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随想
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九月は秋
九月の前半は暑かった。九月なのに夏を思わすような猛暑の日も有った。七月の冷夏を考えると今年は
一ヶ月遅れて夏が過ぎていったように思える。。
異常気象である。地球温暖化のせいだったかどうか。大きな台風はなかつたが韓国に上陸している。
東北地方に地震があり,十勝沖地震と名ずけられた。
その間自民党の四人の候補よる総裁選挙があったが,派閥と利権が絡み合った
複雑な選挙に終わっている。これはあくまでのコップの中の嵐でこれから衆議院が解散されて
11月9日投票の総選挙に向かい今までの小泉首相が押し進めてきた痛みを伴った改革にどれだけ
国民がどのような意思表示を示すかが試される。
二大政党による健全な政治が行われるかどうかの始まりである。
政治は政権を取り権力を握ったものがいかに強いかが自民党総裁選挙で政策が違っても
派閥を壊してでも飛びつく人が出てきた現象よりして民主主義とは名ばかりの民主国家日本である。
これはアメリカも同じことで,カネ 利権が大きく民意を歪めている。
今言われている民主主義とはカネと権力でもって票を買っているだけのことである。表面は民主主義の形を装っているが
ドロドロした部分は軍部支配の強権政治とそんなにもかわりがない。ブッシュの集金力をみれば歴然としている。
今回曲がりなりにも二大政党になった日本に自民党の小泉・安部体制の看板に如何に民主党の管・岡田が
挑戦するかである。
長年に戦後一貫した自民党支配による積年の矛盾が一挙に解消される機会の始まりである。
手先の構造改革でデフレ不況をもたらし国民に痛みを強いている。
真の改革は政権交代が頻繁に行われてこそ腐敗政治家 官僚が追放され
成熟した民主主義が実現するのではないかと考える。
各党のマニフェストによって大いに国民に信を問い,カネ 権力が幅を効かす世の中から決別した日本に
なって欲しいものである。地盤 看板を握って成長してきている二世 三世議員の多い日本ではカバンも
大きいから一挙には行くとは思えないが。今,悲観ばかりはしておられない。
終戦の頃
私達の年代,そしてそれ以前の者にとって戦争がどんなにか忌まわしいものであったかを身をもって体験してきている。
戦後一時、我が家の離れに軍人で部隊長をしていた家族一家が住んでおられた。
その家族からは戦争中は兵隊さん達が手伝いにきてくれ,食料も不自由しなく生活は良かったとの話を聞いている。
それは家族の方の話である。
当の部隊長だった方は戦争で手と足を負傷されており,歩いたりするのに不自由な身体になっておられた。
頑丈な体躯の持ち主で非常に優しい方である。
自分は生きている間から「仏の部隊長」と言われていたと豪快に笑いながら色々な話をして頂いた懐かしい思い出がある。
退屈されていたので将棋の相手になってもらった。
子どもながら当時は将棋が好きだったので少しは将棋に自信があった。
士官学校を出,陸軍大学を卒業されており深草の野砲連隊の部隊長をしておられる。
中国戦線を転戦し,その時の話をよく聞いたものである。
私が後に,開業して同じ野砲隊で将校だったという人を診察する機会があり
戦時中の話題になって部隊長をご存知有りますかとお尋ねした所,
当時は雲の上の人だったと話しておられたのが印象的である。
その将校の方も非常に心優しい方であつた。
こんな優しい人たちばかりの日本軍が何故に中国国内にて世間一般にいわれているような残虐行為をしたのかが分らず,
信じられない気持でいる。
一部の日本軍人達による仕業なのか,それとも戦争という極限状態は本来の人間性を喪失させてしまうのではないかと,
考えさせられる。
終戦の半年位前,集団疎開で家族と離れ,京都の西山の粟生野光明寺で生活していた。
自宅にいるときは食料に不自由せずお腹一杯に食べることができた。
だが疎開生活は一椀一菜で成長盛りの子どもには食べる絶対量が足りなかった。
いつもお腹がすいていて遊ぶことが少なくなり,座りながら「腹へったい(兵隊)さん,めしくうれんたい(九連隊)」と
仲間達と一緒になり先生たちに向かい叫んでいたことを憶えている。
蚤 虱に悩ませながらの生活で,終には栄養失調になった。
現在も覚えているが手の親指と人指しの両方の指をくるりと足首に廻すと十分に届いて尚且つ余りがあった。
どれだけ痩せ細っていたかが分る。一時,親達が心配し家庭に連れ戻され診察を受け,再び寮生活にもどった。
当時の自分自身はそんなに深刻さは感じていなかった。
集団生活の間で一番の記憶は近くの学校へ行き長い訓示を聞いている間に整列が乱れたとの理由で,
お前達は気合がたるんでいると寮に帰ってから横一列に並ばされ先生から順番に頬にピンタを受けた。
殴られた箇所が悪かったのか鼻血を出し一人で泣いていたことがある。
一緒に生活していた寮母さんから,こんな小さな子どもを殴つてと慰めて下さった。
その先生の名前も顔も今でも覚えている。
二十歳台の若い先生で,なにかと戦地で死んで行く特攻隊の兵隊のことを例に挙げ生徒達を教育されていた。
充分な食料もなくお腹がすいてどうして頑張りようがあろうか。
今考えてみると特攻隊で艦船に体当たりして死んでいった兵士達も,
又そのような教育を強いられていた学校の先生方も気の毒なことだと考える。
如何に戦争が人間を狂気に落とし入れるかということである。
一旦戦争への道へ転がり落ちてゆくと止まるところなく,
歯車は狂って戦争への道へ,ひた走りに走っていったのが第二次大戦勃発前の頃の状況である。
狂った歯車は一旦狂いだすと止めることは出来なくなる。
現在の世の中を見ていると有事法制が制定され,イラクに自衛隊派遣が決まり,
戦前の世の中になって来そうな気配を感ずる。
今のアメリカではないが戦争反対 反戦を唱えるだけで非国民とののしられ,
場合によると牢獄につながる世の中になってゆくのではないかと大変危惧する。
一番命の尊さを知っている医師という職業につき,
今どのような戦争であろうが戦争そのものは狂気を生み出すものなので絶対反対をとなえたい。
歴史を振り返れば全ての戦争は当時の為政者の都合だけで行われて来た。
理由は色々とあったが結局一番大きな被害を被って来たのはいつも一般の庶民だった。
(伏見医報に掲載)
自衛隊の中からも自国の専守防衛が基本の自衛隊を何故にイラクに派遣するのかの疑問の声が上がっている。
自衛隊を希望する人が少なくなり,そして自衛隊を辞める人が増えれば一定の年齢になれば徴兵制度で
自衛隊に強制的に入隊させられる制度が出来てくる可能性が十分に有りある。
今が軍国への道をストップさせる一番の機会である。
狂った歯車は一旦狂いだすと,とめどなく進み止めることは出来なくなる。
憲法改正?(改悪)の動きもその一つである。
数多く歌碑が建てられているのは、
『ゆうやけこやけ』である。
9月1日の天声人語より
「日本の童謡の中で、各地にもっとも数多く歌碑が建てられているのは、『ゆうやけこやけ』である。
(略)私が知っているだけでも13カ所にものぼる」(合田道人『童謡の謎3』)。
