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七月は暑い
京都では一年で一番暑いといわれる七月が,今年は例年に比べてそんなに暑い日は少なかった。
京都で一番暑い時期はいつもは八坂神社の祇園さんの頃である。
ヨーロッパでは熱波が襲って,大変暑い夏のように報道されてきている。
地球温暖化はそんなに簡単な形だけで襲ってくるものではなさそうだ。
イラク新法が参議院を通過し成立した。与野党の攻防が衆議院と違いかなりエキサイトしていたが,
逆に衆議院で何故に野党の抵抗らしき抵抗なく通過してしまったのかが不思議に思えてくる。
参議院と同じようなことがあったならば,廃案になっていたかもしれない。
与党が絶対多数の衆参両院議院ではどの法案もセレモニーのような形で最後は与党の思いと゛うりに通過してゆく。
自民党全体の議員達がクーロン人間の如く全く同じ考えを持つた人たちの集団とは誰も思わない。
党議 党則に縛られた結果のことだろうと考える。党議 党則に反対すれば党の方針に反するとして党から除名される。
その怖さのため誰もが異論を挟むことができないようだ。これは大変におかしいことだと思える。
党に対する独占禁止法といったものがないと,いけないのではないかと考えたりする。
一般に談合による独占禁止法が世間で喧しく叫ばれ実行に移されている。
党の活動に対しても是非適応すべきだ。国民の意思の大多数が反対している法案であったとしても,
与党の幹部達が談合して,「決定」と決まればそれが自然に法律として成立されてしまうのでは,なんとしてもおかしい。
おかしいと与党議員の中に何人かが感じていても反対は出来ない。
そのような政治構造こそを,まず第一番に改革すべき政治改革ではないか。
小泉さん自身は私が考える構造改革こそ絶対に正しくそして私はそれを実行すると。
それに反対する人は他の人をば総裁 首相にたてればそれで良いと主張する。
この考え方は典型的な上位下達の封建時代のパターンそのものである。国民の意思をなんとかして汲み取ろうとする考えは
首相に全く感じられない。
このような小泉首相の下で真の構造改革はありえない。全くの独裁者である。
,アメリカに対して尻尾をふりふりするポチのような,日本の国民の前だけで威張っている貧乏神の独裁者と有っては
日本人としてなんとも悲しい話である。
自民党の顔でもあろう所の自民党総裁小泉首相の顔が貧乏神に似ていると感じるのは私だけの思いだろうか。
強いものには極めて弱く,弱いものにはさらに強い独裁者である。小泉首相とブッシュとはどことなく似かよっている所がある。
そのような人によって世界が, そして日本の政治がふりまわされ翻弄されている。
マニフェストを作りは恰も新しい政策が実行されそうな雰囲気ではあるが,そんなのは全て紙に書いた餅のようなものである。
自民党の今までの公約で立派なことを言っていても当選してしまえば,選挙が終われば,其れですべてお終いであった。
公約が実行された事はない。国民を騙す手段に何度か使われてきた古い政治手法である。
嘘をついた議員が悪いのでなくて,其れによって騙された国民が悪いだけではすまないような政治改革をばすべきである。
騙したことが判明した時点で,解散総選挙をし国民の信を再び問わなければならない法律が
できるような政治改革をするべきだ。
国の威信でニュヨークに国連大使の豪華な宿舎を作られて,国民の大半がウサギ小屋に住んでいる。
国のためと言いながら中身は外務省のお役人が贅沢し豪華な生活をするのをば税金で援助するにすぎない。
なんといっても政治に対する改革こそが抜本的に一番さきにやるべきことである。
政治家とカネの話は昔から色んな変った形で延々と続いて来ている。
今の政治は如何に多数の人たちを自己の所属議員として獲得するかにある。
国会での賛否は数だけが力となりものをいってくる。
弱い政党の政治家が政治の矛盾をついて,誰もがしていただろうことでもって責められている。(辻本清美)
外務省の内部告発しようとした元外相がこれも秘書給与問題でつまづき結局不起訴処分になりそだ。
自民党内部事情に詳しいからか。(田中真紀子)
一方辻本氏に責められた政治家は何もせず監獄の中にいるだけで尚議員として高額な給料を貰いつづけている。(鈴木宗男)
此れに対しても収監されれば即給与禁止する位の簡単な政治改革ができなくてはならない。
首相のしようとする構造改革とは何かと言いたい。国営のものを民営化にするのが主眼のようだ。
財界は賛意する人が多いが,それによりリストラで失業し自殺する人たちが増えている。
弱いものいじめの構造改革ではないか。?
さらに小泉さんが首相にとどまればブッシュのポチとなりつづけて,日本国民のことは考えずに
ただ只管ご主人様ブッシユのご機嫌をとる政治がつづくた゛けであろう。
一方韓国 中国に対しては,靖国神社に参拝して,それが何故に悪いのかと時代感覚に合わないことをば
弱い立場の東南アジアの人たちと,つまらない意地を通して隣国の人たちとトラブルを起こすのがせいぜいである。
北朝鮮が恐ろしい存在にしたてあげ,アメリカから高価な邀撃ミサイルを買わされ,
ブッシュのお役にたつ働きをするだけではなかろうか。
ブッシュのことだから北朝鮮を本当に攻撃するかもしれない。マサカそこまではしないと思うが。でも分らない。
少なくとも日本など北朝鮮の近辺諸国にたいして高価な兵器を買わすまでは北朝鮮を恐ろしい国だとし,
アメリカは挑発しつづけるような予感がする。
イラク戦争で現在アメリカ兵の死亡者164人 イギリス兵14-5名でイラク兵に関しする死亡者は1万人位で正確な数字はわかっていない。
イラク国民の死者はいたっては皆目に見当がついておらず報道されていない。多分に多勢の人たちが亡くなっているに違いない。
一方のアメリカ兵は一人一人の死亡がテレビ・新聞で連日報道されている。
占領者の命は大切にされているが,占領された国の人たちの命はクズのように疎かになっている。本当に情けない可哀想な話である。
昔,アメリカによって日本国内での無差別空襲 広島長崎の原爆投下が次第にれんそうされてくる。
その原因は日本の軍部が悪いためだったとされ,イラク戦争は残虐なフセインを倒すため仕方ないことだとされている。
そのために多勢のなんの罪もない人達が死んでいった。
その人達にとってはなんともやりきれない話である。
広島の一発の原爆投下によって死亡者約14万人が その後の原爆後遺症によって今年までになんと計約23万人が亡くなっている。
一発の旧式の原子爆弾によってである。それから遥かに性能の良い原子爆弾・水素爆弾が開発されている。
被害が大きすぎるからアメリカでは実用?にたえるように小型化しようとする試みもある。
軍事力において超大国である戦勝者アメリカを咎める事は出来ない。
日本自身「再び過ちは繰り返しません」と誓うだけである。だがブッシュドクトリンによつてアメリカに危険だと思われれば
再び日本は先制攻撃を受ける可能性がある。ブッシュの国連を無視した傲慢な態度゙はそのあたりから出ている。
立派な見識ある人が多いアメリカの中で何故にブッシュがアメリカ大統領になったかが不思議である。
そして現在問題化している日米の地位協定がある。明治維新の混乱に乗じ交わされた列国との不平等条約を思い起こす。
ブッシュに代表されるようなアメリカの正義はよくよく判ったから,本当にもうこのあたりでご免にしてほしいとの気持で過ごしている。
ブッシュの唱える正義は今の人たちには理解されないかもしれないが,いずれ歴史が証明するだろうとブッシュは言い放っている。
ゲリラ戦になって来たといわれるイラクでの戦いは市民をまき添えにして今も尚続いている。
そこへノコノコと日本の自衛隊が出てゆく。何のために。アメリカの為に。NGOの団体に自衛隊が使うだろう費用をあたえれば10倍もの
イラク国民に対して貢献できるといわれている。小泉さんもブッシュに本当に義理堅い人であるのを通り越してあきれかえる。
構造改革が達成できた暁には「痛み」はなくなるから,それまで辛抱せよとの調子で続け,途中で首相を投げ出すのがオチであろう。
世界のため 日本のためにも小泉さんは即刻に首相をやめてもらいたいものである。
政治改革の一番初めに,政党に対する独占禁止法が施行されるべきだ。
政治家の約束はあてにならないことに関して国民は嫌と言うほどにいままでに経験してきている。
マニフエストとは格好のよい言葉で,恰も実行されるように信じたいが嘘つきの政治家には都合のよい言葉がはやりだしたものである。
次期アメリカ大統領 秋の自民党総裁選挙と総選挙
次期アメリカ大統領でインターネットで検索して見ると次期アメリカ大統領はデニス・クシニッチ氏に!のホームページが見つかる。
