ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


随想  平成10年9月 10月 11月 12月 平成11年1月 2月 3月  4月 5月 6月  7月 8月 9月 10月 11月 12月 

 
平成12年1月   2月  3月分  4月分  5月分  6月分   7月分  8月分   9月分  10月分 11月分 12月分 

平成13年1月   2月分   3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分 10月分 11月分  12月分 

平成14年1月分  
2月分 3月分  4月分  5月分 6月分 7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分


 


梅雨の頃


雨続きの日が続く。晴れた日があるかと思うとその翌日は雨になる。

一年のうちで雨の日が一番多い月だが,人間の身体には良い時期とも言われている。

統計的に死亡率か゛一年の内でも一番低い月で,特に循環器疾患で亡くなる人はすくない。

暑くもない寒くもない日が続くが,雨だけはシトシトとしてやはり梅雨である。

一年の中で色んな寒暖そして季節の自然の姿の違った月があって,

日本という国は世界の中で,年中変化に富み気候に恵まれているともいえる。

SARS騒動も落ち着きを取り戻し,今度はイラク新法(イラク復興支援特別措置法)が話題になってきている。

そもそもイラク戦争は世界的な視点からするならば,国連を無視した米英が勝手に始めた戦争である。

イラクの大量破壊兵器を見つけ破棄するのが一番の目的だが,次第にイラク解放 イラクを自由にする目的にすりかえられてきている。,

でも未だに大量破壊兵器はみつからず,米英の占領によって一層治安が悪くなり国民が自由に暮らせる状態にはほど遠い。

その為にイラク国民は益々に不自由な生活を強いらるようになってきている。

世界四大文明の中の一つチグリス ユウフラテス川流域にできたメソポタミア時代,紀元前約3500年前からの,

世界で一番古い文明が発達してきた所へ,此処200年から250年くらいの歴史の浅い文明の国が

武器でもつて支配し,民主主義を教えてやるというような傲慢な態度はそもそも間違っている。

各国には違った歴史があり伝統があり,宗教があるにも拘わらず,一番合理的で実利的・実用的な文明が一番良しとする考えを

押し付けようとすることが,そもそも間違っている。

その国の人たちには長年培ってきたやり方や習慣がその国にとって最高の生き方なのである。

今や一番手っ取り早く,安上がりで安直なハンバーガー文化が世界を制覇しきってしまっている。

世界いたるところに,半属国化された民族が,勝ち誇った人々に対しあまりにも卑屈になり下がり,

その持つ武器におびえながら,自国の伝統ある文化をないがしろにしている。

それぞれの国には,他の国の人たちにあまり理解し難い文化 文明があってよいものである。

世の中で民主主義か゛一番良く,理想の生活ができると断言できる人がいるだろうか。

純粋な民主主義ならばある程度納得もできる話だが,金に買われた民主主義, 力で押さえつけられた民主主義,

政党を称して党派を組み,多数の力でもって他の政党の人たち,政党に属しない人たちを自分達の考えと違うとして,

こまらしたりする制度が一番どうしてよいのか。?

大勢が賛同したことが一番善としながら威張りちらかす制度よりも,もっと自由で自然に一人一人を大切にする状態にて

それぞれが好きなような生き方ができるほうが好ましい場合もあるのではないか。

他国民が勝手に銃でもってイラクを正常化?民主化?しようとする企て,その事自体が根本的に間違っている。

その間違いをば,世界の大多数の国々が間違いだと判りその協力を拒否しているにも拘わらずに,

日本だけがアメリカのブッシュのいうままにノコノコ出てゆくような間違いをばさらにおこそうとしている。

日本は少なくとも人口が多く,経済的に破綻寸前といわれているが,まだまだ世界の中では大国である。

タカ派としか思えない小泉首相がブッシュを支持しなければ,アメリカの世論や態度も,もっと変ってきていたかもしれない。

ブッシュだけのアメリカではない筈だ。

今のブッシュのやり方に対し,多くの日本国民がそして世界の人々が疑問を抱いている。

半戦争状態の所へ,そのような今のようなイラクに自衛隊は決して派遣すべきではない。

あったとしてもせいぜい文民・医療団位である。

自衛隊派遣ならば,その是非をば即刻に国民に対し,選挙で問うてからにしても決して遅くはない。

総選挙がまじかにあるようにも報道されている。そこでもって国民が賛否を決めてからでも遅くないのではないか。

四年の時限立法にするというとも,長引く事は十分考えられる。

此処のところはじっくりと国民の賛否を問うてからにしてほしい。

解散権は一番派遣したい気持を持つている小泉首相にあるから。選挙が一番簡単で容易で判りやすい選択法である。

このような重大なことは国民にその是非を聞いてからにしてほしいものである。

んでもかんでもを政権に国民が全て白紙委任して政治を任せてはいない。

イラクでは米兵が連日のように殺されている報道がある。そんな危険な所に何故今自衛隊員を派遣する必要があるのか。

小泉首相に「貴方の息子さんをイラクに派遣されてもいいのか」の質問に自衛隊員は強制的によっての徴兵でなく志願制なので

志願した人だから派兵しても良いとの趣旨の答弁をしている。

志願で自衛隊に入ったひとだから仮に危険な所に行くとしても,強盗 殺人者の類は何処でもおるから,

それらの人たちに殺されても仕方ないとの感じの答弁に聞こえた。国民に対する万全の安全を決して考えてはいない事がこれでよくわかる。

さらに想像で考えられることは,自分の可愛い息子は志願していないから,そんな危ない所へは行かせないともとれる発言である。

丁度ブッシュの考えと全く同じ考えだ。

自分や可愛い息子達は危険な所には決して行かせず,イラクのような危険な所へはアメリカは石油のために兵士達を行かせ殺され 

日本はアメリカの為に これから行かせ殺されるかも知れない法律を作ろうとしている。 それがイラク新法だ。

為政者とは今も昔も勝手な存在である。

常にアメリカよりも,日本の国民の意見をば一番大切に,首相は行動してもらいたいものである。

自衛隊派遣したならば,アメリカ軍同様にアメリカ軍の手下としてしか考えられずにイラク国民から憎まれるだけのことである。

なんとしても日本国民を危険な状態に置くような事は決してしてはならない。

そもそも自衛隊は自国を守るために作られたものである。






イラク法案――こんな占領のお供とは


7月5日の朝日新聞社説より


 「米軍を攻撃できると思っている者がいる。彼らへの答えは、かかってこいだ」。

ブッシュ米大統領の発言が物議をかもしている。イラクでは米軍への襲撃がやまない。

そんな現実へのいら立ちが、この言葉から透けて見える。

 そのイラクに自衛隊を派遣するための特別措置法案が衆院を通過した。

参院で可決成立した後、この秋にも約千人を現地に送り、米軍の後方支援などにあたらせる。

 法案成立にめどがたったことで、与党の関心は政局に移ったようだ。

早々と秋の総選挙さえ取りざたされ始めた。

 しかし、待ってもらいたい。

 派遣の是非について、衆院で国民に納得のゆく議論が尽くされたか。

小泉首相の説明には説得力があったか。

とても、そうだとは言い難い。なかでも欠けていたのが、イラクの現状や今後をどう考えるのかという視点である。

 治安状態の悪化はおおうべくもない。

米英軍へのゲリラ攻撃は増える一方だ。

大規模な戦闘は終わったとブッシュ大統領が宣言してから2カ月の間に、米英兵計26人が殺され約200人が負傷した。

 自衛隊の活動舞台として有力視されるバグダッド周辺では、4日も迫撃砲などによる攻撃で20人余りの死傷者が出た。

 米陸軍はあらためて「我々はまだ戦争中だ」という声明を出している。

 自衛隊は「非戦闘地域」に行くのだと政府は言い、現地調査団に加わった与党議員からは

「全土が非戦闘地域だ」との強弁さえ聞かれたが、実態とかけ離れている。

 秋までに事態はもっと落ち着くはずだとの見通しも語られる。

だが、新生イラクの統治機構づくりの方針はいまだに定まらず、国内の治安が安定する見通しが一向に開けないのだ。

 米政府は旧反体制派に暫定統治を委ねようとした当初の計画をやめざるをえなかった。

イラクという国をまとめることの難しさだ。占領の長期化は避けられまい。

 危険だから復興に協力しないというのはおかしいと、首相は言いたいかも知れない。

しかし、それならなおのこと、確かな現地情勢を国民に語るべきではないか。

 米政府によれば、現在、日本を含む10カ国が計2万人程度の兵力を派遣する用意をしているという。

最大規模の派遣国になりそうなインドは「イラク新政権づくりへの構想を示せ」と米側に条件を付けた。

小泉首相にそんな構えは見られない。

 自衛隊はこれまで、国連の下で物資輸送や医療、道路の補修といった海外活動を重ねてきた。

貢献の相手は現地の民衆であり難民だった。

しかし、イラクでの主任務は、ゲリラと戦う米英軍への支援である。

 自衛隊をめぐる法制度との矛盾は見て見ぬふり。イラクの現実には目を向けない。

とにかく米政府の期待に応えたい。これでは、自衛隊は米軍のしもべではないか。



日本の小泉首相の自衛隊がアメリカのブッシュの米軍のしもべと言い換えてもよいのではなかろうか。!

