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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


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今年の八月は特に暑かった



夏はいつも暑いが今年の夏は特に暑いように感じた。

他の人たちの口からも同じようなことを聞いたから間違いないようだ。

37℃以上になる日も稀に有った。これは体温以上の暑さである。

これは地球温暖化による所為だともささやかれだしている。

チエッコ, ドイツなどの欧州における川の氾濫がニュースで伝わってきている。

これも又地球温暖化の為だとも言われている。

地球温暖化防止の京都議定書が大国アメリカ抜きで成立を見ている。

ロシア 中国などの各国は国内では批准されだしている。

排気ガスを地球上で一番排出しているであろう所の肝心のアメリカが抜けている。

これは大変おかしな話だ。アメリカが世界から嫌われても仕方ない事だ。

一方,ブッシュ大統領は世界が一体と常に訴えながらアフガスタン戦争で世界を道ずれにして

戦争をタリバンと起こしている。タリバンはアメリカがソ連との対立していた時代にアメリカが育成した政府である。

今回も同様にイラン・ イラク戦争のときに援助していたフセイン政権打倒の為に戦争を起こそうとしている。

ならず者国家イラクを育てたのはアメリカ自身ではなかったのか。? アフガニスタンのタリバン勢力も

アメリカが援助していた。アメリカの身勝手さによって,時代によって同盟国になったり ならず者国家にされている。

イラクが大量破壊の核兵器を持っている可能性があるからとてイラクを攻撃対象にするならば,

まず自国の核兵器を始末してから初めて言える資格があるのではなかろうか。?

核をアメリカは正義のためだけに使用して,イラクは邪悪の為に使用するからとでもいうのだろうか。?

世界に張り巡らされた戦力を背景にしたアメリカ一国の独り善がりな世界戦略によって今や世界中が翻弄されている。

テレビで見る限り大変頭の悪そうな?ブッシュ氏に世界を任せているのは如何なものだろうか。

アメリカには沢山な立派な人たちが現在もいる筈である。過去にもリンカーン ケネディなどの優秀な政治家か輩出している。 

戦争好きな政治家系の二世ブッシュ氏では世界のリーダーは務まらないと思う。

早くそのことをばアメリカ全国民が知って欲しいものである。

日本同様,汚れた政官民の汚い人たちによる利益集団達がブッシュを支えられているとしか思えない。

昨年の9.11テロ事件から比べてアメリカの世論調査でもイラク攻撃に賛成が70%から51%激減している。

今のブッシュ氏の能力からしてはこの世論調査はまだまだ甘すぎるように思う。

アメリカの軍需産業が平和産業に転換されない限り,世界中で兵器を消費するためだけの戦争がこれからも

何度も繰り返されるだろう。

アメリカのいう所の正義の名のもとにおいてである。

そのことによっていつも泣くのは戦場化された中にいる一般庶民と戦争にかり出された兵士達だけである。

アメリカは工場で高価な兵器を安価な鍋・釜類などを作っていては儲けが少ないので兵器を作っている。

その点でにおいて丁度農場で,農作物を作るよりも高価なケシなどの麻薬栽培しているアフガニスタンとよく似ている。

ブッシュさんまず貴方が先頭に立って戦って,戦争の苦しみ,つらさを身をもって味わってください。

安全な場所から号令を発し,世界の人たち,アメリカ国民と共に苦しみを一緒に分かち合うといわれても誰もは納得しません。!

戦争は元来はショウモないものです。これは歴史を振り返ればおのずから分かることです。

戦争は時の権力者の欲望のためだけに使われてきています。

その為に多くの庶民が犠牲になっているのが歴史的な事実です。

ブッシュ氏がならず者国家の一つに上げられている北朝鮮を突如今回訪問するという小泉首相を評価したい。

これからの成り行きに注目される。

まさか国内での政治が行きずまってきて,苦し紛れの行動とはとりたくない。政界内の政治改革もしっかりお願いします。

金大中氏による北朝鮮に対しての太陽政策は必ず民族の悲願である朝鮮統一され平和がやってくるものと期待したいものである。

朝鮮民族分断は米ソ対立の第二次大戦後の国際政治による民族の悲劇である。

金正日氏と金大中氏の英断でもって民族統一達成を願いたいものです。

その仲介のためにも是非小泉首相にも頑張ってもらいたい。

その後の様子を見ているとそのような高邁な意図は小泉さんには見られそうも有りません。

なんとなくアメリカの使い走りを仰せつかり北朝鮮に出かけるような気配がする。





最近感じたこと



政界の浄化は官庁における不正の摘発 汚れた人間関係の刷新が必須である。

政権党議員が率先して国 地方の政界浄化にまず手をつけなければ,同じことが続き繰りかえされるだけである。


(1)一度あっせん利得の罪を犯した議員は二度と議員になることが出来ない。


●(2)収賄ないし不正を犯した官僚は退職金なくして即座に職場を追放する。


●(3)国民が口利きを官官に願いでる場合は署名捺印し文書ですることとする。


3)が全ての悪のはじまりであり,官官民の三者の悪の合意が無ければカネと政治の問題は

発生しない。一人だけいくらもがいても不肖事は起き得ない。


以上のことを国並びに地方政治において適用すべきである。

このような法律を作れば今のような馬鹿げた政治とカネの問題は解消すると思うが。

おカネが無ければ議員になれないような議員は作らない事である。

それが全国民の基本的な態度であらねばならない。

議員さんも含め全国民が自分だけが政治の力でもってトクをするといった考えでは駄目である。

テレビを見ていて最近特に腹が立つたことは外交官が立派な大使館を建てたり贅沢するのは「お国のためです」との

テレビでの放映を見たことである。

何故に外交官が贅沢するのがお国の為になるのかわからない。

「お国のために」が自分達に都合よく解釈されているようにしか思えない。

お役人の感覚には税金はタダで使えるのは自分達だけに与えられた特権のように思えてならない。

質素倹約に励んでいる日本の今の現実を世界の人たちに見てもらうのが外交官の務めではなかろうか。?

