ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


随想 

平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 

平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成12年1月  2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 

平成13年1月 2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分10月分11月分 12月分 

平成14年1月分  
2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分  6月分  7月分  8月分 9月分 10月分 11月分

 


10月になって


気候のよい月は早く過ぎ去るものである。でも珍しく一週間おきくらいに台風が日本列島を

襲ってきた。それに加え,新潟の中越地方に大地震が起きている。

それも余震が続き10月の終わりになっても,尚余震はまだ続いている。台風と地震でもって,弱り目にたたり目である。

さらに追い打ちをかけるように,11月2日のアメリカ大統領選挙ではブッシュが再選された。

これからも災害よりもひどい四年間が続くのではないかと考えると,暗たんたる気持になる。

ブッシュのやることは人間のやることであるから,或いはなんとかしてでも,まだまだ止められる可能性があるが,

台風とか地震となると自然に発生するもので人為的に止める事は不可能である。

しかし自然に次第におさまりつつある。だがあの人はどうだろうか大変心配である。

あの人による被害は全くの人災であり,「正義の戦い」が頻発すれば自然災害に比べ比較にならないくらいに大きい。

でも今回の大統領選挙で判ったことは日本の選挙の方がすすんでいるのではないかということである。

まずブッシュの選挙母体がキリスト原理主義に根ざした保守層の地域が多く,

キリスト宣教師に示唆され盲目的に投票行動をとったとされる地方の農民層の方々が大半のようだ。

アメリカの二大新聞ニュ―ヨーク・タイムス紙並びにワシントン・ポスト紙は民主党ケリー氏を支持していた。

ビザを持っているアメリカ国民は14% 日本では26%と報道されている。

世界の情勢を見ずして,ただ周りの歪んだ社会現象だけをみて素朴な気持でブッシュに投票した人たちが多いことを示唆する。

何時間もかけ長い行列し,投票するアメリカ国民の姿をテレビで見ていると,

日本人の私でさえこれは何とかならないものかと思えてくる。

日本では滅多に見られない選挙風景である。

民主主義先進国を自認している国にしてはあまりにもお粗末し過ぎる。本当に民主主義の進んだ国なのだろうか。?

