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二月になって
寒い日が毎日続いている。暖かい日は比較的少なく,でも子供の頃のように雪の降る日はなかった。
今年の冬は雪の積もる日をまだ見ていない。京都市内も昔に比べると暖かくなって来ているようだ。
地球温暖化のせいによるものかどうか。
戸外で元気に遊ぶ子供達の声は聞こえてこなくなってきている。犬も家庭内で飼う習慣になったせいか,外に連れ出し
一緒に散歩するのを嫌がる犬がいるようだになったとの話を聞く。冷暖房か゛普及するに連れ人間も犬も寒さ暑さに弱くなってきている。
二月で一番印象に残っているのは国連安全保障理事会会議のテレビによる生中継放送で゙あった。
真夜中の放送だったが熱心に興味をもって中継放送を見た。その翌日は眠くてしかたない。
でも内容は見ごたえのある討論のように思える。
CNN BBC の24時間ニュース放送に加えて,日本の24時間ニュース放送も始まっている。
世界各国のニュースを24時間 放送が見られ,且インターネットで瞬時に世界のニュースが読むことが出きるように
なると政府による世論操作とか各国の世論操作も難しくなってきている。だが報道を規制している国などの場合は別である。
国連安保理事会のテレビ中継放送で゙一番に心に残ったのは,シリアが訴えたイラクと同じようにイスラエルが安全保障理事会の勧告を
無視し続け,尚且既に核を保持している,そのイスラエルを何故に放置しておいて,米英がイラクだけに圧力をかけ,
戦争へ至るのかとの意見である。
安保理事会ではイラクが問題にされているが,何故にイスラエルが問題にならないのかが不思議である。
ほとんどの国がフランスの言うイラク査察を強化して平和裏に解決する主張の意見が多かった。
フランスの演説が終わった時に,後ろの傍聴席から人々が立ち上がって拍手が送られるのを見ていて,
世界はまだまだ捨てたものではないぞとの熱いものがぐーんとわきあがってくるものを感じた。
アメリカ以外の世界の国内世論はイラク戦争反対が大勢で一致している。
イギリスは大多数の国内世論が反対していても,尚イギリスのブレア首相が戦争賛成に廻る理由はなんとなく判らないこともない。
アメリカという国はもともとイギリス移民の人たちで構成されており,歴史的にもアメリカとは古い関係にある。
日本の世論の大勢がイラク戦争反対にも拘わらず,何故に日本がイラク戦争支持或いは理解するとの態度を政府がとるのかが判らない。
日本の国会内でもその理由を野党が質問しても,理由についてっきりとした答弁を首相 外相とも説明していない。
だから二枚舌外交といわれている。
舌は二つも無いから「嘘」つきという事だ。国民に嘘をついてまでして政府は何故にブッシュになびくのだろう。
一説には北朝鮮で問題が起きた時にブッシュに助けてもらう為とか。
ならば日本の自衛隊は何のために存在するのか。?アメリカの助けが無ければ自衛隊は機能出来ない仕組みになっているのか。?
北朝鮮に対処出来ない自衛隊なら,そんな自衛隊ならば初めから無い方が良い。大変な税金の無駄ずかいである。
少なくとも日本の国は日本人の手で守れるくらいの自衛隊をもつべきである。韓国も同じことで,日本と韓国を合わせた以上に
北朝鮮の軍隊が強くて恐ろしい存在とでもいうのだろうか。?
アメリカにとっては是非北朝鮮のような国がおらないと困るのではないか、故に北朝鮮が対話を求めても拒否しつづけている。
アメリカの武器が日本とか北朝鮮周辺諸国に売れなくなるから。?
さらに中国とも日本は友好関係にある。北朝鮮も又中国とは友好関係にある。
韓国 日本は北朝鮮とは国交が無い。多くのEU諸国とは北朝鮮は国交回復しているにも拘わらずにである。
北朝鮮と一番近い韓国 日本が国交がない,出来ないのはこれは大変不思議なことである。
日本 韓国が中国又はロシアに働きかけ北朝鮮に諸問題の仲介してもらうのが筋である。
何故にここでアメリカが絡まってくるのだろうか。何処にでも首をだしたがるアメリカ。
そこらにいる世話焼きバアさんに似ている。
冷戦が終わった後にも日・韓それぞれの国内に広大なアメリカの基地が存在し大勢の駐留軍がいる。
次期韓国大統領が北朝鮮との国交回復さらに朝鮮統一に意欲的だが,自民党政府 ブッシュは消極的で冷ややかな態度である。
次期韓国大統領の考えは現実的な考えではないというが,どうしてそんなことになるのか。隠れた特殊な理由でも有るのだろうか。
北朝鮮は疲弊し困窮しているニュースを見る。周辺諸国がこぞって制裁に参加すれば当然の結果である。
大東亜戦争(第二次大戦)前もABCDライン((アメリカ・イギリス・中国・オランダなどが対日経済制裁し,特にアメリカからの石油輸出禁止が
日本軍の南方侵略のきっかけを作った))で日本に圧力をかけ,そして窮鼠猫をかむで日本は無謀な戦争に突入させられたのでは
ないかと想像する。そして正義?の為の原子爆弾が広島に投下され多くの民間人が一瞬のうちにに亡くなり傷つき,それで戦争が終わった。
大戦の間にお国のために戦った沢山な軍人,そして民間人からも大勢の死亡者が出ている。
戦時下において,幼い心に刻まれている鬼畜米英は半分正しかったのではないかと思うようになってきた。
イラク戦争が対アラブ(イスラエル圏)との戦争にならないようにするために,
イラクの戦争ドラマが終わるまで北朝鮮との外交交渉ストーリーは進めないゲームの脚本をばブッシュは作っているように思える。
戦争は決してケ゛ームではない。湾岸戦争時にみせられたテレビの画面はケ゛ーム感覚で戦争が行われているようにしか
見えてこなかった。湾岸戦争後のイラクの状況の話は悲惨である。今もその後遺症に苦しんでいる人たちの報道がある。
劣化ウラン爆弾によって日本の原爆被害と同じような現象がイラク湾岸戦争後にも起こっている。
イラクは今も経済制裁下に有って医薬品が足りなく満足な治療がなされていない人たちをテレビ放送でみる。本当に気の毒な話だ。
同じような戦争ゲームをブッシュは再びやりたい意志は固そうだ。そして日本の政府も国民の意思とは反対にブッシュのイラク侵略戦争支持をば
打ち出している。それも日本国民を欺くような方法で進行している。日本の阿部副官房長官もブッシュによる戦争ゲームがお好きのようにみえる。
日米安保条約の締結に奔走された岸首相の親戚だから当然のことなのだろう。
当時,学生を中心とした大人たちは勿論のこと,子供の間にまで勇ましく叫ぶ「安保反対」の遊びが流行っていた。
日米安保条約が日米同盟の原点である。この日米同盟が正ししいものか検証する時期にきているのではなかろうか。
古い欧州のフランス ドイツ ベルギーなどの徹底的な査察を行えばそれでアメリカの言う所の脅威はそれだけで解消される筈だ。
そんなにアメリカがイラクを恐れるならば国連部隊を派遣して常時イラクを監視下に置けば良い。考えれば戦争回避の方策はいくらでもある。
今慌てて戦争をする理由は何一つない。
何故に急いで戦争をブッシュはしたがるのか。
イラクの石油が欲しい 兵器産業の在庫の武器を消費しないと兵器産業が儲からないないといえば説明がつく。
おまけに民主国家イスラエルを中心とした中東地域にすれば,アメリカは自由に中東を左右でき支配下における。
アメリカに都合の良い今の日本のように,アメリカのことをなんでもよく聞く中東地域ができあがる。
そのためにも是非ともイラク戦争が必要になってくる。このような説明があれば納得できる。
フセインが独裁者でテロの脅威が世界にばらまかれるとするならば,国連による徹底的な査察,国連軍による監督下に置くとかする
