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八月は

今年の八月は猛暑でぐったりする。例年に比べて平均気温は3-4度は高いと言われている。

昔の夏に見られた夕方になるとサーと雨が降って,所謂夕立で,その後はさっぱりした気分になったような

体験は得られなくなってきた。地球温暖化による異常気象のせいなのかもしれない。

台風が何度か珍しく,夏に日本列島を襲ってきている。その被害があちこちで起きたとの報告がある。

自然の災害はある程度はやむをえないが,イラクのような人災でもってひどい目に会っている人を見ると

腹が立って仕方がない。ブッシュは自画自賛ばかりで,イラクに民主主義が平和がやってくるようなことを言っているが

テロは尚依然として続いている。自爆テロは昔で言うならば,戦中の日本の特攻隊のようなもので,自分の身を投げ出して

目的のために死を覚悟での攻撃をする手段である。そこまで追い詰めているものは何なのだろうか。?

そこの所が解決しなければ止む事はない。それの一つとして貧困とも言われている。

それが一番の原因で,さらには戦争などで肉親が爆撃などで殺された恨みもあるのだろう。

悪い連鎖が続いている。なんとか世界に平和がやってきて欲しいものである。

多分アメリカの政権が変れば変化が来ると思いたい。ネオコンの考え方はあまりにも身勝手すぎる。

大国のエゴでもって世界をおしつけている。沖縄の普天間基地での米軍のヘリコプターの墜落事故は

今だ日本が米国に占領され続けてている実態をみせつけられた感じだ。小泉首相は沖縄知事の陳情にも「夏休み」で

面会もしない。米国に何も言えない首相が日本の現在の首相である。ポチのように尻尾をふりふりしてブッシュに

すりよっている。情けない首相をもつたものだ。

何を思ったのか北方領土四島の視察に出かけている。

南と北をまちがえているのではないか。それとも東京が今年は特に暑いのでボケたのか,温度の低い北を選んででかけたと思うほどに

異常行動をおこしている,その真の理由が国民にはわからない。

事件が起きたのは沖縄の基地で起きているのである。

首相の北方領土視察に対してロシアのプーチン首相から文句が出ている。ロシアといえば今回のチェチェン独立での学校のテロは

あまりにも痛ましい事件で結末を迎えている。以前にあった劇場占拠事件の解決 航空機の爆破事件などなと

あまりにも荒っぽいロシアのテロ対策への対応である。米ソ競ってテロに悩まされているのは

大国のエゴが一つ原因しているとしか思えない。

弱者にとってはテロでもってしか対抗できない世界になっている。

国連をもっとしっかりし,強化され,国連のもと国際司法裁判制度を利用し,それを世界の国々が順守するようにになれば,

弱肉強食の強いもの勝ちの世界も変ってくると思う。

テロとか戦争によってではなく,国際司法裁判制度を利用して世界の人たちの不満の解決に利用するようになれば

世界にもっと希望も出てくると考える。テロは悪い,テロに屈してはいけないだけでは,何の解決にもならない。

テロの人たちにもきっと何かの言い分があるに違いない。世界がそのことにきずき,それを聞いてあげるべきである。

その場所として国際司法裁判所が作られ,全ての国々がその裁判所の判断に絶対に随うようにすればよい。

仏・独などの行動を見ていると EU諸国 ユーロ貨幣などのヨーロッパは一つへの動きは人類にも

希望があることを示してくれている。日本はアメリカの後に従っているだけではなく

アジア圏のリーダーとして,日本並びに中国などが協力しながら行動を共にすべきである。

だが小泉首相は中国と反目しているだけで,なにもできない。その原因も,しようもない靖国神社参拝にある。

首相を辞めれば毎日でも靖国神社参拝していても,韓国 中国からは文句は出てこないと思う。

来年もし靖国神社に参拝したければ首相を早く辞めてからにして下さいと言いたい。

国民が大変そのために迷惑を被っていることを知るべきです。

一方明るい話題としてアテネオリンピックで日本が予想を上回るメダルラッシュに湧いた。

開会式もギリシャ神話の出し物が出て,アテネオリンピックらしい演出で,オリンピック中は遅くまで

テレビを見ていたので寝不足がちである。これだけ仲良くできる世界の人々が,どうして戦争とかテロとかと争いあうのか

理解に苦しむ。アテネオリンピックに今までで最多の202国の世界の人々が一堂に集まっての競技である。

これほど世界の人たちが仲良くやってゆけるのに何故に人間の闘争心を良い方にむけないものかと思う。

女子マラソンのシドニーに続いてニ連勝とは見事である。卓球の福原愛ちゃん14歳の活躍には凄いと思った。

そして一回戦は苦戦したが二回戦には快勝している。「一度死んだから二回戦ではあがらなかった」との

言葉には参ったとの気持でテレビ観戦していた。この年で立派なことを即座に返すとはと感心する。

オリンピック参加国202国と小さな国々に分かれているのもよいが,これからの世界は

もっとヨーロッパ統一国 アジア統一国 アメリカ統一国などのように連合してゆくべきである。

そして最後には世界連邦国を作るべきだ。

人間の本能でもある闘争心を抑制するために,戦争の変りに毎年でもオリンピックを開催してもよいのではないか。

そして本来の人間としての力と力そして技を競い合う世界になったら良いと考えます。




8月、高校野球から五輪へ、
と熱い闘いが繰り広げられる



8月1日の天声人語より


 白球が止まって見える。打撃の神様といわれた川上哲治が「打撃開眼」をそう表現したのはよく知られる。

「開眼」は1950年ごろのことだったという。

 米大リーグで打撃の神様といえば、テッド・ウィリアムズだ。41年に打率4割を記録した。

彼には回転しているレコードのラベルの文字を読むことができたという伝説が残っている。

いずれも、動くものをとらえる視力、動体視力が優れていることを示す話だ。

 ボールが止まって見えるのでは?との質問に「やたらと動いて見えるよ」と冗談めかして答えたのは大リーグ・マリナーズのイチローだ。

1試合5安打を記録した日のことだった。

好調が続いていて、何か特別の状態にあるのではないかとの思いにさせられる。しかし彼は「特別ではない」と否定した。

 イチローが日本にいるとき、動体視力を試す実験を受けたことがある。電光掲示板に8ケタの数字を0・1秒間表示し、声を出して読む。

それを10回続ける。80個の数字のうちどれだけ読みとるか。

他の選手は30個程度だったが、イチローは40個で、抜群の能力を示した。


 サッカーの選手が優れているのは、距離感を瞬時に見てとる深視力だという。鋭いスルーパスには欠かせない。

時速300キロで走るレーサーは瞬間視力がよくなければできない。

スポーツによって、さまざまな視力が必要とされる。

 8月、高校野球から五輪へ、と熱い闘いが繰り広げられる。死力ならぬ視力をふりしぼっての闘いでもある。

観客にとっても、目を酷使する、熱い夏になりそうだ。




残念ながら高校野球はアテネオリンピックの熱気にかすんでしまった感じである。北海道の高校が優勝した。

雪国で冬には練習が困難な地域で良く頑張ったと思う。イチローの打率は動眼視力がだけでなくてやはり

開眼しているのだと思う。一つのことに達して秀でている人達は凡人とは違った所がある。




 夏の音というと



8月2日の天声人語より


 夏の音というと、まずセミの鳴き声を思い浮かべる。

騒々しい音とはいえ、夜になれば静まるし、秋風とともにやがて消えていく。

騒がしさのなかに移ろいのはかなさを秘めている。

 風鈴はどうだろうか。音で風を知り、涼しさを感じる。昔の人の知恵である。

こちらは、ときおり微風に揺れて、ちりんと澄んだ音を響かせる。それくらいが好ましい。

騒がしく鳴り続けては興ざめだろう。実際、近隣騒音として苦情の対象にもなるらしい。

〈風鈴の鳴らねば淋し鳴れば憂し〉(赤星水竹居)

 風鈴は、涼しさだけでなく、怖さにつながることもある。

静まりかえっているなかで不意に聞こえてくると、ぞくっとさせられる。

不吉な使者の到来を思わせるときがある。〈ま夜中の風鈴が鳴るおそろしさ〉(萩原麦草)

