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随想 

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暑い八月


七月の冷夏とはうって変わって,八月中旬頃より急に暑くなってきている。九月になろうとしても尚暑さはつづく。

冷房などの夏の為の商品が売れ残っていて,冷夏の影響はかなりあるようだ。

団扇 蚊帳 香取線香 花火 風鈴 打ち水などの昔の風情は次第に薄れて来て見られなくなってきているが。

八月十日夕に宇治の花火大会へ久しぶりに見に行く。

大勢の人たちで宇治の町全体が人々の洪水で歩くのがやっとである。こんなに多くの人たちがどこから集まつてくるのか

不思議な感じを受ける。前に進むのも,後ろに戻ることも出来ないくらいのひどい混雑さだった。

それで兵庫県の明石で起きた花火大会で多くの人達か゛将棋倒しになって死亡者が出た光景をふと思い浮かべる。

この混雑ようではありえると感じた。多勢の警察官が整理・警備していてもこんな状態ならば

もし警備していなければどんなことになるか。其のためによるか花火大会は何事もなく終わっている

花火は昔と違い,コンピュターで制御されているようで,鮮やかな彩りで豪快な大きな花火も見うけられる。

色んな形の花火例えばトンボのような花火もみうけられた。昔のような単純なものではない。

又若い女性達か゛中には男性も浴衣に団扇をもっての姿が目に付く。若い人たちの浴衣姿の多いのには少し驚いた。

こんなに多勢が浴衣姿でいるのは近来稀である。今の流行なのだろうか。

やはり日本人には着物姿が一番良く似合う。このような日本の伝統的なものは是非とも何時までも残したいものである。

政界もお盆休暇なのかどうか閣僚達が色んな国を訪れている。小泉首相もドイツ, ポーランとなどヨーロッパ諸国を訪れている。

クラシツク音楽が好きといわれているだけて゛本番の歌劇などを満喫している報道に接する。

個人の趣味ともいえることに対し国費で,国民の税金で遊んでいる姿を見ると本当に腹が立つてくる。

外遊とはどんな仕組みでおこなわれるのかよく分らないが多分海外出張費用が出ていれば余計のこと腹がたつ。

国民に「始末」「節約」を説き「米百表」の例まであげ,国民に質素倹約を説いている張本人が,

音楽三昧で国賓として待遇を受けながら,豪華な外遊をし歌劇とクラシックで優雅な外遊を楽しんでいるとは

全くけしからん話しである。

真に国民のことを考えるならば,一度でもよいから自衛隊派遣が決まっているイラクへ訪れ,如何にイラク国民が苦しい生活に

直面しているか直に見聞してくれば良い。

危なくてすさんだ汚い所は絶対に行かない,避けている。一方で志願した自衛隊員は当然で,命令に随い行くのが当然と説明している。

だが国民の大半の意思が自衛隊は行かすべきでないとしているにも拘わらす゛にである。

苦労しらずの首相には本当の国民の痛みをなんとか理解しようとする姿は微塵も感じられない。

それでいて国民には痛みを強いる政治をば続けている。そしてさらにこれからもつづけようとしている。

ブッシュののポチになって,且 お坊ちゃんとして育ってきた首相には「我慢を強いたり,説くことはできても」,

本人自身にはそのようなことは出来そうもない。又しようともしない。

官僚・閣僚達に全て丸投げにし,請け負わせ自分自身が率先して国民の先頭に立ち汗をかことする姿は見えない。

オーム真理教の上祐という弁の立つ青年のように,格好のよいことばかり言う事だけは一人前に言って,

自分自身ができないことをば国民に強いているのが今の小泉首相である。

今回の外遊が首相の正体を一番よく国民にさらしているのではなかろうかと思う。

ブッシュと似かよった所が多い。そのような人たちによって世界の 日本の政治がまかされている。

最大限に首相という権力を利用し,自己の保身の為に利用するキツネのようにずる賢い首相に見えてくる。

首相になりたての頃の構造改革なくして景気回復なし,自民党をぶっ壊してでも改革はすすめ景気をよくするといっていた

その「変人」 とも称されていた首相が次第にキツネのようなずる賢い人に「変身」してしまっている。

そうではなくて,初めからキツネだったのが次第に国民の前に本性をあらわしてきたともいえる。

最初の頃の小泉首相に国民は大いに期待をもたらしたものがあった。

日本国民の大半が中流階級だとの意識があったのが,次第に構造改革がすすむにつれリストラで職をなくし倒産が増え続け

生活が苦しい人たちも増えて来ている。将来に不安を感ずる老人達も多い。大部分の一般の国民の生活はデフレ不況であえいでいる,

今一番ご機嫌の良いのは首相と一部の人たちだけのようだ。弱者切捨ての政治がおこなわれて来ている。

総裁選挙が間近になると自分の次回の選挙だけが気になる議員連中が増え,始め公言していた「踏絵」発言も蔭をひそめ投票してくれる人

は誰も拒まずの変身振りである。こんな人にはなんとか首相を辞めてもらいたい。

これからも何時まで続く辛抱・我慢を又強いられるかはご免である。

厳しいことを強いることは誰でもできるが,その厳しさにさらされている人にとっては耐えられない。

そうして倒産する。倒産したした後の企業は優秀だから全体の平均値は上がる。弱いもの困っているものはドンドン切り捨てれば

残った全体の企業の業績は上がる。ただ全部が良くなっているのではなくて,悪いものは切り捨ての政治が行われているから

全体は良くなっているような錯覚を与えているだけである。リストラになり自殺していった人たちの責任は誰がとるのか。

まず改革を進めたきた小泉首相が取るべきである。

小泉首相の賞味期限を無理に引き延ばさない方が良い。ブッシュにも悪影響しかねない。