別の方法がいくらでもある筈だ。独裁国家よりも民主主義を標榜する帝国主義国家の方がはるかに恐ろしい。
民主主義国家のアメリカにはネオコン(新保守主義)が80年代から徐々に広がりを見せて,現在のブッシュ政権下で満開となる。
ネオコンの力による世界新新秩序を目指す手法はヒットラーに率いられたナチズムと似た所がある。
これだけの情報社会が進んで来て人々を欺くことは極めて困難な世界になってきている。
簡単に知りたい情報は容易に手に入れる事が出きる。
これまで書いてきた内容は新聞・テレビ並びにインターネットの検索で簡単に知ることが出来た。
日本も同じ第二次大戦の敗戦国だった悪の枢軸国の一つドイツは,国内世論に従い「戦争反対」の意気込みを
見習いたいものである。一方日本の小泉首相は世論は必ずしも正しくないとして,アメリカ追従外交を続けている。
これだけ国内でイラク戦争反対の声が高まっているにも拘わらずにである。これほど日本国民を愚弄した話はない。
早く世界の良心が目覚め,世界から戦争のなくなる日が来るのを願うものである。
本当の平和は軍事力によっては得られるわけではない
テレビの功罪
2月1日の天声人語より
一人暮らしをしている映画監督の新藤兼人さんが先日、ぼんやりしている時間の貴重さについてしみじみ語っていた。
きょうテレビ50年、ということでぼんやりテレビのことを考えていて、思った。
このぼんやりの時間を奪ったのがテレビではないか、と。
以前、本紙文化欄に「余白を語る」という題名でインタビューが連載された。
例えば当時79歳の作家中村武志さんが語る。
「今のぼくの生活は余白だらけ。……退屈? それは全くない。……ぼんやり雲の流れを見ていても楽しく、
時間を無駄にしているとは思わなくなった」。テレビは人生のそうした「余白」を奪ってきたともいえるだろう。
テレビはまた人生の余白を埋めてくれもした。
田舎で暮らす高齢の女性がしみじみと語るのを聞いたことがある。
「テレビの時代に生まれてよかった。テレビがなかったら、どうやって時間をつぶしていいのやら。本当にありがたい」
NHKのテレビ視聴時間調査によると、80年代にいったん視聴時間が減り、その後90年代からまた上昇傾向にある。
といっても平均でほぼ3時間と4時間の間におさまる。起きている時間の5分の1程度をテレビに費やしている。
テレビの功罪は数え上げればきりがない。依存症の人も少なくないだろうが、それでもテレビを消すことはできる。
余白を自力で取り戻すことはできる。
このごろありがたいのは、テレビの視聴とぼんやりする時間とが結構両立するようになったことだ。
退屈な番組が多いということだが、制作者側の配慮かどうかは知らない。
ラジオを聞く機会がすくなくなり,テレビをよく見るようになった。それにパソコンの前に座る機会も多くなった。
自分に与えられた人生の時間だからそれをどのように使おうとも,その人の自由である。自由を満喫している我々は
幸せだが,強制下のもとにおかれている人たちは大変気の毒な話である。
そのような人たちがどれだけ今の世界におられるのか。戦争などの生死の境を強いられている人たちを
なんとか少なくすることができないものか。テレビをまともに見ることが出来ない環境の人たちも多くおられることをも
肝に銘じておこう。
アラブ世界の陰謀史観
2月2日の天声人語より
米1ドル札の裏にピラミッドのような建築物が印刷されている。
この図はエジプトのイスラム教徒には強い刺激を与えるらしい。なぜエジプト文明の誇りであるピラミッドなのか。
こんな解釈がアラブ世界に広がっている。
「偽の救世主」であるアメリカが世界征服をしようと陰謀をたくらんでいる証拠である、と。
今回の大佛次郎論壇賞を受賞した池内恵(さとし)さんの『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書)に詳しいが、
こうした陰謀史観はアラブ世界に広範に根を張っているそうだ。
一昨年9月11日のテロ事件についても、まずイスラエルの仕業だ、と反応する。
自分たちをおとしめるための陰謀だ、と。
この陰謀史観はイスラム教に深く組み込まれた終末観と重なり合っていろいろな表れ方をするらしい。
戦後のアメリカでのマッカーシズム、いわゆる赤狩りも陰謀史観の色が濃い。
悪の源泉が共産主義だとして、関係のありそうな者を徹底的に社会から排除しようとした。
また、ユダヤ人陰謀説はアラブ世界だけでなく、各地に根強く残っている。
すべての悪を誰かのせいにする。
複雑な物事を簡単に説明できるから便利だ。
本当は自分たちの問題なのに、それを他人のせいにできるから心理的にも安定する。
この傾向が広がる社会は危うい。
池内さんは、こうしたアラブ世界の「思想的袋小路」を描くのは非常に苦痛だった、と記す。
しかし、善悪二元論を振りかざすブッシュ米大統領の危うさだけでなく、
アラブ世界にも類似の危うさがあることから目をそらすわけにはいかない。
善悪二元論を振りかざすブッシュ米大統領が現在世界中を翻弄している。アラブ世界の陰謀史観もその結果では
なかろうか。超大国になった国の指導者がこんなに人間的に軽く,無思慮な人だと世界中の誰もが大変に迷惑する。
迷惑どころか生死をかけられる人たちも出てきている。なんとかならないものかと思うが,我々にはアメリカ国民以外
アメリカ大統領を選ぶ権利を持たない。権利はなくともその人によって我々の運命が左右されている。ひどい話である。
世界中の人々は諦観する以外に仕方ないものなのだろうか。?世論が正しいとは思わないというような首相を持つ国民も
哀れである。でも我々はそのような首相を変える権利は持ち合わせている。
スペースシャトル・コロンビアの空中分解
2月3日の天声人語より
日本でテレビが誕生して50年のその日に、衝撃的なテレビ映像が米国から送られてきた。
真っ青な空を背景に白い航跡が分裂し、落下していく。
スペースシャトル・コロンビアの空中分解である。乗組員7人が犠牲になった。
その1人イラン・ラモンさんはイスラエル人としては初めての宇宙飛行士だった。
彼は「月の風景」という小さな絵をイスラエルの博物館から借りて飛び立った。
ナチスの強制収容所アウシュビッツで犠牲になった14歳の少年が描いた絵だ。
少年の宇宙へのあこがれが込められていた。
ラモンさんの母親もアウシュビッツに収容されたが、何とか生き残った。
そうした思いを背負っての宇宙飛行だった。
出発前、彼は「事故についてはまったく心配していない」と繰り返し語っていたそうだ。
「シャトルはバックアップの上にバックアップ、その上にさらにバックアップがある」と。
実はそうでもなかった。米国議会でもたびたび安全性が議論になってきた。
全体が60〜70年代の技術の所産で、部品を取り換えながらしのいできた。
しかし予算の制約もあって完璧(かんぺき)とはいえなかったようだ。
そもそも宇宙飛行がシャトルにかける負荷は膨大で、小さな故障が致命的な事故につながる怖さが常にある。
81年以来113回の飛行のうち、86年のチャレンジャーの事故に続いて今回が2度目の惨事だ。
一説では、旅客機の事故に比べ1万倍以上といえる頻度である。
巨大技術がかかえるもろさへの警戒を怠ることができないことを痛感するが、
宇宙への夢はしぼんでほしくない。
思いもかけない惨事が起こるものである。一説には宇宙飛行に対して予算がけずられているとか。
軍事費には湯水のごとくに使い,目に見えた利益が上がらないところには予算が廻せない。
実利主義アメリカの真骨頂を見る感じである。
もっと平和的な宇宙のロマンに対してもっと費用をまわせられないものかと考える。
旅客機の事故に比べ1万倍以上といえる頻度があるようならば,一般の人たちの宇宙旅行は
