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お正月の月

毎日寒い日が続いている。長期予報では今年の冬は暖冬とのことだったが,予想がはずれて寒い日が続く。

正月休みも何処へも行かずに家ですごす。最近は正月を休む企業が多い中で,スーパーとか外食産業なと゛は

年中休まずに頑張っている所が多くなってきた。

百貨店も正月二日から開店するようになってきている。

お正月は何処の店も休みだからとて,以前のように年末に沢山の食料品を買い込んでおくこともなくなってきた。

昔のお正月らしさか薄れてきている。時代の流れであり,これも仕方ないことであろう。

タコ揚げとか羽子板で遊んでいる子供達は殆どみかけなくなってしまった。寂しい気持もする。

この近辺での現象だけかも知れない。お宮参りは相変わらずに大勢の人たちで賑わっているようだ。

長閑な風景の中にも,経済の厳しさ 国際情勢の不安さがつきまとう今年の正月である。

日本全土が○○神につきまとわられているかのようにデフレ不況が深刻さを増してきており,

又世界が○神によって振り回されているようにみえる。○○神は日本の小泉首相であり,○神はアメリカのブッシュである。

○○神は○神とは仲がよいようだ。日本国民の約七割がイラク攻撃に反対していてもブッシュ支持を表明している。

日本の小泉首相がブッシュを支持することにより,日本全体が,日本国民を含め,日本そのものがブッシュのイラク攻撃を

支持することになってしまう。世の中そんな馬鹿げたことが罷りとおるのであろうか。主権在民でなく主権在官邸である。

これでも日本は民主主義の国なのでしょうか。

いまさらのことでもないですが,自由民主党の名前が泣きます。

アメリカのブッシュはアメリカ単独でイラク攻撃に対してためらいがあるのかどうか,個別に支持国家を増やそうとしている。

各国は国民の意思がいかに反対があろうとも,そこの大統領乃至首相の支持が得られればその国の支持を得たことになる。

日本でさえも反対意見がいかに多くあろうとも,首相の判断だけで決まってしまっている。まして他の国々では国民の意見などは

無に等しいのではなかろうか。トルコは8割の人たちがイラク戦争に反対でも政府はアメリカに基地を提供しようとしている。

アメリカ国内でさえ反対意見が多い。それでもブッシュは戦争を始めようといている。

こんなに開戦前から反対運動が盛んな中で戦争を始めようとする戦争は今だかってないとのことらしい。

ブッシュは稀に見る勇気ある人なのか「うすのろ」の人なのか判らない。

イラク戦争が勃発すれば,イラク国民・庶民の犠牲は計りしれない。国連では50万人の死傷者が出るとの推測である。

アメリカの若者達の犠牲者も出るであろう。

ブッシュは全能の神である。それも○神である。自分の欲望を遂げるために他の誰の意見をも聞こうとしていない。

彼にはただ前進あるのみである。アメリカの軍人達は規律に縛られ嫌であろうとも大統領の命令.指揮官の命令に従わざる得ない。

軍隊組織は極めて非人間的な要素が多い。戦争時には軍人は駒としての役割遂行しか与えられていない。

もっと国連を通じての対話を徹底させるべきである。イラクに大量破壊兵器があるならばイラク自身に処分させればよい。

大量破壊兵器を持っている国が破壊兵器を棄てよとの脅しをかけながら,そして大量破壊兵器を持っているからといつて,

一方的に戦争をしかけるのは全く道理に合わない。アメリカは自国の気に染まない国が有れば戦争を強いる。

こんな国が世界のなかで唯一の超大国なので有る。そんなことがゆるされるのであろうか。?!

アメリカは第二次大戦後,我々が民主主義の模範として来たものである。

そのアメリカがこのような状態ではこの世も末世である。

アメリカの良心が早く甦って欲しい。そして戦争のない平和な世界が訪れることを願うものである。


 率直に○○と○を書くと,あまりにも直接的表現なので,それにお正月のことでもありますので遠慮しました。
   想像して入れてください。




イラク攻撃と世界

京都新聞に前国連難民高等弁務官 緒方貞子さんの話の記事が載っていました。


ーイラクへの武力行使についてどう考えるか。

「攻撃の目的をまず考えるべきだ。大量破壊兵器の除去なのか,あるいはフセイン体制の打倒とと言う目的

もあるのか。あいまいになっていると思う」「軍事力を行使するには,攻撃目標が明確で,それを除去するために

他に手段がない,という結論があることが第一。第二にその国の政治,経済,社会にどのような余波を与えるか十分計算

しておく必要がある。第三に,軍事力によって目的が達せられるかどうか,効果の問題を考えるべきだ。米国は十分な検討を必ずしも

行っていないと思う」


ーブッシュ米大統領は,当初からイラク攻撃の姿勢をくずしていない。

米国の軍事力は,安全保障理事会(十五カ国で構成)の残り十四カ国の軍事力を

全部まとめたのより大きいといわれている。

大きな軍事力があるから,結果的に現在の行動にでているのか、それとも軍事力は政治の方向を左右する必要な後ろ盾だと

かんがえいするのか。そういう疑問を絶えず持ちながら動向を見ている」


ー米国による世界の一極化についてどう認識しているか。

「軍事的には一極化しているが,政治的にはそうではない。本当の平和は軍事力によって得られるわけではない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ー今後望まれるシナリオはどういうものか。

「十分,国連に査察をさせるべきだ。査察制度いうのは平和にとって大切なメカニズムだ。査察継続を求める議論は正当なものだ」

「査察の過程で違反に近いものが発見された場合,軍事力行使に至らないまでも圧力をかけ、フセイン政権が自ら崩壊あるいは

政権の政策が完全に変更されるのが,いちばんよいだろう」

ー日本は今後どうすべきか。

「わたしは『外交の時代』が来たと思う。日本の影響力を使い,フォ-ラムナドを開いて結果を公表していくのもいい。軍事行動は

自重して地域安定という目的が達せられるようにするべきだという意思表示を,強く行う必要がある」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イラクの安定を図らなければならない。イラクは大きい国だし、産油国だ。

