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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


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11月になって

11月にもなると寒い日が多くなって来て,その寒い日が続くことが多い。

紅葉も高地の山々から次第に身の回りの住んでいる地域まで,赤色 オレンジ色 黄色とそしてそれに

緑色も混ざり合い,美しい風景を醸し出してくれる。

紅葉で有名な寺院には紅葉を見物する人たちの大勢の人波がたえないようだ。

温かな日向で,お寺の境内に展示してある菊の特別展も目を楽しませてくれる。

丹精に込め育てられた色とりどり菊の姿に心が和み,この季節の風物詩でもある。

来年からは大阪枚方の菊人形展がお終いになるようだが,それを惜しむかのように

今年は特に多勢の人たちが菊人形展の見物に詰め掛けている。

そのことがあってかどうか,来年からも有志だけで菊人形展は続けてゆくとの新聞報道がなされている。

最近,特に新聞などマスコミを賑わしているのが,姉歯設計事務所の鉄筋構造物の鉄筋の量の誤魔化し事件である。

それには木村建設 その子会社の平成建設 販売会社ヒューザー建設 シノケン 企画コンサルタント会社の総合経営研究所などと,

建築物をチェックする機能が民営に委託されて行われたチェック機関イ―ホームズ会社 ERI会社が利益を出すため暗黙の結託を続けて

鉄筋を細くして,数も少なくして建設費のコストを下げている。

グループ全体でもって欠陥がある危険な鉄筋建築物を今までに沢山作ってきた事が判明している。

そこに住んでいる人たちへの立ち退き勧告がなされ,そこの住民達は非常に困惑している。

国会における証人喚問質疑は今も続けられている。

小泉首相のいう「民間でできることは民間で」がキャッチフレーズの小泉構造改革の欠陥が明らかに露呈した事にもなった。

これは些細な改革の破綻のはじまりである

小泉首相の進める構造改革による後始末はこれから続々と出てくると考える。

確かに効率がよくとも,国民の安全が脅かされて,最終的にそれを補填するために,莫大な税金が使われていてはそのような

改革はなにもならない。

そして多くの人たちをば危険にさらし苦しめている。

監督は厳重中立的な立場である官がなすべき仕事であるのが,民に移った為に起きている。

官民の癒着はいままでも恒常的にあったがこのような出来事は初めてだ。

そうなると何のための改革なのかは判らない。これは初めから誰もが予想できることだ。

なにもかも民間へ,民間へと小泉首相の唱えている改革には危険性を沢山はらんでいることを今回の事件が証明している。

効率優先 利益優先だけでは社会は上手く動かない,それがだめな事は今回の事件が一番証明してくれている。

民営化することだけが最高の改革だと言う事は全くの嘘である。

現在大企業などの税金減額してもらい儲けた大企業群と,さらに税金で苦しめられる庶民との格差が益々に拡大してきている。

十数年前までの日本では,国民全てが中流階級意識をもっていた時代があった。今となるとそのことが懐かしい。

これから小泉構造改革とやらの欠陥が次から次へと露呈し続出する頃には,多分小泉首相は辞め政界にはいないであろう。

「そんなこと俺は知らないことで責任はない,全ては俺を選んだ国民が悪いのだ」と,あの人だったら言いそうだし,言うに違いない。

歪んだ社会を作り出したのが構造改革で,世界ではイギリスで既に何年も前にサッチャー首相が行い,上手くいっていない。

日本を効率優先,利益優先のミニ米国型の国家を作り出そうとしているだけの事である。

世界は狭くなった。情報もアメリカ イギリスのテレビ番組が直接CS衛星放送で見ることのできる世の中になった。

はるか彼方のベールに包まれた理想のアメリカだけを,国民に見せることだけはできなくなってきた時代である。

ブッシュのような国民から支持率が少ないアメリカ, 二つに大きくわれたようなアメリカ社会を理想とするのでなく,

日本らしい独自の暖かい国作りをするような首相が出てきて欲しいものである。

野党第一党の民主党タカ派的な前原党首がアメリカで「訳の判らんことを言っている」ようでは日本の未来はまだまだお先真っ暗である。