長い行列するのを嫌って投票するのを止める人も出てくるだろうと思う。だが素朴な人達は忍耐が強い。

それに新しくコンピュ-ターで機械化されている投票所も出てきた。

その機械メーカーがブッシュ支持だとなると何か良からぬ操作する可能性が皆無とはいえない。

投票機では証拠が残らず,再集計するような事ができない。

余りにも出口調査と違い過ぎるのは,あるいはと疑いたくなって仕方がない。

日本では自民党支持者は農村,そして都会票は非自民党というのは今までの相場だった。

だが今ではそれも日本では言えなくなってきている。

アメリカでは厳然として,西部と東部の都会票は民主党支持者が多いが,テキサスをはじめその中間地帯とか南部は

共和党のブッシュに投票する人たちが多く,国民は二極化している。

これからの四年間は,悪夢の時代のはじまりのような気がしてならない。

ネオコンの勢力が増し,先制攻撃が「正義のため」に始まるならば,世界は地獄の巷になる。

もう今となると世界中の国民はそのようにならないように,ただ,ただ神に祈るしかなくなってしまった。

これを書くのも気が重い。書く気があまりしてこない。絶望の時代の始まりである。

歴史にブッシュによるアメリカの暗黒の四年間と評価するだろうか。

イラクではファルージャで掃討作戦でテロを撲滅しようとている事が,

大量のテロを他の都市で増産し,拡散しているのではないかと思える。

力ではテロは撲滅できない。

そのテロを起こす土壌にしつかり見すえ,その土壌を改善することにブッシュは早くきずいてほしいものである。

それは国民の貧困があり,毎日の生活の改善にある。戦いではそれは改善されないどころか益々悪くしている。

対テロ戦争は益々テロを増やしつづけているのが実態である。

童話にあるようにマントを着た旅人にマントを脱がすには強い北風でなく暖かい太陽を照らすのが一番である。

○○なブッシュにはそれにいつ気ずいてくれるのだろうか。

もし気ずかなければアメリカに追随するだけでなく,忠告できる首相をば日本は持たねばならない。

でも日本にも当分選挙がないので,今の小泉首相を見ているとイラクへの自衛隊の派兵をば

国民の意志に反してでも延長しようとしている。米国追随の姿勢が明らかになろうとしている。

国会全体が国民全員が徹底的反対してほしいものである。イラクで死ぬのは自衛隊員も米兵もこれでは全くの犬死である。

名誉の戦死と思っているのはただブッシュと小泉首相だけぐらいであろう。前途ある若者を多く死なせたくはない。

アメリカでは国際強調派ともいわれているパウエル国務長官が予定どうり辞任し,その国務長官にライス補佐官がなるとかである。

強硬派が台頭し穏健派は退き,益々アメリカ 日本とも強硬派が力をつけて右傾化が進むだろう。

「戦後二度と過ちを犯すまい」とした日本の世論も変り,反戦を唱えるだけで非国民とされる時代が再来しそうである。

益々世界は不安と動乱の時代へと突入し,それが現実化しつつある。





「今の政府は信用を失うかもしれないが、
コスタリカの人々は世界の信用を取り戻すことになる」




10月1日の天声人語より


 最近の言葉から。「たくさんのファンの方がプロ野球のため、声を上げてくれた。

近い将来、その成果が出て、愛されるプロ野球になることを祈りたい」。

もし「場外MVP」があるなら、古田敦也・選手会長で決まりだろう。

長い労使交渉の後の、かけつけ代打のヒットも光る。

 アテネ・パラリンピックの車いす男子800メートルで銅メダルの広道純選手は、

15歳の時のバイク事故で下半身不随となった。「一度死にかけた。たっぷり喜んで生きなくては命に失礼や」

 9・11同時多発テロから3年たつ。

「せがれに私がいたように、亡くなった人の後ろには家族や恋人がいる。

それを想像する作業を人間はやらなければならない」。

世界貿易センタービル内の銀行勤めだった息子、匠也(たくや)さんを失った中村佑(たすく)さん。

 イラク戦争で米国支持を表明した中米コスタリカ政府に対し、最高裁が違憲だとして支持の取り消しを命じた。

提訴した大学生は「今の政府は信用を失うかもしれないが、コスタリカの人々は世界の信用を取り戻すことになる」

 「チェス界のモーツァルトのような存在で、残した棋譜は100年後も色あせることなく存在する」。

不法入国の疑いで拘束された元世界王者ボビー・フィッシャーさんを救おうと、

将棋棋士の羽生善治さんが小泉首相に送った嘆願のメールから。

 ケニアのキマニ・ンガンガ・マルゲさんは84歳。

ギネスも認定した世界最高齢入学の小学1年生だ。

「家族のような子どもたちと勉強できて、とても幸せだ」。

大学を卒業し獣医師になるのが夢という。




世界には同じ考えかたを持った同じ人間として大勢な人たちが住んでいる。

その人たち皆が同様に幸せに暮せてる態勢にはなつていない。

一部の人たちが一部の人の犠牲のもとで暮しているのが現実である。

ブッシュとか,小泉首相の政策はそれをさらに拡大するのを意図しているようにおもえてならない。





一国の有権者の判断が、世界に大きく響く。


10月2日の天声人語より


 「一貫のブッシュ」対「判断のケリー」の闘いか。

米大統領選のテレビ討論を見て、両者が、そう自称しているように思われた。

 大統領は、ケリー候補の「一貫性のなさ」を繰り返した。

イラクへの武力行使に賛成しておきながら、後になって「間違った戦争」と批判するのは一貫性がない、と。

揺るがない一貫性は自分の方にあると言いたいらしい。

 ケリー候補は、大統領の「判断力」を問題にしながら「歴史」を引き合いに出した。

9・11の同時多発テロをもってイラクを攻撃するのは「真珠湾攻撃を受けて、

ルーズベルト大統領がメキシコに侵攻するようなものだ」。

キューバ危機で、ドゴール仏大統領は、ケネディ大統領が届けさせたミサイル配備の写真を見もせずに述べた。

「米大統領がそう言っているなら十分だ」。

名だたる大統領を持ち出して、隣に立っている現職と比較させる狙いと見えた。

 現大統領は、相手の「一貫性のなさ」を強調するあまり、相手方が言う「間違った戦争」を、大きく何度も繰り返した。

「間違った」という言葉が大統領自身に降りかかってくるようで、逆効果と思われた。

初回の討論は、戦争という凄惨(せいさん)な現実に直接の責任を持たない方に分があったようだ。

 身長は、ケリー候補が10センチ以上高い。

並べば、はっきりと分かるが、両者を個々に映して横に並べた画面では、頭の高さは同じに調整されていた。

 視聴者は、「ブッシュの一貫性」と「ケリーの判断力」については、どう点を付けたのか。

一国の有権者の判断が、世界に大きく響く。


世界のことと,国内の同性婚などの道徳的なアメリカ国内の道徳退廃が同一視されて,それが為に

ブッシュが当選した。キリスト教原理主義の人たち,それにカソリック系の人たちなど道徳に厳しい人たちの

票によって当選した人が,これから世界の人たちとどのように仲良くやってゆくのかが最大の課題である。

アメリカ国内で起こっている退廃的風潮が世界の常識にならないことを願う。

ブッシュが国内問題がもとで大統領に当選した現実は現実として認めるしかない。

討論でいかに勝っても選挙には負ける風土は民主主義を公称している国の特徴か。

下にはドロドロしたものが見え隠れする。






炭の世界では


10月3日の天声人語より


 日本の各地で産出されてきた木炭が並べられた棚の中から、係の人が、小さな箱を取り出してきた。

「日本最古ノ木炭」と書かれている。上ぶたのガラス越しに、細長くて透明な容器が見える。

その中には、縦横が1センチほどの黒いかたまりがあった。

 箱を展示している東京・銀座の「全国燃料会館」の言い伝えでは、石器や骨器などとともに、

西日本の洞窟(どうくつ)で見つかったものだという。

年代は不明だが、この小指の先ほどの墨色のかけらから、人と火と炭との長い付き合いが、しのばれた。

 炭は、一時は身の回りから姿を消しかけたが、近年は高級な燃料などとして重用されている。

かば焼きや焼き鳥などに使う炭の多くを頼ってきた中国が、輸出の停止を打ち出した。

森林開発を制限するためという。仕方のないもので、手に入りにくくなると聞くと、見直したくなる。

 俳人の中村汀女さんに、炭についての随筆があった。

火鉢をかたわらに置くと、火の表情が、しきりに気にかかるという。

「私は軽い小火鉢が好きだ。

細る炭火の柔らかさ、人を案じ、たとえ涙ぐむことがあっても、炭火はそれも受けとめている。

/小火鉢を寄せぬ心を寄す如く」

 漆黒の炭が、赤く燃え上がり、やがて白い灰となってくずれる。

ガスや石油を使った時には見られないような、火と時間との織りなす物語を、炭の世界では見ることができる。

そして、火のかたわらにいる人たちに、遠い時や、遠くの自然というものを感じさせる不思議な力がある。

 炭の香に待つことしばしありにけり(日野草城)




炭は昔は生活必需品だったが,電気 ガス 石油などによって冷暖房が行き届き,調理にも使われるように

なってからは炭は一部で使われる貴重品と化してきた。それ故にさらに作られなくなって,少なくなり消滅しつつある。

「炭」は文字だけで伝わる物と化すのも,そう遠くないような気がしてならない。





東海道新幹線が今月、開業40周年を迎えた


10月4日の天声人語より


 最近では、日本の人口を超える客を年ごとに運びながら、東海道新幹線が今月、開業40周年を迎えた。

地球から太陽までを5往復したことになるという。

 1列車あたりの平均の遅れは、10秒にまで短縮された。正確さを追求してきた人たちの努力のたまものだろう。

そして何よりも、この間、衝突のような事故が全く無かったことに安堵(あんど)させられる。

 新幹線の駅のホームで、のぞみが通過するのを見る時、その爆走ぶりを実感する。

走るというよりも飛んでゆく感じがある。

「後ろからムチで打たれて追いかけられているようだ」と述べた中国の要人がいたが、

本当の速さは、乗っていては分からない。

 40年で速度は上がり、本数は増えた。

現代には欠かせないものになったからこそ、「過速」や過密には、これまで以上に考慮が要る。

周辺住民の被害も忘れてはなるまい。

世界一の速度を競うより、世界一の安全を追い続けることである。

 近年はビジネス客が増え、車窓を気にする人が減ったという。

「新幹線の車窓も、まんざら捨てたものではない」と、国鉄全線の乗車を果たした宮脇俊三さんは書いた。

現代人が、500キロ離れた関東と関西を忙しく往復させられるのは、

徳川家康が江戸に幕府を開いて日本を二極に分解したからではないかという。

「家康の体臭が満ちている」沿線は、織田信長などのゆかりの地も連なる「史跡の宝庫である」

(『宮脇俊三鉄道紀行全集』角川書店)。

 二極分解から約400年。その変遷にも思いをはせれば、車窓は捨てがたいものになりそうだ。




日本での二極化になんとなく抵抗感がある。首都移転もその一つである。二極化ではなく多極化してほしいものである。

昔宿場として栄えていた所も廃れてきている。昔大勢住んでいた村が過疎化し住民がいなくなってきた。

これは鉄道による罪である。功は勿論に地区ごとの移動が迅速化したことにある。

もっと北海道から九州まで高速鉄道が建設され,更には朝鮮半島を通り大陸と接続されてヨーロッパまでが

鉄道でもって旅ができる時代が来るのを夢見る。中国で新幹線が計画されている。

ヨーロッパでは既に高速列車が走っている。

第二次大戦時中に弾丸列車を構想されたとも聞く。昔の人たちの夢が゛次第に現実化しつつあるようだ。





日本・モンゴル合同調査団が
チンギス・ハーンの霊廟(れいびょう)跡を
発見したと発表



10月6日の天声人語より


 野田秀樹作・演出の「キル」(94年)はチンギス・ハーンをモデルにした異色の舞台だった。

主人公の若者テムジンは羊の国でミシンを踏むデザイナーである。

世界中の人に、彼がつくった制服を着せようと野望を抱く。

題名の「キル」は「殺す」と「着る」との掛け言葉だ。

 あれだけ広大な帝国を築きながら、本人について知られていることは極めて少ない。

謎の多さが、多くの人の想像力を刺激してきた。

版図拡大の戦いを現代ファッション界の熾烈(しれつ)な競争に移し替えた野田さんもそのひとりだろう。

 大きな謎のひとつが墓のありかだった。

日本・モンゴル合同調査団がチンギス・ハーンの霊廟(れいびょう)跡を発見したと発表、

その近くに墓がある可能性が高まっている。

 モンゴルを旅行中「この人物の名前を出さぬように気をつかっていた」と司馬遼太郎が記したのは、

70年代のことだった。この人物とは、チンギス・ハーンである。

ソ連の影響力が強烈な時代にはロシアへの侵略者として「害獣」扱いだった。

「ソ連はジンギス汗をはなはだしく憎む。滑稽なほどに憎む」(『街道をゆく』朝日新聞社)

 ソ連崩壊で「建国の英雄」の座に返り咲き、

92年には当時のモンゴル大統領が「彼は民族の誇りである」と述べて公式に復権した。

研究も進んだ。侵略者ではあったが、宗教への寛容さは特筆すべきだといった再評価も進んでいる。

 草原を疾駆する「蒼(あお)き狼(おおかみ)」の伝説は人々の心を強くとらえてきた。

数々の小説や映画に描かれてきた。しかし、伝説から歴史へ、と舞台は移りつつある。




チンギス・ハーンは蒙古の人々にとっては英雄である。日本では鎌倉時代に蒙古来襲で大騒動した。

幸いにも台風が吹いて撤退していった。それが現代の第二次大戦時に禍し,神州不滅の神話を作り

必ずに米英との戦いで負けないとの錯覚をつくる遠因になった。

神風特攻隊が編成され,体当たりの攻撃をすることになる。「神風」とは蒙古来襲の時に撃退に一役を荷た台風によるとか。

その後,現在の中東での自爆テロにその系譜を継いでいるのかどうか。

でも神風特攻隊を生み出した国の首相がその人々が祭られている靖国神社に毎年ゲリラ的手法でもって

参拝し周辺諸国から非難を浴びている。

一説には自分の当選の為の軍人遺族会の票欲しさの行動ともいわれている。

私欲の為に国民にそして周辺諸国の心を傷つけている。

そして体当たりした敵艦の敵国の大統領に尻尾ふりふりしてすりよるポチになり下がっている。

大戦が終わり60余年が経っているのにこれではなんとも悲しいことである。

その思いは靖国神社に祭られた人たちも同じ思いだと想像する。良い意味での大和魂が泣く。

世界への平和 大きな平和への発信基地としての日本になって欲しいものだ。





英人旅行家イザベラ・バードが
学校教育が進む以前の日本の家庭や
親子関係を活写しており、
今日でも考えさせられる所があると



10月7日の天声人語より


 昨日の早朝、久々の強い日差しに誘われて散歩に出た。

秋霖(しゅうりん)というには荒々しい前夜までの風雨で、空も町も洗われている。

木々の葉先に、しずくが光る。

木漏れ日が、きらめく。季節は違うが〈あらたふと青葉若葉の日の光〉を連想した。

 芭蕉がそう詠んだ日光を経て、英人旅行家イザベラ・バードが北へ向かったのは、1878年、明治11年だった。

彼女は、行く先々で好奇の目にさらされる。

 宿の外に千人もが集まったこともあったという。町はずれまで警官が付き添う。

「一千の人びとが下駄をはいて歩いてくるときの騒音は、雹(ひょう)がばらばら降ってくる音に似ている」

(『日本奥地紀行』東洋文庫)

