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随想
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10月01日の天声人語より
殺し屋。コンピューター。二枚腰。宇宙流。美学派。
こうやって並べていって、顔が一人ひとり浮かぶ人は、相当囲碁に詳しい人だろう。
プロ棋士の個性、いわゆる棋風を一言で表現した呼称の数々である。
石の奪い合いをしながら、最終的にはどれだけ地(じ)を囲ったかを争う。
「殺し屋」や「コンピューター」はどんな棋風か見当がつくだろう。
「宇宙流」といわれる武宮正樹さんは、細部にこだわらず、おおらかでときに予想外の手が飛び出す。
「美学派」といわれる大竹英雄さんは、勝敗より石の流れの美しさを重んじる。
政治家にも囲碁好きは多い。古くは五・一五事件で暗殺された犬養元首相がよく知られる。
彼より強い政治家はいるだろうが「彼ほど碁品がある碁を打つ人はいない」と評されたそうだ
(『三田評論』7月号で川又邦雄氏)。
戦後でいえば、福田元首相が八段という高段者だった。
ロッキード事件のときの法相稲葉修氏は六段だった。
しかし「国会議員の段位はあてにならない」といい、福田元首相には3目置かせるから、
自分は十一段になってしまう、と。
政治家にはときに「名誉段位」が贈られる。
国会論戦を聞きながら、棋風を思い描いた。
民主党の菅代表はコンピューターとまではいえないが、計算ずくの攻撃を仕掛けた。
いわば緻密(ちみつ)派か。防戦の小泉首相は宇宙流とまではいえないが、
得意の場面で跳びはねる飛躍流を見せてくれた。
菅代表は小沢一郎氏とは囲碁仲間だそうだ。
緻密派と剛腕流が組んで、小泉飛躍流を打ち落とすことができるか。
政権交代が常時あれば権力を握り続けることにより起こるあろう所の弊害が無くなる。
腐敗政治家,腐敗官僚と腐敗国民の追放に一番良い制度である。
嵐とチョウという対比に、
自然のたけだけしさが鮮明だ。
10月2日の天声人語より
ゆったりと飛ぶそのチョウは「南海の貴婦人」と称されることもあるそうだ。
沖縄地方に生息するオオゴマダラである。
日本のチョウの中では、最大種の一つらしい。珍しい黄金色のさなぎでも知られる。
先月、台風14号に襲われた沖縄の宮古島で、オオゴマダラをはじめ約千匹のチョウが全滅したと聞いた。
島の観光名所で、全国でも最大規模、1600平方メートルの「蝶々(ちょうちょう)園」が強風で全壊したのだ。
熱帯植物が生い茂る建物の中で放し飼いにされていたチョウが犠牲になった。
蝶々園はハーブ園なども抱える「みやこパラダイス」の中心施設だった。
「天井の下敷きになったり、強風で飛ばされたりしてしまったのではないでしょうか」と担当者。
1日から再開したハーブ園に、別の場所で飼育していた少数のチョウを放しているが、
蝶々園復旧の見通しは立っていないという。
宮古島から韓国を抜けて北海道までも襲った台風14号は、各地につめあとを残した。
宮古島では史上7番目という最大瞬間風速74・1メートルを記録した。
蝶々園に近接する航空自衛隊の分屯基地では実に86・4メートルを観測したそうだ。
ちなみに歴代1位の公式記録は、やはり宮古島で66年に観測された85・3メートルである。
嵐の中、チョウたちはどうしていたのだろうか。
異様な気配を察して狂おしく舞っていたのか、あるいは熱帯植物の陰で息をひそめていたのか。
嵐とチョウという対比に、自然のたけだけしさが鮮明だ。
春と違って、秋のチョウには、どこか悲哀がつきまとう。
〈秋風に白蝶(はくてふ)果(はて)を狂ひけり〉(青蘿(せいら))
蝶にも自然の猛威にさらされるのは人間と一緒である。
日本の国土が縮んで、
一つの点になったとする。
点の上に座ったつもりで、
四つの方位のことを考える。
10月3日の天声人語より
日本の国土が縮んで、一つの点になったとする。
その点の上に座ったつもりで、四つの方位のことを考える。
東とは、太平洋の波の連なりであり、その果ての米大陸の気配である。
西は朝鮮半島から中、印、中東を経て西欧に至る長い帯だ。
北はロシアから北極海、南は南洋から豪州、南極大陸あたりか。
やはり、延々と陸が連なる西の存在が重い。
古来、あまたの人と物が往来した。日本にとって、西というものの持つ多様な意味合いを改めて思う。
次に、日本を一点から数千キロの長さを持つ現実の列島に戻せば、その中での方位が重みを持ってくる。
「ひかりは西へ」。このうたい文句が流れたのは約30年前だった。
新幹線が山陽路へ延びた。
その距離はさほどではなかったが、はるか大陸の方までいざなうような、西に特有の「地続き感」が、旅心に訴えていた。
新幹線が営業を始めて39年になる1日、品川駅が開業した。
のぞみの増発で、東西を結ぶ青い帯が更に太くなった。
東海道五十三次の最初の宿場の跡から西へ向かう新幹線は、間もなく、沢庵(たくあん)和尚が開いた東海寺に近づく。
墓地に眠る和尚の辞世は「夢」。
流罪も経験した沢庵の人生を重ねると複雑な思いもするが、のぞみが、日々その夢をかすめて行き交っている。
もう一度あの一点に座り、方位を色に見立ててみる。
東は大海の青、北は氷雪の白だろうか。
南を燃える太陽や赤道の赤とすると、西はどうか。
陸の連なりを思えば土の色だが、夕日の印象が強い。
それは落日と大地が溶けあったような茜(あかね)色かもしれない。
ロマンな話しである
在日外国人。日本ではそんな大雑把な言い方もされる。
10月4日の天声人語より
日本人と外国人、あるいは在日外国人。日本ではそんな大雑把な言い方もされる。
しかし、住んでいる人たちの集団をどう呼ぶか、がもっと複雑で、難しい国もある。
そこでは「危険な地雷原のような用語法」をすりぬけなければならない(L・トンプソン『南アフリカの歴史』明石書店)。
アフリカーナーといえば、早くから入植したオランダ人らの子孫をいう。以前はボーア人と名乗っていた人たちだ。
白人は他に英国系もいれば、ユダヤ系もいる。
先住民とその混血はカラードといわれることが多い。黒人やインド人からは区別される。
用語法には、しばしば差別意識が紛れ込む。
入り組んだ歴史とアパルトヘイト(人種隔離)政策がもたらした「地雷原」である。
ノーベル文学賞を受賞するJ・M・クッツェー氏の作品も、
南アフリカ特有の事情抜きには理解できない部分が少なくない。
自伝風の『少年時代』(みすず書房)は、アパルトヘイトが進む50年代の少年を主人公にしている。
学校では、多数派のアフリカーナーの生徒たちが、ユダヤ人生徒をいじめるなど陰湿な人種差別が横行していた。
少年は父親を疎み、彼のアフリカーナーなまりも嫌だった。
母親はきれいな英語を話した。
母親への依存が強い少年だが「こんなに強く愛してくれなければいいのに」とその愛が重荷で、
怒りがこみ上げてくるときもある。
どこの国にもいそうな繊細な少年、しかし重苦しい社会の空気もまた色濃く影を落としている。
そして少年らが社会の病を映すのは、あの国に限ったことではない。
石油消費を毎日の食事に見立てるとどうなるか。
10月5日の天声人語より
現代の私たちの生活は大量の石油をむさぼることで成り立っている。
この石油消費を毎日の食事に見立てるとどうなるか。
