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京都の七月は祇園祭り

京都の七月は祇園祭の月である。毎年のことだがコンコンチキチキの鐘の音が響くこの暑い時期になると祇園祭が

やって来たと,真夏の到来を感じる季節である。

京都では一年の間で一番暑い時期で,梅雨明けもこの頃に丁度当たる。

祇園祭が来て,初めて京都に本格的な夏の到来を告げる。

大阪での天神祭りも祇園祭から暫くしてある。淀川に船を浮かべた頭上の夜空に乱舞する

打ち上げ花火のけたたましい華麗で豪華な光景をテレビを通うして見る。天神祭りは川の上での祭りである。夏 真っ盛りの時期である。

政局は長い国会期間をえてやっと閉会となった。田中真紀子外務大臣による外務省での鈴木宗男議員への不正疑惑の指摘から,

さらに辻元清美議員の「鈴木議員 貴方は疑惑のデパートでなく 総合商社だ」と名文句?による

追求があったが、故意か偶然か鈴木議員を追及した田中 辻元両議員に秘書給与不正流用疑惑がもち上がった。

そのために田中真紀子氏は自民党離党 辻元清美氏は議員辞職している。

不正を暴こうとした人達が逆に議員の誰もがやっていそうなことでもって

揚げ足を取られるようなことによっての失脚は魔界のような政界の恐ろしさを知る。

これでは誰もが口をひらかなくなり,大手を振って悪徳政治家によるカネと政治はいつまでも続くだろうと考える。

一方の鈴木議員は自民党離党しても秘書逮捕,議員辞職勧告を全議員賛成の国会から突きつけられても,

自身が逮捕 再逮捕されても尚現在も議員で頑張り続けている。このことはとんだ税金の無駄遣いである。

情けない話だ。是非早く議員辞職してもらいたいものだ。

この間に三井物産商社の鈴木議員からのあっせん利得が表面化している。

政権党議員だった人物のたくましさ・しぶとさ・その根性の見事さをみせつけられる思いがする。

此れだけの根性をもっていればよい方面に使えば日本にどれだけプラスになったか分からない。

政治とカネの官官民の最も典型的な悪い例である。長い間の澱みが腐敗を招くことは自然界においても同様である。

思い切った徹底した政界浄化の改革なくして,小泉首相が構造改革をいくら唱え実行に移したとしても成果は少ないと観ずる。

改革は国民に負担を強いるだけである。ただ国民を苦しめるだけで終わるであろう。

政権党議員が率先して国 地方の政界浄化にまず手をつけなければ,同じことが続き繰りかえされるだけである。


●(1)一度あっせん利得の罪を犯した議員は二度と議員になることが出来ない。


●(2)収賄ないし不正を犯した官僚は退職金なくして即座に職場を追放する。


●(3)国民が口利きを官官に願いでる場合は署名捺印し文書ですることとする。

(3)が全ての悪のはじまりであり,官官民の三者の悪の合意が無ければカネと政治の問題は

発生しない。一人だけいくらもがいても不肖事は起き得ない。



以上のことを国並びに地方政治において適用すべきである。

このような法律を作れば今のような馬鹿げた政治とカネの問題は解消すると思うが。

おカネが無ければ議員になれないような議員は作らない事である。

それが全国民の基本的な態度であらねばならない。





住民基本台帳ネット

 
住基ネットが始動しようとしている。いつの間に法律が作られたのか俄然最近始動前に新聞を賑わしている。

IT革命の成果なのかそれとも誤使用になるなのか分からない。

私個人としては背番号で全国民を管理しようとするのはITの行き過ぎであり,何故に其処までする必要があるのか

疑問である。ネットは必ずハッカーによって破られるだろう。それを扱う全国の役人達全てが聖人君主のような不正を働かない

人たちだとは思えない。地方の役場になればなるほどに扱いがルーズとかんがえる。

多分に情報が将来犯罪に使われる可能性は火の目を見るより明らかである。

便利さと危険さを計れば危険性の方が遥かに高い。今からでも遅くない是非止めて欲しいものである。

やるならば国民に一度は選挙で聞いてからにして欲しいものである。

何もあわててしなければならない事でもあるまい。日本列島に飼われた11桁の番号をもつた一人になりたくない。

ITの誤用には心して扱うべきである。便利さだけでもって利用するのでなく洞察力をもつた慎重さで取り組むべきものと考える。

