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七月になって



今年の七月は特に暑い。異常である。日本で40度を越す地域も出ているようだ。

夏に珍しく何回かの台風が日本列島を襲い,かすめて通っていっている。

そのために今だかつてないないような豪雨に見舞われ,洪水になつた地域のニュースもテレビ・新聞でみる。

これだけ科学が進歩しても,人間は自然に克てないことへの証である。河川の氾濫は予想もつかないところから発生している。

七月の初めに参議院選挙が行われ,予想に反してというか,予想どうりというか,民主党が多数の票を獲得している。

不況感は政府の発表のように今だ明るくはない。その結果が票の行方として現れているのかもしれない。

衆議院選挙ならば政権交代があってもしかるべき情勢である。自民党執行部は民意に背いて今までどうりの政治をば

続行をしようとの姿勢を続けているが,民意は一番施政方針の基本であるべきである。

小泉首相は「逆風にあってもこれだけの票を獲得したのだから」と弁解しているが,その逆風を誰が作ったのかと聞きかえしたい。

世界情勢は中東地域が不安定要素である。国連の司法裁判所はイスラエルとパレスチナの境界の塀を取り除くよう勧告しているが,

イスラエルは無視し続け塀の建設の続行をしている。又もアメリカのブッシュはそれを支持している。

イラクでは政権がイラク人に移譲されたものの,その中味は全く以前と変っていない。

アメリカによる武力による支配は続いている。多数のイラク人 アメリカ兵士 それに武装勢力に誘拐され脅しに使われ

殺された人たちがテレビで報道されている。戦争にはルールがなくなるのは,昔からの歴史が証明している。

両者とも互いに正しいとして,正義の戦いをしている。でも勝てばいつも官軍である,今までの歴史はそれによつて作られてきた。

そして今もずーと続いている。現在の世界はアメリカが支配しているのが歴然とした事実である。

拮抗勢力として独佛ロシア中国などがあるが,日本でもアメリカ文化が最高のものとして尊ばれている。

日本,又世界各国にもそれぞれの歴史がある。やはりアメリカ文化と如何に矛盾していても,各国の文化は尊重すべきである。

アメリカ流の便利さや効率の良さを尊ぶ風潮が世界の主流になっている。

そのアメリカでは民主党大会が行われて,ケリー大統領候補とエドワーズ副大統領候補が正式に指名された。

アメリカでの,民主党大会を見ているとお祭り騒ぎで,歌手のアトラクションなどが有ったりし,楽しい雰囲気がテレビを通し゛て

我々にも伝わってくる。これから11月の大統領選挙まで共和党のブッシュ氏と民主党のケリー氏との間で世界の指導者でもある

アメリカ大統領選挙が争われる事になった。ネオコンに支配されたブッシュには勝ってもらいたくない気持がある。

アメリカの選挙は膨大なお金が伴った選挙だから行方は,まだまだその行くえはわからない。

民主主義先進国アメリカがこのような状態だから世界はいかばかりか,

推し量ることができる。アメリカが本当の民主主義のお手本をば是非示してほしいものである。

今のままの世界はまるで動物の世界と同じ「弱肉強食」,是非世界は変らなければならない。

そのためにも,まずアメリカの政治が変ってもらわないとお先まっ暗だ。

ブッシュに変化があれば当然に小泉首相も変化すべきである。

どうしても長期政権になると当然澱みが出て来る。自然界も同様に,絶えず新しい水と交換しないとドロドロとして,

汚れ,濁るのが当然の自然現象の一つでもある。




市ケ谷台は(東京裁判)の法廷が設けられた

7月1日の天声人語より


 近現代の日本史の、主な舞台となった場所を絞り込むのは難しいだろう。

しかし「昭和史の舞台」ならば、ここは外せないのではないか。東京都新宿区の「市ケ谷台」である。

 太平洋戦争中は大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部があり、戦争遂行の中枢だった。

敗戦後は米軍に接収され、東条英機・元首相らを裁く極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷が設けられた。