まだまだ夢の又夢のように思える。
立春のきのう
2月5日の天声人語より
寒さのただ中に春が立つ。
先人の知恵だろうか、立春という名前に誘われて春のにおいを探し、心なしか風に柔らかさを感じたりする。
といっても細長い日本列島では、季節は大きくずれながら訪れる。
立春のきのう、北海道の網走市沿岸は見渡す限りの流氷だった。
先月26日に接岸し、いま西は湧別、東は知床まで広がる。
衛星の観測では、沿岸から約100キロ先まで流氷が埋め尽くしている。
朝7時の気温は零下8.3度で例年より少し暖かめだったという。
朝7時に17.1度だった沖縄県の波照間(はてるま)島は、人が住んでいる日本列島最南端の島だ。
石垣島から約60キロ南西にあって、約580人が暮らしている。きのうは昼前からしとしと雨が降った。
そんななかでハイビスカスが真っ赤な花びらを広げている。沖縄本島では、各地で桜祭りが始まっている。
中華街は旧正月、いわゆる春節期間中でお祭り気分があふれる。
新しい玄関口になる「朝陽門」ができたばかりの横浜中華街では、
夜になると照明の「春節燈花(しゅんせつとうか)」が華やかさをもりたてる。
商店街の人たちは8日の獅子舞に向けて準備中だ。
札幌市ではきょうから「さっぽろ雪まつり」が始まる。
きのうまでに作品はほぼできあがった。
江戸400年にちなんだ江戸城の復元や黒船来航150年を記念した各種の雪像などが並ぶ。
きのうは断続的に雪が降り、除雪作業で開場に備えた。
厳寒の地から南国まで立春の表情はさまざまだ。これからゆっくりと春は日本列島を北上していく。
〈天深く春立つものの芽を見たり〉(加藤楸邨)
立春と共に春はつい其処まできている。待ちどうしい春だ。まだまだ日本は平和な中にある。
一方戦争を強いられて生死をさまようことになる人たちが春と共にでることになるが,
なんともやりきれない気持に沈む。
知恵比べがあればこそ不景気風も吹き飛ばせる
2月6日の天声人語より
いくらデフレ経済で縮こまっていても、元気な会社はいくらだってあるはずだ。
昨年末、文具などの通販会社「アスクル」に、企業戦略論の大家の名を冠したポーター賞が贈られた。
選考にあたった一橋大学大学院の説明では、「業界になかった新しい価値を提供した」。
語呂合わせの社名通り、注文の翌日には届ける迅速さが売りものだ。でも、これだけなら誰でも考えつく。
出入りの文具業者がいない中小企業に焦点を絞り、その代行業に徹したのが大きかった。
たしかに事務備品の管理は厄介だし、買いに行く手間も煩わしい。
文具メーカーを親会社に持つが、こちらは業界の2、3番手。
その分、小売店とのしがらみが少ないのが幸いしたうえ、他社製品を同等に扱う決断も良かった。
事業を始めて10年目となる昨年度の売り上げは1千億円に迫り、顧客は200万軒。
扱う商品も消耗品から耐久財、さらには名刺の印刷や損害保険へと広がる。
とはいえ、これで「めでたし、めでたし」とはいかないのが、ビジネスの怖さだ。
最大手の文具メーカーも追随する。
宅配業界や欧米の激戦地でもまれた海外の通販勢に加え、4月に発足する郵政公社の動きも気がかりだ。
顧客開拓や集金は全国1500の代理店に任せ、経費を抑えてきた。
だが、経営のかじを大きく切る際に販売網が足を引っ張る実例は、家電業界に見られた。
長所が短所に変わらない保証はない。
経営陣は経験をどう生かし、ライバルの挑戦を退けるのか。そうした知恵比べがあればこそ不景気風も吹き飛ばせる。
不景気は深刻である。国民の節約工夫にも限度がある。
まだ北朝鮮のよう状態ではないとの慰めの気分でいるしか仕方ないものなのか。
「明快な目的もないのに勇気や命を浪費してはならない」。
パウエル長官のかつての言葉
2月7日の天声人語
劇的な展開はなかった。しかし巧みに構成された報告ではあった。
国連安全保障理事会でのパウエル米国務長官のイラクをめぐる疑惑の証拠開示である。
62年のキューバ危機時の緊急安保理がしばしば引き合いに出される。
改めてあのときの映像を見たが、
キューバのミサイルの写真を見せながらソ連の国連大使に「イエスかノーか」と迫るスチブンソン米国連大使の厳しい攻撃ぶりに、
危機の深刻さがよみがえる。
パウエル長官は、むしろ淡々と感情を抑えた説明をした。
キューバ危機と違って決定的な証拠がないため、さまざまな状況証拠をつなぎ合わせ、イラクがいかに査察妨害をしたか、
フセイン体制下のイラクがいかに危険な存在か、を印象づけようとした。
たまたまきのう専門家の意見を聞く機会があった。
国連査察団の一員として長くイラクの大量破壊兵器廃棄にかかわった元米海兵隊員のスコット・リッター氏である。
パウエル長官が証拠として挙げた写真や会話について、極めて懐疑的な見方をしていた。
あれだけではとても判断できない、と。
米政権中枢はフセイン体制転覆の方針で固まったようだが、軍関係者は必ずしもそうではない、とも語っていた。
確かに、部下である兵士たちの生命を危険にさらさなければならない指揮官たちは、
中途半端な気持ちでは命令できないだろう。「なぜ戦争なのか」に迷いがあっては士気に響く。
「明快な目的もないのに勇気や命を浪費してはならない」。パウエル長官のかつての言葉である。
何度でも立ち戻るべき言葉だろう。
米政権中枢はフセイン体制転覆の方針で固まったようだが、軍関係者は必ずしもそうではない、その気持は理解できる。
戦争の実戦経験のある人ほどに戦争の悲惨さがよく理解でき慎重にならざるを得ない。そして己の生死がわからない状態に置かれる。
ブッシュにはその体験がない。兵役についたことがあるのだろうか。父親のブッシュ大統領の庇護で兵役をものがれているのでは
ないかと想像する。大統領になる資格の一つに戦争に参加した経験を加えたらどうだろう。
そうすれば軽々と戦争を始める気持にはなれない筈だ。まずブッシュに銃をもたせて前線でイラクのフセインと対決させたい。
フセイン提案のテレビ討論でさえも避ける男に対しは無理な話である。
彼には後方から勇ましい号令をかけることしか出来ない。それで多くの罪のない人たちを死においやってしまう。
「なんの明快な目的もないのに勇気や命を浪費してはならない」パウエル長官のかつての言葉は実際の戦争に参加した人の
心の底から吐かれた言葉である。再び今のアメリカ国民がかみしめて欲しい心である。
花粉症のシーズン
2月8日の天声人語より
約2千万人の患者がいるといえば、確かに国民病といってもいいだろう。
これからがシーズンの花粉症である。
しかも大半を占めるスギ花粉症は海外ではあまり見られないから、日本病ともいえるかもしれない。
スギ花粉症の患者が報告されてから40年になる今年、花粉情報協会はスギ花粉の飛散量を例年の2倍程度と予測している。
関東、東海地方などでは大量だった昨年よりは下回るものの、近畿地方では少なかった昨年の5、6倍と急増するらしい。
関東地方では来週あたりから飛散が始まりそうだ。
ここに至るには、日本の林業の曲折が影響している。
戦後の荒れた山林を復活させようと各地でスギの造林が進められた。
燃料や住宅、家具の原料として貴重だった。
しかし生活様式の変化や安い輸入木材の増加などで需要が激減、伐採されることなく放置されるようになった。
花粉の飛散ばかりが増えることになった。
都市部に患者が多いことなどから大気汚染とも関係があるらしい。
患者の低年齢化も進んでいるようだ。最近ではペットの花粉症も報告されている。
イヌの花粉症は98年にネコは00年に初めての報告があった。
安倍官房副長官らが参加する自民党の花粉症等アレルギー症対策議員連盟、