ブッシュ政権は世界に何を引き起こすか予想がつかないような好戦家であり,今の世界中に不安をばらまいているような気がする。





正体はキャットフィッシュ、ナマズの一種である。


8月1日の天声人語より



 清水ダイと名乗って刺し身になったこともある。

ところによっては、ヒラメやアイナメ、スズキなどを僣称(せんしょう)したこともあるらしい。

河ふぐと命名している食堂もある。正体はキャットフィッシュ、ナマズの一種である。

 僣称された魚たちからも推測できるように、淡泊な味の白身の淡水魚だ。

米国では、ミシシッピ川などで多く養殖されている。

日本のナマズに比べてくせがないことから、食材としての利用範囲が広いともいわれ、

あちらではフライ用として好まれる。

 このナマズをめぐって米国で騒ぎが起きている。

ベトナム産が安く出回り始めたのが原因だ。

まず、ベトナム産はキャットフィッシュと名乗ってはいけないことになった。

どう見てもキャットフィッシュなのだが、市場ではバサとかチャーとか名乗らされる。

 先月にはとうとうダンピングと認定された。

懲罰的な関税がかけられることになる。

ベトナム戦争後ようやく両国の関係が正常化し、1年半ほど前には通商協定も発効した。

そんな時期だけに「業界と政界が結託しての乱暴な措置」などと厳しく批判する米紙社説も現れた。

 対岸の火事とはいっていられない。

わが国では今月から輸入牛肉の関税を引き上げる。いわゆるセーフガードの発動だ。

BSE(牛海綿状脳症)の影響で落ち込んでいた輸入が持ち直した。

その増加の割合が大きいとして自動的に発動するらしい。

従前の水準にまでも回復していないのになぜ? 

消費者側が疑問を抱くのは当然だろう。

 胸を張って世界に説明できる措置とはとても思えない。


国民の側に立脚した政治 法の解釈があってもよいようにおもうが。

右をたてれば左が立たない難しい判断が強いられそうだ




この事件が発表とはずいぶん違い、
捏造(ねつぞう)に近いことがわかってくる。



8月2日の天声人語より



 戦争を始めるのは容易だが、終わらせるのは難しい。

よくいわれることだが、その含意は、だから戦争を安易に始めてはいけないということだろう。


いわんや開戦理由にうそや誇張があっては、指導者は重大な責めを負って当然だ。

 過去の例でまず思い浮かべるのは、ベトナム戦争時のトンキン湾事件だ。

米駆逐艦が北ベトナムの攻撃を受けたとされる事件である。米国は北ベトナムを報復爆撃した。

あの戦争が拡大し、泥沼化していくきっかけをつくった。

 39年前のきょう2日と4日の2度にわたって攻撃されたとの発表だった。

当時の本紙も「作為的疑いも」と米軍の行動に疑問を呈し、事件に謎が多いことを指摘していた。

その後、この事件が発表とはずいぶん違い、捏造(ねつぞう)に近いことがわかってくる。

 ニューヨーク・タイムズ紙がスクープした国防総省の秘密文書が事実解明に力あった。

その文書を漏らしたエルズバーグ氏は後に語る。

トンキン湾事件にかかわる文書を早く公開していれば、泥沼化は避けられたかもしれない。

そして「米国民に謝罪する。私のような立場にいた人間に課せられた義務を果たさなかった」。

 最近の資料では当時のジョンソン大統領自身、攻撃の有無に疑問をもっていたようだ。

国防長官として指揮したマクナマラ氏が「あの戦争は完全に間違いだった」悔いていることもよく知られる。

ちなみに当時、日本は池田内閣で、防衛庁長官は小泉首相の父、純也だった。

 開戦理由をめぐって大義が揺らいでいるイラク戦争にも教訓を与える歴史である。




戦争をやりたい為政者はどんな理由をつけてでも,始めることの証である。そのようなイラク戦争を国民の意思に反して支持した

小泉首相の責任は重い。フランス ドイツ ロシア 中国などの主だった国々は反対を貫いている。

現在もイラクではテロが続き,国民は普通の生活ができていない。民主化とはかなりかけ離れた状態におかれている。

そのような戦争を支持した首相の責任は極めて重大で゙ある。ましてそのような戦場へ自衛隊を派遣しようとしている。

何故に派遣にそんなにこだわるのか理由が分らない。ブッシュが恐ろしいから仕方なく派遣したとでもいいたいのか。

アメリカはブッシュだけのものではない。平和を愛する人たちが沢山おられる。

タカ派の小泉首相はブッシュとは仲がよさそうだ。山荘に招かれた時の笑顔がとっても嬉しそうなのが印象的である。





その人なり、その国なりの、
ネクタイとの付き合い方があっていい。



8月3日の天声人語より



 一番暑いはずの時期なのに、気温のあまり上がらない所が多い。

夏物の売れ行きや作物への影響も気になる。

「上着とネクタイの着用を省略しています」。

先日、こんな張り紙のある区役所に入ったが、半数は省略していなかった。

 それにしても、暑さも湿気もまるで違う西欧の装いであるネクタイが、ここまで日本に根付くとは。

明治以来の西へのあこがれが、それほどまで強かったか

 「中肉中丈(ちゆうぜい)の、年は三十を一ツ二ツも越えているらしい。

縞地の背広の上に褐色の外套を纏い、高い襟(カラー)の間からは華美(はで)な色の襟飾(ネキタイ)を見せている」。

永井荷風の『あめりか物語』は「どことなく気取った様子で、膝の上に片足を載せ」と続く(岩波文庫)。

まだ物珍しい、ネキタイの時代である。

 コラムニスト・青木雨彦さんは、こう書いた。「正直な話、『もし、この世にネクタイがなかったら?』と考えると、ゾッとする。

(略)インタビューに臨むにあたり、どうやって自分が無難な人間であることを証明するのだろう?」(『随筆集 ネクタイ』菱屋)

