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3月になって

3月も後半になると暖かい日が続く。奈良のお水取り,春分の日が過ぎると暖かさは増してくるとは昔の人はよく言ったものである。

毎年同じことの繰り返しだが,春が四季の中で一番良い季節で好きな季節である。希望がわき,明るい未来を感ずる時期でもある。

イラクの状態は依然変りがないが,韓国 中国との間にふいてわいたが如くに,彼の地でデモなどがあり,険悪な様相を呈している。

アメリカに上手くやられている感じをうける。どちらにしても「やらせ」のデモであることには間違いない。

一番大切にしないといけない,中国 韓国の両国で反日デモが起き,反日行動が報じられているが,

以前からアメリカよりももっと隣国を大切にして,アジア経済圏を作るべきだといつてきたのに残念である。

お隣の国と上手く行かない日本が,どうして世界と上手くできることがあるのか。

日本国内では,何故に今になってからの反日なのかといった空気があり,国民やメディアは至って冷静であるかように見える

建物とか人には危害だけは加えるべきでない。

デモをするのは大いに賛成だ゛が,過激になり破戒行動を伴わない事だけを願う。

靖国神社の小泉首相の参拝反対とか,日本の教科書が右傾化しているとのことに対して,反「日本国家」反対デモならば大いに

歓迎し,賛成したい。応援したい気持でもある。国家とか,国を操っている人たちの行動に目に余るものがある。

その一番がアメリカのブッシュである。それにのっかった日本の小泉首相だ。

自国の国益を一番に主張し,行動しているのがブッシュであり,小泉首相である。その中味は己の利益のみである。

国家の垣根を取り払いお互い国々の国民が手を取り合い,

国家の利益を言いながらも,中味は自己の利益を追求している人たちと,

各国の人たちが対峙する時代が必ずやって来るような気がする。

これだけ世界のニュースが瞬時に飛び交う時代だ。言葉の壁がそのことを邪魔しているように思うが,なんとかそんな時代が

早く来てほしいものである。イラクのニュースが小さくなってきている。

イラク国民の主張するように,早くアメリカはイラクから撤退すべきである。

昔の日本が,中国に満州国といった傀儡政権を作ったように,自治をしているかのように見せかけても

イラク国民をいつまでも騙せるものではない。

そろそろアメリカの兵器産業の在庫が増えてくれば,今度は何処かの国で消費されるのかと,大変不気味で恐ろしい気持でいる。

その武器の消費は,人類の正義の為に,邪悪を懲らしめるための勝手な善悪二元論のもとで行われてきた,

そしてこれからも行われることであろう。自分に味方しないものはすべて敵だとする人が世界を支配しているのだから。



パロディー版アカデミー賞である。


3月1日の天声人語より


 黒人で初めてアカデミー主演女優賞を獲得した。ハル・ベリーにその名誉は一生ついてまわるだろう。

3年前の贈呈式での受賞の弁はとまらなくなり、終了を促されたほどだった。

「待って! 74年分の時間がほしいんです」。

黒人受賞者が出なかった長い過去に言及したのが印象深かった。

 今年は彼女を思いがけない賞が待っていた。

失敗作「キャット・ウーマン」の主演が「評価」され、ゴールデン・ラズベリー賞の最悪女優賞に選ばれた。

パロディー版アカデミー賞である。

 先週末、贈呈式に現れた彼女は「ここに来たいと熱望したことは決してないが、とにかくありがとう」とあいさつし、

あえて式に出席した理由を語った。

「子どもの頃、母に言われた。良き敗者になることができなければ、良き勝者になることもできない、と」

 最悪男優賞、最悪助演男優賞、最悪共演賞にはマイケル・ムーア監督「華氏911」に出演した米政権中枢の面々、

ブッシュ、ラムズフェルド、ライス各氏が選ばれた。

現職大統領としては初めてという「栄誉」だったが、贈呈式に彼らの姿を見ることはできなかった。

 最悪女優賞をめぐるベリーの言葉はなかなか味わい深い。

「アカデミー賞をもらう前に転んでも誰も気にしない。

起きあがってほこりを払い、またゲームに戻ればいい。

受賞後だと災難。頂点からどん底への落下だから」

 華やかな本番のアカデミー賞にはない苦みがにじみ出る。

ベリーはこう言って会場を後にしたそうだ。

「あなたたちに二度と会わずにすみますように」




不名誉のことを素直に受け入れる人になりたいものである。常に努力していればいつかは名誉が訪れることも有るだろうし,

それは何時になるかは判らない。たとえ無くても,努力する事自体が名誉なことではないのだろうか。




晴れた日の陽光には春めいた柔らかさがこもる


3月2日の天声人語より


 朝方の冷え込みは、まだ厳しいものの、晴れた日の陽光には春めいた柔らかさがこもる。

「弥生(やよひ)ついたち、はつ燕(つばめ)、/海のあなたの静けき國の/便(たより)もてきぬ、うれしき文を……弥生来にけり、

如月(きさらぎ)は/風もろともに、けふ去りぬ」。

この「燕の歌」の作者・ダヌンチオは、イタリアの詩人・作家だ。

 日本での「弥生来にけり」の実感は、シェークスピアの「花くらべ」の方に近いかもしれない。

「燕も来ぬに水仙花、/大寒こさむ三月の/風にもめげぬ凛々(りり)しさよ。

/またはジゥノウのまぶたより、/ヴイナス神の息よりも/なおらふたくもありながら、/菫(すみれ)の色のおぼつかな」

 この2編を含む欧州の詩人29人の作を上田敏が訳した『海潮音』が出版されて今年で100年になる。

「山のあなたの空遠く」のブッセ、「秋の日のヴオロンのためいき」のベルレーヌ、ボードレールらの詩句がきらめく。

 「人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない」と書いたのは芥川龍之介だった。

彼の妻の文(ふみ)が初節句に買ってもらった雛(ひな)人形が今、

ふたりにゆかりの深い東京都墨田区の「すみだ郷土文化資料館」に展示されている(10日まで。月曜休館)。

 箱書きは、明治34年3月だった。

『海潮音』が出る4年前だが、1世紀もたっているとは思えないほど、保存状態が良い。

五人囃子(ばやし)の細やかなしぐさからは、笛や鼓の音が響いてくるようだ。

 龍之介と文の孫の芥川耿子(てるこ)さんが寄贈した。文が、60歳の節句に書いた色紙もある。

〈古雛や顔はればれと六十年〉。雛祭りの明日、耿子さんが60歳になるという。




詩人と凡人では見る眼そのものはは同じ形をしているが,その機能は全く異なる。

感受性は磨かれてつくられるものか天性のものかどうか。





落ちた手袋は、妙に気にかかる。


3月4日の天声人語より


 ゆるい坂道に白い手袋が一つ落ちていた。人さし指が空を向いている。

落ちた手袋は、妙に気にかかる。

今は持ち主を失ってしまったものが、手の形を残しつつ何事かを語りかけてくる。

 貧しい男の子が雪道に落ちている真っ赤な手袋を見つけ、抱くようにして病気の姉に持ち帰る童話は、

小川未明の「赤い手袋」である。手袋といえば、新美南吉の「手袋を買ひに」も印象深い。

 母狐(ぎつね)が、子狐の片方の手を人間の手に変える。

店で、陰からその手を出して買うように教える。

狐の手を出すと捕まる、人間は怖いからと。

しかし子狐は狐の方を出してしまう。ところが店の人は手袋を売ってくれた。

人間はちっとも怖くないと子狐から聞いた母狐がつぶやく。

「ほんとうに人間はいいものかしら」

 現実の世界では、防寒以外にも手袋の使い道は多い。

大勢の人を指揮するような立場の人たちにも使われてきた。

 巨大な西武グループを長く指揮してきた堤義明・コクド前会長が、株の虚偽記載などの容疑で逮捕された。

元コクド役員は「専制君主の終焉(しゅうえん)」と述べた。

この「専制君主」が君臨し指揮する時には、常に「先代」という、目には見えない手袋をしていたように思われる。

創始者である父・康次郎氏の遺訓の指し示す方へ、自らの手を動かしていたのかも知れない。

 先代によって「三十にして立つ」の頃に社長に据えられたこの人も「心の欲する所に従って、

矩(のり)を踰(こ)えず」の70歳となった。

今は、ひとまず手袋を脱いで、検察が「矩を踰えた」とする事柄と向き合ってほしい。




父・康次郎氏の遺訓の指示した方向が悪かったのか,今の時代の流れが悪いのかどうか。

キツネの手は見せるべきものではない。隠すのには手袋が良いが,だからといってそれで

