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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


随想 

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四月になって

今年は4月になる頃に桜が散り始めている。温暖化のせいか例年に比べてかなり早く桜が咲いて,散っていっている。

例年だと入学式のシーズン4月10日ごろまでも咲いているものである。だが今年は少し桜が咲いてから暫く冷えた時候のせいか

桜の咲いている期間も長かったが,しかし例年に比べ全体的に早く咲きそして散っている。

パソコンを電話線から光ファイバ-に変えてから,その前からも少しは有ったが,パソコンの画面一杯に

突然に変った思いもかけない画面が出てくるようになってきた。自分の身近な人で,倫理感に乏しく犯罪を犯していても

犯罪意識がない人は誰かと考えても,全く心当たりが見つからない。どちらにしても早速に専門家に相談した。

ノートン・セキュリティを入れてからは,そのような現象は止jまる。そしてノートン・セキュリティを入れてからは

画面にどういったファイルが侵入接続しようとしているかが表示教えてくれ,警告してくれる。

これからはメールを通じてのみだけでなく,いつも24時間接続した場合,いつでもウィルスがパソコンに侵入してくるという

ことである。病気のウィルスでなくて,このウイルスは意図的に作られたファイルを無理に人が入れてくるのである。

これは明らかに犯罪だが,作った人,又は送った人には全く犯罪意識がない。

有ったとしても見つからなければそれでよしの人たちである。

取り締まる警察に相当するパソコンに詳しい官庁はまだ見当たらないし,そのような所があるかは知らない。

届けを出して捜査してもらえるような今日の時勢でもない。

ウイルスを展示して取り出せるサイトもあるらしい。そこから自分が壊れても良いようなパソコンを使い取り込み犯罪行為に及ぶようだ。

我々の被害は,パソコンに大したデーターも入っていないので,せいぜいパソコンが動かなくなるか,

壊れるぐらいが最大の被害である。

そんな所に行政が警察のような組織を作り犯人検挙するような時代でもない。

そのようになるには大分に遠い先の話のようにも思える。

これを書いている最中にもパソコンに異変が起きる。外界とつなぐネットのコードを外す以外に方法がなさそうだ。

世の中不景気で,人々の心も大変荒んできている。それにつれ世の中犯罪も多くなる。

マスコミの報道では次第に景気は回復しているとの報道はあるが一向に我々として実感としてそれが伝わってこない。

イラクで3人の日本人が人質にとられ,自衛隊撤退の脅迫をば犯人側から突きつけられてきた報道に接する。

三日以内の期限付きである。もし殺すようなことがあれば血も涙もないテロ集団の仕業と思っていたが,

やはり無事に解放されている。

現在イラクの情勢はテロと言う人たちだけでなく,かなりの一般のイラクの人々が米英のイラク占領に反感をもって

武装勢力となり抵抗しているように思えてくる。

21世紀にもなり堂々と白昼に他国の主権を踏みにじり絶対的な優勢な武力でもって戦争をしかけ,

占領しているのだからあきれる。これでは19世紀に逆戻りしたのと同じことである。

それが フセインからのイラク国民解放,人道支援の美名の下に行われている。

初めの頃は核による国際テロの脅威の為の戦争が,証拠が見つからず米英の国民は騙されたと怒って

米英で内閣の支持率を下げている。

日本もその尻馬に乗っかって,人道復興支援のもと国益の為とかで自衛隊派遣が行われているが,

そんなにも国益が大切なものなのか,つきつめて考えればアメリカに従順であれば

それだけ首相自身の政権が長く維持できるとの個人的な野心が元にあるように思える。

本当にイラクのことを考え支援しているのは,「あなたがとても必要です」とバグダッドの孤児院から、

イラク人質事件の被害者、高遠菜穂子さんへのメッセージがあったような心からイラクの人たちを思って

活動している人たちではなかろうか。小泉首相の自衛隊派遣命令は間違っている。

そのイラクのことを本当に思い活動している人たち,NGOの活動をば自衛隊派遣により危険にさらしている。

本当の支援が行われずに,日本の国益のため,ブッシュのため,政権維持持続のための自衛隊派遣としか思えない。

その命令された自衛隊員からの死傷者,もし日本でテロが起き死傷者でも出れば小泉さんはどのようにするのか。

 日本国民全体を危険にさらしているのが今の小泉首相の政治姿勢である。

「テロに屈するな」というならば小泉さんが先ず銃をもってテロと戦ってからにして欲しいものだ。

それはブッシュにも言えることである。命令は一番安全な所から発している。その被害は国民にかかってきている。

参院議員選挙でもってイラク 年金問題を正々堂々と国民に問うてから,その後にその意向に沿って行動してもらいたいものです。

前回の総選挙も自衛隊派遣するのかどうか,ノラリクラリして選挙が終わってから自衛隊を派遣をしている。

いつも選挙では お金 地縁 義理 人情などなどが前面に出ての選挙である。

こんなことでは民主主義とは名ばかりでアメリカでは選挙を応援するとの美名のもとにお金が大いにうごいているらしい。

このような名ばかり民主主義で良いのかどうか反省する時期にきているのではないのか。



ワシントンの桜



4月1日の天声人語より


 ワシントンの桜が今満開だそうだ。

咢堂(がくどう)・尾崎行雄が、かの地に桜3千本を贈るきっかけになったのは、

100年前に開戦した日露戦争だった。

 開戦の翌05年、明治38年に米大統領セオドア・ルーズベルトの仲介があり、

日本の勝利で講和となる。

東京市長の尾崎には、相応の謝意を表したいという気持ちがあった。

「しかし当時、日本人は自力でロシアを負かしたと思つて有頂天になつてゐたから、

私の真意を明かにしては事が運ばないと思つて、公けにはしなかつた」
(『尾崎咢堂全集』公論社)