14基あるはずとした本もある。
そのうちの二つ、東京・荒川の第二日暮里小と、第三日暮里小の碑を訪ねた。
「ゆうやけこやけで ひがくれて」。かな書きの第二の碑は、せみ時雨の中にあり、
「山のお寺の鐘が鳴る」と漢字交じりの第三の方は桜の木陰にあった。
両校の青年教員だった中村雨紅が作詞したこの歌の楽譜が出版されたのは、80年前の夏だった。
そのひと月後の9月1日に、関東大震災が起こる。
おおかたの楽譜も燃えた。しかし、わずかに残った楽譜の周りに生まれた歌の輪が、大きく広がっていったという。
確かに、あの歌詞に、震災で失われた命への鎮魂や育った街、なじんだ景色への追想を込めることはできる。
崩れ、焼け落ちた街で、これは「自分たちの歌」なのだと信じた被災者が多くいたと合田さんは書く。
「素朴な歌だったからこそ胸に沁(し)みた」。
雨紅は、この詞がいつどこで出来たかをはっきりとは記していない。
生地の東京都八王子市や、長く教員生活を送った神奈川県厚木市の図書館が編んだ本には
「幼い頃から山国での、ああいう光景が心にしみ込んでいたのが(略)郷愁などの感傷も加わって……」とある。
それが、いつどこであってもいい。
手をつないで帰ってゆける所があるというさいわいと、それが失われるかなしみとを、歌は呼び起こしてくれている。
ひたすら前をにらんで走り続ける
若者2人である。
9月2日天声人語より
身長150センチという小柄な野口みずきさんが最後まで力強い走りで銀メダルを獲得した。
2、3、4位を日本選手が占めた世界陸上パリ大会の女子マラソンでは、野口さんの走法が印象的だった。
腕の振りが独特だ。左右の腕がちぐはぐな動きをしているように見えながら、
リズミカルに体全体の調子をとっていることがうかがえる。
腕の振りをはじめ、筋力トレーニングで鍛えた上半身が、彼女の力強い走法を支えているらしい。
男子200メートルで銅メダルという快挙を遂げた末続(すえつぐ)慎吾さんも、腕の振りに独特の感覚を導入している。
所属するミズノトラッククラブによれば、古武術から得た発想だそうだ。右足が前に出るのと同時に右腕も前に出す。
昔の日本では普通だったこの走り方を、練習に取り入れた。
実際に競技でそうするのではなく、腕の力を入れるタイミングをはかるのに利用している。
高校のときの走り幅跳びでは、裸足で軽く7メートルを超えたという末続さんはバネが素晴らしい。
走るときには、バネを上ではなくいかに前に向けるか。
腕の振りも大事だが、1日2千回の腹筋運動で鍛える。ぎりぎりの前傾姿勢をとるためである。
速く走る。そのためには脚力を鍛えるだけではだめだということを2人は教える。
一見無用とも思える練習もしなければならない。それに耐える強い気持ちも必要だ。
「周囲に期待されるほど力が出る」という末続さん、「いやなことも、プラスに考える。くよくよしない」という野口さん。
ひたすら前をにらんで走り続ける若者2人である。
静岡県の野猿公園で
ボスザルの交代劇があった。
9月3日の天声人語より
静岡県の野猿公園「波勝崎(はがちざき)苑」でこの夏、ボスザルの交代劇があった。
序列2位と4位のサルがボスを追放したそうだ。
ここのボス交代は現実の政変と連動することが多かったとか。波乱の予兆なのかどうか。
サルの世界にも政権交代の方式がいろいろある。終身制で知られるのは宮崎県の幸島(こうじま)だ。
99年、人間なら90歳を超える高齢のボスザルのノソが姿を消した。衰弱死したと見られる。
序列2位のケムシが繰り上がってボスになった。
これまで謀反が起きたこともあったが、いずれも失敗に終わり、穏やかな政権移譲が続いているそうだ。
約2千匹のサルをかかえる大分県の高崎山自然動物園では、
そう簡単にはいかない。ABCの三つの派閥にそれぞれボスがいる。
派閥の力関係によって餌にありつく順番も決まっている。
最大派閥を誇り、いつも最初に餌場に現れていたAが、当時は最小派閥だったCに追い落とされたのが10年ほど前だ。
Aのボスとナンバー2との折り合いが悪く、政権交代をめぐる内紛が起きたのが原因らしい。
その後遺症か、去年からAのサルたちは餌場にも現れなくなったという。
野生のサルにはボスはいないというのが最近の通説らしい。
野生の状態では餌が分散していることが多いからそれほど厳しい序列を必要としない。
しかし餌付けされたサルの場合、特定の場所に限られた餌しか与えられないから序列が必要とされるのだろう。
限られた利権やポストをめぐって権力闘争を繰り広げる人間社会と、餌付けされたサルの集団と。確かに似ている。
「いつでもどこでも」人に連絡したり、
必要な品を手に入れたりすることができる。
9月4日の天声人語より
海外旅行をしていて急に不安を覚えるときがある。
冷蔵庫もないホテルで、夜中にのどが渇いたり、空腹感が募ってきたりしたときだ。
何もないと思うとよけいに渇きや空腹が切実になる。そんなとき、街にはコンビニもないのだ。
コンビニ大手のセブン−イレブンの国内店舗が1万を突破した。
業界全体では4万を超える。全国2万5千の郵便局の2倍に迫ろうとしている。
これだけの数の店の多くが24時間、こうこうと照明をつけ、客を待ち受けている。
名前の通り、確かに便利である。
しかし、便利さと引き換えに何かを失いつつあるのではないだろうかと不安になるときもある。
料理の手間を省いてくれる。買い置きの算段をしなくていい。空腹などの我慢を強いられることもない。
その便利さに安住していいのだろうか、と。
携帯電話やインターネットの普及とあわせて考えると、
時間や空間に対する考え方がいま大きく変わりつつあるのではないかとの思いも強まる。
「いつでもどこでも」人に連絡したり、必要な品を手に入れたりすることができる。
時間には区切りがなく、空間には仕切りのない世界、そして「隔たり」の感覚が薄れていく世界である。
「喪失の喪失」を言われたときがあった。
「何かがない」という喪失の感覚を喪失した豊かで便利な時代についての形容である。
携帯電話やコンビニに依存する日々を送りながら、せめて「喪失」への感覚は失わないでいたい。
朝日歌壇にこんな短歌があった。〈古看板古い造りの豆腐屋は静かに孤高にコンビニへ向く〉
国会議事堂が落雷の被害に遭ったと
9月5日の天声人語より
「くわばら、くわばら」。昔の人は雷が鳴るとそう唱えて落雷の難を避けようとした。
菅原道真をめぐる伝説に由来するらしい。
左遷されて九州で悶死(もんし)した道真が雷神になって京都に襲来、次々と復讐(ふくしゅう)するが、
彼の領地桑原は落雷を免れた。その「桑原」にあやかった呪文だという説である。
3日夕から夜にかけて首都圏を襲った雷雨は激しかった。
バリバリという雷鳴に昔の人が、すさまじい怒りや怨念(おんねん)を感じ取ったのも無理ないと思わせる荒れ方だった。
国会議事堂が落雷の被害に遭ったとあっては「だれの怨念か」といったうわさ話も流れたに違いない。
小渕元首相の葬儀を思い出した人もいるだろう。
3年前、首相の葬列が官邸近くを通りかかったとき、雷鳴がとどろき官邸に落雷した。
三木元首相の言葉を思い出す人もいるかもしれない。
田中首相の退陣を受けて後継に決まったときの驚きを言い表した「青天の霹靂(へきれき)」である。
