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随想 

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二月はまだ寒い


寒い日が続く。冬は寒いのが当然のことだが,年齢と共にこたえる。どうしても戸外での運動量は少なくなってくる。

ライブドアが日本テレビの株を40%以上取得のニュースが伝わる。日本テレビがフジサンケイの株を沢山保持している所から,

間接的にライブドアがフジを支配できるとか。フジも同様に日本テレビの株の取得に走っている。25%以上取得していれば

議決に対して拒否権が使うことができるらしい。ライブドアの堀江社長は31才とかで若い。以前にもプロ野球参入で世間を騒がせていた人だ。

若いからできる話である。ある程度の常識 がつくようになれば多分誰もが一応考えることであろう。

法律の盲点をついて,外資から資金を融通しての行為である。外資による日本支配の尖兵になっているのかどうか,素人にはよく理解できない

世界と日本が何らかの形でつながっている事を示す証拠でもあろう。

イラクでは相も変らずに武装勢力が自爆テロに,攻撃でもってシーア派とか,治安に携わる志願のために並んでいる所を狙って人を殺している。

又殺されもしている。お互いの殺し合いがイラクではまだまだ続きそうである。

総選挙後の大方のイラクの人たちの一致した願いは,アメリカ軍並びに占領軍の撤退をしてほしいと希望しているようだ。

北朝鮮問題にしても北朝鮮はアメリカとのニケ国間だけの対話を希望している。イラクにも北朝鮮に対しても,アメリカは拒否を示し続けている。

行うのは簡単なようだが,利害のことを考えれば相手の言うとおりに行動しないのがブッシュのアメリカである。

ライサ補佐官が国務長官に,ラムズフェルド国防長官留任,チェイニー副大統領留任,国連大使にボルトン氏がなっている。

全てネオコンのメンバー勢がせいぞろいして,これからの世界で何を起こそうとしているのかが極めて不気味である。 

多分何かが起こりそうである。自由と民主主義の伝道師,ブッシュの大統領としての総仕上げがどのように行われるのか

大変危機感をもって世界が見守っている。アメリカが世界で一番突出した巨大な武装勢力である。

○○な指導者によって率いられた武装勢力はどのような行動をとるのか,世界中は非常に気がかりでいる。

イラク武装勢力によって捕まり解放されたイタリアの女性記者の乗った車へのへのアメリカ軍の誤射,そしてブルガリ兵への誤射に

よる死者発生は犯罪そのものである。ニュースにならないイラク人への誤射による死者はもっと多い事は当然だとは判るが,

どれほどの人数なのか正確なことは判っていない。

今年は東京空襲60周年,日本敗戦前,焼夷弾が雨アラレのように無差別に日本の都市に爆弾が落とされている。

そして日本国中で何十万の人たちが何も判らずして死んでいっている。何の為の死だったか,全てが無駄な死である。

彼らは間違いなく被害者である。加害者は誰になるのだろう。

ブッシュの言う,アメリカによって日本を民主主義国家にする為のものだったのか。

同じような事がイラクをば民主主義にするとして,ブッシュは武装勢力と戦っている。当然犠牲者は多勢出ている。

ブッシュの唱える民主主義の為に多勢の死が当然に必要なのか。大変疑問に思う。

今,自慢している民主主義とかは,地盤 看板 カバンが主で,アメリカも日本もその所は同じように汚染されて,世間にそれが普通に通っている。

権力を持つ人に媚びへつらい,お金になびくような民主主義では,なにも今さらに民主主義国家になる必要もないのではないでしょうか。?