 お礼は本来、政府の仕事だが、内閣は考えていなかったとも記す。

やがてポトマック河畔に日本の桜を移植する話を知り、09年、東京市から贈ろうと議会に諮って同意を得る。

 桜はその年に横浜を出たが、到着時には病虫害に侵されていた。

全部焼却したことを米代理大使から知らされた尾崎は、少年ワシントンと桜の故事を引いて答えた。

「桜の木を焼却して、しかも包まずその事実を語るのは、初代大統領ワシントン以来、米国の伝統的なやり方である。

(略)大いに誇つていゝだらう」

 ワシントンに根付いたのは、3年後に再送した桜だった。

その桜が、戦後2度「里帰り」した。その中から育った1本を、東京の公園で見た。

周りのソメイヨシノより、つぼみの赤が濃い。隣り合うオオシマザクラの白さに映える。

 桜は、日露の戦争のあと米国へ渡り、日米の戦争のあと日本へ来た。

幹の表示板には、サクラ・アメリカとある。

今は、木の古里ともいえるその国が、戦争をしている。



桜は日本の象徴的な意味もある。武士道と相通ずる所があるようで,潔く咲き散って行く。

その日本からアメリカに送られた桜が再び日本に帰り,何度かの大戦を見守っている。

桜は多分人間は馬鹿なことを繰り返しているなあと見ているのかもしれない。大義のもとによる戦争なんてありっこない。

人間の愚かさから戦争はいつも始まっている。

人類が絶えるまで続くのかもしれない。



 収入に見合わない支出で
できるつけの支弁を、
できるだけ未来にはかぶせない。





4月2日の天声人語より


 書店などに、「4月から始まる手帳」が幾種類も並んでいる。

実際には、3月ぐらいから来年の4月初めごろまでの書き込み欄のあるものが多い。

年度の切り替わりに、新しい日々の始まりを重ねている人も少なくないのだろう。

 4月から始まる日本の会計年度は、財政法の11条で定められている。

しかし明治時代には、陰暦から陽暦への移行などもあって、かなり動いた。

元年の1868年は暦年だった。以後、10月〜9月、7月〜6月もあり、今と同じになったのは1886年である。

 外国の会計年度も様々で、イギリス、インドが日本と同じだ。

中国、フランス、ロシアは暦年、アメリカは10〜9月となっている。

 財政法の11条を確かめている時、隣の12条が目にとまった。

「各会計年度における経費は、その年度の歳入を以て、これを支弁しなければならない」とある。

その年度の収入が少ないのなら、支出を節約しなさいということだろう。

当然のようにみえる。しかし、国の04年度予算を照らし合わせると、これは大いに怪しい。

歳出の総額は約82兆円だ。歳入の方は、税収が約41兆円で歳出の半分しかない。

新規の国債発行が36兆円もある


 「政府は、かねて狙っていた12条の削除を決意した」。

これは4月1日限りの風聞だが、この借金ぶりが続くのなら、

そんな日が絶対来ないとも言い切れないのではないか。

 収入に見合わない支出でできるつけの支弁を、できるだけ未来にはかぶせない。

年度という区切りには、本来はそんな歯止めの意味もあったように思われる。



収入に見合った支出をしていれば,健全な経営状態が続く事は誰でも理解できる話である。

役所は他の人のお金だから予算につけられた分,使わなければいけないと無理に使うから

変になってくるのではないか。役人には人の金だから気楽に使おうの気持がないのか。

汗水たらしての金は真剣に使い道を考え使うものである。

役人もその心を忘れてもらいたくないものだ。





都市の身の回りにある道具が、
一瞬で思いがけない凶器に変わる怖さ


4月3日の天声人語より


 スーパーの日よけのパラソルが、強風で飛ばされる。

その直撃を受けて女性が死亡するという痛ましい事故が大阪で起きた。

東京の六本木ヒルズでの回転ドア事故もそうだが、都市の身の回りにある道具が、

一瞬で思いがけない凶器に変わる怖さを改めて感じた。


 都市の機能を支えている車という道具は、元々多くの事故死者を出し続けているが、

走っていなくとも、思いがけない凶器になりうる。

密閉された車内に残されていた子供が熱射病になって死亡することが、時にある。

大人の不行き届きが目立つ場合が多いが、小さな密室の持つ危険への注意喚起は、常に要る。

 最近はあまり起きていないようだが、パワーウインドーという自動開閉する窓が思わぬ凶器になることもあった。

子供が首を挟まれて窒息死した。大人なら操作はたやすいが、幼い子が窓を素早く止めるのは難しい。

 六本木ヒルズの事故でも痛感するのは、自動窓とも通ずる、現代の飽くことのない自動化への傾斜だ。

建物の巨大化を進め、人々を効率よく吸い込み吐き出す自動ドアにしのぎを削る。

 高い建物や深い地下には、自動階段・エスカレーターが欠かせない。

「自動」車を含め、日々恩恵を受けながらも、都市とは「自動人間捌(さば)き装置」かと思う時がある。

 六本木の事故には、多くの兆しがあった。

事故から1週間がたち、東京以外の都市でも、回転ドアに挟まれる事故が相当あったことが分かった。

なのに多くのドアは回り続けていた。


凶器を生む土壌となった自動化の傾きへの感度も、問われている。


現代ほど昔からして,一番に便利な世の中になってきている。便利だけを追求することにより

思わぬ落とし穴に陥る。ドアなんか手で押し開け,閉めればそれでよいことである。

何も回転式にする必要性はない。昔の方が良かったということが多々ある。




東京営団地下鉄


4月4日の天声人語より


 ひとり来りて地下鉄道(さぶうえい)の/青き歩廊(ほうむ)をさまよひつ/

君待ちかねて悲しめど/君が夢には無きものを――

 70年前に出版された萩原朔太郎の詩集『氷島』の、「地下鉄道にて」の一節だ。

「東洋唯一の」といううたい文句で、東京の浅草−上野間に地下鉄が開通して数年、

路線が銀座へ新橋へと延びてゆくころである。

 営団地下鉄の駅の入り口などにあった大きな「S」のマークは、サブウエーの頭文字をデザインしたものだったという。

その地下鉄の呼び名が、今月「東京メトロ」に変わった。長くなじんできたマークの方も、メトロの「M」風になった。

 特殊法人・帝都高速度交通営団が、民営化で株式会社・東京地下鉄になる大きな転換だから、

企業のイメージも一新しようとの思いが強かったのは理解できる。

それにしても、あの「S」のマークは、すっきりとして、くっきりともしていて、好ましいものだった。

「S」が「ちかてつ」の「ち」を変形したものと見えることもあった。

 1日の利用者は560万人で、経営規模では、JRの東日本、東海、西日本に次ぐ第4位の「私鉄」にあたるという。

営業距離は、初めの2キロから、183キロへと延びた。

 朔太郎の詩は、こう続く。

「なに幻影(まぼろし)の後尾灯/空洞(うつろ)に暗きトンネルの/壁に映りて消え行けり」。後尾灯を、恋人にかけている。

その日の最後となる後尾灯を光らせて去る最終電車を、パリのメトロでは、乗客を掃いてゆく「ほうき」と呼んでいた。

地下鉄は都会の太い動脈であり、地下の闇に横たわる迷宮でもある。



地下鉄の民営化はご免である。経営努力して節約で保守点検を疎かにすれば大変な事になる。

スペインで起こったテロが日本で起こらないことを願う。

小泉首相はブッシュのために日本の国民を危険にさらしている。

アメリカ追従だ゛けしていれば自分の身は安泰と考えていれば,それに引き換え危険にさらされる国民は

たまったものでなはい。

自衛隊派遣さえしていなければそんな心配はまずないのにと思う。





ギリシャで、最初の近代五輪が
開かれたのは1896年4月6日だった。



4月6日の天声人語


 山々はマラソンにのぞみ/マラソンは海にのぞむ/ひとときひとり、私はたたずんで思いふけり/

ギリシアはふたたび自由となろうと夢見る。

 英国のロマン派の詩人バイロンの、20代の作「ギリシアの島」である(『バイロン詩集』新潮社)。

各国を放浪したバイロンは、当時トルコに支配されていたギリシャへの、強い思い入れがあった。

1821年に独立戦争が起きると、身を投じる。

 「私のめぐりに見るのは/剣、旗、戦場、そして栄光とギリシアとである。

(略)わが魂(たま)よ、めざめよ! 思ってもみよ、『何びと』を経て/わが生命の血が、その源の泉から流れてきたかと」。

24年1月の36歳の誕生日に記し、4月に病死する。

やがてギリシャは独立を果たし、バイロンは英雄としてたたえられた。

 「永遠の夏が、その島々にかがやく」と彼が歌ったギリシャで、最初の近代五輪が開かれたのは96年4月6日だった。

参加は13カ国で、女性の競技は無かった。100メートルの優勝記録は12秒0だった。あと4カ月で、その地に再び人々が集う。

 足かけ3世紀という長い時が流れた。

2度の大戦と幾多の戦争があり、今も数々の戦いがある。

そうした歴史を紡いできた人の世のつくりだす五輪もまた、美しいだけのものではありえない。

政治や金にも、まみれてきた。もう戻れないかとも思うが、全くできないこともないだろう。


 例えば開会式なら、近年あまりに濃厚なテレビ向け演出を減らす。

選手入場と点火以外はなくていい、というのは極論としても、人間の姿を追う時にしたい。



戦わずして各国はオリンピックで互いに争ってほしいものである。人間が進歩してタイムが良くなるのではなく

道具が進歩して記録が良くなっているだけである。ゴルフが典型的な例である。

昔のドライバーと今のドライバーと比較し,飛ぶ距離が飛躍的に飛んでいる。それにボールやティ-の改良工夫などもある





小学校の入学式


4月7日の天声人語より


 通り道の小学校の門に、入学式の看板がかかっていた。

門柱の日の丸に桜が散りかかる。小学校の入学式は入社式でもある。

親などの手元から、学校という社会へ入る日だ。

成長を喜ぶ気持ちと、うまくやっていけるのかという不安の入り交じる日でもある。

 新入生と親たちの様々な悩みごとを題材にした本がある。

小児科医で評論家だった松田道雄さんの『一年生の人生相談』(筑摩書房)は、76年の出版だが、今に通じる話も多い。

 「給食がきらいなヒサエちゃん」の母がこぼす。「先生が残さないようにっておっしゃるんで、とてもつらいようです。

何しろあの子は、たくさんたべられないたちで」。元気はいい、と聞いて答える。

「小食の子は小食ということが個性なんだから、それでいいじゃありませんか」

 「学校ぎらいのヒデオ君」や「やりっぱなしのアツシ君」「積極性のないヒロム君」も登場する。

さんの答えからは、できるだけ押しつけない、との思いが読みとれる。

 1年生を見れば、誰もが、のびのび育ってと願う。

逆に言えば、のびのびだけでゆくのは、それほど難しい


のびのび育つには、学校という社会もまた、のびのびしていなければならないからだ。

 桜の散りかかる校門の日の丸には、心を打つものがあった。

しかし、この旗を掲げてたどってきた道には、省みることもある。

 花びらは「し」の字のように流れ「く」のようにくねり「の」のように渦を巻いた。

この地で生まれたひらがなの、やわらかさとのびやかさとを、散る桜に見ていた。



個性に合った生き方でのびのびといきたいものである。優劣をつけるのは

誰がはじめたものか。人間には長所もあれば短所も有るのか大方の人である。

短所が長所になり,その逆もありえる。絶対はありえない。




小泉首相の靖国神社参拝に福岡地裁が違憲判


4月8日の天声人語より


 アメリカの先住民族は、よくこんなふうに言うそうだ。「ミタケ・オアシン」。

すべては、かかわり合っているという意味だ(『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』扶桑社)。