参加しない自治体は罰則されるとするのは行き過ぎである。

知らない間に法律が出来,それに従わないと罰すると言われても 何か第二次大戦の兵隊になりたくなくとも徴兵に応じなければ

非国民となり刑罰に服さなければならない時代を思い出す。

主権在民の世の中 役人達の思いつきの法律で縛られるのはご免である。一度は選挙をとおして

全国民が納得してからにしてして欲しいものです。





山の郵便配達人


中国で作られた話題の映画である。DVDで発売されるのをみて買って観た。

大変地味な映画であるが,日本で見られなくなった風景並びに 人情を見ることが出来る。

アクション映画のアメリカ映画に見慣れているものからして異質のものに映る。

雅楽を思わせるような音楽が心を和ませてくれる。

長年父が二泊三日泊りがけで山奥の人たちに郵便を配達していたのを初めて子供がそれを継いで父子が一緒に

出かける話である。

山水画を思わせる山奥の風景に感動するのは東洋人の血が流れているからか。

盲目の老婆に音信がなくたよりを寄せない都会で出世した息子の手紙を変りに何も書かれていない手紙をば父親ガまず読み

次に子供も同じように読んで聞かせるシーンには涙を誘う。

そして同じように父親の苦労の多い山の郵便配達の仕事を継ぐことに対して後悔はしないと言った子供の言葉に感動した。

母親が山岳出身の人でいつも山を恋しく思っている姿を見,山で見つけた美しい可愛いい女性との結婚にためらいの心をもつ辺りは

本当に良く出来た今頃の若者に見られない心の持ち主である。

最近中国旅行したことがあった。ガイドを勤めてくれた中国青年の心配りには本当に有り難かった。

外国で一人一人と接すると誰も良い人たちばかりなのに,国家間との間になると何故に国民同士が対立するのか分からない。

中国 台湾 それに韓国 北朝鮮共に第二次大戦の結果の被害国ではなかろうか。

同一民族同士が戦後の米ソの戦後占領政策によりいがみ合う仲になってしまったのは悲しい現実である。

山の郵便配達人は親から子供へと仕事とその心が受け継がれて行く様子を見事に描かれた作品である。

アメリカ映画に見慣れたものにとっては異質な心洗われる映画であった。





論文の盗用やデータの改変、でっち上げといった不正行為は、
科学には昔からついて回る。



7月3日の天声人語より 

 ノーベル賞級と称賛される成果を一流雑誌に次々と発表してきた米国の研究者に論文捏造(ねつぞう)の疑いがかけられ、

外部委員による調査が始まった。

世界中がしのぎを削るナノテクノロジー(超微細技術)の分野の出来事だ。

 疑惑の主は31歳、ドイツで博士号を取り、米国の名門ベル研究所にいる。

コンピューターの小型化につながる基礎実験で常識を破る結果を発表、

8月に広島で開かれる低温物理国際会議でも基調講演をする予定だった。

だが、この講演は取りやめになった。

 論文の盗用やデータの改変、でっち上げといった不正行為は、科学には昔からついて回る。

それに目を光らせる政府機関が、米国にはある。その名もずばり、研究公正局という。

 税金を使う生命科学研究を対象に、告発を受けたら調査に入る権限を持つほか、研究者倫理を浸透させる活動もする。

00年には100件を超す告発があった。北欧各国も同様の委員会を90年代に入って設立している。

 ドイツは、著名な分子生物学者のデータ偽造が97年に明るみに出て、研究ルール作りに重い腰をあげた。

それまでは「不正行為は米国固有の現象である」というのが定説だった。

ルールはようやくまとまり、不正を調べる第三者機関の設置が各研究所に義務づけられたと、

最近の『サイエンス』誌が伝えている。

 日本はといえば「不正などありえないという姿勢が顕著」(山崎茂明・愛知淑徳大学教授)で、

5年前のドイツと同じ状況のようだ。「願望」を「事実」と取り違えるのは科学者としてあるまじき姿勢だと思うのだが。



論文の盗用やデータの改変、でっち上げは絶対に科学者としてはあってはならない事である。

欧米て゜゛は年間に幾ら新しい論文を発表するかで科学者としての評価が決まるらしい。

特に欧米の競争社会では常に新しいことを考え論文にするかが科学者としての生命である。

