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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


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九月は秋の始まり



暑い夏もやっと過ぎ暑さが遠のき秋の気配を感ずる季節になって来た。

暑さ寒さも彼岸までで,なんとか暑い一日が少なくなった。

今年の夏は誰もが本当に暑かったと訴えられる人が多い。

毎年次第に暑くなってきているように思える。

9月は北朝鮮の拉致事件の話題と小泉首相がその北朝鮮と国交正常化回復への第一歩を踏み出した事にある。

連日のように新聞 テレビで拉致事件の事が報道され過ぎているように思われる。

北朝鮮と友好関係を結び,そして国交正常化しょうとするに際に,何故に連日連夜マスコミによって拉致事件の事が

報道されつつ゛けられているのかが不思議に思えてくる。北朝鮮も良い気持ではなかろうかと思う。

拉致事件の報道も必要だが,報道されている半分か三分の一位でも良いのではないかと感ずる。

もっと日本の進路についての重大なニュースがあつた筈である。

民主党の党首選挙が拉致事件報道の影になつてしまった感がある。

サポーターと称する一般の人たちの支持が国民的に人気のある管氏が票が取れず,鳩山氏が多く取っている。

それによってか鳩山氏が僅差て゛党首に当選している。

此れで当分自民党の安泰が続くだろう。政党同志が切磋琢磨し競い合いしながら日本を良くなってゆくものである。

これでは自民党に当分の間緊張感がなくなる。

拉致事件の過剰な報道の為に民主党党首選挙の報道は薄れてしまっていた。

鈴木宗男氏のことなどもすっかり忘れられた格好になってしまっている。

北朝鮮内では殆ど拉致事件に関しては報道されていないようである。これも変だ。

案の定北朝鮮側の中央放送局が日本で拉致事件が余りにも故意に騒ぎ過ぎていることを指摘し,

第二次大戦下で朝鮮の人たちが日本に連行され強制労働された何万人の人たちはどうなっているのかとの反論の放送が報道されている。

日本国周辺の不安定要素を排除するためにも北朝鮮との友好関係国交正常化は是非とも押し進めるべきである。

国交正常化は拉致事件が解決してから後だとの民主党 自由党の主張はおかしい。

拉致事件のあった70年代 80年代は日本でも日本赤軍派達iによる浅間山リンチ死亡事件とかの痛ましい事件を経験している。

その時代に北朝鮮による拉致事件が起きている。

当時の日本は貧しく労働争議,安保反対などで世間が騒々しく 学生による学園騒動がアチコチで起きていた。

そのような時代背景で起きた拉致事件である。今の平和な社会で考えるととんでもない事件であるが

その当時としては起きてもおかしくない雰囲気の時代ではなかったのではなかろうか。

なんの関係もない善良な一市民が外国の国家機関による誘拐拉致され犠牲者になられたことは本当に痛ましい事件である。

だからといって今北朝鮮との国交正常化交渉が逆戻りするようなことがあってはいけないと思う。

国交正常化は時代の流れであり 韓国 北朝鮮が再び一つの国家に統一を成し遂げるのを、

日本始めアメリカ ソ連 中国などが力になるのが,昔朝鮮に与えた日本 アメリカ ソ連などの罪滅しではないか。

もしも仮に国交正常化交渉乃至友好関係が破綻するならば,北朝鮮をならず者国家と呼んでいるブッシュドクトリンによって

先制攻撃される可能性がある。

日本がもしアメリカに協力するならば北朝鮮からミサイルの何個かが落とされて拉致事件とは比較できないくらいの惨事が起きる可能性がある。

日本はきっぱりとアメリカのブッシュ氏のブッシュドクトリンとは一線を画すべきて゛ある。

ドイツではイラク攻撃に反対を表明することによってシュレーイダー氏がドイツ国民の支持によって首相に当選している。

ブッシュドクトリンのような身勝手なイラク攻撃に対して世界諸国は勿論のことアメリカ国内でも反対の声があがってきている。

イラク攻撃には一ケ月の戦費が60億ドルから90億ドル(7200億円から1兆800億円)位必要とか。

膨大な戦費が破壊の為だけに費やされる。5%の誤爆からして住民並びに兵士達の戦死者を入れるならば何千人何万人の死者が出る。

ただブッシュ氏達は安全な所からイラク攻撃の号令をかけているだけだ。こんな矛盾を見逃してよいものか。


註)
米議会予算局は9月30日,米軍がイラクに武力行動を取った場合,月額60億ー90億ドル(約7200億円ー1兆800億円)の戦費が

かかるとの報告書を発表した。

同報告書によると,湾岸地域への米軍展開に同90億ドルから130億ドル,撤退にはさらに50億ドルから70億ドルが見込まれる。

フセイン政権を倒し,イラクを軍事占領した場合には,同10億ー40億ドルかかる。予算局は推計にあたり,空軍力重視する場合と

費用がかさむ地上軍を投入した場合を想定し,幅をもたせた。
(朝日新聞の報道より)


膨大な戦費と沢山な犠牲者が出るであろうと予想されるのにアメリカはブッシュドクトリンを根拠にイラク攻撃を是が非でもするのか。

破壊と多数の犠牲者が出るだけの戦争に何故にアメリカがイラクを攻撃するのかが分からない。

アフガニスタンは未だに正常化していない。二ュヨークテロ事件のアルカイダはまだ健在とも報じられているのに,

そのような状態で新たに戦争をはじめるのはどうしてなのだろうか。

国連を始め世界がアメリカの行動はおかしいと言っても,尚英米だけが単独でも戦争を始めようとしている。

アメリカの世論 世界の世論でもって狂気じみた戦争は止めさせるべきである。

本当につくづくアメリカという国は金持ちだと思う


正義の為,フセイン政権打倒の為に膨大な戦費を惜しげもなく使うのだから。!