よいものでもない。





けたはずれの火の車状態なのに、
つぶれない風を装っているのが日本という国だ。



3月5日の 天声人語より


 「火の車を、いよいよやる」「なんだい、それは」「居酒屋」「だれが店へ出んの?」「おれ」「そいつあ、だめだ」。

葬式帰りの電車の中で、「だめ」と言ったのは小林秀雄、言われたのは草野心平である(『草野心平全集』筑摩書房)。

 戦後の52年、心平は東京で「火の車」を開く。

「思ひ立つたのも生活が火の車だからだつた」。

焼き鳥などが自慢の店だったが、店に立つ本人はじめ文壇などの酒豪が押しかけ、けんかもしょっちゅうで数年でつぶれた。

 けたはずれの火の車状態なのに、つぶれない風を装っているのが日本という国だ。

その財政を平均的サラリーマンの家計に見立てた記事があった。

月収は52万円でローン返済が20万円だ。出費がかさみ、新たに月々37万円の借金をしている。

ローン残高は約7090万円にもなる。


 国がつぶれないのは国債を出し続けているからだが、とてつもない負担で将来の世代がつぶれかねない。

むだな工事のほか減らせるところはいくらでもあるはずだが、新年度予算案は衆院を通ってしまった。

 国の主な収入である税金の徴収は公平だろうか。

消費者金融大手の「武富士」の創業者の長男が1600億円を超える贈与の申告漏れを指摘された。

宇都宮、長野、松山の各市の一般会計予算を大きく上回る額である。

 「きのうもきょうも火の車。道はどろんこ。だけんど燃える。夢の炎」。

店主作の「火の車の歌」だ。

ここでの騒乱からは、詩精神の炎があがった。

国会が十分に機能せず、財政の乱脈が続けば、国民に襲いかかる炎があがる。





日本という国の船の舵取りをしているのが,船長小泉である。国民には節約 我慢を強いてきたが,

いつまで経っても小泉船長の言うとおりに明るい希望が見えてこない。

そしてキツネである小泉首相に騙されたことがきずいた時には船長と言う役目を降りてゆく。

それが現状ではなかろうか。

大変な改革とか言う「変化」をば残し終わって降りてゆく。「変化」の結果に何が起きるかは不明である。

その結果後に何が起ころうとも我は関せず,自分は知らないことである。全く責任を取らないことである。

いうならば改革とかに騙され夢見た国民が馬鹿だった。

自分が住む公邸の新築には86億円も費やし,国民には質素倹約を説き,そして今日本が危ないと言いつつ,

ゆったり趣味のクラシックを聞くのに大変な無駄遣いをしている。

首相は話す言葉だけが巧みに操れる技能者で,中味は空ッポである,誤魔化され,世渡り術の長けた気楽な人物に指導されて来ている。

こんな人物はアチコチに良く見かけるのではなかろうか。





卒業式に何を歌いますか。
1位は「旅立ちの日に」という曲である。




3月6日の天声人語より


 あなたの学校では卒業式に何を歌いますか。

音楽之友社が、全国の音楽教諭230人に尋ねたら、意外な結果が出た。

定番のはずの「蛍の光」が3位で、「仰げば尊し」は10位にも入らなかった。

 1位は「旅立ちの日に」という曲である。耳にしたことがあるだろうか。

今から14年前、埼玉県秩父市にある市立中学校の音楽室で生まれた


作詞者は当時校長だった小嶋登さん(74)。一晩で書き上げ、翌朝、音楽の先生に作曲を頼んだ。

 小嶋さんを訪ねた。「3年生を送る出し物として、教師全員が壇上で歌った曲です。

その年限りの歌のつもりでした」。その年の3月で小嶋さんは定年退職したが、歌は残った。

翌年、卒業シーズンを前に音楽雑誌が譜面を載せる。

曲は全国の小中高校で演奏され、わかりやすい歌詞が生徒たちの心をつかんだ。

「懐かしい友の声/ふとよみがえる/意味もないいさかいに/泣いたあのとき」


 どこか、若者の抑圧感を歌った故尾崎豊さんを思わせる。

武田鉄矢さんの「贈る言葉」にも近い。

でも小嶋さんは「夢や憧(あこが)れを詠んだ若山牧水の世界です」と話す。

 「蛍の光」や「仰げば尊し」は明治の初めに発表された唱歌である。

刻苦勉励して国に尽くせ、師恩に報いて身を立てよ。歌詞には当時の教育観が色濃くにじむ。


 「文語調のあの歌詞がいまの子どもたちにはどうも難解なようです」と小嶋さん。

昔と違って卒業式の歌は生徒たちの好みで決まるところが多い。

官製の名歌を脇に押しやって、教職40年の思いを込めた歌が今月、列島の各地に響きわたる。



「旅立ちの日に」という曲を歌って卒業してゆく若者達が羨ましい。「蛍の光」や「仰げば尊し」は我々の歌った卒業歌である。

でもそれなりに意味はあると思う。学校暴力のようなものは今のように多くはなかった。




電車代は出るのに、なぜ徒歩だと1円にもならないのか、と。


3月7日の天声人語より


 朝、駅まで15分ほど歩く。急な上り坂があって息が切れる。

出勤のためとはいえ、疲れてしまう。このごろ、坂にさしかかるたびに、通勤手当について考えている。

電車代は出るのに、なぜ徒歩だと1円にもならないのか、と。

 こんな思いを抱くのは、国会の質疑で、歩いて通う市職員に毎月「歩行手当」を渡す市役所があるのを知ったからだ。

3キロ未満は一律5700円の市のほか、1キロ以下なら4950円で、2キロは5750円と距離に応じて区切る市もあるという。


 企業には、マイカー通勤を減らすために、徒歩手当を出し始めたところがある。

環境にやさしい。駐車場にかける経費も減らせる。

社員の健康にもいい。だから、歩くことへの対価を一概に否定する気はない。

 だが、市役所の例は、なれ合いにしか見えない。いまどき、こんな手当を残していることに驚く。

チェック役の議会は何をしているのか。と、思いきや、議会にはもっとすごい事例があった。

 たとえば、名古屋市議会だ。議員は本会議や委員会に出ると「費用弁償」の名目で、1日につき1万円もらえる。

毎月の報酬など約150万円とは別枠だ。市バスと市営地下鉄の無料乗車券も支給されるのにである。


議会に出席した議員に金を配る制度は、神戸市など各地にも転がっている。

 もらえるものは、もらっておこう。

こんな意識は、スーツまで支給されていた、あの大阪市職員だけではないようだ。

いやはや、お役所の金銭感覚には恐れ入る。ひょっとすると「坂道手当」なんてのもあったりするのだろうか。


政治家とか官僚への改革は頓挫したままである。そして訳の判らん改革に首相は情熱を注ぎ,国民は放置されたままである。

世の中悪い事を巧みにできる人が偉い人物になって,かなり久しい。

そして恩卿を受けた人より尊敬されていて,今もそれが続いている。昔も今も世の中変わらないし変っていない。




同時に花粉の飛散も増えたよう


3月9日の天声人語より


 昨日の関東地方は、急に春めいて気温が上がった。

同時に花粉の飛散も増えたようで、東京での花粉情報は「非常に多い」。

街では、マスクをかけた人が目立った。

 スギ花粉の飛散予報が始まったのは、87年の3月9日である。

当時は、花粉症と聞いても他人事(ひとごと)のように思っていたが、数年前からは、

ごく軽いものの、目がかゆくなったり、くしゃみが出たりすることがある。

 本紙の全国世論調査では、回答者の3分の1強が、花粉症の何らかの症状を自覚していた。

「花粉症だ」と答えた人の割合は、政令指定市や東京23区などの大都市の方が、ほかの市や町村部より高かった。

 一種の「都会病」のようにも見えるが、スギ花粉症が医学的に確認されたのは、杉並木で有名な栃木県の日光だった。

63年、古河電工の病院に赴任した斎藤洋三医師が、鼻や目のアレルギー症状を訴える患者が春に増えることに気づいた。

 日本でのブタクサ花粉症の論文などを読んで、斎藤さんが周りを見回すと、立派なスギが目に入った。

スギの木に花が咲くなどとは思いつかなかった。

しかし林に入ってみると、ちょっと触れただけでたくさんの黄色い花粉を飛ばす雄花が、

小枝の先にびっしりとついていた(『スギ花粉症』すずさわ書店)。

 花粉症歴・数十年の知人が「スギは伐(き)ってほしい」と言っていた。

重症の人は相当つらいのだろうが、やみくもに伐るわけにもいくまい。


はるか遠くにある自然を肌で感じた結果が「症状」になってしまうとは。

人と社会と自然との、大きな釣り合いの崩れを感じる。



内科学会で杉花粉症のことが話題になっているのが珍しい時代が,今では花粉症に悩む人が沢山にいる。

昔も有ったと思うが見なかった,人間の体質が変化してきた可能性もある。そちらの研究もあってしかるべきである。






