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随想
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平成17年1月分
師走になって
早いものである今年,平成16年も暮れようとしている。今年は台風 津波 洪水 山の土砂崩れなど災難が続いた年でもある。
師走はなんとなく,せわしない気分で,何かに追われているような感じがする。年月は容赦なく過ぎ去ってゆく。
景気は相変わらずに,よくなった気配は感じられない。小泉首相の国民への辛抱への協力はなんだったのだろうかと騙された気分でいる。
「米百俵」の例えは,あれはなんだったのだろう。第二次大戦に駆り立てた為政者達よりはまだましかと,納得するしか仕方がない。
でも着々と戦時への布石がなされつつあるように想えてくる。是非とも同じ過ちは繰り返さないよう国民は監視しつづけなければならない。
この30日紀宮さんと黒田さんの婚約発表が会った。明るいニュースだが,一方奈良県での児童殺害犯人がつかまった。
長い間の捜査でやっと捕まったとの感じを受ける。師走の慌ただしさを感じる事件でもある。
寒さは本格的でまさに冬である。インフルエンザはまだ流行していないようだが,まだまだ油断はできない。
外国ではスマトラ沖の大地震が起き,それによっての大津波が発生し,大勢の人命が失われている。
スマトラ沖大地震で発生したインド洋大津波の波高が推定でわかった。
海岸での高さは、タイのプーケット島の北で最大15メートル、震源に近いスマトラ島西端では同20メートルに達した可能性があった
時速800キロで襲ったのだからたまらない。逃げるにも逃げられない速さだ。
このような場合,直ちに人道支援の為自衛隊派遣に異議を唱える日本人は一人としていないと思う。
イラクの場合は別である。アメリカのブッシュを助けるための度合いが強い。徐々に自衛隊駐屯地サマワも危険が迫ってきているようだ。
早く撤退すべきである。イラクの2005年一月の総選挙は事実上不可能であろう。
例えイラクの政権できたとしてもアメリカの傀儡政権であることには変わりない。
武装勢力の抵抗は続いている。それに伴いイラクの人たち,並びにアメリカ兵士たちの死者の数はドンドン増えつづけている。
なんとかならないものなのか。原因はブッシュによる無法な戦争を仕掛けた所から始まっている。
戦争前に戻す以外に解決の方法はないのではないか。或いは各国の国益を度外視して全てを国連に任す以外に解決の方法はなさそうだ。
銃だけでもって何処の国の民をも,従属されることは出来ないことを教えているように思える。
今,日本もアメリカから本当に独立していないのではないかと。
近隣の中国と仲良く出来ないのは何故なのか,大変不思議に思えてくる。
秋篠宮さま皇太子さまの鳥と道と、
幼い兄弟の心をとらえたものは
12月1日の天声人語より
今年は、皇太子さまの「人格否定」発言に、はっとしたが、秋篠宮さまの「残念」発言にも、少し驚いた。
記者会見という場で苦言を呈する形となった。
しかし、時には苦言も悪いことではないと思う。周囲に配慮しつつも言うべきを言うのは、大事なことだ。
皇室でも、これは認められなければならないだろう。
厳しい限定はあるにせよ、思いを述べる自由があることを示したともとれる。
秋篠宮さまは、『欧州家禽図鑑』(平凡社)の「後書」に小学校卒業の時の作文を載せている。
「世界の肉不足は、最近の大きなニュースの一つです……鶏肉をもっと利用する必要があります。
そこで私は、太って肉が多いといわれる中国産の『バフコーチン』とブロンズ種の七面鳥とから、
新しい肉用鳥の開発に取りくみました。
研究期間五ケ年、やっと新しい品種『バフロンズ』が誕生しました」
皇太子さまは、『テムズとともに』(学習院教養新書)に「そもそも私は、
幼少の頃から交通の媒介となる『道』についてたいへん興味があった」と記す。
「ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、
今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである」
鳥と道と、幼い兄弟の心をとらえたものは違っていたかも知れない。
しかし、それぞれの持ち味がにじんでいるようで、ほほ笑ましくもある。
今回の発言が、むしろ良い媒介となり、お二人や天皇ご一家の思いの通い合う「道」が、より広がればと思った。
自由に自分の好きな道で研究できる人たちは少ない。でも研究する内に自由に好きな道が開ける場合もある。
「好きこそものの上手なれ」は至言である。
国連食糧農業機関(FAO)は
砂漠バッタの大量発生の警告を発した
12月2日の天声人語より
「いなごは地の全面をおおったので、地は暗くなった。
そして地のすべての青物と、雹(ひょう)の打ち残した木の実を、ことごとく食べた……」。
旧約聖書の「出エジプト記」が描く災いは、いまなおアフリカの人たちを脅かしつづけている。
今年の2月から3月にかけて、国連食糧農業機関(FAO)は砂漠バッタの大量発生の警告を発した。
発生地とされる北アフリカに殺虫剤散布などをしたが、効果がなかった。
夏にかけて北西アフリカの国々が大群に襲われた。
「これは本物の戦争だ」とアフリカ12カ国が、軍隊による対バッタ戦争を宣言した。
以下、BBCなどの報告である。8月末、「南イタリアに侵入」「アフリカ、開戦を宣言」。
9月初旬、「国連、国際的な支援を訴える」。9月末、「モーリタニア、飢餓線上に」。
11月に入って「キプロスに上陸」「中東も危機」「スペイン・カナリア諸島を侵略」
今年はオーストラリアでもバッタの大群で被害が出た。
「究極の復讐(ふくしゅう)」といってバッタ料理の本も出たそうだ。
バッタをたんぱく質が豊富な「空飛ぶエビ」と称して、いろいろな料理法を紹介しているという。
バッタは干ばつや飢饉(ききん)、内戦などで荒れた土地に卵を産みつける。
その地がようやく回復し、緑を取り戻すころに大量発生し、再び荒廃に追い込む。
そんな循環を指摘する説もある。政情不安の地域が多く、現地での研究が進まないのも対策がむずかしい一因だ。
アフリカから遠くカリブ海にまで渡った記録もある。自然の驚異と脅威をともに痛感させられる。
バッタは第二次大戦時の頃,バッタを子どもたちがとりに行き,味噌汁の中に入れで食べた事もあった。
美味しかった記憶がある。
法隆寺は書紀にある通り
670年に全焼、再建されたのかどうか
12月3日の天声人語より
雷雨のなか、法隆寺を訪れたことがある。やがて晴れ上がった。
目の前の西院伽藍(がらん)は、あたかも再生をとげたかのようなみずみずしさを見せていた。
この古寺は幾たびの「再生」を繰り返してきたことか。そんな感慨にも襲われた。
そのときも日本書紀の「夜半之後(よふけてのち)に、法隆寺に災(ひつ)けり。
一屋(ひとつのいへ)も余ること無し。大雨(ひさめ)ふり雷震(いかづちな)る」という描写を思い浮かべた。
100年ほど前から論争の的になってきた記述だ。
法隆寺は書紀にある通り670年に全焼、再建されたのかどうか。
70年代なかば、古代美術史家の上原和さんは書紀の記述についてこう書いた。
「簡潔な記事ではあるが、その簡潔さゆえに、
かえって劫火に燃えさかる、暁(あかつ)きの法隆寺炎上が、この眼に見えてくる。
一屋も余すことなし、という表現は、法隆寺全焼のすさまじさをいいえて余すところがない」
(『斑鳩の白い道のうえに』朝日選書)