それともイラクの石油利権獲得の為か。? そうだとすると20世紀にあった列強の正義の名のもと

外国侵略による殖民地支配と内容的に全く同じだ。





企業社会の倫理への不信が募る



 9月1日の天声人語より


 「炉心になる精神がしっかりしていないと、溶けてしまう。いま日本はだらしない。これは溶けます」。

11年前、作家の故司馬遼太郎さんがそんな内容の講演をした。

この際、日本は溶けてしまうのではないか、と不安を募らせる事件が続く。

 東京電力の虚偽記載疑惑が明るみに出た。原子力発電所の損傷を隠し、うその記載や報告をしていた疑いである。

1度や2度のことではない。長期にわたって何度も繰り返していたらしい。

安全を最優先に考えるべき原発での疑惑だけにことは重大だ。

 内部告発が疑惑発覚の発端になった。

しかし、それは2年も前のことである。あえて調査を遅延させたのか。あるいは調査能力が弱いのか。

それとも原発というのは、そのように調査が難しい仕組みになっているのか。

 今回わかった損傷について、専門家の間でも微妙に見解が分かれる。

重大な事故につながる可能性があるという指摘もあれば、ただちに重大な影響を与えるものではないとの見方もある。

素人には、信用できるかできないかがほとんどすべてといっていい世界だ。

 消費者と直接つながる食品業界の不祥事に続いて、国政と直結する原子力発電をめぐる疑惑、

しかも財界の中核を占める企業での疑惑だ。

企業社会の倫理への不信が募る。

 先の講演で司馬さんは江戸時代の商品経済について語っている。あのころ「信用が大事だった。

武士に二言はない、ではなく商人に二言はない」だった、と。

現代日本の「炉心」の脆弱(ぜいじゃく)さを憂えての発言だが、切実感が増すばかりだ




企業のごまかしによる不祥事件が次から次へとでてきている。今のところ企業が儲けているだけの話で

国民には今だ実害の報告がない。一つ誤ると大惨事につながる話である。

企業の儲けを優先させるならばこのようになる。

医療界でも儲けが最優先である株式会社の実用主義合理化の為に認めようとする動きがある。

生命を商品化されればとんでもないことがおこるとは先進国アメリカで既に報告がある。

アメリカのやっていることは決して正しいことばかりで゙ない。

金儲け第一で,強引なことをもアメリカがやっていることに早くきずくべきである。



セミの声



9月3日の天声人語より 


 地下鉄のエスカレーター脇にアブラゼミが仰向けになって死んでいた。こんなところにまで迷い込んだのか。

そう思いながら地上に出る。まだセミは鳴いていた。しかしその数がわかるほどの鳴き声だ。

盛夏のうなるようなセミ声はもうない。

 この夏、セミをめぐる便りをいろいろいただいた。「広島被爆の日にもセミは鳴いていたのだろうか」。

そう書いたところ、あの日「軍の工場へと家を出るとき、いつものように庭でセミが鳴いていました」。

当時15歳の女学生だったUさんからの便りだ。

 自宅を出たUさんは原爆投下の30分前に市電で爆心地を通過した。

そして「原爆の閃光(せんこう)炸裂(さくれつ)音と建物の壊れる音、ガラスの飛ぶ音、人々の逃げ惑う声……。

セミは一瞬で死んだはずです」。Uさんは、あの日のこととずっと対峙(たいじ)してきた、とつづる。

 被爆翌年のお盆に広島で墓参りをしたというHさんは、当時大学3年生だった。

焼け野原を歩き、原爆ドームから西へ20分ほどの低い山のふもとの墓へ行った。

セミが大合唱をしていた。真っ青な空とともに記憶に鮮明だ、と。

 埼玉県のMさんはこの夏の体験をつづる。路上にアリの大群に囲まれたセミの幼虫がいた。

幼虫がまだ生きている。アリもセミも一生を生き抜くことでは同じ、と一瞬迷った。

人間の勝手な感傷とは思いつつ、でも「7年の地中生活」のことを思って、

子供たちと一緒にアリを追い払って庭のツゲの木に乗せた。見事羽化したそうだ。

 夕暮れになるとこのごろ、窒フ声がセミを圧する。夏が汲驍フを実感する。


今回天声人語に文字化けしてある事にきずく。ルール道理にパソコンを使用しているにも拘わらずフリーズとかが突然に

起きておかしくなる事が以前から再々あった。誰か礼儀をわきまえない人がパソコンに侵入してきているのかとも

考える。あくまで推察のことで証拠はない。訳のわからないことが起きるのはパソコンでは起こり,ネットでもある。

こちらがいくらルール道理に使用していてもパソコンに詳しい人が困らしてやろうと考え.るならば

セミよりもはかなくパソコンの壊れた事があった。それも本当にそうなのかどうかもわからない。

訳のわからないことばかりでパソコンがフリーズしたり 文字化けしたりする。

こちらの扱い方はいつものようにしているつもりなのだが。扱い方が間違っているいるのかもしれない。

パソコンは魔物である。パソコンへ障害を与えようと考えている人達には毛頭も罪悪感を持たず自己のパソコンに対する

技術を腕だめしするつもりで他人に被害を与えているのではないかとも考える。

セミのようにはかない技術しか自分には持ち合わせていない。セミに拘わる思いは人によって色々である。