イラク戦争前の数字を基に、たいへん大雑把だが、世界の石油事情を見てみよう。
仮に日本の石油消費を1日3度の食事とする。もちろん朝昼晩3食とも出前(輸入)に頼らざるをえない。
そのうち2食強は、中東のなじみの店からである。
日本の約10倍の人口を有する中国もいまのところ1日3食ですませている。うち1食は出前だ。
世界全体では毎日44食を食べている。
ドイツ、フランス、イタリアなどは1日1〜1・5食だが、アメリカは1日11食とず抜けた大食漢だ。半分が出前だ。
ロシアは1日4〜5食つくっているが、自分のところで食べるのは1・5食におさえている。
残りは他国に出前をしての外貨稼ぎである。
世界最大の出前国はサウジアラビアで、1日5食をつくって、4食を出前にまわしている。
食材の蓄え(埋蔵量)も世界一だ。
イラクは1日1食強をつくり、ほとんどを出前にまわしていた。
食材の蓄えはサウジアラビアに次ぐ。
先月末のワシントン近郊での米ロ首脳会談は、エネルギー利権をめぐっての会談ともいわれた。
出前先を増やしたいロシアと大食漢アメリカとの接近である。
アメリカとしては、イラク戦争で独仏と歩調を合わせたロシアを自分の側に引き寄せたいとの思惑もあっただろう。
石油と政治とが絡み合って動く現代世界である。
3度の食事を出前に依存している日本は、謙虚に世界の国々とつきあわざるをえない。
石油に依存しないためにも電気自動車の開発が日本始め各国でも盛んである。
特に日本では完成し,さらなる改良の時期にいたっている。
資源の乏しい日本ではその完成が急務である。各国が石油に依存しない日がくれば
今回のイラク戦争のような石油が関係するような戦争は起きないかもしれない。
自民党との戦いは囲碁でなく、オセロだ、と。
10月6日の天声人語より
覚えるには1分、習熟するには一生。オセロゲームについてそんなことがいわれるそうだ。
単純なようで奥が深いゲーム、と。
相手の石を挟んで「返していく」このゲームで初心者が陥りやすい誘惑は、
最初からたくさん返そうとすることだ。
まず少なく返すのが勝つためのこつだそうだ。
昨年アムステルダムで開催された世界選手権では、準決勝に残った4人のうち3人が数学者だったという。
ルールが単純なだけに、理詰めの攻防が必要とされる。
日本オセロ連盟の資料によると、発祥の地は戦後すぐの水戸市だった。
旧制水戸中学の生徒だった長谷川五郎さんが考案し、最初は友人らとボール紙で遊んでいた。
後に牛乳瓶のふたを利用するようになった。現在のようなセットが発売されたのは73年のことだ。
英国では19世紀末から「リバーシ」という同じようなゲームが普及していた。
タイム誌は76年「『新しい』日本のゲーム、オセロはリバーシと呼ばれる英国のゲームに酷似している」と書いている。
皮肉も込めていたのだろうが、オセロはお構いなく世界に普及した。
「私も囲碁だけじゃなく、オセロを勉強しなきゃね」。
きのう合併後初の党大会を開いた民主党の菅代表の言である。
合併を決めた直後に語った。囲碁では20目取っても、相手が30目取れば負けになる。
オセロではこちらが増えれば、相手が減る。自民党との戦いは囲碁でなく、オセロだ、と。
オセロが怖いのは、一手で流れが激変してしまうことだ。
合併という一手で流れを引き寄せることができるかどうか。
政治はゲームではない。国民の生活 生死が関係する真剣勝負である。
トラは数々の伝説の主人公にもなってきた
10月7日の天声人語より
たまたまだと思うが、トラをめぐる「事件」が続いている。
嫌な気持ちにさせられたのはバグダッドでの事件だった。
先月、動物園のトラに餌をやろうとした米兵が指をかみ切られ、
一緒にいた同僚が、おりの中のトラを射殺した。
米兵らは、閉園後の動物園で宴会をしていたらしい。
酒に酔った上でのことで、まさにトラがトラにかまれる事態だったが、
もちろん笑い事ではすまされない。
イラクに展開する米兵の士気の低下や規律の乱れをうかがわせる事件だった。
しかも、自分たちの不注意が招いた事故であったにもかかわらず「問答無用」の射殺は、
あまりに乱暴だったのではないか。
先週末、米ラスベガスでは、マジシャンがショーの最中にトラに襲われ、のどをかまれて大けがをした。
13年も続いている人気のショーで、大きな事故は初めてらしい。
客には「トラはきょうが初舞台」と紹介していた。
実際は数年間の舞台経験のあるトラだったという。
ニューヨークでも、犬にかまれたといって入院した男が自室でトラを飼っているのがわかり、逮捕された。
トラは貴重な動物として保護の対象になっている。
国連環境計画は「野生のトラは絶滅の危機にある」と警告を発してきた。
19世紀には10万頭以上いたとされるが、いまでは5千〜7千頭にまで減った。
ペット用、毛皮用、漢方薬用に、と密猟が絶えない。生息しやすい環境が失われていくことも心配される。
優美さと、たけだけしさと。トラは数々の伝説の主人公にもなってきた。
伝説上だけの動物にしてはなるまい。
権力者に群がる縁者たちの方が
欧米より難敵だったのかもしれない。
10月8日の天声人語より
「世界は道に迷ってしまった。あまりに速く動きすぎている。立ち止まって考える必要がある」。
先月の国連総会でそう警告したのは、マレーシアのマハティール首相だった。
20年以上にわたって首相をつとめたマハティール氏が今月末で引退する。
インドネシアのバリ島に集まったASEAN首脳たちもお別れの会で氏をねぎらったようだ。
世界に向けて常に挑戦的に語り続けた人の退場である。
欧米批判の舌鋒(ぜっぽう)は鋭かった。
植民地支配で富を増やし、力を蓄えた上で、いまは「自由市場」を振りかざして途上国の支配を図る。
アジア蔑視(べっし)が見え隠れするそうした独善的態度に抵抗した。
日本に対しては、欧米とは違う独自の価値観をもつアジアの先導者になってほしい、と言い続けた。
痛快だが、面はゆさも感じた。
日本の植民地支配に対しては、ひどく寛容な一面があった。
日本がマレーシアを占領したとき「私は市場で物売りをしていたが、日本の軍人は必ずカネを払ってくれた」と
敬意を込めて著書にも記した(『アジアから日本への伝言』毎日新聞社)。
しつけの厳しいイスラム教の家庭に育った。
いまのイスラム教への批判も厳しく「私たちはもはや、かつての偉大な民ではなくなった」と、
イスラム社会の停滞ぶりを指摘し、反省を促しもした。
最近の地元紙とのインタビューでは、こんな告白をしていた。
在任中、友人や親類に仕事の発注や寄付などいろいろ頼まれた。泥沼のようだった、と。
実は、権力者に群がる縁者たちの方が欧米より難敵だったのかもしれない。
政治家にはついてまわる災難として,友人や親類に仕事の発注や寄付などいろいろ頼まれた。泥沼のようだったと思う
そのような政治家ばかりでありたいものである。
政治家にそのようなことは頼むべきものでないという初歩的な教育が徹底されていない。
逆に政治家を動かし政治家との悪い関係が自分のステイタスのごとき「輩」も大勢みかける。
国民が政治への「うまくしてもらう」の考えを一掃しない限り,良い政治家,即ち良い政治を行う事はできない。
国民の意識改革がなければ本当の根底からの政治改革は有り得ない。
そのようなことだけの政治で,人気とりしていた政党の勢力拡大に陰りが見えだすとその消滅は早い。
