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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


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お正月


年齢と共にお正月の来るのは,子供の頃に比べてあまり嬉しくない。

正月は「冥土への一里塚」という言葉が実感として響いて来る年齢にもなってきた。

今年の正月は特に寒くもなく,暖かくもない時候としては平凡な正月だった。

外出することなく家にとじこもったままである。近くのスーパーにでかけると人の山で疲れる。

正月元旦から開店していた。

米国によってもたらされたイラク事変が小泉首相によって日本の国もその事変に巻き込まれる

状態になってきた。

小泉首相が言う日米同盟 国際協調 イラクの為の復興支援の為に日本の自衛隊派兵するの言葉が

空しく聞こえてくる。

さらに派兵される自衛隊の安全の為に情報統制をするいうことが実現されれば,昔の大本営発表同様

国民を一方の方向に導くために,政府による手段が着々と実行に移されようとしている感に思える。

これだけ自衛隊派兵反対がテレビ 新聞などのマスコミで氾濫していても,尚小泉首相の意思は固そうだ。

派兵されてからの衆議院 参議院の国会討論は民主党代表管氏は自衛隊派兵は「憲法違反だ」と言う,

その他の野党も同様に反論している。一方の小泉首相は「憲法には違反していない合憲だ」と強気の答弁をしている。

憲法とは全ての日本の法律の根幹をなすものである。

我々市民は道路交通法などの法律で監視されており,速度違反でもすれば罰金を科せられる。

議員達・業者も贈・収賄違反で議員を辞めさせらている人たちが多勢いる。

殺傷害罪などで起訴されている人たち等々全ての犯罪は裁判で゛裁かれている。

そのように両者が全く相反する「憲法違反だ」「合憲だ」としている場合は即刻に裁判所に判断を仰ぐのが筋の筈である。

自衛隊の派兵を直ちにやめさせる「さし止め裁判」を直ぐにでも野党は起こしてしもおかしくない。

現在の状態は与党 野党の人たちの誰もが裁判に判断を仰ごうとせず,「憲法違反」だ,「合憲だ」と言い張っているだけである。

これでは裁判制度が何のためにあるか判らない。

最高裁まで行って最高裁判事一人一人が合憲か憲法違反かを判断すれば,その判断をもとにこの高等裁判官が適当か

否かを,国民が衆議院選挙時の高等裁判官○ ×制度がこの時初めて生きてくる。

今の高等裁判官の○ ×はどんな意味があるのか,全く不明で儀式化している。

裁判は人間が発明した立派な社会制度だと考える。


こんな大きな法律違反を犯した人と決まれば,その人は死罪は勿論のこと,それに留まらず,家財は全て没収,

閣僚達は当然のこと,親類縁者も罰に服させる位にすべきだ。極めて重い大罪である。

(罰則が既に定めてあれば別の話,なければ早々に作るべきである)

ただの道路交通法違反で゛はない,法律の根幹をなす憲法を違反しているからである。

このようにしてイラク自衛隊派兵の決断は,最高司令官として大罪をば起こすことになるかもしれない

というギリギリの熟慮・判断をしてイラク派兵をば,小泉首相が決断したかどうかは極めて疑問に思われる。

国会討論などをみていると,どうしてもこの決断は極めて軽い決断にしか見えてこない。

そのために派兵された自衛隊員は勿論のこと,日本国民全員がテロ集団の危険可能性にさらされることになる。

今の超大国アメリカの行動をみていれば,全てが強いもの勝ちである。こんなことを放置していれば人間は「猿」と同じで

科学はどんどん進歩しても,社会制度そのものが昔と余り変らず,強いもの勝ちの世の中が続くだけである。

戦争の理由は強者から幾らでもつけることが出来る。そして一方にそのために虐げられた人たちが発生する。

裁判制度を充実させことこそが「戦争」の変わりに「裁判」で争いあう世の中になれば,

それが人類から戦争を止めさせる唯一の方法かもしれない。

京都議定書 国際司法裁判制度などへの参加を超大国アメリカは嫌がっている。

アメリカはいつまでも科学だけか゛進歩した「猿」の世界・国でありたいようだ。


時代は常に変っている。人類は「力」 「武力」だけが,強いものが勝つ時代から早く克服すべきである。




そこには砂の上に
ものを描く専門家がいる。



1月1日の天声人語より


 砂といえば、はかないものの象徴のように見られる。

砂の上にものを描く。風や波で消えていく束(つか)の間の営みでしかないだろう。

 砂に描く高度の技術を伝承してきた島があることを知って興味をそそられた。

南太平洋の島国バヌアツである。80年に独立した人口20万人ほどの共和国だ。

そこには砂の上にものを描く専門家がいる。

人さし指一本で、一筆書きのように美しい幾何学模様を描く。

模様には、さまざまな意味が込められる。

 たとえば宇宙の始まりが物語られる。

動物たちをめぐる神話もあれば、共同体をめぐる秘密やおきてもある。

魔術が描かれることもあれば、科学的知識も入り込む。人々が蓄積してきた記憶の倉庫なのだ。

砂上絵師は、芸術家であり、宗教家であり、科学者でもある。

100近くの言語に分かれている地域だけに、共通言語をつかさどる役目もあった。

 強固で永続するものを尊重する文化とは少々違う。

「石の文化」といわれる西欧から見れば、いや「木の文化」の私たちから見ても驚きだ。

この「砂の文化」が去年、ユネスコの「無形遺産の傑作」の一つに選ばれた。 


三好達治の詩「砂の砦」を思い浮かべる。

「私のうたは砂の砦(とりで)だ/海が来て/やさしい波の一打ちでくづしてしまふ」の一節を繰り返す。

だが「こりずまにそれでもまた私は築く(中略)この砦は砂の砦だ/崩れるにはやく/築くにはやい」

 いかに強固でも一度消えたら元に戻らないものもある。

消え去ることを恐れず、
持続することの強さがあることを「砂の文化」は教える



日本人は熱しやすく冷めやすいとも言われている。戦争は人類の敵であることを

訴え続けよう。戦争は歴史を振り返ればその当時,正義の戦いといわれていても時代が過ぎ去れば

全て当時の為政者の都合だけで行われて来ている。常に庶民が犠牲者になってきた。

こんな矛盾をは‘放置できますか。!

今の自衛隊のイラク派兵は将来の日本にとって禍根を残す端緒のもとである。




彼は指揮官として硫黄島で米軍に激しく抵抗、
多数の兵士とともに戦死した。




1月3日の天声人語より



 「これはお父さんが数の子をわざわざ取り寄せて、それだけむしゃむしゃやらかしているところです。

とてもとてもうまいな」

 米国留学中の栗林忠道大尉が幼い長男に送った絵手紙の一節だ。

1928年、陸軍から派遣された彼は、異国での生活を絵に描き、簡単な文章をつけた手紙を送り続けた。

食べ物の話、少年少女の様子、車の多い街のことなどが、とぼけた味のスケッチとともにつづられる。

 後に彼は指揮官として硫黄島で米軍に激しく抵抗、多数の兵士とともに戦死した。

そんな未来をまるで感じさせない牧歌的な留学生活だった。

ただ米国の「物量の力」を実感していただけに、対米戦は無謀だ、との思いはあったようだ。

 硫黄島から家族にあてた手紙には、現地での悲惨な生活を書き、命を大事にするようにいい、

自分の死を運命として受け入れるよう説いた。

手紙を絶対他人に見せないように、とも書き添えた。内容が率直すぎるとの懸念ゆえだろう

(『「玉砕総指揮官」の絵手紙』小学館文庫)