米軍からの返還後は自衛隊の東部方面総監部が置かれ、三島事件があり、今は高層の防衛庁がそびえている。

 東京では市ケ谷台という地名と深く結びついた自衛隊が発足してから、今日で50年になる。

当初から、戦争放棄をうたう新憲法との関係を問われた自衛隊が、今は多国籍軍の一員としてイラクに駐留している。

自衛隊や、日本の政治、外交の変遷の激しさを思わないわけにはいかない。

 今春の本社の世論調査では「憲法9条を変えない方がよい」との答えが60%ある一方で

「日米安保条約はこれからも維持する」が73%あった。


この一見矛盾していそうな「安保と9条の同居」という環境のもとで、自衛隊の存在も国民に受け入れられるようになってきた。

 自衛隊は、東西の冷戦を背景にして生まれた。

その後、著しい肥大化を恐れたり、海外への派遣を危ぶんだりする国民が、選挙などで歯止めをかけたこともあった。

もし、そうした歯止めがなかったなら、これほど長く日本の平和は続いていただろうか。

 歴史に、仮定はなじまない。

しかし、自衛隊の創設から半世紀の節目に、考えてみたい「もし」ではある。




憲法9条は日本が第二次大戦で得た唯一の世界に誇れる教訓,戦争で亡くなった人たちや,体験した人達によって

できたものである。戦時中の教育でもって「人の命は羽毛よりも軽い」として,多くの若い兵士達や,

市民がが米英との戦いで死んでいったものである。

それが教訓として戦後ずーと人の命は地球より重い」との考えが続いてきたが,

最近は次第にそうでなくなってきているように思える。

人の命よりも国益の方が大切のようだ。「自己責任事件」をみていると特にそのように思えてくる。

そうなるとお国のために命を捧げ死んいった人達の時代と,昔と全く同じことになってくる。

「日本人は,人間はそんなに馬鹿なのか!」と叫びたい。

同じことを繰り返し繰り返ししている。戦争がない平和が一番人間にとって大切なものである。

それが戦争放棄を宣言した憲法9条である。

それを世界に発信する役割りを担っているのが広島 長崎での唯一の被爆国でもある日本にある。

「戦争(あやまち)は二度と繰り返しません」と誓ってきたのが今までの日本である筈だ。

今後もずーとそうあるべきである。





為政者に愛されたバラは、


7月2日の天声人語より


 花の名前はいろいろだが、単純な発音なのに漢字ではとても複雑な字形になることがある。

たとえば躑躅(つつじ)で、薔薇(ばら)もまたそうだろう。

バラという花自身、単純な美しさと複雑な魅力をあわせもっている。

 15世紀の英国のばら戦争では、ヨーク派が白バラ、ランカスター派が赤バラに象徴された。

ヨーク家の記章が命名の由来だったが、美しい名前とは違って、血なまぐさい争いが30年間続いた。

勝利は赤バラの側だった。

 戦後日本では、吉田茂が白バラを好んだ。政敵の鳩山一郎はピースという淡黄色のバラを愛好したそうだ。

ふたりの元首相は互いに相手の趣味の悪さをからかったという。

為政者に愛されたバラは、戦争や政治にかかわることもあった。

 バラへの情熱は、門外漢には計り知れないところがある。

愛好家たちはさまざまな色と形を貪欲(どんよく)に追い求めた。


品種改良でこれほど多彩になった花は稀有(けう)だろう。ただ、青いバラだけは不可能だといわれてきた。

一昨日、サントリーと関連会社が遺伝子組み換え技術で青いバラを開発したと発表、

バラの歴史に転機をもたらすかもしれない。


 最相葉月さんの『青いバラ』(小学館)は、サントリーの開発計画も含め広範な取材でバラをめぐる世界を描いている。

その上で、高名なバラ育種家が問いかけた言葉を読者にも投げかけた。

「青いバラができたとして、さて、それが本当に美しいと思いますか」

 北原白秋のつぶやきも、私たちへの問いかけのように聞こえる。

「薔薇ノ木ニ/薔薇ノ花サク。/ナニゴトノ不思議ナケレド。」



品種改良 DNA操作でいろんな花ができてくる。ロマンもあってよいことでもある。

動物界にも利用されている。だが人間にだけはみだりに絶対に利用されるべきではない。





三菱自動車の欠陥隠しなどのためだ


7月3日の天声人語より


 目にまつわる成句は多いが、「目を三角にする」は、激しく怒る様を表す。

そんな怒っているような目が、街や道にあふれている。車のヘッドライトのことである。

 「不機嫌な顔」と題した投書を頂いた。

ライトは、以前は丸形か正方形に近かったのに、長方形のものが出て、それが細長くなり、とがった三角形が増えた。

その不機嫌で怒ったような形に、何か敵意の表れのようなものを感じるとあった。

 1950年代ごろを舞台にしたアメリカ映画などを見ると、車の目は確かに丸形が多い。

車体から筒状に出た出目金風のものもある。ひょうきんさと共に落ち着きも備えていた。

車体のデザインが、一時の角形から丸っこい方へ流れてきた分、このごろの目の鋭さは印象的だ。

 車の顔が改めて気になるのは、三菱自動車の欠陥隠しなどのためだ。

タイヤが外れる、運転不能の車が暴走する、炎に包まれる。

惨事が、いつ、どこで起きても不思議ではないと思わせる。

これ以上、目を三角にしようもないほどの、ひどい事態である。

 元社長らは起訴されたが、欠陥の点検の遅れが心配だ。

部品が脱落したり、ブレーキが利かなくなったりする恐れがあるという欠陥では、届け出から1カ月過ぎたのに、

点検に応じたのは対象車の1割程度でしかない。


 仕事で車を休ませにくいのかも知れない。

しかし、メーカーの欠陥隠しによって生じた危険の種を、消費者が引き継ぐ形で事故を引き起こしてはなるまい。

そうでなくても、この車社会では、年に8千人近い命が失われているのだから。



「絶対」はありえないが,それへの努力常に怠ってはいけない。




「ゴッドファーザー」で、マフィアの首領役を演じた
マーロン・ブランドさんが80歳で亡くなった。



7月4日の天声人語より


 そこは、屋敷の中の菜園である。トマトのような実がたくさんなっている。

そばで遊んでいる孫を驚かそうと、オレンジの皮を口にはめこんでおどけてみせていた祖父が、突然倒れる――。

ドン・コルレオーネの最期だった。

 コッポラ監督の「ゴッドファーザー」で、マフィアの首領役を演じたマーロン・ブランドさんが80歳で亡くなった。

「波止場」や「地獄の黙示録」などでの演技も印象深いが、

やはり、コルレオーネ役が、他の俳優には無い存在感を見せた「永久欠番的」な、はまり役だったのではないか。

 「初めて『ゴッドファーザー』を見たとき、わたしはぞっとした。

眼に入るものといえば、自分のへまばかりで、心底いやになった」(自伝『母が教えてくれた歌』角川書店)。

この演技でアカデミー賞に選ばれたが拒否する。

長年、アメリカの先住民を中傷してきた映画産業の、お祭り騒ぎの片棒を担ぐのは、ばかげていると思ったからだという。

 先住民への支援の他に公民権運動にも加わり、反権力の志向が強かった。


「政治家には、聖書に手を置いて宣誓させるかわりに、約束を破ったら足をセメント詰けにして、

ポトマック川に放りこむということで、誠実を誓わせたらどうかと思う。政治汚職は激減するだろう」

 発する言葉も行動も私生活も、世間を驚かせることが多かった。

そのたぐいまれな激情は、「ゴッドファーザー」では、ドンの沈黙の内側で、とぐろを巻いていた。

 時に発せられるしわがれた低いつぶやきには、闇の底から響いてくるような趣があった。



政治家は「約束を破ったら足をセメント詰けにして、ポトマック川に放りこむということで、誠実を誓わせたらどうかと思う。

政治汚職は激減するだろう」。

これは至言である。誓いを破る政治家は何処の国にも 何時の時代にもいる。

此れくらいのことをしない限りに政治汚職は絶えないだろう。





色づかいと並ぶポスターの要は
引きつける言葉だ



7月5日の天声人語より


 小さな公園の横にある参院選候補者のポスター掲示場の前に立つ。

10枚のほとんどが、名前や政党名に赤い色を使っている。

4年前の衆院選候補者のポスターについての調査では、685枚中253枚で、

氏名の文字色に赤が使われていた(『選挙ポスターの研究』木鐸社)。

 選挙ポスターが広まった1928年の最初の衆院普通選挙では、使える色は2色までだった。

投票前日までは掲示場所に制限が無く、枚数も自由だったため、

総数は3500万枚近くに達した(『ポスターの社会史』ひつじ書房)。

色づかいと並ぶポスターの要は、引きつける言葉だ。主な政党のそれを見ると。

 「この国を想い/この国を創る」(自民党)。

簡潔で力強いようだが、待ってほしい。

いわば、この国を、ほぼずっとつくってきた側が「創る」というのは不思議な感じもする。

むしろ、小泉さんの以前の言葉を生かすのなら「この国を想い/この党を壊す」だろうか。


 「まっすぐに、ひたむきに」(民主党)

文句の付けにくい言葉を並べている。

だが、何に向かって「まっすぐ、ひたむき」なのかが伝わりにくい。

 「実現力!!」(公明党)

二重の感嘆符が目を引く。

すぐ前の「力」につられて、少々力み過ぎたのかも知れない。

共産党は「改悪年金法の実施をやめさせよう」の他にも、言葉の数が多い。

読ませたいのだろうが、その前に立ち止まらせられるのかどうか。

「今こそ、民意ズム」(社民党)。

新しいイズム(主義)なのか、と迷う。

 ポスターはいろいろだが、選べるのは一つである。




選挙の結果は自民党は微減 公明党横ばい 民主党躍進 共産党激減 社民党横ばい。

小泉首相は共産党の票が民主党に移ったとして責任をとろうとはしていない。

戦後ずーと続いた自民党安定社会がよくて,責任を党の中での派閥の交代だけでよいのかどうかに対して

疑問を国民がもつようになってきたのだと思う。

本当の改革はやはり政権交代が頻繁に起らない限りコップの中の嵐に終わってしまう可能性が充分にある。





高さが世界一になる
「フリーダム・タワー(自由の塔)」の起工式が、
米国の独立記念日の4日、ニューヨークであった。



7月6日の天声人語より


 完成すれば、高さが世界一になる「フリーダム・タワー(自由の塔)」の起工式が、

米国の独立記念日の4日、ニューヨークであった。

9・11テロで崩壊した世界貿易センターの跡地に建てられる。

独立した1776年に合わせて、タワーは1776フィート(約540メートル)になる。

 タワーに追悼の思いを込める感情が広く共有されている一方で、

犠牲者の「足跡」であるツインタワーが建っていた区域には再建しないよう求める遺族もいる。

「我々は先へ進めることに反対しているわけではない。ただ、『足跡』が壊されることを望まないだけだ」(CNN)