ノーベル賞をとった仕事の中にも後の代になると全くデタラメなことであったと言うのはザラにある。

特に自然科学分野では顕著である。時間の流れがその誤りを証明してくれる。

文化系の分野ではそれが間違いであることを証明するのは困難であり,正しいか否かは判明するに

時間がかかる。永久に分からない事も有る。




国策に寄り添ってビジネス拡大を図る構造に
それほど違いはない。
「人心が疑惑を深めている」のはいまも同じだ。


7月5日の天声人語より 

 金額としてはそれほど大きくない受注が社長表彰を受けた。

東京地検に部長が逮捕された三井物産の国後島・ディーゼル発電施設の落札である。

年商12兆円を超える商社にとって、数十億円の受注は決して巨額とはいえないだろう。

それが社内で高い評価を得たのは、なぜか。

 三つの事業を連続して入札予定価格に極めて近い価格で落札した。

その情報収集能力を評価されたのか。今回は外務省との「密着」で情報を得たとされる。

確かにその能力はどの分野にも応用できるかもしれない。

しかし、高い評価はそのためではあるまい。

 相手が外務省だったことが大きかった。そう考えるのが自然だろう。

背後の実力者、鈴木宗男代議士とのつながりを重視したことも想像できる。

いずれにしても、国策に乗ることは金額では計れない利得があったに違いない。

 少々古い事件だが思い浮かべるのは1914年に発覚したシーメンス事件だ。

海軍の兵器輸入をめぐる贈収賄事件で、海軍幹部とともに、旧三井物産幹部も逮捕されて有罪になった。

 国会で厳しい追及を受け、当時の山本権兵衛内閣は総辞職に追い込まれた。

戦後のロッキード事件と並んで日本近代史に残る疑獄事件だ。90年近く前の事件で、容疑は違うし、規模も違う。

しかし、相手が海軍から外務省に変わっただけで、国策に寄り添ってビジネス拡大を図る構造にそれほど違いはない。

 シーメンス事件では「人心はますます疑惑を深めている」と野党の犬養毅が政府を追及した。

「人心が疑惑を深めている」のはいまも同じだ。


昔から汚職は次からつぎへと続いて今も続いている。失くすることは不可能なことなのだろうか。

雑草を刈り取るように根気よく続けなければならない事である。

雑草は少し油断していると生えてしまう,違った雑草がである。





「しかし、戦争は人類の宿命ではない」



7月11日の天声人語より 

 考古学愛好家が何と多いことか。

江戸東京博物館で開催中の「発掘された日本列島2002」展(14日まで、以後全国巡回)に行って改めてそう思った。

客層が広く、文字通り老若男女が会場にあふれていた。

 考古学は「もの」を手がかりに時代や社会を再現しようとする学問だ。

古い時代の「もの」は数が少なく、空白の部分が大きいから素人も推理や想像で参加できる楽しさがある。

その一方で、従来の考古学には物足りなさを感じることもあった。

 時代や社会を再現するためには、あらゆる分野の「知」を動員しなければならない。

「もの」の分析は進んだかもしれないが、時代や社会の全体像を描こうとする迫力に乏しい。

政治学でも社会学でも、もっと他分野の最新の成果を利用すればいいのに。そんな思いである。

 ところが、意欲的な研究がいろいろ現れ、考古学界に活気が出てきた。

そんな研究者の一人が10日亡くなった考古学者の佐原真さんだ。

常に現代という地点から古代を考える人だった。

 たとえば「初め戦争はなかった」と唱えて戦争の起源を探る研究は、刺激的だった。

戦争は農耕社会とともに始まったという説だ。

人類の400万年にのぼる歴史から見れば、ごく最近のことにすぎない。

戦争のない時代の方がはるかに長かった。しかし文明が世界を滅ぼすほどにまで戦争を育ててしまった、と。

 いまの「日本列島」展にも、弥生時代の大量殺戮(さつりく)を推測させる展示があった。

そのとき浮かんだのが佐原さんの言葉だった。「しかし、戦争は人類の宿命ではない」


戦争は農耕社会とともに始まったのは人類の400万年にのぼる歴史から見れば、ごく最近のことにすぎない。

もともと人類は戦争しなかつたものである。

゙戦争は多分農耕社会になり貯えるという知識ができ貧富の概念が出てきたからではないか。

貧富の差を少なくする事により戦争は少なくなるのではないか。?