創建時のものとみられる若草伽藍の発掘そして現在の伽藍の年代測定なども加わって再建説が有力になってきた。
こんど、高熱で変色した壁画片が見つかったことで焼失・再建説がさらに補強された。
といっても「世界最古の木造建築」の座は揺るがない。
法隆寺の災害年表を見ながら、それにしても、と思う。火災、地震、台風、落雷の被害に何度遭ったことか。
痛恨は、戦後まもなくの金堂火災だった。貴重な壁画が焼損した。
〈いかるがの寺の棟(むね)よりくれなゐに炎のなびく世にぞ逢ひける〉吉野秀雄。
古代斑鳩の空を赤く染めたであろう法隆寺炎上を詠んだ歌は見つかっていない。
ブルートレインの先駆けとなった「あさかぜ」が、
来年3月のJRのダイヤ改定で消える
12月4日の天声人語より
車輪から伝わってくる軽い響きに身を委ねながら目を覚ます。
まだ明け切らない窓の外を見知らぬ家並みが流れ、黒い山影が迫る――。
こんな一刻に、寝台特急の旅情がある。
ブルートレインの先駆けとなった「あさかぜ」が、来年3月のJRのダイヤ改定で消える。
「走るホテル」とも呼ばれたが、新幹線や飛行機に押された。
時代の流れだが一抹の寂しさがある。
「あさかぜ」は、松本清張の初期の代表作「点と線」の重要な舞台となった。
汚職疑惑のある某官庁の課長補佐と赤坂の料亭の女性が、東京駅の15番ホームから「あさかぜ」に乗り込む。
14番線に列車がなく、13番ホームから「あさかぜ」が見通せるわずか4分の間に、
偶然を装って目撃者を作り出す場面だ。
「点と線」は、雑誌「旅」の57年、昭和32年の2月号から約1年連載された。
九州などの風土を背景に、時刻表の秘めた意外な物語性を駆使して展開する。
官と業の癒着の中で、詰め腹を切らされる中間管理職の悲哀と、
責任を逃れて太ってゆく高級官僚への告発もにじむ。
「松本清張ほど戦後状況をみごとに体現した作家はいない」。
尾崎秀樹さんが『新潮現代文学・清張集』の解説に書いた。
それから四半世紀たつが、このところ、テレビでの再演や、傑作選、随筆集の刊行などが続く。
確かに、清張さんならどう捌(さば)くかと思わせる事件は後を絶たない。
政権党の最大派閥の1億円献金隠しの怪もその一つだ。
「あさかぜ」は、静かに走りを終える。
しかし、権力の無法な走りの方には終着は見えない。
旅の旅情は半分は鉄道によるものだろう。東京と大阪間が2時間で往来できるようになると
列車にょつて旅の旅情をはぐくむようなものでなく,ただ只地区の間を移動する手段としてのものとなってきている。
味気ないと言えば科学が進歩するほどにこの傾向は強まる。
東海道をのんびり歩いて旅した時代と現在と比較してどちらが良いかは断言できない。
「走るホテル」とも呼ばれたブルーとレインが、新幹線や飛行機に押されて,それは時代の流れだが
一抹の寂しさはある。権力の無法な走りの方に終着が見えないのは残念である。
真の改革が叫ばれる所である。
「盾と花」は、力での衝突に至るかどうかで
緊迫する現地を象徴していた。
12月5日の天声人語より
ロイター通信による印象的な写真があった。屈強な警官隊が金属の盾を持って列をなしている。
ヘルメットに雪が降りかかる。女性がひとり、手を盾の方に差し出す。
指先にはさんだカーネーションを盾の小さな丸い穴に差し込む。
一つの盾に一つずつ、カーネーションが植えられてゆく。
先のウクライナ大統領選では、「親ロシア派」の首相が当選とされた。
女性は、選挙の不正を指弾する「親欧米派」の元首相の支持者という。
「盾と花」は、力での衝突に至るかどうかで緊迫する現地を象徴していた。
最高裁が、選挙の不正を認めた。選挙をやり直すという。審理はテレビで中継された。
共産党指導部の意向を重視する「裁判は暗黒」の時代からは隔世の感がある。
ソ連の崩壊と独立から十余年、民主主義の成長を示すのだろうか。公正な再選挙が行われれば良いが。
ウクライナは肥沃(ひよく)なステップ地帯で小麦の大産地だ。
日本人にもなじみの深い多くの芸術家が、この地に生まれた。
ゴーゴリ、プロコフィエフ、アイザック・スターン、ニジンスキー……。
しかし独立を手にするまで、ウクライナは長く厳しい道をたどった。
国民的詩人シェフチェンコは、ロシアの支配にあらがう運動に参加して流刑になった。
「わたしの歌 ふるさとの歌よ わたしの花よ 子供よ!……ウクライナへ行け
子供たち!……かの地でおまえは見いだすだろう ひろい心とやさしい言葉を」(『世界名詩集大成』平凡社)
周りの過剰な介入は「わたしの歌」をかき消し、「わたしの花」をも散らす。
ウクライナの大統領選挙騒動にはうんざりする。どれだけ正確な報道が我々に伝わってきているのか分らない。
ウクライナの首都キエフは日本人にもおなじみである。加藤登紀子さんの兄さんが経営する京都の「キエフ」というロシア料理店で
食事したことがある。ロシア民謡をロシア人が日本語で歌いサービスしてもらいながら食事をした。
普通の外国人で欧米人と何の違いをもかんじなかった。今回始めてウクライナにキエフがあることを知った。
チェチェン独立目指す人たちのテロに比べ戦いというものの詩情を感ずる。
NHKは、海老沢会長が参考人として
国会に呼ばれた時には中継
12月06日の天声人語より
突然、独演が始まったかのように見えた。NHKニュースの終わりに、海老沢勝二会長が登場し、
元プロデューサーの詐欺容疑での逮捕について「おわび」を述べた。
会長が自局の放送に出ることは不思議ではない。
しかし、その「波」の使い方には、やや違和感を覚えた。
NHKは、海老沢会長が参考人として国会に呼ばれた時には中継しなかった。
議員から質問を受ける国会では、会長が困惑する場面もありうる。
しかし、不祥事に対処する決意を、全国の視聴者に早く直接示せる機会と考えることもできたのではないだろうか。
会長は以前、こう述べている。
「テレビの醍醐味(だいごみ)はなんといっても“生”だと思うのです……テレビの“生”の迫力は、
他のメディアの追随を許さないと思います」(『テレビがやって来た!』日本放送出版協会)。
大きな出来事を視聴者に直接伝える道具としての生中継の威力を述べているのだが、
国会の件では、その力をどう考えたのだろうか。
「おわび」の方は、会長が一方的に語るだけで終わってしまった。
淡々としている分だけ、説得力もあまり感じられなかった。
そして、いわば視聴者から預かっている公共の波に、ある時は乗ったり、また乗らなかったりと、
使い分けているような印象がぬぐえなかったのは残念だ。
異様なほどに連続して発覚した不祥事が、刑事事件にまで展開してきた。
視聴者から預かった受信料の公共性を忘れて、我が物のように使っていた疑いがある。
預かった波の使い方も、「みなさまの」と言えるようでありたい。
NHKは腐敗しきっている。改革を声高に唱える小泉首相にしては何も発言しない。
テレビの中で唯一の味方であってほしいためなのか。視聴しないのに何故に視聴料をとられるのか不思議だ。
公共放送はあっても良いが規模を縮小し,災害時のみの放送局であって後の部分は民営化しても良いと考える。
確かにコマーシャルを途中で放送されるのはわずらわしい。マスコミは広告でもっているところがある。
スポンサーに遠慮して発言できないのでは困る。今のNHKのスポンサーは政府でそれが我々の視聴料で経営が
成り立っている。たとえNHKでも独裁者は排除すべきである。国民のためにも。
中国の官吏登用試験・科挙の伝統を受け継いだ韓国では、
大学入試は国を挙げての一大行事だ。