シュワルツェネッガー氏当選については
天10月9日の声人語より
シュワルツェネッガー氏にインタビューを申し込んでいた米紙記者に本人から電話がかかってきた。
いきなり「お前のおやじの職業は何だ?」と話しかける。
「何だって」と驚くと「おやじは何をしていたんだ」と同じ質問を繰り返す。
まさか、これほど無礼とは思わなかった、と記者はあきれた。
すると、同僚が笑って種明かしをした。映画の中のせりふを録音して流したというのだ。
いたずらに見事に引っかかったわけだ。映画俳優だからこそできるいたずらだった。
カリフォルニア州知事選では、活字メディアには顔を出さないという作戦だったようだ。
知名度の高さは抜群だから、失点を少なくすればいい、と。
報じられたいくつかのスキャンダルも、致命傷にはならなかった。
きのうの勝利宣言で、彼は「カリフォルニアに来たとき、私には何もなかった。
カリフォルニアがすべてを与えてくれた」と語った。
笑顔を見せていたが、さすがに緊張でこわばった表情も見せていた。
彼がオーストリアから米国に渡った68年、カリフォルニアはちょうどレーガン知事時代だった。
俳優出身とはいえ脇役が多かったレーガン氏は無名に近く、日本のメディアもほとんど注目していなかった。
同じ年の大統領選に共和党の指名を目指して立候補し、その名を知られるようになった。
その後、「アメリカの夢」を身をもって示したレーガン氏だが、
シュワルツェネッガー氏当選については「州民の方が夢を見ているだけ」との皮肉な見方もある。
夢からさめるときが来るのかどうか。
i人気だけでは政治は行う事ができない。当選しても後が続かない。
呼び名が今に伝わる解散には
10月10日の天声人語より
「総理大臣は興奮しない方がよろしい」「無礼なことをいうな」
「質問しているのに何が無礼だ……答弁できないのか君は」
「ばかやろう」「ばかやろうとは何事だ」 吉田茂首相の「バカヤロー解散」に至る、西村栄一議員とのやりとりだ。
呼び名が今に伝わる解散には、その時代の空気や、うめき、切迫感のようなものも感じる。
「抜き打ち解散・52年吉田」「黒い霧解散・66年佐藤」「ハプニング解散・80年大平」。
今回は、どんな名前になるだろうか。
柳田国男は、24年の朝日新聞の「解散の予言」と題する社説で、首相に解散するかと問うのは愚問と書いた。
「如何(いか)なる場合に於(おい)ても、首相は最も解散の予言に無能力なる政治家である」。
手の内を見せるはずがないというのだ。今回は随分前に10月解散説が流れた。
予言された「透け透け解散」のようだった。
イラクへの自衛隊派遣の前にという「駆け込み解散」の色は濃い。
ブッシュさんは大量破壊兵器未発見という「戦争の大義」問題で苦境にある。
大義を支持した小泉さんも大儀だろう。解散の大義の方の説明も不明確だから「大義なき解散」ではどうか。
「大義が見えないからといって大義がないとは言えない」とでもおっしゃるか。
政局を動かした2人を記憶するのなら「青き(木)泉解散」か。
立場は対照的だが、姓の漢字は双方とも左右対称に近い。
どちらが党の実像かとも思い、「二人羽織」の気配も感じる。
解散の笛が鳴る。
吹き手の「つくり」が不可思議だから、意外な結末が待っているのかも知れない。
選挙での投票は政治上の意見をのべる唯一の手段だか゛,インターネットの発達した現在
自分の意見を政治に発言する機会は作れば幾らでもある。
国民の意見を代表する議員の形骸化は時間の問題である。デモなどの手段,器械でもって民意を表現していても
聞く耳を持たない小泉首相のような人ならばどうすればよいのか。
総理大臣は国民が直接選ぶ仕組みにすべきである。
日本のトキが絶滅した日として記憶
10月11日の天声人語より
きのう、新潟県の佐渡トキ保護センターで死んだ最後の日本産トキ「キン」を捕獲したのは、
宇治金太郎さんだった。
宇治さんの名前を取って、キンと命名された。
宇治さんには、トキを裏切ってしまったという悔いが後々まで残ったようだ。
キンが人里近くに迷い出てきたのは67年の夏だった。
冬近くになって愛鳥家の宇治さんに餌づけが依頼された。
早朝、ビニール袋にドジョウを入れて、雪の中、キンを訪れる。座って一匹一匹ドジョウを与えた。
夜、ねぐらに帰るまで見守った。
宇治さんが餌場に行くのが遅れると、キンは途中まで迎えに出るほどになった。
4カ月以上もそんな生活が続いた。政府の方針で人工飼育に踏み切ることになり、宇治さんに捕獲の指示が出た。
「こんなに信頼してくれているのに」と、宇治さんの心は揺れた(佐藤春雄『はばたけ朱鷺』研成社)。
宇治さんは84年に81歳で亡くなった。
生前は、年に何度も神社に参って、キンの長寿を祈っていたという。
キンは人間でいうと、100歳ほどだったというから、宇治さんの長寿の願いはかなった。
子孫を残すことはできなかった。
幕末に日本を訪れた博物学者のシーボルトが、トキ研究にも寄与したことはよく知られる。
学名のニッポニア・ニッポンも彼がヨーロッパに送った標本を基にした研究から生まれた。
江戸時代には全国各地に生息していたようだ。
明治以降、保護の声が上がり始めたときには既に絶滅の危機にあった。
03年10月10日は日本のトキが絶滅した日として記憶にとどめおかれる。
地球上には滅びるもの 新しく生ずるものの運命がある。
新しく発生したものとしての生き物にはSARSを引き起こしたコロナウイルスの変種
鯉が大量死したヘルペスウイルスなど悪いものしか思いつかない。
今年のノーベル平和賞の選考は難しかったに違いない。
10月12日の天声人語より
戦争の年に、平和を誰に託すか。今年のノーベル平和賞の選考は難しかったに違いない。
しかも過去の平和賞受賞者たちが、逆風にもがいているさなかのことである。
3年前の金大中氏はもちろん歴史的な南北首脳会談が評価されての受賞だった。
しかしその後、「会談の裏でお金が流れた」「お金で買われた会談だ」などの疑惑が取りざたされた。
しかも、朝鮮半島は核をめぐってなお不穏な状況が続いている。
「中東和平」の当事者らに贈られた94年の平和賞は、もはや霧のかなたといってもいいほどだ。
政治家に平和賞を贈っていいものか。
この論議は1906年、セオドア・ルーズベルト米大統領が受賞したときから続いている。
戦後では、73年のキッシンジャー氏受賞が大きな論議を呼んだ。
もう一つの流れがある。
36年に受賞が決まったドイツのジャーナリスト、オシェツキーのときは、国際的な波紋を招いた。
平和運動をし、獄中にいた彼の受賞はヒトラーを激怒させた。
戦後では、ソ連を刺激した反体制物理学者サハロフ、
中国が神経をとがらせたダライ・ラマ14世の受賞などがその系譜だ。
今年は、イランの女性法律家シリン・エバディ氏に決まった。
女性や子どものために闘ってきた人権活動家である。
彼女の活動を苦々しく思う保守派からの反発は強いだろう。
イラン政府も困惑気味だ。
しかし記者会見での彼女の発言「イランでの人権活動はイラン人によってなされるべきだ」は明快だ。
外からでなく、内から体制を変えていこうとする人たちへの励ましが込められる。
ノーベル賞は現在の空気を吸って生きている。
イラクでのアメリカの干渉に対する警告でもありえる。イランにそんな素晴らしい人がいたとは
