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一月になって


毎年,年齢と共に年が気になってくる。歳月が早く過ぎ去り,若いころに比べると一年の過ぎ去るのは早い。

寒い日が続くかと思うと暖かい日があり,余計にその寒さが身にこたえる。寒い日だけが続けば冬とはこんなものかと

過ごしてしまうが,たまに暖かい日があったりするとその後の寒さは一段と厳しい。

テレビで見ていると新潟など地震のあった人たちの生活は大変である。仮住宅が雪にすっぽり埋まり出入りも不自由のようだ。

子供の頃に比べ,雪が降ることはすくなくなって来ている。世界はブッシュの雪に被われた感じでただ何が起きるのかと固唾を飲んで

見まもるだけである。自由と民主主義の伝道師ブッシュが世界に何を説きどんな事をおこそうとしているかが大変に心配だ。

アメリカ軍の銃に守られて,イラクでの総選挙は終わった。実利主義を重んずる国家が何の代償をも求めずしての行動なのか。?

多勢のアメリカの若者 そしてイラクの治安部隊の人たちが武装勢力によって殺されている。

イラクは武装勢力が跋扈する国と化し内戦状態になる可能性がある。

昔の日本の戦国時代の世の中に,自由だ,民主主義だと他の国から干渉されれば日本人は反発したであろう。

日本のことは日本人だけに任せて欲しいと思うのは誰も同じである。イラクも同じこと,宗教指導者のもとに統率が取れれば

それでよいのではなかったのか。イラクはイスラム圏の国家でイスラム教の価値観をば他の国々も尊ぶべきである。

前政権のイラク大統領フセインの出身部族のスウニン派が選挙をボイコットしての選挙だ。多数派のシーア派の人たちが選挙に参加し,

多分シーア派の誰かが政権を握ることになるだろう。前政権の精鋭部隊とも称されていた軍人達が武装勢力の一部に加わっていることも

想像できる。アメリカに支えられた政権が民主主義政権とはどうしても思えない。自由の国家アメリカが世界を自分のしたい放題に

自由にしているようにしか思えてこない。

ブッシュによつて,歴史上かって見ないほど,偉大なる自由国家アメリカが出現した。

巨大な強力な自由国家の出現の為にアメリカの国民は勿論 全世界が不自由を強いられている。

小泉首相のアメリカ追従は相変わらずである。北朝鮮の他,更には中国ともアメリカに習い,敵視するようになってきている。

高価な迎撃ミサイルを買わされて,どうするつもりなのか。

今の世界で一発でも核を積んだミサイルが発射さたならば世界は終わりである。地球が破滅する事ぐらい理解できないのかと,

情けない首脳が出揃ったものである。

兵器でもってボロで儲けようしようとする産業を助けるためだと言うならよく理解できる。

日本がアメリカにそこまでへつらう事はないと思うが,日本の戦後はまだまだ終わっていないのだろうか。

「ああ言えばばこう言う」のオーム真理教の宣伝担当の上佑某を髣髴とさせる小泉首相の国会答弁を聞いていると腹がたってくる。

国民に自分の施政方針・意図をなんとかして国民に理解し説明しようとの姿勢が微塵も感ずることは出来ない。

国民を馬鹿にして,愚弄している。なんとかならないものか。

相変わらずに景気は悪い。国民の間にただどうしょうもない閉塞感だけが漂っている。

小泉首相の支持率はドンドン低下してきている。

だが次期総裁候補として有力候補に安部晋三氏の名前が上って来ているが,

この人こそ,さらにアメリカべったりの方針を進め,日本を再び戦争へ戦争へと導く一番の張本人のようである。

タカ派的考えの人だ。ハトはやはりタカにはかなわないものなのか。

誰が考えても戦争と平和を比べれば,子供でもどちらがよいかはすぐに分っている。誰もが戦争より平和を選択するに違いない。

そんな単純なことが分っていても,出来ないのが大人の世界の出来事である。なんとも情けない気持でいる。







今日、そんな新しい朝と共に
新玉(あらたま)の年が生まれた。



1月1日付天声人語より


 夜から朝が生まれる瞬間を見たい。そう思って、東京の羽田空港から本社機「あすか」で飛び立った。

 日の出の約30分前、南を向き、高度1万メートルへと上昇する。

右手の西方は闇の中にあり、横浜の灯が瞬く。

大地の黒い連なりの先に、ぼんやりと富士山らしい三角が浮かぶ。上空には欠けた白い月が残っている。

 左手の東の空もまだ暗いが、遠くに、ほの赤い雲の帯がたなびく。

その下の太平洋は灰色に沈んでいる。頭上には藍(あい)色の天空があり、星々が黄色い光を放つ。

夜明けを待ちながら、いわば空中の一点となって見た大自然の数々を、より遠くに、

よりはるかに感じられたものから順に記す。天 星 月 空 水 雲 地。

 天は、あらゆるものを大きく包み、星を宿す。

月は最も近い星であり、地球の衣である大空の下には大洋が波打ち、雲がはい、地が横たわる。

あえて読点を打たなかったのは、それぞれが際立っていながら,

一つのつながりをもって存在し、運行していると感じるからだ。

 ほの赤かった雲の帯が、オレンジ色に輝き始めた。その帯の向こうから昇る日の光が機体を照らす。

小窓を通して、その暖かみが、指先に顔に伝わってくる。天空の藍が水色に変わる。

西方の闇が薄れ、富士の頂がくっきりと白く輝いて、新しい朝は誕生した。

その瞬間、夜明け前の闇の中での配剤に、太陽と人とが加わったようだった。

〈天 星 日 月 空 水 雲 地 人〉。この壮大な沈黙の交響に包み込まれる思いがした。

 今日、そんな新しい朝と共に新玉(あらたま)の年が生まれた。


情けないことに太陽とか空を見ようとする気持が薄くなってきている。飛行機から見る朝はどんなにか素晴らしいことか。

その理由は良く判る。でも国民の何割がそんな朝日を見ようとしている気持にあるのかも知りたいものである。





年賀状の図柄は、多くが鶏だった


1月3日の天声人語より


 手元に届いた年賀状の図柄は、多くが鶏だった。

酉(とり)年だから当然だが、ひよこあり、親子あり、時をつくる様ありと、その姿はとりどりだ。

 都会では、鶏を飼う家はほとんど無くなってしまったが、その身近さは変わらない。

栄養源の柱の一つとして卵までも提供してくれる生き物は、陸上では少ない。

鶏の身近さ、なじみの深さが賀状にも映っていた。

 とりどりの鶏をながめながら、「とり」で終わる言葉を思い浮かべる。

しりとり、ほとり、うっとり、おっとり、ゆとり、しっとり、もんどり、かじとり、たどり、あともどり……。

人生の機微に触れる「とり」たちも、少なくない。

 鶏以外の鳥が描かれた一枚に、ハトの絵があった。

ピカソの作で、オリーブらしい小枝をくわえている。

ピカソと同じくスペイン・カタルーニャが故郷のチェロの巨匠・カザルスが述べている。

「私は、カタロニアの古い祝歌(キャロル)『鳥の歌』のメロディでコンサートをしめくくることにしています……

みどりごを歌い迎えるのは鷹、雀、小夜啼鳥、そして小さなミソサザイです。

鳥たちはみどりごを、甘い香りで大地をよろこばせる一輪の花にたとえて歌います」(『鳥の歌』ちくま文庫)