アメリカはなぜ嫌われるのか



9月6日天声人語より


 アメリカはなぜ嫌われるのか。パウエル米国務長官は、南アフリカでしみじみ考えたのではないか。

ヨハネスブルクで開催された環境開発サミットの最終日、パウエル長官の演説は怒号に包まれたそうだ。

 不在のブッシュ大統領への不満、自国中心主義の米政府への不信が爆発したらしい。

米政権内では、国際協調派と目されているパウエル氏である。

演説を中断しなければならないような経験は珍しいのではないか。

アメリカはなぜ嫌われるのか。

 皮肉にも、このテーマでの会議が米国で5、6日の2日間開催されている。

内外の研究者らを集めての会議で、米国務省の主催である。

政府側でこうした研究会を開くところがあの国の懐の深いところかもしれない。

ただし非公開で、参加者の名前も明らかにされない。

 米紙でインド系英国人作家のサルマン・ラシュディ≠ェブッシュ政権を痛烈に批判しながらこの会議について言及している。

政権内のタカ派と違って、明らかに戦争より外交を重じるるパウエル≠フ路線を強化する会議になるかもしれない、と。

 国務省はまた広告業界の大物を次官に招いて、宣伝戦にも力を入れている。

シャーロット・ビアーズさんで、フォーチュン誌で米国で最も影響力のある女性と評されたこともある人だ。

最近5億ドルの予算を得て、史上最大の宣伝戦を展開するという。その役割は「米国ブランドの復権」である。

 アメリカはなぜ嫌われるのか。この自問は貴重だと思う。

この問いをくぐって大国にふさわしい謙虚さが生まれることを願おうか。




アメリカの政権を握っているのがブッシュ氏で.現在のアメリカの舵取りしているブッシュ氏のアメリカが

嫌われている。嫌われていることにきずいていないブッシュ氏が世界の指導者である。

現在の世界をアメリカが強大な軍事力を背景に自由にほしいままにしている。

嫌われようが我関せずに自分の意志を通している。ドイツではイラク攻撃反対を主張し国民の支持をとり選挙に勝ったドイツと

アメリカの関係がおかしくなっているように新聞報道されている。アメリカのご機嫌をドイツがドイツの国民の意志をつたえることにより

損ねている。日本の小泉首相はどうか。国民の7割から8割近くが世論調査で反対していても,アメリカにそのことを伝えず

ブッシュのご機嫌を損なわないように汲々としてようにしかみえてこない。

ブッシュドクトリンのアメリカに追随外交していれば政権が安泰とも考えているのか。

首相は国民の気持を汲んで相手と外交を行うべきである。相手と仲良くするだけが外交ではない。

国民の意志を言うべき時はキチンというべきである。

現在英米だけがブッシュ氏に引きずられている。ロシア中国フランスドイツなとがアメリカのやり方に必ずしも

賛成していない。日本だけがアメリカの番犬のごとくにハイハイとしている時代ではなくなっているのではなかろうか。

 




「日本海」も名実ともに平穏な海になってほしい。



9月7日の天声人語より 



 日本海は、文化の往来する海の道だった。大陸や半島から文物や人、技術、芸術が日本海を渡って日本列島にたどり着いた。

国と国とが接する「国境」でもあったから、しばしば軍事的緊張をはらみもした。

 そういって何げなく「日本海」という言葉をつかってきたが、この名称をめぐって議論が起きている。

韓国側から異議が出たのが10年前の国連の地名標準化会議でのことだった。

最近、海図の国際的な指針を決める国際水路機関で論議が再燃した。

 韓国側の主張は、朝鮮半島では長く「東海」という名称をつかってきた。

日本でも江戸時代などにこの海域を「朝鮮海」と称したこともある。

日本海という名称は歴史的に確定したものとはいえない。そんな趣旨だろう。

 日本側の言い分は、「日本海」は日本が勝閧ノ決めた名称ではない。

この名称は古くからヨーロッパなどの文献に出てくるし、その後は国際的にも定着した、と。

日本の植民地支配の歴史を絡むだけに、論議がねじれやすい。

感情的になりやすいし、政治問題にもなりやすい。それは避けたい。

 地名が、ときどきの文明の中心や強者の側から見て命名されることがあるのは確かだ。

世界の地名がヨーロッパから見ての命名によることが多いのもその表れだろう。

 太平洋もそうだった。ポルトガルの探検家マゼランが南米南端を通って大海を横断した。

航海が平穏だったことから、その大海を平和の海、「太平洋」と名づけた。もはやこれには異論は出ないだろう。

「日本海」も名実ともに平穏な海になってほしい。



ロシアと日本の全戦力を傾けての「日本海海戦」は日本海の名前として一番記憶にある。

日本は大陸と日本との間にある日本海と太平洋の間に位置している。

そうともいえないのが日本海らしい。

やはり日本国国民として日本海は日本海の名前で有って欲しい。

東海ではどうもしっくり来ない。

東海といえば東海行進曲を思い出す。「みよ東海の空明けて旭日高く輝けば・・・・・・」。この東海は何処にあたるのだろうか。

むしろ日本海の方が平和的に感ずる。一日本人としての身勝手な解釈か。?