 確かに多くの職場では、浮き上がるのを防ぐ保護色の働きがある。

逆に、工夫して違いを訴えることもできる。一本のネクタイの選びようは限りがない。

それも、行き渡った理由の一つだろう。

 関東などでも、やっと梅雨が明けた。盛夏本番にネクタイは苦しい。

しかし外せない人や、外したくない人もいよう。

肝心なのは、どうするかを、それぞれが随意に選ぶ柔軟さだ。

その人なり、その国なりの、ネクタイとの付き合い方があっていい。



何故に洋服にはネクタイが必要なのか分らない。真面目に考えるほどにおかしな話である。

誰が最初に洋服にネクタイときめたのか。ネクタイをしている方が礼儀正しいと思われるのは何故なのか。

考えれば考えるほどにわからなくなってくる。



 北朝鮮から突然届いた手紙と写真は、
拉致の被害者たちを、二重に揺さぶった。




8月4日の天声人語より


 長い間、消息の分からなかった肉親が、無事でいることが分かる。

うれしいはずのことなのに、そうはならない。

それは、引き裂かれていることを、改めて強く思い知らされるからではないだろうか。

 北朝鮮から突然届いた手紙と写真は、拉致の被害者たちを、二重に揺さぶった。

無事な様子を伝えて安心させる一方で、「帰ってきて」と、親にはつらい訴えをする。

去年の秋の5人の帰国から、もう10カ月がたとうとしている。

子が親を強く求めるのは自然だが「書かされている感じがする」と蓮池薫さん。

もしも、子どもたちを、意のままにできる人質のようにでも考えているとすれば、言語道断だ。

 写真の表情には、笑顔も見られたという。しかし「本当の笑顔ではない」と曽我ひとみさん。

母親として、心配と苦悩がにじむ、痛々しい会見だった。

 一般に、人の笑みや笑いには、かなり複雑なメッセージが込められていることがある。

親しみ、共感、喜び、うれしさなどの肯定的な感情だけではなく、苦さや、あきらめのようなものも、

笑みを引き起こすからだ。今回の手紙と写真は、正と負の両方の、生々しい伝言をもたらしたとも言える。

 この動きは、北朝鮮が日本政府に5人の家族の帰国を非公式に打診してきたことと、どう関連するのだろう。

核開発問題での6カ国協議の受け入れとも絡むのか。

 北朝鮮を国際協議の場に引き出すための動きは歓迎したい。

しかし、その時々の北朝鮮の思惑で、拉致犯罪の被害者と家族の人生が大きく揺さぶられる様は、まことに痛切だ。




政治の犠牲に拉致家族が利用されている。拉致は絶対にあってはならない。そのことは誰が考えても明らかである。

拉致の当時はよど号事件 赤軍派による赤間山荘の事件 革マル派とかの学生達が騒動を起こしていた頃の出来事である。

北と南に分断された朝鮮の人は気の毒である。第二次大戦までの日本による占領の為に起こった出来事である。

その後の米ソの二カ国の冷戦の結果を今も引きずっている。金正日にたいする北朝鮮の人たちの崇拝ぶりは戦中の天皇を

彷彿させられる。ここでも日本は北朝鮮に悪い影響を与えている。

日本にも悪い所は沢山あった。だから現在も韓国がとっている太陽政策が南北を早く和解させて拉致事件を早期に解決する一番の方法である。

それをブッシュのアメリカが許さない。北朝鮮問題解決はブッシュの心次第である。

誰がかんがえても北朝鮮が本気で核戦争を起こすとは思えない。大国中国 ロシアが近くの後ろに接して且多くの核を持っているのに

まさか核を使うとは思われない。金正日体制を保持したいためのつよがりであるのは常識である。

タカ派の小泉首相の跡を考えている安部副官房長官も戦争好きである。色々と北朝鮮の恐ろしさを強調したい人たちで

拉致家族を政治に利用しているとしか思えない。平和がよい。北朝鮮には太陽政策が一番早い解決方法である。

ブッシュのアメリカを先ず変えることである。そのためにもブッシュに協力的な小泉首相を変える事でもある。






92歳の生物画家・熊田千佳慕
(くまだちかぼ)さんの展覧会を見た



8月5日の天声人語より



 壁に並んだ虫や花の絵の脇に、虫眼鏡がぶら下がっている。

それで虫たちをのぞくと、いまにも絵から飛び出してきそうだ。

実に精密で、小さな命の息づかいさえ聞こえてくる。

 92歳の生物画家・熊田千佳慕(くまだちかぼ)さんの展覧会を見た(横浜・港南台高島屋で11日まで)。

絵は細い筆の先で根気よく描かれる。70歳でイタリアのボローニャ国際絵本原画展に入選した。

 「ファーブル昆虫記」や「みつばちマーヤの冒険」の絵本化などで知られる。

バッタを捕らえるカマキリや、ハエに食いつくトンボのような絵も描く。

そうした厳しい場面も含めて、身近な生命の営みを、精確に書き記そうとしているように思われる。

 会場では、グラフィックデザイナーだった戦前の仕事も紹介されていた。

土門拳の写真を、熊田さんがコラージュにしたとある。

ふたりは、日本の報道写真家の草分けとなった名取洋之助の主宰する「日本工房」で出会い、共同作業を重ねた。

 土門は90年に他界したが、晩年、車いすの上で熊田さんの手を握りしめ、本名の五郎で語りかけたという。

「ゴロちゃんのリアリティーには負けたよ」。「写真と絵のリアリズムは違うんだ。

そう言ったんだけど、土門は泣いていたなぁ」と熊田さんは回想している。

 土門拳の写真展にも、足を運んでみた(東京・日本橋高島屋で11日まで)。

被写体への真っすぐな迫り方に、改めて心打たれた。

虫や花と、人・時代・仏像。

それぞれの分野は違っていても、対象への限りない肉薄ということで、ふたりはつながっていると思った。


92歳まで生きることは本当に誰もが出来ない事である。絵をかくことが長寿のひけつなのかどうか。

早く死んだ天才画家もいる。生きるだけでも大変なのに個展とは普通の人ではない。

才能に恵まれた人が羨ましい。それは死ぬまで努力を絶やさない人達である。




45年8月6日早朝のことだった。


8月6日の天声人語より


 米に大豆と麦とを加えて炊いた混ぜご飯の弁当に、中学1年の滋くんは「やったあ、きょうはおいしいぞ」と大喜びで出かけた。

45年8月6日早朝のことだった。

防火帯づくりに動員され、広島市中心部に向かったのだった。

8時15分、滋くんは被爆、好物の混ぜご飯を口にすることはなかった。

 講釈師の緩急車(かんきゅうしゃ)雲助(くもすけ)さんが語り続ける演目の一つ「黒焦げの弁当箱」である。

この弁当箱は広島市の原爆資料館に展示されている。

資料館に向き合う会議場で3日に催されたシンポジウム「語り続けよう核廃絶の道を」でも演じた。

 弁当箱をめぐる悲話が本になり、広く知られるようになるには時間がかかった。

資料館に弁当箱を寄贈した滋くんの母、折免(おりめん)シゲコさんは「思い出すのがつらいから話したくない」と。

 80歳を超えて、シゲコさんは詳しく語り始めた。

原爆投下の数日後、見分けのつかないたくさんの遺体の中から、

シゲコさんが奇跡的に弁当箱と滋くんの遺体を探し当てた話である(児玉辰春『まっ黒なおべんとう』新日本出版社)