 セミの鳴き声は、アブラゼミの暑苦しいジージー、降り注ぐようなクマゼミのシャーシャーなどいろいろ形容されるが、

こんな表現もある。〈母逝き四十九の昼すぎぬ呪(じゆ)といひて幹をはなるるつくつく法師〉(岡井隆)。

四十九日の法要の午後、法師と名のつくセミが「呪」と鳴いて飛び去る象徴的な光景だ。

 長い地中生活を終えてわずか1、2週間、地上で鳴いて命絶える。

セミの一生への共感もあって、人々は自分の思いをさまざまに託す。


 〈蝉時雨(せみしぐれ)子は担送車に追ひつけず〉(石橋秀野)。

結核を病んだ彼女は壮絶な闘病生活の末、戦後まもなく38歳で亡くなった。

ベッドに横になって運ばれる自分と後に残す幼子、そしてセミしぐれとが哀(かな)しく響きあう絶唱だ。




「ジ-ジ-」とセミの鳴く音は夏には気にかけて聞かないと,普通のこととして聞き逃してしまう。

風鈴はみかけなくなった。その音をも聞く機会も少ない。昔の人たちは音で涼をとっていたのかと

人間の智慧に感心する。

冷房が普及しているから外に出たときだけ暑さを感ずる。でも今年の夏は本当に暑かった。





近代五輪の父クーベルタンは、
アテネで第1回大会が開かれた1896年に、
こう書いた




8月3日の天声人語より


 「戦争が起きるのは、二つの国が互いに相手を誤解するからである。

異なった民族同士を隔てている諸々(もろもろ)の偏見が根絶されるまでは、我々は平和を手にすることができないであろう」。

近代五輪の父クーベルタンは、アテネで第1回大会が開かれた1896年に、こう書いた(『オリンピックと近代』平凡社)。


 そして平和を手にするために「あらゆる国の若人を定期的に一カ所に集め

肉体の力と敏捷(びんしょう)さとを友好的に競わせることほど有効な手段が、ほかにあろうか」と続ける。

教育家らしい思いがにじむが、1935年には大会が「単なる見世物芝居、無意味なスペクタクル」になりかねないと憂慮していた

(『世界を映す鏡』平凡社)。

 それ以前に、こう語ったとも伝えられる。「もし輪廻(りんね)というものが実際に存在し、再びこの世に生まれてきたら、

わたしは自分が作ったものを全部こわしてしまうであろう」(『続・オリンピック外史』ベースボール・マガジン社)。

肥大する五輪が、金や薬や政治にまみれるのを見通していたのか。

 アテネでの2度目の五輪が10日後に迫った。

空を仰ぐ迎撃ミサイルは、五輪の新断面だ。

シドニー大会以後、世界は9・11テロと二つの戦争を体験した。

イラクでは戦闘が続く。古代オリンピックに倣って休戦しようにも、相手が定まらない。

 仮に今年の大会が米国での開催だったとしたら、参加をためらう国はないだろうか。


そもそもイラクへの先制攻撃は、あの通りに行われたか。

 大会の平穏を願いながら、現実とは少し違った歴史を思い描いた。




アテネオリンピックは無事に終わった。テロの対策は厳格だったの様子だが,

テロを起こす人たちが本当に「平和」を憎んでいるとは思えない。

テロをしている人々が平和の祭典であるオリンピックでテロを起こそうとする人たちなのかどうか。





暑いというより、熱い


8月4日の天声人語より


 体感としてはもう十分すぎるほど知っている。

それを数字で知らされると、暑いというより、熱い。6、7月の平均気温は、東、西日本とも観測史上最高となった。

この100年で東京の年平均気温は3度も上がった。都会では、健康の上からも、夏休みの重みが増している。

 今よりはしのぎやすかったはずの19世紀末、明治22年の夏休みのことである。

第一高等中学校の生徒だった数え23歳の夏目漱石は、8月7日から30日まで千葉・房総へ友と旅した。

直後に書き上げた紀行文が「木屑録(ぼくせつろく)」である。

 「余児時誦唐宋数千言喜作為文章……」。

すべて漢文で、中国文学者の吉川幸次郎さんは「おそらくは明治時代の漢文としてもっともすぐれたものの一つ」と評したという。

 『漱石の夏やすみ』(朔北社)で高島俊男さんの独特の訳を読む。

「我輩ガキの時分より、唐宋二朝の傑作名篇、よみならつたる数千言、文章つくるをもつとも好んだ」。

漱石青年の心意気が見えるようで面白い。

「これを木屑と命名せしは、お粗末無用のものたることを、ことさら表明するためである」

 100年前の今頃には、12歳の龍之介君が「暑中休暇中の日誌」を書いていた。

「八月三日 曇小雨/いやなまつくろな雲が二つ三つ北の方にあたまを出したと思ふともう空一面にひろがつて 

まるでうすゞみの様な色になつたので 楽しい水泳も出来ず 復習と読書とにふけりました」(『芥川龍之介未定稿集』岩波書店)