このようなことの贅沢は税金の無駄遣いだけである。

政治の世界にはこれからも改めるべきことがまだまだ沢山有る。





日米ともに、企業による「ごまかし」が横行している
「カジノ資本主義」どころか「イカサマ資本主義」



 8月2日の天声人語より


 太平洋を挟んで、このごろ「倫理」という言葉がしばしば語られる。

個人よりもむしろ企業人の倫理についてである。

日米ともに、企業による「ごまかし」が横行しているからだ。

「倫理なき資本主義は崩壊に向かう」。米国ではそんな危機感も漂う。

 エンロン、ワールドコムなど倒産した大企業の粉飾決算が次々明らかになった。

しかも会計事務所までが加担した「ごまかし」である。

ブッシュ大統領も「良心なき資本主義は存在しない」と企業社会の立て直しに懸命だ。

 資本主義はなぜ欧米で発達したか。有名な議論を思い浮かべる。

要因はいろいろあるのは当然として、宗教との関係を説いたのがドイツの社会学者M・ウェーバーだった。

簡単にいってしまえば「正直は最上の商略」である。

 これをプロテスタント諸教派はねばり強くやりとげた。

「あそこへ行けばいやあそこにだけは、ごまかしがなく定価でものが買える」。

彼らはそういう信用を培った。信仰がもたらす日常の生活態度にウェーバーは着目した。

 日本の場合はどうか。キリスト者の内村鑑三が、日本人の勤勉さの象徴とされてきた二宮尊徳をこう評したことがある。

「この人には清教徒(ピユウリタン)の血の通つてゐる所があつた」(『代表的日本人』)。

清教徒といえば米国建国をした勤勉な人たちである。内村は言う。

尊徳は「道徳力」を農村復興計画に適用した。それは「『信仰』の経済的適用であつた」と。

 「カジノ資本主義」どころか「イカサマ資本主義」に陥りかねない昨今、しばし原点回顧をしたのだった。



雪印牛乳 日本ハムなどによる狂牛病対策に政府が牛肉を買い取る制度を利用しての米国産牛肉を

日本産牛肉と偽ってて廃棄処分をし政府から何億とも言われるお金を騙し取ったのは,その事自体は悪いことだが

何故に税金で買取りし支払いする制度が問題になっていないのかが不思議である。

あまりにも甘すぎる農林水産行政ではないだろうか。?何頭かの狂牛病の為に沢山な牛を監督不十分のままに

処分させた農林水産省の役人のズサンさにも責任が有る。さらにそのような甘い法律を作った政治家にも責任があるのでは

なかろうか。疫学的 医学的にみて何処までの危険性があったかどうかの医学的調査による

見地からの話は何も聞こえてこない。

もっと適切な莫大なお金を費やさずにすむ方法が有ったように思える。






お金は出たり入ったりするもので、貧しくてもくよくよしない



8月3日の天声人語より 

 新しいお札の顔に決まった2人に共通するのは「貧しかった」ということだ。

東北の農村で赤貧の幼少時代を過ごした野口英世はもちろんだが、

いわゆる没落士族の娘の樋口一葉も生涯を通してお金の苦労が絶えなかった。

 また2人に共通するのは、借金の多さである。

かなりずうずうしいところも似ている。しょうゆ代も払えないような一葉は金策に走る。

面識のない人にまで借金を申し込む。

しかし貸してくれないと「誰もたれもいひがひなき人々かな」と日記に愚痴を記す。

 野口も友人や親類に無心をし、さっさとつかってしまうと、また次を頼む。

返すあてのない借金を繰り返した。

と、こう記すとお札の顔にどうだろうかと思わせる2人だが、

お金に苦労しながらそれを超越しているようなところが2人にはあった。

 「文学は糊口(ここう)の為になすべき物ならず」、

お金に左右されないで思いのままに書くべきだ、という一葉の有名な宣言は、彼女の文学への決意を示す。

野口は、まわりに迷惑がられながら「他人に金を、援助の手を出させる何かがあった」(中山茂『野口英世』朝日選書)。

 2人の業績についてはいうまでもないし、女性と科学者ということで採用されたのだろう。

しかしお金をめぐる2人の人生を見ていくと、まさに「金は天下のまわりもの」。

つまり、お金は出たり入ったりするもので、貧しくてもくよくよしない。そんな読みもできそうだ。

 少々気になったのは1万円札の福沢諭吉の「留任」だ。

慶応出身の首相と財務相との連係プレーではないでしょうが




新しい紙幣の顔が決まった。樋口一葉と 野口英世である。二人ともお金には苦労している人たちである。

誰もはおもう お札の顔になるよりも お札を自由に使える人になりたいと。

お札は天下の回りものである。お札の顔として時のその国の権力者が顔となるよりましか。

福沢諭吉だけが時の権力者との関係で,周り廻って工夫され採用された人物なのかどうか。?