 東京・九段北の靖国神社の資料館「遊就館」には数多くの戦死者の遺影が飾られている。

栗林もその一人である。


「国難に殉じる」までの彼の軌跡を知る者は、遺影を前に、複雑な感慨を抱かざるをえない。

 小泉首相が元日、靖国神社に参拝した。初詣でという「日本の伝統」を語っていた。

しかし、ささやかな願いを込める多くの人々の初詣でと一緒にはできない。

自衛隊派遣を決断した首相の新年のメッセージであろう。

容易な年ではあるまい、との思いを深くした。




靖国神社には対米国の戦いの為に多くの若者が戦死し,そして祀られている。

対米国追従外交によって再び若者達が戦死するかも知れないイラクに派兵される

小泉首相の気持が理解できない。さらに何故に毎年隣国の反対を知っても,尚靖国神社に忍者のごとく

日本国民を騙し参拝しつづけるのか,・・・  とんでもない首相をもったものである。・・・

今の米国,ブッシュは傲慢である。飛びぬけた軍事力でもって世界を翻弄している。

そのブッシュにただ追従しかできない日本の小泉首相は情けない。ブッシュの忠実なる丁稚が番頭である。

フランス ドイツ 中国 ロシアなどの大国に見習うべきである。

靖国神社に祀られている英霊に対しても大変に申し訳ないことではないだろうか。





今年は申(猿)年,
「人間はほんとうに進化したのでしょうか」



1月4日の天声人語より


 小、中学校でも、高校になっても、担任以外の時々の先生は出席を取る時に滞っていた。

「ヤブキ……サルヒコかな?」

 申年生まれのイラストレーター、矢吹申彦(のぶひこ)さんが『銀座百点』の正月号に書いていた。

一方で、届けられるダイレクトメールには、申に勝手にニンベンが付けられていたりするという。

「いくらなんでもサルはおるまい、ニンゲンにしてやろうと云う善意の気配りだと思っている」

 今年の干支(えと)の申(猿)にまつわることわざや言い回しを考えてみると、

どちらかといえば、ほっとするというよりは苦みの勝ったものが多かった。

犬猿の仲、猿まね、猿知恵、猿芝居。

その人柄にふさわしくないことのたとえの「猿に烏帽子(えぼし)」や、煩悩や妄念にとりつかれた様を、

奔走する馬や騒ぎたてるサルにたとえた「意馬心猿」などもある。

 新年早々やや暗い気持ちになりかけたので、見方を少し変えよう。ヒトはサル目の動物だ。

架空の動物まで含む十二支の生き物の中で、サルは格段にヒトに近く姿も似ている。

そして近いからこそ「似て非なるもの」や、

ヒトの未進化の姿といった厳しいまなざしがサルには注がれたのかもしれない。

 三が日に届いた年賀状の図柄もサルが多かった。

踊るサル、瞑想(めいそう)するサル、雲を呼ぶサル、見ザル聞かザル……。

その中で、ゆったりとしたオランウータンの親子の写真の脇にあった一言が印象的だった。

間はほんとうに進化したのでしょうか」

 次の申年は16年。干支という習わしは、12年先と12年前のことを、同時に思わせる。



大宇宙からみれば、神様からみれば猿も人間も大した違いはないのではないか。

顔もブッシュが猿に似,小泉首相がキツネに似ていると思うのは僕一人だけだろうか。




10分とは、どれだけの時間



1月5日の天声人語より



 10分とは、どれだけの時間だろう。

あっという間とは言えないが、決して長くもない。コーヒー1杯を急いで飲む。

即席の料理ならできるとしても、手の込んだものは難しい。

都会の電車は、二つか三つの駅を過ぎる。

 映画『10ミニッツ・オールダー』は、世界の有名な監督15人が、10分ずつの枠で撮ったオムニバスの作品だ。

短編も、積もって長くなったため、「人生のメビウス」「イデアの森」の2本に分けられた。

 「時間」というテーマが、全体を貫いている。

それを象徴して、古代ローマの皇帝マルクス・アウレーリウスの言葉が流れるシーンがある。

「時というものはいわばすべて生起するものより成る河であり奔流である」(『自省録』岩波文庫)。

ベンダース、ジャームッシュ、カウリスマキ、スパイク・リー、ベルトルッチ、ゴダールらが、「回答」としての映像と物語を紡ぐ。

 好みその他、評は様々だろうが、それぞれの手法や人生観の違いが面白い。

時を同じくして名うての監督たちが撮り、記録した意味もある。

人生とは、いわば、数限りない同時並行のオムニバスなのだから。

 「おかしなことに、時間を節約するための手段を手に入れるほど、時間はどんどん少なくなってしまう」。

この映画の「公式読本」に、ベンダースの嘆きが載っていた。

「私の朝は大量のEメールに占領されています。今朝は60通ものメールに2、3時間取られてしまいました」

 ゆるやかな時の流れが去って、今朝から、日常の時間に戻る職場も多い。

10分間が、また重くなる





「天声人語」が大阪発行の朝日新聞に登場したのは、
100年前の1月5日だった。



1月6日の天声人語より



 今から100年前の明治37年、夏目漱石は東京帝大で「マクベス」を教えていた。

前年の開講以来評判が高く、教室は満杯だった。

しかし英国留学以来の「神経衰弱」には悩まされ続けていた。

 この年、高浜虚子に勧められて創作の筆を執った。それが『吾輩は猫である』の誕生となる。

正岡子規の門下の虚子や河東碧梧桐たちの会で披露され、

翌年の「ホトトギス」に載って、後の名声へとつながった。

 漱石・夏目金之助は、慶応3年(1867年)の旧暦1月5日に、江戸の牛込で生まれた。

明治改元の前年で、長い鎖国の後の「開化の日本」が、

初めて本格的に世界と擦(こす)れあってゆく様を身をもって体験し書き記してゆくことになる。

 「我々があの人は肉刺(フォーク)の持ち様も知らないとか、小刀(ナイフ)の持ち様も心得ないとか何とか云つて、

他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、たゞ西洋人が我々より強いからである」。

それは、自然と内に発酵して醸されたものとは違い、物まねであり、皮相、上滑りの開化だと、

明治末期の「現代日本の開化」という講演で指摘した。


その後の日本がたどった道を重ねてみれば汲(く)み取るべきものは今日でも大きい。

 ついでのことながら、「天声人語」が大阪発行の朝日新聞に登場したのは、100年前の1月5日だった。

全国の紙面に載るようになったのは終戦直後の45年9月からだが、

幾世代もの読者に支えられてきたことを改めて思う。

 漱石が教職を辞して朝日新聞に入社したのは、小欄が始まって3年後、第一作は『虞美人草』だった。


形が変っても現在の世相をみれば夏目漱石が揶揄したであろう日本は今も続いている。




七草がゆで無病息災を願うことには、



1月7日の天声人語より


 そろそろ年賀状の準備をしようか。このごろそんな人もいるらしい。

暮らしに旧暦を取り入れている人たちだ。

今年は1月22日が旧正月にあたるから、いまはまだ歳末に向かうところだ。

 旧暦のカレンダーを併用している友人は「月の満ち欠けへの関心が強まる」

「自然の推移にも敏感になる」と話していた。

新月から1カ月が始まり、月の形の変化とともに日々が移りゆく。

天空の月と暦の月とがぴったり呼応する。自然との一体感は強まるだろう。

 歳事と季節感とのずれをあまり感じさせないのも利点だ。

きょうの七草がゆも、いまは栽培された七草のセットを買う人が多いだろう。

旧暦だと、雪の下から野草が萌(も)え始め、若菜摘みの季節にさしかかる。

そんな地域も少なくない。七草がゆで無病息災を願うことには、

野草の生命力への敬意も込められていたのではないか。

 日本が旧暦を西洋流の太陽暦に改めたのは1873年からだった。

それ以前、江戸時代に太陽暦で正月を祝った人たちがいた。

オランダの学問を学んでいた人たちである。

 『蘭学階梯』などで知られる大槻玄沢が、江戸の私塾に同学の人々らを招いて宴を催した。