落雷の恐ろしさを見せつけたのは67年、北アルプスであった惨事だ。
集団登山をしていた長野県の松本深志高校の生徒が落雷に遭い、11人が死亡した。
その後も87年、高知県でサーフィンをしていた高校生ら6人が死亡するなど落雷事故は後を絶たない。
日本では、地形の関係からか栃木県や群馬県に雷が多いらしい。
世界では、なぜかアフリカのジンバブエに落雷被害が多く、年間150人ほどが犠牲になってきたそうだ。
被害を防ぐには、しっかりした建物や電車などに避難するのが一番だとか。
政界での怨念論などのうわさ話は、防ぐすべがない。
「この看板に石を投げないでください」
9月6日の天声人語より
看板にこう書かれていた。
「この看板に石を投げないでください」。何のための看板なのかと笑ってしまうか、じっと考え込むか。
冗談のようでもあるし、看板とは何かを根源的に問いかけているようにも見える。ある英国作家の経験である。
変な看板やポスター、注意書きなどを集めた英国の本が手元にある。
「週7日間営業(ただし月曜日を除く)」(ニューヨークのレストラン)。
「当店はあなたの衣服を機械では破りません。注意深く手仕事でします」(クリーニング店)。
「何でも修理できます」の下に小さく「ベルが故障しているのでドアを強くノックしてください」(修理業)。
プールに「おぼれることを固く禁じる」。あるいはプディングの容器に「あたためると熱くなります」。
チェーンソーの注意書きには「チェーンを手で止めないでください」。
自民党の看板を決める総裁選にあてはまりそうな文句もある。
たとえば、入り口に「選ばれた人のためのディスコ/だれでも歓迎」。
小泉改革を「踏み絵」に支持者をしぼる構えを見せながら、
実際は抵抗勢力からの支持も喜んで受け入れる「だれでも歓迎」である。
睡眠薬の注意書きには「警告/眠気を催すかもしれません」。
これは「警告/改革するかもしれません」と言い換えられようか。
子ども向けのスーパーマンの衣装に「警告/この衣装で飛ぶことはできません」。
これは「警告/支持を装っても総選挙の当選は保証できません」と。
小泉首相の心境を推察すれば、「この看板に石を投げないでください」か。
時の強国が世界をひきずろうとする姿は、
それほど変わってはいない。
9月7日の天声人語より
人類初の世界一周航海がなされたのは、1522年の9月6日だった。
その日にちなみ、世界のニュースをたどっての一周を試みた。
マゼランにならい、西回りでアジア大陸へ向かう。
アフガニスタンのバーミヤン遺跡で、7世紀ごろのものらしい仏典の断片が見つかった。
タリバーンが破壊した遺跡の巨大な石像を、そのころに訪れた玄奘(三蔵法師)は、
金色に輝き、宝飾がきらきらしていると記した(『大唐西域記』東洋文庫)
さらに西のイラクでは「イラク・イスラム解放軍」を名乗る反米の武装組織幹部が語る。
組織は、5月の結成時から10倍になる一方で、米軍に協力するイラク人も10倍になった。
北を見れば、ポーランドのアウシュビッツの空を、イスラエル軍機が編隊飛行した。
「収容所跡は墓地であり、静かに犠牲者を思い起こす場所」と、収容所の記念館は反対していた。
ナチスの軍事力で踏みにじられた側による軍事力の誇示のようで、残念だ。
はるか西の、カリブの小さい島の国セントクリストファーネビスには世界最速男誕生。
パリで金メダルを取った日は、来年からは「キム・コリンズ記念日」となる。元首は英女王、公用語は英語という。
マゼラン自身は、一周の途上で戦死した。
3年かかって世界を一つに結んだが、植民地支配拡大の一つの契機にもなった。
500年近い時が流れ、世界の強国は入れ替わってきた。
しかし、時の強国が世界をひきずろうとする姿は、それほど変わってはいない。
短い「紙上世界一周」で、そんな思いも浮かんだ。
ベネチア国際映画祭
北野武監督が銀獅子賞(監督賞)を受けた。
9月8日の天声人語より
ベネチア国際映画祭で、「座頭市」の北野武監督が銀獅子賞(監督賞)を受けた。
2度目の金獅子は逃したが、金、銀と取るのは大変なことだろう。
「座頭市ってクサヤみたいなもんでさ」「プンプンにおうのをどう料理するか、考えたね」と、開幕前に語った。
受賞には「そんなずうずうしいことしちゃっていいのかな」。
この映画祭は、節目の60回を迎えた。
最初は1932年だが、中止もあり、回数と年数は合わない。
初期は、時のファシスト政権の色に染まっていて「ムソリーニ杯」が設けられた。
今では世界最大とされるカンヌ映画祭は、そもそも、政治的「ベネチア」に対抗して計画されたという。
その第1回は、39年9月の予定だった。
準備が整い、ゲーリー・クーパーらスターも顔をそろえた。
ところが開幕の1日、ドイツがポーランドに侵攻して世界大戦が始まり、1本を上映しただけで中止された
(『カンヌ映画祭の50年』アスペクト)。
昨日「座頭市」を見た。
上映30分前に着いたが、スクリーンのすぐ前しか空いていなかった。
そのせいか、殺陣の血しぶきを相当浴びた気分になった。
ギャグに笑いが起き、終わりには拍手もわいた。
「市は少し頬をゆがめた。そして、みんなはっと思った途端に、助五郎の前に立っていた酒徳利が、
ぱっと真っ二つに割れた。
稲妻のように閃いた刀はすでに鞘へ――。鍔鳴りだけがいつ迄も余韻をひいてそこに残っている」(『座頭市』中公文庫)。
子母沢寛の原作の味も残しつつ、監督のにおいプンプンに仕上がっていた。
日本をどう料理してゆくのかというレシピである。
9月9日の天声人語より
ロートレックが料理をしている絵がある。
パリの風俗を生き生きと描いたあの画家が、台所のオーブンの前で腕を振るっているさまを、友人が描いた。
1901年の9月9日に他界したロートレックは、料理好きだったことでも知られている。
よく手作りの料理を振る舞い、多くのレシピを残した。
死後に、友人の画商、ジョワイヤンが編集して出版された料理書には、独創的でうまそうな、
野趣に富んだ調理法が載っている。
巻末の「きわめつけ」という仮想メニューの一つには、「聖人の網焼き」などという過激なものまである。
「ヴァチカンの援助を得て、正真正銘の聖者をあなた自身で捕らえるようにしなさい」と始まる。
片面をあぶると、聖者は、もう片面も焼くように頼むはず、と続く(『ロートレックの料理法』美術公論社)。
冗談も、なかなかきつい。
自民党総裁選で優勢を伝えられる小泉さんが、政権公約を発表した。
いわば、日本をどう料理してゆくのかというレシピである。
普段の小泉さんの言動からは、こんなレシピを仮想していた。
「まず、抵抗勢力を丸揚げにしておきます。次に派閥と公団を別々にミキサーにかけて、ぶっこわします。
丸揚げと一緒にすれば『感動!の三位一体盛り』の出来上がり」
これは、画家の「きわめつけ」に触発された世界としても、もう少し説得力と躍動感のあるものを示すかと思っていた。
しかし昨日のレシピには、いつもの「勢い」もなかった。
国民にどんな料理を味わわせようとしているのかが、見えてこない。
小さなホワイトハウスから、
大きな「請求書」が発せられた。
9月10日の天声人語より
テレビでしか見たことのない人を実際に見た時、想像していたよりも小柄だと感じることがある。
