ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


随想 

平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 

平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成12年1月  2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 

平成13年1月 2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分10月分11月分 12月分 

平成14年1月分  
2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分


 



晩秋


寒さが次第に感ずる季節となってきた。今年の紅葉は暖かい気候がつづいたので,紅葉になる時期は例年に比べて遅れてきている。

嵐山パークウエ-イの途中にあるコスモス園を見に行く。1500坪から2000坪の一面がコスモスで被われた場所である。

見事なほどに美しい。コスモスは漢字で秋桜と書かれるだけあって日本的な花である。日本人には親しみやすい花だ。

又芸術の秋でもあり恩師並びに同窓生 ご近所の方達の絵画展覧会へ作品を観にでかける。

中学時代に習った絵の恩師の展覧会場で,偶然音楽を習った先生にもお会いできた。

芸術の秋にふさわしい季節での出来事である。昔と変りなくて,ご両人とも80歳近くになっておられるがお元気なのに驚く。

外見の年齢と暦の年齢と違う事をつくづく改めて思い知らされる感じであった。

今月の初めに総選挙があり,自民党がなんとか与党合わせ過半数に届いたが,一方の民主党はかなり票を伸ばし躍伸している。

公明党以外の小政党は軒並み当選者の数を減らしてしまった。小選挙区制度によるせいかとおもわれる。

だがこのような重大な時期を迎えているにも拘わらず,投票に行った人の数が少ない。投票率が伸び悩んだのは何故だったのか。?

景気は相変わらず閉塞状況である。依然デフレ不況は続いている。いつも練習に行っているゴルフ練習場も経営不振なのか,

閉鎖される事になり残念である。このようにお店の経営者が急激に変った時代は今までのなか珍しい現象である。

自衛隊のイラク派遣決定を小泉首相は総選挙後にのばし,選挙への影響をできるだけ少なくしようとしている。

大切な事を積極的に国民に信を問う心構えがなければ首相としては半分失格である。

これでは選挙は,政権に白紙委任するためだけの儀式にかわってしまうのではないか。!

野党との論戦を真面目に聞いていると腹がたってくる。全て小泉首相の答弁は詭弁とノラリクラリで逃げている。

本人が同じ質問もされているから同じ返答しか出来ないとして開き直っている。

イラクの社会情勢は益々悪化の一途をたどってきている。

テロは国連・ 赤十字など,米英国以外のイタリア スペイン ポーランドなどの軍隊にも

攻撃をかけるようになってきた。11月の米兵の死者が今までで一番多勢出た月になっている。

日本の外交官二人も凶弾に倒れた。二人とも四十歳台と若い方たちである。

小泉首相のイラク関係のアメリカ追従外交による始めての犠牲者になるのか。

首相はその家族に対しは深く謝罪すべきである。


そんな危険なイラクに自衛隊を人道復興支援を理由にして派兵しようとしている。これは正気の沙汰ではない。

ブッシュはこっそりとイラク空港に約二時間あまりアメリカ兵慰問訪問に行ったと報道されている。

「テロに屈するな オジケついてはいけない」と言い張っている張本人がテロの標的にならないよう隠密行動からして

本人自身がオジケついているとしか感じられない。

そのような指導者が「テロに屈するな」と言われても,イラクに派遣されている兵士達やこれから派遣される兵士達も

たまったものではない。

命令する側は安全な所から勇ましく号令はできる。テロに直面し,何時死ぬかの危険にさらされている人達にとつては

命がけの気の毒な話である。

世界中の人たちからイラク戦争反対が叫ばれている中で,死んで逝く兵士達もなんともやりきれない,死にきれない気持でいるに違いない。

イラクで起こっている銃撃、爆弾テロ、ミサイル攻撃が,テロかゲリラかレジスタンか,或いは今も戦場であるのか,

人によって解釈が違うような場所へ,何故に今さらに日本が自衛隊を派遣するのかわからない。


理由の一つとして復興特需とか国益とか色々言われているが,それ以上に人の命の方が大切である。

日本国民はお互い,皆が第二次大戦の戦中戦後のあの物資のない時期を乗り越えてきている。

そんなことしなくとも,一人一人の命の方がはるかにたいせつであることを身をもって過去に経験してきた。

富国強兵、お国の為に、勝つまでは欲しがりませんのスローガンで当時の為政者が指導し国民をどん底におとしてしまっている。

そのような貴重な経験した日本を誤った方向に再び小泉首相は導こうとしている。

既に現在イラクで援助活動している日本のNGOの人達も米軍の協力者とみなされようになり,

攻撃の危険にさらされるかもしれないと言われている。

危険が増しているイラクに日本の自衛隊の派兵は絶対すべきではない。

大変な約束をば小泉首相がブッシュとテキサスの牧場でしたものかと疑いたくなる。

仮にブッシュから高価な土産をもらつていたとしても国民にはわからない。

テレビで大写しだされる小泉首相のキツネにも似たような鋭い目つき,思いつめた表情が大変気にかかる。

石波防衛長官の表情も何かにとりつかれたように,まず自衛隊イラク派遣があるかのようにしか感じをうけない。

今の政権によって,日本の将来が大きく間違った方向に導かれるのではないかと非常に心配する。

そのためによる結果は,犠牲、被害がいずれ一般の国民にのしかかってくる。

日本が今のアメリカのような大国,強い国になる必要はなにもないのではかいのか。

世界から平和を求める国,互いに助け合う国,全世界から慕われるような国,

一人一人の命を大切にする国として認められるだけでそれで良いのではないかと考えます。

小泉首相のため,さらにはブッシュのために自衛隊員が命を棄てる事を

そして人の命を奪うかもしれないことを日本国民は決して望んでいません。

テレビでみる小泉首相は「暖かく自衛隊員を国民全員がイラクに送りだすように」との趣旨のテレビ放送を見たが゛,

小泉首相の死ぬかも知れない自衛隊員のイラクへの冷たい派遣命令に対し国民が怒りをもって反対している。

日本国民の6-7割が自衛隊員のイラク派遣に反対である。

でも首相はイラク開戦前もアメリカ支持で国民の意思を無視し続けている。

首相はイラクに民主主義を教え,ひろめようとしてとしているブッシュにも聞いて欲しい

「民主主義のイロハとは何ぞや」
と。





今は名作と言われる本にも、
一度は出版を断られ




11月1日の天声人語より



 本屋に行くことは、本の顔を見に行くことでもある。

平積みにされた色とりどりの本や雑誌が、こっちを向いてというように手に取られるのを待っている。

 それにしても、おびただしい数の本が日々生まれている。

そして、これだけ出ていてもなお出版に至らないものも多いのだろう。

今は名作と言われる本にも、一度は出版を断られ、もしかしたら日の目を見なかったかもしれないものがある。


 10年ばかり前に出版された『まことに残念ですが…』(徳間書店)は、名作への不採用通知の傑作選だった。

「まことに残念ですが、アメリカの読者は中国のことなど一切興味がありません」。

これは、パール・バックの『大地』への断り状である。

 「ご自身のためにも、これを発表するのはおやめなさい」は、D・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』への、