驚きである。
大変な不作に、稲を刈る気力もなくしている。
10月13日の天声人語より
先日、稲を刈り取っているところに出合った。
東北の街の道路に挟まれた100メートル四方ほどの狭い田である。
それでも、黄色い穂波が風に揺れ、田の辺りだけがぼんやりと明るい様に足を止め、しばし見入った。
そして稲穂の実入りを尋ねると、ほおかむりしたその人は顔の前で手を横に振った。
そこよりも北の町の方からは、こんな便りをいただいた。
「大変な不作に、稲を刈る気力もなくしている。
少しでも実を太らせようと、田に刈らずにおく人と、ほんとに刈った結果を知りたくない人と。
どうしたらいいかという状態です」。
現地の厳しさが伝わってくるが、今年は米どころで米が盗まれる事件も続いている。
米に限らず、時間と手をかけて育てた作物を横取りするのには、盗みというよりも誘拐のような悪質さを感じる。
被害者には、物を奪われたというつらさだけでなく、人間不信にも通じるような心の痛手が残るのではないだろうか。
やや暗い気持ちになっている時、2004年版の「日本の米カレンダー」を手にした。
立正大学教授の富山和子さんが、15年にわたって編んでいる。
カレンダーをめくる。
冬の合掌造りの里の稲束、早春の棚田、春の小川の水辺。季節のうつろいや、
海、山、大地と日本の米づくりとのかかわりあいが、写真と文で描かれている。
10月を見ると、山形の棚田での、稲の天日干しだ。
黄金色の稲束をふっくらとまとって、無数のくいが立っている。
まだらになった今年の日本の実りを思うと切ないが、この実りがあまねく戻るようにと願った。
日本人は米を食べている人種であることがわかる。
稲作文化は日本人の心の奥底に住みついている。ハンバーカー文化には違和感を感ずる。
「母国語ということばのなかには/母と国と言語がある」
10月15日の天声人語より
飯島耕一さんの詩「母国語」に、こんな一節がある。
「母国語ということばのなかには/母と国と言語がある」。
この母と国と言語から「切り離されて」外国に滞在していた間に、詩を書くことはなかった、と。
北朝鮮に拉致された人たちは、ある日突然、母と国と日本語から切り離された。
意思に反して暴力的に。曽我ひとみさんは1年前のきょう、日本に帰国して母がいないことを知った。
衝撃は大きかった。
『家族』(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・光文社)に、母をめぐる小学生のころの思い出が掲載されている。
タンスの中にあったお金をこっそり持ち出してセーターを買った。
怒られると思ったのに「涙を流しながら、『母ちゃんが新しい服をこうてやれんもんだし、
ひとみがセーターひとつこうてきたんだな』」と。
ひとみさんも泣きながら「ごめんね。これから絶対、こんなことしんし許してな」
母娘のきずなは固かった。
25年前に2人が襲われたときのことを話し始めたのも、救出の手がかりにならないか、との思いからだろう。
ある政治家が母ミヨシさんについて、非情な発言をしたこともあった。
そんな時でも曽我さんは「怒りというよりさみしさを感じました」と語った。
「国の仕事ということでなく、人間としてもっと深く私たちの痛みをわかってほしい」。
そう訴え続ける曽我さんの言葉には、帰国当初から詩の響きがあった。
抑えきれない思いがあふれ出て、自然に詩の言葉になってしまう。
「母国語」の詩人はこういう。「詩とは悲しいものだ」
北朝鮮による拉致被害者達が政治に利用されているように思えてならない。真剣にその人たち並びに家族を思って
国が行動していないように見えない。
アメリカが入ればややこしくなることが判っていてもアメリカに頼みに行く行動は理解できない。
中国 並びにソ連をつうじ頼む方が本筋に思える。
何故日本は共産党政権の中国 ソ連と国交があるにもかかわらずに北朝鮮と国交が成立しなかったかが不思議でならない。
北朝鮮が恐ろしい国として邀撃ミサイルをアジアの周辺諸国にアメリカは売りつけようとしている。
戦争も商売の手段か。極度に発達した資本国家のおそろしさを垣間見る思いである。
日本の誇れる人情の機微が佐渡の母娘に見る思いである
陰謀や術策が渦巻く政界に
10月16日の天声人語より
政界を引退するというのはなかなか難しいことらしい。
比例区単独候補に73歳定年制を敷く自民党は、とうに定年を超えた2人の首相経験者をめぐって揺れている。
例外として総選挙への出馬を認めるかどうか。
〈くれてなお 命の限り 蝉(せみ)しぐれ〉の句を引きながら、
引退の意思のないことを表明したこともある中曽根元首相は85歳、宮沢元首相は84歳である。
立候補に意欲を見せる2人に引退を迫るのかどうか、は小泉首相の決断に委ねられている。
はるか昔、手紙で激しい引退勧告をした人がいた。
「出来るなら君は君のその職務からただちに引退したまえ。
出来ぬなら、強引に身を引きはがせ! すでに十分以上の時を我々は浪費してきた。
老年を迎えた今こそ、いつでも旅立てる用意を始めようではないか」
古代ローマの哲人セネカである。
政界で重用された彼はあるとき、全財産を寄贈するから引退させてくれと懇願した。
ときの皇帝ネロは許さなかった。
しかし反対を押し切って引退し、待望の哲学探究に没頭した。
そんなとき、友人のルキリウスにも引退を勧めたのが先の文章だ。
友人はシチリアの行政長官という高位にある人だったらしい。
作家の中野孝次さんは、セネカが長い間多忙と権力の座にあった人だけに、
その文章は「彼自身の内から発せられた悔恨であるかのように、
悲痛にひびく」と書き留めた(『ローマの哲人 セネカの言葉』岩波書店)。
陰謀や術策が渦巻く政界に身を置くことで降り積もる「悔恨」は、現代の政治家にも無縁とは思えない。
若くてなんの役に立たない政治かもいるが,中曽根元首相は85歳、宮沢元首相は84歳とも頭脳明晰
行動力もある。だが若い政治家の活躍に弊害になる可能性もある。
引退も止むおえないと思う。相談があれば 若い政治家におかしい行動が認められれば
忠告する立場の人で有ってよい。小泉首相の今の行動を阻止できなければ大した事はできない。
中国が有人宇宙船の打ち上げに成功した。
10月17日の天声人語より
シルクロードのオアシス都市敦煌は飛天の街ともいわれる。
石窟(せっくつ)内に描かれる多くの飛天の姿が街のシンボルになっている。
空を飛ぶ西洋の神々は翼をもっていることが多いが、東洋の飛天は翼をもたない。衣を翻して天を舞う。
中国が有人宇宙船の打ち上げに成功した。
発射センターには酒泉の名が冠せられている。
敦煌への入り口にあたる甘粛省の酒泉である。
名産の玉器で知られるが、もちろん敦煌の高名には及ばなかった。
今度の打ち上げで世界にその名が流れた。まさに飛天の基地として。
ロケットは、火薬とともに中国の発明とされる。
85年の筑波科学万博には自慢のロケット「長征3号」と一緒に、
11世紀に発明されたロケット「火箭(かせん)」の模型も展示されたそうだ
(五代富文『世界のロケット』日本工業新聞社)。
その火箭がシルクロードを通って西洋に伝わり「改良」されていった。
戦後のロケット開発は、冷戦下で東西の威信をかけた競争だった。
ソ連が世界最初の人工衛星打ち上げに成功した57年、
