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新緑の候
一年のうちで一番良い時候となる。木々は新緑に映え,空はどこまでも青くすみわたる。
暑くもなく寒くもない毎日が続き,空気までもが新鮮に思えてくる。
イラク戦争が終わり,それに変わりに新聞を賑わすようになったのがSARS騒動である。
連日,テレビや新聞なとで新型肺炎SARS(重症急性呼吸器症候群)が中国を中心に香港 台湾 ベトナム シンガポール
そしてカナダなどでの感染者の話題がニュースとして報道されてきている。
日本でも台湾の医師が関西を中心に観光旅行をし,それがSARS患者であったことがわかって大騒動となる。
宿泊したホテル 旅館そして立ち寄った店など全てが新聞などで公開された。公開されたホテル・旅館などは
休業を自主的にされる。景気の悪い中で気の毒に,追い打ちをかけるように経営に多大な打撃を与えられることとなってしまった。
だが日本では今の所,幸いにもまだ一人のSARS患者も発生していない。
5月の終わりにSARSに関する講習会が急遽,京都府医師会館で催される。
京都市では確定したSARSに対する厚生労働省指定の第一種感染症医療機関がないために大阪府の市立泉佐野病院に
委託する事になる。疑い例とか多数発生した場合に対しては京都府が第ニ種感染症医療機関として公立山城病院,
京都市立病院,公立南丹病院,市立福知山病院,府立与謝の海病院が対応することになったと発表される。。
町の一般の医療機関では取り扱う事に関しては,全く無力というか,むしろ脅威以外のなにものでもない病気である。
今の所隔離以外に処置のしようがない。
医療従事者も感染防御のため宇宙服のようなガウンを着用し,眼鏡をかけ完全武装の形で患者と接する事になる。
21世紀にもなって今何故このような恐ろしい病気が忽然として発生するのか,不思議と言えば不思議な話である。
週刊朝日の6月6増大号に 「変るSARSの常識」の中に生物兵器説と「未知の生物」由来説の真偽の題名で解説している。
その中でWHOの5月23日,ジャコウネコ科のハクビシンなどから,SARSと遺伝子配列がほぼ同じコロナが検出されたと発表したが
これが本命かとしている。又生物兵器に詳しい軍事ジャーナリストの小林直樹氏はSARSのようなウィルスをコロナウィルスから作り出す事は
可能としている。常石敬一神奈川大学教授は「生物兵器には戦場で使う即効性のあるものや,感染源がかわからないままにじわじわ広がって
つくられたようなものがある。後者は戦略的に経済や社会の混乱を狙ったもので,SARSのような状況になる。........。
国立感染症研究所センターの岡部信彦センター長は「スーパースプレッダーと考えられる人は7,8人いるが,一人を除いて,
数日間のうちに全員死亡したほど重症だった。ウイルスが体内で大量に増殖したせいか,ほかの要素か,何故感染力が強いのかまだ
わかっていない」。などと感染症専門医自身がこのように話されている。
カナダやドイツにまで広がったSARSがなぜ,中国や香港に近い日本や韓国には広がらないのか。
国立感染症研究所では「原因不明」と答えている。一説にヤクルトによる免疫力上昇によつての防御説は不確実な話である。
一般の死亡率は14%で,65歳以上では50%。一方では10歳以下の死亡率が0%である。
まだまだ不明なことの多いSARS病原体であり,病気である。
医師会講演会の参考問答集には「SARSは生物テロですか」に対しての答えとして,
「SARSに生物テロが関与していると考えられる証拠はありません」と書かれているが。だが大きな謎に包まれた病気である。
ハクビシン。このジャコウネコ科が,一躍「時の動物」として脚光を浴びることになったのは,
5月23日香港大学の研究チームの発表からだった。
「6匹のハクビシンからSARSウイルスとほぼ同じコロナウイルスが見つかった。
私たちの研究では,その遺伝子配列は人間のSARSウイルスと99%同じであった」それまでにSARSウイルスは,
一般的に動物がもつているコロナウイルスの変異体であることは確認されていた。
それ以後ハクビシンと同時にタヌキ コウモリ サル ヘビなどからもみつかっている。・・・・・・・
香港大の「ハクビシン犯人説」に疑問を投げかける声が,同じ中国の上海生命科学研究院からでてきたのである。
研究員の韓主任が3つの問題点と可能性を指摘した。
(1)ハクビシンから人間へうったというが,ハクビシンを二年間育てる繁殖農家から感染者がでていない。また中国南部では長年,
捕獲されてきたのに,今までSARS感染者はなかった。(2)香港大が調べたハクビシンは広東省の一ヶ所の市場のものだけで,
北京などほかの地域では調べていないから,ハクビシン特有のウイルスとは断定できない。(3)ハクビシンがSARSで死んでいないので
人間が持っているコロナウイルスが人間の中で突然変異した可能性もあるのて゛はないか,そうなると,感染地近くの市場で売られていた
ハクビシンには人間がSARSをうつした可能性だって有る。
そして韓主任は,こう言った。
「今の情報だけて゜は,SARSがハクビシンから人間にうつされたことにはならない。だいいち,
99%同じ遺伝子配列であっても,遺伝子学的に言えば1%はとても大きな違いだ。
香港大の発表は,ニュース価値は有るかもしれないが,慎重さに欠ける」
まだ謎が多いSARSウイルス。ただはっきりしているのは,人間にふつうコロナウイルスが感染した場合は鼻風邪程度ですむが,
SARSは,いきなり肺の中から発病するという,恐るべき大きな違いがあることだと,以上のことが6/13号の週刊朝日で報じられてている。
これから次第に本格的に解明されるべき病気のようだ。内科雑誌「内科」の最近号では,SARSはまだ取り上げられていない。
医学の知識を利用した生物兵器だとするならば悪魔のする仕業である。
医師の立場からするならば生物兵器そのものは全て人類に対する犯罪行為である。それを作る国は人類にたいする全て敵である
現在世界の各国で生物兵器が作られているならば,直ちに廃棄すべきである。
世界の何処の国に対しても,徹底的に国連による生物兵器の有無を検証すべきだ。
21世紀にもなって本当に情けない話である。なんとも「やりきれない」気持でいる。
イラク戦争
この一ヶ月間,3月18日に始まる米英によるイラク戦争はドラマのようにして,毎日の新聞,テレビでトップニュ―スの形で報道されていた。
その戦争に対する反戦デモがイラク戦争開始前から全世界的な波のようなうねりのかたちでひろがりをみせている。
それにもかかわらず,アメリカのブッシュ大統領は戦争を始めた。イラク戦争反対世論は全世界各国での大多数の意見である。
だがアメリカのみが戦争賛成者が多かった。
英国では戦争反対が多く一部の閣僚が参戦に抗議して閣僚を辞任している。
大規模な米英軍の侵攻は現在終わっているが,イラク国内では略奪などで混乱状況の中に現在も有る。
世界各国からの早急な復興支援が求められている。
石油は米英軍の保護下に有るが,博物館内の文化遺産は略奪のほしいままになっている。
「イラクの自由」作戦の名のもとに,初め3月20日までのフセイン父子が国外に退去を条件に48時間の猶予期限が与えられ、
3月20日にフセイン父子を狙った爆撃でもって始まっている。
「衝撃と恐怖」を与えるために凄まじいばかりのトマホーク 精密誘導爆弾による攻撃が連日のように続いた。
新聞報道,テレビ画面より見る戦闘状況は此処まで軍事科学も進んだのかとの驚きをかんずる。
湾岸戦争の時に比較すると宇宙衛星からの電波を利用し,GPSでもって爆弾が目的物めがけ飛んで行くものである。
私達の身近に使われている自動車のナビゲーションがひとつずつ爆弾の中に搭載されているようなものだ。
その他劣化ウラン弾とかクラスタ―爆弾も使われている。
イラク内のバスラなどの諸都市へ,並びに首都バクダット゛へと英米地上軍が進撃する。
初期の段階の頃,テレビで解説されていたようなイラク軍による大規模な徹底的な抗戦がなく,
被害が比較的少なく短期間で終わったのが幸いであった。
本格的な凄まじい市街戦でもあればもっと悲惨な状態になったであろう。