イラクの国民議会選挙の社説の見出しを
「弾丸と投票用紙」と付けていた。


2月1日の天声人語より


 英語では、bullet(弾丸)と、ballot(投票用紙)は、見た目も、発音も似ている。

英紙ガーディアンは、イラクの国民議会選挙の社説の見出しを「弾丸と投票用紙」と付けていた。

  確かに、武装勢力は「投票する者には弾丸を」という意味のことを言っていた。

すぐ近くで迫撃砲による攻撃と銃撃戦があった投票所に来た高齢の女性が言ったという。

「私たちはイラクの将来のために犠牲になる」。

選挙という仕組みに、これまでにない形を付け加えた今度の選挙とは何だったのか。

名前を付けるとしたら、どう呼んだらいいのだろう。

  まず「命がけ選挙」ではあった。

実際、多くの人たちが、テロ攻撃によって命を奪われた。

武装勢力側も命がけで選挙を阻止しようとし、一部は自爆テロに走った。

守る側も含め、異様な「武装選挙」だった。

  選挙を推進する側からは「一里塚選挙」ないし「試金石選挙」だった。

米軍の占領からイラク国民の自治へと至る道筋の中で、選挙ができる段階にまでたどり着いたことを確認する。

そして世界へと訴える。

選挙後「際立った成功」と語ったブッシュ米大統領にとっては、肝心要の「アピール選挙」だった。

  「目隠し選挙」でもあった。


これほど世界の注目を集めた選挙を、世界のほとんどのメディアが、現場で見て伝えることができなかった。

投票するかどうかが、宗教上の立場であらかじめ分けられた点では、総選挙ではなく「半選挙」だった。

  今後も気がかりだが、「内戦予備選挙」などという名だけは付いてほしくない。




イラク総選挙をばどうしてそんなに慌てて,アメリカが実施したのか不審である。イラク民主化の為の戦争で多くのアメリカ兵が

亡くなっている。そもそも国連は戦争には反対だった。

それを圧して戦争を始めたのがブッシュのアメリカである。不思議な事に今度そのアメリカでの大統領選挙でブッシュが勝利した。

誰もはアメリカの民主主義の勝利とは思わないし,感じていない。選挙が民主的に行われたどうかも疑問である。

長い行列したアメリカ選挙民の姿をテレビで見ると,この国はちょっと変だと誰もは感ずる。

その国が主導しての選挙だから内容は初めからわかっている。民主主義とはたてまえだけである。

旧政権のフセイン出身のスウニン派の人たちは参加していない。シーア派スウニン派クルド派に分裂している国に

選挙して民主国家をと考える方がおかしい。イラクの武装勢力をなくすには世界最大で強力な武装勢力がまず撤退しない限りには

イラクで戦闘は絶えないだろう。小泉首相はその尻馬に乗っかって日本の自衛隊員を危険にさらしている。

日本もアメリカ同様に「わけのわからん指導者」が天下をとっている。




「不便でも自然の中で暮らす方がいい」


2月2日の天声人語より


 「不便でも自然の中で暮らす方がいい」。そう語っていたジャック・モイヤーさんは昨年1月、74歳で亡くなった。

長年、三宅島で暮らし、海洋生物の研究や自然保護に取り組んできた人だ。

  米カンザス州出身で1950年代に来日して以来、三宅島の魅力にとりつかれ、やがて住みついてしまった。

住民に慕われ、子どもたちの野外学習にも熱心だった。

96年には「朝日 海への貢献賞」の「ふれあい学習賞」が贈られた。

  全島避難で東京都北区の都営アパートに移ったが、昨冬、自室で遺体が発見された。

自ら命を絶ったらしい。モイヤーさんのようについに帰島を果たすことなく島外で亡くなった人は約200人にのぼる。

  一足先に帰島した集団もいる。国の天然記念物で島のシンボルともいえるアカコッコをはじめ多くの鳥類だ。

噴火直後は激減したとみられていたが、2年後の調査では大幅に回復していた。

近くの神津島に避難していたらしい。

昨年は、一時帰島した住民が家の庭に小鳥たちが集まっているのを見て「もう大丈夫」と話し合ったという。

  三宅島の名物の一つに太鼓がある。長い伝統を誇る「神着木遣(かみつききやり)太鼓」である。

世界各地で演奏活動をする「鼓童」が伝授を受け、演目に取り入れたことで広く知られるようになった。

都内などで開催されてきた「島民ふれあい集会」ではしばしば木遣太鼓が登場、涙ぐみながら聴き入る人も少なくなかった。

太鼓の音が島に復活するのはいつの日か。

  4年半の空白を取り戻す。容易ではないだろうが、着実に進んでほしい。




不便でも自然の中で暮すのが一番である。人生が長く感ずる。ゆったりとした気分でお金の心配もいらない。

半自給自足の生活ができる。太陽を拝み星をながめての生活は今の都会では考えられない。

アクセクと流行に流され,新しい器械に振り回されての便利な生活である。

ゆったりとして故郷で暮らせる日のはやくくる事を願う。




在仏日本人に「パリ症候群」が
あとを絶たないという。



2月3日の天声人語より


 フランス語教育が充実していることで知られる暁星学園でフランス人教師に囲まれて11年間学んだ。

東京大学の仏文に進み、卒業後もデカルトやパスカルを研究、助教授になった。

  1950年、戦後第1回のフランス政府給費留学生に選ばれた森有正は、フランス語に不安はないはずだった。


本人もある程度自信をもっていたが、同時に「心の底には一種の形容するのがむつかしい恐怖の念がありました」と述懐している

(『森有正エッセー集成3』ちくま学芸文庫)。

  日本で学んできたものが根本から揺るがされるのではないかという恐れは、的中した。

生きたフランス語や社会、文化に接しているうち、「最初の自信めいたものは跡かたもなく消えてしまいました」。

彼の苦闘が始まる。

それは哲学者として思索を深めていく過程でもあった。

結局、76年の死までフランスにとどまった。

  在仏日本人に「パリ症候群」があとを絶たないという。

あこがれのパリで暮らし始めたものの、うまく適応できず、精神的トラブルを起こしてしまう人たちだ。

90年代にパリ在住の精神科医太田博昭さんが命名した。最近、仏紙も話題にしたという。

  「フランスはあまりに遠し」という時代ではもはやない。

だが、どんなに身近になってもパリには「有史以来、日本人が異文化と接触した時のあらゆる幻想が、

凝縮されて盛り込まれている」と太田さん(『パリ症候群』トラベルジャーナル)。

 「症候群」に苦しみつつ、あえて深みにはまることで新しい地平を開いたのが森有正だったといえよう。



言葉 習慣などの違った環境での生活した人たちの苦労は理解出きる。夏目漱石もロンドン留学でノイローゼになつたとか。

後に東大の英語の教師がである。観光だけならば良いが文化を吸収しようとするのはもう必要ではないのか。

異文化は自然に流れ込んで来る時代になってきている。日本文化の消滅にも心しなければならない時代に来ている。
 




内には新しい息吹が宿り、
近づく時を待っている。今日は立春。



2月04日の天声人語より


 〈大空に延び傾ける冬木かな 虚子〉。

昨日、東京の空には雲がほとんどなく、木々は、目にしみるような青を背に立っていた。

  冬木には、天に向かってのびようとする勢いが感じられる。

道に並ぶ木々を見ながら、その勢いは、葉を失ったことで得られるのではないかと思った。

 葉は枝から上向きに出ていても、葉の先の方は下を向いていることがよくある。

葉先を、いわば下向きの矢印とすれば、葉を落としきった木には、それが全く無い。

かわりに、多くが天を指してのびている枝や枝先という無数の上向きの印が強調される。

それが、のびる勢いを感じさせる。

  「大きな枝から、また大きな枝が手を伸ばし、

更に小枝が四方にこまやかに散らばり、となりのけやきと絡みあつてゐる。

それらの梢の先々は、どこで終つてゐるのか、見究めがつかぬほどに、遠いところで消えてゐる」

(「冬木立の中で」『結城信一全集』未知谷)。

葉に隠れていた所があらわになり、枝の向きや傾きが目で追える。

  一本のサクラに近づく。細い枝の先をたどると、そこには芽がいくつもついていた。まだ小さくて堅い。

しかし、内側から外の世界へ出てゆこうとする気配は十分にある。

芽は、葉や枝ほどには目につかないが、枝と同じく、空に向かってのびようとする矢印のようにも思われた。

  〈斧(をの)入れて香におどろくや冬木立 蕪村〉。

冷たい風に揺れながら空を掃いているような木々の姿は、ものさびしくもある。

しかし、その内には新しい息吹が宿り、近づく時を待っている。今日は立春。



立春というもまだまだ実感として春は感じられない。経験上,冬の後には必ず春がやってくると思いがあるから

冬もしのぐことができる。これがいつまでも冬が続くと思うならばたまらない。

地球上にはそのような所もあるのだろう。常夏の国 白夜の国 でも自然は移り変わるものが普通である。

季節的に変化のない国はないと思う。慣れればどこも我が家の天国かもしれない。




未知の海底は謎に満ちた闇でもあった


2月5日の天声人語より


 海の底には、富士山やキリマンジャロに勝るとも劣らないような大きな孤立した山が、数多く潜んでいるという。

千メートル以上の山を、海山と呼ぶ。ある共通する分野の人の名前がつけられた海山の集団もある。

  ハワイの北の太平洋には、音楽家海山列がある。

バッハ海山から、ベートーベン、チャイコフスキー、ラベル、マーラー海山までがそろっている。

アラスカ沖には、数学者海山列もある。

「海山は深海という夜空に輝く星座である」と言った人もいる(『生きている深海底』平凡社)。

  海山が輝く星ならば、海溝は沈黙の闇だろうか。

世界で最も深いマリアナ海溝の闇の中で、「生きた化石」とされる生物が見つかった。

アメーバに近い「有孔虫(ゆうこうちゅう)」の仲間で、8億〜10億年前からその姿を変えていないという。

深さ1万メートルを超す闇が、この原始的な生物の「避難所」だったとの見方もあった。

  「ここはどこだろう?……私がしゃべろうとすると、ネモ艦長は手振りでそれをとどめ、(海底に)落ちている白い石を拾って、

黒い玄武岩のそばに進みより、その上に『アトランティス』と、ただ一語書き記した」

  ジュール・ベルヌ作「海底二万リーグ」(『世界SF全集』早川書房)の一節だ。

「アトランティス大陸」の水没伝説のように、未知の海底は謎に満ちた闇でもあった。

  海底には、泥や砂が、ゆっくりだが絶え間なく積もり続けているという。

陸上では、人間の手や浸食で消えてしまう記憶が、深海の底では残る。

小さな有孔虫にも、地球の太古の記憶が刻まれている。





海底のことは想像もしたこともない。想像を絶する風景が見られると思う。地球は殆どが海である。

それならばもっと海底での生活を考える時代がきて良いと思う。

此れだけ科学が発達してくれば,海底の別荘ならば幾らでも作る事ができるはずだが。




いかにもアメリカらしい「多様化」の試みである。


2月6日の天声人語より


 米国で最も親しまれている硬貨が、クオーターと呼ばれる25セント硬貨だ。

少々大ぶりだが、自動販売機をはじめとして、ちょっとした買い物には欠かせない。

  50種類ものクオーターを発行する計画が6年前から進行している。

50州が硬貨の裏にそれぞれ独自のデザインを考え、順次、米造幣局が発行していく。


各州の歴史や特色を図案に取り入れることが条件だ。

多くの州では、デザインを公募、最終的には知事が決める。

  ニューヨーク州だったら誰もが考えるのは「自由の女神」だろう。

実際、4年前に発行されたクオーターでは、州の外形を背景に「自由の女神」が描かれた。

そして「自由への玄関」の文字を浮き彫りにした。9・11テロの前のことだった。

  バイオリンとギターとトランペットを描き「音楽の遺産」と銘打ったのはカントリーミュージックの故郷テネシー州だ。

一方、ジャズの都ニューオーリンズをかかえるルイジアナ州もトランペットを欠かすわけにはいかない。

州鳥のペリカンを加えた図案になった。

  99年に始まり、08年までの10年計画で進んでいる。

憲法を批准し、合衆国に加わった順番で発行されるからハワイ州が最後だ。

もちろん硬貨は州外でも通用する。

「無難なデザインが多すぎる」という批評はあるが、話題づくりには成功した。

推進する米造幣局は「クオーターでアメリカの歴史と地理、そして多様性を学ぼう」と呼びかけている。

  確かに偽造硬貨騒ぎに関心が集まるよりは、はるかに建設的で、いかにもアメリカらしい「多様化」の試みである。



日本でも真似しても良い筈だが,日本は狭くてその必要もないのだろう。



自動車事故による多くの死が
永遠に続くかどうかは分からない。



2月7日の天声人語より


 ??この日本という国では、わが帝国のものとは比べようもないほどの速さで動き回る「戦車」によって、

年に何千人もの命が奪われている。

世界全体では、何万以上の命が毎年失われ続けているらしい。

果たして彼らは、この大量の死を、永遠に続けるつもりなのだろうか……。

  もしも古代ローマ人が今現れたとしたら、こんな「未来社会の驚くべき蛮行」という報告を書くかも知れない。

自動車事故による多くの死が永遠に続くかどうかは分からない。

しかし、古代人なら驚くはずの膨大な死への恐れが、現代人では薄れつつあるのではないか。

  「戦車」が勝手に人の命を奪うはずもない。

人が操る「戦車」が殺すのである。千葉県松尾町で、同窓会帰りの男女がひき逃げされ、4人もが亡くなった。

痛ましい限りだが、この事件は、車を操る責任の重さと、車の凶器としての恐ろしさを、改めてみせつけた。

 「いつ人をひくことになるか分からないし、いつひかれるかも分からない」。

こんな、古代にはない覚悟をしながら、現代人は暮らしている。

いちいち口には出さず、のみ込んでいるが、死の影が消え去ることはない。

  養老孟司さんは『死の壁』(新潮新書)の中で「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いへの答えとして、