「人が筏(いかだ)で漂流するというテーマには魅力があるが、

全般的に、長く重く単調で退屈な太平洋航海記である」は、

ヘイエルダールの『コンティキ号漂流記』への不採用通知だ。

 編著者のアンドレ・バーナードは、出版社に勤めていた時には自分も断り状を書いていた。

自信を持ってはねつけた本が書店の棚を埋め尽くしじわじわ版を重ねていくのを見ると、口惜しさに身もだえしたという。

 本の街、東京・神田では「古本まつり」が開かれている。

いつもながら、路地や歩道に小さな人垣ができている。

主役は、日の目を見てから久しい本の数々だ。

年季が入って落ち着いたその顔は、柔らかな秋の日差しとほどよく溶けあっていた。



青年の頃,本さえあれば淋しい事はないと思った頃もあった。図書館でいつも感ずることは

沢山な本を見て殆どの本に接せずに人生を終わるかもしれないと。





イタリアのほぼ全土にわたる大停電



11月2日の天声人語より


 ひと月あまり前、イタリアのほぼ全土にわたる大停電に、たまたま居合わせた。

ローマの宿の周りが騒がしくて起きたのは、午前3時過ぎだった。

窓の下の通りに異変は見えないが、テレビがつかないので停電と知る。

 夜が明けても電気は来ない。

古代遺跡の都市が古代都市になったかと、街に出る。地下鉄が止まり電話も不通とフロントで聞く。

バスやゴミ収集車は動いていた。

商店は軒並み閉まっていて、あちこちでビービーと異常を知らせるような音が響く。

開いていたカフェでは、ろうそくの光の下、店員がノートにえんぴつで注文と売り上げを書いていた。

 歩いて、バチカンのサンピエトロ寺院近くのサンタンジェロ城へ行く。

停電のため入れないと職員が言う。確かに、明かりが無ければここは無理かと、

中のハドリアヌス帝廟(びょう)の暗さを記した一文を思い起こす。

 「暗闇を進む。何メートルかは、照明が足もとを照らしてくれる。

が、また、厚ぼったいマントのような闇がすっぽりと私を包みこむ」(須賀敦子『ユルスナールの靴』河出文庫)。

紀元2世紀に没した五賢帝のひとりの墓廟は真の闇の中だ。

 見る限りの交差点の信号がすべて消えている。

多くの虫が競って何かに群がるような、いつもの激しい車の走りも消えて、幾つかの角では譲り合いも見た。


 正午ごろ、裏道で、服屋の店先に明かりがともるのに気づいた。

久しぶりの現代の光は、遠慮がちに古い坂道を照らし始めた。

信号の戻った大通りでは車の警笛が鳴り響き、早くも、あの虫の走りがよみがえっていた。



停電は戦中・戦後の暫くは常にあった。現在は雷などで何年かに一度は経験する。

電気のない生活は現在は考えられない。停電が続けばパニック状態になることは間違いない。



日本語をつかわざるをえない
苦さや悲哀もにじみ出る。


11月3日天声人語より



 日本語文学という言い方がある。日本人でない作者が日本語で書くことをいう場合が多い。

日本の植民地支配を受けてきた人たちの作品もその例だ。

やむをえず日本語をつかわざるをえない苦さや悲哀もにじみ出る。

 〈日本人にありしは二十年短歌詠むは五十年を越す死ぬまで詠まむ〉。

こう詠んだ孤蓬万里(こほうばんり)さんは、本名を呉建堂という台北のお医者さんだった。

5年前に亡くなった。

彼がまとめた『台湾万葉集』(集英社)とその続編は、

本紙連載「折々のうた」で詩人の大岡信さんが紹介したこともあって、大きな反響を呼んだ。

 今春には、『台湾俳句歳時記』(言叢社)が出た。

「暖かい頃」「暑い頃」「涼しい頃」「寒い頃」に分けて台湾独特の行事や風物を解説し、

例句も添える。

たとえば夏の夜店は、冬には夜市(ヤアチイ)といい〈幾曲りつづく夜市を抜けきれず〉と、にぎわう。

こんな句もある。〈秋深き国へ発ちゆくバナナ船〉

 著者の黄霊芝(こうれいし)さんは「私は日本語で妻を罵(ののし)るが、戦後派の妻は台湾語でまくし立ててくる。

すると戦後生まれの娘が中国語で喧嘩(けんか)両成敗に乗り出してくる仕儀だ」


この多言語家庭は、まさに歴史のなせる業である。

 孤蓬万里さんは26年生まれで、黄霊芝さんは28年生まれである。

自分たちで台湾の日本語詩歌はほぼ途絶えるだろうと思っている世代だ。

その思いは、どんなに複雑で痛切であることか。

 詩歌を読んで「思わず我にかえる」ことの貴重さを、大岡信さんが説いたことがある。

台湾の日本語詩歌にもそんな瞬間をもたらす力がある。





イスラエル政府が去年から築いている分離壁は



11月4日の天声人語より


 フランスの画家デュビュッフェは壁の魅力をこう述べている。

「壁は大地と全く変わらないのですよ。垂直であるということを除いては。

……壁は、私にはあたかも一冊の本、豊かな本、書いたり読んだりできる本のように思えるのです」

(今橋映子『〈パリ写真〉の世紀』白水社)

 リトグラフ集『壁』(50年)を出版した彼のように、

パリの街の壁や落書きに魅せられた芸術家は少なくない。

パリの壁の落書きを数々撮った写真家ブラッサイは、

デュビュッフェのほかクレーやミロらを挙げながら「壁の発見」が

20世紀美術にいかに大きな意味を持ったか、を説いた。

 芸術家の想像力を刺激した壁が政治の世界に持ち込まれると、

しばしば醜悪さをむき出しにする。東西冷戦の象徴だったベルリンの壁をはじめ、いわば血塗られた壁は多い。

 カトリック系とプロテスタント系とが争ってきた北アイルランドもそうだった。

両者の居住区を分けるためにベルファストの市街地に築かれた壁は、皮肉なことに「平和の壁」と称されていた。


この地で30年以上も続くテロでは3千人以上が犠牲になった。

 イスラエル政府が去年から築いている分離壁は、すでに100キロ以上が完成したらしい。

パレスチナからのテロリスト侵入を防ぐための壁というが、

パレスチナ側から見れば「アパルトヘイト(人種隔離)の壁」である。

 ラッサイは、とりわけ壁の低い部分に描かれる子どもの落書きが感動的だと語った。

パレスチナの子どもには落書きの自由はない。想像力を拒む非情な壁である。



中国の万里の長城の時代, 東西ベルリンの壁 イスラエルとパレスチナの壁など全て不幸の象徴である。

壁をきずかずに全て平和である事になるまでは人類滅亡時まで続くのかもしれない。

争い事は現在の社会では司法制度が確立し,力の強さだけによって善悪つけるのでなく,裁判官 陪審員の判断で

善悪をつけるようになってきている。

国際間の間の争いごとにも人間の知恵としてこの制度が使われる時代が早くやってきてほしいものである。

国際司法制度はアメリカが反対している政権が続く限りにおいては戦争は絶えないのかもしれない。




「憲法は完成したが、
民主主義の出発であって完成ではない」。




11月5日の天声人語より



 「十万人の大唱和」。46年11月4日の新聞は、

前日の皇居前広場での憲法公布祝賀会を大きな写真入りで報じた。

「国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって確定されたのである」と

勅語が併せて掲載されている。敗戦から1年余のことだ。

 アフガニスタンの憲法草案が3日発表された。

日本の憲法公布記念日を選んでの発表というのではあるまいが、

長い戦乱を経て新しい国造りに取りかかる重要な一歩だけに、他人事(ひとごと)でないような気がする。

カルザイ大統領も「日本の戦後を見習いたい」という趣旨の発言をしたことがある。

 憲法起草の経過説明でも「アフガン国民は戦争に疲れ、平和を切望している」と言い、

国民が初めて積極的に平和への道程づくりに参加するのだ、と憲法制定の意義をうたう。

 ただし「戦争放棄」のような条項があるわけではない。

それどころか戦時を想定し、権限を大統領や政府に集中する「緊急事態」条項が盛り込まれている。

各地に軍閥が復活し、内戦模様が続く政情だ。


「過去のどの時期よりも事態は悪化しています」と医師の中村哲さんも現地から訴える。

 「他の宗教が法の範囲内で宗教儀礼をするのは自由」というものの、

イスラム共和国としてイスラム教に求心力を求めざるをえない。

制度は欧米流、精神はイスラムで、という方向である。

 「憲法は完成したが、民主主義の出発であって完成ではない」。

日本の憲法公布時にいわれた言葉は、イスラム的民主主義を目指すアフガンについてもいえるだろう。



平和憲法は日本の一番の宝になっている。成立の事情は別にして,戦争放棄を憲法で掲げている国は

世界中で日本だけではないのでしょうか。悲惨な戦争を経験した日本こそが得た一番の宝物である。

理念は時代を超えて大切にしてゆきたいものである。




専門家が信じられないようなことを国民はやってのけた。



11月6日の天声人語より


 政権交代はこうして起きる。

日本とは条件が違うことを承知の上で、

18年ぶりに労働党が政権を握った97年の英国総選挙を振り返ってみよう。

保守党と労働党による二大政党制が成熟した国でのことである。

 年金「民営化」が争点の一つだった。保守党は選挙前に、民営化を打ち出した。

財政を圧迫する年金事業の国営をやめ、保険会社に運用を任せる個人年金に移行する案だ。

「民営化と個人責任重視」を進めたサッチャー元首相の改革路線の帰結ともいえる方針だった。


 労働党は、相手の欠点をあげつらう「ネガティブ・キャンペーン」をしないというのが当時の方針だったようだ。

しかし年金問題では、時期を区切って集中的に保守党を非難した。

その後はまた自党の良さを訴える「ポジティブ・キャンペーン」に戻った。

 政権党である保守党は、野党の弱みをつこうとする。たとえば、国民の意見が割れる欧州統合をどうするか?