 カザルスは、スペイン内戦後、フランコ政権に反対して亡命した。

後に、国連本部で「鳥の歌」を演奏する時に言った。

「カタルーニャの鳥たちはピース(平和)ピースピースとさえずります」

 日本の鳥たちのさえずりを、思い起こしてみた。

しかし「とり」の付く言葉の時ほど次々とは浮かんでこなかった。


年賀状は何か新しい年がはじまったことを予告するようだが,どうしてこんなに年賀状が飛び交うようになったのか。

郵政省の企みにマンマと国民が騙され,年賀状をださないといけない気持・状勢をつくらされて,それに乗っかっているのでは

ないかと思うようになることもある。




新しい年を迎えた欧米にも、
スマトラ沖大地震・津波が
暗い影を投げかけた



1月4日の天声人語より


 ニューヨークやロンドンでは黙祷(もくとう)がささげられた。

パリ・シャンゼリゼの並木には、黒いスカーフが結ばれた。

北欧やドイツの街では半旗が掲げられた。

 新しい年を迎えた欧米にも、スマトラ沖大地震・津波が暗い影を投げかけた。

新年の行事に、犠牲者を悼み被災者を励ます催しを急遽(きゅうきょ)取り入れたところが多かった。

 世界46カ国に放送された恒例のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートも例外ではない。

決まって最後に演奏される「ラデツキー行進曲」がはずされた。

聴衆が手拍子をしながら陽気に演奏されるこの曲は、いつも新年らしさを盛り上げてきたが、

今年は「美しく青きドナウ」で静かにしめくくられた。

 淡々と指揮をしたニューヨーク・フィル音楽監督のロリン・マゼールさんは昨秋、来日公演をしたばかりだった。

新潟県中越地震を東京で経験した。ニューヨーク・フィルのホームページに「ビルが揺さぶられ、

車輪のついた乗り物に乗っているような動揺を感じた。驚きだった」と記している。

 マゼールさんは10年前の阪神大震災にもかかわりがある。

その年5月、神戸も含めた来日公演を予定していた。

地震の翌日には、日本の音楽事務所に「何かできることはないか」と申し出ていた。

いったんは中止になった神戸公演だったが、マゼールさんの強い要望で復活した。

被災者3千人を無料招待しての演奏会が実現した。

 アジアへの関心が強く、たびたび各地を巡ってきたマゼールさんも、

今度の大災害に心を痛めていることだろう。世界の多くの人々も、また。



地震は天災であるが,今の進んだ科学である程度被害は少なくなるのではないかと思う。

特に津波はその被害を回避することは容易である筈だ。

地震国日本がそのノウハウをば,今回津波に会われた被災国に指導して上げればと思う。

津波による被害は天災でなく人災である。





「東京の笑い」と
「大阪の笑い」とどちらが好きか



1月5日の天声人語より


 「東京の笑い」と「大阪の笑い」とどちらが好きか。

「大阪」派が「東京」派の倍以上だった、とは本社世論調査の結果だ。

 吉本興業会長の林裕章氏も「我が意を得たり」だろうと思っていた矢先に、氏の訃報(ふほう)が届いた。

調査結果が掲載された3日の死だった。

「我々でも大阪の喫茶店でお茶を飲んでいるときに、おばちゃん同士の会話で笑ってしまうことがある。

これが上方の文化やし、笑いのDNAが大阪の人にしみ込んでいるんやろね」と語っていた人である。

 大阪の舞台で芸人を育て、東京のテレビ番組で人気者になって全国にファンを広げる。

吉本興業がつくりあげてきた仕組みだ。

テレビだけで育ったタレントはすぐ消えてしまう、とまず芸を競わせた。

 林氏の前任者にあたる中邨秀雄氏が芸人たちのことを「旬のある消耗品」と称したことがある。

旬を見抜かなければならない。しかし消耗品だから深入りしすぎてもだめだ。厳しい世界である。

 先の調査でも好きな芸人・タレントのトップだった明石家さんまについて

中邨氏は「売れるまでに十年以上かかっているからトップの座に十年以上座っていられるのだ」と

(『笑いに賭けろ!』日本経済新聞社)。

一方で、テレビ界の安易なタレント志向が演芸界の奥深い芸を掘り崩していくことへの危機感も募らせていた。

 「東京の歴史なんかたかだか400年」とは亡くなった林氏の言葉だ。

先の世論調査では「いまの日本に笑いは少ない」という結果が出たものの、

日本の「笑いの文化」には、なかなかの厚みがある。


「日本の「笑いの文化」には、なかなかの厚みがある」 でもお腹空かして笑えますかと言いたい。

笑いは健康に良い事はよくわかるが,でも悲惨なことが報道され続けられている中で心から笑えるものなのかどうか

皆が同じように心から笑える世の中になって欲しいです,小泉さんよ。

ブッシュが身内だけで固めた内閣・閣僚を見て笑いたいが,これはどうしても苦笑いにしかならない。






地震・津波で被災した子どもは
推定150万人に達するとしている



1月6日の天声人語より


 茫然(ぼうぜん)とたたずみ、涙を流す12歳の少年の姿が何とも痛々しい。

目の前で両親と弟が津波にさらわれ、一人助かった杉本遼平くん。

安否不明のお母さんがどこかで生きていてほしいと願うばかりだ。

 「いのちとこころの宇宙」と題した「童謡詩人 金子みすゞ展」(東京・松屋銀座で17日まで)を見ていても、

スマトラ沖地震・津波の惨状がどうしても重なって映ってしまう。

この童謡詩人がしばしば海や母をうたい、またあらゆる生命へのいとおしみを表現しているだけによけいそうなのだろう。

 この詩もそんな思いを誘う一編だ。

「玩具(おもちや)のない子が/さみしけりや、/玩具をやつたらなほるでせう。

/母さんのない子が/かなしけりや、/母さんをあげたら嬉しいでせう。/母さんはやさしく/髪を撫(な)で、

/玩具は箱から/こぼれてて、/それで私の/さみしいは、/何を貰(もろ)うたらなほるでせう。」

 国連児童基金(ユニセフ)は地震・津波で被災した子どもは推定150万人に達するとしている。

水、栄養、医療などの供給のほか、親や家族を失った子どもたちの保護や心のケアも急がれると呼びかけている。

 驚くべき警告も発せられている。被災した子どもたちが犯罪集団の標的になる恐れである。孤児になった子どもたちを、

里親として引き取るふりをして売り飛ばすというのだ。そんな情報が実際に流れているらしい。信じがたい冷酷さである。

 もちろん、世界の多くの人々からは「かなしくさみしい」子どもたちを何とか援助しようと、さまざまな手が差しのべられている。



津波被害は人災である。貧しい国の悲劇か。なんとか長い目での援助を考え,地震国日本のこれこそが出番である。

もっと人々を援助することにお金が税金がつかわれることを願いたい。

ブッシュのためのイラク派遣はすみやかに止め,こちらの方にお金をまわしてほしいものだ。





スマトラ島沖の地震による大津波から
10日あまりが過ぎた




1月7日の天声人語より


 スマトラ島沖の地震による大津波から10日あまりが過ぎた。

あの時、一体何が起きようとしているのかを知らず、

突然大波にのまれた人々の姿が、より生々しく伝わってきた。

 タイのプーケット島で津波に遭い、ふたりの子どもを亡くした横浜市の大島多麻樹さんの手記は、

いたましい被災の報告だ。泥水の洗濯機の中に入っているようだったと記す。

木にたたきつけられ、泥水の中でかすかに見える光の方向に必死にもがきながら流されていった。

 津波が襲う様をスリランカの高台で目撃した日本人僧が、現地で支援活動をするNGO「難民を助ける会」に語った。

水は海岸から最大1キロほども引いた。

漁民は沖へ流されそうな舟をつなぎとめようとし、

子どもたちは、突然現れた砂地で跳びはねる魚やカニを捕まえようと、なだれこんだ。

 タイでは、津波の危険性を10年以上前に警告しながら相手にされなかった政府気象局の元局長を「復権」させ、

首相府高官に任命した。


当時、観光産業に影響するなどと批判された。

 今度の津波では、警報を出さなかった気象局長が更迭された。

観光への影響への懸念で警報を出さなかったと指摘する地元紙もあるという。

重大な情報の分析や判断が、一国の内部事情で左右されるとしたら怖い。

 復興支援のための緊急首脳会議がジャカルタで開かれた。日本が、適切な復興支援を主導する時だ。

そしていずれは「何が起きようとしているのか」を一刻も早く世界へ伝える仕組みづくりを主導する。

この復興には、遠近両方の視点をもって臨みたい。




被害は政府の政策が間違うことによって作られる。この言葉は全てのことにいえることでもある。






 偽札を使う事件が続いている。



1月8日の天声人語より


 先夜、タクシーの運転手さんがこぼしていた。「お客さんに1万円札を出されると、びくっとしますよ。

受け取ってすぐ透かしてみるわけにもいかないでしょう」

 偽札を使う事件が続いている。

初もうでの頃に目立ったが、それだけではなく、コンビニや有料道路、

ガソリンスタンド、タクシーなどでも使われ、被害は全国に及んでいる。

 通貨の偽造は、昔から延々と続いてきた。

例えばフランスの作家ジッドの「贋金つかいの日記」には、約100年前のフィガロ紙の記事が収録されている。

贋(にせ)金貨がスペインで製造されフランスへ運ばれた。

そして流通役の青年たちに売却される。

「彼らのうちの何人かにあってはこの犯罪的取引は、親父からの仕送り金ではまかないきれぬ

《豪勢な生活》を送る手段であった」(『アンドレ・ジッド代表作選』慶応大学出版会)