だが精密誘導爆弾でも誤爆による市民の被害が多数続出している。
日本では被害者の人たちの様子がテレビで連日放映されていたが、一方アメリカ国内の放送ではあまりそのような報道はされていない。
自由の国アメリカにしては不思議な現象である。
デモに参加していたノーベル平和賞をもらった人が警察により手錠をはめられ連行されてゆく姿のテレビ報道にも接した。
前回のアフガン戦争でも5%の誤爆があったといわれている。
アフガン戦争もタリバン・アルカイダとの間に組織だった戦争はみられていない。彼等が自分の祖国を考えての行動だったのだろうか。
でも今もアフガニスタンでは戦後には,地域の軍閥が割拠しているようだ。
アフガン大統領が国内を移動する際,米軍の護衛がついていると報道されている。
多分イラクの場合は第二次大戦後,日本がマッカーサー司令官により約七年間占領支配下に置かれたような状況が作られるのではないかと思う。
戦後処理には国連主導をEU諸国が主張しているが,イラク戦の開戦時の状況からして今のネオコン(新保守主義)達が強く,
ブッシュドクトリンを基本とするブッシュ政権下での今のアメリカでは無理な話のように思える。
世界は「力の論理」が幅をきかしているのが現状である。
現在世界中でアメリカの基地が世界の約200ケ国中130ケ国に757ケ所軍事施設があるとの新聞記事を見た。
それに国防総省140万人中24万人が海外勤務しているそうだ。
今後のイラクも又アメリカ軍基地が設置されることになるだろう。基地が出来ても何処の国も,誰もはアメリカが慈善国家とは思っていない。
子供の頃「富国強兵」がスローガンで日本の軍部が東南アジアに進撃していった。富国とは国益を優先することを意味している。
強兵は現在の日本では憲法上許されない。変わりに世界一突出した軍事力を持つアメリカを支持することによって富国になろうとしているのか。
これからの日本は平和を求め,お互い国同士が助け合い,すべてが同じように繁栄する世界を作るための指導者になって欲しいものである。
(伏見医報に掲載)
大きなパニックになるのを防ぐためには
5月1日の天声人語より
このところ、お日様を見ない日はあっても、マスクを見ない日はない。
町中のは花粉症用も多いのだろうが、新型肺炎「SARS」のせいで、新聞やテレビもマスクだらけの4月だった。
SARSの件で連想するのは「コレラ・パニック」だ。
77年6月、和歌山県有田市がコレラ汚染地域に指定された。
観光バスは、有田に入ると窓を閉め、速度をあげて走り抜けたという。
ある団体が県外の観光地に行った時、旅館入り口の「和歌山○○会一行様」が
「若山○○会」になっていたというたぐいのことも聞いたような気がする。
過ぎてしまえば笑い話のようでも、渦中の人々は切羽詰まった思いでいることも多い。
オランダでは、81年10月、空軍基地に原爆が落とされた場合を想定したラジオ番組で住民がパニックに陥った。
冷戦下の当時、戦域核兵器の配備がとりざたされていた。
住民は、いつかあるかも知れないと核攻撃を気にしており「パニック準備状態」にあった。
命を脅かすものを人が恐れるのは当然のことだ。
それが大きなパニックになるのを防ぐためには、専門家の裏付けのある、早くて正確な説明が肝要だ。
中国の首相が、SARSへの初期対応について、ようやく「不適切だった」と認めた。
世界をこれ以上パニックの方へ傾かせないためには不可欠の表明だったが、あまりにも遅すぎた。
SARSの原因究明や、国境を越えた対応策作りには、日本も十分に力を尽くすべきだろう。
対岸のことと軽くみたり、やみくもに恐れたりするのではなく、共に正しく恐れるために。
このJ・D・サリンジャー氏の小説が
米国で出版されたのは半世紀以上前の51年
5月2日の天声人語より
「こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、
……その手のデイヴィッド・カッパフィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない」
村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)の冒頭である。
この本が世に出たときの驚きは、君には想像できないだろうね。
つい引き込まれてそう続けたくなる文体だ。このJ・D・サリンジャー氏の小説が米国で出版されたのは半世紀以上前の51年である。
「これ以上に大胆な小説の書き出しをだれが想像し得ただろうか」と記す伝記作家I・ハミルトン氏は、
17歳のときに読んでこれぞ「私の書物」だと思った(『サリンジャーをつかまえて』文芸春秋)。
しかし、そう思った少年があまりにたくさんいることを後に知って落胆したという。
邦訳の『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)が出たのが64年で、以来版を重ね250万部を超えた。
この青春小説の古典を、若者の強い支持を受けている村上春樹氏が訳し直した。
ある対談で「ただただ、うまいなあと思いながら、舌を巻きながら翻訳してましたね」。
米国の地方紙にこんな高校生が紹介されていた。
趣味はバスケットボール、会いたい人はイラク戦争を指揮するフランクス将軍、尊敬するのは父。
いまの米国で平均的と思われるこの少年が今まで読んだ本のベストは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だと。
日本の若い世代は、村上春樹氏の新訳をどう受けとめることだろうか。
敗戦後の日本といまのイラクとの違いは大きい。
5月3日の天声人語より
イラク戦争をめぐり戦闘終結宣言をするブッシュ米大統領の演説を聴きながら、敗戦後の日本のことを考えた。
演説で大統領はかつての対日、対独戦争について「体制を覆すためには都市を破壊し、
国を壊すことが必要だった」と述べたが、まさに廃虚からの再出発だった。
ブッシュ大統領はまた「米軍の良識と理想主義が敵国を同盟国に変えた」とも述べた。
確かに米軍による日本占領は整然と進んだ。
日本側の抵抗も、占領軍側の逸脱もほとんどなかった。
「イラクの戦後」の手本にしたい。そんな思いが演説からにじみ出る。
日本占領はなぜうまくいったのか。
敗戦の翌日、毎日新聞記者の藤田信勝は日記にこう書いた。
「先づ、アメリカから学べ。われわれは再び起つて、復讐するといふやうなケチな考へからではなく、
われわれ自身が亡国の民として世界史から抹殺されぬために、ぜひ必要なことである」(『敗戦以後』プレスプラン)。
彼我の力の差は明らかだった。無謀な戦争である。
早くからそう思っている人もいた。長い戦争に国民は疲弊もしていた。
心の底では厭戦(えんせん)気分を抱えていた人は多かったはずだ。
敗戦だとしても戦争が終わったことにほっとしただろう。
戦後すぐは食べることで精いっぱいだった。
その点ではいまのイラクと同じだろう。しかしイラクのように「まず治安を」というほどの混乱はなかった。
藤田も日記にこうつづった。「戦争に敗れたといふ精神的屈辱感を除けば、すべてが敗戦後よくなつた」。
敗戦後の日本といまのイラクとの違いは大きい。
一年で最もさわやかな季節のなかにいる。
5月4日の天声人語より
木々の緑が5月の陽光を受けて日一日と濃さを増し、ほおにあたる風にも新緑のにおいが紛れ込む。
一年で最もさわやかな季節のなかにいる。
そしてこの5月に特別の感情を抱いていた故人のことをしきりに思う。
最初の作品集の題名を『われに五月を』とした寺山修司である。
その序詞としての「五月の詩」を「きらめく季節に/たれがあの帆を歌ったか/つかのまの僕に/過ぎてゆく時よ」と始めた。
そして「二十才 僕は五月に誕生した」を繰り返す。
東京の世田谷文学館で開催中の「寺山修司の青春時代展」(6月15日まで)を見た。
演劇や映画にのめり込む以前、「いっちょう、言葉を地獄にかけてやるか!」などといいながら句会に出かけた
俳句少年のころ、そして短歌や詩に才能を発揮したころの寺山に光をあてている。
とりわけ高校時代の俳句への情熱は並大抵でなかったことが展示から伝わってくる。