 「国民投票にかける」と答える。

積極的に受けて切り返す労働党に対し、保守党の選挙戦略は揺れたようだ。

「順調な経済」という最も大きな強みを政権党は生かせなかった、ともいわれる。

 労働党419議席、保守党165議席という結果は、大方の予想をはるかに上回る大差だった。

選挙戦略だけでなく、労働党改革を進めたブレア党首の若さと清新さも力あった。

保守党政権に国民が飽き飽きしていたこともあったろう。

 こんな感想が英紙に出ていた。

「専門家が信じられないようなことを国民はやってのけた。国民が主権者であることを実感した」



最後は国民一人一人の決意が不可能とおもわれることを可能たらしめると考えます。



宇宙の年齢はいくつなのか
米航空宇宙局(NASA)が137億歳説
いまのところ最も有力



11月7日の天声人語より



 その光が発せられたのが、128億3千万年前だった。

ハワイの「すばる望遠鏡」が観測した最も遠い銀河である。

宇宙は膨張しているから、遠ざかりながら、かろうじてかすかな光を地球に届かせたのだろう。

宇宙の生い立ちを知る手がかりになるという。

 そもそも宇宙の年齢はいくつなのか。長く議論の対象になってきた。

100億歳から200億歳の間を行ったり来たりした時期があった。

今年2月になって米航空宇宙局(NASA)が137億歳説を発表、これがいまのところ最も有力である。

 1929年に宇宙が膨張していることを発見、現代天文学の父ともいわれるハッブルは、

宇宙年齢を約20億歳と推定していた。

その後、地球の年齢でさえ40億歳とする研究が現れたりし、20億歳説は葬り去られる。

 半世紀以上前に世に出た有名な詩集を思い浮かべる。

当時21歳だった谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』である。思えば、ハッブルの宇宙と呼応していた。

「宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う/宇宙はどんどん膨んでゆく/それ故みんなは不安である

/二十億光年の孤独に/僕は思わずくしやみをした」

 いまならさしずめ「137億光年の孤独」だろうか。

どちらにせよ、膨張する宇宙と、くしゃみをする僕との対比は鮮烈だった。

宇宙の果てしない広がりにおののきつつも、些細(ささい)な日常を繰り返すのが人間である。

 星空が日ごとにさえてくるこのごろ、昔の人もこう詠んだ。

〈銀河澄朗たり素秋の天/また林園に白露の円かなるを見る〉(源順)


人間の小ささを心の底から実感できた時に神に対しての畏敬の気持が芽生え平和の大切さがわかるのではないだろうか。





晩秋から初冬へ、ゆっくりと季節が移ろうとしている。



11月8日の天声人語より


 バス通りへと続く細い道の途中に、朝顔が咲いている。

そこの喫茶店が、店の前に細い竹を何本も立てて、下からはわせた。

冷たい夏だったからかどうかは分からないが、咲き始めがかなり遅かった。

落ち葉の舞うころになって紫の花をつける姿がいじらしい。今日は、もう立冬である。

 朝顔ではなく「夕顔」にまつわる立冬のことが『源氏物語』に出てくる。

「今日ぞ、冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて、空のけしきいとあはれなり」

 もののけによって息絶えた夕顔と呼ばれる女性を、光源氏がしのぶくだりだ。

ちょうど立冬の日で、それらしく時雨が降り、空の様子も、じつにしみじみと哀愁をそそったというのである

(『新編日本古典文学全集』小学館)。

 晩秋から初冬へ、ゆっくりと季節が移ろうとしている。

人恋しい時節にもなりつつあるが、このところは、人を売り込む選挙カーがしきりに行き交っている。

人を押しつけられるのは少々うるさい。

ただし区割りの小さい都心部では、スピーカーの音量は以前ほどではないようだ。

絶叫調の連呼も減った気がする。しかし、運動最終日の今日はどうなるか分からない。

 春分、大暑、立冬のような二十四節気には、季節や時の移ろいを鮮やかに印象づける力がある。

立冬には、秋を惜しみ、厳しい季節を予感するだけでなく、1年の終わりや区切りを見通すような趣がある。

明日の投票日も、政治にとって大きな区切りだ。その後には、どんな季節が待っているのだろうか。

 音たてて立冬の道掃かれけり(岸田稚魚)


ゆったりとした気持が現代人に欠けはしていないか。





総選挙の選挙権のある人と、無い人である。



11月9日の天声人語より


 きょう日本に居る人は、二つに分けられる。

総選挙の選挙権のある人と、無い人である。

 20歳未満でなくても選挙権が無いのは、例えば次のような人たちだ。

日本国民でない人、天皇・皇族、懲役などの実刑が確定し刑の執行が満了していない人、

公選法、政治資金規正法違反の罪で選挙権を停止された人……

 外国人を除けば、ほとんどの人に選挙権がある。

当たり前のようだが、こうなったのは、それほど遠い昔ではない。

最初の普通選挙は1928年、昭和3年だった。

投票日の本紙の見出しは「明るき政治の大道 本日の一票に開く 放たれたる全民衆の総意」。

「全民衆」に女性が加わったのは、敗戦の年だ。

 戦後は、世界各地で植民地からの独立が相次ぎ、普通選挙も広まった。

その先達だったはずの米国で、あのキング牧師は57年にこう訴えなければならなかった。

「あらゆる種類の共謀が、黒人を選挙人登録から締め出すために依然として用いられている。

このような聖なる権利の否定は、まさにわが民主主義の伝統の至高の委託を裏切るものである。

(略)われらに投票権を与えよ」(『私には夢がある』新教出版社)

