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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


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皐月

皐月は辞書を引くと陰暦の五月としるされている。五月は一年中でも気候が良く一番に好きな季節である。

六月になると梅雨の季節となり気分的にウットウしく感ずる。

五月の連休に九州旅行をした。京都から博多まで新幹線利用で約3時間で到着する。

来年の春には医学会総会が九州の地で初めて開催されることになり,どんな所か一度見ておきたくて訪れた。

京都からは案外交通の便が良く時間的には比較的近い所である。

ハウステンボスでは雨にたたられて散々な目に会った。長崎の出島付近で泊まり, シーボルト館と グラバー邸を訪れた。

シーボルト館は観光化されておらず,ひつそりと住宅街の中に有った。

鳴滝塾はシーボルトが江戸時代日本の医師達を教えていたところで有名である。

長崎市が管理し,思ったほどに広くない所であった。

大阪の緒方洪庵が教えていた適塾もそうだが,有名なわりに両者ともに狭い場所である。

現在ならば,一つの幼稚園の敷地の半分もあるかないかの所で,明治維新に大活躍した人たちが育っているのである。

当時の教育とはどんなものだったのろうか,教える側も 習う側も必死になって勉強していたに違いないと想像される。

それを考えると現代に住む我々は如何に当時に比べ恵まれた環境にいるかがわかる。

グラバー邸の方は観光化されていて大変な人たちでごった返していた。

三菱重工業で例のイージス艦 それに軍艦が作られているのかと驚いた。

博多から長崎までが新幹線がなく,時間的には距離の割にしては遠い。

新幹線か゜全国に網羅されるのにはこれからどのくらい先になるのか。待たれる。

民営化後のJRでは採算の合わないところは何時までたっても開通されないと思う。

高速道路もそうだ。又医療界においても民営化が進めば診療で採算の合わないことは避けるようになってくるたろう。

それ故にも各地の基幹国立病院は残すべきである。それに準ずる国公立病院への財政的援助も惜しむべきでない。

これらはある程度国が後押しする必要があるのではなかろうか。

全てが民営化になってしまえば極端に言えば政府なんかいらなくなって,全て民間に頼れば良い。

だが国家プロジェクトとしては国の基本とする骨格になる個所はしっかり政府が把握すべきである。,

政府が先頭になり強力に推し進めなければならない所は押し進めるべきである。

小泉構造改革による民営化による合理化によっての歪みが、至るところであちらこちらで出てきている。

景気の先ゆきはまだ読めていない。何処まで国民に痛みを強いるものなのか判らない。

戦争放棄をうたった憲法に反し,非核三原則の見直しとか 有事法案成立などで次第に再び戦争への道をひたひたと

進めているようにおもえてならない。

靖国神社参拝を一人強行するような小泉首相ならばやりかねない話である。

こちらのほうだけはなにがなんでも政府が強力に推し進めるようなことが有ってはならない。。

このまま 国民は座視し,放置しておいてもよいものなのかどうか真剣にかんがえるべきである。

第二次大戦で経験したように戦争への道は,歯車が一旦狂いだすと坂道を転げ落ちて行くようなもので

それを途中でくい止める事は出来ない。

米国のブッシュ氏もそうだがあまりにも近視眼的な政治家である。

いまさらに核を持つたり戦争を想定したりして,どのようにしょうと考えているのか我々には理解できない。

核の時代に戦争が勃発すれば地球が消滅することくらいは子供でも予想できる。

誰が考えても 自国だけが,一カ国だけが地球上で生き延びるということはありえない。

アメリカのブッシュ氏はそれを考えている。アメリカに巻き込まれて日本も

ツマラナイことへの準備に大切な税金を膨大なお金を使わないようにして下さい。





近代日本の最初の議会から、解散風におびえる議員がいた。

しかし兆民のように決然と議員辞職する人物もいた。



5月3日の天声人語より


 解散を恐れるあまり、多くの衆議院議員が妥協に走った。

その中で自らの主張を貫き、議員辞職をした男がいる。そんな昔話を思い浮かべた。

 1890年から91年にかけての第1回帝国議会でのことで、辞職したのは民権論の雄、中江兆民である。

あまりに遠い話かもしれないが、現代と重ね合わせたくなった。

 89年に発布された帝国憲法をめぐって、兆民は議会による「点閲」、論議して点検することを主張していた。