「二度と作れないものだから」と述べている。


「蠅を叩き潰すのには、蠅叩きが一本あればいい。

じゃあ、そうやって蠅叩きで潰した蠅を元に戻せますか」

  ひき逃げに限らず、元に戻せない人の命を、むやみに奪い去るような事件が続く。


自動車は便利である。昔京都の町に市電が走っていたときに,前に網のついた市電が走っていた。スピードもそんなに速くなくて

人が前をとおりぶつかるようならば,その網に人をすくうためのものだと教えられたことがある。

江戸時代籠にぶつかり死ぬ人もいなかったはずである。スピードを求めての結果ではないだろうか。

人の命は失うと二度と作れない。柔らかい車体の改良とか物が接近すれば急ブレ―キが効くオートマチックな自動車が

出来てくればも良いと考える。




戦時中、情報工作員を養成していた「陸軍中野学校」の、
たまたま焼却されなかった教科書



2月8日の天声人語より


 ゲーテの大作「ファウスト」の総行数は万を超え、12111行に及ぶ。

読み通すのが難しい名作の一つだが、心に強く残るくだりは多い。

  ファウストが、悪魔のメフィストフェレスと賭けをして語る場面もそうだ。

「己が或る『刹那(せつな)』に『まあ、待て、お前は実に美しいから』と云つたら、君は己を縛り上げてくれても好い。

己はそれ切(きり)滅びても好い」(森鴎外訳 岩波文庫)。

  結局ファウストは、様々な遍歴を経た後、「刹那」に向かって「止まれ、お前はいかにも美しいから」と呼びかけ、絶命する。

メフィストは「この気の毒な奴は、最後の、悪い、空洞(うつろ)な刹那を取り留めて置かうと思つた……時計は止まつた」

  止まっていた時計が、60年ぶりに動き始めたかのような記事が載った。

戦時中、情報工作員を養成していた「陸軍中野学校」の、たまたま焼却されなかった教科書が、卒業生の手元に秘蔵されていたという。

「宣伝」の教科書に、メフィストフェレスが登場する。

  「『メフイスト』氏ノ手口ヲヨク研究シテ見ルト其ノ極意ハ『身ヲ磨(す)リ寄セテ行ク気持』デアル」。

例えば前線での敵将兵への放送では、「貴方方ガ前線ニ出テ来タ愛国的ナ気持ハヨク解リマス」と、

まず同情し、後に問う。

「デスガ貴方方ノ努力ハ一体誰ノ利益ニナルノデセウカ」

  ゲーテのメフィストとは、役回りは異なっているようだが、この教えは、戦争の現実とは、どう擦れ合ったのだろうか。

悪夢のような刹那を呼び止めてしまった時代を記録する、貴重な手がかりとして生かしたい。




「貴方方ガ前線ニ出テ来タ愛国的ナ気持ハヨク解リマス」と、まず同情し、後に問う。

「デスガ貴方方ノ努力ハ一体誰ノ利益ニナルノデセウカ」と中野学校で教えていたとか、これは

今のイラクのアメリカ兵に教えてあげたい言葉である。

ブッシュに何も命を投げ出す必要がないのではないのか。多分ジェンキンスさんの例を見れば

多勢の脱走兵がいるものと想像する。

そしてイスラムの女性と結婚し,幸せな家庭を持つことを戦いで死ぬよりもそれを勧めたい。





ハッブル望遠鏡の使命は
まだ終わっていない



2月9日の天声人語より


 アインシュタインに「生涯最大のあやまちをおかした」と後悔させたといわれるのが天文学者ハッブルである。

1920年代に宇宙が膨張していることを確認し、当時は「静止宇宙」を想定していたアインシュタインの議論を見事に打ち砕いた。

  彼の名を冠したハッブル宇宙望遠鏡の短い生涯が終わりそうだ。

近く寿命がくる部品を修理するかどうか論議されてきたが、7日発表の米予算教書に修理費は盛り込まれなかった。

誘導して太平洋に落下させる「水葬」費用だけが盛り込まれた。

 大気に邪魔をされず、高度600キロの軌道から宇宙を観測する。

天文学に革命をもたらすとの期待がかけられていた。

しかしスペースシャトルの事故などもあって打ち上げは遅れに遅れた。

90年に打ち上げられた後もトラブル続きだったが、順調に観測を始めてからは驚異の映像を送り続けた。

 星の誕生や死の現場を見せてくれた。とりわけ星が壮麗ともいえる大爆発を起こして死んでいく様は印象深い。

130億光年先という宇宙の果ての銀河もとらえた。宇宙誕生まもないころの姿でもある。


星が死んでつくる暗黒の穴、ブラックホールの存在も証明した。

  宇宙が刻々と変容を続けていることをまざまざと見せてくれたこの望遠鏡を三大望遠鏡の一つという人もいる。

ガリレオの望遠鏡、ハッブルが宇宙の膨張を発見したウィルソン山の望遠鏡とともに、
宇宙観を根本から変えた、と。

  ハッブル望遠鏡の使命はまだ終わっていない、と延命を訴える人もあきらめてはいない。

その論議は米議会に移る。


海底の後に宇宙とは,大分に手馴れた感じを受ける。宇宙は無限大である。時間と共に空間共に無限であって終わりがない,

始まりもわからない。これは素人の考えである。時間と空間の一点に現在自分と言う存在がある。

雲のような存在であって,確かなものでない事は確実である。宇宙を見るのに望遠鏡が欠かせない。電子望遠鏡といったものが

発明されて雲や大気も障害にならずに地上から見ることができれば,ハッブル宇宙望遠鏡も過去の遺産となる時代が必ず

やってくる。その前に,この地球の寿命がなくなり,消散して空間の藻屑になっているかもしれない。

地球上での戦争なんか馬鹿らしく感じてきませんか。直ぐに止めましょう。




エルサレムの「嘆きの壁」に行った


2月10日の天声人語より


 エルサレムの「嘆きの壁」に行ったのは、10年ほど前のことである。

ユダヤ教の聖地の古い壁を前に多くの人が祈っていた。

キッパという丸い小さな帽子を借りて頭に載せ、壁に手で触れつつ思った。

ユダヤ、キリスト、イスラム教の聖地が入り組むエルサレムという小さな一つの椅子(いす)に、

どうすれば反目する人々を座らせられるのかと。


  「嘆きの壁」に近いイスラム教の聖地に、当時イスラエルの野党党首だったシャロン氏が行き、

大きな衝突になったのは4年半近く前だ。

以来、イスラエル軍の攻撃やパレスチナ側の自爆テロが続いてきた。イスラエル側は、分離壁も築いた。

  双方の首脳が久々に会談し、停戦を宣言した。

会談が開かれたエジプト・シナイ半島のシャルムエルシェイクは、かつてイスラエルが占領していた時期もあった。

北方のシナイ山で、モーゼが十戒を授かったといわれる。

  「殺してはならない」や「盗んではならない」の後に「隣人の家をむさぼってはならない」とある。


しかし長い歴史の中で、この中東の地域も様々な国にむさぼられてきた。

  トルコ支配下のエルサレムを訪れた明治の作家・徳富蘆花は、「嘆きの壁」を「哀傷場」と記している。

「風日に黒める石の面(おもて)に、希伯来(ヒブライ)字もてさまざまに猶太(ユダヤ)人等の情懐祈願を刻す……

草花のさりげなく石垣に咲けるはあはれなり」。前世紀初頭、トルストイに会う旅の途中だった(「順礼紀行」『明治文学全集』)。

  停戦が、今世紀の最初の停戦ではなく、平和に帰結する「最後の停戦」になるようにと願う。



どの宗教も同じで「争ってはいけない」「人を殺してはいけない」「お互い相手の利益になるように」など同じような教えを

説いていて,宗教の違いが争いの種になっていることは悲しい現実である。

なんとか宗教人が力を合わせて世界の平和への努力してほしいものである。






瞬間最高視聴率は57・7%だった。


2月11日の天声人語より


その時、おそらく数千万の眼の追うボールが、北朝鮮ゴールに飛び込んだ。

日本チームは最後まで粘り、よくやった。

  やがて、勝ち負けとは別の感慨が浮かんだ。

それは、北朝鮮チームのメンバーとして戦ったJリーガーの姿から来るようだった。

日頃は日本のチームの一員として戦い、ここでは日本代表と戦う。

この「よじれ」を背負いながら走ったふたりに、国や国籍と人間との複雑な関係が重なって見えた。

  ふと、穐吉(あきよし)敏子作の「ロング・イエロー・ロード」を聴きたくなった。