それからのリンクをたどっていくと「グローバル ピースキャンペーン」 に至った。
膨大な資料が用意されていて全部は直ぐには読みきれない。デニス・クシニッチ氏はアメリカ民主党の候補者のようである。
その他CNN放送でインタビュ-を受けているのを見たハーモンド ディーン氏はやはりアメリカ民主党から立候補しており,内科の医者で
何処かの州知事をしていた人のようである。ホームページを立ち上げているとの事なので探したが見つからなかった。
二人とも平和主義者のようである。 自分が医師として,興味を引くことは二人とも公約ではアメリカの保健制度を日本と同じように米国人
全員へ公的皆保険制度を約束している事である。日本はずーと以前から公的皆保険制度が続いて来た。
アメリカはそうではなく,私的保健制度で金持ちしか入れない制度が今も続いている。収入の少ない人たちは
保健がないからアメリカの医療技術がいかに発達してもアメリカの先進医療の恩恵は受けてられていない。
学用患者のように実験的な治療を受ければ別であるが。
二人はそれでか公的皆保健を公約している。これを見ても日本が既に如何に進んだ保健制度を導入されていたかが分る。
小泉首相は現在のアメリカの保健制度を真似し,株式会社にも医療を解放しようとし特区を作って実験をばしている。
小泉さんが如何にアメリカかぶれしているかの証拠である。アメリカでは逆に私的保健から公的保健へと切り替えられようとしているようだ。
だが小泉さんにとってはアメリカのこと全てが光って見えてくるのではないか。
だがアメリカの良心的な次期アメリカ大統領候補は日本と同じ制度を導入することを公約としている。
小泉さんのやらんとする構造改革はイギリスのサッチャー首相によつて既に古くに試みられていたことである。
恰も新しいことをするかのように革新的な言葉で言われているようだが,外国では既に試みられ挫折したものである。
自民党総裁には小泉首相が現在の自民党の派閥力学からすれば,総裁になるのは難しい。
国民も二年間我慢に我慢を重ねてきた,一向によくならない経済不況に対して飽きてしまっている。
我慢をすれば,辛抱をすればきっと豊かな未来があるように説得され信じた,だが自分が首相を続けたいための言い訳であることに
国民もきずくようになってきている。この際自民党には多彩な人たちがいる中から誰かを選びその方と交代すべきである。
小泉人気はイラク戦争におけるアメリカ支持,そしてアメリカの為のイラク新法成立は全く国民の意思と反している。
無理やりな政治に対し,国民の皆が嫌気をさして来ている。小泉人気がまだ続いていると思っているのは本人だけではなかろうか。
新しい自民党総裁と野党の管代表との間で首相かけての総選挙が行われるのは今年の秋になる。
でも民主党と小沢一郎代表の党首の自由党との合併は間違っている。
自民党の中で特に一番悪い自民党らしさが濃く,汚い部分を持つた小沢一郎と組むのは
民主党にとって全くのマイナス材料以外のなにものでもない。
自民党の中で今までに色々とやって来た小沢一郎のことはそう簡単に国民は忘れたりはしていないのではなかろうか。
小沢一郎と組んだがために民主党の政権への道のりは少し遠うのいたと考えるのが一般的な考えだと思えるが。
誰にも童謡にまつわる思い出がある
7月1日の天声人語より
ふと口ずさむ童謡がある。懐かしい風景や人々を運んでくる童謡もある。
ときには感傷とともに、あるいは、ほろ苦い記憶とともにかもしれない。
誰にも童謡にまつわる思い出があるだろう。
あのとき、なぜ童謡が歌われたのか。いつもその思いにとらわれる事件がある。
東京・立川の米軍基地拡張に反対して起きた「砂川闘争」である。
測量の強行を阻止しようとする反対同盟が警官隊と流血の衝突を繰り返した。
その「決戦」のときに歌われたのが「赤とんぼ」だった。
#夕焼小焼の/赤とんぼ/負われて見たのは/いつの日か――大合唱が起きた。
「最後の、もっとも激しい攻撃に立ち向う前の何分間かの歌、
それはもうあの行動隊の歌や赤旗の歌ではなかった」。
56年当時、現場にいた由起しげ子さんが記録している(『ドキュメント昭和史7』平凡社)。
「赤とんぼ」とともに「故郷(ふるさと)」も歌われたらしい。
「現実の戦いを超えて哀切に、人びとの郷愁をそそった」と由起さんは記す。
強制収用されようとする故郷の田畑への愛着が生んだ歌声だったのか。
語り伝えられる戦後史の一コマである。
きょうの「童謡の日」を前に、日本童謡の会が全国約6千人から「わたしが好きな童謡」を募った。
「赤とんぼ」が他を引き離して1位だった。どの世代でも最も多くの支持を集めた。
「故郷」と「赤い靴」が続く。
いずれも作詞は大正時代で、三木露風の「赤とんぼ」に山田耕筰が曲をつけたのは、昭和2年だった。
大正から昭和へ、故郷の風景が大きく変わろうとするころだった。
懐かしい童謡に純真だった子供の頃を思い出す。その心は今も誰の心の中に必ずにあるものだ。
写っているのは過去の一瞬だが、
止められた時が手にする
「永遠」というものもある
7月2日の天声人語より
「一〇時頃暗室入り。夫が生前作って一升瓶に保存していた現像液、定着液で仕事始め」
2年前、佐賀県武雄市の一ノ瀬信子さん(81)は、そう書きとめた。
内戦のカンボジアで73年に亡くなったカメラマン、一ノ瀬泰造の母である。
息子の残した2万コマの焼き付けを続け、先月、写真集『もうみんな家に帰ろー!』(窓社)を出版した。
本の「暗室日記」には、2年前の失敗の多かったころから、
液を適温に保つのが大事と気づき、集中するまでがつづられている。
一コマ一コマをいとおしんで焼き付ける姿が伝わってくる。
「もし、いい写真が撮れないとしたら、近寄り方が足りないからだ」。
泰造より約20年前に、インドシナ戦争で地雷を踏んで死亡したロバート・キャパの言だ。
東京都写真美術館で見た記録映画「キャパ イン・ラブ・アンド・ウォー」(18日まで)のパンフレットに紹介されていた。
泰造は「地雷を踏んだらサヨウナラ」の文句で知られている。
行方不明になる直前の友人あての手紙の一節だが、文全体はこうなっていた。
「もしうまく地雷を踏んだらサヨウナラ!」。
「もしうまく」と「!」とに、一歩でも「そこ」に近寄ろうとした26歳の青年の横顔が見える。
写真美術館では「世界報道写真展」も開かれていた(21日まで。以後、大阪など4都市を巡回)。
やはり、戦場や事件、災害の現場が多い。
そこに近寄ろうとした記録を見、キャパ、泰造を見直す。
写っているのは過去の一瞬だが、止められた時が手にする「永遠」というものもある、と思った。
写真はうまくとろうと努力しても,どうしてもあるその人の感性がにじみ出てくるものだ。
他の人ではとろうとしても誰もが撮ることのできない越えられないものが必ずそこにある筈だと思う。
出来た作品に対しては感動は大方どの人にも同じように感動を与えるものである。
「黙して語らないが、(略)手は、
それが創造する世界を
7月3日の天声人語より
アメリカでのホンダの新車販売台数が、過去最高になったという。
今年の上半期の実績で、91年に亡くなった本田宗一郎さんも喜んでいるだろう。
しかし、この伝説的創業者を深く悲しませるようなことも起きている。
長男の本田博俊「無限」社長が、脱税の容疑で逮捕された。
逮捕の前に、経理の一切は監査役に任せきりだったと述べた。
「不得手なことはできる人に頼め」が本田家の家訓、とも語った。創業者は、どう聞くだろうか。
宗一郎さんが、心に去来する思いを正直に書きとめたという随筆集『私の手が語る』(講談社文庫)には、こんなくだりがある。
「手のひらの大きさや指のかたちをくらべて、右と左がこんなにちがう手もめずらしいだろう」。
長い間、右手が存分に振るってきたハンマーや、キリ、カッターの刃を受け続けて傷だらけになった左手の姿を、
イラスト入りで、いたわるように書いた。その手で新しいものをつくり出してきた誇りを込めて、自らを「手の人」とも記した。
「黙して語らないが、(略)手は、それが創造する世界を、言葉の真の意味において『把握』している。
手は、その主人に仕えて、彼のすべてを映す――まるで鏡のように、
彼のありとあらゆる姿を」(W・ソーレル『人間の手の物語』筑摩書房)。
「無限」のレース用エンジンは優秀で、搭載車はF1で4度も優勝した。
名前にふさわしい時期も、あったのだろう。
かなたへ、誰よりも速く行き着こうという夢も美しいが、肝心のハンドルを握る「手」が、ぶれていたようだ。
親と子供似るが,全くの別個の存在である。創業者本田宗一郎の業績はゆるぎなく,ぶれもせず美しく立派だと
考える。
川の無い橋を、
川のある橋に戻すのも
無理なのだろうか。
7月4日の天声人語より
三島由紀夫の短編「橋づくし」は、東京の築地辺りが舞台である。