中国製の「やせる」薬で死者が出た



7月13日の天声人語より 


 何でも腐りやすい季節である。なのに、これほど腐りにくくていいのだろうかと思うときがある。たとえば牛乳だ。

日持ちがいい。英国に滞在していたときは、冷蔵庫に入れていてもすぐ腐ってしまうのに閉口した。

日本との違いに驚いた。閉口はしたが、納得もした。牛乳は本来腐りやすいのではないか、と。

 高温多湿の日本の夏である。

牛乳はともかくとして、さまざまな食品に保存のための工夫がされているのだろう。

ありがたい半面、やりすぎではないかと心配にもなる。人工的な手を加えすぎているのではないか、と。

 「食」をテーマにした本社世論調査(12日朝刊)でも、多くの人が食べ物の安全性に不安をもっていた。

なかでも添加物への不安が大きかった。目には見えないし、影響もはっきりしないから気がかりは増す。

 調査結果で驚いたのは、食生活は良くなっているかどうかの項目で、世代の差が極端なことだ。

年齢が高くなるほど「良くなった」、低くなるほど「悪くなった」という。

高齢者は50年前に比べると良くなったと考えたのだろう。

悪くなったという若い世代は、自分の食生活が貧しくなった実感を語っているのか。

 カロリーの取りすぎを心配する人も多い。

肥満が深刻な社会問題になっている米国と比べると深刻度はずいぶん違うと思う。

しかし、米国並みにダイエットの本や食品があふれるのは、心理的な要因が大きいのではないだろうか。

 中国製の「やせる」薬で死者が出た。極端な例かもしれないが、「食と健康」について再考を促す事件だ。




健康食品は好きでない。健康にと考えて食べた食品で健康を害するのは皮肉な話である。

疑い出せば毎日の食品についてもいえることだ。

少なくとも健康食品についてはまず疑う事である。

世の中努力せずしておもうようになるような上手い話はない。

中国製の「やせる」薬に甲状腺ホルモン剤 食欲抑制剤がはいつていた事が分かっている。

やせるのは当然で副作用も恐ろしい。





日本と米国との政教分離原則をめぐる訴訟


7月16日の天声人語より 


 公立小学校に通っている娘のことで訴訟になった。

毎朝、星条旗への忠誠の誓いをさせられるが、その中に「神の下で」という言葉がある。

これを公立学校で唱えさせるのは政教分離の原則に反するのではないか、と「無神論」の父親が提訴した。

米国の場合である。

 日本では、天皇の皇位継承の儀式である大嘗祭(だいじょうさい)に、

県知事が公費をつかって出席したことで訴訟になった。

いずれも憲法の政教分離原則をめぐる訴訟だが、ほぼ時を同じくして米連邦控訴裁判所は違憲判決を、

日本の最高裁は合憲判決を出した。

 判決文を読み比べると、米国の判決は、誓いの言葉の宗教色とその押しつけを丹念に立証しようとし、

日本の判決は、大嘗祭の宗教色を認めつつ、あっさり「社会的儀礼の範囲内」とした。

 米国では、判決に猛反発する連邦議会をはじめ、大騒ぎになったため、控訴裁は判決の効力を停止した。

ブッシュ大統領も「米国の歴史と伝統を踏み外した判決だ」「常識的な裁判官が必要だ」と。

 「神の下で」という言葉が付け加えられたのは54年、いわゆるマッカーシズムの時代だ。

共産主義者を「非国民」として排斥した時代で、その行き過ぎは後に反省される。

米国の判決は、その歴史的背景にふれている。

いままた愛国心が高揚している時期で、今度は裁判官が「非国民」視されかねない状況だ。

 日本の判決も「国家と神道」の密接な結びつきが弊害をもたらした歴史にふれた。

その時期「非国民」という言葉が排斥の常套句(じょうとうく)だった。

日米どちらも自国の歴史から学ぶべきことは多い。



日米の文化の差によるもなのかどうか。あまり大した問題に感じないが。?