中国東北部(旧満州)に生まれ、戦後帰国する。ジャズピアノを究めようと単身渡米して約半世紀がたつ。

「ジャズにとって、もともと異物」と述懐する「東洋人」のひとりとして、ジャズと日本とを結ぶ活動を続け、今年朝日賞を受賞した。

  曲名は、どこまでも続く黄色っぽい中国の道からヒントを得たという。

日本の童謡を思わせる一節もあり、軽快な中にも懐かしさを感じさせる。

「東洋人」が米国で歩んできて、これからも歩み続ける道をも意味しているという。

穐吉さんは『ジャズと生きる』(岩波新書)で、米国での人種偏見についても記しているが、乗り越えて自らの道をつかんだ。

  在日のJリーガーのひとりの後援会は、8割が日本人だという。

57・7%の中には、試合を国籍にかかわらずに楽しんだ人も多いのではないか。

  サッカーにしろ音楽にしろ、その魅力の根っこには、生まれた国や国籍を超えて訴えかけてくる、個人のひたむきな姿がある。



北朝鮮のサッカー戦はテレビを通じて観た。どうしても日本を応援して力が入ってくる,中々の接戦で負けたとしてもおかしくない

試合だったと思う。サッカー場での警戒が厳重なのと,応援団の出口を別にしたのが良かったようだ。

北朝鮮での試合では乱闘騒ぎになったとか。でもこのようなスポーツを通じての国家別対抗戦を多くして,本来人間が本能的に持つ

闘争心を少しでも緩和できるならば,毎年世界オリンピックがあっても良いと感ずる




悠久のタイムカプセルから
一気に現代に引っ張り出された
太古の生き物たちが、
身をもってそれを示した。



2月12日の天声人語より


 今から1万年ほど前のことである。海の水がにわかに増え、海水面が上昇した。

東京湾では、この「海進」によって、今より50キロも内陸まで海面下となった(『利根川と淀川』中公新書)。

 関東地方の貝塚の分布から推定した海岸線は、さいたま市よりも更に奥に達している。

貝塚は、太古の暮らしぶりを伝えるだけではなく、海のありかを示すタイムカプセルでもある。

 埼玉県に隣接する東京の北区でも、いくつもの貝塚がみつかっている。

その北区の住宅地の近くで、貝塚とは別の、とんでもないタイムカプセルが掘り出された。

温泉の掘削で地下1500メートルまで掘り進むと、ガスが噴き出した。

引火して激しく燃え上がり、なかなか消えなかった。


 関東南部には「ガス田地域」があり、深く掘ると天然ガスの溶けた地下水が噴き出る。

ガスは、一帯が海だった頃のプランクトンや海藻などが起源という。

 このごろ、市街地で温泉を掘り当てようとする動きが目に付く。

地盤沈下への懸念も聞く。東京都は来年度から、温泉付きマンションでの温泉使用に制限を設けるという。

1日1所帯0・5立方メートル以下で、浴槽約2杯分だ。

「限られた資源なので、湯水のごとくには使えないことを周知したい」

 ガス噴出や火災が市街地で起こるようでは住民はたまらない。

噴き上げる炎と消火活動は、油田火災を連想させた。

「町中(まちなか)温泉」掘りは、よほど慎重にしないと、大やけどをする。

悠久のタイムカプセルから一気に現代に引っ張り出された太古の生き物たちが、身をもってそれを示した。




思いもよらないことが日常で起こるものだ。最近温泉での粉を入れての天然温泉らしくみせる騒ぎがあった。

特に日本人は温泉好きである。温泉の効用は日本温泉学会があって医学的に効用があることを証明している。

日本温泉学会は毎年有るはずで,リハビリに応用されている。

あまり温泉堀りは思わぬ災害とともに,資源は有限であって大切に使って行きたいものである。




1949年初演の「セールスマンの死」で知られる
米国の劇作家アーサー・ミラーが89歳で亡くなった。



2月13日の天声人語より


 「とても偉大な人物とはいえない。あまりお金もうけもできなかったし、名前が新聞に出たこともない」平凡なセールスマンの物語が、

半世紀以上にわたって世界の多くの人々を魅了してきた。

 1949年初演の「セールスマンの死」で知られる米国の劇作家アーサー・ミラーが89歳で亡くなった。

劇の主人公と違って決して平凡とはいえない波乱の生涯だった。

新聞をにぎわしたこともたびたびだった。

 まず、女優のマリリン・モンローとの結婚と離婚がある。

「鳥小屋の中の見知らぬ鳥」のような彼女に魅せられ一緒になった。

しかし、5年ほどで破綻(はたん)した。彼女を「神経症」と薬物依存から救い出すことができなかった、と後に明かす。

 一生つきまとったのは「アメリカとの闘い」だったといえよう。

とりわけ50年代の「赤狩り」、マッカーシズムの時代には渦中に巻き込まれた。

非米委員会に呼び出され、知っているコミュニスト作家の名前を挙げるように強要された。

拒否し、罰金刑を受けた。

 「セールスマンの死」では、息子の将来に夢を託しつつ自分もささやかな成功者になろうと身を削った男が夢破れ、死を選ぶ。


「アメリカの夢」が「アメリカの悲劇」に転じる物語だ。米国社会への苦い批評が込められる。

9・11テロ後、米国に広がった息苦しい体制にも「市民の権利が脅かされる」と批評を怠らなかった。

 平凡な人間の夢と挫折を描いて演劇史を画する名作を残した非凡な作家だった。

ニューヨークの劇場街は11日夜、入り口の明かりを暗くして死を悼んだ。



映画はよく見るほうだが,「セールスマンの死」はみていない。映画化されていないかどうか。一度見たい気持になる作品のようだ。

平凡な人たちで社会が成り立っている。でも歴史に名を残すのは一部の偉人だけである。

アーサーミラーが常に「アメリカとの闘い」だった事は納得できる。世界の人々がアメリカを尊敬するのはそのようなアメリカだから

こそである。ブッシュのアメリカは世界から嫌われているだろう。



美しい古都と廃虚と。
ドレスデンという地名は



2月15日の天声人語より


 美しい古都と廃虚と。ドレスデンという地名は、いつも二つの映像が重なり合って複雑な感慨をもたらす。

「エルベのフィレンツェ」と美しさをたたえられたドイツの古都が

連合国軍の空爆で一夜にして瓦礫(がれき)の街になったのは、60年前の2月13日だった。


 爆撃直後のドレスデンを列車で通過した17歳の青年が、後に語っている。

「若くて事態をよくわかってはいなかった。しかし焼けこげた遺体が積み上げられている光景に衝撃を受けた」

「以前のドレスデンを知っていたから、変わりようはよくわかった」

 後のノーベル賞作家ギュンター・グラス氏である。しかし彼を真に震撼(しんかん)させたのは、

戦後初めて見た強制収容所の写真であり、ナチスのユダヤ人迫害だった。

反ナチスを貫く戦後の彼の歩みを決める経験だった。


 「ドイツ人の罪」を考え、語り、書きつづけたグラス氏だが、同時にドイツ人の犠牲者にも言及する必要がある、と考えてもいる。

英美術誌のインタビューでこう語る。

「私たちドイツ人が始めた。まず、英国の都市を爆撃した。しかし、ドレスデンへの爆撃もまた罪だ」

 ドレスデンでは13日、「追悼と和解」の式典が催された。

一方、「ドレスデン空爆は爆弾によるホロコーストだ」と主張する国家民主党などネオナチと称される極右グループは街頭デモをした。

戦後最大規模といわれる。

 ナチスドイツの罪を重く背負いながら「ドレスデン」を問うグラス氏と、

ナチスを擁護しつつ「ドレスデン」を非難する勢力との距離があまりに遠いことはいうまでもない。



「私たちドイツ人が始めた。まず、英国の都市を爆撃した。しかし、ドレスデンへの爆撃もまた罪だ」の言葉は日本についても

いえると思う。アメリカの真珠湾を攻撃したのは日本軍だが,広島・長崎に原爆を落としたのはアメリカ軍である。

両方共に罪がある筈だが,戦争犯罪者は日本人だけで,アメリカ人にはいない。

日本国中の無差別爆撃 さらには原爆投下は重罪である。多くの普通の民間の日本人が殺されている。

それでも罪にはなっていない。戦争とは理不尽なものである。

