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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


随想 
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四月は春爛漫

今年の桜の開花は例年に比べ,少し早めに過ぎた。桜の頃はアット言う間に過ぎてしまう。

桜並木の下に咲く真っ白な雪柳が又格別に綺麗である。毎年のことだが桜が咲く頃に雪柳も同じように

咲きそろう。これも自然の巧みの妙であろうか。桜吹雪になる頃には雪柳も盛りがすぎ去る。

春はいつもの事だが心が解放されて,気分的に明るくなってくる。

全国一斉の統一選挙もすみ,四月初めころには本格的なイラク戦争も止んだ。

イラク解放と同時に新たに略奪か゛始まっている。

石油に対しては米英軍は警備に当たっていたが,博物館などを初めとする全ての

公共的建物から文化遺産をはじめ目ぼしいものは市民達によって略奪されている。

現在も混乱の中にある。戦争を始めたアメリカの責任は重い。

「イラクの自由」作戦を指揮するラムズフェルド米国防長官はこんなふうに語っていた。

 「自由な人々は過ちを犯す自由も、犯罪を犯す自由も、悪事をする自由もある。

同時に、自分の人生を生きる自由、素晴らしいことをする自由も手に入れたのだ」と発言している。

ならばフセインがやったと指摘する反政府組織弾圧する自由もあってもよかたではないか。

又警察による市民への弾圧する自由もあつてもよかったのではないか。反政府主義者に対する拷問をし処刑する自由も

あってもよかったのではなかろうか。

何故にこのように自由を大いに謳歌している主権国家に対し一方的宣戦布告をし,イラクの自由をば「イラクの自由」作戦で奪う権利を

何故アメリカが持ち,侵略する権利があるのだろうか。現在のイラクは平和と秩序からはほど遠い現状にある。

戦争で大勢の市民達が亡くなっている。ブッシュの命令で戦争に従事した人たちで亡くなった戦士達もいる。

亡くなってしまった人たちの命は戻らない。戦争で傷つき失った手足は再び元には戻らない。

だがテレビでみるブッシュは意気揚揚としている。

一般アメリカ国民の前ではなく,いつも見るのはアメリカ軍基地の中の軍人達とその家族の前だけで演説している姿である。

警備がととなわない所へ出ることができないようなことをばブッシュはイラクなどでしたのだろうか。?

世界はアメリカの影響が大である。そのアメリカがネオコンに支持されたブッシュ政権下にある限り

世界には未来というものが到底ありえない。

今度は旧フセイン体制の人たち,反米運動の人たちを再び同じように弾圧をしなければイラクの秩序回復・平和の回復はない。

歴史は繰り返すである。大義名分を掲げた支配者が交代しているだけで,だがそのつどに常に泣くのは一般の庶民達である。

戦争は絶対悪である。21世紀になっても依然として中世以来,否,人類始まって以来の同じようなことを繰り返している。

使う道具は素晴らしく発達・進歩しているが,やっている内容は全く進歩は見られていない。

指導者によるとさらにもっと悪い状態を引き起こしている。巨大な戦力を持った国には常に相応の敵が必要である。

敵がなくなると,飛びぬけた戦力はなんの値打ちも威力もなくなってしまう。世界の覇権が維持しえない。

人類が,全ての世界の人たちが切に求めている恒久平和この世ではのようなものではなかろうかと。

イラク戦争により軍需産業の株価は二倍以上に跳ね上がったと言われている。

まずアメリカ国民が目覚め,世界の現実を直視し自覚を取り戻して欲しいものである。




SARS(重症急性肺炎)