一晩で約10万人の命が奪われた。


3月10日の天声人語より


 「居を麻布に移す。ペンキ塗の二階家なり因つて偏奇館と名づく」(「偏奇館漫録」)。

永井荷風が長く住んだこの家は、60年前の3月10日の未明、米軍による東京大空襲で焼かれた

 「わが偏奇館焼亡す……火焔の更に一段烈しく空に舞上るを見たるのみ。

これ偏奇館楼上万巻の図書、一時に燃上りしがためと知られたり」(「罹災日録」)。

荷風は、家々の焼け落ちる様や人々の姿を、その場にしばらくとどまって見ていた。

その頃、隅田川周辺の下町一帯では、猛火に追われた人々が逃げまどっていた。

 生き残った人たちが当夜の有り様を描いた絵には、駅構内で幾重にも折り重なったり、

川の中を埋め尽くすようにしたりして息絶えた住民たちの姿がある。

一晩で約10万人の命が奪われた。



 「B29約百三十機、昨暁/帝都市街を盲爆」。翌日の朝日新聞の一面トップの見出しだ。

大本営発表を伝えたもので、「十五機を撃墜す」とあるが、被害状況の具体的な記述はない。

統制下ながら、目の前の大被災を伝え得なかったことを省みて粛然とする。


 この後、米軍は名古屋、大阪、神戸など大都市での空襲を重ね、更には中小都市へも爆撃を加え続けた。

東京の地獄絵は、規模こそ違っても全国で繰り返された。


 荷風は被災の2日前に、ぶどう酒の配給を受けたという。

ぶどうの実をしぼっただけで酸味が甚だしくほとんど口にできないものだった。

そして、こう記している。「醸造の法を知らずして猥(みだり)に酒を造らむとするなり。

外国の事情を審(つまびらか)にせずして戦を開くの愚なるに似たり」




空襲で一晩に十万人の人が亡くなっても,国民には知らされずに戦争は遂行されていった。

例え知っても同じことだろう。

それが常識だった時代である。今も同じことがあるが,知らされずに過ぎている事があるに違いない。

当時は有っても,知っていても何も言えなかった。今も矛盾だとしても同じことが沢山あるのではないか。

殺した人たちは判っている。アメリカの空爆によるもので,アメリカの軍人達である。

その人たちは罪にはなっていない。むしろ名誉なこととされ名誉の勲章が授かれている。

同じく日本人の相手の敵対国人への殺人は戦犯として厳しく裁かれていった。

同じようなことが今もイラクで普通に行われている。戦争とは常識では通用しない世界である。

戦争は絶対にあってはならない。




裁判所には、長い間「再審」を求め続けていた
元被告たちの姿はなかった



3月11日の天声人語より


 裁判所には、長い間「再審」を求め続けていた元被告たちの姿はなかった。

戦時下の最大の言論弾圧事件といわれる「横浜事件」の生き残りだったその5人は、ことごとく他界している。

訴えを受け継ぐ遺族らが、東京高裁の「再審開始を支持」の決定を聞いた。

 それにしても、長い年月がかかった。

〈捨てし身の裁きにひろういのち哉〉。

元被告の元「中央公論」出版部員、木村亨さんが82歳で亡くなる数日前に残した句にも、その思いがこもる。

 横浜事件では、中央公論社や改造社の編集者ら多数が、

「共産党の再結成に動いた」などの治安維持法違反容疑で神奈川県警特高課に検挙された。

拷問が繰り返され、4人が獄死した。


 昨日、東京高裁は「元被告らは、取り調べ中、拷問を受け、やむなく虚偽の疑いのある自白をした」と認定した。

「(拷問死した)小林多喜二の二の舞いを覚悟しろ」「この聖戦下によくもやりやがったな」などと迫った特高の拷問の記録もある。

弁護団長の森川金寿さんは、20年前、木村亨さんから、戦後40年になるのに名誉回復がなされていないと聞き、

愕然(がくぜん)とした(『横浜事件の再審開始を!』樹花舎)。

 つえをついて高裁に入る91歳の森川さんに、木村さんの妻まきさんが手を添えていた。

木村さんたちの悲痛な訴えは、今もしっかり引き継がれているようだ。

しかし、いったん失われた名誉の回復にどれだけの歳月と力を費やさなければならないのかとも思う。

 再審が決まれば、裁かれるのは、当時の司法であり、国であり、あの戦争でもある。




裁かれるのは常に人で,戦争そのもの 司法そのもの 国そのものが裁かれたためしがない。

 国 戦争 司法とも人が作ったものである。国 戦争 司法は当時の人たちに都合のよいように作られている。

絶対的なものはない。本当に神様がもしおられれば,その神様によって裁いて欲しいものである。

勝てば官軍,常に強いものが正しいことになっている。正義は強者側にある。

だからブッシュは常に正義の戦いをば戦い続けている。それも神の加護のもとにである。




手だてを競い合うフジテレビと
ライブドアの姿に、この寓話を連想した。



3月12日の天声人語より


 樫(かし)と葦(あし)が頑丈さを競い合った。

大風が吹いた時、葦は体を曲げ突風に身を任せて、根こそぎにされるのを免(まぬ)かれたが、

樫は、抵抗して根っこから覆されてしまった(『イソップ寓話(ぐうわ)集』岩波文庫)。


 強い者に対しては争ったり抵抗したりすべきではないという教えがこめられているという。

確かに、葦のしなやかな対応ぶりや、そのしぶとさはいい。

しかし風に向かって立ち続ける樫の姿にも、捨てがたいものがある。

 どちらが樫で、どちらが葦というのではない。

吹きつけてくる大風をしのごうとして、手だてを競い合うフジテレビとライブドアの姿に、この寓話を連想した。

 東京地裁が、ライブドアの主張を認めて、ニッポン放送が予定していた新株予約権の発行を差し止める仮処分を決定した。

フジテレビは、今度は、どんな構えでしのごうとするのか。

ライブドアは、インターネットという新しいメディアの勢いに乗って大きくなってきた。

フジテレビは、戦後の日本に築かれた巨大な電波メディアの一つだ。来歴も機能も異なる。

 イソップには、狐(きつね)と豹(ひょう)が競い合う話もあった。

豹が二言目には体色の多彩さを言い立てるので、狐が言った。

「わたしの方がどれ程美しいことでしょう。

だって、体ではなく、心が多彩なんですもの」。

体の美しさより知性の装いが大事なことを説いているという。

 これも、どちらがどちらと言うのではない。


本来、両者の競い合いは、それぞれのメディアの中身でするものではないか。

それが、株の数の競い合いになっているところが残念だ。




ライブドアとフジの戦いには違和感がついて廻る。何か日本的な考え方とは違うやり方でライブドアがフジをせめている。

今までなかった文化が又一つ日本に入ってきたように感ずる。

新しい文化である。旧体制を新体制を攻めているように見えるが,又一つ外国の悪い慣習が日本に入ってきたようである。

戦国の時代武士は名前を互いに名乗り正面から戦いを挑んだのに対して,今回のやり方はこっそりと相手の後ろから周り

切りつけたように見える。日本らしくないやり方である。ライブドアには公正さが感じられない。

フジの傘下に入れてもらえば一番の良い解決方法である。ライブドアがフジを傘下に置くとはどうしても考えられない。

将来テレビがインタネットに近ずき,インタネットはテレビに近ずくことは明らかである。



さすまたは罪人を捕まえる道具である
このごろは学校の備品として脚光を浴びる



3月13日の天声人語より


 さすまたは罪人を捕まえる道具である。棒の先端についたU字形の金具で首や胴を押さえ込む。

刺股とも指叉とも書く。おなじみ「鬼平犯科帳」では、長谷川平蔵率いる捕り手が悪党一味を追いつめる場面に出てくる。

 このごろは学校の備品として脚光を浴びる。

不審者が生徒や教師を襲う事件が続いて導入するところが増えた。

警官を招いて「さすまた講習」を開いた学校も多い。

 製造元のひとつ、東京都江戸川区の部品会社「実川製作」では毎週250本を出荷するが、注文に追いつかない。

製造を始めたのは4年前、大阪府池田市で児童が殺された直後である。

実川享社長(49)が大の鬼平ファンで、捕物の道具に目をつけた。

試作した最初の3本はすぐ娘の通う小学校に贈った。

 学校で何かあるとたちまち注文が殺到する。

大阪府寝屋川市の小学校で先月起きた事件では「備品のさすまたが身柄拘束に役立った」と報じられ、拍車がかかった。

「納入先には幼稚園や病院も多い。何とも物騒な世の中ですね」。思わぬ需要に実川さんもとまどう。

 刑罰史に詳しい重松一義・元中央学院大教授(73)によると、さすまたは中世以来スペインなど各国で生け捕りや拷問に広く使われた。