二度と戦争の道をたどる事が有ってはならない。先人の遺言であるだろう。

そしてもっと国連をば強化し,国際司法裁判制度に,必ず世界が一つになるまでは,各国は強制的に加入義務を課すべきである。

国連総長は直接選挙で世界中から選ばせるようにすればよい。中立国スイスに本部を置くべきである。

アメリカに本部がある限り正常な機能は不可能であろう。職員は世界中から採用するようにして理想の世界を目指したいものだ。

今の世に中は弱肉強食で,軍備拡張 強国になる事ばかり考えている。




「夢」を書き残して卒業した母校の小学校へ行って
教職員を殺傷、逮捕された少年



2月16日の天声人語より


 空を飛ぶ車を想像する。行き先を言うと、自動的に連れて行ってくれる。

誰もが子どものころに考えそうな夢だ。

いかにも子どもらしい夢、と一言ですますこともできるかもしれない。

 小学校の卒業文集に収められた「夢」と題する作文である。

読み進みながら奇妙な違和感をおぼえたのは、陰惨な事件の後だからだろうか。

「夢」を書き残して卒業した母校の小学校へ行って教職員を殺傷、逮捕された少年の中で夢はどうしぼんでいったのか。

 作文では、未来と現在とが混じりあっている。

空飛ぶ車、お手伝いロボット、スーパー高性能チップ??。

これから「できるかもしれない」ものと、既に「あるかもしれない」ものとが同列に「夢」として描かれる。

かなわぬものが「夢」なのだという感覚がうかがえない。

科学の発達ですべてが便利で手軽になる、なりつつあることへの楽観も読み取れる。

 夢と現実とが地続きであると思っていたのが、あるとき深い溝があることに気づいた。

事件に直接はつながらないにしても、そんな苦い経験があったのではないか。

この少年に限らず若い世代が共有する「夢と現実」ではないか。

 谷川俊太郎さんに「くり返す」という詩がある。

後悔をくり返すことができる/だがくり返すことはできない/人の命をくり返すことはできない/

けれどくり返さねばならない/人の命は大事だとくり返さねばならない/命はくり返せないとくり返さねばならない」


 谷川さんの呼びかけを心に、悪夢をくり返さないための手だてを考えていかねばなるまい。



我々が子供の時代に考えられない事件が起きている。戦後の自由・自由の遺産か。師の影を踏まずまでは行かなかったが

先生は尊敬していた。が子供心に戦争直後の先生の言葉には当惑した。「修身」まではゆかなくとも道徳心とか宗教心を

教える教科があっても良いように思うが。子供への道徳教育の萎縮 衰退の結果である。

国歌「君が代」の斉唱とかには熱心の割に人間としての道徳心の教育が不足しているのではないだろうか。





旧来の道徳観を否定して注目を浴びた
坂口安吾の「堕落論」の一節



2月17日の天声人語より


 「戦争に負けたから堕(お)ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ」。

終戦直後に、旧来の道徳観を否定して注目を浴びた坂口安吾の「堕落論」の一節である。

 安吾は、50年前の2月17日に、脳出血のため、群馬県桐生市の自宅で急死した。

48歳で、妻と幼い長男が残された。

 死の2日前まで、高知県に居た。『中央公論』の「安吾新日本風土記」取材のためで、15日の夜遅くに帰宅した。

同行した編集部員が、後に「書かれなかつた安吾風土記」を書いた。

「短気とうつり気があまりにも有名だつた」作家との旅を懸念したが「故人に対して誠に申しわけない危惧(きぐ)」だったという。

 しかし最後の晩には、訳のわからないことで怒鳴られる。

帰途、その理由を聞くと「いや悪かつた。絶対に気にしないでくれ……高知が自分によくつかめなくてあせつていたんだ……

俺には悪いくせがあつて、そういう場合、その場で一番親しい人に当つてしまう……許してくれ」。

「一番親しい人」だった妻から同誌への寄稿文には、子煩悩で、しばしば荒れる無頼派作家の姿がある。

 高知から帰京した日、桐生への列車を待つ間、浅草のお好み焼き屋に行っている。

ここでは、鉄板に手をついたことがあった。

「テッパンに手をつきてヤケドせざりき男もあり 安吾」。

その時の音が聞こえてきそうな色紙が残る。

 安吾は、「あちらこちら命がけ」とも書いている。

もし今現れて、戦後60年を迎えた日本に「命がけ」で手をついたとしたら、どんな音がするだろうか。




坂口安吾の本はあまり読んだことはない。堕落論は戦後衰弱しきった人々にある種の勇気を与えてもらったのかもしれない。

若くしてなくなったものである。戦後の退廃した生活が影響してのことかもしれない。





税務署の前を通ると、
確定申告を促す看板が立っていた



2月18日の天声人語より


 税務署の前を通ると、確定申告を促す看板が立っていた。そばのボードにはこうある。

「この社会あなたの税がいきている」

 常にそうならいいが、税金のでたらめな使われ方が問題になることが絶えない。

税金が絡むかどうかは分からないが、自民党内部の金の使い方に疑問を投げかけるような証言が、東京地裁であった。

 旧橋本派の元会計責任者が、盆暮れの時期に党から計1億2千万円を受け取っていたと述べた。

そしてこの金について、党の事務局長が「収支報告書に記載しなくていい」と言ったとした。

事実なのだろうか。

 自民党などには、元はといえば国民の税金である政党交付金が毎年渡っている。

一番多いのが自民党で、ざっと150億円にもなる。


金には色がついていないから、交付金の一部が派閥に渡り、記載されずに使われたとは、もちろん言えない。

しかし、党の運用する「公金」の使い方に疑いがあってはなるまい。

 昨年の場合、自民党の助成申請の代表者は、当然ながら小泉総裁だった。

会計責任者は幹事長で、その職務代行者が「記載しなくていい」と言ったとされた党事務局長だ。

総裁には、この交付金が、常に厳正に使われてきたのかどうかを改めて調べて、納税者に説明する務めがあるのではないか。

 法廷では、旧橋本派のパーティー券の売り上げ1億数千万円を裏金にした、という証言もあった。

この党が、巨額の税金をつぎ込むに足るのかどうか。

それを判断するためにも、
党総裁、元首相らは、国民に向かって「確定申告」をしてほしい。



税金は国民の義務としておさめているが,使い道については政治家の使い放題になっているのでは。

使ってもらいたくない所にも使われている。詭弁とごまかしで自衛隊をイラクに派遣している。

誰のためかがわかってこない。是非自衛隊派遣費用をば明確にしてほしい。

政治家に自由に使ってくださいと思って,誰も税金を納めてはいない。その使い道は国民に公開 公平 納得ゆく使い方を

してほしいものである。





合併後の市名を「南セントレア市」にするかどうか


2月19日の天声人語より


 書店で赤ちゃんの名前事典をめくると、外国風の名前を特集した章がある。

男の子なら「吐夢(トム)」、女の子では「花連(カレン)」などが挙がる。

好ましく感じる親もいれば、感心しない人もいるだろう。

 愛知県の知多半島にある美浜町と南知多町ではいま、命名話に花が咲く。

人の名ではない。合併後の市名を「南セントレア市」にするかどうか。

両町は先月これを新市名として発表し、内外から猛反発を浴びた。

ひとまず引っこめて、結論は今月末の住民アンケートに持ちこされた。

 セントレアという新奇な言葉に接して、まず浮かんだのは南太平洋ニューカレドニアの島々、

でなければ花のカトレアの変種かと思った。

セントラルとエアポートを足した造語で、知多沖にできた新空港の愛称だという。

まだ全国には浸透していない。

 地元ではセントレアはなお有力候補である。南知多、美南(みなん)など漢字の11案と人気を競う。

斎藤宏一・美浜町長はあくまでセントレアを推す。

「豊田はトヨタになり、松下はパナソニックになって飛躍した。

斬新な名前で世界にPRしなければ、これからは市町村も経営できない」