がんそのものとの闘いもさることながら、
自分との闘いがいかにたいへんか




8月4日の天声人語より 

 がん患者としての体験を新聞に連載してきた2人の同僚の本が相次いで出版された。

『私のがん患者術』(井上平三・岩波ブックレット)と『がんと向き合って』(上野創(はじめ)・晶文社)で、

2人については昨年3月14日の本欄でも紹介した。

 井上記者は自著の出版を見ることなく、この4月に亡くなった。

がん宣告を受けてから10年、56歳だった。

5年前にがんを告知された31歳の上野記者は、連載をしていた横浜支局から東京本社に転勤になり、記者活動を続けている。

 2冊の本を読みながらあらためて感じたのは、がんそのものとの闘いもさることながら、

自分との闘いがいかにたいへんか、ということだ。

がん患者という事実をどう受け止め、その事態にいかに向きあうか。

 若い上野記者の場合は、生への意志が強烈なだけに、精神の振幅も激しい。「すべてうんざりだ、ばかばかしい、やめちまおう」。

全身を貫く圧倒的な虚無感に襲われたときの怖さを記す。

揺れ動く自分の弱さから目をそらさない。

一方で「世の中にあふれる幾多の苦しみや悲しみに思いをはせるようになった」とも。

 がんの告知を受けたときより再発を告げられたときの衝撃の方が大きかったという井上記者は、

がんとともに生きる気力や勇気、希望や目標をどうやって維持するか、を考え続けた。

「病院に情報室を設置してほしい」といった具体的な提案もある。

 「連載に励まされた」「私も頑張ります」。そうした読者からの便りに逆に励まされた。

そんな「励ましの往復」について2人とも語っている。



職業が゙らがん患者に接する事が多い。大方の人たちは癌に罹っていることを忘れようと努められているように思える。

突き詰めて考えるならば,生まれた瞬間に其人は死ぬ運命にある。生老病死は人間としての宿命である。

死を迎える方法にはいろいろ有る。タダ癌も其一つであって末期がんの苦しみは他の病に比べると大変のようだ。

ホスピスが広く一般に普及され上手に麻薬が使用され適切な精神的なケアがなされるようになれば

癌も他の病気となんら変らなくなると思うが。




国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
「誤った国策により犠牲となった多くの人々」



8月6日の天声人語より

 広島の平和記念公園に新しい施設が加わった。

1日に開館した国立広島原爆死没者追悼平和祈念館である。

展示物の数は少なく、足早に巡れば、10分で一巡できるほどだ。

簡素といえば簡素、しかし物足りない。そんな思いがしなくもないが、静かにゆっくり巡るのがいい。

 吹き抜けの追悼空間は、まわりの壁が被爆直後の風景になっている。14万枚の陶板でつくられた。

45年末までの原爆死没者数14万人に合わせた数だ。爆心地付近に立ってまわりを見渡す設定になっている。

写真では見慣れた風景だが、このパノラマはかすみがかかったようにぼんやりしている。

それが写真とは違う現実感を漂わせる。

 遺影コーナーがある。12の画面に犠牲者の写真が映し出され、次々と画面が切り替わっていく。

たくさんの子どもがいる。花嫁衣装の若い女性がいる。老人も多い。

いわゆる非戦闘員、つまり軍人ではない普通の人々が犠牲者の中心であったことが実感として迫る。

 平和祈念館建設にあたっては曲折があった。論議は国の責任をどういう形で表現するか、あるいはしないかに行き着いた。

展示説明に「誤った国策により犠牲となった多くの人々」の言葉を入れることで決着した。

その言葉に、国の責任を追及してきた被爆者らの思いが込められる。

 余白の多い祈念館だ。迫力のある資料で衝撃を与えるのではなく、想像力に訴える構成である。

訪れる人によって、さまざまの異なった姿を見せることだろう。

 静寂のうちに追憶と瞑想(めいそう)をめぐらす空間として定着すればいい、と思った。



シンガポール陥落の時に ガナルカナルで大敗を喫した時に戦争終結を決意していれば原爆の悲劇は無かった。

戦争そのものは悪である。誤った国策が招いた結果で有る。原爆使用しなくとも日本は敗れていた。

だのにアメリカ将兵の戦死者を少なくするために原爆が使用されたとも解説されている。

勝者の勝手な言い訳である。非戦闘員を一瞬に此れだけ多く殺戮した爆弾はない。

現在は原爆より性能の良い水爆が開発されている。世界中にそれが何千発も存在している。

地球を破滅させても尚充分余るほどに有る。

アメリカはブッシュ政権下で核爆弾が発射された場合途中でその核を打ち落とす防御兵器を開発している。

だれが考えても正気の沙汰ではない。他国が核で破壊され消滅しても自国だけを守る兵器を開発している。

世界が破滅しても世界中で唯アメリカだけが生き残ろうとしている。

今の独善的なアメリカの独りよがりな行動と一致している。

確かにアメリカは軍事的には強い。でもアメリカを旅行していて感じた事は

「give me money」 とすりよる人達が多いのは日本より酷い現象のように思った。






被爆直後の地獄絵の記憶を封じ込めざるをえなかったのだろう。
その象徴が「生ぬるい水」だった。




8月7日の天声人語より 



 先日、広島で夜の平和記念公園を歩いた。

夜の原爆ドームは昼間とは違った微妙な陰影があり、しかも見る角度によってずいぶん印象が違う。

ドーム越しに夜空を見上げる角度が良かった。しばし引き込まれた。

 近くの球場からは、広島カープファンの大歓声が聞こえた。そのどよめきが去ると、ドーム周辺の静けさは深まった。

横を流れる元安川を眺めながら、昼間の国際シンポジウムのことを思い浮かべる。

 「父は生ぬるい水を飲まなかった」。

故江戸家猫八さんの長女で演芸家の江戸家まねき猫さんの言葉が耳に残っている。

猫八さんは宇品の部隊にいて被爆し、市中心部で救援活動をした。

瀕死(ひんし)の人たちから「水をください」と請われ、暑さでお湯のようになった水筒の水を与えた。

次々亡くなっていく人たちになす術(すべ)はなかった。

 猫八さんのお宅では「広島」は長く禁句だったそうだ。

食卓の水にはいつも氷を入れていて、氷が溶けかかると取り換えた。

戦後を生きるために、被爆直後の地獄絵の記憶を封じ込めざるをえなかったのだろう。その象徴が「生ぬるい水」だった。

 〈重傷者の来て呑む清水生温く〉。ドームの近くに詩碑のある原民喜の句だ。

当時の広島を語るときに繰り返し出てくるのが炎と水である。原にはこんな句もある。〈水をのみ死にゆく少女蝉の声〉。

 元安橋を通って公園内を歩く。平和の鐘のあたりが騒がしい。「クククク」。カエルの合唱だった。

平和の塔周辺では照明のせいかまだセミが鳴いていた。57年前のあの日も、セミは鳴いていたのだろうか。



原爆の悲惨さを世界に発信できるのは世界中ただ唯一の原爆被災国日本しかない。