 風は目には見えない。



7月17日の天声人語より

 風は目には見えない。木々を揺らし、ざわめかせて自分の存在を知らせる。

花のにおいを運んでくることもあるし、やさしくほおをなでることもある。

毎夏、日本列島を襲う台風のような凶暴な風もある。

 見えない風をどう表現するか。映画でいえば、黒沢明監督は風を描く達人だった。

のぼりをはためかせる風、土ぼこりを舞いあげる風を大事な場面で好んで使った。

黒沢映画の躍動感を引き立てる重要な役を担った。

 風はたとえにもよく使われる。

「新風が吹き込む」といったふうに。政治の世界では、しばしばこの「新風」が出没する。

世論や民意という目に見えない「もの」が、予想外の現れ方をしたときに使われる。

民意は普通、紙切れに名前を書く投票という行為で表面に現れる。

 民意を風にたとえるということは、風の変幻自在さをなぞってもいるのだろう。

いつやむかもしれない。逆風に変わるかもしれない。

そんな気まぐれぶりを言ってもいるのだろう。これが、もう少し定着すると「流れ」になる。

たとえは、目に見える水に移っていく。

 小泉首相や長野県の田中知事はあたかも疾風に乗って現れたかのようだった。

しかし、首相は、その勢いを目に見える流れにできないまま失速しつつある。

知事は議会の不信任を受けて失職に追い込まれたが、なお順風に乗っていると見られている。

 前回、田中知事を選んだ民意が気まぐれな風でなかったかどうかは、こんどの知事選ではっきりするだろう。

ボブ・ディランのあの歌のように「その答えは風に吹かれている」。




風はきまぐれである。吹いたり止んだりして思うようには吹いてくれない。

選挙の場合は思わぬ風か吹いて当選する人も有る。偶然ではない。

割に正当な民意の判断が反映している。

新潟県の田中知事は新風に乗って当選した。今回議会から不信任を受けて議会がわによる民意と

新風に乗ったときの民意が分裂している。乖離している。

議員を通しての民意と直接の民意のどちらが正しいか分からない。




ブッシュ米大統領が二日酔いについて語っている。
「アメリカは二日酔いから脱却しなければならない」と



7月23日の天声人語より 


 二日酔いの苦しさは、経験のない方には理解できないだろう。

信仰心もないのに、このときばかりは「もう酒は飲まないから許してください」と神にすがりたくなるほどである。

 人によって多少の緩和の方法は持ち合わせている。

二日酔いによく効くという薬の話を聞いたこともある。確かに効いたそうだ。

しかし代償も大きかった。二日酔いの症状は抑えたが、それとは別の地獄の苦しみを味わったそうだ。

その薬を試してみないか、と言われたが遠慮した。

 かつて酒におぼれたことがあると公言するブッシュ米大統領が二日酔いについて語っている。

15日のアラバマ大学での講演で「アメリカは二日酔いから脱却しなければならない」と。

米国経済のことである。

どんちゃん騒ぎをしてしまって、いまは二日酔いに苦しんでいる、というのが大統領の診断だ。

 しかし、と大統領は続ける。元々体は頑健だ。基礎体力はある。インフレ率は小さいし、金融政策は健全、金利も悪くない。

一時的なスランプだが、長い目で見てほしい、と語りかける。

その上でブッシュ政権自慢の特効薬を宣伝する。減税である。米国経済浮上の刺激になる、と。

 昨年のエンロンに続いて21日のワールドコムと大型倒産が続いた。

株価も低迷する。

二日酔い程度ですむものか、と心配だ。

しかもブッシュ大統領自ら美酒を口にした疑いもある。インサイダー取引などの疑いだ。

 二日酔いの特効薬は時間である。ひたすら時が過ぎるのを待つことだ。

しかし、米国経済には時間とは違う処方箋(せん)が必要だろう。


