ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


随想 

平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 

平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成12年1月  2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 

平成13年1月 2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分10月分11月分 12月分 

平成14年1月分  
2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分  6月分  7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成17年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分


 


4月になって


今年は四月一日頃には桜が咲いて,いつも満開の時期の10日頃には桜が散ってしまっていた。

いつもの年に比べると暖かいせいなのか,桜の開花時期が早まっている。

アメリカの状勢,イラクの状勢がマスコミに伝わらないのは,事件が少なくなったがゆえなのか統制によるものかは判らない。

目に見えぬ言論統制がしかれつつあるのかも知れない。言論統制がしかれつつあるのかどうかの判断は

後の世にならなければ判らないことである。

二期目のブッシュが180度ころっと変るとは思えない。

中国の反日デモが連日賑わすよううになってきて,こちらの報道は統制されていないようだ。

だか中国自身の国家統制で反日デモ自体が,厳しく取り締まりされだしたとの報道が伝わってくる。

日本人の中では親米の気持の人が益々増え,中国に対しては冷めた目で見る人が多くなるような世論の流れである。

本当にイラクに平安が訪れてくれればよいが,イラクの国民はイラクからアメリカが出ていって欲しいとの気持が

本音であろう。でも石油欲しさと,今までのアメリカ兵の犠牲を考えればアメリカは簡単にイラクから撤退しないであろう。

アメリカでは貧富の差が激しく,兵隊として志願する人たちは貧しい人たちが多いとか,裕福な人たちは兵隊から逃れしている。

ブッシュが良い例である。今やその人が最高司令官としてのアメリカである。

そして貧しい家庭の人たちから志願した兵隊が大勢戦死している。今の小泉首相の政治は,まさに今のアメリカのような日本を

作ろうとしている。効率化 実利的 弱肉強食の競争社会の実現を目指そうとしている。

今の政治家を見れば,殆どが二世・三世であるか,それとも裕福な家庭に育った人たちが政治家になっている。

そんな人たちで平等な民主的政治が実現することはありえない。又共産圏をみてもわかる。特に顕著なのは平等で豊かな社会を

目指して来た北朝鮮が,裕福な一人の独裁者を作り出してしまっている。そして国民への縛り・統制が大変厳しい。

報道に出てくるのはそのような弱い独裁者の国のことであるが,強力な裕福な独裁者は紙面などマスコミには出てこない。

人間は昔とおなじようなことの繰り返し繰り返ししている。人間そのものには進化は全く見られない。それが人間の宿命なのか。?