「アフガニスタン−悠久の歴史展」


9月10日の天声人語より


 東京・上野の東京芸大美術館で開催中の「アフガニスタン−悠久の歴史展」(16日まで)を見ながら、奇妙な感覚にとらわれた。

 この1年近く、戦地として頭に染みついたカブール、カンダハル、ヘラート、ジャララバードなどの地名が悠久の歴史の地として目の前にある。

その地に生まれた豊かな文明の遺産が目の前に広がる。端正で穏やかな表情の仏像などを見て回ると、

歴史は逆流しているのではないかと思えてきた。混乱の現代から豊穣(ほうじょう)の過去へと。

 近年の戦乱やタリバーン支配の下で、アフガニスタンでは多くの文化財が破壊された。

多くの文化財がひそかに海外に持ち出された。

そうした戦禍に傷ついたアフガニスタンの文化遺産を復興しようというねらいが込められた展覧会だ。

今秋には米国に巡回する。

 アフガニスタンといえば、日本人はシルクロードの要衝、文明の十字路としてそれなりの思いを抱く地だ。

しかし米国では、テロリストの拠点で対テロ戦争の標的だった程度の認識の人が多いのではないか。

あちらでこそ多くの人に見てもらいたいと思う。

 英国の歴史家A・トインビーが60年にバーミヤンを訪れたときのことを美しく描いている。

「白く輝くポプラの幹に平和があり、影濃き仏像と洞穴に平和がある。

じっと見詰めれば、この仏教徒の心の平和が翌ソつかぬ『西欧人』の魂の中に『ゆるやかにしたたりおちて』来るだろう」(『著作集』)。

 偉大な歴史家もその後の惨状を見通すことはできなかった。しかし彼の平和を希求する思いは滅びない。




歴史は逆流しているのではないかと思えてきた。混乱の現代から豊穣(ほうじょう)の過去へと。

誰が貧困と破壊のアフガニスタンにしたのか。小国が大国に翻弄されている良い見本かも知れない。

タリバンがアルカイダがアフガニスタンに存在したが故だとだけとも思えないが。

平和なアフガニスタンを戦乱の地にしたのは誰か。同じことが以前にカンボジアで言われていた事である。

ポルポト派の支配。今度はイラクか゛。そんな連鎖がおきないことを願う。







 多様性こそが米国の良さだろう。




9月12日の天声人語より


 戦後を代表する米国の作家ノーマン・メイラー氏は以前、インタビューに答えてこんなことを語っている。

「рニ米国との関係は結婚のようなものだといつも思ってきた」と。「この国を愛する。そして憎む。

この国に怒りを覚える。親しみを感じる。この国に魅せられるし、不快にさせられる」。

 米国という国にはそんな「愛憎」を抱かせる磁力があるようだ。昨年9月11日のテロ事件後、その磁力はさらに強まったのではないか。

事件後の米国の変化について、ニューヨーク・タイムズが米国各界の人に尋ねている。

 政治家は明快だ。「我々を本当に憎む人たちがいる。彼らは我々が何者かを知っていて、我々を殺そうとする」とは共和党元下院議長。

敵への憎悪と米国への揺るぎない信頼を断言する。

 あの日、テレビの前で一晩過ごしたという女性作家は、翌日から人への応対の仕方が変わったという。

自動車の運転はゆっくりになり、スーパーでの買い物でも他人に気をつかうようになった、と。

「アメリカ人がイスラム世界など外の世界に関心を持つようになった」という学生も。

 「最も感情を揺さぶるできごとは、語りえないものだ」と、

上滑りの変化を警戒する作家もいれば「変化は一時のことだった」と自己中心的な米国人に戻ってしまったことを嘆く学生もいる。

さまざまな見方がある。この多様性こそが米国の良さだろう。

 米国との関係を結婚にたとえたメイラー氏に戻れば、彼は6回結婚していることを付言しておくべきか。一筋縄ではいかない関係である。


 
米国人が米国を愛する事が出来なくなった時こそ悲劇である。同じことは日本について言えることだ。

雑多な民族の寄せ集めのような米国を一つにまとめるものは国旗だとも聞く。テロ後のテロ犯人憎しで一丸となった

アメリカは異様さと恐ろしさを感じた。ブッシュ氏への高い支持率がテロを戦争だと決め付けて,味方しないものは

敵だと叫んでテロとの戦争に世界を道連れにした。イラクに対しても同じ手法がつかえるかどうか。

なんと言っても戦争は悲劇である。正義の為の戦争はありえない。犠牲者はいつも庶民である。

指導者の為の戦争である。新聞を読んでいるとブッシュ氏を支持する人にはカソリック信者の人が多いとか。

争いを戒めたキリストの精神に反することをしようとするブッシュ氏を何故支持するのかが判断に迷う。

多様なアメリカの一面を見る思いである。




アメリカについて「奇跡的にも野蛮から退廃へ
直行した歴史上唯一の国だ






9月14日の天声人語より 


 アメリカについて「奇跡的にも野蛮から退廃へ直行した歴史上唯一の国だ。

普通は通過する文明という時期を通らないで」と皮肉を言ったのは昔のフランスの首相G・クレマンソーとされる。

11日以来の一連の演説や寄稿でブッシュ米大統領がたびたびその「文明」という言葉をつかっていた。

 たとえばこうだ。「世界は分断されている。宗教や文化によってでなく、文明と残酷な暴力との間で」。

もちろんアメリカは文明の側にいる。世界を二つに分けて一方の側に正義があるとするブッシュ流論法は健在である。

 対イラク攻撃で、このアメリカの独走が心配されたが、国連での演説で、ブッシュ大統領はひとまず国連と連携する姿勢を見せた。

文明国らしい態度といおうか。

 ただしこれまで数々の国連決議を踏みにじってきた、とイラクへの非難は激しかった。

一方、イラク国民とフセイン政権とを分けて論じていたのが印象的だ。抑圧されているイラク国民の解放を大義としてあげた。

 疑問も生じる。もしイラク攻撃をするとして、はたして政権と国民とを分けることができるだろうか。

イラク国民にも当然犠牲が出るのではないか。解放の大義の下に他国に軍事介入した例はいろいろある。

しかし軍事介入によって大義を失うことが多いのも歴史が教えるところだ。

 対テロ戦争の延長としてのイラク攻撃には無理がある。ブッシュ政権がそれに気づいたのなら結構なことだ。