二日酔いのアメリカ経済を改善するのにブッシュ大統が特効薬として「ならずもの国家」イラクに戦争を始めるかが

心配である。





外務大臣として田中氏はその改革を試みた。
機密費という闇に踏み込もうともした



7月25日の天声人語より 


 分身といわれることもある。黒衣ともいわれる。右腕になったり、腹心になったり、金庫番になったりもする。

秘書という仕事は、さまざまに形容されてきた。常に「だれかにとっての何か」である秘書の宿命だろう。

 元々は、文字通り秘密の文書のことをいった。

それが、秘密の文書を扱う人のこともいうようになり、やがて欧米のセクレタリーの訳語として用いられ、

いまのような職業の一種としても定着した。

 様々な世界に秘書がいるが、政治家の秘書ほど浮沈の激しい仕事はないだろう。

いまの国会の会期中だけで、5人の国会議員にかかわる8人の秘書や元秘書が逮捕された。

秘書の事件や疑惑で3人の国会議員が辞職した。

逮捕、辞職まではいかなくても、秘書をめぐる疑惑がいろいろ表面化した。

 田中真紀子前外相の秘書給与をめぐる疑惑もその一つだ。

衆院政治倫理審査会のやりとりをテレビで見ていて歯がゆい思いをした。

給与の流れは複雑だが、問題は単純だ。税金から支払われた給与が不正に流用されなかったかどうか。

田中氏は背景説明はしたが、核心の疑惑に答える証拠は示さなかった。

 思えば「事務方」と称される官僚は巨大な秘書集団といえよう。

情報を握り、お金を操る強力な秘書たちである。外務大臣として田中氏はその改革を試みた。

機密費という闇に踏み込もうともした。その難事に比べると自分の秘書の疑惑解明などたやすいことではないか。

 政治家として「再起」を期すなら、明快な決着をしたうえで、新たな難事に取り組んでもらいたい。



秘書ほど議員の手足になり頭脳となって仕事をする人達ではないか。

だが選挙の時にはポスターの宣伝には一人として秘書の名前をかがけているのを見たことがない。

政策秘書 公設秘書 私設秘書の名前くらいは明らかにしては良いかと思う。

お金で頼んだかと思われるような有名人の名前を掲げるよりは議員の本当の資質を知るには

秘書の才能が大事である。秘書の名前くらいは選挙の際に公表する義務を課するよう選挙法で改正すべきである。

良いような議員と思える人物にとんでもない秘書や後援会の取り巻き連中がいることはありえる。





「患者を縛らない医療・看護」を呼びかけ



7月24日の天声人語より
 
 病院のベッドに横たわる母親の姿に、田中とも江さん(53)は胸を締め付けられた。

24時間の点滴と、おむつ。夜は点滴がはずれないよう、ベッドに縛られていた。

 田中さんは、看護師として医療関係者の間で少しは知られた存在だった。

「患者を縛らない医療・看護」を呼びかけて、勤務する東京の病院で「寝たきり」の患者を起こし、

おむつをはずし、口から食べる介護を十数年来、実践してきた。

 入院から1週間で表情がうつろになった母親をすぐ退院させた。

母親はおむつをやめて歩く練習をした。去年、89歳で亡くなるまで、できることは自分でする生活をまっとうした。

この体験で、自分の働く病院だけよくしてもだめだと痛感した。

介護の質全体をあげるには市民を巻き込む運動にしなければ。

 この春、思い切って病院を辞めた。

排泄(はいせつ)の視点から介護を考えようと、先月、「市民の立場からのオムツ減らし研究学会」を発足させた。

医師や研究者、福祉関係者、市民ら100人が会員になっている。

 「介護をする側の都合でおむつに頼りすぎている」と田中さんは嘆く。

日本衛生材料工業連合会によると01年の大人用紙おむつの生産量は22億枚。

90年の5倍になった。田中さんたちの調べでは6枚重ねて使い、汚れるたびに1枚ずつはずすという方法をとっている病院もあった。