第1回の総選挙に出たのもそのためだ。

政府が独断で決めていた予算を議会が審議することになったが、「点閲」の最初の機会でもあった。

 兆民らの「野党」と政府側とは憲法解釈をめぐって対立した。

野党内の対立もあった。結局、野党は政府側からの切り崩しに持ちこたえることができなかった。

議員になって数カ月、解散による失職を避けようという思いも強かった。

 「衆議院、彼れは腰を抜かして、尻餅を搗(つ)きたり。総理大臣の演説に震懾(しんしょう)し、解散の風評に畏怖(いふ)し……」。

兆民の言である。

彼はすぐに辞表を出すが、その理由を「アルコール中毒のため」とした。いかにも兆民らしい。

近代日本の最初の議会から、解散風におびえる議員がいた。しかし兆民のように決然と議員辞職する人物もいた。

疑惑にまみれて辞職する現代の風景とは、そこが違う。

 その兆民が書いた「容器と容物」という文章が味わい深い。

たとえば、法律を容器とし、人間が容物とする。容器は簡単につくることができるが、容物はそうはいかない、と。

これは今も昔も変わりない。


中江兆民のような人物が現在の政界にいるのかどうかそれは判らない。だが解散総選挙におびえている議員のいることは判る。

鈴木宗雄のように日本の大方の人たちが議員を辞職した方が良いと考えている人たちが大勢いる中で

今も頑張って恋々と議員にしがみついている。

良い事をしていたと考えるならば,あっさりと止め次の機会を待てばそれでよいのではなかろうかと考える。

テレビから見る限りでは議員にふさわしくない人物に映って見えてくる。

難しい判断に迷うような,国家を左右するような政策を進める場合は何が何でも民意を聞いてからして欲しい物である。

今の選挙制度では政策よりもいかにコマメニ選挙区の人たちの世話をするかが総選挙に当選するかどうかの鍵になっている。

口利きとか世話で官僚に依頼する場合は全て書面で持ってすれば,後々まで書面が残り無理難題なゴリ押しはてきなくなる。

政界浄化の一助になると考える。





山の辺の道を歩くと、史実より物語を優先させたい気持ちになる。




5月04日の天声人語より


 「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 大和しうるはし」。

 濃い緑。淡い緑。その中に、シイの木の花の沸き立つような黄色がまじる。キリや山フジの紫も目にまぶしい。

奈良盆地は、幾重にもめぐらされた木々の垣根の底に、うっすらとかすんでいる。

山麓(さんろく)をはう「山の辺の道」は今、この歌がぴったりの季節である。

 連休の一日、古代の国道1号ともいえるこの道を、桜井市から天理市まで15キロほど歩いた。

道沿いには古墳や神社がたくさんあり、ひとときのタイムスリップを味わえる。景行天皇陵古墳もその一つだ。

 古事記によれば、冒頭のは、景行天皇の皇子ヤマトタケルノミコトの望郷の歌である。

父に命じられた東征の帰路、能煩野(のぼの)(三重県)で力つきたヤマトタケルは、ついに帰らぬ人となる。

日本書紀はこの歌を景行天皇の作としている。

でも、悲劇の主人公が死に臨んで美しいふるさとに思いをいたした、という方がずっと魅力的だ。

実際は、民衆に歌い継がれた歌謡だったのだろうが、山の辺の道を歩くと、史実より物語を優先させたい気持ちになる。

 大和三山を一望するスポットでは、万葉集の一句が浮かんだ。

「香具山(かぐやま)は 畝火(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相あらそひき……」。

 いつの世にもある三角関係である。

畝傍山(うねびやま)が女性で、香久山(かぐやま)と耳成山(みみなしやま)が男性だとばかり思っていたが、

香久山が女性という解釈もあると知った。

そういわれてみれば、この山はゆるやかで、やわらかい。はてどちらがどちらか、などと思い巡らせるのも、散策の楽しみだ。



大和三山は盆地にくっきりと一つ一つの山がそびえたっいる。屋上からの眺めであれば畝傍山とか香久山 耳成山とよく判った。

近くに行けばどれも高い山々で地理に詳しくないと判らない。遠景でもやはり地理に詳しくないと判らないと思う。

大和三山を一望するスポットでは屋上から眺める風景と同じかと思う。

歴史に詳しくないと多分何の感興もわいてこないのではないかと思う。学校で学んだ位の歴史知識では駄目ではなかろうか。






悩んでも悩まない


松下幸之助の言葉より
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 われわれ人間は、たえずといっていいほど悩みにつきまとわれる。