 19世紀半ばの南北戦争の後、黒人にも一応の選挙権が与えられた。

しかし南部諸州は投票資格として人頭税を設けたり試験を課したりして、実質的に黒人の選挙権を奪い続けた。

キング牧師たちの公民権運動を経て人頭税禁止の憲法修正がなされたのは、南北戦争から約100年後の64年だった。

 当たり前のような一票にも、それぞれに重い歴史がある。


選挙での一票の価値が変わりつつある。利権 買収 義理 人情で動く票が政治を荒廃させている。

不正を不可能とした電子投票が全て国民が投票できる時代がくれば,本心に近い投票が可能となる。

現在のアメリカも日本も真の民主主義国家ではない。カネと利権にまみれた民主主義である。 




小泉人気と改革路線とで突っ走ろうと
思ったところへブレーキがかかったかに見える。




11月10日の天声人語より



 政治の世界では「道」という言葉がよくつかわれる。

古くは「憲政の常道」から「中道」、そして「第三の道」が唱えられることもある。

21世紀最初のこの総選挙では二大政党制に向かう「新しい道」への扉が開かれたといえるかもしれない。

 少々古い話だが、新憲法公布後の最初の総選挙について

マッカーサーは「極左でも極右でもない中間の道を日本国民は選んだ」と評した。

社会、自由、民主3党が拮抗(きっこう)して大勢を占めたからだ。

ところが第一党になった社会党幹部は、思わず「えらいこっちゃ」と口走ったそうだ。

政権担当の用意などまるでなかったのだ。

 今回の選挙で政権交代を掲げて戦い、躍進した民主党がまさか「えらいこっちゃ」と口走ることはあるまい。

単独過半数に届かなかった小泉自民党の側のせりふではないか。

小泉人気と改革路線とで突っ走ろうと思ったところへブレーキがかかったかに見える。

 
あまり表に出なかった争点が影を落としたのかもしれない。

自衛隊イラク派遣や憲法改正である。


「いつか来た道」を思い浮かべ、自民党批判に回った人もいるだろう。

 こんな短歌を思い浮かべる。〈自動扉と思ひてしづかに待つ我を押しのけし人が手もて開きつ〉(安立スハル)。

選挙は、自民党安泰への「自動扉」ではなかった。

政権交代論とマニフェストを掲げて割って入った民主党が、いわば手でもって扉を開こうとした。

 扉の先にはどんな道が開いているのか。

平坦(へいたん)な道とは思えないが、「新しい道」を模索する国民の意思を軽く見ることはできない。





総選挙の開票が進む騒然とした夜、
芭蕉のこの句がしきりに脳裏を



11月11日の天声人語より


 〈此(こ)の道や行く人なしに秋の暮〉。

総選挙の開票が進む騒然とした夜、芭蕉のこの句がしきりに脳裏を行き来した。

政治の進む「道」について考えていたからかもしれない。

人の離合集散が劇的に起きる選挙という行事がもたらした感慨なのかもしれない。

 一夜明けて敗者の顔があれこれ浮かんでくるとき、その心境はまさに「秋の暮」であろうかと思ったりもする。

同じ時期につくられたもう一つの句は〈人声や此の道帰る秋の暮〉だ。

「孤独感に根ざした人懐かしさのこころ」とは加藤楸邨(しゅうそん)さん(『芭蕉全句』ちくま学芸文庫)。

 作家の沢木耕太郎さんが父のことをつづった『無名』(幻冬舎)には俳句の話がちりばめられている。

久保田万太郎が好きだった病床の父にどんな句が好きか、とたずねる。

〈あきかぜのふきぬけゆくや人の中〉だ、と。

 死後、父が残した俳句を句集にまとめた。秋の句が突出して多かった。

秋の部を二つに分け、秋に始まり、秋に戻る体裁にした。

生前最後の句も〈この路のつづくかぎりのコスモスぞ〉だった。

句集のタイトルは著者が最も好きだった父の句〈その肩の無頼のかげや懐手〉から「その肩の」にした。

 父が亡くなったのは11月だった。「父が死ぬのにふさわしい月」と著者は記す。

作品から推察できる命日は、きのう10日である。

俳句とは無縁の生活を送ってきた著者だが、あるとき、死にゆく父への思いが不意に五七五の形をとった。

〈ぽつぽつと命のしずく秋の雨〉

 暦の上で冬とはいえ、深まる秋を感じさせる雨が降り続いている。






自衛隊のイラク派遣問題で、
言うことなすことが、ちょっとおかしい




11月12日の天声人語より



 よもや小泉さんは、逃げるつもりではありますまい。

それにしては、自衛隊のイラク派遣問題で、言うことなすことが、ちょっとおかしい。

 民主党が増えた国会での審議を避けるため、

派遣計画の閣議決定を特別国会後に先送りするのではないかという。

これだけで十分おかしいが、投票日翌日の会見での言い方をみると、おかしいというより心配になる。

 自衛隊派遣に反対した民主党の躍進と民意との関係を聞かれて、こう述べた。

「反対と言ったのは民主党だけではない。共産党も社民党もむしろ民主党以上に反対していた」。

民主党は比例区で自民党を上回る票を得た。


いわば「比例第一党」である。

そこに表れた民意について、いつもの小泉さんらしいズバリの一言を期待したのに、どうしたのか。

 更にこう述べた。「与党3党は(派遣が)必要だとはっきりと言い、安定多数を確保できた」。

激しい選挙を終えたばかりの指揮官の強い息づかいとしては、分かる。

しかし派遣問題で国民の支持が得られ、その結果「安定多数」を確保したというのなら、

なぜ国民の目を避けるようなやり方に向かうのか。

「不安定多数」であることの証明なのだろうか。

 英インディペンデント紙は「日本の有権者は小泉首相を再任したが、与党は議席を減らし、

首相の自衛隊派遣の決定に異議申し立てをすると誓った野党が議席を増やした」と論評した


 国会議員は、大事な論議を託すために国民に選ばれた。

その仕事を早々と奪うかのようなやり方には、あらがうべきではないか。党派の別なく。


小泉首相は国民の声に常に耳を澄まし政治をすべきである。選挙が終われば全て自分に全権が与えられて,

なんでもできるとの考えではいけない。上位下達でなく,つねに民衆の声を聞く耳ももって政治をば進めて欲しい。

時代の情勢は常にかわる。そのたびに民衆の声をよく聞きながら最善の政治をお願いします。





「仕返しをしない勇気を持つんだ」と言って、
右ほおを殴った




11月13日の天声人語より



 ジャッキー・ロビンソンは米大リーグ初の黒人選手だった。

人種差別激しいころで、彼と契約を結んだドジャースの総支配人にとっても大胆な賭けだった。

まず、こんな態度に出たそうだ。

 「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない」

「仕返しをしない勇気を持つんだ」と言って、右ほおを殴った。

ロビンソンは「ほおはもう一つあります」と答えたという(藤澤文洋『メジャーリーグ・スーパースター名鑑』研究社)。

 47年がドジャースでの最初のシーズンだった。

南部出身の同僚選手から同じロッカールームに入れないでくれと苦情が出る。

相手投手は危険球を投げてくる。観客からはブーイングが飛ぶ。脅迫状も届いた。

しかし卓越した運動能力を持つ彼のプレーに多くの人は魅せられ「雑音」は消えていく。

 その年新設された新人王を獲得した。

黒人リーグに在籍するなどしていたため、新人としては高齢、28歳だった。

後に功績をたたえて、新人王には彼の名が冠せられるようになった。

 今年29歳、ヤンキースの松井秀喜選手が新人王を逃した。

「不正があった」と怒りを爆発させたスタインブレナー・オーナーはロビンソンの名を挙げて、賞の精神を説いた。