 カタカナ市名の先駆けは山梨県の南アルプス市だが、ここではさほどの反発は起きなかった。

合併した6町村に、もともと同じアルプス山麓(さんろく)の自治体という意識があり、

提案された市名がとっぴな印象を与えなかったらしい。

 明治安田生命の調査によると、去年生まれた赤ちゃんで最も多かった名は、

男が「蓮(れん)」、女は「さくら」と「美咲(みさき)」である。

上位にカタカナの名前は見あたらない。




本当に小泉首相になってからつぎから次へと変化が起こっている。改革なのか改悪なのかやってみないと判らんことも

あるのではないかと思う程に,社会に変化を与えた首相である。これほどの変化を与えた首相も戦後少ないと思う。

南セントレア市はどうかと思う。これは首相と直接関係ないが由緒有る名前がカタカナ名になるのも戦争に負けた結果で

あるのかどうか。日本中に基地が沢山有る間,戦後はまだ終わっていない。

イラク戦争見ればよくわかる。戦争になればアメリカ軍が守ってくれると思う方がおかしい。




後年、青年は映画監督・岡本喜八として


2月20日の天声人語より


 60年前の今ごろ、岡本喜八郎さんは21歳だった。

4月、愛知・豊橋の陸軍予備士官学校でB29に爆撃される。

地獄絵のような惨状の中で、仲間の青年たちが死ぬ。


やがて米軍の上陸に水際で備える遊撃隊要員となり、対戦車肉迫攻撃の訓練に明け暮れた。

 終戦の日、放送を聞く。「唖然(あぜん)。

ある日突然、戦争が始まり、ある日突然、戦争が終る。

茫然(ぼうぜん)。……一体、何があって、戦争が終わったんだ」。

後年、青年は映画監督・岡本喜八として、この一日を描いた「日本のいちばん長い日」を撮る。

 昨日、惜しくも亡くなった岡本さんの作品の幅は相当広かった。

面白くて躍動的だが、その底には、体験に裏打ちされた戦争と国家への厳しい視線があった。

政府や軍の動きを追った「いちばん長い日」にあきたらず、「肉弾」では、

魚雷をくくりつけたドラム缶で敵艦を狙う青年に自分を重ねて描いた。


 「なかなか寝つけない晩に、きまって戦争の夢をみるんです」と語ったのは10年ほど前だ。

自分が銃や手榴弾(しゅりゅうだん)を手に人を殺そうとしている。

はっとして目覚める。ぶるぶるっと震え「ああ、殺さなくてよかった」と思う。

 還暦の時に書いた自伝は『鈍行列車キハ60』(佼成出版社)。

「キハは……型式記号である。このキハのハは、ハチと読めない事もない」。

特急や急行ではなく、鈍行という思いを、鶴見俊輔さんは「あの戦争でなくなった三百万人と一緒に動いている

故に早くは走れないのだ」と評した。


 戦後が「還暦」を迎えた年に、岡本さんは「キハ81」となって旅立っていった。



映画監督・岡本喜八の映画「日本の一番長い日」は見たような気がする。映画が好きなので沢山な映画を見て

ハッキリした記憶が浮かんでこない。テレビで「私は貝になりたい」というのをみた憶えは有る。床屋を営んでいる平凡な

主人公が兵隊にとられ,日本軍人として名誉な行為をしたことが戦後戦犯になり,つぶやいた言葉が「私は貝になりたい」で,

上官の命令に随い名誉なことをしたことが戦後になって戦犯として裁かれ,人間でいるより海の底にひっそり棲む貝になた方が

ずーと幸せだとのストリーだったと思う。

フランキー堺が主人公を演じていたようで記憶がある。戦争とは残酷なものである。決して再び戦争は起こしてはならない。





欧米での枝豆人気はかなりのものだ。


2月21日の天声人語より


 「エダマメの次はオクラですね」とオクラブームを予言する。

米テレビドラマに出てくるニューヨークのレストランでの会話である。

オクラ料理をつくったシェフが「おいしいでしょう」と自慢する場面だ。

 欧米での枝豆人気はかなりのものだ。

豆腐と同じように、健康志向にあった手軽なスナックとして普及してきた。

オクラの方はどうか。まだ珍しい食材の域を出ないだろう。

はたして枝豆に取って代わる日が来るものか。

 日本料理といえばすき焼き、天ぷらの時代があり、やがて豆腐やしょうゆのように素材への関心が高まった。

そしてすしは予想をはるかに超えて広がった。

スシ・バーが急増する英国では日本食の市場は90年代末から5年で2倍になったという。

 そんな流れの中で昨年、日本料理の英語本がロンドンで出版された。

栗原はるみさんの『はるみのジャパニーズ・クッキング』である。

グルマン世界料理本大賞のベスト料理本にも選ばれ、先日スウェーデンで授賞式があった。


 海外メディアもいろいろ取り上げた。

「仏教で肉食が禁じられてきた日本だが、はるみは楽しく肉を使う」といった紋切り型の誤解はあるものの「深い伝統に根ざしながら、

軽やかに現代風である」と賛辞も少なくない。

もちろん「日本のカリスマ主婦」ふうの紹介もあった。

 かつお節がなければ日本料理は成立しない、といった力みがない。

どこでも代用品は見つかるという考え方だ。

日本料理の「神秘性・カリスマ性」をはぎとった「カリスマ主婦」という評が適切かもしれない。




日本食が日本であまり食べられなくなり,欧米ではヘルシーな食事として人気が出てきている。

昔は野菜食が多かった日本人家庭に欧米化が進んで肉食が多くなるに連れて糖尿病 大腸がんなどの

今までに日本では少なかった病気が増えて来ている。

ハンバーガー文化と言われるくらいにアメリカ発の外食産業が隆盛を極めている。

日本人は魚と野菜の日本食ををもう一度見直し,その良さを知るべきである





アメリカの地方紙に、
「現金の死亡広告」が載ったのは、
ざっと40年前である。



2月22日の天声人語より


 「それは生前われわれに最も身近なものであり、最も愛すべきものであった」。

アメリカの地方紙に、「現金の死亡広告」が載ったのは、ざっと40年前である。

 クレジットカードの「ダイナースクラブ」を創設したひとりの出身地の新聞で、この「広告」には、こんなくだりもある。

「数千年の昔、物々交換の申し子として生まれ、交易の養子となり成育した『現金』は本日……死亡した」

(『日本ダイナースクラブ 30』)。

 実際には、現金は死ななかった。しかし、その後に世界に広まる「キャッシュレス」や「プラスチックマネー」の時代を予告していた。

数年前、偽造したクレジットカードによる犯罪が急増したが、


最近では、金融機関のキャッシュカードの不正使用が大きな社会問題になっている。

 先日、偽造カードで預貯金を引き出されるなどした被害者が、被害金などを返還するよう銀行などに集団で要求した。

1千万円以上の退職金がゼロになったり、十数分で400万円が消えたりと、

被害者は金銭の損害と心の痛手を同時に受けた。


 欧米では被害者の責任限度額を設けている国があるという。

金融機関のみならず、人も金も国境を越えて行き来する時代だ。

預貯金者の保護で内外格差があってはなるまい。

 「それは生前われわれの身近なものであった。いつでも、どこでも、いくらでもという便利さでスピード時代の申し子となった。

しかし、その便利さが命取りになり本日……」。

銀行や国の対応次第では、いつの日か、こんな「広告」が出ないとも限らない。



キャッシュカードは便利でお金を持たずに買い物ができる。でもその場で現金を支払わないからつい買いすぎてしまう

傾向にある。キャッシュカードは犯罪にも利用されやすい。これも欧米から輸入されてきた習慣である。

携帯電話同様に上手に使っている人をみるが,益と罪の比較してみると,罪の方が多いように感ずる。

携帯電話の方は益の方が遥かにある。




チョコレート菓子キットカットが今月、
本場で久しぶりに話題を呼んでいる



2月23日の天声人語より


 おなじみのチョコレート菓子キットカットは1935年、英ヨークシャーの生まれである。

第二次大戦中、チャーチル政権が「廉価で体によい」「ひとかじりで2時間行軍できる」と推奨し、