月夜に、4人の女たちが、それぞれの願い事を胸に、七つの橋を巡る。
「程なく四人の渡るべき最初の橋、三吉橋がゆくてに高まって見えた。
それは三叉の川筋に架せられた珍らしい三叉の橋で、
向う岸の角(かど)には中央区役所の陰気なビルがうずくまり……」(『昭和文学全集』小学館)。
三吉橋(みよしばし)も区役所も、今も同じ場所にある。
しかし、橋の下を流れるのは川ではなく、車だ。
橋の中ほどに立つと、足下の川面ならぬ首都高速道路から、エンジンの爆音と排ガスとが吹き上げる。
願をかける人も、あるまい。
都心では、主な橋の名前を覚えることは、相当な数の交差点の名を覚えることになると、
タクシーの運転手に聞いた覚えがある。橋とは名ばかりで、水は見えない。
三吉橋まで来たのは、ソウル発の記事が気になったからだ。
都心の高架道路を撤去し、暗渠(あんきょ)を地表に出して憩いの川に再生する工事が始まったという。
手抜き工事で高架が危険という事情もあるらしいが、
清渓川(チョンゲチョン)という名前にふさわしい姿に戻るかどうか、見守りたい。
韓国もそうだが、戦後の日本もひたすら走りに走ってきた。
道を、川を、頭の上までも、車に明け渡した。行き着く所まで来たと思う。
「春の小川は さらさら行くよ」のモデルは、渋谷辺りを流れる川だったという。
今更こんな清流は無理として、川の無い橋を、川のある橋に戻すのも無理なのだろうか。
爆音とガスにたじろぎながら、つい、願をかけてみたくなった。
世の中同じ状態がつづくことは不可能である。世の中無常で後には戻らない。
でも子供の頃の田園風景は心の中でいつまでも生きている。それで良いとおもうが。
「明治は遠くなりにけり」と昔の人たちもその昔を懐かしんでいた。
川のない橋は殺風景だが昔にもどることは困難である。
政界用語としての「のりしろ」は生臭い。
7月5日の天声人語より
アニメーション監督の宮崎駿さんが、子ども時代を思い出してこう語ったことがある。
「のりしろをとって画用紙を貼(は)り合わせると立体ができると知ったときには、
世界の秘密にふれたような気がしました。本当にドキドキしましたよ」。
平らな紙からお城などいろいろな建物をつくる。のりしろをどこにどう取るかが大事だ。
失敗しながら立体づくりに挑戦した。
平板に見えがちな世の中を奥行きのある世界に変貌(へんぼう)させる宮崎アニメの原点かもしれない。
子どもの創造力をかきたてる「のりしろ」と違って、政界用語としての「のりしろ」は生臭い。
湾岸戦争時、多国籍軍支援の財源論議で自民党からたばこ増税論が出た。
裏で流れたのは「たばこを公明党向けの『のりしろ』に使いたい」。
増税反対の公明党を引き込むため、最後には取り下げてもいい。
そんな駆け引きで動く部分を「のりしろ」といった。
衆院通過のイラク特措法案でも民主党向けの「のりしろ」があったようだ。
国会の事後承認を事前承認にするなどの歩み寄り案だ。
しかし法案の骨格に無理がある以上「のりしろ」で糊塗(こと)することはできまい。
人にも「のりしろ」の多少がありそうだ。
多い人は「懐が深い」といえようか。
イラクで続く米軍への攻撃をめぐって「かかってこい」と無邪気に挑発したブッシュ大統領は「のりしろ」過少型か。
自衛隊派遣の危うさを印象づける発言だった。
物事を組み立てるのに欠かせないが、できあがったときには姿を消している。
「のりしろ」という存在の奥ゆかしさである。
新しい「のりしろ」という政治ことばがあるのを始めて知った。政治通の人しかに通じない言葉か。
「自分自身が理解できないことを
他人に説明する仕事」と
皮肉られるジャーナリストと
7月6日の天声人語より
「誠に無知である。しかし、あらゆることを知っているつもりでいる。
それが政治家というものだ」などと揶揄(やゆ)される政治家と
「自分自身が理解できないことを他人に説明する仕事」と皮肉られるジャーナリストと。
果たしてどちらに知識が豊富か。
クイズ好きの英国でも常に人気が高いBBCのクイズ番組「ユニバーシティー・チャレンジ」が両者を対決させた。
大学対抗戦として長く続いたこのテレビ番組は、文学、芸術から自然科学まで高度な知識が要求されることでも知られる。
賞金はなく、名誉をかけた対決である。
政治家側は超党派の国会議員4人、ジャーナリスト側はタイムズ紙の4人だった。
先月放送された番組を見ることはできなかったが、英紙で結果を知った。
215対25という差でジャーナリスト側の完勝だった。
2年ほど前、英国王室のウィリアム王子が在学するセント・アンドリュース大学がケンブリッジ大学に敗れたときが215対40で、
史上最悪に近い負け方といわれた。今回はそれを上回る大差だ。
当のタイムズ紙は「クイズはジャーナリスト向きなのかもしれない」と言いつつも、
手も足も出なかった政治家たちを痛烈に皮肉っている。
「空港の出発ロビーで、遅れている飛行機をとろんとした目で待っている人のようだった」などと。
日本では、実現しないかもしれない。いかにも英国らしい試みだった。
英国のジャーナリストは結果にほっとしていることだろう。
「もっと勉強してこい」というのが口癖の政治家が、あちらにもいるだろうから。
誠に無知である。しかし、あらゆることを知っているつもりでいる人が政治家ならば政治が
傲慢な政治になっても仕方ないのではないかと,だが今の政治をそのままに見逃す訳にはいかない。
自分のごまかしに七夕さまが
怒ったに違いないと思い込み、
7月7日の天声人語より
朝早く起こされて、母と一緒に近くの畑に行く。
さし始めた陽(ひ)の光を受け、葉っぱの上で真珠のように転がる朝露を器に集める。
そんな七夕の朝の遠い思い出を知人から聞かされたことがある。
集めた露で墨をすり、短冊に願い事を書く。美しい風習だと思った。
15年ほど前の本紙投書欄にも、祖母の思い出として「露採り」の話が出ていた。
稲から露を集めるのだが、子どもには大変で、こっそり小川の水をくんで帰った。
その年、干ばつなど悪いことが重なった。
自分のごまかしに七夕さまが怒ったに違いないと思い込み、小さな胸を痛めた、と。
〈七夕や髪ぬれしまゝ人に逢ふ〉(橋本多佳子)。
この日、子どもたちは朝早くから川で水浴びをし、女たちは髪を洗う。
多くの地方で継承されてきた風習だ。元々は身を清めるみそぎの行為だったらしい。水に縁が深い日である。
朝露、水浴、洗髪、そして天の川もまた。
〈うち曇る空のいづこに星の恋〉(杉田久女)。
年に一度だけの逢瀬(おうせ)という中国伝来の美しく哀(かな)しい「天の川伝説」は古来、
日本人の想像を駆り立ててきた。「星祭り」という華やかな言葉を当て、天上の恋への共感を絶やさなかった。
地には竹が飾られ、願い事を書いた短冊がつるされる。こんな重い言葉もある。
〈七夕竹惜命(しやくみやう)の文字隠れなし〉(石田波郷)。
療養所の竹に下がる短冊「惜命」の一言である。胸を病む俳人の心にはどんなに痛切に響いたことか。
古代にまでさかのぼる七夕という行事には、時代の、そして人々の様々な思いが埋め込まれている。
七夕祭りは大人になるにつれて遠い存在になってゆく。ロマンがあってよいものである。
忙しくなつた現代人の心には次第に七夕は遥か昔の物語になって来ている。
最も古い文明国の一つに、最も若い国が乗り込む。
7月8日の天声人語より
最も古い文明国の一つに、最も若い国が乗り込む。
150年前のきょう、日本の開国を求めて神奈川県の浦賀沖に到着した米国のペリー提督には、そんな思いがあったという。
当時としては世界最新の設備を備えた軍艦を誇示する。
しかるべき高官しか相手にしない。古い文明の国から侮られないように、とペリーは強い態度で臨んだ。
砲艦を恐れる日本側だったが、要求に素直には応じなかった。
下級役人を高官と偽って事前交渉に当たらせた。
交渉の先陣をつとめたのが浦賀奉行所の与力、中島三郎助と香山栄左衛門である。
米国側から「紳士らしい落ち着きと高い教養を示す態度」と評された香山に対して、
中島の方は「せんさく好きで、でしゃばりの野人」と見られた。
2人は幕末日本の2面を象徴してもいた。
香山は鎖国を続けながらも独自の文明と礼節を維持してきた国であることを示し、
中島は、鎖国日本の状況に危機感を抱き、当時の先端技術を何とか盗もうと貪欲(どんよく)だった。
黒船をじっくり観察した彼は、後に造船技術の第一人者になった。
先日、浦賀周辺を歩いた。ペリーが初めて日本の土を踏んだ久里浜に記念碑があった。
1901年の建立で伊藤博文筆「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と刻んだ大きな石碑である。
第二次大戦末期、「国辱の碑」として倒され、黒布をかけて「葬送」されたという。