こんな大切な日本の運命を左右しようとするイラク新法に対し,少なくとも野党が記名投票を何故求めなかったのか。疑問である。

退席した自民党の野中前幹事長達の態度は自然に出た立派な態度に思える。

其れに対し子供じみていると揶揄する人たちこそが政治を日本の将来がかかっている重大な法案であることが

判っていない子供じみた人たちではなかったか。

ますますにブッシュと小泉首相が一心胴体であることがわかってきた。

アメリカにはブッシュに反発している人たち,大勢のアメリカ人もいる筈だ。

サミットのフランス ドイツ ロシア 中国などは支援には向かっていない。

丁度小泉首相が勝手に国民の意思とは反対にイラク戦争開戦時のときにアメリカ支持をうちだしたのと同じである。





人生を、ロンドンを、六月のこの瞬間を」。
バージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』の一節だ。





6月1日付天声人語より



 6月に入る。もし、この月を色で表すなら、梅雨が控えているせいか、ぼんやりした水色のような気がする。

今日は少し目先を変えて、梅雨というものの無い6月の方へ、例えば英国へと目を向けてみる。

 「なんてすてきな朝だろう」「人々の眼、闊歩(かっぽ)、足踏み、とぼとぼ歩き(略)手風琴、

頭上を飛ぶ飛行機の凱歌(がいか)とも鐶(かん)の音とも奇妙な高調子の歌声とも聞える爆音、こういうものをわたしは愛するのよ。

人生を、ロンドンを、六月のこの瞬間を」。バージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』(角川文庫)の一節だ。

 ロンドンの6月の情景と共に、夫人の過去、現在が、意識の流れを重視しつつ描かれる。

ウルフの家は高級住宅街ブルームズベリーにあり、

そこに集う経済学者ケインズや作家らは、ブルームズベリー・グループと呼ばれた。

 以前そのかいわいを訪ねたのは、近くの大英博物館へ、南方熊楠(みなかたくまぐす)の足跡を見に行く時だった。

小さな公園があり、「ここにウルフたちが住んだ」という表示板の掛かる建物もあった。

冬だったが、夏の日の緑の濃さを思わせるように木々は豊かだった。

 ちなみに熊楠は、1895年の6月1日にこう記した。「七起。十二時四十五分より七時迄書籍室」。

連日のように博物館の書籍室に通い、考古学、人類学などを学び、蔵書を手で写していた(『南方熊楠全集』平凡社)。

19世紀末の6月のロンドンのどこかで、熊楠青年は、少女バージニアとすれ違ったのだろうか。

 ふたりは、日本と米英が開戦する41年に他界した。ウルフは、入水であった。




正邪や善悪とは、相当複雑で、
そう簡単に分けられるとは思えない



6月2日の天声人語より



 「邪悪なものと対決する必要性を再認識した」。

ブッシュ大統領は
、ポーランドのアウシュビッツとビルケナウの強制収容所跡を訪ねてこう述べた。

 誰もが厳粛な気持ちになるような究極の悪を見ての実感かも知れない。

しかし、その底の方に、あの独特の二元論に通ずるものを感じる。

正邪や善悪とは、相当複雑で、そう簡単に分けられるとは思えない。

 『日本の名随筆・悪』(作品社)を開く。編者河野多恵子は記す。「悪に関してただ一つ少しは分っていることがある。

正義と信じて為される行為が、しばしば悪そのものの行為になっていることである」。

遠藤周作は「悪魔についてのノート」に、ジイドを引く。「神にたいしては、信仰しなければ奉仕することができないのに、

悪魔の方は、こいつを信じなくとも、その手先になってしまうことができるのだ」。

 アウシュビッツの収容所長だったR・ヘスは、手記(講談社学術文庫)の最後に、こう書いている。

世の人々は、私を血に飢えた獣、残虐なサディストと見なそうとするだろう。

そして彼らは決して理解しないだろう。私もまた、心を持つひとりの人間であり、悪人ではなかったことを。

 二つの収容所を巡ったのは、厳冬の2月だった。

ビルケナウでは、広大な雪原にバラックの群れが続いていた。人影は、ほとんどない。音もしない。

ふと、鹿が1頭、行く手でこちらをじっと見ているのに気づいた。そして脇に、もう1頭。夫婦鹿か。

 死一色の世界に舞い降りた生の象徴かと見えて、わずかながら救いを得た。



ブッシュがイラクてしたことが正義なのかどうかはいずれ歴史が明らかにする事だろう。

でも今,明らかに言えることは,イラク戦争に巻き込まれて死んだり,病んだりした人たちが

多くいた事である。でも始めたブッシュはいたって元気である。

日本も今イラク自衛隊派遣が論議されているが,ブッシュの言いなりに行く事はない。

支援方法はいろいろある。イラクでは今もアメリカ軍の兵隊達が狙撃されなくなっていっている。

イラク人の反米感情が高まっている所にアメリカの言いなりに行けば結果はどうなるかは明白である。

小泉首相ではアメリカ追随外交からの脱却は難しいのではと。?

タカ派の小泉首相とブッシュとは表裏一体のように思えてきた。

世界の為にブッシュを倒すにはまず初めに日本では小泉首相をたおすことだ。




壊れかかった協調を取り繕い、未来志向で立て直そう。
そんな努力もうかがえる首脳たちとは逆をいく。




6月3日の天声人語より



 「その国に生まれたというだけで、その国が他国より優れていると信じ込むこと」。

愛国心のことをそうからかう皮肉屋もいる。だが、もっと控えめの愛国心もあるだろう。

「他の国よりそれほど見劣りはしないと信じたい」。そんなささやかな「愛」である。

 各国首脳が集まるサミットで、小泉首相が笑いものになってほしくはない。

たとえ小泉政権に反対の立場でも、日本の代表として出席しているのだから、そう思うのは自然だろう。

会議の成否についての論評は別途きちんとするべきなのはいうまでもない。

 きしみが目立つ国際社会で、各国首脳が存在感を何とか示そうと懸命なサミットと見受ける。

そんな中で小泉首相は少なくとも表向きは無難に振る舞っているようで「控えめな愛国心」を傷つけてはいない。

 その間、国内では「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と有力政治家が「控えめ」ではない刺激的な発言をした。