西暦1795年1月1日にあたる寛政6年閏(うるう)11月11日が最初で、半世紀近く続けられた。

オランダ正月という。

少数派とはいえ、世界の流れに取り残されまいとする使命感にあふれた人たちの集いだった。

 鎖国の時代に西洋の暦を取り入れた「先端人」もいれば、

あわただしい現代に古い暦を復活させ、ゆるやかな時間の流れにひたる人もいる。





描かれる鳥葬がなまなましかった。


1月8日の天声人語より


 40年以上前に出た『鳥葬の国』(光文社)という本に衝撃を受けた記憶がある。

文化人類学の川喜田二郎さんのチベット探検記である。

探検といっても、異文化の奥深くに入り込む学術探検で、

いわゆるフィールドワークの草分けのような記録だった。

 描かれる鳥葬がなまなましかった。

大石の上で遺体を解体して、ハゲタカなどに食わせる独特の葬送である。

「死体のすべての肉を鳥に食べてもらうように苦心」しながら解体する。

骨も石で打ち砕く。人々が去るのを見届けてハゲタカの群れが舞い降りる。

 「世界にほとんど例がないと思われる不思議な葬式を見た」。

19世紀末から20世紀にかけて、日本人として初めてチベットに入ったとされる河口慧海(えかい)はそう記した

(『チベット旅行記』白水社)。

 彼が描写する鳥葬は『鳥葬の国』とほぼ同じだ。連綿と続いてきたことがわかる。

一見残酷なようだが、輪廻(りんね)転生の考えからすれば自然な発想なのかもしれない。

 鳥葬は広い意味の風葬の一種といえるだろう。

英語でスカイ・ベリアルという。

天葬と訳すべきか、空葬というべきか。

確かに死者が鳥の一部になって大空を舞うと考えれば、晴れやかささえ感じる。

慧海も「鳥に食わすのがすなわち風に帰るのである」と書き留めた。

 中国の自治区政府が「不衛生」「非文明」だとして火葬に切り替える改革に乗り出したそうだ。

ハゲタカの方が遺体を敬遠する現象も起きている。人体に蓄積する化学物質が影響しているとの見方もある。

「文明」とは何か、について考えさせられる。



科学(物質)文明は目覚しく進歩しているが,精神(芸術・思想など)文明は変化は見られなか或いは退化している。


抗争を暴力団の勢力の維持・拡大のための
「事業」と認める判決を出した。



1月9日の天声人語より


 白昼の町中で突然、銃撃戦が起きたり、店に踏み込んでいきなり乱射したりする。

暴力団の対立抗争は、たまたま居合わせた人々を巻き込むことも少なくない。

 この物騒な抗争を、果たして暴力団の「事業」といえるかどうか。

巻き添えになった犠牲者の遺族らが起こした裁判でしばしば争われてきたところだ。

まさか殺し合いを事業とはいえないのではないか、と思う人が多いかもしれない。

実際、そう判断した判決もある。

 しかし、民法でいう「事業」と認めれば使用者の責任を問うことができる。

貧しい組員が引き起こした事件でも、資力豊かな組長に賠償を命じることができる。

法律解釈の難しいところだ。

 抗争の巻き添えになって射殺された警察官の遺族が起こした訴訟では、

大阪高裁が昨秋、抗争を暴力団の勢力の維持・拡大のための「事業」と認める判決を出した。

傘下の組の抗争事件だったが、頂点にいる山口組組長にも賠償を命じる画期的判決だった。

 事業という言葉の幅は広い。抗争を暴力団の事業というなら、戦争は国家の事業といえよう。

戦争の巻き添えで犠牲になった人たちは、どんな救済を受けられるのか。

攻撃の犠牲になったイラクの人々は、戦争を仕掛けた米国に使用者責任を問うことができるか。

米大統領に損害賠償を請求できるか。

 暴力団の組長の責任を問うことが容易になる暴力団対策法の改正案が、今度の国会に提出される。

「組織的暴力」という点では似ているにしても、国家間の抗争をめぐっては、

法の無力を感じることがいかに多いことか。



国家間の争いを、「戦争」を国際司法裁判所で裁き,人類から「戦争」をなくする努力の先頭に日本が

立つべきである。情けないかなその戦争の片棒を担ぐ首相が現在日本の首相である。

ひどい敗戦を経験した日本としてその体験を糧にしたような戦後の進歩は見られない。

自衛隊を軍隊にしようとする動きもある。

是非「戦争」を国際司法裁判所で裁き,人類から「戦争」をなくする努力の先頭に日本が立つような

首相が出現すべきである。世界で始めての唯一の核被爆国である日本のやるべき大切な責務でもある。




しかし「耳の方は、自分では自分を閉じることが出来ない



1月10日の天声人語より



 目はいつでも思ったときに閉じることができる。

しかし「耳の方は、自分では自分を閉じることが出来ないように出来て居る。

何故(なぜ)だろう」

 物理学者で随筆家、俳人でもある寺田寅彦の有名な問いかけである

(『俳句と地球物理』ランティエ叢書)。

眠っていても危険を察知できるから、など思いつきの答えはできるかもしれない。

しかし何となく見過ごしたり、気がつかなかったりしていることに疑問を抱く。

科学者に必要な才能だろう。

 「科学者とあたま」という随筆で、頭の悪さを推奨しているのも同じ趣旨だ。

分かり切ったと思えることでも、立ち止まって考えてしまう。

科学者はそうした「呑込みの悪い朴念仁(ぼくねんじん)」でなければならない、と

(『現代日本文学全集22』筑摩書房)。

 ふだん政治の話はあまりしなかったという彼だが、家族がこんな思い出を語っている。

列強と競って軍備拡張をするのは愚かなことだ。

それより、意表をつくことを考えた方がいい、といって奇抜なアイデアを披露した。

 東京のようなバラック建築の都市は空から攻撃されたら壊滅するだろう。

そこで、敵機来襲と聞いたら、全都民が外に出て赤い風船を放す。

「東京の空一面が真赤になる。敵の飛行機は必ず驚くに違ひない」。

ただし一度しか効き目がないよ、と付け加えた(『回想の寺田寅彦』岩波書店)。

東京がまだ空襲を経験していない頃、軍部が増長していく昭和初期のことだろう。

 非暴力抵抗というと大げさかもしれないが、

凝り固まりがちな現代の私たちの頭をほぐしてくれる発想だ。



「耳の方は、自分では自分を閉じることが出来ないように出来て居る。

何故(なぜ)だろう」。この答えは現在の政府の国会答弁を見ているとそれは嘘であることが判る。

耳の方も自分の都合の悪い事は聞こえないようである。まともに答えない。答えようとしていない。

都合の悪い事は素通りして耳に入らないようだ。




12日は「成人の日」である


1月11日の天声人語より



 20歳になったら、介護保険料を払い始める。そんな時代が来るのだろうか。

40歳からの徴収対象年齢を引き下げる検討がなされるという。

明日を担ってもらう人たちに、今も担ってと言うようなものだ。

 12日は「成人の日」である。

連休にするため、日付を動かすように変わったが、なかなか変わらないのは、「官製」の成人式のようだ。

根っこのところには、役所の伝統的な横並びの精神がある。

 こんな応募制は、どうだろう。

数カ月前から、その自治体が考えている成人式の日程と内容を広報紙やホームページに載せる。

首長や来賓の祝辞があるか、講演や公演があるなら誰なのかを知らせる。

これなら行ってみたいと手を挙げた人に入場券を送る。

人数が少なかったら次の年からは会場を小さくする。そして、だれも来なくなったら、やめる。

 この成り行きは極端だが、最近目立つ成人式での騒動は減るかもしれない。

中年や老年の人たちも、講演を聴きたいとか、新成人を励ましたいと言うのなら「旧成人席」を少し設ける。

 明日は、様々な祝い方があるのだろう。

あるいは、独りの人もいるかも知れないが、一度だけのこの日を前に、詩人の一言を贈りたい。

「がらがらつと/手が空の中でさけんだとき/しのびなきしてゐた俺の心を/だれがしるか」

(『草野心平全集』筑摩書房)