若き寺山のこんな句がある。〈目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹〉。
5月の空を舞う勇壮な鷹の姿が目を閉じても自分を支配し続ける。そんな情景であろう。
良き理解者であった中学校の先生をはじめ母や友人らにあてたはがきや手紙も多く展示されていた。
寺山は手紙魔だった。旅先では絵はがきを買い込み、友人らのほか自分あてにも絵はがきを書き送ったそうだ。
絶筆になった散文詩で彼はこう書いた。
「墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分」。
20年前の5月4日、彼は逝った。〈五月もの憂しなかんづく修司の忌〉(遠藤若狭男)
命(いのち)はとても大切(たいせつ)だ/
人間(にんげん)が生(い)きるための電池(でんち)みたいだ
5月5日の天声人語より
「ゆきなちゃんは/合計二年(ごうけいにねん)間(かん)も病院(びょういん)にいる
/治療(ちりょう)で苦(くる)しいときもある/それなのに/人(ひと)が泣(な)いているときは
/自分(じぶん)のことなんか忘(わす)れて/すぐなぐさめてくれる」。
長野県立こども病院に入院していた小学5年由香ちゃんの詩である。
ゆきなちゃんは5歳のときに神経芽細胞腫と診断され、以来手術をたびたび重ねた。
抗がん剤治療のほか自家骨髄移植というつらい治療も経験した。
そんななかで「命(いのち)」と題した詩を書いた。
「命(いのち)はとても大切(たいせつ)だ/人間(にんげん)が生(い)きるための電池(でんち)みたいだ
/でも電池(でんち)はいつか切(き)れる/命(いのち)もいつかはなくなる」。
まだ使える命を無駄にする人がいるのは悲しいと続けて
「だから 私(わたし)は命(いのち)が疲(つか)れたと言(い)うまで/せいいっぱい生(い)きよう」と。
院内学級で電池のことを勉強したばかりのときだった。
この詩を書いて4カ月後にゆきなちゃんは亡くなった。
11歳だった。彼女の詩の中の言葉を借りて、
病院に暮らす子どもたちの詩や絵を集めた本『電池が切れるまで』(角川書店)が編まれた。
ゆきなちゃんのお母さんはこんな文章を寄せた。
「書くことがそんなに得意ではなかった娘のこの『命』という詩は
十一年という短いけれども凝縮された人生の中で得た勉強の成果なのではないかと思います」
ゆきなちゃんも夜静かに泣くことがたまにあった。
なぐさめられてばかりいた由香ちゃんは「どうしていいかわからなくなる」「ゆきなちゃん ごめんね」と詩を結んでいる。
短い生涯の半分以上を重い病魔と闘いながら、まわりには励ましを与えた少女の姿に胸うたれる。
物は本来の場所にあってこそ輝くのだから
5月7日の天声人語より
久しぶりに寄った中華料理屋で、老酒(ラオチュー)の甕(かめ)を持っていかないかと、
おかみさんが言う。高さ約40センチで中身は空だが、肉厚で結構重い。
なだらかな肩のあたりの縦じま模様には手作り感があって、花入れにもなりそうだ。ぶらさげて、
そばの神社の骨董(こっとう)市へ赴いた。
雑多な物を並べた数十の青空店舗を巡る。
やはり重いので、鳥居のそばに置いて一休みしていると、人が値踏みする風に寄ってきた。
売り物ではないと、すぐに分かって立ち去る。
確かに、その辺りに並んでいる品物と似てなくもない。
中には、この甕と同郷の物もあるだろうと思い、さらには、あのバグダッドの博物館から消えた品々の行方を思った。
イラクに隣り合うトルコの、ある博物館長の言葉が耳に残っている。
「石は、その場所にあってこそ、重いのだ」。
過去、西欧の国々に持ち去られた文物について尋ねた時の答えで、土地の格言だという。
物は本来の場所にあってこそ輝くのだから、勝手に動かした物は元に戻せというわけだ。
米欧の有名な美術館、博物館は、昨年の暮れ、収蔵品を返さないと宣言した。
「我々は一国の市民だけでなく、世界中の人々に奉仕している」というが、すんなり通る話ではない。
自分たちの保有の仕方が一番だと言い張るとすれば「民主化」してやるのだから文句を言うなという口ぶりにも通ずる。
地下鉄で運んできた甕に、ショウブの束を投げ入れた。
すうっと伸びた幾筋かの緑が、黒光りする甕に良く映える。
元の場所から移す手続きが真っ当なら、石は、重さを失わない。
その警察庁の長官が、
白ずくめの団体について
「装束や行動は異様だ」
5月8日の天声人語より
オウム真理教が摘発されてしばらくたったころ、山梨県の上九一色村へ行ったことがある。
テレビでは見ていたあの「サティアン」が、実に巨大なものだと実感した。
そして、こんな異様なものが富士山のふもとに次々と出現していたのに、
地下鉄サリン事件にまで至るのを防げなかったものかと、改めて思った。
日本の警察にとっても、歴史的な痛恨事だったに違いない。
先日、その警察庁の長官が、白ずくめの団体について「装束や行動は異様だ」
「オウム真理教の初期に似ている」と、会見で述べた。
元々オウムを連想していた人たちにとっては、その連想を強めることになり、
不安が大きく膨らんでしまったかもしれない。
白装束に白い車、白い幕と、いかにも「絵になる」隊列だったためか、
テレビ画面が真っ白になったかと錯覚しそうな時間帯すらある。
奇妙で理解しにくい集団に、世間の関心が集まるのは、ある程度は自然だろう。
しかし、肝心なのは、対象をあくまで等身大にとらえようと努めることだ。
警察は、オウムはオウム、これはこれとして、法令に照らして自然体で対応する。
メディアは、実相に即して報ずる。結構難しいが、大事なところだ。
最近の海外メディアの論調では、今の日本は、外交、政治、経済ともに「漂流」のイメージが先立っているらしい。
白ずくめの団体の「漂流」に耳目が集まっているうちに、列島全体が流されてゆく「日本漂流」を見過ごさないかと気になる。
あまりに大きい問題は、大きすぎて、なかなか「絵にならない」。
奇妙な集団がいるものだ。これでも人間による集団なのか。
集団にドップリ漬かった人たちにとってはそれがわからないのだろう。気の毒な話でもある。
アメリカがいま二つの「建国」にかかわろうとしている。
一つはパレスチナで、もう一つはイラクである
5月9日の天声人語より
「アメリカ文学には家を建てる話がよく出てくる」といって
アメリカ文学者の柴田元幸氏が次のような説を述べている(『アメリカ文学のレッスン』講談社現代新書)。
建国、つまり国を建てるという大事業が終わったあと建てられるものは家か墓くらいしかない。
「少し大げさにいえば、家を建てることは、象徴的にもう一度アメリカを建てる行為である」。
そのアメリカがいま二つの「建国」にかかわろうとしている。
一つはパレスチナで、もう一つはイラクである。パレスチナについては先日、ロードマップと称する行程表が示された。
イラクについてはそこまで詳細な道筋はつけられていない。
思えば、道もまたアメリカについて語るとき欠かせない要素だ。
文学や映画にもしばしば重要な役割を担って登場する。
もちろん歩行者のための遊歩道ではない。草原や砂漠を突っ切って都市と都市とを結ぶ幹線道路が主役だ。
猛スピードで飛ばす車のための道路である。
しかし「建国」への道が、アメリカの道路のように広く真っすぐだとはとても思えない。
かつてのビートルズの歌のように「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(長くて曲がりくねった道)」だろう。
アメリカ的な運転術をそのまま持ち込んでは危うい。
家の話に戻せば、柴田氏はこんな指摘もしている。
アメリカ文学の世界では、ハウス(家)はあってもホーム(家庭)はない。
少なくとも成立しにくい、と。家は建てたものの、人間関係が壊れる例が多い。
「建国」という事業にもつきまとう危険である。
どうしてアメリカがアメリカから遥か遠い国になるパレスチナとイラクの建国にかんよするのか。又北朝鮮と深い関係に
なるのか?。以前にはベトナム カンボジアとも関係していた。今はそれらとは無関心に近い。
世界中のいたるところの国々と深く関係してくる。
そのアメリカの代表責任者 即ち大統領がブッシュである。そんな人物に世界をまかせるのことができるのだろうか。?