人物ではないが、ワシントンで初めてホワイトハウスを見た時に、同じような印象を受けた。
もちろん堂々として、かつ優美な建物ではあるものの、大国の象徴としては小さく感じた。
同時多発テロの標的にならなかった理由の一つは、小さくて狙いにくいからとの見方を現地で聞いた覚えがある。
その小さなホワイトハウスから、大きな「請求書」が発せられた。
米国内には約10兆円の出費を要求し、日本や欧州、中東など「アフガン、イラクでの自由の勝利によって
恩恵を得る国」に対しては「貢献」を求めている。
世界のかなりの国々が疑義を示す中でイラク戦争を始めたのに、
占領がおぼつかないと巨額の請求をし、取り立てを予告する。
欧米のメディアでは「見通しが楽観的過ぎた」「ブッシュ大統領は大量破壊兵器から対テロ戦争に問題をすりかえた」などの
論評が目につく。この事態の根底には現政権の単独行動主義がある。
初代の大統領ワシントンは、退任を前にこう演説した。
「すべての国ぐににたいして信義と正義を守れ。
すべての国ぐにとの平和と調和との関係を育成せよ」「ある特定の国ぐににたいして永久的な深刻な反感をもち、
他の特定の国ぐににたいして熱情的な愛着をもってはならぬ」(『アメリカ大統領演説集』原書房)。
それから約200年。時代も、米国と世界の関係も激変した。
しかし、この「遺訓」には、時を超えて訴えてくるものが十分にある。
「死に際して『何も望まないという唯一の望み』」
9月11日の天声人語より
だれがつくったのかわからない詩「千の風」について先月、この欄で紹介した。
「私の墓の前で泣かないで」と呼びかけるこの詩をめぐって、読者から多くの便りをいただいた。
こんな詩もある、と別の詩を挙げる人もいた。
Hさんはイタリアの高名な劇作家ルイジ・ピランデルロ(1867〜1936)を思い浮かべたという。
この夏、彼の故郷シチリア島のアグリジェントを訪れ、
「死に際して『何も望まないという唯一の望み』」をつづった彼の詩などを教えられた。
「そのりんとした言葉の語る静謐(せいひつ)さ」は「千の風」と通い合うと思った、と。
Yさんは、ドイツ生まれのユダヤ系米国人サムエル・ウルマン(1840〜1924)の詩を思い浮かべた。
ウルマンの詩は米国より日本でよく知られている。とりわけ「年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる」とうたう「青春」がよく引かれる。
Yさんはウルマン最後の詩「なぜ涙を?」を挙げた。
「私が船出するとき/嘆きの涙は欲しくない/永遠(とわ)の国へ私を急がせる/嗚咽(おえつ)も溜息も欲しくない」と
始まる詩だ(作山宗久訳『青春とは、心の若さである。』角川文庫)。
そして彼はこう呼びかける。
「私のために このような言葉は言って欲しくない/彼の生命(いのち)の灯(ともしび)は消え 去っていったと
/ただ こう言って欲しい/彼は今日(きょう) 旅に出て 旅を続けていると」。
約3千人の人たちが、突然の「旅立ち」を強いられた同時多発テロから2年、
悲しみと日々向き合ってきた遺族の方々のことを思いつつ。
改めて悲劇の世紀だったと振り返る。
9月12日の天声人語より
その男が演説を始めた瞬間のことを彼女はこう回顧している。
「決して忘れられない黙示録的光景だった」「私は麻痺(まひ)させられた」。
演説するのはヒトラー、思い出を記すのは、101歳で8日死去したL・リーフェンシュタールである。
私の人生の過ちは真実を語り続けたこと、という彼女だけに、ヒトラーの放った異様な魅力を素直に認める。
その独裁者に依頼されて彼女が撮ったナチスの党大会やベルリン五輪の映画も異様な魅力をたたえていた。
彼女の死の翌日、「水爆の父」といわれる物理学者E・テラーが95歳で亡くなった。
ハンガリー生まれのユダヤ人でナチスの迫害を避けて米国に亡命、原爆や水爆開発に携わった。
ナチスに先を越されるな。米国で原爆開発に参加した科学者たちに共通の思いだった。
しかし最初の核実験に成功したときR・オッペンハイマーの心に浮かんだ言葉「いま私は死神になった。
世界の破壊者だ」もまた多くの科学者の思いであったろう(R・ローズ『原子爆弾の誕生』紀伊国屋書店)。
「ナチスの映画をつくったことは悔やむとしても、あの時代に生きたことを悔やむことはできない。
教えて、私に何の罪があるの」と訴えたリーフェンシュタール。
広島、長崎への原爆投下は誤りだったとしながら核兵器を含むハイテクがなければ
「スターリンが欧州を支配していただろう」と、核への信仰を捨てなかったテラー。
20世紀が生んだ二つの怪物、ナチスと核兵器。
それにかかわった芸術家と科学者の死に、改めて悲劇の世紀だったと振り返る。
爆弾を仕掛ける行為が
決して許されないのと同じ理である。
9月13日の天声人語より
「日本の政治の中では、『言葉』はいかにも孤独だ」。
国会議員時代を振り返った著書でしみじみと述懐するのは
石原慎太郎・東京都知事だ(『国家なる幻影』文芸春秋)。
このごろの知事の言葉は「孤独」というよりは「物騒」といった方がいいだろう。
外務省の外務審議官の自宅で爆発物のようなものが見つかった事件で「当たり前の話だ」などと語った。
きのうの記者会見で知事は釈明をした。爆弾を仕掛けることは「良いわけがない」。
しかし、そういう事態を招来して当然の外務省である。そんな趣旨だった。
国民の中にある外務省への不満や怒りの大きさを強調した。
その部分を「当たり前」と表現するのはいいとして、爆発物のようなものを仕掛けて
「脅迫」するのは断じて「当たり前」ではない。
両者の間の決定的な違いに、知事は少々無頓着のように思える。
犯人は「当たり前」発言をどう受け取ると思うか、との質問には「そこまで考えていなかった」。これは甘い。
知事の論法を頼りに犯人は「国民の怒りや不満を代弁しただけだ」と居直りかねないことがわからないのだろうか。
しばしば不遜(ふそん)にも見える石原知事だが、大の苦手があるようだ。
「私は何が嫌いといって蛾ほど嫌いなものがない。
部屋の中を飛び回る蛾を見てたちまち腰を浮かし悲鳴を上げる私を見て……」(『わが人生の時の人々』文芸春秋)。
石原知事の言動が気にくわないからといって、決して蛾(が)を送りつけたりしてはいけない。
爆弾を仕掛ける行為が決して許されないのと同じ理である。
自宅へ爆発物を送ること 仕掛けることは犯罪そのものである。弁明の余地はない。
歩いているだけで汗ばむ真夏の暑さだった
9月14日の天声人語より
セミ時雨とまではいかない。まばらながら生き残ったセミたちが、戻ってきた夏をむさぼるように鳴いていた。
13日の東京は、残暑というよりは、歩いているだけで汗ばむ真夏の暑さだった。新潟県では37度を超えた。
日本の最高気温は1933年7月、山形市で記録した40・8度だとされる。
当日、台風が温帯低気圧に変わりながら日本海を東北に進んだ。
そのために起きたフェーン現象が異常な高温をもたらしたらしい(倉嶋厚『暮らしの気象学』草思社)。
低気圧が南の湿った空気を引き寄せる。湿った空気が山を駆け上って水滴に変わるときに熱を発散する。
それが熱風になって山を下り、気温を引き上げる。
このフェーン現象を「風炎」と称することがあると倉嶋さんが書いていた。