12月7日の天声人語より
ソウル市内の中学校を訪ねた時のことだ。校長室で、もちを勧められた。
校内模擬試験で、平均点が71点で学年トップになったクラスの父母が、
お祝いに搗(つ)いて持ってきたという。
十数年前で味は忘れたが、教育ママをチマパラムと呼んでいたことは覚えている。
チマは韓国風のスカートで、パラムは風だ。その風力は、相当強いようだった。
中国の官吏登用試験・科挙の伝統を受け継いだ韓国では、大学入試は国を挙げての一大行事だ。
昔からの合格祈願の必需品はアメである。くっつくと、合格するとが同じ動詞だという。
入試の日には、受験会場の校門に、母親たちがアメの塊をくっつけて祈る。
この、全国を覆うような祈りに衝撃を与えたのが、今回の入試不正事件だ。
携帯メールでのカンニングは、どこにいても通信が可能という現代の技術を使ったところが新しいが、
その動機は、昔ながらのものかも知れない。
中国の科挙の時代にも、カンニングはあったという。宮崎市定著『科挙』(中公新書)には、
「四書五経」や注釈、70万字以上がびっしりと毛筆で書き込まれたカンニング用の下着の写真が載っている。
不正行為を見つけた時に答案紙に押す印もあった。
無断で自席を離れるのが〈移席〉、互いに答案紙を取り換えるのが〈換巻〉、〈説話〉が話し合いである。
今回多くの逮捕者を出している「メール・カンニング事件」の罪名は、
「偽計による公務執行妨害」だという。科挙の印からの勝手な連想で、
こんなハンコを想像した。「不移席不説話的瞬時大換巻」。
携帯メールがカンニングの手段につかわれるようになつたかと。そういうと奈良で起きた幼児殺害事件でも携帯電話が
使われている。確かに便利さとそれによる弊害とは裏表のように思う。これから益々違った形で携帯電話が犯罪に
使われる可能性が大きい。その防禦の方法は悪用しない教育にあるのだが。
ちょうど50年前に「誕生」したゴジラを
それだけで言い尽くすことはできない。
12月8日の天声人語より
97年、映画「ゴジラ」のプロデューサー田中友幸氏が死去したとき、米オハイオ州の新聞に「追悼文」が出た。
少年時代の「ゴジラ」をめぐる思い出をつづった記事だった。
60年代前半の米国の地方都市でのことらしい。
「ゴジラ」がテレビ放映される日、子どもたちは近隣で一番いいテレビのある家に集まった。
まだ白黒の時代だった。
東京の街を破壊する怪獣のすさまじさに、子どもたちは圧倒され「おい、見ろよ」と
口々に言いながら見入ったという。
そのころ原爆や水爆を、子どもたちは単に「爆弾」と言っていた。
キューバにソ連の爆弾が配備されていることは知っていた。
サイレンが鳴ると、机の下や地下室に隠れるように教えられていた。
子どもたちの間でゴジラは何者かを熱心に議論したが、
あの怪獣は、まさにすべてを破壊しつくす「爆弾」だったのだと筆者は回顧する。
ビキニ環礁での米国核実験で眠りをさまして来襲するゴジラだが、
当初の米国版では核のことはかなりぼかされたらしい。しかし米国の子どもたちは敏感にかぎとっていた。
先日、第1作を再見した。
反核メッセージの強さとともに、ゴジラ来襲時の混乱の描写が戦時中の空襲の再現であることを改めて感じた。
当時の日本人にとっては、近い過去の鮮烈な経験がよみがえる。
米国人には、近い未来に起こるかもしれない「惨事」だった。
ちょうど50年前に「誕生」したゴジラをそれだけで言い尽くすことはできない。
ただ、日米関係を映す鏡としても、様々な相貌(そうぼう)を見せてきたヒーローであった。
ゴジラには全く興味がない。ゴジラ映画も一度も見たことがない。アメリカの映画殿堂にゴジラがはいるとか。
子供達を沸かした貢献によるものなのか。
拉致され、過酷な試練を乗り越えてきた人の、
内に秘めた強さと優しさが感じられる。
12月9日の天声人語より
佐渡が島真野の入江は秋をふかみ波の穂白く日に光りつゝ(相馬御風)。
今はもう初冬だが、歌からは、ゆるやかに湾曲を描いているという真野の入り江のたたずまいがしのばれる。
ふるさとの佐渡市内(旧真野町)で、曽我ひとみさんの一家が、ようやく親子そろっての生活を始めた。
これまで、曽我さんは、実に長く曲がりくねった道をたどらされてきた。
想像を絶するような心身の痛苦が重なったことだろう。
言葉では表し得ないつらい思いもあるに違いないが、曽我さんの時々の言葉には、救われる思いがした。
拉致され、はるかな時を経てたどりついたこの国の山河やふるさとを語る時には静かな熱を帯び、詩情が漂った。
過酷な試練を乗り越えてきた人の、内に秘めた強さと優しさが感じられる。
「きょうは私の人生の最終章の第一日」。真野での会見で、ジェンキンスさんは涙ぐんだ。
この20年間、「心にこの島の美しさ、静けさをずっと思い浮かべていた」とも述べた。
「一(い)か 二(に)しん 三(さ)ば 四(し)いら 五(い)そぶく 六(む)くじ 七(な)まこ 八(や)つ目 九(く)じら 十(と)び」。
佐渡のかぞえ歌には、海も山も豊かな土地柄が見える。「ひよどり ふ(ひ)よこ みみずく 夜たか いもり……」
(『佐渡の民話』未来社)
島に抱かれた最終章が末永く穏やかなようにと祈りたいが、昨日は拉致問題でまた衝撃的なニュースが流れた。
「横田めぐみさんの骨」は、別人のものだった。
家族の必死な思いをもてあそんだ罪は重い。拉致問題解決への交渉の方は、序章が始まったばかりだ。
拉致問題解決への交渉の難航がどうも理解できない。拉致されている人たちで尚本当に生きている人たちも
殺されるのではないかと心配する。あまり騒がず日朝が国交回復することが一番のちかみちであると考える。
韓国もそれを期待していると思う。前韓国大統領の金大中さんの太陽政策が一番正しい選択肢である。
北朝鮮と韓国は同一民族であり,戦後日本の代わりに日本の朝鮮植民地政策の犠牲にされた国々であることを
忘れてはならない。
住友生命が毎年募集している
『創作四字熟語』による回顧である
12月10日天声人語より
「天地騒々(そうぞう)」の1年と振り返ることができるかもしれない。天と地の異変が多かった。
住友生命が毎年募集している『創作四字熟語』による回顧である。
「台風常陸(じょうりく)」で、10個の上陸を数え、「家田(かでん)浸水」の被害は大きかった。
大地は揺れ、新潟県中越地震の被災者はかつてない厳しい冬を迎えている。
「接者多熊(せっしゃたくま)」も異変の影響か。「風震禍残(ふうしんかざん)」である。
暑かった夏も、遠い昔のように思えてくる。
そういえば、7月にして「惨三九度(さんさんくど)」で寝苦しい日々を強いられた。
8月は、アテネからの映像に「後寝(あとね)五輪」の毎日だった。
「超気持泳(ちょうきもちえー)」の北島選手をはじめ「金銀銅多(きんぎんどうだ)」の活躍に、日本列島は熱かった。
温泉ブームに冷水を浴びせたのが「不湯(ふとう)表示」だ。
人気の温泉が入浴剤を使うなど「露見風呂(ろけんぶろ)」が相次いだ。プロ野球界も迷走した。
が、ひとまず「仙台一遇」と拍手で迎えた人たちもいよう。
海の向こうのイチロー「咲多(さいた)安打」には拍手喝采(かっさい)である。
「様様様様(よんさま)」現象にも驚かされた。いや、ヨン様だけではない。
まだまだ「嬉声韓話(きせいかんわ)」は続きそうだ。
「新札発光」で気分新た、とはいえ懐具合が変わるわけではない。
勤め人には「安昼(あんちゅう)模索」の日々である。
特許で200億円の「青光(せいこう)報酬」に発奮した人もいるだろうが。
「戦火滞平(たいへい)」のイラクへの自衛隊の派遣延長を政府が決めた。