 これからが、夏休みの盛りだろうか。

それぞれの一夏(ひとなつ)が刻まれる季節でもある。



今年は暑かった。本当に暑かった。昔の夏とはちがつてきているのではないかと思えて仕方ない。




ニューヨークの自由の女神像は


8月5日の天声人語より


 地中に埋まってしまったこともあった。大津波をかぶったこともある。

いずれも映画や小説の中での出来事だが、異常な事態に襲われるニューヨークの自由の女神像は、

米国や地球の破滅の象徴のように描かれてきた。

 9・11同時多発テロという異常事態で中断していた女神像の内部観光が、約3年ぶりに再開された。

以前は入れた像の本体は閉鎖中で、行けるのは台座までというから、足元までの復活である。

 「米国ベットロー島に建設したる自由神が、燭を執りて世界を照らす銅像は、

世界第一の大像にて、建設当日の式はいと厳(おごそ)かに行われ(略)定めし奇観なるべし」。

米国の独立100年を記念し、仏国民から友好の印として贈られた女神像が除幕された1886年の「東京日日新聞」の記事だ

(『「自由の女神」物語』晶文社)。

 やがて像の近くのエリス島に移民の入国を審査する施設が置かれ、千数百万人が通過してゆく。

人々がふり仰ぐ女神像の台座には、19世紀の米国の詩人エマ・ラザラスの詩が刻まれた。

「もの言わぬ唇もて彼女は叫ぶ……我に委ねよ 汝の岸辺にうち棄てられ/倦み疲れ 貧しさに喘ぎ/

自由に焦がれて 群なす汝が民を」

 像に近づいてみると、左の足はまっすぐだが右足は違うと分かる。曲げて後ろにけろうとしている。

一歩を踏み出そうとする姿が、新天地を目前にした往時の人々の一歩と重なって見えた。

 9・11以降、米国は武力に訴える方向に大きく踏み出したかに見える。

それを見続ける女神は、もの言わぬ唇で何と叫んでいるのだろうか。




自由のため,民主主義のため,さらには平和のために戦争も辞さないブッシュが誇る強い強いアメリカに変ってしまった。

そんなアメリカをば世界の人々がどのように見ているかを考え,アメリカ国民が今秋のアメリカ大統領選挙で世界のための平和への投票行動を

起こしてほしいものです。「ABB」で「ブッシュ以外だったら誰でもよい」である。大半の世界の人々の声でもあると思う。

最近のアメリカの大学と或る新聞社の共同世論調査では世界のうち3国だけがブッシュに,他の国々はブッシュでない人をとの報道されている。

でもアメリカ内ではブッシュ候補とケリー候補は拮抗しているとの報道である。





原爆投下から3年後の広島で、
生き残ったことに負い目を抱き




8月6日の天声人語より


 「私は逃げたのです。瀕死(ひんし)の重傷を負った学友を救おうともせず、卑怯にも逃げてしまったのです……」。

映画監督の黒木和雄さんは、新刊の『私の戦争』(岩波ジュニア新書)で、45年に学徒動員先で空襲に遭った時のことを書いている。

 米軍機に爆撃され、一緒にいた10人は、ほとんど即死状態だった。

なぜ自分だけが生き残ったのか。


戦後もこの問いをひきずってきた黒木さんは、10年前に、井上ひさしさんの芝居「父と暮せば」を見た。

 原爆投下から3年後の広島で、生き残ったことに負い目を抱き、幸せになるのを拒もうとする娘がいる。

親友を失い、建物の下敷きになった父を見捨てて逃げたことを悔いるヒロイン美津江の姿が自分と重なった。

 映画「父と暮せば」は、「TOMORROW/明日」「美しい夏キリシマ」に続く黒木さんの「戦争レクイエム」の3作目だ。

東京、長崎と共に先行上映されている広島で、映画を見た。広島弁が、耳に新鮮だ。

周りに座っている人たちも、この言葉と共に暮らしてきたのか。

 ここ広島や長崎に限らず、生き残ったことを背負って生きてきた人は多いだろうと思った。

生き残ったというより、生き残された、生き残らされた、との思いもあるかもしれない。

 ややひょうきんな幽霊となって現れる父、竹造(原田芳雄)が美津江(宮沢りえ)に言う。

「わしの分まで生きてちょんだいよォー」。それは、「あの日」を伝えてゆくことかと思い至った娘がつぶやく。

「おとったん、ありがとありました」。監督自身のつぶやきとも聞こえた。


ブッシュは常に最近言っている言葉に「アメリカが日本を民主主義にしたようにイラクをもする」。本当にアメリカが日本を民主主義にしたとは

思わない。明治維新以後日本は日本人の手でもって民主主義が導入され,それと同時に開国時にペリーによる不平等条約に泣かされていた。

やっと大正デモクラシーといわれるような時代を迎えて民主主義が定着。不平等条約に泣かされた体験で富国強兵に走り軍部が独走

その軍部が倒れて自由になっただけである。今再び日本はアメリカとの不平等条約に泣かされている。日本国内にアメリカ基地が沢山ある。

何故にそんなに沢山必要なのか判らない。アメリカだけとの日米安全保障条約が冷戦の時代を過ぎても尚何故に必要なのか。

日本は全ての国々と平和条約を結べばそれでよいのではないかと思う。

何か戦前の世の中に変わってきたような気配がしてならない。ブッシュの正義の戦争のお手伝いのため自衛隊が侵略の手伝いをする。

アメリカが日本に民主主義を定着させたとの話にはどうしても納得がゆかない。いま本当に日本に民主主義があるのかどうかと問うと

金権主義に偽装された民主主義らしきものがあるのは,今のアメリカも同様である。





「決定的瞬間」という言葉



8月7日の天声人語より


 言葉が独り歩きし、ある人物を語るとき枕詞(まくらことば)のように使われるだけでなく、流行語になり、

やがては歴史に残る言葉になってしまう。

今週、95歳で亡くなった20世紀を代表する写真家アンリ・カルティエブレッソンをめぐる「決定的瞬間」という言葉もその一例だ。

 1952年、母国フランスとアメリカで同時発売された写真集の題名に由来する。

原題を離れて英訳が『決定的瞬間』とした瞬間、この言葉は勝手に飛翔(ひしょう)を始めた。

もちろん写真の衝撃力があればこそである。誤訳とはいわないが、意訳による思わぬ展開だった。

 歴史的事件の瞬間をとらえた写真集ではない。

フランスの詩人が「まったく奇蹟に類するあの傑作」と評した写真は、水浸しの広場で男がひょいと跳び上がる光景である。

やがてパリの雑踏に消えていったであろう無名の男も、自分の姿が歴史に刻み込まれるとは夢にも思わなかっただろう。

 カルティエブレッソン自身、目立たない風貌(ふうぼう)の人だった。一瞬にして周りに溶け込み、雑踏に紛れ込むことができた。

写真家木村伊兵衛は、忍者のようだ、と形容した。

被写体を見つけると、動きが速くなり、不意に姿を消したりする。

獲物を狙うハンターのようでもあったらしい。

 「最も些細(ささい)なことが大きな主題になりうる」。

そう考える彼は「日常」のなかに「非日常」をかぎつける人だった。

「瞬間」に「永遠」を見つける人といってもいいかもしれない。

 彼の写真を見ていると、ささやかな人生も、身近な街角も「決定的瞬間」に満ちていることを思い知らされる。




決定的瞬間は誰も目にする機会は多いが,その心がないと見逃してしまう。見ていても見えない。

決定的瞬間を決定的時代とするならば,今の時代がそうであるように思えて来てならない。





蚊帳


8月8日の天声人語より


 虫にしては、「文」というありがたい文字を名前にいただいて一見厚遇されているかのような蚊だが、

虫偏につく「文」は単に羽音のブーンを表すらしい。

古今、蚊の愛好家というのはあまり見あたらず、嫌われ者の代表のような虫である。

 眠くなって横になったが、蚊が顔のまわりを飛びまわる。「いとにくけれ」と清少納言も邪険に言い放った。

蚊遣(かや)りといって煙で撃退するか、蚊帳をつって侵入を防ぐか。古来の知恵である。

〈川風や灯火消えて蚊屋の月〉(幸田露伴)。蚊帳には独特の風情もあった。

 うっとうしいだけでなく、蚊はいろいろな病気のもとを運ぶことがわかってきた。

北米で流行している西ナイル熱もそうだが、犠牲者が最も多いのがハマダラカが媒介するマラリアである。

アフリカを中心に、世界で年間3億人を超える患者が出て、毎年100万人以上が死んでいる。

 日本ではあまり目にしなくなった蚊帳が予防に貢献している。

たとえば、今年創立25周年の「難民を助ける会」は、ザンビアのアンゴラ難民にこれまで1万張の蚊帳を配布した。

夜行性のハマダラカから身を守るのに役立てている。

 難民家族からはこんな声が寄せられた。

「生後3カ月から蚊帳を使い始めた2歳の子は2回しかマラリアにかかっていない。

生まれたときから蚊帳の下で寝ている下の子は一度もかかっていない」。

「助ける会」の日本人スタッフもこれまで2人がマラリアで亡くなった。

 〈血を分けし身とは思はず蚊の憎さ〉(丈草)。

虫偏に「去」と改称して退場を促そうか。



子どものころには夏は蚊帳の季節で,蚊帳の中でいつも寝ていた。今は蚊が少なくなったような気がする。

蚊帳を使うこはめったにない。又メダカを見る機会も少ない。蚊の幼虫ボウフラもメダカも同じような環境で住んでいた。

農薬のためかどうか見る機会が両者とも少なくなって来ている。




