ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


随想 

平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 

平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成12年1月  2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 

平成13年1月 2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分10月分11月分 12月分 

平成14年1月分  
2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分  6月分  7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成17年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分



 



五月になって


暑くもなく寒くもない良い季節になった。五月晴れの日が続き,毎年五月五日は菖蒲の日である。

丁度その日が京都市伏見区深草に在る藤森神社の祭りの日でもある。

藤森神社は菖蒲の節句発祥の神社とし有名であるが,昔は尚武で武勇の神さんとして戦勝祈願してお参りしていたが, 

今は勝負の神さんで,競馬の神さんになっているように見える。

祭日には駆け馬神事がおこなわれるので゜そのようになったのかもしれない。

舎人親王も祀られており学問の神さんでもある。

祭りは五月一日から始まり,境内に屋台が沢山立ち並ぶ。子供の頃は祭りの間中,毎日のように通ったものだ。

久しぶりに訪れた神社の境内が子供の頃に比べ,いやに狭く感じた。神社自体は色いろと改修 改築 新築され立派にはなっているが,

昔の懐かしさは薄れてしまってくる。近くにある通った母校小学校にも訪れてみたが,誰もが中には入れず厳重な戸締りがしてある。

だが以前は開放的で,いつでも中に入ることがて゜きたのにと,これも時代を反映してのことなのだろう。

校舎は全て新築され新しくなっているようだが,どうも親しみがもてない。時代は変ってている。

小学校内での殺人 殺傷事件が全国でこれだけあれば,それも仕方の無い事なのだろう。

アメリカ文化が洪水のように日本の良い文化を押し流し去っている。いつまでもアメリカ追従外交を続けていれば

今のイラクのように物騒な日本になるのではないかと心配だ。

まず近隣諸国,東南アジア諸国と仲良くしてからの,アメリカ外交であるべきだ。

変人首相・小泉さんはこれだけ韓国・中国から靖国神社参拝の中止を求められていても素直ではない。

日本国民が首相を取り替える以外に仕方ないのか。自民党が党首に小泉首相を推すならば,自民党が倒れない限り小泉首相は健在である。

次期総裁候補とも言われる安部晋三はさらに悪い。アメリカ追随外交をもっと強めることだろう。

加藤紘一氏が総裁候補に上っていたのが,「加藤の乱」で失脚されたが,今では一番まともな総裁候補の人ではないかと思えてくる。

乃至は政権交代を頻繁にすることだ。それによって政官癒着が薄れてゆくのではないのかと期待したい。

戦後ずーと自民党政権が続いているのはまさに異常現象である。

世界ではイラクの状勢はゲリラ戦争の様相を呈してきているようだ。

イラク民衆と反することをアメリカはイラクに強要しているからであって,基地問題一つとっても,今でも日本で同じ事が続いているのではないかと

思えてくる。




愛知万博で「サツキとメイの家」が人気だという。


5月1日の天声人語より


 開催中の愛知万博で「サツキとメイの家」が人気だという。

映画『となりのトトロ』で主人公の姉妹が暮らした昭和30年代の民家が、映画そのままに再現されている。

 映画を文庫化した『小説となりのトトロ』(徳間書店)を開くと、姉妹があの家に引っ越すのは、5月のある朝のこと。

家財とともに姉妹を車の荷台に積んで、父が陽気に歌う。

「5月に5月(サツキ)と5月(メイ)を乗せて行くぞ」。

サツキがもちろん皐月(さつき)なら、メイは英語で5月を指す。

5月が三重奏する軽やかな引っ越し場面だが、映画では割愛された。

 庭先でメイが、クスノキの巨木を見上げて不意にくしゃみをする場面がある。

光に目を射られたからだ。たしかに、日差しが夏めくこの季節、空を仰ぐとくしゃみが飛び出すことがある。

寒くもないのになぜなのだろう。

 くしゃみやせきに詳しい旭川医大助教授の野中聡さんに尋ねた。

原因は「神経の誤作動」という。

目で知覚した「まぶしい」という刺激が、脳に伝わる途中、なぜか鼻からの刺激と受け取られる。

 昼間に映画館から外へ出たときなどにも起こる。

2〜3割の人に自覚症状があるが、深刻な症例はまずない。

野中さんによると、米医学界ではこれを俗にアチュー症候群と呼ぶ。

日本ではハクションだが、あちらではアチューと響くそうだ。

 ほかの国々ではハクションをどう言うのか、本紙の海外支局に聞いた。

韓国ではエッチュイ、フランスだとアチュウム。

ロシアがアプチヒーで、エジプトはアータスだという。

人類共通の生理現象なのに、ずいぶん違うものだ。




愛知万博は会期中一度は訪れたいが,まだ行っていない。大阪万博は人人が一杯で,長い行列をして見た「月の石」は

そこらで見る石と全く変わりなくガッカリした事だけが記憶に残る。当時の日本のエネルギーみたいなものを感じた。

さて愛知万博はどうであろうか。





重症心身障害児の病棟である


5月2日の天声人語より


 スプーンを口に近づけられると、いやいやをする。

舌が飛び出してくる。

いったん口に入れた食べものをプーと吐き出す子もいる。

 国立病院機構・千葉東病院の重症心身障害児の病棟である。

ここの子どもたちは、一人では食べることも飲むこともできない。

その訓練を見せてもらう機会があった。

 看護師さんらがやさしく声をかけて緊張をほぐす。

子どものあごに手を当てて、口をゆっくり閉じる。

そうすれば、もぐもぐできるようになる。

指導する歯科医師の大塚義顕さんは「食べることは生まれついての能力ではなく、

段階を踏んで学んでいくものです。
その学習に障害児は時間がかかる」という。

 もとはといえば、約30年前に当時の歯科医師らが子どもたちの口の中を清潔にしようと考えたのがきっかけだ。

管からではなく、口から食べることの大切さに気づき、千葉東病院は障害児の訓練の先駆けとなった。

昨年末には人事院総裁賞を受けた。

 「おいしいものを子どもに味わわせたい。それは親のだれしもの願いです」。

そう語るのは全国重症心身障害児(者)を守る会の北浦雅子会長だ。


施設で暮らす次男の尚さんはウナギが大好き。

細かくつぶすと、しゃべることはできないが、もっとほしいと笑顔で催促する。

逆に酸っぱいものだと、動かせる左手で払いのける。

 きょうの夕食の献立は何ですか、と先週、千葉東病院に電話した。

鶏肉とピーマンのみそいため、ナスとベーコンの煮物……。

ごちそうを前にした笑顔が思い浮かんだ。

そこには、入院して30年を超える人もいる。


このような福祉に携わる人たちには地味で忍耐の強さが求められる。戦費に廻すお金があれば,福祉に廻してもきりがないものである。

人殺しにお金をつかうより,人助けに使ってほしい。





JRの尼崎駅に降り立つと

5月3日の天声人語より


 JRの尼崎駅に降り立つと、雨が本降りになっていた。1日の昼前である。