 滋くんの死後、シゲコさんは夢を見続けたそうだ。

最初は「しげる!」と呼ぶと一瞬振り向くが、とぼとぼ去っていく。

5年目ごろから滋くんが話し始めた。しかし「夢の中でも息子を抱きしめることはできなかった」と緩急車さん。

 会場近くの国の平和祈念館のパネルに45年中の原爆死没者は約14万人とあった。誤差は1万人内外とある。

「誤差」という言葉が、またその数の大きさが、
一瞬にして破滅をもたらす核兵器の異様さを映す。



広島に原爆投下したアメリカのスミソニア航空博物館B29 エノラゲイが今回修復されて展示されている新聞記事を見た。

アメリカの人たちには誇りとする事かも知れないが,被爆家族 知人をも持たない者にとっても心が引っかかる。

勝てば官軍で歴史的にみて偉大なる蛮行も勝者の立場からすれば誇るべき事なのか。!

少しでも日本の被爆者ののことを考えればできることではない筈だが。 





「民間は無力そのものであり、
政府は全く万能である」





8月7日の天声人語より


 変化への希望を抱いていいのだろうか。あるいは希望を抱くのはむなしいことなのか。

そんな思いの間で揺れる。

 30年前の8日、金大中氏が東京のホテルから拉致された。

「ソウルの市民たちはまたむきだしの権力、裸の権力にであってぞっとした」。

こう記したのは、先日その筆者が明らかになったT・K生である。韓国の情報機関の仕業だと皆が思っている。

でも公にはいえない。「民間は無力そのものであり、政府は全く万能である」。

 あれから30年、韓国は間違いなく変わった。

軍政から民政へそして反体制の英雄だった金大中氏が大統領にまでなった。

そこで思いは北隣の国に向かう。あの国については、変化という希望は抱きえないのか。

 指導者の写真が村々に飾られる。

指導者をたたえる歌が学校で教えられる。

30年前の韓国の朴大統領への個人崇拝ぶりをT・K生は伝えた。

その後の韓国の変わりようを、希望の種と見ることはできないか。

 わが国では10年前の9日、38年にわたる自民党政権にいったん終止符を打つ細川政権が誕生した。

あの時、日本人の目には「激変」と映った。変化を望む国民の期待を反映した、と。

議員バッジをつけないで立ったままの記者会見、手に持ったペンで質問者を指示するといった細川スタイルは、

外見上も新鮮だった。

 あれから10年、何が変わったのか。


建物でいえば、家具を取り換えたり、壁を塗り替えたりといった程度の変化はあったかもしれない。

しかし日本政治の土台を取り換えるところまではいかなかったとの思いが強い。



デフレ不況とイラク戦争に象徴されるアメリカの無謀にストップをかけることのできる政権を。

それをしてれくれる人は今の小泉首相ではないことが分ってきた。

新しい指導者を待ち望む気持ちは誰の心にも有ると思う。




あらゆる物がコンピューターにつながり、
情報が行き交う社会のことをいう。




8月8日の天声人語



 ユビキタス。多くの方にもまだ耳慣れない言葉だろう。

一瞬「湯引き」という料理用語を思い浮かべるようでは、あまりに時代遅れかもしれない。

外来語の言い換えを提案している国立国語研究所は「時空自在」と訳した。

あらゆる物がコンピューターにつながり、情報が行き交う社会のことをいう。

 元々は「どこにでもある」「遍在」という意味のラテン語で、神はあらゆるところに現れる、

というような場合につかわれたらしい。

その神のようにコンピューターが「遍在」する状態がユビキタスだ。

 たとえば食品一つひとつに超小型コンピューターを埋め込む。そして自分の「個人情報」を持ち運ばせる。

家庭で冷蔵庫に詰め込まれても、生産地はどこ、賞味期限はいつ、などが一瞬にしてわかる。

「この魚は湯引きしてお使い下さい」などの指示を内蔵することもできるだろう。

 外出先から自宅の「物たち」に命令することもできる。

さらに「物たち」が自分の判断で電源を入れたり消したりすることも可能になるという。

「時空自在」という言い換えは、そうした便利さを考えてのことだろう。

 「超利便社会」到来なのか、「超管理社会」への道と見るのか。

実現はそう遠くないともいわれるユビキタス社会については見解が分かれる。

「技術開発は急ぎ、社会への適合はゆっくりと」とは推進者の一人、坂村健東大教授の意見だ。

 それでも最悪事態を想像してしまうのは悪い癖か。

人間一人ひとりにまで超小型コンピューターが埋め込まれるような未来だけはご免被りたい、と。






私の故郷といえる町はプルトニウム爆弾が
一閃したとき消えうせてしまったのだ」。




8月9日の天声人語より



 長崎に来ている。東方にある台風10号の強さを思わせるように、突風とたたきつける雨が断続的に続いた。

爆心地に近い市立銭座(ぜんざ)小学校の体育館では、きょう学校ごとに開かれる平和祈念集会の準備が進んでいた。

 この学校が銭座国民学校と呼ばれていた44年、後に「草のつるぎ」で芥川賞を受賞する野呂邦暢(のろくにのぶ)が入学した。

翌年春、父が応召し、彼は20キロほど離れた諌早の母親の実家へ移った。そして8月9日が来る。

 雲一つない天気だった。彼は友達と公園へセミとりに出かける。

「長崎の方角にまばゆい光がひらめくのを見た。やがて空が暗くなり血を流したような夕焼けがひろがった。

夜に入っても長崎の空は明るかった」。少年時代の入り口で、終末的世界とでもいうような破局を目撃したと、