イラクの安定は地域の安定と国際的な安定につながっていく」



イラクに対する日本とアメリカの立場は全く違うものである。アメリカ追随が一番良いものではない。

日本とアメリカでは中東への石油の依存度が違うから,より慎重にイラク攻撃反対の立場で独自の外交努力をすべきである。

大きな軍事力は使われて初めて威力を発揮するものである。当然アメリカは宝の持ち腐れにはしたくない。

だから何かと理由をつけて軍事力を使いたがる国で,構造的には好戦国にならざるを得ない国のようだ。

世界の平和・安定にはアメリカの国の構造改革がまずひつようだ。




「子どものころ未来はとても遠くのように思えたが、
いま未来は縮むばかりだ」



1月1日の天声人語より 

 ちょうど12年前の未(ひつじ)年の元日午前0時から巨大な砂時計は時を刻み始めた。

島根県仁摩町のサンドミュージアムに設置された高さ約5メートルの砂時計で、

1年かけて推定6400億粒の砂を落とす。

コンピューター制御の現代的砂時計である。

 米国では、「万年時計」をつくる計画が進められている。

「チクタク」は1年単位、「ボーン」は1世紀に1度、そして千年に1度カッコウが飛び出す機械時計だ。

それを1万年後まで動き続けさせよう、と。すでに試作品ができている。

 計画の中心人物はコンピューター技師のダニエル・ヒリス氏で

「最速のコンピューターを開発した男が世界で最も遅い時計をつくっている」と評される。

「子どものころ未来はとても遠くのように思えたが、いま未来は縮むばかりだ」と彼は言い、

そんな縮むばかりの現代人の時間感覚に衝撃を与えようと考えた。

 1万年後には、まるで違う文明の世界になっているかもしれない。

そこで引き継ぎ帳のような解読資料も残しておくことにした。

「英国のストーンヘンジやエジプトのピラミッドのように、悠久の時間に思いをはせる記念物になればいい」。

 日本では、元々米国の歌だった「大きな古時計」が再流行している。

こちらはほぼ人生と重なり合う100年時計だ。おじいさんと運命をともにし、その死と同時に動かなくなる。

家族の一員のように生きてきた古時計への郷愁が込められる。

 降り積もる砂時計の時間、万年時計が刻む悠久の時間、そして古時計が告げる人生の時間、さまざまな時間がある。



時間は過ぎ去れば短いが,少しでも時間の大切さを心に刻むべきである。すべて早いだけがよいものでもない

じっくりとした人生の時間を味わう実感のよすがに「万年時計」があっても良い。

誰にとっても大切な時間,その時間が他者に無理やりに奪われることがあってはならない。

若い人達が時代の趨勢によってその命を奪われることがあってはならない。

誰にとっても同じように大切な時間なのである。その時間を奪ってはならない。又奪うようなことをさせてはならかい。



故郷の味を久しぶりに満喫



1月3日の天声人語より 


 故郷の味を久しぶりに満喫している方も多いだろう。

おせち料理はともかく雑煮になると、地方によって作り方がずいぶん違う。

それどころか家によっても特色がある。幼いころから食べ慣れた雑煮は正月気分を一段と深めることだろう。

 「他家の雑煮を食うときに『わが家』と『他家』というものの間に存する

かっきりした距(へだ)たりを瞬間の味覚に翻訳して味わうのである」。

物理学者で随筆家の寺田寅彦は、少々理屈っぽくそんな言い方をしている。

 アメリカ人についてこういわれることがある。

「アメリカ中、どこへ行っても同じものが食べられないと満足しない人たちだ」。

言い換えれば、あのボリュームたっぷりのハンバーガーをどこへ行っても食べられれば満足する人たちだ、と。

 からかいの一種だが、考えてみればあちらは移民の国である。

各家庭では、母国の特色ある料理を食べているのではないか。

ハンバーガー好きは日本人のおにぎり好きと、それほど変わりはないのかもしれない。

そうはいいつつ日本の食べ物の郷土色の豊かさは特別だと思いたくなる。

各地を旅する楽しさは、その土地でしか食べられないものを探索することにもある。

大都市に郷土料理店は多いが、地元で食べる味はまた格別だ。

 ところが雑煮については、自慢をしあうことはあっても食べ歩きというのはあまり聞かない。

故郷とあまりに密着しているからか。〈国ぶりの雑煮祝へば国恋し〉(宮田重雄)。

そんな気分を誘う。

 こんな句もある。〈雑煮食うてねむうなりけり勿体(もつたい)な〉(村上鬼城)