駅前には、この地にゆかりのある近松門左衛門の浄瑠璃の女主人公「梅川」の大きな像が立っている。

 駅の北側の脱線現場に向かう。電車が激突したマンションの1階は、青いシートで覆われている。

あの日、シートのあるあたりの車内では、安否を気遣う家族や友人からの携帯電話の呼び出し音が鳴り続けていた。

小さな画面には、発信元を示す「自宅」の2文字が浮かんでいたという。

 マンションと線路とは、あまりにも近くて、一体のようにすら見える。

電車からは、行く手の正面に立ちはだかるように、マンションの方からは、電車が常に飛び込んでくるように見えていただろう。

なぜ防護壁がなかったのかと悔やまれる。

 わずか100メートルほど離れて、特急「北近畿3号」のずんぐりとした姿がある。

あの時、運転士が、信号が黄色になったことに気づかなければ、脱線の現場に突っ込んで行ったかも知れない。

 電車最後尾の7両目の近くに立つ。

降りしきる雨が屋根をたたき、滴り落ちて敷石にしみ込む。

それぞれの未来を抱きながら乗り合わせた人たちと、その人々を失った多くの人たちの無念の涙のようにも思われ、目を閉じた。

 この現場に近い広済寺には、近松の墓がある。

彼は、寺の一角で執筆したと伝えられる。

その来歴を、朝日新聞の阪神支局員だった小尻知博記者も書いたことがあった。

支局が襲撃され、小尻記者らが殺傷されて、3日で18年になる。西宮市の阪神支局に向かった。




マンションがあんな線路脇に立っているのが不思議である。マンションがなければ脱線だけですんで,被害がもっと少なくですんでいたかも

知れない。でもこれらは合理化 民営化を押し進め競争を強いた政府の責任が一番だ。

競争 合理化にはどうしても安全性が軽視されるのも当然である。競争 合理化そしてさらに安全性を求めるのは不可能である。

神業でもない限りできない。合理化を押しすすめられている医療界の将来がどのようになるのかが心配だ。

全ての責任の元は政治姿勢にある。弱者切り捨てで,多くの自殺者が毎日のように続出している。

一方豪華な官邸でクラシックを聞き,詭弁だけですり抜ける技術をみにつけただけの人が日本の政治の責任者である。

三代,四代続いた政治家には地元との義理人情がからんだ癒着が強固で,その岩盤は簡単には壊れまい。




事件には法的な時効があっても、
無念の思いに時効は無い。


5月4日の天声人語より
 

 細長い編集室の奥の壁に、射殺された小尻知博記者の写真を掲げた小さな祭壇がある。

事件には法的な時効があっても、無念の思いに時効は無い。

改めて冥福を祈り、凶行への憤りを新たにする。

 合掌しつつ、この社会がおびただしい犠牲を払って、ようやく戦後手にした言論の自由のことを思う。

この原則は、社会や国家が暴走しないための大切な歯止めの一つだ。

それを、暴力の前に揺るがせてはならない。

 本社から支局や総局に行く時、「厳粛な里帰り」という言葉を思い浮かべる。

外で取材してきた若い記者が先輩やデスクと話す姿は、昔と変わらない。

懐かしさと厳しさを感じるそのやりとりから、記事が生まれる。

支局とは、新聞社が、読者や市民や町と出会う最前線であり、まだ真っ白な明日の紙面を一からつくる現場だ。

あの夜、そうした支局員らの語らいを銃弾が襲った。

支局に保存されている小尻記者が座っていたソファには、損傷があまり見られない。

散弾が体内で炸裂(さくれつ)したからだ。

 支局の入り口に、1本の桜がある。大木ではないが、長くこの地に根を張り、記者らの往来を見続けてきた。

局舎の建て替えは決まっているが、支局では桜は残したいという。

 東京へ戻る新幹線は、連休さなかで満席だった。

バッグから憲法に関して気になる本を取り出した。


言論界が元気でない限り,世の中は改善も進歩もない。若い人達の言論界での発言には見張るものが少なくなって来ている。





『「映画 日本国憲法」読本』


5月5日の天声人語より


 阪神方面から帰京する新幹線で、『「映画 日本国憲法」読本』(フォイル)を開いた。

この妙なタイトルには多少の説明が要る。

 4月下旬、東京で「映画 日本国憲法」(ジャン・ユンカーマン監督)の上映会があった。

日本国憲法について世界の知識人が語るドキュメンタリーで、初回に約700人が来場した。

当方は立ち見だったが、100人ほどが入れなかったという。

 映画をもとに構成したのが『読本』だ。

「日本は立派な国家です。しかし、自分自身の声で発信し、

アメリカと異なるアイディアを明瞭(めいりょう)に示す勇気をもつことができませんでした」。


日本の戦後史を描いた『敗北を抱きしめて』でピュリツァー賞を受けた歴史家ジョン・ダワー氏だ。

「(日本が)アメリカのような『普通の国』になりたいというのなら、現時点で恐ろしい話ではないですか……

アメリカはますます軍事主義的な社会になってきているのですから」

 国内に「改憲ムード」が広がっているようだ。

確かに憲法と自衛隊との関係はねじれている。

しかし例えば日本が「軍隊を持つ」と表明することの重みがどれほどになるのか、

詰めた議論が世の中に行き渡っているとは思えない。

 日本や世界の未来が米国に左右されかねないという時代に、米国との関係をどうするのかも緊急の課題だ。

改憲案より、どんな国をめざすのかを詰める方が先ではないか。

 家族連れの多い新幹線の中を見渡す。

将来、わが子が軍人になり、外国の戦場に行く

そんなことを思いめぐらす親など、いそうもなかった。



富国強兵で制度に陥った時にはもう遅い。○○なブッシュがアメリカの大統領にある間に世界に何が起きるか

お先真っ暗でなにも全く判らない。○○なブッシュがどうして議員になり大統領になれたのかが不思議である。





鉄道は、近代の機械化、高速化の象徴だ。


5月7日の天声人語より

 JR西日本の凄惨(せいさん)な脱線衝突事故から10日あまりたった。

深い傷を負い、今も入院している乗客も多い。

体の傷だけではなく、心が負った傷の影響も心配だ。

 いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のTはtraumatic(トラウマ的)の頭文字だ。

近年よく指摘される「惨事トラウマ」が注目されるきっかけになったのは、

19世紀の後半から急増した鉄道事故だった(森茂起『トラウマの発見』講談社)。

 鉄道は、近代の機械化、高速化の象徴だ。「それはまさに飛翔(ひしょう)である。

そしてつまらぬ事故で、同乗者全員が即死するという思いを振り切ることができない」。

鉄道草創期の、英政治家の言葉だという(シベルブシュ『鉄道旅行の歴史』法政大学出版局)。

まだ無かった飛行機に乗るかのようなたとえだ。

 「二都物語」で知られるチャールズ・ディケンズは1865年6月に列車の事故を体験した。

数日後、手紙をしたためる。事故当時の自分の行動を書いていたが、突然、こう記して手紙を終えた。

「いまこの思い出の数語を書き記していると、ふと威圧されるのを感じ、わたしは筆を折らざるをえなくなりました」


 この事故では、ディケンズは傷を負っておらず、他の乗客たちを助けたという。

けがをしなくても、後に、こうした「威圧される感じ」に襲われるという例なのだろう。

 尼崎で事故に遭った人たち、その家族や友人、電車に激突されたマンションの住民、そして救助に駆けつけて惨状を見た人たち。

様々なトラウマに対し、手厚い心のケアを望みたい。



身体には傷を負っていないが心に傷をおった人たちが多く出ている。鉄道は安全だとの考えがふっ飛んだが,