国民的なおやつになった。

 サッチャー政権下の80年代、その発売元をスイス企業ネスレが力ずくで買収する。

「英国の味を守れ」と反対するデモが起き、チョコ戦争と呼ばれた。

肥満対策を掲げるブレア政権は、もうチョコを食べるよう国民に薦めたりはしない。

 そんなキットカットが今月、本場で久しぶりに話題を呼んでいる。

英紙やBBCが相次いで「わが国伝統のチョコが日本で受験生のお守りとして大人気」と報じたからだ。

「かつて日本の受験生は縁起をかついでカツ丼を食べたものだが、キットカットがそれに取って代わった」。

若干、大げさではある。


 ネスレジャパンは、受験生に好評なのはだじゃれのおかげと言う。

何年か前、九州の受験生が「キットカットできっと勝つとお」と言い始めた。

ネットに乗ってたちまち全国区の流行になった。

 ここ一番の試験でお守りにすがるのは、日本の受験生だけではない。

米国ではうさぎの足、インドでは象の顔をした神、トルコでは青い目玉の魔よけが有名だ。

どれも土俗的な信仰や伝承を感じさせる。


 これらに比べると、日本で流行している受験のお守りは世俗的である。

キットカットのほかに、カールを食べて試験に受かーる。キシリトールガムできっちり通る。

伊予柑(いよかん)食べればいい予感。本番前の食べすぎにはくれぐれもご用心を。



日本人は縁起を担ぐ所が多い。仏滅より大安の方が何かとものごとを始めるのに安心感がある。

だから結婚式は大安の日の方が喜ばれている。だが試験は実力の競争でカツ丼を食べたからして

試験に受かるとは思わない。日頃の勉強と試験日の身体のコンデイションを如何に整えるかにある。





子は「親の鏡」、
あるいは「親の背を見て育つ」ともいう。


2月24日の天声人語より


 子育てに悩みのない親は、まずいないだろう。

古今東西、この難問に絡んだ寓話(ぐうわ)や警句は多い。

 子は「親の鏡」、あるいは「親の背を見て育つ」ともいう。

イソップには、真っすぐに歩くお手本を見せようとして、横歩きしてしまう親ガニの話がある。

ゴーゴリは「自分のつらが曲がっているのに、鏡を責めてなんになる」と書いた。

「子どもは眠っているときが一番美しい」と、キルケゴールは記している。


 皇太子さまの会見で引用されていたスウェーデンの教科書の中の詩「子ども」は、

皮肉な警句のたぐいとは全く違ったものだった。

子どもとの真摯(しんし)な向き合い方を、詩的な響きに乗せて、直截(ちょくせつ)に述べている。

 「笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる/

皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる/

しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる……

友情を知る子どもは 親切をおぼえる/

安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる」。


皇太子家もまた、一組の親子として、子育てに真摯に向き合いたいとの思いが込められていると推測した。

 先日、女性天皇を認めるかどうかなどを検討する「皇室典範に関する有識者会議」が発足した。

議論の必要はあるのだろう。

将来の国の姿にもかかわるのだから慎重に考えを巡らせてもらいたいと思う。

そして同時に、あのいたいけな幼子の姿が思い浮かんでくる。

結論によっては、その人の将来が左右されうるという厳しさに粛然とする。

 この議論は重いが、ひとりの人生もまた、限りなく重い。


運命とは言え皇室に生まれれば皇室の一家としての役割りが担わされる。気の毒にも思うが

一方アクセクと仕事につかずとも,安閑として生活が保障されている。


笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる/

皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる/

しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる……

友情を知る子どもは 親切をおぼえる/

安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる」。

味わい深い言葉である。中々にすんなりと出てこない立派なお言葉である。





「生き物」とも「化け物」ともいわれるこの世界だ


2月25日の天声人語より


 本名は、赤羽丑之助である。とはいっても、小説の主人公なのである。

獅子文六は、東京・兜町を舞台に、「ギューちゃん」こと丑之助が活躍する『大番』を書いた。

加東大介の主演で映画にもなった。

 株や相場での金言が出てくる。「もうは、まだなり。まだは、もうなり」。

売り時、買い時の難しさのことだろう。こんなのもある。「人の行く裏に道あり花の山」

 生き馬の目を抜くとも言われてきた株の世界で、ニッポン放送株を巡って激しい攻防が続いている。

時間外取引という策で株を手にしたライブドアに対し、ニッポン放送・フジテレビ側は、

株を倍増させてライブドアを振り切ろうとする策に出た。


新しい大量の株で相手の株を一気に薄める作戦のようだ。

 昨日の市場では、3社の株は共に下がった。

「生き物」とも「化け物」ともいわれるこの世界だ。

今後の展開は分からないが、メディアの行方にかかわることでもあり、気にかかる。

 米国の伝説的な相場師で、1929年の金融大恐慌を予言したともいうギャンは、

取引に際して、旧約聖書の「伝道の書」の一節を念頭に置いていた。

「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。

太陽の下、新しいものは何ひとつない」
(『W・D・ギャン著作集』日本経済新聞社)。

 インターネット対ラジオ・テレビという構図のせいか、今回の攻防は、これまでになかったもののように見える。

しかし「花の山」を巡る争いと見るならば、何ひとつ新しいものはないのかも知れない。



損得を駆け引きするための,ライブドアと日本テレビ フジサンケイグループとの株を巡っての争いは

今までに経験しない現象である。十数年でインターネットで財を成した人が古くからの報道機関に

戦いを挑んでいるように見えてくる。株の財源がアメリカの金融業者となると,これからも同じような

現象が再び日本で起きる可能姓のあることで,よく言えば新しい波とも言える。

若い社長だからできることで,若さの良さによるものか,若さによる悪さによるかはこれからの展開次第にある。





開花の時期がまちまちだ。


2月26日の天声人語より


 公園の一角に、梅の木が十数本植えられている。

品種が様々なのか、開花の時期がまちまちだ。

桜の方は、町中で見るかぎりは時をおかずに咲きそろう。

それが本格的な春の到来と重なって華やかさを生み、同時に、その終わりを惜しむ思いを誘うのだが。

 もう十日近く前に花が開いた白梅の隣の1本は、まだつぼみが堅い。

一方で、白と紅の2本が重なり合うように咲いている。

少し離れてながめると、紅白の無数のあられをパッと宙に散らしたようだ。

 黒っぽいよじれた幹から下方に伸びている枝の先の花に近づく。

いつもなら、そこまでは見ることのない花の中をのぞき込みながら「梅の雄蘂(おしべ)」という短編を思い起こす。

 「彼等は一本一本が白金の弓のやうに身を反つてゐた。

小さい花粉の頭を雌蘂に向つて振り上げてゐた……彼は花をかざして青空を見た。

雄蘂の弓が新月のやうに青空へ矢を放つた」(『川端康成全集』新潮社)。

 青い空の方を見上げると、高い小枝の先に鳥が1羽とまっていた。

体はスズメぐらいで、花の中に小さなくちばしをしきりに突っ込んでいる。

中では、身を弓のように反らした雄蘂が小刻みに震えているのだろう。