そしていつまで危ない時代が続くのか。航空兵の服装でヘルメットを持ちヘリコプターから艦船に飛び降りてくる様子は痛々しさを感ずる位に
道化師役を演じているように思えた。兵士達の前でイラク終結の宣言するとはどんな馬鹿な演出者が蔭にいるのだろうか。だか身は安全だ。
現状ではブッシュがまともに一般のアメリカ国民の前に直接に出る機会は大統領職にある限り無理のように思える。
「都市の再開発がツバメを追い出している」
5月10日の天声人語
勢いよく農家の玄関をくぐって巣にたどりつく。
薄暗い土間の梁(はり)では、待ち受けていた雛(ひな)が餌をめぐってにぎやかに騒ぐ。
地方ではそんなツバメの姿が今も見られるだろう。都会で見かけるのは難しくなるばかりだ。
『都会の鳥たち』(草思社)を著した唐沢孝一さんらが東京都心でツバメの生息状況を調べたのは84年だった。
東京電力銀座支社や京橋消防署、中央郵便局などにツバメが巣を作っていた。
餌は主に皇居周辺から調達していたようだ。
19年後の現在、それらツバメの巣はほとんど姿を消していた。
建物自体がなくなったところも少なくない。
問い合わせると「天井を改築し、巣を作るのが難しくなった」「いつのまにか来なくなった」などの返事である。
都心のツバメを毎年調べている都市鳥研究会の金子凱彦(よしひこ)さんによると、
去年はツバメの営巣が銀座で3カ所確認できた。今年は1カ所だけになった。「これまでの調査で最悪です」
唐沢さんは「都市の再開発がツバメを追い出している」と語る。
新しい建材の質や閉鎖的な建物の仕組みなどが原因らしい。巣を作るための泥やわらなどの素材も入手しにくい。
雛を狙うカラスからの防衛も難しくなっている。
人のいるところに巣を作ってカラスから身を守ってきたのだが、都心では人のいない空白の時間が増えているからだ。
ツバメは春を運ぶとともに幸運を運ぶ鳥ともいわれてきた。
都会は彼らから見放されつつある。
〈営巣の泥の得がたく春燕東京の空をかなしみて去る〉(窪田空穂)。
きょうから愛鳥週間が始まる。
小惑星探査機「はやぶさ」は、
太陽系誕生のころを知るための
手がかりを求めて大旅行に出かけた。
5月11日の天声人語より
地球の年齢は46億年ほどといわれる。
宇宙の年齢の3分の1程度である。ある星の死が太陽系誕生のきっかけらしい。
死んで大爆発を起こし、銀河の一角が星雲状態になる。
やがて小惑星が多数できて衝突と合体を繰り返しながら大きな惑星をつくっていく。
地球もそうしてできた惑星の一つらしい。
鹿児島県から9日打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」は、
太陽系誕生のころを知るための手がかりを求めて大旅行に出かけた。惑星生成の「原材料」採取である。
暗いニュースがあふれる中「はやぶさ」出発は、しばし思いを宇宙に飛躍させてくれる朗報だった。
めざすは3億キロかなた、500メートルほどの大きさと推定される小惑星である。
その表面から標本を持ち帰る往復4年の旅だ。
米国のアポロ計画のように大規模ではないが、日本らしいきめ細かな技術を駆使した計画である。
たとえば小惑星でどのように標本を採取するか。ほとんど重力がないから、簡単ではない。
ドリルのようなもので穴を開けようとすれば、探査機の方が反発で飛ばされてしまう。
こんな方法が考えられた。筒のようなものを地表にあて、弾丸を発射して地表を壊す。
その破片を筒に導いて収集する。採取地点の選択や接近、着地など探査機がすべて自分で考えながら進める。
ロボット技術の粋が集められた。とはいえ3億キロ先でそんな細かい仕事ができるのだろうかと心配にもなる。
地球誕生を解明する手がかりをもたらすかもしれない07年夏の帰還が楽しみだが
、肝心の地球はどうなっていることか。
地球の年齢は46億年ほどといわれる。雄大な宇宙のことを考え,身近な細かなことには気を留めないようにしょう。
広大な宇宙からすると人間が地球でしていることはほんとうにチッポケな事柄である。そんなことに心を煩わさないようにしょう。
過ぎ去ったものは全て夢であり,今も夢の中に生きているのが,全ての地球上の人間達である。
全てが本当のように思い,取り返しがつかないと悩んでいる毎日は幻そのものである。
夏に向けて川への郷愁が強まる季節
だが、憂いもまた深い。
5月12日の天声人語より
川というのは記憶のあちこちを刺激する不思議な存在だ。
思い出のなかの川は何かの拍子に不意に現れる。
匂(にお)い、音、感触など五感すべてに訴える要素をもっているからだろう。
とりわけ故郷の川は体に刻み込まれた記憶として残る。
水辺の雑草の鼻を打つ生臭さ、水草を踏んで魚を追い出すときの感触、こけむした石に足を取られて転んだときの衝撃、
頭のなかで響きやまない瀬音、手ですくって飲んだ水のひんやりした味わい、それらすべてが懐かしく思い出される。
小さな川だったが、子どもたちは「大川」と呼んでいた。
同じ大川といっても東京の下町で育った芥川龍之介の描くそれはまったく違う。
「自分はどうして、かうもあの川を愛するのか。
あの何方かと云へば、泥濁りのした大川の生暖い水に、限りない床しさを感じるのか。
自分ながらも、少しく、其説明に苦しまずにはゐられない」(「大川の水」)といって川への愛着を書き連ねる。
島国であり、山国でもある日本の川の多さと多様さは、たぶん世界でも屈指だろう。
思い出のなかの川はそれこそ人によって千差万別だ。
悠然と流れる大陸の大河とは別種の感慨をもたらす日本の風景である。
しかし川は変貌(へんぼう)する。
「川は死んだ」と語るのは最上川文化を調査する民俗学者の赤坂憲雄さんだ(『望星』6月号)。
護岸工事などで生活は守られるようになったが、生活と川とが切断されてしまった。
その認識から出発して川の再生を考えねばならない、と。
夏に向けて川への郷愁が強まる季節だが、憂いもまた深い。
歴史を見渡すと、これ以外の「有事」は
ほとんどが日本から仕掛けたか、
5月13日の天声人語より
日本は一方的な侵攻を受けた経験がほとんどないといっていいだろう。
外国の軍隊から理不尽な侵攻を受けた経験のことである。
はるか昔、13世紀の「蒙古(もうこ)襲来」が唯一に近いかもしれない。
あのときも突然モンゴル帝国が攻めてきたのではない。
攻撃の6年前から何度か外交文書が高麗経由で幕府、朝廷に届けられた。鎌倉幕府はすべて無視した。
モンゴル側が「返事がないからには攻撃の準備をせざるをえない」と最後通牒(つうちょう)めいた通告をしてきても、
なすすべはなかった。幕府は当時の国際情勢にまるで無知だった。
知る機会がまったくないわけではなかったが、内政に手いっぱいで知ろうとする意思がなかったようだ。
最初の攻撃は1日で終わったが、『日本の歴史10 蒙古襲来と徳政令』(筧雅博・講談社)などによると
凄惨(せいさん)な戦いだった。
鎌倉武士の誇りである名乗りをあげての一騎打ち戦法で立ち向かったものの敵が応じるはずもない。
集団で取り囲まれて次々命を落とした。外の世界を知らない悲しさである。
鎌倉幕府のまずい対応にもかかわらず、幸運も重なって2度の侵攻を食い止めたが、
日本史に残るまれな「有事」の経験だった。
歴史を見渡すと、これ以外の「有事」はほとんどが日本から仕掛けたか、
あるいは日本の軍隊が外に出かけていたときに起きた「有事」だった。
言い換えれば自ら招いた「有事」だった。
こうした歴史を振り返ると、今の有事法制論議がどちらを向いているかが気になる。
間違っても「有事」を招くような方向であってはならない。
言葉をめぐる環境の変化は、
ことわざの衰退にとどまらない
深刻な影響を与えている
5月14日の天声人語より
「絵にかいたもち」を「うそのつもりが、だんだん本気になってしまうこと」と答えた小学生が4分の1もいた。
なるほど「絵にかいたもち」が本物のもちになっていくのか。
現実と非現実との境が薄れていく現代を反映する発想、とは深読みしすぎだろうが。
小中学校の学力テスト結果を分析した文部科学省の報告書は、
ふだん聞き慣れないことわざを授業で取り上げて活用しよう、と勧めた。
言葉をめぐる環境の変化は、ことわざの衰退にとどまらない深刻な影響を与えているように思える。
正答率の低い問題を見ると、どの教科でも問題自体の読み取りができていないと思わせる例が少なくない。