しかし私は、悩みがあるということは、人間にとって大事なことではないかと考えている。

なぜかというと、常に何か気にかかることがあれば、それがあるために大きなあやまちがなくなる。

心がいつも注意深く活動しているからである。

 だから、悩みを持つことは、むしろプラスにつながる場合が多い。

したがって悩みに負けてしまわず、自分なりの新しい見方、解釈を見出して、その悩みを乗り越えていくことが大切である。

悩んでも悩まない、そういうように感じることができれば、人生は決して心配することはない。


悩みには遭遇したくないとかんがえるのが我々凡人の考える事である。

悩みはつきない。悩みがあるということは、人間にとって大事なことではないかと考えている。といわれれば

何か救われたような気持になる。書かれている内容は大変な境地である。

今のじぶんにとっては努力目標である。




現代の子どもたちに刻み込まれる記憶について考えさせられた

 
5月5日の天声人語


 紙飛行機の作り方というのはいろいろあるらしい。

先日、友人と話していてその話になった。じゃあ、といってその場で作ってみた。

何十年ぶりかわからないが、懐かしい昔通りの飛行機ができた。

 幼いころ、別の作り方を習ったこともあるが、慣れた作り方にすぐ戻った。

飛行距離は短いが、飛び方に変化の多い胴の短い飛行機だ。船の競争もよくした。

船といっても、木片や竹、プラスチック片などで、小川で競争させる。

 道路の下をくぐるときなどはどきどきしながら出口で待ち受けたものだ。

何かに引っかかって出てこないことがよくあったからだ。

車作りもした。これは糸巻きと箸(はし)とろうそくと輪ゴムとを組み合わせて作るちょっと高度な作品だ。

 冬の夜、こたつの上で走らせる。ゆっくり動き始めて急に速度を上げたり、急停止したりする。

予測できないところがまた楽しかった。そうした情景は、様々なにおいや感触や音などとともによみがえる。

テレビがないころだった。

 少し前、こんな投書が掲載されたことがある。

保育園で園児たちが紙飛行機遊びをしていた。「先生、見て」の声に振り返る。

積み木で二つのビルを作り、それに紙飛行機をぶつけて壊す遊びで盛り上がっていたという。

同時多発テロの映像は幼児たちにも強い印象を与えたのだ。

 現代の子どもたちに刻み込まれる記憶について考えさせられた。

テレビの衝撃的画面やテレビゲームの人工映像が中心を占めるのだろうか。

音といえば、身のまわりにあふれる電子音だろうか。においや感触は何だろうか。




昔の話として書かれているような体験は我々もした。懐かしい話である。

この「積み木で二つのビルを作り、それに紙飛行機をぶつけて壊す遊びで盛り上がっていたという」

この話にはたまげた。昔の子供と今の子供とどちらが幸せだったかと考えるとわからない。

今の子供達と次の世代の子供達では又違った遊びをしているかと思う。

我々の子供時代と明治時代或いは江戸時代の子供達では又違った遊びをしていたに違いない。

どれが良くてこれが悪いとは言い切れないことかと思う。

その時代 時代につれての子供の遊びが変るのもそれでよいのではないかと考える




加害者が被害者の悲しみを知る機会がないことに驚いた。




5月6日の天声人語より


 被害者の苦しみを、ほんとうにはわかっていなかった。

「少年犯罪被害当事者の会」が編集した『話を、聞いてください』(サンマーク出版)を読んで、そう思った。

ある日突然、わが子の命を同じような年ごろの少年に奪われた13家族25人の手記である。

 遺族の味わう感情は、子どもを理不尽に殺された悲しみ、怒りにとどまらない。

加害者だけを気遣う警察の対応や被害者を無視した審判、地域社会の無理解などにあって、無力感にさいなまれる。

 特異な事件でなければマスコミで大きく取り上げられることはない。

亡くなった子どもがどんな子だったか知ってほしい。

その子を失った家族がどんな気持ちで生きているか知ってほしい。私たちの話も聞いて。そんな切実な思いが伝わってくる。

 加害者となった少年や、その親たちは必ずしも誠実とはいえない。

一方的な暴力を「けんか」と言いふらしたり、損害賠償を逃れるためにあわてて住宅ローンを組んだりする親がいる。

被害者が転居に追い込まれた例もある。

 「当事者の会」をつくった武るり子さん(47)は一方的な暴行で16歳の息子を失った。

少年の逮捕から社会復帰まで約1年。加害者が被害者の悲しみを知る機会がないことに驚いた。

民事裁判でも事実を直視させようとしない大人たちの態度に失望した。

 少年法が改正されて1年がたつ。

少年の更生を応援するという理念はいまも変わらない。

ごまかすことを教えるのではなく心からの悔いへといざなうにはどうすればいいか。

手記はそれを問いかけているように思う。


弱肉強食の原理が子供の世界でも覆っている。今の世間を見渡すと大人の世界においても加害者が

何も感知せず,被害者だけが苦しんでいる姿を見かける。

なんとかしないと駄目だと考えても無理難題を強いる強者が威張り弱者が小さくなっているのが

今の現実の世の中のように思えてくる。

このような世界が少しでも良くなってゆくようにとの願いでこれを書いている。

最終的にはきめ細かな法の整備と,施行を公正に行われる世の中にすること以外に解決の方法が無いようだ。





身体障害者補助犬法は超党派の議員立法だった。



5月24日の天声人語より


 「うちはペットは駄目なんです」。そう言って飲食店や宿泊施設で断られる。

盲導犬などの補助犬を連れていて、そんな目に遭う。

ペットではないと説明してもわかってもらえない。そんなことをなくそうという法律が成立した。

 盲導犬については最近、本やテレビ、映画などでいろいろ紹介され、多少理解は深まってきた。

この盲導犬のほかに、耳の不自由な人を助ける聴導犬や体の不自由な人を助ける介助犬もいて活躍している。

 新しくできた「身体障害者補助犬法」は、交通機関やホテル、レストランなど各種施設で補助犬の同伴を拒否できないとする法律だ。

罰則はないが、法によるお墨付きを得た。

 英米などに比べて日本での補助犬の普及は低いと聞いていたが、数字で見るとまさにその通りだ。

厚生労働省の調べでは、盲導犬が875匹、介助犬が26匹、聴導犬が19匹だ。

補助犬に育て上げるまでに時間がかかる。働けなくなった犬の老後の面倒も見なければならない。

需要に追いつかない状態が続いている。

 それでも、法律ができたことで世間の理解が深まることを関係者は期待する。

「レストランなどでは何度も断られた。体の障害に加え、交渉する労力が大変だという障害者が多い」とは介助犬協会。

「公共的機関はすぐに変わるかもしれないが、一般の店にまで理解が広がるには時間がかかるだろう」とも。

 いわゆる対決法案が多い国会だが、この法律は超党派の議員立法だった。

22日、補助犬たちも見守るなかでの参院通過で、珍しくほっとさせられる風景だった。



月日は前後しているが5月24日の議員立法の話を持ってきた。

超党派による立法はもっと多く出来ても良い。

党議拘束は民主主義の原則から外れている。全てクーロン人間でない限り,党派ごとに同じ考えの

持ち主ばかりが集まっているとは思えない。同じ党の中でも部分的に違った考えの持ち主がいてもおかしくない。

党議党則で全員の意見を縛ってしまうのは如何なものかと考える。

一つの法案に対し全ての人たちが自分の信念に基ずき投票するのが本当の民主主義ではなかろうか。

どんどんと多くの法案が超党派立法で提出され成立される時代の来る事を願う。

一党支配による多数派による強行採決の無くなる時代になってほしい。

全議員が民意がどこにあるかをアンテナを張って自分の意志で投票できる時代が早くやってきてほしいものである。




熱意あれば


松下幸之助の言葉より
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 人の上に立つ指導者、管理者としての要諦というものは、いろいろ考えられるけれども、