確かに経歴はどうあろうと大リーグ1年生は新人とみなされる。松井選手には、新人王の資格も、ふさわしい結果もあった。

 日本で10年、スター選手として活躍してきた彼は「新人にしては年を取りすぎかな」と柔らかくかわした。

彼の「無冠」を日本プロ野球への敬意と受けとめようか。






兵を引くこと、撤退することがいかに難しいか。



11月14日の天声人語より


 兵は疲れている。気力もなえている。

艱難辛苦(かんなんしんく)とうち続く危険には、どこかで限界を設けるべきです。

兵士たちの前でそういって撤兵を促す演説をする側近コイノスに、

アレクサンドロス大王はすぐには耳を貸そうとしなかった。

 兵を引くこと、撤退することがいかに難しいか。

側近の演説に怒って集会をいったん解散させた大王はしかし、4日間ほど沈思の末、撤退を決めた。

兵たちは歓声を上げ、涙を流したという(『アレクサンドロス大王東征記』岩波文庫)。

 撤退を勧めた側近は命がけだった。

兵たちの支持があったからこそできた行動だったろう。

「前進」という主張を撤回せざるをえなかった大王も悩んだに違いない。

「後退」を知らなかった将としてはつらい英断だった。

 現代の大王、ブッシュ大統領の悩みも深いはずだ。

大義が疑わしい戦争を始め、大規模戦闘終結宣言はしたものの、

協力国を巻き込んでの犠牲者はふえるばかりだ。


ここに来てようやく占領政策の転換を図ろうとしている。

イラク国民への「主権移譲」を早めるという。うまくいけば占領軍撤退を早めることにつながるだろう。


 かつての日本軍は撤退や敗退という言葉をつかうのを嫌がった。

代わりにしばしば「転進」という言葉がつかわれた。小泉首相も「転進」を余儀なくされるのではないか。

イラクへの自衛隊派遣再考の機会ととらえることもできよう。


 側近コイノスは「幸運に恵まれているときにこそ自重自制を」と大王に説いた。

総選挙に「勝利」した小泉首相にもいえるかもしれない。




自衛隊のイラク派兵は今の状況ではできないし,すべきでない。平和になれば復興の技術者民間人だけでよい。

自衛隊は本来日本国土を防衛する為に作られたものである。

国連軍ならば自衛隊を離した組織で日本として貢献すれば良い。強力な国連軍は是非とも必要である。

其れと同時に強力な力をもつた国連も必要である。

地球憲章でもつくり,地球全体が戦争放棄をうたい,それに違反した場合は国際司法裁判にかけて法律でもって罰する。

それでもいうことをきかない場合は国連軍が出動し,直接行動で違反者に罰を与える制度が有るべきである。

早くに「国益」といった言葉は死語になって欲しいものである。

現在は「国益」が各国のエゴをとうす為の錦の御旗のようにつかわれ,そして争いが絶えない。





外国語とのつき合いは
複雑さを極めている




11月15日の天声人語より


 幕末から明治維新にかけて、坂本龍馬や海援隊士らが記した「雄魂姓名録」という雑記帳が、

京都国立博物館にある。火薬の調合法や志士の和歌からカステラの作り方までと、内容は幅広い。

 外国語を書き記したような所もある。

少年という二文字の脇に、ヨングメンとある。

立定がスタート、静定がハルト、行進がマルスとなっている。

あの激動の時代にあって、龍馬たちと外国語との出合いには、どこか、のどかさも感じられる。

 それから百数十年の時が流れた。

近年は、経済の国際化や世の中のコンピューター化によって、外国語とのつき合いは複雑さを極めている。

国立国語研究所が、47のカタカナ語について、言い換えの最終案を発表した。

「仮想(バーチャル)」のように、既に使われているものがある一方で、

「等生化・等しく生きる社会の実現(ノーマライゼーション)」のような使いにくそうなものもある。

 最近は、職場や家だけでなく電車の中や公園のベンチにも進出している物体に付けられている

「パソコン」という言葉はどうか。

日頃やっかいになっているし、もう日本語化してしまったようだが、国語研に刺激されて、

あえて「神棚的電子箱」と言い換えてみる。


 多くの人々が毎日その前に行き、おもむろにそれを開き、

そこに示されているメールという「お告げ」によって、ことにあたる……。

やはり、的確、端的な言い換えは難しい。

龍馬ならば、どう訳すのだろうか。

 京都の近江屋で龍馬が暗殺されたのは、明治に改まる前年の11月15日のことだった。



外国語はどの時代にもあった。日本語事態が漢語 中国からの外来語で゛ある。

いまさらに外来語に目くじらたてる必要はないと考える。むしろ世界共通語の地球言語が

世界の統一した言葉としてかくりつすれば,これだけインターネットとか交通が発達した時代に

必要なことと考える。





ラムズフェルド米国防長官が
民間企業の最高責任者として
辣腕(らつわん)をふるった




11月16日の天声人語より



 来日したラムズフェルド米国防長官が民間企業の最高責任者として辣腕(らつわん)をふるったことがある。

70年代後半、傾きかけた製薬会社を優良企業に変身させ、数年で株価を5倍にまでした。

 下院議員、フォード政権下での首席補佐官や国防長官の経験はあったが、ビジネスの世界では素人に近かった。

危ぶむ声も強かった。かまわず彼はコストの削減や官僚主義の排除、外部からの人材登用などを強力に進めた。

80年のフォーチュン誌に「米国で最も厳しいボス10人」の一人に選ばれたほどだった。

 情け容赦のない人物、といわれることしばしばだったが、本人は「人の話に耳を傾ける」を信条にしていた。

他に「『知らない』といえる勇気を持て」「公約は控えめに、実行は多めに」なども挙げられよう

(J・A・クレイムズ『ラムズフェルド』KKベストセラーズ)。

 こちら日本では、傾きかけた組織に新しいボスが2人誕生する。

日本道路公団の総裁と社会民主党の党首である。いずれも「再建」は容易でない。

しかし、その成否は日本の針路にもかかわる。

 ラムズフェルド流再建の特筆すべき点を挙げれば、まず優先順位を明確にしたということだろう。

どこに問題があるかを精査し、何から手を着けるかをはっきりさせる。そのための実行手順を決める。

道路公団では、旧弊の洗い出しが急務だろう。社民党は、そもそもなぜ傾いたのかの点検が必要だ。

 ラムズフェルド氏に戻れば、「有能さ」が間違った方向に発揮されていないかどうか。

こちらは世界の平和と安全を左右する




悪智慧といわれるように,才能を悪い事に使われば,とんでもない世の中になってしまう。





苦しそうだった高橋尚子さんがゴール後、
平然とした表情で



11月17日の天声人語より



 ゴールしたとたんに崩れ落ちるのではないかと思った。

それほど苦しそうだった高橋尚子さんがゴール後、平然とした表情で、

笑顔さえのぞかせたのには驚いた。

きのうの東京女子マラソンで敗れたとはいえ、並のランナーではないと思わせもした。

 「足が棒になってしまいました」とは高橋さんの言葉だ。

私たちも疲れ果てたときに「足が棒になる」という。足がいうことを聞いてくれない。

それでも引きずるように歩かねばならないときもある。

高橋さんの場合は、30キロ手前あたりで急に「棒になった」らしい。それでも走り続けた。

 五輪女子マラソンで連続メダリストになった有森裕子さんが「人間の能力の不思議」について語っている。

走っていて、もう限界だと思う。しかし走り続けると「限界は、どんどん伸びていく」。

経験上の限界を突き破って伸びていく、と
(『わたし革命』岩波書店)