 心平20歳。中国・広州の大学から徴兵検査で帰国した折に、ガリ版刷りで出した最初の詩集の一節である。

おそらくは、自分ですら知り得ないわが心を、放り上げるような荒っぽさが、まぶしい。





脇の表示板には「ヒポクラテスの木」とある。


1月12日の天声人語より



 東京・広尾の日赤医療センターの庭に、1本のプラタナス(スズカケノキ)がある。

脇の表示板には「ヒポクラテスの木」とある。

77年の日本赤十字社創立百周年を祝って、ギリシャ赤十字社が寄贈した。

 由来を読む。世界医学の祖ヒポクラテスの故郷コスの町の中心広場に、

今も大きい『すずかけの木』が一本あって、

ヒポクラテスは晩年、その木陰で弟子たちに医を説いたと言われ、

いつの頃からか『ヒポクラテスの木』と呼ばれています」


 エーゲ海に浮かぶコス島の原木から挿し木して育てたという。

「樹齢推定三〇〇〇年以上」には驚かされるが、古代ギリシャの営みが、

今ここにまでつながっていると勝手に想像するのは楽しい。


 久しぶりにこの木を見に行ったのは、「ニュートンの木」が日本国内で増殖中と知ったからだ。

万有引力発見のきっかけになったというリンゴの木である。

原木ゆかりの木が、64年に英国から日本学士院長に贈られて東大付属植物園に植えられ、

分身が教育や研究用に譲渡された。

再譲渡は原則禁止なのに無断で広まっているらしい。

 正規に譲り受けた所での様子は、こんなふうだった。

学園のシンボルだから実は取らないので毎年大地に落ちてゆくという大学があり、

摘み取った実を皆でリンゴジャムにした小学校もあった。

 ヒポクラテスの木陰に入り、ニュートンの伝説のリンゴが落ちるのを見、味わう。

木という生命体の連なりを翼にして時を駆けることは、もっと広がっていい。

だが闇で広げられたのでは、その翼も泣くだろう。


ヒポクラテスの教えは世界の医学を志している人たちにとっては,特に医学の理論・技術は現在の方が遥かに優り進歩している。

だが大切な事は患者に対して接する「心」は全く昔と変らずに時代を超え延々と受け継がれて来ている。

緒方洪庵が書いた「扶氏医戒之略」もその精神を良く伝えている。

米国ではウイリアム オスラーが有名である。内容はヒポクラテスに発した教えであり,医師としての心構えが色いろと説かれている。




あくびのメカニズムについては
まだ不明な点が多い



1月13日の天声人語より


 連休明けの朝には、あくびをする人が目立つ。

あくびをする人を見ると、つい自分もしたくなる。あくびの伝染である。

どこの世界にもあるようだ。

 あくびのビデオを見せると約半分の人が誘われてあくびをする。

そんな研究を英紙が紹介していた。

あくびをする人の心理に無意識のうちに同調するのではないか、というのが心理学者たちの推論だ。

感情移入が苦手の人は伝染されにくいという。

 進化論的解釈もある。

私たちの祖先の集団生活の名残である。

一斉に休息をしたり、行動を起こしたりするときの合図のようなものだった、という説だ。

動物の間でのあくびの伝染も同じような意味があるという。

ただし、あくびのメカニズムについてはまだ不明な点が多い。

 どこかに障害があるときに出るあくびもある。

しかし、退屈したときに出ることが多いから、人前でするのはたいていは失礼とみなされる。

やむをえずかみ殺したりする。優雅なあくびというのはなかなか難しい。

 あくびをお稽古(けいこ)事にしたのは、古典落語の「あくび指南」だ。

師匠は「あなた方がなさるあくびは、駄あくびと申します。

一文の値打ちもない」といって芸事としてのあくびを教える。

たとえば、なじみの料亭へ行って一風呂浴び、

粋な遊びに繰り出そうかという江戸の遊び人が思わずもらすあくびである。

確かにぜいたくな無聊(ぶりょう)の図だ。

 伝染に話を戻せば、人と動物との間で生じるかどうか。

さすが動物好きの小林一茶、こんな句がある。

〈春雨や欠(あくび)をうつる門(かど)の犬〉。

自分のあくびを犬にうつした、と。


あくびは心身がリラックスした時についついでるようだ。

いつもあくびが出るような生活環境にいたいものである。

だが寝不足によるあくびは困りものである。

あくびの伝染はよいが牛 鶏 ハクビシンなどの動物からのウィルス伝染は

深刻である。




卵が高価で貴重な時代もあった



1月14日の天声人語より


 1億4千万羽ほどの採卵用ニワトリが国内で飼育されている。

1年でたぶん300億個以上の卵が日本人の食卓に上っている。

1人平均にすると年間300個ほどだ。世界でも有数の卵好き国民である。

 戦後、あらゆるものの価格が上がる中で卵はほぼ横ばいを続けた。

何十年もの間、1個10〜20円程度を前後する「物価の優等生」だった。

農場というよりは、工場といった方がいいような自動化された大量生産方式への

切り替えが原価を抑えてきたからだろう。

 このごろ、放し飼いなどをうたい文句にする高価な卵も増えている。

多様化は結構なことだ。一方で低価格に泣く養鶏家も少なくない。ときに暴落する。

季節によっても変動する。

夏にかけて安くなり、クリスマスケーキやおせち料理用に需要の増える年末にかけて高くなる。

 6月にとれた卵を冷蔵しておいて12月に売り出す。

価格変動を「悪用」してさばいた京都の事件は「優等生」の卵への信頼を失いかねない。

最も身近な食品の一つだけに、消費者の安全への関心は高い。

信頼を壊すのは卵を割るように容易だ。

 山口県で発生した鳥インフルエンザも油断できない。

韓国での大量発生は「対岸の火事」ではなかった。

渡り鳥という越境者がウイルスを運んだという説がある。

そのウイルスが鳥から人へと越境するかどうかが心配だ。

卵や肉を食べることで人に伝染した例はないというから、騒ぎすぎは禁物だが。

 〈収入なき父が病む我に金を置き卵を置きて帰り行きたり〉(高安国世)。

卵が高価で貴重な時代もあった。


鳥インフルエンザがやかましく言われるようになってきた。SARSに始まり牛による牛海綿状脳症(BSE)が

そして鳥インフルエンザである。牛丼は中止になり豚丼がかわりになり,そして鶏もである。

その前には鯉がウィルス感染による大量死があった。

短い期間一度にこのようにウイルス感染が流行りだすと何か薄気味悪い気持がしてくる。

まさか生物兵器で,人に対し恐怖心を与えるために,某国がばら撒いているのではないかと

考えたくなってくる。まさかとは考えるが。





第17回現代学生百人一首


1月15日の天声人語より



 若者らしい感傷もあれば、いつの時代にも変わらぬ情感もある。

東洋大学が募集した恒例の「第17回現代学生百人一首」には、

昨年より6千首以上多い6万3千首近い応募があった。

 青春を閉じこめる狭い空間と逃げ足の速い時間のなかで。

テスト・試合・部活に勉強窮屈な私のために秋空は高い〉高2・橋本奈津子。

将来と17歳と制服に急かされるように生かされている〉高3・今野英理子。

五里霧中悪戦苦闘支離滅裂七転八倒大器晩成〉高3・竹本雄亮。

 大事な人への思いを詠む。

周りよりゆっくり進む舟ですがあなたの言葉が私の舵です〉養護学校2年・中野考博。

親指で想い伝える午前0時ぴったり届けバースデーメール〉高3・中野珠見。

 内省に向かう。〈悲しみを薄めたやうな色合ひの入浴剤を今日はためらふ〉高3・橋爪千夏。

「オレゴンに帰りたいよ」と泣いていた私が選ぶ国文の道〉高3・上村紗恵子。

 盲学校から。〈私の目見えなくなる日くるんだよそれでもいいとつぶやく夫〉1年・神谷妙子。

だめでもいいやってみたいのできるだけそれでもだめなら自分の責任〉3年・鈴木沙耶。

小学生も応募した。〈なんとなくそうだと思うたぶんそうそうかもしれないそうだといいな〉6年・西塔由紀子。

 選外作から。〈遊んでよかわいくつぶやく父の声 背中に聞きつつデートに行くの〉高2女子。

死にそうと嘆いた僕に母言ったほんまにやすい命やねんな〉高2男子。

矛盾する大人の言葉「夢を持て」持ったところで「現実を見ろ〉高3女子。





武器輸出三原則と非核三原則


1月16日の天声人語より



 「一切武器輸出はしないということを明確におっしゃることはできませんか」。

76年の衆院予算委員会で、そう言って当時の三木首相に迫ったのは公明党の正木良明議員だった。

 紛争当事国などに武器を輸出しないという武器輸出三原則を佐藤内閣が示してから9年後、

三木内閣がさらに一歩進める政府見解を出したときの質疑である。

非核三原則とともに、日本の平和主義を世界に公言する原則である。

 ストックホルム国際平和研究所がまとめた世界の武器輸出額を示す一覧表がある。

1位は米国で、ロシア、フランス、ドイツ、英国と続く。

「サミット」に参加する主要国ではカナダが13位、日本は下から4番目の62位で、金額はゼロに近い。

 この一覧表を見て一応安心する。

武器輸出三原則はほぼ守られている。

先進国では例外といっていい立場だ。しかし、これではまずいと思う人もいるようだ。

世界から取り残されるというあせりからだろうか。石破防衛庁長官が三原則の見直しを促す発言をした。

 「死の商人」といわれる武器商人を描いた『私は世界に武器を売る』(竹内書店新社)にこんな試算があった。

交戦での戦闘員の死亡率は18世紀は15%、19世紀は10%、20世紀は6%と下がった。

一方、全人口でみると戦争による死亡率は、

19世紀前半の0・1%からしだいに増え、20世紀前半は2・1%、後半はさらに増える、と。

世界中に武器が出回ることで増える犠牲者の多くは、一般の人々であることを示す。

 
「死の商人」の仲間に入らないという決意は大事にしたい。



大国といわれている中で日本だけ「死の商人」が少ない。統計に表れないものもあろう。