イラク戦争と期を同じくしてSARSが中国を中心に世界に蔓延しだしている。予防法 治療法は確立していない。

新種のコロナウイルスによる疾患らしい。隔離以外ワクチンなどの予防法は出来ない状態である。

治療法もない。21世紀になってこれも中世に逆戻りした感じである。ペストが大流行したようにこれだけ

医学が発達したと言っていても,とんでもないウイルスが出てきたものだ。

人類が始まって以来ずーと何時出てもよいのに,何故に今SARSなのか。

数千年の人類史上極めて稀な疾患が何故発生したものなのか。我々がそれに遭遇するのは非常に偶然の偶然の機会にいる。

医学は発達し,遺伝子解析できる時代で新種のコロナウイルスはどのような構造のものかは既に判っているようだ。

遺伝子操作により新しいウイルスもつくれるような時代に入っている。

世界の医学者,ウイルス専門家達が早急に力を結集し,SARSの研究をば どのような経路で発生したのか

そして予防法,治療法の確立に全精力を注いでほしいものである。

医学には国境はない。人類の敵,病原菌に対して争って急いでSARS撲滅に当たってほしいものである。

緊急時の世界的な流行性病原菌対策機関の発足 法律の整備が国際的な規模であってもよいのではなかろうか。

切迫した状況にあるも医療界にいて,そのような研究報告は我々のレベルまではまだ伝わってきていない。

新聞で読む程度の中国が病気発生の報告をおくらしたから,大流行につながつたとの話しか判っていない。

疑問は多々ある。科学が進歩すればするほどに訳の判らんことが多発するのではなかろうかと思う。




世界の現状


軍事力を含め経済力などで世界中でアメリカだけが飛びぬけているのが現実である。

軍事力は他の世界の国々は及ばないにしても,文化 政治 さらには経済力も力をつけてきている。

今回のイラク戦争でわかったことはアメリカとフランス ドイツ ロシアの二極対立があることである。

国連を中心にことを運ぼうとする国々とアメリカの一国主義との対立とも言える。

その中で日本は全く主体性がない。イラク戦争にはアメリカ支持をうちだし,イラクの戦後の復興には国連中心である。

アメリカと同盟関係があるならば,戦争を止めるようにアメリカに進言するのが当然の行為である。

孤立してアメリカだけでイラク戦争を始める勇気がブッシユに有ったかどうかである。

日本国民の意見の多数がイラク戦争反対にかかわらずに小泉首相は国民の意思を無視してアメリカ支持を表明した。

だから宗主国?アメリカの駐日米大使 ハワード・ベーカー及びブッシュからもお褒めの言葉をもらって

小泉首相は一応後ろ盾で政権維持の原動力とした。だが現在の日本国民の支持率は低迷している。

常に民主主義を説き民主主義でないイラクを侵略し民主化しようとするような国がどうして,世界の世論に

きずかないのだろうか。世界の民衆の大部分がデモをして戦争反対を叫んでいたことば全く無視し,

イラクを民主主義の国に変えるためといわれても誰もは信用できない。ブッシュの野心の為だけの戦争だった。

それにフランス ドイツ ロシアなどは反発している。

日本の進路は憲法上からしても戦争を好む国と行動はできないはずである。当然国連中心のフランス ドイツ ロシアなどと

組すべきである。ブッシュ政権下では国連中心主義は無理としても,いずれ良心を取り戻したアメリカと共に世界は

国連中心でもって戦争による解決でなく話し合いで国連中心に平和な世界を築くようになって欲しいものである。





「真実が靴を履いている間に、
うそは地球を半周する」



4月1日の天声人語より


 「うそは泥棒の始まり」というしつけもあるが、子どものうそは想像力の発露だと肯定する人もいる。

米国でも初代大統領ワシントンの少年時代の正直ぶりが模範にされる

一方「うそは人生を耐えるためには不可欠」と教育者が説いたりする。

 エープリルフール、といってもこの戦時ではうそや冗談をいう気力がわかない。

情報戦が重要な役割を占める現代の戦争では、そもそも虚実の見分けが難しい。

ひょっとしたら大きなうそにだまされているのではないか。警戒を怠ることができない。

 「大きなうそほどばれにくい」とうそぶいたのはヒトラーだが、

自分を偉大な政治家に見せかけた大きなうそも、結局はばれた。

わが国の大本営発表のようにうそを積み重ねたあげく崩壊した例もある。

大きなうそはばれたときの反動も大きい。

 SF作家の故星新一がこんなことを書いている。

「うそつきというと政治家と結びつける人があるが、……政治家はうそつきではない。

なぜなら、うそをついているとの意識がなく、とんでもないことを本気でそう信じているらしいからである。

そうでなかったらああぬけぬけとはできない」(『日本の名随筆41』作品社)。

 戦争当事国の指導者たちにあてはまりそうな言葉だ。

こんな言葉もある。「真実が靴を履いている間に、うそは地球を半周する」。うそは足が速い。

いや、真実の足の方が遅すぎるのかもしれない。

 「衝撃と恐怖」作戦の失敗を認めたブッシュ政権が「愛と寛容」作戦に切り替えた。

こんなうそは誰も信じてくれそうにない。





市町村合併の動きが加速している。


04月02日の天声人語より


 「はい、南アルプス市役所です」。電話口で女性が答えた。

別の職員は「あわただしい一日でした」と新しい市の誕生日を振り返っていた。

きのう6町村の合併で誕生した山梨県の南アルプス市である。

ヨーロッパ語をつかって、カタカナで表記する珍しい例だ。

 名前は公募をもとに決められた。

「南アルプス市」と最後まで競り合ったのは「こま野市」だった。

朝鮮半島に由来するとの説もある古くからの地名「巨摩(こま)」を生かした名称である。

 競り合いには、はっきり世代差が表れたそうだ。

新鮮な印象や宣伝効果などをねらう若い世代は「南アルプス市」支持で、

歴史の広がりを残そうとする高齢者層は「こま野市」を支持した。

合併前の白根、櫛形、若草などの味わい深い名称も地名としては消えていく。

 やはりきのう静岡市と合併した清水市の場合は、さらに深刻だった。

「清水の次郎長」で多くの人に知られ、近年は「サッカーの清水」として全国に名をはせた港町である。

名称が消えることに抵抗が強かった。

旧清水市の全町名に清水の名を冠するという苦肉の策で乗り切った。

 市町村合併の動きが加速している。

政府が期限を切って優遇措置を掲げ、合併を促しているからだ。

行政上や財政上の利便はあるだろうが、そのために歴史を体現する地名が消えていくとすると、残念なことだ。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という望郷の身からすればふるさとの地名が消えるのは何とも寂しいことだろう。