単に日本語能力が落ちているのか、それとも文字を視覚的にとらえるなど電脳社会にかかわる感覚の変化の表れなのか。
歴史のおおまかな流れをとらえる力も弱い。
例えば中学の社会科で正答率が極めて低かった問題がこれだ。
近代日本の略年表を示し1914年から25年までの時期について、四つの答えから選ばせる。
一番多かったのが「初めて鉄道が敷かれ郵便制度が整備された」で、二番目が「空襲などで工場が破壊された」。
大正時代の特徴を述べる正答「東京や大阪が大都市として発展し、文化が大衆化した」が最も少なかった。
このテストでは福沢諭吉の知名度が落ちていることも話題になった。
その福沢は少年のころ、漢文を徹底して読まされた。後に洋学に転じるが、
彼の文筆を支えたのは漢文という言葉の素養だったろう。
すべての基礎である言葉の力を見直したい。
タマちゃんが電車と遭遇したような
驚きを追体験できるのも
5月15日の天声人語より
アザラシにデッキとられしボートかな。
埼玉県朝霞市の荒川べりで、「タマちゃん」ではないかというアゴヒゲアザラシを見てきた。
プレジャーボートの船尾の平らなところに、あの丸い体を横たえている。
いかにも足の速そうな船が、動かずにじっとしている様子も、ほほ笑ましい。
岸辺で見物する数百人は、大声をあげることもなく静かに見守っている。
時折、遠い雷のような音を河原に響かせながら、電車が脇の鉄橋を渡ってゆく。
その度に、タマちゃんは、あれは何ものかというように目を中空に泳がせる。
確かに、ふるさとの方では見かけない「動物」ではあろう。
ふと、吉村昭さんの新著『漂流記の魅力』(新潮新書)を思い出す。
20代のころ、日本の古い漂流記にとりつかれたという吉村さんは、漂流についての小説を、6編著してきた。
「あらためてよくもこれまで飽きずに書いてきたものだと、われながら呆れてもいる」。
ひとりの作家をこれほど触発し続けたのは、極限状態に置かれた人間の記録の深さと強さなのだろう。
鎖国の時代に、はからずも異国に渡り、未知の世界に触れた人々は、いわば、未来と出会った人々でもあった。
タマちゃんが電車と遭遇したような驚きを追体験できるのも、漂流記の持つ魅力の一つだ。
河原のそばから、バスと電車を乗り継いで、東京湾に近い新聞社へ戻るのに、約1時間半かかった。
これだけの大きな隔たりを、独りさかのぼっていったのだろうか。
「鉄橋の下のひとりアザラシ」が、早くも、なつかしく思い出された
昨日、有事関連法案が衆議院を通過した。
5月16日天声人語より
明治の日本が、日清、日露の戦争を体験していなかったころに、中江兆民はこう書いている。
「二国(にこく)相攻撃(あいこうげき)するに方(あた)りて、
凡(およ)そ戦(たたかい)より生(しよう)ずる所(ところ)の災禍(さいか)は、
誰(たれ)か之(こ)れに当(あた)る乎(や)」と問いを立て、武器をとって戦うのも、
軍事費を出すのも、家を焼かれるのも「即(すなわ)ち民(たみ)なり」と結んだ(『三酔人経綸問答』岩波文庫)。
日本の多くの「民」が、戦争とはこの通りだと思い知ったのは、この書が世に出てから半世紀あまり後だった。
そして「戦争放棄」を掲げる憲法が制定される。
昨日、有事関連法案が衆議院を通過した。
残念ながら、地上から戦争が消えていない以上は、戦争という事態を想定せずにいることはできない。
現に、日本は世界有数の軍事力を持ち、米国と同盟を結んできた。
もしも戦争ともなれば、兆民の書いた「災禍」が繰り返されるだろう。
だからこそ、有事での国民の被害や人権侵害を抑えるための法の整備が必要だという議論が、国会で優勢だ。
説得力があるように見えるが、常に「民」を真ん中に据えた政治理念が、審議する人たちにあるのかという疑念が消えない。
まずは、各政党と議員の振る舞いを注視しよう。
戦前の政党内閣制に終止符を打ったのは「五・一五事件」だった。
71年前の昨日のことである。
犬養毅は、首相官邸で銃弾を浴びた後も「今の乱暴者を呼んで来い、話をしてやる」と言っていた(鵜崎熊吉『犬養毅伝』誠文堂)。
墓は、東京港区の青山霊園にある。昨日は雨が桜並木の若葉を光らせ、墓前では、数束の線香の煙がゆらいでいた。
背広姿の文民が軍人以上に
軍人的ということは常にありうる
5月17日天声人語より
平人、凡人、文臣、文人、民人、文治人、平和業務者、世界人、文化人、地方人。
「シビリアン」という英語をどう邦訳するか。戦後の新憲法づくりの過程で専門家らが知恵を出しあって考えた訳語である。
総理大臣や国務大臣はシビリアンでなければならない。
貴族院での審議中、GHQ側からその条項をいれるように要請があったため大慌てで検討した。
結局採用されたのは「文民」という造語だった。文武の武を外し、臣民の臣を外してくっつけたのが文民である。
「武臣」の反対語としてふさわしい、と。当時の小林貴族院書記官長が後に朝日新聞で経緯を明らかにしている。
軍人による支配を排除するシビリアンコントロール、つまり文民統制という発想そのものが日本にはなかったことがよくわかる。
一方、GHQとして日本占領を推進した米国は文民統制を原則とする国である。
その米国でのこと、ブッシュ大統領が先日、空母リンカーンでイラク戦争の戦闘終結宣言をした。
米軍機で飛来し、操縦服姿で降り立った。その「演出」を米国の経済学者P・クルーグマン氏が痛烈に批判した。
米軍の英雄だったアイゼンハワー大統領さえ「軍服着用」を避けた。その伝統を破った恥知らずぶりを誰もとがめない、と。
「滑稽(こっけい)というより空恐ろしい」とはクルーグマン氏の言だが、
確かに文民統制という原則さえあれば安心というわけではない。
背広姿の文民が軍人以上に軍人的ということは常にありうる。制度に安住はできない。
その危うさはわが有事法制でも同様である。
古代ローマの初代皇帝アウグストゥスの座右の銘は
「ゆっくり急げ」だったそうだ。
5月18日の天声人語より
どんよりした曇り空のように重苦しい空気が世界を覆っている。
戦争を挟んで広がった新型肺炎に中東やアフリカでのテロ、そして日本経済は好転の兆しがなく、
世界も日本も委縮しつつあるかのようだ。
「WATARIDORI」というフランスの記録映画を見た。
来日したジャック・ペラン監督も語っていたように、鳥は古来、自由の象徴だった。
下界の卑小な生活を離れてのびのびと大空を滑空できたらどんなに素晴らしいか。誰もが思うことだろう。
しかし、映画で見る鳥たちは必死に羽ばたいていた。
鳥たちと並んで飛ぶ軽飛行機から撮った映像は、飛ぶことの大変さをなまなましく伝えていた。
雨風をくぐって何千キロもの距離を行き来する渡り鳥たちである。
下界からうらやんで見るほどのんびりした世界ではなかった。
長田弘さんの詩「散歩」はこう始まる。
「ただ歩く。手に何ももたない。急がない。気に入った曲り角がきたら、すっと曲がる。
曲り角を曲ると、道のさきの風景がくるりと変わる」。
そんなふうに、歩くことを楽しむために歩く。
簡単なようでなかなかできない、といって「この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと」(『長田弘詩集』ハルキ文庫)
空を飛ぶ鳥も地を歩く人間も何かにせかされるように移動を続ける。
古代ローマの初代皇帝アウグストゥスの座右の銘は「ゆっくり急げ」だったそうだ。
せかされても、せめてゆっくり急ぐことにしようか。
晴れない空を眺め、憂鬱(ゆううつ)な事件や事態を見守りながら、重苦しさに向き合う日もある
昔はあれほど珍重された初ガツオにしても、
いまやありがたみは少ない。
5月19日の天声人語より
アユ釣りが各地で解禁され始めると、さすがに初夏の気分が強まる。
しかし、このごろ季節と魚との結びつきは薄れるばかりだ。
昔はあれほど珍重された初ガツオにしても、いまやありがたみは少ない。
養殖や冷凍技術の発達で多くの魚がいつでも手に入るようになったことに加え、輸入魚が増えたことも大きい。
何しろ魚食大国の日本は輸入量も世界一だ。世界の水産物輸入額の4分の1を占める。
自給率は低下し続け、ここ数年は約半分になっている。
一時、銀ムツという魚が話題になった。西京漬けにされたのをよく見かけた。
当然ムツの一種だろうと思った。銀ダラがあるから銀ムツもあっておかしくはない。