「死の商人」を持たない特別な国であることを大切にして日本の誇りとしょう。




被災地と人々の姿を詠み続けている。


1月17日の天声人語より



 江戸時代の後期に、菅江真澄という人がいた。

若い頃、今の愛知県にあたる三河の生地を出て諸国を旅し、帰郷することはなかった。

たぐいまれな旅行家であり、民俗学者でもあった真澄は、

秋田の男鹿半島で遭遇した大地震の体験を記している。

 「軒・庇(ひさし)がかたむき、人びとは戸外に逃げまどい、泣き叫びながら病人や老人の手をとり、

市籠(いちこ)(乳児をいれておく藁(わら)製の籠(かご))の乳児をさかさにかかえて走りまわるものもある……

軒端の山も崩れ落ちるありさまで、生命の危険を感じて、樹にすがり、竹の林にのがれた」

(『菅江真澄遊覧記』東洋文庫)。

 神戸市在住の詩人、安水稔和さんは、真澄の歩いた道を40年近くたどり続けてきた。

「村々で見たことを記録していて、読み返すたびに新しい。

真澄がすっと座ると、おばあちゃんや子どもがすっと話し出す」と語っている。

 95年の1月17日、安水さんは、あの震災に遭う。長田区の自宅は半壊した。

以来、被災地と人々の姿を詠み続けている。

 詩集『生きているということ』(編集工房ノア)を開く。

「砕けた瓦礫に/そっと置かれた/花の/くやしさ」。

その瞬間までは人々と共にあり、人々を守り、包んでいたものたちが「瓦礫」となる。

それと、命をもつ造形である花との鮮烈な出合いに、立ちすくむ思いがする。

 9年という月日がたち、今日10年目に入る。

これはいつかあったこと。/これはいつかあること。/だからよく記憶すること。

/だから繰り返し記憶すること。/このさき/わたしたちが生きのびるために。」



此れだけ科学が進歩しても天災による災害の被害はなくならない。

なんとかならないものかと嘆くだけである。

せめて戦争による災害くらいは人間の智慧でくい止めたいものだ。


先日ブッシュ大統領が打ち上げた宇宙戦略には、
ケネディ演説のころのような切迫感はない。



1月18日の天声人語より


 「私は目がくらむ思いだった」。

61年、ケネディ米大統領が月に人を送り込むアポロ計画を発表したときの感動を、

惑星科学者のカール・セーガンはそう言って回想している。

 「自信に満ちた演説」だったと彼がいうケネディ演説は、

ソ連が初の有人宇宙飛行を成功させた直後のことだった。

米国は宇宙開発での主導権を取り戻すことを迫られていた。

長い年月と巨大な費用がかかるが「私たちは月を目指すべきだ」と若き大統領は強く呼びかけた。

 「地球は青かった」で知られる初の宇宙飛行士ガガーリンの成功が、

薄氷を踏むような危なっかしいものだったことは、ソ連崩壊とともに明るみに出てきた。

当時の関係者も危険の大きさを認識していた。実際、危機一髪の事態も起きた。

 先日ブッシュ大統領が打ち上げた宇宙戦略には、ケネディ演説のころのような切迫感はない。

「大統領選向け」という冷ややかな見方も少なくない。


内容は壮大というよりは、堅実といった方がいいだろう。

「月や火星でびっくりするような資源が見つかるかもしれない」と実利を強調したりもしていた。

 父のブッシュ大統領が89年、火星を目指す計画を発表したときには、

たびたび「アメリカの夢」という言葉をつかい、高揚した口ぶりだった。

議会の反対で挫折した。実現しなかった父の夢を、はたして息子が引き継ぐことができるか。

 地球上の争乱から人々の目をそらそうという夢であってはなるまい。

が、人間に向けて銃を撃つよりは、宇宙に向けてロケットを打ち上げる方がはるかにいい。


宇宙にもっと目を向け地球上で戦争で費やす費用 ・エネルギーをもっと宇宙開発に使って欲しい。

中東での石油資源以上の資源が月 火星に見つかるかもしれない。

地球上で資源争いをする必要もないのではないか。






 芥川賞受賞者が愛読書にしばしば
太宰治をあげるのは皮肉といえば皮肉だ。


1月19日の天声人語より


 芥川賞選考委員だった川端康成に「何卒(なにとぞ) 私に与へて下さい」と太宰治が懇願した手紙はよく知られる。

同じ選考委員だった佐藤春夫への手紙も切々たる内容だ。

 「佐藤さん一人がたのみでございます。私は恩を知って居ります。私はすぐれたる作品を書きました。

これからもっともっとすぐれたる小説を書くことができます……芥川賞をもらへば、私は人の情に泣くでせう」

(新潮日本文学アルバム)。

第1回の芥川賞候補になりながら受賞を逃した太宰は、ついにこの賞には縁がなかった。

 芥川賞受賞者が愛読書にしばしば太宰治をあげるのは皮肉といえば皮肉だ。

今回史上最年少の19歳で受賞した綿矢りささんもその一人だ。

みずみずしさとともに古風な落ち着きを感じさせるゆえんか。

20歳の金原ひとみさんは好きな作家に村上龍さんをあげた。

 彼の受賞作「限りなく透明に近いブルー」も話題作だった。選考委員はこう評した(『芥川賞全集』文芸春秋)。

「作品の退屈さには、目をつむって、抜群の資質に票を投じた」(吉行淳之介)「本人にも手に負えぬ才能の汎濫」(中村光夫)

 村上さんが登場したときには大江健三郎さんの影響がいわれたものだ。

どんなに新しいと見える作品でも前の世代の作品が影を落としている。

新人作家が独自の道を切り開くかどうかは本人しだいだ。

 川端康成は芥川賞受賞時の大江作品を「傷つきやすい、こわれやすい、人工的実験の若さだ」と評した。

自分はともかく、彼が後にノーベル文学賞作家になるとは思いもしなかっただろう。



川端康成と大江健三郎は後にノーベル文学賞を受賞している。

文学の才はもって生まれたものかどうか。資質は関係していると思う。

二人とも天才と称されても良いようだ。故にか川端は自殺し大江はイラクの自衛隊派兵に反対している。






自衛隊の任務と活動がこれほどまで注目されたことはなかった


1月20日の天声人語より



 先遣隊、イラクの任地へ。自衛隊の任務と活動がこれほどまで注目されたことはなかった。

 国論が二分する中、隊員の動きや現地の人たちとの出会いは正確、迅速に伝えられなければならない。

それはメディアの任務でもあるが、この大事な場面で逆行するような政府の動きが続いた。

イラクでの自衛隊の取材の自粛を防衛庁長官がメディア側に要請した直後に、

幹部の定例の記者会見の削減を通告した。

 定例会見には、一見緊迫感のないものもあるかもしれない。

しかし、現地ではつかめないような大きな背景がにじみ出る場合もある。

一方、東京での会見ではつかめない細部が、現地の会見などでうかがえることもある。

報道の中心は独自の取材だが、会見は国民への説明の場だ。それをなぜ狭めようとするのか。

 論語の「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」が浮かぶ。

一般には「民衆には何も知らせず、ただ従わせるのがよい」と広まっており、今回も、その懸念を感じる。

しかし、その解釈は誤解だと『ことわざの知恵』(岩波新書)にあった。

 ここでの「べし」は可能を表す助動詞で「十分な知識のない民衆に、

政策の意味や理由を理解させることはできないだろうが、

政策が間違っていなければ従わせることはできる」が本来の意味という。  そうだったかとは思う。

しかしそうだったとしても、政府にも国会にも、こうした考え方はしてほしくない。

「政策が間違っていないのかどうか」を問い続ける。

それが命がけの任務を命じた側の任務であり、メディアの責務でもある。




マスコミの責任は重大である。

言論の自由を統制し大東亜戦争(第二次大戦)の戦時中の大本営発表がはじまるのか。

国民に政府の都合の良い事ばかりが宣伝されることになり,国民に正しい情報が入らなくなり

ずるずると負けいくさが長引き広島 長崎の原爆投下まで続き国民の犠牲者が増えた。

被害に被った人たちは誰も被害補償を訴える所がない。

自衛隊イラク派兵で東京で゛のテロ事件発生がげんじつのものとなってきた。

そこまでに何故にアメリカのブッシュに付き合う小泉の気持が理解できない。





風景という言葉の中にも、風がある。




1月21日の天声人語より



 小学校の裏手の道端のさくに、小さな手袋が一つかぶせてある。

落とし物らしい。黄色い毛糸の指先が、巻き上げる風に震えていた。

この冬、東京では、冷たい風が吹きつのることが多いように感じる。

 そんな折に、風力発電をめぐる記事が目についた。

国立・国定公園でも発電の施設を設けやすくするような基準を作ってほしいと、

推進自治体や発電事業者の団体が政府に要望した。

 ここ数年、旅先などで大きなプロペラが回っているのを見かける機会が増えた。

その数や発電量が相当伸びているとは聞いていたが、国立公園までが「有力候補地」とは。

環境省の検討会は、安定して強い風が得られると要望のあった山の尾根への建設を、

景観を損なうとして厳しく規制する方針という。


 万葉集に詠まれた大気現象は、多い順に、風、雪、雲、雨という。

古今和歌集では風、雪、露、かすみ。

風に縁のある熟語は300を超え、国内の雑誌名で風を含むものは50種もあるそうだ

(『さわやかエネルギー風車入門』三省堂選書)。

 風景という言葉の中にも、風がある。

日本の風景や風土を形作ってきた風を生かすことが、それらを断ち切るようになっては、風も嘆くだろう。

これは、自然エネルギーの利用が、ここまで進んできたからこそ生まれた新しい悩みだ。

 光や水や風の活用は大事だし、さらに広げてゆきたい。

むしろ、前向きに考えて、よくよく悩んだうえで折り合いをつけてもらいたい。

風は、消えることも減ることもないのだから。


 青空に寒風おのれはためけり(中村草田男)