その中でも最も大事なものの一つは、熱意ではないかと思う。

非常に知恵、才覚において人にすぐれた首脳者であっても、この会社を経営しようということに熱意がなければ、

その下にいる人も、「この人の下で大いに働こう」という気分になりにくいのではないだろうか。

そうなっては、せっかくの知恵、才覚もなきに等しいものになってしまう。

みずからは他に何も持っていなくても、熱意さえ保持していれば、知恵あるひとは知恵を、力ある人は力を、

才覚ある人は才覚を出して、それぞれに協力してくれるだろう。


ことを始めるには熱意が先ず大切でそれにより全ての人たちの協力が得られ,ものごとが達成されるというものか。





改めて軍の役割ということを考えさせられる。



 5月8日天声人語より


 パレスチナ自治政府のアラファト議長に続いてミャンマー(ビルマ)のアウン・サン・スー・チーさんが「解放」された。

勝手に閉じ込めておいて「解放」とはずうずうしいが、事態好転のきっかけになればいい。

 解放直後の2人の態度は対照的だった。アラファト議長はイスラエルへの怒りをあらわにした。

スー・チーさんは、落ち着いた表情で支持者に「慎重な行動を」と呼びかけた。

 ともに軍による抑圧下にあった。

改めて軍の役割ということを考えさせられる。

戦争をするのが軍の第一の役割であることはいうまでもない。

「敵」の指導者アラファト議長を監禁状態にしたイスラエル軍は、そうした戦時下の軍といっていいだろう。

 軍のもうひとつの役割は、国家ないし国家権力を守ることだ。

スー・チーさんを閉じ込めていた軍はこれだろう。しかもミャンマーは軍が政権を握る軍政だから、その究極のかたちだ。

 軍政は、言論の自由、表現の自由、政治活動の自由などの自由を嫌う。

多様な意見を容認したくない。

皆を同じ方向に向けたい。

いつでもどこでもそういうものだろう。

その邪魔になるのが民主化運動の指導者スー・チーさんだった。

 国会論議が始まった有事法制でも、いかに戦時体制をつくるかが目的のひとつだ。

戦争の悲惨さはいうまでもないが、それに伴う戦時体制によって国民が大きな犠牲を強いられることがしばしばあった。

それを忘れたくない。

 ノーベル平和賞受賞者2人の監禁、軟禁と「解放」の報に、明るいばかりではない思いにとらわれた。



軍部の暴走はイヤと言うほどに第二次大戦で体験している。軍の力が大きくなると大変なことになることを

実証している。軍は強い。人間を殺戮する兵器を沢山保有しているから。

暴走すると一番おそろしい。今の日本の自衛隊は国民に親しまれ一番良い状態に置かれているようにおもう。

アメリカ軍の日本国内での駐留がいつまで必要なのか。以前から疑問に思っている。




カメの歩みの如く



松下幸之助の言葉より
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 カメの歩みというのは、一見のろいようだが、

