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9月になって


9月はまだまだ残暑が厳しい。年々に地球温暖化のせいか、暑さの去るのが遅いような気がする。

暑さ寒さも彼岸までと昔から言われてはいるが,むし暑さが続く毎日が多い。

ハリケーンがアメリカで二度同じような場所を襲っている。今回はブッシュ大統領が先頭になって準備されたが,

前回ほどには被害が少なくすんでいる。ハリケーン自体も猛威をふるわずに,小規模なものになって良かった。

でもハリケーン襲来前に人々が被害を避けて,高速道路を走る車の長い行列の映像がテレビに映し出されていた。

ガソリンが途中で欠乏した自動車も出たりして,かなり混乱を起こした様子である。

日本への台風は,今の所避け直撃を受けることがない。

天災だけは強大国アメリカ大統領ブッシュにとっても,どうしょうも仕方ない状態なのであろう。

イラク イラン アフガニスタンなどのイスラム圏が不安定で自爆テロが起きたり,イランでは選挙で保守的な候補者が大統領に選出され

核開発も辞さないような雰囲気である。

誰が考えても既に核を持っている国々がすべて正当に核を扱うとの保障はどこにもない。

北朝鮮問題も米国・ロシア・中国・韓国・日本との六カ国の会議で合意に至っているが,

核凍結が先か軽水炉の援助が先かで,アメリカと北朝鮮が対立している。

大体に核を保持したからとても,それを使えば地球が破滅してしまう位は誰が考えても直ぐに理解できることだ。

今,仮に核保有国同士が戦争に至れば,勝負をはっきりつけるとなれば,

ギリギリの所でどちらかが必ず使い核を使用し核戦争になるのは明々白である。

第二次大戦の終わり頃に日米がお互いに死力を尽くし戦っていたことでわかる。

戦争のルールを定義したジュネーブ条約とか協定とかの戦争のルールなんかはすっ飛んで,

互いが違反しての戦いが続き第二次大戦は終戦に至った。

勝てばすべてが官軍であって,被害国にあくどい事も戦勝国では善意でのこととし問題にされていない。

でも今核戦争になれば,勝者も敗者もなく,ただ何年も世界は核によって汚染し,生物が住むことができなくて使いものにならないような

地球が宇宙にただ一つポツリと残るだけでのことある。

第二次大戦以降,ずーと朝鮮戦争 ベトナム戦争 カンボジアでの戦争 アフガン戦争 イラク戦争と戦争は世界中で絶えたことはない。

ただの兵器産業のためだけの戦争がずーと行われてきたようにしか思われない。

その間,戦地になった国の人たちの被害は勿論の事.アメリカ兵も多数の戦死者を出している。

ベトナム戦争ではアメリカでの反戦運動が盛んになって結局はアメリカがベトナムから撤退していった。

今回のイラク戦でも反戦の運動が次第に盛んになってきており,首都ワシントンでは約10万人に上るデモが行われたとの報道があった。

ブッシュ政権の支持率は最低になってきており,何もできないレームダックの状態になるのではないかといわれだしてきている。

律儀にも日本の小泉首相は総選挙で大勝したからか,直ちにイラクのサマワの自衛隊の駐留を一年間延期することを早々に決定した。

総選挙中は郵政民営化の是非を問う以外のコメントは靖国神社参拝問題 自衛隊のイラク駐留もほとんど全てことが

「その時になって,適切な判断をして決める」が常套句になっていた。

勝つために,美人コンテストと同様,大勢の若い美人候補を推薦しての選挙戦であった。

半分はまやかして゛勝ったようなものである。

靖国神社参拝問題では大阪高等裁判所で首相の靖国神社参拝は違憲との判決が出た。

小泉首相は最高裁に上告してから参拝するのか,判決を無視をして参拝するのか それとも止めるのか。

適切な判断でもって決めてほしいものだ。

サマワでの自衛隊は給水活動もする必要もなくなり,ただ宿営地に留まるだけの生活を余儀なくされている。

護衛するはずの英国・オーストリア軍は来月五月で撤退する事を決めた。駐留はタダではできない,我々の尊い税金が使われている。

アメリカの忠実なポチである日本は,イラクのサマワ駐留自衛隊をアメリカの要請で留まり

御主人様であるアメリカの命令にただしたがっているようにしか見えてこない。

このような様子とか,沖縄の基地問題などを見れば,未だに日本はアメリカの半植民地ではないかと思えてならない。 





関東大震災に遭う。



9月1日の天声人語より



 1923年、大正12年9月1日の昼前、寺田寅彦は東京・上野で絵の展覧会を見た。

11時58分、喫茶店で紅茶を飲んでいるときに、関東大震災に遭う。


 両足のうらを下から木槌(きづち)で急速に乱打されるように感じた。

物理学者でもあった人らしい表現だ。

次いで、大きな揺れが来た。

われ先に出口に駆け出す人たちがいる一方、ビフテキを食べ続ける客もいた。

 震災時の東京を、作家の著作で横断的に見ると、揺れや被害は場所によってかなり違った。

家の被害が瓦の落下程度だった芥川龍之介は、早々と見舞いに出かけた。

室生犀星には、子守車にサツマイモやジャガイモをいっぱい積んで届けた。

 犀星は、生まれたばかりの赤ん坊と妻が入院していた都心の病院が焼けたと知らされる。

避難先は不明という。

その夜はほとんど眠れず、翌日上野の公園を捜し回ってようやく妻子と出会った。

 幸田露伴の娘、文は、1日が19歳の誕生日だった。

住まいは隅田川の東方で、被害はさほどではなかったが、傷ついた避難民が続々とやってきた。

萩(はぎ)すすきが見ごろの庭を休み場に開放したが、誰も入ろうとしない。

人々は放心してたたずみ、みとれ、涙をこぼしたという。


 芥川が、佐藤春夫に言っている。

「地震だからいまいましいよ……たゞ自然が四寸動いただけなのだ……不服の持って行きどころがない」。

芥川は、震災で燃える東京を「大いなる溶鉱炉を見るが如し」と記した。


自然が動くのは、いまだに止められない。

しかし炎の炉の方は、少しでも小さくなるように備えてゆきたい。



忘れた頃に天災がくるとは,もう死語になったのではないかと思う程に天災が頻発してきている。

世界的にも地震や津波災害が起きている。関東大地震のような地震が起きればどのようになるか被害は計り知りえない。

近代化された東京での大地震に見舞われた際,結果は予測がつかないのだろうか。科学は進歩している。




新聞記者が書く記事は



9月2日の天声人語より


 新聞記者が書く記事は、大きく三つに分けられると思う。

一つは「何が起きているのか」、二つ目は「なぜ起きたのか」、三つ目は「それをどうとらえ、どうすべきなのか」

 一つ目は様々な事実についてのニュース記事だ。

二つ目は分析や解説記事に当たる。三つ目は社説やコラムなども入るが、筆者の場合は日々苦吟している。

 記者は「何が起きているのか」を求めて世の中の動きに迫ろうとする。

紙面の記事の多くはこの一つ目で、新聞の土台を成している。

ここが揺らいだのでは二つ目、三つ目も揺らぎかねない。

 ましてや、虚偽の内容が記事になるようでは、報道機関として成りたたない。

その、あってはならないことが、本紙の選挙報道の中で起きてしまった。

読者や関係者には、深くおわびしなければならない。


 目方の軽い新聞紙は、いわば、吹けば飛ぶような存在である。

しかし、そこには人と時代の営みが詰まっている。

そしてそれらが、世の中の姿を的確に映しながらつづられている時に、

新聞は初めて、読者の信頼に裏付けられた重みを持てるのではないだろうか。

 新聞記者になって30年以上になるが、今も、輪転機が一斉に回る姿を思い浮かべると心が引き締まる。

何もなかった真っさらな紙に記事が印刷され、世の中に出てゆく。

出たものは、もう取り返しがつかない。

それは、ささやかだが厳粛な事実の誕生であることを改めて胸に刻んでおきたい。

これ以上読者の信頼を損なえば、輪転機を止めざるを得ない日すら来かねない。

覚悟を胸に出直したい。



虚偽の報道もいけないが,権力によって真実を伝えないのもよくない。

萎縮して権力に配慮しただけの報道では読者は正しい判断が出来ない。

権力者にとっては新聞は目の上のタンコブである。手を変え品を変えての圧力があるに違いない。

権力者の圧力にひっかかてはならない。

マスコミが小泉首相の手品に引っかかったのが今回の総選挙の結果でもある。




大型ハリケーン「カトリーナ」に襲われたニューオーリンズで




9月3日の天声人語より


 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本に移住する前、米ルイジアナ州のニューオーリンズで記者として働いていたことがある。