野呂は記す(『王国そして地図』集英社)。


 机を並べていた友も、先生も町並みも消滅する。それを目撃していた自分。

この幼い日の、とてつもない喪失感を抱いて、野呂は成長する。

「本当の意味で私の故郷といえる町はプルトニウム爆弾が一閃したとき消えうせてしまったのだ」。

 被爆当時の銭座国民学校の階段の一部が、原爆資料館にある。

爆風で飛び散ったガラス片が、コンクリートの階段にめり込んでいる。

それを見ながら、諌早図書館の郷土作家のコーナーでは、

野呂を「言葉による優れた風景画家」と紹介していたのを思い起こした。

 諌早の自然を詩情豊かに描き、42歳で早世した野呂。

その心には、あの過酷な体験が、ガラス片のように、めり込んでいたのかもしれない。



現在イラク戦争で劣化ウラン弾の話はアメリカ兵にも被害が出ているとの報道もある。長崎の話は遠い昔の話ではない。

イラクの子供達が今も白血病などの癌で亡くなっている。プルトニュムの放射線被害である。

イラク戦争前 湾岸戦争時代から被害の大きさが指摘されていても,今回のイラク戦争でもかなり使用されている。

民主主義の国家の文明人なのか人の痛みのも解することの出来ない世界で一番の野蛮人なのか分らない。

テレビで見る限りブッシュは格好のよい姿をして,イラク戦争の正しさは歴史が証明すると話している。




12歳の少年が4歳の幼稚園児を
連れ歩いたという経路を、先日たどった。




8月10日の天声人語より


 長崎で、12歳の少年が補導されて1カ月たった。

少年が4歳の幼稚園児を連れ歩いたという経路を、先日たどった。

 浦上天主堂がそびえ立つ丘の下にある家電量販店を出て、路面電車の停留所に向かう。

巨大な四角い工場のような量販店とは対照的な、古びた電車が来る。

「昭和二十八年製造」とある、半世紀も走ってきた風格ある車両に乗り合わせた。

 原爆の爆心地のそばを通り、長崎港や出島の脇を走って繁華街へ。30分近くかかった。

狭い電車の中では、客同士、目を近くに感じる。ふたりは、どうしていたのだろうか。

 アーケード街に入る。ふたりを写したらしい防犯カメラがそこここにあり、その先のパチンコ店にもあった。

犯行現場の立体駐車場の下の道に出たが、祭壇も供えの品々もない。

台風接近のため、市が一時撤去、保管していた。

 お願いして、そこに残された数十の言葉の束を見せてもらう。幼い文字や、若い筆跡に、パソコン印刷のもある。

多いのは「悲しい」「二度と」「ご冥福を」「天国で」「忘れません」。

駿ちゃんを悼みつつ、自らの心をも鎮めたいという願いが伝わってくる。


 駐車場を見上げていると、「透明な存在」という言葉が浮かんできた。

あの酒鬼薔薇のというよりも、文字通りの透明である。

 あの日、ふたりの周りに人の目は少なくなかった。カメラにも写っていた。

残念なことに、その目や装置をとおり抜けるかのように事件は起きた。

そして大都会の途方もない匿名の海ではなく、古さや程良さの残る街で起きたことも重苦しさを募らせる。



とんでもない事件が12歳の少年が起こしている。何が原因なのか。

荒んだ風潮の一端にはアメリカ流教育の弊害が出てきているともいえる。




カリフォルニア州の知事選は、
俳優のシュワルツェネッガー氏が立候補した




8月12日の天声人語より



 これは政治なのか、エンターテインメントなのか。

現実の世界のことなのか、虚構が紛れ込んできたのか。

そんな思いを抱かせる政治ショーが米国で幕を開けた。

 カリフォルニア州の知事選は、俳優のシュワルツェネッガー氏が立候補したことで

通常の選挙の枠には収まりそうになくなった。

かつてのボディービルの世界チャンピオンで、いまや世界的な人気スターの登場とあって、

現地は「街にサーカスがやってきた」のお祭り騒ぎらしい。

 巨額の財政赤字を抱えて不人気の民主党現職知事に対するリコール投票とともに10月に実施される。

ブッシュ大統領は「彼はいい知事になるだろう」と勇み足気味の発言をした。

常にタフな大統領を演出しようとする氏が「ターミネーター」には、一目置かざるをえないのはわかるにしても。

 主役人気にあやかろうとしてか、多数、多彩な人たちが届け出をした。

「99セントショップ」の支援を得て立候補した100歳の女性もいれば、

「孫たちに『おじいちゃんはカリフォルニア知事選に立候補した』と言わせたい」というだけで立候補した警察官もいる。

地元紙などが様々伝えている。

 シュワルツェネッガー氏に戻れば、俳優としては高名だが、政治家としては「いったい何者?」である。

もちろん銀幕の不死身ぶりが知事としての能力にはつながらない。

虚構と現実とをどこまで区分けできるか。「究極の政治ショー」ともいえる選挙の注目点だ。

 ショーの好きなお国柄だが「ショーほどすてきな商売はない」と浮かれてばかりもいられない。




「一番を選ばない生き方」をした人たちだ。




8月13日の天声人語より



 1番になりなさい。そう言って激励する話はよく聞く。あるいは、鶏口となるも牛後となるなかれ。

つまり大きな集団の後ろをついていくよりは、たとえ小さな集団でもトップになった方がいい、とも。

 そんな「1番志向」の序列社会に、プロ野球の川相昌弘選手がささやかな反撃を見せてくれた。

地味な2番打者の役割をアピールした。