原爆の悲惨さを知ったのは戦争中集団疎開先のことである。

何枚かの新聞に大きな被災者の写真が報道されていて,正視することができなかった。

今もそうである。ズル剥けた皮膚をさらした人たちの写真は普通の人間の神経では見るに耐えられない。

その当事者だった人はどのような痛み苦痛があったものか。食事も乏しい中で,まして医療らしい事が不可能の時代である。

被爆後の放射能の影響は57年たった今も苦しんでいる人たちがいるということだ。

出来事は一瞬のことである。でも原爆投下を許可した人は何の罪にも問われていない。

罪の無い人たちを大勢ころしていてもである。 おかしい話である。

戦争は狂気である。大勢を殺した人が英雄になっている。

今も馬鹿げたことがアメリカ主導で世界中で行われている。第二次大戦後いつの時代にもずーとである。





セミの一生


8月8日の天声人語より

 
 「はかなさ」のたとえによくつかわれるセミの一生は、本当にそうだろうか。

地上に現れてから懸命に鳴き続け、1、2週間で命尽きる。そこだけ見れば、その通りだろう。

しかし、幼虫の時代は長い。

 短くても2、3年は地中で暮らす。

種類によって地中生活は10年から17年に及ぶ。昆虫界での寿命は決して短い方ではないだろう。

ただ、真っ暗な土の中にうずくまって何年も過ごすのはごめんだ。人間的観点からはそういうことになろうか。

 その地中生活の前にセミは過酷な試練をくぐらなければならない。

枝に産みつけられた卵が孵化(ふか)して幼虫になり、地上に飛び降りたときだ。

土のすきまを見つけて潜り込むまでが生涯最大の危機である。アリに捕まってしまう危険が大きい。

その死亡率は95%ともいわれる。

 長い地中生活に別れを告げる日が突然やってくる。その日はまだ暗いうちに木に登り、地中の装いを脱ぎ捨てる。羽化である。

こうしてセミは生涯を締めくくる短い地上生活に入る。彼らの鳴き声とともに日本の夏はある。

 〈みんみん蝉あまた鋭く響ければあはれ衰へてつくつくほふし啼く〉(土屋文明)。

ニイニイゼミからアブラゼミへ、ミンミンゼミからツクツクボウシへと主役が交代し、初夏から晩夏への移りゆきを耳で感じとる。

1日のうちでもそうだ。ヒグラシの声を聞いて太陽の傾きに気づくこともある。

 セミに感じる「はかなさ」は時間の移りゆきへの感傷なのかもしれない。

盛夏のセミしぐれさえも夏の終わりを予感させる。そんなはかなさである。



ジーンジーンとミンミンとも聞こえるセミの鳴き声を聞いて夏を感ずる。秋の訪れを告げると共にその声も聞かなくなる。

子供の頃はセミとりに夢中になったものだが,最近の子供達は外であそぶ姿を見ることが少なくなった。



〈まぶた閉ざしやりたる兄をかたはらに兄が残しし粥をすすりき〉
      45年8月9日、長崎市に原爆を投下された



8月9日の天声人語より

 
 退院の予定日だった。迎えにくるはずの兄を待っていた。なぜか予定の午前10時を過ぎても兄は現れない。

11時2分閃光(せんこう)が走り、床にたたきつけられ、ガラスの破片を浴びた。

45年8月9日、原爆を投下された長崎市の爆心地近くの病院で25歳の竹山広さんは生き延びた。

 〈血だるまとなりて縋りつく看護婦を曳きずり走る暗き廊下を〉。近くの山に逃げ、燃えさかる長崎市内を見下ろした。

翌日「皮膚なき」顔の兄を捜し当てるが、数日後に死んだ。

〈まぶた閉ざしやりたる兄をかたはらに兄が残しし粥をすすりき〉。

 こうした凄絶(せいぜつ)な歌を含めた最初の歌集『とこしへの川』が世に出たのは81年、竹山さんが61歳のときだった。

その題名は〈くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川〉から取られた。

竹山さんはその「とこしへの川」を抱えて生きてきた。

 昨年末、6冊目の歌集を含めた『全歌集』(雁書館・ながらみ書房)が出版され、今年の主な短歌の賞を独占した。

『全歌集』は、原爆一色の歌集ではない。しかし「とこしへの川」は流れ続ける。

 初期の凄絶さは後半になると薄れる。「風化」ではない。「沈潜」といったらいいのか。

〈忘るべからざることごとも忘れつぎやうやくにわがしづまりゆかむ〉。

しかし〈地上最後の核一発を廃棄せむ日に生き会へよわが三人子は〉と願い

〈孫よわが幼きものよこの国の喉元は熱きものを忘れき〉と詠む。

 82歳のいま、竹山さんが炎天下を歩くのは困難だ。

9日の11時2分には「せめて起きあがって黙祷(もくとう)をします」。



核をもてあそんでいる世界の政治家達に是非原爆の悲惨さを伝えたいものだ。

それは被災国日本の義務であり責任でもある。





 「日本橋復活」を目指す動きはある



8月13日の天声人語より

 
 懐かしいふるさとの山や川や海に再会して、ゆったりと時間を過ごしている方も多いことだろう。

そのふるさとを漢字1字で表現するとどうなるか。住友生命がアンケートをした。

「山」が1位で「海」が2位、3位が「母」だった。

 地域による特色もある。京都では「寺」、新潟は「米」、滋賀は「湖」が1位だった。東京の1位は「街」である。

ふるさとの変わらぬ自然ではなく、変容激しい「街」をあげざるをえない東京の人たちである。

 日本を旅行中の米国人から便りをいただいたことがある。

しばらく京都に暮らして日本の美しさを満喫したという人だった。

橋に関心があるらしく、日本各地の橋を見て歩いたそうだ。東京では日本橋に期待していた。

しかし、「正直にいえば醜かった」。あの最も有名で伝統ある橋がなぜ?と。

 日本橋の景観ががらりと変わったのは、東京五輪前の高速道路建設からだろう。

63年に首都高速が橋の上を通り、文字通り日陰の橋になった。

浮世絵にもにぎわいを描かれた日本橋にいまや昔日の面影はない。

 そもそも日本橋付近は街の変わりようが激しかった。

昭和初期に作家の田山花袋が「江戸時代はおろか明治時代の面影をもそこにはっきりと思い浮かべることは困難だ」と記す。

江戸の中心として栄え、明治以後も魚河岸を抱えてにぎわったのに「どこにあの昔の活発さがあるだろう」と。

 「日本橋復活」を目指す動きはある。架橋400年の来年にかけて動きはさらに活発になるだろう。

ふるさとの風景を取り戻そうという運動である。


もとの日本橋の復旧はむりとしても,昔の面影を一つでも沢山残してゆきたいものです。

日本らしさが失われてゆく中で,是非とも日本の心と古きよきものは一緒に残してゆきたいものです。





薄れていく戦争の記憶もある。
新たに加わる戦争の記憶もある



8月14日の天声人語より

 
 この時期には読者から戦争をめぐるお便りをたくさんいただく。

岡山県の真備(まび)町から「戦没者名簿」が送られてきた。

戦没者の名前が列記してあるだけの小冊子だが、眺めていると様々な思いに襲われる。

 1877年の西南戦争の戦没者3人から始まる。

