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随想
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二月になって
二月は何故か一年,12ヶ月のうちで短い月である。誰が決めたのか,何故か,一年の最後の月の三月が一年を調節する月に
しなかったのか、二月がその責を担わされているのかが判らない。
気の毒な二月である。今年二月は閏年で29日まである。二月は殆どの毎日が寒い日が続き,稀に暖かい日もあった。
いつも練習に行っていたゴルフ場が閉鎖となり,ゴルフ練習の回数もすくなくなってきている。
小泉首相の決断によって,いよいよイラクへ自衛隊が派兵される。第二次大戦後初めて戦場への派兵が始まる。
マスコミも世論も反対意見が多く,其れにも拘わらずに派兵が決断された。
復興支援とは名ばかりで,アメリカのブッシュの為に派兵された感が強い。そのアメリカでは民主党の大統領候補選びが
本格的になり,最初,最有力候補だった前バーモンド州知事だったハーモンド・ディーン氏が始めの選挙のオハイオ州選挙で
上院議員ケリー候補に敗北ししている。その後ケリー氏が次ぎ次ぎと他の候補を破り民主党の大統領候補になるに至った。
アメリカ国内では大統領は「ブッシュ以外なら誰でも良い」の相言葉が聞かれるようになってきている。
世界中の殆どの誰もが考える気持は同じではないか。アメリカ大統領を選ぶ権利はアメリカ国民以外に持たない。
でもアメリカが世界に与える影響は世界中の人々にとってあまりにも大きい。今のブッシュに支配されたアメリカは最悪である。
世界を戦争・騒乱の渦に巻き込み,世界の社会情勢の不安定感を醸し出している。
なんとかブッシュはアメリカ大統領の職を排除すべきてある。
ブッシュはケリー候補と従軍による戦争体験も違い,イラクとか 北朝鮮に対する対応も対照的に異なっている。
似ている所は両氏ともエール大学卒で金持ち階級の坊ちゃんであること。ブッシュは企業との癒着,ケリー氏は
金持ち層からの献金が多いとかが報道されている。
少なくともアメリカ単独且つ一国主義のブッシュにはアメリカ大統領は続けてもらいたくない。
国際協調を唱えベトナム反戦運動にも投じたケリー氏に是非なってもらいたいものである。
今の世界の人々が持つ閉塞感から世界が脱却するのを希望している。
アメリカ大統領はアメリカの指導者であると同時に世界の指導者である。
興味深いことは最初民主党候補で最有力視されていたディーン氏が内科の医師でイラク戦争開始前から
徹頭徹尾,反戦を唱えていた事である。全て医師ならば当然考えることだと思える。
フランクリンの言葉「良い戦争はなく,悪い平和もない」とは名言である。
アメリカ大統領選びは11月までかかる。日本の我々は神に祈るだけで,
なんとかブッシュの大統領再選を阻止させる方法がないものだろうか。
小泉首相も日本の歴史を悪い方向に変えようとしてきている。
国民は次第にその変化に対し順応し,従順になろうとしている。だが今日本の運命は岐路にある。
さらには政府は戦費(自衛隊派兵への費用)をどれだけかけようとし,国民の年金をどれだけ減らそうとしているのか。
戦費を増やし,年金をも増やすことは物理的に不可能なことである。
恐ろしい国,北朝鮮を作っているのはアメリカがしている。だが韓国と北朝鮮は同一民族だ。
日本の朝鮮に対する長い植民地政策の犠牲者になったのが朝鮮という国であった。
日本の小泉首相は拉致被害を取り上げアメリカの北朝鮮をば恐ろしい国とするアメリカの政策にするのを手助けしている。
世界の中で戦争・争いが無くなってしまうと,兵器を作っている企業連中達,死の商人が
一番困るのではないかといわれ,当然に誰もが自然にたどりつく結論である。
世界は平和を求めるグループと,戦争を求めるグループに分かれている。アメリカではケリー候補とブッシュである。
日本では小泉が表面上で平和を唱えながらもブッシュの戦争に荷担している。
青色発光ダイオードの製法を発明
2月1日の天声人語より
金も無い、人も無い、何も無い。そんなところで、いちかばちかのトライをした。
青色発光ダイオードの製法を発明した中村修二さんは、
3年前の朝日賞受賞のあいさつでそう語っていた。
ほとんどやけくそになって深くのめり込んだ結果だった、と。
中村さんは徳島大学の大学院を出た後、家族の都合もあって地元の日亜化学工業に就職した。
大企業の恵まれた研究施設とは比べものにならない環境だった。
しかし、そのことが大きな発明につながった。
あれもこれもと手を伸ばすことはできない。開発の方向を一つにしぼって邁進(まいしん)した。
それも、当時は成功の可能性が薄そうな方向だったそうだ。
途中、難題にぶつかると、自分の手作業で装置を改良しながら前へ進んだ。
独力の弱みを強みに変えた。
会社からの支援も強力とはいえなかった。
それどころか本人の話によると、研究中止の指示が出たこともあったそうだ。
会社から見れば、成果が出るかどうかわからない研究に勝手に没頭している扱いにくい社員だったのかもしれない。
製法の開発に成功して、海外の研究者らと交流する機会が増えた。
彼らはノーベル賞級の発明をした中村さんの給与や待遇を聞いて驚いたそうだ。
「まるでスレイブ(奴隷)ではないか」とからかわれたという。
東京地裁は、中村さんの発明の対価を604億円と算定し、請求していた200億円の支払いを会社に命じた。
会社と社員との関係を揺さぶる判決だった。
会社勤めの技術者・研究者には夢を与え、企業社会には、反省を促す痛撃になった。
とんだところから大きな発明が生まれる。これからの会社勤めの技術者・研究者達に大きな夢を与えている。
暦より一足先に早春の香りを届けてくれる
2月2日の天声人語より
山うどやふきのとう、たらの芽などの山菜が出回り始めた。
暦より一足先に早春の香りを届けてくれる。
独特のほろ苦さが舌に心地よい刺激をもたらす、日本ならではの味覚だろう。
苦みをいかに抑え込むか。
そんな研究が米国で進められていることを以前、米紙が報じていた。
苦みを除去する物質を開発して特許を取ったバイオテクノロジーの会社もあるという。
各種の食品会社が注目しているらしい。
食品から苦みそのものを除去するのではなく、苦みを感じる舌をだます物質だという。
苦み成分を口にしても、舌が反応しない。
脳に信号を送ることができない。そんな作用があるという。
記事は「たとえばコーヒーに砂糖やミルクを入れる必要がなくなる」というが、
苦みを感じないコーヒーのどこがいいのか、と疑問もわく。
緑茶の渋みが嫌で、砂糖を入れたら飲めるという外国人がいたが、日本人だったら考えもしないだろう。
ある種の苦みや渋さを尊重するのは、日本の食文化の特徴かもしれない。
食べ物だけではない。「苦み走ったいい男」という。
甘さのない厳しく引き締まった容貌(ようぼう)のことだ。
「渋い」というのも、なかなかのほめ言葉だ。
華美でなく、落ち着いた趣味の良さをいうことが多い。
江戸時代の洗練された美意識の世界「いき」に通じる感覚だろう。
寒さが残るなか、節分から立春へと季節はゆっくり巡る。
そんな季節の移ろいと会話をかわすように、野山で採れたほろ苦い山菜を味わうのは、また格別。
〈山独活(うど)のひそかなる香の我が晩餐〉(有馬朗人)
イギリスの報道機関BBCが創立以来の危機にあるという
2月3日の天声人語より
英国のサッチャー元首相がBBC記者をほめたことがある。
82年のフォークランド戦争のときで
「BBCのすぐれた記者ブライアン・ハンラハンがあの有名な放送のなかで、真実を伝えた」
「大きな救いであった」(『サッチャー回顧録』日本経済新聞社)。
アルゼンチン側の発表と違って英軍機に被害がなかったことを報じる放送だった。
同じ回顧録で彼女は、BBCをはじめ放送界への苦情も多々言い立てている。
何か注文をつけると、検閲だ、独立性の侵害だと騒ぎ立てられる、と。
ガーディアン紙がBBCと政府との対立を振り返っていた。例えばチャーチル首相である。
戦中の40年、情報相に「BBCをもう少し効果的に統制できないものか」とメモを送ったり、
戦後も共産主義者の巣窟(そうくつ)だと非難したりした。
自分の意のままにならないといらだつ政治家たちである。
BBCが創立以来の危機にあるという。
イラク戦争の開戦理由になった大量破壊兵器についての放送がきっかけだ。
政府が誇張をしたと報じたことに根拠がなかったとの調査報告が出た。
最高幹部らが辞任した。逆の結論だとブレア首相の辞任を招いたかもしれない。
これで政府への不信が解消したわけではない。
BBCを信用する31%、政府10%、どちらも信用しない49%、という世論調査もあった。
以前この欄でも紹介したBBC記者のシンプソン氏はこう語る。
「最悪の事態は報道に臆病(おくびょう)になることだ。ひるんではいけない。
確かに、知っていることだけを報じるべきだ。私たちがいつもしてきたことだ」
マスコミの力が退潮した時に世界が一番危険なときでもある。
是非とも権力には屈してもらいたくはない。
名を売って実を得ようとの企てらしい
2月4日の天声人語より