通称ハクション議連は昨春、小泉首相も花粉症と「認定」した。患者には強い味方かもしれない。
対策はいろいろ進められてきたが、文部科学省の技術予測調査では、
花粉症などのアレルギー疾患を制御できるのは2016年、患者にとってはしばらく「つらい春」が続きそうだ。
二月からは花粉症の人たちにとってつらい季節が始まる。どの薬にも必ずに副作用はついてまわる。
それが誰に出るのかが初めから判ればよいが,前もって判断する事は困難である。
少しくらいの花粉症ならば薬服用はみあわせて,ひどい時だけに服用するのも対処する方法の一つかもしれない。
「ステイツマン」は市民の手で
信頼できる政治家を送り出そうとする
NPO(非営利組織)だ
2月9日の天声人語より
東京の大学生、久保翔平さん(19)ら、「ステイツマン」の面々は政治離れどころか、政治浸りの毎日だ。
ニュースレターの発行や資料の製作にいそしんでいる。
「ステイツマン」は市民の手で信頼できる政治家を送り出そうとするNPO(非営利組織)だ。
候補者を発掘し、面接をする。志望動機や理念、政策、活動計画、資産など7項目について議論を交わす。
社会人の助けも借りた面接は、10時間にも及ぶことがある。
支援を決めたら選挙を手伝い、当選後はチェックをかねて議員活動を助けていく。
96年の結成以来、6人を支援し、国会議員2人、地方議員2人を当選させた。
若者と政治を近づけるために、議員事務所での就業体験にも力を入れている。
首都圏の大学生を中心に会員が42人。
予算は年間30万円ほどで、何度も存亡の危機に見舞われた。
支援の相手が複数の政党にわたり、政策が対立するなどの課題も抱えている。
しかし、最近ではホームページへのアクセスや地方の大学生からの問い合わせが増えて、関心のひろがりを感じている。
変化の兆しは立候補する側にも起きている。
春の統一地方選には各地で若い芽が吹きそうだ。
28歳の女性が大阪府議選に挑む。東京近郊でも福祉の現場で働く25歳の若者が市議に立候補を決めた。
都道府県議2800人あまりの平均年齢は58歳を超える。40歳未満となると4%しかいない。
大学教員らが20代30代の候補者を応援するグリーン・ユース・キャンペーンも始まった。
そこから20人が立候補の準備をすすめているという。
政治とカネで,泥まみれなっている多くの既存の政治家に対する挑戦ともとれる。
先日競売されたゴッホの油彩画「農婦」
2月11日の天声人語より
こんな句がある。
〈よく見れば薺(なづな)花さく垣根(かきね)かな〉。一見、何の変哲もない句である。
ひょっとしたら、技巧も何もない句だと酷評されるかもしれない。
もちろん専門家はご存じのように、芭蕉の作品である。
「要するに、無味・平淡な句である。
この無味・平淡のなかに深い『よさ』を感じとった芭蕉の表現意識は、
……けっして平凡ではないのである」(小西甚一『俳句の世界』講談社学術文庫)。
先日競売されたゴッホの油彩画「農婦」にも、そんな気配がある。
「暗い、汚い、稚拙」などと評価されかねない絵である。
それがゴッホ作と認められたとたんに、1万円程度の予定が6600万円にはねあがった。
そのころの代表作「馬鈴薯を食べる人びと」についても当時、
ゴッホの弟のテオやパリの画商は色彩が汚いのと乱雑さに驚いたといわれる。
実際、ゴッホの作品の評価は生前極めて低かった。
彼の死後、作品を捨ててしまいなさいと周りが遺族に勧めたほどだった。
いまも彼の作品だと知らないで、どこかの居間に彼の絵を飾っている人がいるのではないかという話も流れる。
こんな例がある。
ゴッホがスコットランド人画商の肖像画を描き、本人に贈った。画商の父親が「駄作だ」として5ポンドで売ってしまった。
いまなら50億円を下らないだろうというその絵は1世紀以上も行方不明のままだ。
先の「農婦」も所有者だった洋画家の中川一政さんが亡くなったいま、入手経路はわからない。
ただ画家は、作品の魅力を鋭く見抜いていたのではないかと想像するばかりだ。
芸術作品に対する価値はわからない。ゴッホの作品であることがわかり一万円が66000円にはねあがる話はおかしい。
一人の作家の作品にも優れた作品 劣った作品があるのが当然である。
作品に対して値段はどのようにしてきまるのか。真面目に考えると混乱してくる。
作品は生き物で,その値段で欲しい人かあればそだけの価値が有り,どんどん変わって行くものだと考える。
作者の名前だけで作品の価値が決まるものとは思わない。
騒然とした中でのキックだった。
2月13日の天声人語より
騒然とした中でのキックだった。
ボールが大きくゴールを外れると、観客は喝采(かっさい)した。
先日香港であったサッカー国際親善試合の一幕である。地元紙などによるとこんないきさつだった。
デンマーク対イラン戦の前半終了間際のことだった。
観客の笛を終了の笛と勘違いしたイランの選手がボールを手に取った。反則である。
審判はデンマークにペナルティーキックを与えた。イラン側は抗議し、ファンは騒ぎ、競技場は険悪な空気に包まれた。
「ボールを手に取ったイランの選手は不運だった。
それに乗じるのはフェアではない」。キックをわざと外したデンマークの主将の弁である。
結局デンマークは0対1で敗退するが、さわやかな印象を残した。
これがたとえばワールドカップの出場権をかけたような大事な試合だったらどうだったろうか。
ルールはルールだ、と迷わずゴールを目指すか、やはりわざとゴールを外すか。葛藤(かっとう)は一段と厳しかったろう。
去年、高校サッカーの岡山県大会で優勝した水島工はそんな例だ。
決勝の延長戦でいわゆるVゴールを決められた。
しかし、審判はゴールを認めなかった。最後はPK戦で水島工が勝った。水島工の選手や先生は悩んだ。
全国大会出場を辞退すべきかどうか。
結局出場することにしたが、ある主力選手は「試合は負けでした」と言って全国大会に出なかった。
どちらがいいか悪いかという話ではない。素早く決断したデンマークにも、悩んだ水島工の選手らにも共感できる。
そして、自分だったらどうしただろうかと考えさせられる。
サッカーだけのもんだいでなく,生きてゆく上での出来事の一つである。何に価値を求めるかのことで人により変わる。
繰り返しの出来ない人生を一人一人が体験して人生を送って行くものだ。
繰り返しできない一回きりの人生にかける。しかし誰もは二度目の繰り返しとの比較はない。
江戸時代,鎖国によって閉鎖社会をつくりながら、
豊かな文化と生活をつくりあげた謎
2月14日の天声人語より
本屋の隣に小道具屋があり、そして菓子屋に味噌(みそ)屋、酒屋に八百屋、お茶漬け屋にすし屋、居酒屋と店がずらりと並ぶ。
江戸時代の日本橋付近を描いた長大な絵巻「熈代勝覧(きだいしょうらん)」(ベルリン東洋美術館所蔵)は、
江戸のにぎわいを詳細に描いている。
東京・両国の江戸東京博物館で開催中の「大江戸八百八町」展(23日まで)に出品されている。
店が並ぶ通りには屋台での商いも少なくない。辻占いもいれば瓦版売りもいる。
あのあたりに住んでいれば現代とそう変わりない生活ができるのではないか、と思えるほどだ。
絵巻には、当然とはいえ外国人の姿は見当たらない。
キリシタンを通報した者には銀500枚などの褒美を与えるといった高札が描かれる。
にぎわいの半面、幕府は厳しい監視態勢を敷いていたことも忘れてはならないだろう。
江戸400年ということもあってこのごろ江戸時代への関心が高い。
単なる懐古や郷愁ではなく、もう少し積極的な見直しも進む。
鎖国によって閉鎖社会をつくりながら、豊かな文化と生活をつくりあげた謎を解明しようとする。
鬼頭宏氏の『文明としての江戸システム』(講談社)はこう見る。