「人働使円(じんどうしえん)」はイラク国民の望むところと首相は語った。
以下は番外、同僚とのやりとりです。
日本の世論は「派遣厭長(えんちょう)」で、
政府説明は「遣強不解(けんきょうふかい)」、また「遣強不快」といわざるをえない。
考えたが,作れない事が分った『創作四字熟語』である。むつかしい。
「マザー・テスト」という言葉が米国にはあるそうだ
12月11日の天声人語より
「最も美しい英単語はマザー(母親)」。
英国の国際交流機関「ブリティッシュ・カウンシル」が、英語を母国語としない世界の4万人に尋ねた結果だという。
以下パッション(情熱)、スマイル(笑顔)、ラブ(愛)と続いたが、70位までにファーザー(父親)は見当たらなかった。
「マザー・テスト」という言葉が米国にはあるそうだ。
戦場などの危険の伴う任務を兵士に命ずる最高責任者は大統領である。
もしも兵士が死んだら、大統領は、その母親に何と言うのかというテスト(試練)だ。
「犠牲者が出てからでは遅い。現地の治安は議員が5、6時間見ただけで分かるとは思えない」。
今イラクに派遣されている自衛隊員の母親の言葉だ。
これまでの隊員の無事は、いわば薄氷の上の無事で、いつ割れるかと案じられるのだろう。
政府は、イラク派遣の1年延長を決めた。
この基本計画の変更で、現地の治安状況などの諸事情を見極め、「必要に応じ適切な措置を講じる」と追加した。
一見当たり前のようにも見えるが、今追加することには、いくつもの疑問がわく。
必要なら最初の派遣の時から入っているべきものを、今になって加えるのは、
派遣延長に反対が強い世論への対応策なのか。
この追加がなければ「適切な措置」は講じられないのか。では、これまでの1年は、どうだったのか。
息子がイラクで戦死した米国の母親の言葉が、この夏に載っていた。
「私の人生で最も空虚な手紙だった」。
その手紙は、戦死者の遺族に米大統領が送る定型のお悔やみだったという。
アメリカの戦死した母親達の思いを,自衛隊員が死ぬまでに知ってほしい日本国総理大臣小泉純一郎氏よ。
大統領選挙のやり直しで注目されるウクライナで、
今度は毒殺未遂の疑惑が持ち上がった。
12月14日の天声人語より
古(いにしえ)のペルシャ王の母パリュサティスは、憎い息子の嫁スタテイラを亡き者にしようとたくらんだ。
鶏を半分に切り、一方を自分が食べる。もう一方を食べたスタテイラは絶命した。
「種あかしは簡単で、鶏を切った庖丁の刃の片側だけに毒が塗ってあった」
(「毒薬の手帖」『澁澤龍〓全集』(〓は彦の旧字体)河出書房新社)
毒殺の歴史は古い。アレクサンドロス大王の「死因」は、インドの太守から贈られた有毒体質の美女との説もあるという。
「毒薬は相手に気づかれずにいかに仕込むかというのが最大の課題であったから、
飲食物に混ぜることはもとより、皮膚や粘膜を通して毒を吸収させたり、気体状にして散布したりするさまざまな方法が考えられた」
(『毒薬の博物誌』青弓社)
大統領選挙のやり直しで注目されるウクライナで、今度は毒殺未遂の疑惑が持ち上がった。
「現政権側に毒を盛られた」と主張する元首相の体から猛毒のダイオキシンが検出された。
担当医師は「スープなら、この量のダイオキシンを混入できる」と述べたという。
元首相の顔には、毒物の作用を思わせる痛々しさがある。しかし、ことの真相は、まだ分からない。
現代人は、いつ毒物に変わるか分からないものに取り囲まれている。
先日は、血液製剤「フィブリノゲン」について、警告が出された。
薬だったものが、後年、「毒物」の可能性をまとって立ち現れる。
薬から毒への境目をきちんと捕らえて素早く対応しないと、毒は広まる。
古の毒も恐ろしいが、見逃しや先送りによる、不作為の毒も怖い。
古来から時の権力者周辺で常に起きていたことが゛らである。生物兵器が飛躍的に発達した現在
何が起きるか分らない。民主主義とは対局にある政権奪取の手段である。
杜甫の「飲中八仙の歌」には李白のほか、
いろいろなタイプの酒飲みが登場する。
12月15日の天声人語より
昔の中国の詩人たちの酒好きは並大抵ではなかった。
なかでも友人の杜甫に「李白一斗詩百篇」と詠まれた李白は屈指の酒好きだろう。
ただ、一斗といっても、いまの3升、つまり1・8リットル瓶3本ほどで、大酒を意味する「海量」にはあたらないという。
酒を飲みながらとめどなく詩が流れ出る詩仙ぶりを杜甫は描こうとした(一海知義『漢詩一日一首』平凡社)。
あげくのはては酒場で眠りこけ、皇帝の招請にも応じない酒仙だった。
杜甫の「飲中八仙の歌」には李白のほか、いろいろなタイプの酒飲みが登場する。
朝、三斗の酒を飲んで出仕するが、途中で酒のこうじを積んだ車に出合うとよだれを流す人、
ふだんは寡黙だが、五斗を飲んで初めてしゃきっとし、談論風発でまわりを驚かす人もいる。
酒量は違っても、古今、タイプはそれほど違わない。
困るのは、酔っぱらうと場所を選ばず前後不覚に陥るタイプである。
現代では危険がいっぱいだ。
酩酊(めいてい)して車にはねられ、死ぬ人が年々150人以上にのぼっている。
忘年会の季節が要注意であることは、いうまでもない。
宴会で次々に勧められつい飲み過ぎてしまう。
そんな経験をすることも多い時期だ。
とびきり強い酒をぐいぐい飲んでも平然としていたという中国の周恩来元首相を見習いたい。
彼は一度含んだ酒を口をぬぐうタオルなどにこっそり戻していたそうだ。
酒を愛し、月を愛した李白には伝説が残る。
酔って水に映る月をとらえようとして転落、水死した、と。
李白だと美しいが、もちろん見習うべきことではない。
酒を愛し、月を愛した李白 杜甫には伝説は尽きる事がない。確かにアルコールは心を大きくし浮世の憂さを晴らしてくれる。
いくら大酒しても何も浮かんでこない凡人の悲しさ。ただ眠くなるだけ。
米紙が伝える過日の国際学力調査の結果である。
それほど米国の生徒の成績は悪かった。
12月16日の天声人語より
「教育とは、学校教育に邪魔されないで身につけなければならないもののことだ」とは
米作家マーク・トウェインの味わい深い言葉だ。
しかし、彼の母国アメリカでもそんな余裕はなくなってきたようだ。
「危機が近づいているのではなく、危機のまっただ中にいる」「私たちは技術の戦争に敗北しつつある」。
米紙が伝える過日の国際学力調査の結果である。それほど米国の生徒の成績は悪かった。
日本でも「学力低下」への危機感が広がっているが、各国ともそれぞれ多様な悩みをかかえている。
数学などで好成績をおさめた香港では、成績と態度とのギャップの大きさが顕著だった。
自分に自信がない生徒が多く、学校への信頼も薄いという。
全般に成績の良かった韓国では「あまりに厳しい競争社会」が危惧(きぐ)される。
オーストラリアでは、先住民のアボリジニーとの格差が悩みの種だ。
サッカーの国際ランキングにたとえて論じたのは英紙で「ところでわが国は、というとどこにも見あたらない」。
英国は実施率が悪く、比較からはずされた。
かわりに、というのでもないだろうが、総合1位のフィンランドをルポする新聞があった。
結論は、「小さいことはいいことだ」。生徒7人のクラスがある。
数学のクラスは17人だが、先生2人で教える。最多のクラスで19人だった。
あの国に新規の移民が少ないことを指摘する記事もあった。
現れる悩みは多様だが、大切なのは何のために学習するのか、させるのか、という問いではないか。
それを忘れて順位に一喜一憂しては実り薄い。
確かに一部のエリートにより米国は大国として引っ張りしているだけであることが