名前を付けるという行いは、子どもなどの命名に限らず、なにがしかの厳粛さを伴うものである。
しかし、火星に行っている探査機の近くの岩に、
その形によって「スシ」や「サシミ」というニックネームがつけられていると知り、笑いを誘われた。
「スシの側面の粒々のシャリのようなところを一つまみ採取せよ」。
こんな指令が、宇宙を飛んでいるのだろうか。
単純には笑えなかったのが、大阪近鉄バファローズが打ち出した球団名の売却構想だ。
名を売って実を得ようとの企てらしいが、何十億円ともいう対価と引き換えに実質をも失ってしまわないかと、
少々気になる。
このネーミングライツ(命名権)ビジネスというやり方は、米国で定着したものだそうだ。
名前というブランドが、直ちにお金につながるところが、あの国らしい。
だが、こちらの国では、「名前」や「名」というものは、商標や目印を超えた重みを持たされてきた。
「名にし負う」「名に背く」「名は体を表す」「名を惜しむ」「名を汚す」「名を雪(すす)ぐ」「名をあげる」。
本音を抑えた建前大事の精神が表れた言い回しとも言える。
そして、名前の変更はあくまで名前だけのことで中身はまた別の物、というような割り切り方をしにくい風土が、
成句にからんで見える。
売却構想には、球界からの強い批判があり、賛同の声もある。
新しい「名前」を着せられるかもしれない選手たちも声をあげて、論じ合ったら良い。
今のこの国の、名と実、本音と建前のありようも、浮かんでくるかも知れない。
言葉どうりに名前を売ってそれによって収益をあげようとしている。情けない気もする。
名誉ある名を汚し,名も泣くに泣けないと言いたい。
イスラム教の聖地メッカでの事故
2月5日の天声人語より
今年も200人以上が死亡した。
毎年のように繰り返されるイスラム教の聖地メッカでの事故である。
90年には1426人の死者が出た。
世界中から200万人もの巡礼者が集まるだけに混乱がつきまとう。
メッカ巡礼とあわせて催される犠牲祭はイスラム世界で最も重要な祭りの一つだ。
アフガニスタン・バーミヤンの大仏を破壊したタリバーンもこの期間は爆破作業を中断した。
今年は犠牲祭に集まった人々をねらったテロが発生、イラクのクルド人自治区で多数の犠牲者が出た。
生活の隅々まで宗教が支配している。
一方、神を「棚上げ」にして極めて打算的、さめた目で物事を見ることもできる。
作家の曽野綾子さんが『アラブの格言』(新潮新書)で
日本人には理解しにくいアラブ世界の一面を浮き彫りにしている。
例えば「断食して祈れ。そうすればきっとよくないことが起こる」。
信仰に忠実であることと現実に起きることとの乖離(かいり)から目をそらさない。
「狡(ずる)さのない男は、空のマッチ箱のようなものだ」
「きちんとした嘘の方が、水っぽい真実よりましだ」。
一筋縄ではいかない人たちである。
「一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ」。
争乱の歴史経験から支配についての考えが培われた。
欧米的な民主主義が簡単に根付く風土とは思えない。
そして「俺たちから遠く離れていろよ。そうすれば好意を持ってやる。
しかし、近づけば、呪ってやるからな」
イラクの復興支援という。しかし人々の心の中まで入って支援することは容易なことではない。
テレビを通じてみるイスラム教徒の熱烈な信仰行為には仏教徒の多い日本人としては驚きである。
食料自給率が低いことにも利点がないわけではない
2月6日の天声人語より
ご飯に焼き魚、のり、みそ汁の食事だと自給率は85%、
ハンバーガー、フライドポテト、コーラでは自給率が20%になる。
農林水産省が試算した。
自給率を高めるために、もっとご飯を食べましょう、というわけだ。
カロリーに換算すると、日本の食料自給率は40%である。
40年前には70%を超えていた。
ご飯中心から欧米型の食事に変わってきたこと、外食が増えたことなどが原因にあげられる。
占領政策を進めた米国が、自国の農産物を売りつけるために日本人の食生活を変えた。そんな説もあるほどだ。
フード・マイレージという言葉がある。
食品の量と輸送距離とを掛け合わせた数字だ。
食料調達にどれだけエネルギーを使っているかの指標になる。
輸入食料についての試算では9千億トン・キロメートルで、自給率100%を超える米国の3倍にのぼった。
農産物輸入額でみると、日本は世界全体の1割を占める。世界中から食材をかき集めているのが現状だ。
街から牛丼が消え、外食産業では鶏肉の仕入れに苦心する。
そんな風景が広がると、不安の方も広がる。
最近の農水省調査では、国民の9割が食料供給に不安を感じている。
自給率が低いことにも利点がないわけではない。
食卓を直撃する国際情勢に敏感にならざるをえない。
他国と仲良くしようとの意識も強まる。
何より戦乱や紛争のない平和が、食べていくためにも大事であることを実感できる。
ただ、とうふや納豆の原料になる食用大豆の自給率が25%と聞くと、もう少し国内産が増えてほしいとの思いも禁じえない。
今や一国のことを考える時代は過ぎ去った。世界が一国となり政治 経済などを動かす時代になりつつある。
超大国の身勝手さばかりが目立つなか、
草の根メディアの健闘には声援
2月7日の天声人語より
「テレビを見なくなりました。ラジオを聴いています」。
先日、ハーバード大学教授(米外交史)の入江昭さんからそんな話を聞いた。
テレビを見なくなったのは、01年の同時多発テロ以降だという。
米国社会の雰囲気を映して、テレビも画一化が一段と進んだらしい。
いわば戦時下で、政府の批判がしにくいこともあるのだろう。
啓発される番組がなくなったという。
どんなラジオを聴いているのかと尋ねると「朝7時のニュースからMPRです。
同僚や友人にもそういう人が多い」。ミネソタ・パブリック・ラジオのことだ。
ミネソタ州を拠点に全米に番組を流している非営利放送局である。
たとえば最近の特集番組に「だれの民主主義か?」がある。
アメリカ人はいまの民主主義のあり方に疑問を持ち始めた、としてその疑問にこたえようとする。
「アメリカ民主主義の宗教的起源」。そんなテーマを、哲学者とともに掘り下げたりした。
MPRが掲げる「10の信条」は、実に明快だ。
「外からのいかなる介入も断固拒否する」「ニュースとエンターテインメントとを峻別(しゅんべつ)する。
私たちはショービジネスの世界にいるのではない」「人気や聴取率のためには番組をつくらない」等々。
従業員が300人ほどのラジオ局の志である。
「いま私たちは、ラジオドキュメンタリーの黄金時代にいる」。
コロンビア大学教授のS・G・フリードマン氏が昨年末、USAトゥデー紙でMPRを例にあげていた。
超大国の身勝手さばかりが目立つなか、
草の根メディアの健闘には声援を送りたい。
権力に迎合するのは容易だが,その権力の誤りを指摘,反対し,是正を言いつづけるのは大変な仕事である。
日露戦争の始まりだ
2月8日の天声人語より
1904年の2月8日、日本軍は朝鮮半島に上陸した。
2日後に宣戦布告した。日露戦争の始まりだ。
国論は開戦に傾いていた。18歳の石川啄木は岩手日報にこう書く。
「今や挙国翕然(きふぜん)として、民(たみ)百万、北天を指さして等しく戦呼を上げて居る。
戦の為めの戦ではない。正義の為、文明の為、平和の為、終局の理想の為めに戦ふのである」。
朝日新聞も対露強硬論を主張した。
非戦を掲げる幸徳秋水らの平民新聞にはこうある。
「不忠と呼ぶ可也(かなり)、国賊と呼ぶ可也、若(も)し戦争に謳歌(おうか)せず、
軍人に阿諛(あゆ)せざるを以(もつ)て、不忠と名(なづ)くべくんば、我等(われら)は甘んじて不忠たらん」
(『幸徳秋水』論創社)
戦争のさなか、トルストイが英タイムズ紙に長文の日露戦争批判を寄稿した。
朝日新聞と平民新聞に翻訳が載る。
「戦争は又もや起れり、何人(なんぴと)にも無用無益なる疾苦此(ここ)に再びし(略)
人類一般の愚妄残忍亦茲(またここ)に再びす」
7年後、啄木は訳文をペンで筆写し、記す。
「予も亦無雑作に戦争を是認し、且つ好む『日本人』の一人であつた」
「今や日本の海軍は更に日米戦争の為に準備せられてゐる」(『石川啄木全集』筑摩書房)
群馬県立近代美術館(高崎市)の「戦争と美術」展で「日露戦争軍人木像」を見た(15日まで)。
背丈50センチほどの軍服姿の像162体が、並んで立っている。
近郷出身の死者の慰霊として、写真などを参考に作られ、寺に収蔵された。
周りを巡る。照明の具合で、ガラスの入った目が、時に光る。
その小さな明滅は、1世紀のかなたから届いた無言の訴えのようだった。
幸徳秋水という人物は危険な人との子供の頃の印象をもっていたが,反戦を唱えた人だっただけなのかどうか。
政府を転覆しょうとした人のように感じ,危険思想の人と感じていた。
でも今此れだけの短い文書を読む限りおいては,今の人たちが当然誰もが考えることである。
当時は今では当然のことが危険な考えと思うような異常な社会情勢になっていたのではないかと。
幸徳秋水の考えが異常なのではなく,その当時の日本国内の社会情勢が異常だったのかもしれない。
なぜ戦争をする必要があったのか?