日清戦争で10人、日露戦争では18人と増えていく。日中戦争で45人、そして太平洋戦争が446人である。

 確実に犠牲者を増やしていった近代日本の戦争の軌跡、そして先の大戦の桁(けた)違いの規模の大きさが、小さな町の名簿にも映る。

人口2万人余の町で、遺族会は400人ほどに減ってしまった。

「再び戦争という悲劇を繰返さないという堅い誓い」を込めてつくったという。

 東京女学館の資料室からは「学徒戦闘隊」の表のコピーが送られてきた。

敗戦直前の45年8月8日付で軍に直接送付された。

3、4年生53人を六つの班に分けた表で、本土決戦に備えて女学生を動員するねらいがうかがえる。

沖縄の「ひめゆり部隊」のことを考え「沖縄の方々の苦難は遠い話ではないと痛感しないわけにはいかない」との手紙が添えてあった。

 ワールドカップのサッカー観戦に行った韓国でたまたま出会った行商のおばさんのことをつづった便りもある。

「女子挺身(ていしん)隊にいた」と日本語で語るおばさんは、日本兵に切り取られたという腕の傷跡を見せて「戦争怖いね」「欲は野蛮ね」と。

中国の大連にいたと言うと、おばさんは「それは大変だったね。よく生きてきたね」。

 薄れていく戦争の記憶もある。新たに加わる戦争の記憶もある。


戦争は悪そのものである。正義のための戦争なんか何一つ無い。だが世界中に戦争の為の要員である軍人のいない国は無い。

不思議な事である。



テレポリティックス(テレビ政治)といわれる昨今、

テレビと政治との関係は深まっている




8月15日の天声人語より 


 自分が生まれる前のことだから責任はない。戦争責任について問われたら、テレビはそう答えるだろうか。

厳密にいえば、テレビは戦前に生まれ、ドイツでは35年に本放送が始まった。

しかし、当時はほとんど影響力がなかったろう。

 新聞は、本紙も含めて日本の新聞の多くは、過ちを犯した。

厳しい情報統制下とはいえ、戦争推進の政府方針に追随し、戦意高揚を図った。

その責任は大きいが、貴重な教訓も得た。

毎日の紙面で誓うわけではないが「あの失敗を繰り返してはならない」と多くの新聞人が思っているはずだ。

 戦時下のラジオは直接政治の道具として利用されることが多かった。

大本営発表やヒトラーの演説のように国民の「洗脳」手段にもなれば、

フランスのドゴール元大統領の「自由フランス」放送のように、亡命先から「抵抗」を訴える手段にもなった。

 あのころテレビが普及していたらどうだったろうか。

その後テレビが果たした役割から考えても、極めて鋭利な「両刃の剣」であったろう。

強力な国家宣伝機関でもありえたし、世界の動きを映す窓として啓蒙(けいもう)を担ったかもしれない。

 テレポリティックス(テレビ政治)といわれる昨今、テレビと政治との関係は深まっている。

互いに利用しあっている。

しかし、影響力については制御できていない。そんな気がする。

 戦争はいわば極限の政治だ。

テレビにはそれを経験しないですんだ幸運とともに、一種の弱さもありはしないか。

僣越(せんえつ)かもしれないが「戦争を知らない」世代である後輩メディアへの危惧(きぐ)である。



新聞ラジオに比べてテレビの映像による訴えの影響は大きい。政治にテレビがどのように利用されてゆくか

24時間ニュースを報道するテレビがCS放送でBBC放送 CNN放送がある。おのおのイギリスとアメリカの放送会社である。

そのうち沢山な国々からも放送されるようになれば世界は少しでも各国がお互いに理解が進んで

世の中改善されてゆくのではないかと考える。




世の中の「空気」に左右される。
社会の「勢い」に流される。



 8月16日天声人語より


 新しい版が出たので『暗黒日記』(清沢洌(きよし)・ちくま学芸文庫)を読み返してみた。

外交評論家の清沢が戦時下につづった日記で、当時の政治や社会を鋭く批判した文章はいまも色あせていない。

 対米戦争に踏み切った東条英機内閣2周年の43年10月には

「これくらい知識と見識に欠けた内閣は世界において類例がなかろう」と記した。

軍部や政府へのそうした批判だけでなく、現代にも通用するような議論がちりばめられている。

 たとえば「不思議なのは『空気』であり、『勢い』である」といい、この「勢い」が危険である、と。

世の中の「空気」に左右される。社会の「勢い」に流される。

そんな気質はいまもそう変わっていないのではないか。その気質を彼は「日本人は感情を食っている人間だ」と表現した。

 大風呂敷を広げ、大言壮語を吐く。

一方で服装の細かいところまで規制し、うるさく言う。

この空虚な精神主義と些末(さまつ)主義との同居が軍人や役人に著しいともいう。

具体的な中身がないから、よけい極端になる。これまた現代日本でも見られる風景ではないか。

 「英米では反対の意見者が戦時中重視される。……しかし日本は異なる思想は絶対に受入れることができない」。

人材登用でも、従順な人間ばかり集めるから異論を聞く耳をもたなくなる。

戦争を長引かせ、犠牲を大きくしていった翼賛体制がそうであった。

 当時のような社会がそのまま復活することはないと思う。

しかし当時のような社会になりうる芽を私たちは温存している。隔絶した時代の話ではない。




「世の中の「空気」に左右される。社会の「勢い」に流される。」確かに現在でも通じる現象である。

所謂ムードつくりである。誤ったムードが戦争へと導き 世の中を破滅させる事も有る。

どの社会にでも言えることで,意識的に利用する人がいるならば.これは許せない。

良いひとか悪い人かで区別するならばそのようなことをする人は悪い人に入る。

そのような人たちが世の中の裏側で操り威張っているように思う。




地球温暖化に伴う異常気象の警告と一致することが多い



8月18日の天声人語より 



 青くて美しいはずのドナウ川が濁流となってヨーロッパの街を襲っている。

エルベ川も増水してドイツの古都ドレスデンなどを水浸しにした。

チェコではブルタバ(モルダウ)川がプラハの街を水浸しにし、冠水した動物園ではゾウやライオンなどの射殺に追い込まれた。

 さらに東では、ロシアの黒海沿岸で大きな洪水被害が出ている。

いずれも記録的な豪雨のせいらしい。ドイツやオーストリアでは観測史上最高の降水量を記録したところも多いようだ。

 ヨーロッパやロシアだけではない。

中国では6月以来、洪水被害が増え続け、被災者は5400万人にのぼるという。

南アジアでも大雨の被害が続出している。その一方、中国や南アジアでは地域によって干ばつが深刻化しているそうだ。

 こうして見てみると、地球温暖化に伴う異常気象の警告と一致することが多い。

各国の温暖化についての専門家でつくられている「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が出した最新の報告書は、