その時代に記憶して後に本にまとめたことわざに「水は絶えず川に向って流れる」がある(『ラフカディオ・ハーン著作集』恒文社)。

 大型ハリケーン「カトリーナ」に襲われたニューオーリンズで、湖や運河の堤防を破った水が市街に流れ込んだ。

街より周りの湖やミシシッピ川の水面の方が高い所が多く、ことわざとは逆に水が絶えず街に向かって流れようとしているような場所だ。

危険性が指摘されていたのに、堤防の強化はなされなかった。

 行政の対応には、まだ疑問がある。

地震とは違い、ハリケーンは刻々と近づく「予告された災害」だ。

対策をとる時間はあった。常襲地帯の住民が怖さを知らないはずもない。

 避難命令は出されていた。しかし逃げる手だてを欠いた人たちが多く、犠牲になったらしい。


行政側は避難のための車の手配や近隣の州との連携を十分とっていたのか。

警告を出すだけでは責任を果たしたとはいえまい。

 ハーン編のことわざ集にはこういうのもある。

「思案が彼の頭に居つくと、足には居らぬ」。

頑固さについてのことわざで「人に足を動かすことを強要できても決心を変えさせることはできない」の意だという。

 災害時には、足を動かすように促されても動けない人がいる。

軽くみて、動こうとしない人がでることも考えられる。

それを前提にして、住民の全体が速やかに足を動かせるように導く計画が必要だ。



ハリケーンはテレビて゜みていると,日本の台風に比べ広範囲で威力がありそうだ。

海の温暖化によってハリケーンも大型化されるようになったらしい。海外のことよりも国内でしっかりやることが

沢山有るのではないでしょうかね。ブッシュさん。





握手は開国日本が避けて通れない作法だった。




9月4日の天声人語より



 南北戦争の英雄だったグラント元米大統領は明治の初めに来日し、天皇と握手を交わしている。

随行した米紙記者が、その場の天皇の緊張ぶりやぎこちなさを強調し、「歴代天皇で初めての握手」と報じた。

 歴代初かどうか定かでないと断りつつ、ドナルド・キーン氏もこの握手の模様を『明治天皇』(新潮社)で詳しく紹介している。

どんなに不慣れでも、握手は開国日本が避けて通れない作法だった。

 維新より前は宮中にも庶民にも握手の習慣はなかった。今でも日本人同士はまずしない。

出張先の外国でやむなく握手することはあるが、気恥ずかしさが伴う。できれば省きたいとも思う。

 先日、衆院選の女性候補が、面談した岐阜市長に握手を拒まれる一件があった。

帰り際、候補が「じゃ握手でも」と求めると、市長がやんわり断った。


特定候補に肩入れしない姿勢の表れだったが、テレビで報じられると、「非礼だ」「大人げない」と批判が集中した。

 昨年秋、球界初のストをめぐる交渉でも握手拒否が話題になった。

席上、球団側代表が笑顔で差し出した手を、古田敦也選手会長がきっぱり拒む。


球団側の甘い顔にだまされてなるものかという決意が感じられ、こちらは広く共感を呼んだ。

 あいさつ文化に詳しい国立民族学博物館の野村雅一教授によると、お辞儀や会釈が伝統の国々にも握手文化は浸透しつつある。

それでも「握手史」の短い人々には、握手はするのも拒むのも難しい。


あまり強く握ると粗野な印象を与えるが、日本人は概して握り方が控えめだそうだ。



「お辞儀」と「握手」は挨拶として日本人は両方使っている。開国前までは「お辞儀」だけだったが次第に欧米文化が

蔓延して「握手」「キッス」と進化?してきた。

うちの祖父などは其の様子を見て「情けない」といつも嘆いていたが,日本固有の文化?が廃れてくるのは嘆かわしい

ことである。




日露戦争の講和条約に反対して



9月5日の天声人語より


 東京の日比谷公園に松本楼という古いレストランがある。

2代目社長の故小坂光雄さんがこんなことを書き残している。

「主謀者たちは、打ち合せのため、松本楼を会合の場所とし??」

 「主謀者」というのは、日露戦争の講和条約に反対して日比谷公園で集会を開こうとした政治家や活動家たちだ。

集会は100年前のきょう、講和条約が結ばれる日に計画された。

 警察は集会を禁じた。

集まってきた人たちは警官隊と衝突し、公園になだれ込む。

集会の後、警察署や交番を襲って、焼き打ちした。

騒乱は3日間続き、17人の死者と多くのけが人を出した。


 日比谷公園がつくられたのは、その2年前だ。日本で初めての西洋風の公園である。

松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲むのが、時代の最先端だった。

そんな公園に、「条約反対」を掲げる人たちが集まった。

 かろうじて勝った戦争だが、連戦連勝と思いこまされていた国民は、賠償金を取れないことに不満を爆発させた。

一方で、「都市の民衆が政治批判の直接行動に出た画期的なできごと」(『東京百年史』東京都発行)という面もあった。


日本はこの戦争を足がかりに韓国の併合、満州の支配へと進む。

そのかたわらで、大正デモクラシーが花開いていく。

 集会の舞台となった広場はいま、噴水や芝生に変わった。

松本楼は、関東大震災での焼失、米軍の接収、過激派による焼き打ちなどを乗り越えてきた。

3代目の社長の小坂哲瑯(てつろう)さん(73)は「100年たって、ようやく平和な公園になったような気がします」と話す。




ブッシュは第二次大戦終結で日本に民主主義をアメリカが与えたと同様に,イラクにも民主主義を与えたやるのだとして

戦争を続けているのだが,既に日本には大正デモクラシーが花開いていたこともあった。

ただ戦後はアメリカの都合のよい民主主義が続いている。

戦後歴代の総理大臣に就任した人たちは先ず最初にすることはアメリカ詣である。

幕府に対して各藩が江戸へ参勤交代したようなものである。お気に入りは大統領の私邸に招かれて骨抜きに

される。反対に招かねられないような人は,早々に立派な人物は退陣させられてしまう。





台風14号の影響で起きた集中豪雨で浸水





9月6日の天声人語より


 畳、ソファ、カーペット、扇風機、クッション、いす。

前夜までは家族とともにあった品々が、泥水の名残をとどめた路上に並んでいる。

昨日の朝、東京都杉並区の住宅街で見た光景だ。

はるか遠くにある台風14号の影響で起きた集中豪雨で浸水した。

 そこここにパトカーが止まり、区職員や消防署員の姿も見える。

ガスや電力会社の担当者も復旧へ向けて走り回っている。

前夜の冠水による混乱は、既に収まっていた。

 混乱が続き、復旧が遅れて「人災」の面がいっそう濃くなっているのが、アメリカのハリケーン「カトリーナ」の被害だ。

被災から1週間、一時の無秩序状態からは抜けだしつつあるが、行政や警察の初動の遅れに批判が強まっている。

 政府は、衛生状態が悪化しているニューオーリンズ市から、全住民を避難させる方針だという。

しかし、避難を呼びかけても応じない人も少なくない。

行政の意図が空回りしているようだ。

 ブッシュ大統領は急きょ、ルイジアナ州などの被災地を再び視察することにした。

2日に視察したばかりだが、その際に見たのは現地の空港と堤防の決壊した場所だけで、

略奪や銃撃の続く市街地には目もくれなかった。

それが「空からハリケーンの跡を眺めただけだ」と批判された。

 「カトリーナ」よりも暴風域が大きいという台風14号が、日本列島に刻々と近づいている。

「阪神大震災以降、地震への防災意識は高まったが、風水害への警戒が薄れている」。

京都大防災研究所の所長、河田恵昭さんの警告をかみしめながら備えたい。




天災が人災にならないように行政側の対応を願いたいものだ。ブッシュはどう見ても賢明な人物にには見えてこない。

熱きキリストの狂信者の面がある。アル中から脱出するには仕方ない事なのかもしれない。一方小泉首相は言葉でしのいで

選挙時には手品で国民の目を誤魔化している。二度目の手品では国民からの票はあつまらないだろう。

少しはブッシュよりましかも知れないが,再び国民を戦争に導かないで頂きたいものです。

戦争こそは最大・最悪の人災である。







総選挙で走り回る7党の
リーダーについて「七人の党首」