まさにぴったりの表現だ。きのうの日本海側での高温は、この「風炎」によるものだった。
「ゆきあい」という言葉がある。ものごとが出あったり、交差したりすることをいうが、
季節の変わり目についてもいわれる。とりわけ夏から秋への移りゆきにつかわれることが多い。
夏の終わりにふと秋の気配が忍び寄る、そんな季節の交差である。
きのうの熱気は、秋を押しのけて居座ったかのようだった。
しかし夕方近くになって空を見上げると、夏の空とは違う様相を見せ始めた。
夏と秋との「ゆきあいの空」である。
中秋の名月のころには、青白い月に寄り添うように赤い火星が輝いていた。これも「ゆきあい」か。
〈娘子(をとめ)らに行きあひの早稲(わせ)を刈る時になりにけらしも萩の花咲く〉(万葉集)
あの世界の生臭さを改めて実感させられた。
9月15日の天声人語より
普通選挙法と治安維持法が成立した1925年に生まれた彼のこれまでの人生を、
順調だったといえるかどうかはわからない。
農家の長男に生まれ、いまでいうと高校を出て鉄道マンになった。
軍隊にとられ、高知県で敗戦を迎えた。19歳の青年は茫然(ぼうぜん)自失し、自決も考えた。
上官にさとされ思いとどまった。
知らないうちに教育され、戦争に突入してしまった民族性に恐怖を感じる、とは後の思いだ。
戦前の体験から、一色に束ねるということに生理的に反発するともいう。
「一色に束ねられた組織は、必ず間違いを起こす」と。
青年団運動から町議、町長を経て京都府議、副知事そして衆院議員に初当選したのは、57歳のときだった。
戦後の足跡は、必ずしもあの世代の平均像とはいえないかもしれない。
「引退宣言」をした元自民党幹事長の野中広務氏である。
著書の『私は闘う』(文芸春秋)などによる半生だ。
77歳にして「裏切られた」と声を震わせ、無念の表情をさらした政治家に、
あの世界の生臭さを改めて実感させられた。
失礼ながら滑稽(こっけい)にも哀れにも見えたが、一抹の寂しさも感じる。
日ごろ自分に野心はないといい、著書でも「欲があるから、好きなこと、正しいことが言えなくなる」と
言い聞かせる人の退場である。
政敵に対して「覚悟を決めてしまえば、少なくとも刺し違えるぐらいの勝負はできるだろう」とも記す。
今回はその「刺し違え」のつもりだったのか。
「七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」からは遠い、
77歳の「闘い」である。
民族分断の切なさと、
深いところでのつながりとを感じた。
9月17日の天声人語より
昨年の9月17日、あの「5人生存、8人死亡」の報が平壌から届いた。
国中の人々の驚きや憤りが重なり合い、共に震えながら列島に広がってゆくのを感じた。
そして今、もう一つの9月17日のことを思い起こす。
88年のその日、ソウル五輪が開幕するスタジアムに居た。
長く続いた軍政による韓国の暗いイメージを転換する願いも込められた五輪だった。
開会式は、民族色濃く、華やかだった。韓国は、世界の大舞台で力強くあでやかに舞った。
一方、スタジアムの北の、そう遠くない所にある国は沈黙していた。
前年に金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚らによる大韓航空機爆破事件があった。
韓国は、不参加とは分かりながら、北朝鮮の国旗と国歌のテープを準備していた。
民族分断の切なさと、深いところでのつながりとを感じた。
しかしそのときまでに、あれほど多くの日本人が拉致されていた。
昨年11月、横田めぐみさんの拉致から25年になる日に、新潟の犯行現場の辺りを歩いた。
めぐみさんの中学校から自宅のそばまでは、一本道だった。
その道をさらに行くと日本海に突き当たり、かなたには曽我ひとみさんの佐渡が見えた。
「人々の心、山、川、谷、皆温かく、美しく見えます。空も土地も木も私にささやく。
お帰りなさい。頑張ってきたね」。
曽我さんがふるさとへの列車で書き留めた言葉は、すべての被害者の思いだろう。
88年のあの日にも、スタジアムの北方に静まりかえって見えた峰の向こうで、
曽我さんたちが日本に帰る日を念じていたということを、改めて胸に刻んだ。
貿易を巡る対立は、
戦争の原因にもなってきた。
9月18日の天声人語より
古代の都市国家の時代から、物の通過や貿易には手数料や道路・港の使用料が課せられていた。
それはクストムスと呼ばれ、関税(customs)の語源となった(平凡社・世界大百科事典)。
関税など貿易の約束ごとを話し合う交渉が決裂した。
米国・欧州連合(EU)と、ブラジルなど団結した途上国が農業分野で激しく対立した。
「途上国と先進国は別の軌道上にいる。(途上国が)宇宙旅行を続けても成果は出ない。
取引するには地球に戻るべきだ」。こんなEU側の発言もあった。
メキシコでの世界貿易機関(WTO)閣僚会議では、南北間の対立が際立っていた。
貿易を巡る対立は、戦争の原因にもなってきた。
17世紀、フランスがオランダなどからの毛織物の関税を一挙に2倍以上に引き上げたことが、
仏蘭戦争の背景となった(『フランス史』山川出版社)。
第一次大戦後の保護貿易やブロック経済は第二次大戦の誘因になった。
この大きな反省から、戦後は世界でのルール作りが続いた。
日本が「一粒たりとも入れさせない」とコメの輸入を拒んだのも、今は昔のようだが、
今回も「コメ保護」の姿勢が批判された。
「一粒が一票に見える」状態が続いているのだろうか。
会議のあったカンクンでは、81年に南北サミットが開かれた。
メキシコがレーガン米大統領を引っ張り出し、22の先進、途上国の首脳が南北問題で対話した。
その地が、南北対立と決裂の場となった。
因縁を感じるが、今回の決裂は、新しい地球像へ至る道に課せられた「クストムス」と考えたい。
総裁選では、小泉首相が早々と勝利宣言
9月19日の天声人語より
「敗北の美学」というのもあるが、やはり「勝利の美酒」の味わいは格別である。
阪神タイガースファンは今週、18年ぶりの美酒に酔いしれたことだろう。
美酒にあずかろうとの流れが強まる総裁選では、小泉首相が早々と勝利宣言を出してしまった。
こちらは興ざめの感をぬぐえない。
かつて米国の大学でこんな実験が行われたことがある。
アルコール依存症の人たちと普通に酒をたしなむ人たちを、取り交ぜて二つのグループに分けた。
仮にAとBとする。Aには酒を与える、Bには炭酸水を与える、と伝える。
実際は、Aにも炭酸水だけのグラス、Bにも酒の入ったグラスを紛れ込ませる。
実験前の飲酒が禁じられていたため、禁断症状の震えを訴える人たちがいた。
飲み始めるとAでは震えがおさまった。Bではおさまらなかった。
その人が酒を飲んだかどうかとは無関係だったという。
また、Aの人たちの方がたくさん飲み、Bの方が少なかった。
何を飲んでいるかより、何を飲んでいると思っているか。
その心理面の影響の方が大きいとの結論だった。
状況次第では水でも酔うことができる。
確かに高揚するタイガースファンだったら、この間、水でも心地よく酔うことができたかもしれない。
政権発足当初からの小泉首相の言動にも、人々を酔わせるところがあった。
しかし、実はただの水に酔わされていたのではないかとの思いも強い。