モスクワを訪れた毛沢東は有名な「東風が西風を圧する」という演説をする。
中国が開発したロケットや人工衛星も「長征」「東方紅」など毛沢東や共産党ゆかりの名前がつけられた。
今回の宇宙船は「神舟」である。
飛行士からの第一声は「感覚良好」という素直なものだった。
中国国旗と国連旗を掲げるポーズもした。
国威発揚の事業とはいえ、振る舞いに大仰さは感じなかった。
東西文明の交差する地からの宇宙への飛翔(ひしょう)である。
平和と融和の使いであってほしい。
中国は身近な国である。殆どの身の回りの製品に「中国製」と記されたものが多い。
この5年くらいの間に飛躍的に増えている。昔からの中国と日本の関係は深い。
漢字文化 東洋思想は全て先進国だった中国から輸入されてきたものである。優れた人物も歴史上多い。
最近中国旅行して感じたことは子供の頃にうえつけられた蔑視の言葉は嘘であることを知る。
ただ一つだけ,十二億人もいる雑多の人たちの思いを共産党一党支配だけで代弁する事の矛盾は出てくると思う。
まだそこまで成熟していないのかもしれない。
地球は一つだの時代に入りつつある。
日本道路公団の藤井治芳(はるほ)総裁の軌跡を振り返ると
10月18日の天声人語より
極めて順調、しかし平凡な役人として余生を迎えるはずの人だったのかもしれない。
日本道路公団の藤井治芳(はるほ)総裁の軌跡を振り返ると、日本の官僚像のそんな一典型が浮かんでくる。
寝食を惜しんで仕事をした。
「睡眠時間は20代で2時間、30代で3時間、40代で4時間で十分」と部下たちに語っていたそうだ。
ただし、多くの時間を政治家の「ご機嫌とり」や「根回し」に費やさねばならないのが官僚の宿命である。
有力議員の事務所に朝一番に行ってお茶を入れる。
夜遅くまで政治家の自宅で「陳情」をし、役所に戻って夜中の1時、2時から打ち合わせをする。
予算獲得のためには大蔵省にも日参しなければならない。そんな毎日に耐えられる意志と体力が必要とされる。
危ない橋も渡らなければならない。
中尾栄一元建設相の受託収賄事件に関連して、当時建設省顧問だった藤井氏の口座に
建設会社から600万円振り込まれたことが発覚した。
返却したとして落着したが、役人生活につきまとう「落とし穴」にはまるところだった。
官僚の頂点、事務次官就任後は、世論の批判を避けながらいかに天下りをするか、だ。
時期を見計らうように道路公団の副総裁、そして総裁へ。いわば指定席を手中にした。
しかしある日、息子のような年齢の大臣に呼び出されて辞任を勧められる。
藤井総裁は大胆に開き直った。
清濁入り交じる世界を泳ぎ抜いた藤井氏が、役人人生をかけて反撃するとすれば、
争いは個人の去就にとどまらないはずだ。
昨日の聴聞はほんの入り口での争いだった。
政界の膿は大いに出してほしいものだ。蓋をすれば政治の世界は病んだままである。
メスは大いに奮ってほしいものである。「死人がでる」とのことだが本当に人が死ぬわけでないから
大いに言ってほしいものである。
昨年2月に続いて今年もという
ブッシュ大統領の突出ぶりが目立つ。
10月19日の天声人語より
「昨夜は興奮の結果か、ねつき悪く、午前四時頃迄転々、八時過ぎ起される」。
65年1月、ワシントンで、ジョンソン大統領との初めての日米首脳会談に臨んだ日の
『佐藤榮作日記』(朝日新聞社)の一節だ。意気込みと緊張とが伝わってくる。
このころまでの日米首脳会談は、大体ワシントンで行われた。
日本での初めての会談は74年で、田中角栄首相がフォード大統領を東京に迎えた。
会談後の共同声明は「現職のアメリカ合衆国大統領による初めての日本国訪問は、
両国間の親善の歴史に新たな一ページを加えるものである」と、やや興奮気味に記されている。
51年の吉田・トルーマン会談から93年の細川・クリントン会談までには、60回の首脳会談があったが、
会場はワシントンが27回、ワシントン以外の米国の都市が14回で、東京は8回だった
(浅野一弘『日米首脳会談と「現代政治」』)。
80年代以降は、東京での会談も珍しくはないが、
昨年2月に続いて今年もというブッシュ大統領の突出ぶりが目立つ。
もっとも、今回は大統領専用機の給油のための「立ち寄り会談」だ。
夕食後の両首脳は笑みがこぼれ、うれしそうだった。
大統領の注文だったという和牛の鉄板焼きを、掘りごたつで十分に楽しんだのだろうか。
ふたりは、すっかりくつろいで軽やかな様子だったが、取り交わされた約束は極めて重い。
命がけの自衛隊派遣や巨額の復興支援金拠出への懸念や異論を、ご承知かどうか。
東京で養った英気を、多少なりとも「聞く耳」の方にも回してくれればいいのだが。
誰の目にも日本とアメリカの関係は対等の関係ではない。日本はアメリカからして
善良なるポチである。
敗戦後50年も経っている。対等の関係で有るべきである。努力すべきである。
沖縄の人たちは気の毒な戦後を暮らしておられる。
小泉にはポチで自己の政治生命を延ばす策略が透けて見えてくる。
彼が首相の間は対等の話は無理である。ブッシュの声は聞こえるが国民の声を聞く耳は持たない。
目抜き通りの車道である。
10月20日の天声人語より
「銀座は毎日顔が変る」と書いたのは、川口松太郎だった。
小説『夜の蝶』の冒頭で、「何処かの片隅が目立たぬほどに変って行く」と続く。
東京の銀座の顔が目立って変わったのに気づいたのは、数日前だった。
顔といっても街並みではなく、銀座八丁の真ん中を貫いている目抜き通りの車道である。
この銀座中央通りの、1丁目から4丁目までの車道の色が、黒いアスファルトから明るい灰色に変わっていた。
人通りの集中する4丁目交差点では、5丁目からが以前の黒さのままだから、灰色と黒とが交じっている。
はじめは何かの調合の間違いかとも思ったのだが、国土交通省による「環境舗装」の試みなのだという。
募る都市化のため、夏に都心部が高温になる「ヒートアイランド」現象は、
東京に限らず大都市で問題になっている。
そこで、舗装の表面に熱を遮る遮熱性の塗料を塗って、路面の温度の上昇を抑えようというのである。
抑制の効果は調査中という。
今回使った塗料が灰色っぽかったので、黒い所との差が際立ったようだ。
狙いはわかるのだが、率直なところ、中央通りの人工的な印象が強まったという感じがする。
この通りには植え込みはあるが、並木が無くなって久しい。
ビルの壁や街灯が目につくので、整ってはいるが、他の通りよりも無機的な印象があった。
今度の金属的な色合いを持つ車道は、それを一歩進めるような気がする。
「都会熱島」という課題への対応によって、より人工的になるのは仕方のないことなのか。
色も含めて、よく案配した方がいい。
小泉首相には、ブッシュ政権への
「協力・貢献」誇示だけでなく、
10月21日の天声人語より
名指しで「脅迫」されるのは気持ちのいいものではない。
イラク戦争をめぐり、国際テロ組織の指導者オサマ・ビンラディン氏とされる人物から
日本が報復の対象として挙げられた。
その信憑性(しんぴょうせい)はともかく、イラクへの自衛隊派遣や資金提供などで
日本が明確に一歩を踏み出したとの国際社会の見方を反映してはいるだろう。
国際社会に逡巡(しゅんじゅん)がある中だけに、日本政府の対応が目立っている。