 みそ汁が「ぞっとするほどいやなもののスープ」に見えたなど、食べ物の違いや、ノミや蚊にも悩まされた。

それでも、東北を経て北海道まで約3カ月の旅を全うした。

 「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない……抱いたり、

背負ったり……手をとり……子どもがいないといつもつまらなそうである」。

学校教育が進む以前の日本の家庭や親子関係を活写しており、今日でも考えさせられる所があると、

民俗学者の宮本常一さんは述べている(『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』平凡社)。

 彼女は朝鮮や中国へも旅した。そして、100年前の10月7日、英エディンバラで他界した。

72歳で、病床でも日露の戦争の行方を気にしていたという。

もう一度アジアに行くつもりで、旅行カバンは常に用意されていた(『英国と日本』博文館新社)。


欧米化がすすむにつれて,日本の本来の良さが消え去ると同時に欧米の便利さが輸入されてきた。

昔の日本と現在の日本を見て,、英人旅行家イザベラ・バードさんはどのように評価されることだろうか。





 吾輩(わがはい)は
「あるとされていた大量破壊兵器」である



10月8日の天声人語より


 吾輩(わがはい)は「あるとされていた大量破壊兵器」である。

まだ見つかっていない。というより、吾輩は居なかったとの結論が米国で出てしまった。

情報部員千人と、千億円近い金や長い月日をかけた最終報告である。

 吾輩は、かつて吾輩の存在を、あれほど熱っぽく語ってくれた人々のことを、決して忘れない。

「イラクは生物・化学兵器をテロ組織やテロリスト個人にいつでも供与することができる」。

「存在説」の代表格だった大統領の記念すべき発言だ。

 英国の首相も力強く語ってくれた。

「大量破壊兵器が見つかることについて、疑いはまったくない」。

途中からは「米調査団の最終報告を待ってほしい」などと、吾輩から見れば弱腰な姿勢に変わった。

 しかし、このふたりが存在しなければ、吾輩の存在も、これほど世界からは注目されなかった。

逆に見れば、吾輩の存在こそが先制攻撃の根拠になっていたのだから、

両人の存在の方も揺らがないか。ひとごとながら心配だ。

 吾輩が思わず噴き出してしまったのは、日本の内閣官房長官の発言だ。

「そういうものがないということは非常に結構ではないかと思う」。

そういうものとは、吾輩のことらしい。

確か、この国の首相は、大統領の「存在説仲間」だったはずだ。

なかなか「結構」な、おとぼけぶりのようだが、吾輩の立場はどうなるのだ。

 結局のところ、吾輩は、創作された存在だったのか。

となれば、一時にせよ脚光を浴びた歴史の舞台からは、潔く降りるとしよう。

「存在説」の人たちにも、一考を勧めたい。


大量破壊兵器が見つからないことになると,イラク戦争への前提はゼロに等しい。

でもブッシュは将来大量破壊兵器を作るかもしれないフセインに対し,大勢の人たちを弾圧し,殺しているから

戦争は正当であるとして,そして反体制の人たちを殺害している。

国内問題に対し,外国が干渉していることになるのではないか。

テロの人たちは人質の首を刎ねるような人たちである。全く日本の戦国時代と同じようなことが行われている国である。

そんな国にいちいち民主主義 自由などを説いても今では仕方ないと考えるが。

無駄な殺人をば繰り返しているだけのことである。さらに混乱をきたしているだけである。

本音はイラクの石油の確保にあるか。





10月の10日を「缶詰の日」にしている


10月9日の天声人語より


 「私は力によってしかこの地位を維持することができない……私が恐るべき者でなくなれば、

私の帝国は滅ぼされる」。『ナポレオン言行録』(岩波文庫)の一節だ。

彼が帝位に就いたのは、ちょうど200年前である。

この年、缶詰の原型をつくったニコラ・アペールに、ナポレオンが設けた懸賞金1万2千フランが贈られたという。

 アペールは食品を詰めた瓶を熱して中の空気を出し、コルク栓で密封した。

後に英国人が器をブリキにする。

缶切りがない頃は「ノミとオノで開けて下さい」という注意書きもあった(『缶詰百科』柴田書店)。

 ナポレオンの懸賞は戦争とのつながりが深い。

当時の保存食は干物や塩漬けで、兵士は栄養失調に陥った。

彼が新貯蔵法を募らせたのも「恐るべき者」であり続けるためだったのか。

 米国では南北戦争で缶詰生産が急増した。

日本でも、日清、日露の戦争で缶詰業の礎が築かれた。

日清開戦の年、軍医でもあった森鴎外は医学会誌に「諸種ノ牛肉缶詰ノ成分ニ就テ」という報告を書いた。

 国内外の5種の水分、脂肪などを分析し、重さや固形分を比べた。

「缶詰ハ旅行、行軍等ニ携帯スベキモノナレバ……内国製牛肉佃煮ハ運搬上最軽クシテ、

而モ固形分ニ富メル者ナリ」(『鴎外全集』岩波書店)

 明治10年、石狩川のサケを使う官営の缶詰工場ができた。

日本缶詰協会は、生産が始まった10月の10日を「缶詰の日」にしている。

近年はレトルト食品が伸びているが、それでも、瓶と缶を合わせ、国民1人あたり、年に37個を開けているという。


缶詰とか瓶詰が出きるようになり,食料の保存が飛躍的に長くなり,便利になって来た。

戦争への利用がもとで発明されている。戦争は発明の母なのか。色んなことで兵器開発への努力が

民需に応用されているものが多い。又逆もある。戦争は人類にとって必要悪なのか,でも折角にこの世に生まれ

人生を平和にまっとうできる事は人類一人一人にとって最高の幸せだと思う。





を植える運動を続けてきた
ケニアの女性への、
ノーベル平和賞授与の報が届いた。



10月10日の天声人語より


 ドイツの古都ハイデルベルクで、ゲーテがイチョウの葉を1枚手にして詩を書いた。

それを、晩年ひそかに愛した人へ送る。「

東の国からはるばると/移し植えられたこの葉には/心ある人をよろこばす/ひそやかな意味がかくれています」(

小塩節『木々を渡る風』新潮社)