おふくろの味 故郷の味も時代の変化と共に薄れてきているように思う。スーパーで買うオカズは

塩分が多めで,何処も同じようである。せめて正月中でも故郷の味を味わえる機会になればよい。

いつになっても,誰にとっても故郷とはありがたいものである。懐かしいものである。





以前の「僕」に戻ることはできないだろう


 1月5日の天声人語より


 あなたのことを知りたい、と言われて「平凡な話だよ。

すごく平凡だから、きっと聞いているうちに眠くなっちゃうよ」と29歳の「僕」は答え、

それでもというので話をした後「ずっと退屈な人生だったし、これからだって同じさ」と。

 そんな男がごく平凡な1枚の写真をきっかけに冒険に巻き込まれる。

『羊をめぐる冒険』(村上春樹)である。羊博士が出てくる。羊男も出てくる。

北海道を舞台に、羊づくしの奇妙な世界に入り込む。

 未(ひつじ)年の年頭、再読しながら思った。

現代は身の回りに危険はあふれているが、冒険には縁遠い時代だ。

危険を避けながら暮らす。そんな受け身の生活に終始する。

そもそも冒険という言葉が死語に近いのではないか。

 「いまは代用品の時代だ。

言語の代わりに業界用語、原則の代わりにスローガン、

真のアイデアの代わりに気の利いたアイデアの」と言った人がいたが、冒険もまたそうだろう。

代用品はいろいろある。テーマパークもそうだろうし、テレビゲームもまたそうだろう。安全な代用品である。

 一方、日常生活を冒険に転じる人もいる。

『目まいのする散歩』という小説で「地球上には、安全を保証された散歩など、どこにもない」と書いた作家の武田泰淳は

「少年の頃には、ほんの短い距離の町並みが、はかり知れぬ驚異に充ちていた」と。

晩年は病身をおして散歩をした。これまた一種の冒険の趣があった。

 「羊をめぐる冒険」を終えた「僕」は日常に戻るが、以前の「僕」に戻ることはできないだろう。

冒険につきものの結果だ。


冒険にも良い冒険もあれば,悪い冒険もある。冒険で他の人たちに決して迷惑をかけてはならない。

それが冒険に対する最低の倫理・鉄則である。

子供のころには子供らしい冒険の経験がある。でも大人になるにつれてそれがなくなってきている。

他の人の冒険を見たり 読んだりはするが,あえて危険な冒険を自分でみずからしようと全くに思わない。

「僕は以前の僕には戻る事はできない」。それは誰にでも言えることだ。

その変化がいかように変ろうもそれは冒険とは別の問題である。





雪は驚異ではなく、脅威になることも少なくない



1月6日の天声人語より 


 新幹線から富士山を見ようと思ったら、当然山側の席に座るだろう。

先日名古屋から東京に向かう途中、海側の窓からも富士山が見えるのに気づいた。

静岡駅の少し手前、わずかの時間だった。しばらくして左手に、雪化粧をきらめかせる新春の富士が見えた。

やはり冠雪の富士はいい。

 雪の朝の感動もまた格別である。

深夜から雪の気配は感じていても、一夜にして世界が一変すると驚きを禁じえない。

しかし午後になると、その単調な風景にもう飽きてくる。いい加減なものだ。

 雪国の人たちにとっては当たり前の思いだろう。

雪は驚異ではなく、脅威になることも少なくない。とはいえ古来、日本人は雪に強い愛着を示してきた。

数限りなく詩歌にうたわれてきた。雪の立場になったこんな詩もある。

 「上の雪/さむかろな。/つめたい月がさしていて。/下の雪/重かろな。何百人ものせていて。

/中の雪/さみしかろな。/空も地面(じべた)もみえないで。」。

金子みすゞの「積った雪」だ。「中の雪」に思いをはせるところが、この人らしいこまやかさだろう。

 厳しい寒波が襲来する中、きょうは小寒、いわゆる寒の入りである。

南国鹿児島市でも積雪があったが、日本海側を中心に雪が降り続いている。

各地で雪崩の被害も出ている。冬山での遭難も相次いだ。容赦のない雪の恐ろしい一面を教える。

 〈飯乞ふと里にも出でずなりにけり昨日も今日も雪の降れゝば〉(良寛)。

越後(新潟県)の人、良寛も降り続く雪にはさすがにうんざりしたらしい。

きょうは良寛忌でもある。


良寛は素直で素晴らしい人であった。その人生,生き方を真似したい気持が大いにある。明治時代以降だれにも

慕われてきたひとである。寒い雪国越後の人であった。

最近京都市内では雪を見る事が少なくなってきた。子供の頃は冬は雪の中で遊んだ記憶が多い。

楽しい思い出だけである。だか雪国の人たちにとってはそれが脅威になることもあるのだろう。

雪が少なくなってきたのは地球温暖化のせいだとすると,それこそ雪による以上の脅威が

身近に押し寄せている事になる。

超大国アメリカは世界の温暖化防止条約の京都議定書から脱落している。

あまりにも身勝手な世界の脅威に対して無関心しさだ。

一方ではイラクの大量破壊兵器が脅威になるして戦争準備を着々と進めている。

此れこそが世界平和に対する脅威である。




窯でイモを焼きながらイラクの家がこわされない
平和な年を祈っています」


1月7日の天声人語より 

 読者からたくさんの年賀状を頂いた。

戦争前夜のような不穏な状況を憂え、光明が見えない閉塞(へいそく)感を訴え、

でも良い年になってほしいとの願いが込められる。

 「杞憂でしょうが/矢張り恐れています。/新しき年、是非生きて下さい」と印刷した神奈川県のTさん。

昨秋パン焼き窯をつくったという大分県のTさんは「つくるのに二カ月かゝりましたがつくづく思ったことは

戦争でこわれたアフガンの家のことでした。

……窯でイモを焼きながらイラクの家がこわされない平和な年を祈っています」。

 甲府市のMさんは「分からない」を繰り返す。

「キリスト教を信じる人たちが、どうして、気に喰(く)わないとすぐコブシを振り上げて、

地球の反対側迄(まで)も行ってバク弾を落として人を殺すのか。

神様は『汝(なんじ)、殺すなかれ』とはっきり命令しているではないか。……分からない。分からない」と。


 かつてソウルの学校で朝鮮の子供たちを教えていた奈良県のIさんは「教え子6名を軍の命令で軍需工場に送りました。

……最後の教え子の安否を知る迄、私は46年間苦しみました。

……日本も若い人々が世界の若者と手をとりあって、活動してます。私も地球人として生きます」。

 短歌に思いを託す人もいる。福島県のIさん。〈新しき年の息吹(いぶき)は嬉しかりされど生き難き不透明改革〉

〈糧食(かてめし)に飢ゑ凌(しの)ぎたる少年の吾れと重なるアフガン難民〉。

 さいたま市のHさん。〈諭すとき父は無言で頭(ず)を打ちぬいと痛かりし煙管おもほゆ〉

〈地位、名誉、財産も無き吾が人生されど悔ひなし馬車馬の吾(あ)は〉



日本国民は真面目にコツコツと戦後働いてきてやっと今の時代がやつてきた。

でも同じようなことをアメリカはイラクで戦争を始めて,石油利権を手にいれて日本の戦後マッカーサー司令官によるような

戦後支配をしようとしている。イラクの戦後の石油利権をちらつかせながら,戦争支持の国を増やそうと画策している。

世の中単純ではないが,誰が考えても絶対悪である戦争は避けないといけないことだ。

庶民に必ず出るであろう戦死者をば出してはならない。

敬虔なキリスト信者とも伝えられているブッシュの話はただの噂なのだろうか。?