9月7日の天声人語より


 繰り返し見る映画の一つに、黒沢明監督の「七人の侍」がある。

大詰めを迎えた総選挙で走り回る7党のリーダーについて「七人の党首」という言葉が思い浮かんだ。

 七という数は、何かをひとまとめにしたり、区切りを付けたりするのにいいようだ。

七曜、七草に七変化、七つの海に七不思議。七転八倒やラッキーセブン、七光りというのもある。

 「七人の党首」は、「七福神」のように、それぞれ笑顔をふりまいている。


皆、おそらくは「七つ道具」があり、「なくて七癖」もあるのだろう。

 各党首を取り上げた本紙の記事によると、激しく競い合う党首には、重なっているところもある。

「尊敬する人」に「信長」をあげるのは、自民・小泉氏と民主・岡田氏だ。

共産・志位氏と国民新党・綿貫氏は、ともに「父」という。

「好きな映画」では、広島の被爆を扱った「父と暮せば」を、志位氏と社民・福島氏があげた。

公明・神崎氏の「男はつらいよ」は、志位氏もあげている。

 カラオケでうたう歌は、さまざまのようだ。X JAPAN(小泉氏)、村田英雄(神崎氏)、ビートルズ(志位氏)、

松田聖子(福島氏)、北島三郎(綿貫氏)。

新党日本・田中氏は唱歌「ふるさと」、岡田氏は、歌わないという。

 カラオケの歌とは別に、「七人の党首」はそれぞれ、日本の未来をうたっている。

ちまたに流れている「七つの未来」のうちで、本当に未来へ希望を託せる「七色の虹」はどれなのか。

よく見比べてから「今」を選んで、未来への責任も果たしたい。



今となっては「七人の侍」ではなく「七人の小人」で,国民はただ小泉首相の手品にころっと騙されて総選挙劇が終わった

空しさを感ずるだけである。





キャッチフレーズ「日本を今一度洗濯」




9月8日の天声人語より


 朝刊に挟み込まれて届いた衆院選の選挙公報を見る。

東京の各政党から来た原稿を、都選管がそのまま印刷して発行した。

党首や候補者の写真、キャッチフレーズがひしめく中に、短い一文が目についた。

 「日本を今一度洗濯いたし申し候」。

幕末の志士、坂本龍馬の言葉で、姉の乙女に送った手紙の中に出てくる。

徳川幕府に対し、薩長連合を策して大政奉還に力を尽くした龍馬の心意気と気迫が伝わってくる。

 言葉は古びていないし、「洗濯」は今の日本にも大いに必要だと思われる。

しかしこれが、「改革を止めるな。」のキャッチフレーズや党首の写真とともに、

選挙公報の一角に置かれているのは、いささか違和感がある。

 この文の下には「TOKYO自民党も、この言葉のように、断固とした決意をもって改革に臨みます」とある。

多くの日本人の心をつかむ龍馬 の言葉と並んでいるのを見て、気恥ずかしい思いもしたが、


ほかの各党がどんな「日本の洗濯」を掲げているかを公報で横断的に見るきっかけにはなった。

 アメリカからペリーの黒船が来航して、欧米の列強の脅威にさらされた龍馬の時代には、

日本という国の成り立ちそのものが大きく揺らいだ。

そこまでの切迫感はないとはいえ、今の日本でも、将来の国の成り立ちが大きく揺らぐような難題は数多くある。

 公報では、各党それぞれに、課題と方策をあげていた。


しかし、くっきりと目に浮かんでくるような「洗濯」の仕方は、なかなか見あたらない。

龍馬ならどんな「洗濯」をするのか、聞いてみたい気がした。




総選挙でキャッチフレ―ズは強い印象を残すだけで中味は空白,小選挙区制の恐ろしさを見た感じである




「郵政民営化に賛成か、反対か」。



9月9日の天声人語より


 「郵政民営化に賛成か、反対か」。それを国民に問うために解散したと小泉首相は述べた。

国政選挙で争点を一つに絞ろうという異例の作戦で始まった総選挙に、審判が下る日が近づいた。

 「首相のリーダーシップ」について、本社の世論調査の結果が載った。

首相が強いリーダーシップを発揮することに「期待している」と答えた人が58%、「不安を感じる」人が26%だった。

期待がかなりある一方で、不安を覚える人も少なくない。


党内だけでなく、国民にも二者択一を迫るやり方への戸惑いもあるのだろうか。

 郵政民営化への賛否だけでなく、A党かB党かといった二者択一を、

これまでの総選挙以上に迫られていると感じる有権者は少なくないのではないか。


小選挙区制では、二つの大きな党の争いの渦で、小さな党がかき消されてしまう傾向がある。

 福沢諭吉が「文 明論之概略」で述べた。

「自由の気風は唯(ただ)多事争論の間に在りて存するものと知る可し」。

政治学の故丸山真男氏が注釈を付けている。

自由の気風は「必ず反対意見が自由に発表され、少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する」

(『丸山眞男集』岩波書店)。

 諭吉は、こうも書いた。

「単一の説を守れば、其の説の性質は仮令(たと)ひ純精善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず」。

丸山氏の注釈では、ある社会に一つのものの考え方だけが流通しているような場合には自由の気風はないということだ。

 ものの考え方の、より広い幅を求めて、ともすれば消されそうな主張にも耳を傾けたい。



刺客と言われる対立候補を立てて「郵政民営化に賛成か、反対か」で問うた選挙結果で自民党は圧勝した。

再び衆議院で郵政民営化法案も圧倒的多数で法案は成立。一応郵政民営化法案騒動は終わったが,

自民党内の反対だった人たちも今回の衆議院では賛成に廻り反対意志の人たちが託した気持が反映していない。

自民党にそれだけの魅力 魔力が何故あるのかはどうしてなのか。

政治の腐敗の根っこは其の辺りが原因しているのではないだろうか。






 90年に来日し、日本語で詩を書いている米国人



9月10日の天声人語より


 羽ばたくチョウの絵に詩が添えられている。

「チョウが はねを うごかすと/くうきも いっしょに うごく。

(略)きみが いま/すいこんだ くうきの なかにも/いつかの アゲハチョウの はばたきが/

はいっていた かもしれない」(『くうきのかお』福音館書店)。

 90年に来日し、日本語で詩を書いている米国人、アーサー・ビナードさんの詩の一節だ。

近著『日本語ぽこりぽこり』(小学館)が、講談社エッセイ賞に選ばれた。

 4年前には『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受けた。

幼い頃、よく魚釣りに連れていってくれた父を、ミシガン州の思い出の川で追憶する。

 「ものは少しずつ姿を消し 記憶も/いっしょに持ち去られて行くのか。

(略)記憶は ひんやりとした流れの中に立って/糸を静かに投げ入れ 釣り上げては/流れの中へまた/放すがいい」。


透き通った表現の中に、生あるものの哀(かな)しみと躍動とが宿っている。

 本紙の東京本社版の夕刊などに連載中のコラム「日々の非常口」では、時に、辛口の言葉を投げかける。

先日のテーマは総選挙だった。

 米国の大統領選では、国民は共和党か民主党かという二者選択のシャワーを浴びせられ、

議論が深まらないようにしむけられる、と語る。


「日本における二大政党への流れを、『民主主義の成熟した形』などといって、耳に聞こえがいいが、

米国人としての体験からいうと、『民主主義の行き詰まりの形』だ」。


今も、米国の投票権を持つ。大統領選では毎回、国際書留郵便で一票を送る。



二者択一は『民主主義の行き詰まりの形』だは判りやすい。色んな意見や議論があってよい。




戦後が還暦になった今年は




9月11日の天声人語より



 戦後が還暦になった今年は、折に触れて、昭和20年、1945年にあったことを振り返っている。

9月の11日には、連合国軍総司令部(GHQ)が、東条英機元首相らの身柄拘束に動いた。

最高司令官マッカーサーによる日本統治が、本格的に始まっていた。


 9月2日、マッカーサーは東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリで、日本の降伏文書の調印に立ち会った。