 米コロラド大の地理学者、ケネス・フット教授は、

9・11の翌年に日本語訳が出た『記念碑の語るアメリカ――暴力と追悼の風景』

(名古屋大学出版会)の序文に、こう書いた。

「世界貿易センタービル跡地の記念計画などに関する議論はあまりに性急で、

これらの場所を早く聖別しようとするあまり、議論がもっぱら犠牲者を称(たた)えることにのみ

収斂(しゅうれん)してしまっている」


 教授は、米国内で犠牲者が出た様々な歴史的事件や悲惨な事故、災害の跡地と記念碑を調べた。

本では、ベトナム戦没者記念碑の建設の時のような、徹底した自己省察を求める議論がない、とも指摘している。

 ブッシュ大統領は4日、「我々が行動したからこそ、

イラクは自由な主権国家になったのだ」と演説した。


しかし、現実のイラクでは、自由は、まだ未来形のように見える。

 イラクも、自由の塔も、省察のないまま築かれるバベルの塔にしてはなるまい。




本当にイラクに自由があると思っているのは世界で,ブッシュ以外にいないと思う。

まだイラクは混乱の中に有りいわばまだまだ戦場である。

アメリカ軍を引かない限りには平和はやってこないように思う。

アメリカがイラクをば混乱に陥れている現実をば教訓に日本も学ぶべきである。

日米一辺倒外交だけでは危険性をはらんでいることを平和な日本を続けるためにも知るべきである。






インドネシアの影絵芝居ワヤンは世界最長の「演劇」の一つ


7月7日の天声人語より


 夜の8時ごろから始まり、翌朝まで続く。

インドネシアの影絵芝居ワヤンは世界最長の「演劇」の一つだろう。

水牛の皮でつくられた人形を操るダラン(人形遣い)は即興の語り手でもあり、音楽の指揮もする。

 インドネシア政界では、ワヤンに託して会話がかわされることがある。

たとえばスハルト大統領時代、閣僚は「私たちは人形だ。

舞台から去るか残るか、すべてはダラン次第」と大統領をダランに見立てた。


スハルト大統領は退陣直前「ワヤンの政治権力継承の哲学に身をゆだねよう」と院政をほのめかしもした。

 ワヤンは結婚などのお祝いのときに演じられることが多い。

多くの人が子どものころから慣れ親しみ、物語や人形は暮らしの中に溶け込んでいる。

「どんどん変化し、新しくなっている」と語るのは、

30年以上にわたって現地で見てきた日本ワヤン協会の主宰者松本亮さんだ。

古い叙事詩が物語の骨格だが、自在な演出で変化を恐れない柔軟さもある。

 「別離と再会」の物語もある。

悲しい別れから、困難を乗り越えて感動の再会に至る物語は、

インドネシアでの家族再会が決まった曽我ひとみさんに重なる。

1年ぶりに再会する今夜の「織女と牽牛(けんぎゅう)」よりも長い、1年9カ月ぶりの再会である。

 かの地には「ゴムの時間」という言い方もあるそうだ。

時間感覚がおおらかで、会合や公演の時間なども伸縮自在だという(小川忠『インドネシア』岩波新書)。

 曽我さんが「ゴムの時間」のようにゆったりと構え、ワヤンのようなハッピーエンドにこぎつけることを祈る。



曽我さんのインドネシアの再会 喜ばしい限りだが,その外務省員の泊まりの費用とかなどなどを考えてくると

大変な金額になると思う。費用節減も政治手腕の一つで,我々の税金を人のお金だと考えて

無駄には使ってもらいたくないものである。




現代の大豆も、健康食品として信奉者が多い


7月8日の天声人語より


 中世の日本に大豆僧正という高僧がいた。

天皇の眼病を祈祷(きとう)で治療するなど数々の伝説を残した彼は、大豆しか口にしなかったという。

実は天狗(てんぐ)の生まれ変わりだったとの説もある。

 大豆の呪術的な力については、様々な言い伝えや伝統がある。

節分の豆まきがそうだし、七夕の朝、病よけの秘術として大豆や小豆を食したという古い記録もある。

「日常を超えた異界との交流の象徴」だったのだろう(小峯和明『説話の森』岩波現代文庫)。

 現代の大豆も、健康食品として信奉者が多い。しかし、このところ高騰が続いていて心配になる。

昨年の冷夏など天候不順の影響を受けた国産大豆は今春、前年の3倍にまではねあがった。

輸入大豆も、米国の不作などで2倍近くになった。

 世界一の大豆生産国は米国で、全体の4割ほどを占める。ブラジル、アルゼンチン、中国と続く。

大豆相場は米国に左右されることが多いが、中国の内需が増えて輸入国に変わりつつあることも高騰の要因らしい。

油用などもあわせると日本は約95%を輸入に頼っている。

 「後継者難の上、高騰が直撃して厳しい事態です」というのは、沖縄県豆腐油揚商工組合の平良恵美子事務局長だ。

7月から名物「島豆腐」の値上げが一部で始まり、8月にかけて広がりそうだという。チャンプルーには、欠かせない食材だ。

沖縄に限らない。零細業者が多い豆腐業界は厳しい夏を迎えている。

 夏の暑さを、ひととき和らげてくれるこの光景に影響が出るかどうか。〈うすまりし醤油すゞしく冷奴〉(日野草城)



大豆は昔から健康食品として多用されており,殺生を,動物食を禁じていた寺院の僧l侶達にも蛋白源として愛用されてきている。

日本で゛はおなじみの食品である。95%もが外国に頼っていて大丈夫かと危惧する。

昔は田の畔道に大豆が植えてあった風景も見なくなってきた。

考え直すべきである。



次から次へとふくらんでゆく欲望は、
最後に何をもたらしたか



7月9日の天声人語より


 次から次へとふくらんでゆく欲望は、最後に何をもたらしたか――。

グリム童話の「漁師とおかみさん」は、人間の弱さと怖さとを、時代を超えて語りかけてくる。

 「小便壷(つぼ)のようなあばら家」に住む夫婦があった。

ある時、漁師の夫は、釣り上げた魚が「自分は、本当は魔法をかけられた王子なのだ」と言うので、海に戻し助けてやる。

「なぜ、魚に願いごとをしなかったのか」と言い募る妻にせかされ、魚に「こぢんまりした家」を頼む。

帰ってみると、その家が出来ていた。


 やがて不満がふくらむ。夫は「こんなことをするのは、まっとうじゃない」と思いながら、

妻の言うままに「石造りの邸宅」「王様になりたい」「皇帝に」と願いはどんどん肥大した。

それでも皆願い通りになる。そして妻は「法王」にまでのぼり詰める。

 警察庁長官への銃撃事件などで、元警察官のほか、オウム真理教の元幹部3人が警視庁に逮捕された。

教団の「法皇官房」と「防衛庁」、そして「建設省」の幹部だったという。

 小さかった教団が、肥大しながら欲望をふくらませ、「省庁」を名乗り、

「国家」まで妄想していたことに、改めておぞましさを感じる。


銃撃の実行犯に当たる容疑者が含まれておらず、捜査は途上だ。

慎重に、手順を踏んで解明してほしい。

 漁師の妻は、ついには「太陽や月を天に昇らせる神に」と望む。

夫が、魚にそう告げた時、ふたりは元の「小便壷」に戻される。

童話は、それで「おしまい」だが、

オウムによる幾多の惨害は、元には戻せないし、終わらない。



オウム事件はそれまでの日本では想像もつかないような事件だった。どれだけにオームに若い人達をひきつける

魅力があったかをば,古くから続いてる既成宗教も見習う所も有るのではなかろうかと考えるのだが。





水位の低下


7月10日の天声人語より


 海面より400メートルも低いところにある死海が、ますます低く沈んでいるらしい。

イスラエルとヨルダンの境を流れるヨルダン川がほとんど唯一の水源なのに、流域での取水量が増えたためだ。

流れ込む水が減り、水位の低下が加速している。

 旧約聖書に出てくる死海のほとりの古い町エンゲディは「沈む穴」と呼ばれる陥没だらけだそうだ。

地中でも塩水の水位が下がり、かわりに淡水の地下水が流れ込む。

淡水で塩の層が溶かされて、突然、地表が大きく陥没する。ここ数年、急増しているという。

 8年ほど前に死海の沿岸に行ったが「沈む穴」のことを聞いた記憶はない。

その時は乾燥地帯とは思えないような雨が降り、沿岸の道路が水びたしになっていた。

死海そのものには入れなかったが、同じ水を張ったというプールで、浮かんでみた。

ものを押し上げようとするその不思議な水には、小さな無数の力こぶが隠れているようだった。

 地下の水位が、ものの安定を脅かす例は身近なところにもあった。

東京のJR上野・地下駅が、浮き上がるという危機に面している。

地下水のくみ上げ規制などの影響で、地下水の水位がホームより上がったためだ。

 東北、上越新幹線が発着するこの駅は、地中に巨大なコンクリート製の箱を置いているようなものだという。

水の浮力に抗して、ホームから太いワイヤの「いかり」を何百本も地中に入れ、セメントで固定する。

JRの東京駅でも同じような工事をした。

 どこが沈み、どこが浮かぶのか。明日、この国の「水位」が表に現れる。




「国」の旧字は「國」で、


7月11日の天声人語より


 ダブルのスーツに身を包み、アタッシェケースを持つジェンキンスさんは、

欧米のビジネスマンのように見えた。

あれ、と思ったのは、出迎えた人と握手した時である。

 差し出した右手の手首の近くに、左手を添えた。


韓国でよく見かけるしぐさで、礼儀作法の一つと聞く。

 かつて国を捨てた人が、たたずまいは母国風のまま、今暮らす国の作法であいさつをする。

若い日に故国から拉致された妻と久々に再会した。

その場に、拉致した国の係官が同行している。

生国は、なお、脱走兵として訴追する構えだ。

国と国との絡み合いの複雑さや、国の壁の厚さが、ジャカルタでの曽我ひとみさんの一家に、

覆いかぶさっているように見えた。

 「国」の旧字は「國」で、その原字は「或」である。

城壁で囲まれた地域を示す「囗」と、土地の境界線の「一」、そして武器である「戈(ほこ)」からなる。

「國」は、さらにその外側を城壁の「囗」で取り囲んでいる(『漢字の知恵』ちくま新書)