しかし実際は南米産の深海魚で、メロという魚だった。その姿はムツとはまったく違うらしい。
切り身でしかお目にかからないから、そんな「詐称」ができた。
こうした例が少なくないらしく、水産庁が名称の整理を始めた。
先日の水産白書ではこの銀ムツのほか、アマダイと名乗っていたキングクリップ、
オキブリと名乗っていたシルバーなどを例にあげ、元の名称を使うよう指導している。
味さえ良ければ名称などかまわないという人もいるだろう。だが、その味覚の方は大丈夫だろうか。
骨を抜いて接着した輸入魚が病人だけでなく一般にも歓迎される時代である。
日本の魚食文化を支えてきた調理法や繊細な味覚が次の世代に継承されなくなってきてはいないか。
〈鮎の腸(わた)口をちひさく開けて食ふ〉(川崎展宏)。たとえば、こんなアユの腸の繊細な味わいなどが。
いまの日本は他の先進国の
1、2周先を走っているという専門家もいる。
先進国の病を先取りしている、
5月20日の天声人語より
ものの値段が下がる。生活する上ではありがたい。しかし長く続くのはデフレといって一種の病気とされる。
高熱が出るような症状のインフレには、治療法が種々考えられてきた。
デフレは生活習慣病のようなもので、治療が容易でない。
悪循環に陥りやすい。体調が悪いから運動をしなくなる。食欲が衰える。ますます体調が悪くなる。
つまり物価下落だけならいいが、賃金も下がり、購買意欲も減退、企業活動も委縮し、経済全体が収縮していく。
繁華街のにぎわいなどを見ていると、日本がそんな病を抱えているという実感はわかない。
実感がわかないことは他にもある。そもそもこの小さな島国が本当に世界第2の経済大国なのだろうか。
戦後すぐ「日本は30等国」という自嘲(じちょう)的な言葉が流れた。
マッカーサーには「日本は12歳の少年」といわれた。
12歳から青春、壮年を無我夢中で走り抜け、気がついたら思いがけず老け込んでいた。
まさに「老いやすい少年」だった。病の原因はバブルのときの不摂生だけではないだろうとの思いがする。
いまの日本は他の先進国の1、2周先を走っているという専門家もいる。
先進国の病を先取りしている、というのだ。
サミット財務相会合でも日本のデフレ対策強化をいわれた。
先頭走者の失速とあがきを各国が冷ややかに見守っているとしたら意地悪いが、他国頼みもできない。
「国有化」されるりそな銀行の名はラテン語からとられた。
「そな」は音で「り」は反響や反復の意だ。こんどの処置に日本経済はどんな反響を示すのだろうか。
近年、縄文時代の豊かな文化を証明する遺跡が
次々発掘されて縄文観が大きく変わりつつある。
5月21日の天声人語より
紀元前7世紀ごろの人が「いまは縄文時代だと思っていたら、
何だ、弥生時代だったのか」とぶつぶつ文句を言いそうである。
弥生時代が大幅にさかのぼるかもしれない。
というより、縄文から弥生へ、という時代区分を考え直した方がいいのかもしれない。
確かに縄文文化と弥生文化とを区別することはできる。
しかし、昭和から平成に移るように、ある日突然縄文から弥生へ移行したわけではあるまい。
両者が混在の時期、長い移行期があったと考えるのが自然だろう。
昔、学校で教えられたのは、わかりやすい区分だった。
狩猟や採集で生活するいかにも原始的な縄文人と、水田を耕作し、集落をつくって生活する現代人に近い弥生人である。
近年、縄文時代の豊かな文化を証明する遺跡が次々発掘されて縄文観が大きく変わりつつある。
縄文の世界に大陸や半島から先端文化、つまり金属製品や稲作が流入し始めたころのことを想像する。
土着文化と輸入文化との間で摩擦もあったろうし、融合もあったろう。争いも和解もあったろう。
実際、流血の痕跡もあり、一方で混血も進んだようだ。
時代が大きく転回するその時代を思うと、さまざまな物語が浮かんでくる。
やがて日本中に水田が広がり、弥生文化が制圧したかに見える。
日本文化の基底には水田と農村があるという「常識」も強まる。だが、縄文文化の名残もいろいろある。
農村を重視する日本文化論への異論もこのごろは各方面で出てきた。
歴史研究は現代を映しながら常に動いている。そこが歴史の面白さでもある。
「悠々たる哉天壌(かなてんじょう)、
遼々(りょうりょう)たる哉古今」で始まる
格調高い文章
5月22日の天声人語より
「有事法制のことを知っていますか」。東京・駒場の東大教養学部で、学生はそういって有事法制反対を訴えていた。
昔の激越な演説調とはまるで違う柔らかな語りかけだ。キャンパスも5月の日差しのように穏やかだった。
この学生たちのはるか先輩にあたる人物のことを思った。
「不可解」の言葉を残して日光の華厳の滝に身を投げた一高生の藤村操(ふじむらみさお)である。
17歳になる直前だった。この自殺は当時の世の中に驚くべき衝撃を与えた。
藤村はその日、滝の近くの大樹をナイフで削り「巌頭之感(がんとうのかん)」と題した遺書を記した。
「悠々たる哉天壌(かなてんじょう)、遼々(りょうりょう)たる哉古今」で始まる格調高い文章である。
万有の真相は「不可解」で、煩悶(はんもん)の末に死を決断した。
胸中に不安はない。「大なる悲観は大なる楽観に一致する」と結んだ。100年前のきょうだった。
後に岩波書店をおこす一高生の岩波茂雄などは友人と「巌頭之感」を読んではよく泣いたそうだ。
黒岩涙香は「哲学的死」といって追悼した。多くの若者が藤村のような「哲学的死」に走った。
藤村に英語を教えていたのが夏目漱石だった。
野上豊一郎の回想では、死の少し前「予習してこないような奴(やつ)は授業に出なくていい」と藤村を叱(しか)った。
彼は授業に出なくなった。漱石は内心気にしていたようだが、野上は英語のことなど既に藤村の頭になかったろう、と。
現代の若者もまた別種の悩みを抱えてはいよう。ただ頻発するネット自殺という心中には「不可解」の思いを禁じえない。
生の充実も死との緊張もともに薄れている時代ではないか。
ここは、いったん裸になって、
鍛え直してはいかがだろうか。
5月23日の天声人語より
夏場所やひかへぶとんの水あさぎ(万太郎)。
2年ぶりに国技館へ行った。10日目。前日の、横綱の過剰な闘志にどよめいた余韻が、かすかに残っている。
土俵がまん丸であることが目で確認できるような、天井桟敷のいすに座る。周りの観客の約半数は外国人だ。
遠く、すり鉢の底の方で繰り広げられる取組に見入っている。
1階の升席も、2階のいす席も、土俵から離れた所には空席が目立つ。
今場所から、相撲茶屋に流れて一般の人にはなかなか買えなかった升席の一部を、木戸口で売るように変えたという。
遅すぎたくらいだが、料金も含めて工夫がないと、不入りは続くかもしれない。
国会の方の「五月場所」では、へんてこりんなことが続く。
「スポーツマンシップとは」と問われた保守新党の松浪健四郎衆院議員の答えは「ネバーギブアップもスポーツマンシップ」。
答え方としては技能賞候補だが、「決してあきらめない」ことが「居座り」と同義になっていいはずはない。
「次の総選挙で国民の信を問う」と言うが、もう十分に信を失っているのに気づかないのか。これも妙だ。
国技館では、天井桟敷からでも、それなりに臨場感が味わえた。
控え力士の座布団の大きさ、締め込みの鮮やかな色と光、鼓舞して自らの体をたたくピシッという音。
鍛え抜いた裸にまわし一本のぶつかり合いは、やはり心に響くものがあった。
松浪議員は「潔しとするのがスポーツマンシップかもしれませんが」とも言っている。
ここは、いったん裸になって、鍛え直してはいかがだろうか。
エベレストからは、英国の登山家、
マロリーの言葉として有名な「そこに山があるから」を
思い起こす。
そして「そこに重力があるから」とつぶやいてみる。
5月24日の天声人語より
「人生七十古来稀(まれ)なり」。
70歳を表す古希は、杜甫の詩の一節から来ている。このごろは「近来ざらなり」と、おどける人もいる。
ざらには無いことが、世界の最高峰であった。
古希の三浦雄一郎さんが、エベレストの最高齢登頂記録を塗り替えた。
分厚いシェルパの支えがあったそうだが、実に強い意志と力をお持ちのようだ。
加齢は妨げではなく、挑戦への支えとすら思わせる。
加齢による老化は、なぜ起きるのだろうか。