今回のアメリカ大統領選挙の日本での報道で分った。
無智な人たちが多い故に○○なアメリカ大統領が選出されてしまった。
この四年間に世界に何が勃発することか恐ろしいことになりそうだ。
放火事件が続いたディスカウント店ドン・キホーテの、
品物を密集させた並べ方だという
12月17日の天声人語より
「地底に大砲の音のような響きがして、たちまち激しく波うつように震動し、地は裂け、天が墜(お)ちるかと……」。
幕末の1855年に江戸を襲った安政の大地震を、戯作者(げさくしゃ)・仮名垣魯文(かながきろぶん)は
「安政見聞(けんもん)誌」に記した(『実録・大江戸壊滅の日』教育社)。
この年までに、畿内から東海道・相模にかけて、地震と津波による多くの犠牲者が出ていた。
「それでも大江戸近くではその心配もなく、すべての人々が毎日を快楽安逸のうちに過ごしていた」という。
死者が数千人とも1万人ともいわれる江戸直下地震に、
最悪で1万人以上の死者を見込んだ「首都直下地震」の被害想定が重なって見える。
耐震、耐火の備えや消防力は格段に進んだが、当時とは比べものにならないほど、人や家が密集している。
最近聞いた「圧縮陳列」という言葉を連想した。
放火事件が続いたディスカウント店ドン・キホーテの、品物を密集させた並べ方だという。
天井までびっしり積み上げる。避難路にも商品が置かれているといった法令違反では、消防が改善を求めた。
東京に限らず、大都市は人や家を圧縮してびっしり積み上げたようなものだ。
改善は容易ではない。地下からの直撃は想像するのも恐ろしいが、専門家の言葉に力づけられる。
「一人ひとりが自分にできることから始めれば絶望的になる数字ではない」
魯文は、江戸の人たちが、遠くの災害を「よそごととして聞き流していた」とも書いた。
おのおのの足元や頭上の「圧縮陳列状態」を見直せば、被害の圧縮につながるかも知れない。
便利で安いを追求してきた商売方法が惨事を生んだ。「圧縮陳列」とは常態ではなくて無理しているという事である。
アメリカ流プラグマチズムの破綻の一例である。何のため人間は生きているかを知らなければならない。
便利さを求めすぎてセカセカした一生を終わる事に成るのが現代なのかも知れない。
ゆったりした昔の良さをも振り返る必要があると思う。「夜雨草庵に等脚を伸ばす」に思いを馳せる。
マジノ線は、フランスの東部国境を
ドイツの攻撃から守るため、
第一次大戦後に築かれた
12月18日の天声人語より
マジノ線は、フランスの東部国境をドイツの攻撃から守るため、第一次大戦後に築かれた。
600キロ以上もの長大、強固な要塞(ようさい)線で、当時の最先端の防衛システムだった。
その防御力を絶対視する神話も生まれたという。
しかし、ドイツ軍はマジノ線を迂回(うかい)してフランスへとなだれ込み、難攻不落は幻想に終わった。
米国が進めているミサイル防衛(MD)システムの実験で、迎撃ミサイルが発射できず、失敗した。
2年前も失敗だった。
超高速で突如飛来するミサイルを撃ち落とすという映画もどきの最先端システムへの疑問や批判が高まるかもしれない。
これとは方式が異なるものの、日本は米とMDの共同技術研究を進めている。気になる事態だ。
「米国は天空のマジノ線を構築しようと試みている」との見方がある(『ミサイル防衛――大いなる幻想』高文研)。
95年にノーベル平和賞を受けた「パグウォッシュ会議」創設者の一人ジョセフ・ロートブラット氏は、この中で、
米国のMD戦略に強い疑問を投げかけている。
「問題国家」やテロリスト集団にとっては、弾道ミサイルで米国を攻撃するというのは自殺行為であり、
報復の危険がより低く、より安価な手段をとるはずだと。
マジノ線の要塞群は、大戦後もしばらく使われた。
要塞が売りに出されているとの記事が載ったのは20世紀が終わる頃だった。
仏国防省幹部が述べた。「先祖代々の敵だったドイツが友人となり、砦(とりで)は不要になった」
21世紀の天空の砦を、不要とするための地上のシステムこそ、共同開発したい。
ブッシュさんに一番教えてあげたいことは敵味方を作らない努力である。ミサイル防衛(MD)システムの実験で、
迎撃ミサイルが発射できず、失敗したといったツマラナイことに高額な費用を出さず世界の人たちが
互いに助け合うシステム作りに大金を投ずるべきである。
テロは貧困が原因している。その貧困こそを絶滅するのが最大の防御システムである。
題は「青春の町『銀座』」で、61年の執筆だ
12月19日の天声人語より
日本のタウン誌の草分けといわれる月刊「銀座百点」が600号に達した。
55年の創刊以来、約半世紀にわたって、この街の香りを発信してきた。
多くの著名な作家が寄稿した。
先日まで開かれていた記念の展示会には、池波正太郎や吉行淳之介の直筆原稿が並んだ。
原稿用紙のマス目を無視するかのような向田邦子の速筆の先に、三島由紀夫の端正な筆跡があった。
活気あふれる銀座を描写した後に述べる。
「世界的水準で見て、銀座の欠点は、明らかにスカイラインの低いことである……
どうして『銀座百点』あたりが気をそろへて、十階建平均の下駄穿(げたば)きビルを建て、町に秩序と重厚さをもたらさないのか」
題は「青春の町『銀座』」で、61年の執筆だ。
今の銀座のビルの背丈は、おおむね三島の言うあたりになっている。
昔を知る人からは、背が高すぎるという声も聞こえそうだが、
最近になって、高層ビルを含む再開発計画が持ち上がったという。
ここは、よく検討してもらいたい。例えば京都の小道で、角を曲がると思いがけず浮かんで見える五重塔は、
街並みとの調和も良く、歴史に磨かれた財産だと思う。
しかし、角を曲がっても曲がっても立ちはだかっている、ガラスと鉄の仮面のような巨塔は威圧的だ。
長く欧州の古都に住む知人が、自宅の壁を修理する時の色などの規制の厳しさをこぼしつつ、
町のたたずまいが財産だから、とも言っていた。
今月施行された景観法には、良い景観は国民共通の資産とある。
都市だけではなく、全土で資産をつくりだしてゆきたい。
超高層ビルが立ち並ぶ銀座に何の魅力もない。京都を見習って欲しい町並みが地域を特定して抑えている。
だから古い町並みが残り魅力も残るのである。
謎のクジラが北太平洋を遊泳しているそうだ
12月20の天声人語より
謎のクジラが北太平洋を遊泳しているそうだ。
発する声からはヒゲクジラの一種だと思われるが、波長がまるで違っていてこれまで聞いたことのないタイプだという。
米海軍の潜水艦探知記録によると、もう12年間も遊泳を続けている。
年齢のせいか、声は徐々に低くなっているらしい。群れではなく単独行動をしている。
英科学誌ニューサイエンティストが報じた。未知の声を発しながら、
孤独な老クジラが大海を泳いでいる。想像をかきたてられる光景だ。
オーストラリアとニュージーランドでは、11月末から大量のクジラが浜に打ち上げられた。
懸命の救助作業にもかかわらず、100頭以上が死んだ。いろいろ原因が論じられている。
クジラは地球の磁場を頼りに移動するという説がある。何らかの理由で磁場が変化したためではないか。
気候変動を原因にあげる人もいれば、餌の移動説、あるいは人工音に惑わされたとの見方もある。
「病んだリーダーか幼いクジラが浜に打ち上げられ、他のクジラは助けようとした」。
地元紙はそんな説も紹介していた。
昨年公開されたニュージーランド映画「クジラの島の少女」を思い出す。
浜に打ち上げられた瀕死(ひんし)のクジラの群れを一人の少女が助ける物語だ。
