そんなさめた声も聞こえてくる。
しかし、実際に競技を見ていると、つい熱くなる。
ふだん「フェア」ということに口うるさい国での催しだけに、よけい「納得できなさ」が募った。
今回のアメリカのソルトレーク冬季オリンピックは初めから変であった。ニュヨークでのテロ事件で傷んだアメリカの国旗が
開会式に持ち込まれている。かってのベルリンオリンピックでヒットラーでさえもしなかった以上のことをブッシュ大統領が
政治を持ち込んだとの報道記事を読んだ。さもありなんで大統領の機嫌 国民の機嫌を取りたいが為のアンフェアなことをするのも
当然かと思う。此れまでのオリンピックは政治に翻弄されてきた。
オリンピックの為政者の政治への利用はヒットラーだけでよいのではなかったのか。
でも単純細胞のブッシュ氏では仕方ないのではなかろうかと思う。
誠意あればこそ
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先般、部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまったときに、
その方が厳重に注意しなければ、ということで会社に出向いてこられたことがあった。
しかし、実際に会社へ来てみると、社員の人びとが一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て、
憤慨もせず、かえって信用を深めて帰られた、という話を聞いた。
このことから私は、誠実かつ熱心に日々の仕事に力強く取り組むということが、
いかに大きな力を持っているかということを、つくづく感じさせられた。
そういう態度というものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく、仕事そのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである
誠意があれば見る人はちゃんと見届けてくれるものだという事である
恐竜のような頭にスズメ程度の脳
2月27日の天声人語より
最近の言葉から。「恐竜のような頭にスズメ程度の脳しかないようだ」と言ったのはイランのラフサンジャニ前大統領で、
言われたのはブッシュ米大統領だ。もちろんイランを「悪の枢軸」と名指ししたお返しだ。
アラブ世界から米国に移住して51年になる思想家E・W・サイード氏は「私たちは当局から敵として名指しされたのです」と
アラブ系アメリカ人の現状を語る。
移住したころの喪失感を思い出し「今再び自分が途方に暮れたよそ者に戻ったような気持ちにさせられています」。
イスラエルの予備役兵士たちが軍務を拒否する運動を始めたが、それに対する非難の言葉に驚く。
「お前たちは国民に対する裏切り者だ。
お前の好きなアラブ人が、いつかお前や家族を殺すことになるだろう。お前はユダヤ人のがんだ」。
「国連の弱さは冷戦後に超大国が一つしかないことに起因する」というガリ前国連事務総長は「一カ国でもいい、
『ノー』と声を上げればすべてが変わる。超大国の力がそがれるわけではないが、国連の力は増す」。
東京都東村山市のホームレス暴行死事件で高校生の大野大樹さんは、襲ったのはどこにもいるような生徒たちだ、
と言い「ただ『やめよう』と言えなかったのだ。もしそれを言ったら、熱狂的になっている仲間から見放されてしまうから。
だれか一人が勇気を出してひとこと言っていたら、踏み出した足を戻せたかもしれない」。
「ちくしょう」と何度も繰り返したのは解散を決めた雪印食品の社員だ。「再就職のあてはない。目の前が真っ暗だ」
可笑しいと考える事に対して大勢の熱狂的になつている人に言う事は大変に勇気のいる事である。
時はめぐり時代と共に価値観も変わって来ている。しかし昔から変わらないものはある。
それが何かであることは判り難い。矛盾する事同士が沢山ある。それを選ぶ事のできる直感力をたえず磨いて
おかないと駄目である。
一つの超大国アメリカのみに支配されている世界は可笑しい。そこの最高指導者が可笑しい人であれば益々世の中が
変な方向に進んで行く。一人の間違つた指導者によってとんでもない経験を味わされてきた者として,
戦争好きのブッシュ氏には早く引退してほしいものである。
春はもう直ぐ
暑さ寒さも彼岸までで,早く春が来て欲しいと待ちどうしい。世の中の景気も早く良くなって欲しいものである。
世界の経済のカラクリがどのようになっているのか,想像も出来ないが何故あれだけ景気が良かった日本が俄かに
景気が悪くなったのが判らない。世界の時間的距離が短くなつてきたので,一国だけで景気をよくすることは不可能なのかも
知れない。鎖国していた江戸時代にも景気の良い時代と悪い時代があったように思う。
当時の為政者の力量で変わっているようだ。少ない海外旅行をしていて町並みなどからして
決して日本の国が整然としていない国とは思えない。
第二次大戦後は平和国家としての日本に徹してきた。武器を作る産業は無い。
平和産業に依存している国は戦争があると経済が萎縮するのかとも考える。
軍艦も飛行機も全ての兵器類はアメリカから買う事になる。単純に考えれば戦争があればアメリカは景気がよくなる。
平和が続けば兵器産業は廃れる。アメリカは疲弊する。ブッシュ氏の戦争好きもそのような所にあると考えたい。
戦争は必ずに人を殺し 人間そのものを狂気追い込むものである。時代を超えて絶対悪である。
そのようなことが誰にも判っていても止めることは出来ない。世界中の人たちが戦争を嫌うようにになってくると「悪の枢軸国」として
挑発してくる。世界の良識がそれを許してはくれなくなってきている。超大国アメリカ凋落の兆しかもしれない。春はもう直ぐと考えたい。
納税の時期
二月から三月にかけて国民の義務としての納税の時期である。自己申告であるも税務署は申告しない者、納税しない者には
容赦なく延滞税をかけてくる。一生懸命計算しても間違う事があり得る。高額に払い過ぎの多く払うような間違いの時は何も連絡が無く,
少なく過少に間違うと指摘してこられる。そして以前に一度だけ延滞税を取られた事があった。
納期の日とお金を納める日との期間の延滞税である。
指摘されてから直ぐに翌日支払っても,その間の延滞の税金を納めたことがあった。
義務としての納税の一方に,権利である税金の使い道についは全て政治家や官僚の手に任してしまっている。
血税であるので上手に使って欲しいと願いはあるが,しかし汚職の記事が絶える事が無い。
この間も鈴木宗男議員が恰も自分の税金の如くにNGOに発言した記事を読んだ時には腹がたった。
いくら腹を立てても納税の義務は容赦なく負わされる。政治に携わる人たちは是非尊い税金だから1銭でも無駄に使わない気持を
持っていただきたい。自分の偏見かもしれないが,政治に携わる人たちは税金を使えるのは自分達に与えられた特権のように考えておられる
ところが有るが,とんでもない事に使われている報道をしばしば見る。
納税者は何も税金を使う権利を放棄しているのではない。
政治家の人たちに納税した国民の ただ代行して頂いている事だけを重く肝に銘じてほしいものです。