 新しくものごとが始まる4月、消えていくものへの惜別も、また。





バビロンの遺跡は、バグダッドから
南90キロほどの地にある


4月3日の天声人語より



 ウィーンの美術史美術館で、多くの人が立ち止まって見入る絵の一つがブリューゲルの「バベルの塔」だ。

異様な力でもって引き寄せる魅力がある。「魔力」といった方がいいかもしれない。

 この絵の元になった旧約聖書の物語は、ご存じの方が多いだろう。

天にまで届く塔をつくろうとした試みが神の怒りにふれる。

神は同じ言語を話していた人々の言葉を混乱させ、互いに通じないようにして建設を断念させた。

人間の傲慢(ごうまん)さを戒めた。


 この「バベルの塔」のモデルが古代都市バビロンの壮麗な建築物ジグラットである。

ジグラットについては古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの報告が有名だ。

世界七不思議の一つとされた空中庭園とともに、バビロンの繁栄の象徴として当時の世界に知れ渡っていた。

 バビロンの遺跡は、バグダッドから南90キロほどの地にある。これまで遺跡の発掘や都市の再現が試みられてきた。

現在激しい戦闘が行われている地域からそう遠くないだろう。

そして思う。この戦争が「バベルの塔」の愚を繰り返していはしないか。

 ブリューゲルの「バベルの塔」の前に立った作家の中野孝次さんは、あの塔が近代文明の行き着く先の象徴とも感じたようだ。

「悪夢。たしかにそうだ」とその印象を記し「無気味な、悪魔的な企て、あるべからざるなにか」とも(『ブリューゲルへの旅』河出書房新社)。

 最先端の兵器を使ったとしても、人間同士の殺し合いという古代からの戦争の本質に変わりはない。

イラクの戦場からの報告に、そんな思いが募る日々だ。





重症急性呼吸器症候群(SARS)といわれる新型肺炎


4月4日の天声人語より



 人間同士が戦争をしているときに、謎のウイルスが人間に襲いかかっている。

重症急性呼吸器症候群(SARS)といわれる新型肺炎だ。

中国や香港を中心に、世界各地に患者が広がっている。症状はインフルエンザに似ているらしい。

 人間と病との闘いはそれこそ戦争の歴史と同じように古い。

近代史でいえば、最悪の記録を残したのは第一次世界大戦中、1918年のインフルエンザだろう。

正確な死者の数はわからないが、少なくとも世界で2千万人を超えた。

億単位だったという説もある(ジーナ・コラータ著『インフルエンザウイルスを追う』ニュートンプレス)。

 同書によれば、当初アメリカでは「新兵器に違いないといううわさが流れた」。

潜水艦のUボートで忍び込んだドイツ兵の仕業だ、などと。

 前線でも悩まされた。

インフルエンザによる死者が戦死者を上回った部隊も少なくない。

しかし報道管制もあって、歴史の闇に消えた部分が多い。

謎が多々残されたままだ。

発生地についてもアメリカ説、中国南部説などいろいろらしい。

 あのころから医学は格段に進歩した。

新型肺炎についても油断はできないが、過剰に恐れることはないかもしれない。

しかし、どれだけ医学が進歩しても、その裏をかくように新種の病気が出てくる。

病との闘いは続く。

先の書もインフルエンザは軽視されるようになったが

「その陰では、新しい疫病が人の命を奪おうと力を集めているだろう」と。

 戦争で血を流し合っている人類へ「もっと大事な闘いがある」との警告かもしれない。






人が生きていること、それだけで
どんな生にもかなしみがつきまとう



4月5日の天声人語より



 夕暮れ時、いつもの角を曲がろうとして、ぼんやりと白いものがたちのぼるのに気づく。

ああ、こんな所にも桜があったのかと立ち止まる。

 東京では散り始めた。

次々に枝を離れる様を見ていると、いつの年にも増して、修羅という言葉が響いてくる。

「まことのことばはうしなはれ/雲はちぎれてそらをとぶ/ああかがやきの四月の底を/

はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」。

 この宮沢賢治の「春と修羅」の一節も収めて、脚本家・山田太一さんが編んだ『生きるかなしみ』(ちくま文庫)を開く。

「人が生きていること、それだけでどんな生にもかなしみがつきまとう」との視点で集められた十数編の中に、

作家夢野久作の長男、杉山龍丸が、戦後の復員事務を顧みた一文がある。

 連日訪ねてくる留守家族に「貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事」だ。

ある日、小学2年の女の子が父親のことを聞きに来る。

やっとの思いで「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」と伝える。

少女は涙をこらえ、下くちびるを血がでるようにかみしめ、帰ってゆく。

家には既に母もなく、2人の妹と、病にふせる祖父母が待つ。

 山田さんは「ただ闇雲に戦争なきをよしとする考えのグロテスクを知らないわけではない。

(略)しかし、こうした記録を前にして、なお平然として沈黙を知らぬ人に、ひかえめにいっても私は嫌悪を抱く」と記す。

 人の命までが散らされる、修羅の4月。生あればこそ、生きるかなしみもある。




アトム、あす誕生



4月6日の天声人語より


 2003年の4月7日に、鉄腕アトムは誕生したという設定になっている。

アトムが漫画に登場して約半世紀を経た明日、その日がやって来る。

 「アトムは実のところ、初期の2、3年のあいだは、書いていて娯しかったのですが、あとは惰性の産物でした」と、

作者は書いている(『手塚治虫全集』小学館)。

「アニメーション化してからは、怪物化したアトムを書いて、むしろ苦痛でした」と続く。率直さに、少し身構える。

 「しかし、作品としての評価は別として、主人公の魅力の点では、いまだにアトムは、

実の息子のように、いや、それ以上にぼくは好きです。

なぜならアトムは戦後二十数年を、ぼくの分身として、おなじような体験をし、おなじように育ってきたからです」

 生み、育てた親だからこその言だが、その昔の幼い一読者の身にはアトムは「ややまぶしい分身」に見えた。

を知らない、一途、一直線のひたむきさと、小さな肩に負わされた重い使命がまぶしかった。

 そのまぶしさの底に、手塚さんの戦争体験があると知ったのは、ずっと後だ。

大阪の空襲で命拾いした手塚さんは、命あるものを大切にし、戦争の悲惨を描き続け、伝えようと努めた。

その願いがアトムに乗り移っていたと今では思える。

 古い漫画をながめる。超スピードのアトムが、静止している。

人間には過去というものが刻まれ、なかなかに重い。しかし、はるかな時を経て巡り来た明日という日に、

この懐かしい分身が誕生するのかと思う時、心は一瞬浮揚して、白い未来の方を向いた。





国際社会が注視する中での
米英軍の首都攻略戦である



4月7日の天声人語より



 日本がポツダム宣言を速やかに受け入れて降伏していたら、広島、長崎の原爆投下は避けられたのではないか。

よくいわれる歴史の「イフ(もし)」である。

 当時の東郷茂徳外相らは、和平工作を念頭に置いて宣言への態度表明を控えるように主張、いったんはその意見が通った。

しかし強硬派におされて鈴木貫太郎首相が記者会見で「日本政府は宣言を重視しない。黙殺するのみである」と語ってしまった。

 この「黙殺」というのがあいまいな言葉だ。

穏やかに解釈すれば「ノーコメント」に近い響きがある。

「相手にしない。無視する」という強い否定にも受け取れる。連合国側はもちろん「拒否」と解釈し、原爆投下へと突き進んだ。

たとえば『歴史をかえた誤訳』(鳥飼玖美子・新潮社)がその辺を探っている。

 改めてポツダム宣言を読んでみると、当時も国民と軍とをはっきり区別している。

日本国民はだまされている、と。

日本を破滅の淵(ふち)に追い込んだ軍国主義の道を進むか、理性の道を進むかの決定を下さなければならない、と迫っている。

 世界をほぼ二分しての世界大戦と、いまのイラク戦争とを同列に論じることはできない。

国際社会が注視する中での米英軍の首都攻略戦である。

しかし瀬戸際で、いかに犠牲者を増やさないで戦争を終わらせるか、という点では同じ課題を背負っている。

 聖戦を主張する強硬派の声におされて日本政府は対応が遅れ、惨禍を広げた。

あの時点での米国の原爆投下も信じがたい。

イラク戦争も、一歩誤ると惨状を広げる重大な局面だ。






目の前に転がる死体を見て
さすがの彼も「地獄だ」と



4月8日の天声人語より



 地獄絵の合間に一瞬、黄色い花が見えた。菜の花かタンポポだろうか。

イラク北部で友軍の攻撃に遭い、多数の犠牲者を出した現場の映像である。

攻撃を受けた米軍特殊部隊などに同行していた英国BBCクルーが撮影した。

 カメラのレンズをつたう赤い血も見える生々しい映像だった。


現場にいたBBCの名物記者ジョン・シンプソン氏は軽いけがですんだようだが、彼の通訳は死亡した。

目の前に転がる死体を見てさすがの彼も「地獄だ」というしかなかった。

 シンプソン氏は湾岸戦争前後に最も長くイラクに滞在したジャーナリストの一人だ。

91年のバグダッド攻撃直前、BBCから退去の指示が出た。撮影スタッフは出国したが、彼はバグダッドに残った。

著書で理由をこう記す。

 第1は義務感で、何が起きようとBBCは報道すべきだと思った。

バグダッド入りしたとき一緒だったCNNプロデューサーの言葉「ベトナム戦争ではサイゴン陥落の前に脱出した。

その後何年もその埋め合わせについて考え続けた」が心に残る。私は何にしても埋め合わせはしたくない、と。

 2番目は、関心が強すぎた。史上最大の空爆下で何が起きるか。後で新聞で読みたくはない。

3番目は危機について本を書く予定だったので、事態の最終章が始まる前に去ることはできないと思った。

名誉についてはまったく関心なかった、と。

 バグダッドの街もイラクの人々も好きだというシンプソン氏だ。

「最終章」に入ったと思われるこの戦争、自らも危地をくぐったこの戦争をどう思っているだろうか。






米英軍が勝利したとしても、
「新たなハイジャックに過ぎない」



4月9日の天声人語より


 きのうこの欄で取り上げたBBCのジョン・シンプソン氏がイラクについて巧みな表現をしている。

行くたびに好きになる国だがどこか変だ、といってこう説明する。

 イラクはハイジャックされた飛行機のようだ。行き先は知らされていない。

大統領になってほしいとは誰も思わなかった男がパイロットに銃を突きつけて脅している。

乗客や乗員は怖くて「やめろ」とはいえない。

英国はといえば、ハイジャック犯に武器や弾薬を提供して事態を悪化させてきた。

 このシンプソン説を援用すれば、人質解放のために、といって米英軍はハイジャック犯征伐に乗り出した。

かつては「敵(イラン)の敵(イラク)は味方」方式でハイジャック犯、

つまりフセイン政権を支えてきた両国が一転して政権転覆を目指す作戦である。

 こうした作戦にはジレンマがつきまとう。

犯人排除を優先すれば、人質側の犠牲が大きくなるかもしれない。

犠牲が大きくなればなるほど人質解放が目的という大義が揺らぐ。

たとえ犯人排除に成功しても、その後の反発は避けられないだろう。

 ストックホルム症候群もあるかもしれない。同じ場にいて危機を共有しているという錯覚からだろう、

人質が犯人側に親しみを感じるようになる心理だ。

今度の場合、一つの国でのことだから、犯人側は愛国心という感情をあおることもできる。

 はたしてイラク国民にとって望ましい作戦だったのか?

 米英軍が勝利したとしても、「新たなハイジャックに過ぎない」と思いはしないか。

「解放」による後遺症はそう軽くはない。







そこで松井がヒーローを演じる



4月10日の天声人語より



 「戦時でも野球は続けてほしい」。ルーズベルト大統領から米大リーグのコミッショナーにそんな手紙が届いたのは、

日本の真珠湾攻撃から約1カ月後の42年1月だった。そしてあの国から球音は消えなかった。

 日米開戦前の41年の大リーグは話題が多かった。

ヤンキースのジョー・ディマジオは5月から連続試合安打を続け、7月に56試合にまで伸ばした。

同じ年のレッドソックスのテッド・ウィリアムズの年間打率4割5厘7毛とともに、いまもって破られていない記録だ。

その年のワールドシリーズではヤンキースが優勝した。

 ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグにディマジオ。ヤンキース黄金時代を築いた花形選手たちだ。