突如に思いもかけない宝塚線(福知山線)で快速電車脱線事故が起こっている。これも効率化 実利的 弱肉強食の競争社会への

弊害の一つの証拠である。小泉首相が目指す競争社会,独立法人化,民営化路線への結果の犠牲者であろう。

政治家達は涼しい顔をし,他人事のように,こんな事故は決して起こしてもらっては困ると話しているが,最大の原因のもと,元凶は

政治家自身が押し進めてきた政治そのものにあることを,政治家は是非とも知ってもらいたい。

直接責任は逃れないが弱いものに責任が転化されているように思えてならない。

多分民営化による効率化,競争が激しくなればなるほどに本格的に色んな事件が多発するであろうし,

表にでない潜在化した犠牲者も増えてくる可能性も充分ありえると思う。




毎年4月1日ごろ、作家・山口瞳さんの文章が
新社会人への、はなむけの言葉がつづられ
広告の形で新聞に載った時期がある。


4月1日の天声人語より


 小枝の先に、ほんのり白いものが見えた。

濃い紅のつぼみがほどけて生まれたばかりの、ひとひらの桜だった。

 開花した範囲を示す曲線が日ごとに広がるこの時節に、新しい年度は始まる。

今日からは、これまでとは違った土地や職場、学校で生活を始める人たちも多い。

列島の各地で、様々な期待や希望、そして不安が行き交っている。

 「枕草子」に「あたらしうまゐりたる人々」というくだりがある。

今日は、多くの「新しう参りたる人々」にとっても、それを受け入れる側の人にとっても、

記憶に残る一日になるだろう。

 毎年4月1日ごろ、作家・山口瞳さんの文章が広告の形で新聞に載った時期がある。

新社会人への、はなむけの言葉がつづられていた。

当方は、すでに旧人の部類だったが、夜の止まり木で先輩に語りかけられているような懐かしさを覚えることがあった。

 「踏み込め、踏み込め! 失敗を怖れるな!」「此の世は積み重ねであるに過ぎない」「諸君! この人生、大変なんだ」

「会社勤めで何がものを言うのかと問われるとき、僕は、いま、少しも逡巡することなく『それは誠意です』と答えている」

 これは、新人に向けた形をとってはいるが、勤め人全体への励ましとも読める。

新しい年度の初めごとに、山口さんは自らの時間を巻き戻し、自省しながら世の「江分利満氏」を励ましていたように思われる。

それが旧人の胸にも響いた。

95年春は「一に忍耐、二に我慢、三四がなくて五に辛抱」。その夏に、山口さんは亡くなった。

今年で10年になる。




道徳をしっかり身に付け本物の人がすくなくなり,軽薄な心の人たちによる指導者が出てくれば段々に世の中暗くなる。

まさしくブッシュや,小泉は典型的なタイプである。口さきだけが上手で中身が無い。

昔の悪い事をば現代化して恰も新しいようにみせかけている。今の世の中は頻繁に指導者が変る事以外に

世の中よくはならない。。

川の水も澱めば濁り腐るの如くに,同じ人が権力をもち続けば腐った世の中になるのは当然のことである。




アンデルセンは、自伝『わが生涯の物語』を、
こう書き出している。



4月2日の天声人語より


 「私の生涯は波瀾に富んだ幸福な一生であった。それはさながら一編の美しい物語(メルヘン)である」。

アンデルセンは、自伝『わが生涯の物語』(岩波文庫)を、こう書き出している。

ちょうど200年前の1805年4月2日に、その生涯は始まった。

 「みにくいアヒルの子」「人魚姫」「マッチ売りの少女」「絵のない絵本」。

世界中の子どもだけではなく、大人になってしまった子どもの心にも生き続ける物語を数多く残した。

 貧しい少年時代に始まり、童話作家として広く世に認められるまで、確かに「波瀾に富んだ」道を歩んだ。

しかし「幸福な一生」と「美しい物語」には、すぐにはうなずけない思いがある。

 アンデルセンの作品が持ち続けてきた大きな魅力の底の方には、深い孤独が感じられる。

生家には複雑な人間関係があり、俳優への夢は挫折する。

みにくいアヒルの子や、マッチを売る少女の際だった孤立感が、幼い頃の作者と重なって見える。

 彼は、繰り返し外国への旅に出た。帰る時に「デンマークを思うと、

私を待ちかまえている悪意に身の毛もよだつ思いだった」と記す。


異国での孤独感は旅の味わいを深め、故国での孤独は心の傷を深めたのだろうか。

 しかし、その深い孤独感は、たぐいまれな叙情の才と出会う

双方が絡み合ってつむぎだされたのが、読み捨てることのできない恐ろしさを備えた「美しい物語」ではなかったか。

その幸運な出会いと営みとを「幸福な一生」と呼んだのかもしれない。

人生に孤独の影が寄り添う限り、読まれ続けてゆくだろう。



荒んだ世の中になったのも子供の頃に読んだ本が魂の根っこにすみついてのこともあるのだろう。

我々の子供の頃にはアンデルセンのような本しかなかった。教訓的な漫画,童話が大部分である。

現在は漫画が氾濫し刺激的な漫画を目にする。子供がこんなものばかり読んでいれば現実と空想の世界が

入り混じりとんでもない事件を起こす事になる。これでもかと言うほどに商業的に「なんとか売ろう」とする

思いの雑誌 漫画本が本屋の店先に多く並んでいる。世の中をよくするにはまずこのようなことから

なおしてゆく必要がある。




 新球団・楽天イーグルスの試合をきのう、
本拠地の仙台で見た



4月3日の天声人語より


 新球団・楽天イーグルスの試合をきのう、本拠地の仙台で見た。

新装の球場ではトランペットなど鳴り物を使った応援は禁止である。

そのぶんバットの音が客席まで心地よく響いた。

 王者西武を相手に楽天が快勝した。産業界の浮き沈みを思わせるような試合展開だった。

銀行を辞めてネット事業にこぎ出した起業家が、先代の遺訓にしがみつく鉄道王を倒す。

新と旧の対決に場内がわいた。

 職業野球が生まれた昭和の初め、大半の球団が新聞社か鉄道会社を母体にしていた。

戦後は映画や自動車などの業種が乗り出す。


菓子や飲料に続き、金融や民放も参入した。その間に不動産やスーパーなどが退場した。

 米国時間の3日には、大リーグも開幕する。

あちらの球団は、オーナーがめまぐるしく代わる。

かつては、銀行家やビール王など野球好きの富豪が球団を買った。

それが次々、ディズニーなど有名企業の手に渡った。

近年は、球団を債権のように扱う投資家たちが買収戦に忙しい。

ひいきチームの所有者がだれか、長年のファンでも混乱する。

 お隣の韓国でもきのう、プロ野球が幕を開けた。昨年は兵役逃れの不正で大揺れだった。

中南米や台湾などでもプロ野球は盛んだが、

ジャイアンツやタイガース、イーグルスといった球団名は世界各地にある。

名前を決める際、本場の米国流にならうところが多いのだろう。

 プロ球団が仙台を拠点にするのは28年ぶりだという。

産業の栄枯盛衰は世のならいだが、景気や株価に左右されず、この地にしっかりと根をおろしてくれたらと願う。




サッカー ゴルフなどのスポーツが盛んになってきて,一般の人たちが見るスポーツが野球だけでなくなってきた。

オーナーも変り,オーナーが努力しても以前のような野球熱に戻すには大変な努力がいるだろう。

素人目で見ていてもあまりにも野球人に高給取りがいるのが大変気になる。スポーツ寿命は短いから

といっても野球を止めても他の仕事をすることができる。




ローマ法王ヨハネ・パウロ2世となる
カロル・ボイチワは、クラクフ郊外の町
バドビツェで生まれた。


4月4日の天声人語より


 ポーランドの古都クラクフは、中世の町並みを今もなお色濃く残している。

後にローマ法王ヨハネ・パウロ2世となるカロル・ボイチワは、クラクフ郊外の町バドビツェで生まれた。

 近くには、後に強制収容所がつくられたアウシュビッツがある。

数年前、クラクフを流れるビスワ川のほとりに立って、三つの町の位置関係と法王の人生に、運命的なつながりを感じた。

 ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった時、カロルは哲学科の学生だった。

独軍によって大学は閉鎖される。


ドイツで強制労働をさせられる国外追放を避けるため、クラクフ郊外の石切り場で働いた。

 「聞いてごらん。ハンマーが規則正しく石を打つ音を……ある想いが私の内で育って行く。

仕事の真の価値は、人間の内面にあるのではないだろうかと」。

自作の詩について、法王は後年、「当時の異常な体験がなかなか適切に表現されている」と

自伝『怒涛に立つ』(エンデルレ書店)で述べている。

 やがて地下活動で神学を学び、司祭になり、クラクフ大司教を務めた。

法王としては、故国で民主化を求める「連帯」を励まし、教会が封印してきたことを謝罪し、イラク戦争に反対した。

歴史と平和についての明確な発言と行動が際だっていた。

 10年前、バチカンで法王と握手する機会があった。

若き日にハンマーを握ったかもしれない手には、厚みがあった。

「戦争は人間のしわざです。戦争は死そのものです」。

81年に広島で発した言葉が、その手から伝わってくるようだった。



ポーランド出身の法王の出現は異色で新鮮味があった。徹頭徹尾に戦争には反対の法王で,米ソの冷戦の

影の主役かもしれない。行動の法王でもある。

立派な法王のあと誰がなるか,常にこのような法王であってほしいものである。





名づけて「納税者が選ぶ市民活動団体支援制度」。


4月5日の天声人語 より

 とかく税金は集めにくい。使い方への批判もあふれる。

ならば、住民に使い道を選んでもらえば、いいじゃないか。

 こんなアイデアを条例で実現させた市がある。

千葉県市川市だ。住民は自分が払う市民税の1%分を、市内のNPOや住民団体に提供できる。

応援したい団体をひとつ選び、市役所に通知すれば、市の補助金として届けられる。

名づけて「納税者が選ぶ市民活動団体支援制度」。

ハンガリーの税制をまねて、今春から日本で初めて導入した。

 「1%」の受け手には、81の団体が並んでいる。

福祉ボランティア養成、少年野球教室、ミュージカル公演など、やりたい事業はさまざまだ。


マージャン入門講座なんてのもある。

今月から各団体が市の公報や街頭で「清き1%を」と呼びかける。

住民は5月上旬までに応援先を決めていく。

 46万人余りが住み、市民税は1%でも3億円になる。

だが、いわゆる千葉都民が多く、地元への関心は極端に低い。

市は「税の提供先を決めるのは10人に1人、総額で3千万円くらい」と控えめに見込む。

6月の最終結果は、開けてみてのお楽しみだ。

 似たような制度は他の自治体でも検討中だが、異論もある。

「税を納めない低所得者の意向が無視され、法の下の平等に反する」「1%は減税するのが筋だ」などだ。

 いま政府と自治体は700兆円を超す借金にあえぐ。

増税の足音が聞こえている。受益と負担の関係を問い直すときだ。

だからこそ、わずか1%でも自分の税の行き先が見えるのはいいことだろう。


小さいけれど貴重な一歩になる。




戦争推進のためには1銭でも使ってもらいたくない。いつの時代にも為政者は自分が自由に使うお金とばかりに

税金を納税者の気持と全く反して,使われている。1%といわずに使い道は我々で納税者で決めたい。

それが議員選挙だと言われても「納税」と「議員選挙」は全く乖離している。

腹立たしい事である。






「政治は国民のもの」。
55年の自由民主党の結党大会で
採択された「立党宣言」



5年4月6日の天声人語より


 「政治は国民のもの」。55年の自由民主党の結党大会で採択された「立党宣言」は、この言葉で始まっている。

後に中曽根総裁のもとで編まれた『自由民主党党史』は、この一句を、

リンカーン米大統領の「人民の人民による人民のための政治」を一語に集約したものと記した。

 この党が、一貫して「政治は国民のもの」としてきたかとの問いには、大きな疑問符を付けざるを得ない。

長期政権特有の金や権力の奪い合いも多かった。

しかし国政選挙での結果は、この党に政権のほとんどを委ねてきた。

 結党50周年を機に憲法改正をめざす作業で、「新憲法」の「要綱」がまとまった。

とはいえ、「自衛軍の保持」や「国防の責務」など、国民の意識との隔たりが大きそうな点は多い。

 改憲推進の中心に居る中曽根さんは昨年、自ら「中曽根版・戦後昭和史」だという『自省録』(新潮社)を出版した。

「『政治というものは、なるべく手を出さないで事態を見ているのがいい』、

つまり『無為の政治がいい政治』という誤った民主主義政治の理解が、政治家の中にさえあります」

 「或ることをなしたために不正である場合のみならず、或ることをなさないために不正である場合も少くない」。

こちらは、古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』(岩波文庫)だが、なすか否かはいつの世も難しい。

 中曽根さんの本の副題は「歴史法廷の被告として」。

強い意志と自負を感じるが、あの治は国民のもの」の理念からは、それはないのではないのか。

未来の歴史を左右する重い作業だ。



腐敗堕落した自民党政党には政権交代を繰り返す以外にすくわれる道が無い。それこそが無為の政治である。

川の流れ 塵 埃も放置しておくと澱み濁るし汚くなるのが自然の現象である。変化交代が常に必要である。

戦後ずーと自民党が大部分の政権政治を担っていた事が世の中を悪くしている原因である。

一掃の必要がある。二世三世議員のの禁止法でも作らない限り交代しても清新さに欠ける。






戦艦大和の最後


4月7日の天声人語より



 戦艦大和が沖縄へ向けて出撃する日、吉田満少尉は遺書をしたためた。

「私ノモノハスベテ処分シテ下サイ 皆様マスマスオ元気デ、ドコマデモ生キ抜イテ下サイ」

 その翌日、1945年、昭和20年4月7日、大和は九州沖で米軍機の猛襲を受け沈没した。

世界の列強と競って建造した軍艦の象徴だった巨艦の最期は、軍国・日本の敗北をも象徴していた。

 奇跡的に生き残った吉田氏が、終戦直後にてんまつを記した『戦艦大和ノ最期』は、時を超えて読み継がれてきた。

大学を出たての青年の記述は、今も鮮烈だ。

 「時ニ『大和』ノ傾斜、九十度ニナンナントス……アナヤ覆ラントシテ赤腹ヲアラハシ……火ノ巨柱ヲ暗天マ深ク突キ上ゲ……

全艦ノ細片コトゴトク舞ヒ散ル」。漂流中、一本の縄ばしごをつかみ助け上げられた。

 漂流者で満杯の救助艇では、こんなこともあったという。「

船ベリニカカル手ハイヨイヨ多ク、ソノ力激シク……ココニ艇指揮オヨビ乗組下士官、用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、

犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリバツサ、……敢ヘナクノケゾツテ堕チユク、ソノ顔、ソノ眼光、瞼ヨリ終生消エ難カラン」