2月10日の天声人語より
「そのときの私の気持ちを共有してほしい。
サダム・フセインがアメリカへの脅威だと思ったのは間違いない」。
イラク戦争開戦についてブッシュ大統領は8日、米NBCテレビでそう語った。
大統領は「イラクが危険な兵器を隠し持っているのは間違いない」と国民に語りかけて戦争を始めた。
しかし「大量破壊兵器の存在を示す証拠はなかった」と調査責任者のケイ氏が証言した。
大統領は誤った判断をしたのではないか、と問われての答えだった。
大統領は、フセイン元大統領のことを何度も「危険な男」「狂った男」と非難し、
危険が切迫する前に処置する必要があったとも語った。
いまなお犠牲者が絶えない戦場に派遣された兵士たちは、
大統領の「気持ち」をはたして共有できるのだろうか。
論理よりは感情でもって訴えようとする姿勢を感じた。
ワシントン・ポスト紙のウッドワード記者が著書で、大統領を「直感の人」といい、
その直感はほとんど第2の宗教だ、と述べたのを思い浮かべる。
「没論理」傾向の危うさが表れた番組だった。
英国のブレア首相も防戦に懸命だ。
ケイ証言をめぐっては議会で「フセイン政権は大量破壊兵器をつくる能力はあった」と
米大統領と口裏を合わせるような反論をした。
小泉首相は「隠そうとした人が言わないかぎり、見つけるのは難しいかもしれない」と。
なぜ戦争をする必要があったのか?
米英日首脳の発言は開戦当初から少しずつ変化してきた。
いずれ歴史の審判を受けるとしても、問いを発しつづけることに意味はある。
イラク戦争前,戦争をするのは少し待てと,そしてもつと国連の査察を継続してからでも遅くないとの世論であった。
それか゛ブッシュが勝手に国連を無視し,イラク戦争に突入した。
結果は今のイラクの混沌とした情勢である。
ブッシュはイラクを解放し,イラクにそして世界の人たちに歓迎されていると自画自賛している。
ブッシュの演説は綺麗な言葉に綴られいるが,イラクの現状は極めて悲惨である。
取り返しがつかないことをしている。
テロに怖じ気ついてはいけないとしてイラク戦争を指揮し,その本人がベトナム戦争時には戦争に行かないように州兵となり,
それも親のコネで州兵に早くに採用されている。そしてその兵役も全うせずに逃げている。
そのことはブッシュが戦争に怖じ気ついていた証拠ではないのか。
そんな最高指令長官が死を恐れずおじけつかずに,戦争を遂行せよと命令する資格があるのだろうか。!
そして若い兵士達がイラクで死んでいっている。
それ以上にイラクの人たちも殺されている。こんなことで本当によいのだろうか。
きょう革命25周年のイランである
2月11日の天声人語より
79年のイラン革命に至る道をテヘランでじっと見ていたイスラム学者がいた。
前途を心配しつつ、一方で期待も抱きながら。
91年、大学構内で何者かに刺殺された筑波大助教授の五十嵐一さんである。
五十嵐さんは革命直後に帰国、まもなく出版した本にこう記した。
イランの人たちは、せっかく実りかけた果実が突風で落ちてしまう悲しみを多く味わってきた。
その悲しみを繰り返さないためにも「伝統に立ち帰り、それを革新することこそイスラームの途」だ、と
(『イラン体験』東洋経済新報社)。
その後、五十嵐さんは、サルマン・ラシュディ著『悪魔の詩』を邦訳した。
革命後の最高指導者ホメイニ師がイスラムを冒涜(ぼうとく)したとして、著者に死刑宣告をした本だった。
訳本と訳者の死の関連をめぐり憶測が飛び交ったこともあったが、犯人は捕まっていない。
五十嵐さんが心配した革命後のイランは順風満帆とはいかなかった。
いまも改革派と保守派とのせめぎ合いが続く。
「文明の衝突ではなく、文明の対話を」と説いたハタミ大統領も保守派に妥協したとして、
改革派から批判を浴びている。
改革派の旗手の一人、ノーベル平和賞の法律家エバディさんも最近のハタミ大統領には批判的だ。
彼女は「イスラムと人権・民主主義とは対立するものではない」「二者択一を迫ってはいけない」と主張を続ける。
国内の「衝突」をはたして「対話」に転換できるかどうか。
五十嵐さんは「新生イラン」の希望を若い世代と中間層に託していた。
きょう革命25周年のイランである。
イラン・イラクと中東地域が何故に世界の話題になるのか。石油の利権が絡まっているようにも思える。
石油さえ出なければ平和な地域だったかもしれない。石油が国を不幸にしている。
バレエというのは規則の多い舞踊だ
2月12日の天声人語
バレエというのは規則の多い舞踊だ。
宮廷でのあいさつの仕方が起源ともいわれるから作法にうるさいのか。
歩く、走る、跳ぶ、回る。どの動作にも決まりがある。
せりふはなく、音楽にあわせて体だけで表現する。
拘束だらけのなかで、驚くほどの軽やかさや優美さを見せる。
拘束されながら目指すのは、天空である。
動作は上へ上へと向かう。女はつま先立ちで地表から浮き上がろうとする。
男は地上高く跳躍する。
「身体はダンサーにとって自分の魂のようなものだ」とは熊川哲也さんの言だ。
英国ロイヤル・バレエ団で主役として活躍した彼も、すばらしい跳躍で観客を魅了した。
強くてしなやかな肉体が必要とされる。
無我夢中で踊り続けるとき「自分をピンと張られたワイヤのように感じる」
高く、高く、を目指すバレエが遊牧民族型なら、
重心低く、地表から離れない日本の舞踊は農耕民族型といわれることがある。
日本人はバレエに不向きという説もあった。
いま国内外で活躍する日本人ダンサーたちを見ると、とても通用しない説だ。
あるいは、日本が農耕文化から「飛躍」してしまった結果なのか。
半世紀以上にわたって斬新な舞台をつくり続けてきたローラン・プティさんが
演出・振り付けをした「ピンク・フロイド・バレエ」(牧阿佐美バレヱ団)東京公演を見た。
ロック音楽にあわせての踊りだ。
バレエの規則を壊すことなく、ロックとの鮮やかな「融合」を果たしていた。
手拍子で舞台を盛り上げた観客も、伝統と現代との「融合」に溶け込んでいた。
バレーは優美でしなやかである。誰が発明したのかが気になる。
日本の舞踊も又美しい。伝統は守って行きたいものだ。
刑務所の政治犯の囚人たち
2月13日の天声人語より
金の首飾りに腕輪、デザイナーズブランドの時計をし、
ナイキのシューズを履いている人がいるかと思えば、
小説や詩を書いている人や量子力学を勉強している人もいる。
英国の刑務所の囚人たちである。
偽証などの罪で実刑判決を受けた人気作家で、
上院議員のジェフリー・アーチャー氏が『獄中記』(アーティストハウス)で描いた。
宗教によって礼拝や食事制限が違うため、
獄房には色分けの名札が掲げられていることや女性職員がかなりいることなどの描写も印象深い。
アーチャー氏の軽妙な叙述に比べ、山本譲司著『獄窓記』(ポプラ社)の方は重苦しい場面が多い。
秘書給与をめぐって詐欺罪などで実刑になった元民主党衆院議員の山本氏が、
出所するまでの体験をつづった記録である。
彼はさまざまな障害がある囚人たちの世話係として、食事の世話から汚物の処理まできつい仕事に従事した。
英国に比べて所内の規制は一段と厳しそうだ。
そんな中で、心に響く人々とのやりとりも描かれる。
昨年出所したアーチャー氏は、刑務所制度の改善などを訴えていくらしい。
政治家として復権できるかどうかはわからないが、作家活動を続けていくことに変わりないだろう。
一昨年出所の山本氏は、福祉関係の仕事をしたい、と著書に記した。
獄中生活を、自分を変える場として考え続けたという。
元社民党衆院議員の辻元清美被告に有罪判決が出た。
山本氏と違って執行猶予がついた。
実刑を免れたとしても有罪の荷は軽くない。どんな「再出発」を彼女は考えるのだろうか。
辻元清美の鈴木宗男氏との国会での問答が今でも鮮明に記憶にある。迫力が有り,悪に迫る気迫を感じた。
権力を握ることの無い政党への献金は少ない。
献金そのものは既に悪い事 又は無理をして欲しいとの督促状とでもとれる。