アテネ五輪が今週末に始まる。



8月10日の天声人語より


 アテネ五輪が今週末に始まる。今大会で、メダルの図柄が一新された。

古代ギリシャの詩人、ピンダロスの祝勝歌の一節が、裏面に刻まれている。

 「黄金の冠を戴く競技の母オリュンピアよ、/真実の女王よ!」。

紀元前460年の、少年レスリングでの勝者アルキメドンを讃(たた)えている

(『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会)。

 古代オリンピックでの優勝は、大きな名誉だったが、不正もあった。

紀元2世紀に、旅行家パウサニアスが著した『ギリシア記』(龍渓書舎)には、オリンピアのブロンズのゼウス像が、

規則を破った選手たちに科した罰金を基に作られたとある。

「財貨でなく足の速さと身体の強さを使ってこそ、オリュンピア祭競技の勝利を見つけることができる」。

こんな銘が刻まれた像もあった。

 パウサニアスは、ダモニコスという男の「暴挙」についても記す。

彼の息子と、ソサンドロスとが勝利の冠を賭けて格技を行うことになった。

彼は息子を勝たせようと、ソサンドロスの父に財貨を贈った。

罰金は、やはり神像になった。

 近代オリンピックでも、不正や疑惑は後を絶たない。

政治利用や薬物まみれ、商業主義。罰で神像を作るなら、どれほどの数になったことか。

「開催地買収」の工作が、続いているかのような報道もあった。


 ピンダロスは、こうも詠(うた)った。

「はかない定めの者たちよ! 人とは何か? 人とは何でないのか? 影の見る夢――それが人間なのだ」。

はかない限りある身が、企(たくら)みなしに見る夢の中にこそ、永遠が宿ることもある。



昔も現代も「名誉」と「金」には人間は弱く,人間の本質は永遠に変らない。戦争についても同様だ。

「はかない限りある身が、企(たくら)みなしに見る夢の中にこそ、永遠が宿ることもある」ものだ。




墓のある東京・谷中の全生庵(ぜんしょうあん)では
「円朝まつり」が催され



8月12日の天声人語より


 明治時代に、文章の言葉遣いを話し言葉に一致させる言文一致の運動が起きた。

中心に居た一人で「浮雲」などを著した二葉亭四迷が、「余が言文一致の由来」を記している。

 「何か一つ書いて見たいとは思つたが、元来の文章下手で皆目方角が分らぬ。

そこで、坪内先生の許(ところ)へ行つて、何(ど)うしたらよからうかと話して見ると、

君は円朝(ゑんてう)の落語(はなし)を知つてゐやう、

あの円朝(ゑんてう)の落語(はなし)通りに書いて見たら何(ど)うかといふ」。


仕上げた作を見た坪内逍遥は「忽(たちま)ち礑(はた)と膝を打つて、これでいゝ、この儘でいゝ

、生(なま)じツか直したりなんぞせぬ方がいゝ」(『明治文学全集』筑摩書房)。

 幕末から明治期に活躍した三遊亭円朝は「落語中興の祖」「近代落語の祖」と呼ばれる。

人情話に長じ、「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」など自作の怪談ものでも知られた。

「今日(こんにち)より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きに廃(すた)りまして、

余り寄席(せき)で致す者もございません」。「真景累ケ(しんけいかさねが)淵(ふち)」の枕だ。

 1900年、明治33年に他界したが、昨11日が命日だった。

墓のある東京・谷中の全生庵(ぜんしょうあん)では「円朝まつり」が催されており、8日には、法要などがあった。

落語家らの模擬店が境内に並び、浴衣姿の若い人たちや家族連れでにぎわっていた。

 円朝は幽霊の絵を集めていたという。幽霊画数十点が、本堂脇に展示されている。

生首を持つ幽霊などに混じって、足のある幽霊も居て、エアコンの冷気とともに、おかしみも漂っていた。

 眼を閉て聞き定めけり露の音(『三遊亭円朝』青蛙房)。これが辞世で、享年62だった。



幽霊とか怪談に子どもの頃心躍らした記憶がある。夏に幽霊がでて,余り冬にf出る話をば聞かない。

夏の夜,怪談話を涼みながら縁台で聞いた懐かしい思い出がある。




2千数百年前に建てられたパルテノン神殿の足元
古代のキュニコス(犬儒)派と呼ばれる哲人の一人

ディオゲネス



8月14日の天声人語より


 アテネ五輪の聖火は、開会式へ運ばれる前にアクロポリスの丘に1泊した。

オリンピアで太陽から採火され、五大陸を巡った炎が、2千数百年前に建てられたパルテノン神殿の足元にともる。

古代からの大きな時の輪が、そこで静かに閉じるかのように思われた。

 以前、この丘に登った時、野良犬を何匹か見た。

パルテノン神殿へ続く道の植え込みには、大型の、ライオンのような毛色の老犬が、口からあぶくを出して伏せていた。

場所柄か、老犬はディオゲネスを連想させた。

 古代のキュニコス(犬儒)派と呼ばれる哲人の一人だ。

学派名は、行状が、犬のごときもの(キュニコス)だったから、

あるいは、派の開祖が講義を始めたのがキュノサルゲス(白い犬)という体育場だったからなどとされている

(『ギリシアの詩と哲学』平凡社)

 いわば無一物無所有の生活を理想とし、酒だるに住んだというディオゲネスには逸話が多い。

ある時、アレクサンドロス大王が彼を訪ねた。

大王が「所望するものは」と尋ねると、ひなたぼっこしていた哲人は答えた。

「何もいらない! 日陰にならないようにしてくれ」。


「余がもしアレクサンドロスでなかったら、ディオゲネスであることを望んだであろう」と大王に言わせたという。

 アテネでは、五輪を前に野良犬が捕獲されたと聞く。

老犬ディオゲネスは、どうしているだろう。「何もいらない! この騒ぎだけは早く終わりにしてくれ」とほえているか。

 五輪に「逸話競技」があったなら、犬の哲人は、メダル確実かも知れない。



ギリシャのアテネでのオリンピックはまたとない機会にめぐり合わせた。2千数百年前に建てられたパルテノン神殿

当時日本には人間が住んで゛おらずに無人の島の時代のことである。縄文 弥生時代より遥かに昔のことである。

アメリカはコロンブスにより日本の戦国時代頃に発見されて,そのアメリカのいう国が今世界を支配している。




日本の敗戦の日である。


8月15日の天声人語より


 オリンピックの開会式の主役は、もちろん選手たちである。

その選手たちが「点火の時に鳥肌が立った」と述べた聖火の役回りも大きい。

しかし、アテネの開会式では、オリーブの存在が大きく見えた。

 無数の小枝となって人々にうち振られ、大会のシンボルとしてはためき、時には中空を漂った。

オリーブが象徴するものと、今の世界との間を考えさせるものがあり、式典に落ち着きを与えていた。

 オリーブは、ギリシャでは聖なる樹木であり、その小枝は平和の象徴だった。

それを踏まえて、辻邦生さんは『橄欖の小枝』(中央公論社)で、トーマス・マンがルーブル美術館で得た感想を引いている。

「やれやれ、人間というものは! 人間は罪を犯した。畜生のように振舞った。何世紀もずっとお互いに殺し合った。

――そしてその間に常にこうした芸術作品を作り出したのだ」

 精神の純粋結晶のように見えるミロのビーナスなどの傑作も、

実は、虐殺や征服や暴力などを呼び出す激情的本能を、同じ母胎にして生まれている――。

オリーブの小枝とは、芸術家の内面の闘争の激しさへの暗示であり、激情を浄化した高らかな歌でもあると辻さんは書いた。

 国境を越えて、アテネの開会式に集った選手たちの顔は輝いていた。

イラクの選手団も行進したが、本国では激しい戦闘が続く。

 今日は、日本の敗戦の日である。

征服や暴力の横行によって59年前のあの時へと至った道を、問い返す日だ。

地上に争乱をもたらす激情的本能を鎮めるオリーブの小枝の歌に、耳を澄ませたい。




世界の祭典が今行われ,国境を越えて、アテネの開会式に集った選手たちの顔は輝いて

イラクの選手団も行進したが、本国では激しい戦闘が続いている。

 今日は、又日本の敗戦の日で,天皇の詔勅があり,戦争に勝つと信じ込まされていた

国民は皆が泣いた日である。負けた相手国は米英で,今一番親密な国になっている。

靖国神社に祭られている御霊も鬼畜米英で散っていった兵士たちが多勢祭られている。

今の靖国神社に参拝に来る小泉首相をみて大和魂のカケラをも持たない情けない人間だと

御霊は嘆いているに違いないと思えてならない。国民は靖国に参ぱいするなとさけんているし,

御霊も来るなと叫んでも首相の耳には届かない。




沖縄の普天間飛行場に隣接する
沖縄国際大学の敷地内に、
米軍ヘリコプターが墜落、炎上




8月16日の天声人語


 大方の日本人にとって、あの8月15日の敗戦の報は突然のことだった。

だが沖縄では、2カ月近く前に地上戦に敗れ、既に米軍の支配下にあった。

戦後は米国が施政権を行使し、本土復帰後も、広大な米軍基地を抱えている


 沖縄の普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の敷地内に、米軍ヘリコプターが墜落、炎上したのは13日だった。