リーダーのクジラにまたがり群れを誘導する少女の感動的な姿は、先住民マオリ族の伝説の再現だった。
今度の「事故」でも「彼らの魂は私たちと同じです」といって、死んだクジラの頭を海に向け、
丁寧に埋葬する光景が見られたそうだ。謎と伝説が尽きない生き物である。
鯨は哺乳動物だから特別視しているのかどうか,食用にはされなくなり大分期間が経っている。
だからといって他の魚は食用に供しても文句は出てこない。
人間の身勝手な解釈ともとれる。鯨も魚も同じ生きるものである。
戦後の肉の少ない頃鯨肉をよく食べた記憶がある。それも遥か昔の話になっている。
「NHKに言いたい」は、
番組としては画期的だった。
12月21日の天声人語より
スタジオの針のむしろに2時間余、役目ながら、
会長もさぞくたびれたに違いない――と読んで、うなずく人は、まずいないだろう。
何を書くつもりか!と、当夜の怒りがぶり返す方もあるかも知れないが、もう少し先までおつき合いを。
「NHKに言いたい」は、番組としては画期的だった。
巨大組織のトップが、スタジオや全国からの批判を一身に浴びる。
捨て身で事態を乗り切ろうとの意図も感じられた。
しかし海老沢勝二会長の発言は、これまで通り、おわびと改革続行の繰り返しに終わった。
編集不能な生中継なので、その単調な反復ぶりが強調されていた。
「会長の職に恋々としているわけではないが、まだ志半ば」。
この発言の志とは、改革への志を指すととれるが、会長の個人的な志と重なって響くところがある。
会長職が異例の3期で計7年に及ぶ人に「半ば」といわれても戸惑う。
恋々としないのなら「半ば」でなくなる頃合いや条件を明らかにして欲しかった。
「人生の大病は只(た)だ是(こ)れ一の傲(ごう)の字なり」と王陽明が述べている。
誰もが自省を免れない傲(おご)りについての厳しい言葉だ。
その大病が、激しい競争や倒産の恐れの無い「公の巨大組織」で、
公のものを私するさまと重なって見える。日本銀行の札の抜き取りも一例だ。
NHKの元チーフプロデューサーが逮捕された日、幹部は会見でNHKを「被害者」と呼んだ。
告訴した立場上はそうかも知れないが、肝心なはずの視聴者は、その視野のどの辺りに置かれているのか。
疑問は、会長の出演後も消えなかった。
NHKの海老沢勝二会長の姿は傲慢で威喝しワンマンタイプに見える。公共性の強い機関でのトップに相応しくない。
当然部下が不祥事を起こせばトップにも影響がある。
NHKの放送は国民に対して大きな影響がある。テレビの時代やはりNHKを見る機会が大きい。
そのトップがワンマンならばとんでもない方向へ国民を導く可能性もある。
71歳で老醜をさらすべきでない。会長職が異例の3期で計7年に及ぶ人に「半ば」といわれても納得がいかない。
冬至の昨日は
12月22日の天声人語より
日の光が部屋に深く入り込むようになった。
冬至の昨日は、光が狭い部屋を通り抜け、いつもは仄暗(ほのぐら)い廊下の奥を照らし出した。
〈冬至の日しみじみ親し膝に来る 富安風生〉
外に出ると、冬至の日が、弱いなりにも輝いていた。
立ち止まり振り返る。足元から背丈の3倍くらいの影が、歩道の敷石に伸びている。
黒い形が、本人の年齢や国籍を消し去ってたたずむ。
仏系ドイツ人、シャミッソーの『影をなくした男』(岩波文庫)を思い出した。
自分の影を売り渡して大金持ちになった男の物語だ。
影の代わりに、いくらでも金貨の出てくる金袋を手にしたが、影のない男に世間は冷たかった。
悩み、苦しみながら生きてゆく様が面白くも切ない。影の存在感が強まる冬至の頃には、さぞ困ったことだろう。
午後に再び街に出ると、太陽は鉛色の雲に隠れていた。
誰にも影が無いが、皆平気で仕事に買い物にと駆け回っている。
時に木枯らしのような風が立つ。太いイチョウの根元では、金色の葉が渦を巻いている。
〈声高に冬至の山を出できたり〉。作者は今月亡くなった鈴木六林男さんだ。
太平洋戦争中、中国やフィリピンを転戦した。
〈遺品あり岩波文庫「阿部一族」〉のような、戦場での人間の姿を鋭く詠んだ。
戦前は、無季俳句の拠点「京大俳句」に投句した。そして〈水枕ガバリと寒い海がある〉の西東三鬼に師事する。
冬至の日は、5時前には落ちた。六林男選の『西東三鬼集』(朝日文庫)を開く。
今時分を思わせる一句があった。〈朝日さす焚火を育て影を育て〉
季節と季節の言葉との乖離があるほど,この所異常季節が続く。まさか太陽まで影響が及び冬至でも影は
そんなに長くないとなればミステリーである。
季節用語がその時々に使われた時代が懐かしいとおもわないように温暖化防止条約(京都議定書)にアメリカも
加わってほしいものである。プラグマチズムを信奉していることはよく理解できるが地球が駄目になれば
終いであることくらい理解してほしいものです。
新潟の地震の被災地に雪が積もった
12月23日の天声人語より
新潟の地震の被災地に雪が積もった。〈空ひびき土ひびきして雪吹ぶくさびしき國ぞわが生まれぐに〉。
地震後に、合併で魚沼市となった旧堀之内町出身の歌人、宮柊二(みやしゅうじ)の作である。
この歌を刻んだ石碑が、母校の堀之内小学校に立つ。
地震で倒れ、クレーンで戻した。宮さんが作詞した校歌を掲げた体育館は強度が落ち、危険で使えない。
昨日は終業式で、いつもなら体育館で午前中に開くのを、各教室で午後からにした。
地震後に休校にした分を少しでも取り返そうと、午前を学習にあてたという。
児童が校歌を歌う時、教室のテレビに歌詞が流れた。
「あざやかに 立ち並ぶ 三つの山……」。3番に、こうある。
「限りなく 星光る 冬の空 ふるさとの空は教える ゆめもって 寛(ひろ)く大きくあれと」
「星光る」からは、今年、長野の高原で初めて星の光を見たという盲学校生の記事を思った。
4歳で失明し、2年前に口の粘膜から「角膜」を作る手術を受け、視力を得た。
白い瞬きが、彼女の一番星だった。長野と山続きの新潟の冬空に、星は限りなく光るだろうか。
宮さんは、郷里の学校の校歌を幾つも書いた。
「青空をわたって行くよ 白い鳥 空高く ゆっくり大きく力づよく
わたってゆくよ われらも 行こう 心つよく 心たかく」(長岡聾(ろう)学校)
86年に他界した時、歌人の近藤芳美さんが、宮さんの作風を「自分の内面を見つめ、人間の孤独をうたい続けた」と述べた。
内面の凝視から生まれた人間への寛くやわらかな励ましが、校歌の向こうから聞こえてくる。
眼をもっていても見えず。耳があっても聞こえず。口があってもいえない。我々凡人の毎日の生活では
なかろうか。心の目を開いた人にはかなわない話である。
中国の女子大生の作文である。
離婚した父と平穏に暮らしていたが、
15歳のとき、父が日本人女性と再婚した
12月24日の天声人語より
中国の女子大生の作文である。離婚した父と平穏に暮らしていたが、15歳のとき、父が日本人女性と再婚した。
結婚式の日には、シロという犬を連れて家出した。
「母と言いたくなければおばと呼んでもいい」と父は言ったが、冷たく拒否した。
継母には自分の持ち物やシロに触れさせなかった。
音楽学院の入試をひかえて大病にかかり入院した。継母は自分の血を輸血してくれた。
意識が回復し、疲れた笑顔の彼女を見て心が大きく動いた。
音楽学院に行くとき、シロの世話を彼女に託した。継母は涙を流した。
冬休みに帰ったら、お母さんと呼ぼうと心に決めた。
冬休みに帰宅しても「お母さん」はいなかった。
シロを連れて娘を迎えに出たとき、急に走り出したシロを追いかけ、車にはねられて亡くなった。