しかし、小泉首相がブッシュ米大統領から受けたような感謝の声が広がっているわけではない。
「腰の引けた日本の少数の部隊を派遣することがイラクの秩序回復に役立つとはとうてい思えない」。
先日のフィナンシャル・タイムズ紙の社説の一節である。
米議会関係者に会ってきたという人からも、日本の自衛隊派遣歓迎、という雰囲気は乏しかったと聞かされた。
米軍の現地司令官が少し前、外国の軍隊はこれ以上いらないというような趣旨の発言をしたこともある。
緊迫した事態の中で他国の軍隊との共同作業というのは容易なことではないだろう。
そんなところへ自衛隊が行って果たして何ができるか。
なお疑問は大きい。
日本政府の決断は、日本国民の選択とみなされる。
「脅迫」に恐れをなすわけではないが、理不尽にも日本人であるというだけでテロの対象になりうる。
加担するということは、常にそうした危険を背負うということでもある。
小泉首相には、ブッシュ政権への「協力・貢献」誇示だけでなく、
危険を負担する日本国民に納得のできる説明をしてもらわねばならない。
日本政府の決断は、日本国民の選択とみなされるは困ったものである。
反対を唱えつづけても大多数の国民の意思と反対のことを小泉首相が決断している。
勝手なところで勝手なことをされていて「日本の決断」と言われてもそれは困ると言いたい。
日本は好んでイラクに自衛隊を派遣しようとしていない。
勝手に小泉が唱え与党が賛成して行く事になっただけである。それは国民の大多数の意思 自衛隊員の意思とも反している。
小泉さん貴方がまず一緒に自衛隊の先頭に立って行って下さい。
イグ・ノーベル賞をご存じだろうか。
10月22日の天声人語より
ノーベル賞の季節が終わったが、裏ノーベル賞とでもいうべきイグ・ノーベル賞をご存じだろうか。
まじめな研究や功績に与えられる賞だが、まじめなだけでは受賞できない。
水には記憶する能力がある。フランスの科学者が衝撃的な実験結果を88年、ネイチャー誌に発表した。
多くの科学者はあきれかえった。しかし何千人という科学者が同じような実験をしてみたという。
芳しい結果は出なかった。
後にネイチャー誌はその論文を削除することにしたが、本人は91年、第1回のイグ・ノーベル化学賞を受賞した。
彼は「正統派は新しい研究の邪魔をするばかりだ」と嘆いたそうだ。
バーベキュー好きの米エンジニアは、バーベキューグリルの炭にいかに早く点火させるかの実験を繰り返し、
ついに4秒以下にまでたどりついた。
ロケット燃料用の液体酸素を使っての点火だった。
難点は、グリルも燃えてなくなってしまうことだ。これが96年の化学賞だった。
平和賞が英海軍に贈られたのは00年である。
砲術学校の訓練で実弾を使うことをやめて、そのかわりに「バーン」と叫ぶことにした。
3年間で500万ポンドの節約になるという。節約とともに平和と静けさへの貢献が評価された。
日本も、犬語翻訳機のバウリンガルが02年の平和賞を受賞するなどたびたび受賞者を出している。
米ハーバード大学出身の雑誌編集者が始めた賞で、「まず人々を笑わせる。
そして考えさせる」が趣旨という。
「イグノーブル(不名誉な)」をもじった賞だが、どうして、なかなかすてきな賞である
世論の「支持」がなければ支配は成立しない
10月23日の天声人語より
ナポレオンはスペインを侵略し、しばらく侵略状態を維持したが、
スペインを支配したことは一日たりともなかった。
そう述べたのは、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットである(『大衆の反逆』白水社)。
こう続く。「彼は権力を持っていたが、ほかでもなく権力しか持っていなかったがゆえに支配できなかったのだ」。
世論の「支持」がなければ支配は成立しない、との趣旨である。それは1万年前だろうと現代だろうと同じことだ、と。
イラクの現状を聞くにつけ、思い出される言葉だ。米英軍は軍事的に「圧勝」した。
しかし、イラクを現実に支配しているのか。イラク世論の支持を得ているのか。
かつてのスペインにおけるナポレオンと変わりないのではないか。そんな思いが募る。
占領軍へのゲリラ活動だけでなく、様々な摩擦が生じているようだ。
米軍の爆発物探知犬への反発も一例だろう。
犬を不浄とするイスラム文化への配慮のなさからの摩擦だ。
水や石油の供給をめぐるサボタージュも起きているらしい。
「陛下、銃剣をもってすれば何事もできますが、ただ一つ、できないことがあります。
それは、銃剣の上に安座することです」。タレーランがナポレオンに向かって語った言葉である。
オルテガが引いている。
これらの文章は1929年、マドリードの新聞に掲載され、翌年本にまとめられた。
そのマドリードできょう23日、イラク復興支援国会議が始まる。
資金援助をめぐる相談が主だろうが、オルテガの言う意味での「支配」再建も視野に入れてほしい。
形はイラク人の統治でも実際の内容はアメリカ占領軍の支配下ではイラクは可哀想である。
他人事ではない。
今の日本も敗戦後五十年の今もアメリカに支配されているのではないかと思われる。
日本だけでなく世界にアメリカ軍が駐留している国々が占領下に置かれているともいえる。
そしてアメリカ文化に毒されていて,立派な文化と信じ込まされているのではないかとおもう。
百数十ヶ国ある。アメリカの間接的植民地とも言えるのではないか。
老害」という言葉があるのなら「老益」もあっていい
10月24日の天声人語より
おかしいといえば、あの時既におかしかったのである。
96年の総選挙での、中曽根元首相に対する「終身比例1位」の保証のことだ。
終身というのは、その人がどんな状態になってもということだから、
国政を担う任務の重さを考えれば奇妙な策だった。
何とか、中曽根さんに比例区に回ってもらうためにひねり出した妙手のように見えて「禁じ手」でもあった。
その後、自民党に73歳定年制が敷かれた時、この保証は完全になくなったのだろうか。
少なくとも、ご本人の中では生き残っていたようだ。終身1位は「選挙民に対する党の公約だ。
それを破るのか」と、お怒りだ。
気持ちは分からないでもないが、どうしても今のルールや強引なやり方がおかしいというのなら、
無所属ででも小選挙区から立って、小泉さんに知らしめてはどうか。
今回の2長老を見るにつけても、
老いとは、穏やかさと頑(かたく)なさとのあわいを行き来する旅のようにも思われる。
かつての体や心のありようと今のありようや、周りの変わりようを、毎日感じて生きてゆく。
この、なかなかに容易ではない日々からは、単に言いなりになるのではない穏やかさや、
頑迷ではない頑なさも生まれているはずだ。
地位にこだわらず、老練、老巧な生き方をしている人たちはあらゆる分野に居る。
人生のベテランたちによる世の中への寄与は、その測り方がはっきりしないだけで、相当あるのだろう。
こんな見方も持たないと、超高齢社会は重く暗くなる。
「老害」という言葉があるのなら「老益」もあっていい。
少子化高齢時代に如何に老人が希望をもって生きることが老人にとっては大きな命題だと思う。
老いたから全てがマイナスばかりとは思えない。人生体験から気ずいた若い人達には判らないことを
知る事が多くある。テレビで見る限りは中曽根さんも宮沢さんも老化の兆しはみられない。