何のために毎週教会に行き礼拝しているのだろう。

教会に行かずとも窯でイモを焼きながらイラクの家がこわされない平和な年を祈っている

人の方が遥かにキリスト教の教えに従った人のように思える。





臭気が世に満ちている。



1月8日の天声人語より 

 日本には臭気判定士が約2千人いる。

国家試験を通った人たちである。筆記試験のほか、5本の紙を渡し、においのついている紙2本を当てさせる、

といった嗅覚(きゅうかく)検査もある。合格した判定士は各種の悪臭対策に活躍する。

 このごろいろいろな臭気が忍び寄ってくる。

まず「きな臭い」。イラク攻撃に備え10万人以上の米軍兵士が湾岸地域に配備されつつある。

特殊部隊がすでにイラクに潜行しているという米紙報道もある。

イラク向けではないとされるが、日本のイージス艦もインド洋に到着した。きな臭さいっぱいだ。

 「油臭さ」を指摘する人もいる。

ばコラムニストのT・フリードマン氏は「イラク攻撃が石油とは関係ないというのはお笑いだ。

……石油を持ち出さなければブッシュ政権のやり方をうまく説明できない」と米紙に書く。

大量破壊兵器をめぐる応酬の裏には石油支配をめぐる暗闘があるという見方だ。


 国内政治は生臭さ」を増している。

解散・総選挙と自民党総裁選がからみあって動く。

解散については首相は何を口走っても構わないという慣習もあるようで、腹のさぐり合いが激しくなる。

国民から見れば、「うさん臭い」。もっと精力を注ぐべきことが山積しているだろう、と。

 「焦げ臭さ」を増すばかりの赤字財政、「腐臭」を放つ不良債権、そして日本のさまざまな制度が「かび臭くなっている。

いずれも「臭い物に蓋(ふた)をして」すむ段階ではない。

 臭気判定士の鼻を煩わすまでもない臭気が世に満ちている。

既成の脱臭剤では除去できそうにない。



本当に現在は臭い世の中である。脱臭剤だけで簡単に除去できる臭さではない。地道な運動が必要で

一つ一つ根気よく除いて行く以外仕方がないようだ。そうは言っていても一挙に除去できる方法もある。

賢明な世界の「世論」と「政治行動」で悪臭を放つている根本を除去することである。

それが誰であるは皆は既に知っている筈である。





相応の暮らしに満足する。
厳しい世の中、せめていたわり合おう。
成熟というべきなのか、あきらめなのか。



1月9日の天声人語より 



 「総中流」が日本人を語るときによくつかわれた。

ほとんどの人が自分を中流階級に属していると考える社会である。

それが揺らいでいるといわれる。日本は不平等社会に変容しつつある、と。

 本社の国民意識調査で意外だったのは「いまの生活に満足」という人が73年の調査開始以来最高で、

「まあ満足」を加えると70%にものぼったことだ。

不況下で失業率も高い現在、自分よりもっと大変な人がいるという意識だろうか。

 思えば戦後すぐは「総貧困」の時代だった。

それが、きのうよりきょう、きょうより明日、と生活が良くなる時代を経て、多くの人が自分を中流と思う社会を築いてきた。

 「エコノミックアニマル」と揶揄(やゆ)されもしたが、日本人といえば「勤勉」の代名詞のようにいわれてきた。

今度の調査結果では、いまの日本人は「勤勉」だと思う人とそう思わない人とがほぼ半々になっている。

また「人情味」や「やさしさ」が重視される。

 階層分化が進んでいるという最近の研究は教育分野でいわれることが多い。

高学歴、高収入の家庭の子どもが、その状態を引き継いでいく。

「エリート層」の再生産である。貧しくても教育次第で「出世」できるという近代日本の動力が失われてきた。

 格差が広がっても高望みしない。

相応の暮らしに満足する。厳しい世の中、せめていたわり合おう。

調査結果からは、そんな傾向が読みとれる。

活力に満ちた高度経済成長や狂ったようなバブルの時代を経て身につけた知恵かもしれない。

成熟というべきなのか、あきらめなのか。


決して高望みはしない。平和でなんとか毎日が無事に過ごせればそれてよいと思う人々が世の中に多くなってきているのか。

さらには人の痛みがわが痛みと思えるような日本国民になって欲しいものである。





鍋物の季節である



1月10日の天声人語より 

 鍋物の季節である。ふぐちり、かにすき、土手鍋といった旬の材料を使った鍋から

ちゃんこ鍋もあれば水炊き、しゃぶしゃぶ、おでん、

それに地方独特の鍋まで多彩だ。いったいどれほどの種類があるのか見当もつかない。

 食べ物について書こうとすると、つい『週刊朝日』連載の東海林さだおさん風の軽妙な書き方を思い浮かべる。

すき焼きについて彼はかつて「スキヤキには、リクルート疑惑に匹敵するくらいの疑惑がある」と言って、

すき焼きが、実はすき煮であることを暴露した。「ウーム、われながらスルドイ推理だ」と。

 同じすき焼きについてフランスの哲学者は「人が煮るにつれて費消されることを本質とし、

したがって《繰りかえされる》ことを本質とするこの料理」として、こう記す。

 すき焼きは食べ始めの合図があるだけで、食べ始めると「これという明確な瞬間も場所も、もはや存在しない。

《すき焼き》はとだえることのないテキストのように、中心をもたないものとなる」(ロラン・バルト『表徴の帝国』ちくま学芸文庫)。

食べ物の描き方にも色々あるものだ。

 哲学者は生の材料が食卓に運ばれ、それを料理しながら次々食べることに感心したらしい。

確かに鍋物の本質である。欧風では、できあがった煮物を取り分けて食卓に運ぶのが普通だろう。

 東海林さんには土手鍋についての深い考察もあるが、

バルトさんも、土手鍋やハリハリ鍋、アンコウ鍋まで食べていたら、さらに日本文化考は深まったかもしれない。

多彩な鍋物はまた奥深い食べ物でもある。


冬は鍋物の季節である。手じかな材料で安く手に入り,そして料理の手間もいらない。

皆が鍋を囲んでしゃべりながら暖かい鍋物をつつきあうのも,今の季節だけである。

難しい理屈はいらない。ただおいしく食べるだけである。




利益を出すだけでなく、法律を守り、
環境や地域社会にも目を配れる「きちんとした会社」になること





1月11日の天声人語より 


 企業人向けの講演会や勉強会にも、はやり廃りがある。

このところ人気急上昇のテーマが、企業の社会的責任論である。海外では「CSR」と呼ばれる。

 主催は経済団体や非営利組織(NPO)、学会とさまざまだが、多くが満員の盛況ぶりだ。

海外事情についての講演、法律や経営学の専門家による分析、優良企業からの報告が定番で、

会社から送り込まれた人々はひたすらメモを取る。

 何やら難しそうだが、要は利益を出すだけでなく、法律を守り、環境や地域社会にも目を配れる「きちんとした会社」になること。

大企業でも不正が次々と明るみに出ている。

ここで足元を見つめなおすのは悪くないが、殊勝な動機ばかりではなさそうだ。

 企業を見る目が厳しさを増しているのは海外も同じ。

ルール破りは相手にされなくなり、株価も落ち込む。

ひいては国の競争力にも影響が出る。そう気付いた欧州の国々は、

個々の会社に環境保護や法令順守の報告書を公表させるといった手立てで経営の規律を迫っている。

英国は担当大臣まで置いた。

 社会的責任についての国際標準、つまり物差しづくりの動きはあるし、

優れた企業だけを対象にした新手の投資信託も力をつけてきた。

国内での関心の高まりの背後には、この波に乗り遅れることへの恐怖心も見え隠れする。

 とはいえ、法律や環境基準を守り、働きやすい職場をつくるなどは当たり前のこと。

この精神をうたった社是や社訓をもつ会社は少なくない。

「何を今さら」と自信を持って言い返せる社長が、もっといても悪くないのだが。



会社経営も厳しい経済情勢で,難しいことも言えなくなってきている。なんとか会社が生き延びるための

手段が色々と工夫されてきているようだ。

政治家の影響下に会社は置かれている。このことはどの政治家も心してほしいことである。

無理な注文を政治家が出しても出来ない事は出来ない。やりたくともできないこともあるだろう。

工夫にも限界があるということか。倫理はどの社会でも守らなければならない最低のきまりである。




米国の顔色をうかがうことの多い日本


1月12日の天声人語より


 オオカミ少年は「オオカミが来た」とうそを言い、本当にオオカミが来たときには信用されなかった。

核開発をめぐり次々と禁則札をはがしていくいまの北朝鮮は「オレはオオカミだ」と

懸命に自らの危険さを言い立てているかのようだ。