自分が犠牲になって走者を進塁させるバントの名手で、大リーグの犠打記録に並んだのだ。

 去年亡くなった千葉茂さんは最強の2番打者といわれたこともある。

背番号3の二塁手で、巨人黄金期を築いた一人だ。

しかし同時期、打撃の神様といわれた川上哲治さんがいては地味な存在にとどまらざるをえない。

背番号3も長嶋茂雄さんに譲って、忘れられがちな晩年を送った。

 ドイツ文学者池内紀さんの近著『二列目の人生 隠れた異才たち』(晶文社)は、

華やかな名声とは無縁だったが、異能を携え独自の人生を歩んだ人たち16人の足跡を追っている。

「一番を選ばない生き方」をした人たちだ。

 スポーツ選手では、水泳の橋爪四郎さんが登場する。

「フジヤマのトビウオ」と世界が目をみはった古橋広之進さんに寄り添うように泳いできた。

世界記録を出したこともあるが、注目は常に古橋さんに集まった。

故郷にも彼を顕彰するようなものはほとんどない。

 池内さんは「あとがき」に記す。「世評といったことへのこだわりから遠い人たちである。

ほかに心を満たすことがあって、世才にまでまわらない」。「1番」では味わえない人生である。



一番だけではない誰もが主人公の人生がこの世の真実である。





アフリカ西海岸のリベリア共和国は、
皮肉な運命をたどった国である。




8月14日の天声人語より



 アフリカ西海岸のリベリア共和国は、皮肉な運命をたどった国である。

アメリカの奴隷制度を脱したアフリカ系の人々が新天地を求めて移住したのが始まりだ。

建国は1847年で、国名はずばり「自由・解放」を意味する。

 アフリカ西海岸は奴隷貿易の拠点だった。

奴隷として新大陸に送り込まれたアフリカ人は1千万人とも2千万人ともいわれる。

最盛期の18世紀末には総貿易額の3分の2を占めるほどだった。

その「奴隷」たちが19世紀初めごろから理解者の支援を得て、故郷のアフリカへ続々とUターンした。

 新しい土地では家も街もアメリカ風につくられた。英語を話し、通貨もドルである。

英国から新大陸アメリカへ移住した人々が、母国をなぞって国づくりをしたのと同じような経過をたどった。

 大きな皮肉は、人口でいえばごく少数派の「アメリカ系アフリカ人」つまり移住者とその子孫たちが

政治の実権を握り、多数派の先住民は疎外され続けたことだった。

 もう一つの皮肉は、130年ほど続いた権力の独占が80年、クーデターによっていったん崩壊すると同時に、

部族間抗争などの混乱が始まったことだろう。

断続的な内戦で難民、犠牲者は増え続けた。

97年、アメリカ系アフリカ人のテーラー氏が大統領に就任するとともに、内戦は激しさを増した。

 11日、テーラー大統領は退陣、亡命した。

これで混乱が収まるかどうかは予断を許さない。

奴隷貿易以来のアフリカの苦難の歴史を思い浮かべつつ、

遠い国のこととして無関心を決め込むわけにはいかないと思った。



ブッシュはリベリア共和国へ訪れはしたが,イラクのようにまとまった軍隊は派遣しないようだ。

はじめから独裁政権かおろうが虐殺行為があろうが,利益にならないとみたら放置しておくだけである。

貧しいもの虐げられた人弱い人汚いものにもともと関心の薄い人物で,イラクとは全く事情が違う。




天皇のポツダム宣言受諾のラジオ放送
58年前の8月15日へと思いを致す。




8月15日の天声人語より


 天皇のポツダム宣言受諾のラジオ放送を聞いて、多くの人が日記などに記した。

58年前の8月15日へと思いを致す。

 「ああついに終った。終った。戦争も、何も彼も、終ったのだ。

終ったのだ」(平林たい子・講談社『八月十五日の日記』)。

「熱涙垂れて止まず。この滂沱の涙はどう云ふ涙かと云ふ事を、自分で考へる事が出来なかつた」(内田百けん・同)。

 女優の高峰秀子は、千葉県内の航空隊を慰問していた。ラジオの前に整列した隊員と共に聞く。

夕方、宿の屋根すれすれに飛ぶ飛行機から「徹底抗戦、われわれは死ぬまで闘ふ!」というビラがまかれた。

深夜、爆音を残してあとからあとから海の方へ消えてゆく飛行機に、絶望的な「自爆」を感じていた。

(朝日文庫『わたしの渡世日記』)。

 寺山修司は青森の国民学校の3年だった。焼け跡で放送を聞く。

「つかまえたばかりの唖蝉を、汗ばんだ手にぎゅっとにぎりしめていたが、苦しそうにあえぐ蝉の息づかいが、

私の心臓にまでずきずきと、ひびいてきた」(日本図書センター『作家の自伝』)


 俳人、歌人もその日をうたった。

〈新しき猿又ほしや百日紅 渡辺白泉〉

〈あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ 土岐善麿〉。

 長い年月が流れた。

しかし、例えば日本や中国での旧日本軍の化学兵器による被害のようなことが、いまだに起こる。

心と体に残された古い傷のうずく人々も、国の内外に多い。

取り返しのつかないことをなすに至った過去の道を、今と未来のために省みる日である。



アメリカは戦争に勝つことにより好戦国こくになり,日本は負ける事によって平和を強く求める国になった。

どれだけ負けて幸せかを心に銘じよう。




アフガニスタンからの流出文化財



8月16日の天声人語より


 「主張する」あるいは「呼びかける」展覧会とでも言えばよいだろうか。

「流出文化財を守れ――アフガニスタンそしてイラク展」を見た(東京・日本橋三越で24日まで。

以後大阪、広島、福岡などを巡回)