 老いて体が不自由になったとき、できればおむつはごめんだと、だれもが思っている。

けれども正面から語ってはこなかった。

だれにとっても切実な問題に、田中さんたちは向き合おうとしている。



「患者を縛らない医療・看護」を呼びかけに対し,心底反対と思っている人は誰一人としていないと信じます。

誰もが「患者を縛らない医療・看護」を理想と感じているが政府の医療 看護の効率化 合理化 安価にすまそうとする方針に

従わざるを得ずしてそのようになっていると思います。

誰もが一人一人に手厚い看護 医療を施したいと思つているが,医療従事者もスーパーマンではなく普通の生身の人間です。

過労になれば病に倒れる事もあり,常に生きる悩みも持った存在です。

政府の切り詰めた低医療費政策にやむを得ずにそのような現状をもたらしているものと思います。




国民の生命と健康にかかわる問題である。


7月26日の天声人語より

 危険な兆候はいろいろあった。

しかし被害の拡大を食い止めることはできなかった。中国製の「やせ薬」による肝臓障害である。

被害者は300人を超え、死者は4人にのぼっている。

 兆候の一つは国民生活センターに寄せられる相談である。

いわゆる健康食品をめぐる相談は年々増え、この10年間で約5倍になった。

去年1年間では約1万5千件だ。なかでもダイエットをうたう健康食品についての相談は増加が著しく、8倍近くになった。

 旧厚生省には2年ほど前に複数の医療機関から健康被害の報告が届いていた。

症状は違うものの、今回公表された中国製「やせ薬」の一つを服用して生じた健康被害6件である。

旧厚生省は都道府県に監視指導を要請した。これが二つ目の兆候だ。

 三つ目はシンガポールでの騒ぎである。

去年から今年にかけて、同じ中国製「やせ薬」で22人が被害を受け、1人が死亡した。

テレビ司会者の女性が劇症肝炎にかかり、生体肝移植を受けたこともあって現地では大問題になった。

製造元の中国でも同様の被害が出ているらしい。

 これらの情報を総合して考えると、厚生労働省はもう少し早い段階で何らかの手を打てなかったものか。

「やせ薬」は健康食品として売られると薬事法の網をくぐってしまう。

個人輸入の場合、規制ができない。そうしたいくつかの理由はあるだろう。

しかし、国民の生命と健康にかかわる問題である。

 法的対応でなくても、情報収集と分析そして開示によって被害を少なくできる。今回の問題にかぎったことではない。


健康食品は健康志向の潮流からしてブームである。健康食品は良く売れているようである。

普通の人は健康と名前がついていれば身体に良いと信ずるし,すこし難しい言葉を交えて解説してあれば

本当と信じてしまうのが普通である。

以前から雑誌とかテレビで健康食品について又健康器具についての話を読んだり聞いたりしてこんなことを放置していて

良いものかと危惧していた。

今の医薬品並に取り締まる必要はないが,インチキ商法と思われるものには徹底的な監視機構が必要である。 




日本の夏の蒸し暑さは、尋常ではない



7月29日の天声人語より 


 今年はいつもの夏より暑いのではないか。毎年のようにそんなことを口にしてしまう。

日本の夏の蒸し暑さは、尋常ではない。都市独特の熱気が加わるとたまらない暑さだ。

それでも上着やセーターを持ち歩く。冷房が苦手だからだ。

 電車に乗って冷気を浴びると一瞬ほっとする。

しかし、長時間になると関節が痛くなったりする。体調が悪くなる。

逆に「もっと冷房を」と要求する友人もいる。寝るときも強い冷房をつけたまま、冷やした部屋で布団をかぶって眠るそうだ。

冷房依存人間と冷房敬遠人間との折り合いはなかなか難しい。