サミットの動向とは好対照の発言だ。

壊れかかった協調を取り繕い、未来志向で立て直そう。そんな努力もうかがえる首脳たちとは逆をいく。

 伝統工芸展50年を記念する「わざの美」展を見た(東京・日本橋の三越本店で8日まで。

以後、全国巡回)。日本工芸の多様さと美しさとを改めて教えてくれる。

繊細な技能を駆使した「控えめの美」が「控えめな愛国心」を満足させてくれた。

 愛国心をあおるような政治家発言や、教育基本法をめぐる「愛国心」論議などを聞くにつれ、思う。

日本の伝統が育んだ「美」を見る方が「愛国心」にはどんなに効果的か。





中東和平をめぐるロードマップ,しかし待ち受ける困難は、
ロレンスの砂漠の行軍に劣らないだろう。




6月4日の天声人語より



 アカバ。この地名が特別な響きをもって迫るのは、昔見た映画のせいだ。

D・リーン監督の「アラビアのロレンス」(62年)である。

P・オトゥール扮するロレンスが悶々(もんもん)と悩んだ末、「アカバ」とつぶやく。

 映画は第一次世界大戦中、アラブの反乱を助けた英軍将校T・E・ロレンスの半生を描く。

トルコ軍が支配する軍港アカバを陸から攻めるロレンスの決断が分岐点になった。

そのためには背後の砂漠を突っ切らねばならない。無謀とも思われた砂漠の行軍は、美しくも過酷な場面の連続だった。

 このアカバ攻略で中東の戦局は一変したといわれる。

その歴史を意識したのかどうか、

今はヨルダンの観光地であるアカバで4日、ブッシュ米大統領を交えてイスラエルの首相とパレスチナ自治政府首相とが話し合う。

ロードマップと称される和平への行程表が議題になる。

 ロレンスらがたどった道なき道のことを思い浮かべた。

アカバへ進軍中、行方不明になった男を捜しにロレンスが引き返そうとする。

体力は限界に近く、命懸けの救出である。

制止を振り切って出発するロレンスの言葉が記憶に鮮やかだ。「ナッシング・イズ・リトゥン」。

 何も書かれてはいない。つまり「運命などない」。自分で筋書きをつくるのだ、という強い意志が印象的だった。

 中東和平をめぐるロードマップには2年後までのざっとした筋書きが描かれている。

しかし待ち受ける困難は、ロレンスの砂漠の行軍に劣らないだろう。

アカバが再び「歴史の道標」としてその名を残すことができるかどうか。


アメリカは世界のいたるところに顔をだしている。イスラエルの大量破壊兵器は問題とせずに何故に

イラクその他の国の大量破壊兵器がそんなに問題になるのか。

あまりにも勝手しすぎることが当然のこととして世界で行われている。




日常不可欠で、
しかも深遠な存在、
水である。




6月5日の天声人語より


 先日たまたま「利き水」に挑戦した。3種類の水を味わってどれがおいしいか、まずいか、を言う。

普通の水道水と「高度浄水処理」された水道水、それに市販のミネラルウオーターの3種類である。

 参加自由の東京都水道局の催しだった。結果を書き込んだ紙を担当者に渡すと、ちょっとがっかりした表情をされた。

一番まずいのを普通の水道水、一番おいしいのをミネラルウオーター、とした「正答」である。

 がっかりしたふうの担当者は「やはりそうですかねえ」。

横では別の担当者が「どうです、冷たくすると区別がつかないでしょう」と他の挑戦者に語っていた。

いわれるほど水道水はまずくない。そんな結果が期待されたのか。ただ、こちらも自信たっぷりだったわけではない。

 安全な水を利用できない人が、いま世界で約5人に1人いるといわれる。

2015年までにその割合を半分にする計画が進められる。先のエビアン・サミットでも目標達成のための行動計画が採択された。

 世界を見渡すと日本はまことに恵まれている。「水道の水などまずくて飲めない」とはあまりにぜいたくかもしれない。

だが、生命に最もかかわりの深い水だ。よりおいしい水を求めるのは許されるのではないか、との思いもある。

 古代ギリシャの哲学者タレスは、すべてが水から生まれ、水に還(かえ)っていく、と宇宙の原理を説明した。

目も耳も不自由だったヘレン・ケラーが最初に発した言葉が「水」だった。

彼女は水を通して世界を「発見」した。

日常不可欠で、しかも深遠な存在、水である。


外国旅行していて,ホテルでうっかり日本のように水道水の水を飲んで大丈夫かどうかと心配した事が

何度かある。すくなくとも不味い,おいしいとは別にして,そのままの水道水が飲める日本は幸せである。




戦争につきまとう酷薄さだろう。
きょう有事法制が成立する。




6月6日の天声人語より



 「米国も米国人も好きではなかった」が「すっかり『親・米兵』になってしまった」。

米軍と行動をともにした本紙の野嶋剛記者が『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)の「あとがき」にそう記している。

 戦争の大義には疑問を抱きつつも、寝食を共にする米兵たちとの間には友情も生まれる。

彼らは敵から守ってくれる頼もしい味方でもある。

そんな自然の感情が増す一方、戦場の悲劇から目をそらすわけにはいかない。

 日本人の妻を持つ二等軍曹ジムの話が悲しい。

野嶋記者が、頼りにしていた彼に頼まれて奥さんあてに電子メールを送った。

「ぼく大丈夫だから。心配しなくていい」。翌日ジムは自軍の車にひかれて死んだ。

その数時間後「元気な知らせをきいて安心しました」と奥さんがメールを発信していた。


 紙面にも掲載されたこのできごとを野嶋記者は「記憶にないほどのショック」と振り返っている。

イラク戦争では多くのジャーナリストが戦場に入り、なまなましい戦況を伝えた。

ほとんどが米英軍側からの視線という限界を持つにせよ、どれもがこの戦争は何だったかをめぐる貴重な証言だ。

野嶋記者の報告もその一つである。

 「私が身を置く戦場の現実と、外交の舞台でのロジックは、どうしても一本の線でつながらない」。

米兵たちが「戦争という合法的な殺人の歯車であることと、彼らの善良さは、私のなかで今もうまく像を結ばないでいる」

 野嶋記者の「つながらない線と結ばない像」が、戦争につきまとう酷薄さだろう。きょう有事法制が成立する。




外材におされるなどして
植林自体が減少しているためだ。



6月7日の天声人語より


 つらい。しかし楽しい。今年もまた来ちゃいました。そんな若者が多い。

今年で30年の「草刈り十字軍」である。

富山県の山に毎夏、全国から若者を中心に各世代の人々が集まって下草刈りや間伐をしてきた。

 67歳のとき、1回だけと思って参加した埼玉県の村上利三郎さんは「不思議な魅力にとりつかれてしまった」。

今年も7回目に挑むつもりだという。去年は最高齢だったそうだ。

その魅力、とくに若い世代の素晴らしさを村上さんは語る。

 「軍と称しても、特に規則はない。しかし完全な自治の下、一糸乱れぬ生活と作業ぶりに、戦中派の私は感嘆するのみです」。

村上さんの持論は「兵役ではなく、農役を」。農作業を教育に取り入れようと唱える。

修身教育のようなことをしなくてもそれで十分愛国心は育つ。

「草刈り十字軍」の若者たちがいい手本だ、と。

 「十字軍」の運動本部事務局によると、このところ下草刈りの必要な山地が減っているそうだ。

外材におされるなどして植林自体が減少しているためだ。

 村上さんは「日本は経済大国になったが、山河は荒れた。

そして農離れが道徳の退廃をもたらした」と語る。

先日亡くなった思想史家の藤田省三氏を思った。高度経済成長への批判が鋭かった。

 「松に聞け」という随筆が心に残る(『戦後精神の経験1』影書房)。

山岳の自動車道建設の犠牲になったハイマツについて書いている。

厳しい風圧と積雪に「従いつつ逆らう」気高い生き方をしてきたハイマツを、

便宜と享楽に走る「浅ましい人間」が殺戮(さつりく)した、と嘆いた。





自動車に追われて、
都電の路線が次々に消えていったのは、
昭和40年代だった。




6月8日の天声人語より



 電車とは、鉄路に浮かぶ船である。ホームに着く。

人が降り人が乗る。その出入りにつれて、電車はレールの上でゆっくりと揺れる。船着き場の船のように。

 長い電車や地下鉄を、大きな船とするならば、路面電車は小舟である。

6月の10日は、小舟たちの日「路面電車の日」だ。

6をロ、10をテ(デ)ンと読むらしい。「路面電車サミット」で決められた。

サミットは10年前に札幌で始まり、広島、岡山、愛知の豊橋、熊本と、路面電車のある町で開かれてきた。

目下、16の都道府県を走っているという。

 都電で唯一残った荒川線の、沿線のバラが美しいと聞いて、久しぶりに乗ってみた。

かなり込んでいる。お年寄りや、買い物の女性が多い。渡し舟に乗り合わせたような、独特の近さと気安さがある。

 昔こんな光景を見た。始発の早稲田の停留所で、電車に乗り込もうとした老人が転んで顔をすりむいた。

助け起こした女性が隣に座り、相当遠くの家まで、手を引いて送って行った。

運転士に「いいんです。私、今日お休みですから」と言っていた。

 自動車に追われて、都電の路線が次々に消えていったのは、昭和40年代だった。

あの時、一つの乗り物が、というだけでなく、人の身の丈に合った暮らしの落ち着きのようなものも失われた。

 廃線の時、レールを撤去せず、その上に舗装したところもあった。

今でも、日々車に踏みつけられながら、再び舟を浮かべる日を待っているレールがあるのだろうか。

 車窓を流れてゆく、色とりどりのバラを見つつ、そんなことを思い浮かべた。





「日本の青少年が東京で列車に乗り、
釜山とソウルを経て北京まで修学旅行に行くことは決して、
遠い未来の夢ではないはずです」。




6月10日の天声人語より


 国会での盧武鉉(ノムヒョン)韓国大統領の演説を、テレビで見た。

冒頭で「日本に近い釜山の育ち」を強調するのを聞いて、港町・釜山の、

かつての日本人街で出会った金さんを思い出した。

 行政書士で、「今でも日本への手紙の代書を頼まれる」と言い、

「貴下ますます…。…を賜り光栄の至りと存じ上げ候…」と、候文を流れるように話した。

植民地時代には「金本といっていました」。

 金さんは、家にあげてくれて、半世紀余りの町の移り変わりを丁寧に語ってくれたが、

最後まで、日本に対する恨みを口にしなかった。そのことが、かえって、重く長く心に残った。

ソウル五輪直前の、88年の夏だった。

 大統領は先日、「ときどき過去をめぐる感情的な発言があり、

順調な日韓交流の列車を予告なしに止めてしまうのは残念だが、列車は止めずに走らせ続けた方がいい」と述べた。

その通りだと思う。国会では、未来の列車の旅に触れた。

 「日本の青少年が東京で列車に乗り、釜山とソウルを経て北京まで修学旅行に行くことは決して、

遠い未来の夢ではないはずです」。しかし、ソウルのすぐ先の道筋にある国を思えば、はるかに遠いのでは、とも感じられる。

 大統領は日本のことわざの「子供は親の背中を見て育つ」を引いて、よりよい未来を子孫に、とも述べた。

刺激されて開いてみた『韓国の故事ことわざ辞典』(角川書店)に、こんな言葉があった。

「鉄も研(みが)けば針となる」。努力を続けていくと、どんな難しいことでも遂げられる。

そんな願いのこもった列車なのかと思った。




もし彼がいまの銀行の「退廃」ぶりを知ったら
どんなに悲しむことか。
第一国立銀行の設立は130年前のきょうだった。





6月11日の天声人語より



 最近ヨーロッパの人々は働かなくなった。と同時に宗教離れが進んでいる。

これは、1世紀ほど前にドイツの社会学者マックス・ウェーバーが唱えた説を裏付ける。

先日の米紙にそんな趣旨の記事が出た。

 勤労と蓄財は神の意にかなっている。そう信じて禁欲的な生活をしてきた新教徒の人たちが資本主義を支えた。

ごく大雑把にいえば、著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でウェーバーはそのことを証明しようとした。