献金なんか,当てにしなくとも議員同士が同じ条件で自分の訴えを進められる制度をば作るべきである。
全ての立候補者が同条件で戦える選挙制度にすべきである。
集金力が議員への手形を求める資金ならば大いなる間違いである。アメリカでも集金力が
議員の力と誤解されて一般に理解されているようだ。
正常な民主主義とはいえない。アメリカ流民主主義 腐った民主主義である。
これだけ宣伝媒体が普及した時代にはそれらしき選挙制度が有って然るべきである。
立候補者の政治に対する信念の訴え,それでもって国民が其れにもとずき投票する。そんな選挙制度にすべきである。
今の政治家の日常活動といわれているものの内容は、議員が一般市民への個人的な世話奉仕でもって投票を買おうとしている。
政治とは全く無関係な個人的な便宜を与え,その見返りに票をもらう行為が横行している。
政党と名がつくものの,その内容は便宜共用集団で全く政治とは関係しない活動集団ではないかと見えてくる。
そして党の規約とかをつけ,それにしばりつけて,違った意見があろうとも圧殺してしまう。
「党の拘束」とやらは,それは明らかに独占禁止法にそむき,違反している。
クーロン人間でないかぎり全てが同じ考えの持ち主は有り得ない。それを「党の拘束」というもとで縛り,其れに反する行動とれば
仲間にいれないとするのは,明らかな集団を一つの目的に縛り付けるものである。一種の「談合」ともいえる。
こんなことが続く限り正常な民主主義は育たない。
悪法でも,その党の実力者の意向だけで国会を通過されてしまう。それは多数の国民の意思とは無関係にである。
必ず選挙時にはおカネが行き交っている報道が,そして現実をみる。
だから集金力が政治家の力の源泉ともいわれている。権力の巨大さをこじするものである。
権力を持たない政党は正常に政治にしか使えないおカネをミミちく私用に利用している。
大政党はそんなこをせずに権力でもって人に利便を与え,その見返りの献金がされてくる。だからそれを使えばよい。
だが両者とも法には違反しているとしか思えない。今の政治は国民の意思は反映せれずに動いている。
そのもとはカネ カネである
それに加えて義理・人情 結婚 葬式の世話 細かな相談ごと等々で政治とは全く関係ないことで議員が選ばれて行く。
その結果が,とんでもない首相が今の日本に君臨している。それが現実である。マスコミもそれに迎合しながら報道する。
「小泉に変る人は日本にだれもいないと」。
とんでもない話しである。だったら小泉首相が今突然死すれば日本はどうなるのか。
首相がいない国になるのかと聞きたい。
国が進めようとしている「平成の大合併」
2月14日の天声人語より
日本の地名に最も多く使われている文字は何か。
こんな疑問が浮かんだのは、国が進めようとしている「平成の大合併」で、
元の自治体の名前が次々と消えているからだ。
全国の市町村名を調べると、最多の字は「川」で、216を数えたという。
次いで「田」が198、「山」が168で、「大」「野」と続いた(97年4月現在
『日本の地名がわかる事典』日本実業出版社)。
すんなりと、納得できる結果だと思う。
「田」や「野」を流れる「川」の向こうに「大」きな「山」が見えているというのは、
古来の日本の風景と、よく重なっている。
しかし、やはり、川のような原風景の文字は減りつつある。
「川上」という名を持つ6町村が88年に結成した「全国川上町村連絡協議会」が、3月いっぱいで解散する。
岡山県の川上町や、岐阜、山口の川上村は合併後に名前が変わる。
存続するのは、長野、奈良の川上村だけになりそうだ。
漢字から、ひらがなに変わる流れも強い。
栃木県の喜連川(きつれがわ)町は合併で「さくら市」に、高知の伊野町は「いの町」になる。
ひらがなには、元の名にあった漢字への愛着や執着を弱めたり、
新しい出発を印象づけたりするといった働きがあるのだろう。
同時に、それまでの長い歴史が突然消滅するかのような、のっぺりした感じも漂う。
地名の漢字には東西南北も多く、四方位を合わせると288で、トップの川を超える。
大中小も目立つが、小と中とを合わせても、大にはとても達しない。上は、下を上回る。
地名には先人の思いもこもっている
なんやかやと小泉さんは変ったことをする人だ。だから変人ともいわれているのか。
何にでも必ずに短所 長所があるはずである。よくわきまえてすすめてほしいものだ。
まず住民の声をきいてほしい。お上の命令だけで政治は動くものではないし,動かすものでもない。
昨日、自衛隊のイラク派遣についての
政府広報が載った
2月15日の天声人語より
イスラエルの北部にあるガリラヤ湖畔は、キリストの「山上の垂訓」の舞台として知られている。
湖の更に先のゴラン高原へ、エルサレムからバスで5、6時間かけて行ったことがある。
96年の3月で、たまたまその前月から、日本の自衛隊員が、国連の平和維持活動に加わるため高原に入っていた。
イスラエルとシリアに対する国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)への参加である。
この時は時間の限られた集団行動だったので、隊員たちとはすれちがっただけだった。
しかし、その地に着くまでに通ってきた高原の異様さを思い、隊員や監視軍の人たちの無事を祈った。
道の両側に広がる野の花の群落の中に、おびただしい数の赤と黄色の表示板が立っていた。
地雷のありかを示している。
場所によっては花の数より多いくらいで、しかも、それが、車の窓から手を伸ばせば届きそうな所に延々と続いている。
争いの長さと深さとを思い知らされた。
昨日、自衛隊のイラク派遣についての政府広報が載った。
そこには、派遣についての説明というよりは、「こうなればいい」という、いわば希望のような姿が描かれていた。
ゴラン高原に派遣してきたことにも触れていた。
しかし、国際社会の合意によるゴラン高原での国連活動への派遣と、
今回の米英によるイラク戦争の後の派遣との違いについての説明はなかった。
この日、海上自衛隊も、広島・呉基地を出発した。
サマワでは最近、迫撃弾の攻撃が起きた。
自衛隊の駐留による治安の変化が起きていないのかどうか、気にかかる。
自衛隊が派兵されることによりサマワの治安が悪化したとするならば,その決定した政府の責任は重い。
そのようなことがないとは言えない。丁度アメリカ軍がイラクに存在するためにイラクの治安は悪化しているように。
アメリカ軍は戦争によってイラクを占領している占領軍である。そのアメリカの占領を助けにいったのが日本の自衛隊である。
繰り返されて言われている 日米同盟 国際貢献 イラクの復興支援の言葉はおぼえてしまった。
子供の頃によく聞かされた 鬼畜米英 大東亜共栄 一億火の玉撃ちてし止まん を今も覚えている
再び戦争への道を歩み始めているように思われて仕方がない。
自衛隊派兵よりも年金のことをもっとしっかり考えてほしい。年金の給付を少なくして自衛隊の派兵に無駄な
お金を注いでいるようにおもえてならない。
今の政治は本当に日本の進むべき道は誤った方向に進んでいるようだ
アメリカのブッシュが大統領に落選する以外に改善の目はみえてこない。
我々には貴方まかせで全て神に祈るしかない。
冷戦期の最も重要なスパイといわれた
ポーランドのR・ククリンスキ氏
2月16日の天声人語より
「冷戦が熱戦になるのを防いだ情熱的で勇敢な男だった」。
先週、73歳で亡くなったポーランド出身の男のことを米中央情報局(CIA)長官はそう悼んだ。
「裏切り者か、愛国者か」。祖国ではたびたび論争の的にもなった人物だ。
冷戦期の最も重要なスパイといわれたR・ククリンスキ氏である。
ポーランド軍将校だった72年から81年にかけて、機密情報をCIAに流し続けた。
民主化を求めた「連帯」の運動を弾圧しようとソ連軍などがポーランド介入を準備したことがあった。
彼の情報をもとにカーター大統領がソ連に警告、介入を免れたこともあったそうだ。