 イソップ寓話(ぐうわ)ではオオカミはいつも最強のライオンにあこがれ、まねをしようとする。

力が支配する世界ではありがちのことだ。

いまの北朝鮮も、最強の米国しか相手にしないと言い張る。

 ライオンに取り入っていい目を見ようとするのは、寓話の世界ではキツネである。

米国の顔色をうかがうことの多い日本は一見キツネ風だが、キツネほどの悪知恵は働かない。

周囲からは従順なヒツジと見られている節がある。

ただし日本の侵略を受けたことのある国からはヒツジの皮をかぶったオオカミではないかとなお警戒される。

 「太陽政策」の韓国はいわばイヌの立場か。

オオカミの振る舞いをする北朝鮮に向かって、同じ民族としてなだめようとする。

同胞同士が戦った朝鮮戦争を例に引くまでもなく、最も身近に脅威を感じている国である。

 核兵器を保有する米国を「張り子の虎」といって挑発したこともある中国はいまや経済面で「昇竜」の道を目指す。

米国と覇を競う強大なクマだったソ連時代と違って、ロシアには威嚇する勢いはない。

北朝鮮との友好国だった中・ロも様変わりした。

 孤立感を深める北朝鮮にどう対処するか。

米国の「威光」に頼るだけでなく、周辺国の役割があるはずだ。

それらをつないでいく知恵がわが国にあるといいのだが。




あまりにも今までの日本はアメリカ一辺倒であった。北朝鮮問題がアメリカの本命のイラク侵略の小道具に

つかわれているように見える。イラクだ゙けを対象にすると対イスラム圏との対立に発展しイスラム諸国からの反発・反感を

かわすためにアメリカが北朝鮮を利用しようとしているようにみえる。

日本もアメリカの手伝いをして対北朝鮮との友好国交関係を遅らしている。

横田めぐみさんの両親が北朝鮮に行きたいと言っても許さない。

それよりアメリカに行くようになって来ている。拉致事件関係者たちも日本外交の犠牲になっているように思える。

対北朝鮮に対しては韓国の大統領金大中氏の太陽政策が良い。経済制裁などの圧力はかえって相手をかたくなにさせ,

とんでもない行動に走らせかねない。太陽政策により徐々に相手のマントを脱がす事によって平和的且早期に

南北の朝鮮の統一を助けるのが日本の役割であると考える。

対北朝鮮には太陽政策が良い。それが一番の朝鮮半島に平和をもたらす近道である。

日本も,もうそろそろアメリカから独立して一人前の国家として自主外交をしてもよい時期にきているように思う。

今までの歴代の日本の首相はアメリカに対しあまりにも卑屈であった。これからもそれが続くのであろうか。

日本もアメリカに対して対等外交を掲げた次期韓国大統領のような人物が出てきてほしいものである。



一生に二度とは帰って来ないいのちの一秒だ



1月13日の天声人語より 


 「晴天。午前裁縫ニ従事す。午後より習字ならびに書見をす。今日より小説一日一回ツゝ書く事をつとめとす。

一回書さる日は黒点を付せんと定む。但し我か心計成りけり」。樋口一葉20歳のときの日記である。

 この少し前に父が事業に失敗して失意のうちに死去、母と妹と彼女の3人で生計をたてなければならなかった。

裁縫などの内職で細々と暮らすなか、小説家として立とうと決心したのが20歳のときだった。

「此頃物入つゝきたるに例の困窮一しほ烈しくいたしかたなしといふ」というように貧困にあえぎながら小説を書き始めた。

 石川啄木も20歳が一つの転機だった。

初めての本である詩集『あこがれ』を出版した年である。

故郷の寺で住職をしていた父がその職を失い

「何の財産なき一家の糊口(ここう)の責任といふものが一時に私の上に落ちて来た」年でもあった。

 序詩を上田敏が書き、与謝野鉄幹が「あなめざまし、あななつかし、あなうるはし、人見て驚かぬかは」と

激賞のあとがきを書いたが、もちろん詩で糊口をしのぐことはできない。困窮の生活が続いた。

 明治時代の2人の作家の20歳である。

2人ともそれから10年を生きることなく逝った。

珠玉の作品を書き続けた短い晩年であった。きょう成人式の若者たちに2人の言葉を贈ろう。

 「恋は尊とくあさましく無残なるもの也」。実らぬ恋に苦しんだ一葉のつぶやきである。

「一生に二度とは帰って来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。ただ逃がしてやりたくない」。

啄木が短歌に託した思いだった。




昔の人たちは偉かった。若いにもかかわらず素晴らしい考え方をもつて生きておられた。今の若者はどうか。

まして現在生きている我々そんなに真剣にいきているのだろうか。

反省 反省の気持だけしかわいて来ない。



〈この鼓動電気に変えると何ワット
全身真っ赤君と目が合う〉



1月14日の天声人語より 

 東洋大学が募集する毎年恒例の「現代学生百人一首」を読んだ。まずは選外作を。

〈“っていうか”ここから始まるしゃべり方短歌もここから始めてみたケド〉高3・女子。

今年もしなやかで若々しい感覚の作品がたくさん集まった。名前のないのは選外作。

 〈この鼓動電気に変えると何ワット全身真っ赤君と目が合う〉中3・阪本拡也。

〈あの人に出会った時から切ってない髪の長さは時間の長さ〉高1・蝶野ゆかり。

時代を超えるこの情感、しかし伝え方は変化する。〈告白も別れの時も親指で今の時代はせつないものだ〉高3・石原達也。

 教室の風景も主要な題材だ。〈秋の午後机の上の陽だまりに誘惑されて遠のく意識〉高1・八木香織。

こんなこともある。〈友達がイジメられてた知ったとき僕の口から言葉が消えた〉高2・相澤幸輝。

 家族を詠む。〈嫌いだった習わせられたこのピアノ鍵盤叩く母亡き今も〉高2・小林萌子。

〈どうしてか母はとってもロック好き借りたら返せおれのCD〉高1・男子。

〈この部屋をあんたにあげると言う祖母の言葉の意味を解りたくない〉高2・吉倉朋子。

世間の冷たい風も忍び寄る。〈絶対にアルバイト私休めない父のリストラ十七の秋〉高2・女子。

 様々な境遇がある。〈大学に行きたい気持ち口にせず倉庫の奥でひたすら働く〉高3・佐久間慎太郎。

〈留学生のわれに故郷の黄砂降る励ましくるるか遥か海越え〉高3・張民捷。

 これまでの最高齢80歳の作。〈定期券見せて改札通る時言葉にならぬ誇らしさ〉中2(夜間学級)永田トミ。



青春時代は誰にとっても甘くてせつないものである。記憶はいつまでも消えない。「この鼓動電気に変えると何ワット全身真っ赤君と目が合う」。

できるものならもう一度青春時代に戻ってみたいものである。「定期券見せて改札通る時言葉にならぬ誇らしさ」。今はこの気持も理解できる。

レッスンを受けにいっているスクールで若い女子職員から学生さんと呼ばれると嬉しい気持になる,変なものだ。

なにか若返った気持になってくる。学ぶ心はいつまでも青春の気持を呼び覚ましてくれる。学ぶ心を常に忘れないでおこう。




小泉首相が突然靖国神社に参拝した。



1月15日天声人語より 


 きのう東京は最高気温が14度近くまで上がった。

昼間はコートを脱ぎたくなるような暖かさだった。

その陽気に誘われてというわけではあるまいが、小泉首相が突然靖国神社に参拝した。

突然といってもそれは局外者から見てのことで、本人は熟慮の上でのことだろう。

 靖国神社参拝をめぐる小泉首相の発言は、ほぼ一貫している。

「国家のために犠牲になった人々に首相が哀悼の念をささげるのは当然だ」

「それは二度と戦争を起こさないという誓いでもある」。この2点の繰り返しである。

 それに時々修飾語が加わる。

「心ならずも戦争に行かざるをえなかった圧倒的多数」「無念の思いで命を落とした戦没者」などである。

この言葉から推察するかぎり、多くの人が喜んで戦争に行ったのではなく、やむをえず行った、

あるいは行かされたとの認識があると見ていいだろう。

 一昨年8月13日に参拝したときの首相談話では「誤った国策にもとづく植民地支配と侵略」という言葉をつかっているから、

先の戦争を「肯定」していないのは確かだ。

そのへんはいわゆる「大東亜戦争肯定論」とは一線を画す。問題はその先である。

 犠牲になった国民というが、何の犠牲になったのか。

邪悪な敵の犠牲になったのではなく、誤った国策の犠牲になったのではないか。

そうだとすると、誤った国策を推進したのは誰か。その推進者の責任はどうなるのか。

そこがあいまいだから真意を疑われる。

 結局は歴史観に行き着く。私たちの首相の歴史観を聞きたい、というのは無理な注文ではないだろう。



性懲りもなく小泉首相は靖国神社参拝している。あさましくもゲリラ的な行動で参拝している。