戦後はたとえばミッキー・マントルの左打席からの豪快な本塁打がいまも記憶に鮮やかだ。

 そうした花形選手の一人、4番バーニー・ウィリアムズが敬遠されて満塁、という場面で松井秀喜に打席が回った。

フルカウントからの甘い球を見逃さなかった。劇的な満塁1号だった。

寒さに震えながら応援していた観客の期待に応えた。

 ヤンキースはその強さと同時に、数々の伝説や物語でアメリカの人々に夢を提供してきたチームだ。

アメリカだけではない。海のかなた日本の野球少年たちのあこがれでもあり続けた。

そこで松井がヒーローを演じる。野球少年には夢のような場面だ。

 しかし残念ながら興奮と喜びは長続きしない。イラク戦争があるからだ。

「球場の夢」から「戦場の現実」にすぐ引き戻される。

そのどちらもが、アメリカという国の姿である。







彼女の兄は「平和とイラクの人々のために祈って下さい」と




4月11日の天声人語より



 ひとりの戦死者のことが気になっている。

捕虜救出作戦で話題をさらったジェシカ・リンチさん(19)の陰に隠れてほとんど報道されなかったが、

彼女の友人だったローリ・ピエステワさん(23)である。

 2人は米テキサス州の陸軍の兵舎で同室で、イラク攻撃でも同じ部隊にいた。

南部のナーシリヤ付近でイラク側の攻撃を受けた。負傷して病院に収容されたリンチさんは救出されたが、

ピエステワさんは遺体で発見された。女性兵士としては初の戦死者だった。

 彼女はアリゾナ州に居住区をもつアメリカ先住民のホピ族出身だった。

地元紙などによると、2人の幼児をかかえるシングルマザーで、

出発前には「2人を置いていくのはつらいけど、新しい体験をしたい。

いろいろ学んできます」と語っていたそうだ。

 彼女がまだ行方不明だったとき無事を祈る集会が開かれた。

彼女の兄は「平和とイラクの人々のために祈って下さい」と呼びかけた。

なぜイラクの人々のためなのか。「イラクにも傷ついている人がいるでしょう。

そして私たちがいま感じていることと同じことを感じているでしょうから」などと。


 米国防総省は米軍の死者を102人、捕虜7人、行方不明11人と発表した。イラク側の数字はわからない。

チェイニー副大統領は「歴史上最も驚くべき作戦だ」と自賛した。

とはいえ、かけがえのない個々の命を代償にしての作戦であることに変わりはない。

 ピエステワさんの戦死が伝わった4日の翌日、彼女の故郷に雪が舞った。

ホピ族では、魂がお別れに来る知らせだという。




大学が必ずしも人生を決定する場所ではない



4月12日の天声人語より



 時代の波は荒々しいが、そんな中で新しい生活に踏み出す人も多い。

受験勉強から解放されてほっとしている学生も少なくないだろう。

きのうの東大入学式では、佐々木毅学長がこう語った。

 「受験勉強というものが如何(いか)に狭い意味での競争でしかなかったか……人生そのものと比較した場合、

実に例外的な、片隅の競争でしかありません」。

そんな片隅の競争しか知らない人を寄せ集めてもまともな社会はできない、と戒めた。

 大学入学の頃を振り返ると、新鮮だったこととして覚えているのは「教科書」だ。

教材を寄せ集めた教科書ではなく、多くは1冊の普通の本だった。

切れ切れの内容ではなく、ひとりの著者が最初から最後まで書いている。

そんな当たり前の本を授業で読めることがうれしかった。

 言い換えれば、高校までの教科書がいかに魅力に欠けていたか。

編者の苦労は察するが、1冊の本を読む楽しさと苦労とを与えてはくれない。

おかげで授業外で寸暇を惜しんで普通の本を読む気にはさせてくれた。

先日、高校の教科書検定について報じられたが、そうしたいろいろな教科書があっていいのではないか。

 東北大学の入学式では、吉本高志学長がノーベル賞受賞の卒業生、田中耕一さんについて触れ、

卒業に5年かかったことやドイツ語が苦手で大学院に進まなかったことなどを紹介して「人生は不思議なものだ」と述べた。

 田中さんの大学での専攻は電気工学だったが、ノーベル賞は化学で受賞した。

大学が必ずしも人生を決定する場所ではないことも教えてくれる。




人類史を揺さぶる
先制攻撃に踏み切った責任は、
なお、重く残っている。





4月13日の天声人語より


 先日、トロイの丘に登った。

古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩とされる『イーリアス』で有名なトロイ戦争の舞台だ。

木馬作戦の「現場」でもある。

 今のトルコの北西の端にあたる。吹き渡る風が冷たい。

丘の下に横たわるダーダネルス海峡を挟んで、こちら側がアジア、向こうがヨーロッパ側だ。

大小の船が盛んに行き交う様を見ていると、海峡は、大陸を分かちながら、一つに溶かしているようにも思われる。

隣国のイラクで、国連の査察が続くころだった。

 『イーリアス』は、西洋最古の文学の一つとされる。

「ゼウス祖神(おやがみ)、イーダの峰(ね)よりしろしめす、

いと誉(ほま)れありいと大いなる御神、また太陽(おおひ)、万物をみそなわし 万象を聴こしめすもの、

また諸々(もろもろ)の河川また大地、また黄泉国(よもつぐに)にて、

何人(なんぴと)にもあれ、命(いのち)を終えたとき、その人を仕置したもう」(呉茂一訳・岩波文庫)

 雄大な語り口からは、約3千年の移ろいや、変わることのない世の切なさまでが響いてくる。

そして、この叙事詩が、いわば戦記でもあったことに思いを致し、粛然とした。

確かに、戦争の記録は人と時代の記録だ。

しかし、人の営みの本質に迫り、その芯を描きだそうとする文学の源流の一つが戦記とは。

 そして今、人類は新たな戦争を記しつつある。

イラク戦記は後世にどう伝えられるのだろう。

「米国の米国による米国のための戦争」とはならないか。

 政権崩壊を喜ぶ映像が流れた。しかし、戦争で失われたものは映りにくい。

人類史を揺さぶる先制攻撃に踏み切った責任は、なお、重く残っている





「マイナス投票制度」が導入



4月14日の天声人語より


 投票所は、異様な雰囲気に包まれていた。

20XX年、選挙史上初めての「マイナス投票制度」が導入されたのだ。

 一票の使い道が激変した。当選させたくない候補に対して、マイナスの一票を投じることが認められた。

プラスとマイナスの票を合算したのが最終得票となる。

20世紀の末ごろから下がり続けた投票率は20%を切ることもしばしばだった。

不投票に対して罰を用意している外国の例も検討されたが、生ぬるいと、この制度に踏み切った。

 こんなにも有権者は「マイナス投票」を待っていたかと驚くほど、投票所はにぎわい、迷子まででた。

投票率は、軒並み前回の倍以上に跳ね上がった。

 喜びかけた選管を打ちのめしたのは、開票後の各地からの報告だった。

圧倒的と見られていた候補にはマイナス票も集中し、差し引きで1千票ほどしか残らなかった。

プラスの投票が極端に少なかった所では、マイナス1万票の知事が誕生した。

 昨日、現実の投票所の一つである東京の小学校では、満開の八重桜の下で淡々と投票が進んでいた。

汗ばむほどの陽気のせいか、投票用紙に向かっていて、ふと「マイナス投票」を夢想した。

 選挙では、積極的に当選させたい人をというのではなく、「より悪くない人」を選ばざるを得ないこともある。

度重なれば、足も遠のきがちになる。昨日の東京や神奈川の知事選のように、

有権者の半数以下しか投票しないような選挙も増えた。

もちろん、制度としての「マイナス投票」は劇薬だが、夢想した人も少なくはないのではないか。




「マイナス投票」制度は是非導入すべきである。ゴロゴロと身近な票を入れてくれる人たちだけの世話に専念している

議員達は必ず落選する。本当に世界を考え日本を考え世の中を良くする人たちだけが必ず当選する制度である。

政治を本当に良くなるには選挙制度が基本である。投票も電子投票で誰が誰に投票したか判らず,素直に自分の

考えている人を投票し,落としたい人も素直に書けるマイナス投票ができれば世の中はずーと良くなる事は間違いない。

真の民主主義選挙が確立されること間違いない。

地盤(義理) 看板(人情) カバン(おカネ)に無縁の政治ができると考える






ラムズフェルド米国防長官
自由な人々は過ちを犯す自由も、
犯罪を犯す自由も、
悪事をする自由もある。
同時に、自分の人生を生きる自由、
素晴らしいことをする自由も手に入れたのだ」。