 吉田氏は戦後日本銀行に入り、支店長や監事を務めた。

『吉田満著作集』の年譜を見る。詳細な記述の中で、あの4月はこう記されている。

「沖縄特攻作戦に参加。生還」。

参加と生還の間に一文字もない。

しかしその字間に、どれほどおびただしい修羅があったことか。

大和の最期に限らず、あらゆる戦場で命を奪われ、また命を削られた人たちの慟哭(どうこく)を思った。


第二次大戦戦時中は戦艦大和の存在は一部の人にしか知られなかった。国民から金属供出が勧められ

「勝つまでは欲しがりません」「贅沢は敵だ」「撃ちてし止まん」「鬼畜米英」と喧しく教育されて,戦後は米国のおかげで

立派な民主主義国家になったと言われても素直に「そうですハイ」とはいうことは出来ない。

日米安全保障条約は不平等条約で破棄すべき時にきている。世界各国と平和条約を結び日本は米国の傀儡せいけんでないことを

押し進めるべきである。世界からアメリカの丁稚か番頭に,さらには番犬のように見られているようだ。




東京では、2日続けて
初夏を思わせる陽気となった。



天声人語の4月8日より

 東京では、2日続けて初夏を思わせる陽気となった。

咲いたばかりと思っていた桜が、場所によっては散り始めた。

 昨日都心の公園では、時折強く吹き抜ける春風に乗って花びらが高く舞っていた。

周囲の常緑樹の枝を離れた春落ち葉と絡み合う。


それも興趣だが、風よ、せめて2日ほど吹かずにおれないかという思いもした。

 『源氏物語』に、風に散る花を惜しみつつ姫君や女房が歌を詠むくだりがある。

「桜ゆゑ風に心のさわぐかな思ひぐまなき花と見る見る」。

桜ゆえに風が吹くたびごとに心も落ち着かない、思うかいのない桜とは知りながら(『新日本古典文学大系』)。

 桜の花は、過ぎ去った人々の姿や思いを、後世の人々がしのぶよすがでもある。

「手折り来し花の色香はうすくともあはれみたまへ心ばかりは」。

この良寛の歌は、西行法師の墓前で詠まれた。

西行の作「仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば」に応じたという(宮柊二「良寛の人と歌」)。

 〈さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉〉。

桜のタイムカプセルのような作用は、人が自らの生を振り返るのを促す。

1年前や、そのまた1年前のことを桜が思い起こさせる。

以前にはあって、今は無くなったものや人を思う。

あるいは、前には無くて今あるものや人を見やる。

 桜前線は、来週には新潟辺りに達するという。地震では多くのものや人が失われた。

今年の桜は、つらい思いを誘うかもしれない。


しかし、そういう年こそ、律義に花開く桜の姿が、人々の力を呼び起こすようにと念じたい。



桜は日本人によって昔から色んな形で詩歌に読まれ愛でられてきた。桜が一面にパーと咲くと本当に春がやってきた

思いになる。武士道と重ねあわされて桜は好まれてきている。

「花」と言えば桜の事を指す。それほど日本人の心情に訴えるものが桜にある。




「大仙市」と答えられる人は
県外では少ないだろう。



4月9日の天声人語より


 東京都議会よりも多い136人もの議員がいる秋田県の市の名前は?