歩く格好とか姿はやはり老人である。二人が自民党に残れば発言を控える若者も出てくる。
やはり引退するのは当然である。一般のサラリーマンは75歳で定年である。
だからといって働けない身体でもない。続けてアルバイトをしながら職について働く人もいる。
それは良い事だ。
これからの時代,年金だけでは特に基礎年金だけで食べてるだけの生活はできない。
どうしても働かざるを得ない。如何に政府として働く手伝いをするかが問題になってくる。
肉体的に働く事は出来ないが人生の智慧を生かす道もあってよいと考える。
ザクロの木が1本ある
10月25日の天声人語より
通り道に、ザクロの木が1本ある。秋の深まりを映して、実は色づいていた。
陶器にも通じる透明感のある紅色の肌は、どこか古代の景色のようなものを感じさせる。
南西アジア原産で、有史以前から栽培され、東へ西へと伝わったという。
先日見たカナダ映画「アララトの聖母」では、ザクロが印象的に使われていた。
第一次大戦のころのオスマントルコによるアルメニア人の虐殺が主題だ。
監督のアトム・エゴヤンはアルメニア系だが惨事を描くだけではない。
故郷を追われた人々の移民としての暮らしや営みを、
時間軸を巧みに操りながら人間のドラマに仕上げた。
終盤で、主人公のひとりが母とザクロの記憶を語る。
その家の庭にはザクロの木があった。トルコ兵に連行される時、母は実を一つもぐ。
長い旅路になると予感した母は、毎日ザクロの実を一粒だけ口に入れた。
そっと大切にかじりながら、この一粒が1回の食事だと思って食べた。
そして続ける。「食べてみたまえ。一粒のザクロは私に二つのことを教えてくれる。
幸運と、想像する力だ」。
過酷な歴史に翻弄(ほんろう)された人々にとって、
ザクロは運命を共にする道連れであり、瞬時にふるさとに引き戻す力も持っていたのだろう。
旧約聖書で、ノアの箱舟がたどりついたとされるアララト山の周辺が映画の主な舞台だ。
その地を彩ってきたザクロの木々を想像しつつ、一粒を口に含む。
ほどよい甘酸っぱさが、さわやかで、どこか懐かしい。
多くの種をつけ、熟してはじけるザクロは、豊穣(ほうじょう)や希望の象徴でもあるという。
ザクロは子供の頃,裏の空き地に植えてあり,食べた記憶がある。酸っぱくて甘さは殆どない。
小さな実の一つ一つに種があり,食べる所はない。強くおさえつけるとシューと汁が飛び散る。
お腹が満腹になるようなものでは決してない。一日一粒では餓死は直ぐだ。
ザクロの一粒をあくまで象徴的に表現しているだけである。現実はそんなロマンな空想はわいてこない。
子供の頃に食べたザクロの酸っぱい記憶だけを呼び戻してくれる。
視聴率の「買収」
10月26日の天声人語より
何か、ことが起きる。世間の反応が二つに分かれる。
まさか、そして、やっぱり。
日本テレビの社員プロデューサーによる視聴率の「買収」にも、反応は両方あるようだ。
素人の最初の感想としては、まさかそこまでとは思うのだが、次のような本の記述を読んでみると、
やっぱりの方が頭をもたげてくる。
「ある人が調査記録の回収員を尾行して、標本所帯をみつけ出し、
ある番組をみてくれといって謝礼を渡した事件がありました」。
今回は、尾行は興信所がしたというが、よく似た「事件」ではある。
これは、20年前に出版された『視聴率の正体』の一節で、編著者は、
テレビ視聴率調査会社「ビデオ・リサーチ」とある。
しかも、先のくだりのすぐ前が「だいぶ昔のことですが」だから、相当古くからあったのかなどとも思ってしまう。
今回、社員が工作したという「4所帯」について、日本テレビの社長は、
関東地区の調査対象600所帯の「0・67%の意味しかない」というが、
これは「コンマ以下」の数字による目くらましに近い。
4所帯が見れば、調査結果としては約11万もの所帯が見たことになるというのである。
テレビの世界は、いわば「時間の帝国」だ。
誰にも広げることのできない1日24時間という絶対の枠に支配されている。
何を入れ、何を外すのかと激しい争いが続いてきた。
そこで常に振りかざされてきた視聴率の根っこが揺らいだ。
日本でテレビ放送が始まって、今年で50年になる。
視聴率という物差しの意味、軽重を少し落ち着いて考える頃合いだ。
視聴率の問題はテレビの世界では死活もんだいであることはわかる。
選挙たけなわのこの頃よく各党の支持率 内閣の支持率が報道されているが。
テレビ 新聞によりかなり違った数字が出ている。これも本当に調査しているのか疑問をもつように
なってくる。色んな影響を国民に与える。その影響を目的に違った数字を報道しているのではないかと
かんぐりたくなる。正確に調査されたものだとそれなりに意味もあるが,違った意図で報道されるならば
止した方がよいのではないかと感ずる。
恒例の正倉院展
10月27日の天声人語より
奈良・東大寺への西の入り口にあたる転害門(てがいもん)は、
南大門や大仏殿のにぎわいをよそにひっそりしていた。
その外に立って、正倉院の方を眺める。建物は木立に隠れて見えないが、若草山を遠望できた。
門に仕切られて、額縁におさまった風景画の趣である。しばし見とれた。
東大寺はたびたび戦火や火災の被害を受け、焼失と再建を繰り返してきた。
その中で、正倉院と転害門は幸運にも被害を逃れてきた。
8世紀半ば創建当時の姿を残す数少ない建物とされる。
恒例の正倉院展(奈良国立博物館で11月10日まで)を見たあとだけに、
あれだけの品々が千年以上も生き残った幸運を思った。しかも多くは、はるばる海を渡ってやってきた。
遣唐使という命懸けの文化交流がもたらした文物もあれば、
はるかシルクロードの西のかなたからたどりついたものもある。
今年で55回を数える正倉院展にも、国際交流の活発さを示す品々とその技能を貪欲(どんよく)に習得していった
国産の文物とが入り交じる。
唐からの華麗な鏡をはじめ、奈良朝ファッションをほうふつとさせる衣装や染織、彩色をめぐる展示品も多い。
聖武天皇が身近に置いたと見られる屏風(びょうぶ)があった。
その一つに記されるのは「任愚政乱、用哲民親」。自らに言い聞かせた言葉だったろう。
「国際化」が進んだ時代であったが、政争絶えない時代でもあった。
治めることの難しさを天皇もしみじみと感じていたに違いない。
正面から見た正倉院の建物はといえば、秋の日差しを受けながら、
いつもと変わらぬ優雅で重厚な姿を見せていた。
正倉院の建物,御物は世界の宝である。当時の人も,現代人から見て,今もも進歩せずに変らない同じ人たちの
作品群である
きょう公示の総選挙もマニフェスト選挙といわれる。
10月28日の天声人語より
「政治家とは極めて単純な人たちである」。そういっても誰も驚かないかもしれない。
しかし、研究の成果として科学雑誌「ネイチャー」に発表されたとなると、
やはりそうだったか、と多少の感慨もわく。
ネイチャー誌も人が悪い。記事の見出しは冒頭のような言い方なのに、中身を読むと、
人が政治家を評価する物差しは極めて単純である、ということのようだ。
90年代後半のローマ大学での研究である。
著名な運動選手や芸能人、そして政治家らの名前を挙げ、
2千人ほどの多様な人々に「人物評価」をしてもらう。
25の形容詞から選んでもらった評価を、五つの要素に分類する。
運動選手、芸能人らへの評価は五つに散らばった。