 「国の壁」について、国際司法裁判所が厳しい勧告的意見を言い渡した。

イスラエルが、ヨルダン川西岸パレスチナ占領地で建設している分離壁は国際法違反であり、

中止・撤去すべきだとした。

空撮の写真では、分離壁は、元の道や街並みを分断している。

それは、壁が人間のきずなを断ち切る様(さま)にも思われた。

 「国」という字は、城壁の中に貴重な財産の代名詞である「玉」を置いて、それを守ることを表しているという。

今最も大切な「玉」とは何なのか。

今日は、国民が、それを示す機会でもある。



国際司法裁判所が厳しい勧告的意見を言い渡したにも拘わらずにイスラエルによるパレスチナの壁は作り

続けられている。国際司法裁判所の権威 威力が発揮された頃にはじめて人類の平和への希望の

ともしびとしての少しの明かりが見られることだと考えます。





国政選挙での有権者の選択の総体という大きな風の向きは、
政党や政治家が躍起になっても変えがたい。


7月12日の天声人語より


 「前回の参院選で飛ぶように売れた小泉首相の写真入りの自民党のポスターが、まだ1枚も売れていない」。

ひと月ほど前の、ある地域版の記事で風向きの変化を感じてはいたが、

小泉・自民党への逆風は、その後も続いていたようだ。

 小泉さんは以前、高支持率という順風に乗って「改革」を唱え、「破壊力」を印象づけようとした。

歴代内閣と比べれば、今でも支持率の数値は低くはないのだろう。

しかし、その声を国民に届ける風力は衰えていた。

 今回、風向きを決めたものは何だったのだろうか。

自衛隊の多国籍軍参加などでのブッシュ米政権との密着ぶり、

年金改革での「いろいろ発言」や強行採決など、国論を分けた問題での有権者の懸念をあげることができるだろう。

その懸念が、民主党への追い風になったと考えるのが自然ではないか。


 風について、英国の人類学者フレーザーは、こう述べた。

「自分の影響力が及ばず文明人が無力感にもっともさいなまれるのは、

あらゆる自然現象のなかでも風にほかならない」(ワトソン『風の博物誌』河出文庫)。

国政選挙での有権者の選択の総体という大きな風の向きは、政党や政治家が躍起になっても変えがたい。

むしろ台風の進路に似たところがある。


 風を旗印に使ったのは武田信玄だ。「風林火山」は兵法書『孫子』を引いている。

「疾如風(はやきことかぜのごとく)」。疾風吹きかう政局になるのかどうか。

 の小泉・自民党ポスターは、昨日に至るまで、県内の一般有権者からの注文は、1枚もなかったそうだ。



自然の風はどうしょうもなく不可抗力なところがある。だが政界の風はそうではない。自然現象とは違う。

今度の風は誰が作ったのか 何故風が吹いたかの原因を正しく認識すべきである。

マスコミも政治家も真剣に原因を追求してほしいものである。勝手な自分の都合の良い解釈だけはご免である。




日の丸ギターを抱えた小泉首相の
イラストが英紙の週末特集



7月13日の天声人語より


 3年前のエルビス・プレスリー姿が懐かしく思い出される。

純白に金ボタンというおなじみの派手な衣装に、

日の丸ギターを抱えた小泉首相のイラストが英紙の週末特集の第1面に大きく出たときのことだ。

 驚異的な支持率と歯切れのいい言辞で、人気絶頂のころだった。

海外メディアも「政界の一匹オオカミ」ともてはやし、日本政治は変わるかもしれない、と期待をにじませた。

今度の参院選の結果について、かつて小泉首相をプレスリーに見立てた英紙は

「コイズミに重い一撃」「国民は幻滅」と冷ややかに報じた。


 昨日の記者会見でも小泉首相らしい熱弁、強弁は聞かれなかった。

同席した自民党幹部らとの違いを感じさせない横並び感が強かった。

首が気になるのか、しきりに首を回していた青木参院幹事長も含めて。

 とはいえ後世、変動の始まりとして記憶される選挙になるかもしれない。

小泉政権は郵政民営化をはじめ自民党内に利害対立を持ち込んだ。

支持基盤に分裂が生じた。高支持率という熱がさめると亀裂があらわになってくる。

つられるように日本社会に潜む利害対立も表に出てくる。

 昨日の小泉首相の言葉を引けば、「無党派層の支持を得なければ政権は成り立たない」。

旧来の組織や政党の枠から外れた人々が政治を動かそうとしている。


さらに小泉首相のねらいを超えて国民は変化への道を進むかもしれない。

 首相が尊敬するチャーチル元英首相の言葉である。「私は選挙が嫌いだ。

だが数多くの選挙でこの国の人々のことを知り、彼らを尊敬することを学んだ」




小泉さんもチャーチルまでの人間になって欲しいとは思わないが,すくなくとも少しは学んででほしい。

詭弁と,はぐらかし術を学び長けるだけでなく,国民のことをもっと真剣に考え行動してほしい。

「私は国民のことを真剣に考え毎日 日夜それだけで考え行動しています」の返答が即座にかえってくると

思うが,少なくとも一番簡単なこととして,毎年の靖国神社参拝だけでも止めてほしいものである。

そうすると返答として,

「靖国神社への参拝は私の信念で行動していることで,中国 韓国からとやかく言われる筋合いのものでなく,

私は私の信念をもって行動していること,個人のする事に対してとやかく言う方がおかしいのと違いますか。

私は少しもやましい行動はしていません。これからも総理大臣の任にある間は続けるつもりでいます。

但し首相を辞めれば参拝しないかもしれない。」と話すようならば国民を愚弄している事になる。

そんなに靖国神社に参拝したければ,早く首相を辞め,毎日でも靖国神社に参拝されても国民は何も言わないし,

中国 韓国からも何の排日的発言も返ってこないと思う。

小泉首相は自分が置かれている立場がとうも理解できていないようだ。

風の一つはそのようなところにも原因していると推測します。

「逆風の中にあっても,私は与党ととして多数の国民の方から信任票を頂いた」に至っては

落語のネタとしても使うのに恥ずかしいようにおもいますが。如何ですか小泉首相。




高句麗古墳群が今年、ユネスコの世界遺産に登録された。
古墳群は、中国から北朝鮮に国境を超えて点在している。




7月14日の天声人語より


 かつてはさぞ鮮やかで美しい天上界の光景だったのだろう。

先週、中国通信が配信した高句麗壁画の写真である。

大胆な色づかいと、描かれた「天女」たちの伸びやかな姿態に目を奪われた。

 この壁画を含む高句麗古墳群が今年、ユネスコの世界遺産に登録された。

古墳群は、中国から北朝鮮に国境を超えて点在している。

そのため「高句麗は中国か、朝鮮か」といった論争も起き、国際政治の波に巻き込まれもした。

 昨年、北朝鮮が申請した登録が見送られたのは、中国が反対したためといわれる。

今年は、両国がそれぞれ登録することで妥協が図られた。


韓国では、中国紙が「高句麗は中国の一部」と主張したことなどから抗議運動が広がった。

「高句麗が中国史に組み込まれるのではないか」と危惧(きぐ)する学会が、昨年末に抗議声明を出した。

 世界遺産登録には日本も一役かっている。画家の平山郁夫さんらが尽力した。

北朝鮮が世界に開かれるきっかけになるのではないか、との願いも込められる。

さらに日本が中国、北朝鮮、韓国の共同研究の橋渡し役になることも考えられるだろう。


 朝鮮半島最大規模の壁画古墳の被葬者は、336年に中国から高句麗に亡命した冬寿といわれる。

高い地位を占めていた証拠だろう。

彼は、中国との「外交上の難局に大きな役割を果たした」と推測される(李成市『古代東アジアの民族と国家』岩波書店)。

 日本のキトラ古墳も高句麗文化の影響が濃いと見られる。

古代の東アジアを結んだ文化や人の動きを振り返るのにいい機会ではないか。




人類のもとをただせば,皆一つである。アフリカにいた一人から発生したとか。一人では繁殖しないのだから二人だったのか

よくわからない。日本人も東南アジアや蒙古辺りからの移住してきた混血人とか聞いたことがある。

世界が国々に分かれ 言語もそれぞれに分かれて発展してきたのが,そもそもの間違いのもとで

一つならば現代のようなややこしい社会,世界にはなっていなかったと思う。

神さまのいたずらで,又その信ずる神さまも各国で変ってきているのだから益々にややこしくなってきている。

人類には叡智はある筈だ。まず皆一つだったという考え方と,全て無から生じてきたものだと考える力をばそれぞれの人たちが

持つことにある。

 