前原党首はその後のアジアに行っても相手にされていない。明らかに若過ぎるのと役者不足である。

民主党党首選挙では2票の差で敗れた管直人さんがなっておくべきであった。不味い選択をしてしまっている。

前原党首は政権を担うにはあまりにも若すぎ,荷が重くてできそうもない。誰が見ても岡田前党首の方が手堅く信頼度がある。

政権交代の下準備にまずアメリカ参りするような政党では,日本の独立はまだまだ先の遠い話である。

小泉首相自身が民主党との大連合を言い始めているようでは日本もお終いだ。

民主主義の主権在民のイロハがわかっていない人達によって政治がおこなわれ国民は馬鹿にされている。

又今年の「流行語大賞」に自民党の武部幹事長が賞をもらいに出かけたり,

改ざん鉄筋建築事件の荒さがしをしていれば,限りがなく不正が増えて,

景気が悪くなるので,止めておいた方がよいと言う幹事長を頂いた自民党に国民は政権を託している。

自民党は衆議院では圧倒的多数の議席を占め憲法も改正できるような人数に増えている。

今や自民党だけで何でもできる時代だ。

そしてさらに野党第一党の民主党と大連合を言葉にする首相は国民は全く眼中にない。

ただ自分達中心の考えだけを持っている。国民はもっともっと怒るべきだ。

現在,自分に反対する人達は自民党から出てゆけとばかりに,絶大な権力をもった一人の首相によって

日本の国はハイジャックされたような状態である。

歴史を振り返れば,権力を握った人はいつの時代でも強い。

特に無神経な人が権力を握ればなにをするかは訳がわからない。

その下の国民たちも,一人一人が権力になびき,末端にまで浸透しまっていっている。

人間は権力に弱いことは昔も今も同じで変ってはいない。

これら改革すべき事がたくさんあるにも拘わらずに,このままではお先真っ暗である。

民間に移すことがだけが改革だと信じて止まないアメリカのポチである首相をもっている限りにおいて,

情けない時代が続きそうだ。

誰か世界が一目ニ目も置く平和大国日本をめざす人物がでてほしいものである。

日本が国連常任理事国になれなかったのも,現状では当然の事であった。

世界から軍事大国日本の誕生をば警戒されている。静かに日本にその動きがある。




自民党の「新憲法草案」と、在日米軍再編の「中間報告」が



11月1日の天声人語より引用

自民党の「新憲法草案」と、在日米軍再編の「中間報告」が相次ぎ発表された。

日本の未来を大きく左右しかねない二つの方針は、「軍」を軸にして絡み合っている。

 草案は、自衛隊を「自衛軍」とした。

今の憲法には、軍の暴走によって泥沼の戦争になってしまったという思いが込められている。

戦後60年たったとはいえ、「軍」への改変に抵抗を覚える人は少なくないはずだ。

 「中間報告」の方は、自衛隊と米軍との「融合」を打ち出した。

米軍は究極のところは米国の国益のために存在している。

もしも「軍」同士になって「融合」した場合には、米政府の戦略に今以上に左右されないか。

 折しも米国では、チェイニー副大統領の首席補佐官・リビー氏が、

イラクの大量破壊兵器(WMD)をめぐる情報に絡んで、偽証罪などで起訴された。

補佐官は副大統領とともに「イラクがWMDを持っている」などと主張して、開戦を強硬に推進した。

 パウエル国務長官が、開戦前の国連でWMDの存在について演説した際は、補佐官が中心になって報告を長官に提出した。

結局WMDは見つからず、パウエル氏は今秋、この演説を「人生の汚点」だと述べた。

ブッシュ政権にとっても大きな「汚点」だが、

開戦をいちはやく支持した小泉首相はどう受けとめたのだろうか。

 内閣が改造された。

小泉氏にとっては最後の内閣かも知れないが、日本や世界の歩みに、終わりはない。

日米関係も重要だが、世界はさらに大きく、重い。

やみくもに、「軍」や「融合」の方に傾いてはなるまい。




軍は恐い。戦前戦中に嫌と言うほどに日本国民は軍の恐しさを思い知らされている。

武器をもち,権力をもっていたのだから国民は随わざるを得なかった。

そのような戦前に戻そうとする流れがいきよいずいてきている。そしてアメリカの尖兵として自衛隊が再編されようとしている。

戦争で自衛隊員に死者が出るようなれば,志願する人はなくなって,徴兵制度をしかないと自衛隊員の人数を揃え維持できない。