 逆の場合もあるだろう。練習も十分積んだし、体調もいい。

経験上は何の問題もないはずだ。ところが、突然どこかに変調を来す。

これもまた「人間の能力の不思議」だろう。

スポーツ選手たちはいつも、どちらに転ぶかわからない境界線上を走っている。

 引退を決めた横綱武蔵丸の体重は高橋さんの約5倍だ。

狭い土俵で一瞬の勝負を競う相撲では、重さは強力な武器である。

しかしバランスを崩すと重さは大きな負担になる。

武蔵丸も「棒立ち」になって力を出せない場面が増えていた。

 限界を感じた武蔵丸は去るが、高橋さんは、なお限界への挑戦を続けることだろう。




イラクでは、国連や赤十字が
狙われて多くの犠牲者が出た。



11月18日の天声人語より


 ソフト(soft)の原義は「快い」だという。柔らかい布や穏やかな音声を思えば、納得がいく。

しかし、このところ紙面で目につく「ソフトターゲット」という言葉には、穏やかならざるものを感じる。

 防備の手厚い軍隊や政府の施設などではなく、攻撃に弱い標的を、こう呼ぶようだ。

イラクでは、国連や赤十字が狙われて多くの犠牲者が出た。

アフガニスタンでも国連のフランス人職員が射殺された。

丸腰状態の相手に対する一方的な攻撃に憤りが募るのは自然なことだろう。


 トルコのイスタンブールでは、ユダヤ教の礼拝所でのテロで、多数が死傷した。

丸腰の人々に狙いを定める時、テロリストたちは何を思っていたのだろうか。

軍事占領のような、イスラエルによる対パレスチナ強硬策こそ丸腰の人々への攻撃ではないか、

と言うのかもしれない。

悩ましい問題で、歯切れが悪いのも承知だが、双方共に採るべき手段ではないと言うほかはない。

 イラクでは「ハードターゲット」である占領軍への攻撃が激しさを増している。

米軍も再びミサイル攻撃を始めた。政府は、自衛隊のイラクへの年内派遣を断念するという。

 自衛隊は、現地ではどう受け止められるのだろう。

英語での「Self−Defense Forces」の「自衛」の意味と実体は、なかなか理解できまい。

米軍のような「ハード」でもなく、国連のような「ソフト」でもないと言って、通用するだろうか。

 派遣の先送りにとどまらず、派遣そのものと、この戦争の「原義」とを見直す契機にしたい。



イラクへの自衛隊の派遣はすべきではない。する必要がない。危険なところには行さないとして,

何故に自衛隊がひつようなのか。武器が必要なところは危険なところである。

危険な所には行かさないならば,自衛隊の派遣は必要ではない。





現代の若者については、
年金離れが指摘されている



11月19日の天声人語より



 フランス象徴派の詩人、アルチュール・ランボーは、8歳の時に、こうノートに記した。

「僕は年金生活者になる」

 ギリシャ語やラテン語の勉強なんか、やらなくたっていいんだ、というくだりの後に出てくる

(『安東次男著作集』青土社)。

時代も、年金の意味も今とは違うが、アルチュール坊やの反逆の才際立つ一節である。

 現代の若者については、年金離れが指摘されている。

省みれば、若年のころから長いこと、年金と温泉は山のあなたの存在だった

それでいられたのは、「人口ピラミッド」の図が末広がりの安定感をもって教科書に載っていたからかも知れない。

 そう思って、最新のピラミッドを『住民基本台帳人口要覧』で見た。

5歳刻みでまとめた人口を、男女別に積み上げてある。上に行くほど高齢になる。

全国の合計で見ると、ピラミッドは崩れて久しいと知れたが、団塊の世代と、その子の世代が出っ張り、

高齢と年少の層がすぼむ「ちょうちん形」は辛うじて保たれていた。

 ところが、県別に見ていくと、女性では、一番上が最長で、

ほぼ下へ行くほど棒が短くなる逆ピラミッドの所が幾つもある。

長野、島根、高知、鹿児島などだ。

一番上は80歳以上を一まとめにしてはいるのだが、それにしても、「ピラミッド」と呼べる日はそう長くはないようだ。

 この図を見ていると、覆いかぶさるような負担の重みに若年層がおののくのも、うなずける。

若者に「年金生活者になる」と言わせたいのなら、税金全体の使い道まで広げて見直してみる必要もありそうだ。



収入がなくなった老人にとっては年金と貯蓄が唯一の収入源で゛ある。年金制度,保険制度が崩れば安心した老後はない。




視聴率買収工作をしたとされる
日本テレビのプロデューサー




11月20日の天声人語より


 60年ごろの日本テレビの社屋のことを作家の小林信彦さんは

「気のきいた町工場のような感じだった」と述べている(『テレビの黄金時代』文芸春秋)。

小林さんは、バラエティー番組の試写に招かれていた。

 開局7年目というのに、試写で見た番組は既に辛辣(しんらつ)なテレビ批判を織り込んでいた。

最後の方で司会者が「テレビには気をつけてください。

見方によっては、おそろしいことになります」と言って、恐竜イグアノドンの卵の話をする。

私たちはいま二つの卵を持っている。一つは原子力、もう一つはテレビです、と。

 町工場風の社屋は高層ビルに変わった。

生まれて50年、卵だったテレビも現代の恐竜に成長したといえよう。

世の中に大きな影響を与える一方、視聴率に操られて右往左往する恐竜である。

 視聴率買収工作をしたとされる日本テレビのプロデューサーは、

視聴率に拘泥しながらも神聖視はしていなかったようだ。

「たかが民間会社による調査にすぎない」との意識があったから、買収という安易な発想も生まれたのだろう。

 数字への「敬意」はあっても個々の視聴者への「敬意」がまるでうかがえない。

テレビ局側の転倒した意識が期せずして表れた事件ではないか。

たとえ少数しか見てくれなくても良い番組を、というような気概が通用しない時代になったのか。

 現代の恐竜、テレビは「飼い馴(な)らす人たちがいなくなれば、凶悪な面をあらわにする」。

かつては飼い馴らす術を持った人たちがいた。

後続世代は恐竜を放任してしまった。小林さんの嘆きである。



デジタルテレビが普及するにつれて,テレビのマスコミとしての立場が増して行く。

インターネットがテレビで見られるようになれば,益々に重要な存在となる。




彼女が療養所に隔離されたハンセン病患者



11月21日の天声人語より



 「てすりにもたれてゐる友/目かくししやうと思つて/そつと後にまはつたら/手紙をもつて泣いてゐた」。

1937年に書かれた尋常小6年の少女の詩だ。

彼女が療養所に隔離されたハンセン病患者だと分かれば、

故郷からの手紙を手にして涙する友、そして2人の姿が容易に思い浮かぶだろう。

 『ハンセン病文学全集10 児童作品』(皓星社)には、胸を打つ作品が多い。

晩秋の未明に旅立つ少年がいる。食事をする少年の傍らで母が旅支度をしている。

少年は「お母さん達者で何時(いつ)までも居(お)つて下さい」とお別れをした。

涙しながら何度も繰り返した。

 故郷から便りが届くと思い出が押し寄せる。

妹とれんげの花を摘んだり、唱歌を歌ったり、橋から石を投げたりした。

「今でも妹達は石を投げてゐるかしら」(高1女子)。

夜の浜辺を歩いていて「たまらなくなつて、『お母さん』と大きな声で呼んで」みたこともある(中1女子)。

 かつて闘病生活と隔離そして世間の偏見を背負わされて生きた少年、少女たちがいた。

ハンセン病はその後、治療薬が開発され、治療法も確立、完治するようになった。

国も過去の隔離政策の誤りを認めた。

 熊本県のホテルがハンセン病の元患者らの宿泊を拒否した「事件」には、憤りを超えて悲しみすら感じる。

せめて「事件」を啓発の契機にするしかない。

 「かなしみなんか乗り切るのだと心に力がわいた」。

一時帰郷から療養所に戻る中3の少年の思いである。

皆が陰口をきく中、ひとり励ましてくれた親友のやさしさに変わりなかったからだ。



ハンセン病は我々の時代の医師にとっても殆ど診る機会がない。忘れられた疾患のようだが,

このように社会問題になれば過去の病気でないことがわかる。





ケネディ元米大統領はまだ生きている



11月22日の天声人語より


 40年前のきょう暗殺されたはずのケネディ元米大統領はまだ生きている。

英雄神話につきものの「うわさ」が彼についても流れる。

一説では、テキサス州の老人施設で暮らしているらしい。

彼にインタビューをすると、こんな具合だろうか。

 まずイラク戦争について。「わが国の軍事力は、決して最初に手を出すためには使われないだろう。

これは、弱さの告白ではなく、力の表明であり、われわれの国家的伝統である」。


先制攻撃や予防的攻撃はしないという伝統を破った、と落胆しているかのようだ。

 難航する占領統治については

「われわれは、すべての国が同じような制度を採用することを期待することはできない。

画一性は自由の獄吏である」。


自由や民主主義を重んじるが、他国に押しつけることはできない、と。

「多様性」は米国の世界秩序観の神髄であるとも語った。

 あまりに楽観的ではないかとの問いには、力には力で対抗する用意は常にあると強調しつつ

「人類は戦争に終止符を打たなければならない。

そうでなければ戦争が人類に終止符を打つことになろう」


 彼の言葉は『ケネディ語録』(しなの出版)から引用した。

キューバ危機など東西冷戦の頂点をくぐり抜けていく時代である。

対テロ戦争がいわれる現代とは背景が違う。

危機を克服したケネディの言葉には美しすぎる面があるにせよ、底に流れる世界観は顧みる価値があるだろう。

 彼は「軍隊の力でなく構想の力で」とも語った。

いま直面する危機に必要とされるのも、まさに「構想の力」ではないか。



「人類は戦争に終止符を打たなければならない。

そうでなければ戦争が人類に終止符を打つことになろう」


この言葉は今の世界中の為政者に捧げたい。

特にブッシュのようなネオコンのような先制攻撃をしかける人たちに特に知ってもらいたい言葉である





樋口一葉の命日



11月24日の天声人語より


 新米の飯を、一箸(ひとはし)つまむ。

見たところは、いつものと、そう違いはない。

冷夏に見舞われた北の方の産で、出荷はかなり遅れたらしい。

その地での心労と勤労とを一瞬思い浮かべながら、かむ。

 白菜漬けを、少しつまむ。

ご飯のほのかな甘みを、ほどよい酸味が引き立てる。

飯をもうひとつまみし、みそ汁をすする。

栄養のことはともかくとして、晩秋の「日本の基本食」だけで、ほぼ満ち足りた。

 昨日は、若くして一家を背負い、食べてゆくことにも苦労した作家、樋口一葉の命日でもあった。

『明治文学遊学案内』(筑摩書房)に、昭和7年の『新潮』に載った古い座談会が収録されている。

「久米正雄 一葉女史なんか、結局どんな暮らしをしてゐたんですか。/馬場孤蝶 これは、金がないんだ。

日記を見ると、よく、一文なしになつた、それだから親類から商売を始めるといつては借りて来たりなんかしてゐた」

 一葉が雑貨、菓子などの小さな店を出していた東京都台東区竜泉にある「区立一葉記念館」に行ってみた。

忌日とあって、にぎわっている。中年以上が大半だが、若い人もいた。

「たけくらべ」の草稿などのある展示室は、すれ違うのも難しい。

一角には、一葉の肖像が入った新5千円札の見本もあった。

 ついでに、文京区西片の「終焉(しゅうえん)の地」も訪ねた。

大通りに面した碑には、黄色や白の菊の花などが手向けてあった。

明治29年、1896年のその日、肺結核のため24歳で他界。会葬者は十余名だったという。

 たましひのしづかにうつる菊見かな(飯田蛇笏)