戦後、米軍の進駐間際に夜陰に乗じて再建したそうだ。
日米関係の原点の地を訪れた日の海は、黒船来航以来150年の激動を忘れたかのように、穏やかだった。
複雑な気持である。北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑と上陸後に締結を強いられた条約とは別の問題である。
占領者アメリカとアメリカ人と接するということとは別の問題であるのと同じである。
自分にたてつく古い欧州と自分に従う新しい欧州、
7月9日の天声人語より
長いつきあいのヨーロッパ諸国では、互いに悪口を言い合う伝統もある。
たとえばドイツとイタリアである。ドイツのことわざで「イタリアは悪魔が住んでいる天国だ」。
気候風土は素晴らしいが、人間は性悪だ、と。イタリアでは「ドイツ人がいるところはどこもイタリア人の健康を害する」。
ドイツ人の「暗さ」を疎んでいるのだろう。
イタリアのベルルスコーニ首相の先日の発言は、そんな伝統を一歩も二歩も踏み越えた「失言」だった。
欧州連合の議長国になったばかりの晴れ舞台、欧州議会で、
自分の汚職疑惑をめぐって批判をしたドイツの議員にこう言ったそうだ。「ナチスの強制収容所の看守役にぴったりだ」。
首相は後に「皮肉をこめた冗談のつもりだった」と弁明しているらしいが、単なる軽口ではすまされないだろう。
戦前の体制を根本から反省したドイツでは、ナチス否定は国是のようなものだ。
ベルルスコーニ首相の歴史観や国際感覚が疑われても仕方ない。
ただ、こんな疑念もわく。彼が「ファシスト」とののしられてもドイツ人が「ナチス」といわれるほどには侮辱と感じないのではないか。
実際、主要メディアを掌握している彼の政権を新しいタイプのファシズムと危険視する声もある。
少し前にはブッシュ米政権から欧州分断を狙うような発言があった。
自分にたてつく古い欧州と自分に従う新しい欧州、などと。ブッシュ米政権から欧州分断を狙うような発言があった。
今回は 21世紀、新しい国家連合をめざす欧州が、皮肉にも前世紀の亡霊に悩まされている。
自分にたてつく古い欧州と自分に従う新しい欧州、などと,ブッシュ米政権から欧州分断を狙うような発言があった。
これは欧州の人々にとって極めて失礼な発言である。世界を征服し大米帝国を打ち立てた国の大統領の言葉である。
こんな人物がアメリカの大統領である限り世界には平和は到来しない。
握る手の一つひとつに、
心なしか力が加わっているように
思われた。
7月10日の天声人語より
はるかな昔、小学校卒業を前に、ある教師が「これから、皆さんは、青年前期に入ります」と話した。
「児童」から「生徒」へという、学校での呼ばれ方の変化には、どうということも感じなかった。
しかし「青年」という、大人に直結するような遠くて大きいものと、小さな我が身との落差に感じた、
妙な据わりの悪さが記憶に残る。12の春だった。
長崎市の幼稚園児、種元駿ちゃんが誘拐され殺された事件で、中学1年の12歳の少年が補導された。
「突き落としたと認めています」。警察発表の通りだとしたら、その時、駿ちゃんの目に、少年の姿はどう映ったか。
改めて、痛切でおぞましい思いにかられた。
12歳は、一般的には、まだまだ大人からの保護を必要とする時期だ。
語尾がteenで終わるからそう呼ばれる、13歳からのティーン・エージャーにも入らない。
一方で、心身が大きく変化する微妙な年頃でもある。少年の日常はどうだったのか。
事件の直前、七夕の短冊に書く願い事を聞かれた駿ちゃんは「仮面ライダーになりたい」と答えたという。
父親の毅さんは葬儀で述べた。「4年8カ月しか一緒にいてあげられなくてごめん」。
無残に断たれた、あまりにも短すぎる生だった。
きのう東京・浅草の浅草寺で、恒例の「ほおずき市」が始まった。
参拝客のうち、幼い子を連れた人たちのほとんどが、手をひくか、だっこしていた。
例年のことかもしれない。迷子のこともあるだろう。
しかし、握る手の一つひとつに、心なしか力が加わっているように思われた。
社会風潮が子供の心をむしばんできている。大人の責任は重い。政治の歪みによるものか。
重い荷を背負っての巡礼
であったことは間違いないだろう。
7月11日の天声人語より
名もない新劇俳優が映画出演を依頼される。彼の舞台が高名な監督の目にとまったのだ。
「虚無的な風貌(ふうぼう)」が気に入られての抜擢(ばってき)である。
スターへの足がかりをつかんだ幸運に俳優は有頂天になりつつも、破滅の予感にさいなまれる。
松本清張の短編小説「顔」である。俳優は9年前、殺意を秘めてある女と旅行した。
途中、女の知り合いの男に偶然出会った。しかし俳優は殺人を決行する。
唯一の目撃者の男は果たして自分の顔を覚えているか。
舞台からスクリーンへ、有名になればなるほど俳優の特異な顔が男の目にとまる可能性は高まる。
そのサスペンスを描いた。
9日逮捕されたお遍路さんに、まずこの小説を思い浮かべた。
12年前の殺人未遂事件で指名手配されていた80歳の容疑者である。
俳句をつくり、接待のお礼に句集を配りながら四国八十八カ所を6年間巡っていた彼は、
出会う人々に感銘を与えてきた「伝説的」人物だった。
彼を追うNHK番組は5月末に四国で放送され、再放送もされた。
そこで終わっていれば、逮捕には至らなかったかもしれない。
しかし6月末に全国放送され、千葉県警の警察官の目にとまった。
「死を覚悟の生涯遍路」とNHKが紹介した容疑者は、どんな思いで歩いていたのか。
重い荷を背負っての巡礼であったことは間違いないだろう。
彼の句集を出した出版社が、番組担当ディレクターの言葉を紹介していた。
人は何のために生きているのかという根源的な問いを投げかけている遍路、と。
容疑者と発覚したいま、問いはさらに切実に迫る。
ドラマで見るようなことが現実に起きている。
北海道の奥尻島へ行ってきた。
7月12日の天声人語より
北海道の奥尻島へ行ってきた。この島が、北海道南西沖地震による大津波に襲われて、今日でちょうど10年になる。
地震のひと月後にも、一度行っている。当時から一変したのは、津波と火災でがれきの町となっていた青苗地区だ。
海辺の公園のように平らにならされて、巨大な慰霊碑と「奥尻島津波館」が建てられた。
住民は、盛り土した所や高台に移った。
新しい道に新しい家並みが続く。ヒバリが、高みでさえずっている。
青苗岬の堤防を越えて波打ち際に出ると、女性がふたり、夏草を刈っていた。
10周年に合わせた灯籠(とうろう)流しのための清掃だという。ひとりは、母を失っていた。
津波館は、災害を記憶し記録を伝えようと、一昨年開館した。
小学4年の少女の詩がある。「地震がおこった。すぐに外にでた。とうだいが、くずれていた。(略)次の朝、私の家に行った。
家がなかった。悲しかった」。
次の朝、無くなっていたのは、家であり、人であり、暮らしだった。
死者は、島を中心に202人に及び、28人が行方不明のままだ。
地震の発生時刻の午後10時17分に合わせて、昼も歩いた青苗の町に行った。
半月が傾き、風に電線がうなる。
人影は全く無い。あの時、この道も、寝静まりつつあった家々も、一瞬のうちに「海底」になったのである。
とてつもない体験の傷は、まだまだ癒えるはずがないと改めて思いつつ、高台に移り住んだ人の、こんな一言も耳に残った。
「安心にはなりました。でも、海のそばに行くと、やっぱりいい」。島の心を聞くような気がした。
自然に恵まれた静かな山村にも災害は起きる。なんとかこれだけ科学が発達しても人間は自然には勝てないものである。
大きい宇宙 自然を実感すれば,人間同士の争そい 戦争は起きないはずだが。
国の指導者には目覚めた人がなるべきだ。姑息な身辺のことに長けた人だけでは立派な政治は行えない。
加害者の親は「市中引き回しのうえ、
打ち首にすればいい」。
7月13日の天声人語より
事実とは違っても、固定観念が独り歩きすることがある。
日本人は残忍だという18世紀フランスの思想家モンテスキューの説もそのたぐいかもしれない。
彼は「いたるところでおびえさせられ、いっそう残虐にさせられた魂は、
より大きな残虐さによってでなければ導かれえなくなった」と江戸時代の過酷な刑罰について記した(『法の精神』岩波文庫)
軍関係の犯罪容疑者の身柄引き渡しをめぐり、米国はしばしば「人権軽視」といって日本の刑事司法制度に疑いの目を向けてきた。
欧米人には日本へのそうした不信感が巣くっているのではないか。モンテスキューにさかのぼるかどうかは別にして。
誤解は実態に即して一つひとつ正していく必要がある。
あえて逆の動きをする人もいる。加害者の親は「市中引き回しのうえ、打ち首にすればいい」。
長崎の4歳児殺害事件をめぐる現役閣僚の言である。青少年育成の先頭に立つ人でもある。