しかし乗物ナシの生活は考えられない。





長者番付はいつ生まれたのか。


5月8日の天声人語より


 毎年ちょうど今ごろから、各地の税務署に同じ要望が届く。

「高額納税者リストに出さないで」。長者番付のことだ。

載るのは全国でも7、8万人という。

 番付に無縁の人々でさえ個人情報の使われ方には不安を覚える。

載れば、怪しげな郵便が殺到するし、空き巣や強盗も怖い。切実な悩みなのだろう。

 長者番付はいつ生まれたのか。

印刷史に詳しい石川英輔さんは「江戸の後期にはもう量産されていた」と言う。

長者鑑(かがみ)とか長者控とも呼ばれ、庶民に人気だったという。

そう言えば「長者番付」という古典落語がある。

田舎の造り酒屋に張られた番付を前に、江戸者が「西の鴻池」「東の三井」とまくし立てる。

 鴻池や三井などの財閥が占領下で次々に解体されたころ、いまの長者番付の原型ができあがった。

他人の所得隠しを通報すると報奨金がもらえる制度とともに、番付は、「密告税制」を支える柱とされた。

報奨金はやがて廃止されたが、番付は残った。

 この春に出版された『日本のお金持ち研究』(日本経済新聞社)は、

長者番付から年収1億円以上の層を拾い出し、行動や意識を調べた労作だ。

著者の京都大学経済学部教授、橘木俊(たちばなきとし)詔(あき)さんが2年前、全国6千人に質問状を発送すると、

「詮索(せんさく)するな」「にせの学術調査か」と苦情が来た。

 それでも465人から回答が得られた。

「協力してくれたら詳しい集計結果を送る」と約束したのが効いたと橘木さんは話す。

「ひと様の懐具合は誰でも気になりますから」。

番付が生き永らえたのも似たような心理のなせる業だろう。




情報保護法が過剰適用されて,知る権利を封殺されるようになればお終いである。





英語以外にフランス語やドイツ語を学ぶことは


5月9日の天声人語より


 ゴールデンウイークが終わって、きょうから大学のキャンパスも活気を取り戻す。

講義もそろそろ本格化する頃である。

 かつては、英語以外にフランス語やドイツ語を学ぶことは、知的な背伸びをしているようで、

大学生になったという実感を持ったものだった。

最近は、第二外国語を必修から外す所も出てきて、語学学習の風景もだいぶ変わった。

 都内の私大で第二外国語のスペイン語を教えている知り合いによると、年々辞書を持たない学生が増えているという。

毎年、最初の授業で何冊かの辞書を推薦するのだが、

今年3回目の授業で尋ねたところ、クラス30人のうち購入したのは3人だった。

かなり前なら、外国語を学ぶのに辞書を買うのは常識だった。


いまの学生が辞書を買わない理由は「高い」「重い」「引くのが面倒くさい」の三つだという。

 別の私大のベテラン教員は、一昔前のこんな話を教えてくれた。

辞書の持ち込み可でフランス語を訳す試験を行ったところ、ある学生は仏和辞典だけでなく、国語辞典も持ち込んだ。

訳文に正確さを期するためだった。これまた失われた風景だという。

 いま書店の外国語コーナーをのぞくと、

「超やさしい○○語の入門」「10日でマスター」といったようなタイトルの薄っぺらい本であふれている。

詳しい文法は省略だ。辞書を買わない学生もこういう本は購入する。

 辞書を片手に難解な原書に挑戦するなんてことは今時、はやらないかもしれない。

だが、外国語は地道な努力が習得の基本である。それはいつの時代も変わらない。



人間は誰もが万能ではない。あちらが優ればこちらが劣るで,スーパーマンにはなりえない。

学問に秀でている人は運動とか,芸術方面で劣る人を往々に見かける。それにさらに人柄が加わる。

万能者はありえない。




主要路線で便数を減らすとすれば、
民営化以来初めてである。




5月10日の天声人語より


 先日、JRの尼崎駅に降りた時、時刻表を見た。

脱線した電車と同じく、この駅から大阪の北新地などへ向かう線の本数は、朝8時台で上りが13本だった。

そして、大阪駅や京都駅へ向かう線の方には、40本あった。

東京の山手線が二十数本だから、確かに、かなり密だと思った。

 JR西日本は、今後の安全策の一つとして、過密と指摘されているダイヤを見直すという。

主要路線で便数を減らすとすれば、民営化以来初めてである。

重大事故が起きて、ようやく、増発と加速に歯止めがかかりそうだ。

 初の減便は、この会社にだけではなく、便利さを求め続けてきた社会にも、歯止めが必要なことを示しているのかも知れない


「便」とは「人を鞭(むち)うって柔順ならしめ、使役に便すること」と、白川静さんの『字統』にある。そこから、

「便利」「便宜」などの意となる。「便々」とは、唯々としてことに従うことという。

 脱線事故の後の、職員らのボウリング大会や宴会などが指弾されている。

いったん計画されたものごとが、何かのブレーキがかからない限り実行されるのは、JR西日本だけに限らない。

 しかし、予定外のことが起こったと知れば、責任者は対応を検討し、必要ならば急ブレーキをかけるはずだ。

そのブレーキが極めて弱かったか、無かった。


現場で救助活動をしなかった例を含め、「便々」とした人が多かったようで残念だ。

 脱線事故への怒りや不安に乗じるかのように、線路への置き石や、置き自転車が頻発している。

こうした「便乗」はあさましい。


民営化の主旨は競争原理を利用して合理化 個人の能力をぎりぎりまて使おうとするプラグマチズムのアメリカが

先進国である。弱肉強食弱いものは棄てられていくだけの世界を作ろうとしている。

人生一回きり,昔の人たちの方がよほど人間らしくゆったりと生きていたのではないのか。





ブッシュ米大統領が「反省」を表明したという

5月11日の天声人語より


 ブッシュ米大統領が「反省」を表明したという。バルト3国の一つのラトビアを訪問中の発言だ。

 45年2月の、米英ソ首脳によるヤルタ会談を「強国が交渉し、小国の自由を犠牲にした」と否定的に述べた。

第二次大戦の末期で、戦後の国際秩序が話し合われた。

 「強国の交渉」と「小国の自由」からは、ヤルタ会談の4カ月前のチャーチル英首相のモスクワ訪問を思い起こす。

「機は熟していた」と、チャーチルは『第二次世界大戦』(河出書房新社)に記している。

スターリンに「バルカンの問題を解決しようではないか」と告げ、紙に数字を書いて渡す。

「ルーマニア ロシア90% 他国10%/……ユーゴスラビア 50−50%/……ブルガリア ロシア75% 

他国25%」。スターリンは青鉛筆で紙に大きな印をつけ、同意を示した。

 数字は、強国が小国で保つべき発言力 や優位性の度合いだったという。


長い沈黙の後に、チャーチルが口を開いた。

「何百万の人々の運命に関する問題を、こんな無造作なやり方で処理してしまったようにみえると、

かなり冷笑的に思われはしないだろうか? この紙は焼いてしまいましょう」。


「いや、取っておきなさい」とスターリンは言った。

 ブッシュ氏は、ヤルタ協定が東欧をソ連の支配下に置く結果をもたらしたことに言及し、

米国の歴史的責任に触れた。


それは、バルト3国や東欧からソ連支配への反発を受けているプーチン政権に対する牽制(けんせい)でもあった。

 60年後の「反省」を、泉下のルーズベルトやチャーチルはどう聞いたのだろうか。




ブッシュ米大統領が「反省」を表明したというとはなんとシオラシイ人なのだろう。でも自分の犯した罪の話ではなさそうだ。





近年、国家の役目の一部を肩代わりするような
民間の戦争ビジネスが拡大(戦争の民営化)