「酔い」からさめた多くの人々は総裁選後の「美酒分配」を注視している。
仲間内だけでなく、国民にどれだけまわってくるのか、と。
あの国にとって、建国文書が
いわば「三種の神器」なのだ。
9月20日の天声人語より
ニクソン元大統領が側近に米国立公文書館に侵入するよう命じたことがあった。
ケネディら歴代民主党大統領のスキャンダルを探そうとした。企ては失敗だったらしい。
そんな誘惑に駆られるほど、公文書館には様々な資料が保存されている。
文書だけで80億枚以上といわれる。
侵入したとしても、簡単に探り当てられるような量ではない。
皮肉なことに、ニクソン大統領時代の録音テープを保存し、
彼のスキャンダルを折に触れて公表してきたのも公文書館だった。
研究者は別にして、ここを訪れる人の多くは、
独立宣言、憲法、権利の章典の原本がお目当てである。
2年間ほど修復のため留守にしていたが、先ごろ修復が終わった。
ブッシュ大統領らが出席して17日、式典が催された。
独立宣言などの建国文書について米紙が興味深い言い方をしている。
「米国は言葉によって、その存在を高らかに宣言した」「これらの文書がなければ、
この国は存在しなかったとさえいえよう」。
そして「言葉が大事なのだ」。文書を収めるケースは「神殿」と称されるらしい。
あの国にとって、建国文書がいわば「三種の神器」なのだ。
公文書館の入り口にはシェークスピアの言葉「What is past is prologue」が掲げられている。
演劇のせりふでいえば「ここまでが前口上」か。
「過去はプロローグ」と解すれば、
歴史の上に未来が築かれるの意で、いかにも歴史の番人、公文書館にふさわしい。
ブッシュ大統領も、米国史に「汚点」を残すまい、との思いを新たにしたのではないか。
そうだったら良いのに。
「自民党をぶっ壊す」はずの人が、
「全党一丸になって……」との号令を発し始めた。
9月21日の天声人語より
「自民党をぶっ壊す」はずの人が、「全党一丸になって……」との号令を発し始めた。
誕生のときとはずいぶん違う小泉総裁再選劇である。
当選あいさつや記者会見でも、得意の絶叫調でなく、慎重に言葉を選びながら語っていた。
振り返ってみれば、総裁は古典的な手法を使ってなかなか巧みな党内操作をしたのかもしれない。
「分断して統治する」。橋本派を追い込んだ手法である。そして「アメとムチ」。これは表には出ていない。
しかしまわりは勝手に判断して群がってくる。本人は「自発的な支持をいただいた」と言っていればいい。
分裂選挙になった橋本派内では、「毒まんじゅう」説まで飛び出した。
ひそかに総裁選後のポストを約束された人が小泉支持にまわったというのだ。
退屈だった再選劇を少しばかり揺さぶって巷間(こうかん)にぎわせたのが、この楽屋話だった。
密約説を否定するさまには、落語の「まんじゅうこわい」を重ねてみたくなる。
「実は、ポストがこわい」「うそだろう」「いや、ポストと聞くだけでふるえがとまらないんだ」
「ていうと、たとえば幹事長とか」「そう、そいつが一番こわい」
毒まんじゅうを食わされたのは実は小泉首相だった、との見方もできるかもしれない。
「挙党態勢」「全党一丸」などという毒まんじゅうである。これを食べると、まず体が重くなる。
口も重くなる。動こうとすると、体のあちこちを縛られているような拘束感に襲われる。
党役員人事、そして内閣改造にかけてそんな症状が現れるとすると、要注意である。
まんじゅ論は長年政界にいた人物の発言故に凄い迫力が有る。内部告発ともとれる。
その後新聞テレビ雑誌などで色々と引用され使われ出している。
総選挙では議員によるダンゴを国民に配らないように,議員はマニフエストで正々堂々戦って欲しいものである。
「ペンは鍵(キー)より強し」と
9月22日の天声人語
ワープロが生産中止になって嘆いている人がいる。
単純に書くだけの道具で便利だったという人も少なくないからだ。
パソコンと携帯電話全盛の時代だが、消えていくワープロと違って、
旧来の筆記用具でねばり強く生き残っているものもいる。万年筆もその一つだ。
この春、英国のブレア首相の誕生日にフランスのシラク大統領が高級ワインを贈って
両者の「関係修復」が話題になった。
前年のシラク大統領の誕生日にブレア首相が贈ったのが英国製万年筆だった。
その名も「チャーチル」という品だったそうだ。
各国首脳にとっては、万年筆はいまも必需品である。
条約などの調印で署名するのに欠かせないからだ。
98年に英国で開催された主要国首脳会議(サミット)では、英国製万年筆が公式ギフトにもなった。
91年、米ソ首脳がモスクワで戦略核兵器削減条約に調印したときには、ちょっと変わった万年筆が使われた。
廃棄されたミサイルの廃物を使ってつくられた万年筆である。条約にちなんだ趣向だ。
署名したのは、いまの大統領の父親のブッシュ米大統領、ソ連側はゴルバチョフ大統領だった。
エッセイストの白岩義賢さんが万年筆の名品を写真で紹介しながら、
文章をつづった『華麗なる万年筆物語』(グラフィック社)には、高名な作家や音楽家らの筆跡が収められている。
流れるように美しい作家小デュマ、音楽家らしいリズム感をたたえたリストやメンデルスゾーンなどで
「文字は人なり」と思わせる。
白岩さんは言う。「ペンは鍵(キー)より強し」と。
首相と同様「タカ派」の政治家と評していた。
9月23日の《天声人語より
総裁選を報じる海外の新聞を見ていて、その熱のなさには少々驚いた。
2年半前の小泉政権誕生のときには、あれほど書きたてたのに、と。
今回は、海外でも阪神タイガース優勝報道の方がにぎやかなほどだ。
オーストラリアの新聞が小泉首相のことを相変わらず「一匹オオカミ」と形容していた。
いまや彼のまわりに群れができていることには関心がないらしい。
シンガポールの新聞は新任の安倍幹事長を「きちんとした身なりに一糸も乱れない髪」と形容し、
首相と同様「タカ派」の政治家と評していた。
いくつかの新聞が、こんどの総選挙に勝てば小泉政権が06年まで続くだろうと指摘する。
歴代の政権でも最長に近い。重要な問題をさまざまかかえるこの時期を託するに足る政権かどうか。
「ポストが人を変える」とはよくいわれる。任にふさわしい人物に育っていくものだ、という。
小泉政治は逆に「人がポストや組織を変える」方式ではないか。
「実力者」とはいえない安倍氏の起用で、幹事長というポストも自民党の仕組みも変質するだろう。
かつて田中外相を起用しての「外務省改革」は頓挫した。竹中大臣は留任、正念場を迎える。
もちろん最大の焦点は小泉氏自身である。彼によって自民党、そして日本が変えられるか。
米タイム誌が「将来、小泉首相は日本のゴルバチョフとして回顧されるだろう」との説を掲載していた。
古いものを壊した極めて重要な、しかし過渡期の人物として、と。
2期目に入って「事に敏にして言に慎む」(論語)ことができるかどうか。
自民党の小泉純一郎首相と安部幹事長のアメリカ追従志向タカ派コンビに対して民主党の管直人総裁と岡田幹事長の
国連中心主義ハト派コンビとの総選挙戦が始まろうとしている。
小泉純一郎首相と安部幹事長の看板が総選挙に極めて有利と考える自民党議員の心理がどうも理解ができない。