少年犯罪の扱いへの批判だといい、また時代劇ファンだからといって、江戸時代の刑罰を口にするのは穏当でない。
各国メディアが報じる中、詳しかったのは英国BBCだ。
レイプをめぐる太田誠一発言から森前首相の諸発言まで引きながら「無神経な」失言集として紹介した。
海外の見方は別にしても、こんな発想の人が青少年育成を推進する危うさは重大である。
彼は「日本の美しい国柄を子供たちに教えてください」とホームページで訴えている。
「市中引き回しと打ち首」が、彼の頭に浮かぶ「美しい国柄」だとすると、何とも寒々しい。
小泉首相の身辺の人 閣僚にはとんでもない人たちが,それにことなかれ主義の人たちが入り混じっている。
一度この際スッパリと辞めてもらうべきである。
米欧が評価した事が全て正しいと思うのは明治維新後 敗戦後の日本では一般に行き渡っている。
このことは是非改めるべきである。自分の頭で考えるひつようである。
「スーパー」よりさらに強力な「ハイパー」
という言葉が台頭しているという。
7月15日の天声人語より
スーパーマンに始まって、スーパーマーケット、スーパーカー、スーパーモデルからスーパーボウルまで
世界唯一のスーパーパワー(超大国)米国には「スーパー」という言葉があふれている。
しかし、この「スーパー」支配に若干の陰りが見えているらしい。
米ニューヨーク・タイムズ紙が折に触れて取り上げる流行語のコラムにそんな話が出ていた。
同じような意味だが、「スーパー」よりさらに強力な「ハイパー」という言葉が台頭しているという。
米国はもはやスーパーパワーを超えた。
あらゆる分野で支配するハイパーパワーである。
そんなつかわれ方である。巨大なスーパーマーケットをハイパーマーケットと自称するのも一例だろう。
いまのところメディアや知識人の間で広がっている語法というが、やがて「スーパー」の座を奪うかもしれない。
若い世代では、もっと強烈な表現が流行しているそうだ。
ドイツ語の「ユーバー」である。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』が言及する超人の「超」である。
人気テレビドラマが火付け役らしい。たとえば「ユーバー・エクサイテッド」という。日本の若者言葉でいえば、チョー興奮、か。
10年ほど前、米国で「アップトーク」が話題になった。
語尾をはね上げる独特の話し方が若い世代に広がっている、と。
日本の若者にも同様な話し方が蔓延(まんえん)していたときで、興味深い現象だと思った。
今回は日本の若者言葉「チョー」が廃れていくとき、あちらで超「スーパー」語の台頭である。
国情を映す流行なのかどうか。
超 Hyper Uberは同じ意味である。今の若者達には国境なんかなくなり,我々の時代の戦争にあけくれた時は
超えてしまっているならば大変に有り難いことだが。
一試合で22もの大会新記録が出た。
7月16日の天声人語より
一試合で22もの大会新記録が出た。
甲子園をめざす高校野球の栃木大会でのことだ。
13日、小山高校に0対54で大敗、最多得点をはじめ数々の記録を献上した藤岡高校だが、
選手らに屈辱感はなかった。試合終了後、田畑一樹主将を胴上げし、健闘をたたえた。
藤岡の野球部は2年前の春には部員8人だった。
試合ができない人数で、部員はだんだんやめていった。
去年12月には田畑君1人になった。少子化が進む中、生徒数が減少を続けている影響もある。
この県立高校では10年間で生徒数が427人減って257人になっていた。
田畑君は、保健体育の先生でもある田中康明監督の下、1人で練習を続けた。栃木大会に何とか出場したい、
と春から他の部や元部員に頼んで「助っ人」集めをした。
本紙栃木版が「1人からの出発」と題して連載を始めたのが6月初め、
それからしばらく後の大会が始まる約1カ月前にようやく9人そろった。
地方大会に参加する全国4163校のうちでも、急造の藤岡は最も弱いチームの一つだったかもしれない。
しかし、早々と消え去っていくチームにも様々な物語が秘められている。たった1人の野球部員という藤岡もそんな例だ。
この物語には、もう一つ意外な展開があった。対戦相手と選手宣誓を決める抽選会でのことだ。
51番目に田畑君がくじを引いた。「1」だった。選手宣誓が当たったのだ。田畑君は「逆にしても1だな」と思ったそうだ。
田畑君は簡潔で力強い選手宣誓をした。初戦で敗退したとはいえ、忘れられない夏になるだろう。
青春は誰にも二度とは戻ってこない。甘美なほろ苦い思い出だけが心の隅に有る。
猫語用の「ミャウリンガル」が今秋発売されるらしい。
7月17日の天声人語より
『おわあ、こんばんは』『おわあ、こんばんは』。月夜の晩にこんなあいさつをかわした後『おわああ、ここの家の主人は病気です』。
萩原朔太郎の詩「猫」に出てくる猫たちの会話だ。
繊細な神経の詩人はまた、猫語を解する数少ない人類だったようだ。
猫語を解さない猫好きには朗報である。
犬語を「翻訳」して評判になった「バウリンガル」に続いて、猫語用の「ミャウリンガル」が今秋発売されるらしい。
犬語に比べて猫語の方が難しそうだが、どうだろうか。
発売元の玩具大手タカラは「喜怒哀楽に対応する声紋が猫にもありますから」と自信ありげである。
「バウリンガル」と同じように、鳴き声を翻訳して、手元の画面に文字表示する。
犬では送信マイクを首輪につけるようにしたが、猫ではマイクと画面を一体にし、インタビューの要領で使う。
犬に比べて無口な上に婉曲(えんきょく)表現が多い猫にはインタビュー方式の方がいいだろう。
マイクを向けて話しかけることで間合いを楽しむこともできる。そんな発想からだという。
専門家から見ても猫は理解しにくい存在らしい。犬は訓練、馬は調教できる。
猫は「それがほとんど不可能に近い。私たち人間からすると不思議な存在です」と東大教授(獣医学)林良博氏(『UP』355号)。
猫に関する学問的蓄積も少ないそうだ。
生きていたら、あの彼はどう語ったことか。
「然し人間といふものは到底吾輩猫属の言語を解し得る位に天の恵に浴して居らん動物」とうそぶいた
『吾輩は猫である』の高名な、いや名無しの猫である。
犬 ネコ言葉を翻訳する用具が発売されている。 さらに発展して政治家の発言した言葉の本音をば訳し出す用具が
発売されれば良いのにとおもうのだが。
奇妙な首脳会談に見えてくる。
7月18日の天声人語より
第二次大戦が終わる45年の今頃、ベルリンの郊外に米英ソの首脳が集い、半月余り会談を続けた。
トルーマン、チャーチル、スターリンによる「ポツダム会談」である。主題は、欧州の戦後処理だった。
日本に降伏を迫った「ポツダム宣言」は、この3者の共同宣言ではなく、会談の期間中に、米英と中華民国が発した。
やや意外なことに、米・国立公文書館が収蔵する宣言文の署名欄の筆跡は、
3カ国ともトルーマンのものだという(仲晃『黙殺』NHKブックス)。
チャーチルは、総選挙の開票で一時帰国していたが、敗北したため戻らなかった。
アトリーへの政権交代の前だったので、トルーマンが、チャーチルと署名した。
蒋介石はポツダムには来ておらず、やはりトルーマンが「中国総統(無線による)」と記した。
ポツダムは、ベルリン南西の美しい町である。
宮殿や別荘が点在している。
会談が行われたツェツィリエンホーフは、ドイツ帝国の最後の皇太子一家の館だった。
会議場は、ほぼ当時の姿で残されている。一角はホテルにもなっており、ある冬の一夜、泊まってみた。
3巨頭の亡霊にでも会えないかと思ったが、何事も起きなかった。
ブッシュ大統領をブレア首相が訪ねるという。
「戦後対策」の米英首脳会談としては、ポツダムと似てなくもない。
しかし今回は、両国が先に攻撃した点で大きく異なっている。
「ヒトラーからの解放」というような明確な大義も、今度は怪しい。
世界が、両者の釈明を待っているかのような、奇妙な首脳会談に見えてくる。
ポツダム宣言での米国のトルーマン,そして今回のブッシュ。どちらもアメリカが主導している。
だから現在の世界で大米帝国が君臨していることを証明している。
小学6年の女の子たちと監禁容疑の男は、
この街で知り合ったという。
7月19日の天声人語より
通るたびに、人の渦に巻き込まれる思いがする。
東京・渋谷の忠犬ハチ公前の交差点には、他ではまず見られない、すさまじいほどの人の密度がある。
幾つもの坂道から、谷底のような交差点に人々が殺到する。逆らうように、渋谷駅から人が吐き出される。
四方から、宣伝スピーカーの音も谷底へ降り注ぐ。人の声はかき消される。
大都会が備えているダイナミズム・躍動という段階を超えてカオス・混沌(こんとん)に近い。
小学6年の女の子たちと監禁容疑の男は、この街で知り合ったという。