クレマンソーの言葉を借りれば、遠回りかもしれないが、外交や国連という「文明の道」へと進んでほしい



解放の大義の下に他国に軍事介入した例はいろいろある。

しかし軍事介入によって大義を失うことが多いのも歴史が教えるところだ。

単純頭脳のブッシュ氏と何処かの国の指導者が指摘していたように記憶する。

今のアメリカをブッシュ氏に託したアメリカ国民の責任は重い。

近々にあるであろう中間選挙でアメリカ国民がどんな選択するかが見ものである。

見物するだけの意味ではない。是非ともアメリカの良識を世界に示して欲しい。







目につく写真や肖像がひとりや少数の人物に集中しているとき、
そこは独裁的政権が支配する地だといえよう。



9月17日の天声人語より 



 イラクのフセイン大統領はいかに国民を統卒してきたか。国中にスパイ網を張り巡らせる。

要職に親族を登用する。少数派の「揩スざる人々」を登用して忠誠競争をあおる。さまざまあるが、

恩恵を国民に分け与える「国の父」というシンボルを利用したという指摘が興味深かった(『イラクとアメリカ』隶羞シq・岩波新書)。

 石油によって巨富を得た政権がその富を国民にばらまく。その際、富の源泉はフセイン大統領であることを強調する。

やり方は、名前と肖像の利用である。つくった施設にフセインの名前をつける。あらゆるところに彼の写真を配し、彫像を建てる。

 大なり小なり、どんな政権もとる手法だろう。

日本でもかつての自民党は、経済成長によって増え続けた富をばらまくことで長期政権を維持してきた。

ただし、石油のように文字通り地からわいた富ではなく、国民の働きによって増えた富の国民への分配だったのだが。

 名前と肖像のばらまきは、独裁的政権の地ではよく見られる。

逆にいえば、目につく写真や肖像がひとりや少数の人物に集中しているとき、

そこは独裁的政権が支配する地だといえよう。

 富が増えているときはいい。政権は分配者として敬意を表されるかもしれない。

しかし、富が減少する事態になったらどうか。経済制裁後のイラクがそうだし、

近年の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)もまたそうではないか。

 そのとき強権度を強め、外の世界にも強硬姿勢をとるか、それとも逆の道を探るか。

北朝鮮は後者の道に向かう気配だが、どうか。



日本で見られる選挙前に見られる候補者のポスターの写真は色とりどりである。枚数の多い人少ない人

地域によってはその枚数が極めて多い人が見受ける。それはその地域の独裁者かも知れない。

イラク 北朝鮮の如き現象ではないが,どちらにしても独裁者は良くない。

必ずに滅亡の運命が待っている。一刻の現象であって永続性はない。




「国家犯罪」の醜悪さに憤りを禁じえない




9月18日の天声人語より


 政治の「非情」を二重三重に感じさせる小泉首相訪朝だった。

拉致問題では個人の生死の「重さ」が家族にとってと外交の場とではいかに違うか痛感した。

訪朝にあたっての重要な懸案だったとはいえ、交渉では懸案のなかの一つでしかない。

死亡を告げられた家族の悲痛な思いへの配慮は十分だったか。家族の思いと平壌での扱われ方に絡キを感じた。

 拉致は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の特殊機関つまり国家機関の仕業であることを金正日総書記は公式に認めた。

そうした特殊機関による「犯罪」は珍しいことではない。

米国CIAに対する数々の告発をはじめ歴史上枚挙にいとまないし、かつてのわが国の特殊機関も例外ではない。

 しかし改めて被害国の立場に立たされるとそうした「国家犯罪」の醜悪さに憤りを禁じえない。

国家のために、ということで個人の命が何と軽く扱われることか。これも政治の「非情」だろう。

この件では、まだ不明点が多く、さらに究明が必要だ。

 確かに金総書記は拉致問題での非を率直に認めた。

しかし特殊機関の一部の「妄動」だったとした。いわゆる不審船問題でも軍の一部のことだと釈明した。

そうやって下部機関は非を背負わされる。ここでも政治の「非情」を感じる。

 国際社会の政治力学からいえば、核・ミサイル問題に各国の関心が集まる。

拉致問題は当枕蒼ッ士の問題だというとらえ方が大方だ。北東アジアの安定という政治目標の前に拉致問題はかすんでしまう。

 やりきれなさを積んだまま正常化交渉が始まる。重い交渉だ。



第二次大戦中は人の命は軽いと徹底的に教えられ,今の言葉でいうならば洗脳された。

子供の頃本心にヒットラーは偉いと思った時期があつた。日本の兵隊さんが鬼畜米英を

やっつけると教えられ育った。今の単独行動をする英米に対する不信はその名残かも知れないと思うが,

公平にみて今のブッシュ氏はおかしい。

英国国民には反対の声が多いにも拘わらずにブレア首相はブッシュ大統領を支持している。

多分小泉首相も同じではないかと思う。

ブッシュドクトリンを押し進めるブッシュ氏に指導されているアメリカに同調することは危険である。

父子独裁の北朝鮮は何をしでかすか分らない。アメリカと違い北朝鮮は隣国である。

ミサイルも既に日本国土を通り越して落ちている。

国交正常化交渉は両国とも過去のことに余りとらわらずに進め,その過程で明らかにしていったほうが良い。

ブッシュ氏はカストロに指導されているキューバーはならずもの国家に入れていない。

アメリカの隣国にあたるキューバーをならず者にすれば自国が災難に巻き込まれる確率が高いから言わないのか。

アメリカ追随外交は日本の立場をしっかり踏まえて考えてから進めるべきである。



日朝正常化はスタート台に立った



9月19日の天声人語より 


 重苦しい一日が終わって、きのうは久しぶりに青空が広がったが、気分は晴れない。

日朝正常化はスタート台に立ったかもしれない。しかし暗雲に包まれている。

 日本政府の要求にたいして金正日総書記が予想を超える「回答」をしたのは確かだ。

その「回答」を方針転換として評価する人もいる。彼は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の最高指導者として、