 記事は、新教徒の多いドイツやオランダなど北ヨーロッパで宗教離れが進むとともに、

働く時間が減っていること、新教徒の多い米国ではその現象が起きていないことを統計で示す。

そして、米欧の経済格差が広がる原因を探る。少々乱暴な議論だとは思うが、宗教と経済とをつなぐ着眼はおもしろい。

 新教徒国でもない日本でなぜ資本主義が発達したか。

しばしば議論になるが、「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一の生き方と重ね合わせたくなる。

終生『論語』を手放さず、「論語で事業を経営してみせる」とまで言った人だ。

本紙で以前、この千年の日本の経済人をめぐり読者の人気投票を募ったとき、

彼は松下幸之助、本田宗一郎についで3位に入った。敬愛の度は高い。

 彼は、道徳に裏付けられた経済を説き、「官尊民卑の打破」を唱えた。

日本で最初にできた銀行、第一国立銀行の創業者でもあった。

もし彼がいまの銀行の「退廃」ぶりを知ったら、どんなに悲しむことか。

 第一国立銀行の設立は130年前のきょうだった。





ただし、野球と違ってやり直しはきかない。
傷跡ばかりが残る。




6月12日の天声人語より



 90年の湾岸危機のとき、対応に苦慮する当時の海部首相にこんな提案がなされた。

米国の要請がどんなに強くても、憲法上「軍隊」の派遣は難しい。

そこで「プロ野球の選手を派遣したらどうか」というのだ。

 「日本のプロ野球選手は、どこの国の兵士よりもコンディションは万全なはずです。

あれだけ走ったり練習を積んだりしていますからね」。とくに体力のある清原選手らを推薦した。

日米プロ野球の比較論などを書いていたR・ホワイティング氏の提案である(『ベースボール・ジャンキー』朝日新聞社)。

 来日したアーミテージ米国務副長官はイラク支援をめぐり、日本への要請を野球にたとえて語った。

湾岸戦争のとき、日本はとんでもなく高い入場料を払って観客席で野球見物をした。

「今度はフィールドに出てプレーしてほしい」と。

 野球のたとえでくるなら、実際に野球選手を派遣しようと答えてはどうか。

そしてイラクの子どもたちに野球を教えることにする。

「非戦闘区域での活動」なら、派遣するのは必ずしも自衛隊でなくていいだろう。

ただ、現時点でプロ野球選手となると、好調タイガースのファンが許さないかもしれない。

 イラク戦争の開戦理由だった大量破壊兵器をめぐっては「捏造(ねつぞう)」「誇張」などいろいろ情報操作の疑いが出てきた。

そもそも草野球チームをプロ野球チームがたたきつぶすような戦争だったが、

開始の時点でごまかしがあったとすれば、「没収試合」である。


 ただし、野球と違ってやり直しはきかない。傷跡ばかりが残る。




イラク戦争は初めから勝敗が決まっている戦争だった。国連は査察が十分に機能しているから戦争はその後でも

良いとの見解であった。それでも強行にブッシュは戦争に入った。世界はその独善主義に呆れていても,突出した軍事力をもつアメリカに

対してそれ以上に何を言っても通じない。最近になって戦争の正当性がアメリカ内からも見直す気運がでてきた。

案の定というか大量破壊兵器をめぐっては「捏造(ねつぞう)」「誇張」などいろいろ情報操作の疑いが出てきている。

イラク内は戦前より環境は悪く,イラク人の反米感情が高まってきている。イラクの解放とはほど遠い。

イラクは大変に古い国で外国で教育を受けた人たちも沢山いる。今まで自分達だけで政治 経済すべてをとりしきってきた。

今更に他国が教えることは何もないのではないか。全てイラクのことはイラク人自身に任すのが一番である。

混乱も多分収まると思う。

そしてこの際ブッシュの本音に戻って,アメリカは石油施設だけ占領し守ればそれでよいのではないか。

そのことに対して気か゛引けるならば軍隊は撤退し全てを国連のもとに再建する事である。それがベストだ。





現代人の祖先はたった一人のアフリカ人女性にたどりつく。



6月13日の天声人語より



 人類の故郷はやはりアフリカだった。

エチオピアで見つかった「16万年前のホモ・サピエンスの化石」がその有力な証拠になるという。

 私たちの祖先をめぐる研究はいろいろ曲折があった。

サルから分かれたヒトの祖先がだんだん「進化」して現代人になる。

そんな単純な系統樹を描いた時代もあったが、現代では否定されている。

 サルから分かれたヒトの祖先はこれまで見つかっただけで10種類以上あるそうだ。

そのうちアフリカ生まれの一種ホモ・サピエンスが地球上に広がった。

そしてネアンデルタール人や北京原人など他の種類は絶滅した。

この説が有力になりつつあるが、物証がなかった。こんどの発見がその穴を埋めたということらしい。

 現代人の祖先はたった一人のアフリカ人女性にたどりつく。

15年ほど前発表されたこの説には多くの人が驚いた。

最新の分子遺伝学をもとにした研究だった。

人類共通の母は「イブ」と命名された。

その後、一人ではなく、祖先は小集団だったという説が有力になったようだ。

しかし「イブ」説はいろいろ想像力をかき立てる。

 祖先が一人だったかどうかはともかく、地球上に60億人以上いる人類が一つの種類だというのは奇跡的だという人もいる。

いずれ新しい種類のヒトが出現するだろう。

いやもう「新人類」が出現しつつあるのかもしれない。というとSF的にすぎるか。

 奇跡のように同種の人類なのに地球上から争いが絶えず、殺し合いも続く。

もし「人類の母」イブが見守っていたとしたら、涙が途切れることはないだろう。





人類発生以来戦争は絶えない。大義名分は如何にあろうとも,支配者が交代する為の争いの連続である。

被支配者からの多くの犠牲者が出るのもいつも同じことのようだ。なんとか平和な時代がくるのが人類にとって悲願である。

平和な世界は人類が滅亡した時に初めて,地球上に出現するのではないかと思うようになってきた。





確かに、彼が体現した秘めた怒りではなく、
むきだしの怒りが世に満ちてきたような気がする。



6月14日の天声人語より


 アメリカ流の正義感や良心を体現した俳優だと亡くなったグレゴリー・ペックについてよくいわれた。

しかし今のアメリカからは、彼が醸し出した上品さや包容力が失われてきたのではないか。

声高な正義の合唱ばかりが聞こえてくるような気がする。

 ペックといえば日本ではまずオードリー・ヘプバーンと共演した

「ローマの休日」(53年)の新聞記者役を思い浮かべる人が多いかもしれない。

アメリカでは何といっても「アラバマ物語」(62年)の弁護士役だろう。

 公開は公民権運動が盛り上がってきたころで、黒人差別と闘うフィンチ弁護士の姿はアメリカの人たちの胸に焼きついた。

本人も自分にぴったりの役だとお気に入りだったようで「着慣れた服を着るような」心地よさを感じたらしい。

 際、リベラルな活動家でもあった。「核軍縮は私の人生で最も重要な関心事だ」

「私はあらゆる差別に反対だ」などの言葉を残している。ニクソン政権では、ブラックリストに名前を挙げられていた。


 銃規制論者でもあった。ほとんど撃ち合いのない西部劇「大いなる西部」(58年)は、彼の信条を映してもいただろう。

そのとき共演したチャールトン・ヘストンが後に全米ライフル協会長として銃規制反対の先頭に立ったのは、皮肉な交錯だった。

 6年前に米紙のインタビューを受けている。

好きなボブ・ディランを聴きながら語った。「世の中、怒りが増してきているようだ」。

確かに、彼が体現した秘めた怒りではなく、むきだしの怒りが世に満ちてきたような気がする。



映画を見るのは若い頃から好きだった。第二次大戦後アメリカ映画が日本の民主主義を導いた面もあったのでは

ないかと考える。当時のアメリカは全て善の権現のような感じでみていた。

戦後を日本を導いた人たちもアメリカで学んだ若者達が多くいたと思う。最近のアメリカは違う。大英帝国の後の大米帝国に

なつてきている。ブッシュの「新保守主義」に至って,それが極限に達した。今や世界は情報社会で人々を簡単に騙せなくなってきている。

テレビなどのマスコミが新聞 ラジオ時代と違い直接に強い影響力を人々に問いかけ真実を植え付けてくる。

インターネットも発達してきて,今まで何を考えているのか誰も判らなかった人々の声が簡単に世界に発信されるようになつてきた。

世界の世論に逆らい起こしたイラク戦争に対して世界の目が向いている。ブッシュは軍人達とその家族の前だけでしか演説するのでなくて,

一般の普通のアメリカの人々の中に溶け込み活動できるような人間になつてほしい。早く昔のアメリカ流の正義感や

良心を体現した俳優グレゴリー・ペックの時代に,再びそのようなアメリカに戻ってほしいものである。




クスノキといえば、飛鳥時代の木彫の
仏像の素材もそうだった。




6月15日の天声人語より



 どこかで会ったことがある人たちだ。だが、目を合わせようと思っても合わせられない。

その目ははるか遠くを、あるいはどこか深くを見ている。

親しみを感じ、同時に軽く突き放されもする。

 彫刻家舟越桂さんの、細面で首の長い半身像からは「やさしさと拒絶」とを感じる。

主要作品を集めて東京都現代美術館で開催中の「舟越桂展」(22日まで。

以後全国巡回)の会場を歩きながら、そうした「懐かしい人たちからの心地よい拒絶」を味わったのだった。

 「森から来たささやき」の副題が示すように舟越さんの彫刻の特徴の一つは、

素材にある。クスノキだけを彫り続けてきた。

最初の出合いで「この木なら何かできる、そう直感した」という幸福な体験を経てのことだった。

大理石の目との対照も不思議な効果をもたらしている。

 クスノキといえば、飛鳥時代の木彫の仏像の素材もそうだった。

法隆寺の百済(くだら)観音像、そして中宮寺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像などは誰もが一度は目にしたことがあるだろう。