政治家だけ二つの要素に集中した。大雑把にいうと、そんな調査だ。
「行動的で改革志向」かどうか。「正直で信頼できる」かどうか。
政治家評価はこの二つである。
人々は投票するかどうかを決めるために、政治家については分かりやすい基準で判断するようになる。
研究者の見方だ。
名前を挙げられた政治家の一人が、イタリアのプロディ元首相だった。
マニフェスト選挙といわれた96年総選挙で、中道左派をまとめて勝利を収めた。
欧州通貨統合への参加と財政改革という明快な政権公約を掲げていた。
きょう公示の総選挙もマニフェスト選挙といわれる。
様々な争点をめぐって各党が政策を明示して戦うとすれば、結構なことだ。
評価する有権者の目が、結局は「改革志向か」「信頼できるか」という分かりやすさに行き着くとしても。
イラクでのゲリラ攻撃は不気味に範囲を広げている。
10月29日の天声人語より
明治初期、日本が国際赤十字に加盟するときのことだ。
過去に同種の事業をしたことがあるか、と問われた。
南北朝時代の武将楠木正行(まさつら)がおぼれる敵兵五百余人を助けて
衣薬を与えた故事で答えたという(芳賀矢一「国民性十論」)。
国文学者の芳賀は、外国からは「野蛮な国」と思われていたのだろうと苦々しげに記した。
加盟にあたっては、政府内に異論もあったらしい。
太政大臣三条実美(さねとみ)は「耶蘇(やそ)のしるしじゃ」と言ってキリスト教風の十字を使うことを嫌ったという
(吹浦忠正『赤十字とアンリ・デュナン』中公新書)。
赤十字の標章は、創設者デュナンの祖国スイスの国旗の形をそのままに、色を逆にするという発想からだった。
これが後々までもめごとの原因になった。
イスラム圏では十字には抵抗が強いということで、赤い三日月、「赤新月」を採用、組織も赤新月社と名乗るようになった。
ただし、グループの一員であることには変わりない。
27日、バグダッドの赤十字国際委員会の現地本部を標的にしたテロの実行グループは、
赤十字についてまったく無知だったとは思えない。
あえてその歴史的役割を踏みにじる行為に出たと考えるべきだろう。
イラクでのゲリラ攻撃は不気味に範囲を広げている。
占領軍への攻撃から、仲介ないし緩衝役の国際機関への攻撃へ。
戦場でも中立を保証され、救護活動をする赤十字への攻撃は、さらに一歩進めた挑戦的といえる攻撃だ。
暗澹(あんたん)たる気持ちになるとともに、
改めて占領政策の根本に過誤があるのではないか、との思いも強い。
改めて占領政策の根本に過誤があるのではないか、との思いが強いは誰もが考える事である。
いまどきに占領ということはどの民族も嫌う。イラク人の気持は良くわかる。
解放軍といっているのはただブッシュたちが言っているだけの事であって
イラクの誰もが頼みもせずに戦争を引き起こしているアメリカの行動が不透明である。
さらにその行動を支持し,自衛隊を派遣すること^の行動が誰が見ても不可解である。
いつの時代も楽しみを見つけながら生きてきた。
10月30日の天声人語より
最近の言葉から。画家・絵本作家の田島征三さんは、散歩のとき袋を持って木の実を拾いながら歩く。
「5月にモクレン。その前は山桜。それからエゴ、ヤシャブシ、マユミ、他人の別荘のタイザンボク。
ドングリはリスやタヌキが実を食べるので、はかまだけ」
「いつの時代も楽しみを見つけながら生きてきた。
戦争中には面白いコンサートも展覧会も味わえなかったが、
空や雲や花の色を楽しんだ」とは評論家の加藤周一さん。
「このごろ亡命生活に感謝するようになった。
名声とか利益、読者を見込むことができない状況でなお書くのであれば、
文学本来の目的に近づいているのではないか。
そう思うのだ」と語るのは、米国で暮らす亡命中国人作家の鄭義(チョンイー)さん。
作家の高橋源一郎さんは、政治家に「世界に冠たる国を作るとか、新しい歴史を作るとか、
安保理の常任理事国になるとか、そんな余計なことはしなくて結構。
そんなことより、小さく、静かで、たそがれた国を目指す方が、なんだか楽しそうではありませんか」と。
「どんな芽が出るか分からないタネをまくこと。
すぐには実りが期待できない、実るかどうかさえ分からない研究のため、
国が予算を組むことができるかどうかだ」と00年ノーベル化学賞受賞の白川英樹さん。
白血病と15年に及ぶ闘いを経て心臓病にかかり心臓移植を待つ平美樹さん。
「ホームページで心を開放したら、いろんな人との交流が生まれた。
個室から出られない私にとって、パソコンはドラえもんの『どこでもドア』のようなものです」
イラクに駐留する米軍
10月31日の天声人語より
イラクに駐留する米軍の士気は高いか?
星条旗新聞が10月半ばから7回にわたって現地報告をした。
米軍の準機関紙という立場から内部に深く入ることができる強みを生かしている。
意外なほど軍への遠慮が感じられない連載だ。鋭い批判も交えている。
「イラクでは、王子のような暮らしをする軍人もいれば、砂の上で寝る兵もいる」。
連載3回目の見出しである。
司令部をフセイン元大統領の宮殿に置く師団のスタッフは、室内プールからインターネットカフェまで利用できる。
「自分の部下には見せたくないね」と指揮官。
一方で、何カ月もベッドやトイレもなく温かい食事やシャワーにありつけない生活を続ける兵も少なくない。
「誰かが攻撃してくるまで座って待つだけの生活だ」。
待遇のいい部隊についての怨嗟(えんさ)の声も上がる。
「同じ敵を相手に戦っているとは思えない」
何のためにイラクにいるのか? ゲリラ掃討作戦で民家を訪れる。
通訳にノックさせる。恐怖に震える女性が出てくる。
「おれたちはドアをぶっ壊すのは慣れているが、ドアをノックするのには慣れていない」とある軍曹。
警察や民生関係の仕事をさせられているとの不満も上がっている。
約2千人が回答を寄せたアンケートでは、
35%が「使命があいまい」と答え「明瞭(めいりょう)」とした人とほぼ同数だった。
部隊の士気が高いと答えたのは16%、低いが49%、残りが「普通」だった。
ブッシュ大統領は28日「方針を変えるつもりはない」と語った。
現地の米軍兵士たちは、どう受けとめたことか。
時は過ぎ行く
自分が忘れていても,時だけは規則正しく過ぎて行く。
生きている間,地球号という大きな乗り物に乗り合わせた者達が現在一緒に生存している。
誰にとっても大切な一生である。一回きりの人生は誰も同じである。殆どが知らないもの同士が
乗り合わせている。一生に出会う人たち全部あわせて何人だろうか。多勢知っているように感じているが,
ほんのごく限られた人間同士の中で地球号に乗っている。
書物テレビなどの間接媒体を通じ知った人達を入れても,僅かな僅かな人たちだけの出会いである。
一人ずつが大切であって,偶然に,本当に偶然この世に生まれて同時代に生きることは極めて不思議な縁によって
地球号に乗り合わせている。互いにそのことを知るならば戦争なんか起きないように思うのだが。
だが不思議と有史以来戦争は絶えることなく続いている。
それでも時は正確に過ぎて行く。一回きりの大切な人生は終わりに向かい近ずいて行く。
例外は誰にも与えられていない。それでも今も時は過ぎて行く。
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