このように一つのことに片寄らずに,広く社会全体のことに満遍なく話題に取り入れることのできる「天声人語」に

敬意をその作者に感ずる。




ネズミに似た小動物レミングといえば


11月25日の天声人語より


 ネズミに似た小動物レミングといえば、多くの方は集団自殺を思い浮かべるのではないか。

がけから海に飛び込んで死んでいくレミングの群れを撮った

ディズニーの記録映画「白い荒野」(58年)を思い出す人もいるだろうし、

雑誌などで見かけた写真や絵を思い浮かべる人もいるだろう。

 開高健のデビュー作にあたる短編小説「パニック」では、

大量発生したネズミが最後に湖に飛び込んで死んでいく。

レミングを例に引きながら、「飢えの狂気の衝動のために彼らは

土と水の感触が判別できなくなったのだろうか」と「集団自殺」を描いた。

ディズニー映画より早い57年の作品である。

 北欧などに生息するレミングが周期的に大量発生と激減を繰り返すことは古くから知られていた。

天候や食料の変動など原因はいろいろいわれてきたが、詳しくはわからなかった。

謎がさまざまな伝説や憶測を生んだ。

 最近のサイエンス誌に、新説が発表された。フィンランドの研究者らがグリーンランドで15年かけて観察し、

大量発生したレミングは天敵に食べられてしまうことを明らかにした。

レミングが急増すると、キツネやイタチ類などの天敵も急増する。

つまり大量死は自殺でなく他殺だった、と。


 記録映画「白い荒野」についてはその後、買い取ったレミングを使っての演出だったとの告発もあったようだ。

米紙が改めてディズニー社に問い合わせたところ「当時の撮影方法についてはよくわからない」との返事だった。

 「集団自殺」は、どうやら人間がつくりあげた物語だったようだ。


レミングとはどんな生物かも知らない。一般に知られない動物,事柄には神話を作るのは容易なのかもしれない。




いわゆる「オレオレ詐欺」が横行している



11月26日の天声人語より

 俳優のレオナルド・ディカプリオが映画で実在の「天才詐欺師」の役を演じるにあたって、

当人からじっくり話を聞いたそうだ。その印象を本紙記者にこう語っている。

「会ってみて、なぜあんな犯罪を実行できたのか、理解できた。

目を合わせて心をとらえ、話を聞かずにいられない雰囲気をつくってしまうんだ」

 天才詐欺師と称された男は60年代後半、パイロットや医者、弁護士になりすまし、

企業などから数百万ドルをだまし取った。

その自伝を基にスピルバーグ監督が制作したのが「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」である。