江戸時代は、成熟した文明とはどのようなものなのかを見せてくれた。壮大な実験であった、と。
鎖国政策にも新しい角度から光を当てる説が出てきた。
兵器の開発をしないで他の分野に力を注ぎ、ゆっくりと前進した社会だった、と。
あまりに江戸賛美に走るのもどうかと思うが、現代とはまた違った、あの時代のぜいたくさに憧(あこが)れるときがある。
独裁的で平和な江戸時代 民主的な現代世の中との比較はむつかしい。生活の豊かさから比べれば江戸時代の政治下の
方が幸せなのかもしれない。民主的でも騒々しい現在の時代の方が貧しい生活を送っているともいえる。
独裁者フセインのイラクの国民のことと重ね合わせて考えさせられることがある。
過去の出来事は様々な角度から
見直すことができる。
2月16日の天声人語より
「今夜、パリは世界で最も幸せな都市だ。パリ中が踊っている」。44年8月25日の夜、そんな放送が米国に流れた。
パリからその声を送ったCBSラジオ特派員のラリー・ルシュール氏が今月初め93歳で亡くなったことを知った。
ドイツ軍が脱出したあとのパリにドゴール将軍が入った25日は、パリ解放の日として記憶される。
逆から見れば「パリ陥落」の日だった。
当時の朝日新聞は、ドイツ当局が29日に発表したとして「パリ遂に陥落す」と報じた。
ドイツ軍はパリを反枢軸軍の手に委ねた、と。
そのころの報道ではドゴール将軍らのレジスタンス側を「仏叛(はん)軍」つまり反乱軍としていた。
同じ出来事でも立場によってこれほど違ってくる。
本紙特派員だった衣奈(えな)多喜男氏は14日にパリを脱出、その脱出記を本紙に掲載した。
氏は後に著書で当時を振り返っている。パリ解放の放送を避難先で聞いて「わずか数日間の、おどろくべき世界の変貌であった。
私はさすがに胸うたれて、ラジオの前にうずくまったまま、転回する歴史の音をきいた」。
ドイツ支配下の母国を上空からしばしば眺めたのが作家のサンテグジュペリだった。
その偵察飛行について「きわめて近いと同時に遠いフランス上空を数時間飛行するとき味わう、
胸が締めつけられるようなかの想い!」(『戦時の記録3』みすず書房)と。
作家はパリ解放の1カ月ほど前、出撃したまま消息を絶っている。
過去の出来事は様々な角度から見直すことができる。
いま進行しつつあることもまたそうしなければ、と思いつつ。
「同じ出来事でも立場によってこれほど違ってくる。いま進行しつつあることもまたそうしなければ、と思いつつ。」は含蓄ある
言葉である。確かに立場により同じ現象がちがったように見えることは多多ある。
人間だから個人の記憶がある。人間の知識の集積もある。人間としての生きかたは今 現在が大切で
瞬間的に直感でもって判断しなけければならない。常にその直感を磨いておかないと機能しない。
真理を求める心が失つた時点でその感覚はさび始めてくる。毎日の生活にも必要である。
戦争は絶対悪だ。どのような理由が有ろうとも永遠の真理と考える。
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反戦のうねりがイラク攻撃をめぐって
欧米で広がっている。
2月17日の天声人語より
戦争によって民主主義を守った。そう考える欧米の人たちは少なくない。
先の大戦では、ナチズムやファシズム、日本軍国主義と戦って民主主義陣営が勝利を収めた、と。
そういう国々では、戦いを忌避する「平和主義」や「平和主義者」は「意気地なし」といった非難につながりかねない。
にもかかわらず近年にない反戦のうねりがイラク攻撃をめぐって欧米で広がっている。
「平和主義者ではないが、この戦争には反対せざるをえない」。
そういう思いの人をも駆り立てた動きだろう。
以前、この欄で竹内浩三という詩人、45年に23歳で戦死した詩人のことを紹介した。
彼の未発表原稿が昨年11月に発見され、季刊誌『環 2003年冬号』(藤原書店)に紹介されている。
ある詩集の余白などに書き込まれていた。入営直前に書かれたものらしい。
「ながいきをしたい」で始まり「ぜひとも、ながいきをしたい」で終わる詩があれば「たまがおれを殺しにきても
/おれを詩(うた)をやめはしない/飯ごうにそこ(底)にでも/爪でもつて詩をかきつけやう」と悲壮感に満ちた詩もある。
入営の朝、家族らに残した手紙には「ぼくの日の丸は、どんな風にも雨にもまけませぬ」と戦いへの決意を書いた彼だったが、
ひそかに「日本の国ほろびよ」と書き留めてもいた。
意気地なしとはいわれたくない。雄々しく戦場に向かわねばならない。
しかし彼は、あの戦争のむなしさを直感していた。
平和主義者は非国民、という時代のことである。
いまなら彼は迷うことなく反戦の側に立ったことであろう。
アメリカでは戦争に反対する人々に対して非国民呼ばわりする風潮が強いとの話を聞く。為政者 ブッショに代表する
好戦者たちが自分達のイデオロギーが正しいと思い込みその人たちがアメリカを支配するようになった。
そしてその主張を手段を選ばずに遂行しようとしている。
世界で一番危険な国になりつつある。その国が武器産業に支えられてアメリカの国を乗っ取ろうとしている。
世界でずば抜けた軍事力を持った国になっている。ハイテク技術をいかしての国である。
核も生物兵器 化学兵器なんでも地球を100回以上滅ぼすことのできる兵器をもっている。
それが現実で,それに仏独などの古いヨーロッパが対抗している。否世界全部が反対している。
今の所お金で買われている国以外は全部反対している。
国家援助という美名のもとに日本も安保理の中間国と言われている国々におカネによる買収で,アメリカのお手伝いをしている。
政治とおカネは国際的になると莫大である。イラク攻撃の基地トルコに対して基地提供の変わりに2兆円余の援助する話が,
トルコ国会の反対で頓挫している。だがトルコ軍部の方から許可の話が出始めている。
日本のロッキード事件よろしくトルコ軍部におカネが個人的に廻っているのかもしれない。
日本も国民の世論に反しての政府のイラク戦争賛成の裏にはおカネが絡んでいるもしれない。
だから政府は明確な答弁が出来ない。
おカネは魔物である。民主義国家の政治の裏では必ずおカネがつきまとっている。民主主義とはいうものの
おカネで買われた民主主義は独裁国家よりさらに性質が悪い。良い顔をしている悪者だから。
命がけで山を守った町長がいた。
2月18日の天声人語より
命がけで山を守った町長がいた。
「伐採させてくれ」と言ってくる営林署長に「山を伐(き)るなら私を斬(き)ってからにしてくれ」と突っぱねた。
山の仕事がほしい人が斧(おの)や木刀を手に自宅を訪れ、家を壊されたりもしたという。
宮崎県綾町の町長を6期つとめ、3年前に81歳で亡くなった郷田実さんである。
伐採話が持ち上がったのは、町長に当選してすぐの66年だった。
中国戦線で生死の境をさまよったとき心の支えになった故郷の山を守ろう、そんな一心だった。
実は極めて貴重な照葉樹林だったことを郷田さんはだんだん学んでいった。
しかし当時「自然を守ろう」というと、一笑に付されるような雰囲気だった。
世は高度成長の真っただ中だったが、綾町はさびれるばかりの時期である。
郷田さんはその後、町の再生のためにめざましい働きをする。
自治の手法が成功の一因でもあった。根回しをしないで提案をする。
反発が出て議論になる。議論になれば理解が深まる。
理解が深まれば参加の意識も高まる。そうやって、町民の自治を促した。
著書『結(ゆい)の心』(ビジネス社)に詳しい。
照葉樹林地域はその後国定公園になり、現在は世界遺産を目指して運動が進められている。
中心人物のひとりが郷田さんの一人娘美紀子さんだ。