 副題に「平山郁夫からの緊急アピール」とある。

戦争などで失われる文物を「文化財難民」と呼ぶ平山画伯の「両国難民」を救おうとの願いが込められている。

日本国内で集められたアフガニスタンからの流出文化財や、画伯の両国での絵が並ぶ。

 1個の大理石の足、正確には、後ろ半分が欠けた左足首に引き寄せられた。

紀元前3世紀の「ゼウス神像左足」とある。アフガニスタン北部のアイ・ハヌム遺跡で68年に発掘された。

欠ける前の足の大きさは50センチ前後だったらしく、ゼウス像は3〜4メートルにもなるかという。

その姿を想像しながら見ていると、足に刻まれた幾筋ものひびや力強い指の造形に、悠久の時が宿っているように思われた。

 アレクサンドロス大王がアジアにもたらしたヘレニズムの精華で、カブール博物館の宝だったが、内戦で行方不明となった。

3年前に日本の古美術商が買い取り、ユネスコに寄贈、今は流出文化財保護日本委員会が保管している。

 展覧会の図録に、前田耕作・和光大名誉教授が書いていた。

「左足が、ふたたび生地アフガニスタンに戻ったとき、私たちは、『難民』たちの母なる山多き国アフガニスタンに

平和が根付いたなによりの証しとするだろう」

 さまよえる左足が「文明の十字路」の土を踏みしめる時が早く来るようにと祈りたい。


戦争が昔アジアから今イスラム圏に軸足が移って来ているようだ。大国のエゴによる犠牲なのか。




アイルランド共和軍(IRA)のテロで亡くなった
24歳の青年が「ぼくが死んだときに開封してください」と




8月28日の天声人語より


 だれがつくったのかわからない一編の短い詩が欧米や日本で静かに広がっている。

愛する人を亡くした人が読んで涙し、また慰めを得る。そんな詩である。

 英国では95年、BBCが放送して大きな反響を呼んだ。

アイルランド共和軍(IRA)のテロで亡くなった24歳の青年が「ぼくが死んだときに開封してください」と

両親に託していた封筒に、その詩が残されていた。

 米国では去年の9月11日、前年の同時多発テロで亡くなった父親をしのんで11歳の少女が朗読した。

米紙によるとすでに77年、映画監督ハワード・ホークスの葬儀で俳優のジョン・ウェインが朗読したという。

87年、女優マリリン・モンローの25回忌にも朗読されたらしい。

 日本では、95年に『あとに残された人へ 1000の風』(三五館)として出版された。

最近では、作家で作詞・作曲家の新井満さんが曲をつけて、自分で歌うCD「千の風になって」を制作した。

私家盤で、友人らに配っている。新井訳の1、2番を紹介する。

 「私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません

/千の風に/千の風になって/あの大きな空を/吹きわたっています」

「秋には光になって 畑にふりそそぐ/冬はダイヤのように きらめく雪になる/

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる/夜は星になって あなたを見守る」


 作者をめぐっては、19世紀末、米国に渡った英国人、30年代の米国人、米国先住民の伝承など諸説ある。

いつどこで生まれたのかわからない、風のような詩だ。



よい詩はいつまでも人々のこころを打つものである。一度CDで歌をも聴いてみたいものである。




2人の世界のあまりの隔たりに目まいがするほどだ



8月29日の天声人語より


 6月の最終弁論で弁護人は金子みすゞの詩「木」を紹介して付属池田小事件の宅間守被告に語りかけた。

「お花が散って、実が熟れて、その実が落ちて、葉が落ちて、それから芽が出て、花が咲く」。

そして「君は花が咲く前の芽を摘んでしまったのだ」と。

 あらゆる命へのいとおしさを表現し続けた詩人と、

小さな命を無残にも奪ったうえ「死ぬことは、びびっていません」と開き直る宅間被告と。

2人の世界のあまりの隔たりに目まいがするほどだ。きのうの判決公判でも、被告は謝罪の態度を見せなかった。

 事件の朝、2年生の本郷優希ちゃんはいつものように目玉焼きとこんがり焼いたトースト、

冷たい紅茶など好物の朝食をとって元気に出かけた。

その死を、両親は容易に受け入れることはできない。

その後の苦しみは、母の由美子さんがつづった手記『虹とひまわりの娘』(講談社)に詳しい。

 即死だと聞いていた。

優希ちゃんが廊下まで歩いていって倒れたと知ったときは言葉では言い表せないショックを受けた。

娘が味わっただろう恐怖、絶望、苦痛に胸が張り裂ける思いをした。

廊下に残る乾いた血だまりに横たわって添い寝をした。

月命日ごとに学校へ出かけ、血だまりに話しかけた。

 凶行を思い出させる包丁が持てない。

小学生の女の子を見ると背中に包丁が突き刺さっている。悪夢と現実とが入り交じる日々が長く続いた。

 時間とともに苦しみは少しはやわらぐかもしれない。

しかし悲哀の感情が消えることはあるまい。遺族の方々の悲しみの深さを改めて思う。



何故次から次へと凶悪な犯罪がつつくのだろうか。「修身」とか「宗教」などの教育を拒んできた戦後教育の結果が

今ごろに現れてきたのか。考えさせられる時期にきているように思う。




平凡に生きて、人間の素直な気持ちを深くうたう、
それが僕の『人間探求』だと思い


8月30日の天声人語より


 最近の言葉から。「『生きる・死ぬ』ということと『いる・いない』ということは、ほとんど同じだと思われるけど、

僕は違うと言いはりたい。

ただ物理的に『ある』というだけじゃない、別の『あり方』が存在することを考えたかった」と作家の保坂和志さん。

 「戦争のことは、僕は何度でも言う」「ボルネオへ移り、ジャングルの中を行軍して1万人以上がマラリアや飢えで死んでいった。

……みんな戦闘以外で死んだんだ。

だから帰ってきたら、平凡に生きて、人間の素直な気持ちを深くうたう、それが僕の『人間探求』だと思い、

そうやってきた」と俳人の森澄雄さん。

 学生らとNPO「昭和の記憶」をつくって、お年寄りの聞き取りを始めた盛池雄歩(せいけゆうほ)さんは

「今の若い人は自己主張しろとは教育されても、人の話を聞き出すトレーニングの経験はない。

時々迷走する昔話にも辛抱強く耳を傾ける。その姿勢は生きる上で大きな力になる」。

 亡くなった劇作家岸田理生(りお)さんを「あんなにゆっくり話す人をほかに知らない。

一言一言確かめながら、意に染まぬ言葉では決して自分を語らない。

劇作家としての矜持(きょうじ)のように思えた」と言うのは劇作家の永井愛さん。

 「殺すな/武力で平和は創(つく)れない」のポスターを掲げて土曜の夜、東京の新宿西口に立つ大木晴子さんは

通行人の無関心にもかかわらず「一瞥(いちべつ)するだけの人にも、私たちのメッセージは伝わるはず」

 アフガニスタン空爆で両親を失い、自分も地雷で左足のひざ下を失った13歳のサルダール君は「戦争の結論は私の足です」。



戦争はなんとしても,どんな理由があろうとも,正当化される戦争は何一つない。平和こそが,命を大切にしていきることこそが

最大の人間の幸福である。世界の中で六割の軍事力を持つような超大国が有る限り地球上には平和はやってこない。