ブッシュ米大統領の戦争の大義が、
ついに「潜在的脅威」にまで落ちた。




7月15日の天声人語より


 あるところに、とても強い国がありました。

その国の大統領が常々、あそこは危ないぞと言っている国がありました。

そこには危ない大統領がいて、危ない兵器を蓄え、いつ攻撃してくるか分からないというのです。

 強い国は、ついに先制攻撃に出ました。

危ない国の兵を蹴(け)散らし、危ない大統領を捕まえました。

しかし危ない兵器は見つかりません。

それどころか、兵器の開発計画も無かったという報告が、強い国の議会で最近出ました。

それでも、こう言うのです。

「製造能力があり、危険なテロリストに能力を伝授できた敵を見逃せなかった」

 初めは「大量破壊兵器による攻撃の危険」だったはずのブッシュ米大統領の戦争の大義が、

ついに「潜在的脅威」にまで落ちた。

潜在的脅威があれば先制攻撃ができるなどと言い張るなら、

米国を狙う側にも、同じ理屈を許すことにならないか。


 たび重なる言い訳や強弁について、ワシントン・ポスト紙のコラムが評していた。

「黒を白と言いくるめることにかけては、ジョージ・ブッシュと比べられる者はいないだろう」

 そういえば、あの強国の大統領と親密だという、かの国の首相は、

危険な兵器が「見つからないからといって、ないとはいえない」などと弁護していた。

そして最近、選挙に負けたはずなのにこう言う。

「逆風の中で、よく安定多数を与えてくれた


 気が置けない仲間内や夫婦の間なら、似たもの同士は微笑を誘い、周りをなごませる。

権力の座にある似たもの同士の強弁には、危なさと、空(むな)しさが漂う。



落語にもならん言葉を真剣に考え,話しているから世界はお笑いの世界になっている。

でもお笑いの世界であってもその世界で住むしかできないのが

我々の現実である。





 吾輩(わがはい)は、1億円である



7月16日の天声人語より


名前は、今は「自民党橋本派銀行口座残高」とでも言っておこう。

元々は、歯医者さんたちの政治団体である日本歯科医師連盟というところに居たのである。

吾輩が小さな旅をしたのは、参院選が近づいた3年前の夏だった。

 ある日、吾輩は小切手になり、封筒に入れられた。連盟の人に連れられて、街へ出る。

行った先に現れたのは、元首相の橋本龍太郎さんだったと、後に聞いた。

 その場で、吾輩は橋本さんの側に渡されたらしい。

やがて、橋本さんの方では、封筒の中に小切手姿の吾輩を発見する。

事務所の人に銀行へと持ち込まれ、そこで「残高」となった。

電子的な数字に姿を変えて久しい今でも、あれはおかしな旅だったと思い起こすことがある。

 おかしいと思っているのは、吾輩クンよりも国民の方である。

総資産が190兆円などという世界最大の銀行ができるとか、まだ不良債権が何兆円もあるとか、

億よりもケタの大きな話はいくらでもある。

しかし政治家へ1回で1億円が渡るなどという話は、そう表には出てこない。

 思惑や狙いをまとわない1億円などというものが、政治の世界にあるはずもない。

橋本さんには、元首相としても、派閥の長としても、何より一政治家として説明する責任がある。

吾輩クンが、また何かつぶやいているようだ。

 さっき吾輩は、あの旅で聞いたことをお話しした。もし違っているのなら、橋本さん、それも説明して下さいね。

それにしても、吾輩の旅の本当の目的は、何だったのだろうか。

答えは、まだ無い。



政界浄化の特効薬は今のところ再々の政権交代しかないのではなかろうか。澱んだところには必ずに

腐敗が生じてくる。一億円とは凄い大金である。

政治に何故そんなにもお金がいるのか不思議で仕方がない。

楽してお金を儲けたい人達が沢山いるからおかしくなるのではないか。





今回の「新潟・福島豪雨」でも、
堤防が決壊して川沿いの家が壊され、
流された。




7月17日の天声人語より


 午前0時19分尾崎宅倒壊。45分流失。46分那須宅流失。1時9分木村宅流失。

13分鈴木宅流失……。30年前の9月、台風による豪雨で、東京・多摩川の堤防が切れた。

次々に家が流されてゆく様が、今も記憶に残る。

地元の狛江(こまえ)市が後に編んだ「多摩川堤防決壊記録」の一節だ。

 今回の「新潟・福島豪雨」でも、堤防が決壊して川沿いの家が壊され、流された。

多摩川での流失は、増水した川を人々が注視する中で起きた。

新潟では、水は堤防から一気にあふれ、津波のように人家を襲ったという。

 沿いの被害地に限らず、犠牲は、高齢者に集中している。

自宅やアパートの居間で亡くなっていた人たちがいる。寝たきりの男性が、妻だけでは2階まで移しきれず水死した。

一方で、兄弟と警官がロープで体を結び合いながら、孤立した自宅へたどりつき、水が浸入した部屋の介護ベッドにいた母を救出した。

 防災で肝要なのは、迅速・的確な警報の発令と確実な伝達だ。

大雨警報や避難勧告がどうなされたのかを、よく検証する必要がある。

そして今回の災害は、警報などが届いたとしても思うようには動けない人々の救出という課題を示した。

高齢者や病人、障害者など、災害弱者への対応だ。

 4年前、東海豪雨が愛知県などを襲った。

この時、避難をしなかった人のうち2割弱は「災害弱者の存在」のために家を離れなかった(『災害情報と社会心理』北樹出版)。

 災害弱者は、災害を受けやすいだけではなく、避難所の生活や、復興の過程でも、立場は弱くなりがちだという。



災害は忘れた頃に来るとは誰かが言った言葉である。それだけに科学が進歩していても必ず災害はある。

人災だけはたまらない。効率 効率を追求すれば歪みが出てくる。人災がで゜てくる。

今のアメリカ流の民間に任せれば効率よくて上手くいくとの考え方は辞めたほうが良い。

効率主義 実利主義にも弊害がある。効率が悪くともしっかりやるところはやるといった柔軟な発想が

必要である。



トルストイを深く信奉し、
郷里熊本の山中で農業を営みながら、
その翻訳に力を尽くした。



7月18日の天声人語より


 昨日、北御門(きたみかど)二郎さんが91歳で亡くなった。

トルストイを深く信奉し、郷里熊本の山中で農業を営みながら、その翻訳に力を尽くした。

 兵役拒否者としても知られる。日中戦争が始まった翌年、25歳の時に徴兵検査の知らせが来た。

17歳で「イワンの馬鹿」と出会って以来、トルストイから学んだ非暴力を胸に兵役拒否を決意する。

投獄はおろか処刑も覚悟した。


 検査当日、鹿児島に出奔するが、すぐ家族に見つかる。

翌日検査会場へ行くと「兵役とは無関係とする」と言われた。

有力者に手を回したのかと地主だった親を詰問したが、否定する。理由は分からなかった。

 ロシア語は独学で習得した。トルストイが古今の警句で編んだ『文読む月日』の「訳者まえがき」に、こう記した。

「この書の翻訳に取り組んでいるあいだ、私はこの世の憂(う)いをいっさい忘れた。

いわば私は、祈祷(きとう)の文句にある、“病いも悲しみも嘆きもなく、ただ終わりなき命のある国”の住人だった」


 1日ごとに何項目かの警句が並ぶ日めくりのようなその書から。

「人は生まれるとき、世界はみんな私のものだと言わんばかりに手を握りしめているが、

 あの世のことを考える時間が増えましたと、4年前に述べた。

「トルストイもソクラテスもカントもイエスもシャカも老子も、あの世にいる。

そばに行けると思うと楽しみです」。よく夢に出てきたというトルストイと、もう会えたのだろうか。



本当に偉い人は偉いものだ。そのような方が政治を行ってくれるとありがたいのだが,政治家で名を残すような

人は少ない。むしろ悪名で名を残している方が多いのではないだろうか。




長野県・白骨温泉である。


7月20日の天声人語より



 「険(けわ)しい崖下の渓間(たにま)に、宿屋が四軒、蕎麦(そば)屋が二軒、

煎餅(せんべい)や絵葉書などを売る小店が一軒、

都合(つごう)ただ七軒の家が一握りの狭い処に建って」いる。

若山牧水が描く大正時代の長野県・白骨温泉である。

胃腸にきくこと、おそらく日本一だろう、とも書いた(『新編みなかみ紀行』岩波文庫)。

 乳白色の名湯として評判高かった白骨温泉で、公共野天風呂などに入浴剤が使われていたことがわかった。

10年近く前から色が薄くなったため、イメージを壊さないように、と思いついたという。

草津温泉の入浴剤が使われた。

 確かに乳白色の温泉にはいかにも温泉らしい魅力がある。

体の芯まで温まるような気にさせる。

しかし、温泉は色だけではない。

透明な湯でも、つかったとたんに体の芯にまで響くような温泉もあり、人によって好みも違う。

 日本人の温泉好きに、いわばお墨付きを与えたのが、明治の日本に滞在したドイツ人医師ベルツだった。

よく滞在したのは箱根の温泉だったが、効能では草津を絶賛した。

無比の温泉」で「最上の山の空気、理想的な飲料水」があり、自分でも療養所をつくろうと思った(『ベルツの日記』岩波文庫)。

 草津はいまも豊かな湧出(ゆうしゅつ)量を誇り、安泰だが、

白骨のように泉質が変化したり、湧出量が減ったりして、困っている温泉も多いようだ。

何度も同じ湯を使う循環式も少なくないと聞く。

その辺をごまかさないで表示しないと、温泉への不信が募るだろう。

 牧水は草津温泉で詠んだ。

〈たぎり沸(わ)くいで湯のたぎりしづめむと病人(やまうど)つどひ揉めりその湯を〉



温泉ときくだけで,なんとなく身体に良いように響く。温泉の効能は科学的に立証されている。

のんびりと温泉につかりして休みたい気持はする。

毎日温泉の中で暮している人たちにとっては生活の糧でもある。

人間にはプラセボ効果(偽のものでも本当と信ずると効果がでてくること)があるので,

そんなに白骨温泉事件も害がないのだかと考えるが.偽りは偽りであって,あってはならないことである。

日本人の温泉好きは昔からで,日本人の長命の一つの要因かもしれない。




亡くなった指揮者カルロス・クライバーは
そうした逸話や伝説に事欠かない。



7月21日の天声人語より


 地震が起きて聴衆は避難し、客席は空っぽになった。指揮者はタクトを振り続けた。

演奏が終わった後、彼は、オーケストラに落ち着きがなかった、と不満をもらした。

地震のことを説明されると、「全然気がつかなかった」(雑誌『WAVE』31)