こんな指摘をしている。

 「地球全体で降水量が増加する。豪雨の頻度が高くなる。ヨーロッパのほぼ全域にわたって河川洪水の危険が増大する。

温帯及び熱帯アジアでは洪水、干ばつなどの異常現象が現に増加している」。

 今度のヨーロッパの洪水について、ドイツの環境相は「これ以上事態を悪くしないために、

温室効果ガスの削減に努めなければならない」と温暖化と結びつけて発言した。

だれも温暖化が原因だと断定はできない。

しかし、このごろ地球規模で気候が変だとの思いは強い。



地球温暖化は是非世界各国の協力でくい止めたい。アメリカだけが温暖化防止の京都議定書に参加しないのはあまりにも勝手すぎる。

国内の産業界からの反対で押し進められないとはブッシュさん貴方はそのような所から幾らの献金をうけているのかとお聞きしたい。

あまりにも俗的なアメリカ大統領かとあきれはてる。立派な大統領が出て是非世界をリードしてほしいものです。

地球上の気候異変が温暖化と関係があるとささやかれていても拘わらず

それでもアメリカ国内の産業界の意向の方がたいせつなのですか。




 次々と暴かれる米国の企業不正


8月19日の天声人語より 


 「イエスとはいえないし、ノーでもない。思い出せないんです」。

歯切れのよさで売ったウォール街の名士らしからぬ光景が、テレビに映し出された。

 次々と暴かれる米国の企業不正は、さまざまな人生を暗転させる。

通信業界を担当した証券アナリスト、ジャック・グラブマン氏はその代表格だろう。

最先端の技術に支えられた情報通信産業が、米国を引っ張ってきた。

業界に人脈を張り巡らせたグラブマン氏はもてはやされ、人々は彼のご託宣に耳を傾けた。

 とりわけ、全米第2の長距離通信会社ワールドコム社とのつきあいは深く、取締役会に呼び込まれるほど。

帳簿上のやりくりで利益を大きく見せる同社の不正は、数年前から続いていた。

それなのに経営陣が業績の落ち込みを認めるまで、当人は同社株を薦めていた。

 7月上旬、議会の公聴会に呼び出されたグラブマン氏に突きつけられたのは、

「悪魔の選択だった」とアナリスト仲間は振り返る。不正を知りながら、薦めていたなら共犯者。

内情を知らなかったと言い張れば、相手に踊らされていた愚かさを認めたことになる。

 ワールドコム幹部らに値上がり確実な銘柄を融通した疑惑への関与も問われる。

針のむしろに座らされた本人はしどろもどろになり、冒頭の発言を繰り返した。

年俸2千万ドルを誇ったグラブマン氏は「不当な中傷で仕事が続けられない」との手紙を残し、先週、職場を去った。

 仕事先に食い込むのは大事でも、なれ合いや甘えに走れば、手痛いしっぺ返しが待つ。

証券の世界ばかりの教訓ではない


アメリカが世界で独り勝ちしている。世界の指導者役でも有る。その中での次々と暴かれる米国の企業不正は

世界の人たちが安閑としてみているだけではすまされない問題である。





 日本語力と考える力の劣化、について考えさせられる。


8月21日の天声人語より 


 高校野球の決勝戦を迎えるといつも夏の終わりを感じる。

閉会式の行進曲とともに夏が去っていく。そんな感慨を毎夏味わう。夏休みも残り少ない。

そちらの思いが強いという高校生も多いだろう。

で、夏休みといえばじっくり読書をするいい機会だが、皆さんどうだったろうか。

 森鴎外や夏目漱石ら「文豪」の作品が高校の国語教科書から消えていく。

そんな報に接して、時代の変化を感じる。教科書は、それをきっかけに読書をする目録のようなものだろう。

読みこなせるかどうかは別にして、「文豪」の見本程度は残しておいてもいいのではないか、と思った。

 一方、街には日本語関係の本があふれている。

日本語力を高めようという機運があるようだ。この「ブーム」については、本紙文化欄で作家の丸谷才一さんがこう指摘している。

「考えるための道具である日本語の性能が低いのではないかという不安が生じたのだ。みんなの心の底で、漠然と」。

 それでいくと、先の「文豪」は近代日本の始まりにあたって「考える」ことをした人だった。

そのために日本語という「道具」を駆使した人だった。

 漱石でいえば、お札からは消えていくし、教科書からも消えていく。

寂しい思いがする。ただし本人は「他人は決して己以上遥かに卓絶したものではない。

また決して己以下に遥かに劣ったものではない。特別の理由がない人には僕はこの心で対している」(『漱石書簡集』)と

考える人だから意に介さないだろう。

 日本語力と考える力の劣化、について考えさせられる。




日本人は確かに考えるのは日本語でしている。日本語の低下と考える力の低下は比例するかどうか。

平易な文章のほうが角張った難解な文章より良いと感ずる。

考えが独りだけの自己満足では相手に伝わらなければ何もならない。

誰もが納得理解して初めて考えがそして日本語としての機能が発揮されたと理解する。

人に分かりやすい日本語が良い。考えもそうである誰もが理解しやすい考えの方が良い。

西田幾多郎の「絶対矛盾自己同一」これも日本語である。

世の中言葉で言い表せないこともありえる。以心伝心で理解出きる人には理解できるものである。






 空想と科学との間を往来し、
絶滅と再生の物語を語り続ける恐竜
たち




8月24日天声人語より 



 エンゲルスの『空想より科学へ』という書物の題名を、その内容とは関係なく思い浮かべた。

千葉市の幕張メッセで開催中の「世界最大の恐竜博」(9月23日まで)会場を巡ったときのことだ。

幼いころ、空想の中で遊んできたものが目の前にある。それがいま科学の対象として解明されつつある。

そのことを実感した。

 子どものころの雑誌には、よく恐竜の想像図が出ていた。

1億年以上も前に生息していたこの地上最大の生物には、幼い空想を刺激してやまないものがあった。

彼らが生息した時代、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀という名前にさえ神秘的な魅力を感じた。