 話題になった頃ならともかく、今でもすぐに「大仙市」と答えられる人は県外では少ないだろう。

 合併の特例制度を使ってマンモス議会となったことに「税金の無駄遣い」という声が上がったのは当然だが、

新しい市の名前が決まるまでの経過をたどると、途中で消えた公募作に面白いものがあった。

大仙市とは違って、一度聞いたら忘れないような作もある。

 いかにも米どころらしいのが、おこめ市、和米(なごみ)市、あきた旨米(しまい)市。

おばこ市、ドンパン市の民謡調があり、すみよい市、げんき市、みんななかよ市、夢未(ゆめみ)市といった願望型もある。

すっぱそうな夢星(ゆめぼし)市もあった。

冗談半分や、ひやかしの応募も多いのだろうが、人々がその土地に託す思いの一端が表れているようにも見える。

 各地の自治体などのホームページから、選考途中で消えた名前を拾ってみた。

癒(いや)市、うつく市、ねこじゃら市、せせらぎ市、夢野市、自然多(しぜんおお)市、

とまとまつたけ町、愛市、ざわわ市、こころ市、希望市、未来市、幸福市。


 先日、たまたま通り掛かった高校で、入学式をしていた。

道路に面した校門の柱に、新1年生のクラスごとの名簿が張り出してあった。

見るともなしに目をやると、どこかで見た文字が幾つもある。

愛、もうひとり愛、希望、大希、未来富。

 愛と希望で豊かな未来を??。

現実には、手にし続けるのが難しいからこそ、名前にそれを託したい。

街であれ人であれ、門出に込める思いには、通ずるものがある。




何かわけのわからん法律が成立し,やたらとわけのわからん市が増えて来ている。昔からのその土地の呼称には

深い由緒ある名称があるから,無闇に消失させてもらいたくない。

軽薄な世の中の象徴でもある。以前から町村の合併はあったが,こんなに雨後の竹の子のような合併は知らない。

将来に禍根を残してもらいたくない。財政再建が主旨のようだがザルに水を入れようとするが如くに政界官界の天下りのような

禁止法案はできていない。




日本製品に対するボイコットが
中国で激発している。


4月10日の天声人語より

 19世紀末、アイルランドにチャールズ・ボイコットという名の農地管理人がいた。

強権ぶりに小作人たちが反発し、示し合わせて、彼の発する命令はおろか朝夕のあいさつも無視する作戦に出た。

不参加とか不買の抗議行動を意味するボイコットはこれに由来する。

 日本製品に対するボイコットが中国で激発している。

きっかけは教科書検定や国連改革など最近の日本の動きにあるようだが、狙われる側はたまらない。

アサヒビールや味の素などが一部の店で撤去された。

ジャスコやイトーヨーカ堂は窓や広告板を割られた。

昨日、北京では「日本製品排斥」を叫ぶデモ隊が、日本大使館や和食店に押し寄せた。

 不買の標的とされた企業の大半は、中国紙に「歴史を歪曲(わいきょく)する教科書に援助した」と名指しされているが、

これは誤報である。

和食店やスーパーはたまたまデモの沿道にあり、日本の象徴として目についたらしい。

 日貨排斥は明治末期からアジア各地で何度も起きた。

70年代初め、タイでは日本の象徴としてデパートの大丸が狙われた。


米国との貿易摩擦の季節には、日本車がこれ見よがしにたたき壊された。

 その米国もいま息の長いボイコットを浴びる。

イラク政策に憤る不買の波は、中東だけでなく欧州や南米でも静かに続く。

外食ではマクドナルド、飲料ならコカコーラあたりが常に標的となる。


 あのボイコット氏は結局、小作人の抵抗で土地を追われ、不名誉を歴史に刻んだ。

今回の事態も、対応次第ではさらにこじれてしまう。

なにより外交の機敏さ、冷静さが問われる。



鈍感なブッシュと小泉首相には通じないことであろう。やはり謙虚に偉大な為政者はすぐに反省し,反応するものだが、

お金をばら撒いて,権力を利用し自分の力だけで大統領職 首相職をかちとった人には通じないことであろう。

自分が大統領 首相になったのは職権を使い自分自身の力で大統領 首相になったのだから,民衆とは全く関係ないものであると。

その民主主義とやらをば,世界に普及させるのがブッシュの使命であるらしく,そのために世界は混迷し迷惑しているが現実である。

世界一突出した近代兵器,軍事力をもった国の長には誰も歯が立たない。





障害者にもやっと「旅の権利」が
現実のものになりつつあるということか


4月11日の天声人語より


 京都に住む岡村美弥子さんは1日に3千歩しか歩けない。

重さ2キロ以上のものは持ち運びできない。スーツケースなどは、一瞬たりとも持てない。

階段は大の苦手だ。それでも毎年のように1人で海外に出かける。

 股関節の病気で、右足に人工関節を入れたのは40代だった6年前だ。

そのころ旅行会社で添乗員などの仕事をしていた。

旅の仕事はできなくなったが、遊びでは行けるはずだ。そう思って工夫をこらす。

 スーツケースは自宅からタクシーの運転手に運び出してもらう。空港では台車につかまって歩く。

到着地にタラップがありそうなら、リフト車で降ろしてくれるよう頼んでおく。

ホテルの部屋では、開け閉めしやすいようにスーツケースを置いてもらう。

 「かつて障害のある人の海外旅行は冒険だった。

今は、行けるところではなく行きたいところへ、と望む人も多くなった」と言うのはJTMバリアフリー研究所の草薙威一郎さんだ。


空港や駅が使いやすくなり、航空会社や旅行会社の受け入れ態勢もかなり整ってきたという。

 「すべての人には旅をする権利がある」と政府の観光政策審議会が提言したのは10年前だった。

「旅をする自由はとりわけ障害者や高齢者など行動に不自由のある人々にも貴重」と述べていた。

障害の種類や度合いによって違いはあるだろうが、やっと「旅の権利」が現実のものになりつつあるということか。

 岡村さんはこの夏、モンゴルに行こうかどうか迷っている。

「郊外への道が悪いと、人工関節がもたない。その見きわめが欠かせないのです」



全てがボランティアの協力によるものだったらよいのだが,お礼のお金が必要ならば大変だ。

健康人でも旅行資金で旅はしたいが,考え込んでしまうことの方が多い。





洞窟は、奥には危険が
潜んでいることを感じさせつつ、
誘いかけてくる。



4月12日の天声人語より


 「悲しい出来事で洞窟(どうくつ)の存在を大人たちは初めて知った。

もっと早く知っていれば防げたと悔やまれる」。

鹿児島市の洞窟で死亡した生徒4人が通っていた中学校の校長先生が、朝会で述べたという。

 この洞窟が、第二次大戦での壕(ごう)だったとすれば、約60年もの年月が流れている。

そのどこかで、大人の目が届き、惨事の現場にならないような手だてがとれなかったものか。

 4人とも13歳だった。心身ともに急成長する時期だ。

日常から、一歩別の世界へ踏み出したくなる思いは、多くの人に覚えがあるだろう。

洞窟は、奥には危険が潜んでいることを感じさせつつ、誘いかけてくる。

太古の時代の祖先が、そんな場所ですごしていたというような、尾てい骨の記憶を呼び覚ます。

 校長は、こうも述べた。「チャレンジする気持ちは若者らしく、頼もしく感じる。

冒険には危険がつきまとうことを認識した上で臨むことが必要です」

 チャレンジという言葉からは、十数年前のアメリカ映画「スタンド・バイ・ミー」を思い起こした。

12歳の少年たち4人が、小さな冒険の旅へ出る。

夜の闇や恐怖と戦いながら成長してゆく姿が、映画の題名になったベン・E・キングの歌とともに、見る者に強く訴えかけてきた。

「夜の闇が あたりを包み/月明りしか 見えなくても/ぼくは 怖くない……君がそばに いてくれるなら……」


(『スタンド・バイ・ミー メモリアル』)。

 つい先日まで、そばに元気で居た4人が、今は居ない。

朝会での黙祷(もくとう)では、立ち上がれない生徒もいたという。


探検と称して危険な遊びは子供の頃からよくしてきた。幸いにも今も無事で生きている。

大なり小なり誰もが試みた事でもある。

危険な場所の発見始末は大人に責任がある。防空壕は日本中に掘られたからまだまだ何処かに

有ると考える。防空壕をほるような世の中には二度としてはならない。





春の交通安全運動

天声人語の4月13日より


 春の交通安全運動が15日まで行われている。いつものこと、ではある。

しかし、新1年生らしい子らが、ぴよぴよと聞こえてきそうな口ぶりと足取りで道を渡るのを見ると、

特にこの時期は、車の運転は心を引き締めてと思う。

 交通ルールを守らなければ命が危ないと、幼い子に教え続けることは必要だ。

運転する方にも、守らなければ、相手だけでなく自分の人生も危ういと思わせ続ける必要がある。

しかし交通ルールを唱えるだけで万全とは言えない。

 事故を減らすには、事故が起こりにくい道をつくるという考え方もある。

オランダが発祥という、人と車の共存をめざす道路「ボンエルフ」である。

「生活の庭」と訳されるこの道では、たとえば車の速度を抑えるために、

道の途中にハンプ(こぶ)と呼ばれる盛り上がりをつくる。


 このハンプに出合ったのは、オランダではなく、エジプトのカイロ郊外だった。

突然ガクンと車体が持ち上がり、ドンと落ちた。

しばらく行くとまた持ち上がる。

スピードを出させないため、学校の近くなどにこうしたこぶをつくっていると聞いた。

もし高速で乗り上げていたら、衝撃は相当あっただろう。

 日本にも、ハンプのある道ができている。

事故が減った道がある一方で、学校の近くに作られたハンプにつまずいて転んだ人もいるという。

 事故対策には、万能薬は無い。

表通りだけでなく、狭い路地をも疾走するような車に有効な「車外ブレーキ」を考案できないものか。

季節ごとの安全運動ではなく、通年で取り組むべき差し迫った課題だ。