国連機構の充実と 国際司法制度の徹底的な実施が現実になってくれば,世界の人たちに希望が訪れる。

人類のやろうとする理想は理解できても,各国のエゴで実施されず,戦争が絶えないのが今の現実である。



の間の米軍の死者は、
開戦から宣言までの「戦闘中」の
138人を超えてしまった。

 この異様な占領状態のバグダッドなどを見て、


8月31日の天声人語より


 ブッシュ大統領の「大規模戦闘終結宣言」から4カ月になる。

この間の米軍の死者は、開戦から宣言までの「戦闘中」の138人を超えてしまった。

 この異様な占領状態のバグダッドなどを見て、

日本国際ボランティアセンターの熊岡路矢代表が数日前に帰国した。

国連へのテロの直後で、爆発などへの恐怖は常にあった。

しかしそれより、
警備の米兵に平静さが失われているのではないかと気になったという。

「何かのきっかけで過剰反応しないかと不安でした」


 センターでは、イラクの子どもたちと、絵やメッセージの交換を通じた交流を続けている。

活動は、新刊の『子どもたちのイラク』(岩波ブックレット)に詳しい。その筆者で、

センターの中東担当の佐藤真紀さんがバグダッドの国連児童基金(ユニセフ)を訪れたのは、7月下旬だった。

 略奪で荒らされた児童館「シンドバッド子どもクラブ」の早期修復を、ユニセフの担当者で顔なじみのクリスさんに頼んだ。児

童館が再開されないので、いまだに盗賊が侵入する。

守衛の子どもが賊に殴り殺された。そう聞いて、クリスさんは「我々が責任を持って補修します」と約束したという。

 そして8月19日、国連現地本部が爆破された。

死者の中に、クリスさんことクリストファー・クライン・ビークマンさんの名があった。32歳だった。

「私たちと同じような視点で子どもたちと接しているなと、親しみを感じさせてくれる人でした」と佐藤さんは悼む。

 モスクでも爆弾テロが起きた。軍人以外の命も、日々失われている。



イラクでテロが続いて,膨大な戦費に多くのアメリカ軍の死者が続くようならば,ベトナム戦争のようにアメリカはイラクから

撤退するであろう。でも兵器産業は既に目的を充分に遂げている。アメリカが撤退したからとて戦争が止むとは思わない。

再び兵器の在庫が増えてきた頃に再び戦争は起こされる。

厳しい兵器生産の制限がなければ必ず再び戦争は何回でも繰り返される。戦争の理由は後からいくらでもついてくる。


電気漏れ


ある日いきなりに自宅へ関西電力の方が訪問し電気が漏れているかどうか調べたいと話す。理由を聞くと,前の電柱で電気の漏れが

あるとのある会社から電気漏れの申告があったので調べたいとの話だった。だったらその電柱は何処へ送電しているかと尋ねた所

何箇所のところを名前を挙げたので,まずそちらを調べてから来るように話す。大きな電柱に登る為のトラックとその他二人全員で三人で

来ている。暫く電柱に登り調べていたのが,結局にある会社が申告したところからは電気が漏れを示す兆候か゛なかったとして帰って行った。

不思議に思うのは個人の家庭に訪問する前,何故に指摘されている所の箇所に本当の電気漏れがあったかどうか,個人に迷惑かける前に

何箇所か勝手に調べられる所から調査して,その後,初めて訪問するべきでなかったか。それが礼儀というものである。

いきなり訪問されるとなると,いつもの嫌がらせかとかんぐりたくなる。訪問した関電の方の名前も,ある会社の申請した書類もコピさしてもらっている。

まだある。以前にも消防署の方が見え火事の時に消防するために家の間取りを示した図面を見せて欲しいと話してくる。

建ててから日が経っていたので,図面はどこにあるか分らないと話す。本当の消防署の身分証明書を示しているので本当の消防署の方だと思う。

常識的に考え家の間取り図面を見ながら消防活動するとは考えられない。本当の火事になれば間どりなんか見ながら

消防するかといった悠長なことはしていられない筈だ。第一にそのような図面をば探すだけでも時間がかかる。

不審なことがあれば全部書くつもりなので,7月に書いたように泣き寝入りだけはしたくないつもりでいる。



政治と日常生活

政治と日常生活は密接な関係にある。大きな所として誰が総理大臣になるかによって,社会全体の動きがきまる。

これについては毎回書いている。世界の流れとも関係してくる。

身近なこととしては誰が知事になり 市長になるかによって生活が変る。

もっと身近なこととし個人とその京都府 京都市と如何に拘わりがあるかである。

それら行政府との間には地方政治家がいる。身近にみられる政治家には家庭の世話を売りにして活躍している人もみかける。

こうなると本来の政治活動とはかけ離れた事をしている。大体日本の地方政治家はそんな人たちが多いのではないか。

世話をすることにより選挙の時に一票をとうじてもらう。本来の政治活動そのものとは違っている。

99%以上知らないもの同士が住んでいる世の中で,嫌がらせするような人は身近な人から発していることは真違いない。

存在すら知らない人から嫌がらせは起きっこない。そういった意味で知った人の中で人柄の悪い人との接触は注意したほうがよい。

でも初めからはよい人とか悪い人とは区別はわからない。悪い人ほどよい人のように振る舞い見せかけてくる。

何か事があつてからこんな人だったのかと始めてきずくのが普通である。

裏の政治を自慢するような人にはまず近ずかない方が良いと思っている。

政治で特別に良くしてもらおうとは考えていないが,少なくとも嫌がらせだけはされたくない気持でいる。



全ては一回きり



自分の人生も他の人の人生も全ての人が一回きりの人生を歩んで゛きている。比較はありえない。

絶対的なものである。第二次大戦に遭遇した人生だったが,それも自分が選んで戦争体験をしたものではない。

人生の中で自己の選択できたことも沢山はあった。選択したものがそれが他のものと良かったかどうかは

比較できない。近い例として小泉首相に日本の首相であったのがよかったかどうかも比較が出来ないから

平気で今でも首相が務められている.もし比較するものがあれば選択は容易なものになっている。

品物のように二つ並べてどちらが良いか決めることはできる。首相を決めるのは始めは人物だがら決めや易い。

どのような体験を首相から強いられるかは経験してみないとわからない。良いようなことを言って嘘つく政治家は多い。

だが体験は一回きりだから嘘でだまされても後へはもどることは出来ない。

人柄を見て多分そうなるだろうという事だけできめるしか仕方がない。

今回自民党総裁選挙で三人が対立候補として小泉首相と四人で争われている。

誰が良いか,少なくとも小泉首相はタカ派であることは間違いない。体験からして弱者切り捨て御免の思い切ったことを

する人であることはわかつて来ている。後の三人はどのような人かは分らない。少しずつ三人が首相になってもらい国民に

どんな政治をするかを体験さしてもらうとありがたいと思うのだが,人生は一回きりで後戻りはありえない。

余程しっかりと自民党員の皆さん総裁選びを慎重を期してほしいものである。

自分の利益のみでなく,国民全体のことを世界全体の事をよーく考え選んでください。




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