飛鳥時代以後はヒノキが主流になり、クスノキは廃れてしまう。

舟越さんの木彫は、素材を通して優美な飛鳥の仏像たちとつながっている。

 素材だけではない。舟越作品を現代の仏像と見ることもできるかもしれない。

といっても、悟りや救済の表現ではない。現代人の不安や憂愁を抱え込み、静かに耐えている姿である。

叫んだり怒ったりはしない。ふっとため息をもらしそうな人物たちである。

 作品に接したとき感じる懐かしさは、自分の分身に出会ったという懐かしさなのかもしれない



一流の作品は時代を越える。その技能は一代で消滅する。





「詩人の目はその幾らかの違いを許さなかった」



6月16日の天声人語より



 「鶴は飛ばうとした瞬間、こみ上げてくる水の珠に喉をつらぬかれてしまつた。

以来仰向いたまま、なんのためにかうなつたのだ? と考へてゐる」。

 四季派の詩人・丸山薫の戦前の作「噴水」は、東京・日比谷公園の池にある鶴の噴水がモデルだという。

銅像の鶴が、くちばしの先から真上に水を噴く様が呼び起こした印象的な一編だ。

丸山に師事した作家の小沢信男さんが、面白い回想を記している。

 戦後しばらくして、あの噴水がまだありますからと、丸山を公園に案内した。

鶴は変わらずに水を噴いていた。なのに意外な言葉を聞く。

「違いますね。こんなものではありません。もっと猛々しい、力強い、天を刺すような鶴でしたよ」。

 がっかりするが、後に、銅の台座が戦中の金属供出で失われ、石に変わったことを知る。

「詩人の目はその幾らかの違いを許さなかった」(『現代詩文庫・丸山薫』思潮社)。

 日比谷公園は今月、開設百年を迎えた。

設計した林学博士・本多静六の自伝は、初の洋式公園誕生時の空気を伝える。

設計案に対し「市会で『何故各門に扉を設けないのか、

西洋ではよからうが日本では夜間に花や木を盗まれてしまふ』と大分攻撃された」

「池をつくると身投げの名所になつて困ると非難された」(『本多静六体験八十五年』大日本雄弁会講談社)。

 昨日、鶴の池へ行った。

鶴と台座が、昭和の悲惨な時の刻印とも見えて、貫く水が再び途絶えないように念じた。

岸の茂みでは、小指の先ほどのカエルが1匹、ぬれた落ち葉の海を渡ろうとしていた。





「三位一体の改革」



6月17日の天声人語より



 このところ、ちょっと不思議な言葉遣いを見聞きする。「三位一体の改革」である。

 小泉構造改革の柱の一つで、1年前に閣議決定された「骨太の方針」の中にあり、

今月中に具体策をまとめるという。

三位とは、国から地方への補助金削減、税源の移譲、地方交付税の見直しで、これらを一つにして進めようというのだ。

 もっともなことで、国と地方のありようを考え直すのは大事なことだし、まさにその時期だと思う。

しかし、主導権争いや駆け引きが目に付く世界で頻繁にこの言葉に出会うと、いささか違和感もある。

 周知のように本来の「三位一体」はキリスト教の教義だ。

「創造主としての父である神と、贖罪(しょくざい)者として世にあらわれた神の子キリストと、両者の一致と交わりとしての

聖霊とが、唯一の神の三つの位格(ペルソナ)として現われたものであるとする説」と『日本国語大辞典』にはある。

明治の初めに、ジョン・S・ミルの『自由之理(じゆうのことわり)』の中村正直訳に登場しているという。

 時を経て、三つのものが一つになるという意味にもなったのだろうが、

広く使われるようになったのには、三という数の持つ力もあったと思う。

形の上では、一や二より重厚で安定感があり、四や五より簡潔で引き締まって見える。

三役、三筆、三傑、三山、三景、三冠。様々な分野での区切りの付け方としても重用されてきた。

 終盤国会では、問題のイラク新法に、内閣改造問題も絡んできた。

大きく波立つ政治の海で、「三位一体改革丸」が無事に着岸できるかどうか、気に掛かる。





小泉首相は次から次へと改革をおこなおとしている。本当に世の中を良くするためのものかどうか疑問のものが改革の名で

多く進められている。この人ほどに,何か訳がわからんが,カイカク 改革といって政治の仕組みを大きく変えた人も

今までの政治家なかで稀な人である。

改革といってしたものの中にも改悪もある。

肝心要の政治改革は放置したままである。官僚の平均年俸が1700万円とか凄い額である。

各省がもし民営化すれば倒産するところもでてくるではなかろう。それだけのしごとをしているのか。

税金の使いすぎである。公僕どころかお殿様達である。

一方大学の独立法人化をすすめようとしている。

こんなのはいままでのよう,にそのままにしておくべきである。

私立大学がたくさんできるだけのことである。これは改悪である。

国立病院を独立法人化しようとするにいたっては医療の自殺にも等しい。

もともと医療は採算とはあまり関係ないものである

そこに苦しんでいる人,病んでいる人がいるから,治そうとするヒュマンな心がまず根底にある。

採算があわないからしないといって,しないというような打算的なものでは決してない。

合理化には限界がある。

アメリカが行っているから,日本も取り入れるという発想はなんとしても間違っている。

営利の為に殺人を犯す医療界を舞台としたアメリカ映画を約20-30年前に見ている。

アメリカでも告発をしていた人がいることを,何故に今になってそのようなことを真似する必要があるか。疑問だ。

小泉首相と野党との論戦をテレビでみていると学生が話すような詭弁で答弁している姿が見うけられた。

丁度オ-ム真理教の宣伝担当していた若い青年「上祐」?とかを彷彿とさせる感じを小泉首相に受けた。

真面目さがない,真剣さが見られない。此れでも国家を担う首相かとの感を受ける。なんとかわかってもらおうとする気迫がない。

なんとか質問さえ切り抜ければ其れで良しとの感じを受ける。自分が日本を背負い責任ある立場にいる事がこちらに感じられない。

「総理二年使い捨て」と言ったような言葉が総理の立場にいる限り公に言うべき言葉ではない。

大量破壊兵器がイラクにあるかどうかの質問に対してフセインがイラクにいないとは言えない

との話のすりかえにいたっては学生同士の弁論論争そのものである。

景気がよくなるまで「痛みは分かつ」との話をば国民は本当に信じてよいものかと疑問を持つようになってきた。

痛みに耐えてきても,一向に景気はよくなってきていない。国民の支持率は高いと言う話だが,それは本当なのだろうか。

国民全員が小泉首相から「痛み」を受け喜んでいるマゾヒストなのか

到底わからないことがおきている。痛みに対しては大いに怒ろう,選挙でもって,色んな形でもってしても。

この人に任しておけばブッシュのアメリカに良い顔ばかりして,とんでもない所に税金の無駄使いをされるだけてある。

北朝鮮からの攻撃を防ぐためアメリカから一兆円もするミサイル防御システムに対し税金おば使おうとしている。

これほどの無駄な支出はない。北朝鮮とできるだけ早くに友好関係を築けば問題は早々に解消される。

韓国と北朝鮮とは同一民族である。

日本が全朝鮮を第二次大戦後まで占領していた。戦後,結果的に米ソの二国支配下に分割されてしまった悲劇の国家・民族である。

そのような歴史経過を知らないかのようにして北朝鮮を天から降ってきたような感じで,アメリカが脅威を強調するのもおかしい話である。

確かに金正日は異常な存在である。それも親の代からずーとおかしいのである。丁度イラク ・イラン戦争でフセインを利用して,

その使用後はフセインを悪魔呼ばわりしているのと同じようなところがみうけられる。