 1年を通して一番電力を使う日はいつか。東京電力によると、69年まではたいていは冬のある1日だった。

70年から夏に移った。以後はずっと夏である。

他の要素もあるかもしれないが、あのころから日本人は、暖めることより冷やすことにエネルギーを使うようになったのだろう。

 またそのころから、涼む風景を見かけることが少なくなった。

かつては暑さをしのぐために朝涼みがあり、夕涼みがあった。門涼み、橋涼み、土手涼み、舟涼みもあった。

打ち水、すだれ、風鈴、蚊帳があり、緑陰や微風に一息ついたのだった。

 目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌に触れるものすべてに少しでも涼しさを感じようとした。

そして真昼の暑さを挟んだ朝夕の推移に敏感でもあった。

しかし、そんな敏感さは無用になってきた。暑気か冷気か。どちらかの世界になってきた。

 多少懐旧趣味に傾くが、夏を迎えると冷房敬遠人間はそんなことを思う。


今年の夏は特に暑い感じがする。地球温暖化によって暑いのかも知れない。37度の日が続いた。

体温より高温である。ついつい冷房を入れてしまう。

冷房を入れたときは良いが,長くいると節々が痛くなってきて身体がだるい。

室内に入ると冷房がきいて涼しいか冷たい,だが一歩外にでると暑い。

体調がおかしくなる。思わぬ季節はずれの台風が2-3度本州に接近した。

被害もでている。なんとか台風を小さい間に消滅させるか,暑さをコントロールする技術が

開発されないかといつも考えるが,これは神の摂理に反する事なので手痛い罰を受けるかもしれない。



地方分権


地方分権を進められる時代になってきている。今も京都市の職員は威張っている。

だから苦情を言う個所が京都市の何処にあるかと調べてみた。

そうすると市役所と別のところに市職員研修所ガあり一応苦情をうけつけられるが,

 話すと苦情の件について担当課と相談して調べ返事するとのことであつた。

あくまでも同じ市庁舎内の事で切り込んだ客観的な解答には至らなかつた。

苦情係りもただガス抜きのような形式だけのもののように思われる。

ここで考えるに地方分権が進めば進むほどに市会議員 市職員がグルになって地方都市を牛耳る事態に

なるのではないかと考える。

もつと大きく近畿州でも作り大阪京都兵庫和歌山奈良滋賀の職員間で人事異動があり,職員が変れば

少しは良くなるのではないかと考える。

そうすれば地方分権になったとしても弊害は少ないと思う。

小さな地方へ行けば行くほどにボスの暗躍があり,義理人情がはびこり,少しでも変なことを言い出せば

村八分になり住みずらくなるのではないかと思う。地方分権は州単位がよい。



インターネットの進化

インタネットに初めて接続した頃に比べかなり多くのホ―ムページが開かれるようになってきている。

卒業してきた小学校 中学校 高等学校 大学全てにホームページが開かれている。

幼稚園だけはまだのようだかいずれ近いうちに開設されるであろう。

インタネットを検索するだけでかなりの情報が得られる。歴史のことを少し調べたことがあるが

かなりの事が在宅で調べられる。日本語のホームページが充実してきたので外国のホームページを

見る機会が少なくなって来ている。多分同じような速度で外国でも進化しているだろうと考える。

画像の動画もみられるようになった。ラジオはだいぶ以前から聞かれる。

そのうち会場からのライブ中継を見られる時代になるのではないかとおもう。

世論調査 選挙もインタネットでできるようになればカネと政治の話もいずれ昔物語になる時代が

来る可能性も近いうちにあると期待している。 




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