 亡くなった指揮者カルロス・クライバーはそうした逸話や伝説に事欠かない。

彼の公演はすぐ完売になる。幸いにも切符を手にした人は、期待と不安の日々を送る。

キャンセル常習犯の彼のこと、指揮台に立つまでは安心できない。立ってからも何が起きるかわからない。

しかし不安の対価は、かけがえのない陶酔である。

 「パステル画のように精妙で……必要とあればルーベンスやルノワールにも劣らない

極彩色で音の劇を描き出すことも辞さない」(吉田秀和)。


88年にミラノ・スカラ座と来日したときの評である。

あの厳しい批評家が「満腔(まんこう)の敬意とブラヴォーを」と記した。

 帝王といわれたカラヤンは「冷蔵庫が空っぽにならないと演奏会に出てこない」とクライバーの「出無精」をからかったそうだ。

帝王亡き後の空白を埋めてくれる人、とわかっていたのかどうか。

 74年の生涯は平坦(へいたん)ではなかった。

父エーリッヒは高名な指揮者だったが、ナチスドイツを嫌って30年代、南米に移住した。

戦後ヨーロッパに戻ったが、息子が音楽家になるのには反対した。

最初は偽名で指揮台に立ったほどだった。

 飛行機嫌いなのに、たびたび来日した。

日本が好きだったのだろう。

大のインタビュー嫌いだから、ついに尋ねる機会はなかった。


指揮者カルロス・クライバーの人間像がわかるようだ。何かに熱中すると地震もわからず恐くないとの経験を

したことがある。火事場の馬鹿力と同じで,集中するととんでもない力が発揮される。

ゴルフも集中力である。集中した時の身体の生理機能はどのように動いているのか。

華麗なものにはあこがれるが,自分で描いたりそのように行動したりはなかなかできないものである。




世界の埋蔵地雷は1億個以上で、
20分に1人が死傷しているとの推計もあった



7月22日の天声人語より


 地雷が埋められている国を、まだら模様で表した世界地図を開く。

インドシナから中東、バルカン、アフリカに至る範囲で、まだらが目立つ。

世界の埋蔵地雷は1億個以上で、20分に1人が死傷しているとの推計もあった(『地雷問題ハンドブック』自由国民社)。

 次に地雷を製造する国を塗り分けた地図を見る。地雷は埋まっていないが製造している国が分かる。

目につくのは米、英、仏、そして日本だ


しかし、日本製の地雷は自衛隊が保有している。

これまで海を渡っておらず、どの国の人も殺傷していない。

 日本の武器輸出を事実上、全面的に禁止してきた「武器輸出3原則」の見直しを求める提言を、日本経団連がまとめた。

提言は国際的に装備・技術の高度化が進む中での立ち遅れなどを懸念する。


しかし一般の産業と同じように立ち遅れを問題にしていいのだろうか。

 仮に、輸出が可能になったとする。新技術の開発に努め販路拡張を図るだろう。

外国への売り込みも激しくなされる。

それは何を意味するのか。兵器産業の場合、取引拡大を望むことは、

兵器が使われる状態を望むことにならないか。

 国際ジャーナリスト、A・サンプソンは『兵器市場』(TBSブリタニカ)で「死の商人」の世界ネットワークを描き出した。

「政府は、彼ら(兵器商人や製造者)に対し……高度な兵器の目的は本当は人殺しではないと繕えばいいと勧めてきた。

しかし、兵器商人も政府も、秘密と欺瞞(ぎまん)で自己防衛しなければならない事を悟っている」

 こんな日本に、してはなるまい。





戦争を好む人には個人的に「兵器産業の場合、取引拡大を望むことは、兵器が使われる状態を望むことにならないか。」

この言葉がぴったりしていて,所謂死の商人である。一番人類として悲しい職業である。

でも理屈はいくらでも良いようにつけることができる。例えば悪を倒すためには兵器が必要ともいえる。

一番悲しい事は今もアメリカで「第二次大戦の戦争を早めるために原爆を広島 長崎に投下したことは正しい

アメリカの選択だった。」との考え方がアメリカ人の常識となり,日本にもその考えが広く行き渡っていることである。

本当に原爆投下が必要だったかは将来公平に正しく検証されるべきことである。

あの当時の日本は食べるにも不自由していて餓死 栄養失調の人たちが多く出ていた。

そこに原爆で,現在にも影響をうけるような原子爆弾の投下が必要だったかは非常に疑問に思っている。





フィリピンでは、これらの批判を批判する論調が目立つという。



7月23日の天声人語より


 「ウエルカム・ホーム(お帰りなさい)アンヘロ!」。

そう書かれた横断幕が、フィリピンに帰り着いた元人質のデラクルスさんを迎えた。

まるで、英雄の帰還のような歓迎ぶりだったという。

 実際、アロヨ大統領は、デラクルスさんのような海外への出稼ぎ者を「現代の英雄」と呼ぶ。

その送金が国内総生産の約1割にもなる800万人と、家族の重みは、日本では計り知れないほど大きいのだろう。

しかし今回の撤退は米国などから厳しい批判を浴びた。

 「アロヨ大統領が急いでテロ組織の要求に応じたことに、同盟諸国はもちろん誘拐犯らさえもうろたえただろう」。

ニューヨーク・タイムズ紙の皮肉を込めた社説だ。

フィリピンでは、これらの批判を批判する論調が目立つという。


「現代の英雄」には「自己責任論」も無縁のようだ。

 「英雄」でも、「国民的英雄」あるいは「民族の英雄」と呼ばれているのがホセ・リサールだ。

植民地だった19世紀、言論活動でスペインを批判し、35歳で処刑される。医師で小説や詩を残した。

 「私の墓の十字架の上に一羽の小鳥のくるのを見たら/平和のうたをうたわしめよ」。

銃殺の前に妹に託したという「最後の訣別」の一節だ(『ホセ・リサールと日本』アポロン社)。

 国外退去勧告を受けて、明治21年に日本に立ち寄ったことがある。

2カ月足らずだったが、日本と日本人に、深く共感したという。

その滞在を記念した胸像が、東京・日比谷公園にある。


祖国と米国との間柄や、この撤退について、尋ねてみたい気がする。



フィリピンに日本も見習ってほしいものだ。フィリッピン国民の意思を反映させてフィリピン軍のイラク撤退を成し遂げている。

一方の日本というと,アメリカのブッシュの言いなりで小泉首相は危険な戦闘が続くイラクから自衛隊を派遣し,そして撤退は

全く考えていないようだ。イラクの人たちから自衛隊は余り何もしてくれないと批判的な人々が出ているにもかかわらずにだ。

日本の世論も派遣に対し否定的なひとが多い中で,派遣を続けるのはただアメリカのブッシュのためだけにある。

多分選挙でアメリカ政権が代わりブッシュが退場して,アメリカ軍も撤退し始めたならばどうするのだろう。

自衛隊は総理大臣の私兵ではない。軍隊は命令系統が厳しく,昔は上官の命令は天皇陛下の命令だとして

多くの若者達が戦地で死んでいった。最高司令長官小泉首相のため死んでゆく若者が出れば本当に可哀想だと思う。

もしここで自衛隊から死亡者が出て,小泉首相が責任をとり辞めたとしても,自衛隊希望の若者が減ってしまい自衛隊の定員が

いつも満たなくなれば,どうするのだろう。自衛隊の未来に陰を落とし徴兵制度をしかなければならなくなった時の事まで首相は

かんがえているのだろうか。自衛隊は加茂市の市長をされている自衛隊の将官だった人がいつも説いておられる

自衛隊に入って良かったという気持で人生を送れるような自衛隊で有ってほしいものであると。

大きい曲がり角に自衛隊の将来へ舵をばきったのがあの軽い人「人生いろいろ」の首相である。

その人のために亡くなった自衛隊員は本当に可哀想である。

今からでも遅くない,早くフイリピンに見習ってイラクから自衛隊は撤退すべきである。

自衛隊員は日本国土を守るために死力を尽くして戦ってくれると思う。そんな事態は考えられないことだが。

イラクで死ねば犬死したようなものである。ブッシュのため.小泉首相のために。




ロシア人の作家で、
最初にノーベル文学賞を受けたのは、
イワン・ブーニンだった。




7月24日の天声人語より


 ロシア人の作家で、最初にノーベル文学賞を受けたのは、イワン・ブーニンだった。

日本では、トルストイやチェーホフほど知られていないが、小説「日射病」「暗い並木道」などを残した。

 19世紀の末、25歳のブーニンは、10歳上のチェーホフに尋ねられた。

「大いに書いていますか?」「いいえ、あまり」。「いけませんね」。

不機嫌そうに、低いバリトンでチェーホフは言った。「いいですか、仕事をしなくては……。

手を休めないで……生きているかぎり」(『ブーニン作品集』群像社)