 小泉首相の靖国神社参拝に福岡地裁が違憲判決、と聞いて、この言葉が思い浮かんだ。

ずいぶん離れた世界の言葉なのに、なぜなのか。格言を見ながら考えた。

 〈どんなことも 7世代先まで考えて 決めなければならない――イロコイ族の格言〉。

30年を一世代とすれば約200年。

なかなかできることではないが、国家百年の計を求められる首相なら心がけているとしても不思議ではない。

3年前に大阪で同様の訴訟を提訴された時こう述べた。

「世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ」。


残念ながら、この軽々しさからは、ずっと先を見ているとは思いがたい。

 〈ひとは 山と蟻(あり)の中間だ――オノンダガ族の格言〉。自然や生き物の中への、人間の置き方が興味深い。

昨日小泉さんは「私は私人であり公人だ」と述べた。

裁判では、国は「私的な参拝」と主張した。一国の首相の位置があいまいだ。

 〈目で判断せずに、こころで判断しろ――シャイアン族の格言〉。想像することの大切さを言っているのだろう。

小泉さんは「なぜ憲法違反か、わからない」と強く反発し、参拝を続ける考えを示した。

心持ちは想像できるが、ここは、立ち止まって考えてほしい。

 首相のすることは、国民だけではなく、世界の人々ともかかわり合っている。「ミタケ・オアシン」なのである。



靖国神社参拝にこだわる小泉首相の気持が理解できない。少なくとも首相の間だけは靖国神社参拝は公にせず

こっそりと夜にでも気の済むような参拝をして,首相を辞めれば公に参拝しても誰も非難はしないと思う。

そんな事がどうして理解できないのかと。やはり変人なのかもしれない。

それとも多分に処世術に長けた人物で,首相を辞めれば参拝しないのではないかと思う。

そんなに信仰心厚い人とも思われない。ただ何かの手段に使っている人にしか

見えてこない。国会答弁でのやり取り見ていたらそのようにしか思えない人物である。

右傾化を促進するための手段に使ったいるとしか思えない。

少し深く考えれば,靖国神社は今の平和な日本の犠牲者の記念の神社であることにきずくはずだ。

ブッシュべったり,アメリカべったりの小泉首相を見て,英米と戦い死んでいった多くの魂はどのように

見ているだろうか。



アラビア語の衛星放送アルジャジーラが、
日本人3人の誘拐を報じた。




4月9日の天声人語より


 心配されていた事態が、ついに現実になったのだろうか。

バグダッド陥落から1年の9日を目前に、アラビア語の衛星放送アルジャジーラが、日本人3人の誘拐を報じた。

実行グループは、自衛隊が3日以内にイラクから撤退することを要求しているという。

 事実とすれば、この誘拐と脅迫は、まことに許し難い。

イラクでの自衛隊の活動や、米軍などの占領とも関係がないと思われる3人を人質に取るというのは、

卑劣な犯罪行為としか言いようがない。

 しかし、そうではあるけれども、実際に3人が捕らわれているのなら、

以前から繰り返し危険性が指摘されていたことについて、小泉首相がどのように考え、

対策をどう講じてきたのかが問われる。


 「どこが戦闘地域なのか、私に聞かれても分かるわけがない」。

命がけの任務に就く自衛隊の最高指揮官である首相が、かつて国会という場で、

ひとごとのような発言をしていた。


 国際社会の意向にかかわらず国益を優先するような、アメリカの単独行動主義的な先制攻撃をいちはやく支持した。

そして、この国の憲法に抵触するのではないかという懸念や、

国論が二分しているという事態にもかかわらず、自衛隊を派遣した。


 政府は、戦闘がイラクの全域で一段と激化する中で、3人を救出しなければならないという難問に直面した。

これまで繰り返してきたような、あいまいで空疎な説明では通らない。

 予想されていた最悪の事態に、どう対処するのか。

首相は今度こそ、速やかに、そして実のある言葉で語らなければならない。



「どこが戦闘地域かどうか,私に聞いてもわからない」 といいながら自衛隊派遣した小泉首相の責任は

極めて重い。これからどんな難題か起きるかわからない。それを自己責任と言われても国民はたまったものでない。

自衛隊派遣した結果起きた事柄だから,自衛隊派遣がなければ起きないのであれば,

自己責任と言う前に,そのように危なくした首相の責任 最高指揮官としての自衛隊派遣命令を下した責任は

どうなるのか。全国民に禍か゛どのような形で降りかかってくるかわからない。

イラクの人たちは自衛隊より早く平和になり,そして日本の商社とかNGOの人たちがくるのを待ち望んでいるのである。

ブッシュに頼まれて自衛隊派遣してブッシュには喜ばれるているが肝心のイラクの人たちは歓迎されていない証拠が,

3人の誘拐事件であることを胆に銘じてほしい。






今週発表されたピュリツァー賞


4月10日の天声人語より


 今週発表されたピュリツァー賞の調査報道部門で、米軍によるベトナム戦争での残虐行為を追跡した記事が選ばれた。

オハイオ州のブレード紙が昨年の秋に連載した「葬られた秘密・残酷な真実」だ。

 67年、タイガー部隊と呼ばれた偵察隊がベトナムの子供の首を切断したり、

村民の耳や皮をそいだりする残虐行為をしたという。


軍は調査したが訴追はせず、公表もしなかった。その機密報告を入手し、関係者から取材して明るみに出した。

 記事では、ベトナム戦争よりはイラク戦争の方が米軍の規律ははるかに保たれているとしつつ、元将校の言を引く。

「ゲリラ戦になって、誰が敵か分からない状態に陥ると『みんな殺してしまえ』ということになりかねない」

 重みのある言葉だ。恐怖に駆られた兵士が残虐な行為に走ることは、多くの戦場で繰り返されてきたのだろう。

恐怖は臆(おく)することとも通じていて、古来「残忍性は臆病から生ずる」「臆病は残酷の母である」などの言葉もある。

 イラクの戦闘状態は、泥沼化の様相を見せている。ベトナム戦争と並べられるかどうかはともかく、相当深刻だ。

武装グループに拘束された3人の救出の手だても見えてこない。

首相は「まず救出」と繰り返しているが、もどかしい。

ラク全土が、誰が敵か味方か分からないような、やみくもな戦闘に陥ることを恐れる。

 今はホーチミン市になったベトナムのサイゴンが陥落したのは、75年の4月だった。

30年近くがたったが、「葬られた秘密」は、戦争の残す傷の深さを改めて示している。


ベトナムでしたことと同じことが今回イラクで起こっている。支持率上昇するための手段に戦争が使われ

最新兵器の在庫を抱え,その企業のたに戦争しているのがアメリカの実態である。

自画自賛しているのは ただその最高司令官ブッシュのみである。そして日本の小泉首相はその尻馬に乗り

国民に多大な迷惑,それも生死に関するような影響を与えている。





「住民と握手をして敵をやっつけようと思った。