鏡の中の、垂れ下がり気味のほおのあたりからは、万有引力のニュートン先生を連想する。
エベレストからは、英国の登山家、マロリーの言葉として有名な「そこに山があるから」を思い起こす。
そして「そこに重力があるから」とつぶやいてみる。
生命体は、重力によって常に地球の中心の方へ引っ張られている。誕生することを、生まれ落ちるともいう。
体の一つ一つの細胞も引っ張られている。生き物の方も、細胞を入れ替えて新しくしながら、重力の引っ張りに対抗する。
その戦いの積み重ねが、生命体に年をとらせるのではないか。もちろん、何の学術的根拠もない話だが。
とは言え、重力の存在とマロリーの言との間には、どこか通底するものを感じる。
常に下向きのくびきがあるから、人は、地球の中心から最も遠い所へといざなわれるのだろうか。
マロリーは1924年にエベレストに挑んだが遭難した。
ヒラリーとテンジンが登頂に成功したのは53年5月だった。
それから半世紀の最高峰では、順番待ちで約50人もが「渋滞」していたという。
犯罪まがいの悪質さだ。
「ローン漬け社会」が映っているようにも見える。
5月25日の天声人語より
百鬼園先生こと内田百けんは「貧乏の極衣食に窮して、妻子を養ふ事も出来なくなつた」と、
随筆集『大貧帳』(六興出版)に書いている。
「家の中に典物もなく、借金に行くあてもなかつた」と続く。
典物(てんぶつ)とは質草、つまり担保のことである。
もし、先生が今の世によみがえったとしたら、至る所で目につく無担保ローンの宣伝に、どう反応しただろうか。
そして、銀行に兆単位の税金が注入され、国そのものが何百兆円もの借金をしていると知ったとしたら。
「超特大貧帳め」とでもおっしゃるか。
もちろん先生は、貧にあっても意気軒高で、取り立て人とのやりとりなども、随筆の種にしている。
一方、現代の借金取り立てには、NTTのお悔やみ電報までが使われているという。
漆塗りのケース入りの「取り立て予告電報」や、「近いうちにこの電報の意味が分かる」と、死をにおわせるものまで送りつける。
犯罪まがいの悪質さだ。「ローン漬け社会」が映っているようにも見える。
長い不況で企業の倒産は続き、自己破産の申し立てが年に20万件を超えて、世の中には閉塞(へいそく)感が募っている。
そこに、東京都主導の新銀行創設の発表があった。
石原知事という人は、発言で物議を醸すことも多いが、世の中に広まる不満や不安をつかむことは、巧みなのだろう。
確かに、強く訴えてくるものはある。
しかし、逆の方から見ると、「官製」の銀行が注目を集めるようにまでなってしまった社会の傾きの方が気に掛かる。
「石原銀行」もまた、この時代の相を映し出している。
樹木を植え、緑を増やす。
「緑化運動」と一言でいうが
5月26日の天声人語より
50年以上前の北海道・襟裳(えりも)岬の写真がある。
顔を白い布で覆った人が率いるキャラバンが土ぼこり舞う荒涼たる地を行く。
ラクダではなく馬の一隊だが、とても日本の風景とは思えない。
風速10メートル以上の日が年間300日近い強風地域で、
舞い上がる赤土が海も染め、漁業も瀕死(ひんし)に陥っていた。
営林署と住民が協力して緑化運動に乗り出したのが50年前だった。
苦闘の末「えりも砂漠」を「緑のえりも」に変え、漁業もよみがえった。
きのう好天に恵まれた岬では、50周年を記念する各種の行事が催された。
『えりもの春』(小学館)で緑化の経過を追った稲本正さんも参加した。
「木々も松にカシワやミズナラなどが加わり、行事には子どもたちが多数参加した。
人も木も世代交代が順調に進んでいることを実感した」と語っていた。
砂漠化は中国内陸部では深刻だ。
92年から山西省で緑化運動を進めてきた「緑の地球ネットワーク」の高見邦雄事務局長が著した
『ぼくらの村にアンズが実った』(日本経済新聞社)がその苦難の日々をつづる。
酷寒と酷暑、水不足、貧困などが重なって単なる「緑化」ではすませられない。
初期には6万本のアンズが壊滅する失敗もあった。
ノウサギなどのせいだったが、それを現地の責任者が放置した。
始めるより継続すること、そして人の要素がいかに大切かを学んだと高見さんは記す。
この4月には朝日新聞の「明日への環境賞」を受賞した。
樹木を植え、緑を増やす。
「緑化運動」と一言でいうが、その裏には数限りない労苦が隠されている。
どきりとさせられる命名である。「毒王」という。
なぜ突出して感染力が強いのかよくわからない。
謎のウイルスとの闘いについても
首脳会談でよく話し合ってもらいたいものだ。
5月27日の天声人語より
どきりとさせられる命名である。「毒王」という。
新型肺炎SARSで話題になった特別に感染力の強い人「スーパースプレッダー」の中国語訳である。
台湾でも一部「毒王」が使われているが、「超級伝染者」ともいわれるらしい。
新型肺炎には謎が多いが、「毒王」もその一つだ。
ある一人の患者に接した人たちが次々感染する。
特定の患者の移動する先々で病気が発生する。
その患者は重症の場合が多いらしいが、なぜ突出して感染力が強いのかよくわからない。
新型肺炎再発のカナダでもこの「毒王」がかかわっていた可能性がある。
国境を超えて広がった新型肺炎だが、肝心の感染源もはっきりしない。
食用のタヌキやハクビシンから同型のウイルスが発見されたことから国境だけでなく
人畜の境界を超えて広がった疑いもある。
うわさも尾ひれがついて広がりやすい。
ある食品が病気に効くという話が流れると突然売れ始めたりする。
便乗商法も出てくるだろう。日本人には抵抗力があるようだという説が流れて、
香港などで日本独特の食品に関心が集まったこともあるらしい。
各方面に様々な影響を与えているが、国際政治も例外ではない。
今月末から首脳会談の季節だ。
中国の胡錦涛(フーチンタオ)国家主席にとっては外交初舞台である。
各国首脳がおそるおそる握手するようではせっかくの初舞台も台無しだ。
中国側は国家主席と随員の厳しい健康診断をし、空港での隔離で万全を期すと英紙が伝えていた。
謎のウイルスとの闘いについても首脳会談でよく話し合ってもらいたいものだ。
謎のウイルスについて首脳会談ではあまり話し合えていない。アメリカのブッシュは早々と一人首脳会談から席を立って
中東に向かっている。あまり話題になっていないようだ。
一応の対応はするだけの合意だけはできているようだ。
WHOも頼りない。ニュヨークでなくジュネーブにあるならば,各国に呼びかけ現在の医学の最先端の研究者を集めて
疫学的に 医学的に誰もが判りやすい研究成果を早く示してほしいものである。
現在では謎々の病気である。特効薬が早急に開発して欲しいものである。治療法が確立すれば恐ろしい病気でなくなる
26日東北地方を襲った地震
5月28日の天声人語より
何度経験してもその瞬間は体が硬直する。
少し待て、というわけにはいかない。相手のなすがままに任せるしかない無力さを実感させられる数秒間だ。
26日東北地方を襲った地震は、東京でもずいぶん長く感じた。大きい地震かもしれないと思わせる揺れ方だった。
20年前の同じ日正午ごろに起きた日本海中部地震では、まもなく襲ってきた津波で多数の犠牲者が出た。
山の小学校から遠足に来て、海辺で弁当を広げていた児童13人も波にのまれた。
津波の恐ろしさ、津波情報の重要さを改めて教えた。
25年前の6月に起きた宮城県沖地震は午後5時すぎだった。ブロック塀の下敷きになって亡くなった人が多かった。
死者28人中13人を数えた。この地震以後、ブロック塀の点検や付け替えが進んだ。
地震のことを古い日本語では「なゐ」という。地震という外来語もすでに日本書紀に出てくる。
「なゐ」の意味については諸説あるが、大地とする説が有力なようだ。正確には地震は「なゐふる」、つまり大地が揺れる。
地震を怖いものの筆頭にもあげてきた。
古来、日本の大地は休むことなく揺れ続けた。
怖いが防ぎようのない「なゐ」の襲来が、日本人の諦観(ていかん)を育てたのではないかと思われるほどだ。
しかし犠牲を積み重ね、無力感につきまとわれながら、教訓も少しずつ積み上げてきた。
一昨日の地震は、いまのところ被害が比較的少なかったようだ。
だが、何かひとつ間違えば、大惨事につながりかねないのが天災の常である。
間違いの芽を摘み取ることを怠ってはなるまい