 生きている限り、ほぼ手を休めずに戯曲や小説を書き続けたチェーホフは、100年前の7月、肺結核のため、

ドイツの静養先で他界した。44歳だった。

 この年の2月に、日露戦争が始まった。6月のベルリンでのことを、チェーホフの妻の弟が記している。

「ロシア軍の勝利を望む」と言う義弟に、こう答えた。

「そんなことは決して言ってはいけません(略)われわれの勝利は、専制を強化し、

われわれに息切れさせている圧制を強化することになるではないか。

その勝利は、迫りくる革命を阻止することになるだろう
」(『チェーホフのなかの日本』大和書房)

 翌月の臨終の時、傍らの医師に、ドイツ語で「わたしは死ぬ」と告げた。

そして、受け取ったシャンパンを飲み、静かに横たわり絶命したという。

 残された手帳や手稿には、小気味よい諧謔(かいぎゃく)が詰まっていた。

「火曜日に席を譲らぬ月曜日はなし」「上演できる脚本なら誰にだって書ける」(『チェーホフの手帖』新潮文庫)




人類の進歩はかず少ない叡智に富んだ人たちによって前進して,その人が亡くなれば元に戻る。

とんでもない馬鹿に支配されれば科学は進歩しても世の中は暗い。



11カ国の子供たちが滋賀県新旭町に集う
「地雷をなくそう!世界こどもサミット」である。




7月25日の天声人語より


 来月、日本で「サミット」が開かれる。

11カ国の子供たちが滋賀県新旭町に集う「地雷をなくそう!世界こどもサミット」である。

昨年この町が開いた「全国サミット」の世界版だ。

 新旭町は、対人地雷禁止条約(オタワ条約)に基づいて政府が進めた地雷の爆破処理の中心になった所だ。

先日、条約以前に続いていた地雷を巡る世界の構図に触れたが、

日本では、研究・訓練などのために保有しているものを除いて、既に廃棄された。

世界では、まだ2億個が保有されているという。


英、仏などが生産と保有をやめる一方で、米、中、ロシアなどは作り続けている。

 子供を狙った地雷があるという。

2枚の羽根が付いていて、ヘリコプターから落ちてくる姿がチョウに見える「ちょうちょ地雷」だ。

この地雷の被害者は例外なく子供だったと、アフガニスタンなどで外科医として治療に当たったイタリア人、

ジーノ・ストラダさんは書いている(『ちょうちょ地雷』紀伊国屋書店)

 被害にあわないように教える仕事も重要だ。

アフリカのザンビアで、アンゴラ難民の支援活動に携わったNGO「難民を助ける会」は、

教会や市場、マンゴーの木陰などを「教室」にした。

 「これ、何に見える?」「お弁当箱かな」。

現地のスタッフが様々な形の地雷の絵が描かれた布を掲げる。歌や人形劇も活用した。

 「世界サミット」には、アンゴラやアフガニスタンなどから、地雷や不発弾で手、足を失った少年も参加する。

地雷と共に生きることを強いられた人々と知り合う。そんな夏休みも意義深い。



世の中 世界には日本で想像も絶する世の中で暮せねばならない人たちが大勢いる。

なんで世の中こんなに不平等にできているのだろう。




2億円が当たって狂喜乱舞したというよりは、
その極端な幸運に対しても落ち着いて対処した人



7月26日の天声人語より


 〈宝くじたまにはドキドキさせてみろ〉。

この句が「朝日川柳」に載った日、速達で届けられたあのくじは、

福井県庁の人々をドキドキさせていたのかも知れない。

 2億円には驚くが、匿名というやり方には、そうするしかないのかとも思う。

2億円が当たっただけでも人生は変わりかねないが、実名が出たら確実に変わってしまうと考えたのか。

 「弐」億とあるので、開封した人は、年配の人かなと想像したそうだ。

確かに、文面には落ち着きがある。発表された要旨だけでは、手紙の主の息づかいまでは分からないが、

次のくだりには、ある心情が感じられた。

「不幸にも被害を受けられた方々に少しでも援助になれば幸いと思い幸運に恵まれた宝くじ……」。

 不幸、幸い、幸運と、幸の字が続く。


吉と凶のように、幸不幸もあざなえる縄、というような響きがある。

2億円が当たって狂喜乱舞したというよりは、その極端な幸運に対しても落ち着いて対処した人ではないかとも思う。

しかし、性別も、1人なのかどうかも分からない。

 『目で見る宝くじ30年史』という本には「ふくふく籖(くじ)」というのが載っている。

終戦直後、復興の復と県名を重ねて命名し、福井県が発行した。「一等奨金一千円」とあった。

 復旧を目指す福井県には、ボランティアの人たちが大勢駆けつけて、家屋からの泥のかきだしなどを手伝っている。

被災者の声が福井版に出ていた。「自力では片づける気力も出ないが、ボランティアが来てくれると元気が出る」。

人を即座に力づける、人の力も頼もしい。





宝くじには当たりたいが,罰には当たりたくないと考えるのが普通である。

よほどのお金持ちなのか,人間の出来た人なのか判断できにくい。

清涼なそして爽やかさを感ずる珍しい出来事で明るい気持になる。


大阪市の第三セクターが
米国産ブロッコリーに
中国産を混ぜて偽装していたことが
発覚した。




7月27日の天声人語より


 青臭さで嫌われることがある。

しかし、栄養豊富で体にいい食べ物としてブロッコリーは急速に行き渡り、身近な野菜になった。

日本だけではない。主産地の米国でも消費量は30年間で5倍以上になったという。

 物議を醸したこともある。ブッシュ元米大統領のブロッコリー排撃発言はいまも語り継がれる。

「子どものころからブロッコリーが嫌いだった。大統領になったのだから、もう食べない」。


90年春のことだ。大統領専用機の食事からブロッコリー排除を命じたという。

 怒った農家がワシントンに10トンのブロッコリーを送りつけた。

夫人が「私はブロッコリー好き」と、なだめ役にまわった。

「ブロッコリーを食べない指導者を米国民は大統領に選ぶだろうか」と再選への影響を論じる記事も出た。

米政界を揺るがしたブロッコリー事件である。

 キャベツなどと同じアブラナ科の植物で、食べるのはつぼみの部分だ。

花開く前に摘み取ってしまう。日本には明治初期に輸入されたが、やがて姿を消した。

急伸長は、健康志向が高まったここ20〜30年のことだろう。

 大阪市の第三セクターが米国産ブロッコリーに中国産を混ぜて偽装していたことが発覚した。

うんざりさせられる食品業界の「類似犯」である。

ブッシュ氏は後に「母に食べさせられすぎて飽きてしまった」と取り繕ったそうだが、偽装問題は取り繕いようがない。

 ブロッコリー離れを促しはしないか、と心配にもなってくる。

〈ブロッコリー食べたと電話をかけくれば幼をほめる言葉惜しまず〉(朝日歌壇から)