艦上では、連合国や日本の代表を取り囲んで、水兵たちが鈴なりになっていた。

その一角に、一枚の古びた大きな星条旗が掲げられていた。

それは、幕末に来航して日本に開国を迫ったペリー提督の旗艦に翻っていたものだった。


 マッカーサーは、米国民に向けてこう述べたという。

「きょうの私たちは九十二年前の同胞、ペリー提督に似た姿で東京に立っている」(『マッカーサー回想記』朝日新聞社)。

日本にとって、敗戦による占領は、幕末に次ぐ「第2の開国」だった。

 それから60年、日本は占領下に定めた平和憲法を掲げつつ、軍備では世界有数の国となった。

しかし今のところ、自衛隊は、一人の外国人も殺害していない。

一方米国は、世界の各地で戦争を繰り返し、自、他国に、おびただしい数の墓碑を築いてきた。

 今の時代は、どの国も、外国との関係を重くみなければ立ちゆかない。

一国への偏重ではなく、視野を広げ、とりわけアジアの一員として、尊敬の念をもって交われるようにしたい。

 総選挙が、戦後還暦の年に巡ってきた。

この国の未来を選ぶことは、世界の中の日本のありようを選ぶことでもある。



アメリカに9.11事件があったように,日本でも同じような現象が起きた。とんでもないことが,マスコミでも前からアナウスされていたが

そんなに小泉首相の自民党が総選挙結果のように良いとはどうしても思えてこない。

民意は五分五分だのに結果は圧倒的な差で自民党が圧勝した。選挙制度の欠陥があるではないのか。





小泉純一郎様。圧勝でしたね



9月12日の天声人語より


 冠省 小泉純一郎様。圧勝でしたね。一夜明けて、勝利の味はいかがですか。

戦後の日本に保革二大政党の「55年体制」ができて、今年で半世紀ですね。

度の「05年体制」は、「小泉マジック体制」とか「小泉劇場体制」と呼ばれるようになるかも知れません。

 あなたは、郵政民営化の賛否を国民に問うと言って解散しました。


しかしこの票の大雪崩は、郵政の民営化への賛成だけで起きたとは思えません。

 「殺されてもいい」「賛成か反対か」。

こんな、あなたの「歯切れの良さ」や、目や耳にはっきりと届く一言・ワンフレーズが、人々を強く引きつけたと思います。


尊敬しておられると聞くチャーチル元英首相の語録には「短い言葉は最高」というのがあるそうです。

 圧勝するさまを見ていて、「独」という字が思い浮かびました。

独特な党首の独断による独(ひと)り勝ちでした。

今後、国政が小泉自民党の独壇場になって、独走や独善にまで陥ることはないのでしょうか。

圧倒的な多数を与えた有権者でも、それは望んでいないはずです。

 明治時代、口の悪さで知られた斎藤緑雨という文人がいました。

「拍手喝采は人を愚にするの道なり。つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ、

渠(かれ)おのづから倒れん」
(『緑雨警語』冨山房)。



自民党の中でも色んな意見が出ても当然である。「党議拘束」とかで縛りあけるのはどうかと思う。

違反した人は離党だとの脅かして゛独裁政治が行われてゆくのが余計に恐ろしい。





世の中には、
絶対的に良いものも悪いものも
ないと魔女が言う。





9月13日の天声人語より


 ダークスーツにネクタイ姿が目立つ自民党の幹部のそばで、襟元の開いた小泉首相の明るいシャツが浮き立って見える。

大勝から一夜明けた昨日午後の記者会見では、総選挙の締めくくりに臨む主役の余裕のようなものが漂っていた。

 郵政民営化は長年「暴論」といわれていたが、いつかは必ず「正論」になると考えていた、と首相は会見で述べた。

国民は、民営化法案を否決した国会の方が「暴論」だと判断したと。

 シェークスピアの「マクベス」の中の有名なせりふを思い出した。

「きれいは汚い、汚いはきれい」(中野春夫訳)。

世の中には、絶対的に良いものも悪いものもないと魔女が言う。

 「『今が最(いつ)ち悪い境遇ぢや』なぞとは容易に言へんものぢや」。

こちらは「リア王」に出てくるせりふだ(坪内逍遥訳)。民主党が、小泉旋風に巻き込まれて民意をつかめなかったのはなぜなのか。

それを突き詰めて出直さないと、「今が最も悪い境遇」どころではなく、さらに深く落ち込みかねない。

 劇といえば、比例東京ブロックでは「喜劇・棚ぼた」が演じられた。

圧倒的に多くの票を得た自民党で名簿登載者が足らなくなり、1議席が社民党に転がり込んだ。

「国会の質問王」と呼ばれた保坂展人氏が、一夜のうちに負けと勝ちを味わった。

 「世界はすべてお芝居だ。男と女、とりどりに、すべて役者にすぎぬのだ」(「お気に召すまま」阿部知二訳)。

今年の暑い夏をいっそう暑くした「小泉・総選挙劇場」が、ひとまず幕を閉じた。

残暑の列島に、厳しい日常が戻った。




残暑の季節の中の小泉選挙劇は終わり,小泉首相の手品に拍手喝采しての自民圧勝の大差のつけの責任は国民が背負わなければならない。

与党だけでどんな法律も通ることとなる。

国民はただただ祈るのみである。デモで対抗するだけのアメリカのような気力は日本にはない。!?






英会話の手引書はどれも
発音表記に工夫を凝らした





9月14日の天声人語より


 漂流中に救われて米国で10年暮らした幕末の漁師ジョン万次郎は、帰国後、藩の子弟に英語で数をこう教えた。

ワン、ツウ、テレイ、ソワポゥ、パッイワ。

1から3はわかるが、4と5は現代人には理解しがたい(斎藤兆史『英語襲来と日本人』講談社)。

 英語の音を日本語に置き換えるのは難しい。

同じ課題に終戦直後の出版界も直面した。米兵に何か売るにも、占領機関に職を求めるにも、とにかく通じる英語が欠かせない。

次々に出版された英会話の手引書はどれも発音表記に工夫を凝らした。

 まっ先に出て人気を呼んだのが誠文堂新光社の『日米会話手帳』である。

今から60年前の9月15日に売り出された。


復員した編集者加藤美生氏が、英語に強い大学院生の力を借り、突貫作業で79の文例に発音を付した。

 タマネギはオニオンでなくアニヤン、料理屋はレストランでなくリストウラン、「お掛けなさい」のTake your seatがテイキヨゥスィートである。

限りなく原音に近いカタカナをという気迫が感じられる。

 3カ月余りで360万部が売れた。「出社すると、玄関前に空のリュックを抱えた書店主が大勢待ち構えててね」。

ブームのさなかに生まれた長男美明氏(59)は、加藤氏から思い出話を聞いている。

 81年に黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』が出版されるまで、戦後ベストセラーの首位を保った。