そこまでして,何故に参拝する必要うがあるのか。そんなに参拝したければ首相を辞めてから毎日でも 一日中でもよいから

参拝すればよい。だれも文句はいわないし,何の問題も起きない。首相でなければ今からでもよい靖国神社に参拝して頂いても

結構です。問題なのはあなたが日本の首相で国民を代表する立場におられるから,東南アジア諸国から

いろいろといわれるということを理解しておられない。東南アジアの人たちは過去の戦争での嫌な思い出をひきずったおられ

靖国神社に対してその思いをもつておられることくらい首相になるならそれくらいの事は理解してあげてください。

靖国神社に参りたければ,即刻首相を辞めて靖国神社に参拝してください。

何度参られても毎日お国のために戦った人たちの霊に参拝されても誰もは文句は言わないと思います。

戦争は絶対悪です。戦争は二度とおこしてはなりません。そのためにもっと頑張って努力してください。

靖国神社参拝よりもそちらのほうに国民はおおいに期待しています。亡くなった霊にたいしてもです。

ただ貴方が一応選ばれて日本国民の代表として国民一人一人の気持を代表する立場であることくらい理解しておいてください。





あの痛切な経験とその後の連帯の波を
どう生かしてきたのか、と。




1月16日の天声人語より

 
 ゲーテが6歳のときだった。

「異常な世界的大事変が生じて、私の心の平安は生れて初めて根底からゆるがされた」と後に記す(『詩と真実』)。

1755年11月のリスボン大地震である。

 彼はあたかも見てきたかのように描写した。

「大地はふるえ、ゆらぎ、海はわきたち、船はくだかれた。……廃虚のいたるところに煙がたちのぼり、火炎があがっていた」。

彼のいたドイツのフランクフルトまで情報は波状的に届いた。時がたつにつれて情報は詳しさを増した。

 繁栄する大都市が一瞬にして崩壊したというニュースは、ヨーロッパの人々には大きな衝撃だった。

「しばらくのあいだ世間の注意はこの一点に集中した」。

啓蒙(けいもう)主義の時代、進歩への楽観に彩られた気分を打ち砕く一撃だった。

 リスボン大地震に言及しながら関東大震災のことを書いたのはチェコの作家チャペックである。

「デリケートな文化を持ち、疲れを知らぬ勤労の町々が廃虚となっている」(『いろいろな人たち』平凡社)。

 彼はこう続ける。家々は「肌の黄色い、ほほえみを浮かべている小柄な人たちの家族の上に砕け落ちたのではなく、

人類の頭上に落ちたのだ」。

チャペックは、あの地震を人類への警告と受けとめ、世界は変わらなければならないと訴え、人類の「連帯」を説いた。

 はるか遠くで起きた悲劇を深い衝撃として受けとめたゲーテとチャペックのことを思い浮かべながら、

明日17日で8年になる阪神大震災のことを考える。

あの痛切な経験とその後の連帯の波をどう生かしてきたのか、と。


地震という地球外の自然現象に対して人類が連帯して戦えば,地球上の戦いもなくなる。

現在は地球内の国単位で互いに戦っている。それが地球外の外的が現れれば,多分地球内の国々は

結束して外的と戦うに違いない。その対象が自然現象でもよいのではないか。

そのために人々の連帯が出来てきて,国家間の争いがなくなればよい。




悪鬼のようなすさまじさで
後世に残る『史記』を司馬遷は書き上げた

 


1月18日の天声人語より

 
 敵の捕虜になった将軍について皇帝は側近に意見を求めた。

戦死しなかったことで皇帝は怒りをたぎらせていた。

側近たちは口々に将軍をあしざまに言い、皇帝におもねった。

自軍の何倍もの軍勢を相手に勇猛果敢に戦った将軍を弁護した者がひとりだけいた。

彼は最も屈辱的とされる刑に処せられた。

 中国は漢の時代である。将軍は李陵、皇帝は武帝、弁護したのは司馬遷、

彼が受けた刑は性器を除去されるいわゆる宮刑である。

彼の煩悶(はんもん)ぶりは筆舌に尽くしがたい。

しかし彼は死を選ばず悪鬼のようなすさまじさで後世に残る『史記』を書き上げた。

 その彼が死刑間近の友、任安に書き送った手紙が「任安に報ずる書」である。

李陵事件の屈辱と『史記』への執念をつづるその手紙は、

作家の武田泰淳によれば「これ以上、つきつめた気持は、あまり想像できない」。

 「死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛(こうもう)より軽し」。

その手紙の中に出てくる文句だ。

自害するのは容易だが、それをしなかったのは文章を後世に残すためだった、と。

生と死との間をさまよい、歯を食いしばって生の側にとどまった者の言葉だ。

 実刑が確定する中村喜四郎代議士が、なお無罪を主張するためか「死は……」の文句を談話として発表した。

司馬遷の言葉が「鴻毛」のように軽く響く。

李陵事件後、10年近くかけて『史記』を完成させた司馬遷に対し、

起訴後9年間代議士にとどまった中村被告は政治家として何をしたのか。

 被告にとって「泰山より重い」のは、国会議員の議席だったとしか思えない。



国会議員の「死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛(こうもう)より軽し」。一番大切なのは議員の席で

そのために9年間もガンバリとうしている。あの鈴木宗男議員は今なにをしているのか,何のために

ガンバっているのか。司馬遷の爪の垢でも両人とは言わず全員に煎じて飲ましてあげたいものである。





ハリウッドの俳優たちが「イラク攻撃は
アメリカの国益に反する」との声明を出した



1月19日の天声人語より 

 米国では、大統領の反戦運動が話題になっている。

といっても現実の大統領ではなく、連続テレビドラマで大統領役を演じている俳優マーチン・シーンのことである。

日本でもいま「ザ・ホワイトハウス」の題名で放送中だ。

 M・シーンといえばコッポラ監督の「地獄の黙示録」の演技が印象的だったが、

若い人にはチャーリー・シーンの父親といった方が分かりやすいか。

以前から反核運動などで知られていたが、イラク攻撃をめぐっても動いている。

 昨年12月には、ハリウッドの俳優たちが「イラク攻撃はアメリカの国益に反する」との声明を出した

その記者会見に出た彼が記者から「大統領!」といって質問される一幕もあった。

 ドラマの大統領役については「個人としては賛成できないことも演技ではしなければならない。

つらいときもある」とあるインタビューで語っていた。

そして「私たちも現実のホワイトハウスに平和主義者を送り込めればいいのだが」と。

 俳優のショーン・ペンもイラクを訪問するなど活発に活動している。

彼のイラク攻撃反対声明には、M・シーンのほかバーブラ・ストライサンド、ミア・ファロー、キム・ベイシンガー、ティム・ロビンスらが加わった。

名前で影響力を行使できるスターたちである。

 きのうは米国の反戦組織の呼びかけで、世界各地でイラク攻撃反対の集会が催された。

東京の日比谷公園の集会に立ち寄ってみたが、老若男女いろいろな層の人たちが集まっていた。

世界各地のこうした声がどれくらいホワイトハウスには届くものか。




ブッシュのようなアメリカ人がいるかと思うと,反戦に身を挺している人たちもいる。

だから我々はアメリカを尊敬するのである。

アメリカがブッシュの如き戦争好きの人たちの集団だったら,世界中が結束しアメリカに対抗するであろう。

しかし「私たちも現実のホワイトハウスに平和主義者を送り込めればいいのだが」と言う人もいるから,

だからこそアメリカは素晴らしい国である。






約851億円の税金が投入された
中海・宍道湖の淡水化事業も昨年終止符が打たれた




1月20日の天声人語より 


 スズキ、モロゲエビ、ウナギ、アマサギ(ワカサギ)、シラウオ、コイ、シジミ。

島根県の宍道(しんじ)湖でとれる「宍道湖七珍」である。

それぞれの頭文字から「スモウアシコシ」と覚える。その「足腰」がすっかり弱っている。

 アマサギは、照り焼きや、南蛮漬けにして食べる。

地元の食卓によく並んでいたが、最近はとんと見られなくなった。

最盛期には600トン近くあった一年の漁獲量は年々減り続け、とうとう昨年度、1トンを切ってしまった。

 シラウオは20年前の半分以下に減った。

全国一のシェアを誇るシジミも一時期2万トン近くあったのが、最近は約7400トンしかない。

早朝の風物詩でもあるシジミ漁は週4日に制限されている。

 明治期に松江市で暮らし、日本を欧米に紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は朝の宍道湖を眺めるのが好きだった。