 現代の贋金つかいたちは、贋金づくりも兼ねている節がある。

パソコンやカラープリンターなどがあれば、それらしいものはできるので、中学生にも可能だという。

一体どんな《豪勢な生活》が、「日記」に記されているのだろう。

 フィガロ紙の贋金つかいたちの勝手な言い分では、それは「人道主義的な仕事」でもあった。

「いくらかの贋金貨を、富に恵まれぬ気の毒な男たちに譲ってやることも間々ありました……

国家から盗みを働いているだけで、誰の害にもならぬことでした」

 真に人道的な使い方であるはずもなく、害の方なら限りなくある。

贋金は、暮らしの糧だけではなく、心の糧までも奪い去る



偽金作りは全く誰もが被害を被るものでなくて「国家から盗みを働いているだけで、誰の害にもならぬことでした」とは

なるほどとは思うが,犯罪としては極めて重い。国民は汗水を垂らし生活の糧を得ている。

新札が出た過渡期には偽金が作られる事は予想できる。早く新札を普及するように努力することが一番の被害防止策である。






かるた競技の日本一を決めるクイーン位決定戦で
8日、史上最年少のクイーンが誕生した。



1月10日の天声人語より


 「むすめふさほせ」の「む」は寂蓮法師の〈むらさめの露もまだひぬ……〉。

そうやって小倉百人一首を覚えた人も多いだろう。最初の1字だけで下の句がわかる7首である。

 正月らしい伝統的な遊びがすたれがちの中、かるた取りはまだ健在だ。

この遊びにかぎっては、若い頃から鍛えてきたおばあちゃんが一番強かったりする。

あるいは、学校で習ったばかりの孫が健闘することもあるかもしれない。

 かるた競技の日本一を決めるクイーン位決定戦で8日、史上最年少のクイーンが誕生した。

中学3年の楠木早紀さんだ。こちらは遊びとは次元が違う。

「畳の上の格闘技」といわれる壮絶な札の取り合いである。

 突き指などはもちろん、骨折をすることもあるらしい。記憶力は当然として反射神経、

それに全身を使う運動能力も必要とされる。

以前、競技を追ったテレビのドキュメンタリーを見たことがある。

歌を読み上げる人が言葉を発する前に反応してしまう世界らしい。

発語直前、息を吸う音を聞き分けてのことだという。

 いまのようなかるた競技を考え出したのは明治のジャーナリスト黒岩涙香だといわれる。

ちょうど100年前の1905年元日に「小倉百人一首かるた早取秘伝」を新聞に発表した。

五目並べやかるた競技の「改良」に熱中している父を思い出しながら息子の菊郎氏が記している。

完成された芸術や遊びに興味なく、最も軽んぜられた小種目に打ち込んだ人だった、と。

 かるた競技は世紀を超えて生き延び、白熱するスポーツになった。涙香も本望か。



カルタとりは昔子供の頃のカルタとりの遊びをしていたのが一番に良い。

戦いの如くに競争になれは情緒がなくなり,

格闘技の一種とも言われても仕方ない。涙香は涙しているしれない。





人間について


1月11日の天声人語より


 宇宙からみれば、地球は芥子(けし)粒のようなものという福沢諭吉は、人間をいろいろなものにたとえている。

塵(ちり)、あるいは埃(ほこり)。ボウフラ、ウジ虫、アリ、バッタ等々である。

 「一寸の虫にも五分の魂」という俚諺(りげん)もあるように、人を虫に見たてることは多い。

はかなさから露にたとえられることもまたしばしばだ。


たとえば能のせりふ「げに理(ことわり)や露の身は、電光朝露石の火の……」は、はかないものを列挙する。

 あなたの「時価」はいくら?と尋ねられて「ゼロ」と答えた新成人が一番多かった。

先日報じられたセイコーのインターネットによるアンケートの結果である。

理由は一様ではないようだ。一方で「無限大」と答えた若者もけっこういたというから対比が興味深い。

 たとえ話をつづければ、昔のはやり歌の「おれは河原の枯れすすき……」(船頭小唄)には、

日本人好みの哀愁と諦観(ていかん)が漂う。

同じように川辺に群生する葦(あし)だが、「人間は考える葦である」(パスカル)というと、哲学的思索の世界に踏み込む。

 福沢が「人間の如き、無智無力見る影もなき蛆虫(うじむし)同様」(福翁百話)と語ったのは、

所詮(しょせん)人生は戯れでしかなく、万事をあまり重く見ない方がいい、というためだった。

その方が思いつめて極端に走ることもないだろう。

しかし、本来戯れと知りながら戯れをまじめに勤めるべきだ、とつづける。

それが人間の人間たるゆえんだ、と。パスカルの思索との距離は近い。

 先のアンケート結果を借りれば「人間はゼロに等しく、同時に無限大でもある」とでもいおうか



人間について考えれば考えるほどにわからない。明治の学生藤村操が、1903年5月21日、

日光の華厳の滝に飛び込んだ東大生といえば思い出すはず。

死ぬ前に書いた「万有の真相は唯一言にして恭す、曰く『不可解』」の遺言で有名になった「人生は不可解」と書いて

死んでいったが,人の人生には色んな取り方があるものだ。





日本人にとっての会社のとらえ方
そのものが変わりつつあるようだ



1月12日の天声人語より


 遅めの正月休みをとった人も帰って来て、いつもの職場の風景に戻る頃ではなかろうか。

澄んだ年始の空も、会社や工場の企業活動の再開とともに、そろそろ見納めだ。

 昨年は、黒く汚れたような企業活動が、世の中を覆い続けた。

欠陥車隠し、点検不全の原発、大銀行の検査妨害、鉄道会社の株主偽装……。

そのせいか「上司から良心に反する仕事を指示されたらどうしますか」と新入社員に尋ねた調査で、

「できる限り避ける」が54%と、初めて半数を超えた。

 社会経済生産性本部によると、「あまりやりたくはないが、指示通り行動する」と答えたのは34%だった。

昨春の調査では、「会社の指示通り」派が43%で、「できる限り避ける」の40%を上回っていた。

 不祥事の影響というだけではなく、日本人にとっての会社のとらえ方そのものが変わりつつあるようだ。

バブル崩壊で終身雇用が大きく崩れ、一生を託す場という古来の企業観は揺らいだ。

かなりの若い社員が、今居る会社には頼れないと考えているのかも知れない。

 「会社法」が、新たにできるという。

設立時に義務づけている資本金の下限額をなくし、1円からでもつくれるようにする。

明治期に定着した訳語とされる会社には、営利目的の団体の他に、同じ志で物事を行う仲間の意味もあった。

1円企業は、そうした志を形にする良い機会だが、企業活動費も1円というわけにはいかないだろう。

 戦前には、1冊1円の円本や円タクが生まれた。

「円社」は、日本の会社と職場の風景をどう変えるのだろうか。



会社のために命を捧げるといった時代は過ぎ去った。勿論国家のためにも少なくなっている。個人があって会社であり

国家である。戦士は少なくなってきたのは良い兆候である。色んな価値観のある人たちを一つに縛る事は恐ろしい。

それぞれが自由に意見が言える社会は健全である。





ノロウイルスのノロは、病名ではない。


1月13日の天声人語より


 ポリオ、日本脳炎、インフルエンザ、エイズ。これらの病名にウイルスを付ければ、それぞれの病原体になる。

しかし、ノロウイルスのノロは、病名ではない。

 68年、米・オハイオ州のノーウオークという町の小学校で、急性胃腸炎が集団発生した。

ここでの病原体はノーウオークウイルスと呼ばれた。

02年の国際ウイルス学会で、似たようなウイルスの総称として、地名にちなんでノロウイルスと命名されたという。

 感染症状について、厚生労働省のホームページには「通常、(嘔吐(おうと)、下痢などの)症状が1〜2日続いた後、

治癒し、後遺症もありません」とある。しかし、今冬は様相が違った。

広島県の特養ホームでは死者が相次ぎ、患者は全国に広がっている。

厚労省には、猛威を振るった理由の究明を、各施設には治療と予防の限りを尽くすよう求めたい。

 「生きとし生けるもの、すべてに必ず複数のウイルスがいる……一つひとつの種(しゅ)には必ず一つ以上の種類の、

しかもその種にだけ寄生するウイルスがいる」。


こう記すのは、人間のがんがウイルスでも起こることを初めて証明した日沼頼夫・京大名誉教授だ。書

名の通り『ウイルスはどこにでもいる』(勉誠出版)

 画期的なポリオの生ワクチンを開発した、米国のウイルス学者アルバート・セービンは述べた。

「その日が人生最後の日であるかのように生きること。

毎日を、永遠に生きるかのように生きること
」(『ウイルスの正体を捕らえる』朝日選書)