小泉・安部が国民にどうして人気があるのか,どう考えても自分には判らない。
小泉対管 安部対岡田の討論をテレビでみていても。管・岡田の方が真面目で大人に見える。
小泉首相はオウム真理教の上祐とかの青年同様にああ言えばこう言うで質問に真地面答えようとする気配が全く感じられない。
安部の答弁は岡田に比べると青年と苦労した人の差を感じた。
ただ政権の座にいて利権を利用できる面だけ小泉首相側に分があるように思える。
直接首相を選挙するならば小泉首相より管氏に分があるように思う。
政界再編成もあって良い。
ここで「小泉仮面体制」などと
言うつもりは無い。
9月24の日天声人語より
能のお面を、おもてと呼ぶ。それは、表のようにも響く。
裏の顔を覆いつつ、見る側には、裏の顔をも想像させる。
自民党の新しい役員と新閣僚の映像を見ていて、
これが党の顔なのか、お面なのかと、戸惑うところがあった。
科学哲学者のG・バシュラールが書いている。
「ある顔の下におのれを隠しているものをそれと見分け、ある顔を読み取ろうとするや否や、
われわれは暗黙のうちにその顔をひとつの仮面と見なしているのである」(『夢みる権利』筑摩書房)
ここで「小泉仮面体制」などと言うつもりは無い。
しかし「面」が絡むようなことはあった。
人事の焦点だった幹事長を副総裁にして、後に官房副長官を据えた。
幹事長に、「副」総裁という便利であいまいなお面をかぶせたように見えた。
覆面ならぬ「副面」人事ではなかったか。
さらに、首相も新幹事長もそうだが、国会議員の2世、3世が多い。
もちろん評価は本人の仕事次第だとしても、祖父や父の顔がちらつく「面影」内閣の様相だ。
以前、テレビ業界で、後ろが決められているため、
ある時間までに必ず終わらせなければならない状態を「ケツカッチン」と呼ぶと聞いた。
これは国民の選択次第だが、11月に見込まれる総選挙までの体制ともなりうる。
選挙での勝利という、すぐ後に控えた党の目標のために生まれた「ケツカッチン」内閣か。
これまでの改革路線を変えないのなら、そもそもの改造の必要性と、その目的が問われる。
改革というお面の陰から、まんじゅうや手品の種が見え隠れしている。
代々の地盤 看板を受け継ぎカバンも大きいシンボル的存在が支持者組織にダンゴを配り当選する仕組み
を早く廃しすべきである。政党問わず組織が日本国中がネットで絡まっている。
再々の政権交代によっての利権委譲以外に真の構造の改革は有り得ないと思う。
自民支配が続けば二大政党による政権交代を視野に入れた小選挙区制度の意義が失われてしまう
政権交代こそが飛躍的な構造改革を自然に推進するものと思われる。
住みよい世の中は真の改革はそのようなネットを破壊する事から始まる。
安保理の同意なしの
単独行動主義を、国連憲章への
挑戦と言い切った。
9月25日の天声人語より
国連憲章の99条には、こうある。
「事務総長は、国際の平和及び安全の維持を脅威すると認める事項について、
安全保障理事会の注意を促すことができる」
場所は安保理ではなかったが、総会でのアナンさんの演説は「注意を促す」というよりも警告のようだった。
安保理の同意なしの単独行動主義を、国連憲章への挑戦と言い切った。
無法者退治を訴えようとして登壇を待つ大物保安官に対して、そちらにも無法の疑いがあると批判したようなものだ。
「穏やかで合理的で鋭かった」と、ガーディアン紙は評した。
国連の生え抜きの事務総長として、8月のバグダッド現地本部の爆破テロの惨害は、さぞ耐え難い痛手だっただろう。
しかし総会の場であそこまで言わせたのは、後に控えていたのが、
国連の創設の中心となった米国の大統領だったからではないかとも思った。
大戦末期の45年4月、時の大統領フランクリン・ルーズベルトが死去した。
サンフランシスコで国際連合の創設会議が開かれるわずか2週間前だった。
国連誕生に力を尽くした大統領は、この年の初め、下院にメッセージを送った。
「将来の世界ではパワー・ポリティクスという言葉に含まれたような権力の誤用が、
国際関係における支配的要素となってはならない」(『国際連合成立史』有信堂高文社)
アナンさんは、国連自身の「不完全性」をも認めた。
人間のつくるものに完全は無い。
米英に対しても、だれも完全など求めてはいない。
せめて、自らの「完全性」を疑う勇気を、なくさないように願いたい
結核のことを「日本民族の災害」
9月26日の天声人語より
結核のことを「日本民族の災害」と医師で評論家の松田道雄さんが評したのは1949年のことだった。
戦後、刊行を再開した岩波新書の一冊『結核をなくすために』の「あとがき」にある。
長く日本人の死亡原因の1位を占めてきた結核が、ストレプトマイシンなどの抗結核剤で、制圧され始めるのは、
それからしばらく後のことである。
すでに過去の病気と思われていた結核が息を吹き返す兆しを見せたのが90年代末のことだ。
政府は99年、「結核緊急事態宣言」を出した。
茨城県は24日、病院で結核の集団感染が発生したと発表した。3人が死亡したらしい。
いずれも80歳を超える高齢者である。
かつては若い世代の病のようにいわれてきた。いまは抵抗力の衰えたお年寄りが発病することが多い。
途上国ではなお猛威をふるう病だが、日本も「結核中進国」とされる。
10万人あたりの罹患(りかん)率は、スウェーデンやオーストラリアなどが5人前後に対して、
日本はいわゆる先進国の中では極めて高く30人近くにのぼる。
「やまひは 胸。物の怪(け)。
脚の気(け)」と『枕草子』にもあるように、胸の病、結核はしばしば文学にも登場してきた。
壮絶な闘病生活を送った正岡子規をはじめ哀切で美しい作品を残した堀辰雄など枚挙にいとまがない。
「秋 青い空の向うに/かなしみは行き かへらず」。
こんな一節を残した詩人立原道造も結核のため24歳の若さで亡くなった。
「夭折(ようせつ)の美学」をいわれたこともあった。いまは「お年寄りを襲う災害」のようでもある。
30日まで、結核予防週間だ。
イスラエル兵27人が「作戦参加拒否」の態度を表明した。
9月27日の天声人語より
憎悪の連鎖がやまない中東のことを考えるとき、いつも思い浮かべる2人がいる。
パレスチナ出身の思想家E・サイード氏とイスラエルの作家A・オズ氏である。
ともに幼い時期をエルサレムで過ごした。
パレスチナの立場からサイード氏が発するイスラエルと米国への批判は、近年激しさを増していた。
米国のユダヤ人社会では「公敵ナンバーワン」と目されていたそうだ。
オズ氏も「ユダヤ人皆殺し」を宣言するアラブ世界に囲まれて育った世代で、
平和運動を続けながらもアラブへの警戒心は強い。
憎悪しあう二つの立場を「代表」する2人が、どこかで手を結ぶことができるか。
作家の大江健三郎氏が世界の知識人と往復書簡をかわした『暴力に逆らって書く』(朝日新聞社)には
2人とのやりとりも収められている。
「いまだかつてユーモアのセンスをもった狂信主義者に出会ったことはありません」
というオズ氏は、イスラエル、アラブ双方に巣くう狂信主義の治療法「ユーモア」療法について述べる。
狂信主義からは生まれない「妥協」の重要さを説く。
「批判を忘れた無条件の団結に走るな、というのが私のモットーです」とサイード氏。