加藤氏は10年前に79歳で亡くなり、1冊が家族に残された。

紙質が悪く、触れると指先からポロポロ崩れる。

いまは書棚の隅で静かに眠っているそうだ



英語会話は国際人としてこれからの国民にとっては必須である。微妙な発音の違いは日本にいる外国の人の日本語による会話を

聞けば判るような気がする。





古代の中国に、
指南車という車があったという





9月15日の天声人語より


 古代の中国に、指南車という車があったという。

歯車仕掛けで、初めに南を向けておくと、車上の人形の手が常に南を指し示して人を導いた。

そこから、教え示すことを「指南」というようになったと辞書にはある。

 世の習い事は様々だが、あくびの師匠が登場するのが落語の「あくび指南」だ。

にわかに弟子入りした男が、師匠の言う「四季のあくび」のうち、

長い舟遊びの後に出るという「夏のあくび」の稽古(けいこ)をつけてもらう。

 何度やっても様にならない。

弟子入りにつきあって来ていた別の男がしびれをきらす。

「教えるやつも教えるやつだ、へッ、教わる野郎も教わる野郎じゃねえか」(『名人名演落語全集』立風書房)。

 東京の大手監査法人の公認会計士4人が、証券取引法違反の疑いで東京地検に逮捕された。

カネボウの粉飾決算への共謀容疑で、見かけの決算を 実際よりもよくした際、

「隠すなら、こうしないと隠せない」などと「指南」した疑いもあるという。

事実なら、帳簿の番人であるはずの公認会計士が帳簿の粉飾の稽古をつけたことになる。

教えた方も教えられた方も病んでいる。


 近年、大手の監査法人の公認会計士らが、企業の不正経理に手を貸す事件が続いている。

企業との密接な関係の中で帳簿の数字を扱うという仕事のありようが、罪の意識を薄れさせたのだろうか。

 これでは、どの会社にも欠かせない帳簿という社会への報告書の信用までが揺らぎかねない。

「日本株式会社」を監視するはずの会計士や監査法人の「指南車」の向きが問われている。



指南する人が間違えば当然に間違う。それが指南される側からの要望だとすると余計に複雑である。





この「制限選挙」は
不当だとする訴えを
最高裁大法廷が認める





9月16日の天声人語より



 樋口一葉の日記に、総選挙の投票日についての一節がある。

「この日総撰挙投票当日なれは市中の景況いつ方も何となく色めきたる姿なりし」(『明治文学全集』筑摩書房)。

 当時は、女性に選挙権はなく、男性の限られた層しか投票ができない制限選挙だった。

それでも文面からは、選挙という新しい仕組みが始まった明治中ごろの街と人々の様子がうかがえる。

 それから1世紀余りたった今、選挙権は成人した日本人に行き渡っている。

しかし、外国に住む日本人には、国政選挙では比例区の投票しか認められていない。

この「制限選挙」は不当だとする訴えを最高裁大法廷が認め、「公選法の規定は憲法違反だ」という判断を示した。

 これまでは、国政選挙のありかたについては、国会の裁量を幅広く認める判断が主流だったから、流れを大きく変える判決だ。

国民の投票する権利を重くみて、不当な制限を長い間放置してきた国会の無責任さを指摘した。

これに限らない、立法府の怠慢への、厳しい警告のようにもみえる。

 世界では、多くの先進国に在外選挙の制度がある。

国立国会図書館によると、選挙資格で出国後の年数を問う国と問わない国とに分かれている。

制限がないのは、アメリカ、フランス、イタリアなどだ。

ドイツでは一般人の場合、出国後10年、カナダは5年まで資格がある(『在外選挙ハンドブック』ぎょうせい)。

 今回の判決で、最高裁は、1人当たり5千円の慰謝料を原告に支払うよう国に命じた。

額は樋口一葉1枚だが、原告が手にしたものは重い。 




民意を反映しない小選挙区制の選挙制度ならば,首相の公選制度があってしかるべきである。

指導者は権力をもっている。国民は権力に弱くなびく。戦後ずーと続いた自民党一党支配政治では

派閥がある程度政権交代の役割りを演じていた。

小泉首相は派閥解消を唱えて,自己への権力集中させ「森派の下の小泉派」が一大派閥になった。

党議違反を手段に権力を乱用すれば何事も国民の意志と異なりまかり通ることとなる。

戦後つちかってきた官民への権力パイプは従横に連なっている。

政官民の癒着で其の恩恵を受けた人たちには中々其のパイプは断つことはできない。




約300年前にセルカークが漂着した島は、
今ではロビンソン・クルーソー島と




9月17日の天声人語より


 南米のチリ沖に浮かぶ島の高台に、小さな記念碑がひっそりと立っている。

「この島で四年四ケ月、完全に孤独のまま生きのびたスコットランド……ラルゴ出身の船乗り、

アレクサンダー・セルカークを記念して」。


「ロビンソン・クルーソー」のモデル、セルカークの足跡をたどっている探検家・高橋大輔さんの

『ロビンソン・クルーソーを探して』(新潮社)の一節だ。

 約300年前にセルカークが漂着した島は、今ではロビンソン・クルーソー島と呼ばれているという。

今年の初めに島で5度目の調査をした高橋さんらが、セルカークの作った小屋の痕跡を見つけたと発表した。

出土品や地層の年代測定などで判断したという。

 99年刊の高橋さんの本には、こんなくだりもあった。

「セルカークが実際に住んだ小屋、生活の痕跡……それらは歴史の中で 撹拌(かくはん)され、散り散りになり、

核心へと近づくのはどうやら遅すぎたようだ」。

執念が実ったということか。

 ルソーが教育小説『エミール』に書いている。

「わたしたちにはどうしても書物が必要だというなら……自然教育のもっともよくできた概説を提供する一巻の書物が存在するのだ……

アリストテレスか、プリニウスか、ビュフォンか。いや、ロビンソン・クルーソーだ」(岩波文庫・今野一雄訳)。


 難破、恐怖、希望、生存。

幼いころに読めば、冒険の世界へといざなわれる。

長じれば、人生の現実に重ねてクルーソーの生き方や言葉を味わうこともできる。

 今回見つかったという痕跡からは、どんな伝言が聞けるだろうか。




一人で島で暮したロビンソン・クルーソーの話は心踊らし読んだものである。





民主党を背負う新リーダー43歳の手腕が問われる




9月18日の天声人語より


 民主党の新代表に決まった前原誠司氏は、比叡山を東に仰ぐ京都市左京区で育った。

卒業した市立修学院小学校のホームページを見ると、校歌は「み空に高き比叡の峰」を歌い、

校舎から見た山影が紹介されている。

 比叡山を織田信長が攻めたのは1571年旧暦9月中旬のことだ。

僧兵の拠点、延暦寺を焼き払い、僧俗数千人を殺害したという。

その比叡山を見て育ったであろう前原氏が最大野党の顔となったことに、信長好きの小泉首相は今どんな思いか。

 今年ほど首相が信長を頻繁に語ったことはなかった。

郵政改革を桶狭間の合戦にたとえ、閣僚には「明智光秀になるな」と念を押した。

「私は信長のように非情だと言われるが、戦国武将たちに比べれば自民党の権力闘争なんか生っちょろい」と演説した。

信長への思いは学生以来らしいが、このごろは言外に自己陶酔もちらつく。

 最近の愛読書は『信長の棺』(日本経済新聞社)だ。

「首相が解散を決めた一冊」などと大仰な宣伝がされているが、読んで著者の年齢に目がとまった。

加藤廣氏75歳。これがデビュー作である。

 中小企業金融公庫や山一証券に勤務し、経営評論家として独立した。

学生時代に作家を夢見たことはあったが、小説の筆をとったのは65歳からだ。

 信長が「余はこの国の無能者の掃除人になることに決めた」と語る場面がある。

とりつかれたような変革志向に、加藤氏も首相との類似性を見る。

政敵一掃を狙うかの観もある首相とどう渡り合うか、民主党を背負う新リーダー43歳の手腕が問われる。





民主党の新代表に前原誠司氏に決まったが,憲法を変えて普通の国にすることに対し抵抗を感ずる。

今までの日本が世界から慕われてきたのは,安心して付き合い出来てきたのは日本は「戦争放棄」した憲法をもった国だからである。

原爆が投下された唯一の世界中で一国でのみある日本は,世界の平和大国として活躍してほしいものである。

戦争体験がない人たちが日本の国の構成比率が高まり戦争の悲惨さが伝わらないのが悲しい。

絶対に日本人は戦争に荷担してはならない。

もし国連下に入るならば日本国籍を外し国連傘下にはいってほしい。

戦争は悪である。正義の戦争なんかありえない。戦争とは正義と正義の戦いである。

負ければ悪者 勝てば正義は正しいで歴史で嫌と言うほどに教えてくれている。





芸術の誕生




9月20日の天声人語 より