事故を起こさない道は勿論の事,自動車にも改良の余地はある。制限速度指定のところではそれ以上の速度が

出ない自動車を作る事である。今のIT時代では可能だと思う。




周首相は日中国交正常化の
20年近く前に述べた


4月14日の天声人語より


 「大江(だいこう)に歌罷(や)めて 頭(こうべ)を掉(ふ)って東し……」。

後に中国首相となる周恩来が「揚子江に歌うのをやめ、

意を決して東の日本に向かい」と詠んで国を出たのは1917年、19歳の秋だった。

 翌春、東京高等師範学校を受験したが落ちる。

気晴らしにでかけた日比谷公園で、ふたりの小学生の女の子が草花を植えながら遊んでいる姿に接して感動した。

「中国人は口を開けば『東洋(日本)は襤褸(ぼろ)の邦』というが、よく考えれば、日本がどうして襤褸であろう」

(『周恩来 十九歳の東京日記』小学館文庫)。

 故国で聞いた日本と直接触れた日本とは違っていた。

この若い日の「発見」は長く心に残ったのではないか。

 中国で反日デモが広がっている。

投石、飲食店の打ち壊し、暴行などの犯罪を治められないのでは反日の動きと国との関係も疑われる。

今の日本の実像を知った上での暴走とも思えない。


 周首相は日中国交正常化の20年近く前に述べた。

「最近の六十年の歴史では、中日両国の関係はよくありませんでした。

しかし、これは過ぎ去ったことであり、また過ぎ去ったこととしなければなりません……

われわれの子孫に、このような歴史の影響をうけさせてはなりません」(『新編 周恩来語録』秋元書房)。

否定を避け相手を呼び込む。懐の深さと老練な術(すべ)を思わせる。

 そして続けた。「われわれ自身の内部から平和の種子を見出さねばなりません。

その種子はあると思います」。

過熱する中国だけではなく、「われわれ」の一方である日本の側も、特に為政者は改めてかみしめたい言葉だ。




一番仲良くしてゆかないといけない国と何故にギクシャクして反日デモがおきるのか。

靖国神社をしたいような首相をもたないことが,万人が考えても正解だと思う。

当然中国の人たちが怒っても当然である。日本と中国とが一緒になり反日デモしても良い気持である。

訳の判らん首相をもったものだ。破戒とか危害はデモはしてもよいがあってはならない。





日本の国籍を求めて
訴える人が続いている




4月15日の天声人語より


 ??何人も、国籍を離脱する自由を侵されない。

この憲法22条に着目したのが、井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」だった。

農業問題に不満を持った東北の寒村が、日本国憲法をそっくりもらい日本から分離独立してしまおうという話だ。

 現実の世界では、国籍の離脱には相当の覚悟や準備が要るだろう。

一方で、国際化を反映して、日本の国籍を求めて訴える人が続いている。

 両親が法律上の結婚をしているかどうかで子どもの国籍取得を区別する国籍法の規定は

違憲とする判決を、東京地裁が出した。

法の下の平等を定めた14条に違反する、と。

 訴えた男児は7歳、母はフィリピン人、父が日本人だ。

「3人は、完全同居ではないものの内縁関係にあり、家族としての共同生活と評価できる」とした。

「価値観が多様化している今、『父母が婚姻関係にある家族こそが正常で、

内縁関係は正常ではない』などと言うことはできない」とも指摘した。

国籍認定の幅を広げる判決だ。

 国籍法は84年に改定された。それまでは条件の一つは「父が日本国民」だった。

「父または母が」となって20年ほどにしかならない。日本の社会と時代とを映す鏡のような法律だ。


 「私たちは国籍を、日本人でないことも、選べる。逆に言うと……日本人であることを選び直さなきゃだめなんですね」。

井上さんが以前、「吉里吉里人」に込めた思いを本紙に語っていた。

多くの日本人にとっては、生まれて以来の国籍は、空気のような存在だが、

選び直すと考えれば、その重さが少しは実感できる。




この世に空気があるこのように日本人であることは当然とかんがえているが,そうでない人が大勢いるようだ。

国が続く限りに争いが絶えないと考える。




アインシュタインが導いたE=mc2だ。

4月16日の天声人語より


 19世紀フランスの詩人ロートレアモンの「マルドロールの歌」に、印象的な一句がある。

「解剖台の上でミシンとこうもり傘が出会ったように美しい」。

異種のものの思いがけない出会いで、あやしいまでの詩情が生まれる。

 芸術の世界ではないのに詩情を感じさせる方程式がある。

アインシュタアインシュタインが導いたE=mc2だ。インが導いたE=mc2だ。

E(エネルギー)はm(質量)×c(光速)の2乗に等しい。エネルギーという燃えさかる炎のような力と、

物と光とが、簡明な式で出会っている。

 「質量もエネルギーも、同じものが異なる形であらわれたものです……とても小さな質量が、

とても大きな量のエネルギーに変換されるかもしれないことを示しています」(『アインシュタインは語る』大月書店)。

この方程式につながる特殊相対性理論の発表から100年がたった。

 アインシュタインは、1922年、大正11年に日本を訪れ、1カ月余滞在した。

「相対性博士」は各地で講演し、大歓迎を受けた。帰国に際し、朝日新聞に謝辞と希望を寄せた。

 「特に感じた点は、地球上にも、まだ日本国民の如く……謙譲にして且つ実篤の国民が存在してゐることを自覚した点である」


山水草木は美しく、日本家屋も自然に叶(かな)い独特の価値があるので、日本国民が欧州感染をしないようにと希望した。

 その日本国民と山河とを、後に原爆が襲う。ナチスが先行するのを恐れて、

原爆の開発を米大統領に進言する手紙に署名したことを悔い、戦後、平和を訴え続けた。

そして50年前の4月18日、76歳で他界した。



天災の代名詞のような人物アインシュタインが導いたE=mc2の意味は理解できない。学生の頃は公式は暗記したものだ。

アインシュタインは原爆の開発を米大統領に進言する手紙に署名したことを悔い、戦後、平和を訴え続けた。

原爆の発明が人類破滅の一歩であることをだれもが,感じていない。

だが人間は自分で自分の首を締める馬鹿げた動物でもある。




今月、朝のラッシュ時に
女性専用車両を設けた。


4月17日の天声人語より


 ベストセラー小説「電車男」の主な舞台は、東京近辺の通勤電車である。

主人公が思いを寄せる女性は、夜の車内で酔漢にからまれ、朝は朝で痴漢に遭う。

 痴漢の多さで知られるJR埼京線が今月、朝のラッシュ時に女性専用車両を設けた。

10両編成の1両目が男子禁制とされた。

すぐ隣の一般車両から観察すると、女性車両はゆったりと空いて見える。

女性たちは心おきなく携帯メールを楽しみ、気がねなく座席で化粧をする。

ぎゅうぎゅう詰めの男性客は、ねたましそうだ。

 女性車両には1世紀近い歴史がある。

都心を走る「婦人専用車」が中央線に登場したのは明治の末。

朝夕の混雑にまぎれて女子学生に恋文を手渡す行為が問題とされた。

男子学生を遠ざけ、痴漢を寄せつけない策だった。

終戦直後の「婦人子供専用車」は、殺人的な混雑から女性を守るのが狙い。

当時は列車に冷房などなく、今とは比較にならない込み方だった。

 昭和40年代にシルバーシートがお目見えして、女性車両は姿を消す。

復活したのは5年前、痴漢の被害が増えたためだ。

 女性車両の導入が進んだ関西では、各線で被害が減った。

首都圏でも連休明けの5月9日から、主な私鉄や地下鉄が朝の女性車両を始める予定だ。

 導入済みの路線ではどこも、男性から不満が出る。

混雑する」「不平等だ」。兵庫県の神戸電鉄は昨春、男性からの苦情に応えて、導入2カ月で女性車両の運行を減らした。

男女隔離のほかに解決策はないものか。


埼京線の込んだ車内で思いをめぐらせたが、妙案は浮かばなかった。


女性専用列車があるならば男性専用列車 老人専用列車があってもよいものである。




米軍は、イラクでの治安対策に、
地上を走行する無人兵器を投入する計画



4月18日の天声人語より


 ロボットが物陰に隠れている人間を見つけ出し、狙いを定めて銃を撃つ。

SF映画のような現実が、戦場の日常風景になりそうだ。

米軍は、イラクでの治安対策に、地上を走行する無人兵器を投入する計画を進めている。

 ゴーカートくらいの大きさの胴体に、暗視装置付きのズームレンズを積み、機銃を装備する。

荒れ地を乗り越え、鉄条網も突破する。こんなものに追っかけられたら、たまらない。


 ロボットには食料も訓練も必要ない。

攻撃されても、機械がこわれるだけだ。

ラク戦争の泥沼化で犠牲者が止まらず、採用兵員が募集目標を下回り続けている米軍にとっては、兵士の代用にもなる。

 愛知万博では、トランペットを吹くロボットが人気者だ。

今や、お掃除ロボットも現れた。そんなニュースの中で、戦闘用ロボットの話は気持ちを暗くさせる。

 「ロボットは人をきずつけたり、殺したりできない」。漫画家の故手塚治虫さんが、

半世紀前に「鉄腕アトム」の中で定めたロボット法第13条である。

SF作家の故アイザック・アシモフ氏も同じ頃、

ロボット工学三原則のひとつに「ロボットは人間に危害を加えてはならない」をあげた。

 ところが、現実の人間は、科学の力でとんでもないロボットをつくり出してしまった。

戦闘用ロボットは、人間が遠く離れた所から操作するが、戦闘員と一般民衆との識別がちゃんとできるのだろうか。

巻き添えになるイラク市民がさらに増えるのではないか。

自国兵士の死傷者数のみに神経をとがらす今の戦争を象徴する兵器の登場である。



戦闘用ロボットが必要なほどにイラクのアメリカ軍の焦りを感ずる。何の為の戦いかがわかっていないことに原因があり

それで犠牲者の数が増える。産業興隆 育成には大変良いが馬鹿げたことにお金をつぎ込んでいるとしか思えてこない。