日本の小泉首相はアメリカのブッシュの言いなりに動いている。

軍事費はアメリカに次いで世界で二番目の出費である。

そんなに使わない兵器, クラスター爆弾なんか知らない間に何故にアメリカから買ったのだろう。

それぞれの兵器の維持費もかかる。一番最初に改革しなければならないことが放置したままである。

その結果が日本国民にさらに痛みを強いている原因となってきている。

本来日本はアメリカとは対等な関係であらねばならない。だが敗戦の痛みを今も引きずっている。

地位協定とか沖縄にある基地問題なとである。現在日本はアメリカの半植民地的状態である。

首相は国民の意思をアメリカに伝えようとする努力せずに,アメリカに対して従属を喜んでいるかのようにみうける。

日本は韓国と協力し,北朝鮮と国交回復・友好関係を打ち立て,分割された悲劇の国家・民族の統一への努力を惜しむべきでない。

北朝鮮に対しては一番太陽政策が良い。そして日本 韓国 中国 そして東南アジア ソ連などの諸国々と共栄圏を作ればよい。

EU諸国がアメリカに対抗して一つになろうとしているのと同じように,第二次大戦の理想とした大東亜をば,

平和的に今築けば良いと考える。

そうすればEU諸国と同様にアメリカと対抗できる。

韓国,北朝鮮が民族分断されたその国民が一つの国になろうとしている気持をくみ日本は韓国・北朝鮮に援助を惜しむべきでない。

対米一辺倒の小泉首相ではその仕事は無理な話のようだ。

拉致事件も日本政府が安部官房副長官の指導に見られるように親米の証のための政治道具にしか使われていないようだ。

真に家族のことを思い,考え安部官房副長官は行動していない。政治の道具としてしか使っていない。

拉致家族にとって気の毒な話だ。友好関係が早く結べば簡単に全てが一挙に解決することは明白だ。

EU諸国 東南アジア諸国も世界政府への一里塚であって,将来的にはは世界連邦ができることを願う。

世界連邦は日本で始めてのノーベル賞を貰われた湯川秀樹さん達の悲願でもあった。





さ寒さもはっきりとしないこの季節の、
ぼんやりとした気分が感じられる。





6月18日の天声人語より


 その白い花には、ふんわりだけでもなく、ぼんやりだけでもない、不思議なやわらかさがある。

高さ3メートルほどのナツツバキが、白色5弁の小ぶりの花を幾つもつけて通り道の家の植え込みに立っていた。

 梅雨空の下、葉の緑に控えめな白を点々と置いた姿が、目に程良く感じられる。

「ええ、沙羅(さら)の木なんですよ」。その家の人は、木の別名を口にした。

「さら」という異国的な音には、はるかな世界へ誘うような響きがあった。

 東京・千駄木の森鴎外の旧居跡にも、大きな沙羅の木がある。

今は文京区立鴎外記念本郷図書館となった跡地の一画に立つ。

鴎外は「沙羅の木」という詩を残した。

「褐色(かちいろ)の根府川石(ねぶかはいし)に/白き花はたと落ちたり、

/ありとしも青葉がくれに/見えざりしさらの木の花。」。

 梅雨前線が、本州近くに停滞している。

律義なことだが、あまりに続けばうっとうしい。

ここは、少しの光を求めて、梅雨の晴れ間に夫婦でビワを食べる話を引く。

武田泰淳の妻百合子の「枇杷」である。

 肉好きで果物など自分から食べたがらない夫が、珍しく「俺にも」と向かいに座る。

少し震える指でビワを歯のない口に押し込む。

もごもごと、2個と格闘して言う。「こういう味のものが、丁度いま食べたかったんだ。

それが何だかわからなくて、うろうろと落ちつかなかった。枇杷だったんだなあ」(『ことばの食卓』中央公論社)。

空模様だけではなく、暑さ寒さもはっきりとしないこの季節の、ぼんやりとした気分が感じられる。

 二三滴雨のこりゐる夏椿(福田甲子雄)





情報機関の役割は何か。



6月19日の天声人語より


 米中央情報局(CIA)が学生向けに開いた就職説明会に顔を出したことがある。

同時多発テロ以前のワシントンでのことだ。

「変わる世界への挑戦」という冊子を元に、集まった学生に「やりがいのあるCIA」を説いていた。

 冊子には「CIAだけ」といってこんな宣伝文句が並ぶ。

「テロリストの秘密基地の衛星写真を世界で最初に見ることができる」

「最後には大統領に届く情報に接し、あなたの習得した技術で機密を守る。ほかのどこにこんな仕事があるか」。

 冷戦の終結で「失職」したスパイはどうなるか、情報機関の役割は何か。

そんな模索が続いていたころだった。同時多発テロで情勢は一変した。

ブッシュ大統領はCIA情報を重視し、真っ先にその報告を聞くらしい。

出番が巡ってきたCIAも期待に応えようとする。

 イラクの大量破壊兵器をめぐる情報操作疑惑は、都合のいい情報がほしい政治家と、功を焦る情報機関との「連携」であろう。

そんな見方が出るのも不思議ではない。

 公開中の映画「スパイ・ゾルゲ」を見ながら、スパイの使命について思った。

現代なら彼らの仕事は「ジャーナリズムの範囲」内だったのではないか、とは篠田正浩監督の感想だ。

さらに、その優れた情勢分析が当時の日本の中枢で論議されていたら、

日本は開戦を踏みとどまっただろう、と見る
(『私が生きたふたつの「日本」』五月書房)。

 ゾルゲ自身、平和だったらたぶん学者になっていた。

少なくとも諜報(ちょうほう)員にはならなかった、と記した(『ゾルゲの見た日本』みすず書房)。


ブッシュを何故にアメリカの議員 国民から支持されたのか。不思議である。

変人と称されて総理になった人が何故これだけ長続きしているかである。政治と金との癒着がないと思うから国民が

飛びついたとも言える。それだけ今の政治が腐敗しきっているともいえることだ。

初めにすべき改革である政治改革はしようとしていない。彼は変人ではない,極めて世に長けた人である。

首相の職を辞したらアメリカ大使館員に雇われたらどうかと考える。一番の適当な就職先のように思う。




日本人ほどカビをうまく利用し、
カビと共存してきた民族はない




6月20日の天声人語より



 「最も身近な生物の一つで、動物でも植物でもないものは何でしょう?」。答えは、カビ。

同じ仲間のキノコと答えてもいいのだが、良くも悪くもカビの方が身近な存在だろう。

 正式には真菌類といわれるカビの仲間は、キノコも含めて6、7万種といわれる。

適度な高温と多湿を好むから、日本の梅雨時は暮らしやすい。

人間にとっては除去に忙しいうっとうしい季節である。

 カビの仕事はひたすら有機物を分解することだ。

分解して栄養分として取り入れる。生命力は旺盛で、現代という時代への適応力も優れている。

プラスチックにも生えるし、コンピューターにも忍び込む。

 超一級の国宝、奈良県明日香村の高松塚古墳の壁画がカビに脅かされていることがわかったのが2年前だった。

政府は専門家を集めて対策に乗り出した。水分の多いところに繁殖しやすいというカビの習性は国宝相手でも変わりはない。

きのう発表された緊急処置は、雨水などが浸入するのを防ぐという常識的なものだった。抜本策をさらに検討していくそうだ。

 世の中にはすぐ善悪二元論を振りかざす人がいるが、カビ一族を悪とは決めつけられない。

国宝に取りついたり病気の原因になったりするカビもあれば、

パンづくりや日本酒、ビール、ワイン、ウイスキーづくりには酵母というカビが欠かせない。しょうゆやみそもまたそうだ。

 専門家はいう。日本人ほどカビをうまく利用し、カビと共存してきた民族はない、

と(宮治誠『カビ博士奮闘記』講談社)。〈美しき麹の黴の薄みどり〉(須藤菊子)