4月15日の天声人語より



 見るも無残な「自由」の光景である。

イラクでの略奪は、元政府高官宅などにとどまらず病院や博物館にも及んでいる。

こうした状況について「イラクの自由」作戦を指揮するラムズフェルド米国防長官はこんなふうに語った。

 「自由な人々は過ちを犯す自由も、犯罪を犯す自由も、悪事をする自由もある。

同時に、自分の人生を生きる自由、素晴らしいことをする自由も手に入れたのだ」。

警察国家から解放され、自由なイラクに向かう過渡期にすぎない、と。

 少々皮肉をこめていえば、確かに民主主義の原点を教えてくれはする。

「社会契約」について、である。

たとえばホッブズによれば、契約前の自然状態は自己の生存のために互いに闘う「万人の万人に対する闘争」の状態とされる。

それを避けるために契約を結び、国家に権力を委ねる。

 イラクに民主主義を移植しようとする米国には、あの混乱は織り込み済みだったのか。

あえてその混乱を経験させた上で民主主義を伝授しようとするのか。

そんな皮肉をいいたくなる長官発言だ。
この米国の自信が北朝鮮問題にどう影響するか。

 拉致事件の曽我ひとみさんが帰国半年の心境をつづった文章は、痛切な思いにあふれていた。

「時々どうしてがんばればいいのか、自分でもわからない時が多くなりました」と苦しさを語る。

「一つ解決したら又新しく悲しい出来事。あまりにも私にとってはつらいです」と。

 そして思うのは、「イラクの自由」作戦のような武力行使では、

曽我さんを苦しみから解放することはできないだろう、と。



現在のアメリカの政権がやろうとする事は矛盾に満ちすぎている。狙いはイラク国民は念頭にないのではないか。

自分達のエゴをとうすだけのことしか考えていない。実利主義のアメリカは慈善のみで戦争を始めていない。

それを世界の誰もが知っていても,世界の誰もが止める事が出来ない横暴なアメリカが今の姿である。






戦争による破壊を繰り返しつつ。




4月16日天声人語より


 「人間のすべての知識のなかでもっとも有用でありながらもっとも進んでいないものは、

人間に関する知識であるように私には思われる」と言ったのはフランスの思想家ルソーだが、

現代の科学者は猛スピードで人間の解明を進めている。14日ヒトゲノムの解読完了宣言が出た。

 あるヒトをそのヒトにするための設計図、つまり遺伝情報がすべてわかった。

といっても、本にたとえると、いわば文字の配列がわかっただけで、

文字が伝える意味が解明されたわけではないらしい。

 この研究をしていると、ヒトが他の生物とそれほど違いはないのではないか、との思いにしばしばとらわれるようだ。

遺伝子の数でいえば、ヒトの遺伝子はマウスとほぼ同じだ。

ヒトに最も近いとされるチンパンジーとの遺伝情報の違いは1・23%にすぎないそうだ。

 「チンパンジーと比べてヒトのほうが賢いと我々は思いこんでいますが、

それもわからないのではないでしょうか」と言う研究者もいる
(『遺伝子・ゲノム最前線』扶桑社)。

言葉をつかうかどうかの違いはあるが、瞬間的な頭の働きや短期の記憶力など

ヒトとチンパンジーとでそれほど違いはないということらしい。

 人間が全生物の頂点に立つ、と単純に思い込まない方がいいようだ。

哲学者もかつてこう言った。「生物学的にいえば、人間は猛獣の中でも最も獰猛(どうもう)だ。

自分と同じ種を組織的に餌食にする唯一の猛獣である」(W・ジェームズ)。

 ただ、言語と文化を継承、発展させる唯一の生物でもあるだろう。

戦争による破壊を繰り返しつつ。



智慧はその人が死ねばそれでお終いである。良き指導者に恵まれれば世の中は建設的で明るい。

だがうすのろで愚鈍な指導者がなれば最悪である。戦争は愚鈍者が指導者になった時に起こる。





非国民、不逞(ふてい)のやから、天皇へ弓を引く大逆の徒




4月17日の天声人語より



 一枚の写真がある。浴衣姿の中年男たちが7人写っている。

背後には植え込みがあり、旅館の庭で撮ったものだろうと推測できる。

ありふれた記念写真である。日米開戦まもなくの42年7月に撮影された。

 この写真に驚くべき想像力、いや妄想を働かせた人たちがいた。

日本共産党再建準備会の現場写真だ、と。

神奈川県の特別高等警察(特高)は写っていた者を次々と治安維持法違反容疑で逮捕し、

拷問の末、自分たちの妄想を現実に仕立てた。15日に再審が認められた横浜事件の一場面である。

 中央公論社など主に出版社が弾圧の対象になったこの事件をめぐっては、特高による拷問の記録も多く残っている。

たとえばこうだ。「小林多喜二の二の舞いを覚悟しろ」。まず拷問死した作家の名前を出す。

「この聖戦下によくもやりやがったな」などとも。裸にして角材の上に正座をさせ、失神するまで暴行をする。

あるいは逆さづりにして強打する。4人が獄死した。

 「思想犯は、そのころ人間ではなかった。非国民、不逞(ふてい)のやから、天皇へ弓を引く大逆の徒であった」。

逮捕された一人で評論家の青地晨(あおちしん)さんが後に回顧している。

家族も疎開先で「非国民」の妻子だとわかって家主に追い出された。

 「非国民」を排除していった大日本帝国の行き着いた先を示す弾圧だが、戦時体制下の悲劇ともいえよう。

「聖戦」の御旗の下、抑圧が激しさを増していく時期の事件だった。

 半世紀以上たってようやく再審である。

事件の元被告は全員亡くなった。しかしその深い傷を忘れてはなるまい。



「愛国者」を強制する今のアメリカの社会風潮はどういうものだろうか。




人生の面白さを教えてくれる



4月18日の天声人語より


 学校の担任の先生が、成績表にこんなことを書いてきたとする。親はどんな気持ちだろうか。

「遅刻の常習犯です。とにかくいろいろな物をなくします。だらしなさは完璧(かんぺき)です。

私にはどうしたらいいかわかりません」。

 20世紀を代表する政治家の一人で、英国の首相だったチャーチルが幼いときのことである。

成績はクラスで最下位だった。

母親は寄宿生の彼に手紙を書き送った。「楽しくないことをいろいろ言わねばなりません。

あなたは私たちを不幸にしました。あなたに対する期待や誇りはすべて消え去りました。あなたは、

これがどんなに深刻なことかわかる年齢です」。

 有名人の学校時代の成績を集めた『クッド・ドゥー・ベター』という嫌みな英国の本である。

元ビートルズのジョン・レノンの高校のころは「間違いなく失敗に向かっている。

クラスの道化で、他の生徒の時間を浪費させている。絶望的」。

 作家のケン・フォレットの小学生時代は「従順でない厄介者」。

退学になりそうな大学生だった映画監督のウディ・アレンは「人生をちゃかしてばかりいるのを何とかしなくては」。

 こうした例には励まされる人も多いだろう。

世に出て成功するのは優等生ばかりではない、と。もちろん優等生もいる。

「鉄の女」といわれたサッチャー元英首相は「勉強家で、間違いなく能力がある。野心を抱いているが、きっとうまくいくだろう」。

いかにも彼女らしい。

 ただし、サッチャーよりもチャーチルのような例の方が「どう転ぶかわからない」人生の面白さを教えてくれる。





ネアンデルタール人の周りからたくさんの花粉が発見された。
キンポウゲやノボロギク、タチアオイなどだった。



4月19日の天声人語より


 イラクの北部にはいま、菜の花が咲き乱れているようだ。

 先日この欄で「地獄絵の合間に一瞬、黄色い花が見えた」とイラク北部での誤爆現場の映像について書いたところ、

山口県埋蔵文化財センターの中村徹也所長から「キンポウゲかノボロギクだと思う。

いやそうあってほしいと思う」とお便りをいただいた。

 40年ほど前、イラク北部のシャニダール洞窟(どうくつ)で発見されたネアンデルタール人遺跡にかかわりがある。

埋葬されたネアンデルタール人の周りからたくさんの花粉が発見された。キンポウゲやノボロギク、タチアオイなどだった。

研究者は「旧人たちが死者に花をささげていた」と発表した。

 5万年以上前の旧人も花を愛し死者を花で包んで埋葬していた。この物語は多くの人の感動を誘った。

同じ遺跡から発見された他のネアンデルタール人は重い障害を背負っていた。

その彼を周りの人が支えながら生活したであろうことも推察できた。「遠い祖先」への共感を呼ぶ物語だった。

 この研究について、中村さんは書く。

「イラクとアメリカとフランスとが共同で成し遂げ、人は元来『愛の心』を備えもっていたことを証明してくれた」

「40年後の今、何故(なぜ)そのことが忘れられたのか。何故互いに殺しあっているのか」。

そして戦場の花が、せめて太古にも咲いていたキンポウゲなど「愛の花」であってほしい、と。

 「花の埋葬」についてはその後、専門家から強い疑義が出ているそうだ。

とはいえ、戦場の花とはるか昔の「愛の花」とを往還した中村さんの思いに共感した。






組織や看板に頼らず生きねばならないあなたたちだ」と




4月20日の天声人語より



 明治時代を代表する建築家辰野金吾の代表作の一つ、赤れんがの東京駅が重要文化財に指定されることになった。

完成は約90年前だった。東京の真ん中にあって、関東大震災や戦時の空襲をくぐり抜けてよく生き延びたものだと思う。

 その東京駅の一角にある東京ステーションギャラリーで開催中の「安藤忠雄建築展2003」(5月25日まで)を見ていると、

時代の懸隔を痛感させられる。

西洋で学び、西洋文明を目に見える形の建築として移植、その威容でもって文明の重みを教えた辰野の時代と、

世界中に独特の感性の建築を輸出している安藤氏と。

 「再生」が展覧会のテーマである。ある場所に刻み込まれた歴史や記憶を生かしながらそこに新しいものをつくる。

たとえば同潤会青山アパートの建て替えではケヤキ並木の風景を殺さないようにする。

建物の過半を地下に潜らせ、建物の高さをケヤキ並みにする。パリでのピノー現代美術館建設も考え方は同じだ。

 「結局、私がつくろうとしてきたのは〈風景〉だったのかもしれない」と安藤氏もいうように、

彼の作品は建物自体を強調するのではなく、周囲とともに新しい風景を創出しようとする。

 きのうは安藤氏の「トークショー」もあって狭い会場は若者であふれた。

「日本はこのままでは沈没する。それを止めることができるのは、組織や看板に頼らず生きねばならないあなたたちだ」と

独学の人らしい激励をしていた。


 9月11日のテロ事件の衝撃が消え去らず、跡地に土を盛るだけの墳墓案をいまも唱え続ける安藤氏である。






ポランスキー監督の映画『戦場のピアニスト』


4月21日の天声人語より


 ちょうど60年前の今ごろ、あの大戦のさなか、ワルシャワのユダヤ人居住区でナチス・ドイツへの反乱が起きた。

「ワルシャワ・ゲットー蜂起」である。

 強制収容所送りに対する、ゲットーからの捨て身の抵抗だったが、約1カ月で鎮圧される。

翌44年の「ワルシャワ蜂起」でも、独軍による制圧と破壊があり、街はほぼ壊滅した。

 独りゲットーを逃れ、隠れ家を転々としたピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンのことを思いながら、