残された日記には、その日を楽しみにしていたことが書かれていた。
「お母さんの遺志を引き継いで中日のかけ橋になりますよ」と作文は結ぶ。
大森和夫・弘子編著『「中国の大学生」発 日本語メッセージ』(日本僑報社)に収められた一編だ。
中国で日本語を学ぶことには、困難も伴う。反日感情がくすぶっている。「反日」を増幅する事件もしばしば起きる。
しかし、現実の日本人や日本文化に接することによって「反日」を克服していくさまを描く作文が多い。
先の女子大生の物語は、象徴的な例だ。
「中国に親しみを感じる日本人が激減している」という調査結果が先日、報じられた。
作文集を読みながら、草の根の相互交流がいかに大切か、を改めて痛感する。
なせ゛に中国に親しみを持たない人たちが増えたのか。一番文化面でも昔から影響受けてきた日本が
何故に中国に親しみ持たない人が増えた原因が判らない。
隠れた中米の確執がありアメリカに味方しなければならない結果によるものか。
原因は判らない。隣国とは親しくするのが常識である。
日本の○○は又靖国神社参拝を持ち出し日中 日韓の関係を又悪くさせるのではないか。
国民も○○が伝染しないように心掛けよう。
米タイム誌がブッシュ氏を「今年の顔」に選んだ。
12月25日の天声人語より
「首相官邸には、顔を悪くする悪魔が住んでいる」。
長年、テレビ出演者のメークをしてきた岡野宏さんの言葉だ(『一流の顔』幻冬舎)。
頂点に上りつめた政治家は顔が変わっていく。
どの首相も良くなることはない。ほとんど例外なく、悪人の顔になっていく。
首相官邸への出入りも長い岡野さんの観察だ。
確かにそう思う。激務や重圧のせいなのか、あるいは権力という「悪魔との契約」のせいか。
そのわりに小泉首相の顔がひどくは変わらないのは、重圧に強いからか。
ホワイトハウスはどうか。テレビや写真で見るブッシュ氏の顔でいつも気になるのは、目だ。
焦点が定まらず、うつろにさまよっているときがある。
自信のなさ、気の弱さが表れて頼りない。
また、いかにも人なつこい表情と断固とした意志を表現するときとの落差が大きい。
米タイム誌がブッシュ氏を「今年の顔」に選んだ。
どの表情の写真を表紙にするのかと思っていたら、肖像画とは……うまくすり抜けられた。
ロンドンのマダム・タッソーろう人形館のクリスマス向け企画も話題になった。
サッカーのベッカム夫妻をヨセフとマリアに、ブレア英首相、フィリップ殿下、ブッシュ大統領を三賢人に見たてた展示だ。
法王庁などからは「不謹慎」「悪趣味」と批判されたうえ、先日、何者かによって破壊された。
ふだん展示されているブッシュ人形も入場者に首をしめられたりして不遇らしい。
権力は顔を悪くする。といって顔や人形に八つ当たりしても仕方ない。
行動を厳しく監視するほかない。
タイム誌の表紙の人にブッシュが選ばれたことは当然である。世界を操るその人だからなんと言っても良かろう悪かろうとも
世界への影響は絶大である。予感として悪い影響を受ける。ヒットラーもタイム誌の表紙に載った一人だから当然の選択である。
それは飼い主の方を捜していた
12月26日の天声人語より
半月ほど前のことだ。住宅街の坂道の電柱に張り紙を見た。
居なくなったペットを飼い主が捜す手配書かと思ったが、それは飼い主の方を捜していた。
コピー用紙らしい白い紙に印字してあった。
通りすがりで、文面はよく覚えていないが、
近くの建物の下にじっとうずくまって動かない猫(だったかと思う)が居る、という。
飼われていたペットと思われるので、心当たりの方は連絡を下さいとあり、携帯電話らしい番号が並んでいた。
張り紙は、寒さの中で震えている姿を想像させた。
保護してくれた人が居るようだが、張り紙が早く飼い主の目に触れるようにと願った。
その後2、3度、坂を通ったが張り紙は無くならなかった。
日々、寒さが募る。都会では捨てられるペットが数多いが、張り紙のも、それだったのか。
地域の住民が協力しあって世話する「地域猫」の活動も聞くが、
好き嫌いが分かれるペットが、街路で安住するのは、なかなか難しい。
張り紙のことを忘れかけていた時、死んだ猫のクローン猫を飼い主が手にしたとのニュースが米国から流れた。
そこまでして、命の連続を追い求めることには、強い違和感がある。
クローン猫は、姿形はそっくりでも、生きてゆく時間が元の猫とは異なる新しい命だ。
しかし、ペットに死なれた時のつらさもよく分かる。
ふと気になって、あの坂へ行った。
張り紙は、消えていた。飼い主が見つかったのか。
それとも、張り出した人があきらめたか、あるいは――。
張り紙の跡を確かめながら、見知らぬ小さな命の行方を思った。
犬が迷子になり飼い主を探すとは時代も進んだとしか言いようがない。
『江戸東京《奇想》徘徊記』
12月27日の天声人語より
ドイツ文学者で本紙の書評委員でもあった種村季弘さんが亡くなったのは、暑い頃だった。
昨日、書評委員が薦める今年の3点が載った。
「編集長敬白」で、種村さんが候補の一つを早々と担当者に告げていたと知り、
年の終わりに、この人に触れたいと思った。
自著や編、訳書などの題から熟語を抜き出し、つないでみた。
悪魔の黒い錬金術の夢が器怪な影法師と怪物で奇想の迷信となり無気味な綺譚を逸脱して
永久機関としての温泉と遊星の漫遊する展覧会の迷宮。
幻想と異端への愛の呪文のようだが、近年は「徘徊(はいかい)老人」としても知られた。
それは都市という巨大な迷宮と人との間柄を考える旅だったとも見える。
『江戸東京《奇想》徘徊記』(朝日新聞社)には、アスファルトを一枚めくると、
隠れていた地層が次々に姿を現すと書いた。
「ポストモダン臭一色になった東京にも江戸や明治の名残が汚れた残雪のように顔をのぞかせている」
73年の田村隆一との対談「変貌(へんぼう)する都市」で述べた。
「地名というのは追憶の糸口です……地名が次々に変えられていくのでは、
永遠の現在みたいになってしらけちゃうわけで、こんな困ることはない」。
翌年の田村の「詩人のノート」の一節が、今は、送る言葉のように響く。
「落ちる/水の音 木の葉/葉は土に 土の色に/やがては帰って行くだろう……
『時が過ぎるのではない/人が過ぎるのだ』」
相当前、深夜の酒場のカウンターで種村さんを見かけた。
迷宮の怪人は、暗い止まり木で悠然とくつろぐ怪鳥のようにも見えた。
「時が過ぎるのではない/人が過ぎるのだ」の言葉に共感を覚える。時は人を過ぎ去らしてしまう。
空間軸からも時間軸からも見ての一点にすぎない自分が今いる。これは永遠に変わらない。
インドネシアの地震と津波の被害は、
どこまで拡大するのかも分からない。
12月28日の天声人語より
インドネシアの地震と津波の被害は、どこまで拡大するのかも分からない。
地の底に潜む力の途方もない大きさを改めて感じる。
震源に近いスマトラ島には、地震の由来についての伝説があるという。
天空の神の子が、天上界と下界との間に大地をつくった。
大地ができて真っ暗になってしまった下界の首領は腹を立て、
下から激しく大地を揺り動かしたので、大地は壊れてしまう。
支柱で補強して以後、壊れることはなくなったが、下界が揺さぶる度にぐらぐら動く。
(『世界神話伝説大系』名著普及会)
インドネシア周辺では、日本と同様、大地震が繰り返し起きている。
92年のフローレス島付近の地震でも津波で多くの死者がでた。
その時の文部省派遣の調査団の報告を見ると、住民の大多数は津波のことを知らず、
津波が来るのを見てから逃げた人がほとんどだった。
調査団はインドネシア側へ助言したという。