言葉の世界の浮沈を教えてくれる調査




6月21日の天声人語より



 文化庁の国語世論調査で〈役不足〉〈流れに棹(さお)さす〉などの慣用句の意味を誤解している人が

多いことがわかった。

調査で使われたこれらの語句を政界に当てはめてみると、案外わかりやすい。

 政界では首相以外は皆が〈役不足〉だと思っている。

自分にはもっと重要な役があるはずだ、そして、いずれは頂点に立とう、と。

そうした〈役不足〉への欲求不満と上昇志向に満ちた世界だ。

一見〈気がおけない〉人のように見えたとしても、一筋縄でいかないのが政界の住人である。

 〈流れに棹さす〉。政界では大事な能力である。流れを見極めて加担する。

そうしないと後で報奨にありつけない。ただし流れを見誤ると致命傷になりかねない。

与党分裂の流れができたと見誤って、手痛いしっぺ返しを食った政治家もいた。

 政界で〈確信犯〉という言葉が使われるのはたいてい「失言」騒ぎのときだ。

たとえば日本の植民地支配を正当化する発言をする。

近隣諸国の反発にあって謝罪したとしても「腹の底では発言は正当だと思っているのだろう」と〈確信犯〉扱いされる。

思想や宗教に基づいた信念といえるかどうかは疑問だが。

 〈閑話休題〉、文化庁調査に戻れば、昨今の変な言いまわしにも言及している。

ら抜き言葉とは逆に「あしたは休まさせていただきます」のように余計な「さ」を入れる。

「お会計のほう、一万円になります」「千円からお預かりします」の「ほう・から」もそうだ。

〈耳ざわり〉だと感じる人がふえている。

 言葉の世界の浮沈を教えてくれる調査だった。


言葉は大切である。嘘は言葉とは関係なくその人の人格と関係している。詭弁は言葉の遊びで相手に言い勝つ手段である。

前者はブッシュが好み 後者は小泉首相がよく使う。似たりよったりである。




右も左も、アラブもユダヤも、
手を結んで友だちになる/
憎悪も戦争もなくなる特別な日





6月22日の天声人語より


 友だちとテルアビブへ遊びに行ったイスラエルの少女が自爆テロの犠牲になったのは、96年の春だった。

バトヘン・シャハクさん。ユダヤ暦で15歳の誕生日にあたる日だった。

死後見つかった彼女の日記にはたくさんの詩が書かれていた。

 きのう東京・築地で催されたシンポジウム「和平へ 憎しみを超えて」で、少女の母親アイェレットさんが

その一つ「平和の夢」を読み上げた。

「右も左も、アラブもユダヤも、手を結んで友だちになる/憎悪も戦争もなくなる特別な日

/おとぎ話からしかやってこないのかしら」。

 かの地の紛争で家族が犠牲になった人たちが95年、遺族の会を結成した。

ラエルとパレスチナの遺族が憎悪の連鎖を自らの意志で断ち、手を結んで和平を訴え続けている。

シンポジウムには双方から2人ずつ出席した。

 弟をイスラエル兵に殺されたパレスチナ人ガズィ・ブリギスさんは「そのときは自分の手で彼らを絞め殺したいと思った」。

しかし「そりゃだめだ」「どの宗教も復讐(ふくしゅう)ではなく、赦(ゆる)しを説いている」と自分に言い聞かせた。

遺族の会に参加すると「妻や子どもからも裏切り者ではないかと疑われた」と涙を流した。

 バトヘンさんの詩はこう続く。

「私はたぶん素朴な少女/でも平和と安全とを求めるのはそんなに欲張りかしら

/旧市街の通りを何の心配もなく歩きたいというのは欲張りな夢かしら」

 アイェレットさんは娘の日記を本にした。

パレスチナの人にも読んでもらおうとアラビア語版も出した。

娘の夢を何とか実現したい、の一念である。



憎悪の連鎖を断つには勇気がいる。イスラエルにもパレスチナにもそれを希望する人たちは沢山いる。

指導者によってそれが打ち消されている。

指導者には立派な人がなるべきである。往々にしてとんでもない野心家がなることが多い。世俗を一番重要視する人たちである。

変人小泉の別名も廃れてきた。処世術に極めて長けた人物のようであった。

マスコミも悪い。抵抗勢力という言葉を作り,彼が恰も立派なことを実行するにかかわらず反対する勢力がいるかの形で

彼を偶像化した責任は重い。かなり混乱を社会に引き起こしている。




その闇の深さは、
沖縄の空と海の明るさと
あまりに極端な対照を描く。



6月23日の天声人語より


 昔はいたるところにあった闇が、このごろは珍しいものになってきた。

「漆黒の闇」とか「鼻をつままれてもわからぬ闇」などに遭遇する機会はめったにない。

闇がもたらす恐怖からも遠ざかっている。

 「他人おそろし、やみ夜はこはい/親と月夜はいつもよい」。

こんな子守歌を引きながら、昔の人がいかに闇を恐れたかを述べたのは柳田国男だ(「闇と月夜」)。

闇を明るくするために先人がどんなに苦労してきたか、歴史をたどっている。

 暗さや闇の深さを計測する機器はあるのだろうか。闇が「ゼロ」で、明るさが増していくという発想はあっても、

逆の発想はないのではないか。闇の深さの表現は文学の役割なのかもしれない。

本紙の連載小説「新・地底旅行」で、奥泉光氏は地底の闇をこう描いている。

 「何万トンの石炭を一遍に圧(お)し潰(つぶ)して、ポタリ一滴搾り出したような闇である。

ただいるだけで骨まで黒く染まってしまうような闇である。

暗黒の恐怖といったって、尋常の恐怖では済むはずがない」。

想像が描く「ゼロ」以下の闇だろう。

 思いは沖縄のガマに飛ぶ。きょう慰霊の日を迎えた沖縄戦で避難壕(ごう)に使われた自然洞穴である。

団自決をはじめ住民を巻き込んだ悲惨な地上戦を凝縮した暗闇だ。

その闇の深さは、沖縄の空と海の明るさとあまりに極端な対照を描く。

 夏至のきのう、各地で照明を落とすライトダウンや消灯運動が実施された。

十分すぎるほどの明るさを享受している私たちのささやかな反省が込められる。

〈闇をふく風も見ゆるよとぶ蛍〉(芹舎)