拉致問題にしても不審船問題にしても国家が関与したことを認め、謝罪した。しかし、耳をふさぎたくなるような「告白」だった。

 北朝鮮は変わるのか。国交正常化にあたってはそれを問わざるをえない。

平壌の市民は、拉致事件については、何も知らされていないという。

外に向かっては窓を少し開いたが、内では依然として情報を閉じたままだ。これから風通しがよくなるのかどうか。

今後の拉致問題への対応も視熕ホになるだろう。

 韓国の新聞も、金総書記が「特有の華麗な話術でもって『太っ腹』な立場を提示した」と解説した。

ただし社説では「日本人拉致問題は『太っ腹な告白』程度に軽く受け流す事案ではない」(朝鮮日報)と真相究明を求める。

 韓国の金大中大統領は生死の谷間をさまよった自分の拉致膜盾フことを思い出しているだろうか。

東京のホテルから韓国へと連行されたのは73年のことだった。軍俣ニ裁政権だった自国政府による連行だった

。あのころから韓国は何と変わったことか。そして北朝鮮は変わるのか。

 異国の地で短い生涯を終えた人たちのことを思い、まだ気分は晴れそうにない。




拉致問題はあるにしろ是非とも日朝正常化は軌道にのせたいものである。日朝正常化交渉を通じて徐々に本当のことを

知るように努力すべきてある。推察だが平穣に住んでいる人たちは北朝鮮に協力して地方に移された人たちは協力せず

殺害に近い状態で亡くなったのではないかと思う。だから北朝鮮としては本当のことは話し難いのではないかと。

金正日氏を将軍さまと国民が言っている間は本当のことは伝わらないのではないかと考える。

とらさん映画を好んで観ている話から根っからの悪い人ではないのではないか。

独裁的な政治体制を早くやめるべきである。北欧のアルバニアの大統領のような運命がくるかもしれない。




医療機関は、患者と家族が冷静に
決断する手助けをしてほしい




9月22日の天声人語より 



 脳の血管にぷっくり膨れている部分がある。脳動脈瘤゚(りゅう)だ。運が悪いと、明日にでも破裂するかもしれない。

 こう言われれば、だれしも大きな衝撃を受ける。そのとき、破裂を未然に防ぐ手術もできると説明される。手術を受けますか。

そう問われて冷静に判断できる人が、いったいどれくらいいるだろう。

 兵庫県の65歳の女性は「破裂の危険性に比べれば手術の危険性の方がずっと低い」と説明された。破裂を心配しながら暮らすか、

手術を受けて安心して暮らすか、選ぶのはご本人と家族だと医師に言われ、手術を決断した。ところが、

その手術の後、右半身がまひし、言葉が出なくなった。手術から2年たつが、自分で起きあがることもできない状態が続いている。

 家族がやりきれないのは、術後に執刀医から「手術をしなければよかった。破裂の可能性は1、2%だった」と聞いたことだ。

手術に危険がつきものであることはわかっている。しかし、破裂の危険性がそんなに低いとは聞いていなかった。

 日本脳ドック学会が作ったガイドラインでは、動脈瘤が5ミリ前後より大きく、70歳以下の場合は手術を勧めるとしている。

様子を見る場合は、1年ぐらいで再検査し、瘤(こぶ)が大きくなっていたら手術を勧める。

大多数゚は、どんどん大きくなるようなことはないとある。

 それなら、1年様子を見るのを基本としたらどうか。

1年あれば最初の衝撃も和らぎ、情報を集めたり、他の医師の意見を聞いたりできるだろう。

医療機関は、患者と家族が冷静に決断する手助けをしてほしい



医療従事しているものとして肝に銘じておくべき話で,もっともな話である。患者さんにはできるだけ相談にのっている。

納得いかなければ一人の医師でなく何人かの専門医師に受診するようにも話す。

患者さんにとっては一つしかない命である。専門医の意見は大体に一致してくる。

その中で人としての相性の問題もあるので,これが一番大切なことである,そこで決められたら良いと助言している。






ブッシュ・ドクトリンは米国の新しい世界戦略をまとめたものだ
抑止」論から、やられる前にやっつけるという
「先制攻撃」論への転換だろう



9月26日の天声人語より


  先日たまたまテレビで見た古い西部劇にこんな場面があった。

保安官のジョン・ウェインが部屋の中に侵入してきたネズミを拳銃で撃ち殺す。

そして言う。「ネズミに法律を守れといっても無理だろう」

 昔だったらたいして気にもならないだろうが、この時期、つい別の人を連想した。

ファンにはしかられるかもしれないが、ジョン・ウェインとブッシュ大統領とが重なって見えたのだ。

大統領が「ならず者国家」に対して言いそうなせりふだ、と。

 先日公表されたブッシュ・ドクトリンは米国の新しい世界戦略をまとめたものだ。冷戦から対テロ戦争へ。

一言でいえば、お互いに攻撃ができない状態をつくろうとする「抑止」論から、やられる前にやっつけるという「先制攻撃」論への転換だろう。

国際協調を説きながら、他方で米国単独での攻撃も辞さないとしている。

 先制攻撃の標的になっているイラクのフセイン大統領がこの夏、こんな演説をしている。

「邪悪な力が、ひつぎを背負ってやって来ようとしている」「悪魔によって支配された、自分らの力を自慢する者たち」。

米国を指してだろう、そんな言葉がちりばめられていた。

 ブッシュ大統領も「敵」に対して邪悪という言葉をよくつかうが、フセイン大統領もまたそうらしい。その点では似た者同士だ。

しかし、国力でいうとゾウとネズミほどにも違う。

 そのネズミの方がとりあえずにしろ法を守る、つまり国連の査察を無条件に受け入れる、と言っている。

映画の保安官のように撃ち殺すわけにはいかないだろう




ブッシュ大統領も「敵」に対して邪悪という言葉をよくつかうが、フセイン大統領もまたそうである。その点では似た者同士だ。

フセインもブッシュも互いに相手を邪悪呼ばわりしている。二人とも同じような資質の持ち主の様で敵がい心がある。

フセインも小泉首相のようにアメリカの機嫌を取っていれば狙われることはないと考えるが,そうともいえないのだろう。

国力はとゾウとネズミほどにも違いがある。それでいてアメリカを邪悪と呼のは大したツワモノである。

アラブ諸国にはイスラエル・パレスチナ問題があり,案外アメリカは人気がない。

ブッシュのやり方は独り善がりで世界から嫌われても仕方ない。アメリカ国民にそのような情報はつたわっているのだろうか。?