国際情勢を動かすことしばしばだった。
米国のポーランド系雑誌「ポリッシュ・ニュース」などによると、方法は古典的だ。
小型カメラを持ち歩いてこっそり文書を撮影、CIAの代理人に渡していた。
81年、米国に亡命するまで家族にも知らせなかった。
ソ連崩壊までは米国でも経歴を隠し、偽名を使って暮らした。
その間、2人の息子が事故で死んだ。
その死が彼の過去に関係あるかどうかはわからない。
彼は自分のことをスパイだとは思っていない。
情報提供は自発的で、無報酬だった。ひたすら祖国の解放を願っての行動だった。
68年のソ連軍のチェコ侵攻を契機に信念を固めた、と。
スパイを描き続ける作家ジョン・ル・カレ氏が先日、米紙にスパイ論を語っていた。
「歴史の巨大な重圧下で個人を表現しようとした人々」と。
ル・カレ氏のいう意味でスパイと称されることにククリンスキ氏も異論はないだろう。
世界が国家単位で活動している限り世界は平和は来ない。EU連合国が゛でき
アジアにも同様の連合体が,そしてアメリカにも同じような共同体が作られるようになり
最後に世界連邦が成立する事である。
常に思うことは何故に神さんが此れだけの地球上に違った言葉と違う人種を創ったかである。
もし言葉だけでも世界が一つに統一されればもっと世界は平和に近ずくと思う。
スポーツ番組も含めて時間差放送が
広がることには危惧(きぐ)を覚える
2月17日の天声人語より
結果のわかったスポーツを録画で見るのは味気ないものだ。
結果がわかっていなくても、録画では生放送の臨場感は弱まる。
ところが、意図的に放送の時間をずらす動きが出てきた。
先日の米国グラミー賞の贈呈式は5分遅れで放送された。
全米が注目するスーパーボウルの生放送がそもそもの発端だ。
ハーフタイムの余興で歌手の乳房が見えてしまい、非難が集中した。
そんな「不測の事態」を避けるために時間差放送をした。
このアイデアを競馬中継に持ち込んだのが、映画「スティング」だった。
結果のわかっているレースを、あたかも生放送であるかのように見せかけた。
あざやかなだましの手口が、爽快(そうかい)な結末へとつながる。
競馬は無理だろうが、スポーツ番組も含めて時間差放送が広がることには危惧(きぐ)を覚える。
毒味をして無害であることを確認してから放送する。
いま起きていると思っていることが実は5分前のできごとだった。
詐欺とはいえないが、だまされているような後味の悪さがつきまといそうだ。
日本テレビのサブリミナル疑惑が報じられた。
1万円札の福沢諭吉の顔のカットをごく短い時間挿入したという。
潜在意識に働きかけようとするサブリミナル効果は疑問視されている。
とはいえ、画面の小さな操作で大きな影響を与えることがあるテレビが注視の的になるのは、やむをえない。
現実と非現実との境界が薄れていく現代、テレビは境界線上をさまよっている感がしなくもない。
少なくとも一方の足は、しっかりと現実の方に踏みとどまっていてほしい。
全てこの世の出来事は夢か 幻かを判別できる人は誰一人としていない。
全て死んで行くものにとっては幻が事実かもしれない。
戻らない時間 一回しかない現実と深く考えればやはりこの世は
仮の住まいか。
仲間の死を嘆き悲しむ象の姿は、
人間の罪深さを映してもいる。
2月18日の天声人語より
象をめぐる神話や伝説は多いが、「象の墓場」もその一つだろう。
死期を悟った象が群れを離れ、墓場に向かう。
無数の骨や牙が散らばる墓場に身を横たえ、静かに死を迎える。
誇り高き彼らの最期にふさわしい荘重な光景だ。
だが、そのような墓場はないというのが定説で、想像の産物とされる。
とはいえ、象の死は劇的に語られることが多い。
仲間の死を悲しむ姿が尋常ではないからだろう。
瀕死(ひんし)の象を仲間は何とか助けようとする。
倒れると、牙で引き起こそうとする。
だめだとあきらめたら、埋葬に取りかかる。
足や牙でまわりの土をふりかける。鼻で枝を集めて死骸(しがい)にかぶせていく。
埋葬が終わってもその場を立ち去らない。
アフリカ象の生態を調べた『野性の巨象』(ハミルトン夫妻著・朝日新聞社)には、
3日間も死骸を見守った例が出ている。
埋葬は仲間の象だけではない。
自分を襲ったライオンを地面にたたきつけて殺した後、
やぶから枝を折り取ってライオンの死骸を覆った例もある(『動物たちの自然健康法』紀伊国屋書店)。
記憶力が良く、仲間が死んだ場所にさしかかると、後々まで立ち止まるそうだ。
ボルネオ島に生息するボルネオ象が、独自の進化をとげた「新亜種」らしいことがわかった。
2千頭ほどしか残っておらず、絶滅が心配される。
アジア象全体でも生息数は3万5千から5万頭程度といわれ、「絶滅危惧(きぐ)種」に指定されている。
象を墓場に追い込んでいるのは、開発や密猟である。仲間の死を嘆き悲しむ象の姿は、人間の罪深さを映してもいる。
象の世界に無慈悲にも人間は入り込んでいる。象の身にも人間もなる必要がある。
行動はあまりにも人間に似た行動をとっている。弱肉強食で人間がほしいままにしている。
あたかも今のアメリカのように。
米英のイラク開戦を支持し、
自衛隊派遣を決めた小泉首相
2月19日の天声人語より
「事と次第では生命の危険にさらされる海外派兵を行うのであれば、
その責任者自らも生命を投げ出すほどの覚悟がなければならないであろう」
きのうの党首討論で、民主党の菅代表が手にして小泉首相に迫った本
『吉田茂の自問』(藤原書店)の一節だ。
日中戦争から太平洋戦争までの外交を吉田元首相が若手外交官らに検証させた
機密報告書を小倉和夫・前仏大使が読み解いた。
いったん兵が海外に派遣されると「事態の急変や相手の挑発によって、
『自衛のために』戦闘行為に走ることはとめられない」との記述もある。
もちろん当時といまとを同列に論じることはできない。
しかし、いまたどっている道が果たしてこれでいいのかとたびたび「自問」することの大切さに変わりはないだろう。
米英のイラク開戦を支持し、自衛隊派遣を決めた小泉首相も、きっと自問を繰り返したに違いない。
しかし、菅代表の追及への答えは、これまで何度も聞かされたことの繰り返しがほとんどだった。
「政治闘争は知的な争点、見方・分け方の原理を持っている」というのは、フランスの社会学者P・ブルデュー氏だ
(『政治』藤原書店)。
政治は、これまでとは別の新しい見方を示して、従来の見方に取って代わろうとする闘争だ、と。
小泉首相の「繰り返し答弁」を突破できない民主党は、強力な「別の見方」を示すことができないでいるということか。
日本外交の失敗を反省する先の著書に戻れば「すべて根本が大切であるということである」という。
「根本に誤りがないこと」だ、と。
根本の誤りはブッシュに小泉首相が自衛隊派兵を約束したのが根本的な間違いである。
歴代の首相でアメリカから睨まれれば短命に終わっている。
実質的には日本はまだアメリカの植民地の域を脱していない。アメリカに気に入られなければ短期政権に終わっている。
中には墓穴を掘った首相もいる。
吉田首相 中曽根首相 この首相にいたってはアメリカの不沈母艦としてアメリカに貢献すると公言している。
国民側としては貴方一人だけアメリカの為に戦い,もし死ぬような事があればそれも貴方の責任ですと言いたい。
だが一国の首相の言った言葉である。我々にも影響は強い。
小泉首相はブッシュのイラク戦争に賛成し,その戦争後の占領政策にも参加することを決めた。
国民の過半数が反対していたにもかかわらずである。
だから吉田 中曽根に次いで長期の政権を維持することが出来ている。アメリカの言いなりである。
アメリカがケリー政権になればどうなるのだろう。それより自衛隊から犠牲者が出れば憲法違反が
確実視だから即刻首相を辞めるべきである。誰が見ても今のイラクはレジスタン乃至ゲリラ戦が行われている
国である。
結婚こそは人間がなし得る最大の探検旅行