 木々へのささやかな「ほめうた」というこの本に小塩さんは記す。

「黒い大地の上に散ったどの一枚も、言いようもなく美しい……どの一枚も私には生まれて初めて見るもので、

生涯に二度とふたたび見ることのないものということが、心をゆり動かす」

 木々の営みが胸にしみる時節に、木を植える運動を続けてきたケニアの女性への、ノーベル平和賞授与の報が届いた。

ワンガリ・マータイさんのグリーンベルト運動は、7本の木を植えるところから始まった。

 「(受賞の)知らせを聞いた後、穏やかにそびえるケニア山を見たの……私たちの祖先が崇拝した山が、

私の方を見て『助けてくれてありがとう』と言っているように見えました」(英BBC)。

マータイさんは、環境は平和を守るための重要な要素だとも述べた。

資源が破壊されれば、不足した資源をめぐって争いが起きるからだという。

 平和賞は、その時々の世界を映す。

論議を呼んだ年もあったが、今回は、賞の幅を広げたと言えるだろう。 

「私たちが新しい木を植えるとき、私たちは平和の種も植えるのです」とマータイさん(英フィナンシャル・タイムズ)。

平和賞もまた、世界の人々の心に、希望の種を植え続けるものであってほしい。



ノーベル賞は今までの世界の中での賞で一番権威がある。木を植えつづけてのノーベル賞は珍しい。

「マータイさんは、環境は平和を守るための重要な要素だとも述べた。

資源が破壊されれば、不足した資源をめぐって争いが起きるからだという。」

確かに環境が戦争を起こしている所がある。もしイラクが石油が出なければイラクにアメリカが

そんなに関心をもったかどうかは判らない。

石油が出るためだけにイラク戦争が起きたともいえる。実利主義アメリカが慈善の為だけに行動するととは思えない。

日本もアメリカべったりだけでなくてよくアメリカの行動を観察してほしいものである。

平和は至上の善だと確信する。戦争に「正義の戦争」はありえない。





途上国の発展に協力しながら、
異文化に触れることで
自分も変わっていく経験ができる。



10月11日の天声人語より


 マーシャル諸島の人たちは、落ち葉や雑草の掃除はよくするという。

しかし缶、瓶やプラスチック容器、発泡スチロールなどの清掃はあまりしない。

昔ながらの「ゴミ」とは思えないらしい。

 ある青年海外協力隊員の報告である。

ささいなことのようだが、現地で環境教育に取り組む隊員にとっては深刻な問題に映る。

文化や生活習慣の違いとわかっていても、つい「日本に比べて意識が低い」といらだってしまう。

 村落開発普及員としてネパールに行った隊員は酒に酔った現地の若者にからまれてけんかをしてしまった。

「あなたたちのために正しいことをしているのに、邪魔をするとは何事だ」。

隊員は、そんな不遜(ふそん)な気持ちがあったことを素直に反省している。

 事務局が集めた体験記には、成功例とともに困惑や挫折、反省の例も収められる。

異文化の地で若者たちは苦闘している。

成功例も種々の失敗を乗り越えてのことであることがうかがえる。

 隊員の実情を調査したことのある文化人類学者の中根千枝さんがかつてこんな指摘をした。

がんばりすぎると落胆や不満も大きくなる。

適応が遅い人の方が、異文化理解が深くなる例が少なくない。

厳しい環境の下では、学歴や職業と関係なく、個人の全人格的能力がおのずと現れる(『日本人の可能性と限界』講談社)。

 途上国の発展に協力しながら、異文化に触れることで自分も変わっていく経験ができる。

来年創設40年を迎える協力隊はこれまでに約2万6千人を海外に送り出した。

昨日から、新しく派遣する隊員の募集が始まった。



異文化を知るのもわれわれの勤めである。どうしても自分の国の文化が最高だと思う傾向がある。

なかなか異文化に直接触れる機会が少ない。これだけ世界の人々と接触することができても

後進国とおもうような国との接触の場合に自分の方が優れていると思いがちである。

友好をすすめるにはそこの文化を理解するのがまず第一番目のことである。

段々に世界がアメリカナイズされていく世界を見て悲しむ。自国の文化は大切にしたいものだ。





遣唐使として海を渡り、
かの地で没した人の墓誌が
発見されたとの記事




10月13日の天声人語より


 「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」。

室生犀星の若き日の作品「抒情小曲集」の有名な詩の一節である。

 東京で詩人になろうという夢が破れ、一時金沢に帰郷した頃の心情が表れている。

そしてこう続く。「よしや/うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても/帰るところにあるまじや」

 この詩が思い浮かんだのは、遣唐使として海を渡り、かの地で没した人の墓誌が発見されたとの記事に、

「異土」と「故郷」という文字があったからだ。

新華社通信によれば、墓誌の末尾は、こうだった。「形既埋於異土、魂庶帰於故郷」。

専門家の訳では「体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない」となるそうだ。

 阿倍仲麻呂と一緒に派遣され、朝廷で抜きんでた活躍をしたが36歳で急死、皇帝が特別に埋葬――。

墓誌がつづった通りの生涯があったとするならば、まぶしくも悲しく、劇的な一生ということになるのだろう。

 「其(か)の大唐国(もろこしのくに)は、法式(のり)備(そなわ)り定(さだま)れる珍(たから)の国なり。

常に達(かよ)うべし」。

遣隋使の学問僧や学問生として渡航し、隋の滅亡と唐の誕生を目の当たりにして帰国した人たちが、

こう推古の朝廷に進言して、遣唐使は始まっている(『最後の遣唐使』講談社)。

 世界の中心の一つだった唐の都で抜群の働きを認められたとするならば、

異土も、故郷も、その意味合いは、犀星の場合とは違っていたはずである。

しかし、人生という生やさしくない航海にあっては、

この二つの言葉は、時代や境遇を超えて通じるような、重みと切なさを備えている。



阿倍仲麻呂の話はよく一般に世間に知られている。遣唐使に大勢の人たちが参加していたから

今回のような発見が出てきても当然である。

今では中国は一番近い隣国で,飛行機で一時間も乗れば到着する。新幹線に乗り,東京へ行く半分の

時間で中国につくことができる。遣唐使の時代中国は日本の手本で先進国であった。

西安の博物館へ訪れた時にしみじみそれを感じた。命がけで中国に渡りそこで亡くなった先祖が

いることが今回発見され,益々に中国と日本は一つで有らねばならないと感ずる。

小泉首相の靖国神社参拝で政治の面でギクシャクしているのは日本国民の意思とはかけ離れた

ことを小泉首相はしている。残念でたまらない。中国の人たちもそのところをよく理解してほしいものです。

インターネットで世界の人たちが国民の気持を知りあえるよい手段でもある。

首相が自己の軍人遺族会の票欲しさの行動で,自分が当選しなければただの人なので

当選したいためのパフォマンスしている,いたって軽い人物です。

中国の人は是非とも気を悪くしてもらいたくないです。

国民は小泉首相の靖国神社参拝に反対している人たちが大部分で,

中には靖国神社の存在すら知らない日本国民もいるのではないでしょうか。





ンターネットと練炭と。集団死
「明日という餌」を見つけることができないものか


10月14日の天声人語より


 ハンセン病と闘いながら詩作をつづけた塔和子さんの詩にこんな一節がある。

〈そして私は/今日から/明日という餌に/食いつこうとしている/一尾の魚〉(『希望の火を』編集工房ノア)

 集団で自殺を図る若い世代の人たちのことを聞くたびに、生きている、

あるいは生かされていることの不可思議を考えつづけた彼女のことを思い浮かべる。

彼女と違って彼らはなぜ「明日という餌」に食いつくことをやめてしまうのか。しかもなぜ集団なのか。

 「死にたいのに怖い。死にたいんじゃなくて、生きたくないだけかな」。

昨年、本紙に出ていた言葉だ。生きることに疲れ果てたという思いは共有されているようだ。

死が怖いこと、そして苦痛は避けたいことも。

恐怖と苦痛を緩和するのが練炭による集団死だと信じられているのか。

 「七輪と練炭の火のおこしかたがわかりません。だれか教えてください」。

最近もこんな書き込みがインターネットのサイトに見られた。

練炭は手に入れたが車がない、と免許証所持者を募集する書き込みもある。

ハイキングにでも誘うような気軽さに、何ともいえない違和感をおぼえる。

 日本だけの特異な現象ではないらしい。

以前、英紙が掲載した自殺サイトについての記事には、6人が集団自殺を計画、

警察に知られて思いとどまった例が出てくる。とはいえ、日本ほど頻発はしていない。

 インターネットと練炭と。集団死といっても、むしろ孤独感、寂寥(せきりょう)感に襲われる現代日本の風景だ。

「明日という餌」を見つけることができないものか。





人間には生存欲という本能がそなわっているものである。

自殺願望の人たちは今に絶望しているのでなく病気に罹っていると考えてよい。

昔の特攻隊のような使命により亡くなってゆく若者とは違い,自殺願望は「うつ病」の一つの

症状である。「うつ病」の20%自殺願望があるといわれている。

薬が発達して充分に治る病気である。早く医師に相談すべきである。

「うつ病」はその他不眠 午前中の身体のだるさで気分がすぐれない,食欲が落ちてくるのが

特徴である。身体の不調を感ずればまず医師に相談すべきである。

ハンセン病の人たちのほうが精神は確かで明日という餌にくらいつく意欲をもたれているが,

「うつ病」の人にはそれが薄れている。是非医師への受診を勧める。

「むしろ孤独感、寂寥(せきりょう)感に襲われる現代日本の風景だ」も「うつ病」の誘因だが

薬さえ服用すれば確かにそのような精神状態は解消される。





中内氏、そしてダイエーの歩みを振り返ると


10月15日の天声人語より


 日本各地にソビエトをつくろう。

流通革命をプロレタリア革命に見立て、

中内功ダイエー社長(当時)が著書『わが安売り哲学』で旧勢力打破を論じたのは1969年のことだ。

時代の風潮に乗った過激ともいえる主張だった。

 2年後、大塚久雄、宇野弘蔵らの論文とともに『戦後日本思想大系8 経済の思想』(筑摩書房)に抄録された。

編者の伊東光晴氏は、消費者主権を背景にメーカーへの対抗力を打ち出そうとする主張は初めてではないか、と評した。

本人は「私にとって生涯の誇りである」と振り返っている。

 著書の出た69年から全国へ多店舗展開を始め、翌年売り上げ1千億円を突破、72年には小売り売り上げ日本一になった。

絶頂期に迷いも生じた中内氏は臨済宗の山田無文師に会った。師の言葉に迷いは消えたという。

「社会が必要とするなら、あんたの会社はおのずと残る」(『流通革命は終わらない』日本経済新聞社)