しかし行ってみると、みんな敵だった」。




4月11日の天声人語より


 言葉には、物事の実際の姿をあいまいにするような働きもある。イラクから届く言葉も、例外ではない。

 例えば「掃討」。

敵を払い除くことだが、一昨日までの5日間で住民450人が死亡したというファルージャでの掃討の実際は、こうだという。

「米軍はヘリコプターのミサイルで住宅地を攻撃し、女性や子供が巻き添えになっている」。

無差別の攻撃と明確な違いがあるものかどうか疑わしい。

 「敵」は誰なのか。「住民と握手をして敵をやっつけようと思った。しかし行ってみると、みんな敵だった」。

掃討作戦に加わった米兵士のとまどいだ。

 「悲劇」は、戦功と裏表であり、そこが悲劇的だ。「ファルージャの悲劇を救え」が、イスラムの宗派を超えた合言葉になった。

米軍の掃討を受ける悲劇のファルージャを救えというのだろう。


しかし、そのファルージャでは、米国の民間人が焼かれ、つるされるという、ファルージャの悲劇もあった。

 「占領統治」という言葉は、イラクの実情からは、かなり離れているようだ。

米英の暫定占領当局(CPA)から任命された統治評議会が、全土の騒乱について米軍と武装勢力に「即時停戦」を求めた。

米軍への異例の異議表明だ。

 「復興」。破壊との対極にあるこの言葉は、はっきりとした戦争の終結が伴ってこそ力強く響く。

バグダッド陥落から1年たっても破壊が続き、広がっている。

治安が悪化したため、サマワの陸上自衛隊は宿営地の外での復興支援活動を休止した。

 飛んでくる言葉の向こう側にも、目を凝らしたい。



ひどいことが世界のあちこちで起きているが,その全てにアメリカが関与し,関与してきた。

大英帝国の次の大米帝国に世界は翻弄されている。

世界中に張り巡らされたアメリカの基地は何を意味しているのだろう。





3年後に「大統領の8・6」が問われるとは、
本人も思ってはいなかっただろう。



4月13日の天声人語より


 8月の6日といえば、日本では広島の「原爆の日」である。

2001年のこの日も「平和記念式」が開かれていた。

 その日付で、米中央情報局(CIA)がブッシュ大統領あてに出した文書が注目されている。

「ビンラディンは米国内での攻撃を決意した」という題の機密メモだ。

同時多発テロを防げなかった理由を探っている独立調査委員会の求めで、ホワイトハウスが異例の機密解除をした。

 「ハイジャックやその他の攻撃の準備と思われる不審な活動がある」

「ビンラディンが米国内で爆発物を使ったテロを計画しているとの情報を受け、捜査中」などとあって、重みが感じられる。


しかし大統領は「だれが、いつ、どこで、何を使って攻撃するのかが問題だった。

攻撃があると知っていたら、それを防ぐために山をも動かしただろう」と反論しているという。

 時間をさかのぼってみると、大統領はその日、地元テキサス州の牧場で休暇中だった。

30日間の夏休みは長すぎるという批判もあり、機密メモの日の翌7日、夜明けのゴルフに出る直前に、記者団に弁明した。

「私はアウトドア派だ。戸外の空気を吸って、初めて気持ちを入れ替えられるんだ」

 大統領には休暇があっても、国の危機管理に休みはない。

長い夏休みの間も、必要な報告や検討はなされていたと思いたいが、疑問も消せない。

 約1カ月後に9・11が起きた。


アフガン戦争を経て、米国はイラクへの先制攻撃へと向かってゆく。

3年後に「大統領の8・6」が問われるとは、本人も思ってはいなかっただろう。



戦争好きのアメリカ,死んで行くアメリカの若い兵士達 そして日本は何を目指しどうなって行くのか。

戦前の日本にならないことを切に願いたい。




ラクで人質にされた人たち


4月14日の天声人語より


 「それはスペイン内戦の現地ルポをやっていたころのことだった」。

『星の王子さま』を書いたサンテグジュペリは、第二次大戦中に行方不明になる前年の43年に出版した

『ある人質への手紙』で武装民兵による拘束について書いている。

 たいして良心の葛藤(かっとう)もなく銃殺する連中と聞いていた民兵たちに囲まれながら、

生きてきた37年の歳月をさかのぼり、いとおしむ。

そして、ほほえみを浮かべて見張りに1本のたばこをねだる。

 思いがけず相手が返してきたほほえみは「まるで陽がのぼったようだった」。そして続けた。

「人間にたいする敬意!……ここにこそ試金石がある」(みすず書房)

 イラクで人質にされた人たちが、どのような状態で、どんな集団の支配下にあるのか、なかなかはっきりしてこない。

疲労心労を募らせた家族が奔走する姿が痛々しい。

 日本赤軍による人質事件や、誘拐事件などを担当したパリ警視庁の刑事の回想録『人質交渉人』(草思社)の扉には、こうある。

「ことを統べる者、何ごとかをなす者は、すべて自らの前に、次のような人々を持つことになる――

すなわち同じことを進んでやろうとする人々と、まったく反対のことをする人々と、

そしてとりわけ、はるかに厳しい目で見るくせに何もしない、大多数の人々とである」

 例のない難問を前にして、拘束の現場から、家族、故国までの間に、様々な立場の人々があり、動いている。

一本一本は細くとも、「人間への敬意」をつなぐ命の回線が、より合わされ、強まるようにと念じたい。



解決方法は簡単である。自衛隊を日本に返して,その資金を年金の不足分の足しにすればそれでよいのではないか。

高い税金を使い,イラクの人たちに憎まれる事をしに行くとは,イラクは戦地であることは誰もが

認めていることである。各国が続々とイラクから撤退している中で,戦争に巻き込まれる自衛隊が気の毒である。 

そんなことはイラク戦争を始めた,戦争好きのブッシュのアメリカに任しておけばよいことである。




ホワイトハウスで、
先夜同じ質問を受けた
大統領は口ごもった。



4月15日の天声人語より


 「あなたが人生でなした最大の過ちをあげてください」。

前回の米大統領選での共和党の討論会で問われ、ブッシュ・テキサス州知事は答えた。

「サミー・ソーサをトレードに出したことかな」。

大リーグのテキサス・レンジャーズの元オーナーらしい、余裕のある過ちの告白だった。

 ホワイトハウスで、先夜同じ質問を受けた大統領は口ごもった。

「前もって質問を出してくれていたら考えていたのに。


歴史家が、いずれ顧みて、ブッシュはあの時もっとうまくできたのではないかと言うかも知れないが。

思い浮かばない」。他の問いには即座に答えていたので、このやりとりが際立っていた。

 歴代の大統領も、様々に戦争とかかわってきた。初代ワシントンは退任を前に「過ち」についてこう述べた。

「故意なくしておかした誤りに気付くすべはないが、だからとて決して自分の欠点に盲目ではなく、

わたしは多くのあやまちをおかしたかも知れぬと思う」(『アメリカ大統領演説集』原書房)