5月12日の天声人語より


 42歳で早世した作家、野呂邦暢が芥川賞を受賞した「草のつるぎ」は、

陸上自衛隊に入隊した体験がもとになっている

ある日の訓練では「緑色の短剣を逆に植えつけたような草むら」が、

小銃を手にして匍匐(ほふく)前進する若い隊員たちに立ちはだかる。

 「硬く鋭く弾力のある緑色の物質がぼくの行く手に立ちふさがり、

ぼくを拒み、ぼくを受け入れ、ぼくに抗(あらが)い意気沮喪させ、ぼくを元気づける」(『野呂邦暢作品集』文芸春秋)。

外の世界では体験できないような隊内での二十歳前後の日々を、躍動的に描いた。

 イラクで襲われて行方不明になった斎藤昭彦さんも、二十歳の頃は陸上自衛隊員だった。

高校時代から友人に「外人部隊に入りたい」といっており、仏外国人部隊に入隊する。

自衛隊は、その過程だったのか。

 家族とは、しばらく音信不通だった。

最近は英国系の警備会社に属し、バグダッドから米軍基地に機材を運んだ帰りに襲われたという。

イラクでの危険は覚悟していたのだとしても、実際に生命が危機にさらされた場面を思うと言葉も無い。

 近年、国家の役目の一部を肩代わりするような民間の戦争ビジネスが拡大している。

昨年夏にイラクに居た民間の軍事要員は2万人ほどで、

アメリカ以外の多国籍軍兵士の総数にほぼ匹敵する
(シンガー『戦争請負会社』NHK出版)。

 こうした民間企業の活動には規制と監視が無いと、著者は憂慮する。

そして21世紀にはこんな格言がいるかもしれないと警告する。

「戦争は民間業界に任せるにはあまりにも重要すぎる」



戦争の民営化が行われているらしい。ここまで民営化が推進されれば本来の民営化の意味がなくなって,

ただのお金をもうけしたいならば,殺し合いに参加しなさいということだけではないのだろうか。

国同士の戦いにお金のために命をかけた人たち同士の戦になりそうだ。それもお金持ちの言うままに。





この「日本」は「ニホン」か
それとも「ニッポン」かと少し思案した。

5月13日の天声人語より


 地下鉄のホームに満員電車が入ってきた。つえを突いた初老の女性が乗り込む。

すぐ中年の男性が立ちあがり、女性は会釈して座った。

「日本も、そう捨てたものではない」と思いつつ、この「日本」は「ニホン」かそれとも「ニッポン」かと少し思案した。

 「日本」がどう発音されているかという調査結果を国立国語研究所などがまとめた。

1400人余の700万語以上の話し言葉を調べると「ニホン」が圧倒的に多かった。

「日本一」や「日本代表」でも「ニッポン率」は約2割で、「日本」では「ニホン」が96%を占めた。

 「我国号の呼称はニツポンとす」。文部省国語調査会の決定を伝える、34年、昭和9年の本紙の見出しだ。

しかし法的な規制はなかった。大日本帝国から日本国になって60年、「ニホン」の定着を印象づける結果だ。

 『日本国語大辞典』では、特に「ニッポン」とよみならわされているものを除き、すべて「ニホン」にまとめている。

「ニッポン」の項の一つに日本銀行がある。紙幣の裏は今も「NIPPON GINKO」だ。

 地下鉄の駅を出ると、けたたましい警笛音がした。

一方通行の道を逆進しかけた車への警笛らしい。

どぎまぎしている運転席の青年に作業服の男性が「オーライオーライ」と大きな声をかけ、バックさせて横の道に誘導した。

青年は深く頭を下げて走り去った。

 再び「日本も捨てたものでは……」が浮かんできた。

そしてなぜか、国を指すなら日本(ニホン)かもしれないが、

さわやかな人を指す時には日本(ニッポン)人という響きもいいと思った。



日本が「ニホン」なのか「ニッポン」なのか考え出すと判らない。パソコンで「ニホン」並びに「ニッポン」を入れ

漢字変換すると日本にかわる。時と場合により使い分けされているのが現実ではないだろうか。




増改築された新しい首相公邸に先月、
小泉首相が引っ越した


5月14日の天声人語より


 昭和史の舞台として欠かせない場所の一つに東京・永田町の首相官邸がある。

その官邸をできるだけ生かす形で増改築された新しい首相公邸に先月、小泉首相が引っ越した。

 29年、昭和4年に竣工(しゅんこう)した旧官邸はライト風とされる様式を基調としている。

外観や玄関ホールはそのまま活用され、新しく茶室などができた。

 旧官邸を語る時に、まずあげられるのが竣工の3年後の5月に起きた「5・15事件」だ。

犬養毅首相が、青年将校らに射殺された。「話せばわかる」という言葉が残る。

 この政党政治の終わりを告げた昭和史の日付に、世界の喜劇王・チャプリンが絡んでいる。

事件前日の14日に船で神戸に入港し、その日のうちに、東京の帝国ホテルに投宿した。

 15日、犬養首相の次男で秘書官の健氏がホテルに来て、首相が歓迎会をすると告げたという。

後にチャプリンは、16日に招かれていたように記している。

首相の遺品の中には、「十七日午前、チャプリン氏 午後、閣議」というメモがあった。

一時、将校らには、チャプリンの歓迎会を襲う案もあったという。

チャプリンは気付かぬうちに事件に近づき、そして気付かぬうちに通りすぎていた

(千葉伸夫『チャプリンが日本を走った』青蛙房)。

 「日本がいつまで西欧文明のビールスに感染しないでいられるかは問題だ……

日本人の好みも、やがては西欧的企業のスモッグにおかされて、失われてゆくことは必定であろう」

(『チャップリン自伝』新潮社)

最初の旅で日本に深い愛着を覚えた彼は、計4回来日した。



日本が西欧文明のビールスに感染しないでいられるかは問題だ……

日本人の好みも、やがては西欧的企業のスモッグにおかされて、失われてゆくことは必定であろう」と

チャップリンは偉い。


今そのような日本になっている。日本のよさが次第に侵されなくなってきている。




「子どもが採集したくらいで絶滅する昆虫などいません」と


5月15日の天声人語より


 去年の5月、東京西郊の公園でチョウチョウをめぐってパトカーが出動する騒ぎがあった。

 よく晴れた日の昼前のことだ。数人の男女がそれぞれにカメラを構え、虫や鳥を撮影していた。

そこへ保育園児が10人ほどやってきた。「さあチョウチョを捕まえるぞ」。

引率の男の先生が捕虫網を配り始めると、カメラを持った男性が制した。

「ここではチョウは捕らない決まりです」


 先生の記憶では、たちまち険悪な空気になった。

「何年も前からここで虫を捕ってきた」と言うと、「羽化したばかりのチョウを捕るのはよくない」と切り返され、口論になったという。

撮影の一人が携帯電話で110番に通報し、パトカーが来た。警官は双方から言い分を聴いた。

「お気持ちはわかるが、お互いもうこの辺で」

 40年前から昆虫の標本作りを教えてきた埼玉県川越市の元教諭、会田冨士夫さん(72)にも似た経験がある。

数年前、秩父地方で網を手に夫婦で昆虫を観察していたら、後ろでささやく声がした。

「あの人、自然を破壊してるのよ」。若い母親がこちらを指さして、子どもに言い聞かせていたという。

 たしかにこの時代、花も虫も貴重な存在だ。それでも、草木を手折り、虫を生け捕りにするのは、幼い世代の大切な体験だろう。

「子どもが採集したくらいで絶滅する昆虫などいません」と会田さんは話す。

 言い争う大人を見て、園児たちは虫捕りが嫌いになった。

網を手に公園へ連れ出そうとすると、今でも「またパトカーが来る」と渋る。


あの騒ぎが残した傷だろう。



メダカもトンボ バッタなど昔はよく見た昆虫などが見なくなってきた。農薬のせいかもしれない。自然も変わりなく変化するだけで

良いのか。このあいだお祭りの神社の境内で源氏(ゲンジ)が売られているのをよく見たところ作られた虫で

機械化近代化された日本の姿を見る。ここまで先端技術の恩恵?をうけるようになったかと悲しい。






その先頭にカナリアはいた。重装備の人間とは対照的に


5月16日の天声人語より


 ちょうど10年前の「今日」を思い出す。記憶の断片とも言えないような、

一瞬の残像が脳裏に焼きついている。それは黄色いカナリアである。

 迷彩服に防毒マスクをつけた捜査員が、列をなす。

その先頭にカナリアはいた。重装備の人間とは対照的に、

鳥かごの中で無防備な姿をさらしながら。


 その2カ月ほど前、東京都心の地下鉄にサリンがまかれた。

強制捜査でも万全の備えが欠かせない。

ならば、炭鉱の有毒ガスを感知するカナリアが役に立つはず。

そんな理由で連れて行かれた。ふだんの暮らしでは目にしない。不気味な光景だった。

 あのカナリアは、どうしただろう。

探してみると、すでに寿命が尽き、手厚く葬られていた。

場所は東京都目黒区の警視庁第三機動隊の前庭

樹齢40年を超すソメイヨシノの木陰だ。

近くには、現場から持ち帰った岩でつくった記念碑もある。

そこに、出動した証しとして、360人の隊員の名とともに「カナリア2羽」と刻まれている。

 あの年の夏、2羽のカナリアには、1羽のひなが生まれた。

その子が駆り出される事件などない平和な社会になってほしい。

そんな願いを込めて「ピース」と名づけられ、隊員たちにかわいがられたという。

 1995年5月16日朝、オウム真理教代表の麻原彰晃容疑者が殺人容疑で逮捕された。

時は過ぎ、流れた。教団は名称を変えた。


現場の山梨県上九一色村は来春、甲府市と富士河口湖町に分かれて合併し、村の名前も消えていく。

だが、事件は人それぞれの心に残り続ける。

たとえば、カナリアの記憶として。



新興宗教の恐ろしさを見る。信仰に憑かれた人には正常な考えが及ばない。未然に防ぐ方法がなかったのか。

アメリカ化した日本にブッシュの支持母体 キリスト右派のような娯楽施設を伴ったマンモス化した宗教が真似られるのは時間の

問題のようである。






ドナウはドイツの黒森に源を発する。


5月17日の天声人語より


 「天気がよかろうと、悪かろうと、ドナウ河の流れは同じ。ただ定めなき人間のみが、地上をさまよい歩くのです」。

19世紀のルーマニアの国民詩人といわれるエミネスクの詩の一節だ(『世界名詩集大成』平凡社)。

 ドナウはドイツの黒森に源を発する。

オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアなどを貫いて黒海へと注ぐ2900キロ近い大河の変わらない姿が歌われている。