 中内氏、そしてダイエーの歩みを振り返ると、戦後日本の「欲望」の起伏と曲折がまざまざと見えてくる。

疲弊して再生の道を探る今の姿に、ひとしお苦みを感じるのはそのせいだろう。

 薬から始めて、お菓子へと商品を広げた。甘い物の次はすきやきを腹いっぱい食べたい、だ。

それに応えた牛肉安売りはダイエー商法に画期をもたらした。

戦中、中内氏の戦地での飢えの体験が常に背景にあった。

 しかし消費者の欲望は拡大し、拡散していく。

自ら引き起こしたはずの「革命」に乗り越えられ、取り残されるという皮肉な運命をたどった。



ダイエーは一世を風靡した。バルブの崩壊と共に同じ運命にある。余りにも銀行が貸し付けた結果による。

ダイエーは凄い金持ちの会社だと感じた頃もあるが,それらは全て借金によるものであった。

ダイエーの存在はままずしさから安定へ時代の過渡期に起きた現象だったしかかんがえられない。

でもその功績は大きいと思う。





水俣病は、戦後の公害の原点と言われる。


10月16日の天声人語より


 先月亡くなった作家の水上勉さんが水俣病と出合ったのは、1959年、昭和34年だった。

テレビで被害の状況を見て「これは、白昼堂々と、大衆の面前で演ぜられている殺人事件ではないか。

どこかに犯人がいるはずだ」と思った。

 翌日、水俣に向かう。患者・家族や問題の工場を巡り歩いた。

そして犯人は「工場の廃液以外に考えられない」と確信する。

「水潟」市を舞台に、奇病にかかったカラスが死体にむしゃぶりつく場面などを描いた

推理小説「不知火海沿岸」を発表した。

 既に、この頃には、工場排水を投与したネコの発症が確認されたり、

熊本大の研究班が有機水銀説を報告したりしていた。

水俣病の「公式発見」から3年が過ぎていた。

 不知火海沿岸から関西に移り住んだ水俣病の未認定患者と遺族が提訴した裁判で、

最高裁が、国と県の行政責任を認める判決を出した。

水俣病は、戦後の公害の原点と言われる。判決の意義は大きく、重い。

県と国は、甚大な被害を改めて思い、心から患者・家族に謝るべきだろう。

 「公式発見」から半世紀近くの時が流れた。

水俣を書き続ける作家、石牟礼道子さんは「あまりに苛烈な歳月に押しひしゃがれたはて」に、

能「不知火」を仕上げたという。竜神の娘の不知火が、弟と共に、身を犠牲にして海の毒をさらう。

「苦海浄土」などを収めた全集第3巻のあとがきは、不知火の登場場面の詩行で結ばれていた。

「夢ならぬうつつの渚に/海底より参り候」

 苦海に投げ出された、すべての命への鎮魂の思いが込められている。


公害病ははじめから公害を出そうとしての結果でなく,知らずに工場廃液が原因でそれに汚染した魚を食べる事に

より起こっている。素直に医学的に証明されれば,会社は社会被害者に対して謝り保障するのが

当然の義務かと考える。痛ましい事件である。

これから同じような公害病の発生は是非食い止めたいものである。未知の事も有るだろうが分れば

会社も大切だが,人の命は遥かにもっと大切であることを肝に銘じて欲しい。





今年は、国連の「国際コメ年」だという。


10月17日の天声人語より


 〈手にうけし垂穂やかさと手をはなれ 星野立子〉。

秋の田に頭(こうべ)を垂れる稲穂は、小さな種もみが秘めていた力の大きさを思わせる。

揺れる穂波は、降り注ぐ日差しを、やわらかな金色のさざ波に変える。

 近畿方面で、稲の実る田に沿う道を歩いた。

豊かに垂れる稲の穂は、ふっくらとした気分をもたらしてくれた。

 今年は、国連の「国際コメ年」だという。

一つの作物についての国際年は初めてで、テーマは「コメは命」。

コメは世界の半数以上の人々が主食にしているが、

人口増などで、将来は需要が生産量を大きく上回る見通しだという。

 「コメ年」にちなみ、国連食糧農業機関(FAO)が、世界のイネ研究に貢献した論文のコンテストをした。

イネ育種関連部門では、日本の農業生物資源研究所の研究班が中心となって発表した

「イネ第1染色体の塩基配列と構造」が最優秀賞に選ばれた。

イネの一番大きい染色体について、塩基という部品の並び方や組み立てを正確に解読した。

品種改良や増産の礎になるのだろう。

 昨16日は、1945年のFAOの設立を記念する世界食糧デーだった。

東京・渋谷の国連大学のギャラリーでは「子どもたちの未来をつくる世界の学校給食展」が開かれており、

各地の実情を伝える写真などが展示されていた(30日まで。17、24日は休館)。

世界の飢餓状況を示す大きな地図にこうあった。

「5秒に1人のこどもが飢餓やそれに関係する原因で亡くなっています」

 食糧配分の不均衡の深刻さと、日本ができることの大きさとを訴えかけていた。



米があまりたべられなくなつて,日本の農家は減反を強いられている。自給自足できない国で良いのか不安はある。

鶏とか魚類・畜産の養殖をみていると,そのうちに米も工場で生産される時代がくるのではないかと思える。

たの糖質 蛋白質などから生産され加工されて量産される可能性は皆無ではない。

科学が進むと思いもかけないことが発明されるようになる。

食料不足もそれらによつて解消される可能性を期待したい。。





土器から浮世絵までを
一つの階に展示した「日本美術の流れ」が、



10月18日の天声人語より


 土器の取っ手の所が、燃え上がる火のようにも見える。

縄文時代の火焔(かえん)土器は、いわば形を成した炎なのか。

土器から浮世絵までを一つの階に展示した「日本美術の流れ」が、

東京上野の東京国立博物館の本館で公開されている。

 古墳の時代、仏教の伝来と興隆、平安、室町の宮廷美術、禅、茶、武士の装い、能、歌舞伎――。

国宝や重要文化財も並ぶ。年代順なので、大きな流れがつかみやすい。

特定の時代や部門への入り口にもなる。流れをたどって改めて思うのは、

日本で花開いた美の深さや静けさと、大陸の存在の大きさだ。

 隣り合う平成館の「中国国宝展」(11月28日まで)にも入る。

悠久の歴史が育んだ国宝級の文物を多数集めたという。

さまざまな表情をたたえた仏像や、数千の玉を金でつないだ玉衣にもひかれるが、

仏や王ではない人物像にも魅力があった。

 例えば、秦の始皇帝の陵から出土した「船漕(こ)ぎ俑(よう)」だ。

両足を前に伸ばして座る男が、足先近くまで伸ばした両手で何かを握っている。

2千年以上も、ろを漕ぎ続けてきたのか。なぜか親近感を覚えた。

 唐の時代の「女子俑」は、40センチ強の、ふっくらした女性の立像だ。

長衣をまとい、左足に重心を傾けて悠然とたたずむ。豊満な形の俑は、

玄宗皇帝の治世になってから、特に好まれたという。

玄宗皇帝が、客死した日本の遣唐使を特別に埋葬したとの報が先日流れた。

遣唐使は、こうした女性たちとも出会ったのだろうか。

 本館の「流れ」とも重ねながら、大陸との架橋となった人たちの足跡をしのんだ。



文化はいつまでも続いて流れは絶えることはない。日本文化は大切にして,日本らしさは失われたくない。

異国の文化が必ずしもよいとは思わない。何か,何処へ行っても同じというようでは悲しい話だ。

悠久の歴史はこれからも続いていく。外来のセイダカアワダチ草のように日本の秋が全てそれにておおわれるようなことに

ならないように日本伝統文化は大切に育てて行こう。





見出しは「アメリカはイエス ブッシュはノー」。


10月19日の天声人語より


 太い胴体にガンベルトを巻きつけ、ピストルを差した巨象が恐ろしい形相で走っている。

それを、地球の形の顔をした人が怖そうに見ている。

 最近の仏ルモンド紙に載ったイラストだ。

象は、アメリカの共和党の象徴で、見出しは「アメリカはイエス ブッシュはノー」。

本紙でも報じた、対米意識についての10カ国での共同世論調査の記事である。

一言でまとめれば見出し通りだが、平均値から相当離れた国もあった。

 「ブッシュ大統領のことを、雨の日に傘を差し出してくれる人だとみなし続けるだろう」。

71%がブッシュ氏が「好き」と答えたイスラエルの、ハアレツ紙の記事だ。

環境問題や、国連に対するブッシュ氏の姿勢にはあまり関心がなく、

「イスラエル人が知りたいのは、米国が味方かどうかだけである」

 イスラエルに次ぎ、44%が「好き」と答えたのはロシアだ。

モスクワ・ニュース紙は、プーチン大統領が、チェチェン問題で憲法を変えてまで中央集権を強めようとしていることに絡め

「ブッシュ氏は憲法まで改定しようとしただろうか」と書く。