 やがて映画「ゴジラ」(54年)の登場で強い衝撃を受ける。

太古の眠りから目覚めた恐竜が日本を襲撃する物語だ。

当時を振り返ると、恐怖心にとらえられながらも、空想を映像として再生してくれた感激があったと思う。

 恐竜はなぜ絶滅したのか。

この問題に大いに関心をもった時期もあった。空想から科学への移行期といおうか。

とりわけ大隕石(いんせき)衝突による気候変動説には、宇宙や環境への関心も入り交じって興味は尽きない。

 映画「ジュラシック・パーク」(93年)になると、遺伝子工学によって恐竜を再生させテーマパークをつくってしまう。

空想と科学とを合体させてしまった。そんなことをあれこれ思いながら、大きな骨格の間を縫って恐竜博会場を回る。

最新科学の知見を基にした展示だが、未知の領域が多々残っている。

 空想と科学との間を往来し、絶滅と再生の物語を語り続ける恐竜たちである。



恐竜の存在は確かであつた。何故に発生し絶滅していったかは謎である。

映画の世界ではゴジラとして活躍している。最近恐竜の肉片が発見されてクーロン技術でもって

恐竜を再生する話が新聞記事として載っていた。動物園に本物の恐竜を見学に行く日も夢ではなくなってきた。





 十年一昔地球規模の環境や資源、衛生はどうか。



8月27日の天声人語より 


 十年一昔という言葉がある。

10年もたてば、ものごとはいろいろ変わるものだ。そのようにつかわれることが多いだろう。

リオデジャネイロでの「地球サミット」から10年、ヨハネスブルクで「環境開発サミット」が始まった。

あのときと何が変わっただろうか。

 10年前には、秋に大統領選をひかえた当時のブッシュ米大統領が逡巡(しゅんじゅん)の末、出席した。

湾岸戦争の翌年である。今回、息子のブッシュ大統領は逡巡したかどうかはともかく、出席しない。

 10年前にも多国籍企業を「地球環境の主たる破壊者」として非難する動きがあった。

それが反グローバル化運動として広がるのはだいぶ後のことだ。

99年、米シアトルでの世界貿易機関(WTO)閣僚会議以来、この運動は激しさを増している。今回はどうか。

 10年前の会議では、企業人が前面に出ることはほとんどなかった。

各国政府と非政府組織(NGO)が中心の集まりだった。今回は企業が前面に出てくる。

不信の目を向けるNGOもあろうが、政府と企業とNGOとの連携がテーマのひとつになる。

 地球規模の環境や資源、衛生はどうか。毎年スイスの国土の4倍程度の広さの熱帯林が消滅している。

飲み水は不足し、漁業資源は激減、エイズによる死者は激増している。

平均気温は上がり、洪水、干ばつの被害が近年目立つ。暗い材料が多い。

 開催地の南アフリカでは、この10年激変があった。白人支配に終止符を打った。

その地で催されるこの会議が10年後にどう評価されるか。「暗い材料をはねかえした」だといいのだが。




ヨハネスブルクで「環境開発サミット」が始まった

各国政府と非政府組織(NGO)が中心の集まりだった。今回は企業が前面に出てくる

各国の力をあわせないと飲み水は不足し、漁業資源は激減、エイズによる死者は激増している。

平均気温は上がり、洪水、干ばつの被害が近年目立つ今日この頃是非とも現在の叡智で

地球をすくいたいものである。

アメリカ代表としてブッシュ氏が逃げてパウエル国務長官が出席している。アメリカにたいしてのブーイングは各国からあるものの

アメリカは世界一強力な軍事力 経済力を備えた唯一の国である。アメリカには蚊が鳴くに等しいものなのかどうか。




100平方メートルで国内総生産(GDP)の地図をつくると
3分の1の33平方メートルほどを米国が占める


8月29日天声人語より 



 地球の陸地の広さを100平方メートルに圧縮していろいろな地図をつくってみる。

100平方メートルといえば日本の都市ではぜいたくかもしれないが、ほぼ1軒の家の広さと見ていいだろう。

それで国内総生産(GDP)の地図をつくるとどうなるか。

 100平方メートルの地球のうちほぼ3分の1の33平方メートルほどを米国が占める。大きな1部屋分である。

国土面積で最大のロシアはGDP地図では1平方メートルで、大人が寝る場所もとれない。

中国はロシアの3倍以上の広さを確保、畳2枚程度の広さだ。

ドイツはその2倍で4畳間ほどになる。最小級は太平洋の島国キリバスで、1平方ミリの10分の1程度だから、

肉眼で見るのは難しいかもしれない。

 国土面積でいくとマッチ箱ほどの日本だが、GDP地図では8畳間程度の広さを占める。

国債の格づけで日本より上位にあるアフリカのボツワナは、シャツのボタン程度の大きさである。

環境開発サミットを開催している南アフリカは米国の100分の1ほどだ。

 自動車保有台数を100平方メートル地図にしても、GDP地図とそう大差はない。

1次エネルギー消費量でも米国が世界の4分の1を占め、他を引き離す。

人口最大の中国が6畳間程度で日本の2倍の広さを占める。

 国防支出を同じような地図にしてみると、米国は35平方メートルで全体の3分の1を超える。

日本と中国が5平方メートルでほぼ同じ、

国土面積ではボタン程度のイスラエルが、国防支出地図では大きな風呂敷ほどになる。

 様々な格差を抱え込むこの地球の運命がいま、南アフリカで論議されている。


100平方メートルの地図でみると世界の中でアメリカが圧倒している。

19世紀では原住民インディアンだけの国だったのが驚くべきほどの急成長である。

これも何年続くかわからない。世界の最強国がスペインからイギリスにそしてアメリカに変ったように

いずれ他の国が台頭してくるであろう。それとも国連中心の平和な世界になるかどうかだ。




「私はあえて平和ボケとはいわない。本当に平和ボケならば、
世界有数の軍事力を持ったり、有事法制に熱心になったりはしない。



8月30日の天声人語より 



 最近の言葉から。「夏はなによりも、死者の霊が戻ってくる季節なのである」

「死者たちは、世界の偉大な真実である『無意味』の底を渡って、

生きている者のもとに戻ってこようとしている」(宗教学者の中沢新一さん)。