蛍は近辺ではもう見られなくなった。蛍は身近なものでなくなってきた。蛍雪時代は我々の赤尾の豆単が普通の

時代の昔の話になる。今住んでいる所からはかなり山奥に行かねば蛍は見られない。

蛍光灯に慣れた毎日にとってはなんとなく懐かしい言葉である。

子供の頃,闇夜の夜に神社の境内の暗さより墓場での暗さのほうが賑やかであると教えてくれた母の言葉が懐かしい。





約3年ぶりに伊豆七島の三宅島を見た



6月24日の天声人語より


 先週末、ヘリコプターから、約3年ぶりに伊豆七島の三宅島を見た。

2000年9月の全島避難につながった火山活動の活発化から、26日で3年になる。

 前回は、島のはるか手前からでも、茶色の煙が濃く長くたなびくのが見え、火山ガスが鼻を突いた。

今回は、火口にかなり近づいても、白い噴煙が1本見えるだけで、観光地化した火山のような落ち着きすらあった。

山腹の緑も豊かに見えていたが、ヘリが島の東側に入った所で様相が一変した。

 眼下の緑は消え、枯れたような茶色の木々が延々と海岸まで続く。

乾ききった荒涼とした世界だ。ガスの影響は、まだ相当深刻らしく、ヘリが噴煙の風下に入ると、つんとにおった。

 全島を巡りながら、動くものを目で追う。何台かの車、作業中のショベルカー、周りの人影、そして打ち寄せる波。

しかし、動物は、黒い鳥1羽しか見つけられなかった。

 戦前、この島に居たことのある作家、田畑修一郎の全集(冬夏書房)には「三宅島もの」とよばれる短編が収められている。

「島といふよりは海の中にいきなり火山が立ち上つて、そのまゝ固まつたといふ感じだ。

島の中心をなしてゐる八百米餘の雄山から、

山裾が四方になだらかに流れて、やがて突如として海に落ちる」(「三宅島通信」)。

今回の噴火で頂が崩れた雄山は、783メートルにまで縮んだという。

すり鉢のような火口の底には、赤茶けた液体がたまっていた。

 帰路、隣の御蔵島のそばを飛んだ。

島を覆っている木々の緑が、生命を育む分厚いじゅうたんのようで、目にしみた。





イラクの市民一人ひとりが
本当に必要とする支援とは
何なのかを詰めてもらいたい。



6月25日の天声人語より


 小泉さんには、ブッシュさんと同じ再選という大きな目標がある。

この一点のために注いできた力を、さらに強めるのだろう。

 当然のことだとは思う。だが、国会の会期末に、イラク特措法案を持ち出したのは解せない。

何のための自衛隊派遣かもはっきりしない。

ブッシュさんの期待には応えたとしても、再選のためになるのかと余計な心配をしてしまう。


 日米両国ともに再選を巡る応酬は激しくなるだろう。

権力者の「失策」を突く側も権力が嫌いではない。

何が本当のことなのか、気をつけて見ていかねばなるまい。

 今月、生誕百年を迎えた山本周五郎の箴言(しんげん)集『泣き言はいわない』(新潮文庫)から、権力に絡むものを引く。

「政治というものは、それ自身が横暴と不正と悪徳を伴うものであって、

どんなに清高無私の人間がやってもいつかは必ず汚濁してしまう――思い違い物語」

「しょせん政治と悪徳とは付いてまわるし、そうでない例はない――日日平安」。

 なかなか厳しい。

ある講演での言。「(関ケ原の戦いがあった)慶長五年の何月何日に、大阪城で、どういうことがあったか、ということではなくて、

そのときに、道修町(どしようまち)の、ある商家の丁稚(でつち)が、どういう悲しい思いをしたか(略)を探究するのが

文学の仕事だと私は思います」(新潮社『山本周五郎集』の尾崎秀樹「解説」)。

賞に選ばれるたびに固辞し続けた「曲軒さん」らしいまなざしを見る。

 イラク法案の審議が始まった。

イラクの市民一人ひとりが本当に必要とする支援とは何なのかを詰めてもらいたい。



何が必要かの論議より 答える側の詭弁で終始した。結果野党反対与党賛成でいつものように通過した。

そんなに軽軽しい法案なのか。手を心に当てじつくりと考えて欲しい。

あまりにも議員達は無責任すぎる。国民は納得していない。

そんな危ない所へ自衛隊を何故に派遣するのか。高い税金を国民が支払ってである。

イラク国民の気持は。憎まれているアメリカ軍の一翼を担うだけではないか。

少なくとも国民の声を聞こうとする努力,納得説明しようとする努力も何もなかった。ブッシュの言うままに派兵する。

首相が変らない限り同じ事が繰り返されるだけである。

首相の人気は本当なのだろうか。鬱陶しい雨の日が続く毎日である。 




サクランボにかぎらず、
季節ごとに果実泥棒は
全国各地で出没する。




6月26日の天声人語より



 「子供たちは、桜桃など、見た事も無いかも知れない。

食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう」。

そう思いながら酒場で出されたサクランボを、父はまずそうに食べる。

太宰治の短編小説「桜桃」の最後の場面だ。

 小説は戦後すぐの光景だが、サクランボが高価なのはいまも変わりない。

割安なアメリカンチェリーにも独特のうまみがあるとはいえ、

国産の佐藤錦の繊細で豊潤な味わいは別格だ。

東京都内の果実店の話では最高級の佐藤錦は500グラムで2万円、1粒が約250円もする。

「大きさからすると最も高い果実かもしれません」。


 高価なサクランボをねらって摘み取る泥棒は毎年のように出没する。

しかし今年は異様に大がかりだ。山形県での被害はすでに1トンを超えた。

まさか子どもたちのために持ち帰っているわけではあるまい。どこかで売りさばいているのだろう。

 サクランボにかぎらず、季節ごとに果実泥棒は全国各地で出没する。

春はイチゴ、初夏にはスイカやメロン、初秋にかけてのナシ、そして秋のリンゴとブドウ、と農家泣かせである。

鹿児島県のスイカ産地では、広い畑の真ん中にやぐらを建てて監視、被害を少なくした地区もある。

 太宰の「桜桃」に戻れば「蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、

桜桃は、珊瑚(さんご)の首飾のように見えるだろう」と描く。

美しいサクランボと、まずそうなふりをして食べる父の内面の苦渋との対比が鮮やかだ。

 この小説を書いてまもなく、彼は死を選んだ。
6月、サクランボの盛りの季節だった。




「現実の運動の一歩一歩は、
一ダースの綱領よりも重要です」




6月27日の天声人語より


 「ヨーロッパを妖怪が徘徊(はいかい)している」。この有名な書き出しも忘れられつつあるのかもしれない。

「共産主義という妖怪が」と続く『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス著)である。世に出たのが1848年だった。

 『宣言』を借りて「日本を妖怪が徘徊している。

マニフェストという妖怪が」と言いたくなるほど「マニフェスト」という言葉をこのごろよく聞く。

小泉首相は「公約のことなんでしょう」と突き放していたが、もう少し積極的な意味が込められている。

 「公約という言葉にはうんざりだ」「きれいごとを並べたむなしい掛け声にすぎない」。

公約につきまとうそんな思いを一掃しようというねらいである。

実施時期や財源まで示した政策を掲げ、政権獲得後の実行を国民に約束する。その中身がマニフェストだ。

 『共産党宣言』の「宣言」の原語は「マニフェスト」である。

かつては、単に「マニフェスト」といえば『共産党宣言』を意味するほどだった。

このごろ「マニフェストの徘徊」はあっても、本家の『宣言』はほとんど顧みられることはない。

 『宣言』の継承者と見られる日本共産党はといえば、目下「綱領」の改定作業に忙しい。

「綱領」というと重々しいが、英語やドイツ語でいえば「プログラム」という日常語だ。

少し軽くなる。こちらは外来語の方が親しみやすいかもしれない。

 マルクスの『ゴータ綱領批判』には、こんな一節がある。

「現実の運動の一歩一歩は、一ダースの綱領よりも重要です」。どの政党にもかみしめてほしい言葉だ。




風が吹いている。自由という思いが、
突如、胸いっぱいに広がる。




6月28日の天声人語より



 最近の言葉から。「けがというのは『我、怪しむ』ですから、自分を反省する『気づきの時』。

それに、休んでいると、神経のざわめきみたいなものが、不思議と落ち着いてくるんです」。

怪我(けが)がつきもののバレリーナ酒井はなさんの言。

 「制作って不思議です。作っていると、ある形がわいてくる。

次のものを呼ぶ。ふっと宿って影を落とす」と美術家の篠田桃紅さん。

 「踏切の真ん中で、立ち止まってみることがある。……鳥の声がする。

風が吹いている。自由という思いが、突如、胸いっぱいに広がる。不思議なことだ。

わたしはいつも、十分、自由なのに」とは詩人の小池昌代さん。

 ある盲目の調律師についてポーランドのピアニストのツィメルマンさんが語る。

「彼は靴の底に金属のプレートを付けて歩いたが、その反射音で扉や段差、車の位置がわかり、自分のいる場所を把握できた。

耳を澄ませば聞こえる音が、目に頼ると聞こえないということを教えてくれた」。

 「山には多くの生き物がいる。散歩すると、犬は自然に神経をとぎすます。

草むらを抜けたり、斜面でバランスをとったり、四つの足を存分に使って歩き回ってる、と実感する。都会だと、

抱っこされちゃったりするからね」。

山間部で秋田犬を60年間育てる澤田石守衛(さわだいしもりえ)さん。

 麦笛を鳴らし、雲雀(ひばり)の巣を捜した昔を思い出しながら、消えた播州平野の風景を懐かしむのは作家の車谷長吉さん。

「六月が近づくと麦熟るる頃である。黄金(こがね)色の穂が遠い姫路の城下まで続いていた。胸に沁(し)みる美しさである」





カメ銀行、つまりカメを貸し出す銀行である



6月29日の天声人語より


 タートルバンクという風変わりな銀行がある。

カメ銀行、つまりカメを貸し出す銀行である。貸出先は、子どもに限られる。

義務は、借りたカメを育てることで、返済の期限はない。

 兵庫県の姫路市立水族館が88年に始めた。

当初は子ガメを貸し出したが、孵化(ふか)容器を改良し、途中から卵にした。

生命力旺盛なカメとはいえ、卵は弱い。死んでいく卵も少なくない。

子どもたちはカメの生と死に立ち会う。

市川憲平主任専門員は「いのちの不思議さと大切さを子どもたちに知ってほしいとの願いを込めた試みです」。

ちょうどいまが産卵期だ。

 カメというのは不思議な生き物である。ほぼ2億年も地球に生息してきた。

その間、姿形をほとんど変えないでゆっくりと進化した。悠々たる存在である。

 カメの特徴はもちろん甲羅である。外敵から守ってくれる強固な鎧(よろい)だ。

種類によっては自分の体重の200倍の重さに耐えられる。そこにすっぽり身を隠す。

骨格には無理が強いられる。楽な作業ではない。悠久の時間を生き抜くために築いた知恵である。

 カメの長寿の理由を調べたことのある三重県・鳥羽水族館の中村幸昭館長は「雑食だが、旬のものを好む。

我慢強い。暑さ、寒さに強い」などを挙げながら「ゆったりとした生活でストレスがないことが大きい」と語っていた。

 東京新名所の一つといわれる港区の「カレッタ汐留」、その「カレッタ」はカメの学名に由来する。

現代人もあくせくしないカメの生き方を、との思いからだろう。カメへの畏敬(いけい)の念が消えることはない。






日本語には実に豊富な悪態語があった。




6月30日の天声人語より


 「ここな溝(どぶ)板野郎の、だれ味噌野郎の、出し殻(がら)野郎の、蕎麦(そば)かす野郎め、引こみアがらねへか」。

歌舞伎「助六(すけろく)由縁(ゆかりの)江戸桜(えどざくら)」に出てくる助六のせりふである。

このおなじみの演目には多彩な悪態語が登場する。かつて日本語には実に豊富な悪態語があった。

 『かがやく日本語の悪態』(草思社)でこのせりふを引いた詩人の川崎洋さんは、こう考える。

「差別語は人を殺傷する忌まわしい悪態語だ。しかし、ユーモアのセンスから生まれた言葉遊びの悪態は文化である」。

 このごろ悪態文化の衰微を感じる。互いに向き合って悪態をつきあう光景などめったにお目にかからない。

せいぜい一言捨てぜりふを吐く程度で、後が続かないことが多い。言葉でけんかをする能力が衰えてきたのではないか。

 マナーの悪さを注意されて暴行に及ぶ。23歳の青年が死亡した東京・八王子の事件のような無残なことが起きるたびに思う。

口で注意されたら、まず口でやり返さないのはなぜか。どうして問答無用の暴力に走ってしまうのか。

いまの言葉でいえば、あまりにキレやすい。

 口げんかで事態が収まるとは限らない。しかし、悪態をつきあって気が済むこともあるだろう。

たとえいまの日本語の悪態語が少々貧弱すぎるとしても。

 川崎さんが引用した茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」はこう始まる。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな」。そして「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」と締めくくる。


ぱさぱさに乾いた世の中で、こころに響く「悪態」である。



書くこととは



書くことは読むよりも集中力が必要である。理解するにも努力も必要である。俳句をする人 和歌を作る人は自然の移り変わり

草花 鳥 虫などの自然の香りの変化にいたって敏感な方に出会う。

インターネットで書き始めると新聞 テレを見るのも真剣になってくる。社会の移り変わりにも関心を余計に持つようになってきている。

政治が世の中を動かし世の中を良くもしたり悪くしたりしてているのがよくわかるようになってきた。

額面と゛おりにアメリカの言う事をそのまま信じたらいけないことも判ってきた。テレビでもBBC放送とCNN放送で話す違いが有る事も

次第に知るようになった。日本と同じように「時の人たち」が話す内容も日本で報道されているような,

いい加減な人たちもいて政治が動かされている

ことも判ってくる。外国の人達も話す内容はいたって低俗なことで論争し言い争っているのは日本と全く同じである。

注意深く見ないと 注意深く読まないと書くところまでなかなか理解がいたらない。誤って理解して書いているかもしれない。

書くということは社会を観察する良い眼鏡をもつことになったような気がする。


Homeへ

                                      5月分   6月分  7月分