そのドナウでは、今世紀末には流量が2割以上減るのではないか。

日本の気象学者らが世界の大河の流量の予測をまとめた。

地球の温暖化による降水量の変動などを計算した。

 古来、大河のほとりには文明が息づいてきた。

その一つ、メソポタミアのユーフラテス川は、ドナウよりも変化が激しく、約4割減という。

一方、ナイル、ガンジス、黄河などは、逆に10〜15%の流量増を予測している。


 限られた地球の水を争う「水戦争」の問題を指摘する声も時折聞く。

ドナウのような国際河川を持たない日本では、他人事(ひとごと)のように感じるかも知れない。

しかし日本が輸入している膨大な食料や工業製品などを商品化するまでに使われた水の多さを思えば、

世界の水問題と深くつながっていると分かる。

 エミネスクの詩は続く。

「けれど、私たちはいつも変わらず、昔のままの姿でいます??海も川も、町も荒野も、月も太陽も、森も泉も」

 悠久の大地や大河は、変わるはずがない。そう思えた時代は残念ながら去った。

「自然を、むやみには変わらせない」と国境を超えて誓い合う時代が来ている。



島国日本には国境を越えて流れる河は見ない。水は生命維持の源である。それだけに水争いは深刻である。

日本でも夜間に田圃の水を盗まれる話を聞く。





国土交通省が導入する「ご当地ナンバー」に
観光地が続々と名乗りをあげている。

5月18日の天声人語より


 ずいぶん遠くから来たなあ。道端で、はるか離れた地名入りのナンバーの車に驚いた経験は、だれにもあるだろう。

それが来春からは「行ってみたいな」という気持ちに誘われやすくなりそうだ。

 国土交通省が導入する「ご当地ナンバー」に観光地が続々と名乗りをあげている。

「仙台」「会津」「金沢」「伊豆」や「諏訪」「倉敷」「下関」。どこも動く広告塔にと期待を膨らませる。

自動車産業の盛んな「豊田」や「鈴鹿」のほか、「堺」「川越」なども意欲満々だ。

 ナンバーに地名が入ったのは、50年ほど前から。国の運輸支局の所在地をそのまま載せた。

いわば役所の裁量だった。それが11年前、住民運動が火をつけた「湘南」が実現して変わる。

地域のイメージアップになる、と各地が飛びついた。地方分権という時代の流れにも乗った。

 国交省は昨年、新設基準を設けた。

複数の市町村でまとまった地域、自動車の登録台数が10万台以上など。


おかげで、静岡と山梨が希望する「富士山」は、県境をまたぐので難しいと言われ、

長野では隣り合う「軽井沢」と「佐久」が譲らず、台数不足で共倒れしている。

それでも今月末の応募締め切り前に約20件の申請がありそうだ。

 「コンピューター改編に予算が要る。

まず初年度は数カ所で」と考えていた国交省は、どう選ぶのだろう。

今夏の内定に向け、地域バランスや地元の熱意も判断材料に検討している。

 でも、ここは思い切って、クジで決めたらどうか。

郷土への熱い思いに、役所の理屈で順位など付けられるはずがないのだから。



いっそうのこと車体に所有者の名前と住所・電話番号を書くよう義務付ければ自動車盗難も違法駐車も少なくなるのではと

考えるのだが。




 列車ダイヤを組む人は、スジ屋と呼ばれる


5月19日の天声人語より


 列車ダイヤを組む人は、スジ屋と呼ばれる。ダイヤの上では、列車の走行は斜めの線(筋)で表されるからだ。

「スジを立てる(傾斜をきつくする、つまり列車の速度を上げる)」、「スジを寝かす(傾斜をゆるくする、

つまり速度を下げる)」などの言い回しがある(宮脇俊三対話集『ダイヤ改正の話』中央書院)。

 これまで、ひたすら「スジを立ててきた」JR西日本が、今後、京阪神地区の主要路線の快速などで、「スジを寝かせる」という。

ダイヤ編成に余裕がなく、日頃から遅れが目立つ路線では、無理な運転が行われかねないと判断した。

 尼崎での大惨事を受けての切り替えだ。遅すぎた感がある。

一方では「不便になる」と、同意できない利用者がいるかもしれない。

しかし、再発を防ぐ手だてを尽くすためには、やむを得ないのではないか。

 先日、尼崎駅の時 刻表に触れた。

朝8時台に大阪駅や京都駅方面へ向かう電車が40本あり、東京の山手線が二十数本だから、確かに、かなり密だと思ったと書いた。

山手線は複線だが、尼崎の方は複々線だ。

従って、山手線ほど密とは言えない。

 ただ、日頃から東京の通勤線については、「密」を通り越した「過密」という思いがある。

それほどではないにしろ、尼崎の方も既に「かなり密」な状態と感じられた。

 関西に限らず、大都市圏で、ラッシュ時のダイヤがある程度密になるのは仕方がない。

しかし限度はあるだろう。「寝かせる」べきスジがあるかどうかを含めて、他の交通機関も、改めて点検してほしい。



外国では列車の時刻表はあまりまもられなとを聞く。これも困るが安全運転ができるようにスジをたててほしいものです。




新しいブランド名の考案を
請け負う人の仕事場に行ったことがある

5月20日の天声人語より


 新しいブランド名の考案を請け負う人の仕事場に行ったことがある。

マンションの一室で、原則として注文主の企業の人しか入れない。

新しい名前の案がコンピューターの画面に浮かんでいれば、一瞬で読まれ、盗まれてしまうからだ。

 その部屋に「名前の盗人」が侵入したとしよう。

画面にこんな文字が浮かんでいたら盗む気になるだろうか。

「NPO」「ボランティア」。新しい商標にするには、あまりにも一般的過ぎると見過ごしてしまうかも知れない。

 特許庁が、いったんは角川ホールディングスに商標登録を認めていた「NPO」と「ボランティア」について、

登録の取り消しを決定した。

NPO(非営利組織)の側から「一般的な言葉を営利目的で登録するのはおかしい」という異議申し立てが出ていた。

 特許庁は「特定の人に独占使用を認めることは公益上、適当とはいえない」などと取り消しの理由を示した。

当初の「登録認可」とのずれはあるが、現代の商標のあり方を考える例として経過を見守りたい。

 特許庁のホームページには、商標の登録ができない一般的な例が載っている。

靴の修理についての「靴修理」、鉛筆で「1ダース」、自動車で「デラックス」、靴で「登山」、飲食物の提供で「セルフサービス」。

いずれも「自己の商品・サービスと、他人の商品・サービスとを識別することができないもの」だ。

 商標のつけかた一つで売り上げが大きく変わることもある。

商標請負人の仕事場を見たのは十数年前だが、1件で数百万円の注文もあると言っていた。



商標争いはよく聞く話である。それを本職にしている人がいるのは知らなかった。

やはり現場の人がつけるのが一番である。




ヒトラーは、岩塩坑に疎開させていた
世界の名画を破壊する命令


5月21日の天声人語より


 ドイツが連合国に降伏したのは、60年前の5月だった。

いよいよ敗色が濃くなった頃、ヒトラーは、岩塩坑に疎開させていた世界の名画を破壊する命令を下す。

 米軍によって危うく難を免れたという絵が、東京に来ている。

ベルリン国立博物館群の収蔵品を集めた「ベルリンの至宝展」(上野・東京国立博物館 6月12日まで、

7月に神戸に巡回)の「温室にて」である。

 フランス印象派のマネが、温室の中にいる知人の夫婦を描いたこの絵は「ベルリン美術の運命を象徴している」と、

博物館群の総館長が述べている。19世紀末に当時の美術館長が購入した。

しかし印象派はまだそれほど認められておらず、

温室が恋愛小説のエロチックな舞台に多用されていたため、国会で非難された。