 人命を預かる医の現場への、戒めと励ましのようにも聞こえる。




最近ほど感染性胃腸炎が流行るのは珍しい。体力のない老人にとつては生命にも拘わる。

「その日が人生最後の日であるかのように生きること。毎日を、永遠に生きるかのように生きること」

この言葉は素晴らしい。永遠に生きるかのように生きるか,だがその日が人生最後の日であるかのように生きることは

出来ない。誰も歳をとり死んでゆくのは事実である。

その事実の実感を薄くして生きているのが凡人の生き方である。

ノロウィルスの蔓延は生物兵器として使用されての流行ではないかと思う程にこの頃多い。





「私の趣味は○○」


1月14日の天声人語より


 「私の趣味は○○」の、○○のところに入る言葉は、人によって千差万別で、数限りなくある。

しかし、そこに自分の属する会社や役所、団体の名前を入れている人は、そう多くはないだろう。

まして、それを公言する人は、ごくまれではないか。

 そのまれなことを記者会見でしてみせたのが、NHKの海老沢勝二会長だ。

「私は『趣味はNHK』と言っているほど、NHKを更に発展させなければならない立場……」。

NHKへの思い入れは十分過ぎるほど分かるが、趣味としてのNHKとは、何を指すのだろう。

あの巨大な組織か、それとも番組や報道の内容か、あるいは会長職なのか、釈然としなかった。

 会長は、一連の不祥事などを受けて辞意を示唆したが、更に番組内容の改変をめぐって、

内部告発がなされていたことが分かった。

4年前、旧日本軍の従軍慰安婦問題を扱った番組の放送前に、自民党の有力政治家がNHK幹部と面談した。

その後、番組内容が大幅に改変されたという。


 NHKの組織図を見る。組織トップの会長の更に上には経営委員会がある。

しかし、どこにも、政治家が番組内容に逐一口を出して良いような仕組みはない。

番組内容を決めるのは、あくまでもNHK自身の責務であり、使命だろう。

 告発したチーフプロデューサーは記者会見し、顔と名前を明かして述べた。

改変について「会長はすべて了承していた……会長あてに作成された報告書も存在している」

 会長が答える番だ。問題の大きさと深さは、とうに趣味の範囲を超えてしまっている。




NHKは公共放送である。それが一つの政党に片寄った報道するようになればまつたくの戦前のマスコミである。

本当のことが国民に知らされず,ただ国策推進の道具に使われるだけである。

言論人はもっと権力 政府にしっかり物を言って欲しい。政府の間違いを指摘してより良い世の中にするのが

言論人の勤めだと考える。出来るだけ政府と摩擦したくなく,当り障りのないことだけ書いているのは「言論人」ではなく

それでは「死人」と同じである。さらには政府の宣伝役を担うにいたっては,

そのような言論人はさっさと言論界から去って欲しいものだ。





土星の衛星タイタンの地表の写真である。


1月16日の天声人語より


 どこかで見たことがあるような風景だ。その驚きの方がむしろ大きい。

人類の前に初めて姿を見せた土星の衛星タイタンの地表の写真である。

 太陽系のなかで、唯一厚い大気に覆われている衛星である。

その大気が邪魔をして、地表の様子を見ることができなかった。

衛星に着地した小型探査機ホイヘンスが送ってきたのは、

丸石のようなものがごろごろと散らばる地表や、空中からは、

峡谷や海岸線のようにも見える入り組んだ地形の写真だった。


 地表の温度は零下179度といわれ、普通の生物が生きられる環境ではない。

しかし大気の成分などから、生命誕生に至る地球の環境に似ているとして関心を集めてきた。

ひょっとしたら想像もできないような光景が映し出されるのかもしれないとの「期待」もあった。

結果は、未知の世界でありながら太古の地球をしのばせる、そんな思いにも誘われる写真である。

 地球から約7年をかけての旅だった。

科学者たちは、成功を喜ぶとともに「タイタンが生きている」ことに驚き、期待を寄せている。

液体らしきものが流れ、活発に活動をしていることが見てとれるからだ。

 タイタンを発見したのは17世紀のオランダの物理・天文学者ホイヘンスである。

自分でレンズを磨き、望遠鏡をつくって観察した。

当時フランスには数学者でもあったパスカルがいたし、英国にはニュートンがいた。

彼らとの論争や交流もした。 多才の人ではあった。

しかし、3世紀以上も後に自分の名前を冠した探査機がタイタンに着地するとは想像の外だったろう。


宇宙探査はNASだけだ知っているが,ヨッロッパ宇宙機関(ESA)があることを始めて知る。

探査機がタイタンへ向け発射されて今回映像を送られてきた。それだけでも驚きだが,

地球に似た土星の衛星タイタンからの映像はさらに驚きであった。





あの震災の日



1月17日の天声人語より


 コンクリートの分厚い壁の前に立つ。所々に、平べったい小さなくぼみがある。

その奥の方に黒いものが見える。焼かれて炭化した木材のようだ。

壁は、あの震災の日には、神戸市長田区の路地に立っていた。

 地震後の火災で周りが焼け落ちる中、壁が残った。

昭和の初めに、市場の防火壁としてつくられ、第二次大戦の空襲にも耐えて立ち続けた。

保存運動が起こり、5年前、壁は海を渡った。

震災の証人として壁を受け入れたのは、同じ震災を体験した淡路島の東岸にある津名町だった。

 一昨日の夜、高さ7メートル、長さ13メートルほどの壁のそばで、小さなコンサートがあり、

組曲「神戸の壁」が演奏された。

神戸で被災者やボランティアが壁の周辺に植えていたコスモスの花を歌った曲の、詞の一節が耳に残った。

 「友は花となり風に揺れていた」。

手を振るようにして、あるいは体を揺らすようにして風に揺れるコスモスに、

失われた人の面影を重ねながら、自らに命あることを思う。

そして、同じく命を宿すものとはいえ、一本の細いコスモスを人になぞらえる心の痛切さが、胸に迫ってきた。

 昨日、島の西岸へ行った。大震災で地表にくっきりと現れた野島断層が「北淡町震災記念公園」に保存されている。

断層の一部を掘り下げて、透明の強化ガラスを敷いた一角がある。

そこに乗ると、下に、層のずれた境目が見える。

 それは、静まり返っていた。しかし10年前の今日は、たけだけしかった。

破壊に至るまでの長く不気味な沈黙が、足のすぐ下に横たわっているかのようだった。



地震は恐ろしい。その恐ろしさは後世に伝えて何らかの糧にして防災の役に立てたい。

でも地震は文学的にはやってこない。なんとか国家プロジェクトを組んで地震の予防策を考えて

ほしいものである。地震 雷 火事 親父と恐ろしいもののなかの一つに地震が入れられているが