ヘリの部品は住宅密集地に飛び散った。

住民にけががなかったのは幸いだが、その後の事故の扱いには首をかしげざるを得ない。

 現地では、事故への懸念は以前からあった。

再発を防ぐためにも、緊急、厳密な検証が必要だ。

ところが、事故発生時刻からまる2日たっても、令状に基づく県警の現場検証は始まらなかった。

県警は、日米地位協定の関係法令に基づき米軍側に検証への同意を求めたが、明確な回答がなかったという。

 「ここはイラクではない。機体の管理権は向こうにあるとしても、現場の管理権は米側にはない」。

現地で、米軍が封鎖している区域のテープを越えるのを拒まれた荒井正吾・外務政務官が述べた。

 沖縄での米軍機の墜落事故は、復帰後、40件あるという。

政務官は、米軍事故現場の管理の一般的なルール作りについて、

近く日米間で協議を始める意向を示したが、あまりに遅すぎないか。

 普天間飛行場の近くの高台や、嘉手納基地脇の「安保の見える丘」に行くと、基地の広さに圧倒される。

そして、ここは世界の戦場とつながっているとの思いを新たにする。

基地と隣り合う人々は、その思いを、日々新たにさせられている。




ひどい事件が起きたものである。小泉首相は上京して来た沖縄県知事にも会おうともしていない。

大切な夏休み中で,会う閑がなかったのだと思う。情けない話しで,本当に全日本国民をば愚弄した話である。





現代技術の粋を集めた計測器が追っている。


8月17日の天声人語より


 光は真空中で1秒間に約30万キロの距離を進むことができる。

では299792458分の1秒の間に進む距離は? 1メートルである。

というより、いまは1メートルを光速によって、そう定義している。

 かつてはメートル原器というものがあった。

白金とイリジウムでつくられた原器はパリの国際度量衡局に保管され、19世紀末以来、距離の基準になってきた。

しかし「もの」だから、わずかにせよ伸縮する。

1960年に光の波長が基準になり、83年から光速に代わった。

 時間についても同じような正確さへの追求が続けられた。

基準にしてきた地球の自転、公転では狂いが生じることがわかり、67年から原子時計に代わった。

大雑把にいうと、1秒は「セシウム133原子が出す電磁波が91億9263万1770回振動する時間」である。

 実感から離れるばかりの基準だが、質量だけはまだ「もの」を頼りにしている。

9世紀末につくられた白金とイリジウムの合金製の国際キログラム原器である。

より精度の高い基準をめざして各国の研究者が競っているが、まだ決定版はできていない。

 時間、距離、重さの計測が肝要なスポーツの世界でも精度を増してきた。

時間計測では、長い間ストップウオッチが主役だった。

計れるのは10分の1秒程度までだったが、電子時計が登場した東京五輪ごろから計測は精密さを増した。

いまでは1万分の1秒まで可能だという。


 平泳ぎの北島康介選手は0秒17差で金メダルを手にした。

肉体の限界に挑む選手たちを、現代技術の粋を集めた計測器が追っている。


科学が進歩して時間の計測も1万分の1秒まで可能になってきているようだ。凄い時代である。




このサプリメント(栄養補助食品)の市場が
急成長している。




8月18日の天声人語より


 普通の食事以外のもので、栄養補給をする。このサプリメント(栄養補助食品)の市場が急成長している。

1兆円市場ともいわれ、サプリメント大国の米国に迫る勢いだ。

 奇妙な小説『サプリメント戦争』(三浦俊彦・講談社)に出てくる登場人物の一人は、

たとえばカップめんを食べたあと、こんな錠剤を飲む。

ビタミン剤各種、いちょう葉エキス、アガリクス、高麗人参(にんじん)、田七人参、大豆レシチン、エゾウコギ、

すっぽん生血、葉酸、ブルーベリーエキス、牛黄、霊芝、ウコン、ソバ若葉等々。

 それで体調はいいのか、と聞かれると「さあねえ」。

そして答える。「僕は健康マニアじゃなくてね、健康食品マニアなんで……」。

戯画化された世界だが、思い当たるふしがある人もいるだろう。

 独立行政法人の「国立健康・栄養研究所」が健康食品の有効性や安全性についての情報をホームページで公開した。

効能がはっきりしている食品もあれば、実証されていない食品もある。その現状を示した。

過度な依存への警告も込められる。

 スポーツ界を常に揺るがす「サプリメント」が筋肉増強剤だ。

新種の増強剤を米国のサプリメント会社が開発、スポーツ選手に提供したとして騒ぎになった。

疑惑の渦中にいた選手もアテネ五輪に出場する。「五輪はクリーンな場所ではない」。

先月には水泳のイアン・ソープ選手がそう発言、ライバルに増強剤などに頼っている選手がいることを告発して騒然となった。

 五輪を舞台にした「サプリメント戦争」には、そろそろ終戦が訪れてほしい。



健康食品を食べて身体を悪くした人を診たことがある。健康食品という「健康」の言葉だけでもって健康にはなれない。

自然の食品でも適正に取ればそれで充分だと思う。そして適度の運動も大切。





チェスの元世界チャンピオンである


8月19日の天声人語より



 10年ほど前、「ボビー・フィッシャーを探して」という題名の米国映画が公開された。

チェスに才能を見せる少年を描いた作品だ。

題名の人物は、実在するチェスの元世界チャンピオンである。

一時は米国の英雄ともてはやされたが、忽然(こつぜん)と姿を消し、もはや伝説の存在に近かった。

 先月、彼が成田空港で拘束されたという報は世界をめぐった。不法入国をしていた疑いである。

米国にとっても彼は「お尋ね者」だった。強制送還されるかどうか、世界のメディアが注視している。

 「私を逮捕してボビーと同じ部屋に入れてください。チェスの道具と一緒に」。


ブッシュ米大統領あてにそう懇請したのは、宿命のライバルともいえるボリス・スパスキーさんだ。

旧ソ連時代の世界チャンピオンである。

72年、世紀の対決と騒がれた対局でフィッシャーさんにタイトルを奪われた。

 2人は92年に旧ユーゴで再戦、この時もフィッシャーさんが勝った。

米国は経済制裁下の旧ユーゴでの対局を容認せず、フィッシャーさんを起訴、以来彼は「逃亡生活」をしていた。

その間、反米的発言で米政府を刺激したこともあった。

 「彼は悲劇的な性格の人だ。恐ろしく非社交的で、普通の基準には合わない。

いつも自分の損になることばかりしている」。


スパスキーさんは宿敵についてそう言いながら寛容な措置を乞(こ)うた。

 チェスの試合では引き分けが多い。チェス名人をめぐって今後、日米間の綱引きもあるだろう。

強制送還でなく、せめて引き分けに持ち込めないものか。チェスファンの願いだろう。


一流の人の生き方とその考え方はやはり凡人とは違っている。




2千数百年を経たギリシャの地から、
オリーブの冠の像が連日届いている。





8月20日の天声人語より


 古代ギリシャへ、ペルシャ王クセルクセスが遠征した時のことである。

食糧に事欠いて、ペルシャ陣営に脱走してきたアルカディア人たちが、王の前に引き出された。

 ギリシャ側の動向を聴かれて「いまオリュンピア祭を祝っているところで、体育や馬の競技を観覧している」。

競技の賞品は何かとの問いに、「オリーブの枝の冠が与えられる」

 すると、ペルシャ側のひとりが満座の中で言った。

「ああマルドニオス(ペルシャの指揮官)よ、そなたはわれらをよりにもよって、何たる人間と戦わせようとしてくれたことか。

金品ならぬ栄誉を賭けて競技を行なう人間とは」(ヘロドトス『歴史』岩波文庫)

 2千数百年を経たギリシャの地から、オリーブの冠の像が連日届いている。

冠の下には笑顔があり、涙がある。誇らしさも、頂点へあと一歩だった悔しさも、ついに手にした喜びも、

緑の冠にやわらかく縁取られ、生き生きとして輝いている。

 胸のメダルには、ギリシャ神話の勝利の女神・ニケの姿が浮かんでいる。「ニーケーの像を思い起こせば足りる。

この彫像は、恋人にむかってすすんでゆくうつくしい娘の動きをわれわれに伝えたというだけではない。

それは同時にギリシャの風(かぜ)、その拡がりとかがやかしさとの永遠の像なのだ」。

これは、ルーブル美術館にあるサモトラケのニケ像についての、詩人リルケの言葉である(『筑摩世界文学大系』)