館長は辞任する。

 ヒトラーの破壊命令はくぐり抜けたが、戦後は旧西ドイツ側に置かれ 

たため、東ドイツ側の元の美術館に戻ったのは統一後の94年だった。


ベルリンという土地柄、20世紀の歴史を色濃くまとう来歴だ。

 紀元前3千年のエジプト美術に始まり、ヨーロッパ近代絵画にまで至る「至宝の厚み」には、やはり相当の迫力がある。

イラク・バビロンで出土した、ほえるライオンの躍動的な装飾煉瓦(れんが)壁、暗闇を背に小首をかしげて立つ女性の裸の肩を、

長い髪が光りつつ流れるボッティチェリの「ヴィーナス」 ギリシャ神話の壷(つぼ)やコーランの書見台もある。

その姿形や文化、時代はさまざまだ。

一見脈絡がなさそうだが、人間の営みはひとつながりとも感じる「5000年の旅」である。



ヒットラーも若い頃は画家を目指したことらしい。芸術には理解がありそうだが,退廃芸術には厳しかった。

それも一理ある。なんとか人の目を引くのが目的のような作品もみかける。

又名画と誰がそのように決めるのかいつも不思議に思っている。




今場所、「満員御礼」の幕が出たのは
3日しかない。



5月22日の天声人語より


 千秋楽を待たずに、朝青龍が12度目の優勝を決めた。

国技館では終盤、独走する横綱が客席から妙な声援を浴びている。

「世界一」「強過ぎ」「たまには負けていいぞ」。来日8年、いまや土俵に敵なしである。

 強い横綱にだれか好敵手がいてこそ角界は盛り上がる。

今場所、「満員御礼」の幕が出たのは3日しかない。

97年の夏場所まで延々7年半続いた大入りの日々は、夢だったのか。

相撲協会によると、以前は全席完売でないと満員と判定しなかったが、当節はあまり厳密なことを言わない。

9割の入りでも満員御礼を出す。初日と中日、楽日には「ご祝儀」で判定が甘くなる。

 球界のどんぶり勘定は角界以上だろう。

東京ドームは10年ほど前からずっと、巨人戦の観客数を「満員5万5千人」と発表してきた。

他の球団も似たようなもので、職員がざっと場内を見渡して「この入りなら3万。

いや景気づけで3万5千だ」と公式発表してきた。

 今季は全球団が水増しをやめている。

計数器を手に係員がスタンドに散り、年間予約席など前売り分も点検して、精度の高い数字を出す。

 ことは興行の世界に限らない。

さばを読んだ数字がもう許されない世の中になりましたね」と話すのは、部数調べが専門の日本雑誌協会の職員。

怪しい「公称部数」がまかり通ってきた出版界だが、昨年から実際の印刷部数を表に出す制度を始めた。

ふたを開けたら、公称25万部が実は3万弱という雑誌もある。

 何ごとも透明化の時代なのだろう。

ご祝儀や景気づけの数字が各界で表舞台から消えてゆく。


プロのスポーツは昔は相撲と野球しかなかったが,サッカーが入ってきてスピィディ-なスポーツが好まれて,相撲,野球も以前のようには

行かなくなってきた。プロだから何をしてもよいが八百長だけはご免である。

高校野球の人気が衰えないのはそのためではなかろうか。



赤信号では車が止まるという約束に支えられている。

5月24日の天声人語より


 通り道の横断歩道で、時にこんな光景を見かける。

信号が青になると、近所同士らしい母親たちが押す乳母車が、幾つか連なって渡り始める。

ゆっくりと、にぎやかに進む無防備な行列の安全は、赤信号では車が止まるという約束に支えられている。

 青信号で、国道の横断歩道を渡っていた高校1年生の列に、飲酒運転とみられる車が突っ込み、3人が死亡した。

宮城県多賀城市での事故は、交差点での約束を踏みにじった。


 青信号でも車が突っ込んで来るのでは、歩行者は身の守りようがない。

「避殺橋」などという形容も聞かれる歩道橋は、お年寄りには骨が折れるし、どこにでもあるわけではない。

青信号でも左右を確かめて、あやしい車はやり過ごすぐらいしか手はないのか。

 近年、酒酔い運転での事故に対する罰は厳しくなっている。

しかし、事故を予防する、より強い手だてが要るのではないか。


例えば「酒酔い運転」の場合だけではなく、「酒気帯び運転」だけでも免許を取り消すのはどうか。

運転者の酒気を感知したら、エンジンが掛からなくなる車すら夢想する。

 多賀城の現場は、芭蕉がたどった「おくのほそ道」の道筋に近い。道の幅は、相当広がったはずだ。

しかし、ここに限らず、幅を利かせているのは車で、人は細い通路に押しやられているのではないか。

 亡くなったひとりは、中学の卒業文集では、「18歳の自分」に「あなたはいま何をしていますか」と記していたという。

それが15歳で、学校行事のさなかに、青の横断歩道で、一瞬のうちに未来を断たれた。



約束事で世の中の秩序が保たれている。秩序を乱すものは犯罪者である。犯罪には厳しく対応してほしいものである。

青信号のところへ飲酒運転の車が突っ込んだとは言語道断のことである。

懲役刑,罰金刑は当然ことで,他の犯罪のように終身汚点がつくぐらいに厳しく取り締まりしてほしいものである。

運転者の酒気を感知したら、自動車のエンジンが掛からなくなる車は勿論の事,

青信号の歩道には自動車がすすめなくなるような科学技術があってよい。





「とんとんとんからり」で始まる「隣組」も、
そんな歌の一つだ



5月25日の天声人語より


 その歌が盛んに流れていた時代を知っているわけではないのに、妙に懐かしさを覚える。

「とんとんとんからり」で始まる「隣組」も、そんな歌の一つだ。

 その替え歌が、一時は「談合ソング」になっていた。

「トントントンカラリと土曜会/扉を開ければ顔なじみ/まわしてちょうだい このニュース/知らせられたり 知らせたり」

 この「土曜会」は、埼玉県内に支店・営業所をもつ総合建設会社(ゼネコン)が加盟する団体だった。

92年に、公正取引委員会から、独占禁止法違反で排除勧告を受けた。

替え歌は「埼玉土曜会一五周年記念誌」に、会員の作として掲載された。

「NHK国民歌謡『隣組』の節でお楽しみ下さい」と添え書きされていた

(田島俊雄/山口広『ドキュメント埼玉土曜会談合』東洋経済新報社)。

 あっけらかんとして、談合という意識も、後ろ めたさも見られない。

土曜会は解散したが、談合社会の根は深く、今度は、国の橋梁(きょうりょう)工事の談合事件で、検察が捜査を進めている。

 橋は不思議な装置である。こことどこかを今結びつつ、過去や未来のことも思わせる。

たもとに立てば、これまでに行き来した人々の足音が聞こえてくるような懐かしさも感じる。

しかし、談合でできる橋の方からは、疑念ばかりがわいてきた。

 替え歌には、こんなくだりもある。「まとめられたり まとめたり」「助けられたり 助けたり」。

この国で、しぶとく続く談合を思うと、業界と、発注元の国や自治体、あるいは政界との間には、

見えない橋が架けられているかのようだ。



いつまで続くのか「隣組」,まず談合に加わらない土建業者は変人だとの業界の体質改善がひつようである。

又業界と発注もとの自治体 国 政界のドロドロした関係を改善されない限りは続くだろう。

天下り人事は罪とするぐらいの意気込みがなければ改善されない。




17年の歳月を要した。
今月、ベルリンにできた
「ホロコースト記念碑」である。


5月26日の天声人語より

 建設へ向けての構想から完成まで、17年の歳月を要した。

今月、ベルリンにできた「ホロコースト記念碑」である。

 シュレーダー首相も出席して完成の式典が行われた。

市中心部のブランデンブルク門近くの広大な敷地に、