人々のさまざまな欲にささやきかけて、あわよくばどこかへ連れ去ろうとしながら、
絶えずお祭り騒ぎをしているように見えるかいわいもある。
安部公房の詩「人さらい」に、こんな一節があった。
「でも祭ははじまり/祭は終わる/祭は人生ではないし/人生は祭ではない/だから人さらいがやってくる/
祭がはじまるその日暮れ/人さらいがやってくる」。
巨大都市自体に「人さらい」のような魔性があり、事件は、その姿の一つの現れなのかもしれない。
男が、少女たちと待ち合わせたのは「モヤイ像」の前だった。
人の顔をかたどった、大きな石の像の脇に、表示板がある。「ここに集う人々よ。
ものいわぬモヤイ像は、あなた方に何を語りかけるであろうか。
願わくば(略)『モヤイ』合う連帯の心に、胸を大きく開かれんことを。東京都新島村」。
力を合わせることがモヤイ、ともあった。
並外れて人と音の密な谷は、モヤイ合いの方は、残念ながら、限りなく疎のように見えた。
足にげた履き、浴衣がけ。そんな宵も、時にはいい。
7月20日の天声人語より
じわじわと暑さが募るこの時期の湿気というものは、世界にも、そうは無いだろうと思う。
多少なりとも気分をからりとするために、浴衣の季節到来と考えてみる。
百貨店の売り場を巡ると、浴衣姿の若い売り子が並び、着物に詳しそうな年配の店員も居た。
総じて右肩下がりの世の中だが、浴衣の肩は下がっていないらしい。
赤や黄の鮮やかな新作ものを見ていて、対照的な幸田文の浴衣が思い浮かんだ。
「袖巾は半分にきりつめ、衽をとってそれをつぎ裂にしたから、衽なしになった」。
なじみの薄い言葉が並ぶが、衽(おくみ)は、和服の前の左右に縦長に付いている布だ。
それを外して継ぎ布にしたのは、もののない敗戦の前後に「四度の夏をしのごう」として、
膝(ひざ)が抜けてしまったためである。
幅の狭くなった浴衣に身を包んで父・露伴をみとる時は「膝をわるまいとして苦労した」と記す。
「その着物で平気でいるとは、おまえさんもまずは着物を着こなした、
といえるかね」と父がいたわる。(岩波書店『幸田文全集』「花ゆかた」)
「この破れゆかた一枚身にまとっていればこそ、裸ではないのだ、
というぎりぎりいっぱい、いわば土俵ぎわのつっぱりみたいな、耐えかたがあった」。
その夏に露伴逝く。「いいゆかただったとおもう。流水に桜のもようだった」と文。
江戸の古典浴衣を復元した、江戸小紋の人間国宝、小宮康孝さんが言ったという。
「(藍(あい))一色でなにもかも表現してしまう。これが本来の浴衣の魅力です」。
素足にげた履き、浴衣がけ。そんな宵も、時にはいい。
浴衣がけに宵は昔からの日本の風物詩である。日本らしさがドンドンと失われていく中で
夏の浴衣がけはまだ生きている。
多数の兵士の命を預かる指揮官、
責任の重大さにふさわしい冷めた目が
必要とされる人の言葉には。
7月21日の天声人語より
軍人の率直な物言いに耳を傾けた方がいいときがある。
とりわけ多数の兵士の命を預かる指揮官、責任の重大さにふさわしい冷めた目が必要とされる人の言葉には。
新しく米中央軍司令官に就任したアビゼイド氏は、指揮官としての役割を強く意識しているようだ。
先週の記者会見で「たいへん、たいへん重要なこと」と彼が強調したのは、
イラクにいる米軍兵士がいつ故郷に帰ることができるかをはっきりさせることだった。
自分の例を引きながらこう語った。
「韓国に配属された私の息子は、12カ月で帰郷できると言われた。
帰国便に乗る2日前、3カ月の延長を言い渡された。妻は泣いた」
「娘の夫はアフガニスタンにいた。彼も2カ月の延長を言われた。娘は泣いた」。
現地で不安を抱える兵士や待ちわびる家族の気持ちがわかっていることを強調したのだった。
その彼がイラクの現状をずばり「ゲリラ戦」だと語っている。
「私たちはイラク全土でバース党の残党と戦っている。彼らは古典的なゲリラ攻撃を仕掛けてくる。
密度は濃くない戦闘とはいえ、どう形容してもこれは戦争である」と。
アビゼイド氏はレバノン系米国人で、中東問題の専門家でもある。
ハーバード大学で修士号を取得、アラビア語も堪能だという。
そんな経歴から、こんどの任務にぴったりと見る人も少なくない。
自衛隊をイラクに派遣するための法案が成立しようとしている。
「イラクはゲリラ戦の最中」という米軍の現地司令官の言葉は、軽くない。
比べて、法案をめぐる議論は軽すぎはしないか。
何故にゲリラ化したイラクに尚アメリカは滞在しなければならないのか。
最高総司令官であるブッシュの言葉をききたいものである。馬鹿なブッシュには発する言葉が多分出ないと思う。
そんなイラクに小泉首相がイラク新法を作り何故に自衛隊をゆかせるのかと聞けば。
彼の返答は明確な返事がかえってくると思う。「ブッシュにたのまれたから」だと。
森鴎外の小品「最後の一句」(1915年)
に出てくる少女、いちである。
7月22日の天声人語より
少年、少女をめぐる事件が続くなか、ある小説の主人公の姿が脳裏を行き来してやまない。
森鴎外の小品「最後の一句」(1915年)に出てくる少女、いちである。いまでいえば中学生の年頃だろう。
江戸中期の大阪が舞台である。
父親が死罪になるという前日の早朝、長女いちが妹と弟を連れて奉行所に父親の命乞(いのちご)いに行く。
徹夜で書いた願書(ねがいしょ)には「お父っさんを助けて、その代りにわたくしども子供を殺して下さい」と。
「帰れ帰れ」と門前払いされた。弱気になる妹を叱(しか)りつけながら、いちは奉行所の前にしゃがみ込んで訴えをやめない。
そして奉行所の調べを受けるところまでたどりついた。
奉行が問う。身代わりになるとすぐ殺されて父親の顔を見ることができないが、それでもよいか、と。
「よろしゅうございます」と、いち。
結局、父親は死罪を免れ、いちらにもとがめはなかった。
孝行娘の美談風だが、それにとどまらない。
現代の風景と対比させたくなる点が多々ある。
たとえば母親である。ぐちばかり言って無気力な母に相談しても意味がないことを長女は見抜いている。
奉行所でも「親が出てこい」と言われるが、いちは取り合わない。
大人たちから少女はこんなふうに見られる。
「しぶとい奴(やつ)」「上(かみ)を恐れん」「情の剛(こわ)い娘」「生先(おいさき)の恐ろしい」などである。
このごろ聞く機会の少なくなった形容の言葉だ。
「さらしものの上、打ち首」寸前の父親を、身代わりになって救おうとした少女の姿は、
現代の少女にはどう映るのだろう。あまりに遠い話だろうか。
日本のお家芸といわれた水泳の平泳ぎである。
7月23日の天声人語より
懐かしい場面が次々と思い出される。日本のお家芸といわれた水泳の平泳ぎである。
力で多少劣っても技術で上回ることができる。
そんな特色のせいか、新しい泳法が浮かんでは消えた種目で、たびたび日本選手が新泳法で話題にもなった。
「まだ浮かんでこない。まだだ」。そんな実況放送を思い出すのはメルボルン五輪(56年)だ。
飛び込んだ後、しばらく選手たちの姿が見えない。あのときの金メダリスト古川勝選手は40メートル以上も潜水した。
抵抗を少なくするための泳法だったが「危険だ」などの理由で、その後禁止された。
ミュンヘン五輪(72年)では田口信教選手のキックが注目された。
前回のメキシコ五輪では、バタフライのキックだとされ失格になっていた。
その疑惑をはねかえして優勝した田口選手は、独特のキックを「足の短い日本人向きに考案したキック」と語っていた。
21日、世界水泳で優勝した北島康介選手は100メートル平泳ぎでは田口選手以来の日本人による世界新記録である。
折り返してからのスピードには目を見張った。
背景には、泳法のコンピューター解析など最新の研究成果があるらしい。
それを生かすことができたのはもちろん、北島選手の優れた能力だ。
古川選手は子どものころ和歌山県の紀の川で泳ぎ、成長した。
田口選手は愛媛県の養魚池でコイを追いながら平泳ぎを覚えたという。時代の違いを感じる。
北島選手には、ハイテク時代に微差を競う別のつらさがあるかもしれない。
平泳ぎの歴史に、忘れられない場面をもう一つ加えた20歳だった。
平和な島を侵略し、あらゆる罪悪を犯すのが桃太郎だ。
7月24日の天声人語より
桃から生まれた桃太郎の話はどなたもご存じだろう。
犬と猿と雉(きじ)を従えて鬼ケ島に鬼退治に行き、宝物を持ち帰る。
では、桃太郎はなぜ征伐に向かったのか。
元々の素朴な話では、そんな問いは無用かもしれない。
宝物目当てでもいいし、鬼は悪者だから当然の征伐だと考えてもいい。
しかし明治以降、征伐の正当化も含め桃太郎は「期待される日本人像」として様々に脚色された。
『桃太郎像の変容』(滑川道夫・東京書籍)に詳しい。
皇国日本に逆らう奴(やつ)だから征伐する。
明治中期に出たこの理由づけが明快で、底流をなす。