彼女らはその山に九州電力が進めている鉄塔建設への反対運動もしている。
山を守った父の遺志を継ぐ。「父からは理念の大事さを教えられた」と美紀子さん。
地方が揺れ動くいま、草の根の自治をたくましく推進した一町長の足跡には教えられることが多い
いつかこの世にあるものは全て滅びる。この世は夢である。夢と知りつつ全力を尽くすのが
人間の良い所ではないか。
犯罪や交通事故で亡くなった人たちの
等身大の人形(ひとがた)
にそえられた靴の数々
2月19日の天声人語より
革靴、サンダル、運動靴、ハイヒールに下駄(げた)もある。
犯罪や交通事故で亡くなった人たちの等身大の人形(ひとがた)にそえられた靴の数々である。
きのう東京の衆議院議員会館で開かれた「生命(いのち)のメッセージ展in国会」の会場では、
無念の死への遺族の悲しみと怒りとが静かに重く訴えかけていた。
登校中の小学生の列に酒酔い運転の車が突っ込んだ事故で小学1年の長女涼香(りょうか)ちゃんを亡くした
大崎礼子さんは「無残な姿でした」と娘の死の状況を語る。
「あれ以来、時間が進まないんです」。小学生の兄2人の目の前での事故だった。2人の衝撃も大きかった。
小さな運動靴を指さして礼子さんは「運動会の前に家族で買いに行きました。
かけっこが得意だったから1等になろうね」と。涼香ちゃんは1等賞をとった。たった8カ月の短い小学校生活だった。
酒酔い運転の男は末期がんの妻の看病で疲れていたという。
情状酌量が認められ、実刑4年の判決だった。娘の命の重さに比べてあまりに刑が軽い。
礼子さんの思いである。会場に展示された92の人形は、無残に切断された92の人生
どれもが、かけがえのないものであることを語りかける。
きのうの韓国の地下鉄火災では、刻々と犠牲者の数が増えていった。
その数の多さは、地下鉄火災の恐ろしさを端的に教える。
同時に、死に襲われた一人ひとりの人生について、残された者の悲しみについて思いを馳(は)せざるをえない。
「あなたを失って、涙は枯れるものではないということを知りました」。
礼子さんが娘に語りかけた言葉である。
事故で亡くなった人は気の毒だが残った家族はもっと残酷である。
酒酔い運転の罰則が強化されて交通事故で死亡するひとが少なくなった。
でも大量に死亡することが予想され どんな予想もつかない事態が起こるかもしれない戦争に対して
それが止められる唯一の機関国連安保理事会が機能しなければどんなことになるだろう。
戦争で嘆き悲しむ人の出るのは事故によるものの比ではない。
歴史を振り返ればわかる。歴史は戦争と平和な時代の繰り返しであった。
どんなに言われようとも,戦争に対する正当な理由はなに一つとしてありえない。「戦争は絶対悪だ。」!
韓国の地下鉄火災について
2月20日天声人語より
「ラッシュアワーだったらどうなっていたか。想像するだけで恐ろしい」と地下鉄火災について韓国の新聞が書いていたが、
それでも死者が100人を超える大惨事である。なぜ被害があれほどにも大きくなったのか。
言い換えれば、被害を最小限に食い止めるにはどうしたらいいか。教訓は多々ある。
放火された車両より、後からホームに入ってきた対向車の方が犠牲者が多かった。
このことが示すように、情報伝達と、とっさの判断がいかに大切か。
対向車を事前に止められなかったのか。対向車から脱出が難しかったのはなぜか。
状況判断と指示が不適切だった可能性がある。
30人を超える死者を出した87年のロンドン・キングズクロス駅での地下鉄火災では、こんなことがあった。
火災発生直後に駅に着いた電車が「火事だ」という放送を聞いてすぐに発車、隣の駅に避難した。
そのため被害に遭わなかった。
自動的に停電したり停車させたりするような仕組みにも危うさがある。
今回は、停電で真っ暗になったことが避難の妨げになったようだ。
状況に応じて人間が介入し、柔軟な対応ができる仕組みが必要だろう。
「教訓を、缶詰にしないで生(なま)の儘に身につけること、さうだ、さうだ」。
小説『悟浄出世』(中島敦)に出てくる悟浄の独り言だ。
確かに教訓というのは缶詰にして棚の奥にしまい込んでは意味がない。
今回の惨事から得た教訓の一つとして、日本の地下鉄関係者にもこうお願いしたい。
施設や設備の点検も大切だが、人間がかかわる部分の点検もぜひ、と。
教訓は生かされない。反省の言葉がいつも続く。判っていても止められない事故もある。
悲しい話だ。
シカゴのナイトクラブで
21人が死亡した事故である。
2月21日の天声人語
いまの米国の一面を鮮明に映し出す惨事だった。
17日未明、シカゴのナイトクラブで21人が死亡した事故である。
地元紙などによるとざっとこんな経過だった。
ダンスパーティーが催されていたナイトクラブで、午前2時ごろ女性客2人がけんかを始めた。
男性客も加わっての乱闘になり、ガードマンがスプレーで催涙ガスをまいて騒ぎを鎮めようとした。
客が出口に向かって殺到し、出口に通じる階段などで折り重なって倒れた。21人が死亡、多数が負傷した。
こんな証言がある。だれかが「毒ガスだ」と叫んだ。「テロ攻撃だ」という声も。
いまの米国人がふだん最も恐れていることだろう。
それを口にしてしまった。混乱が起きないはずがない。
「赤ちゃんが、赤ちゃんが」と叫ぶ妊婦、
「こんなんで死にたくない」と嘆願する男などまさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の世界だったらしい。
遺体を見た人は「まるでローラーで押しつぶされたようだった」とそのひどさを語っている。
多くの人は実際に何が起きているのか知らなかったのだろう。
ただやみくもに退路を求めて動いた。催涙ガス自体は致死性ではないのに、
心理的な恐怖感が多数の死を招いてしまった。集団的パニックの恐ろしさである。
ナイトクラブ側にいろいろ問題があったようだが、米国を覆う不安感が事故の背景にあったと見ていいだろう。
米国社会に広範にくすぶっている感情に違いない。
その不安感は、たぶんイラク攻撃によって一掃されはしない。そんな状態で戦争に突き進む。
米国社会の前途に不安を抱かざるをえない。
米国を覆う不安感,だれかが「毒ガスだ」と叫んだ。「テロ攻撃だ」という声も。これらの声を聞かなくなるときは
いつだろう。戦争は憎しみを増幅するだけである。
イラク戦争が起こればもっとテロの恐ろしさをアメリカ国民は経験する事になるだろう。
「うすのろ」でない賢明な大統領が選ばれるような社会になるのが最善の防止策である。
「その国の国民自らが政府を選ぶべきだ。
自分たちの生活の仕方も含めて」。
2月22日の天声人語より
「去年ここに来たときには、希望だけしか語れなかったが、今回は何ができて何ができなかったか、
これから何をすべきなのか、を語ることができる」。
アフガニスタンのカルザイ大統領はきのうの記者会見でそう切り出した。
深夜の到着ということで多少の疲れは感じられたが、ユーモアを交えた冷静な話しぶりは相変わらずだ。
ほとんどゼロから国づくりを進めてきた。
武装勢力の残存などを考えるとマイナスからの出発だったといった方がいいかもしれない。その1年を彼は振り返った。
教育や経済では着々と復興が進んでいるらしい。
しかしたとえば政府機能の弱体を率直に告白する。
制度が整備されていないから普通の国のように行政がうまく働かない。行政府の能力も高いとはいえない、と。
新聞はカブールだけで100紙ほど発行されているそうだ。こちらの復興は素早い。
「ほとんどが私たちの政府に批判的で、毎朝読むのが嫌になる」と報道の自由に言及し、会場の笑いを誘った。
質問が集中したイラク問題について、かつて自分の国について語ったことをそのまま繰り返した。