日本では実戦の武器という性格は薄い。

むしろ幕府の司法権を見せつける「威圧の具」として、奉行所や関所に飾られた。

 「学校は安全」という神話が崩れて久しい。

教育の場におよそ似つかわしくない道具だが、何か備えがないと不安な時代である。

願わくは、学(まな)び舎(や)の守り神で終わりますように。




学校で殺人者が侵入とは,どうしても考えられない時代になったかと嘆きたい。昔では考えられない戦後の欧米文化輸入よるものかと。

日本人には古来の日本の良さがある筈だ。日本の文化をもっと大切に育てるべきである。

合理的 実用的なことが最高の文化と信ずる国からの文化の蔓延汚染は悲しい現実である。

不合理の心理 「絶対矛盾の自己同一」の禅的な東洋的文化は合理的 実用的尺度からすれば最低の文化思想となる。





 価値あるものを空っぽにし、
迫る敵の意欲をくじく「焦土作戦」を、
ニッポン放送が検討中という。


3月15日の天声人語より


 その昔、ナポレオンがロシアを攻めた時、ロシア側はモスクワをもぬけの殻にして逃げた。

大火が起こり、冬将軍も迫って、ついにナポレオン軍は退却する。

 価値あるものを空っぽにし、迫る敵の意欲をくじく「焦土作戦」を、ニッポン放送が検討中という。

主要子会社の株をフジテレビに売ってしまう構想らしい。めまぐるしい動きが続くが、ここでは、

今回の攻防とは何なのかを考えてみたい。

 これは、「メディア(媒体)の興亡」なのか。ある時代の最大のメディアが「メディアの一つ」になってゆく。

これがメディアの歴史だった。

明治以後、メディアの首座を占めた新聞は、戦後のテレビの興隆で、メディアの一つとなった。

 インターネットの興隆で、テレビは存在感の薄い一メディアになってゆくのか。

文字、映像、電子情報という三つのメディアが絡み合う興亡の帰着は、

その中身も含めた各メディアの競い方と、受け手の選択次第だろう。


「メディアの興亡」をはらんではいるが、その帰趨(きすう)を決するほどの争いかどうかは、不透明だ。

 それでは「新旧の攻防」なのか。

新世代の掲げる旗は、いつも旧世代を戸惑わせてきた。

世代とは、人類の悠久の歴史の上に個々人の限りある歴史を乗せた、ひとまとまりの集団だ。

性急とも見える既存のものへの挑戦は、後から生まれた者の永遠の権利であり宿命でもある。


その意味では「新旧の攻防」だ。

 「焦土作戦」は企業防衛の手段という。

それが「焦土」にされる会社の社員や家族の防衛にもなるのかどうかが気にかかる。




企業戦争での「焦土作戦」は有ってしかるべきである。株式が公開買付できれば当然「焦土作戦」も有ってよい。

「金」が物言う時代が益々加速しそうである。





 インドネシアとマレーシア・シンガポールを隔てるこの海の要衝は
、昔ながらに海賊が横行している。



3月16日の天声人語より


 天動説で知られるプトレマイオスは、2世紀にエジプトのアレクサンドリアで活躍した。

地理学者でもあり、本人の作かどうかは不明だが、「プトレマイオスの世界図」が残されている。

そこでは、はるか東方のマレー半島はクリューセー(黄金半島)と記されている(『ジパング伝説』中公新書)。

 マレー半島に沿うマラッカ海峡で、日本人などが乗るタグボート「韋駄天(いだてん)」が海賊に襲われた。

浅くて狭い海峡は、以前から海賊の被害が多発している。


暮れの大地震と大津波の後は、なりを潜めていたというが、犯行を再開したのだろうか。

 海峡に面した町・マラッカの丘には、日本で布教したフランシスコ・ザビエルの遺骸(いがい)が、一時安置されていたという。

大佛次郎は、この丘からの町と海峡の眺めを、終戦直後に「帰郷」で書いた。

 日本人の画家に、土地の歴史を語らせ ている。

「王朝があって、そこへポルトガル人が攻め込んで来て城を作ったのを、和蘭陀(オランダ)人が来て占領し、

その後で英国が手を入れたんですね。それから今度は、日本人が来て……この後は、また、どこの国が来るんでしょうかね。

黒子(ほくろ)のように小さい土地だけれど」


 インドネシアとマレーシア・シンガポールを隔てるこの海の要衝は、列強の侵略が交錯する場だった。

その奪い合いも終わって久しいのに、昔ながらに海賊が横行している。

津波の対策と同様に、東南アジア全体の目と手で、安全の道を探ってはどうか。

 「黄金半島」の周りを、海賊たちの「黄金の海」にしておく時代ではないだろう。




今の時代に海賊とは驚く事である。国際的に世界は一つとの考えからすれば,

地球の治安は一つのところ例えば国連で統括されるべきである。

海賊ぐらい何とか先ず世界的な観点から守るようにしてほしいものである。




バロン西といえば昭和の初め、
ロサンゼルス五輪で馬術の金メダルに輝く。



3月17日の天声人語 より


 バロン西といえば、戦前を知る世代には懐かしい名前かもしれない。

本名を西竹一(たけいち)という。

男爵(バロン)の家に生まれ、昭和の初め、ロサンゼルス五輪で馬術の金メダルに輝く。

軍人として、満州から転じた硫黄島で戦死した。

 「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。

米軍が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が残る。

後の創作とみる説もある。戦死公報によると、西氏が亡くなったのは60年前のきょう3月17日だった。

 ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。

黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。

日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さかった。

曽祖父(そうそふ)を描いた本は何冊も読んだが、

「暗く深い塹壕(ざんごう)や血のしみこんだ浜を歩いて初めて生身の姿 を実感できた」と話す。

 満彦君が登った摺鉢(すりばち)山では60年前、日米の若者が死闘を展開した。

山頂にはためく星条旗をとらえた写真は米国では今も名高い。士気を高める効果があるのだろう。

同時多発テロ級の大難があると、遺族の集会や篤志を募るビラにあの写真がきまって登場する。


 「硫黄島に寄せる日米の思いは対照的です」と言うのは西氏の長男、西泰徳さん(77)。

満彦君の祖父である。

「私たちには死を悼む島でも、米国民には勝ち得た栄光を祝う島のようです」

 満彦君はこの秋、米国の大学に進む。

平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。



戦争に突入すると,戦争自体の意味が薄れて,勝つか負けるかの死闘が繰り広げられる。

「同時多発テロ級の大難があると、遺族の集会や篤志を募るビラにあの写真がきまって登場する。」

この戦いでの写真がアメリカ人に受け入れられることはよく理解できる。

カウボーイ的な面を持った人たちがアメリカに大勢おられる事も理解できた。

ブッシュ大統領当選時のテレビ放送を見ていれば,西部開拓時代のお百姓さんたちの実像をばしっかり見えていた。

日本よりまだまだアメリカには遅れた部分が沢山あることを知った。

どんな時代遅れでもっての発想で世界の政治がアメリカにより振り回されるのかと大変危惧する。

良心的なアメリカの部分が目覚めてほしいものである。




『ブッシュの戦争』

3月18日の天声人語より


 ウォーターゲート事件をスクープしたワシントン・ポスト紙のウッドワード氏の著した

『ブッシュの戦争』(日本経済新聞社)に、こんなくだりがある。

「アルカイダだけでなくイラクも攻めればいい」。

9・11同時多発テロの翌日の国家安全保障会議の場で、ラムズフェルド国防長官が述べたという。


 「この発言は、ひとりだけの意見ではなかった……ウォルフォウィッツ国防副長官も、

テロリズムに対する戦争の第一ラウンドでイラクを主要攻撃目標にするという方針を唱えていた」。

その副長官を、ブッシュ大統領が次の世界銀行総裁に指名するという。

 この政権にタカ派的性格をもたらした新保守主義者(ネオコン)の代表格で、

結局は見つからなかったイラクの大量破壊兵器の存在を主張していた。


それなのに、イラク戦争での「論功行賞」のように国際機関のトップに据えようというのである。