2月20日の天声人語より
フランスでは「死者との結婚」が、まれにあるという。先週、ロイター電は、こう伝えた。
ニースで、35歳の女性が、18カ月前に自動車事故死した男性と結婚した。
黒い服のクリステルさんは「彼が死んでも、私は彼と分かち合った価値観を大切に思っている」と述べた。
事故当時ふたりは婚約しており、式の日は男性の30歳の誕生日だった。
死後の結婚は、ドゴール大統領の時代に導入された法律で認められているという。
世界は様々だが、昔、この国の文豪が「あらゆる人間の知識のうちで結婚の知識がもっとも進んでいない」と
書いていたのを思い起こす(『バルザック全集』東京創元社)。
米国では、先週、サンフランシスコ市が同性同士の結婚を認め、市庁舎で数十組の結婚式をした。
マサチューセッツ州の最高裁は昨年「同性婚を禁じるのは州憲法違反」としたが、ブッシュ氏は判決を批判した。
大統領選の絡みもあるようだ。
「結婚こそは人間がなし得る最大の探検旅行であり、いつまでもさうなのだから」と記したデンマークの思想家は、
今も、そう言うだろうか(『キェルケゴオル選集』人文書院)。
日本では、著者自ら「30代以上、未婚、子なしの自分は女の負け犬」と書く
『負け犬の遠吠(とおぼ)え』(講談社)が話題になっている。
微妙なテーマを、バサバサと切り分けていく独特の語り口に、同意や反発が起きているのだろう。
日本の古い文人の言葉を引く。「お前が結婚すればそれが嬉しい。
お前が結婚しなければそれもうれしい」(『武者小路実篤全集』小学館)。
結婚こそは未知の探検である。何に出くわすか判らない。人生そのものにも当てはめる事ができる。
オーストリアでのケーブルカー事故当時の安全性
2月21日の天声人語より
いっときに、155人もの人々の命が奪われたのである。
オーストリア・アルプスで、出発して間もなく火に包まれることになるケーブルカーに、たまたま乗り合わせて。
その裁判の結果が「全員無罪」だった。
事故のすさまじさと判決との間に大きな落差を感じる。
事故と判決とを結ぶ線が容易に引けない。
隔てている深い闇を、どう考えればいいのか。
オーストリアでは事故当時、ケーブルカーの安全について、一般的な危険防止規定はあったが、
火災に関する具体的な安全義務の規定はなかったという。
判決は「火災は不幸な偶然が重なって起きた」とした。
偶然という「答え」の、とらえどころのなさがもどかしい。
英紙によれば、裁判官は「判決は必ずしも全員に受け入れられるものではないでしょうし、
激しい批判にさらされることはわかっています」と述べた。
そして続けた。「しかし、我々は真実を発見するためにすべてのことをした。
これは、ご遺族にとって敗北ではありません。しかし被告人は無罪です」。
行き場のない憤りから来る敗北感は否めないが、控訴審を見守りたい。
事故の直後、急報を受けて現地へ向かう家族と入れ替わりに留守宅に届いた絵はがきを思い出した。
「おかーさん おにーさん 元気? 二人でさみしくない?
奈央は毎日とてーも充実した日々を送ってるざんす/新しい発見が多くてすごく楽しいです。
今、旅日記つけてるので楽しみにしてて下さい」
中学2年の奈央さんは、父とともに事故に巻き込まれた。消印は惨事の2日前だった。
一旦起きた悲劇は取り返すことはできない。悲劇は起こるかも知れないと思えば避ける事も出来たはずである
でもこの場合は予想を遥かに超している。
何処かの首相がバカバカしくも予想できるにもかかわらず危険なことに拘わっている。
誰もが危険な所に行くべきだと言っていない。だが,自分は安全な所に居ながら命令を下だした。
日本へのテロは何処で起きるか判らなくなってきている。
自己のみの保身に長けた首相の為の犠牲者は何処で出るかは判らない。
「情報が来た、見た、始めた」のがブッシュさんか
2月22日の天声人語より
「どんな魚にしろ魚を捕るのは一種のいわれなき殺生だと考えていた」。
アメリカの独立宣言を起草した委員のひとり、ベンジャミン・フランクリンの『自伝』の一節である(岩波文庫)。
肉食をやめていた彼は、ある時、大きな魚が腹に小さな魚をのみ込んでいることを思って、宗旨変えする。
「お互に食い合っているなら、私たちもお前たちを食っていけない訳はあるまい」。
そして、こう続ける。
「人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら、
何にだって理由を見つけることも、理屈をつけることもできるのだから」。
独立から、2世紀余の時が流れた。
時代も世界も大きく変わっている。ところが、このフランクリンの述懐が、
なぜか、今の米大統領のしていることと、どこかで重なり合うような気がしてならない。
イラクの大量破壊兵器の存在が怪しくなると、フセインの圧政を打倒した意義があったとの論になる。
次は、開戦前の情報に疑いの目を向ける。
そして、その検証の結果が出るのは、大統領選後の来年になる見通しなのだという。
検証は、情報収集の仕方や情報機関のありようだけではなく、
情報をもとにして開戦を決めたところにも、要るのではないか。
「来た、見た、勝った」は、ローマのカエサルの戦勝報告とされている。
「情報が来た、見た、始めた」のがブッシュさんか。
「来た、見た、やめた」という判断は、有り得なかったのだろうか。
「よい戦争もなければ、悪い平和もない」。フランクリンはこんな言葉も残している。
ブッシュの正義の戦争の為に世界がつきあいさせられて世界はズタズタに混乱の極に陥っている。
世界中が首を長くして何時辞めるか待っているような,こんなアメリカ大統領も今までにないのではないか。
「3人家族のわが家のエンゲル係数は
50%を超えて」
2月23日の天声人語より
貧しさというのはわかりやすい。実感としてもそうだし、数字でも表しやすい。
戦後、ほとんどの国民が飢えを経験したような国では、なおさらである。
最近ではあまり聞かれなくなったが、エンゲル係数という言葉がある。
家計の支出のなかで食事代が占める割合だ。高ければ高いほど貧しいとされる。
戦後まもないころは60%を超えていた。
以来、下がり続け、現在は平均して20%ちょっとになった。
豊かさはどうだろうか。世界第2の経済大国と日本がいわれるとき引かれるのが国内総生産(GDP)だ。
米国についで2番目に大きい。
1人あたりにすると、円の強弱にも左右されるが、先進国中5番目前後に落ちる。
さらに商品を買う力を計算に入れた購買力平価に換算すると、
10位以下になる。こちらの方が実感に近いかもしれない。
国の経済力と個々の国民の経済力とは必ずしも一致しない。
そのうえ、貧富の格差が大きくなっているといわれる。
生活保護を受けている人は10年前の1・5倍近くになった。
失業率が高まった。賃金格差が広がった。
それらを例に橘木俊詔著『家計からみる日本経済』(岩波新書)が詳述している。
以前、本紙(大阪)に、62歳の無職の人からこんな投書が寄せられた。
「3人家族のわが家のエンゲル係数は50%を超えて」いる、
といって食費を切りつめる生活を紹介し、年金の一律引き下げをやめてほしいと訴えていた。
先週、GDPの高い伸び率が報じられた。
朗報かもしれないが、同時に、豊かさの中身を考え直していく時代だろう。
エンゲル係数とは懐かしい言葉である。戦後よく使われていたが次第に生活程度が改善されるにつれて
忘れかけていた。戦争中 戦後間もなくは食べる事に日本人は必死だった。
飢えに苦しんでいた。栄養失調でなくなった人たちも多い。
今の日本は逆に飽食で肥満になり,そのために亡くなる人が多くでてきている。
でも世界の中では飢えに苦しんでいる人もまだまだ数は多い。
弱肉強食,実利主義 実用主義のアメリカの思想が最善の思想として普及するに連れ貧富の差は
拡大し 一国が突出した軍事大国に世界は翻弄されている。
アメリカはそのことにきずくべきである。今年の大統領選挙は世界の目が集中している。