 いわゆる「オレオレ詐欺」が横行している。

手当たり次第に電話をし、お年寄りらしい人に「おれだよ」などと言って息子や孫を装う。

交通事故などを口実に、至急お金が必要だと泣きついて銀行口座に振り込ませる。

そんな事件が今年に入って10月までに4千件近くあり、被害総額は22億円を超えるそうだ。

 手口に当世風の粗雑さを感じる。


「目を合わせて心をとらえる」天才詐欺師とは違って、声だけでごまかそうとする。

相手をパニック状態に追い込んでだまそうとする。

ちょっとした心のすき間に割り込む「オレオレ」の図々(ずうずう)しさには心寒くなる。

 未然に防いだ例もあるようだ。銀行などの窓口で、不審に思った係員が事情を聴いて送金を思いとどまらせる。

銀行に向かうお年寄りの様子を変に思ったタクシー運転手が家族と連絡を取るよう勧める。そんな例である。

 心やさしい被害者を救うのは、ささやかな「不審」の気持ちかもしれない



善意を逆手にとって犯す犯罪が増えて来ている。だからといって全て疑いの眼でみるのも心がすさむ。

犯罪は現在のような不況が深刻なときに多発するのではないかと思う。

早くデフレ不況から脱却してほしいものである。これだけ長引くのは異常である。





コロンビアで誘拐された日本企業現地法人の副社長



11月27日の天声人語より



 早くから政党政治が定着した国だと聞かされたことがある。

選挙の投票率が極めて高いのに驚かされたこともある。

外見上は民主主義の制度が整っていても、中身が伴わない例として、

南米のコロンビアという国を挙げることができるかもしれない。


 二大政党がしのぎを削っていたことがあった。その中身は憎悪と暴力との応酬だった。

40年代後半から50年代末にかけて党員同士の争いで20万人が犠牲になったともいわれる。

選挙ではしばしば銃の威嚇を受けながらの投票だった。

 比較的平穏な時期もあったが、反政府組織が勢力を伸ばしてからは内戦状態が続く。

「コロンビアのゲリラは、川とか湖のように山村の風景の一部分を構成する」。

米国のコロンビア研究者がそう形容したそうだ(藤本芳男『知られざるコロンビア』サイマル出版会)。

 途上国支援を進めるフォスター・プランは五つの事務所を残して活動を続けている。

今春現地を訪れた日本事務局の山形文さんは「どこの途上国とも違う雰囲気だった」と語っていた。

道路や港湾には約10メートルおきに政府軍が配置され、爆破を図るゲリラに備えている。

莫大(ばくだい)な政府予算がゲリラとの戦いに割かれるから、とても貧困層にまでまわらない。

 コロンビアで誘拐された日本企業現地法人の副社長が遺体で見つかったとの報に、

改めてあの国の病根の深さを思い知らされた


2年半以上にのぼる拘束生活を想像すると、痛ましさが募る。

 暴力がいったん社会に根をおろしてしまうと、抜け出すのは容易ではない。

そんな怖さも感じた。




外国は日本と違い治安が悪い。旅行すると良く判る。それだけ日本は整然として警察の目がひかり,

環境も整備されている。外国旅行から帰ってきてホットする気持になることがよくある。





中国・西安のはるか
北西の小さな村に住む
13歳の少女の話




11月28日の天声人語より


 中国・西安のはるか北西の小さな村に住む13歳の少女の話である。

名前を馬燕(マーイェン)という。ふだんは町の小学校に寄宿舎から通っている。

朝食は抜き、お昼は茶わん1杯のご飯ですます。おかずの野菜を買う余裕はない。

夜は小さな蒸しパン1個である。

 あるとき、ボールペンがなくなって彼女は大騒ぎをした。

「どんなにお腹がすこうが、倹約し」1年間の小遣いをつぎこんで買ったのだった。


それには「どれほどつらい思いに耐えたことか!」と日記に記した。

 働き通しで疲れ果てている母を見て「だからこそ、一生懸命勉強しなければならないのだ。

母さんと同じような人生を送らないために」と彼女は思う。

しかしあるとき、母から「もう学校へ行かなくてもいい」と言われた。

貧困は切実だった。彼女は「母さん、私は勉強したい」と手紙で訴えた。

 これが現地にいたフランス人ジャーナリストの目にとまり、

仏紙に彼女の日記とともに掲載されたのが昨年のことだ。

反響は大きく、馬燕さんらを支援する活動が始まった。

『私は勉強したい』(幻冬舎)にはその日記や経過が収められている。

 先進諸国は、途上国の基礎教育援助にどれだけ実績を上げているか。

先日、非政府組織「教育のためのグローバルキャンペーン(GCE)」が各国首脳にあてた成績表の形で発表した。

日本は100点満点の32点で、22カ国中15位だった。

小泉首相あての通知表には「純一郎くんは、全科目通じて成績不振でした」

 GCEによると、小学校にも行けない子どもが世界に1億人以上いるという。



勉強したくとも勉強が出来ない国々の人々が世界中にまだまだある。日本はその点恵まれた国である。





米国の感謝祭


11月29日の天声人語より


 日本でいえば盆と正月が一緒に来たような祝日といえるだろう。

米国の感謝祭では、遠く離れて働いている人たちも故郷をめざして帰っていく。

七面鳥などを食べながら久しぶりの再会を喜び合う。

元々はメイフラワー号で米大陸にたどりついた清教徒たちが、収穫を感謝する日だったらしい。

 テキサス州の農場でもブッシュ大統領一家が、両親もまじえてくつろいでいるはずだった。

当日の夕食メニューまで公表された。

その農場から26日夜、2人の男女がそっと抜け出るのに気づいた人はほとんどいなかったろう。

野球帽を目深にかぶった2人は、目立たない車に乗り込んで大統領機に向かった。

 男はブッシュ大統領、女はライス補佐官だった。

AP通信などが伝えるバグダッド訪問への隠密作戦の開始である。

後に大統領は「2人は普通のカップルと思われたことだろう」と話している。

 バグダッドに向かう途中、隠密作戦がばれそうになったことがあった。

飛行中の英国航空パイロットが「いま私が見たのはもしや米大統領機ではないか?」と

大統領機に無線で尋ねてきたのだ。機長は別の機種の名前を告げて切り抜けた。

 世界を驚かせた電撃訪問だった。

米軍兵士の多くも驚き、感激したようだ。

しかし世界で最も強大な権力を持つはずの人物が「占領下の国」をこっそり訪問しなければならないことに、

現状の困難さが浮き彫りにもなる。


 移住者に迫害されたとして米国先住民の間では「感謝祭を悼む」催しもあるそうだ。

イラクの人たちに電撃訪問がどう映ったかが気がかりだ。




いかにイラクが今も危険であることを世界に発信したニュースでブッシュが身をもって証明したことは大きい。

そのようなイラクで毎日のようにアメリカ兵か゛殺害され亡くなっていっている。

六月までの期限を一応つけブッシュは「テロに屈したらいけない」と兵隊達に号令をしている。

でも感激した兵士もいるから大統領とはたいしたものである。

だがこんな総司令官もいたものかと。

アメリカ兵士の士気は益々に落ちてやる気がない兵士達の代わりかどうかは分らないが、

そのような危険なところに自衛隊員派遣を決定した日本の政府にも呆れ,怒りを感ずる。

小泉首相も事前に予告してイラク全土を一ケ月間位視察してのちに無事に帰る事ができれば,

なんとか安全なイラクだと威張っていえるのではないでしようか。

今派兵すればアメリカが引いたドロ舟に乗りにゆくようなものである。

ブッシュのようなぶざまなことはだけはしないように。




そやさかい、戦争はやりまへんいうて
三つの約束ごとをきめましたんや



11月30日の天声人語より



 最近の言葉から。改憲への流れについてシカゴ大名誉教授テツオ・ナジタさんが語る。

それでは『主権の発想として戦争を否定する』という、戦後日本の大きな実験がなくなることになる。

ヒロシマと憲法で日本の主権を強くすること。自律の源はその辺ですよ」

 方言指導の大原穣子さんによる憲法9条の広島弁訳はこんな風だ。

「ほいじゃけ そのために、戦争をせんいう三つの約束を決めたんです」。

大阪弁は「せやさかい、戦争はやりまへんいうて三つの約束ごとをきめましたんや」

 「戦争が続いた少年の日、日本は大丈夫なのかという不安からわいた『日本て何なんだ』という疑問。

その源流が知りたくて、言葉を手がかりに時を超え、海を渡り、旅をしてきた」と国語学者の大野晋さん。

 イラストレーター黒田征太郎さんはサーチライトの中を飛ぶ米爆撃機の姿を思い出す。

「『キレエやなー』と思わず声をあげると

『あほか。あの下は地獄なんやぞ、いっぱいの人が死んでんねんぞ』と、しかられた」

 「とんでもない」。小津安二郎監督「東京物語」での原節子の言葉だ。

老父の笠智衆が「あんたはええ人じゃよ、正直で」とつぶやくのに対して発せられた。

映画評論家の蓮實重彦さんは「とんでもない」の強い響きから、小津映画を見直そうとする。

 作家の入江曜子さん。「この季節、自宅付近の路上で托鉢の僧とすれ違うことがある。

ゆったりと歩いているようでその足は速い。

振り返るとすでに姿は遠く、読経の声だけが山茶花(さざんか)の垣のあたりにたゆたっている」




「そやよってに,戦争やめときまひょうと三つの約束ごとを決めたんどすえぇ」が京都弁になるのかどうか。

京都に住みながら正確な表現がわからない。大阪弁の「せやさかい」は「そやさかい」の方が本当のように

思われる。

今となって世界で一番に誇れるのは戦争を放棄した日本憲法だと考える。

第二次大戦後ずーと戦争せずに来た日本が世界の人々から慕われ尊敬されて来たのは平和憲法のお蔭である。

それを小泉首相の時代に改憲しようとするのは,本当になんともいえない人が総理大臣になったものかと残念である。

是非ストップをかけて他の人に早く代わるべきである。

今回当選された「イラク自衛隊派遣反対」の加藤紘一氏が現在一番総理に適任て゜ある。

彼が犯したといわれる罪は小泉首相が犯そうとしている犯した犯罪行為に比較

すれば月とスッポンで微々たるものである。イラク派遣により自衛隊員が死亡し, 

日本の進路が大きく回転しようとする大事な時期である。

小泉首相は正々堂々と大犯罪を犯そうと今している。許せない。!

加藤氏も議員辞職後に地方の実情を知り多分立派な議員に生まれ変わっていると信じたい。





ゴルフ考


全て趣味の分野で,上達するには理論の習得,技術の習塾,実践の回数を増やし精神面での充実が必要と考える。

初めてゴルフのクラブを持ったのが30歳頃のことである。

医局に身を置いている頃のことなどで,趣味に費やすお金は殆どなく生活するに精一杯の収入だった。

家庭での健康保険料代金支払いが,収入が少なかったので生活保護法の人のランクが一つ上くらいの支払いですんでいた。

その頃から,現在迄の間ずっーととゴルフを継続していたならば,

多分にシングルプレヤーに近いところまでになったのではないかと悔やんでいる。

上達しない者のくやしさの理由かもしれない。

当時ゴルフクラブをセットで買うことができずに,一本だけのドライバーを買ってそれで練習していた。

今も記念のために自動車のトランクの隅に入っている。

この間,試みにそれで打ってみた所180ヤード前後位しか飛ばない。

今のクラブでは大体200ヤード位は充分飛んでいると思っている。

当時誰にも教わらず,独学で本で勉強するわけでもなく,ただ打つだけだったので、右方向ばかり飛んでいっている。

不思議な現象と思っていたがそれがスライスという名がついていることも知らず練習場で一回約100球位は打っていた。

当時はアイアンを打ったことがない。打った球の一球の料金が10円位で今とそんなに違わなかったような気がしている。

ゴルフが高価な時代の頃の話である。

だからゴルフを始めだしたのは他の人たちとはそんなに決して遅れていない。

ただ仕事が忙しくなり,費用がかさむので自然に辞めてしまっている。

当時又昼の休息時間を利用し,教室の連中達とバットゴルフを病院の前の公園でしていた。

それも時間つぶしのようなもので,ただ遊びとしてやっていた。

本格的にゴルフを始めだしたのはこの10年前くらいからで,

その頃,練習場で何回か練習をしているが,理論も技能もあったものではない。

ただ沢山球を打っていただけの練習で,そもそもは経済的に余裕ができ,運動の為に始めたのが動機である。

初めてコースを廻った日の朝,以前から始めている人よりも良いスコアが出れば悪いなぁと思いながら参加したが,

そのような心配は全く危惧に終わっている。

スコアが数えられずに最後までコースを廻ることなく途中で帰ってしまっている。

おまけにその朝,緊張のためかゴルフ場の駐車場で小さな自動車接触事故まで起こしている。

廻った後の疲れは,上手な人の二倍も三倍もあった。

それだけ沢山な距離を歩き,そして打たなければならなかったことである。

そのような状態が当分の間続いた。

そんなことを数回してからゴルフスクールに通うようになった。

教科書にそって理論をおしえてもらい,ビデオをみて次第に理論もわかってくる。

それと共に技術も上達しだして来た。

だが実践は伴っていない。理論と技術を習得していても,実際の場面に当たると練習であのように教えてもらったと,

考えている間はまだまだ良いスコアにつながらない。

次第に即決で習った事が実地に使えるようになればスコアはもっとアップするはずである。

現在はまだそのような段階に至っていない。その時こそゴルフが身についたとも言える。

だがゴルフの理論を学べば学ぶほどに幅広くて深く、技術も色々とあることが判りだしてきた。

完全と言うことはありえないと思う。ツアープロでさえも全員がコーチにつき練習に日夜励んでいる。

ゴルフは精神的な部分もかなりあることが判ってきた。精神を集中しながら,リラックスしてボールを打つことである。

ある一言がとんでもない方向に打ったりすることもある。

平静な精神に常になることは判っていてもなかなかできないものである。

それと暫く練習を休んだり,コースに出なければスコアは必ず落ちてくる。

今からゴルフのプロを目指すわけでもないから,楽しければそれで良いと言い聞かせるようにしているが,

どうしても悪いスコアが出れば楽しくはない。

だがこれからもゴルフは楽しむことにできるだけ,心がけていきたいものである。

「理論」「技術」「実践」「精神力」「楽しむ」はどんな事柄にでも当てはまるのではないかと思っている。

(伏見医報に掲載)



Homeへ
    
              

                                       10月分    11月分    12月分