米国のブロッコリンと中国のブロッコリンとでそんなに値段が違うのか。そういうと最近買っている衣料品は全て

中国産のもので安い。でも日本製とは全く変っていない。




先日終わった中村勘九郎さんらのニューヨーク公演は



7月28日の天声人語より


 「ニューヨーク滞在中、たった一つ淋(さび)しい思いをしたのは、歌舞伎が見られないことだった」。

1957年に訪米した三島由紀夫が、日本文学研究家で友人のドナルド・キーンさんにそう書き送ったそうだ。

 3年後の60年6月、歌舞伎のニューヨーク公演が実現した。安保闘争のさなかだった。

劇評は日本で反米感情が高まっていることに触れながら、「現実界から身を退(ひ)いた演劇」の歌舞伎には敬意を表した。

「演劇は政治よりも礼法を心得ているからである」と(『歌舞伎海外公演の記録』松竹株式会社)。

 時代が移り、世代も代わった。

先日終わった中村勘九郎さんらのニューヨーク公演は、歌舞伎が時代から必ずしも身を退いていないことを伝えたことだろう。

「江戸時代には現代演劇だった」が持論の勘九郎さんは、斬新な演出を取り入れて、歌舞伎を現代によみがえらせようとしてきた。

 現地の劇評も「映画『スパイダーマン2』にはできないスリルを提供」「伝統と現代とが両立しうることを示した」と意外な新しさに注目した。

 折しも東京では、ニューヨーク近代美術館の所蔵品を集めた「モダンってなに?」が催されている(六本木・森美術館)。

描線が美しいピカソの「台所」の前で、彼がいかに基本の素描にすぐれていたかを改めて思った。

歌舞伎俳優でいえば、素描は舞踊にあたるだろう。


幼いときから厳しく仕込まれ、強靭(きょうじん)な肉体としなやかな体の線がつくられる。

伝統の継承法でもある。


 ニューヨークと東京で、東西文化の伝統と現代とが、鮮やかに交差した。



アメリカ人に歌舞伎が理解されるのか不思議であり,歌舞伎は我々日本人にも理解に苦しむところがある。

歌舞伎通にしか理解できないものになってきている。




そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて



7月29日の天声人語より



 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて――。

憲法の前文にもあるように、本来「信託」とは、信用して委託することである。

 その信託が看板の銀行が、売却の約束をほごにして別の銀行グループと統合するのは許せない。

住友信託銀行の、こんな主張を東京地裁が認め、UFJ側に統合交渉の中止を命ずる決定をした。

まだ曲折がありそうだが、この異例の争いは、長い歴史を持つこの業界が直面する切羽詰まった状態を示すかのようだ。

 銀行業は、いつどこで始まったのか。その起源を正確に解き明かすことは難しいという。

古代にも両替や貸し付けはあった。

銀行を意味する英語のバンク(bank)は、取引用の台を表すイタリア語のバンコ(banco)に由来する。

ルネサンス期には、横長のバンコを前に座る両替商の絵が描かれた(『図説 銀行の歴史』原書房)。

 今でも、日本の多くの銀行にはカウンターというバンコがあり、そこを受け持つ行員たちは客と正対している。

しかし、奥に居る幹部は正対しているのだろうか。

 吉野作造編集『明治文化全集』の「銀行小言」という一項に、銀行の重役として「左の性質を有するものは其の任に不適当なりとす」とある。

「万事に不決断なる性質/漫(みだ)りに威権を挟み他に対して傲慢(ごうまん)なる性質/

短気にして事に触れ怒り易(やす)き性質/思操堅固ならざる性質/情実に流れ易き性質」


 バンコの奥の方には、その銀行の客の金があるだけではなく、

国民全体から集めた税金が注入されたことを忘れないでもらいたい。



統合 統合で巨大銀行に日本の銀行はなってきている。だったら第二次大戦後の財閥解体はなんだったのか。

アメリカが日本を統治しやすいように解体されていったのかもしれない。敗戦国のハンディは何時までつつくのだろうか。




自分の人生を大切に生きてください



7月30日の天声人語より


 最近の言葉から。「機は熟した」。噴火による全島避難から約4年。

来年2月の帰島を決めた平野祐康・三宅村長が述べた。

島民の一人は「島の土になるために帰るんだから、自己責任でも何でもいい」

 ジャカルタでの学生との対話で、パウエル米国務長官が語った。

「私はもうすぐ引退する。ロッキングチェアに揺られながら、君たちがインドネシアの指導者になるのを眺めるよ」

 スウェーデンでのホームレスのサッカー・ワールドカップに出場の伊藤孝司さん。

「一度日本から離れることで、ホームレスであることに慣れきった自分を見つめ直したい。

世界中のホームレスがどんな暮らしをしているのかを知りたい」

 欧州選手権では、過去一勝もしたことのないギリシャが初優勝。

レーハーゲル監督は「技術では相手が上だったが、我々はチャンスをものにした。ギリシャは今日、歴史を作った」

 「安全地帯にいて書いても笑ってもらえない。ユーモアとは、どれだけ自分をさらけ出すか」と直木賞受賞の奥田英朗さん。

「丸く線を引いて、円だと示すのが説明。丸の余白を塗りつぶして、円と認識させるのが描写です」

 毎日新聞の御手洗(みたらい)恭二さんが、長崎県佐世保市での怜美(さとみ)さんの「お別れの会」であいさつした。

「あなたたちのすぐそばに、あなたたちを一番愛している人がいることを忘れないでください。

死という形でなくても、あなたたちが目の前からいなくなったら悲しむ人がいることを決して忘れないでください。

そして自分の人生を大切に生きてください」




今は少なくなったが,敗戦直後の日本を支配していたGHQのマッカーサー司令官は日本人は13歳だと

発言している。子供心によくも言えたといった反感の心と同時に日本人はやはり13歳だったなのかと交錯したことがあった。

当時全てがアメリカ崇拝の世の中であった。

恰も丁度イラクでイラク捕虜に対し犬の首輪をつけた女性兵の立場にあるから

いえた言葉であって,この年になって決して日本は13歳ではなかったと確信をもって言う事ができる。

当時アメリカ軍は勝てば官軍で,すき放題のことをし,且つ言っていたと思う。

言っていた本人こそ,マッカーサー自身の頭の中を疑いたくなる。





しかし人は皆、人の子である。



7月31日の天声人語より


 人は、必ずしも人の親になるとは限らない。

しかし人は皆、人の子である。今のところは。

 動植物まで広げれば、子とは言い難いクローンも増えている。

確認はされないが「クローン人間誕生」の報もあった。

古来の生殖にもクローンにも、遺伝子の本体であるDNAが深くかかわっている。

 DNAの構造を突き止め、ジェームズ・ワトソン氏と共にノーベル賞を受けたフランシス・クリック氏が88歳で亡くなった。

命の情報を伝える神秘的な存在でもあるDNAを、二重になったらせんという明快な形で示した。

 ワトソン氏が60年代に著した『二重らせん』はベストセラーになった。クリック氏が回想を書いたのは、ずっと後だ。

「熱狂的なファンだと言い、あなたの書いた本は実に面白かったという人にどれだけ会ったことか。

もちろん例のジムの本のことだ」(『熱き探究の日々』TBSブリタニカ)。

「ジムと私が誉(ほ)めてもらえるところ」は「執拗(しつよう)さと、考え方が受け入れられないとなれば潔くそれを放棄する勇気だろう」

 『二重らせんの私』(早川書房)で、生命科学者の柳澤桂子さんが「DNAは地球上に生命が誕生して以来書き継がれている、

地球上最古にして最新の古文書である」と書いている。


そこには「われわれはどこからきたのか」や「われわれは何か」が書かれているが、

「どこへいくのか」や「いかにあるべきか」は、書かれていない。


 二重らせんは、生命の起源へといざなう回廊かも知れない。

しかし、読み方使い方とも慎重に扱いたい古文書でもある。




地球上の人間同士が互いに憎みあわずに,仲良く暮すにはどうすればよいのか。

全ての人たちが戦争なんかの不慮の災害で人生をまっとうできなくなるのを防ぐには

どうすれば良いのか。

国連がもっと指導力をつけるべきである。争いは戦争で解決するのでなくて

裁判で解決される世界になれば何歩も前進した世の中になったことになる。

戦争より裁判でもって全ての争いは解決する事である。だから小さな国の主張もとおる世の中になる。

いまの世界は大国が一方で慈善をしながら,反対の手で動物と同じ「弱肉強食」の論理を振りまわしている。

理屈は幾らでもつけることができる。今のアメリカのブッシュのように力でもって,[自画自賛]しながら

世界を混乱に陥れている。

なんとかならないものかと,力の弱いものが叫んでもなんとも仕方ないが。

でも「チリモ積もれば山となる」の例えのように世界に同じような考えを持った人たちが増えれば

きっと人間らしい世の中になることを信じたい。



人間の一生



人間は一回きりの人生を生きている。長いようで短いのが人生である。京都の郊外宇治に黄檗宗万福寺がある。

今住んでいる所から約20分も自動車ではかからない。何回か訪れているが。

入場料を支払うとチケットが渡される。そのチケットには

謹白大衆

生死事大

無常迅速

各宜醒覚

慎勿放逸


以上の文字が書かれています。

この文字に初めて接した方はじっくりこの言葉の意味を味わってください。

年令に拘わらずに意味深い内容がありますので,毎日毎日を大切に生きて行きたいものだと考えています。

一回きりの人生なのです。一回きりの今なので,自分のできる限りのことを精一杯してくらしてゆきたいものです。


パソコンの有り難味


パソコンができ,インタネットが開発されて非常にありがたく思っている。

読んでもらえるかどうかは別として,自分の言いたい事,思っていることが簡単に発表できる世の中になった。

こんな簡単に発表できる手段は他に見ない。それも言語の違いは別にして世界の人達の発表されたものが

見られることになっている。国の境界はなくなり,世界の人たちが同時に見ることができる。

残念な事に言葉の壁が互いの考えの阻害となって,自国語以外の内容はなかなか理解に困難を伴っている。

何処の言葉も自国語でよめるようになれば,世界の平和はもっと早く来るはずである。

世の中平和である事が一番大切である。平和の為の戦争 それが今イラクで行われているが

もっと沢山の国々でも行われて,今もそのために沢山な命が失われていっている。

そのためにいろんなことを書いているが,平和の一助になればありがたいとおもっている。

命ほど 平和ほど大切なものは人類にとってない。そのことが素直に発表できるバソコンができ

インターネットが発達した世の中に生まれていて幸せである。



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