墓標に見立てた約2700基のコンクリートの柱が立ち並ぶ。

 周囲には連邦議会や首相府がある。

東京なら永田町あたりの一角に、歴史の一大汚点を永遠に記す大きな碑を設けた。

ナチスのなした行為の途方もない残虐さや重さと、それとの決別を強く訴えようとする姿勢がみられる。

 完成に至るまで、慰霊の対象者などで議論があった。

碑には犠牲者の名は刻まず、対象はユダヤ人に限定した。

この碑からそう遠くない所には、国籍などを問わない戦死者の追悼施設「ノイエ・ワッヘ」がある。

 入り口脇に追悼文が掲げられている。

「我々は追悼する、戦争によって苦しんだ諸国民を……迫害され、命を失った その市民たちを。我々は追悼する、

世界戦争の戦没兵士たちを……戦争と戦争の結果によって 故郷において、また捕虜となって、

そして追放の際に命を落とした罪なき人々を……」(南守夫訳/田中伸尚編『国立追悼施設を考える』樹花舎)。

 国籍、民族や、兵士か市民かも問わず、すべての死者を、否定すべき戦争と暴力支配の犠牲者として追悼している。

その施設の内部には「死んだ息子を抱く母親」のブロンズ像が置かれている。

息子は兵士の姿ではない。

母から生まれた時のように裸だ。

追悼のありかたが改めて問われる、戦後60年の夏が近い。




ドイツの爪の垢でも煎じて飲んで欲しい。靖国神社参拝にこだわる小泉さんよ。

その施設の内部には「死んだ息子を抱く母親」のブロンズ像が置かれている,それも兵士の像でなく

裸のまんまの息子を抱く母親の気持がじんわりと伝わる施設である。






千葉市動物公園のレッサーパンダ「風太(ふうた)」くん、
2歳が注目されている。


5月27日の天声人語より

 「大」の字は、立っている人の形から来ているという。

その「大」が、地面を示す「一」の上にしっかりと乗っているのが「立」だ。

字の成りたちには、大地に直立する人間の姿が深くかかわっている。

 人間ではないのに、その立った姿が人間風な千葉市動物公園のレッサーパンダ「風太(ふうた)」くん、

2歳が注目されている。

新聞やテレビで立ち姿が伝わると、間もなくあちこちの動物園から「うちのも立てます」という声が聞こえてきた。

長野、福井、広島、高知県などからで、青森には、立ち上がるラッコもいるという。

 時間の長短はあっても、レッサーパンダが二本足で立ち上がること自体は、新発見ではないらしい。

しかし、すっくと立ち続ける風太の姿には、人間のはるかな記憶のようなものに訴えかけてくるところがある。

 生まれて初めて自分がひとりで立った時の記憶がある人は、まずいないだろう。

これまで、直立はしないものと思っていた動物が見せる意外な立ち姿には、自らが初めて立った時の姿を思わせるものがある。

あるいは、もっと古く、人間の祖先が直立を始めた頃の姿を呼び覚まされるのかも知れない。

 今日も列島のあちこちで、すっくと立ちあがるさまを想像するのは、一時の救いではある。

動物園での彼らの振る舞いは、本来の自然の中で見せるものとは違っているかもしれないが、

この厳しい世相の中では、心がなごむ。

 「どうかしたの?」。

突然の世間の注目に戸惑ったかのようなあどけないしぐさは、愛らしく、そしてどこか、切なさも漂う。



レッサーパンダの立ち姿はテレビで再々みかけた。考えてみると立位歩いてで暮らす動物はいない。

全部が四つ足で歩いている。立つているのは人間だけだ。全く不思議である。





アジアで日露戦争は、
欧米列強の植民地支配に抗する
義戦と受け取られた




5月28日の天声人語より


 最近の言葉から。鉄道だけでなく、空の安全も揺らいでいる。

機長が管制官に聞く。「A滑走路でいいのか」「その通り」「確認します。

A滑走路でいいのか」「その通り」。閉鎖中の滑走路への着陸を、ミスに気付かない管制官が繰り返し指示した。

 「長者番付」に、「年収100億円社員」が登場した。「タワー投資顧問」の部長で、会社では「能力があり、

大きな実績を収めた社員に高い報酬を支払うのが方針」と説明した。

 横綱とは「孤独」、相撲とは「人生」。大鵬親方が、日本相撲協会の定年の65歳を前に記者会見した。

「柏戸がいて大鵬がいる。

大鵬がいて柏戸がいる」と現役時代の思い出を語り「最近の力士には個性がない……5年、10年先のことを考えて辛抱すること」

 大鵬親方を「歴史に残る人」と評する王貞治監督。

監督としての勝ち星が、1066勝と、師・川上哲治氏と並んだ日に述べた。

「ミスもある中、選手が頑張ってくれるから勝てる。勝利数は個人の勲章じゃない」

 「競技人生は残り2、3年。監督(小出義雄氏)に守ってもらえる甘い環境から抜け出して、自己責任で走ってみたい」。

高橋尚子選手の、33歳の「独立宣言」だ。

 100年前の5月27〜28日の日本海海戦で、日本はロシアを破った。漢字研究の第一人者、95歳の白川静氏が述べる。

「アジアで日露戦争は、欧米列強の植民地支配に抗する義戦と受け取られた。

そこで兵を収めるべきだったのに、日本は欧米の侵略戦争のまねをして日中戦争、太平洋戦争とバカな戦をやった」




第二次大戦で犠牲を払い学んだことが世代が変るとともに忘れかけられてきている。

正しい戦争なんて何一つ無い。戦争自体は悪魔の仕業である。




ネクタイで暑さに耐える我慢大会をやってきた」と言う。

5月29日天声人語より


 明治4年の初夏、岩倉具視ら高官が集まり、開国日本の服装はどうあるべきか激しく論じた。

和服派は「衣服まで外国をまねるのは愚か」と訴えたが、洋服派が「外国との交際に欠かせない」と説き伏せた。

世にいう「洋服大評定」である。

 あの時もし洋服派が敗れていたら、と夢想してみる。

よもや衣冠束帯や羽織はかまが現代まで続くようなことはあるまい。

だが亜熱帯に近いこの国で、真夏にネクタイを締める人口は今よりはるかに少なかったはずだ。

 大評定から130余年、戦時下を除くと国会や省庁ではずっとネクタイ着用が基本とされた。

だが、来月からは閣僚や官僚たちがネクタイなしの勤務を始める。地球温暖化対策の一つという。

 音頭を取る小池百合子環境相は「日本の男性は過剰包装。

ネクタイで暑さに耐える我慢大会をやってきた」と言う。

必要に迫られてネクタイを着けてきた身には、あれこれ異論もあるだろう。

 それにしてもネクタイ業界は音なしの構えだ。

「不満はあるが、業界にはいま政治にもの申す余力がない。

どう生き残るかで精いっぱいですから」と東京ネクタイ協同組合理事長の小堀剛さん(70)は話す。

石油危機ではノーネクタイを勧めた通産省にすかさず抗議したが、それも今はむかし。

ネクタイ離れが進み、格安の中国産が流れ込んで、戦前から続いた老舗(しにせ)が次々倒れた。

 環境省は来月5日、財界人らをモデルに夏服ショーを開く。政官界から民間へ。

意気込みはわかるが、あまり政府に宣伝されると逆にネクタイを着けたくなる天(あま)の邪鬼(じゃく)もいる。


ネクタイを締めていないのは無作法だと浸透させたのはだれだろう。礼儀を重んずることの好きな日本人に

すんなりと入りこんで習慣化していった。馬鹿げた礼儀作法がが世の中にはびこんび,蔓延している。

礼儀しきたりを知っているものが最高の人間だと信じ込んでいる馬鹿がこの世に沢山いる。





フィリバスター(長時間演説)と呼ばれる
少数派の抵抗手段だ。



5月30日の天声人語より

 米上院には一風変わった慣例がある。本会議で討論を始めたら、何時間でも続けられる。

フィリバスター(長時間演説)と呼ばれる少数派の抵抗手段だ。