日露戦争後には、こんな勇ましい戦闘場面も描かれた。
「突貫! 進め! 斬(き)り伏せよ/青鬼赤鬼白い鬼」。もはや自明の「聖戦」か。
異質の「桃太郎」が現れたのは大正末期だった。
鬼ケ島が「天然の楽土」として描かれる。
平和な島を侵略し、あらゆる罪悪を犯すのが桃太郎だ。
降伏した鬼との問答が興味深い。
「征伐の理由は?」に「犬猿雉の忠義者を召し抱えたからだ」と桃太郎。
「召し抱えたのはなぜ?」には「征伐のためだ」。大義のなさを痛烈に皮肉った。
作者は芥川龍之介である。その少し前、彼は中国旅行をした。
そこで出会った知識人に「最も嫌悪する日本人は桃太郎だ」と言われ、虚をつかれたようだ。
その衝撃が桃太郎像の転倒につながったのだろう。
「昭和の日」ができるかもしれない。芥川の死とともに始まったともいわれる昭和である。
彼は、昭和の暗い面を見通していたかのようだった。きょうは彼の命日、河童(かっぱ)忌である。
戦争を続けながらの戦後復興という妙な事態が続く。
7月25日の天声人語より
「私は喜んでいない。私はだれであろうと死者を悼む。
しかしイラクの人々に、たいへん大きな安堵(あんど)をもたらしたとはいえるだろう」。
フセイン元大統領の2人の息子ウダイ、クサイ氏の死について英国のストロー外相がそう語ったと英紙は伝える。
フセイン体制の中枢にいた2人の死について米英政府内では「よくやった」という声が圧倒的な中、
冷静さが目立つ発言だった。
2人の死はフセイン体制への逆戻りはありえないことを示したかもしれない。
しかし2人を生きたまま拘束できなかったのか、の疑問は残る。
隠れていた民家にミサイルをどんどん撃ち込んで攻撃したのでは、拘束しようとの意思はなかったと思わざるをえない。
イラク駐留米軍のサンチェス司令官は「私たちの使命は見つけて殺す、あるいは捕まえること。
今回、敵はバリケードを築き、抵抗した。
制圧するために必要な手段をとったまでだ。
断じて間違っていない」と。包囲して彼らが出てくるのを待つことができなかったか、の問いには「空論だ」の一言。
イラク戦争は続いている。そうであれば、この殺害は戦闘の一こまということだろう。
しかし戦争終結後の占領期だとすると、どうか。法的には問題の多い乱暴なやり方になる。
戦時と平時とが混在するイラクの現状を映している。
2人は様々な重要な情報を握っていただろう。
また、フセイン体制のかぎを握ってもいた。拘束して法廷で裁くべきではなかったかとの思いが強い。
かの地では、戦争を続けながらの戦後復興という妙な事態が続く。
大規模な戦争は終わっている。
誰もが考えることに,相手が少人数で持久戦で取り囲みすれば捕まえる事は十分に出来た。
何故に捕まえなかったのか,本当に疑問が残る。
捕まえると都合の悪い事でもあるのか。
新聞 テレビ インタネットで生前の本人の写真の死体をみても似ていそうだが,本人だとは断言できない。
アメリカの得意な情報操作の一環かと疑いたくなる。
それだけにイラクの混乱に対して何とかしたい気持の表れか。
だったら初めから戦争しなければよかったか,フセインがいなくなれば軍隊を早々に本国に帰せばよい。
アメリカ兵士たちの不満, その家族の不満に対してどのようにするのか。
ベトナムのように泥沼化してから帰すのか不透明な部分が大変に多い。
そこえ自衛隊を派遣しようとする小泉首相の気持が計り知れない。
小泉首相を辞めさせることが日本人として出来る世界への平和への貢献ではなかろうか。
冷戦は終わっても、休戦の終わりは見えてこない。
7月26日の天声人語より
半世紀という、あまりにも長い時の連なりを思う。
朝鮮戦争の休戦協定が、板門店で調印されてから、明日で50年になる。
現場を取材したニューヨーク・タイムズ紙のジェームズ・レストンは、
あたかも「休戦成立ではなく戦争宣言に調印しているようだ」と思った(ウィリアム・ストゥーク『朝鮮戦争』明石書店)。
当日の本紙も、国連軍、共産軍両代表とも無表情で署名し、互いに一言も交わさなかったと伝えている。
韓国は調印せず、アイゼンハワーは「警戒を緩めてはならない」と演説した。
米ソの冷戦を映す、和解無き休戦。「38度線」を、結果として固定することになる民族分断の重苦しい始まりだった。
この年、日本ではテレビの本放送が始まり、街頭テレビに人だかりができた。
記憶から薄れつつある、あの遠い日から今日までの間、
例えば、関ケ原の辺りでこの国が分断され続けている様を、想像できるだろうか。
日本の支配からの解放もつかの間、大戦後に朝鮮半島の人々が味わわされてきた過酷な歴史を改めて思う。
先日、韓国映画「二重スパイ」を見た。
人気スターのハン・ソッキュが、80年代に韓国に偽装亡命する北朝鮮のスパイを演じた。
偽装を疑う韓国情報機関の拷問に耐え、その機関に採用される。
やがて、北からの指令を中継する役の女と、ひかれ合う。
女は、ある非情な指令を伝えず、ふたりは窮地に追い込まれてゆく。
逃れようという女の一言が印象的だった。「南でも北でもないところへ」。
冷戦は終わっても、休戦の終わりは見えてこない。
本当に朝鮮民族の人たちは気の毒な事になっている。日本の統治後にソ連と米国に二分割され同じ民族同士で憎しみあい
そして朝鮮戦争で国土は他国の人たちによって破壊され尽くされている。両国民の死者も多く出ている。
そのことだけを考えても今回行われようとしている六ヶ国会議で米 ロシア 中国 日本がその朝鮮民族にした罪滅ぼしと
位置付けて交渉に臨めばすべての解決が早いと考える。アメリカが北朝鮮の怖い存在を強調し周辺諸国によう撃ミサイルなどの兵器を
売りたい気持であるららば決裂するか,長引くことだろう。
日本の自衛隊の石波長官は既によう撃ミサイルを買うことを表明している。
小泉首相と一緒に早く辞めさせたいタカ派の議員である。二人は自衛隊を私物のような感覚でみている。
自衛隊は祖国が侵略にあったときに防衛するために作られたものである。
アメリカから先制攻撃を受ければ世界の何処の国も太刀打ちできず核が使われ世界戦争に発展するであろう。
核のほか あらゆる武器そして軍隊は国連軍しか持たずに各国は警察だけで自国の治安を維持するようにすればよい。
国際的な司法裁判制度を充実させ,争いが起これば国際裁判所に訴え,争いを裁き,裁きの結果を守らない国には
国連軍が強制力を発揮するようにすべきである。今は世の中乱れに乱れて弱肉強食の世の中になつている。
このまま続けば人間は自然に地球上より滅んでいってしまうしかない。
「私に聞かれても、分かるわけがないでしょう」
7月27日の天声人語より
まずはあり得ないことだが、小泉さんが、ある自衛隊員の家を訪れたとする。
隊員の妻が尋ねる。
「戦闘地域に行かされるんでしょうか」「いや、非戦闘地域に派遣するのですから、武力行使はしません」
「では、どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域なのですか」
「私に聞かれても、分かるわけがないでしょう」「お言葉ですが、それは変ですね。
非戦闘地域がどこか分からないで、どこに派遣するんですか」。
自衛隊の最高指揮官でもある総理はどう答えるのか。
「殺されるかもしれないし、殺すかもしれない」も含めて、ここに引用した国会での答弁を、
隊員や家族に、面と向かって言えるのだろうか。
「分かるわけがない」という開き直りの後には、闘技場かと見まがうような採決もあった。
真っ当な議会なら、これ以上議事を進めるべきかどうか悩むところだった。
大勢の身の安全と、国のありようがかかっている。
日本だけでなく、イラクの人々の未来にもかかわる。そもそも、戦争の大義そのものが大きく揺らいでいるのだ。
集中豪雨に大地震。日本に特有の大きな災害が相次いでいる。
速やかな救助と、復旧への手厚い救援が急務だ。九州では、自衛隊員が泥に漬かりながら捜索を続けた。
宮城でも、出動している。大規模な災害での自衛隊は、やはり頼りになる。
本当に必要とする人々のために力を尽くしたいと願うのが、人の情でもある。
イラク特措法は成立したが、大きな疑問が幾つも残った。
「私に聞けば分かる」と首相が言う日は、いつか来るのだろうか。
小泉首相には早く辞めてもらいたい。こんな言葉が出てくるようでは首相の資質を疑っても当然である。
その首相に任命された閣僚たちも資質に疑いは増す。
本人だけは日本国民から支持されているとの考えから抵抗勢力?から抵抗受ければ解散権を使い抵抗する事だけは
止めて下さい。自民党は総裁 首相が分離して国民から信用をますますに落とし国民からのしっペイ返しを受けるだけである。
靖国神社のお好きな小泉首相, 戦時中の軍人はいさぎよく桜のように散って靖国の神として祭られていったののをごぞんじですか。?