雷は避雷針によりふせげるようになった。火事 親父は人々の心構えで防ぐ事ができる。

あと一つの地震とそれに伴う津波に対しては進歩しつづける科学でもって防ぐように人間は

努力すべきである。台風 それにつづく土砂崩れ 洪水も同じことである。





あの日、1本足の支柱がへし折られて
倒壊した高速道路があった。



1月18日の天声人語より


 昨日の夜明け前、神戸には冷たい雨が降っていた。

大震災が起きた午前5時46分、人々は傘を広げ、

あるいはぬれたままで追悼のろうそくを持ち、目をつむった。

 あの日、被災地には、隣に寝ていた子や、階下にいた母、父を失い、

きょうだいや友を火に焼かれた数多くの人々がいた。それから、10年が過ぎた。

 神戸は、来るたびに街並みが整い、高層ビルが目立つようになった。

表向きは傷跡はあまり見えない。しかし、人々の内に刻まれた傷は見えにくい。

あの日、幾多のきずなが断たれる一方、支援する人たちとの間には新しいきずなが生まれていった。

膨大な喪失と、思いがけない実りとが入り交じったような独特の空気が、この街にはある。

 あの日、1本足の支柱がへし折られて倒壊した高速道路があった。

造り直されたその区間の辺りを走っていた昼前、思いがけず、虹を見た。

それは六甲山系を背にして、神戸の街の上に七色の弧を架けていた。

もとより偶然には違いないが、街と人々のこれからを祈りたくなるような大きさと高さがあった。

 「ここで/家の形が/人の形が/形という形が/壊れてしまった」。

神戸在住の詩人・季村敏夫さんは、震災後に、こう記した。

昨日、季村さんは語った。「10年後の今日は、いわば、始まりです。

あれから10年かけて、ようやく、先に向かうとっかかりが、私の中にも築かれたような気がしています」

 冬の虹は間もなく消えた。しかし人と街は残る。

そして、人は限られた命を生きる。記念の日は、それを改めて思う時でもある。



天声人語は文学表現を説き教えるものと化したのかと疑いたくなつてくる。以前は鋭い時評があったが,何か弱よわしいものに

変化してきているように思えてくる。地震を防ぐことは出来ないが,それに続く二次災害は今でも防ぐ事は可能である。

自治体での防災訓練並びに防災設備の完備が尊い命を防ぐために一番に考えられる事である。






1896年の高等師範学校付属小学校2年の
「飛鳥山遠足」だ


1月20日の天声人語より


 「参加した研究会で、総合学習には一世紀以上の歴史があることを話すと、驚かれることが多い」。

こう記しつつ、東大名誉教授・稲垣忠彦さんは、明治後期の記録を『総合学習を創る』

(岩波書店)で紹介している。

 1896年の高等師範学校付属小学校2年の「飛鳥山遠足」だ。

遠足前日、教員・樋口勘次郎は、東京・上野から王子の飛鳥山までの予定コースを歩き、指導の構想を立てる。

当日、生徒たちは地図を手に、不忍池、動物園、田畑、村落、停車場などを観察して巡る。

翌日は、紀行文を書かせる。

 現代にも通じるような校外学習だが、樋口が紀行文を読んで整理したという「生徒の学問」が面白い。

「動物学。イナゴ、家鴨(あひる)、金魚」に始まり、植物学は「麦、茶、……葉の凋落(ちょうらく)、芽」、

農業、商業、工業、地理、地質ときて「人類学」に至る。

「うすつく爺、大根あらう婆、籾(もみ)うつ乙女、汽車中の客、彼等は皆生徒に人類学をよましむる書物なり」

 2002年に本格導入された現代の「総合学習」が揺れている。

今の文部科学相は、この「総合的な学習の時間」を削って国語や算数など教科の学習に振り向けるととれる発言をしたという。

 限られた時間をどう使うかは教育の大事な課題の一つだ。

しかし文科相の発言は、あまりにも安直な引き算、足し算ではないか。

 「何を教えたらいいのか悩む」とか「受験での点数が大事と親たちが言う」などの反応は導入前から分かり切ったことだ。

現場も行政も右往左往することなく、限りある力を総合的に使ってほしい。



時代と共に教育内容も変るのは当然である。学校での時業に使える時間数は限られている。

何を教えるかは時代とともに変っても仕方がない。

確かに野外時業は少なくなってきている。それと共に文学的素養も薄くなって即物的な人間がそだってきている。

科学の進歩の利害のうちの害の方かと考える。人間の一生は限られている。何をして一生を送るかである。

パソコンが普及して計算は簡単に知識はインタネットを通じて必要なときに必要なだけ簡単に取り出すことが出来る。

昔の人と同じような生活するのは不可能である。当然教育もそれに沿ってなされるべきであるのが当然の時代の

結果である。ただ戦前のような国策にそった青少年を作るための時業だけには堕落してもらいたくない。

天皇系の系図を丸暗記したり,教育勅語を丸暗記する事だけは止めてほしいものである。





地球規模の災害を、地球規模で考える


1月21日の天声人語より


 世界一高い山は?と尋ねられたら普通はエベレスト(チョモランマ)と答えるだろう。

でも、エクアドルのチンボラソ山だという答えも正解だといえるかもしれない。

 海抜でいうとエベレストだが、地球の中心からの距離ではチンボラソ山(海抜6310メートル)が最も遠い。

地心距離といい、それだとエベレストは32位になってしまう。

地球が真ん丸ではなく、赤道方向が張り出した楕円(だえん)体だから、

赤道に近い山ほど「高く」なる(『地球が丸いってほんとうですか?』朝日選書)。

 スマトラ沖地震が地球の形や自転などにも影響を与えたことがだんだんわかってきた。

米航空宇宙局(NASA)の発表では、地球の扁平(へんぺい)率が減少、ほんの少し丸くなった。

また、自転速度が増して一日の長さが100万分の2・68秒ほど短くなった。

地軸も2・5センチほど東に移動したという。

インドの観測チームによれば、アンダマン諸島はインド本土から1・15メートル遠ざかった。

 地震波は地球を少なくとも5周し、8周に至っているかもしれない、とは北海道大の解析だ。

発生から3週間ほどたっても地球が震えていることを観測したのは国立天文台水沢観測所で、

0・3ミリの幅で伸び縮みを続けたという。

 激震は人々に苦痛と悲しみをもたらしただけでなく、地球を揺さぶり、衝撃を与え、変形をもたらした。

地球自体がなお激痛にあえいでいるかのようだ。

 神戸市で国連防災世界会議が開催されている。

地球規模の災害を、地球規模で考える。そんな発想で論議を深めながら成果をあげてほしい。



地球規模の災害は当然のこと地球規模でもつて考え,同様に地球規模の人災である戦争 飢餓なども同じように

地球規模で考えてほしいものである。 





ライス次期国務長官が「街の広場の試金石」