 翼を広げたニケと、オリーブの冠。

それは、死力を尽くした一人一人を、国籍を超えて讃(たた)えているように見える。





日本のアテネオリンピックでの活躍でこんなにもメダルを取るとは予想していた人はすくなかったのではないか。

世界の大舞台で日頃の力を出すのは至難の事である。

期待されていた人でメダルが取れない人もいる。普通の努力だけではすまないものだと思う。




「オリンピックのテレビ」



8月21日の天声人語より


 「何か感想を書かねばならぬ約束で、原稿紙はひろげたものゝ、毎日、オリンピックのテレビばかり見てゐて、

何もしないのである」。こう書き始めたのは、小林秀雄である。

 「オリンピックのテレビ」は、40年前の東京五輪の直後に本紙PR版に載った。

こんなに熱心にテレビを見たのは初めてで、自分でも意外だったと述べ、その訳を考える。

「たかゞ小さな硝子板に映し出されたカメラによる模写である。だが、この抽象的な映像は生きてゐる。

その自立した抽象性が、私を、静かな感銘に誘ひ込む」

 懐かしい、80メートルハードルの依田郁子選手が出てくる。

「スタート・ラインで釘を打ってゐる。両手をつけて、鉢巻をしめた顔を上げる。サロメチールを塗る。

トンボ返りをやる」。その肉体の動きによって「私の眼に、何も彼も、さらけ出してゐる」。

その表情の簡明、正確、充実には、抗し難い魅力がある、と記した。

 依田選手を育てた「暁の超特急」の吉岡隆徳コーチは、大会前の手記に、こう書いた。

「オリンピックに出る選手なら、誰でも自分との闘いに心を傷つけているものだ。

オリンピックとはそんな人間と人間との勝負なのだ」


 これを受けて小林は、近代文学の世界は「自分との闘ひで心を傷つけて来た人間達」の告白で充満していると述べる。

ただし、文学の世界には、勝負がない、と。

 「たかゞ硝子板に映る模写」には、勝ち負けや肉体の動きだけでなく、それぞれの自分との闘いも表れる。

連日、スイッチを切りがたい訳は、その辺にもありそうだ。



日本の選手がとったメダルの数が気になる。これが愛国心なのか。こんな愛国心ならば許されるが,

アメリカでの「愛国法」はあまりにも身勝手すぎて

人々の自由と民主の心を弾圧しているのではないか。




アテネ・里帰り五輪は、その盛りを迎えた。


8月22日の天声人語より


 青い水面が小さく揺れている。さざ波も立っているようだ。

青天井の、アテネ五輪のプールである。映像を通してだが、さざ波は、エーゲ海を吹き渡る風の描く文様とも見える。

記録への影響はあるのかも知れないが、屋内には無い、野趣が感じられる。

 その五輪プールに突然、大きな風が吹き起こった。

自由形では、日本競泳女子史上で初めてになる金メダルを、22歳の柴田亜衣選手が獲得した。

 自由形があるということは、他の競泳の泳ぎの方には、不自由、つまりは制約があるのだろう。

どんな形で泳いでもよいという、一番開けっぴろげな種目で、世界の一番になったことに驚かされた。 

あわてず あせらず あきらめず」。

この、頭韻を踏んだような「呪文」を繰り返し念じながら泳いだという。

800メートルの距離を8分余で行くということは、1分で100メートルだから、歩行ならば、早足ぐらいか。

「呪文」は、そのぐらいのテンポと、よく合いそうだ。

 「誰にせよ、望み焦れていながらも、/もうあきらめかけていた そのものが、/自分のものとなるときは、/

心もしびれる それはよろこび。/されば私にとっても同じこと、/黄金にもまさる これはよろこび」

(『世界名詩集大成』平凡社)。

古代の愛の歌だが、ここでは、あきらめることなく、黄金にも勝る喜びを手にした亜衣さんを讃(たた)える一節としたい。

 開幕以来、熱戦が続いていた青天井のプールから、青空の下のスタジアムへ。

陸上競技が本格的に始まり、アテネ・里帰り五輪は、その盛りを迎えた。




オリンピックという世界の大舞台で優勝し,乃至はメダルを獲得するのはどれだけか嬉しいことだと思う。

そのための努力が認められたことで,でも努力していてもメダルを獲得できない人の方がずーと多いことかと

思う。でも世界の人々が競い合うことは世界のためにどれだけ良いことか。

戦争 テロでなどで競うい合うことのない日が早く来ることを祈る。

祈るだけでは駄目で日本は積極的に平和のための先頭にたってほしいものである。

「ブッシュの戦争」の尻馬になり戦争の手伝いする事だけは辞めて欲しい。

プッシュは常々自画自賛で民主主義のためにアメリカ人は先頭に立ち,

尊い若い自国の兵士達がそのために命を落としていると。

それ本当だろうか。?