 貧困問題で、国連のアナン事務総長の特別顧問を務めるサックス・コロンビア大教授は「大変な驚きであり、

不適切な指名だ」と述べたと伝えられる。

日本は世界銀行への主な資金供与国の一つだが、小泉首相はブッシュ氏との電話会談で指名を支持したという。

 やはり電話で小泉さんがいち早く支持を表明し、その一体ぶりが鮮明になったイラク戦争の開戦から間もなく2年になる。

おびただしい人の命が失われたが戦闘はやまない。米軍による「誤射」も続いた。

 「先制攻撃そのものが、とてつもない誤射だった」。

ネオコン主導の戦争が、歴史にこう記されない保証はない。




ブッシュ大統領が次の世界銀行総裁にウォルフォウィッツ国防副長官を指名とは驚きである。

これは国際機関をアメリカの人事事項の一つとして考えられているのか。

ウォルフォウィッツ国防副長官はタカ派的性格をもたらした新保守主義者(ネオコン)の代表格で、

結局は見つからなかったイラクの大量破壊兵器の存在を主張していた人である。


誰がみても不適切な人事である。この人事を小泉首相が承認した事は日本全体が承認した事となる。

こんな首相の日本では韓国 中国がデモする気持も理解できる。

非常識な首相を持っていても日本では自民党を倒さない限りに他の人に首相になってもらえない。

おおいにデモしてください。中国でも 韓国でも。但し危害・破戒だけは決してしないで下さい。

大いに小泉首相の像を燃やしデモしてください。

小泉さんへ。首相を辞めれば,お好きな靖国神社に毎日でも何時でも参拝してもらっても,誰も何も言いませんから。







地下鉄サリン事件は、明日で発生から10年になる。

3月19日の天声人語より


 日付で記憶される出来事がある。

何年か後でも、その日どこにいて何をしていたかという話になる。

多くの人が3・20で記憶する地下鉄サリン事件は、明日で発生から10年になる。

 あの朝は、東京郊外の家をいつもより遅れて出た。

前日に出張から帰り、荷解きしたものを整理していたからだ。

都心の駅で外に出たところでヘリコプターが舞うのを見、新聞社に着いて事件を知った。

 いつも通りか、やや早めに出ていれば、どこかで事件に巻き込まれた可能性はある。

テレビ画面に映った横たわる人は、自分だったかもしれない。

都心に通う人は、そんな思いを共にしただろう。

 翌春、元教祖の初公判があった。

判決の時期について「今世紀中は無理ではないか」と社内の会議で述べた。

その遠さに周りが少しどよめいたようだった。その後、教団の本拠地だった山梨県の上九一色村へ行き、

サティアンと呼ばれた巨大な建屋の群れを見た。

富士山のふもとに、これだけ異様なものが立ち並んでいたのに、なぜ犯行を許してしまったのかと悔やまれた。

 一昨年と昨年、元教祖の裁判を短時間だが傍聴した。

黙して、時に口をもぐもぐしたり、あくびをかみころしたりしている。

検察の論告も裁判官の言い渡しも傍聴席の痛切な思いも、はぐらかされているようだった。

 オウムは国の中に国を造ろうとたくらんだ。標的は日本という国家だった。

市民は、いわばその身代わりにされた。

無差別テロの再発防止だけではなく、被害者や遺族への手厚い支えもまた、3・20が問い続ける課題だ。




ドップリと新興宗教に浸かった人たちにとっては事の善悪が麻痺してしまっている。新興宗教での異常事件の報道は

後を絶たない。親について幼い少女が教祖さまの餌食になり性的暴行を受けていても,神の祝福といっているのだから

あきれ果てる。異常社会集団だ。





「私たちはスピードに束縛され、
誰もが同じウイルスに感染している。

3月20日の天声人語より


 ある午後、街中の食堂でカレーライスを食べていた。

近い席に同じ頃座った外国の青年も、カレーライスを食べていた。

青年は割りばしでご飯を少しずつつまみ、カレーに浸してゆっくりと口に運んでいる。皿のそばに、みそ汁もあった。

 「短い人生。みんな同じ。急ぎすぎて失敗するより、ゆっくり生きた方がいい」。

108カ国に8万人の会員を持つスローフード協会のイタリア人会長、カルロ・ペトリーニさんが来日し、そう述べたという。

 協会は、89年にパリで、独特の味わいをもつ「スローフード宣言」を採択した。

「私たちはスピードに束縛され、誰もが同じウイルスに感染している。

私たちの慣習を狂わせ、家庭内にまで入り込み、『ファーストフード』を食することを強いる『ファーストライフ』というウイルスに」

 ペトリーニさんの『スローフード・バイブル』(日本放送出版協会)には、和食こそ日本のスローフードとある。


「日本人の皆さんには、個性のない食べ物、日本人らしさを損なう食べ物に屈してほしくない」

 ファストフードの国からは、ライス国務長官が来日し、牛肉の輸入再開を訴えた。

それがアメリカの国益の追求ということだろうが、国益には一部の「集団益」になりかねない面もある。

「日本の検討のプロセスは信じられないほど遅い」。

こんな声もあるというが、日本側はいたずらに急ぐことなく、安全優先の「国民益」で臨んでほしい。

 カレーライスを食べ終えてそそくさと席を立ったが、青年の皿には、まだたっぷりと残っていた。


身勝手なアメリカが世界を牛耳っている事は誰もきずいている。BSE牛肉問題で日本にカナダ メキシコと組んで科学的に

安全だからとして輸入解禁強制を迫ってきている。

牛肉なんて第二次大戦中一度も口にしたことの無い世代がいる限りにはアメリカに屈してはならない。

アメリカの理不尽さと優等生の両方を学んだものにとっては驚かない。第一に実用 便利そして迅速性が何故良いのかと

絶対的に正しいものではない。実用 不合理なものにも真実があることを東洋思想で学んでいる日本人である。

科学だけで理解できない真実も知っている。他の価値観が正しいと押し付けるものではない。自由 民主よりも掛値の無い

絶対君主のもと平和な生活だけを望む国民もいることを知るべきである。

イラクでは戦争,テロなどよりも絶対的な人の下での平和な生活を望んでいる人が多くいるに違いないと。

モスクで礼拝する姿,司教の説教を耳にしている人たちの姿を見ると余計にそのように思えてくる。




震源の玄界灘では、これまでは地震活動が弱かったという。

3月21日の天声人語より


 やはりこの国では、大地震はどこででも起こると考えていた方がいい。

昨日の九州北部を中心とする大きな地震で、改めてその思いを強くした。

震源の玄界灘では、これまでは地震活動が弱かったという。

 玄界灘を望む能古島では、作家・檀一雄が晩年を過ごした。

高台には、絶筆の句〈モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん〉を刻んだ碑があるという。

隣の志賀島からは、国宝の「漢委奴国王」の金印が出土している。

 こうした古代や海のロマンに彩られた島々の中で、

昨日は、何軒もの家が倒壊したすさまじい被害が映し出された島もあった。

震源に近く揺れが大きかったのだろう。救援を集中させたい。

 今回の地震は、阪神大震災以来10年ぶりに百万都市を直撃した。

福岡では、記録的な大惨事にこそ至らなかったようだが、現代都市の弱さを見せつけられた。

窓ガラスの多くが割れた高層ビルがあった。落ちるガラスは凶器となって地上の人々を襲う。

近年、大都市には全面がガラス張りのような新しいビルが増えている。

在来型のビルともども、揺れに対する備えを再点検してほしい。

 「死者1万3千人。避難者700万人」。先月、首都直下地震について、政府・中央防災会議が被害想定をまとめた。

最悪の場合には、経済損失は国家予算をはるかに超える112兆円にもなるという。


 まずは被災地の復旧が第一だが、今回あらわになった弱点を精査し、全国で対策を進めたい。

地震は、忘れていても忘れていなくても、そして、前例があってもなくても襲ってくるのだから。


天災は半分諦めて仕方ないこともある。戦争などで短い人生になった人たちのことを考えると

戦争だけは避けるべきである。沢山な水爆 原爆がある地球上での戦争は地球破滅につながる。

馬鹿なブッシュは何をしでかすか,心配で心配で仕方ない。

米ソ対立冷戦時代米のレーガンの頭の悪い頑固者に一方ソ連のゴルバチョフはモスコ大学卒での理知的な人で

冷戦が解決された。ゴルバチョフはノーベル平和賞をもらっているがロシアではあまり人気がないとか。世界の恩人である。

レーガンは晩年はアルツハイマ-による痴呆状態になり亡くなっている。




小泉首相が「食生活の大切さを子供たちに教えたい」と