 16代のリンカーンは、1865年の4月14日に銃撃され、15日に死んでいる。

その年の2度目の就任演説で南北戦争の惨禍に触れた。

4年に及ぶ内戦で疲弊した国民をいたわりつつ呼びかけた。

 わが国民の内に、またすべての諸国民との間に、正しい恒久的な平和をもたらし、

これを助長するために、あらゆる努力をいたそうではありませんか(『リンカーン演説集』岩波文庫)。


 「過ち」や、「すべての諸国民との間」について、43代目に本音を尋ねてみたくなるような、代々の言である。




アメリカ大統領でない器の人物が大統領になったが故に世界は混乱が増してきている。接戦だった大統領選で

民主党のゴアさんが当選していれば世界はどうなっていたであろうか。





イラクで解放された3人の日本人



4月16日の天声人語より


 イラクで解放された3人の日本人は、テレビの画面で見る限りは、意外なほど落ち着いていた。

けがも見当たらず元気そうだ。3人の動く映像に、久々に安堵(あんど)した。

 先日、サンテグジュペリの『ある人質への手紙』について書いた。

スペインの内戦で、武装民兵による身柄拘束という状況下でもあった、

互いの生は認め合う「人間への敬意」を救出への望みにしたかった。

 いがみ合い、戦っている者同士も、しょせんは同じように地上に産み落とされた子供たちである。

3人が、どこでどうしていたかは分からない。

しかし、命という壊れやすく取り返しのつかないものをおそれる思いが、その周りにあり続けるようにとの思いだった。

解放に至る経緯は詳しくは分からないが、命の回線が切れなかったことを何ものかに感謝したい。

各国の残された人質も無事に戻るよう、改めて願う。

 はるか遠くから届く耳慣れない言語が、救出への望みをつなぐ回線となった。

「ヤバーニ」という言葉がアラビア語の衛星テレビ・アルジャジーラから繰り返し流れてきた。

日本人という意味である。

ニュースを伝える側も、聞いている「ヤバーニ」の側も、互いに知っていることがあまりにも少ないと思った。

 命を奪い合う戦乱の中に連れ込まれてから互いに手探りしているような、手順の不幸も感じられた。

敵が誰なのかも分からない状況にあるという前線の兵士たちが、それを最も強く感じているのではないか。

 解放の報にはほっとしながらも、この戦争への疑問は、ふくらむばかりだった。



3人の日本人人質の解放はよかった。そんなに訳の判らん人達でないから,いずれ解放はされるとは思った。

一方では自衛隊は最高指揮官小泉純一郎総理大臣の命令下の隊員達は命令に

随わざるをえない。でもイラクの人たちには好まれていない事は人質解放の条件に自衛隊撤退を

要求していることから明らかである。アメリカ軍のイラクの人たちへの虐待が明るみに出てきて

益々に自衛隊は嫌われる対象になってくると思われる。





都心の公園に行った




4月18日の天声人語より


 昨日、東京は、少し歩いていると、半袖でも汗が出るほどの陽気だった。

都心の公園に行った。

 大きなケヤキが数本並んでいる。太い、茶色っぽい幹の上方に、ほうきを広げたように枝が伸びている。

その枝先に近いところには、若い葉がこんもりとしげり始めている。

少し離れて眺めると、ぽかん、ぽかんと中空に浮かぶ、さみどりの綿雲のようだった。

 葉桜の続く一角を、くぐり抜ける。かさり、かさり、乾いた音がする。一面に葉が落ちている。

見上げると、クスノキの大樹のようだ。

立ち止まっている間にも、黄色になった大ぶりの葉が、次々に身を翻して落ちてくる。

この時期に常緑樹が葉を落とす、春落ち葉、なのだろう。

 今時分の木々の若葉が、夏場の緑と異なるのは、その色の初々しさと、葉の柔らかさ、小ささだ。

冬の間隠れていたものが、時を待って緑の点々のように表にあらわれ、少しずつ手を広げてゆく。

木々は、以前からその場で生きていたのだが、春ごとに、その生を確かめているかのようだ。

 公園を出て、しばらく歩く。

ハナミズキのある並木道へ曲がった途端、白い花弁状の総苞片(そうほうへん)をびっしりとつけた姿が見えた。

輝く、雪のような白い連なりは、今は遠くへと立ち去った冬の名残のようにも思われた。

 夕方、イラクで武装集団に拘束されていた日本人ふたりの解放を知る。

先日解放された3人も、やがて帰国すると聞く。無事でよかった。

昼間見た、若葉、落ち葉、白い帯という、木々それぞれの新しい生の息吹をかみしめながら、そう思った。



余りにも情報が多いために,自然の移り変わりに眼を向ける機会が少なくなってきたように思う。

昔は情報が少なく,自然のイキモノと一緒に生活していた時代の方が人は幸せな時を過ごしていたのでは

ないかと考えたりしている。

昔の向こう両三軒の人たちとともに仲良く暮していた時の方が幸せかもしれない。

神さんから与えられた時間は皆同じ時間で等しい。見る目聞く耳がちがってはきている。





自己責任



4月20日の天声人語より


 自己責任。この言葉が、イラクの日本人人質事件で何度も出てきた。

多くは武装グループに拘束された人たちの行動や判断を批判したり、救出費用を問題視したりする時に聞く。

しかし今回の使われ方には、なぜか、聞きづらさが感じられる。

 数冊の辞書に当たったが「自己責任」は載っていなかった。

新しい言葉だからかとも思い、さかのぼってみると、そうでもない。

戦後間もない47年の国会議事録に、自由主義の特性として「自己責任においてイニシアチーヴをとつていく」とある。

近頃では、投資や経営など経済の世界でよく聞いたが、

人命にかかわる事件で個々の被害者に対して使われるのはまれだろう。

 辞書の「責任」にはこうある。「自分が引き受けて行わなければならない任務。義務」

「自分のしたことの結果について責めを負うこと」。

責任という言葉そのものの中に「自分の」という意味合いがあるように見える。

 今回の「自己責任」には「自分でしたことの結果に『自分だけで』責めを負う」というような強調が感じられる。

任に、もう一つ自己を重ねたところが重苦しい。

 自衛隊派遣という、国論を分けた国策のかかわる外国が事件の現場となった。

この言葉が、事件の背景や、イラクの現状をもたらしたものへの視点を失わせる「目隠し」になってはいないだろうか。


 5人にも、それぞれの「責任」はあった。

しかし、銃を突きつけられ、命を脅かされたことが「結果に責めを負うこと」だったのではないか。

それぞれが落ち着いて語れる時を待ちたい。




自己責任の他に親の責任 教師の責任 マスコミの責任 政府の責任などの言葉がある。

戦後,世界の人たちから憎まれてこなかったのは戦争には関与しない平和を求める日本の印象が

世界の人たちに認識されていたからである。

小泉首相によりその良い日本のイメージが戦後此処にいたり初めて壊された時である。

なんといっても自己責任以前に,政府の誤った自衛隊派遣といった行為の責任の方が大きい。




米国はイラク戦争を始め、
イスラエルはイスラム過激派を


4月21日の天声人語より


 国旗には、星をあしらったものが目に付く。数の多さなら星条旗の米国だ。

イスラエルの旗の、二つの三角形を組み合わせた「ダビデの盾」も、青い星のように見える。