ブッシュ米大統領演説のときのネクタイの色である


1月22日の天声人語より



 「赤か青、どちらだと思う?」。

ブッシュ米大統領自身が記者団に、からかい半分に問いかけることもあるらしい。

演説のときのネクタイの色である。

 大統領は、誠実さを示すともいわれる青いネクタイを愛用することが多い。

周囲も影響を受けて青いネクタイをする人が多いらしい。青タイ政権である。

ところが、一般教書演説では真っ赤なネクタイで登場した。

 大統領選挙の年だけに、攻撃の姿勢を示そうとしたのか。

チェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官も鮮やかな赤タイだった。

政権内タカ派といわれる2人の同調は、意味ありげに見えた。

考えすぎかもしれない。

演説の内容は、一昨年の「悪の枢軸」論のように物議をかもす言葉はなかった。

 折しも民主党の候補者選びがアイオワ州の党員集会から始まった。

「ケリー候補の支持者はこちらに集まってください。ディーン候補はあちらに」。

地区ごとに開かれる党員集会で、そうやって支持者を集計しながら積み上げていく。

ハイテク時代とは思えない素朴なやり方だ。

 イラク戦争を明快に批判してきたディーン候補がつまずきケリー候補が浮上した。

ベトナム戦争に従軍、戦地から帰ってからは反戦運動にかかわったことで知られる上院議員だ。

イラク戦争に理解を示しつつブッシュ政権の単独主義を批判し、国際協調、国連主導を唱える。


 民主党政権だったらイラク戦争は起きていたか。

よくいわれる「仮定」だが、米大統領選の結果は、世界の針路に大きな影響を与える。

米国民の選択に無関心ではいられない。



ケリー候補に注目したい。世界もそして日本も良くなるのはまずアメリカ次第である。

ベトナム戦争での英雄ケリー氏 州兵で汚名な軍歴のあるブッシュ氏。

一方は戦争の悲惨さを体験し反戦を唱え。 一方は親の力で徴兵を免れ州兵になり脱走を試みている。

戦争体験がなくアル中で止めるのにキリスト教にたより,それが最高司令官としてイラクにその前にはアフガンでの

戦争を指揮している。戦争ずきである。

そのようなアメリカ大統領に世界は振り回されている。





誰でも一度は俳句や短歌を
つくったことがあるのではないか




1月23日の天声人語より


 「日本の新聞には詩の投稿欄があるそうですね」。海外で尋ねられることがある。

「たいていの新聞は俳句や短歌という短い詩を募集し、掲載しています」と答えると、

感心した表情を見せる人が多い。

 巧拙は別にして、誰でも一度は俳句や短歌をつくったことがあるのではないか。

1億総詩人といえるかもしれない。

先日催されたNHK全国俳句・短歌大会には12万を超える作品が寄せられた。

中学生以下のジュニアの部の俳句は約3万7千句にのぼる。

 〈あさおきてくしゃみをひとつあきになる〉。

大賞受賞作の一つ、小学1年の作だ。〈図書館に住みたいぐらい本が好き〉は中3の作。

技巧をこらさず言葉を投げ出しただけのようだが、まっすぐな勢いを感じる。

 要介護・支援の高齢者らを対象にした短歌大会が31日、宮崎市で催される(みやざき長寿社会推進機構主催)。

全国から7千首近い応募があった。

当日表彰される最優秀賞には、103歳の高橋チヨさんの作品が選ばれた。

一日中言葉なき身の淋しさよ君知り給え我も人の子〉。

 聴力を失って筆談に頼る生活を特別養護老人ホームで送っている。

平穏な生活だが、生の声を、皆の話を、お国なまりを、じかに受けとめたい。

そんな思いを込めた一首だ。100歳以上の応募が15人、90歳代が502人あった。

104歳の今井千代さんは〈これからもお助けをよろしく願いまするありがたき病院でチヨの幸せ〉と詠んだ。

『老いて歌おう』(鉱脈社)に収められている。

 小学生から100歳まで「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ」国である。


日本人は世界で一番短くて心の思いを吐き出す芸術である 俳句と短歌を受け継いでいる。

日本人の貴重な財産である。日本人にしか作る事の出来ない芸術である。

ほとばしる思いが感じられる。

(冬空に亡き先祖の心継ぎはげみし事業続くを祈る)