 山路(やまみち)を登りながら考えた漱石は「兎角(とかく)に人の世は住みにくい」と「草枕」で書いた。

「住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

こゝに詩人といふ天職が出来て、こゝに画家といふ使命が降(くだ)る」。

芸術の誕生だ。

 東京で開かれていた「書はアートだ! 石川九楊の世界展」を最終日のきのう見た。

「アートだ!」という言い方に軽みとユーモアを感じて行ったが、気鋭の書家の「書業55年・還暦記念展」の中身は重かった。

 福井県に生まれ、5歳で本格的に書を始めた。


大学卒業後に会社勤めもしたが、書家として独立、実作の他、書や文字に関する評論も多く発表してきた。

 作品は、現代詩や自作の詩を書に表したり、「源氏物語」や「徒然草」を極細の線が延々と続く筆致でつづったりと、

一つ一つの字は読み取れないものも多い。

しかし細く震えるような線と線が重なり合って、新しい表現を生み出している。

文字による絵のようであり、建築のようでもあった。

 次に東京の練馬区立美術館の「佐伯祐三展」(10月23日まで)へ向かった。

パリの通りの壁に、広告の文字が所狭しと書き込まれた「ガス灯と広告」の前に立つ。

 石川さんは、「このような佐伯の文字への関心は尋常ではないように思われる」と書いている(『書と文字は面白い』新潮文庫)。

この画風を書でいえば、草書をさらにくずした「狂草体」とする評もあるという。

ひしめき合う文字の群れを見ながら、佐伯に「画家といふ使命が降」った時を思い浮かべた。



芸術の秋で「書」や「絵画」展が目白押しに催されている。親しみでは絵画の方にある。

書展も観るがどうも判らない。上手な人がわざわざ下手に書いているようにしか見えてこない。

空海の字はすばらしい。正当な字がすきである。絵も現代絵画は理解できない。

印象派辺りの絵が一番親しみがもてる。





中国外務次官が、長編小説「紅楼夢」を、




9月21日の天声人語より


 清の時代に書かれた長編小説「紅楼夢」は、中国の四大古典小説の一つとされる。

大半は曹雪芹(そうせつきん)の作といわれ、大貴族の盛衰や、主人公を取り巻く女性らの人間像が多彩に描かれている。

 北京での6者協議の共同会見で、武大偉(ウーターウェイ)・中国外務次官が、「紅楼夢」を劇にした作品の歌詞を紹介したという。

「一つ一つの高山、一枚一枚の壁」で、「合意への過程は、我々6者が山を越え、壁を乗り越える過程だ」と述べた。

北朝鮮が、すべての核兵器と今ある核計画の放棄を約束した共同声明は、守られれば、世界の安定にとって大きな一歩になる。

協議の議長国としてホッとした場面なのだろう。

 武次官は、中秋の名月には月見を名目に夕食会を開き、月餅を振る舞って長時間各国を説得したという。

紅楼夢にも中秋の名月のくだりがあった。

 男が酔ってうたう。

「時しも中秋十五夜の満月、すがすがしい光が欄杆に囲まれた中庭をくまなく照らし渡している」(岩波文庫・松枝茂夫訳)。

「名月の庭」で何が動いたのかは分からないが、各国とも、とりつく島を失わないで済んだ。

 「この大宇宙、もとより東西も南北もないのだから、どこに住みつこうと同じこと。

空中より来たからには、空中に去るまでだ」。これも紅楼夢の一節だが、現実世界のくびきは重い。


 日朝間には拉致問題が重く横たわる。

北朝鮮が拉致被害者のものとして提出した遺骨は、日本側のDNA鑑定では別人のものと判明した。

道は険しいが、政府は共同声明の順守を促しつつ、拉致問題での協議も強く進めてほしい。




中国 朝鮮は日本にとって古代から色いろなかかわりがある。当時日本は弥生時代から大和時代,奈良時代.平安時代に

遣唐使 遣隋使が派遣されて先進国としての文化を学び文物の輸入を努めている。朝鮮の百済と同盟して白水江で高句麗軍と

戦っている。多くの百済人新羅人中国人が渡来し新しい技術を伝えている。近代になっても江戸時代朝鮮使節が来日している。

不幸な朝鮮植民地時代 日中戦争があっても,これからもずーと一番大切に付き合って行かなければならない

親しい隣国であらねばならない。それが小泉首相の靖国神社参拝で,特に中国との首脳の交流が途切れている。

靖国神社参拝は是非止めてもらいたい。するならば首相を辞してからいくらでも参拝しても国民は文句は言いません。






後藤田正晴・元副総理が、91歳で死去した。




9月22日の天声人語より


 特別国会が始まる前夜、森前首相が自党の新人議員の一部を皮肉った。

「歳費がこれだけもらえてよかったとか、宿舎が立派でよかったとか、こんな愚かな国会議員がいっぱいいる」。

批判は自由だ。しかし、その議員を候補に選んだのはどの党かと問いたくもなる。


 昨日、小泉首相が生みの親とも言える「小泉チルドレン議員」が続々初登院した。

失礼ながら、国会が小泉・テーマパークになったかと錯覚しかけた。

 国会は一段と小泉色に染まりそうだ。

こんな時こそ、しっかりとしたご意見番が欲しいが、なかなか見あたらない。

かつて、そうした貴重な存在だった後藤田正晴・元副総理が、91歳で死去した。

官僚として旧内務省に勤め、戦時中は台湾に出征した。

戦後は警察庁に身を置き、その後は自民党政権の中枢に居た。

庶民には経験しえない道を歩いた人だが、独 特の人情味と大局観があった。

 7歳で父を、10歳で母を失った。


なぜ自分だけ両親がないのかとの思いを持ち続けながら、負けず嫌いの頑張り屋になったという。

 96年に衆院議員を引退したころ、日本の政治でいちばん大切に思っていることは、と問われて答えた。

「それは平和を守ることですよ。海外へ出て武力行使なんてのは絶対やっちゃいかん、それだけだ。

なんでそういう愚かなことを考えるのかね」(蛭田有一写真集『後藤田正晴』朝日ソノラマ
)。

 若き日の戦争の実体験で身にしみた、痛切な戒めなのだろう。

その言葉は、議員の大半が戦争を知らない世代となった国会への、遺言のように聞こえる


最近元気な姿で後藤田正晴さんと中曽根康次さんがご意見番として現在の政治について意見をだしておられたテレビをみる。

しっかりした発言である。でも高齢には勝てないか亡くなった。

「それは平和を守ることですよ。海外へ出て武力行使なんてのは絶対やっちゃいかん、それだけだ。

なんでそういう愚かなことを考えるのかね」
と,これからもずーと大切にしたい言葉である。




しかし、歴史は繰り返すともいう。




9月23日の天声人語より


 3年ほど前までは、家屋と駐車場が入り交じった一角だった。

去年あたりから、家が一つまた一つと取り壊され、今では駐車場だらけの大きな広場に姿を変えた。

東京の都心部の、ある住宅街の変容だ。

 その様子から、何かが忍び寄って来る気配は感じていた。

先日、東京の地価が軒並み上がっていると知り、あのバブル期の狂騒が再来するのではないかと不安を覚えた。

 東京証券取引所では、バブルのころよりもはるかに大きな商いが続いている。


株価も上がってきた。

インターネットを通じた個人投資家の短期売買の繰り返しが出来高を押し上げているとはいえ、

巨額のオイルマネーが流れ込んでいるとの見方もあるという。

 バブル期と今とでは、時代の様相は随分違う。

銀行が土地買収の資金を大量にばらまき、不動産業界も市民も踊ったあの異様さの再来は考えにくいかもしれない。

しかし、歴史は繰り返すともいう。

 石原慎太郎・東京都知事が、2016年のオリンピックを再び東京に招致する活動を始めると表明した。

64年の五輪では、都心の川を埋めて道を造り、道の上にまた道を走らせ、東京を車優先の街に変えてしまった。

いわば車とビルのバブルで街並みを壊し、地上の人の視野を奪った。

今はむしろ、五輪よりも前の街の姿を取り戻す試みの方が必要なのではないだろうか。

 東京には、五輪で得たものと失ったものが数多くある。

いったん失ってしまえば回復するのは難しい。


その功罪を見極めず、やみくもに誘致に走るとすれば、バブルの再来をあおりかねない。


繰り返しても良い歴史と,絶対に繰り返してはいけない歴史とがある。





東京都港区の都青山霊園に足を向けた




9月24日の天声人語より


 黒っぽい墓石の上に、一枚の桜の葉が載っている。

もうしっかりと黄色に染まって、気の早い桜だ。線香の煙が漂ってくる。

秋の彼岸の中日に、東京都港区の都青山霊園に足を向けた。

 大久保利通、乃木希典、犬養毅、志賀直哉……。

広い敷地には、日本の近、現代史に登場する人物の墓が点在している。

 そこここに、小さな白い看板の立つ墓がある。

「10月までに使用者が申し出なければ、無縁仏として改葬します」。