北朝鮮内での拉致事件情報と同じようなあつかいでアメリカでは一般にはブッシュの勇ましい言葉が快適にきこえるのだろうか。



日本の戦没学生の日記を
各国から来ている留学生に読んでもらう試み




9月27日の天声人語より 


 日本が中国を侵略した。このことから日本人は目をそらしがちだ。中国の人たちの多くがそう思っているだろう。

歴史認識をめぐる亀裂は、国交正常化30年を迎えても簡単には修復できそうにない。そんななかで、興味深い試みがある。

 ある日本の戦没学生の日記を各国から来ている留学生に読んでもらう試みだ。

東洋大学の石垣貴千代教授が早大や東洋大で進めてきた授業で、その成果が『くちなしの花』(出版芸術社)にまとめられた。

戦没学生の遺稿と英訳そして留学生の感想文が収められている。

 日記は43年海軍に志願し、45年4月、24歳で戦死した宅嶋徳光中尉が航空隊生活のかたわらつづったもので、

青年らしい情熱や苦悩に加えて繊細な感受性と知性を感じさせる。各国留学生の感想文から中国人学生の文章を抜粋してみる。

 日本兵は「日本鬼子」といって鬼のように憎たらしい。

そう思い込んできたが「こんなに魅力ある人間を『日本鬼子』と名付けることが果たして本当にいいだろうか」と肖さん。

孫さんは「彼の日誌を読んで彼がまず人間であり、それから兵士であることを認識しました」。

以前の考え方とまったく逆になった、と。

 戦争には被害者と加害者がいる、と簡単に考えてきたが、この遺稿を読んで「戦争というものは、もっと複雑で、

単に『良い』『悪い』と判断するものではないということに気づいた」とは張さん。

 国と国とのつきあいでは人間同士の交流が大事だとはよく言われるが、こんな死者を通しての対話もある。

生きた歴史がよみがえる。




日本兵は「日本鬼子」といって鬼のように憎たらしい。

そう思い込んできたが「こんなに魅力ある人間を『日本鬼子』と名付けることが果たして本当にいいだろうか」と

日誌を読んで彼がまず人間であり、それから兵士であることを認識しました」。

互いの国の人々が話し合えば為政者に無理やりに動員され仕方なく戦っている気持が通じあう。

人々の心は同じである。通じあうものである。間にに国家が存在すると憎しみあい殺しあうことになるのものだ。

一人一人とればなんの関係もない善良な一市民である。

インターネットが発展して各国の人々の心がが通じ合う時代になれば戦争は昔の遺物となる。

イラク戦争もアメリカのブッシュ氏とイラクのフセイン氏が「真昼の決闘」のように対決して

決着をつければ良い。

戦争を号令し指令する人は常に安全な場所から指令する。常に犠牲になるのは善良な市民達だけである。

こんな馬鹿なことが続いていてもよいものだろうか。




 ふだんは虫の目で生活している私たちだが、
ときに宇宙からの目、いわば宙観図で眺めてみるのもいい。
「人間の独善の愚かさを教えてくれるだろう」と



9月30日の天声人語より 


 中秋の名月は薄い雲に隠れておぼろ月のようだったが、その前後の月はさすがにくっきりと秋らしい美しい姿を見せてくれた。

月は古来さまざまな空想の源泉でもあった。逆にあの月から地球を毎日眺めていたらどうだったろうかと空想するときがある。

 宇宙空間からとらえた地球を見ることができるようになったのは20世紀後半のことだ。

写真でもそれは予想を超えた美しさだった。実際に肉眼で見た宇宙飛行士たちの感動はもっと鮮烈だったようだ。

暗黒の空間に浮かぶ青い惑星は人生観を変えるような力をもっていた。

 天文学の故カール・セーガン氏はもっと遠くから地球をとらえようとした。

惑星探査機ボイジャーが太陽系の果てにたどりついたとき、一度地球の方向に振り返ってもらう。そしてその姿を撮影させよう、と。

そんなのは科学ではないと反対もあったが、結局撮影に踏み切った。地球は青い点だった。

 上空から地表を眺めようという願望は人類につきまとっている。飛行機のできる前は、気球に乗って地表を撮影した。

小さなカメラをハトに取りつけて撮影した時代もあった。文字通り鳥観図である。

 どんな高さから眺めるか。それによって事態は違って見える。虫観図の必要が言われたのはベトナム戦争のころだったか。

上空から爆撃する鳥の目ではなく、爆撃される虫の目で見よう、と。

 ふだんは虫の目で生活している私たちだが、ときに宇宙からの目、いわば宙観図で眺めてみるのもいい。

「人間の独善の愚かさを教えてくれるだろう」とはセーガン氏の言葉だ。





たまに旅行して飛行機から眺める地上の風景は人間がほんのちっぽけな存在であることがわかる。

下に漂う雲の上を絨毯の上を歩けるような錯覚を起こす。

昔見た映画の「第三の男」で,観覧車の上から眺める小さな人々の一人が停止したからどうだかとのセリフを

思い出すが。だが一人一人の命は重い。爆撃される虫の目で見よう。

時には宇宙から地球を眺める気持も大切である。

悠久の宇宙のなかのちっぽけな地球,さらに地球に住む私達はもっとちっぽけな存在である。

僅かな時間しか生きない人間同士が「相手はケシカラン」と言い合うのはどうだろうか。



お盆の日


8月15日はお盆の日であると共に終戦の日でもある。先にお盆の日が有って,

後から第二次大戦の終戦の日を15日に当時の為政者が決めている。

第二次大戦開戦の12月8日は釈尊がお悟りを開かれた日だが,その日に第二次大戦開戦の日と決め,

日本軍は真珠湾に奇襲攻撃をかけている。

当時の為政者の中に仏教に関心ある人たちがいたかどうかによるか分からない。

8月6日は原子爆弾が広島に投下された日だが,その日は私の誕生日である。