きのうの決勝戦は、めざましい打撃戦だった。



8月23日の天声人語より


 戦後まもない48年のことだった。作曲家の古関裕而は満員列車に乗って東京から関西に向かった。

目的地は甲子園球場である。到着した彼は、人影のない球場のマウンドに立って曲想を練った。

 こうして生まれたのが、全国高校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」である。

体の中からリズムがわき起こり、一気に作曲したという。

前年には、彼が作曲したラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌が大ヒットしていた。

「鐘が鳴ります キンコンカン」。あの敗戦の虚脱感を吹き払うような明るさは、大会歌にも継がれた。

 雲はわき 光あふれて 天たかく……。


歌詞の力も大きい。全国から公募、5千以上の応募作の中から石川県の加賀道子さんの作品が選ばれていた。

夫の大介さんが、自分の作であることを告白するのは20年後のことだ。婚約者だった道子さんの名前で応募した、と。

 開会式で聞く大会歌からは、盛夏に高まる躍動感を感じとる。

閉会式では、夏の終わりを予感する。青春賛歌といっても、底抜けの明るさだけではない。

寂寥感(せきりょうかん)が忍び込む。

野球中のけがが原因で右足を失ったが、野球への熱い思いを抱き続けた大介さんの影かもしれない。

 きのうの決勝戦は、めざましい打撃戦だった。

優勝旗が初めて北海道へ、という新しい歴史も刻まれた。

しかし夏の終わりを告げる大会歌は、見ていたNHKテレビからは流れなかった。

画面は、甲子園球場からアテネ五輪に切り替わった。

 あゝ 栄冠は 君に輝く、と口ずさみながら、いつもとは違う夏を実感する。


テレビ観戦がアテネオリンピックの方に向いて,高校野球を見る機会がすくなくなっている。

早々に京都代表の京都外大付属高校が負けてからは興味が半減した。

よく接戦で延長戦までいって横浜高校と戦ったと思う。今年の高校野球は気の毒のようで

いつもとは違う夏を実感するのは誰も同じで来年の高校野球に期待したい。




マラソンは人生に似ている。



8月24日の天声人語より


 人生はマラソンに似ている。いや、マラソンは人生に似ている。

どちらもあてはまりそうだ。単調な競走のようで、起伏に富んだ物語が秘められている。

ときに劇的な事態にも遭遇する。

 〈かつて2人の人間がまったく同じ人生の旅をしたことはないし、これからもないだろう〉(A・キース)。

この言葉に、高橋尚子と野口みずきの2人を思う。アテネ五輪の女子マラソンにも「影の主役」として高橋が見え隠れした。

もし彼女が出場していたらどうなるか。

そんな思いを抱きながらレースを見守った人も少なくないだろう。

 過酷な条件もレース展開もシドニー五輪と似ていた。途中から独走態勢に入ったが、徐々に差を詰められる。

10秒ほどの差で高橋も野口も逃げ切った。

野口は高橋とはまた違った強靭(きょうじん)さを見せつけ、「影の主役」の呪縛を消し去った。

 〈人生が車の運転と同様に、慎重一点張りで成功するなどと思われてたまるものか〉(三島由紀夫)。

25キロすぎからの野口のスパートは賭けだった。

失速するのではないか、と見る方もはらはらした。結局、勝利をもたらす賭けだった。

 〈人生は……各人がそこへ一文字一文字書いてゆく、白紙の本だ〉(大杉栄)。

あらかじめできあがった一冊の本ではない。

優勝候補の筆頭で、本人も優勝を意識していたであろうラドクリフの途中棄権の光景は、

レースの予測不能をまざまざと教えた。

 マラソンは人生に似ている。

見ている者は改めてそう思う。

選手にとってマラソンは、人生そのものかもしれない、との思いが行き来しつつ。




人生はマラソンに似ている。いや、マラソンは人生に似ている

どちらにしても長い人生起伏ありマラソンににている。勝敗はない。健康に気をつけて途中で脱落しない事である。

トレーニングもない生まれた途端からマラソンが始まっている。つねに努力と根性で続けるのもマラソンと同じである。




対馬丸は1944年8月22日夜、
米潜水艦の攻撃で沈没した。



8月25日の天声人語より


 冬になれば雪を見ることができる。本物の汽車や電車も見られるだろう。

沖縄から本土に向かう大勢の子どもたちは修学旅行気分でうきうきしていた。

彼らを乗せた対馬丸は1944年8月22日夜、米潜水艦の攻撃で沈没した。

学童775人を含む1400人以上が犠牲になった。

 予想される戦火を避けて、安全な場所に移そうとした学童疎開船の悲劇だった。

学童のほか家族で疎開する人たちも多数いた。

あれから60年、那覇市に今週、対馬丸記念館が開館した。

改めて生存者の証言も集められた。

 乗船した21日には、豪華でおいしそうな弁当を食べたそうだ。

「多くの学童達の最後のお母さんの弁当になったかと思うと本当に泣けてきます」というのは、

当時小学4年の上原清さんだ。


彼はいかだで6日間漂流した。

幻覚に襲われたり、サメに襲われたりしながら、奄美大島に漂着した。

 生存者だけでなく奄美大島には多くの遺体が漂着した。

ある村では約90体を数えた。

しかし、軍と警察は厳しい箝口令(かんこうれい)で、口外を許さなかった。

沖縄に帰った上原さんも、家族らの質問に答えることができなかった。

 97年12月、鹿児島県の悪石(あくせき)島付近の海底で対馬丸が見つかった。

遺族から引き揚げや遺骨収集を願う声もあったが、水深870メートルの深海で技術的に難しいとされた。

その代わりに、と記念館の建設が進められた。

 記念館には遺影や遺品、証言などが集められた。

はしゃいでいた子どもたちが真っ暗な海に投げ出され、

もがきながら死んでいった悲劇の理不尽さを問いかけている。



戦争は非状である。米国は対馬丸を攻撃しないと約束していて攻撃し撃沈している。

幼い頃に読んだ雑誌の記憶では病院船にアメリカが攻撃して鬼畜米英だとの記事を読んだ記憶がある。

戦後を境にアメリカは素晴らしい国だとの教育を受けて育ったきた。

どちらが正しいのか。?両方とも正しいと思う。今のアメリカを見ているとそれがハッキリと判ってくる。

 



ムンクの「叫び」がまた盗難に遭った


8月26日の天声人語より


 ムンクの「叫び」がまた盗難に遭った。大胆な手口だった。

武装した2人組が、大勢の鑑賞者の目の前で壁から絵を外し、持ち去ったという。

ノルウェー・オスロのムンク美術館でのことだ。

94年にはオスロの国立美術館から別の「叫び」が盗まれている。

 盗難品を集めた美術館を思い描いてみる。

見事なコレクションである。

10年前の「叫び」は回収されたが、別の「叫び」が戻ってきた。

世界に30点余りしか残っていないフェルメールの絵もある。

ボストンの美術館から盗まれた「合奏」である。

レンブラントやピカソも充実している。

 豪華でいかがわしい空想美術館だが、そのカタログは存在する。

世界中の盗難美術品や文化財を紹介するCD−ROMである。

国際刑事警察機構(ICPO)がつくったもので、約2万点を収めている。

盗難品の発見に力を発揮する。

 盗まれた美術品は、裏社会で転売を重ねて表に出てくることが多い。

フランスではブランシール(洗濯)という。転売の過程で、盗難品であることをわからなくするためだ。

マフィアなどの組織的ルートが絡むこともあるようだ。

 不幸な運命をたどらされた名画もある。

3年前、フランスで逮捕された男は盗んできた絵を自宅に飾り、美術館と称していた。

逮捕後、母親が絵を切り刻んで捨ててしまったという。

ブリューゲルなどの名作が失われた。

 ムンクの「叫び」は最もよく知られる絵の一つだ。

「洗濯」は難しいだろう。

闇に置いても声が聞こえてきそうな不気味な傑作を、犯人ももてあますのではないか。



ムンクのような有名な絵画を盗んでどうするのだろう。余りにも深刻な絵を身の回りに展覧していても

楽しくない。だからと言っても誰もに知れ渡り売る事ができない。

世の中にはいろんな人がいるものだ。




この夏を彩ってきたアテネ五輪が終盤を迎えた。




8月27日の天声人語より


 祭りの終わりは、祭りの終わりの日に来るのではない。

この夏を彩ってきたアテネ五輪が終盤を迎えた。

本番はこれからの選手も少なくないが、伝えられてくる画面からは終わりの気配が感じられる。

 例えば、テレビスタジオに置かれた廃虚らしい舞台装置だ。

パルテノン神殿を模したようなものもある。

これらの「新品の廃虚」にも、取り壊しが近いという終わりの予感が漂う。

五輪という祭りをも含めた一時のものと、本物の廃虚が持つ永遠性との対比の強まりが、切なさを呼び起こす。

 「希臘(ギリシヤ)は私の眷恋(けんれん)の地である」と書いたのは三島由紀夫だった。

眷恋とは、恋いこがれることである。「私は自分の筆が躍るに任せよう。

私は今日つひにアクロポリスを見た! パルテノンを見た! ゼウスの宮居を見た!」と、

約半世紀前に興奮気味に記した(『アポロの杯』朝日新聞社)。

 多くの廃虚には、欠けたところがある。

その失われた部分を想像する喜びは、空想の詩というよりは悟性の陶酔であり、

普遍的なものの形骸(けいがい)を見る感動だという。


 現代という時代が残す廃虚を思い浮かべる。

例えば、大都市にそびえる人工の峰々は、パルテノンを前にした時のような陶酔や感動を、未来の人々に引き起こすのか。

『われらは美しき廃墟をもちうるだろうか』(TBSブリタニカ)に、栗田勇さんが書いていた。

廃虚には「その文明の始まりと花の盛りとそして終末の沈黙のすべてがある」

 古代の廃虚の輝く街に忍び寄る終幕の気配に誘われて、現代文明の盛りの時と、行く末とを思った。




廃墟も人間の歴史の一部で,今に続いている。人間そのものは進化しない。同じことの繰り返しである。

一番原始的な戦争は今も続き 平和の祭典オリンピックも続いている。

人間はもっと時代と共に昇華して二面性からの脱却が必要である。





五輪の語録は、言葉の万華鏡でもある。



8月28日の天声人語より


 最近の言葉から。「宇宙から見れば、地球は小さな星ですわ。

原爆でいじめたらあかん」。

漫才師の喜味こいしさんが、大勢の前では初めて、広島での被爆の体験を語った。

 同じ27年生まれのシャンソン歌手ジュリエット・グレコさんが、18回目の日本公演に臨む。

「最も美しい惑星が死であふれ、破壊されかけている。

それも、私が歌うのをやめない理由です。叫び続け、闘い続けなければならない」

 ナチス・ドイツに対するワルシャワ蜂起から60年。

記念式典に、シュレーダー氏が独首相として初めて出席した。

「ポーランド人が誇りに思い、またドイツの恥を示すこの場所から、和解と平和を希望したい」

 「弱者だと? イラクでサッカーは長い伝統を持ち、常に大切なスポーツだったのだ」。

イラクのアドナン・ハメド監督が、アテネ五輪で決勝トーナメント進出を決めた後の会見で。


米記者から「世界中の人々が弱者イラクを応援しているという認識はあるか」と聞かれた。

 いつもながら、五輪の語録は、言葉の万華鏡でもある。

「みずきぃ、よう頑張ったな。みずきぃ、もう終わったからな、ゆっくり休めるぞ」

(女子マラソンで金メダルを獲得した野口みずき選手のコーチ藤田信之さん)。

「日本の働いている中年の皆さんが、おれもやるぞって思ってもらえたら」(アーチェリーで銀メダルの山本博選手、41歳)