二つの旗と両国は、空の「連星」を連想させる。

 互いに引力を及ぼし合い、共通の重心の周りを公転運動している星同士のことだ。

ペルセウス座にあるアルゴルが有名だ。

広大な宇宙空間で、そこだけ緊密に、周りからは孤立するかのように連なっている。

 米国はイラク戦争を始め、イスラエルはイスラム過激派を集中的に攻撃している。

共通する軍事力頼りのやり方が、国際社会で突出して見える。

イラクでは米国中心の有志連合が崩れ始め、スペインやホンジュラスが撤退するという。

イスラエルは、ブッシュ大統領とシャロン首相との会談後にも、過激派最高指導者を殺害した。

2人連なり何を協議していたのか。


 アルゴルは、明るさの変わる連星だ。

ギリシャ神話の英雄ペルセウスが手に持つ、髪が蛇の怪物メドゥーサの首の、額のところにある。

名前はアラビア語に由来していて、アラビア人は星の変光を気味悪がった(『星座大全』作品社)。

 変光は、日食や月食のような、食で起こる。アルゴルの明るい星と地球との間に、別の星が入ると暗くなる。

イラク戦争という巨大な戦闘が、食のように、イスラエルの暴走の衝撃を薄めてはいないだろうか。

戦争がなければ、この攻撃は、更に際立って見えていただろう。

 両国が「連星の孤立」を解いて、軌道を、周りの星々とともに光る方へと修正するように願う。




イスラエルとパレスチナの話もどうみてもひどい話しである。平気で上空を侵犯し相手の気に食わない人たちを

攻撃し殺すのだからかなわない。イスラエルの行為もアメリカの後押しがあることによってできることである。

弱いものいじめで,且つ強いもののままに世の中動いている典型的な見本である。

武装ヘリコプターで狙われるのだからたまらない。イスラエルとパレスチナの居住区の間に

自爆テロを防ぐために長い塀をこしらえて相手側から侵入するのを止めるためつくられている。

外敵を防ぐために古代の万里の長城 秀吉が京都の周りに作った土塀なと,そして近年では東西ドイツを隔離した塀か゛

ある。今もそのようなことが続いている。人間がいかに愚かな動物であることの証拠である。




 「すしだねの代表格は、
マグロだ」とその畜養を




4月22日の天声人語より


 春たけなわの候となった。気温が上がってくると、なぜか、酸味のあるものが好ましくなる。

 冷やし中華もいい。この国伝来のものなら、すしだろうか。

すし屋に気軽には行けないが、ほどよく酢の利いた俵形の飯の上に、

色、形とりどりの魚介がのった姿を思うだけでも楽しい。

 すしだねの代表格は、マグロだ。そのマグロに関して先日、世界自然保護基金(WWF)が、

地中海での畜養に警告を出した。


「管理されないで行われる畜養が急増している。資源の保全よりも目先の利益が優先されている」

 海で捕獲した天然のマグロを、いけすで太らせるのが畜養だ。

高価なトロを増やすためで、多くが日本のすしだねや刺し身になる。

陸への水揚げとは違い、捕獲したマグロがそのままいけすに入れられるため漁獲量が把握しにくい。

小型魚の乱獲にもつながりやすい。

 マグロには、資源管理のための国際機関があるが、その取り決めの及ばない非加盟国が畜養に乗り出している。

昨年、その活動に日本の商社が関与しているとの指摘があり、

この国際機関は先月、商社に対し適切な対応をとるよう外務省に要請した。

 「鮪は海面を沸き立たせ、弾けるような水音とともに海面を割ると、六フィートある全身を空中に躍らす。

そしてふたたび馬が波止場から転げ落ちるような凄まじい音を立て水中に落下する」。

『ヘミングウェイ釣り文学傑作集』(木本書店)の「スペインの鮪釣り」の一節だ。

 マグロには似合いそうもない、いけすを、やみくもに増やす手助けなら、しない方がいい。



「蓄養」とは聞きなれない言葉である。鶏が大量に飼われて玉子生産工場化し,マグロも蓄養されて

工場で生産されるように囲い飼われてしまったのかと。牧畜 同じく魚に対しては蓄養という言葉が使われているのを

始めて知る。

鶏 牛 マグロたちが人間のために生まれそして食べられる為と考えると可哀想な運命たちのものである。

でも人間は肉 魚を食べないと,健康な身体を維持しえない。そのことには矛盾をかんずる。

或る飲食店でみる厨房の光景はまるで工場のようにして食事が次ぎ次ぎと作られている

ベルトコンベヤ式の風景を見る。効率化がここまできたのかと驚く。

将来



大英博物館のロゼッタストーンと同様、
ヒエログリフと古代民衆文字、
ギリシャ文字が刻まれている



4月23日の天声人語より


 「兵よ、四〇〇〇年が諸君を見下ろしているぞ!」。

18世紀末にエジプトに侵攻したナポレオンは、ピラミッドを指さして馬上から檄(げき)を飛ばしたという。

 古代エジプトの象形文字ヒエログリフの解読で有名なロゼッタストーンは、この遠征の中、

ナイル河口のラシード(ロゼッタ)の要塞(ようさい)の補強工事現場で、偶然に発見された(『エジプト』新潮社)。

そのラシードの南東の古都ブバスティスで同じような石が見つかった。

 ドイツとエジプトの考古学者が神殿跡で発掘した。

大英博物館のロゼッタストーンと同様、ヒエログリフと古代民衆文字、ギリシャ文字が刻まれていると、

ドイツの通信社は伝えた。

 ロゼッタストーンには、紀元前3〜2世紀に在位したプトレマイオス5世への賛辞が刻まれていた。

今度の石には、古代エジプト暦の改革など、祖父にあたる3世の業績が記されている。


王朝を開いた1世はアレクサンドロス大王の友人で、アレクサンドリアの大図書館を創設した。

末期の女王は、あのクレオパトラだ。古代への思いがふくらむ発見である。


 先年の冬、アレクサンドリアからカイロへの帰途、ラシードを訪ねた。ナツメヤシの揺れるひなびた町だった。

ここで発見されたという説明書きが要塞の跡にあったが、人気はなかった。

 6600キロの旅を終えて地中海に注ぐナイルに、白くさざ波がたっている。

「フランス……テート(頭、先頭)……アルメ(軍隊)」(『ナポレオン言行録』岩波文庫)。

この最期の言葉が、波に乗って、川をさかのぼってゆくような気がした。



ロゼッタストーンに刻まれた文字によって,不明だった言語の解明に成功したとの記念品的な代物である。

何千年も前から営々と人間の営みが続いているが,人間そのものの進歩は見られない。

同じ戦争を繰り返し繰り返ししているのが人類の歴史である。




「地域通貨」である


4月24日の天声人語より


 「世に銭程面白き物はなし」とは井原西鶴の言葉だが、このごろ「面白い銭」がふえてきた。

定の地域やグループだけに流通する「地域通貨」である。

 まず、名前が面白い。温泉の町、大分県別府市で住民グループ「アチチ中央銀行」が発行するのが、

「湯路(ゆーろ)」である

群馬県には「しるく」、岩手県には「わらび」があり、茨城県には「ガマの油」からの「ガマール」

と名物や特産品にちなむ独特の命名が、ほほえましい。

 お年寄りの手助け、草むしりや清掃、朗読やパソコン指導などの奉仕活動をしたお礼に支払われることが多い。

受け取った通貨で別のサービスを受けたり、物と交換したりする。