そのうちロボットが小型されてサリンでもまくような事になれば己の首をしめていることにもなる。

偉大なる科学先進大国アメリカの考えるような事である。





「愛国無罪」


4月19日の天声人語 より


 万里の長城の東の起点・山海関は、北京の東約300キロの渤海沿いにある。

地勢の険しい古来の兵争の地で、「天下一の関所」とも言われた。

 第二次大戦後50年にあたる95年の終戦の日の直前、江沢民主席は、山海関近くの滞在地・北戴河で、本社と会見した。

青年を対象に進めている愛国主義教育については、こう述べた。

「歴史を正しく認識し、忘れないように教育することにあり、両国に不和をもたらす意図は全くない」

 それから10年後の今、中国から声高に届く、愛国主義の行動に罪はないという「愛国無罪」には、

両国の不和にまでつながりかねない危うさを感じる。


そしてもう一つ、デモ隊が日本を見下して言う「小日本」については、

山海関から海を望んだ時の思いがよみがえってきた。

 山海関は、西から延々と続いてきた万里の長城が、ついに海に入る地点だ。

その海のはるかかなたには、見えはしないが日本列島がある。

ユーラシアという世界最大の幅を持って横たわる陸地から望むと、地理地形の上からは、

列島は大海に浮かぶ細いひもか縄のようにも思われる。


 中国の長い歴史と文化を誇る人たちが、日本に対して、ある種の優越感を覚えたことは、想像に難くない。

その日本に侵略され支配されたという屈辱と、負わされた傷とは、

半世紀ぐらいで癒えたり消えたりするものではないとも思われた。

 街頭での「小日本」の裏には、屈折した大国意識と群集心理が感じられる。

群衆から、例えばひとりの青年に戻った時にも、声高に「小日本」と言うのだろうか。




「愛国」の言葉には危険が潜んでいる。「愛国無罪」は以前に革命無罪の言葉が中国で流行ったことがあるらしい。

デモはよいが破戒・危害は決してあってはならない。中国のような大国で共産党以外存在しないのは

おかしい。13億人もいて色んな考えを持つ人たちがいるかで一党だけ意見の代表はでは不自然である。

これも又歴史は繰り返すである。





ライブドアとフジテレビという
現代のメディア同士の攻防



4月20日の天声人語より


 見出しに大きく「和解」と刷られた新聞各紙を見ていて、諺(ことわざ)を題材にしたブリューゲルの絵が思い浮かんだ。

ライブドアとフジテレビという現代のメディア同士の攻防が、

16世紀の欧州の画家が描いた寓意(ぐうい)の世界と、なぜか通い合う。

 「大きな魚は小さな魚を食う」という絵は、大魚の腹にのみ込まれた中ぐらいの魚が、

さらに小さな魚をのみ込んでいるさまを描いている。

力の強い者が弱者を支配するという諺で、日本ならば弱肉強食か。

攻防の始まりは、この諺の逆で、小さな魚が大きな魚をのみ込むのか、という緊迫感があった。

 ブリューゲルの大作「ネーデルラントの諺」には、数多くの諺を表す人や動物や風俗が画面いっぱいにひしめいている。

「一本の骨に犬二匹」は、ふたりの人間が地位や財産で争うたとえだ(『ブリューゲルの諺の世界』白凰社)。

 「仔牛が溺れてから穴をふさぐ」は、事件が起きてから対策を立てる。

「歯まで武装」は完全武装、「燃える炭火の上に座る」は、落ち着かないさまだ。

司法の場で負け続けたフジ、ニッポン放送側の対応ぶりを思わせる。

 「親指の上で世界を回す」は、何もかも意のままに支配する人、「うまく世渡りしたいのなら、

身をかがめねばならぬ」は、出世のために狡猾(こうかつ)な手段を使う。


株の「時間外取引」が狡猾かどうかの見方は分かれるだろうが、この一撃は、世の経営者や株主をぎくりとさせた。

 両者「痛み分け」の和解だという。

一方で、巨額の利益を得た米証券もある。巨利を腹に収めた大きな魚は、もう遠くを泳いでいる。




ライブドアとフジテレビという現代のメディア同士の攻防は資本主義のカラクリ 恥部を見た感じで新聞テレビに見入っていた。

欧米 特にアメリカで発達した株売買のカラクリによる儲けの最たる面を見た感じである。

巨利を得たのは米証券会社で汗をかかずしての暴利である。成熟した資本形態になっていってほしいし,ライブドアのような

行為を取り締まる法律がで゛きても良い。




ローマ法王に、ドイツ人のラツィンガー枢機卿が選ばれた。


4月21日の天声人語より


 領土は、東京の上野公園よりも少し小さい。以前、この世界最小の国・バチカンの内側に行ったことがある。

 小さいながら駅があり、銀行、マーケットにテニスコートもあった。

電話交換の修道女には約10カ国語を聞き分ける人がおり、放送は35カ国語で流していた。

国家の小さな模型のような現場は見られたが、法王庁の中心部分には近づけなかった。

 約11億人に及ぶカトリック教徒の頂点に立つローマ法王に、ドイツ人のラツィンガー枢機卿が選ばれた。

ナチスの青少年組織ヒトラー・ユーゲントに義務的に入っていたことがあり、

第二次大戦の終戦時には米軍の捕虜だったという。

 新法王に決まる前「入りたくはなかったが、当時は仕方がなかった」と述べた。

この経歴に抵抗を覚える人は少なくないだろう。

しかし新法王に今問われるのは、若い日にナチズムの波をかぶった点ではない。

自らの負の体験をもとに、21世紀の世界に何ができるかではないか。

 新法王はベネディクト16世となった。6世紀の聖人ベネディクトゥスは、欧州の修道院の根幹をなす規範を作った。

を慕って多くの弟子が集まったが、嫉妬(しっと)され、命をねらわれた。

毒入りの飲み物を勧められた時、祈りをささげることで無害なものにしたとの伝説もある(『聖者の事典』)。


 前法王のヨハネ・パウロ2世は、故国ポーランドでナチスによる占領を体験し、抵抗しながら宗教家への思いを培った。

それとは対極の側で青年期を過ごした人が、すぐ後をつぐ。


終戦から60年という時の移ろいを感じさせられた。



新法王としてドイツ人で,前法王ポーランド人と立場が第二次大戦中は敵対関係の中から選ばれている。

バチカンの中でもリベラルと保守があるようで,今回の法王ベネディクト16世は保守派らしい。

世界に影響が大きいだけに平和 戦争反対に貢献してほしいことを願う。

宗教には国境が無い。全世界の宗教人が平和への努力を願いたいものす。




高層マンションの27階から、
植木鉢を載せる籐(とう)製の
台二つが降ってきた


4月22日の天声人語より



 半世紀ほど前の街の情景だから、失われて久しいのかもしれない。

しかし、まだどこかに残っていそうな気もするのが、三好達治が書いた子供の声の話である。

 「毎朝向いの家で元気な子供の声がきこえる。

食事がすむと『いって参りまあす』というのが聞える」。

昼になれば「ただいまあ」が、手にとるように聞こえる。


露地一つを隔てて隣接しているからで、親しいつきあいはなくとも様子が分かる。

宏壮な邸宅に居ては、この風味は味わえない。

「私には大厦(たいか)高楼に住まいたい希望はない」(『月の十日』講談社文芸文庫)。

 現代風の大厦高楼とも言える高層マンションの27階から、

植木鉢を載せる籐(とう)製の台二つが降ってきたという。


大阪府警は、高さ77メートルの自宅のベランダから投げ落としたとの殺人未遂の疑いで、

大阪市内の78歳の住人を逮捕、送検した。

 「ベランダの掃除をしていたら台につまずき、腹が立ったので投げた」と供述したというが、

一つは自転車に乗っていた女性の前髪をかすめた。


落ちた台はひびが入って変形していた。こんな「命拾い」はたまらない。

 塔のような高層の建物に上って感じるのは「近景の欠如」だ。

地上のものは、遠景になってしまう。

樹木は見えても枝は見えない。人は見えても顔は見えないし、声も届かない。

 こうした地上からの隔絶感をむしろ楽しみ、地面の近くでは得難い見晴らしを味わう人も多いのだろう。

高さは、日本の暮らしに新しい形をもたらしたが、ありふれた物を、いつでも一瞬のうちに凶器に変える力をも備えている。



高層マンションの27階高さ77メートルのベランダから物を投げれば下に人がどうなるか位は感じてほしい。

78歳の婦人が殺人未遂行為とみなされても当然のことである。

都会の闇の魔の出来事である。





ジャワ島のバンドンは、
さわやかな風が吹き渡る高原の街

バンドン会議




4月23日の天声人語より


 「50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、我が国は平和国家として、

国家発展に努める決意を表明しました」。


今も、その志にいささかの揺るぎもないと、小泉首相はジャカルタで演説した。

 50年前のバンドン会議の日本代表は、首相ではなく、高碕達之助・経済審議庁長官だった。

その演説を本紙はこう伝えている。「わが日本が国際紛争解決の手段としての戦争を放棄し、

武力による脅しを行わざる平和民主国家であることを、この機会に再び厳粛に宣言する」。


大戦後の講和会議から4年、アジア諸国とまみえる場で、新憲法の精神が強調された。

 ジャワ島のバンドンは、さわやかな風が吹き渡る高原の街だという。

かつて支配していたオランダ人は「ジャワのパリ」とも呼んだ。

しかし過酷な植民の歴史は、この街を「火の海」にしたこともあった。

 独立宣 言後の1946年、再植民地化をたくらむオランダの攻撃に遭い、

インドネシア共和国軍はバンドン市の南部に火を放って山岳地帯に逃げた。

人々の愛唱歌「ハロ・ハロ・バンドン」は、バンドンを奪い返す誓いの歌だという(『インドネシアの事典』)。

 支配され侵略された側では、その思いは世代を超えて伝わってゆく。

相手国の過去を許したとしても、忘れはしまい。相手が忘れることは、許し難いだろう。