アメリカの良識・良心を信じたいものである。
1日1食の給食が飢えた子どもの
人生を変えることができるのです
2月24日の天声人語より
69年、ケニアの乾燥地帯の貧しい村で生まれた。
16人の兄弟姉妹がいたそうだ。
幼い頃の記憶はひもじさばかりで、母が歌で子どもたちのひもじさを紛らし、
寝かしつける毎日だった。
77年、国連の食糧援助機関、世界食糧計画(WFP)が彼の通う小学校で無料の給食を始めた。
「トウモロコシと豆の温かい食事だった。家では食べられないものだった。皆興奮した」。
あの食事が彼に「力と意志」を与えてくれたという。
「あのときの学校給食がなかったら、いまの私はなかったでしょう」
シドニー五輪の男子1万メートルで銀メダル、
昨年のベルリン・マラソンで2時間5分を切る世界最高記録で優勝したポール・テルガトさんである。
早々にアテネ五輪マラソンのケニア代表に選ばれた。
WFPは先月、テルガトさんを「飢餓撲滅大使」に任命した。
彼にとっては、恩返しの機会を与えられたことになる。
彼は語る。「1日1食の給食が飢えた子どもの人生を変えることができるのです。
ドルでいえば1食たった9セントです」
WFPは40年以上にわたって現地政府と協力しながら、学校給食プログラムを進めてきた。
資金難に悩みながらも、年間約1600万人の子どもを援助している。
それでも世界で3億人にのぼるといわれる飢えている子どもの5%にすぎない。
「飢餓撲滅大使」として活動を始めるテルガトさんは、自分の半生を語ることがそのまま啓発になることだろう。
マラソン選手としては、4月のロンドン・マラソンを経て、アテネ五輪で金メダルを目指す。
子供の頃の戦争中の疎開生活 飢えに苦しんだ小さい頃の思い出が今も心に引きずっている。
戦後の見事とも言える教育方針の180度の展開が何が正しいかどうか騙される事があることを知った。
そんな体験していても今でも騙されつづけて生きているようだ。
真実を見る目を死ぬまで追究しつづけたい。
アナン国連事務総長の東京の国連大学での講演
2月25日の天声人語より
「日本はいま十字路に差しかかっている」とアナン国連事務総長が指摘したのは99年11月、
東京の国連大学での講演だった。
「数年のうちに日本国民が行う選択は世界の人々に影響を与えるだろう」と語った。
あれから約5年、来日したアナン氏は昨日、国連事務総長として初めて国会で演説をした。
本人も言うように「決定的な時期」の演説で、ときに率直に、ときに婉曲(えんきょく)に語りかけた。
氏は「多極主義を確固として信じておられる皆様」と呼びかけた。
「皆様とは私たちのこと?」と顔を見合わせた議員もいたかもしれない。
国会論戦で、国連との協調と日米同盟重視とを使い分けて防戦につとめた小泉首相はどうだったろうか。
99年の講演も、多数の国とのつきあいを重んじる多極主義が主要なテーマだった。
「日本は強力に多極主義を進めている。そして国連を外交の基軸にしている」と
たびたび言及、高く評価した。
国会での言及も、嫌みやお世辞でなく、期待も込めた確信なのだろう。
「軍事行動を語り始めるときは、外交の失敗のサインだ」。
当時そう語ったアナン氏が、今回は「いつ武力の行使が認められるのか、そして誰が承認するのか?
各国が独自に行うのか、それとも共に行う方が安全か?」と問いかけた。
イラク戦争に至った「外交の失敗」への批判と反省とがうかがえた。
日本のイラク復興支援の「表明」には敬意を表し、「困難な議論を経」た自衛隊派遣にも言及した。
5年前の「十字路」から、その後、日本がたどった道を直截(ちょくせつ)に論評することはなかった。
国連本部がアメリカに存在する限り,アメリカの大きな影響から国連は脱しえない。
誰もが考えうることである。アナン事務総長も例外ではないはずだ。
「ヤフーBB」から流出した契約者情報は約460万人分
2月26日の天声人語
ある日の午後、すいた電車に乗り合わせた。
全員が座れるくらいだから車両に30人ほどだろう。
見回したが知り合いはいないようだ。
しかし、もしコンピューターのネットワークでつながっている人同士を同じ色の線で結んだとしたら、
色とりどりの線が車内でもつれあったことだろう。
インターネット接続サービスの「ヤフーBB」から流出した契約者情報は約460万人分という。
全部が本物とすれば、これまでにない数だ。
県の人口でみると、静岡と福岡の間ぐらいになる。
全国の同じようにすいた電車の車両にも、被害者が1人は乗っている勘定だ。
容疑者らが持っていたというDVD(デジタル多用途ディスク)は
CD(コンパクトディスク)と同じ直径12センチの円盤だ。
Vはversatile。多用途のほか、多目的な、何にでも使えるという意味もあるが、
こんな「用途」まであったとは。
内部情報で脅すという手口は古典的だ。
しかし小さな円盤の中の膨大な情報が瞬時にネットに流れるという不安を人質にしているのが今風だ。
個人情報を勝手に持ち出された人たちの憤りや、ネットに流れたのではないかとの不安は大きいに違いない。
情報が、どこからどう漏れたのかは、はっきりしない。
外からの侵入に対しては一定の防護はしていたのだろう。
外向けの壁は高く厚く築いていたとしても、その内側がどうなっていたのかも気になる。
知らない者同士が見えない線で結ばれ、時には知らない所で踊らされる。
便利ながら、苦みも強い「ラインダンス」の時代である。
DVDにどれ位の情報量が詰込められるかしっている。将来もつと沢山の情報を入れることのできる媒体ができるのも
予想がつく。デジタル社会で情報を防ぐ事は益々に困難になって来ている。
例え情報が盗まれても悪用されなければそれでも良い。情報は巷にあふれている。
本でもテレビでもパソコンでも情報は一杯で頭が混乱しかねない。
何が必要な情報かの選別の目を養う事がますますに大切になってきている。
最近の言葉から
2月27日の天声人語より
最近の言葉から。女優の岸惠子さんが戦時下に「子供を止(や)めた日」を思い出す。
「直撃弾を受けて燃えあがり、身もだえする我が家を、松の木に登って見ていた私は、
顫(ふる)えてはいたが悲壮感など微塵(みじん)もなく、『今日で子供を止めた』と思った。
大人の言うことを聞いて急拵(きゅうごしら)えの防空壕(ごう)に避難した子供達(たち)は、
爆風による土砂崩れでみんな死んだ」と。
「ひとをにくんだり、さべつしたり、むりに言うことをきかせようとしたり、
じぶんのこころに戦争につながるそういう気もちがないかどうか。
じぶんの気もちと戦争はかんけいないと考えるかもしれないが、
それでは戦争はなくならない」とは詩人の谷川俊太郎さん。
相次ぐ児童虐待について東京都三鷹市の子ども家庭支援センター相談員佐伯裕子さん。
「最初に気付くのは現場の相談員。実際の危険性が10あって、
相談員が8を感じ取っても、上に報告されるごとに危険性の認識が薄まっていきがち。
いかに現場レベルで連携できるかがかぎ」
「火をおこせ」が口癖の日清食品社長安藤宏基さんは
飽食の若者に「原始人さながら木をこすり、実際に火をおこしてみなさい、ということです。
私は手を豆だらけにして3時間かかりました」
バースコーディネーターの大葉ナナコさんは「体が変わると心が変わる。
意識が変わると細胞が変わるんです」
電話がなく手紙で予約を受ける民宿を岩手県で経営する坂本久美子さんは「一日も退屈したことはないわ。
都会にはない貴重なものがあるから、わざわざ遠くから来てもらえるのかな」と。
戦争体験は深刻である。だからこそこれからの日本は戦争放棄するのが一番大切なことであることを
伝えていかなければならない。なんとしても戦争自体は人間として愚かの極みである。
神の沈黙は、重くて深い。
しかし「教祖」の沈黙は何と皮相
2月28日の天声人語より
「なんのため、こげん責苦ばデウスさまは与えられるとか」。