サンドイッチが日本で普及したのはいつごろだろうか
7月28日の天声人語より
先日、家庭面にサンドイッチをめぐる思い出話が出ていた。
海水浴を兼ねて父の先輩の大きなお屋敷を訪ねた。
そのとき出された色とりどりの上品なサンドイッチと、
母がつくってくれた梅干しのおにぎりとの鮮烈な対比についてだった。
手の届かない裕福な暮らしの象徴としてサンドイッチが描かれていた。
それから30余年後、いまやサンドイッチとおにぎりは好敵手同士だ。
コンビニなどでしのぎを削る。最近、おにぎりの方が押し気味かもしれない。
サンドイッチが日本で普及したのはいつごろだろうか。
明治末期の小説「断橋」(岩野泡鳴)にはこんな一節がある。
札幌駅でのこと。パンや缶詰などを売っている店で「サンドヰチを買はうとしたのだが、
まだ出来て来ない」といわれてパンを買う。なかなかの普及ぶりである。
発祥は18世紀英国とされる。食事の時間を惜しんでトランプに興じるサンドイッチ伯爵が作らせたという伝説である。
人名のついた食べ物が世界中に広がった稀有(けう)の例だろう。
その子孫、11代目サンドイッチ伯がついにサンドイッチ商売を始めたそうだ(ニューヨーク・タイムズ紙)。
「私たちの家族とこの食品との関係は、物語からブランドに転じた」とは商売を仕切る次男。
スーパーに「サンドイッチ伯爵」の署名入りの品を出している。
そのスーパーでサンドイッチ伯がサンドイッチを買う。
レジでカード支払いの署名をする。
ブランド名そのまま「サンドイッチ伯爵」だ。
レジ係がびっくりする。そんないたずらを楽しんだりもする11代目らしい
一生に一度花を咲かせることで知られる。
7月29日の天声人語より
遠くから見ると、まっすぐ伸びた松のように見える。
近寄って、初めてお目にかかる花であるとわかった。
東京都中央区の浜離宮庭園で、55年目にして開花したというリュウゼツラン、漢字で書くと竜舌蘭である。
メキシコ原産で、一生に一度花を咲かせることで知られる。
いつ咲くかはわからない。ふだんはアロエのような肉厚の葉が地上に横たわる。
ある日突然、花茎が天に向かって伸び始め、みるみる高くなった末、花開く。
つかの間の高揚期を過ごしたあと枯死する。劇的な生と死である。
浜離宮庭園のリュウゼツランは戦後まもない48年に植えられたそうだ。
半世紀以上を経て今年5月初めから茎が伸び始めた。1日約10センチというスピードだ。
高さ8メートルほどになった7月末から開花し始めた。太い茎から伸びた枝に黄色い花が密集して咲く。
開花の報は日本各地から時折届く。去年夏には、奈良教育大学で咲いた。
30年ほど前に園芸好きの教授が植えたものだという。
英語では、やや大げさに1世紀に一度咲くとしてセンチュリー・プラントといわれる。
米コネティカット州の動物園は、ホームページで「ついに咲いた!」と開花を宣伝していた。
80年目といっている。
きのう訪れた浜離宮庭園のリュウゼツランにはハチが群がっていた。
狂喜乱舞といいたくなるような興奮ぶりである。
55年間にわたって蓄積してきた生命力をすべて開花にそそぎ込んだ植物には、
何かうかがい知れない不思議な力があるのかもしれない。
季語でいうと夏。〈浜の朝龍舌蘭は空に咲く〉(木庭俊子)
二度とない人生だから、
一匹のコオロギにも一羽の鳥にも
耳を傾けられる人になってほしい」。
7月30の天声人語より
最近の言葉から。拉致被害者の地村保志さんと富貴恵さんが「七夕のつどい」で短歌を短冊に記した。
〈遥(はる)かなる彼方(かなた)に消える流れ星 愛(いと)しき子らの安堵(あんど)を祈る〉
〈ひたすらに早く帰れと祈りたる 願いよ届け天の星空〉。
長崎市で4歳の長男を殺害された父親が心境をつづった。
「駿が亡くなってから3週間が過ぎようとしていますが、いまだに居なくなったことを完全に受け入れることができず、
寝ていても駿の助けを求める声でうなされる日々が続いております」。
事件について長崎市立丸尾中の梅野壮助校長は「いつ思い出しても心が痛む。
二度とない人生だから、一匹のコオロギにも一羽の鳥にも耳を傾けられる人になってほしい」。
本来の日本の草花を見たことない人が増えているという仏文学者の杉本秀太郎さんは「ささやかな抵抗で、
庭にワレモコウやフジバカマを育ててる」。
フジバカマは「葉をちょっとちぎっても、すごくいい香りがする。
昔は陰干しにして、タンスにしまったもんですがねえ」と。
衣装デザイナーのワダエミさんは、清水寺について
「緻密(ちみつ)に計算して建てた寺ではなく、至る所に手を加えない部分や自然が残っています。
だからこそ、何度通っても発見があり、心が癒やされるのでしょう」。
園芸研究家の柳宗民さんは「邪魔者としてひとくくりにされる雑草も、日本の四季を映しています。
エノコログサは、夏の風に揺れる姿が一番でしょう。
どの草にもじっと見ると何かいいところがあるから、抜く手がとまることもたびたびで、困ります」。
振り返れば、不安が独裁者を呼び出した歴史もあった。
7月31日の天声人語より
不安列島といいたくなるような事象の続く7月だった。
梅雨の終わり際、九州を襲った局地的豪雨は、土石流などで20人余の犠牲者を出した。
一方6月末に梅雨明けした沖縄では、40日間連続の真夏日、熱帯夜が続く。こちらは水不足が心配される。
東北地方を襲った地震は、予測されていた宮城県沖地震とは別種の直下型地震だった。
今まで注目されていなかった活断層が地下にあったらしい。
幸い犠牲者は出なかったが、被害は大きく、なお不安な日々を送る人たちがいる。だれもが襲われるかもしれない。
自然災害だけではない。嫌な事件が続いた。長崎市での幼児殺害事件では、12歳の少年が補導された。
東京では小学生が監禁され、容疑者の男が自殺した。
ひきこもり相談の30%強が30歳以上との厚生労働省の調査結果も気がかりだ。
子どもの間でうつ病が目立ってきたため実態調査に乗り出すとの報もあった。
ひきこもりの「高齢化」と、うつ病の低年齢化という心の病の広がりである。
国会では、世論を二分したイラク特措法が成立した。
「イラクで襲撃を受けた場合に、撃ち返せるような訓練を十分していない」
「撃ち殺した場合に世論が支持してくれるかも不安だ」とは陸幕幹部の言葉だ。
さまざまな不安を抱えこんだ法律である。
振り返れば、不安が独裁者を呼び出した歴史もあった。
ブレヒト劇のせりふの応酬を思い浮かべよう。
「英雄のいない国は不幸だ!」「英雄を必要とする国こそ不幸なんだ」。
だれかに委ねるのではなく、一人ひとりが考えていかねば。
墨汁一滴
澄んだ水の中に墨汁を一滴たらすとその水は急速に真っ黒に変貌してしまう。
一人の人の為にグループ全体が駄目になってしまうことを良く見かける。又逆もありえる。
だがむしろ前者の方が多い現象である。
墨汁に染まらないためにはグループとは遠おざかっているのも仕方ない場合もある。
墨を清い透明な水に変えることは不可能な事である。少なくとも墨に染まらない方法は墨より遠おざかつて生活する以外仕方がない。
悪いと分っていても政治 宗教などの関係で,墨である人と分っていてもその人に近ずかせることはありえる。
カネ 名誉などに対し人間は弱い所があるものだ。そのような人こそが常に墨の黒さに染まりやすい。
一旦染まった墨はなかなかにとれないものだ。なにものにもとらわれない所の心 ・目を常に養う事に心がける以外に方法がないか。
それが人生と言う長い道のりでの修行であり,又人生そのものでもある。
墨に染まる人,染まらないように努力する人の両方がいて世の中面白いものか。
交通速度違反
高速道路を走っていて,制限速度一杯で走っていれば他の車に抜かされないはずがないものだ。
でも大方抜かされてばかりいるのががほとんどである。抜かして行く自動車は全部速度違反をし抜かしていっていることになる。
ある日トンネルに入りいつものように走っているとどの車も誰もが抜かさないので不思議だなと思いながら後ろを見ると
ただの車がついてくるだけである。やがてトンネルが終わりになる前の頃に突如後ろの車が自分の車を抜き去って通り過ぎ去って行った。
よく見てみるとパトカーであつた。
ずーと自分の車を追尾していた事になる。後ろを走っている間パトカーの上についている赤ランプは消したまま走っていたので
パトカーであることは分らない。後からくる車が全部追い越して行かないわけもそれで分った。
突如トンネルの終わりころに抜かして走っていった時のパトカーは多分速度違反をして走り去っていったと思う。
このときに感じたことは自動車に乗っている間,ずーとパトカーに後を付けられていれば多分何処かで速度違反でつかまるのではないかと。
パトカーはそんなに多く走っていないのに同じような事に遭遇する事があるのも不思議なことである。
警察の人員が少なく凶悪犯罪が多発している時に,わざわざ速度違反をするのを待って捕まえようとする警察の方針はおかしい。
今までつかまった所は交差点もない誰もが走っておらずスピードが出やすいところに隠れて待ち伏せをしていてつかまつている。
つかまらないためには時に後ろをみて走るようにと教えられる。
事故を起こさないためにしっかりと前を見ながら走るほうがもつと大切のように思うのだが。
泣き寝入り
身近に政治に関心のある親戚が周囲に多い。だから地方政治家と仲が良い人たちも多くいる。
今まで不思議な事,変なことが多くが多発してきている。泣き寝入りしたくないからドンドン実名を
上げインターネットで書くこと以外に身の回りの事で世の中住みやすくならないと考えている。
記憶は残る。何回もあったことは記憶の中に今も残っている。作られた以前のような嫌なことには拘わりたくない気持である。
私自身何処の政党にも関係していない。でも世の中の理不尽に対しては政党を超えて訴えてゆきたい。
どんなことに対しても理不尽にたいしては泣き寝入りしたくない気持で一杯である。!
沢山な異様な英文広告メールの受信
最近外国から英文の沢山な広告メールを受信するようになった。毎日の事である。初めはホームージを掲載しているから
メールアドレスが知られて送信受けるようになつたと思っていたが,そうではないようだ。
以前はウィルスのメールが送信されてきていたが,「京都インターネット」でウィルス駆除サービスをするのに入ってからは
完全になくなった。回線は「みやび゙じょん」というCATVを使用している。
仔細に送られてくるメールをみていると英文の内容は 主にセックス バイアグラ 金儲け 体重を減らす薬
時には自動車などの広告が入つている。
今の退廃したアメリカ文化を象徴するような広告メールばかりが入る。
ヒットラーが第二次大戦において勝利し世界を征服をしていたならば,
多分,退廃文化として強力に徹底的に取り締まった事ばかりの宣伝広告が入ってきている。
送信者はどれも不明だが 受信者の方でも自分のアドレス宛でないものが沢山に含まれ入っている。
途中で「京都インターネット」「みやび゙じょん」のCATVで混線し偶然に入ったものか,
故意に入れてきているものなのか 初めからそのような形での特殊な送信なものなのかどうか,沢山な異様な広告メールの受信はどうして
起きるのか分らない。実害はないがそのようなことをば調べ捜査してくれる所はないものだろうか。?
これはウイルス同様のいやがらせ犯罪ともとれる行為である。
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