 小泉首相は昨日、日本のアジア諸国に対する植民地支配と侵略について「痛切な反省とおわび」を表明した。

「決して忘れてはいない」と伝わったのかどうか。


耳を澄まして、答えを待ちたい。


アジア諸国に対する植民地支配と侵略について「痛切な反省とおわび」を表明した。決して忘れてはいない」と小泉首相は

言っているが,またもや靖国神社参拝するようだったらことばだけのお詫びであるに過ぎない。

あの人は始め変人といわれていたから,多分変なことしでかすと思う。

変人にまともな事を期待するのが変であり,間違っている。最右翼の安部さんが首相になるよりましかもしれない。

安部晋三がなればアメリカ追随がさらに顕著になって戦争への道をまっしぐらに進むと考える。






 ABO式の血液型で
性格を四つに分けてしまう
血液型診断も、献血意欲は少しも
上向かないそうだ。


4月24日の天声人語より


 1年近くテレビ界をにぎわせた血液型番組のブームがひとまず去った。

「最強血液型大実験」「血液型まるごと3時間」。そんな番組をこの春はほとんど見かけない。

 ABO式の血液型で性格を四つに分けてしまう血液型診断は、戦前から繰り返し批判されてきた。

科学的根拠がないとか、偏見を助長するなどと退けられても、しばらくすると息を吹き返す。

 「紫式部はきっとA型、徳川家康はO型か」と推理を楽しむ分には害もあまりない。

だが今回は、どういうわけかB型が集中的にからかわれた。

芸能人や幼稚園児を実験台に、B型のふるまいや対人関係をあげつらうような番組が目についた。

 「血液型で人の優劣を決めつけないで」「信じ込んだ子供が血液型でけんかする」。

視聴者の声を受け付ける放送倫理・番組向上機構には昨春から今年2月までに、苦情が200件も寄せられた。

娯楽番組のつもりで見て、不快に感じた人が少なくなかったらしい。

 最近では韓国でも人気のようだが、日本ほど血液型が話題にのぼる国も珍しい。

それなのに献血に寄せる関心は下がっている。

いま年間の献血者は全国で560万人ほど。20年前の7割にも満たない。

 四季を通じて最も献血者が少ないのは春先という。

進学や異動で気ぜわしいからか。

おまけに今年は花粉症で人々の足が遠のき、来月にはヤコブ病対策の献血制限も本格化する。

この春、日本は全体に貧血気味である。


日本赤十字社によると、血液型占いがテレビでどんなに盛り上がっても、献血意欲は少しも上向かないそうだ。




血液型占いが本当に信じている人がいればまともな人ではない。世界の人たちが4種類の性格に分類できれば

こんな便利な事がないし,困ることもない。医学的な根拠は全く無い話である。

献血は医学にとって素晴らしいことで医学に貢献すること絶大である。






4月だけで、合併による首長選は
約80カ所を数え
る。
地縁や利権に根ざす連呼型選挙は
通じにくくなる


4月25日の天声人語より


 きのう1日で36人の新しい市長が生まれた。うち29人は市町村合併に伴うものだ。

4月だけで、合併による首長選は約80カ所を数える。

国じゅうの行政区画が、日に日に書き換えられている。

 ミニ統一地方選ともいえる選挙ラッシュは、政府の財政支援をあてにした「駆け込み合併」の多さを物語る。

優遇措置が手厚いうちに、もらえる金はもらっておこう。そんな心理も働いている。

 3町村と一緒になって10万人を超えた市の市長選で、自民党の衆院議員が公共事業をいっぱいやると叫んでいた。

聴衆も「4年制の大学を誘致しろ」なんて声援していた。


まるで合併さえすれば、お金がわき出るかのようだった。だが、そんな見込みはどこにもない。

 合併で確実なのは、選挙のあり方が変わっていくことだ。

自民党の森喜朗前首相は先日の派閥総会で言った。

「これまでの町長や議員さんのような後援会のまとめ方は、大きな市の市長には不可能だ」。

その結果、地縁や利権に根ざす連呼型選挙は通じにくくなる。


 この変化を加速させようと、前三重県知事の北川正恭氏らが、自治体選挙へのマニフェストの導入を呼びかけている。

数値目標や達成期限を入れた公約で、住民と直接契約しよう、と。

投票する人々も政策の優先順位や採否の判断を迫られる。

選ばれる側と選ぶ側に「双方向の責任」が生まれる。

 もはや「お任せ民主主義」ではいられない。

こんなふうに住民の意識が変化したとき、初めてその合併は成功といえるだろう。


たとえ、お金が目当ての駆け込み合併だったとしても。




市町村合併に伴う自治体選挙へのマニフェストの導入は是非してほしいものである。地縁。血縁選挙への決別であり

真の民主主義への未知だが,金権選挙 利益誘導型選挙への決別にはならない。

世界では金権選挙 利益誘導型選挙が謳歌しているように思える



R宝塚線(福知山線)での脱線事故は
最近の鉄道事故では見られなかったような、
すさまじいものとなった


4月26日の天声人語 より


 踏切での衝突事故でもなければ、電車同士の衝突でもない。

それなのに、これほどまでに多くの犠牲者が出てしまったのはなぜなのか。

兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)での脱線事故の現場は、

最近の鉄道事故では見られなかったような、すさまじいものとなった。


 マンションに衝突した車両の車体は、まるでブリキのようにくねって、ぺしゃんこになった。

現場近くの線路では、車輪が石を踏みつぶしたような跡がみつかったという。

原因究明を迅速に進めてもらいたい。

 電車がいつもより速いスピードで走っていたという乗客の話もある。

手前の駅で行き過ぎて戻ったために遅れが出て、取り戻そうと急いでいたとの推測もある。

宝塚線は、尼崎駅で他の線と接続しており、わずかなダイヤの乱れが乗り入れ先の路線にも影響を及ぼす。

乗務員は遅れを出さずに運行することを会社から求められていたという。


 ここで思い起こすのは、整備ミスや運航規定違反が続いた日本航空が、国に提出した回答書のことだ。

一連のトラブルの背景の一つとして「定時発着を優先し、大前提である安全がおろそかだった」と述べている。

 公共の交通機関にとっては、「定時」は信用の要だ。

しょっちゅう遅れていたのでは利用者から厳しく問われる。

しかし、肝心の安全の方が失速してしまったら、取り返しがつかない。

 全国の交通機関は、安全がおろそかになっていないかどうか、再点検してほしい。

どんなに遅れが大きくなろうと、永遠に着かないという悲惨さとは、比べようもない。




これは全くの人災である。利益優先 効率優先 能率優先 過酷な労働条件により引き起こされたと考える。

競争社会が行き着く姿で,小泉首相は直視してほしい出来事である。民営化民営化と馬鹿の一つ憶えのように

到達した結果がこれである。バランスのとれた政治を望みたい。政治の始末がこの結果を生んでいる。

生命第一の為には安全ゆとりが必要であることを教えている。

 森鴎外の小説「青年」の主人公「純一」は

4月27日の天声人語より

 森鴎外の小説「青年」の主人公は、地方から上京してきた作家志望の青年である。

その青年が、明治という「青年期」の日本で、思索や体験を積んでゆく。

 こんなやりとりがある。「一々のことばを秤(はかり)の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、

われわれ青年の特権だね」「なぜ人間は年を取るに従って偽善に陥ってしまうでしょう」(『岩波文庫』)。

主人公の名は、小泉純一である。

 小泉純一郎・内閣が発足してから、きのうで満4年となった。

戦後の内閣では、長い方に入るという。還暦も過ぎている首相を「青年」呼ばわりするつもりはないのだが、

「言葉を秤の皿に載せずに言いたいことを言う」ような様子が、名前だけではなく、「青年」の一節と重なって見える。

 「ひとこと政治」などと指摘されて久しい。

言葉の意味をかみ砕いたり、説明に腐心したりするよりは、言いたいことだけ言い切ってしまうやり方に批判が募っていった。

しかし、老練な政治家にまとわりついているいんぎんな尊大さや老獪(ろうかい)さは、あまり感じさせない。

「ひとこと」に批判が大きくても支持率が高かったのは、こんな「若さ」が関係しているようにも思われる。

 その支持率だが、発足当時の8割から半分ぐらいになった。

確かに「ひとこと」では決着しそうもない課題が、国の内外に山積している。

 青年・純一は、日記に記した。

「現在は過去と未来の間に画した一線である」。その一線が、この国と世界の未来にとって重みを増す中で、

純一郎内閣は5年目を迎えた。



純一郎内閣はいろんなことをした。功罪半ばで結局はゼロではないか。今後の政治の行方を見れば

結果は自然と判明してくる。景気の悪さには今も国民はあえいで貧富の差を広げた。

「辛抱」「我慢」の言葉はもう通用しない。「米百表」の話もあやしい。口だけで色んな変化をしただけの事ではないか。

中味は何も変っていない。会社合併合併で裕福な人は益々裕福になっただけではないのだろうか。




JR宝塚線(福知山線)で脱線した
快速電車の速度は


4月28日の天声人語より


 ジャンボジェット機で空港に着陸するとする。高度がぐんと下がり、やがて車輪が滑走路に達する。

その瞬間の時速は二百数十キロだという。

着陸直後は、窓の外の景色は激しく後ろに飛ぶ。

そして、その景色の動きは、自動車の窓から見るのと同じくらいに落ち着いてゆく。

 着陸時の速度は、まだ地上のものとは言えない。900キロ前後で空を飛んでいた時の名残をとどめている。

そこから大きく減速して100キロ以下になり、やがて車並みに近づいた時、天上の速度から地上の速度に戻ったと感じる。

 JR宝塚線(福知山線)で脱線した快速電車の速度は、線路を飛び出す直前には100キロを超えていたという。