この街を歩いたことがある。飢えて死にかけた彼が独軍将校に見つかり、

食料を与えられて生き延びた現場を、手記(邦題は『戦場のピアニスト』春秋社)を頼りに探した。

 中央駅から雪道を徒歩で15分。通りの名は昔のままに残っており、古い中層アパートに行き着いた。

彼のことを記すものは見あたらない。壁には、蜂起の犠牲者への追悼らしいレリーフがかかる。

裏に回ると、壁一面に弾痕があり、首を胸にうずめたハトが、ひさしに並んでいた。

 ポランスキー監督の映画『戦場のピアニスト』は、シュピルマンの手記を土台にしている。

一かけらの望みをつなぎ、敵からのパンで生き延びた命と、一片の望みをもうち砕かれ抹殺された幾多の命。

百年単位でも消し得ない記憶の重みが、廃虚と、そこを流れるショパンの調べから伝わってくる


 大戦は、おびただしい廃虚を地上にもたらした。その始まりである独軍のポーランド侵攻からは、来年で65年。

破壊と、長い冷戦体制と冷戦後を経て、その年にこの国は、欧州連合(EU)に加わる。




愛知県新城(しんしろ)市の事件で感じるのは、
ふてぶてしい冷酷さだ




4月22日の天声人語より


 実に残虐な事件が起きた。

誘拐事件で時にあるような、犯人側の行き当たりばったりな所が見あたらない。

愛知県新城(しんしろ)市の事件で感じるのは、ふてぶてしい冷酷さだ。

 被害者の行動を調べ上げていたのだろうか。夜の会議の後を狙って、連れ去ったらしい。

今回は、被害者の携帯電話が脅迫に使われた。

警察庁によれば、最近数年では、半数近くが、そうだという。ここまで普及してしまったからこその手口なのだろう。

 携帯電話は、通話中でなくても、電源が入っていれば弱い電波を出す。

犯人は、脅迫する時以外は電源を切っていたようだ。

位置を知られないために当然といえば当然だが、冷静さや周到さもうかがえる。

 高速道路で、警察が身代金を指示通りに落とさなかったことには、いろいろな見方があるだろう。

緊迫した捜査の局面では「犯人確保の態勢が整わなかった」ことも、ありうるとは思う。

しかし、結果として、犯人側が身代金が取れないとみて接触を打ち切るきっかけになったとすれば、残念だ。

 痛切なことに、接触が絶えた後も、家族は何度も犯人に呼びかけた。

電源が切られていても、留守番電話にはつながる。そのころ被害者は、既に殺害されていたらしい。

 犯人は、あるいは犯人たちは、発覚を延ばすために遺体を埋めることもなく、山に捨てた。

命への徹底的な冒涜(ぼうとく)であり、社会と捜査への挑戦だ。

脅迫電話の音声などは、できるだけ速やかに公開してはどうか。

逮捕率が高いことで使われてきた「割の合わない犯罪」という言葉を死語にしてはならない。





レスラー出身の議員が話題になっている




4月23日の天声人語より



 レスラー出身の議員が話題になっている。ひとりは暴力団との関係が明るみに出た国会議員である。

トレードマークの「ちょんまげ」を切っておわびをし「生まれ変わり」を誓った。

もうひとりは岩手県議に当選したものの、いつもつけている覆面を議場で外すべきかどうかで論議を呼んだ。

 この騒ぎで思い浮かべるのは「ペルソナ」という言葉だ。

元々は仮面の意である。古代ギリシャ・ローマの時代、舞台上で俳優がつける仮面のことだった。

それが登場人物の役柄を指すようになり、やがて個人や性格、人格そのものを意味するように変わっていった。

 人間とは何か。さまざまな定義があるが「演技する動物である」といわれることもある。

舞台上の仮面から発したペルソナという言葉の変遷はそのことを物語っている。

人間は日常生活でも仮面をかぶっている。いつのまにかそれがはがせなくなって人格と癒着することもあれば、

仮面がぽろりとはがれることもある。


 松浪健四郎代議士にも色々な仮面があった。アマレスにアフガニスタン、青年海外協力隊などにかかわった。

しかし結局、国会議員という仮面はしっくりこなかったようだ。以前から暴力団とのつきあいは指摘されていた。

安手の仮面がはがれてきただけのように見える。

 岩手県議に当選の覆面プロレスラー、ザ・グレート・サスケ氏は期せずして「議場とは何か」を問いかけた。

議員としていい仕事をすればうるさく非難されることもなくなるだろう。

 ペルソナ、つまり仮面とともに生きるしかないが、悩みは多い。



「仮」と「真」は対語である。仮の世の中と知りつつも真実を求め生きてゆきたいものである。




雨上がりのみずみずしい柳は格別


4月24日の天声人語より


 やかな日差しを受けて、柔らかい緑を風になびかせる柳もいいが、

霧雨のなかに煙る柳も心落ち着くよさがある。

さらりとした淡彩画の世界に誘い込まれる気分だ。
もちろん雨上がりのみずみずしい柳は格別で、

きのう夕刻になって雨が上がった東京は、そんな柳には格好の天気だった。

 〈八九間(はつくけん)空で雨ふるやなぎかな〉(芭蕉)。読み取りにくい句だが、この前書と合わせるとわかりやすい。

「春の雨いと静に降て、やがて晴たる頃、近きあたりなる柳見に行けるに、春光きよらかなる中にも、したゞりいまだおやみなければ」。

芭蕉が見た柳は高さ八九間というから15メートルほどの大木である。

 東京・新宿の花園神社に大きな柳の木がある。桜が満開のころに行って、二つの樹木が美しく重なり合っているのに感心した。

満開の桜の上に、柳の緑が降りかかるように垂れていた。

 唐十郎さんは、この神社に紅テントを張り、演劇公演を続けた。

多くは異形の者たちが出てくる不思議な魅力をたたえた舞台だった。

あの桜の、柳の下での異空間だった。そして古来、柳の下は異形の者、幽霊のすみかである。

 永井荷風の『ふらんす物語』にパリの墓を訪ねる一節がある。1本の柳の木が植えられた墓があった。

「親しき友よ。われ死なば、柳を植えよ。わが墓に」とうたった詩人で劇作家ミュッセの墓である。

西洋でも柳は死や哀悼と深くつながってきた。

 そして柳に感傷を寄せたこの詩人を忘れてはいけない。

〈やはらかに柳あをめる/北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ/泣けとごとくに〉(石川啄木)