 かつてはシェークスピアのせりふを朗唱した者もいた。1人で24時間18分という記録もある。


年配の人は米映画「スミス都へ行く」を思い出すだろう。

理想家肌の新米議員が、ボス政治家の腐敗を摘発するために、体力が尽きるまで演説を続ける話だった。

その無制限の長時間演説を今後も認めるかどうかで今月、米議会が大もめにもめた。

 フィリバスターは、上院議員100人のうち60人の賛成で打ち切ることができるのだが、今の与党共和党では数が足りない。

ブッシュ大統領が、保守派の法律家を連邦裁判事に起用しようとして議会に承認を求めたところ、

民主党がフィリバスターをちらつかせた。

共和党はこの抵抗手段を禁じようと議事規則の変更を企て、全面対決となった。

 結局、フィリバスターを残す代わりに、一部の人事の採決を認めることで、妥協が成立した。

交渉をまとめた両党の穏健派は、「上院の話し合いの伝統が守られた」とほっとしている。

 翻って日本を見ると、米国と同じ合法化された抵抗手段はない。

強いて言えば、牛歩戦術や審議拒否だろうか。

 だが、こうした物理的抵抗には、政府・自民党は応じようとしないし、世論の理解も得にくくなった。

だからといって、多数派が数で押しまくる一方では、国会論戦も不毛なまま


日本も2大政党の時代と言われるが、それにふさわしい伝統は生まれていない。


米映画「スミス都へ行く」映画を学生時代みて感動した覚えがある。地道な正義運動が有力者を追い詰めてゆくストーリーに

今も鮮明に覚えている。

そんな人生をば自分自身歩んだのかは大変疑問に感じている。あれがフィリバスターとは露知らず観ていた。

アメリカの良い所が徐々になくなって行くのが悲しい。ブッシュが当選するようではアメリカには明日は無い。

何もしないことを神に祈るだけである。





「巨大な不死鳥」と名付けられた
高速増殖炉「スーパーフェニックス」を見たのは
二十数年前だった。


5月31日の天声人語より


 フェニックスは、エジプトの神話に出てくる霊鳥だ。

数百年生きると焼け死んで、また生まれ変わる不死の象徴だ。

 「巨大な不死鳥」と名付けられた高速増殖炉「スーパーフェニックス」を見たのは二十数年前だった。

フランス・リヨン近郊のローヌ川沿いの町である。

高速増殖炉は、理論上は、使った核燃料よりも多くの核燃料を生むという。

職員の説明には、核技術の最先端に居るとの誇りが強く感じられた。

 世界唯一の実証炉だったその「不死鳥」は、後に冷却材のナトリウム漏れなどで運転が止まった。

98年には廃炉と決まる。その報には、世界有数の原発推進国での変化が感じられた。

 福井県にある高速増殖原型炉「もんじゅ」の設置許可をめぐる上告審で、最高裁が国の許可を無効とした二審判決を破棄した。

逆転敗訴した住民側が提訴したのは85年だった。

提訴からこれまで、20年もの歳月を要した。

そして判決は大きな幅で揺れ続けた。住民側には、受け入れがたい思いが、強いだろう。

 判決は「設置の安全審査に見過ごせないミスはなく、許可は違法ではない」と述べた。

しかし、設置許可が違法でなかったと認定したことと「もんじゅ」が正常に運転できるかどうかは別の問題だ。

 「不死鳥」にしろ、文殊菩薩(ぼさつ)にちなんだという「もんじゅ」にしろ、設置者の命名の思いは、わからないではない。

しかし、その現場で日々仕事に取り組んでいるのは生身の人間だ。

核エネルギーの制御という、未知なことの多い極めて困難な試みには、常に慎重さと謙虚さが求められる。



効率と公害のはざまで今アメリカ指導の世界が突き進んでいる。決してアメリカ文化が最高ではない。

それぞれの国の特色を生かしての人間らしい世界が築かれることを願う。

ゆったり,のんびりとした人生も良い。効率だけが人間の最高の智慧だとは決して思わない。

人間には力とか効率よりも平和とか愛の方が一番たいせつでことあることをもっと知って欲しい。


小泉首相の靖国神社参拝とイラク派兵

我々庶民がいくら靖国神社に参拝していても,中国 韓国からはなにもいわれないが,私人であろうとも日本の

国の総理大臣が靖国神社に参拝すれは抗議 反感が出てくるのは当然である。

靖国神社が第二次大戦中戦時中どのような機能を果たしていたのか,ご存知あるのでしょうか。

戦争昂揚のために兵隊達が亡くれば神になり祀られるとして,再び戦友たちが神として靖国で会いましょうとし

戦争遂行のために当時の国家 為政者のために大いに利用されてきた施設である。

A級戦犯たちも合祀されている。戦争遂行の便利な機関であった。でも戦争遺族にとっては心の支えになっている人たちも

あり,中国 韓国にとっては忘れ難い被害を与えた人たちが祭られ,将来同じように利用されることを厭っている。

象徴的な存在である。同じく総理大臣が参拝することは再び同じようなことが繰り返されるかとの象徴的な行動である。

ただのそこらのおじさんである小泉さんが何度一日に参ろうとも 毎日参ろうともなんの文句が中国韓国からもでてこない。

そのことは保障します。小泉さん貴方が切実に靖国神社参拝したければ即刻総理大臣を辞めればよい。

今の貴方の支持率からすれば日本には迷惑がかからないと喜ぶ人たちが大勢だと考えます。

まず総理大臣は国家のことを考え行動して欲しいものです。近隣諸国と仲良く出来ないような総理大臣は総理失格である。

詭弁は嫌と言うほどにきかされている。

イラクでの自衛隊車列に爆弾がしかけられて自動車の窓ガラスが割れたとの報道がある。

戦闘ちいきでないことが前提のイラク全土がゲリラ化してきて危険な地域になって来ている。

ブッシュのアメリカは占領に固執している。日本もそのお付き合いされている。ただいっているだけで

イラクの人たちからは喜ばれていない。犠牲者が出るまで小泉首相は頑張るのか。

貴方が危険な地域にいかれ頑張るならば何も言わない。だが犠牲になる人たち家族のことを考え早くに撤退すべきで,

イラクの事はイラクの人たちに任せるのが一番である。

内戦になろうともそれが本当のイラクの姿なのだから。再びフセインのような強権で安全なイラクを保つ人が出ても

仕方ないことであろう。




国連の強化

国連をもつと機能させるために常任理事国を増やそうの気運がたかまっている。

巨大なアメリカの横暴を取り締まるにはそれしかない。でも今の日本はアメリカのポチ扱いである。

それならば何も国連常任国になる必要は無い。アメリカの言いなりの日本では国連強化にはならない。

アメリカを手助けをするだけである。中国韓国東南アジア諸国としての一つの枠で国連での役割りを果たすべきである。

今や鎖国時代ではない。世界は一つになろうとしている時に,もっと日本ができることに手助けすべきである。

地域の文化を尊重しながらより住みやすい世界への役割りを担うべきである。

アメリカのポチから早く脱却すべきである。噂されている次期自民党の代表には安部晋三は絶対になってもらいたくない。

アメリカ追従をさらに強めて軍国への道へ進む第一歩を踏み出しそうである。戦争の足音が近ずくような気がする。

北朝鮮拉致の人たちのことも北朝鮮と早く国交回復して平和に互いに往来できれば自然解決する事である。

だがかなり拉致家族達をあおってさらにこじらせようとしている。真の解決から遠のくだけの事である。 

世界が早く平和になって欲しいものである。国連の強化はその一つである。



戻る

                                   4月分     5月分    6月分