「その国の国民自らが政府を選ぶべきだ。自分たちの生活の仕方も含めて」。
当然といえば当然の原則だが、大国の介入に振り回されてきたアフガニスタンの歴史を振り返るとき、重い言葉だ。
大国は謙虚に耳を傾けるべきだろう。
今後、憲法が制定され、来年には総選挙も実施される予定だという。
1年後にまたカルザイ大統領が「ここまでたどりつきました」と語るのを聞きたいものだ。
経済大国であり軍事大国でもあるアメリカが全世界に浸入・介入している。そこの伝統的な文化習慣もわからない国が
干渉するのは余計なお世話である。逆にアメリカ文化が世界の模範になるほど゜に立派とは考えない。
実利主義なアメリカ文化が全部の幸せをもたしえない。むしろ害を与えている所もある。
日本人が外国人から日本の文化の良さを教えられるようでは情けない話である。
日本の近代外交は誤訳で始まった
2月23日の天声人語より
日本の近代外交は誤訳で始まったらしい。
ペリーの黒船がやってきて結んだ1854年の日米和親条約である。
その条文を誤訳したため、騒ぎが起きた。
『日本語の歴史6』(平凡社)などによるとこうだ。
まず批准書交換の日取りが「18カ月以内」とあるのを「18カ月を過ぎて」と訳した。
外交官の日本駐在についても「どちらかの国が必要と認めれば」とあるのを「両国政府」とした。
外交官駐在の件ではさらに「18カ月を過ぎたらいつでも」と英文はいうのに「18カ月過ぎても話がなければその必要はない」と訳した。
そのためハリス総領事が突然日本にやってきたときには日本側はあわてふためくことになった。
当時、オランダ語のできる者はかなりいたが、英語はまれだった。
米国から帰国していたジョン万次郎がたぶん最も英語がよくできただろう。
しかし米国スパイ説があったりして、当初は重用されなかったようだ。
さすがに最近ではそんなことはありえないだろう、と18日の国連安保理での日本の国連大使の演説を見てみる。
イラクへの査察の有効性について英文は「重大な疑問が生じている」というが、日本文ではただの「疑問」になっている。
イラクに残された時間は、英文では「非常に限られている」のに日本文では「非常に」が省略されている。
国内向けには少し柔らかくなっている。
専門家の手になるものだろうから「誤訳」ではなく、意図的だろう。
些細(ささい)といえば些細、目くじらをたてるほどのことではないかもしれないが、姑息(こそく)の感をぬぐえない。
各国の言葉の壁が平和をもたらす阻害要因になっているのは間違いないことである。
誤って外国語を誤訳するのはしかたないとしても,敢えて知っていて誤訳するということになると 二枚舌外交同様
嘘つきである。嘘をつかれたものは相手を信用しなくなり,信用を回復するのに嘘をついたより以上の
大変な努力が必要なのが普通の社会の例であるが。
でも政治の世界ではペテン ごまかし 嘘は常態化しているので誰もが驚かなくなってきている。
このことが恐ろしい事である。
韓国の大統領を退任する金大中氏
2月24日の天声人語より
子どもの頃から人一倍怖がり屋だったという。
きょう韓国の大統領を退任する金大中氏である。
たびたびの投獄経験があるが「何度経験しても監獄に入る瞬間は、そのたびごとに心は萎え、
恐怖で身がすくみます」(『新しき出発のために』朝日新聞社)。
勇気ある人のようにいわれるが、そうではない、と。
「恐怖に身をすくませながら、なおかつ思うところを断固として行う」。
そうした矛盾した行動が人間らしさではないか、と。
全斗煥時代に逮捕され、死刑判決を受けた。
判決の前に何度も懐柔策を示されたが拒否、しかし一方で死の恐怖に震えていたという。
人間の弱さを知り抜いていた。
自分を迫害した人たちに対しても「容赦と寛容」を説き続けたのは、彼らの弱さをよく分かっていたからだろう。
侮辱や屈辱にとうてい耐えられないと思っても「一日だけ耐えてみよう」と考える。
それができれば相手を理解できるようになるし、理解できれば容赦へ、そして和解へと至る。氏はそう考える。
北朝鮮への太陽政策も氏のそうした考えが基盤にあったのだろう。
南北首脳会談からノーベル平和賞受賞の頃が政治家としての絶頂期だった。
頂上を極めた後は下り坂で、かつての輝きもあせていく。
政治家としての評価もこれからだろう。
金大中氏は暴力とか 武力に頼らない政治家だったことは間違いない。正真正銘のキリスト教の教えに
従った方である。どこかの国の毎週教会には行くがどんな教えを聞いて行動しているか訳の判らない
ような人とは全く異なった大統領だと思う。
ブッシュ政権にたてついてばかりいる
フランスへの反発
2月25日の天声人語より
米国のあるレストラン経営者がメニューからフレンチフライという表記を一掃したそうだ。
日本でいうフライドポテトで、アメリカ人の好物だからなくすことはできない。
名前だけフリーダムフライ、つまり自由フライに変えたという。
ブッシュ政権にたてついてばかりいるフランスへの反発からだろう。
その自由フライを思いついた経営者には、ニューヨークの自由の女神像のことを思い起こしてみたら、と言おうか。
いまや米国の自由の象徴だが、元々フランスからの贈り物だった。
米国独立100周年が近づいた19世紀後半、何か記念碑を贈ろうという動きがフランスで始まった。
募金をし、若き彫刻家らの手で巨大な女神像を完成させた。女神はしばらくパリで展示された後、分解され船で大西洋を渡った。
さかのぼれば米国の独立戦争へのフランスの加勢が両国のつながりを深めた。
ワシントン総司令官の下で奮戦したフランス貴族ラファイエットがその象徴だろう。
帰国後、彼はフランス革命の中心人物にもなった。「自由への愛の共有」、これが女神像贈呈の動機でもあった。
現代はずいぶん様子が違う。米国のメディアでもこのごろフランス批判が多いようだ。
「第二次大戦で米国はフランスを助けたのに恩知らずだ」といった話も出てくるそうだ。
フランスの代弁をするわけではないが、少々短絡的に思える。
86年、「自由の女神」誕生100年の式典にはミッテラン仏大統領を迎え、レーガン米大統領はこううたい上げた。
「アメリカに神の祝福あれ、フランス万歳
ブッシュが悪いか,フランスが悪いのか ブッシュ政権にたてついてばかりいるフランスは立派だと思う。
僕も終始ブッシュにたてついているが全くニュースにならない。そんな人が世界に沢山いると思う。
世界の大方の人たちがそうかもしれない。イラクのフセインもその一人であろう。だからといってフセインに共鳴はしない。
彼は過激な形でブッシュにたてついているのかもしれない。心情はわからないでもない。
アメリカに変る国連の軍隊を創設して,各国は武器をもたない。警察だけが犯罪防止のために武器を持つことができる。
世界をEU諸国とかアセアンの東南アジア諸国などの集まりにするのでなく,世界国家を創設し
各国をば連邦州で政治をまかすようにすればよい。
強力な軍隊は世界連邦国家のみに属し現在のの世界各国は軍隊を持たない。
そうすれば地域戦争は起きない。今のままならばアメリカは武器の在庫が増えれば必ずにナンヤカンヤア言いながらチコチで
戦争を引き起こすに違いない。戦争すればアメリカは必ず勝つが,でも犠牲者が大勢で出るのも事実である,
そしてテロは蔓延しテロに慄いての世界が出来上がる。
アメリカを支持すれば必ずに日本もテロの標的になる。
国民は反対だが戦争支持表明の張本人である小泉首相が標的になるのならばよいが,
戦争反対している国民がまきぞえになるのはたまらない。
そのようなテロにまきぞえにならないようにするにはまず今の所小泉首相を首相の座から引き下ろす以外ない。