天災は忘れたころに来る。地震の震度が強い割り合い被害が少なくてありがたいことであった。
サンクトペテルブルクとエビアンともに水と縁が深いからといって、
イラク戦争をめぐる曲折を水に流すわけにはいかないだろう。
5月29日の天声人語より
建都300年のロシア・サンクトペテルブルクは「水の都」として知られる。
「北のベニス」といわれることもあるらしいが、
ドストエフスキーが描いた陰鬱(いんうつ)な都を思い浮かべる人も少なくないだろう。
19世紀半ば、人口が急増し、都市化が進展したころである。『罪と罰』ではこう描かれる。
「いたるところに見かける漆喰(しっくい)、建築の足場、煉瓦(れんが)、砂ぼこり、
それに……夏の都会のあの独特な臭気」が主人公ラスコーリニコフを不快にする。
「壮麗な、たくさんの銅像に飾られた都」には貧しい人々が暮らす乱雑な街があった。
この小説は水と縁が深いとロシア文学者の故江川卓さんは指摘した(謎とき『罪と罰』・新潮社)。
主人公も「最後まで『水』の誘惑、『水』への嫌悪感につきまとわれる」。
月末にかけ世界各国の首脳が建都を祝って集まる。その目には壮麗さばかりが映るのかもしれない。
主要国首脳はその後「名水の地」として知られるフランスのエビアンに向かう。
エビアン・サミットである。レマン湖に接する美しい保養地は、例によって厳重な警戒下に置かれる。
エビアンがやはり世界の注目を集めたことがあった。
アルジェリア独立戦争をめぐる和平会談がここで始まった61年である。
翌春まで続いた会談でエビアン協定が成立、アルジェリアはフランスから独立した。
サンクトペテルブルクとエビアンともに水と縁が深いからといって、イラク戦争をめぐる曲折を水に流すわけにはいかないだろう。
対立をはらんだ協調という新世界像を描くことができるかどうか。
ブッシュがはやばやと席をたってしまい,たいした人物でないが,飛びぬけた武力でもって世界を恫喝している限り
その人物がいなければ何も解決にならない。情けない世界になったものだ。
同時多発テロ以来の米国については
「30年代の日本やドイツに見られた
ファシズムの原形が、米にも生じた。
5月30日天声人語より
最近の言葉から。「本当に日本から脱出したくなった。
異なった存在を排除する排他的なナショナリズムの動きが強くなってきている」。
北朝鮮が拉致を認めて以来、ホームページに悪質な書き込みをされた
在日韓国人2世のエッセイスト朴慶南(パクキョンナム)さんの思いだ。
有事法制をめぐって「ことがあれば冷静な思考を失い、急激に世論が一つの方向に流れる姿は、
周辺を不安にさせる」と韓国元副首相の権五ギ(クォンオギ)さん。
同時多発テロ以来の米国については「30年代の日本やドイツに見られたファシズムの原形が、米にも生じた。
戦争が終わった今こそ、足かせや自制を解いた自由な討論が行われるべきだ」と米コロンビア大学のC・グラック教授。
翻訳家の池田香代子さんは「第2次大戦後、次の世代はこういう世界に生きてほしいという死者の思いに
一心に耳を澄ませた人たちが贈ってくれたのが、この憲法。私たちは、死者の夢を託された夢の子どもなのです」。
「短歌から日本の言葉の使い方を、踊りから日本のからだの使い方を教えてもらった。
それが死線を越えさせてくれた」とは社会学者の鶴見和子さん。
ビンラディン氏を発見できない理由を尋ねられたラムズフェルド米国防長官の弁明は
「この世界で1人の人間を見つけるのは非常に難しい。世界は広い」。
55年ぶりに新ビタミンを発見した笠原和起さんは「タイを釣ろうとしたのに雑魚か、と思ったら、中から宝石が出てきた」。
分子人類学者のM・グッドマン博士の言。「人間はチンパンジーのちょっとした改良型にすぎない」
ビンラディン氏を発見できない理由を尋ねられたラムズフェルド米国防長官の弁明は
「この世界で1人の人間を見つけるのは非常に難しい。世界は広い」。
同じようなビンラディン氏をアフガン戦争 イラク戦争,中東戦争で大量に作ったのではないか。
簡単に見つることができる時代がやって来るかもしれない。だが一人見つけても次から次へと同じビンラディン氏が
虱を一つ一つつぶすが如くに世界に蔓延してくるのて゜はないか。その責任は誰にあるか。
ニュヨーク9.11事件のことをアメリカでは神の国のような清潔な国に悪魔が無理に破壊行為をしてきたようなことで騒いでいるが,
静かに省みれば自己にも責任はなかったのか。? 自爆テロはよほどのこがない限り,誰もしたくない事ではないのか。
命は誰も同じようにいとおしいものである。誰しも死にたくないのが人間本能ではないのだろうか。
まして前途ある若者達がだ。
環境基準の450倍ものヒ素が検出された。
5月31日の天声人語より
赤白だんだらの大煙突が、田んぼの水に映っている。茨城県神栖(かみす)町は、
鹿島コンビナートと田園が隣り合う、太平洋に面した町である。
ここで地下水汚染が発覚したのは、今年3月だ。
8棟の平屋が集まった住宅地の井戸水から、環境基準の450倍ものヒ素が検出された。
数年前から、手が震える、ろれつがまわらないといった症状の人が出ていたが、原因はつかめなかった。
別々に来た患者の住所が同じことに気づいた医師が、飲み水を疑って、ヒ素の発見に至った。
450倍も驚きだが、旧日本軍の毒ガスの成分に由来しているらしいと聞いて、
地下のタイムカプセルから亡霊が抜け出してきたような怖さを感じた。
軍のものならば、敗戦時の処理や場所を知る人が、まだいるのではなかろうか。
匿名ででも、当時のことを、町などに連絡してもらいたいものだ。
実は、4年前に、今回の現場から約400メートルの社員寮の井戸水から、基準の44倍のヒ素が見つかっていた。
しかし健康被害がみられず、周りの井戸の水は基準値以下だったため、ヒ素は「自然由来」とされ、
寮の井戸の使用中止にとどまった。
「軍由来」が濃厚な今度は、国が徹底調査して責任を明確にし、被害者には、物心両面で、十分に支援すべきだ。
「水の郷(さと)」。ゆったりと利根川が流れ、地下水も豊富な神栖町には、そんなうたい文句がある。
歴史民俗資料館のパンフレットにも「太古より水と関わり、水と闘い、水とともに歩んできた」とある。
水の郷が、汚れのない豊かな水で満たされ続けるようにと念じた。
景気は悪い
デフレ不況は依然として続いている。職につけない人たちが町にあふれている。なんとかならないものかと思う。
今回新聞でイラク新法を作り,自衛隊を派遣するとかの話題が出始めている。
自衛隊を何故そんな所に派遣するのか。この景気の悪い時にアメリカの後始末の手伝いに日本だけに
行く必要があるのか。もともと日本の国民はイラク戦争に反対意見が多かった。それでも小泉首相はアメリカ支持を
勝手にだしている。アメリカの不始末に対して危険なところへ国民が不景気で困っているこの時に膨大な予算を使いそんなところに
何故自衛隊を行かせるのか判らない。ブッシュの別荘に誘われて,浮かれて約束でもしてアメリカから帰ってきたのかどうか。
あの時の小泉首相のニコニコ顔を見ていたらその可能性も考えられる。
しまつせよ,質素にと倹約を説き,痛みは全ての国民が受けるべきと話している一方では,アメリカに良い顔をするためにお金をばら撒いている。
しょうもない北朝鮮の工作船を何億円もかけ引き上げ,後はどうするつもりでいるのか。?博物館でも作り飾って,
永久保存でもしておくつもりなのか。?そんな無駄なことに税金は使わないでほしいものです。もっと使うべきことが沢山あるでしょう。
ある伏線があるのではないかと疑う。こんな恐ろしい国が近くにいるからアメリカから高価だが迎撃ミサイルを買うための
国民への説得力に使うためなのか。?
小泉さん,多分北朝鮮と将来日本が国交回復してその脅威がなくなった時に,そのお金は,無駄遣いした分は,
あなた自身,自分で賄ってもらえますか。?前京都市長だった亡くなった田辺さんがポンポン山で無駄な出費したことで
裁判所から弁償を言われておられます。無駄な出費があれば国も地方団体も同じことではないでしようか。?
アメリカの方ばかり顔を向けるのではなく国民の方にも向けて,国民が不景気にあえいでいることをもっと真剣に考えてください。
これだけ不景気だとギスギスしてきて世の中が暗く暮らしずらくなってきている。
京都の島津製作所さんの子会社に無理をいつて助けてもらいました。