地域の助け合いやボランティア活動促進のための潤滑油である。

さびれ気味の商店街の活性剤としても期待される。

 埼玉県川口市で昨年発行された地域通貨「キューポラ」は、一部がラオスの子ども支援にまわる。

希望者がキューポラ募金箱に寄付し、それが換金されて今年1月「ラオス援助会SALA」に託された。

地域通貨同士で交換できる仕組みをつくる動きもある。様々な面白い試みが進んでいる段階だ。

 本物のお札を発行している日銀も温かく見守っている。

昨夏、福井総裁は「新しい価値を生み出し、地域社会の発展につながる」と述べて、歓迎の意を表した。

総務省も今春から、地域通貨のシステムモデルづくりを始めた。

 消えていく通貨も少なくない。

しかし、知恵を出し合って多様な人間の輪をつくっていく動きと見れば失敗にくじけることはない。




「地域通貨」とは面白い発想である。でも貨幣と同じ価値があるとすると,偽造する人達も出てくるのではないかと

心配する。老人へのボランティアを記録しておいて,自分が老人になったときに其れに相当したお返しをしてもらうことに

するような試みは既に行われているようだ。




小泉さんは明日で首相就任から3年


4月25日の天声人語より


 【こ】小泉さんは明日で首相就任から3年、一区切りではありましょう。

俳句や短歌の各句の上に言葉を一字ずつ置いていく折り句をまねて、顧みようかと思います。

 【い】一番の、岐路は、やはりイラク戦。国論二つに分けてまで、しゃにむに隊を派遣して、ここまでやってきたものの、さて。

戦闘の、やむ気配無いかの地では、命散らされる様おぞましく、薄氷の安全、閉じこもる「支援」


 【ず】ずいぶんと、思い切りよく言葉投げ、始球の式も1度ならず。

自民破壊や民営化、三位一体、雨あられ。

「やるやる詐欺」とのそしりにもたじろがず
、ことの行く末揺れようと、揺らぐことない勢いを、振るうたてがみ、なおも変わらず。

 【み】身をもって、飛んで行った北の国。

拉致犯罪を認めさせ、長い断絶の打開に向け、一歩を踏み出すが、一筋縄では行かぬやりとりに、足踏みもまた長くなる。

 【じゅん】順調とはまだ言えぬ経済だが、どこまで続くかこの人気。

「景気対策への取り組み」を「評価しない」が61%あっても、3年間の実績を「評価する」が62%となる

支持模様の不可思議さ。

【いち】一衣帯水のアジアより、海のかなたの大国を、近くに描いた地図を持つ。

「聞く耳」を、持たなさそうな先方に、引き回されることのないように。

【ろう】老後への、備えの要は国民年金と、民には加入を強く迫りつつ、未納・未加入者が足元に居た、灯台内閣の怪

 節目節目での国のかじ取りや「信念」に、不安を覚えることの少なくない、「はらはら首相」の千と余日でした。



痛みを伴う改革をすると初めはいきよいが良くて,どんな事になるかと思っていたら景気は悪くなり倒産会社は増え

リストラで失業する人たちなどなど深刻である。初めはかなり不満もあって,今では仕方ないとの雰囲気になり

飼いならされてきている。自衛隊を戦争の方向に向け 大学 病院などを法人化して私立の学校 病院を沢山作り出して

来ている。イラク戦争で判った事はアメリカは軍隊のやる一部をば民間委託しているようだ。

儲けのある戦争はするが儲けのない戦争はやらない。実用 効率化の追求はここまできたのかと驚く。

敗戦後の日本はアメリカの真似を続けて今日にいたっている。

改革とやらの効率化の結果が出るのはこれからである。

人間は効率だけが至上のものでないことをも知っておくべきである。日本古来の伝統美としている

武士道 華道 茶道など道 みやびとか優雅なもは効率からすれば相反する所が大いにあるものばかりである。 

伝統工芸 着物も効率的ではない。そのようなものが,効率至上主義のアメリカ文化によって蝕まれてゆくのを嘆く。

 



北朝鮮の駅での列車の大爆発である


4月26日の天声人語より


 何がどうなって起きたのか、まだはっきりしない。

中国との国境に近い、北朝鮮の駅での列車の大爆発である。

情報は乏しいが、極めて閉鎖的なこの国が事故を公表するのは異例だ。

 いつ、どこまで公表するか、体制内ではやりとりがあったのだろう。

それは、発生から今日で18年になる、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のことを思い出させた。

 異常放射能を検出し事故を推定したのは北欧の国々だった。

西側の問い合わせに、当初ソ連は事故と認めなかった。

しかし大爆発で死の灰は国境を軽々と越え、否定しきれなくなる。

 現場を取材したプラウダ紙のウラジーミル・グーバレフ記者は、

事件の背景にある官僚体制を痛烈に批判する戯曲「石棺」を書いた。

事故を追う検事と関係者の会話で進行する。

 「運転技師 町の人はいつ避難したのですか/検事 日曜日(27日)の昼だ。

千台ものバスが2時間半でみんな運んだ/技師 でも、なぜすぐラジオで公表しなかったのですか。

歩いても1時間でみんな逃げられたのに/検事 政府の委員会が着くのを待っていたんだ/

技師 委員会は違う決定をすることができたのですか/検事 だれも決定できなかったのだ/

技師 できなかったのですか、決定したくなかったのですか/検事 決めなかったのだ」。

事故の約5年後にソ連は崩壊した。

 爆発事故の被害は相当深刻のようだ。

重い懸案での追及は緩まず進めるとして、今そこで苦しむ人々には手を差し伸べたい。

人や物や情報の行き来から、固く閉じた殻に透き間ができることもある。




何か物騒な事が多発する時代になってきている。人工衛星が地球の周りを沢山飛び回っている時代である。

そのうちにパレスチナに対してイスラエルがヘリコプターから人を攻撃できるように衛星からGPSでもって

人間一人を殺害できる時代がくるのかもしれない。そういうとフセイン大統領のあの蔭武者達はどうしたのだろうか。




市民が加わる裁判員制度法案が衆議院を通過した


4月27日の天声人語より


 殺人などの刑事事件の審理に市民が加わる裁判員制度法案が衆議院を通過した。

今の国会での成立が確実で、5年後に実施の見通しという。

 「裁判の知識もないのに、死刑・無期などの審理をするなんて、責任が重いと思った」。

先日、東京本社版の「声」欄に載った高校生の意見だ。

成人に達している5年後を見据え、自分のこととしてしっかり考えている。

厳しい守秘義務や、罰則を科す理由を問い、締めくくる。「私は、この抽選にあたりたくない」

 死刑や無期が絡む裁判は、限られる。

しかし、その抽選にあたった時に背負う重みは相当のものだろう。


先月の本社の世論調査によると「裁判への国民参加の賛否」では賛成が反対を上回ったが、

「選ばれたら参加したいか」では「したくない」方が多かった。

 フランスの哲学者フーコーは、次のような状況を黙認しておくのは危険ではないか、と述べた。

「裁判官らが不安から解放され、自分は何の名において裁きを下しているのか……そして、

自分は、裁きを下している自分は一体何者であるのか、そういった数々の疑問に頭を悩ますことから免れて、

単身、裁決に携わり続けている」(『ミシェル・フーコー思考集成』筑摩書房)