 なぜ9・11の後でも米国は州知事選挙を廃止しないのか、などの問いを投げかけて、こう結ぶ。

「ロシア人が、こんな疑問への答えを探しているうちは、米国というモデルは水平線の彼方(かなた)に輝く星のように見えるのだ」

 米国人への高い好感度は、長い歴史の積み重ねで得られた財産だ。

食いつぶすようでは、世界にとっても大きな損失になる。

米国のメディアには、この「世界世論」を、あまねく伝えてもらいたい。


アメリカは誰もは好きである。良い人々も大勢おられる。科学も文化も進んだ国であることを誰も認めている。

どないにしたものか,そのアメリカにブッシュという○○な大統領が顔となりアメリカを指導している。

アメリカにとって最大の悲劇であり,世界も同時に暗黒の時代を過ごす事になる。

せめてアメリカ一国で収まればよいのが,だが今アメリカは世界中に影響を与えている。

せめて世界の中がブッシュを孤立させればよいのに,日本の小泉首相はブッシュを助け,追随外交を展開している。

情けない話しである。一人の首相のお蔭て日本人誰もがブッシュを支持しているとは思われたくない。

世界の恥である。ブッショもコイズミの名前をよく使い利用している,バライティショウでコイズミが

よくお笑いに使われているとの報道があるが。





74歳で亡くなったフランスの哲学者ジャック・デリダ氏
デリダなら「すべては誤解の上にある」とかわすだろう。


10月20日の天声人語より


 自分の名前を間違えられて、不快に思う人とあまり気にしない人がいる。

高名な哲学者の名前のつづりを間違えて書いてしまい、冷や汗をかいたことがあった。

後に謝罪すると、彼は「よくあること」といったふうに穏やかに応対してくれた。

 先日、74歳で亡くなったフランスの哲学者ジャック・デリダ氏である。

インタビュー記事でジャックを英語風に表記したのだが、もちろんフランス語であるべきだった。

彼の本名が、ジャッキーというアメリカ風だったことを後日知り、複雑な思いにとらわれもした。

 20世紀後半、最も影響力の大きい哲学者のひとりだった。

彼の哲学がなぜあれほどもてはやされたか。死後、しばしば考える。

著書の難解さにもかかわらず、意外に平易な「処世訓」に焼き直すことができるのも一因か、

と門外漢は勝手に思う。

 たとえば誰かが「誤解を恐れずにいえば……」と気色ばんで発言する。

デリダなら「すべては誤解の上にある」とかわすだろう。

正統な解釈、確固とした真実などない、という前提から彼は考え始める。

 あるいは「見るべきほどのことは見つ」と人生を振り返るとする。

デリダは、人類はすべてのことを見尽くし、考え尽くしたという前提から出発する。

哲学者は何か新しい知見を加えるのではなく、思考の文脈をずらすことしかできない、と。

 このごろ本屋で哲学書をよく見かける。

不安定さを増す世界で、よりどころを求める気持ちが強まっているのか。

誤解を恐れずにいえば、「誤読を恐れるな」がデリダ風の哲学の勧めである。



哲学者の話す事はむつかしく難解なことが多い。宗教者はそのようなことは少ない。哲学者のように深くは

知らなくとも人は生まれて 平和を愛し 死んでゆくとそれだけでよいのではなかろうか。

宗教者の教えはそれに近いと観ずる。





例えば「広い知識と明快な思考」の
ケリー候補を支持するニューヨーク・タイムズに、

「ケリーは行動ではなく分析の人だ」と
「行動の人」ブッシュを推すのはシカゴ・トリビューンだ。



10月21日の天声人語より


 20世紀初頭の米国シカゴで、「何という新聞好きの国民であろうか」と驚嘆したのは、永井荷風だった。

新聞を持たずに汽車を待つ人は皆無で、皆恐ろしい目で新聞を読みあさっている、と(『あめりか物語』)。

 その後、ラジオ、そしてテレビが加わった。

多様になったとはいえ、メディア帝国は揺るがず、影響力を振るい続ける。

とりわけ大統領選のような大きな催事では、勝敗を左右することもしばしばだ。

 テレビが選挙戦を変質させもした。一見つまらないことも、重要なこととして注目される。

4年前のゴア対ブッシュのテレビ討論では、まばたきが話題になった。

過去のテレビ討論の分析から、たくさんまばたきをした方が負ける、という仮説を心理学者が打ち出していた。

ブッシュ候補がまばたき数でゴア候補を圧倒した。

 だが、選挙結果はブッシュ勝利で、仮説にかげりが見えた。

今回もまばたき数が計算された。1回目の討論の締めくくりではブッシュ候補が驚異的なまばたき数を記録した。

しかし次の討論では、ケリー候補の半分におさえる健闘をしたそうだ。

 新聞は支持を明確にして、他のメディアとの違いを打ち出す。

例えば「広い知識と明快な思考」のケリー候補を支持するニューヨーク・タイムズに、

「ケリーは行動ではなく分析の人だ」と「行動の人」ブッシュを推すのはシカゴ・トリビューンだ。

 まばたき数から政策、人柄まで膨大な情報があふれるなかで投票日が近づいている。

荷風が描写するように、「恐ろしい目」でもって是非を見抜いてほしい。




行動をすれば何でも良いものではない。戦争を企み実行するならば一人で山奥にこもり思索に没頭している方がずーと

ましである。又自画自賛で自分の好きなことをやってのけ,世界を混乱に落とし入れると考えれば,この後の四年間は

我慢の時代を世界中の人々は強いられそうである。何人の人たちがそのため死んでゆくか考えると暗たんとした

気持になる。世界は闇に進みつつある。○○なブッシュに歯止めをかける人の出てくることを祈るだけである。

行動の人よ行動しないことを切に願いたい。






10番目の日本上陸台風となった23号は、
列島各地に甚大な被害をもたらした



10月22日の天声人語より


 これまで見たことの無いような現場写真だった。

茶色の濁流にのまれそうなバスの屋根に、大勢の男女が座っている。

近くの木には2人がしがみついている。

よく一晩中流されず、無事でいてくれたものだ。

災害の恐怖と人間の非力、そして、その非力な人間の秘めている底力を感じる。

 京都府舞鶴市で、水没するバスに乗り合わせた人たちは、励まし合い、心を一つにして災難と戦ったようだ。

男性がハンマーで窓ガラスを割り、カーテンをロープのようにして乗客を屋根に引っ張り上げた。

 元看護師の女性を中心に「上を向いて歩こう」を歌う。

「むすんでひらいて」の歌は手の運動を兼ねて、寒さしのぎには「わっしょいわっしょい」と肩組みもしたという。

 船や飛行機のような閉ざされた乗り物の事故では、

一人だけではどうにもならないとの思いが人々の心をつなぐことがあるという。

濁流に襲われたバスは、難破する船のようだったのかも知れない。

それにしても、暗闇の中、足元からはい寄る生命の危機に脅かされながら、

これだけの冷静さと一体感を保ち続けたことに感心した。

 過去最多の10番目の日本上陸台風となった23号は、列島各地に甚大な被害をもたらした。

高知県室戸市では、コンクリートの防潮堤が高波で壊れて住宅を直撃し、3人が死亡した。

 この防潮堤に、大波に耐えるだけの強さは残っていたのだろうか。

避難勧告が出たのは、住宅が壊れてから1時間ほども後だった。

行政の、日頃からの備えと迅速な対応がなければ、人間の底力も奮いようがない。



人間の素晴らしさを感ずるシーンでもある。だがどうして災害から人間は解放されないのか嘆く。






 西武鉄道グループの総帥・堤義明氏の
説明にも矛盾が指摘されている。



10月23日の天声人語より


 日頃からなじみがあるとは言いがたい「株式面」を開く。

上場企業が、数字となってひしめいている。運輸業を見る。東武、東急、阪急、名鉄……。

なかなか見つからないその名・西武は、面の隅の「監理ポスト」にあった。

上場が廃止になる可能性のある企業を、投資家に知らせる処置だという。

 西武鉄道が、有価証券報告書に虚偽の記載をしていたことを発表して10日になる。

当然ながら、株は急落した。虚偽記載を知らされないまま株を買わされたという企業が相次いだ。

事実なら、これも違法行為を問われかねない。

 西武鉄道グループの総帥・堤義明氏の説明にも矛盾が指摘されている。

役職辞任の会見では、虚偽記載を知ってから「1カ月もしない」と述べたが、

8月には、幾つかの企業の首脳に、堤氏自身が株の買い取りを働きかけていたという。

 この巨大なグループを一代で築きあげた、義明氏の父・康次郎氏が語ったという。

「私は、自ら芸術家だと思っています。私の芸術はすこし大きい。大地に彫刻することです」

(『西武グループ』ユニオン出版社)