霊園の再生計画を進める都が、墓の権利関係を整理するために立てたという。


看板は、著名人の墓の前ではあまり見受けないが、万を超す区画の中には、長く使用者との連絡がつかない墓もあるようだ。

 小さな看板が林立する一角があった。外国人墓地だ。

明治の文明開化のころから日本に西洋文明を伝え、故国に戻ることなく日本の土となった人たちが多く眠っている。

 紙幣の印刷を指導したイタリア人キヨッソーネの墓のように、手入れが行き届いているものもあるが、

白い看板が立てられた墓が並んでいる。

しかし都では、外国人墓地は歴史的な価値が高いので、原則として現状のまま残すという。

この外国人墓地からほど近い区画に眠る斎藤茂吉の歌集「ともしび」に、こんな一首があった。

〈ならび立つ墓石(はかいし)のひまにマリガレツといふ少女(をとめ)の墓も心ひきたり〉。

 そう大きくはない簡素な茂吉の墓には「茂吉之墓」とのみ刻まれている。

供えられた花は、まだ新しい。


白菊とリンドウの間から白ユリが首を伸ばし、秋分の空に向かって開きかけていた。




明治の文明開化のころから日本に西洋文明を伝えた外国人 日本に帰化した外国人 そして我々も中国 朝鮮から

渡来した祖先をもっているかも知れない。もともとから日本にいた人はいないそうだ。





髪を黒く染め直させようとしてもめたことが




9月25日の天声人語より


 8年ほど前、ある運送会社で社員に髪を黒く染め直させようとしてもめたことがあった。

髪を黄色く染めた若手を、上司が「取引先に印象が悪い」と説得した。

社員は「好みの問題」と譲らず、3週間やり取りした末に解雇される。

 社員が訴え、争いは裁判の場に持ち込まれた。

「染髪で社内秩序が乱されたというのは大げさ。

解雇権の乱用だ」と会社側が敗れている(「労働判例」732号)。


 今日が千秋楽の大相撲秋場所でも、関取の髪を黒く染めさせるかどうかが話題になった。

バルト海に面した東欧の小国エストニア出身の把瑠都(バルト)である。

生まれつきの金髪だが、入門からわずか8場所で関取に昇進し、その鮮やかな髪に改めて角界の目が集まった。

 関取になれば大銀杏(おおいちょう)を結うのが決まりだが、これまで金髪の大銀杏など見たことがない。

今場所をわかせた琴欧州は、 ブルガリアの生まれだが、髪は黒に近い。

朝青龍らモンゴル勢や、曙らハワイ出身者にも金髪の関取はいなかった。

 「大銀杏は目立つからやはり黒く染めた方が」という声が一部で伝えられた。

だが日本相撲協会では「自然な色のままでよい」という意見が優勢のようだ。

「生まれつきの髪がいい」と本人にも染める考えはないらしい。

 番付にはロシア、チェコ、ブラジルと外国勢が並ぶ。

多くは10代で来日し、日本語を覚え、伝統的な日本文化になじもうと努力してきた。

昇進すると髪の色まで変えられるのではやはり気の毒だろう。

そういえば、秋を彩るイチョウの大葉はもともと輝くような黄金色である。


日本人には黒髪が似ている。歳をとっての白髪は仕方がない。





なんと、100万票も与党より多いではないか。




9月26日の天声人語より


 まさか。そう思って、2度、3度と検算してみた。やはり正しい。うーむ。

考え込んでしまう。先日あった総選挙での300小選挙区の票数のことである。

 自民、公明両党の候補者の得票数を合計すると、ざっと3350万票だった。

一方の民主、共産、社民、複数の新党や無所属を全部合わせると3450万票を超えている。

なんと、100万票も与党より多いではないか。


 小泉首相は断言していた。「郵政民営化の是非を問う選挙だ」。

そして、法案に反対した自民党議員の選挙区に「刺客」を送った。

「民営化反対だけの候補者になったら有権者も困る。

賛成の自民、公明どちらかの候補者を出さないと選択できない」という理屈だった。


 まるで、小選挙区で民営化への白黒をつける国民投票を仕掛けたように見えた。

ならば、この票数では民営化は否決されたことにな りはしないか。

反論はあろう。無所属の中には民営化賛成もいたとか、比例区の得票数なら与党の方が多いとか。

 でも与党の議席占有率ほど、民営化の民意が強くないのは確かだ。

小選挙区制は死票が多いぶん、民意のわずかな違いが大きな議席の差を生み、政治を一気に動かしていく。

12年前、カナダで約150あった与党の議席が2に激減した例もある。

 とはいえ、民意を一方向に束ねたような今回の結果には改めて驚いた。

きょう、小泉首相は所信表明演説で郵政民営化を熱く語るはずだ。

そのとき、小選挙区への投票者の過半数が、必ずしも民営化に賛成ではなかったという事実は、

頭の片隅にあるのだろうか。



自民党と公明党票の合計が3350万票でその他の民主、共産、社民、複数の新党や無所属を全部合わせる3450万票で

約100万票が多いが結果は与党の圧勝である。民意は郵政民営化は反対であるはずである。

でも衆議院 参議院とも郵政民営化法案は再提案で通過して成立した。

これからもどのような法案も成立する。参議院にて否決されても衆議院で三分の二以上が与党なので参議院のチェック機能も

働かない。与党で合意できた法案は全てが通ることになる。

恐ろしい時代に入った。

でも与党支持者よりもその他の支持者を全部合わせると100万票多かった。

議会では与党が大多数でそのようにはならない。

日本も直接選挙の大統領制度を導入すべきでときではなかろうか。





戦前の逓信相小泉又次郎氏は
小泉首相のおじいさんである。





9月27日の天声人語より


 戦前の逓信相小泉又次郎氏の肉声を聴く機会が先日あった。

小泉首相のおじいさんである。

札幌市の元公務員森山正男さん(65)が先月末入手した古いレコード盤に演説が収められていた。

電話口でそれを聴かせていただいた。

 「予算成立後の会期最終日に突如議会を解散するとは武士にあるまじき行為。

予算食い逃げ内閣である」。昭和12年の春、林銑十郎内閣の唐突な解散を糾弾した。

朗々とした声、文語調の言い回し、殺し文句の使い方も巧みだ。

その5年後に生まれる孫が後年首相を務め、解散を強行することになるとは知るよしもない。

 又次郎氏は「入れ墨大臣」と呼ばれた。神奈川県の漁村にとび職の次男として生まれた。

背中に竜の図を彫り、港で気の荒い労働者を束ねた。


教員や県議をへて衆院当選12回、城山三郎氏の『男子の本懐』(新潮社)にも庶民派大臣として登場する。

 戦前の政界名鑑を開くと、普通選挙運動の闘将として「血を吐くような熱弁」をふるったとか、

警官の制止をはねのけて「活火山のごとく」演説したとある。

扇動型の弁舌だったらしい。

 それに比べると、昨日の小泉首相の所信表明演説には華がなかった。

米百俵の逸話を紹介し、墨子やダーウィンを引いた従来の演説と比較しても、平板で高揚感がない。

捨て身の衆院選で大勝し、この先何を志すのか聞いてみたかった。

 外見こそ父親似だが、首相の直観や話術は祖父譲りと言われる。

ケンカもたんかも上手な「入れ墨又さん」の遺伝子が再び暴れる日が、残り1年の在任中にあるのだろうか。



祖父に似たのか,似ないのか喧嘩は好きそうなタイプである。一徹なところが似ているのか。

どちらにしても二代三代の議員はご免にしたいものである。

その選挙区の地盤が「社長もいろいろ」で働きもしない社員を雇うような太っ腹な社長が出現して政治家と民間企業の癒着の

匂いがプンプンすることが起きてくる。是非二世三世議員の同じ住所・地盤からの立候補は絶対に禁止すべきである。

自民党の突出した強さは長年にいたり利権を手中にしている所にある。





「口をのぞけば家庭がみえる」




9月28日の天声人語より


 「口をのぞけば家庭がみえる」。小児歯科にかかわる人の間で、そんなことが言われている。

治療をしないまま、たくさんの虫歯が長く放置されている。

口の中が不潔で歯垢(しこう)がべったり張りついている。

こんな時、保護者に子育ての様子をたずねてみることも提唱されている。

 3年前、暴力や育児放棄などから保護された子どもを東京都と都歯科医師会が調べたところ、

虫歯や未治療の歯が目立った。

「歯科の現場で児童虐待のサインを見つけられるかもしれない」と、各地の歯科医師会では、

異変を発見したら連絡するよう会員に呼びかけるところも出始めた。

 「でも、もう一押しが足りません」と千葉県歯科医師会長の岸田隆さんは言う。

昨年から注意を促しているが、報告はまだ一件もない。

 「そもそも、進んで治療に来る子の家庭に問題がある可能性は低い」と岸田さんはみる。

発見の一つの鍵は乳幼児に一斉に行う歯科検診だが、十数%は会場に来ない。