 「幽霊は、もともとはむしろ子孫にとってなつかしい存在だった」と比較民俗学の諏訪春雄さん。

沖縄で自分の半生を撮り続ける写真家石川真生さんは「相手の人生をもらい、自分の人生も差し出す。

撮影というより人生の交換さぁ」。

 映画監督の山田洋次さんが語る。「寅さんはね、わかりやすくないといけないのですよ」。

寅さんがアラブ世界を旅し、市場でたたき売りをする。そこへ米軍が爆撃をし、犠牲者が出る。

「それを見て何を学び、どんな言葉を発するのか。ふとそんな想像をしてみる」。

 広島で被爆した元日本サッカー協会長の長沼健さんは

「生きているのは、偶然だ」といい「戦時中は中学選手権もW杯も中止された。

スポーツマンにとって最も憎いのは、戦争だ。それを身をもって知った」。

 「私はあえて平和ボケとはいわない。本当に平和ボケならば、

世界有数の軍事力を持ったり、有事法制に熱心になったりはしない。

中途半端な平和主義の中で、中途半端に軍事ゴッコをしている」と写真家の宮嶋茂樹さん。

 『私たちが書く憲法前文』(角川書店)に出てくる女子高生作の前文はこう始まる。

「全くもってタイシタコトのない/世界的にみてソコソコの国がいい」。

評する作家の高橋源一郎さんは「いますぐにでもその国に亡命したい



今の日本は 「私はあえて平和ボケとはいわない。本当に平和ボケならば、

世界有数の軍事力を持ったり、有事法制に熱心になったりはしない。

中途半端な平和主義の中で、中途半端に軍事ゴッコをしている」とは

適確な指摘である。なんとなくきなくさい臭いがしてくると感じているのは

ぼくひとりだけだろうか。

日本はアメリカ追随外交を続けていれば今の状態ではとんでもない方向にむかってしまうだろう。



中国から帰国する機中、
当時の田中首相と大平外相が「オイ、
生きて帰れたなあ」としみじみ語り合ったそうだ


8月31日の天声人語より 

 あのときほど心中が悲壮感にあふれたことはなかったろう。

56年、モスクワで日ソ国交回復交渉に臨む当時の鳩山一郎首相の心境を

推しはかった一節だ(『鳩山一郎』時事通信社)。

鳩山首相は交渉を成立させて帰国した翌日、引退表明をした。

 鳩山ほどではないかもしれないが、72年、北京で日中国交正常化に臨んだ当時の田中角栄首相も

たいへんな緊張下にあったろう。

日ソ、日中いずれも時の首相が政治生命をかけた交渉だった。

小泉首相訪朝の報に、こうした歴代の交渉の厳しさを思わざるをえない。

 日ソ交渉は北方領土問題で揺れに揺れた。

日中交渉では台湾問題が難題だった。

どちらも外交交渉の争点であり、国内問題でもあった。与党内でも意見が割れた。

北方領土問題は棚上げによって妥協を図り、台湾問題は国内の親台湾派を押し切る形で正常化にこぎつけた。

 今回も拉致問題をはじめ難題が少なくない。

その点は過去の交渉と変わりないが、突然の首脳会談発表には驚かされた。

交渉を繰り返して機が熟す。そして首脳会談で決着する。

そうした過去のやり方から見ると唐突感はいなめない。

 「非公式には綿密に話し合ってきた」と福田官房長官、

「水面下で交渉してきた」と小泉首相が言うのだから機が熟した面もあるのだろう。

そうでなければ困る。そうは思いつつ決して容易な交渉とは思えない。

 30年前の話である。『大平正芳回想録』によると、中国から帰国する機中、

当時の田中首相と大平外相が「オイ、生きて帰れたなあ」としみじみ語り合ったそうだ。



小泉首相訪朝の報は新聞を読んでいて唐突のように思えた。

歴代の首相が日ソ 日中交渉で大変苦労されてきている。

日朝両国間に難題もあるので簡単には事は進まないと考える。

でも一歩でも朝鮮統一に前進が見られれば東南アジアにとって喜ばしいことである。

金正日氏の決断が一番の鍵となる。

困窮が伝えられている北朝鮮国民にとって一番嬉しい事である。

拉致事件解決も大切だが朝鮮統一がなれば真相は自然に解決される。

東欧におけるアルバニアの例をみれば明らかである。



世の中の流れ

営々と毎日を人々は暮らしている。新しい事をしているようだが同じ事を繰り返しているともいえる。

照明だけでをを見るならば灯油の明りから蝋燭の明かりへそしてランプ・電燈へと移り変わっている。

物質的には確かに進歩しているが人間の心そのものは昔も今も同じである。

一人一人一生を通じ培う心はその人が亡くなればそれまでのことである。

自然に子孫にプラスされてゆく性質のものではない。一から子供が同じように習得しなければならない。

一見世の中進歩しているように錯覚しているが表面だけが変っているだけである。

一人一人の精進そのものは一代限りのものである。人々は精進した先人と同じことの繰り返しである。

人間には学習能力があるから昔の偉人と称されていた人たちの真似はできる。

学ぶとは真似することから発するるものであってゴルフでもそうた゜が上手な人の真似をすれば

その人に近ずける。スコアも上がるが挫折することもある。

これはあらゆる方面についてもいえる事である。ずーと世の中での流れの芯に当たる部分はどの時代でも同じである。

どれだけ芯にあたる部分を各人が多くの人生でぶちあたり獲得するかである。




一番望むものは


平和である。文化に接しなくとも平和な生活はできる。多分昔の人たちは太陽が昇れば農耕狩猟に出かけ

太陽が没すれば我が家に帰り 寝る。雨が降れば家屋の中にいて家の中のことをして暮らす。

接する人たちも少なく 伝わってくる情報も向こう三軒両隣の情報だけであって世界の果ての出来事に

心を痛めずに済む。今もこのような平和な生活をしている人たちが世界の中の何処かでいるのではなかろうか。

電気がないから テレビが見られないから可哀想だというのは現在の文明の価値感から推察しているだけのことであって

現在人のひとりよがりではなかろうか。

誰もは平和に暮らしている人たちの生活を踏みにじる権利はない筈である。

便利だから最高だともいえない。便利に伴う弊害も必ずついてまわるものである。

忙しい毎日をすごしている現代人も少しは己を振り返る時間を持つても良いのではなかろうか。






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