3月22日の天声人語より


 折々に小泉首相が「食生活の大切さを子供たちに教えたい」と訴えている。

施政方針演説でも2年続けて、「食育」の問題を取り上げた。

そう言う首相は、どんなものを食べているのだろうか。

 朝刊の「動静」欄から首相の晩餐(ばんさん)先を拾うと、際だった傾向が浮かび上がる。

とにかくイタリア料理が多い。同じ店に中2日の間隔で通うこともある。

これに中華が続く。伊・中・和の輪番が基本のようだ。韓国や中東、ロシアの料理は皆無に近い。

地域の偏りが目についた。


 首相官邸の担当記者によると、朝と昼は純和風という。

朝食はご飯にみそ汁、大根おろし、ちりめんじゃこというのが定番で、お昼はだいたいソバらしい。

「ギョーザに目がない」「生野菜は大の苦手」「たくあんやキムチには目もくれない」「カツ丼のカツは全部残す」。

そんな目撃証言もある。かなり好き嫌いがあるようだ。


 平安の昔、栄華を誇った藤原道長は、過食か偏食か、長く糖尿病に苦しみ、食事療法に励んだ。

ヘルシー志向の家康は麦飯を好み、臣下にも粗食をすすめたそうだ。

 戦後で言えば、食通を誇った吉田茂首相は、お気に入りの料理人を官邸に雇い入れ、美食を楽しんだ。

せっかちな田中角栄氏は、カツ丼やラーメンといった手軽な品を好んだという。

まさに食は人を表す。

 先月初め、首相は風邪で公務を休んだ。在任4年で病欠は初めてだ。

その後も鼻水やくしゃみが止まらない。どうやら花粉症らしい。医食同源ともいう。

「食育」普及のためにも、好き嫌いを見直して、どうかご自愛を。



食は健康のもとで,寿命も左右する。正しい食生活は健康な身体への源である。

医食同源までは行かないが,食教育は大切である。片寄らない食事をする事と,

最近は肥満が問題になっておりてべ過ぎないこと,適度の運動・休養が必須である。

アルコールは頭を麻痺させて食べ過ぎの傾向を作る。でも適量アルコールはストレス解放に良い。





全国で飼い犬は1200万匹を超え

3月23日の天声人語より


 少し前だが、「求む『養犬ホーム』」という投稿が東京管内などの本紙に載っていた。

実家で、愛犬が病死し、子犬を飼い始めた。

ところが、高齢の両親はけがをしたり、目の具合が悪くなったりした。

犬の世話をできなくなったらどうしよう。そんな娘さんの心配だった。

 犬好きのお年寄りには身につまされる話だろう。

ペットフード工業会によると、全国で飼い犬は1200万匹を超え、老人世帯は4軒に1軒ぐらいが飼っている。

 「老いてから飼う犬という存在は、たんなるペットという以上に……世話をやいてやるべき被保護者であり、

そして何よりも安心してひたすら愛することのできる対象なのであった」。


そう書いたのは作家の中野孝次さんだ(『犬のいる暮し』文春文庫)。

 中野さんはハラスという柴犬(しばいぬ)との日々を描き、ベストセラーになった。

ハラスの死後、犬のいない生活に耐えられず再び飼い始める。

昨夏亡くなった時、ハンナとナナという親子の柴犬がいた。


 妻の秀さん(77)に電話すると、「8歳と5歳になり、2匹ともとても元気です」。

今でも外で足音がすると中野さんと思って門へ駆けていく。

「夫も最期まで気がかりだったでしょう。

この子たちに天寿を全うさせるまで私も生きなければと思っています」

 東大教授で獣医学の林良博さんは「犬は老いても、我が身の老いを嘆いたり将来を思い煩ったりせず、

現在を満足して生きる」と語る。そんな味のある相棒と共に老いを重ねたい。


そう望む人は、この少子高齢の時代に減ることはない気がする。




愛犬家の話を聞いていると犬が病気にでもなると,自分の子供が病気した時のように心配して,獣医さんのもとに連れて行かれる

犬には健康保健というものがないから大変な額の費用が要るようだ。それまでに何故と思うぐらいに尽くされて

死んだりすると大変に悲しまれ,飼い主が病気でもなられるのではないかと思うことが再々にある。

そんな姿に接すると動物は飼いたくない気持になってくる。





新旧の都庁を設計した
丹下健三さんが亡くなった。

3月24日の天声人語より


 ローマの中心部にあるフォロロマーノには、古代ローマの都市遺跡が立ち並んでいる。

そばのローマ市の庁舎も、古代のタブラリウム(記録保管所)の上に築かれていると聞いた。

 東京の都庁舎が建て替えられる頃、ローマ市の美術館局長に「東京では、築30年ほどの庁舎を捨て、

千数百億円かけて新庁舎を建てるところです」と話したことがある。答えはこうだった。

「おじいさんや、そのまたおじいさんがつくったものに手をかけて暮らすのは、楽しく、よいことです」。

建物がどんどん新しいものに変わる日本を、都庁舎は象徴していた。


 新旧の都庁を設計した丹下健三さんが亡くなった。

『丹下健三』(新建築社)を著した藤森照信さんが「昭和という時代に形を与えた人」と述べていたが、

戦後の、その時々の日本を象徴する作品を残した。

 藤森さんが、丹下さんに尋ねた。「世界の古今の建築家の仕事をたくさん見てこられて、誰が一番と思われますか」。

「……ル・コルビュジエとミケランジェロですね」

 近代建築の祖の一人とされるコルビュジエには、旧制広島高校時代に図書館の雑誌で出会う。

衝撃を受け、建築家を志した。

「装飾的なものを一切取り払いながらも、凛(りん)とした美しさを持つその設計に、

私はすっかりほれ込んでしまった」(『一本の鉛筆から』日本経済新聞社)。

 現代の巨大建築であっても、必ずどこかに凛とした美しさを込めようとしていたのだろうか。

この時代に、それを求め続けることの途方もない難しさを、誰よりも味わっていたのかもしれない。



絵画と同じく建物も設計者の性格が出てくるのではと考えるが。どうしても人間が作るものにその作る人の個性が

反映してくる。古い建物にはあまり設計者は誰かという話よりも,誰が発願し,建てたかという話が先に出てくる。

仏像彫刻とか造園には有名な人が伝わり残っているが,建築物にはそれがない。

今の設計士はそれだけ幸せなのかも知れない。



今日、名古屋の郊外で開幕する
愛知万博のテーマは「自然の叡智(えいち)」


3月25日の天声人語より



 パリのエッフェル塔は、大革命からちょうど100年後の1889年に開かれた万国博覧会の際に建てられた。

パリでの万博は何度もあって、1900年の博覧会では、英国留学の途上にあった夏目漱石が見物し、

エッフェル塔に上った。

 「今日ハ博覧会ヲ見物致候ガ大仕掛ニテ何ガ何ヤラ一向方角サヘ分リ兼候名高キ『エフエル』塔ノ上ニ登リテ

四方ヲ見渡シ申候是ハ三百メートルノ高サニテ人間ヲ箱ニ入レテ綱條ニ(テ)ツルシ上ゲツルシ下ス仕掛ニ候」

(『漱石全集』岩波書店)。

 エレベーターによって「箱入り人間」にされた、後の文豪の姿がしのばれる。それから約100年の時が流れた。

各国が競い合う科学技術で生まれた品々が並んだ会場は、その時代を映す鏡だった。

 万博のテーマもまた、そうした鏡の一つだ。70年の大阪万博では「人類の進歩と調和」だった。

月着陸の翌年で、「人類の」という言い方に、科学の進歩の誇らしげな響きがこもる。

しかし科学や産業がもたらした公害は、深刻になっていた。「調和」の方には、とってつけたような感がある。

 今日、名古屋の郊外で開幕する愛知万博のテーマは「自然の叡智(えいち)」だという。

人間による「調和」の達成は無理とわかったので、今度は自然を頼りにしたいとも読める。


「人間の」叡智と言わず「自然の」としたところには、「人類」が過去を省みている様が思い浮かぶ。

 漱石は、博覧会は十日や十五日見ても大勢を知るのが関の山、とも書いている。

そうだとしても、大勢の一端を知りに、でかけてみたい。



愛知万博のテーマは「自然の叡智(えいち)」とか。自然との調和の中に博覧会があるものだとの意味にとれる。

一度は訪れたいと思うが。大阪万博の時は名古屋に住んでいて,二回訪れたが一度目はアメリカ館で「月の石」を

見るためだけに長い行列をして待った。「月の石」はそこらに見る石とあまり変わりなかった。

二度目の訪問は大勢の人で入館自体できずに,そのまま帰った記憶がある。若い頃の思い出である。

今度はゆったりと見学したいと思っているが,多分大勢の人出だろう。





騎士にとっては、馬の背こそが戦場であり、
馬は、力と王権の象徴



3月26日の天声人語より


 「犬と雄鳥」「襟巻と金雀児(エニシダ)」「天使」「愚者」。