「若者に当番を決め、地震を感じたら海を監視する。
火の見やぐらと半鐘を備える。老人幼児でも避難できる坂道を造る」
島と島の間でも、地震津波の伝承や備えに差はあるだろう。
まして海を隔てた国にはまず伝わらない。
しかし大津波の方は、ジェット機並みの速さで伝わり、スリランカやインドを越え、アフリカでも犠牲がでた。
同じインドネシアでも、太平洋側なら津波情報が入るが、インド洋側は監視網の外というのも切ない。
救出や復興支援が最優先だが、その先に、国境を超えて結ぶ安心の回線を建設する。
こうした貢献に、地震国日本の蓄えを生かしたい。
地震先進国日本が一番活躍する国際舞台を与えられたのである。
人材も才能も全てを惜しんではならない。此れこそが人道援助である。
イラクは人道援助でなくブッシュ援助である。尊い命を粗末にはしたくないものだ。
この文章が英語で「津波」が登場した最初である、
12月29日の天声人語より
「海水は絶壁のごとく高く盛り上がりながら、飛ぶ鳥よりも早く、ぐんぐんこちらへ押し寄せてきた」。
人々は「つなみだ――!」と叫んだ。(『明治文学全集 小泉八雲集』)
八雲(ラフカディオ・ハーン)がつづったこの文章が英語で「津波」が登場した最初である、
とはオックスフォード英語辞典の説明だ。
1897年のことで、前年、2万人以上が犠牲になった三陸大津波の記憶がまだなまなましいころの記述である。
その後、「ツナミ」は世界に通用する日本語の一つになった。
日本がたびたび痛い経験を強いられ、研究も進んだということだろう。
同時に他国の関心がそれほど高くなかった証しでもあろう。その落差があまりに悲劇的に出てしまった。
いま世界のメディアはスマトラ沖地震に発する「ツナミ・ディザスター(津波災害)」について報じつづけている。
「たとえようのない自然の恐ろしい姿だった。
思わずノアの方舟(はこぶね)を思った」「世界の終わりだと思った」。
各地での体験談が津波の衝撃の大きさを伝える。
直撃を受けたインド領のアンダマン・ニコバル諸島では、壊滅した島もあるのではないか、と危惧(きぐ)される。
「そよ風に揺れるヤシの葉、真っ白な砂浜……海辺でゆったりくつろぎを」と宣伝される島だった。
被害の広がりが、まだ確認さえできていない現状だ。
ハーンが描いたのは、古老がとっさの知恵で村人を津波から救う物語だった。
今度の未曽有(みぞう)の災害をめぐっても、海の異常を察知した知恵者が、人々を救った例があったのかもしれない。
ツナミが世界共通する言葉とは初めてしった。世界にはツナミがずーとなかったのかが大変不思議である。
「心のタマネギをむくように、
自分の芯にある思いを言葉にしてください」。
12月30日の天声人語より
最近の言葉から。神戸の連続児童殺傷事件の加害男性が本退院するのを前に、
被害者の一人山下彩花さんの母京子さんが手記を公表した。
「どんなに過酷な人生でも、人間を放棄しないでほしい……生きて絶望的な場所から蘇生してほしい……
けっして彼の罪を許したわけではありません……それでも、彼の『悪』に怯(おび)えるよりも、
わずかでも残る『善』を信じたいと思うのです」
加害男性は、仮退院後、父親につぶやいた。「なぜ、あんなことをしてしまったんやろう。
こんなことになってしまったんやろ」。「お父さん、幸せやと思ったことあるか?」。「お前が生まれた時や」
「実態としても象徴的にも銃(自説)に固執し、政治のルールをそのカウボーイ的な指導スタイルに合うように作り替え……」。
「今年の人物」にブッシュ米大統領を選んだ、米誌タイムの選考理由から。
「客観的事実から考えると、私が受け取って滝川さん(旧橋本派の会計責任者)に渡したのだろう」。
日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件についての衆院政治倫理審査会で、
自らを第三者のように語る橋本龍太郎・元首相。
落ち込んだ時、自分を支える「言葉のつえ」があれば元気になれると詩人の工藤直子さん。
「心のタマネギをむくように、自分の芯にある思いを言葉にしてください」。
例えば「三日坊主も10日やれば30日」。
指揮者の岩城宏之さんが、大晦日(おおみそか)に、ベートーベンの交響曲全9曲を一人で振る。
「途中で心臓が止まるかもしれないが、面白いから、やってみる」
全てのこの世の出来事である。あの世にては解決はない。でも風化が人間に与えられた確実な解決方法かも
知れない
吾輩(わがはい)は、この年である。
12月31日の天声人語より
吾輩(わがはい)は、この年である。
つまり、今日一日限りとなった行く年だ。
名前は……と言いかけた途端、「災い」と声がかかりそうだ。
その気持ちは分かるが、それしかないのかと自問する。
確かに、この年、災いが繰り返された。
暮れにも、史上最悪の惨害となりそうな大津波が起きた。
多くの人が、むやみに殺された。
命を奪うことへの抵抗感が失われたのかと疑うような事件が続いた。
一方で、勇気づけられることも起きた。
アテネ五輪では、輝く青年たちや、味のある壮年の活躍があり、イチローの大リーグ新記録があった。
そして洪水という災いの中、バスの屋根で身を寄せ合い、
歌いながら一夜を過ごして全員が生還した人たちもいた。
心を一つにして生まれた、大きな和の力だったと吾輩は思う。
この年は、「和をもって貴しとなす」で知られる聖徳太子の十七条憲法の制定から
1400年にあたっていたのをご存じだろうか。
太子ゆかりの法隆寺が所蔵する国宝が東京で展示された。
桜の季節だった。少年のような面もちで立つ白鳳彫刻の名品が「夢違(ゆめちがい)観音」である。
この像に祈れば、悪い夢が良い夢に変わるとの言い伝えがある。
今に通ずる、いにしえの人々の願いを吾輩は感じた。
行く年の最後の新聞に皇族の婚約内定が載っている。
2度の延期を経ての会見を吾輩も見た。
ゆかしさとともに、どこか懐かしさも感じさせる紀宮さまと、きまじめさの奥にちゃめっ気がのぞく黒田慶樹さん。
久々に、ほっとした。
いよいよ吾輩は去る。名前は……まだ、決めてほしくない。
我輩の名前はなんだろう。一日だけの名前は「一日菩薩」とでもなずけたいが如何。
人間より優れた智慧を持っていることは間違いない。
少なくともどの人間も我輩に近ずければと願いたいものです。
初詣
子供の頃は初詣は氏神さんである元日に藤森神社に詣でて,その後正月の間三ケ日ずーと毎日のように伏見稲荷神社に詣でた。
お参りするというより大勢の参拝客の中にいるのが楽しかった。近隣から大変な人々がお参りされている。
参殿ではお神楽があり,参道の両側の店を見て廻るのが又楽しかった。正月のお年玉でかいものをする。
最近は賑やかな混んだ所よりも静かな場所の方を好むようになってきた。
混雑したところは人ごみだけの熱気で疲れる。でもこんなに大勢の人たちがどうして参拝さられるのか
そんなにご利益なんかあるのか不思議である。
藤森神社は紀伊氏の社で稲荷神社は秦氏の氏神である。紀伊氏は蘇我氏の一氏族で初め稲荷境内も藤森神社が祀られ
その支配のもとにあったのが伏見稲荷神社が出来る際に秦氏に追われ,その土地を出ることになった。
伏見稲荷の境内には藤尾神社として今も藤森神社の神が祭られてその名残がある。
藤森神社の例祭の際,神輿をかついだ藤森神社の氏子が土地返せとの掛け声をかけていたとの記事を何かの本で読んだ気がする。
神さん同士も争いがあったのかと興味深い話しである。
我が家の初詣は藤森神社と伏見稲荷神社を詣っていたのが昔からの慣習で,そのような事情は何も知っていなかった。