 裁判官を裁判員と変えてみる。

根源的な、とも言える数々の疑問と正面から向き合い続けられるのかという不安も生まれる。

 司法への市民参加は、時の流れだろう。順繰りにせよ、国民に、人を裁くという新しい責務を求める法案である。

残された国会の論議が十分尽くされるかどうか見守りたい。


裁判に市民が参加するよりも,神様が参加してくれば良いのにと考える。素人の市民が参加してどうなるのだろうか。

法律をば誰でも理解しやすい条文にし,細かくし誰がどんな風に読んでも同じ結果がでる法律を作るのが先決のように考える。

欧米がやっていることが最高と考える日本人の頭の改造がまず必要かと思う。




 最近の言葉から


4月28日の天声人語より


 最近の言葉から。「この孤児院の少年たちはあなたの息子であり、

あなたがここに戻ってきてまた会えることを祈っています。あなたがとても必要です」。

バグダッドの孤児院から、イラク人質事件の被害者、高遠菜穂子さんへのメッセージ


 北海道在住の作家、倉本聰さんは人質被害者の家族を励ます手紙を書いた。

「国益はたしかに大切ですが、しかし『国格』――人格に相当する国格は国益に勝る一国の尊厳だと僕は思います。

国益を重視して、人質を救出する最大の選択肢を最初から放棄してしまうこと。

いかなる理由があろうとも、政府のとった今回の態度には、激しい憤りを覚えます」

 「テロという不寛容への、不寛容による反撃とは別の、第三の道を探したいと願う市民が現れるのは、

国際化された民主主義社会で当然のことです」と作家の大江健三郎さん。

パウエル米国務長官は「より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う」

 「見定めるのは難しい。言えるのは我々は頑強であり、これからも頑強であり続けるということだけだ」。

イラク情勢の早期沈静化の可能性について、ブッシュ米大統領。

 「米国との友好関係は深めるべきだが、同盟とは一方的な忠誠ではない。

バランスよく2本の柱で成立するものだ」。これは、フランスの新外相ミシェル・バルニエさん。


 詩人、中上哲夫さんが、高見順賞の授賞式で「物語を引きずって生きるのが人間、それを詩にするのが詩人。

私という物語を私なりに書いていきたい」。



「人の命は地球より重いという」言葉が世界中に普及すれば戦争は少なくなる。

この「人の命は地球より重いとい」う言葉は大東亜戦争中の「命を極めて軽んずる」教訓から生まれてきたものであった。

その貴重な教訓は人間としての体験から生まれ,積み重ねて出てきた言葉である。

アメリカが経験していないことを,そして日本しか経験していないことを,その尊い経験によった智慧をば世界に伝えるのが

今の日本の役割ではなかったか。アメリカべったりの小泉首相の考えでは独自の日本の外交はできない。

あっさりと「人の命は地球より重いという」言葉を軽々と捨て去ったのが誤った外交の始まりであった。




明治文壇の異才、斎藤緑雨は


4月29日の天声人語より


 「僕本月本日を以て目出度死去仕候……」。

明治文壇の異才、斎藤緑雨は、100年前の4月、37年の生涯を閉じた。

知人に口述筆記させてあった死亡広告が、死の翌日、新聞に載った。

 明治改元の前年の1867年に生まれ、戯作者(げさくしゃ)仮名垣魯文に学ぶ。

小説の他、ユーモアと皮肉を利かせた警句で知られる。正直正太夫、登仙坊などとも称した。

 死の2カ月前、日露戦争の開戦直後、出征する弟を、肺患の高熱を押して駅に送る。

そして「平民新聞」で非戦論を展開する幸徳秋水に「急ニ僕モ非戦論デモ書キタクナツタ」と手紙を書く。

「他ノ見送人ハ……万歳ダノ大勝利ダノト喉ノ裂ケルヤウナ声ヲ出シテ居マシタ」。

兵士たちは「人々ノオダテニ乗ツテ ソシテ内心ニハ金鵄勲章ノ夢ヲミテヰルノデス」(『斎藤緑雨全集』筑摩書房)

 こんな警句もある。「正義は呼号すべきものなり、印刷すべきものなり、販売すべきものなり。

決して遂行すべきものにあらず」


 この毒舌家ならぬ毒筆家には敵も多かったが、森鴎外や幸田露伴と交わりがあった。

樋口一葉が日記に記す。「正太夫としは二十九 痩せ姿の面やうすご味を帯びて唯口もとにいひ難き愛敬あり」

「逢へるはたゝの二度なれと親しみは千年の馴染にも似たり」(『明治文学全集』同)。

緑雨は、同じように貧しかった一葉の葬儀や死後の出版に尽力した。

 緑が日に日に濃くなってゆく。

昨日、東京の都心では昼前に雷鳴がとどろき、いっとき、大粒の雨が落ちてきた。

この新緑のころに降る雨が、緑雨である。



戦後のアメリカの効率・実用主義からは暖かい世の中は作れない。日本はアメリカとは違うのである。

明治の人たちの考え 昔の人たちに学ぶべき事が多くある。独自の道昔からの慣習に沿った文化を

作り出し伝えて行くべきである。




パソコン


パソコンとは大分に長い付き合いである。でも分らない事が殆どという位にいろんな現象が起きてくる。

インターネットと接続していると外部から判らない間に侵入されていたずらされる可能性が高い。

でも回線を外していても分らない事が起きるのはどうしてなのか。パソコンに対しての知識不足により起きてくる。

パソコンを長く使っているとその不明な現象が多発してくるようにも思える。

パソコン自身の器械不良によって起きてくるのかもしれない。これからは ITの時代で何がなんでもパソコンが

ないと不便である。何かパソコンに使われているのではないかと思うことも多々ある。

このパソコンはシステムがウインドウズでアメリカ製である。だからシステムの弱点などを知っていていろんな策略を

こうずることは容易である。だからアメリカの支配下でインターネツトが組み込まれていると考えても良い。

情報が沢山飛び交っていても瞬時に自分の知りたい情報は取り出せるかもしれない。

言語は多言語なのでその言語が現在自分使っている言語で読んだり,他の言語で発表できるようになれば

国同士の無理解も解消されてくると思う。英語ならば多少くらいは理解できるが,書くとなると大変である。

英語のサイトを持っているが作るのが進まない。日本語ならば簡単で書け,自分の思いを自由に表現できるが

他の言語ではそのようなわけにはいかない。

どうして世界には此れだけ違った言語が生じたのかが不思議である。

互いに即座に理解しあえれば戦争も起こるようなことは少なくなると考える。

パソコンを開け他の言語を見て自国語のところをクリックすれば即座に自分の国の言葉に代わる時代が

早く来てもよいとおもうのだが,これだけ科学が発達すればそう遠い話のようには思えない。

今ある機能を全部知るだけでもかなりの事ができるとおもうのだが゛,余りにも知らないことが

多すぎる。
 
でも世の中広いものでインターネットの中に入って堂々と人の書いた文章を変えたり,思うようにできる人がいるから

驚きである。さすが回線が切ってある時にはどうすることもできないようだ。

そのような人はパソコンについてはなんでも熟知しているのであろう。でもそれは犯罪行為だ。

その意識は多分少ないか,ないと思う。


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