遠藤周作が江戸時代の苛烈(かれつ)なキリシタン弾圧を描いた小説『沈黙』に出てくるせりふだ。
信徒は問うが、神は答えない。
「最終解脱者ならだれよりも人の苦しみがわかるはずだ。
なのになぜあなたは、被害者の苦しみがわからないんですか」。
かつての弟子は99年、法廷でオウム真理教の「教祖」松本智津夫(麻原彰晃)被告を問いつめた。
彼は不機嫌そうに黙り込んだ。以来、沈黙を続けた。
神の沈黙は、重くて深い。しかし「教祖」の沈黙は何と皮相であることか。
反論の言葉も見つからず沈黙に逃げ込んだ、としか見えない。
死刑を言い渡された昨日の法廷でも、松本被告はもぐもぐと口を動かしはしたが、
意味ある言葉を発することはなかった。
「あまりにもあさましく愚かしい限り」と被告を断罪する裁判長の言葉が、一瞬でも彼の頭にとどまる気配さえなかった。
豊かさをめざして疾走した戦後日本がたどりついた80年代は、どこか空虚感も漂っていた。
「豊かな社会」のかかえる空洞に、オウム真理教は「超現実」の別世界をつくり、
若者らに「にせの充実感」を与えようとした。
この宗教組織をテロへと向かわせた責任者は松本被告である。
小説『沈黙』の主人公の司祭は、煩悶(はんもん)の末、踏み絵を踏む。
自分が拷問に耐えられないからではなく、信徒を拷問から救おうとする「愛の行為」だった。
煩悶のかけらも見えない松本被告には、沈黙を破って謝罪や悔悟の言葉を期待することさえむなしいのか。
こんな馬鹿げた教祖に騙されている。それも遥かに教養をつんだ人も多く含まれている。
此れに近いような宗教団体は他でも多くあるに違いない。
信仰は信ずる事から始まる。教祖にとっても教団関係者にも騙すに一番に良い相手である。
第二 第三のオウム真理教が日本に多く存在しているように思われてしかたない。
ビキニ環礁での米国の水爆実験で
被曝(ひばく)して、明日で50年
2月29日の天声人語より
マグロ漁船の第五福竜丸が、ビキニ環礁での米国の水爆実験で被曝(ひばく)して、明日で50年になる。
水爆による初めての犠牲者となった無線長、久保山愛吉さんが、その瞬間を記している。
「朝食をとり、それから機関部員室で雑談中、推定三時五十分ごろ、丸窓が日の出のように明るく輝いた。
高木君は、『日が出たよ』と話しかけた。
しかし輝きは西方だつた」。久保山さんは、被災から半年後に亡くなる。
この文は、死後間もなく『中央公論』に「絶筆 死の床にて」と題して発表された。
同じ頃『婦人公論』には、妻すずさんの「夫の死をむだにしないで下さい」が載った。
「私は、これからさきのことを考えると、何から何をどうしてよいのやらサッパリわかりません。
けれども水爆の実験を、金輪際やめて頂きたいということだけは、ハッキリと申上げることが出来ます」
「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」。
愛吉さんの言葉を胸に、すずさんは、被曝を機に広がり始めた原水爆禁止運動に力を尽くし、
「平和の語り部」とも言われた。
昨日、東京の夢の島にある福竜丸の展示館に行った。
一角に数本のバラが植えてある。
愛吉さんは航海の合間に、自宅で熱心にバラなどの草花を育てていた。
その世話をすずさんが引き継ぐ。そして93年のすずさんの死後、株分けされた。
「愛吉・すずのバラ」として展示館以外にも広がっている。
うずくまるかのようなバラの上を、潮風がゆるやかに渡ってゆく。
しゃがみこんで見ると、幾つもの芽がふくらみ、伸びようとしていた。
水爆は原爆に比して何十倍の破壊力があるらしい。広島の一発の原爆で45万人もの人たちが死んでいっている。
その原水爆弾が何千発もあるらしい。廃棄する話があっても全部ではない。
核に神経質になっている大国にはドッサリと核爆弾がある。小国はもつべきでないと喧しく言い経済制裁とかで
さらに苦しめようとしている。ヒトリヨガリの大国だけが世界制覇をし威張っている。
何を信じ我々は生きていけばよいか。でも戦争放棄した日本の戦後歩んできた道は正しかったと思う。
その道は永遠に続けるべきで 他の国にも同じ道を進むよう説いてゆくのが一番正しい日本のこれからの責務である。
もう世界にブッシュはいらない。日本流に言えばブッシュはアフガン並びにイラクでなくなった人達の冥福を祈り
牧師になって懺悔してほしいものて゛す。
キリスト教も同じだと思うから。イキモノを殺すナカレと死んだ人達のために後半生を費やし悔い改め余生を過ごしてください。
信じられなくなった時
人が人を信じられなくなった時一番おそろしいときである。
患者が医者を 一般市民が警察を 市民がお上のすることに対し信じられなくなった時,
その時が一番恐ろしく不安になる時である。
そのためには医師としては,できる限りの己の力を発揮するように,信頼にこたえるように努めたい。
他の職業に就いた人たちも同じようなことがいえると思う。
医師の場合いろんな医師がいて嫌ならば変えることができる。
警察とか,お上は容易に変えられない。ただ随うより仕方ない。
公職に就く人は先ず公平・公正でないといけない。ある一部の人たちのために,
最後は己の利益のためにするとなるとそれは最低である。
世の中同じ考えを持った人たちばかりではない。色んな考えを持った人達の集まりである。
それが気に食わないからとして危害 嫌がらせをすることは当然慎むべきである。
まず普通は,人間としてまずはおもいやりの心を持ちたいものだ。それよりも低い倫理感としては,
最低限法律に抵触するようなことは絶対に人はしてはならない。
それを守るのが警察の役目である。それを見てみぬふりをし,一部の人達のいうことを聞きいれ,
放置するならば社会秩序は維持できない。
法律は人間が定めた最低限の倫理である。法の目をくぐりぬけることが
人間としてよき能力者・それこそが実力者と誤解し行動する人をみかける。
なんとかして,そのような人たちを取り締まるのが警察の役目である。
警察は医師のように選択の余地がない。警察は一つである。お上も一つである。
その警察が,法の違反対象者であり,法をくぐりぬけようとしている人たちと一体化したならば
どのようになってしまうだろうか。
滅茶苦茶な社会になることは間違いない。社会秩序もなにもあったものではない。
是非そのような社会にならないように,我々は世の中をよく見守もり生活してゆきたいものである。
出会い
良き人との出会いは人生を豊かにしてくれるが,とんでもない人との出会いは苦しみが増えるだけである。
生まれた瞬間から人との出会いが始まる。
それは自分の意志で左右できない出会いである。段々と大きくなるにつれて宿命的な出会いから薄れてき
自分の意志での出会いをもとめるようになってくる。
祖父は厳格できびしい人だった。父親が昭和19年に亡くなって祖父の方が長命だったから,父親よりは祖父の方が
記憶にある。家族全員が恐れていたように思う。母親 兄 姉達には大変きびしく叱りつけられ,恐れられていたようだった。
でも当時自分自身は幼かったので叱られた覚えがない。不思議なことと今思う。何故だったのだろうかと。
それは今考えるとそれなりの祖父のやり方で教育をば母親 兄 姉達に与えていたのではないかとおもうようになってきた。
その教育の対象から,まだ幼さなかったが故に,叱られずに,むしろ優しかったのではないかと思う。
祖父は政治が嫌いで,そういった役職からはできるだけ遠のいておられたように思う。
新しいことに対しては極めて積極的に取り組み色いろな試みをされている。
母や姉達から聞く話は大変恐い祖父のイメージがあるが,同じような年齢になってきた現在何かあの生き方が正しかったのでは
ないかと考えるようになってきて,祖父の生き方を真似してこれからも生きていこうと思う。
親戚には政治ずきの人たちが゛大勢いるが,それはその人達の生き方なので,全く僕とは関係ない話である。
政治と直接関係ない生き方で,政治とかかわりながら過ごし生きてゆきたいものである。