私は結局はこのあせらず、騒がず、自分のペースで着実に歩むというのが、一番よいのではないかと思う。

手堅く歩むから力が培養されてゆく。

逆にパッとやればどうしても手堅さに欠けるから、欠陥も出てくる。

だから見たところでは非常に伸びたようだが、あとであと戻りをしなければならないということも起こってくる。

 ウサギのカケ足では息が切れる。といってハヤ足でもまだ早い。

一番いいのはやはりナミ足で、カメの如く一歩一歩着実に歩むことではないかと思う。

人生行路だけではない。事業経営の上でも、大きくは国家経営の上においても同様であろう。


亀のような一歩一歩着実な人生が過ごせれば幸せである。




天然痘は空気感染するため、伝染力が強く、致死率も30%


5月12日の天声人語より 


 米国が種痘の国民接種を検討している。

バイオテロの有力な武器として天然痘のウイルスが利用されるのを防ぐためで、

ヨーロッパ各国も天然痘ワクチンの確保に力を入れている。

 米国は炭疽(たんそ)菌事件をきっかけに、ワクチンを増産し、今年中に全国民が接種できる量を確保する。

しかし、天然痘が発生したときに、その周辺の住民に接種して蔓延(まんえん)を防ぐという現在の対策では、

同時多発には対応できない不安がある。

空港などでウイルスが散布されれば、米国内どころか、世界中に広がるだろう。

 日本にも災禍が及ぶおそれはあるが、現在のワクチンの備蓄は250万人分で、欧米に比べるとはるかに少ない。

しかも、日本で1カ所だけ製造していた千葉県血清研究所は今年9月に閉鎖される。

 天然痘は空気感染するため、伝染力が強く、致死率も30%と高い。

世界保健機関が80年に撲滅を宣言したのち、世界のウイルスは米国と旧ソ連の研究所に集められた。

しかし、旧ソ連の崩壊で、ウイルスが流出したという噂(うわさ)が絶えない。

 ワクチン接種の際、気がかりなのは脳障害を招く副作用で、米国も悩む。

だが、千葉血清が特許を持っている「橋爪株」と呼ばれる弱毒株のワクチンはほとんど副作用がない。

日本が備蓄をふやせば、日本だけでなく世界の安全に寄与することになるはずだ。

 「日本政府は長期的な方針を示さないと、製造するところもなくなる。

アジア分は日本が供給するといった気構えがほしい」。

ワクチンの開発者で日本ポリオ研究所の橋爪壮理事長はそう語っている。



地球上から撲滅されたとする天然痘が再び脚光を浴びつつある。テロによる手段として使われるのでは

ないかとの危惧からである。世界の政治による人々の貧富の差がテロを助成していることはわかっている。

明らかにテロの原因は判っているのである。その原因をなくすことに努力を傾注すべきだ。

テロの撲滅方法を推進すること,原因を取り除くことが,ワクチンの確保よりもたいせつなことではなかろうか。

これを見ても人間とは如何に愚かな存在であることがわかる。

医師は細菌撲滅だけでなく社会の仕組みにたいして苦言を呈し政治を変え

社会が変り初めて病気に対し勝てたといということにしかならないのだろうか。

情けない話である。





基地依存を強いてきた歴史と経済の仕組みについて考えざるをえない。



5月15日の天声人語より


 10円玉を握ってお菓子屋に走る。パンにしようかキャラメルにしようか。そんな思い出は多くの人にあるだろう。

沖縄の中年世代にとっては、10円玉ではなく、1セントや5セントのコインだった。

 お年玉はほとんどが25セントで、良ければ50セント、1ドル紙幣はなかなかもらえなかった。

そんな投書が載ったことがある。

そういう話を聞くと、育ってきた環境の違いを改めて実感する。さらにその前はB円という米軍が発行する軍票だった。

 日本円からB円へ、その後ドルに移行したのが58年で、72年に日本円に復帰した。

通貨が変わるのは、たいていは政治体制が変わるときだ。

沖縄の人たちのように、一生のうちにこれだけ通貨の変化を経験する人たちはそう多くはないだろう。

 軍票のB円にはからくりがあった。

1ドルが120B円で、360円だった日本円の3倍という異常に高いレートに設定された。

輸入には好条件だが、地場産業が育つには悪条件だ。

輸入による食糧確保や米軍基地建設のためにはいいだろうが、ものをつくる意欲はそがれるだろう。

製造業が軽視されたことは後々まで影響する。

 数字がすべてを語っているとは思わない。豊かさの指標はさまざまだと思う。

それにしても、経済統計で見る沖縄県の数字は良くない。完全失業率は8・4%で全国1位、

1人当たりの県民所得は217万円で全国最下位だ。

やはり基地依存を強いてきた歴史と経済の仕組みについて考えざるをえない。

 復帰30年、何が変わったのか。表向きの変化と仕組みの変わりなさ、いつもそこに行きあたる



軍票のB円にはからくりがあった。

1ドルが120B円で、360円だった日本円の3倍という異常に高いレートに設定された。

これを読んでいて敗戦国の国民がいかに虐げられた中で暮らしていた事が理解できる。

第二次大戦の敗戦の影響は今も続いているのではなかろうか。

又沖縄の住民は今もその最前線におかれているのではないかと思える。

1ドルが、360円の時代が日本でも長く有った。高校時代頃にアメリカの友人と文通していたことがあった。

当時流行していたペンフレンドである。

当時はまだ日本にテレビが無い時代で,アメリカでは各家庭にテレビ一台ないし二台あり,

自動車が一台あることを手紙で知りアメリカとは夢のような豊かな国との印象を持ったことが今も記憶に残っている。

1ドルのカラクリを知るにつけ,押し付けられた軍政の影響が有ったのではないかと思う。

経済競争の出発点があまりにも違っている。その差は今も続いているのではなかろうか。





気分の波をつかまえる

松下幸之助の言葉より
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人間というものは、気分が大事です。