 投げられた瞬間は「真っ白です」と、五輪、世界選手権を通じて初めての敗北を喫した井上康生選手。

「これから先の柔道人生はあるし、人生も続く」



弱者とはなんぞや。強者とはなんぞや。弱肉強食は動物の世界のできごとのことで,人間は智慧があるから

それをなんとか克服しようとしている。それが人間らしさであって,

米記者から「世界中の人々が弱者イラクを応援しているという認識はあるか」と聞かれた。

本当にイラクは弱者なのか?武力の近代化にはアメリカは確かに優れたものを持っていると思うが,

人間らしさにおいては全ては対等である。米記者の人間性そのものにに疑問を感ずる。






「世界のへそ」ギリシャが、よみがえった。



8月29日の天声人語より


 ミケランジェロが、ローマ・バチカンのシスティーナ礼拝堂に壮大な天井画を描いたのは約500年前である。

先年修復されて色鮮やかによみがえった。

修復作業が終わったばかりの「デルフォイの巫女(みこ)」の部分を、

堂内に組んだやぐらの上から間近に見たことがある。

 肌の色もみずみずしい巫女が目を見開き、かすかに口を開けて神託を発しようとしている。

栗色の巻き毛が肩の後ろで豊かにうねる。

創世記の物語や最後の審判を描いた荘重な絵画の群れの中で、最も華やかで、若々しい香気漂う一角だ。

 デルフォイはギリシャ中部のパルナッソスの山麓(さんろく)にあり、アポロン神の預言の地として知られた。

古代オリンピックに似た「ピュティア祭」が開かれ、神殿や競技場の遺跡が今も残る。

 デルフォイの博物館に入ると目につくのは、オンファロス(へそ)と呼ばれる石だ。

大きな釣り鐘のような形をしている。

古代ギリシャ人は、デルフォイを「世界のへそ」と考えていたという。

その昔ゼウスが、世界の中心をみつけようとして世界の両端からワシを1羽ずつ放った。

2羽はデルフォイで出合ったそうだ。

 意味のわからない言葉や、それを言う人のことを「ちんぷんかんぷん」という。

珍紛漢紛などとも書く。英語では「It’s Greek to me」などともいう。


デルフォイの巫女たちが媒介した神のお告げも、謎めいていて分かりにくかったのではないか。

 この半月は、預言と光明の神・アポロンへの熱いまなざしが世界から集中して、

「世界のへそ」ギリシャが、よみがえった。



昔の方がよかったと思うことが再々ある。科学が進歩するだけ人間が幸せになるかと考えると決して

そうではない。古代オリンピックが盛んな時代こそ現代と違っての幸せな時代だと考えるのが普通である。

そしてオリンピックが開かれている間は戦争があっても停戦したとの逸話がある。

現代はオリンピックそのものが国の対立の道具に使われている。

人間の一生はには限りがあり,立派な人物に統治されている間は幸せだが,馬鹿に統治されると

不幸な時代にになる。 ブッシュのアメリカに支配された現代が幸福かどうか考えてみよう。



「豊島みみずく資料館」だ。



8月30日の天声人語より


 東京の池袋駅からほど近い豊島区立南池袋小には、ちょっと変わった一角がある。

「豊島みみずく資料館」だ。

長年収集してきたフクロウにちなむ品々を、

飯野徹雄・東大名誉教授が、フクロウにゆかりの郷土玩具のある豊島区に寄贈、今春開館した。

 フクロウの生態や、世界のフクロウのイメージ、工芸品、玩具などが展示されている。

その中に、アテネの守護神で、学芸や知恵などをつかさどる女神アテナに付き従うのがフクロウとの説明がある。

 ギリシャとフクロウとのなじみは古く、アリストファネスの喜劇「鳥」にも繰り返し登場する。

「アテナイにフクロウ」とは、何かをその本場に持ち込むことから「シャカに説法」のような意味になるという。

 飯野さんの『フクロウの文化誌』(中公新書)によれば、ローマの時代になると、

商工業の守り神だった女神ミネルバがアテナと同格とみなされ、学芸の神の役割を引き継いだ。

そして、ヘーゲルの言葉が生まれる。

 「ミネルバのフクロウは黄昏(たそがれ)が来ると飛びはじめる」。

種々の学芸の中で、総合的で最終的な学問として最後に到達するものである哲学を、

学芸の象徴としてのミネルバのフクロウにたとえたという。


 ゼウスの頭から武装した姿で生まれたとされるアテナは、戦いの神でもある。

そのアテナを祭るパルテノン神殿の下で開かれた五輪が、終局を迎えた。

数多くの感動を世界にもたらしたが、丘の上の白い廃虚は知恵と戦いのはざまで苦悩する世界の象徴とも見えた。

ミネルバのフクロウは、今どこにいるのだろうか。


フクロウを見かけることも少なくなり,昔物語になるのだろうか。



開会式は、オリンピックの顔であり、閉会式は背中である



8月31日の天声人語より


 開会式は、オリンピックの顔であり、閉会式は背中である。

聖火が消え、闇に包まれてゆくアテネ五輪の背中を見ながら、

この半世紀に見聞きしてきた五輪の記憶をさかのぼった。

 最古は56年のメルボルン大会だ。

日本の晩秋に、季節が逆の半球から届くラジオを聞いた。

ローマに次ぐ東京の顔は日本晴れのもとにあり、

背中では、各国選手が混じり合って一つになったように見えた。

メキシコがあり、血塗られたミュンヘンがあった。

田中元首相逮捕でかすんだモントリオールがあり、ボイコットのモスクワ、ロサンゼルスと続く。

 ソウルの顔は、ソウルで見た。

歓喜に揺れるスタジアムからそう遠くもない「北の国」は静まりかえっていた。

間もなくベルリンの壁は崩れたが朝鮮半島の壁はまだ厚い。

岩崎恭子さんの「いままで生きてきた中で……」のバルセロナがあり、

近代五輪1世紀のアトランタと20世紀最後のシドニーがあった。

 ロスの頃からか、五輪の顔も背中も、大がかりな機械仕掛けのごてごてしたものになった。

主役は人なのだから、人工的な光を多用してテレビ映りを優先するのではなく、

生身の人間の姿を追ってもらいたい。


 昨日の中継では、芝居がかった演出もあったが、

マラソンで妨害されても「気にしていない」と銅メダルを受けたデリマ選手の姿が光っていた。

アテネでは顔、背中ともに、機械仕掛けから人間への回帰の方へ一歩踏み出したように見えた。

 もう一歩進めるなら、開会式は昼間に戻す。

08年8月8日には、大陸の陽光に輝く北京五輪の顔を見たい。



アジアで日本が平和を意識するならば,現在の中国を無視しては本当のアジアの平和はない。

経済力 人口をみるならば中国がアメリカに変る時代が来ると思える。

次回のオリンピックはお隣の中国の北京である。

平和へのさらなるステップになって欲しいものである。そのときには日本では中国と仲の悪い小泉首相の時代でない筈だ。





情報社会


情報は巷にあふれている。新聞 ラジオ 雑誌 本 テレビ インターネットなどなどいろんな所で情報を

得られることのできる社会になっている。

昔を振り返ると向こう三軒両隣の噂  瓦版 ,高札とかの情報手段しかなかった。

世界のことに心を悩ますことなく,太陽が出れば農作業にでて太陽が沈めば家に帰りゆっくり休み

毎日を太陽の動きと連動して生活し,晴耕雨読で雨の日は家で好きな本でも読んでいればよかった社会に

いた時代とどちらが幸せかはわからない。

でも情報社会に身を置いていても昔と同じような生活ができるはずである。

しかし誘惑?に負けて,インタ-ネットに目を光らせ テレビを見,毎日の新聞記事を読まないと落ち着かない,気持が悪いといった

情報中毒になってしまっている自分を知る。

さらにはそれが嵩じて,得た情報に対して憤慨し,自分の意思をも伝えたくホームページを作るまでになるに至っている。

静かな生活していた社会と,今の社会とどちらが幸せで良いのか,良かったのか。?

でも中毒に陥った自分にはそれだけでは満足ができずに映画「華氏911」を映画館まで見に行こうとしている。

小泉首相は映画「華氏911」は見たくないとしている。政治家として,一国の総理大臣が執務するのにかたよった情報だけで

本当の良い政治ができるかどうかは大変疑問に思います。

製作者マイケルム-ア監督はアメリカ大統領選挙までにアメリカのテレビで全国に放送されることを願っている。

共和党大会のテレビを見ていると共和党の代議員の支持者はアト四年と叫んでいると,ム-ア監督はにっこり笑いながら二本の指を立て

アト二ヶ月を示していた。アメリカの良識が試される選挙でもある。われわれアメリカ国民でないものはただ注目するだけのことである。



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