日本ではブッシュより簡単にそれはできるはずである。
いま人びとが抱いている戦争のイメージは
2月27日の天声人語より
最近の言葉から。テレビ映像が戦争のイメージを変えたというコラムニストの天野祐吉さんは
「戦争といえば、昔は、国家間の軍隊の争いであり、海戦や空中戦のイメージだった。
……いま人びとが抱いている戦争のイメージは、崩壊した家の前で泣いている1人の少女である。
親の死体の横でうつろに空を見上げている1人の少年である」。
ミュージシャンは語る。
バグダッドでコンサートを開いた喜納昌吉さんは「文明が誕生した地イラクと現代文明のトップにいる米国が争うのは悲しい。
難しいのは分かっているが両国の対話を望む」と。
ニューヨーク在住の坂本龍一さんは「僕が懸念しているのは、
デモをする人も、かたや何の疑いもなく政府の方針に従う人も、論理ではなく情で動いていることです。
イラクで核弾頭が見つかったり、新たなテロが起こったりしたら、一挙に戦争賛成に回る可能性がある。これが怖い」。
「タカ派でもハト派でもない、フクロウ派の必要性を私は唱えている。
知恵の象徴といわれるフクロウは、タカのように『多国間の外交など時間がかかって煩わしい』とは言わない。
ハトのように武力行使を頭から否定もしない」と元米国防次官補ジョセフ・ナイさん。
英国メディアのフランスたたきに対して仏大統領府報道官は「侮辱の言葉は、投げつけられた人より、発した者についてより多くを物語る」。
民主党の菅代表との論戦を終えて「丸め丸めよ、我が心。まんまる丸く、丸くまんまるだ」と
江戸時代の遊行僧の歌に心境を託したのは、小泉首相。
「戦争といえば、昔は、国家間の軍隊の争いであり、海戦や空中戦のイメージだった。
……いま人びとが抱いている戦争のイメージは、崩壊した家の前で泣いている1人の少女である。
戦争なんてそんな勇ましいものでもない。国際的な大規模な犯罪行為である。
両国が戦争をする気になっての戦争ならばある程度理解できるが,将来武器を貯え戦争するからとて一方的に強制的に
攻め込む無理な戦争は侵略戦争である。対イラク戦争はそれが濃厚である。
だから世界の人々が反対し,てフランス ドイツ ロシア 中国などもそれに反対している。
国連安保理事会の討議をテレビで見ていると,フランスなどの主張はなんとか平和を追求し平和を愛する紳士的な国だが,
イギリス アメリカの主張はならずものの手に負えない愚連隊のような国家に見えてくる。僕だけがもつ気持なのかどうか。
アメリカ イギリスの国民はどのような気持であの光景をみているのか知りたいものである。
2月というのは12カ月の中でかなり不遇な月
2月28日の天声人語より
2月というのは12カ月の中でかなり不遇な月ではないか。
新しい年が始まる1月のような晴れがましさはないし、春とともに進む3月のような弾む感じもしない。
日数が短い上に、4年に一度うるう年の調整役をさせられる。
なぜ2月はそうなのか。現在の暦の源になっている古代ローマ時代の暦に原因があるらしい。
2月が最後の月で、3月から新しい年が始まる。そんな時代があった。
そのころ1年の最後の月の2月で調整をし、新しい年を迎えたという。その名残らしい。
奈良県の明日香村で見つかった日本最古の暦は太陰太陽暦だそうで、
あのころはたびたび1年を13カ月にして調整していたという。たとえば6月まで普段通りに進む。
そして6月をもう一度繰り返して13カ月にした。
見つかったのは689年の3、4月の暦だった。
〈ま草刈る荒野にはあれど黄葉(もみぢば)の過ぎにし君が形見とぞ来(こ)し〉。
万葉歌人の柿本人麻呂がそうしのんだ草壁皇子が亡くなったのは、689年4月13日とされる。
見つかった暦にはちょうどその日付があった。
3年前には天武天皇が亡くなっていた。
後継者と目されていた草壁皇子も亡くなったことから、天武天皇の妻で草壁皇子の母親が690年に即位する。
持統天皇である。その年、彼女が暦を採用したと文献にはあるが、
今度の発見でそれ以前から既に実用化されていたことがわかった。
持統天皇の歌といえば〈春過ぎて夏来(きた)るらし白たへの衣乾(ほ)したり天(あめ)の香具山〉がよく知られる。
暦が示す689年は13カ月の年で、8月が2度あったという。
いかに科学が発達しても,どうしても不遇な月をつくらなければならないのか。考えれば30日と31日の月があるのも
変である。一年を何故に12に分けねばならないのか考えれば疑問が幾らでもわいてくる。
政治とカネ
また,また,又国会議員とカネとの問題がテレビ・新聞紙面で賑わしている。
大島農水産相 坂井隆憲衆議員事件など。
言い訳はいつも秘書が秘書がで責任逃れしている。
それだけ秘書が重要な仕事をしているならば全て国会議員は常に秘書の公開を義務付けるべきである。
議員さんの大変大切な仕事をしている人たちであるから。
本当に,これほどに政治家とカネがつきまとうとのかと呆れるばかりである。
統一選挙も近いことだから,是非国民の側でも心を入れ替えて投票に望まないといけない。
政界の浄化は官庁における不正の摘発 官僚 議員 業者の汚れた人間関係の刷新が必須である。
政権党議員が率先して国 地方の政界浄化にまず手をつけなければ,同じことが続き繰りかえされるだけである。
●(1)一度あっせん利得の罪を犯した議員は二度と議員になることが出来ない。
●(2)収賄ないし不正を犯した官僚は退職金なくして即座に職場を追放する。
●(3)国民が口利きを官官に願いでる場合は署名捺印し文書ですることとする。
(3)が全ての悪のはじまりであり,官官民の三者の悪の合意が無ければカネと政治の問題は
発生しない。一人だけいくらもがいても不肖事は起き得ない。
以上のことを国並びに地方政治において適用すべきである。
このような法律を作れば今のような馬鹿げた政治とカネの問題は解消すると思うが。
おカネが無ければ議員になれないような議員は作らない事である。
それが全国民の基本的な態度であらねばならない。
議員さんも含め全国民が自分だけが政治の力でもってトクをするといった考えでは駄目である。
今回の衆院議員坂井隆憲の場合も国会議員辞職勧告が議会を通っても議員を止めようとしていない。
彼は金で票が買えたときだけはうまく当選できて 後は落選しているようだ。比例制度でやっと議員になれている。
それまでにして議員職を金儲けに魅力ある職業にしているのが,そもそもの間違いの初まりである。
土下座してでも議員になりたいような,そのような議員には票は入れないことである。
でも今の選挙制度では普通の人が立候補しても必ず落選する仕組みが作られている。それが長い間続いている。
カネ 看板 地盤が無ければ当選はできない。カネ 看板 地盤が世の中を変にし,狂わして弱者が泣き
悪い奴がはびこる世の中にしている。
国際的にも国家援助という名目で民主主義が破壊されている。アメリカのイラク戦争に賛成している国々は援助を
期待して賛成に廻っている,日本も援助をちらつかせてアフリカのアメリカ対イラク戦争賛成支持の役目を仰せつかっている。
分り易くいうならば国家によって国家の票の買収である。
ブッシュも大金を投じて大統領になれたとしか思えない人物に見える。民主主義の美名のもとにカネが裏で動いて
票を集めている事情は身近な地方選挙 国会選挙 さらに大統領選挙にも行われていると想像する。
民主主義とはなんぞや。カネで政治を買う主義である。独裁政治とはなんぞや力で政治をする主義である
国民は,人間はカネと力に大変に弱い。
その証拠に政治家の不肖事件が絶えることなく続き,国家の票の買収が新聞で堂々と報じられているのでわかる。
それがブッシュが自慢する所の民主主義である。