アクセクした世の中で,自然に眼がゆき,ゆったりとした時を過ごしたいものである。





被告はかつて「私は今、宇宙全体を動かすことのできる
生き物になっていますが、……」などと法廷で述べた。



4月25日の天声人語より


 被告席に座っている男を見ていると、遺族や被害者の悔しさと怒りは募るに違いない。

麻原彰晃という名前でオウム真理教を率いた松本智津夫被告である。

なぜこんな男に私たちはこれほど苦しめられなければならないのか。

なぜこんな男の言うことを聞いて信徒たちは醜悪な犯罪にかかわったのか。そんな思いが募るだろう。

 被告は風采(ふうさい)の上がらない汚れた感じの中年男にしか見えない。

以前よりずいぶんやせたようだが、引き締まったというよりは縮んだ感じだ。

落ち着かない。もぞもぞと動き、口をもぐもぐさせている。

 きのう東京地裁での論告求刑を傍聴した。松本サリン事件の被害者について検察側が述べているところだった。

教団とは何の関係もない若者が、苦しみながらサリン中毒で死んでいく無残な状況についてである。

松本被告は途中あくびをした。明らかに聞き流している。

 被告はかつて「私は今、宇宙全体を動かすことのできる生き物になっていますが、……」などと法廷で述べた。

誇大妄想を恥じるところがない。ところが破防法の弁明手続きでは、

自分の指示はしょっちゅう守られなかったと語り「私の権威の失墜の表れだ」と述べた。

状況次第では計算ずくで自分を貶(おとし)めることもできる。

 「人は邪悪さにひかれることはあるが、俗悪さには我慢できない」とは英国の作家の言葉だ。

被告は教団では邪悪な力で信徒を幻惑したのかもしれないが、法廷では俗悪さばかりが際立つ。

 容疑事実の重大さと被告の言動の卑小さとの落差に、言葉を失うことがしばしばだ。


狂気のひとが権力をもてば,どんな悲惨なことが起きるかの証拠である。

狂気のひとを狂気なひとであることをがわからないと,とんでもないことが起きる。

ブッシュはかってはアルコール中毒者 現在キリスト原理主義の狂信過ぎるほどに信じている人物のようだ。

それが世界の指導者になっている。恐ろしい話だ。




しかし米国のロスアラモスに集まった科学者たちは
開発を続け、核兵器を完成させた。



4月26日の天声人語より


 原子爆弾が完成する前に、この恐るべき兵器が人類の歴史を変えてしまうことを予言したのは

デンマークの物理学者ボーアだった。

しかし米国のロスアラモスに集まった科学者たちは開発を続け、核兵器を完成させた。

 彼らを駆り立てたのはナチスが先に原爆を完成させたら、

ヒトラーがそれを手にしたらどうなるかという恐怖からだったといわれる。

少なくとも開発の初期はそうだったろう。

科学者としての良心に言い聞かせるための口実という面もあったかもしれない。

それほど恐ろしい兵器を開発しているという自覚が科学者にはあった。

 北朝鮮の核兵器保有表明の報に、そのころの切迫感を思い浮かべた。

無法な独裁者が原爆を手にしたらどうなるか。

ヒトラーなら躊躇(ちゅうちょ)なく使ったのではないか。脅威は切実だった。

 いまの事態も、追いつめられた独裁国家が核兵器を保有したらどうなるか、という不気味さはある。

しかし、譲歩を引き出すためにぎりぎりの外交カードとして持ち出したのではないかという見方が強い。

 ブッシュ米大統領は「いつもの恐喝ゲームに逆戻りした」と語ったそうだ。

ゲームだとしたら確かに賢明なやり方ではない。

たいした手札もないし、懐も寒いのに強気でチップを積んで勝負をするポーカーのようなものだ。

相手が弱気になるのをねらっての脅しだが、米国相手ではとてもうまくいくとは思えない。

 もし実際に核兵器を使うことを考えているとしたら、自滅への道でしかないことは自明だろう。

国際社会への無謀な挑戦であることは、いうまでもない。



核開発は悪い。でも既にかなりの国々が核を保持している。日本も本気で核を持とうとすれば,

数ケ月で開発できる技術力はあるそうだ。時代が進めば進むほどに何処の国も簡単に核が持てる国に

なると考える。アメリカでは小規模の爆発力を持つた核開発の話がでている。

核をもつことよりも,如何に使わない,使えない環境を作るかの問題が先決のように思う。

核を使われだしたら人類破滅で,昔栄えた恐竜のように地球上から消滅して行くだけである。

今の人間のしていることを見ているといつかやりかねない気がしてくる。





 うそのような話である。うそを法律で禁止するというのだ。




4月27日の天声人語より


 うそのような話である。うそを法律で禁止するというのだ。

新型肺炎をめぐって虚偽報告のあった中国ではなく、食品をめぐって虚偽表示が横行した日本の話でもない。

米国でのことである。

 AP通信などが報じ、先日ニューヨーク・タイムズ紙が詳しく伝えた。

一瞬、困った国だと思った。あの国だったらやりかねない。何しろ禁酒法を実際に実施した国だ。

正しいと思ったら、法で人々に強制することをいとわないところがある。

 かつては禁酒を強制した結果、闇の売買がはびこった。

それをマフィアが仕切って裏社会が栄えた。

その二の舞いではないか。うそが闇にもぐり、うそで固めた裏社会ができるかもしれない。

マフィアが仕切るのは無理だとしても、裏社会で尾鰭(おひれ)のついたうそが表社会にあふれてきたらどうなるか。

 そんなことをあれこれ思ったが、思い過ごしかもしれない。

アイオワ州の小さな町でのことである。その名もハムレットという町長が発案者だ。

「うそには飽き飽きした。中西部の良さ『正直』を取り戻そう」と呼びかけた。

 釣りと狩猟が盛んな地域で、自慢話も盛んらしい。

弓矢で鹿を12頭殺した、などほら話を競い合う風潮がある。

うんざりしたハムレット町長が「うそ禁止条例」を非公式に議会に諮った。賛否は割れた。

反対派は「ばかばかしい条例だ。宣伝のためにやっているのではないか」。

 人口はたった53人で議員4人の町である。

いまは、ささやかな動きにすぎない。

ただ、この動きが全米に波及することはありえないと言い切る自信はない。





だがおれたちは兵隊だ。
飯を食って、銃を磨いて、
敵を殺さないと家族に会えないんだ。





4月28日の天声人語より



 最近の言葉から。「この戦争にいろいろ批判があるのは知っている。だがおれたちは兵隊だ。

飯を食って、銃を磨いて、敵を殺さないと家族に会えないんだ。

やるべきことをやるのさ」とイラク攻撃に参加した米海兵隊の狙撃手。

 イラクで義勇兵になることも考えたサウジアラビアの大学生は「行ったら多分、死ぬ。

死んだら新聞に載って、殉教者だったというメッセージは残る。