別の場所でこんなことも言っている。
「重要なのは……軍務を拒否したイスラエルの予備役兵たちに呼びかけること」(『戦争とプロパガンダ2』みすず書房)
互いの立場は維持しつつ接点を模索する2人である。
折しも24日、イスラエル兵27人が「作戦参加拒否」の態度を表明した。
25日に逝ったサイード氏の耳に届いただろうか。
富士山の大噴火
9月28日の天声人語より
富士山の大噴火、いわゆる宝永噴火(1707年)のときには江戸も深刻な影響を受けた。
雪のように灰が降り、太陽の光はさえぎられ、昼でもあかりが必要だった。
新井白石らが記録を残している。山麓(さんろく)近くでは、火山弾などで全滅した村も少なくなかった。
その1カ月ちょっと前の宝永地震は、史上最大規模の地震だったといわれる。
津波の被害も含め東海地方から近畿、四国にかけて大きな被害を受けた。大
地震と大噴火と「関連があったと考えるのが自然であろう」(伊藤和明『地震と噴火の日本史』岩波新書)
〈富士の高嶺(たかね)は 天雲(あまくも)も い行きはばかり 飛ぶ鳥も
飛びも上(のぼ)らず 燃ゆる火を 雪もて消(け)ち〉と詠まれた万葉集の時代にも、
富士山は活発に活動していた。しかし宝永噴火以来、現在まで300年近く、大きな噴火はない。
先日、山梨県側で陥没と噴気が確認された。
戦後初めての現象だという。噴火にはつながらないと気象庁はみている。
2年前にはマグマの動きに関連があるといわれる低周波地震が頻発した。
富士山に何が起きているのか、さらに注意深い観察と警戒が必要だろう。
26日朝、北海道を襲った地震では多くの人が負傷し、また被災した。
強力な地震の割には大きな惨事に至らなかったという見方もある。
しかし冷害から台風そして地震と、
自然災害を被り続けた北海道の人たちの打撃と不安は並大抵ではないだろう。
自然への複雑な思いを、与謝野晶子は関東大震災後にこう詠んだ。
〈かくてなほ無限の時をもつことに誇る自然のうとましきかな〉
全長約60センチ。目が覚めるような朱赤(猩々(しょうじょう))色のトキ。
熱帯に位置する南米の海岸近くで見られ、集団で樹上に営巣する。
飛ぶと翼の先端に黒色の部分が現れる。
北・中米産のシロトキと自由に交雑するので両者を同種とする研究者もいるが、
両種が一緒に繁殖するベネズエラでは交雑していない。
「天に根ざす者は、地に平和をもたらさない
9月29日の天声人語より
最近の言葉から。「人はだれでも自分の中に湖をもっていて、
その深さとか色調とか涼しさとか透明度とかを、その人の生の最後の瞬間まで、
加えたり変幻したりしている。
人に話をするということは、その人の中の湖に話をすることであるように思う」と社会学者の見田宗介さん。
「高校時代から自分の調子は自分で分かった。
悪い時は全部が小さくなる」とは柔道日本代表の阿武(あんの)教子さん。
女優の市原悦子さんは「お芝居をやっている時は寝られなくなる。
夢遊病的というか、自分の正体がなくなるくらい何かを探し始めるから」と。
岡本太郎の幻の巨大壁画がメキシコで見つかった。
「核に焼かれる骸骨(がいこつ)が、燃えながら哄笑(こうしょう)する姿は、核に対する被害者意識でなく、
人間の誇りとしての怒りの爆発。
イラク戦争などを続ける愚かな世界の『惰性』に対してノーというメッセージになる」と
岡本太郎記念館館長の岡本敏子さん。
「青年だったビンラディン氏と何度も会ったが、印象に残ったのは彼の信心深さと、
『神を大切にする人々だ』と米国をたたえていたことだった」。
彼と米国の「善悪二元論」は同根、と指摘するアラブ研究誌発行人アントワヌ・スフェールさん。
「理念を掲げて戦う者はやっかいだ」という作家フアン・ゴイティソーロさんは
「天に根ざす者は、地に平和をもたらさない」とスペインの詩人の言葉を引く。
数学者森毅さん。「元気になれ、がんばれというメッセージが多すぎる。
……みんなが毎日ハイになることないやんか。元気がない人もいてええんや」
郵政民営化
9月30の日天声人語より
小さな郵便局の一角にティーサロンができた。
2畳ほどの空間にベンチとお茶の道具を置いただけの簡素なサロンである。
町の人がふらりと立ち寄ってくつろいだり、おしゃべりしたりできるように、との郵便局長のはからいだった。
そのサロンで新しい計画が生まれたこともあった。
施設で暮らすお年寄りたちに、はがきのやりとりをする機会を提供できないか。
訪れた若いソーシャルワーカーと相談して始めた「幸せの黄色いはがき」作戦は成功した。
50歳で新聞記者をやめて、群馬県の特定郵便局長になった本間修一さんが10年間の経験をつづった
『僕の落第日記』(新風舎)には、地域に密着した小さな郵便局でなければできない試みが種々語られている。
他方、役所仕事の無駄や「逸脱」からも目をそらさない。
文書の多さと規則の細かさにあきれる。きちんとこなしていたら「本来の仕事」はできない。
郵便、貯金、保険の3事業に加えての「第4事業」が厄介だ。
仲間内で「特別貯金」とささやく国会議員選挙への協力である。
後援会の名簿集めのほか、自民党の党員集めまでさせられる。
きのうの国会では郵政民営化をめぐり、小泉首相が声を張り上げた。
まず民営化を推進する。詳しい中身はこれから検討していく。そんな方針である。
民営化で無駄や「逸脱」は改善されるかもしれない。
サロン開設をはじめ、本間さんが試みたような「ゆとりの活動」はどうなるか。
「民営化論議から置き去りにされた現場」をもっとわかってほしいというのが本間さんの願いである。
民営によっての外資による支配 郵便貯金の莫大資金の保護 活用など民営化に伴う困難を如何にするのか。
始めに全ての民営化があるというのでは,危険が大きすぎる。
全ては一回
人生は誰にとってもかけがいのない一回きりの人生である。自民党総裁選挙で相変わらずに小泉首相が総裁に選ばれた。
選ぶ人たちが自民を支持するだけの集団だから仕方がない。
でもいろんなドラマを総裁選挙で見た。ハト派の野中さんの行動は支持する。立派だったと思う。まんじゅう論も今も
新聞を賑わしている。ベテラン政治家の政治腐敗に対する内部告発ともとれる。
今のイラクの人たちを見ると気の毒である。一方的な戦争によって国土は荒廃し異常な体験を強いられている。
一回きりの大切な人生が戦争でズタズタにされている。それがいつまで続くか判っていない。
日本も同じ体験をしてきている。取り返しはできない。戦争は絶対にあってはならないものである。
正しい戦争は有り得ない。時として為政者の中には後の世,100年後に正しいと評価されるというのは
全て今の自分を正当化するだけのものであって嘘そのものである。 戦争そのものによいものは絶対有り得ない。
政治家は全て戦争反対の基本精神がなければ立派な政治家とは言えない。
まず政治が良くないと世の中はよくならない。人々に幸福な生活をあたえることは出来ない。
一期一会で生きている限りは,時間は同じように全ての人に与えられている。
しかし与えられた人生の今の世の中,精一杯に生きられる誰もが幸せだといえる世の中でありたいものである。
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