同じことを繰り返すが,自衛隊員で外地で死亡する人が出れば,自衛隊を志願する人がなくなれば徴兵制度がしかれる事になる。

赤紙による徴兵と,それを拒否した人に対しての「非国民」呼ばわりが現実の問題として近ずいて来ている。

再びそんな馬鹿な道には進まないことを切に願う。






死刑執行について




11月2日の天声人語より引用


フランスの19世紀の作家ビクトル・ユーゴーに「死刑囚最後の日」という小説がある。

死刑判決を受けてから断頭台にのぼるまでの男の苦悩を克明につづり、死刑廃止を訴えた。

 同じ19世紀に、ハンガリー出身の画家ムンカーチ・ミハーイは「死刑囚監房」で、処刑を前にした房の様を描いた。

うつむいた死刑囚や妻子の脇に、銃剣を持つ看守が立つ。

20年ほど前、この絵にまつわる記事で、「権力を表す看守の銃剣の切っ先が光る」と書いた。

 しばらくして、読者から便りをいただいた。

そうした役目を果たしてきたか、その周囲にいる人のようだった。

「最後の時には、権力対罪人ではなく、お互いに人間と人間として接しているのです」という内容だったと記憶する。

法に基づくとはいえ、命令によって人の命を絶えさせなければならない現場の厳しさと、それに向き合う人たちに思いを致した。

 小泉改造内閣で法相に就任した杉浦正健氏が、死刑執行について、命令書には「サインしない」と記者会見で述べた。

以前、左藤恵法相が僧職という立場から署名を拒否したことがあったが、杉浦氏は弁護士資格をもち、衆院の法務委員長も務めた。

しかし、約1時間後には「個人の心情だった」と撤回した。

 信念に基づく発言かともみえたのだが、すぐにひっくり返ったのはなぜなのか。

犯罪被害者や、命令を受ける立場の人たちの思いも大きく揺さぶられただろう。
 

命令にサインするかどうかを判断するのは法務大臣だが、それを委ねているのは国民だ。

法相の悩みと無関係ではない。



死刑の賛非は難しい。死刑に値するような人が刑期を終えてから又再び同じような凶悪犯罪を犯すことがある。

人を殺しても自分は絶対に捕まっても死なないと思えば何を起こすかは判らない。

死刑がない未成年者の犯罪でよく見かけることである。

死刑制度は乱用されない程度に凶悪犯罪者に対してはあってもよいが,全くに改しゅんした人との区別をどのようにつけるのかは

神のみぞが知ることになる。しかし法務大臣は神様でないことだけは確かだ。




11月3日が「文化の日」になったのは




11月3日の天声人語より引用



 11月3日が「文化の日」になったのは、1948年、昭和23年からだ。

以前は、明治天皇の誕生日を祝う「明治節」だった。

 敗戦翌年の昭和21年のこの日、明治憲法を全面的に改めた日本国憲法が公布された。

翌日の本紙には「歴史の日」「平和新生へ道開く」「宮城前で祝賀大会 十万人の大唱和」などの見出しが並ぶ。

 作家の山本有三が寄稿している。

「戦争権を放棄したといつても、日本は本来軍国主義の国であるから、いつあばれださないとも限らない」。


山本はこんな「世界の現実主義者からの疑惑」を想定し、

反論として、ニューヨーク・タイムズの東京特派員だったヒュー・バイアスが戦時中に書いた冷静な日本分析「敵国日本」を引く。

 「日本を手におえぬ軍国主義の国家であるとすることは、歴史を無視した単純な議論である……日本歴史は、

日本民族が最も非冒険的な民族である事を示しているのだ。

日本にはひとりのジンギスカンも、ひとりのコロンブスもいない」

 山本は、日本は秀吉の朝鮮出兵や近年のシベリア出兵、太平洋戦争のように外国に領土を求めた時にことごとく失敗しているとし、

侵略しなかった時代の長さを指摘する。

「私はこゝに日本の国民性を考えたい」。

そして、新憲法の「戦争放棄」は「世界平和への日本の決意」と述べた。

 戦後60年、日本はともかくも戦争をせず、米国の傘下で「平和」を享受してきた。

そして自らも世界有数の軍備を持つに至った。

これからは「軍備大国」でもある日本の「世界平和への決意」が一層問われる。



米国の傘下で「平和」を享受してきたというのは嘘である。そのような人がいるから日本はアメリカから今も独立できないでいる。

戦後ずーとそして今も日本はアメリカの半植民地にある。

その延長線上で今回アメリカの尖兵となって憲法を変え軍隊を送り出し戦場に出てゆこうとしている。