日の丸の小旗に送られて
自衛隊員たちがイラクに向けて
出発していく


1月24日の天声人語より


 いろいろな岐路があるが、あのときから日本は変になった。

歴史家らがそう指摘する岐路の一つが1918年からのシベリア出兵だった。

ロシア革命後のソ連への干渉戦争である。

あの失敗を教訓として生かせなかったために、その後泥沼のような戦争に突き進むことになった、と。

 戦地から政治学者の吉野作造にあてた青年将校の手紙がある。

軍隊にとって最も大切なのは国民の後援があることだが「多数同胞はむしろ出征の無意義を唱えているありさまである」。

兵士も何のために出征したかを理解していないと訴えた(『日本の百年 6』筑摩書房)。

 派兵については、政府・政党間でも足並みがそろっていなかった。

第一党の政友会総裁原敬は「自衛の必要以外ではみだりに兵を動かすべきではない」と政府に進言していた。

しかし、裏では軍や若手官僚が着々と出兵準備を進めていた。

 米国の共同出兵提案に乗るかたちで派兵に踏み切ったが、犠牲者の多い悲惨な負け戦だった。

「列強と共々に兵をシベリアに出しながら、結局は我が国独り露国民の反感を深く買ふの愚に陥つた」。

ほぼ同時代に出た外交史の書もそう記した。

 強硬派に引きずられた。大義が不明確だった

途中から目的が拡大していった。

ゲリラ戦に対応できなかった。撤兵の機会を逃した。様々な教訓を残した派兵である。

 日の丸の小旗に送られて自衛隊員たちがイラクに向けて出発していく。

「ルビコン川を渡っていく」との感が深い。

シベリア出兵時とは時代状況がまるで違うとはいえ、大きな岐路にある。



今のイラク自衛隊派兵とまったく同じようなことが昔に行われている。

「過ちは再び繰り返しません」と誓った第二次大戦の誓いが破られ

泥沼の中へと進んで行くのではないかと大変に危惧する。

今だからまだ戻るには遅くない。

ただのイラク復興支援の為に

東京の繁華街でテロが起き多数の死者が出てからでは

小泉首相は切腹しても国民にわびる事が出来ないはずだ。




全国の高校3年生を対象に実施した学力テストでは、

理科と数学が苦手な生徒が際だって多かった


1月25日の《天声人語より


 高校の物理学の授業に失望したという投書が先日、本紙に寄せられた。

細かい計算や公式をひたすら暗記させるやり方に嫌気がさした。

しかし、ある本に出合って学ぶことの喜びを知った、と。

 ある本とは予備校講師の山本義隆さんの『物理入門』だった。

投書した大学生はぼろぼろになるほどに読み込んだそうだ。とくに電磁気学の章に感動したという。

こんど大佛次郎賞に決まった山本さんの『磁力と重力の発見』全3巻(みすず書房)は

『入門』の背景にある思想を発展、深化させた書なのだろう。

 文部科学省が全国の高校3年生を対象に実施した学力テストでは、

理科と数学が苦手な生徒が際だって多かった。

理科では、たとえば元素や重力という基本的な概念を理解していない生徒が目立つ。

 山本さんの受賞作を読むと、人間が重力というものにたどりつくまでに、

いかに曲がりくねった道をたどったかがわかる。

離れた物体に力を及ぼすことの探求は、学問ではなくどちらかといえば魔術の領域だった。

古代の 哲学者プラトンやアリストテレスはもちろん、近代の天才ガリレオさえも重力には思い至らなかった。

現代の私たちは、先人たちが考え抜いた末の成果だけをつまみ食いすることが多い。

高校で学ぶ公式や原理原則がその典型だ。それだけを頭に詰め込む作業は無味乾燥に陥りやすいだろう。

 「ゆとり」と「学力低下」との背反がよく語られる。

たとえば、公式の背景にあった人間の苦闘を教える。

そんなゆとりが教育現場にあれば、学力向上にもつながるのではないか。



学生時代は物理と数学とは好きだった。答えが一つで主観が入らないから。文学・芸術には主観が大いに入る。

採点者の主観で点数が決まる事があるから。でも試験の前での常識テストでは文化系の方が良かった。

今でも理系が得意なのか文系が得意かは判らない。

生きているだけの間の事であって死ねばどちらも一緒なのかもしれない。

学問は生かされ初めて実用化されるものである。考える力をつけるのも若い頃のことなのかもしれない




昨秋、奈良県の明日香村周辺を
巡ったときもそうだった





1月26日の天声人語より


 初めて訪れた地なのに、懐かしさを感じる。そんな経験をすることがある。

昨秋、奈良県の明日香村周辺を巡ったときもそうだった。

遺跡見学より風景に心奪われることしばしばだった。

 点在する丘がなだらかな起伏をつくっている。

田畑の間を縫って飛鳥川が流れる。いたるところにある柿の木には熟した柿が実り、彩りを添える。

何の変哲もない風景かもしれない。

心を波立たせるようなものがほとんど目に入らない、その穏やかさにひかれた。

 初めて韓国へ行ったときも、同じような印象を受けた。

街の路地や農村風景に、何ともいえない懐かしさを感じた。

現代の日本が失いつつあるものが、まだ色濃く残っている。そんな思いが強かった。

あるいは思う。飛鳥造営に携わったのは多く朝鮮半島から渡来した人たちだったから、原風景を共有するのか。

 文化財保護法の改正で、日本の原風景といえるような景観を文化財に指定できるようになるそうだ。

棚田や里山、畑や並木道などの身近な景観も対象になるらしい。

 飛鳥川の上流に小さな集落があった。

川沿いに古い家並みが続き、ひっそりとしたたたずまいだ。

いつのまにか古い時代に紛れ込んだような、しんとした気分にさせられた。

どこにでもありそうで、しかしいつのまにか姿を消していきつつある風景だろう。

 飛鳥で幼少、青春時代を過ごし、その後転々とした万葉歌人大伴旅人はしばしば飛鳥への望郷の念を詠んだ。

原風景というのは、多くの人にとって故郷の風景だろう。

そして誰もが懐かしいと思う風景も、また。



京都 宇治 奈良 大津と歴史に上る都市の近くに住んでいるせいか,古い史跡・風景を目にする事が多い。

近代的なものより古いものの方がホットする気持になることが多い。

近代的なものは何処も同じである。無機質的で機械的である。

古いものは安らぎとか落ち着きを与えてくれる。海外旅行しても同じような感想をもつ。

京都の祇園は古さと新しさがうまく調和された所に思える。宇治の塀に囲まれた旧家もどっしりしとした懐かしさを感じる。



日本の針路にかかわる
重い選択にしては、
判断の仕方が軽い



1月27日の天声人語より



 イラクで、防衛庁発注の品を輸送中の車が襲われ、運転手が死亡した。

旧フセイン勢力による占領軍への襲撃が続く地域という。

自衛隊を狙ったのではないかもしれないが、日本が「戦場」に一歩近づいたかのような思いがした。

 陸上自衛隊の本隊と海上自衛隊に、イラクへの派遣命令が出された。

1日半のサマワ滞在で、先遣隊の一部は帰国した。

調べは、十分なされたのだろうか。それとも、本隊派遣は既定のことで、形だけの先遣調査だったのか。

復興支援のための派遣とはいうが、

隊員の安全と、日本の針路にかかわる重い選択にしては、判断の仕方が軽い。

 この大きな節目を迎えて、米英の先制攻撃以来、どれだけの人が失われたかと思う。

米兵は、500人を超えたという。大規模戦闘終結宣言以降の死者が、約7割を占める。

先日は、非戦闘中の死者153人のうち少なくとも21人が自殺との報道があった。

「戦争のストレス」が原因で、ストレスなどでイラクを離れた兵士は約400人に上る。

 イラク人の死者は、把握しにくい。


昨年11月、戦闘員が4895〜6370人、非戦闘員が7840〜9668人との記事があった。

合わせて1万人を超えるのだろうか。


 大量破壊兵器を捜し続けてきた米調査団の団長が辞任し、

開戦時にイラクにそうした兵器が「あったとは思わない」と述べた。

重大な発言だ。

先制攻撃の根拠にした人たちは、死者の問いかけを聞いただろうか。

 その無言の問いは、攻撃を支持した小泉首相だけではなく、国会や国民にも向けられている。



好戦的なアメリカ大統領ブッシュによる戦争がイラクを泥沼化させている。自衛隊が派兵される地域サマワもイラクの一地方である。

東京地方がテロで泥沼化していて,九州 北海道を復興支援するとしてもどれだけの意味があるというのか。

やはり日本政府としてはまず東京のテロ泥沼化を防ぐ努力こそが,イラク復興への手がかりであることを知るべきである。

今回の派遣はブッシュを助け,日本の自衛隊も米軍の一部とみなされるだけである。テロに遭う危険性は高い。

同様にアルカイタ゛のビンラディン氏が「日本の自衛隊がイラクの土を踏めば東京を火の海にする・・・・・・」の不気味な予告は

テロを日本に招き寄せたようなものである。その重みを小泉首相は知ってのことで自衛隊を派兵したと考える。

アメリカ追従外交が際限なく続いている。いつ日本は独立国家にいつなりえるのか。

自衛隊員を危険なところへ送り出している。そして日本も危険なところに変えている。

どうしてそんなにアメリカに遠慮しなければならないのか。日本には憲法九条があるから自衛隊派兵出来ないとアメリカに

断れるはずである。それを何故しないのか。馬鹿な変人首相を持つと本当に国民全体が迷惑する。!