でも僕自身には何が残るのか」。

 インターネットで知り合って心中を図り、

重体になった日本の大学生が「あと40年間、毎日同じ生活をするのは苦しい」と語ったことについて、

山梨大教授(生物学)の池田清彦さんは「あと40年も平凡に生きられたとして、

それ以上どんな人生を望むというのかね」。

 「戦後をいくら『復興』しても、命は取り戻せません」という料理研究家の小林カツ代さんは

「春キャベツの芯を水に差しておくだけで、新芽が出て花まで咲く。命はエンドレスにつながる」と。

 93歳の詩人まど・みちおさんは、自分の体について「見れば、見るほど絶妙にできてます。

年寄ったら、しわだらけですが、ある時ね、鏡に映して見てたら、美しいんです。

さざ波みたいで。見とれたぐらいですよ。本当に自然が造ったものはどんな小さな物でも宇宙ですよ」。

 作家で詩人の松浦寿輝さんは絶滅種のことをふと考えた。

「タスマニアオオカミの最後の一頭は/いったいどんなふうに死んでいったんだろう/

(略)氷河湖のほとりを駆けめぐった日々の記憶が/ほんの一瞬よみがえってきただろうか」






緑の季節は、光の季節でもある。



4月29日天声人語より


 緑したたる季節になった。29日を「みどりの日」と呼ぶようになって、そう長くはないが、

今の時節とのなじみ具合は良く、すっかり定着したようだ。

 緑の季節は、光の季節でもある。

「私は起きると、雨の日でない限り庭におりて朝の日光を受ける」と大佛次郎は書いている

(『旅の誘(いざな)い』講談社文芸文庫)。

その時、植物の向日性のように、必ず太陽のある方角に額を向けて第一歩を踏み出す自分に「微笑を感じた」という。

「十歩ほどで行きどまりになる庭」だが「この時間だけ私は貧しかろうが小さい王国の王様の気分である」と続く。

 庭というものと長らく縁遠い身には「大佛大王」の言とも読める。

真っ当な庭がないから、出窓に鉢植えなどを置いて、及ばずながら緑を補っている。

ここ何年か花を付けてきた小さなシクラメンが、春先に力尽きた。

やがて鉢の中は土だけになったが、ある時、一点の緑を見つけた。

 日ごとに強まる日差しを浴びて、芽は音を立てるようにぐいぐいと伸びた。

飼い猫が不審そうに見上げて通るころ、道端や空き地でよく見かける小ぶりのキクのような草花に似ているとわかった。

貧乏草とも呼ばれているらしいと知り、妙に納得する。

 小さいながら花芽も出た。シクラメンの生まれ変わりのような白い花でも付けるのだろうか。

今も、貴重な一本の緑として、窓辺にゆらりとたたずんでいる。

 大佛次郎は、住んでいた古都鎌倉の貴重な緑を残そうと力を尽くし、日本のナショナルトラスト運動の先駆けにもなった

。明日が命日。没して30年になる。




「六本木ヒルズ」が開業した。



4月30日の天声人語より


 山にたとえるなら、東京は「八ケ岳」型の街である。丸の内から銀座のあたりを主峰としながら、

渋谷、新宿、上野といった幾つもの峰がそびえている。

 その峰の一つに「六本木ヒルズ」が開業した。

数百の店やホテル、映画館などがあり、真新しい街の姿を確かめようとする人々で、連日にぎわっている。

中心に立つ54階の銀色の巨塔は東京の新しい目印になりそうだ。

 思えば都市化とは、路上からの見晴らしや見通しが失われてゆく過程でもあった。

建物が密に並ぶことで、地平線も水平線も遠のいた。代わりに、ビルの稜線(りょうせん)と空との境界を目で追う、

いわば「視平線」が生まれた。その視平線も、霞が関ビルに始まる超高層時代以後、上がり続けている。

 六本木ヒルズも視平線をかなり引き上げた。近辺の多くの通りから見える。

つまり、以前は路上から見えていた、その先の空を覆っている。隣接して、学校が二つある。校歌を見せてもらった。

 都立城南高校は「光を浴(あ)みて聳(そび)ゆる学舎/花散る丘よ輝く海よ」。

向かいの港区立南山小は「麻布の丘に そびえてたてる/校舎をめぐる 木々の若芽の/しじに のびゆく われらがすがた」。

かつて丘にそびえていたのは学校だった。今は、あのヒルズが覆いかぶさるようにそびえている。

 「はてなき空は われらが心/おお ひろびろと はてなき心」(南山小)。

空が狭くなっても、そんな心を持ち続けてほしい。

巨大都市が備え持つ、有無を言わせないような変容の激しさと躍動とを、丘をくだりながら改めて思った。





親は子供の鏡 子供は親の鏡



親と子供は似るものである。中にはどうしてこのような親からこんな子供ができたかと思う場合がある。

遺伝子的にも親子は似ている。親の病気を知って子供がなるであろう病気を知ることができる。

とんでもない違った親子を見ることは稀である。環境も同じところで住まいしているからより体格も性格も

似かよっててくる。親の姿を見ていて子供が将来多分そのような人間になる事は予想できる。

自分がどのような人間かを知るには,親ならば子供の姿を,子供なら親の姿をみれば大きなはずれはない。

どら息子の親をみれば大概にいいかげんな親であることがの方が多い。又立派の親からはおなじような子供を見る。

親の因果は子供が受け継ぐというのはこのことをも意味しているのだろうか。

環境の変化によつて病気の遺伝は防ぐことは可能だ。でも危険因子は受け継いでいるから用心する必要はある。

僕の父親は昭和19年に亡くなっているからまだ幼くて知らない。母親は87歳までの長生きしていてくれたからよく知っている。

母親の父親に当たる人も一生よく働いた人だと聞いている。母親もそれに似たのかどうかよく働いた人だった。

父親が亡くなった後に兄が一家の中心にあった。この人も真面目で仕事をしていたように思う。

父親はあまり知らないがそれより長生きした祖父のことはよく憶えている。

厳格な人で厳しかった。でも孫の僕には優しいところをみせていた。親 兄弟達はよく叱られている姿をみているが,

僕は叱られたことの記憶がない。

遺伝だけでなく環境もかなり影響する。人間には環境の違いの方が遺伝よりも強いのではないかと思うようになってきている。

同じところで住んでいた者同士でも一人は親と同じ病気になり,他の一人は病気にならないといった事もある。

病気は素質もあるが環境の影響の方がもっと強いことに気ずくようになってきた。

誰にも必ず親はいる。親を見ることにより、客観的に自分を知ることができるとおもう。

勿論例外は沢山有る。大体にそのようなものであろう。夫婦も長年一緒だとどことなく,なんとなく似通ってくる。

似たもの夫婦とは昔の人はよくいったものである。




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