気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。

また別に悲観するようなことでなくても悲観し、ますます気が縮んでいきます。

しかし気分が非常にいいと、いままで気づかなかったことも考えつき、だんだんと活動力が増してきます。

 私は人間の心ほど妙なものはないと思います。非常に変化性があるのです。

これがつけ目というか、考えなければならない点だと思います。

そういう変化性があるから、努力すれば努力するだけの甲斐があるわけです。

そういう人間の心の動きの意外性というものを、お互いにつかむことが大事だと思うのです


ゴルフも気分に非常に左右される。その処理の仕方を克服できればスコアもよくなるのではないかと思う。





外交官といえば、昔からうそのプロといわれたものだ



5月16日の天声人語より


 事実はひとつだ、とは中国・瀋陽の日本総領事館事件で現地調査をした外務省の部長の言葉だが、

いまのところ事実はふたつだ。

 映像を見る限り、門の周辺での出来事は、中国側の主張をしりぞける。

しかし、その後の経過については、双方の調査能力にかかわる。

中国の武装警官の総領事館への立ち入りと連行に日本側が同意を与えたかどうかが目下の争点だ。

 わが外務省の主張を信じたいが、その調査能力に全幅の信頼を置けないのが悲しいところだ。

後手後手の感がある。

中国側の調査結果は、副領事がお辞儀をして「可以(いいです)」と言った、「謝謝」と感謝した、

など動作や言葉をまじえて具体的なのが強みだ。

 日本側は同意を与えたつもりはないが、向こうには同意と受け取られてしまった。

そんな解釈も可能だ。だが、どちらかの調査が不十分か、どこかで事実がねじ曲げられている可能性も強い。

虚々実々の駆け引きだけではなさそうだ。

 うそをめぐる調査がある(『うそつき』草思社)。

米国での調査で、どんな職業の人がうそを見破る能力に優れているかを調べた。

際立って優れた結果を出した職業があった。

刑事でも精神分析医でもなく要人警護にあたるシークレットサービスだ。

言葉ではなくしぐさや挙動によって怪しい人物をかぎ分ける仕事である。

 外交官といえば、昔からうそのプロといわれたものだ。

ただし、見破る能力の方はどうか。調査結果への不安が残る。

人道的決着はけっこう、しかし外務省がこれ以上失態をさらけ出す姿は見たくない。


外務省の一連の不祥事だらけから外交官はウソのプロであることは直ぐに納得する。

でも良い意味でのプロであってほしいものだ。

中国側 自民党調査団 民主党調査団の発表を見ている限りにおいては政府発表は正しくないように思えてくる。

何故にあのようなビデオが丁寧に撮影できたのかも不思議である。かなり周到な準備がなされている。

今何故にこんな事件が起きたかが不思議である。

内政の不祥事件を外交に目を向けさせ沈静化を計る手段ともとれる。今までにも良く使われ来た手法である。





 「芸の道化けろばけろで五十年」



5月17日の天声人語より 


 反乱に決起した軍の真っただ中で落語をやる。亡くなった柳家小さん師匠の有名な体験だ。

二・二六事件でのことで、たまたま命令で反乱軍に組み入れられた。

そのとき兵を元気づけようとした上官の命令で「子ほめ」をやった。「クスリともこやァしない。それはそうでしょう」。

 そのころを振り返って「笑っていけない、怒っていけない、おもしろい顔をしてちゃァいけない――実に、

軍隊というところは、くだらないところです」と語っている(『五代目小さんの昔ばなし』冬青社)。

 その師匠がテレビ時代の客には「このごろの客はよく笑う。……笑いすぎるよ」と言い「近ごろの若い噺家(はなしか)は、

客があまり笑わないと心配で心配でしょうがない。焦ってくるっていうんだ」としばしば苦言を呈した。

芸で笑わせる。クスリでいいんだ、と。

 昔の寄席には、気むずかしい顔をした常連がいた。笑ってやるものかと思っているような客である。

そういう客がクスリとすると、これがうれしい。よくそう語っていた。

何しろ五代目志ん生、八代目文楽、六代目円生ら昭和の名人たちと競ってきた人である。

 評論家の戸板康二さんが「噺家の顔として、小さんは理想的なところまで到達したようである」と書いたことがある。

芸はもちろん、表情やしぐさには他の人にまねのできない味があった。

 「芸の道化けろばけろで五十年」。芸歴50年のときそう色紙に書いた。

「化ける」はもちろん「上達」の意味だが、タヌキ好きで知られる師匠らしい。師匠、もう化けちゃあいけませんよ




どの道おいてもそうだが,常に「上達」を心がけないといけない。芸の道もそのとおりで名人とも称される人たちは

それなりに常に化けることを目指している。死ぬまで化け続けて,さらに死んでからも化け続けているのかもしれない。




みずからを教育する


松下幸之助の言葉より
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 人間の教育にはもちろん立派な校舎も必要であり、環境も必要でしょうが、それのみに頼っていてはならないと思うのです。

行政の充実により、なるほど環境はだんだんよくなってくるでしょう。

しかしそういう環境がつくられたとしましても、その中でそれぞれの人がみずからを処して、みずからを教育してゆく。

自問自答しつつ、より高きものになってゆくということを怠っては、決して立派な人間は生まれてこないと思うのです。

 きょうよりあす、あすよりあさってと、みずからを高めてゆくところに人間の成長があり、

またそこから立派な人間が生まれてくるのではないでしょうか


自らを教育する気持にならないといけない。シーポルトの鳴滝塾 緒方洪庵の適塾においても必死の教育が

行われていた。環境は現在に比べると劣悪であつたが 教師 生徒共に大変な情熱を持つて行われていた。





カラスをあしらったエンブレムを胸に


5月18日の天声人語より


 明け方、カラスの鳴き声に驚くことがある。決まって夜明け直前だ。これではうるさくて寝られないと思うほど騒がしいときもある。

幕末の志士、高杉晋作が遊郭で唄(うた)ったといわれる「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」は、このカラスのことだったか。

 それにしても、なぜあんな時間に鳴くのか。まさか早く生ごみを出せ、と騒いでいるのではなかろう。

カラスに詳しい東京大学大学院の樋口広芳教授(野生動物学)に尋ねると、理由がはっきりしないという。

 「カラスは確かに夜明け前に鳴きます。

季節によって夜明けの時間が違うから、カラスの鳴く時間も変わってくる。

ほかの鳥も明け方に鳴くが、そのさえずりは縄張り宣言やつがいの相手への呼びかけです。

しかし、カラスの場合はそうでもないようで、意味がはっきりしない」。

 最近ではすっかり迷惑鳥になってしまったカラスだが、サッカーと縁があるのをご存じだろうか。

日本サッカー協会のシンボルマークがカラスだ。3本足のカラスで、中国では古く太陽を象徴していたという。

31年に採用された。

 明治時代、サッカー普及に力を注いだ中村覚之助に由来するという説がある。

彼は和歌山県出身で、彼の故郷の熊野の神社が祀(まつ)るのが八咫烏(やたがらす)だから、という説だ。

古事記に出てくる伝説の大カラスである。カラスは古くは霊的な鳥として敬われていたのだった。

 ワールドカップを間近にひかえきのうサッカーの日本代表が決まった。

カラスをあしらったエンブレムを胸に世界の強豪を相手にする23人である。



このところ毎日のようにテレビで日韓でのワールドカップ戦が放送されている。日本はまだ登場してこないが

見るのに熱が入ってくる。カラスは最近見なくなった。落ち着いてこれは空ヲ見上げ回数が少ないがために見ることが

少ないのかもしれない。



公平な態度



松下幸之助の言葉より
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 国における法律の適用には万が一にも不公平があってはならないが、