これらはいずれも、昔の騎士団に付けられていた名前である(『新版・西洋騎士道事典』原書房)。

「白い隼の騎士団」や「美徳と隣人愛の奴隷の騎士団」もあった。

騎士にとっては、馬の背こそが戦場であり、馬は、力と王権の象徴でもあったという。

 いにしえの時代の騎士が、突然、現代日本の空から舞い降りたような様相になっている。

ニッポン放送の株を巡るライブドアとフジテレビの争いに、ソフトバンク系の投資会社が参入し、

「ホワイトナイト(白馬の騎士)」になぞらえられた。


 敵対的な買収を仕掛けられた時に、防衛のための「援軍」になる企業を、そう呼んでいるという。

しかし、その「援軍」が生殺与奪の権を握るとしたら、後に災いを招く「トロイの木馬」になる可能性も指摘されている。

 ニッポン放送から投資会社に貸し出されるフジテレビの株は「クラウンジュエル(王冠の宝石)」と形容された。

電子の回線を張り巡らせた21世紀の市場での厳しい攻防に、馬にまたがった古い騎士と

宝冠の物語が絡み合う不思議な取り合わせになっている。

 白馬の騎士では、聖書の「ヨハネの黙示録」が思い浮かぶ。

「小羊が七つの封印の一つを開いた……見よ、白い馬が現れた。それに乗っている者は、弓を持っていた。

彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った」(共同訳)。

 現代の冠と白馬の騎士とは、どこに、どう帰着するのだろうか。「メディアの騎士団」同士の戦いだ。



「ホワイトナイト(白馬の騎士)」は敵対的な買収を仕掛けられた時に、防衛のための「援軍」になる企業を、そう呼んでいるという。

日本に新しい言葉,機能が紹介され,何か外国のできごとのように感ずる。

世界が狭くなったと考えても良い。世界がグローバール化し平和な世界が作られる一里塚ならば一番だが,

ブッシュのネオコンはいただけない。外国も絡んだ世界秩序への過程での出来事か。




長寿に恵まれると、若いときの仕事に
歴史がどんな審判を下すかを知ることができる。



3月27日の天声人語より


 長寿に恵まれると、若いときの仕事に歴史がどんな審判を下すかを知ることができる。

プラスの評価を得る者は幸いだ。

今月17日に101歳で亡くなった元米国務省高官のジョージ・ケナン氏は、そんな一人である。

 第二次大戦後、冷戦初期の動乱期に活躍したケナン氏は、辛抱強い外交でソ連の膨張的傾向をチェックすれば、

内部矛盾から崩壊すると予言、「封じ込め」を立案した。

日本に対する占領政策を緩やかなものにして、経済復興を重視する路線に転換させた。

 ソ連の崩壊と日本の経済大国化を、彼は自分の目で見届けることができた。

ただし、米外交の過剰な道徳主義や軍事手段の過大評価を戒める提言は、

ワシントンでは理解されず、53年に退任に追い込まれた。

プリンストン高等研究所に移り、著作を通じてベトナム戦争を批判するなど米外交に影響を与え続けた。

 ケナン氏と言えば、思い出すことがある。

同時多発テロ直後、アーミテージ国務副長官に米外交への長期的な影響をたずねたところ、

「国務省には、20年先を考える部局がある。政策企画室だ」と胸をはった。


 この政策企画室こそ、若きケナン氏が初代室長を務め、米外交の青写真を描いた部局だった。

しかし、米国は、国際社会の合意を待たずにイラク戦争に突入、いまだにイラクの民主化の確たる見通しはない。

 国務省の彼の後輩たちは何をしていたのだろう。

「私たちは自国についてバランスのとれた見方をすべきだ。

自分で思うほど世界を変えることはできない」。ケナン氏が残した言葉である。




他国への干渉は内政干渉にあたらないか。イラクでの出来事を見ているとアメリカの軍事力による

内政干渉そのものである。そのように思えてくる。正義のための戦争が我々の目には侵略としか映らない。

石油欲しさの侵略戦争である。資源を持つ国への侵略は歴史が証明してくれている。

資本主義社会が絶対的によいものかどうか,矛盾は世界に満ち溢れているようだ。





花粉症の患者を泣かせる快晴で強風の日


3月28日の天声人語より


 今年ほどマスク着用率の高い年があっただろうか。

花粉症の患者を泣かせる快晴で強風の日に、通勤電車の中で数えると、

乗客のざっと4人に1人が着けていた。

 外国にも花粉症はある。だがアジア諸国を除けば、春先にマスク姿が街にあふれる国は多くない。

米ワシントンで働く日本人男性は「こちらではマスクで街を歩く人はついぞ見ない」と言う。

米国では大半の薬局がマスクを扱わない。

花粉症に悩む同僚の米国人にマスクを薦めたが、「重い伝染病の患者みたい」と嫌がられたという。

 「マスクまでして出勤しない。この国ではせきやくしゃみが止まらない日は休む」。

ドイツ在住の日本人男性も言う。ロンドンやパリでもマスク姿を大勢見かけることはないそうだ。


 そのぶん欧米では、日本のマスクの季節が格好のニュースになる。

歩道を行くマスクの群れを描写して米紙は「手術室に向かう外科医の集団かと思った」と伝えた。

豪紙は数年前、「政府に抗議する有権者の一斉行動みたい」と報じた。

大げさな書きぶりだが、よほど珍しいのだろう。

 創業明治29年の衛生用品大手「白十字」によると、日本でマスクが普及したのは、スペインかぜが猛威をふるった大正半ば。

それまでは工場労働者の粉じんよけだった。

かつては口もとを覆う横長型が多かったが、いまは鼻からあごまですっぽり隠すカラス天狗(てんぐ)型が主流だ。

 欧米でも近年は、テレビや新聞が「花粉予想」を伝える。専門家が「症状緩和にはマスクが効果的」と薦めてはいるが、

普及の兆しはまだないようだ。



外国にも花粉症はあるが,日本に特別なのは島国ゆえの現象なのか,日本人の体質にゆらいするものか,

検討の余地は充分にあるのでは。マスクでの予防が薬物服用より良い事はわかる。

花粉症は本人が症状に一時的に悩むだけで,その予防さえすればよい。薬物は副作用は少ないといわれているものの

不安はある。

慢性の病気の高血圧症 高脂血症 糖尿病 慢性気管支炎 などなどで食物 運動の予防に努力しても

なお高い値が続けは薬物服用して正常にする方が身体の為に絶対に利益である。だがこのような病気には殆ど自覚症状が

なく,放置されることが多く,症状が出てきたときは手遅れであることもある。花粉症は自覚症状の割に身体への影響は

慢性の病気に比べて深刻ではないようだ。

血圧は家庭血圧が重視されてきて,電気屋にゆけば血圧計は簡単に買える。上腕で測定できるのがよく,指とか手首で測定

できるものは間違った数値を示す。だから上腕測定の血圧計が勧められている。

体温計 体重計 血圧計は現在の家庭での自分の健康をしる簡単な方法である。毎日の健康の為に上手に使うこなすように。 





民草と呼ばれた国民の命は、鳥の羽よりも軽かった


3月29日の天声人語より


 最近の言葉から。「島が壊れた。泣きたいよ」。

福岡沖地震で多くの民家が崩れた玄界島で、漁協役員がもらした。

漁期のさなかに事実上の全島避難が続き、漁業の島が呻吟(しんぎん)している。

 地下鉄サリン事件から10年たった。

「私たち被害者はずっと置いてきぼりのまま、時間が止まっています」。

出勤途中に事件に遭い、今も後遺症に苦しむ女性は、国による救済の乏しさを訴える。

 60年前の東京大空襲を、作家の早乙女勝元さんは12歳で経験した。

皇居の安否には言及しながら、市民の被害を「其(そ)ノ他」で片付けた大本営発表にこだわる。

「『死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ』とは、軍人勅諭の一節だが、民草と呼ばれた国民の命は、

鳥の羽よりも軽かったのである」


 ハンセン病問題の検証会議が、隔離の実態を最終報告書にまとめた。

「真理子よ そのお前は標本室にはいないのです 真理子よ 今どこにいるのです」。

元患者で盲目の詩人、桜井哲夫さんは、堕胎手術で失った娘に詩で呼びかける。

標本までもが、ひそかに処分されていた。

 「日本橋の上に高速道路なんぞ通したのは、どこのどいつだって、今だって思ってる」と話す

写真家、富山治夫さん(70)は、東京・神田生まれ。

江戸っ子の反骨が、ライフワークの社会戯評「現代語感」を支えた。

 『悲しき熱帯』で知られる文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースさん(96)が久々に仏メディアに登場した。