 戦後、康次郎氏は、元皇族の土地を相次いで買い取る。

そこに次々にプリンスホテルが建設され、膨大な資産となってゆく様を、

猪瀬直樹さんが『ミカドの肖像』(小学館)で描いた。

 今回の虚偽記載は、義明氏が会長だったコクドとプリンスホテルが持つ西武鉄道株の比率を、

長い間過少に記していたというものだ。

「大地への彫刻」の評価にもかかわりかねない事態だ。

まずは、実のある釈明が欠かせない。



遺法行為までして企業を大きくしようとする執念は買うが,だが同じ土俵で競争してほしいものである。

いくら巨大グループとしても許すことはできない。

でもそれても遺法行為できることが大人の裁量とでもいうのであろうか。





40年前の新潟地震の映像を思い出した。


10月24日の天声人語より


 「今大きく揺れています」。新潟のテレビ局で、アナウンサーが繰り返している。

局内の揺れが見える。東京では、その何十秒か後にガタガタッと初期微動を感じ、

それに続いて大きな横揺れが長く続いた。

 テレビの画面に流れる「震度6強」というテロップに、

戦後有数の大災害となった40年前の新潟地震の映像を思い出した。

天を覆うような黒煙、信濃川に落ち込んだ大きな橋……。

やがて、震源に近いのは内陸部の小千谷周辺で、震度6強を3度も繰り返したと知る。

最初の揺れには持ちこたえていた家屋やがけが一気に崩れたのではないかと恐れる。

 上越新幹線の「とき」が脱線したとの報には、一瞬耳を疑った。

東海道新幹線が開業したのは新潟地震の起きた64年だが、それ以来、脱線などという事態は聞いたことがない。

後で、脱線したが転覆はしていないと分かったものの、列車内の恐怖はどれほどだったか。

 自然災害では、なかなか状況がつかめない場所に被害が集中している恐れもある。

警察や消防、あるいは自衛隊が、一刻も早く最も強く揺れた地域に行き着き、救出活動が進むようにと願った。

 日本の地震の記録で最も古いものは日本書紀にあるという。

「(允恭天皇)五年秋七月丙子朔己丑、(河内国)地震」。

1500年以上前のことだが、その後に1万近い地震が古い文書に記録されている(『新・地震の話』岩波新書)。

 この国の宿命ともいえる地震が起きることは防げない。

予知も難しい。しかし、迅速に力を合わせれば、被害の拡大を防ぐことはできる。



「この国の宿命ともいえる地震が起きることは防げない。」とは悲しい現実である。

科学が進んだのだからなんとか防ぐ手段が見つかっても良いものである。

地震科学を選考されている人たちに切に願いたい。断層が何年間の間に

大きなずれを起こし地震が発生することのメカニズムは解明されている。

断層が何処に走っていることも判っていて,其れでいて何年間も地震を待ちつづけるとは

情けないことである。少なくとも予知ぐらいできないものか。




この村を変えたのは田中角栄元首相だった
足跡もこんどの地震で大きく破壊された。


10月25日の天声人語より


 山間の豪雪地帯で、冬には4メートルも積もる雪に孤絶の状態に置かれてきた。

村人は戦争を挟んで16年かけてトンネルを掘り、1949年、隣村への道が通じた。

新潟県の山古志村の中山隧道(ずいどう)は全長約900メートル、

人力だけで掘られたトンネルとしては日本最長という。

 戦後、この村を変えたのは田中角栄元首相だった。

選挙区である豪雪地帯の地方道を国道にし、拡充整備した。

その威光の足跡もこんどの地震で大きく破壊された。

上空から写されるその村は、山肌が荒々しく削られ、道路は至る所で寸断されている。

以前のように孤絶に追い込まれた村民の安否が気がかりだ。

 豪雨や台風で傷だらけになったところに強震である。

日本列島に住むことの過酷さをつくづく思い知らされる。

美しい山河が一転して、濁流や土砂流に変じて私たちに襲いかかる。

 「山あり河あり、暁と夕陽とが綴れ織る この美しき野」。

モダニズムの詩人西脇順三郎はかつて故郷、小千谷市を、そううたった。

『旅人かへらず』の詩集が有名な彼だが、死を前にして故郷に帰った。

越後三山を背景に、山本山と信濃川を一望する美しい風景を見ながら逝った

(『回想の西脇順三郎』三田文学ライブラリー)。

 彼の故郷も大きな被害を受けた。山は崩れ、道路が埋まり、家々が倒壊した。

77歳の女性や12歳、11歳の小学生らが犠牲になった。多くの人が避難所生活を強いられている。

 「挙頭望山月 低頭思故郷」。

西脇が好んで色紙にしたのが、李白の詩だという。美しい故郷の人々の救助と復興とが急がれる。


新潟の人たちにとっては大変な地域をなんとか普通の暮らしができるようにされたのは田中角栄のお蔭と

感謝されておられるのも理解出きる。地震はその地域を直撃している。それも因縁かどうか

なんとか普通の生活ができるように政府は全力をつくされることを願いたい。




新潟県中越地震では、
被害の集中した地域の映像に
青い点々はあまり見られないようだ。




10月26日の天声人語より




 阪神大震災から1週間ほど後のことだ。ヘリコプターで被災地の方へと向かった。

大阪空港を離陸したとたん、無数の青い点々が視野に飛び込んできた。

壊された家々の屋根を覆う青いシートは、はるか西の方へ果てしなく続いていた。

 新潟県中越地震では、被害の集中した地域の映像に青い点々はあまり見られないようだ。

まだ被災から間がないからで、いずれは、復旧への一歩を示す青い点が現れると思っていた。

しかし、そうはならないかも知れない。

 道路が寸断された山古志村では、全村に避難の指示が出された。

自衛隊のヘリの窓から、遠ざかる村を見る人たちの姿が痛々しい。

「これから雪が激しく降る冬が来る。それを考えるとパニックになります」。

来春以降まで復旧のつち音が聞けない恐れがあるとなれば、こうした思いにかられるのも、もっともだ。

 やむなく村を離れる人々を受け入れる態勢はできるのだろうか。

被災者全体に、食事や暖房が行き届くかどうかも気になる。

地域によって大きな差ができるようでは、被災者が、もう一度被災することになりかねない。

 被災者の不安や不便を、どう減らすのか。

自治体にできることには限りがあり、国の責任は重い。

災害や被災者との向き合い方では、この社会のありようも問われる。

 阪神間の青い点々は、絆(きずな)を断ち切られ、

一つ一つの点にさせられた人々の辛(つら)い境遇の象徴とも見えた。

しかし、その点の周りでは、多くのボランティアの人たちが、絆の再生に尽力していた。

今回も点と点を結ぶ貴重な力になるだろう。


阪神大震災もひどかった。でも今回の新潟地震は違った意味で過酷である。余震がそれもひどい余震が何日も何日も続いて

人々を恐怖に陥れたことと,復旧が山間部のために中々進まないこと,寒い豪雪地帯で雪による恐怖がある。

幸い阪神大震災の時は都会で且つ寒い地域でもなかったから割合順調に復旧された。

今回の場合は復旧には寒さと 冬の豪雪などの悪条件が重なってきている。




京都府舞鶴市で、濁流に沈むバスの上で
一夜を過ごした人たちの写真が先日載った。




10月27日の天声人語より


 「木に竹を接ぐ」とは、つなぎ合わされたものが調和しないさまや、条理の通らないことをいう。

ほめられる状態ではない。しかし、台風23号による災害では、

37人が無事だったのは木に竹を接いだからか、と思わせるようなことがあった。

 京都府舞鶴市で、濁流に沈むバスの上で一夜を過ごした人たちの写真が先日載った。

そこには不思議なものが写っていた。バスと立ち木の間の棒状のものだ。

ロープにしては太すぎる。鉄パイプでもない。実は、バスのそばに流れてきた竹だったという。

 20日の夜、水の勢いでバスが流されそうになった。

近くの車のロープを取ろうとして飛び込んだ1人は、行き着けず、途中の立ち木にしがみつく。

流れてきた竹をバスと木の間に渡すが、両端を握り合うにも限度がある。

もう1人が飛び込んで木まで行き、靴ひもで竹と木を結んだ。

水が引いた時、立ち木には、2本分の靴ひもでつながれた竹がぶらさがっていた。

 竹は、たまたま流れてきたのだろう。

しかし、舞鶴と竹とのつながりは深く、市内の竹林の面積は府で最大だという。

竹は、刈り取った稲を干す稲架の横棒にも使われるそうだ。

偶然だったにせよ、流れ着いた竹に、土地の色合いが映っているようだった。

 木に竹を接ぎ、靴ひもを接ぐ。

このつながりに、どれほど実効性があったかは分からない。

しかし、平時なら出あうことのなかった物たちを接ぎ合わせ、おそらくは、そこに命をもつなぐ。

 新潟の苦境をしのびながら、舞鶴での知恵と勇気と幸運とを、一本の竹とともに記憶する。


なんとか助かろうとする人たちの懸命な努力が伝わってくる。





まる4日近くも土石に閉じこめられていた優太ちゃんは、
救急隊員に、しっかりとしがみついた。


10月28日の天声人語より


 72時間。それが、地震で崩れた建物の下敷きになった人を救助できるタイムリミットだという。

人が水と食料なしで生き延びられる限界だからで、ここを過ぎると、生存救出率は急激に下がる。

 92時間。これは、新潟県中越地震が起きてから、

信濃川沿いの土砂崩れ現場で皆川優太ちゃんが助け出されるまでの時間だ。

いわば、限界を超えた、奇跡的と言いたくなるような生還である。

 まる4日近くも土石に閉じこめられていた優太ちゃんは、救急隊員に、しっかりとしがみついた。

首も、ちゃんと動いている。むき出しの脚が痛々しいが、2歳の幼子が、よくがんばったものだ。

85年の日航ジャンボ機の墜落の翌日、生存していた中学生が後ろから抱きかかえられながら

救助のヘリに収容される場面が、二重写しになった。