会社や団体における規律や規則についても、これまた同じことが言える。

会社の規則というものは、一新入社員であろうと社長であろうと等しくこれを守り、それに反したときは等しく罰せられるということで、

はじめて社内の秩序も保たれ、士気も上がるのである。

 だから、指導者は常に公平ということを考えなくてはならない。

利害とか得失、相手の地位、強弱にかかわりなく、何が正しいかというところから、

公平に賞すべきものは賞し、罰すべきものは罰するという姿勢を遵守しなければならないと思う。



利害とか得失、相手の地位、強弱にかかわりなく、何が正しいかというところから、公平に処することは

当然の事である。でも自分が体験ている所からして必ずしも公平な社会ではない。

強いものが勝ち弱いものが引き下がるの世の中である。

世の中の不満を言う前に自分だけでも公平な態度に徹するように心掛けよう。



先の戦争では政府は国民に犠牲を強い、

軍はしばしば国民ではなく軍を守った。



5月23日の天声人語より 

 何を守るか。それによって何を失うか。そんなことを考えさせられる事件や事態が続く。

中国・瀋陽の総領事館事件では、伝えられる阿南中国大使の「不審者の侵入を阻止せよ」「撮影されても構わない」発言は、

何を守ろうとしての発言か。

 館員の安全か、施設の不可侵権か。あるいは単に騒ぎに巻き込まれることからの防衛か。

瀋陽の総領事館の人たちは、ただその「指示」を守ろうとしたのか。その際、中国の武装警官の「侵入」は構わないのか。

 事件に関しての小泉首相の「慎重に、冷静に、毅然(きぜん)として」発言はどうか。

守るべきは「日中友好」か「国家の威信」かあるいは「亡命希望者の人権」か。

どれをも含むのだろうが、あまりにあいまいだ。

 審議中の有事法制はどうか。何を守るための法律か。

本来、国家という抽象的なものや政府という機構を守るための法整備ではないだろう。

国民を守るための法整備のはずだ。

しかし、先の戦争では政府は国民に犠牲を強い、軍はしばしば国民ではなく軍を守った。

そんな経験をさせられた国民としては、まず不信感を抱く。慎重にならざるをえない。

 昨年9月11日のテロ事件以降、米国は明快だった。

守るべきは「アメリカ的価値観」だと多くの人が唱えた。

あの事件で「自由と開かれた社会」を失ってはいけない、と。その点はわかりやすい。

では、守るべき「日本的価値観」とは何か。

このところの対応を見ていると「人権軽視と閉じられた社会」ではないか。

そう言いたくなる。そう見られかねない。それでは悲しい。


有事法制はどうか。何を守るための法律か。突然に出てきた法律なのでアメリカにより誘導され出てきたのでは

ないかと疑いたくなる。アメリカのテロがきっかけであることは理解できる。

今回アメリカの要請で初めて軍艦がアフガニスタン沖に出動している。日米安全保障条約は今も生きている。

有事法制ができるとアメリカが戦争で出動するたびに出動することにもなりかねない。

戦争好きのアメリカに振り回されるのではないかと考える。朝鮮戦争 ベトナム戦争 湾岸戦争 アフガニスタン戦争数えれば

もっとあるのではないか。戦争好きのアメリカに付き合っていてはそのうちに日本人が一番危険な最前線に送りだされるかもしれない。

有事法制は国内だけの災害に対し国民を救うためだけに限局すべきで゙ある。

いまさら何故有事法制なのか。?