「眠りそのもののような狭霧(さぎり)のなかに浸っていた、暁闇(あかとき)の初恋めいた淡い物の色彩(あいろ)が、

いま、さやかな朝霞の中に、しずかに溶けこんでゆく」(『日本の面影』)。

 松江の人たちは、いまもその風景はそう変わりないという。

湖周辺には、目立った大規模開発はない。

40年前に始まり、これまで約851億円の税金が投入された中海・宍道湖の淡水化事業も昨年終止符が打たれた。

しかし、水面下は激変していた。

 事業は中止になったが、宍道湖とつながる中海の干拓用の堤防はそのままだ。

「水の流れがすっかり変わってしまった」と、宍道湖漁協の高橋正治参事。

いったん弱った足腰を回復させるのはたいへんだ。



何故これはどのようになっているのかという疑問がわいてくる。わかることは島根県には以前の政界実力者竹下登氏の地元だった。

何故にこのようなことが起きたのか。想像だが初めに,公的な土木事業推進があり,宍道湖の生態系のことを

考えず土建業者のためだけに事業がおこなわれたからではないかと想像する。

竹下氏はとんでもないことを故郷に残していってしまったものである。一時的な金儲けのために,とんでもない禍根を,故郷に後世に残るような

ことを残し竹下氏は亡くなっている。

今の議員サン連中も肝に銘じこのことを教訓とし,ツマラナイ金儲けだけには走らないで下さい。





イラクとの戦争の前にブッシュ大統領はやるべき戦争
「肥満との戦い」である。


1月24日の天声人語より


 イラクとの戦争の前にブッシュ大統領はやるべき戦争があるのではないか。

そんな声も聞こえてくる。

「肥満との戦い」である。米国人の肥満はかなり深刻な事態に立ち至っている。

 米国の街を歩くと実感する。肥満度は中途半端でない。

元大関の小錦級の人たちが珍しくない。

よくいわれることだが、途上国では富裕層が太っていて貧困層がやせているのが普通なのに米国では逆だ。

やせるためにはお金がかかる社会である。

 肥満はビッグマックやチキンナゲットなどのせいだとマクドナルドに賠償を求めていた訴訟で22日、

ニューヨーク連邦地裁は原告の請求をしりぞけた。

いかにも米国らしい訴訟で笑い話のようだが、事態の深刻さの表れでもあろう。

判事も「80年に比べて体重過多の子どもは2倍に、大人は3倍にのぼっている」と警告した。

 米国では「肥満・体形差別」に反対する運動もある。

日常のいじめに始まり、車のシートベルト、飛行機の座席などで不便なことが多い。

就職差別もされるし、生命保険への加入も難しい。遺伝子による肥満もあり、肥満は必ずしも自己責任とはいえない。

それらを訴え、差別をなくそう、と。

 とはいえ肥満促進型社会には違いない。

米紙に以前こんな投書が出ていた。フランスへ行って、フランス人がなぜ細身なのかわかった。

あちらは量より質を大事にする。サンドイッチの厚さは米国の半分だし、すべてが米国より少量だった、と。

 確かに米国はすべてが「過剰・過多」の社会である。

あらゆる面でもう少し減量した方がいいのでは。



米国は欲張りし過ぎてはいないだろうか。世界一金持ちがいるにもかかわらずにさらに金持ちになりたい人達がいて,

イラク戦争を始めようとしている。

そのように思うとアメリカ旅行した時に「give me money」を訴え来た人は恰幅の良い太った人であった。

肥えるのは良くない。肥満は循環器疾患の危険因子の一つに挙げられている。

世界で飢餓に苦しんで痩せている人達は,国内の戦争などの政情不安が主な原因である。

さらに飢餓の人たちを増やす戦争をおこすのではなくて,ブッシュさんまずアメリカ社会の肥満との戦いの火蓋をきって戦ってください。





齢化時代、鎮守の森は
憩いと交流の場としてよみがえる



1月25日の天声人語より 


 どこにでもあるが普段は気にかけない鎮守の森。何の木があり、どんな生き物がいるのか。

地元の人たちによる調査が大阪府吹田市、大津市、東京都世田谷区など全国6カ所で進んでいる。

昨年発足した社叢(しゃそう)学会の初仕事である。

 社叢とは神社の森のこと。古(いにしえ)から神々と人々が共生してきた場所で、祭りや寄り合いなどが行われてきた。

その森が開発や宅地化で荒れる。何とかしなければ、と歴史学者の上田正昭さんらが立ち上がった。

寺の森も対象に加え、幅広い分野から専門家が参加した。

 会員の大津市歴史博物館の和田光生さんについて、比叡山のふもとの神社の調査に行った。

退職後、森林インストラクターの資格をとった田島卓明さんが市民協力員だ。

 全体の景観、参道の様子、細かな植生、水源、建物の配置など調べる項目はたくさんある。

「ここはカシやシイが多い。古来の植生がよく残っている」と田島さん。

「惜しむらくは参道にもっと木があればね」と和田さんが応じた。

 別の神社で木々の中に入ってみた。ヒノキやシイの落ち葉が積もり、ふんわりと足に柔らかい。

落ち葉の間から、サカキや赤い実をつけたヤブコウジ、茶の木が顔を出している。

ヒヨドリが鳴き、空を見上げるとトンビが舞っていた。

 大事なのは、調査を通じて人々が身近な自然と環境とに関心を深めることだろう。

学会の呼びかけ人の一人で建築学者の上田篤さんは「樹木医があるように、社叢医をつくりたい」という。

高齢化時代、鎮守の森は憩いと交流の場としてよみがえるのではないか


自然は残してもらいたいものである。都会では開発が進んでいる中での神社の森は皆の憩いの場所である。

自然を残すには自然に放置していては残らない。行政 地元の人たち 専門家の人たちと一緒になって

残すための努力が必要がある。森は都会の中のオアシスて゛ある。

よからぬ政治家の入る余地を与えてはならない。




外交と世論との溝はいつの時代にもある


1月27日の天声人語より


 北朝鮮のテレビ放送が最近よく紹介される。

アナウンサーの絶叫調にまず驚くが、米国への憎悪をむきだしにしたその放送内容にも驚くことが多い。

国民の反米感情をあおるばかりの内容だ。

 その裏で、あの国が懸命に米国に信号を送っていることを国民は知らされているのだろうか。

何とか米国を交渉の場に引き出そうとしていることを知らされているのだろうか。

たぶん、知らされていない。

 少々古い話だが、日露戦争時の日本を思い浮かべる。

連戦連勝に沸きかえる国民は巨大な賠償金と領土獲得を思い描き、小村寿太郎ら代表団を歓呼の声で講和会議に送り出した。

賠償金なしなどの講和の内容が伝わると「弔旗をもって迎えよ」(万朝報)と代表団は一転していわば国賊扱いされ、

その怒りは焼き打ち事件など暴動に発展した。

 当時、日本側も疲弊の極にあった。もちろんあの広大なロシアを攻め上がる余力など残っていない。

言論統制もあって「勝った、勝った」の報しか聞かされていない国民の多くは、喜びから落胆へと激しい上下動を経験した。

 ただ当時の日本には曲がりなりにも議会制度が存在し、統制下とはいえ言論機関が機能していた。

倒閣運動のなか、桂内閣は総辞職し、政権交代に至る。

この講和後の世論の爆発が、後の大正デモクラシーの出発点になったともいわれるのは歴史の皮肉だろう。

 外交と世論との溝はいつの時代にもある。その溝があまりに大きくなったとき、事態が急展開することがある。

閉鎖国家の北朝鮮では、そんな事態が訪れるのだろうか。



江戸幕府は開国を余儀なくされて倒れている。今の世の中鎖国状態を継続するのは大変難しいのではないか。

情報はある程度国民に届いていると考える方が自然である。

ただ圧政に対しての反発力があるかどうかである。日本も色んな情報は世界から入ってきている。

戦後殆ど一貫して自民党支配の政治が続いてきた。だれもがおかしいと感じていても時の権力者にはかなわない。

このことは北朝鮮も日本も同じことで本質的にはなんら変らないと思う。

勿論良い政治が続けば国民の支持率は上がる。首相は変わるが自民党的支配態勢はかわってこない。

官僚もずーと政権維持の一翼を担い政治家と一緒になって政界の腐敗体質を増長させている。