鳥の体の一部は緑がかっているが、ウグイスではないようだ。

 改めて十数本の梅をながめやる。咲いているもの、つぼみのままのものが、

寒さの残る中で、静かに、それぞれの時を刻んでいる。


落ち着いた雰囲気が漂う。

それは、咲きそろわずに、

ゆったりとした継走のようにして花を付けてゆく姿から醸し出されているようだった。


梅の木の花の咲き具合をじっくり見たことはない。そこまで自然を観察する心の余裕を失っているのと

自然に目を注ぐ事が少なくなって来ている。




最近の言葉から。


2月27日の天声人語より


 最近の言葉から。「ジャンケンから、日本社会が見えてきます」とウィーン大日本学科のセップ・リンハルト教授。

ジャンケンの「三すくみの思想」に着目、「相互依存的で、絶対的な勝者や敗者をつくらない。

平等思想の表れとも考えられます」。大阪府の山片蟠桃(やまがたばんとう)賞を受けた。


 作家で僧侶の玄侑宗(げんゆうそう)久(きゅう)さんはよく逆立ちをする。

「元気になるには言語機能を休ませないとだめです。生命体の本質は変化。

固定化、つまり言語化できない状態にしなければ……(逆立ちで)あれこれ考えると倒れますから」


 英国放送協会(BBC)に管理強化などの改革の波が寄せている。

グレイド経営委員長は「BBCがBBCと認められるために譲れぬ一線がある。

BBCの核心は公共の利益であり、政治的、商業的影響から完全に独立しているべきだという一線だ」


 86年刊の『ミカドの肖像』で、西武グループが旧皇族の土地を次々に買収する様を描いた作家・猪瀬直樹さん。

「鬼の亡霊に衝(つ)き動かされた歪(ゆが)んだビジネスはいずれ破綻(はたん)が待っている、その思いが筆を走らせた」


 長野でスペシャルオリンピックス開幕。他人との意思疎通が苦手な選手たちの心のケアを5頭の犬が担う。

「吃音(きつおん)に苦しんだ子供のころ、飼い犬に救われました。

犬は人間を差別しません」と国際セラピードッグ協会代表の大木トオルさん。


 寝台特急「あさかぜ」と「さくら」が終着へ。

ブルートレイン乗車歴20年のJR西日本車掌・尾田勝志さん。

「よくがんばった、お疲れさんって言って、さすってあげたいね」


いつもながら短い言葉の中に珠玉の言葉を見つけての評論で.どれとっても的を射ている。




そのむかし元号は頻繁に変更された


2月28日の天声人語より


 そのむかし元号は頻繁に変更された。皇位が代わった時だけではない。

天災や兵乱の年、吉祥の動物が献上された年にも改元されている。

大化から平成まで平均で5年、短いと2カ月で変わった。

 一番長いのは昭和だが、最初の昭和元年はごく短かった。

暮れの25日に大正天皇が亡くなって昭和の世となり、1週間後にはもう昭和2年が始まる。

元年の短さが最近、裁判で争点になった。

 怪しい一味が東京都板橋区内の女性宅に忍び込んだ。

通帳と印鑑を盗み、女性が1926年の6月1日生まれであることも割り出した。

暦の換算表でも見たのか、一味は偽造した保険証に「昭和1年6月1日」生まれと書き込む。

実在しない日付である。銀行に現れたのはそれらしい年格好の女性。

窓口で保険証を見せ、定期預金600万円を引き出して逃げた。

 被害女性は裁判を起こしたが、銀行は非を認めない。


法廷では「昭和改元の詔書」も持ち出された。

先週言い渡された地裁判決で、軍配は女性の側にあがった。

「昭和1年がほとんどないことは社会常識のはず。

行員は怪しい生年月日に気づくべきだった」と。

 作家の佐野洋氏に『元号裁判』という小説がある(文春文庫)。

大正15年12月24日に生まれた主人公が、あと1日遅ければ「昭和の子」になれたのに、とつぶやく場面がある。

実際に時代の境目に生を受けた人たちにも、格別の思いがあるのだろう。

 今年は昭和なら80年である大正だと94年、明治では138年にあたる。

「なりすまし犯」ならずとも西暦との換算には悩まされる。



確かに昭和元年生まれの人はあまり見ない。大正15年の人は普通に見る。昭和元年は6日しかなかったことになる。

昭和元年生まれの人は極めて珍しい人になる。本当に昔は元号がよく変っている。

昔の教育に天皇の名前を神武天皇から始まり現在の天皇まで暗記させられたようだ。初めの何代かは架空で

御陵はあるものの実在しなかった人物と言われている。

考古学も時代の流れに応じ,万民平等の考えからして古い御陵は調査ができるようになれば,どれぐらいか考古学が

進歩するかとの思いに馳せる。我が家のご先祖さんたちは五十年以上経た人たちは五輪塔に皆一緒に葬り埋葬しているのだが。



西安の博物館を訪れて


何年か前に中国を訪れて西安に立ち寄った事がある。一番驚いた事が西安市内全体が高い城壁にずーと囲まれた中に

有った事である。

国の国境を堺する為に万里の長城がある位の国だから一都市を囲んでしまうこと位は容易なことなのだろう。

これでは敵からは攻め込むことは出来ない。日本では見ない光景である。京都の周りを秀吉が土塁で囲んだと言われているが,

その跡を見たことがない。何処か山科辺りにあるようだが京都に住みながらしてみていない。

西安の城壁は立派で今でも立派に現存して出入りは一箇所しか見なかった。


秦の始皇帝の兵馬俑を見に行った。大きなドームに等身大の沢山な兵隊達と馬 馬車が深い大きい溝に4-5列も有ったが

その数には圧倒された。一周するのに10-20分位かかると思う。見ながらだと勿論もっと時間はかかるであろう。

兵馬俑へ見に行く門前途中に中国の物売りの方がミニチュアの兵馬俑を売るためにつきまとわられるのに往生した。

京都での神社仏閣が有りそこにも沢山な店がでているがまとわられるようなことは滅多にない。

中国の人は商売が上手なのか値段も初めは高く言い,次第に値段を下げて買わそうする。資本主義顔負けの商売上手である。

次ぎに西安博物館に行った。沢山な御物で見るだけでも疲れるくらいである。一番印象に有るのが日本で騒がれていた奈良の春日村の

壁画が初めから大分見て廻った所辺りに展示してあった。古代の先進国,中国を改めて感じた。

沢山な御物に圧倒されて何を見たのか思い出せないくらいで廻り見学するだけて疲れる。

日本も少なくとも飛鳥時代 白鳳時代奈良時代 平安時代までの天皇の御陵の御物が見られるようになれば,

どれだけが現代日本の考古学が進歩するかと常々思っている。開かれた皇室 女帝が話題になる今日,是非とも御陵の

調査許可を論議してほしいものである。




行基菩薩についての続き


行基は両親ともに渡来人の子孫で,母方は蜂田古爾比売(はちたのこにひめ)で薬師の技術のある家系で生まれている。

母方で生まれ育ちしている行基は幼い頃より薬の作る作業場を見て育っている。多分医術,薬の使い方も身に付けていたと考える。

脅威的な数の寺 四十九院に橋 池 樋などの土木施設を作りえたのはその土地の有力な協力者がいたことと同時に庶民に対して

今で言う病院やホスピスのような収容施設を作ったりして医療的行為をもしていたのではないかと想像する。

だから庶民が慕って積極的に協力したからこそ,大変な大事業がなしえたと考える。

当時は官寺 氏寺の大寺院には庶民が出入りすることができず,行基が作った寺院のみに出入りできるだけのようであった。

そこで庶民で困った人たちを世話していたようだ。光明皇后が施薬院 悲田院を作ったのも行基の行為を見てからでは

なかったかと思う。庶民に救済の手を差し伸べ,菩薩とまで言われるようになり,それに多数の関係弟子達を養成したところから

その弟子達が行った先々で行基作の寺院 仏像を作ったので北海道から九州まで,行基が行かない所にも

行基作の寺院 仏像が現在も伝わっていると考える。弟子達が指示して作らせた寺院 仏像が行基作として今も伝わっているのだと

考える。



 

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