1月22日の天声人語より


 ワシントン、トラファルガー、コンコルド、天安門、皇居前……。

多くの人が集まり、行き交う広場は、その都市の顔でもある。

米議会で、ライス次期国務長官が「街の広場の試金石」という聞き慣れない言葉を使った。

 その国の自由の度合いについての判断法だという。

人が、ある街の広場に行ったとする。

自分の見解を、逮捕や投獄や拷問を恐れずに表明することができないのであれば、

その人は自由社会ではなく、恐怖の社会に住んでいるとみなす。

 この「タウン・スクエア・テスト」は、旧ソ連の政治犯で、

今はイスラエルの政治家であるナタン・シャランスキー氏が提唱したという。

この人は、かつて収監されていたモスクワの監獄を訪れた時、こう述べた。

「母校に帰ってきたような気がする。ここは私が学んだうちで最も重要な“大学”だった」

 なるほど、学んで得た判断法には、一応の説得力がある。

しかし、想像上のテストで判断はできたにせよ、肝心で、かつ難しいのは、結果との向き合い方だろう。

 ライス氏は「恐怖の社会」に住む全員が最終的に自由を勝ち取るまで、

米国は取り組みをやめるわけにはいかないと述べた。

ブッシュ大統領も、2期目の就任演説で、圧制に終止符を打つのが最終目的と語った。

そして「フリーダム」と「リバティー」を計42回も使った。


 「自由の商人」のつもりかも知れないが、この政権の、武力行使や単独主義への傾きは、依然気がかりだ。

ミサイルや砲弾と抱き合わせの「自由」ならば、世界の広場では売ってほしくない。





何も誰もがアメリカだけに自由と民主主義の強制をば頼みはしていない。自由と民主主義の伝道師らしい

お説教を聴き世界は「ハイハイ」とそれについてゆくだろうか。今のブッシュの裏の顔には石油などによる金儲けの

商人の顔があって、表の顔は自由と民主主義の伝道師を装っているだけである。

何処の国もそこまで干渉して欲しくないとおもっているに違いない。

世界中各国に展開しているアメリカの軍隊は何のためにいるのだろうか。?

此れだけ見ても裏の顔はハッキリしてくる。世界をアメリカの植民地化し,銃でもって脅してているようにしかみえてこない。

世界各国が平和になり,互いに仲良くなれば,さらには世界が一つの国になるならば,「銃」はいらなくなる。

その努力をすべきだ。

国連が国家的犯罪抑制の為の強力な軍隊を持ち,各国は犯罪阻止の為にそれぞれの国の治安部隊だけを

持てばよいのではないのか。





早稲田大の古代エジプト調査隊が、
未盗掘の彩色木棺とミイラを発掘した。




1月23日の天声人語より


 夜ひそかに集合する。墓地監視人にはワイロをつかうか薬をのませる。

暗闇の中で必死に穴を掘り、財宝を探す。夜明けには盗品を山と積んで家に帰る――。

エジプトではびこった盗掘の様子を、ツタンカーメンの王墓を発見した英国の考古学者ハワード・カーターは、

こんな想像をしながら書いているという。(『ナイルの略奪』法政大学出版局)

 早稲田大の古代エジプト調査隊が、未盗掘の彩色木棺とミイラを発掘した。

ミイラのマスクの色が鮮やかだ。

顔やその周りに施された神秘的な青と、胸元を飾る軽快な赤との対比も目を引く。

 「さてミイラ加工を職として開業し、専門的技術をもった職人がいるのである」。

紀元前5世紀にエジプトを訪れた「歴史の父」ヘロドトスが記している(『歴史』岩波文庫)。

職人たちは、絵の具を用いて実物に似せた木製のミイラの見本を依頼人に見せる。

見本は最も精巧な細工のもの、それよりは雑なもの、最も安いものと3種類あった。

 今回のミイラの主は行政官だという。

「役人の給料は現物で支給された。役人は土地を貰(もら)い受け、そこで収穫されたものが

彼らの生活を経済的に保証した」(『エジプト ファラオの世界』)

 現代の仕組みとは大違いだが、妙に似たところもある。

「役人たちは引退が近づくと、それなりの働きをした役人は名誉職として大きな神殿の神官など、

かなりの報酬が約束される地位を得ることも珍しくはなかった」

 日本にはびこる、天下りの源か。

天下り先が、現代の神殿や、財宝付きの墓にも思われてきた。




政治と官僚の癒着,官僚の特権を生かしての利得。このパターンは何千年も前から続いている。





即座に「無益の戦争」と答えたと



1月24日の天声人語より


 ある時、ルーズベルト米大統領は、チャーチル英首相に対して「今度の戦争を何と呼ぶべきかについて、

一般の意見を求めている」と言った。

即座に「無益の戦争」と答えたと、チャーチルは書いている(『第二次世界大戦』河出書房新社)。

今度の戦争ほど、防止することが容易だった戦争はかつてなかったのだとも記す。

 60年前の今頃、その戦争は終わりに近づいていた。

1月末、チャーチルは、ルーズベルト、スターリンと会談するため、クリミア半島のヤルタへと向かった。

 一行は3機に分乗していたが、うち1機が途中で墜落した。

さすが豪気のチャーチルも、ひやっとして述べた。

「奇(く)しき運命の岐(わか)れ道だった」(『チャーチル物語』角川書店)。

それは、世界のその後にとっても、小さくない岐れ道だった。

 戦時中、ドイツ軍の空襲を避けて、チャーチルが閣議を開いていた地下施設がロンドンに残されている。

ダウニング街の首相官邸にほど近い「戦時内閣執務室博物館」だ。「この部屋から、私は戦争を指揮する」と述べた。

 作戦室や会議室の他に、チャーチルの居室があった。そこには、寝泊まりに使ったというベッドが置かれている。

写真や映像での堂々たる巨漢という印象からはほど遠い、小ぶりなものだった。

 チャーチルは、ルーズベルトよりもスターリンよりも前に生まれ、ふたりより長く20世紀を生きた。

そして、40年前の今日、90歳で他界した。臨終に際して、こう述べたと伝えられる。

「もうすっかり、いやになったよ」(『チャーチル名言集』講談社)



子供の頃に刷り込まれたルーズベルトとチャーチルの印象はなかなか取れない。悪者の権現のように漫画にも描かれていた。

勝てば官軍でそれが本当かもしれない。今盛んにはやされているような立派な人物かもしれない。

神のみが知るである。

正確に言えることは「無益な戦争」をして,そして多くの一般国民が犠牲になったことだけである






「郵便局」となったのは明治8年


1月25日の天声人語より


 日本に郵便の仕組みを採り入れる時、前島密(ひそか)は、料金をどう定めるかで思い悩んだ。

その折、命じられて洋行し、郵便事業は政府の独占で料金は遠近均一と知る。

「其時の心持といふ者は実に清々として、是迄の迷ひも全く霽(は)れ、雲霧を出て青天を望むといふ有様であつた」

(『郵便創業談』)