政治改革が構造改革よりもなによりも一番先にしほしいことである。

構造改革の全てが良いとは思わない。とんでもない改革が断行され,そしてされつつある。

これは構造改悪である。

だから今国民は不況に苦しんでいる。将来恐ろしい事が起きる予感がする。

第二次大戦中の「勝つまでは欲しがりません」のスローガンを思い出す。改革が達成されるまでは我慢,辛抱しても

いつまで経っても良い事はなく,いずれとんでもない事態がおきるのではないか。戦後のあの混乱のように。

そしてすべて「大したことはない」といって 小泉首相はやめて行くように思える。

何回かの政権交代することこそが本当の構造改革につながる。

同じ党と官僚とが組んでの政治では政治腐敗を続けさせるだけのことである。

地方政治についてもいえることだ。





何人もの愛国心派の政治家が、
汚職で消えていった



1月29日の天声人語より 


 最近の言葉から。「いろんなとこへいって、ひとをつかってしごとしたし、つかわれもした。さいこうも、さいていもしってる」。

阪神大震災でがれきの下に閉じ込められ、46時間後に救助された68歳のおばちゃん。夜間中学に通い、初めて作文を書いた。

 「私は『アンダースタンド』という言葉が好きなんだけど、これを『理解する』なんて訳したのがいけない。

『下に立つ』と素直に訳したらよかった。……意識して、努力して人の下に立つぐらいでちょうどいいの」と評論家の犬養道子さん。

 精神科医で作家のなだいなださんは「最近、この愛国心を子どもに教え込もう、そのために、教育基本法を改正しようなどという人があるが、

パトリオティズムが国家中毒国家依存と訳されていたら、そんなことは考えないだろう。

何人もの愛国心派の政治家が、汚職で消えていった現実も、この訳なら当然なことと納得できる」と。

 作家の森巣博さんは「私の言う『のすたるじじい』ですね。

ありもしない『過去の美しい日本』を都合よく捏造(ねつぞう)し、そこへの回帰を願う人たちです。

……残るものなら、ことさら守れと言わなくても歴史の試練に耐えて必ず残る」。

 「東京の歴史なんかたかだか400年。京都は千年、奈良は2千年の歴史です。

そう思えば、東京なんかそんなに意識する必要ないんです」と吉本興業の林裕章社長。

 91歳で初めて海外旅行をしたという95歳の美容師吉行あぐりさんが90歳の映画監督新藤兼人さんに

「あなたなんか、まだ若造よ」。10年後の再会を約束した。



日本もまだまだ捨てたものでもない。戦争中毒症にはまだなつていないが,。将来はわからない,

今のブッシュのアメリカを支持するようならば,戦争中毒症へなる兆しが充分ある。

自覚してほしいものです。まず自覚がなければ病に犯される危険性は充分ある。

戦争中毒症は多くの他の人たちを殺す大変な迷惑を人々に与える。

愛国心は国家依存症 国家中毒症である病の一つでもあるようだ。

しかしお酒と同じで適量ならば国の健康にも良い。

だが度が過ぎると毒となる。とんでもない行動に走る場合がある。

ほどほどがなんでも良い。

老いて盛ん,その気持にあやかりたいものである。





「アメリカ国民を戦場に送り出すことは、
大統領が行う最も重大な決断である」。



1月30日の天声人語より




 権力者の孤独とはよくいわれる。とりわけ戦争を決断するときの厳しさは並大抵ではないだろう。

「アメリカ国民を戦場に送り出すことは、大統領が行う最も重大な決断である」。

一般教書演説でブッシュ大統領はそう表現した。

 ベトナム戦争をめぐる演説で、当時のジョンソン大統領が見せた悲痛な表情が浮かんでくる。

あの戦争が泥沼化していくなかで、さらに兵士を戦地に送り出さねばならないときのことだったと思う。

 ブッシュ大統領はしばしば「私はベトナム戦争の子だ」と語る。

青春時代とあの戦争とが重なるまさにベトナム戦争世代だ。あの戦争が世論から見放されていく過程を目の当たりに見てきた。

いまの立場で彼が最も恐れていることの一つだろう。

 ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者の近著『ブッシュ・アット・ウォー』で印象深いのは、

大統領が「自分は直感の人だ」と何度も語ったというところだ。

著者は「彼にとって、直感はほとんど第2の宗教だ」と記す。

 第1の宗教とはもちろんキリスト教のことだ。

彼が熱心なクリスチャンであることはよく知られる。

歴代大統領と比較してもその演説の宗教色は一段と濃い。

彼の直感による決断を支えるのはその信仰なのだろう。

 一般教書演説では大統領は戦争をめぐってこうも語った。

「どんな勝利にも悲しみがつきまとう。……そして必ずやってくるであろう哀悼の日々を恐れる」。

その悲しみや哀悼の日々はアメリカ国民だけのものではない。

そのことを深く考えた上での決断であるべきだろう。




長い目でみれば,いずれフセイン大統領は倒れる。その彼を倒すために何十万の犠牲者を出しても良いのか。

決断の前にこのことを眼中にいれて考えてほしいものである。

ブッシュは重大な戦争への決断した後に,如何にその戦争する為の理屈をどのようにつけるかを

考えいるに違いない。

直感でまず戦争を始めるであつて,すべてがその後についてきている。

ツマラン決断はやめておいて下さい,戦争には勝利なんかありません。

多くの世界の人たち,特に多くのイラク国民の哀悼の日々を作るだけです

戦争は弁解の余地のない絶対悪です。

イラクで死んでゆく大勢の庶民のことそしてアメリカの若者たちのことを考えられたことがありますか。

信仰深いブッシュさん。全ては貴方の心次第なのです。

多くの世界の世論は戦争反対がわにあります。それでも貴方は戦争をされるのでしょうか。

無駄なお金を使ってひとごろしをされるのでしょうか。




パソコン

パソコンは年々進化している。パソコンを始めて購入した時はプリンターを含めて50万円もした。10数年前のことだから

大金である。当時のパソコンは性能も悪くインタ-ネットが始まったのはそれからしてのことで.NECのパソコンでインターネットは

出来なかった。マックを買って初めてインタ―ネットが可能になった。

毎年のように2年置き位に新しい機種が発売されてきている。OSも変って来ており,現在のWindowiになりやや落ち着いている。

周辺機器もドンドン安くなって新しいものが出てきている。時代による移り変わりが一番激しい世界である。

いくら現在立派なものを装備したとしても数年経てばもっと性能が良くて安いものがでてくる。これは間違いない事実である。

少し時代遅れで安いものを購入するのが賢いパソコンの選び方のように思う。

重装備しなくとも軽装備で,とりあえず,現在使えるものを追うのが賢いパソコンの使い方選び方のように思う。

新しいものも直ぐに古くなり使い勝手の悪い代物となるに違いない。パソコンの世界は進化の激しい世界だ。




医師の仕事

少しでも人の健康を維持させ,命を助けるのが医師としての義務であり仕事である。

みすみすに戦争で亡くなるであろう人達を大勢見逃すわけにはいかない。

始まるであろうイラク戦争に,一方的に戦争を仕掛けるブッシュへの攻撃に自然と力が入ってくる。

ネットの片隅でいくら戦争反対 世界平和を書いていても太平洋の中に浮かんでいる浮木の穴に

亀が首を突っ込むよりむつかしいことである。

でも書きたい衝動に駆られ止められない。誰もは心の片隅にあっても多分そのままにあきらめておられるのた゛と思うが。

富士登山道程もふもとの一歩から始まる。

根気よく書いていればいつか読んで共感してもらえる人が一人でも多くあればそれでよいとの気持で書いている。

来院する患者さんを診て助ける仕事だけが医師の仕事とは思えない。

大量に人を殺す戦争を世界からなくす仕事も医師の仕事の中にはいるのではないかと考えたりしている。





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