 それから3時間後に、優太ちゃんの母、貴子さん(39)が、上空で待機するヘリコプターに収容された。

あたりは闇に包まれ、投光器からオレンジの光が行き交った。

そして、3歳の真優(まゆ)ちゃんは、救出作業が中断したときまでには、安否は確認されなかった。

 東京や長野の消防、警察、自衛隊などの救助チームが、たびたび余震が起きる中、危険で困難な作業を続けた。

「シリウス」と名付けられた電磁波による人命探査装置も使われた。

車の方で声がしたと報じられたときには、ひたすら、3人そろっての救出を念じた。

しかし、それはかなわないことだった。

 生と死の分かれの過酷さに胸を突かれる。

投光に白く輝く、テレビ画面の信濃のさざ波が、ぼやけて見えた。



優太ちゃんの救出劇に固ずをのんでテレビを通して見守った。助けられるシーンを見てだれもが感動した。

生命力の強さにも驚きを隠しえない。余震が続く危険な場所で何十人もの人たちが一人の生命を助けるのに

尽力され尽くされている。でもイラクでは戦争によって大勢の人たちがいとも簡単に多数の罪もない人たちが

死んでゆく姿を想像すると胸が痛む話しである。

他国が自国の国益の為に勝手に介入し,独裁者はケシカランと戦争をしかけるのも

どうかと。世界の声はアメリカの国民に届かない。

人間の矛盾をみせつけたとも言える救出劇である。






アメリカが「自分たちをすでに達成された
理想もしくは『正義』として固定し、
他国をその正義へと向かわせようとするとき」が問題と



10月29日の天声人語より


 最近の言葉から。「かつて里山が人とクマとの境界区域だった……生活様式が変わり、里山は放置された。

山あいの田はススキの原となり、薪炭林や竹林、杉林も荒れ……人家の裏薮が境界線となった」。

富山市ファミリーパーク飼育課長の山本茂行さんは境界の再構築を提案する。

 最高裁の町田顕長官が述べた。「上級審の動向や裁判長の顔色ばかりうかがう『ヒラメ裁判官』がいると言われる。

私はそんな人はいないと思うが、少なくとも全く歓迎していない」。

海の底からは異議も出ようが、趣旨は分かりやすい。

 この人はヒラメではない。「選手会として徹底的に戦って来い。

優勝や日本シリーズがなくなってもかまわない。

世の中には、それ以上に大切なことがある」と、オレ竜・落合監督。

 欧州で、暗い過去の記録が見つかった。「私たちは鉄線の陰から毎日、自由を見つめている」。

ナチス占領下のオランダで、収容所の生活を記したユダヤ人少女の日記から。「

でも頑張ろう。私の幸せと意志の力が消えてしまえば、私も死んでしまうから」

 おぞましい現在の報告も届く。通学途中のパレスチナ人少女をイスラエル兵が射殺した。

司令官がとどめを刺したともいう。「娘は戦士でも過激派でもない。

シャロン(首相)にただ一言『なぜなんだ』と問いたい」と父。

 アメリカが「自分たちをすでに達成された理想もしくは『正義』として固定し、

他国をその正義へと向かわせようとするとき」が問題と、翻訳者で東大教授の柴田元幸さん。

かじ取り役が、間もなく決まる。





一つの独裁国家?によって世界は蹂躙されている。それが賢明な指導者によつて支配されていれば

まだまだ許されるのだが。その国は世界の世論から孤立している。

唯一と思われる助けているのは日本の小泉首相。その小泉首相はそれに対して日本の世論に反し行動している。





日本人の側も、戦闘のやまない国の
実情を知って行動しなければなりませんが。


10月30日の天声人語より


 Sさん アッ・サラーム アライクム。

あなたの国で「こんにちは」を意味する、このアラビア語を覚えたのは、2年ほど前でした。

長い歴史のあるNHKラジオの外国語講座で、初めてアラビア語の講座が開かれた時です。

 英語の講座は、80年近く前の大正時代に、ラジオ放送が始まった頃からありました。

多くの日本人にとって、西欧とアラブに感じる距離感の違いを表していると思います。

 長い間、アラブ世界は遠い存在でした。

言葉だけでなく、習慣や歴史についても知識のある人はまれでした。

アラブの側から見ると、どうでしょう。やはり日本も遠い存在だったのでしょうね。

それが、イラク戦争で切実さがぐんと増しました。

 日本人を標的にした事件が絶えません。

誘拐したり脅したりするのは言語道断ですが、

先日、日本の青年を拘束した武装集団の脅迫の中には、決定的な間違いがありました。

彼らは被害者を「日本の軍隊(自衛隊)のメンバー」と呼んでいたそうです。

しかし自衛隊とかかわりのない民間人です。

 なぜ違ったのかは分かりませんが、間違いを彼らに分からせる手だてはないものでしょうか。

彼らは、日本の政治や自衛隊派遣の経緯、世論などについて、一体何を知っているのかとも思います。

日本人の側も、戦闘のやまない国の実情を知って行動しなければなりませんが。

 Sさん。武装集団は人の命に期限をつけました。

許されないことですね。

誤認による拘束という重大な過ちを犯したことを一刻も早く彼らが認め、

解放することを願って筆をおきます。


日本人へのテロによる襲撃が続いている。日本の首相はブッシュ同様にテロに屈するなとして自衛隊派へいしている。

早々に青年の誘拐事件でも明言している。

テロといってもただ無闇にそこらにいる強盗などと違い行動意識があるようにみうける。

自衛隊派兵しなければ青年も助かったかも知れないし,将来自衛隊員に死傷者でも出れば

潔く切腹でもして,小泉首相は遺族に対し,反対しつづけている国民に対して謝る気なのか。

命をかけて自衛隊員は派兵命令にしたがっている。首相もそれぐらいの覚悟をもって命令して欲しいものだ。





今年の10月は、台風、地震と
大きな災害に見舞われた。

「秋風秋雨、人を愁殺す」


10月31日の天声人語より


 秋の心を愁といい、古来、秋には憂愁がつきまとってきた。

とりわけ秋の雨は心を重くし、今年の秋雨は、ひときわ憂いを誘う。

 この言葉はあまりに鋭すぎるだろうか。

「秋風秋雨、人を愁殺す」。清に対して革命を企てたとして1907年、33歳で刑場に散った秋瑾の言葉である。

彼女は調べに黙秘を貫き、渡された紙にただ先の言葉だけを記した。

辛亥革命のさきがけといわれ、英雄視される彼女の辞世の言葉には、悲憤と哀愁が入りまじる。

 フランスの詩人のつぶやきも心にしみいる。

「秋の日の ●オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。」(ヴェルレーヌ「落葉」上田敏訳)。

詩人は、鐘の音に過去を思い出して涙し、落ち葉にさだめなき我が身をなぞらえて慨嘆した。

 木の葉が色づき始めた10月に鳴く「秋の蝉(せみ)」のことを倉嶋厚さんが書いていた。

盛夏の生き残りではないだろうという。

「長い地下生活を終えて、やっと地上に出てきたら、彼等の季節は過ぎていたのです」。

彼等の「生まれながらに季節の挽歌(ばんか)を歌わなければならない運命」をいとおしみ、

声援をおくる(『癒しの季節ノート』幻冬舎)。

 さわやかな秋日和がつづく年もあるのに、今年の10月は、台風、地震と大きな災害に見舞われた。

冷たい秋の雨風は、それこそ心身を打ちのめしかねない。

非情な追い打ちが気がかりだ。

 「秋風蕭々(しょうしょう)として人を愁殺す」で始まる作者不明の中国の古い詩「秋風」は、

家を離れて暮らす人の深い憂愁を描く。被災地の人々の憂愁の深まりが思われる。

 (●は「ヰ」に濁点「゛」が付いた字)



「秋風蕭々(しょうしょう)として人を愁殺す」「秋風秋雨、人を愁殺す」はこの季節にぴったりである。

大量に人々が亡くなってゆく可能性を包含している。「正義の戦い」の為に。

ただ秋日和が続く平和な日々が続くことを神に祈つて願うだけである。




2004年11月2日



日本人の私がこれほどにアメリカ大統領選挙に関心をもったことはない。投票の様子をテレビで見ていて

投票予想の報道 投票率の高さを知ってこれでブッシュはてっきり落ち,普通の世界に戻ると安心して

夜2時過ぎ頃に寝た。

翌日開票速報もCNNテレビ放送でみていたが,初め予定どうりに進んでいたのが

フロリダ州をブッシュが取った報道のころから,これは駄目かと思うようになった。

最後はオハイオ州が問題で,オハイオ州はいつも大統領選挙で勝った候補が大統領になるとの

ジンクスがあるらしい。接戦で最後までもつれたが結局はブッシュが征した。

不在者投票が判る前までにケリー候補が敗北宣言をして,ブッシュによる独裁者国家アメリカが成立した。

上院 下院ともに共和党が支配して,共和党の大統領ができた。

任期は四年,アメリカ大統領は3期続くことは禁止されているから,

ブッシュはこれからほしいままに世界を蹂躙することができる体制は整ったことになる。

これからの四年間を何をしだすかは判らない。今までの四年間にアメリカの9.11事件があり, アフガン戦争

イラク戦争 パレスチナとイスラエルの戦闘激化 なとなどと勇ましいことが続いて来た。

そして国連無視 ネオコンの台頭などの今までの業績をみれば後の四年間は何が起きるか全く予想もつかない。

予想が大きくはずれ平和に貢献するブッシュとなればと,それだけを願うだけである。

アメリカに引きずられ,再び日本が戦争ができる「普通の国」に変らない事だけを願いたい。今は核の時代である。

戦争が起これば地球破滅であることは誰もが理解でき,衆知のことであるが,キチガイに刃物で○○が権力を持てば何が起きるかと

固ずをのんで見守っているのが今の世界情勢である。これはなんと考えても11.2事件であった。

戻る

                                   9月分    10月分  11月分