色々な事情が考えられるが「やはり、その十数%に問題が潜んでいるのではないか」

 未受診の子を訪ね歩き、歯を診て、保護者とも言葉を交わしてみてはどうか、と岸田さんは提案する。

子どもたちを救う大きな手だてになるのではないかと、目下、県に予算を組んでくれるよう求めているところだ。

 昨年度の児童相談所への虐待相談は全国で約3万3千件。

十数年で30倍に増えた。心を凍らせた子どもは、まだたくさんいる。


「無関心ではいられない」。岸田さんの言葉は、大人一人ひとりに投げかけられている。




歯医者はどうも苦手である。余ほどに痛まないと受診することが少ない。歯も身体の一部である疎かにはできない。





朝日新聞の見出しは「天皇陛下、
マツクアーサー元帥御訪問」だ




9月29日の天声人語より


 一瞬を切りとった写真が、時代を語ることがある。60年前のきょう、9月29日の新聞各紙を飾った1枚がそうだ。

 両手を腰に当てた軍服姿の180センチと、モーニングを着て直立する約165センチ。

朝日新聞の見出しは「天皇陛下、マツクアーサー元帥御訪問」だ。

勝者の余裕と敗者の緊張が並ぶ構図は、人々に日本の敗戦を実感させた。

 撮られたのは掲載の2日前。昭和天皇が米大使館に元帥を訪ねた初会談の時だ。

外務省の公式記録には「写真三葉ヲ謹写ス」とある。


「元帥ハ極メテ自由ナル態度」で、天皇に「パチパチ撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン」と説明した。

 未発表の2枚はいま、米国バージニア州のマッカーサー記念館にある。

1枚は元帥が目を閉じている。

別の1枚は天皇が口元をほころばせ、足も開いている。

どちらも、発表されたものに比べて、天皇が自然体に構えている。

そのぶん「敗者らしさ」が薄まって見える。

 あの写真は勝者を際立たせただけでなく、時代の歯車も回した。

載せた新聞を、内閣情報局が発売禁止にすると、

これに怒った連合国軍総司令部(GHQ)が「日本政府の新聞検閲の権限はすでにない」と処分の解除を命じた。

同時に、戦時中の新聞や言論に対する制限の撤廃も即決したのだ。

 翌30日の新聞で、それを知った作家の高見順は『敗戦日記』(中公文庫)に書いた。

「これでもう何でも自由に書ける……生れて初めての自由!」。

こんな、はじける喜びの浮き浮きした感じにこそ、あの写真が語り継ぐ時代の重さの実感がこもっている。




天皇がマッカーサーを訪問した写真の報道を薄っすらと記憶にある。今まで神とも信じさせられていた天皇が直立不動で

葉巻をくわえたマッカーサーとの写真は何ともいえない衝撃的なワンシーンであった。

各家庭に天皇皇后がご真影としてかざられて拝むような気持で眺めていたその人である天皇陛下が子供のように立っている姿を見て

不思議な気がした。敗戦を実感した以上の何かがあった。

占領政策の一環としてのアメリカの行動の一つだと考える。イラクでフセイン大統領が丸坊主の医師とかに口の中を調べている写真と同じである。

いつも占領軍は威張っている。

確かデモを予定していた労働者のストライキがマッカーサーの命令で中止させられたラジオ放送で涙声で語っていた労動者の

指導者の声が今も耳にある。正当な民主主義的な行為がマッカーサーの一声で変えられた。

それが敗戦当時の日本の姿で,今も半分はアメリカの植民地が続いている。






「平和への思いを継いでくれている人がほとんどいない」




9月30日の天声人語より


 最近の言葉から。小泉自民党が圧勝した総選挙。

故三木武夫元首相の妻睦子さんは、二大政党の流れとあわせて護憲の埋没を憂える。

「平和への思いを継いでくれている人がほとんどいない」


 万博の次は夏季五輪。東京都知事は「閉塞(へいそく)感を打破するためにも、日本の首都である東京に」。

福岡市長は「ヒューマンスケール(身の丈にあった)の五輪をめざす」。

札幌も動いているが、いま、なぜ必要かの議論が欠かせない。

 1万3千円をだまし取った30代の男性が、横浜で逮捕された。

家庭に恵まれず、職も失っていた。更生できると弁護士らが奔走し、就職先を見つけて執行猶予を得た。

男性は言った。「もう、まともには生きていけないと思っていた。得たものの方が大きかった」


 不登校を経て仕事に就いた人たちが『学校に行かなかった私たちのハローワーク』(東京シューレ出版)に思いをつづった。

「子どもは時期を待つと、自分のペースで、きちんと一つひとつ階段をのぼっている。あぁ、私はこの感覚を知っている、と思った」(保育士26歳)。

 岐阜県の旧加子母(かしも)村の住民グループが毎月情報紙を出している。

合併で村の広報が廃刊になり、行政の印刷機を借りて1千世帯に無料で配る。

編集長の秦雅文さんは「『読んだよ』という声を掛けられるのが一番うれしい」

 78年間連れ添う鹿児島県肝付町の池袋幾久治さん、知恵さん夫妻がそろって白寿を迎えた。

「悪いところは助け合い、良いところを尊敬し合う。

そして笑顔を絶やさないことが大切」と知恵さんは言う。





良寛の詩





良寛の生き方に共鳴して何回もそらんじた詩がある。丁度40歳台後半から五十歳台前半の頃の話である。

生涯 身を立つるにものうく
とうとう 天真に任す
嚢中 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の跡
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
双脚 等間に伸ばす

「生涯身を立つにものうく,謄々天真に任ず,嚢中 三升の米, 炉辺 一束の薪,誰か問わん名利の塵,

何ぞ知らん迷梧の跡,夜雨草庵のうち,双脚伸ばす」。

暗記したままの言葉を書いているので少しの間違いがあるかもしれない。

でもインターネット検索で見てみると抜けている所が1箇所見つかった

これは全く素晴らしい内容の詩だと今も思っている。

人間いくら生きても今から150年も経れば,現在地球上に生きた人たち世界中誰も全員が100%死んでいる。

それだけを考えると虚無に陥る。

だからこそ,短い人生大切に自分らしく一生懸命に精一杯生きてゆきたいものだと思うところにある。

毎日の目の前の迷いに惑わされずに自分らしく生きられれば良いのにと考えている。

良寛の詩には共鳴した文化人が多いらしいようですが,まだ読んでいない人があれば読まれることをお薦めします。

我々誰もは目先の名利に眩んで毎日の行動を起こしている所が多いようです。

その名利をば塵と突き放した所でゆったりとした生活が生まれるようで,凡人にはなかなかの至難の技でもありますが。




ゴルフと囲碁




趣味としてゴルフと囲碁がある。絵を描いたり将棋に熱中したこともある。今では趣味は何かと問われればゴルフと囲碁を上げる事ができる。

パソコンの趣味の内か。どちらにしてもどれもこれも上達がない。囲碁は始めたのは学生時代だからかなり早い頃からである。

最近はパソコンで相手が直ぐにみつかるからありがたい。ゴルフは半分健康の為の運動と思ってやっている。

凝りだすと毎日練習するが,やらないとさっぱりとやらない。冬・夏の寒い暑い時期は休む事にしている。

健康に悪いと考えるからである。そんなゴルフだから上達しても次のシーズンになると又元に戻ってしまっている。

テレビで15歳の若者がアンダーで廻るのを見ていると,長年なにやっているのにと,自分を叱りたい気持になってくる。

最近は少しの縁で,他のことに興味が出てきてやる機会もすくなくなってきた。そちらをも調べたりして趣味でやることが

益々に増えてくることはありがたいことである。行基から空海そして仏像 灯篭 庭園と次から次に興味が湧いてくる。

この間京都に住みながら久しぶりに東寺に訪れてみた。

以前わからなかったことが少し理解出きるようになった。

伏見稲荷と弘法大師の関係があるのは東寺の寺院の用材を稲荷山から調達した事にあるようだ。

東寺にもお稲荷さんが祭られている。安詳寺の恵運が中国より持ち帰った仏像五体が東寺の子院,観智寺に祀られていた。

講堂の立体曼荼羅像は以前は理解できなかったが,今回は少し理解できるようになた。

京都国立博物館の安詳寺の大日如来を中心とした仏像と東寺の仏像五体は少し違っている。

京都国立博物館の大日如来は少し違和感を感ずる。中国のものを模している可能性もあるように思えてくる。

ゴルフはシンプルで練習を怠ければ腕が落ちてくる。でも始めるとゴルフの感は直ぐにもどるようだ。





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