毎年8月6日になると,各新聞紙、テレビなどの報道で原爆投下特集記事が組まれているが,

あくまでも私の誕生日だった日に後から原爆が投下され,人類史上忘れる事の出来ない日になってしまった。

まったくの偶然のことで,毎年の8月6日の誕生日を戸惑いながらむかえている。

今年のお盆の8月15日,戦後57回目の終戦記念日に当たる。MさんからTBS(4チャンネル)の「筑紫哲也のニュース23」で、

8月15日終戦記念番組で、「竹内浩三」さんのことがテレビに出るとの事前に連絡を受けた。

Mさんとは「竹内浩三」を通じインターネットで知り合うようになった。

インターネットのホームページ「五月のように」を開設されていて竹内浩三の作品を精力的に紹介している方です。

彼の代表作として紹介したい詩に「骨のうたう」がある。その他多くの作品も残している。


             骨のうたう

                竹内浩三  作
                中井利亮 補作

           戦死やあわれ

           兵隊の死ぬるや あわれ
       
           遠い他国で ひょんと死ぬるや

           だまって だれもいないところで

           ひょんと死ぬるや

           ふるさとの風や

           こいびとの眼や

           ひょんと消ゆるや

           国のため

           大君のため死んでしまうや

           その心や



           白い箱にて 故国をながめる

           音もなく なんにもなく

           帰っては きましたけれど

           故国の人のよそよそしさや

           自分の事務や女のみだしなみが大切で

           骨は骨 骨を愛する人もなし

           骨は骨として 勲章をもらい

           高く崇められ ほまれは高し

           なれど 骨はききたかった

           絶大な愛情のひびきをききたかった

           がらがらどんどんと事務と常識が流れ

           故国は発展にいそがしかった

           女は 化粧にいそがしかった



           ああ 戦死やあわれ

           兵隊の死ぬるや あわれ

           こらえきれないさびしさや

           国のため

           大君のため

           死んでしまうや

           その心や


竹内浩三は日本大学専門部(現芸術学部)映画科へ,卒業後23歳の若さで戦死している。

テレビ放送は1時間30分の特別番組の中で「日本がみえない」のタイトルで放送されていました。

特集を見られた方もあるかと思いますが,「日本がみえない」も竹内浩三が読んだ詩の題名からとっています。

「骨のうたう」を初めて読んだ時に強い驚きを感じた。  (伏見医報に掲載)




 IT化時代の功罪


すべてをパソコンで処理する時代になりつつある。インターネットの原理はどうしてなのか。

こんなに便利にプラウザーで見ることができるのかと,分らないままに便利なメールをも使用している。

こんな便利なものを誰が発明したのか知りたくなる。

明治時代にランプの時代から電気に変った時の人々の驚きと同じ気持でいる。

パソコンを扱っていて自分では正常に使用していても何故か分らない事が起きることが多い。

パソコンが壊れてしまう事もある。ウイルスが頻繁に浸入した事もあった。パソコンのウィルスは人間に

病気を起こすであろうウイルスとは違い,これはれっきとした犯罪行為である。人工的なものである。

パソコン上のウィルスは犯罪行為故にそれらしき他の違った名前が有っても良いのにと思うのだが。

人のパソコン内に侵入しようとする行為も犯罪行為である。これらは刑罰の対象になるものだ。

一般にハッカーとの名前で呼ばれている。

ネットでは犯罪が必ず起こりえる環境にある。ハッカーであったり, ウィルスをばら撒く人達は自分の

パソコンに対しての知識の豊富さを誇示するために行う人が多いのではないかと考える。

万全なセキュリティの確保はありえない。住基ネットもハッカーの腕た゛めしの対象になると思う。

アメリカなど諸外国の先進諸国では国家戦略としてハッカー攻撃するための秘密国家機関があるのではないかと想像する。

世界で始めての日本で住基ネットを開始したとなれば格好のターゲットになる。

まとめてごっそりと日本国中のデーターがまるごともつていかれる。

相手はパソコンのプロである。痕跡は残さない。

北朝鮮が日本の中で拉致事件を簡単に行っている。相手は物言わぬデーターであるから

盗まれたかどうかも分らない。

第二次大戦時日本の暗号はアメリカに全部解読されていたとか。

回線がクローズだと言われていても盗む気のある人間にとっては回線の何処からでも浸入し盗むことができる。

相手は国家で養成されている盗みのプロであるから。レーダに映らない飛行機が飛ぶ世の中である。

パソコンを扱ったことがなくパソコンの知識のない人がトップならば住基ネットに対して反対意見がいくら新聞紙面で

書かれいても「声なき国民の声によって推進する」との発言がでてくるのだと思う。

今からでも遅くない便利さに比べれば危険性が遥かに大きい。直ちに中止すべきである。



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