漢字の面白さ


1月28日の天声人語より


 漢字の面白いところは、一つの文字の意味が意外なほどの幅をもっていることである。

街頭での古賀潤一郎衆院議員の映像を見ていて、この奇妙な成り行きを象徴する幾つかの字が気になり、

白川静さんの『字通』を開いた。

 【辞】古賀氏は職を辞さないという。

旧字をたどれば「乱れている糸を辛(はり)で解きほぐしてゆく」ので、治める意とあった。

さる、しりぞくの意味の他に、嫌疑を解く、わびるなど。

涙のにじむ演説に力はこもっていたが、なぜ卒業としたのかとの疑問は残った。

 【党】古賀氏は民主党を離れるという。旧字は「黨」。

黒に見える部分は煮炊きして黒ずむところ。炊さんを共にし、また祀所を共にする祭祀共同体を原義とし、族党をいう。

なかま、やから、むら、わたくし、かたよる、おもねる。

そういえば派閥のことを「むら」と呼ぶ人たちがいたが、今回その動きは鈍かった。

 【議】古賀氏は議席にこだわった。はかる、神にはかる、あらそう、あげつらう、せめる、いさめる。

そんな席に居れば周りから責められるだろう。しかし、国事を争う場で私事を争うようではどうなのか。

 発端となった卒業問題の【卒】の項には粛然とさせられた。

「死没するとき、死者の衣の襟もとを重ね合わせて結び、死者の霊が迷い出るのを防ぐ」形という。

しぬ、おわる、つきる。

 ここは、卒業問題を終わりにして、潔く辞めてはどうか。

つまずきは小さくなかったが、そうすることで、本当の卒業ができ、新しい出発もできるのではなかろうか。

45歳。まだまだ、若い。


海外留学の経歴欺称は安部自民党幹事長にもあるように報道されている。南カリフォルニア大学二年留学を一年しか

在学していないとか。古賀氏は四年行っているが単位が足りずに卒業できていない。

アメリカは入学は優しいが卒業は大変で卒業出来ない人が多くいるようである。

外国で学ぶ事は異文化を知ることで大変よいことであるが。在籍二年が一年であろうが,

四年間在籍していて卒業できず卒業したとするのは嘘をつくという点では同罪である。

特に政治家は虚偽をすることは政治生命につながる。でも今の政治家で嘘をつかない人がどれたけだろうか。

筋論からいうならば古賀氏も安部氏も同罪で潔く辞めるべきである。

その発端が女性問題が致命傷で,スキャンダルで落選した山崎氏を再び衆議院に当選させる為の

あら探しが原因とするならば日本の議員は情けない人たちばかりで憤りさえ感ずる。

小泉氏もロンドン大学留学で問題化されようとしている。

現に日本の政治を動かしている人たちがこんな人の集まりだとすればロクな政治ができるはずがない。





欧州で大流行を繰り返した
ペストとのかかわりが深いという



1月29日の天声人語より



 真ん中に、大きなドームを持つ教会がある。

その前の運河に船が並び、渡された仮の橋から大勢の人々が教会へと向かっている。

「サンタ・マリア・デラ・サルーテ聖堂への行進」という絵である。

18世紀に、イタリアのベネチアの画家、フランチェスコ・グアルディが描いた。

 「アドリア海の女王」といわれた街の風光を伝えるこの絵は、

欧州で大流行を繰り返したペストとのかかわりが深いという。

17世紀、ベネチアでは、ひと月に1万人以上が死亡した。

疫病の終息を祈って、人々は新しい聖堂の建設を神に誓う。

約束は守られ、そのサルーテ聖堂への「架橋祭」が営まれるようになった。

 この絵を思い出したのは、新刊の『感染症とたたかう』(岩波新書)に、

疫病の流行の速さと時代との関係に触れたところがあったからだ。

中世のペストでは、数年間に世界で7千万人が死亡し、欧州の人口が3分の1になったという。

 4千万人が死亡したともいわれる1918年のスペインかぜは、世界全体に広がるのに7カ月以上を要した。

将来「新型インフルエンザ」が出現した場合は、交通の大量高速化や人口の過密によって、

わずか4日から7日で世界中に広まり、1カ月以内には各地で患者が出始める可能性を指摘している。

 天を仰ぐ思いがする。しかし、祈るしかない時代でもない。

最悪のシナリオをしっかりと描きながら、情報の速やかな公開と共有に努めることが防疫の第一歩だ。

 タイで、鳥インフルエンザの緊急会議が開かれた。国際的な難問への、日本の尽力が問われる。



ペストは細菌感染症である。現在細菌感染症は殆どが抗生物質と抗菌剤で治療できるようになってきた。

だが耐性菌が次から次へと出現してき,抗生物質と追いかけっこになっている。

インフルエンザもワクチンと坑ウィルス剤ができなんとか治療できる段階になっている。

SARSなんかの新しい感染症にはまだまだ隔離以外に治療法がない。

これだけ世界の交流が激しくなってくると地方だけ存在していた病気が一挙に世界中に流行してしまう。

一番恐ろしい事は生物兵器である。現在遺伝子を操作して色んな病原菌を作る事が可能になって来ている。

そのような病原菌を相手国を隠れて攻撃する手段として使われだすととんでもない病気の発現をみることになる。

これは先進国始め全ての国を対象にして国連が査察し廃棄を促すようにすべきである。

国連を軽視しているアメリカのブッシュ政権ではその望みはない。






どの時間軸をとるかで世界は違った顔を見せる


1月30日の天声人語より



 時間について考えさせられた。

一昨日の朝日賞・大佛賞・大佛論壇賞の贈呈式でのことだ。

受賞者たちは様々な時間について語った。

 小熊英二さんは戦後を語る。

戦の年の1945年は、日露戦争から40年しかたっていない。

当時、二つの戦後が重ね合わせて考えられたのは必然だろう。

現在から60年安保を振り返るほどの近い過去だった。

一方、いまの若い世代は高度経済成長さえも実感として知らない。

「集合的記憶」は20〜30年ほどしかもたないのではないか、と。

 世界でいま起こりつつあることに目を向けるのは篠田英朗さん。

スーダンでは、ここ10日間で約2万人の難民が国外に出た。

事態は切迫している。

そんな中、世界各地で人道支援や平和構築のために日々献身的に活動している人々がいる。

彼らとの連帯を語った。

 丸谷才一さんは重層する時間について。琵琶湖は北上を続け100万年後には日本海に消えるだろう。

そんな地球の時間と、源氏物語が世に出てから千年の文学史、そして私たちが生きる同時代のことを。

 めまぐるしく動く科学の世界の濃密な時間については神原秀記さんと宮下保司さんだ。

10年を目標に研究を進めた神原さん、ここ数年の進展が著しい脳科学については宮下さん。

一方、2千年以上にわたる人類の知の歴史をまとめた山本義隆さんや、悠然たる文明の足跡をシルクロードにたどりつつ、

破壊が進む文化財の保護を訴える平山郁夫さんがいる。

 どの時間軸をとるかで世界は違った顔を見せる。「時間の旅人」たちの多彩な経験談だった。



時は正確に刻む。生きている前にも死んだ後にも無限に時は過ぎている。

永遠の時間からするならば,我々が今住んでいる時間は一滴にも満たない。

その間に喜び悲しみ楽しみ嘆きして生きている。今地球上に生きている人たち全てが120年後には

誰一人としていなくなる。そんな短い期間でも永遠に生きるが如くに,欲望のままに人々を傷つける行為を

営んでいる。その最たるものが戦争という化け物により罪もない人たちが簡単に大勢亡くなっていっている。

富んでいる人たちと貧しい人達の差も激しい。





日本はそんな戦争をした国で、今また、という気がしている

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1月31日の天声人語より



 最近の言葉から。「税金として徴収される自分のお金が、子供たちを殺す爆弾のために使われるのか、

自然環境を良くするために使われるのか、ということを考えることは重要です」と音楽家の坂本龍一さん。

 服飾デザイナーの山本耀司(ようじ)さんは「僕の父親は終戦直前に召集されて、船上で何の痕跡もなく死んだ。

日本はそんな戦争をした国で、今また、という気がしている。……そんな違和感を大切にして、多くの人と共有していきたい


 「若い頃は、常識や倫理を変えたいというのが、芸術を通しての夢だったね。

それは概念なんですが、今思うとやっぱりからだと関係していて、

戦争を起こすような『ひと』のからだは、まだまだ進化の途中なのですね。

だから、それを変えなければ……」と美術家の荒川修作さん。

 「あれだけたくさんの人の死を、今生きている私たちが意味のあるものに変えていかなければいけない。

生きていることが当たり前じゃないことを意識し、毎日を大切に過ごさなければいけない。

それを伝えるため、私はがんが再発しない限りライブを続けます」。

毎年1月17日に神戸市で被災者支援ライブを開いて歌う平松愛理(えり)さん。

 「日本は何の資源もない国なんだから、脳みそしかないんだから、

未来のためにもっと考えないとね」とは劇画家のさいとう・たかをさん。

 「京都の町家の壁の赤のニュアンス。あれは世界で一番きれいな壁の一つだと思う。

それを威張ることにして、軍隊を威張らない。どっかで威張るなら」と語る評論家の加藤周一さん




戦争は誰もが忌み嫌いしていても,どの時代においても当時の為政者により好まれ実行されきている。

戦争への反対が叫ばれていても次第に麻痺し慣れ次第に協力者と変って行く。

戦争は狂気を生み出し善良な人たちも殺人者 犯罪者に変貌させる。その犯罪者の最たる人間が英雄となるのが

戦争である。どの時代でも戦争は有ってはならない。絶対に有ってはならない。

戦争に変るものとしては裁判制度がある。戦争の変わりに裁判で争いそして争いに善悪をつけるべきである。

争いは人間である限り必ず起きるものである。良い争いは発展への良薬だが,それが激化すれば戦争となる。

決して戦争はすべきではない。争いが起きれば裁判制度を利用してことの善悪の決着をつけるようにしよう。



記録する


一ケ月の天声人語をこのように記録してみると長いものである。示唆にとむことを多く教えてくれる。

何度も読み返す事ができる。インターネットの恩恵である。

そのうちに我々に対して一番影響のあるアメリカ大統領の毎日の言動を記録したり,日本の首相の毎日の言動を

記録したりするサイトがでても良い。就任期間中追いかける事である。

我々には政治がありその下で毎日努力して生活している。政治によって国全体が不況で一人だけ景気が良いという事は

ありえない。災害にあってその災害から一人だけ災害にあわないことはありえない。

どのような政治の状況下に置かれてもその下で庶民は精一杯の努力して向上をめざしているのが現状である。

そのためにも政治に携わる人は,神のような立派な精神の持ち主だけがなれるようなシステムを作るべきである。

カネ カオ カバン カンバン ジバンなどと巷で言われているような人だけが当選するようでは

良い社会にはならない。我々の庶民の上に立つ人達である。国がよくなるには政治を動かす人がまずよくならないと

いけない。

金儲けだけに政治を利用する人たち,政治家もそして一般の人たちも,そのような人たちが入り込まないような

システムを是非作るべきである。

科学は大変進歩しても 政治は人のやる事である。凡才がすれば,変人がすれば,金儲けに長けた人がすると

それなりの政治にしかならない。公平無私で情熱をもって政治に当たる人,神に近いような人が政治家になって欲しいものである。

その下でしか我々住めない。せいぜいインターネットで告発し訴えるのが精一杯である。

デモも簡単に自己主張できない頃に見つけられた自己の政治主張だが,ネット時代にはネットで主張するのも

一つのデモの一種だと思う。

第二次大戦中東条英機が国民の実情を知るためにゴミ箱を見て歩いたとか,ずーと昔,ある天皇は釜戸から昇る煙を

見て庶民の暮らしを察したとかの話が伝わっている。

今は政治をつかさどる人たちは必ず一日一回パソコンの前にどんなことを国民が訴えているかを知るべきである。

主権在民は神のような人が政治家になるのと同じで,これこそ民主主義の基本だが

欧米の先進国でもカネがカオか゛ものをいっていると思う。

独裁者に統治されるか カオとカネに統治されるかの違いである。ブッシュの戦争ずきと集金力をみれば

そして小泉首相の顔が国民に向かずにアメリカに向いているその行動をみればよくわかる。

科学は進歩しても精神的な文化面で進歩がみられないのは最終的には人間の智慧にある。

人間の智慧は受け継ぐ事は出来ずに一代限りののである。なんとか政治を良くするシステムを作らないと

いけない。我々はその下でしか生きられない。世の中はそれでないとよくはならない。


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