着陸後に滑走する飛行機が、地上の速度に戻る前にコンクリートの建物に衝突したような衝撃だったのだろう。

 カーブにさしかかるのに、なぜ高速で走っていたのか、あるいは速度が落とせなかったのか。

他にも脱線に結びつく要因があったのだろうか。

原因はまだ分からないが、速度の問題に限れば、この電車は遅れを取り戻そうとしていたようだ。

 手前の駅で40メートル行き過ぎたが、報告は8メートルとすることにしたと車掌が供述しているという。

それが事実ならば、40メートルの後戻りでできた分の遅れを圧縮し、

報告の8メートルに合わせようとして急いだとの状況も考えられる。

 まる2日たっても、先頭車両の一部には救助の手が及ばなかった。

地上の事故なのに、現場は飛行機の墜落すら思わせる

使い慣れた安全なはずの乗り物が、一瞬のうちに多くの命を奪った。

何とも痛ましい。




結果だけみれば運転手の大きなミスだが,そのミスを引き起こした誘因は複雑である。会社の経営方針,さらには政治の

歪にも遡ることのできる出来事である。災害救助に自衛隊の即座の発動がなぜなかったのか。

災害待機部隊をつくってもよいのではないか。はるばるとイラクまても行かずに日本で活躍して欲しかった。

事故現場の近くの会社の人たちが勤務を中止してでも人命救助に関わられた事は悲惨な災害の中にあって

人の善意を感ずるホッとしたものを見た思いである。




 「エルベの誓い」から60年を記念する式が、
25日に米アーリントン国立墓地であった。

4月29日の天声人語より


 第二次大戦が終わりに近づく60年前の4月は、その後の世界のありようを左右するような節目となった。

米国のルーズベルト大統領が12日に急死してトルーマンが後を継いだ。

湘南の鎌倉に住む作家・大佛次郎は13日、「ルーズベルトのともらい合戦のつもりにや夜半大襲す」と記した(『大佛次郎敗戦日記』草思社)。

 ドイツを追いつめる米軍とソ連軍がエルベ川で出会う「エルベの誓い」は25日だった。

その日の日記にはこうある。「伯林(ベルリン)は両断されたと報道せられる……残った興味はヒットラーがどうなるかである」

 28日、イタリアのムソリーニが処刑される。

その数日前、ヒトラーはこの盟友あてに打電したという。

「生存か滅亡かの戦いは、頂点に達した……いかに戦いが苛酷であろうとも、

あえて死を恐れぬドイツ国民と同様の決意を持つ同盟国民は、事態の打開のために邁進するであろう」

(児島襄『第二次世界大戦』小学館)。

 もう一つの同盟国日本では、1日に米軍が沖縄本島に上陸し地上戦が続いていた。

小磯国昭内閣が総辞職して、鈴木貫太郎内閣となる。

 「ムッソリニが殺害せられミラノの広場にさらされし由。新聞には遠慮して出してないが逆吊りにしてモッブの陵辱にまかせたそうである。

伯林も殆ど陥落。ヒトラーも死んだらしい」。日記の日付は5月1日、ヒトラーの自殺の翌日だった。

 「エルベの誓い」から60年を記念する式が、25日に米アーリントン国立墓地であった。

あのソ連は今はなく、九つの国の代表が献花したという。


戦争とはむごいものであることを知り尽くしても,あくことなく戦争は有史以来続いている。平和と戦争が繰り返して歴史が

なる。常に勝利者に正義がつき,偉人が出現する。一方負けた方では活躍した人は大悪人になる。

常に庶民は被害を受ける立場で,最大の犠牲者は巻き込まれた一般庶民である。

そして歴史は繰り返され,人間は同じ過ちを何度も繰り返している。




最近の言葉から。


4月30日の天声人語より


 最近の言葉から。「こんばんは。今月もこの時間がやってまいりました」。

約2千人を収容する福岡刑務所では月に1回、所内放送でリクエスト番組「明日への扉」を流す。

ある受刑者の要望は、かぐや姫の「妹」。「妹が手紙で『兄ちゃん、出所したらカラオケで歌って』という。

娑婆(しゃば)では疎遠なのに、ここでは家族や兄妹のきずなを強く感じる」

 死刑確定から33年、三重「名張毒ブドウ酒事件」で高裁が奥西勝死刑囚の再審請求を認めた。

「悲願でした……私の父や母は、私の無実を信じて亡くなった……新たに生命力をいただいた気持ちです」

 「買収ドラマ」とも言われたニッポン放送の株を巡る攻防が「和解」。

「想定範囲内のいい方だった」と堀江ライブドア社長。

「内心、忸怩(じくじ)たる思い」は日枝フジテレビ会長。


 橋本NHK会長が理事の総入れ替えを決めた。

「今の状況は『泥まみれ』という感じ。こういうところを抜け出たい」

 古田敦也選手が2千本安打を達成した。

「もうダメと思ったこともありました。

でも、ここで終わったらおもしろくないとやってきた」


8月で40歳。「いつまでやれるか、楽しみ」「もう一度、優勝したい」

 太平洋戦争中、敵国として戦った日本と英国、オランダの潜水艦乗組員の遺族らが、長崎の佐世保に集った。

潜水艦戦没者の慰霊碑の横に桜を植えた。

呼びかけた鶴亀彰さんが語る。

「許し合えるのは60年の歳月ゆえかもしれない。

でも、親同士が殺し合った我々が一緒に桜を植えることで、争うことの無意味さを伝えられれば」



親同士が殺し合った我々が一緒に桜を植えることで、争うことの無意味さを伝えられればと同じ事は二度と繰り返して

ほしくない。誰もが願っている事だが,なんとなく戦争は繰り返されている。

戦争放棄した日本が世界に手本を見せたいが,その日本の雲ゆきが今怪しい気配である。

戦争が好きな首相はやめさせることだ。今アメリカに追随することに熱心な人が一番危ない。



JR宝塚線(福知山線)の脱線事故が示唆すること

この所連日のようにJR福知山線でのマスコミで報道されている。列車が遅れをだして運転手が制限速度70kmのカーブを108kmで

走行して脱線転覆しマンションにぶつかり一両目とニ両目が大破し,特にニ両目に犠牲者が多く出ている。通勤通学の時間帯で

サラーリーマンとか学生に死傷者が多く,死者107名負傷者は540名余で稀にみる大惨事が発生している。

事故は自動車による比ではない。カーブが急なところへ急ブレーキをかけて一方に傾き脱線,マンションにぶつかり大破している。

速度を上げたのはオーバーランしての遅れを取り返す為に速度を上げたらしい。

JRは分刻みで列車が発着して,私鉄とのお客獲得競争で乗務員が競争を強いられ,無理した結果によるものらしい。

オーバーランしたり遅れたりすると再学習と称するとかの体罰があって,草むしりなどの強制労働が行われている。

過酷である。競争を勝つために・効率化のために人命が疎かになっている。民営化し,競争させ各自が効率化を目指せば全て良しとは

いえないことを暴露している。病院 大学なとが独立法人化し効率を上げ,経費を安くしようとする試みが始まりかけている。

その答えに近いものがJR福知山線脱線事故で示している。効率化と人命尊重は相反するところが大いにあるということである。

効率を良くすれば人命軽視になり勝ちに,人命尊重すれば効率は低下する。効率をよくするには人員を削減するか

一人の人に過重労働を強制することになりかねない。今小泉首相のすすめている民営化路線,効率化重視政策は必ず将来大きな

しっぺ返しをうけることは間違いないでしょう。首相は経営方針がまずいかのごとく考え「人命を尊重して運営して欲しい」と

他人事のように話しているが,そのおお元は貴方が作った結果によるものであり尊い命107名の犠牲者にわびてもわびきれないことを

是非知って欲しいものである。効率化,実用化と人命尊重とは相反することであることをよく知り,味わっててほしいものて゜す。

8億円もする公邸で静かにクラシックを静かに聞いていれば,身も心もリラックスすることでありましょう。

そして丸投げ,指示さえ出しておけば各閣僚がそれなりのことをしてくれるから気楽なものです。

自衛隊員は最高司令官である首相の命令で危険なイラクに派遣されていることも心しておいてほしいものです。



昔からの宗教と現在

行基菩薩を調べ,弘法大師を調べてみると。当時でも一応の宗教,特に仏教は完成したと思われるくらい国の宗教として成立したかに

思える。その後鎌倉仏教が起こり,法然 親鸞 栄西 道元 日蓮などの各宗の教祖が出 平安仏教の空海の真言宗 

最澄の天台宗を加えて大体の仏教は出揃った感じである。

キリスト教は安土桃山時代にスペイン・ポルトガルのフランスコ・ザビエルが日本にキリスト教を布教したが,

秀吉が禁止して,その後徳川幕府もそれを踏襲した。本格的にキリスト教が入ってきたのは明治以後になってからのことである。

布教を禁止されても,隠れキリスタンとして徳川時代も信仰を持ちつづけられた人たちがいることを紹介されている。

空海が「三教指帰」でもって仏教 儒教 道教の比較して仏教がすぐれていることを説いているが,徳川時代に儒教の朱子学が

幕府iによって採用され,儒教が盛んだが,それは徳川幕府の政権維持のために儒学の中の朱子学をすすめている。

それに加え日本古来からの神々を信仰する神道がある。伊勢神宮とか稲荷信仰など,他に土着の氏神さんが各地で祭られている。

そして第二次大戦中は特に神道が盛んだった。戦後の困窮・混乱の時代にはさらに色んな宗教が台頭してきており,現在はそれらが百花争乱のごとく

いろんな宗教がいりまじり,庶民の間で信仰されつづけている。カクテルのごとく色んな宗教の一部をとりいれたり,最近では新聞を賑わしている,

教祖が自分のいうことを聞かないと地獄に落ちると脅かして,信者の少女に暴行したり,自分が日本を征服することを意図して

サリンをまいたりする宗教が出るありさまである。宗教とは自分の生き方を示す指針を教えてくれる大切ものなので,

じっくりと宗教を吟味をすることは大切な事がらである。

戻る
                                    3月分      4月分    5月分