 そして創業2年後の1873年、明治6年に、太政官布告が出された。

「量目等一ノ信書ハ里数ノ遠近ヲ問ハス国内相通シ等一ノ郵便税……」。

今に続く、全国一律料金の始まりだ。

 しかし、当時は「この手紙は軽い」「届け先が近い」などといって料金を負けろと談判する者もあった。

茶やたばこを要求し、断られると横着だなどとののしる手合いもいた。

前島は「郵便取扱所」を一時「郵便役所」と改め、官の威力を借りたと述べている。

 「郵便局」となったのは明治8年で、身近な通信網として広がり、生き続けてきた。

しかし、膨大な資金を集める世界最大の金融機関という面も問われるようになった。

資金の運用にも問題は多い。

 民営化を掲げる小泉政権は、07年4月に4分社・民営化という方針を出した。

支持基盤が地方にあり、郵政の組織を有力な支援団体としてきた自民党は抵抗する。

郵政だけでなく、貯金、保険事業でも「全国一律サービス義務」を唱えた。

 郵便局を票の束と見ているとしたら、「一律」の創設者も嘆くだろう。何でも一律ではなく、

重さ、大きさできちんと仕分けをして送り出さないと、将来の受け手が、とてつもない不足料金を背負う羽目になる。


郵便局の民営化は明治八年以来の大事業である。その事業をば一介の小泉首相がしてよいものなのか。

歴史には比較はない。一回きりのことである。又同じ時間をやり直すことは出来ない。

今までやってきた改革とやらは,本当に立派なものなのかどうか分らない。変えたことかわったことは事実である。

変え方にはもっと他にいろいろとなかったのかどうか。でも時の経過は一つでそれしか体験できない。

比較ができない。こんなことで良いのかとおもうことを小泉首相は沢山してきている。

自殺者も多勢出てきている。万死にあたることをしでかしたのかもしれない。





剣を鋤に、が祈りではなく現実になりうる



1月26日の天声人語より


 「かくて彼らはその剣を鋤(すき)にうち変え、その槍(やり)を鎌(かま)に変える。

国は国に向かって剣を上げず、戦争(たたかい)のことを再び学ばない」

 旧約聖書のイザヤ書(岩波文庫)に出てくる有名な言葉だ。

命を奪い合うための剣や槍を溶かし、命を養うための鋤や鎌につくりかえる。

時代を超えて訴えかける平和への祈りである。


この言葉がニューヨークの国連本部の向かいにある小さな広場の壁に刻まれている。

 国連事務次長などを務め、1971年に死去したラルフ・バンチにささげられた銘だ。

彼は大学時代のスピーチコンテストで、まずこの言葉を引用して演説を始めたという。

以来、しばしば引用した愛用の言葉だった。

 黒人として初めて米国務省高官になり、

国連創設にあたって国連憲章の起草にも深くかかわった彼は、50年にノーベル平和賞を受賞した。

第1次中東戦争を和平に導いたことが評価された。

しかしかの地では、あれから何度の戦争が起き、何度の和平の挫折が繰り返されたことか。

 いままた、アラファト議長の後を継いだアッバス氏がパレスチナ和平の再構築を図ろうとしている。容易な道ではない。

薄氷を踏むような思いの連続だろう。

ラルフ・バンチの死去に際し、当時のウ・タント国連事務総長が彼をたたえた言葉を思い起こしたい。

「ラルフは理想主義者であり、また現実主義者でもあった」と述べつつ、

和平の試みは「やりなおすのに遅すぎるということはない、と彼は信じていた」

 剣を鋤に、が祈りではなく現実になりうる。そう信じて和平への道を探るしかない。



昔からずーと誰もが望んでいるが今も実現しないのは何故らなのだろう。ハトはタカにはかなわないが世の中全部がハトの流れになれば

きっとタカは地球を離れてどこかに飛んでいってしまうだろう。

現在はタカの方がハトより強く威張っている。誰もがたたえ続ける1971年に死去したラルフ・バンチの意志は今も世界中どこかで

誰かに受け継がれているに違いない。





NHKの会長辞任劇を見ながら思った


1月27日の天声人語より


 お追従者からいかに身を守るか。

たいへん難しいが、君主にとっては極めて重大な問題だ、とマキャベリが述べている。

 「そもそも、お追従者から身を守る手段は、真実を告げられてもけっして怒らないと人々に知ってもらうしかない」。

しかし、誰が言ってもいいとなると尊敬の念が消えてしまう。

そこでマキャベリが勧めたのは、何人かの賢者を集めて彼らに自由に真実を語ってもらう仕組みだ

(『君主論』中公文庫)。

 NHKの会長辞任劇を見ながら思った。

マキャベリの指摘するような「君主の陥穽(かんせい)」にはまっていたのではないか。

追従者が重用されるような組織になっていはしなかったか。

それをチェックする賢者集団であるはずの経営委員会が、はたしてよく機能していたかどうか。

 皮肉なことに最もよく機能したのが、そもそも論議の多い受信料という仕組みだった。

不祥事や対応のまずさに敏感に拒否反応を示した。組織の土台を揺さぶる動きである。

 NHKと似たような受信許可料制度で運営される英国のBBCが数年前にこの制度をめぐる世論調査をした。

制度が必要だとする人は69%だった。

いまの料金に満足しているという人は53%、非常に不満という人は15%だった。

自画自賛気味ではあるが、BBCを英国の財産とみる人が90%にのぼるなどといった数字を挙げながら視聴者の

信頼は高いとしている。


 過去、政府と厳しい緊張を強いられることもしばしばだったBBCの経験はNHKにも参考になるだろう。

視聴者そして国民の信頼があってこその公共放送である。


NHKもBBCを見習って欲しい。国民の信頼が全ての基本である。信頼を失いつつある首相を持つ国民は気の毒な話である。

ここで解散して,総選挙に打って出て,自己の郵政民営化とかの推進,アメリカ追随外交,今までした改革の総決算の評価を国民に対し

信を問えばいかがでしょう。小泉さん。





越後の大雪で浴場の屋根が落ちた現場


1月28日の天声人語より


 「雪を掃(はら)ふは落花(らくくわ)をはらふに対(つゐ)して風雅(ふうが)の一ツとし和漢(わかん)の吟詠(ぎんえい)