「命がけの政治」はまだ道半ばだ


5月27日の天声人語より

 選挙に勝つことができるか。大方の候補者にとっては、まさに死活問題だ

。選挙まで実際に生き延びることができるかどうか。これを心配しなければならない国もある。

 南米のコロンビアでは、女性候補が誘拐されたまま26日、大統領選の投票があった。

選挙戦中に誘拐されたのは政治腐敗と闘ってきたイングリッド・ベタンクルさんで、

本紙記者が現地から報告している(26日朝刊)。彼女の闘いの軌跡は『それでも私は腐敗と闘う』(草思社)に詳しい。

 内戦とゲリラ、麻薬とマフィアの国という悪評がつきまとう国だが、ベタンクルさんの標的は大統領をはじめ政治家だった。

マフィアと手を結び、保身と私腹を肥やすことに明け暮れる政治家たちを糾弾し続けた。

 あるとき彼女は脅迫を受けた。あちらの脅迫は単なる脅しではない。確実に身に危険が迫る。

警察に言うわけにはいかない。というのも、口封じを図っているのは政府、そして大統領自身だと彼女は思っていたから。

即刻子供たちを前夫のいるニュージーランドへ避難させた。そんな日々を送ってきた。

 下院議員から上院議員、そして大統領候補へと駆け上がってきたが、孤軍奮闘に近い。

「自分だけいい子になっている」「国の恥を宣伝している」。あまりに一途な彼女へそんな非難も絶えない。

こんどの誘拐事件でも「わざわざ危険なところへ行くからだ」と非難する人がいる。

 「私が死を意識するのは、綱渡りの曲芸師が死を意識するのと同じだ」と彼女は著書に記した。

その「命がけの政治」はまだ道半ばだ。


選挙に勝つことができるか否かは。大方の候補者にとって、まさに死活問題だ。日本の政治家のみに言えることで

外国では本当に生命をかけ政治に携わっている人たちがいることが判る。

日本でもそのような政治家が出ることを望む。己を捨てて初めて本当の政治ができるのではないかと考える。

一部分の選挙民の利益のためだけに走る政治家が日本ではいかに多い事か。

巨悪と戦おうとする政治家なんかは日本ではみかけない。

昔はあったかもしれないが。

理想の政治に命をかけても良いと考えるような若い政治家が出て来て欲しいものである





原子爆弾のために、久しく人類を支えてきた高尚な感情が滅ぼされてしまった



5月29日の天声人語より 

 核戦争になれば犠牲者は1200万人にのぼるだろう。そんな物騒な予測まで出ている。

インドとパキスタンとの対立は、両国が核保有国だけに極めて危うい。

 パレスチナ紛争に似て、根深い対立がある。

長年続くカシミール紛争を背景に、イスラム過激派がインドでたびたびテロを決行する。

インドはパキスタンがテロを支援していると見ている。

過激派取り締まりを要求されるパキスタンのムシャラフ大統領は、国内事情もあって及び腰だ。

 構図はパレスチナに似ているが、決定的に違うのは核保有国同士の対立であることだ。

インドのバジパイ首相が「もう我慢できない」と非難すると、ムシャラフ大統領は、ミサイルの発射実験で応じた。

 27日の演説でも「先制攻撃はしない」と言いつつ「イスラム教徒は戦争を恐れないし、ひるむことはない」と語っている。

旧宗主国である英国の外相が現地入りして調停に乗り出した。

彼は「通常戦争にもつれ込み、私たちが経験したことのない核の戦いに拡大することは容易に考えられる」と警告している。

 核拡散の危うさをなまなましく感じさせる事態だ。

と同時に、原爆の被害がいかに悲惨なものか、世界の人々にもっと知ってもらう努力が必要だといまさらながら思

 ガンジーの言葉を思い浮かべる。

「原子爆弾のために、久しく人類を支えてきた高尚な感情が滅ぼされてしまった」とは46年の言葉だ。

そして「原子爆弾も原子爆弾の対抗をもってしては滅ぼすことはできない」と。

非暴力主義の彼はまた印パの融和も説き続けた。


ガンジーの反戦思想には共鳴する。戦争そのもので失うものがあっても得るものは何一つない。

植民地時代の昔ならばいざしらず,現在の世の中で相手の国と戦いその領土を得ようとして戦う馬鹿はいないと思う。

何故に今も戦争したくて仕方ない国が有るかとなれば,その国の兵器産業に貢献するためである。

兵器産業が潤えば,その見返りに政治献金を政治家がもらっているとの構図が理解できる。

いくら正義の戦争だと称しても正義に値する戦争なんか歴史上を振り返っても一度として見ることがない。

全ては為政者のエゴの為に行われてきている。そのための犠牲者が全部当時の庶民達である。

歴史上,立派な戦争なんか今まで一回でもありましたか。? 

勝てば官軍で,その評価も時代の変化と共にコロコロと変るものだ。戦争自体は悪である。

戦争を体験した世代だからこそ強くそれを感じます。



公用語は英語



インターネットもそうだが英語が公用語になっている。旅行をしても英語で大体の国では通ずる。

学会もそうだ。国際学会は大体英語が公用語に指定される。

どんなに英語達者な人でも英語圏で生まれ育った人たちには英語では負ける。

それだけ日本人はハンディを背負わせられ生活していることになる。

英語を生まれながらにして自然に身につけてきたものと勉強して身につけたものでは

理解力に差が出てきても仕方ないことである。

どんなに流暢に日本語を話している外国人がいたとしても 少し話している言葉は日本語として少し変に感ずる。

同様のことが日本人が英語を話す場合にでも同じことが言えるのではないかと思う。

世界の中で現在アメリカが1人勝ちしているように,言葉の世界でも英語は優位に立っている。

世界中に色々な言葉がある中で英語圏以外の人たちは英語を学ぶのにどれほど時間と精力を費やす事になることか。

出発点が違う中で互いの競争をしいられていることになる。

今更に国語を日本語から英語に変えることもなかろう。

これからの国際化時代には英語が益々重要になって来る事は間違いない。




インターネットの世界



インターネットの世界も日本語で書かれているホームページが急速に増えて来て充実してきている。

その為か英語のインターネットに接続する時間が少なくなってきた。

英語より日本語の方が読むのに障害にならないから日本語のホームページを見る機会が多い。

テレビもスイッチさえつければCS衛星放送 BS衛星放送ともに沢山のチャンネルがありそれを見るには抵抗が少ない。

その他 新聞 雑誌 本 とパソコンによるDVD-ROM CD-ROMで見るなど情報収集に事欠かない。

それにラジオがある。どれを選ぶかに迷う。昔のことを考えれば大変に恵まれた環境で生活していることになる。

インターネットの世界は簡単に自分の考えを発信できる事ができる。

読んでもらえるか否かは別の話になる。

持続していれば誰かに読んでもらえると思う。インターネットに接続している人たちの人口も日本でかなり急速に

増えて来た。メール交換も便利で将来は手紙 電話での連絡方法よりも増えるのではないかと考える。

インターネットの世界は益々に将来性のあるセ世界だと思えてくる。




 信頼を得る


医療の世界では信頼が一番である。信頼のない関係では医療は成り立たない。治る病気もなおらないし

まず受診してくれない。仕事を頼む場合でもそうである。この人は信用できる人かどうかが一番である。

信頼をなくした人には二度と仕事を頼む気になれない。

さらには信頼を無くした人を信用している人を見るとその人も大丈夫かと疑いの目を向けたくなる。

信頼を得るには常に努力が必要である。信頼を失うのは一瞬のことである。

失った信頼を元に戻すには大変な努力が必要である。嘘をつかない正直であることは基本である。

常に努力している所を認めてもらうことである。


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