今後の予定を問われて言った。

「そんなこと、聞くもんじゃないよ。私はもう現代社会の一員ではないのだから」




第二次大戦中,羽毛より軽い命と戦時中はだれものそのように思っていた。命をお国に捧げ,天皇陛下のために死んでゆく教育が

徹底して行われて,それが実行されていた。特攻隊攻撃がその良い例である。

今の自爆テロでもある。戦争だからテロとは言わないかもしれない。

フランスのドイツレジタンスも当時の政府からすればテロである。

何が正しいか,正義かは時代によってコロコロと変る。このことを知って世の中を見ることである。

絶対正しいのは「平和」であり,「戦争を憎む事」である。○○なブッシュの勇ましい言葉,「正義の為の戦争」なんか

この世ではありはしない。自分の利益の為にブッシュはアメリカの若者をむざむざと殺している。何人殺したのか。

死んだ家族がテレビで叫んでもブッシュは間違いなく後4年間は健在である。後何人ころされる事か。

兵器在庫一掃のための戦争が何時,何処で又はじまることやら「正義の為の戦争」が。




イスラム教徒の多い地域では、
新たな「殉難者」たちを送る葬礼が本格化していく


3月30日天声人語


 イスラム圏では遺体は土葬される。来世での再生を信じる教えからか、火葬にはしない。

遺体は浄(きよ)められ、生成りの布で覆われ、棺(ひつぎ)に納められる。

 地震や津波で亡くなった場合は作法が異なる。

死の際の着衣のまま、傷や血の跡も消さないで葬られる。

むごいようだが、イスラムの世界では、天災の犠牲者は特別な意味を持つという。

 病気や老衰でなく、天変地異で亡くなると、幼児でも老人でも殉教者として扱われる。

たとえば聖戦ジハードで命を落とした殉教者と高貴さにおいて同列で、そのままでも十分に清らかだという。

 以上の知識は先月初め、インドネシアのスマトラ島で取材したときに教わった。

訪れたアチェでは、村々にまだ死臭が漂い、毎日数百もの遺体が掘り出されていた。

黒いポリ袋に入れられた骸(むくろ)が、道ばたに積まれていたのを覚えている。

 津波の襲来から3カ月しかたっていないスマトラ島を再び大地震が襲った。

「ゆうべはだれもが津波の幻に取りつかれた。家族みんなで最上階の部屋に移って夜を明かした」。

地元の大学教授ユスダル・ザカリアさん(46)は電話口で話した。

市街地では、高台へ逃げる車やバイクの衝突事故が未明まで続いたという。

 あれほどの大地震の後だから、もう心配はない。

そう楽観していた人が少なくなかったはずだ。津波による遺体の回収もまだ終わっていなかった。

被災地の人々はいま、無力感に沈んでいることだろう。


キリスト教徒もいるが、イスラム教徒の多い地域では、新たな「殉難者」たちを送る葬礼が本格化していく。



「天災」がいつ「人災」にかわることか。科学が此れだけ発達して情報網も世界でゆきわたるようになってきた。

先進国は後進国の人たちに手を差し伸べてあげる事だ。各国が自己の欲だけで動かない事である。

国連をアメリカの手先から取り返し,公平な世界秩序のための国連が作られるべきである。

世界銀行総裁がブッシュの命令によつてネオコンの大物がなるようならば世界は末期である。

そんな事が世の中に通おるのだろうか。「アメリカの良心」は何処へいってしまったのか。!!



スマトラ島沖の地震では

3月31日の天声人語より


 スマトラ島沖の地震では、住民が各地でパニックに陥ったと報じられた。

地震後、津波を恐れた人たちが焦って高台を目指し混乱したという。

 パニックは、時には群衆による圧死などの惨害をもたらす。

しかし、人々のパニックへの傾きを、単純に「不合理な行動」とは言えない。

 冷戦の頃、戦域核兵器の配備がとりざたされていたオランダで、住民がパニックに陥ったという。

きっかけは、空軍基地に原爆が投下された場合を想定したラジオ番組だった。


「いつか核攻撃があるかもしれない」という現実の不安と、仮定の世界のラジオ番組とが重なってしまったのだが、

人々が混乱するのはむしろ自然で、無理からぬものだったと思う。

 スマトラの場合も、大津波襲来への不安はかなり大きかっただろう。

地震の起き方によっては、それも十分ありえたのだから、ひたすら海から逃げようとしたのは理にかなっている。

問題は、正確な情報の速やかな伝達と、住民への的確な指示があったかどうかだ。

 今回は、気象庁が素早く各国へ津波情報を発し、大津波の時の苦い経験が、情報の支援では生きた。

しかしインドネシアなどでは、警報の発令と伝達や住民への指示に問題があったようだ。

 約700年前にスマトラに上陸したマルコ・ポーロが『東方見聞録』(東洋文庫)に記す。

「皆さんをびっくりさせるに違いない異常な事態がある……この土地がはるか南方に位しているため、

北極星も北斗七星も共に見えない」。

はるか赤道直下の島々へ、情報だけでなく支援も厚く届けたい。




大きな被害が起きずして,パニックだけですめばそれにこした事はない。

被害が起きてはどうすることも無い。用心にこしたことはないだろう。

勿論正確な情報が流される事だが,今の段階では困難なことであるのは理解できる。

 地震 台風 津波などなんとかの自然災害を現在の進んだ科学でなんとかならないものだろうか。





今の中国での反日デモの報道に接して


中国が反日デモ騒動が報道されてきている。13億人の人たちが住んでいる国だから当然のことだろう。

その13億人の人たちの中のほんの一部の人がデモへの参加者である。

昔の一斉熱烈歓迎行動より正常である。デモは大いに良いが,人への危害とか建物への破戒だけはやめてほしいものだ。

もっと注文するならば小泉首相に率いられた国家である日本に焦点を当ててデモしてもらいたいものです。

首相の靖国神社参拝は反対である。日中戦争を正当化する教科書も変である。

被害を被ったのは相手の国民一人一人であったことの認識に乏しい。広島長崎の原爆投下が正当化されてアメリカの

教科書にのれば日本人は怒るであろう。又アメリカの日本への無差別爆撃の記事が正当化され教科書に載れば

怒るであろう。それぞけの国で教科書は正しく書かれる必要がある。

日本人は愛国心は持たなくなった国民だろうか。「愛国心」は大変危険な考えである。

我々子供の頃は愛国心を徹底的に植え付けられた。そして戦争が美化され,平和を唱える人たちは反愛国者で牢獄につながられた。

今世界では人類愛,人間愛教育が進められるべきである。

アメリカでも「愛国法」が成立してイラク戦争に反対の人たちが平和を求める人たちが逮捕されるのをテレビ映像が映し出された。

「愛国」という概念が通ずる世の中である限りに時の政府のご都合によって,利用されることが幾らでも起きる。

「愛国心」「愛国心」「愛国心」「愛国心」「愛国心」と子供の頃に,第二次大戦時に耳痛いほど聞かされ教育され育ってきた。

「愛国心」は戦争が美化されて,時の政府の都合の良いように利用されてきた。

「愛国心」とは一見良いように思われるが大変恐ろしいことばである。「人類愛」「人間愛」「地球愛心」が世界の国々で

普通に唱えられる時代になってほしいものである。




歴史を調べだすと


行基菩薩を調べだして,次に弘法大師を調べるようになってきた。調べだしたのは偶然の結果である。

二人とも広く伝説化された二大双璧の人物である。

弘法大師の唐への留学は一年だけで,長安の青龍寺で恵開と言う僧について学んでいる。

恵開は三蔵法師の3-4代後の弟子になる。そして空海は色んな文物 書物を唐から持ち帰って,密教真言宗を開いている。

空海の始めての弟子が実恵である。弘法大師の二代目の東寺の長者になっている。この人は檜尾長者と言われているほどに

行基に相通ずる心情を持っていたと考える。実恵の弟子に恵運がおりこの人も唐に5年間留学して空海と同じように

文物 書物を持ち帰っている。そして醍醐寺が聖宝によって建てられる以前に安祥寺という寺院をば

観修寺の横の京都側粟田山の一部に醍醐寺と同じように山上と山麓に安祥寺を建立している。

醍醐寺の聖宝は空海の実の弟の真雅の弟子で,真雅は東寺の4代目の長者になつている。

三代目は真済で紀氏の出身である。空海 実恵 真雅は佐伯氏の出である。醍醐寺は一般に知られているが安祥寺はあまり

知られていない。現在江戸時代に再建された安祥寺が山科区に今もある。実恵のもう一人の法弟子に真紹がいて禅林寺,

即ち広く一般に知られている名前が永観堂で,その開基者である。



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