あまた見えたれども、かゝる大雪をはらふは、風雅の状(すがた)にあらず」。

越後の大雪や暮らしぶりを描いた鈴木牧之の『北越雪譜』(岩波文庫)の一節だ。

雪下ろしは、土を掘るようだから「雪掘(ゆきほり)」と呼ぶともある

  周りの雪の白さとは対照的に、四角い暗い穴がぽっかりと開いている。

新潟県小千谷市の旅館「篠田館」で、浴場の屋根が落ちた現場の写真である。いたましいことに、ふたりの男性が亡くなった

  あの地震の後、宿の主人らは客室を一つずつ片付け、間もなく営業を再開した。

水道が使えるようになってしばらくは、浴場を住民に無料で開放していた

  あるなじみ客が支援にかけつけると、主人が言ったという。「いつもの4倍の毎日80人以上が入るため、普段より忙しい。

4キロもやせた」。鉱泉をボイラーで沸かすので経費がかかる。

「まあ、困った時はお互いさま。お金は取れません」

  浴場で亡くなったひとりは、鉄道の復旧工事で働いていた。もうひとりは、近くの自宅が地震で被害を受け、仮設住宅に入っていた。

被災者や復旧に携わる人たちにとって、信濃川を望む湯は慰めであり、明日への力にもなっていたはずだ

  牧之は「(雪)掘(ほら)ざれば……力強(ちからつよき)家も幾万斤(いくまんきん)の雪の重量(おもさ)に推砕(おしくだかれ)んをおそるゝゆゑ、

家として雪を掘(ほら)ざるはなし」とも記している。

旅館では「屋根の雪下ろしは毎日やっていた」という。

市は、旅館を「半壊」と認定していた。雪の追い打ちを振り払う手だてが尽くされるようにと願う。



雪の恐さをまざまざと見せつけられる思いである。浴場を住民に無料で開放してまでの好意が天に届かなかったのかと

悲しくなる。本当にお気の毒なことが起きたものだ。





人の弱さと強さとの幅を
人気のない雪原の中で思った




1月29日の天声人語より


 ポーランドのアウシュビッツ強制収容所が解放されて60年がたった。

記念の式に集まる元収容者も老齢化している。

人間が人間に対してなした究極的なおぞましい所業の一つを、記憶し直す時だ

  フランクルの『夜と霧』を訳した霜山徳爾さんは、

アウシュビッツの記録の中で注意を引くものとして「カポー」の存在を挙げた。

元々は囚人だが、その中から選ばれ、他の囚人を監督し取り締まる側に回る

  「彼らの内にはナチスの看視兵よりもずっと残酷に同胞を迫害した人間が少なからず存した」。

生き残るために特権にかじりつくだけでなく、享受さえしたという。

「人間のエゴイズムの哀しさを露骨に感じさせる」

  一方、極限状況でも尊厳を失わなかったひとりとしてコルベ神父を挙げる。

死刑を宣告された男の身代わりとなって殺された。収容所跡には神父の房が残されている


  数年前の今頃、アウシュビッツを巡り、人間の幅というものが試された現場だと感じた。

元々は「普通の人」だったはずの多くのドイツ人や「カポー」が行き着いた残虐と、

それにさいなまれた人たちの絶望、そして、この残虐も奪い尽くせなかった人間の尊厳。

人の弱さと強さとの幅を人気のない雪原の中で思った


  先日来、ハンセン病患者に対するおぞましい所業についての報道が続く。

産んだばかりのわが子を看護婦に窒息させられたとの発言もある。

これも、元々は「普通」だったはずの人や社会が行き着いた残虐なのか。

未来のためにも、そこにまで至った道筋を見極めて記憶する必要がある。


本当に人間にはいろんな人たちがいる。コルベ神父や「カポー」の存在,二人とも同じ人間である。

どちらの人間を選ぶかは分った事だが,極限状態に陥っての人間がどのように行動するかが本当の人間評価だと思う。

理想への心はいつまでも失いたくないものだ。






巨船「NHK」は、
これまでにないような高い波に
囲まれている



1月30日の天声人語より


 「クレームが来るのではないかと予想はしていたが、こんなに大きな波とは」。

NHK前会長らの顧問辞任を発表する会見で、橋本元一会長は見通しの甘さを認めた。

NHKという巨大な船のデッキに立った新船長が、さざ波程度を予想していたとは思えないが、

うねりぐらいならかわせると踏んでいたのだろうか。

  波は、時に予想を超える振る舞いをする。

その一つが「一発大波」だ。気象エッセイストの倉嶋厚さんの「お天気衛星」にはこうある。

普通、人が海岸に立って感じる波の平均の高さは、その時に現れた波を高い順に並べて、

上位3分の1までの高さを平均した値に近い。

天気予報の波の高さもこれだ。しかし千波に一つは約2倍の大波になって、人や船を襲う。

  波に関する幾つかの本によると、世界で観測された最も高い波は、10階建てのビル並みの37メートルだ。

1933年2月、大荒れの太平洋上で、米海軍のタンカー「ラマポ」が報告している。

 巨船「NHK」は、これまでにないような高い波に囲まれている。

視聴者の目は厳しく、操船を誤った船長の交代だけでは波は鎮まらない。

前船長や取り巻きの口出しを許さない、本当の意味での新しい船出が必要だ。

  この船は不沈船とも言われてきた。


受信料という、他の船には無い永久固定燃料の供給があったからだ。

今度の波は、燃料供給の方法の見直しも求めているようだ。

  視聴者から見て、民放では得られない価値のある放送・報道がどれだけできるのか。

かじ取り次第では「一発大波」を何発もかぶりかねない。


「NHK」のような放送局があってよいが,政権の報道宣伝部であってはいけない。

地震の時の津波警報 地震警報,台風警報などなど他の民間放送局では出来ない活躍は大いに認めたい。

真面目な教養 啓蒙番組も有ってよい。だが政治に関しては厳格すぎるほど厳格になっても過ぎる事は

ありえない。国会開会中はずーと公平に会場を全部を映し出し,見たい人の動作なとが拡大できるような

仕組みができてもよい。日常のことをこまごまし,世話する議員が当選できる仕組みをぱ゛映像でもって

改変できるはずである。

「数が力」だと信じている限りにおいて,よい政治ができるはずがない。政治を変えるのは国民だ。

議員の行動を監視できる映像システムが有ってよいはずた。

自己の利益を優先する議員はなんとか閉め出したいものである。





この六十年間、日本は戦争をしなかったということだ


1月31日の天声人語より


 最近の言葉から。「戦後60年」の年が明けた。

終戦の年に生まれた作家、池澤夏樹さんが述べる。

「いちばん大事なのは、この六十年間、日本は戦争をしなかったということだ。

明治維新の後で、これほど長く続いた平和はなかった」。

  詩人の長田弘さんは、言葉の力について記す。「何をなすべきかを語る言葉は、果敢な言葉。

しばしば戦端をひらいてきた言葉です。

何をなすべきでないかを語る言葉は、留保の言葉。戦争の終わりにつねにのこされてきた言葉です」。

  阪神大震災からは10年がたった。

あの日生まれた、神戸の小学4年生菅原翔平君に、父の敏郎さんはこう伝えたいという。

「たくさんの命が消えたあの日、多くの人の助けで、君は生を授かった。

この先どんな困難があっても、立ち向かっていかなければならない」。

  「この10年間」について、国際経済学者ポール・クルーグマンさんが述べる。

「『自由な市場』『自由な資本移動』こそ最良だと言われ続けてきた。

私たちは今この熱病から目を覚まし、忘れていたものを思い出すべきだ」。


 ブッシュ米大統領が2期目の就任演説をした。

「我が国の自由が生き残るかどうかは他国に自由が広がるかどうかにかかっている……

我々は必要とあれば武力を行使

我々自身と友好国を守る……米国の決意を試すという愚かな選択をした者たちは、決意の固さを思い知らされた」。


  大津波がスリランカを襲った日、南部の都市ゴールで、女の赤ちゃんが生まれた。

「エンジェラシェハニ」と名付けられた。天使の意味という。



大変な人が巨大国家アメリカの大統領になったものである。

「我々は必要とあれば武力を行使する」のは,誰が武力が必要であると判断するのだろう。

○○な大統領が判断し行使されるならば,何処の国の国民も戦々恐々である。

世界に対しての脅迫であり,恫喝である。えらいアメリカの大統領が出現したものだ。

何時かのときか,「味方しない者は全て敵とみなす」と公言した人は誰だったか。

この論理を通せば世界は恐怖に縮みあがりブッシュに随う以外ない。。

なんとか,何も起こらないことを神に切に祈るしかない。

過去にアル中で,今は神に頼り,奥さんに手をつないでもらわないと歩けない人が何をしでかすのだろう。

「人の痛み」を知ろうと努めている人にどうしてもみえてこない。





世の中思うようにはならぬ



誰にも理想や希望があるに違いない。でも世の中思うようにゆくものではない。自分の考えが正しいとの思いは崩れない。

正しいと思い,書いていることもまちがっていることは往々に有り得る。同じ考えの人を見つけるのは大変で,誰もが正しいと思い

行動しているに違いない。だが悪い事と知りながら行動する人も中にはいるであろう。

そのような人の場合犯罪的行為をしているに違いない。

まさか悪い事を正しいと思い行動に移している人はいないと思うが。わからない。

若い頃の体験や、勉強して身についたものはなかなか離れないものである。

「鉄は熱いときに打て」といわれている。打たれた形は中々に変らないものである。若い頃に聞いた話 読んだことは忘れない

ものである。お年寄りがよく若い頃のことをよく憶えていて話されるのを聞くことがある。それも同じことを何回も聞くことがある。

世の中自分の思うようにすらすらと運ぶ事はすくない。むしろないと思ったほうがよいように思う。

努力していても報われる事が少ない。人生思ったようには行かないで,でも努力は怠ってはいけないと感じている。

まずやる事で,努力する事だが後は思うように運ばなければそれでも良いとの気持を持つように心掛けよう。

努力する事が目標で,その結果についてはあまり考えない事である。思うように行けばそれはそれとして感謝する事にする。

多分その方が身について,忘れる事はできなくなってしまっているのだろう。




行基を調べて分ってきたこと

行基菩薩について調べ初めて分ってきた事は,かなり高齢になってから色んな社会活動をしている。

若い頃は現代と同じく自分自身の修行に明け暮れていた。

行基が就いた師は道昭でこの人も社会事業にやはり貢献している。道昭の若い頃は唐に渡り玄奘(三蔵法師)から色いろと

経典を学んでいる。玄奘も行動の人である。この人はインドに渡って釈迦の教えの経典を初めて中国にもたらし,翻訳をしている。

行基の最晩年は沢山な寺院の建立などにたずさわり,当時の聖武天皇から奈良の大仏殿を建てるのに協力を要請され

建設途中で亡くなっている。大僧正の位を得ていて,僧としての最高の位をもらっている。その大僧正をもらった人物は少ない。

三人とも行動の人で社会とのかかわりが多く,若い頃はひたすらに学び行動のひとであった。

人々に尽くしてか,行基伝説は北海道から九州まで全国にひろがっている。

関わったとする寺院が全国に沢山あるが,ただ伝説が広がってのことだと思われる。


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