「正義」のため「国際貢献」「世界平和」のために,戦える軍隊を持とうと憲法改正が盛んに言われだしている。

今まで戦争しなかったのは米国の傘下にいたからではなくて,日本国民の苦い戦争体験から来たものであった。

その体験者が次第に少なくなって,戦前に戻りつつある。

悲しい現実が戦争を知らない人たちで進められている。

多くはそのような人たちはブッシュのように戦場に軍隊を送り出すだけで,いつも自分は安全なところにいる。





米国産の牛肉の日本への輸入が



11月4日の天声人語より引用


 昼過ぎに街の食堂に入る。

牛肉を使った料理を探す。

いつもは、めん類が多いが、あえて牛を選ぶ。

この日は、ハンバーグ定食だけらしい。

620円で食券を買う。

 とろりとした褐色のソースのかかった一角を、はしで崩して一口含む。

甘みと塩気が程良くて、なかなかうまい。

温かいご飯とも合う。もしここで、店主が「いい味でしょ。

アメリカ産ですよ」と言ったとしたらと想像する。

味そのものは変わらなくても味わいの方はぐらつきそうだ。

 米国産の牛肉の日本への輸入が、年内にも再開される見通しだという。

牛海綿状脳症(BSE)の原因物質がたまりにくい月齢20カ月以下の牛に限ったうえで、

脳や脊髄(せきずい)などの危険部位を取り除くことが条件だ。


 これを受けて、米農務長官は2日、輸入の対象を「30カ月以下」に拡大するように求める方針を表明した。

輸入さえ認めさせれば、あとは交渉次第でなんとでもなるというような強引さを感じさせる。

 農務長官に知らせたいのが、米国産牛肉の輸入についての本社の世論調査の結果だ。

「輸入再開に反対」が約3分の2を占めた。

「再開されても食べたくない」も同じく3分の2あった。

米国産に不信感を持つ人がこれほど多い。

様子見といった人もいるだろう。

しかし、うまければ、安ければどこのものでもいいというところから一歩踏み出しつつある

日本の消費者の姿が読みとれないだろうか。


 「輸入再開、それっ拡大」が通るとは思えない。

牛は、幾つかある肉の一つであり、米国は、数ある産地の一つに過ぎないのだから。




そんなに慌ててアメリカ牛肉を食べる必要もない。今の日本で牛肉が食べられない事はない。

色んな国からの輸入があって事足りている。

アメリカの圧力に屈しているのでは。? アメリカの半植民地だからしかたないとあきらめるのか,

それともすじを通すかは現政府にある。

アメリカの畜産家のためだけによる輸入解禁だけは止めて欲しい。

そのうちに世界の兵器の在庫が増えれば何処かの「ならず者国家」への戦争が又また起きない事を願うものである。





静岡県の高校の16歳の女子生徒が、
タリウムを使って母親を殺害



11月5日の天声人語より引用


アガサ・クリスティーの推理小説『蒼ざめた馬』(早川書房)には、犯行に使われる毒物としてタリウムが出てくる。

登場人物のひとりが言う。

「タリウムは味もしないし、水に溶けるし、簡単に手にはいる。

大事なのはただ一点、絶対に毒殺を疑われないようにすることです」

 静岡県の高校の16歳の女子生徒が、タリウムを使って母親を殺害しようとしたとして逮捕された。

容疑は否認した。

女子生徒は、インターネットに公開している自分の日記で、「蒼ざめた馬」に触れていたという。

 警察の調べでは、問題のタリウムは、近所の薬局で「化学の実験に使う」と言って買ったという。

極めて毒性の強いタリウムが、なぜ簡単に女子生徒の手に渡ったのだろうか。

 法律では、18歳未満の相手に売ることは禁じられている。

女子生徒は、住所、氏名は偽ることなく所定の用紙に書いていたという。

目的や年齢を、しっかりと確認する手だてが必要なのではないか。

 警察は、女子生徒の部屋から、英国人のグレアム・ヤングの生涯をつづった日本語訳本を押収した。

タリウムなどの劇物を使って、義母や同僚を次々に毒殺した人物だ。

女子生徒は、日記に「尊敬する人の伝記」と書いていたという。

 訳本を読んでみた。しかし、幼いころからヒトラーに夢中になり、後に殺人を繰り返したような男が、

なぜ「尊敬する人」になったのかは、やはり分からなかった。


いわば古めかしい存在である毒薬と、真新しいネットの世界を前にしながら、

女子生徒は日々何を思っていたのだろうか。





若い人達の行動がすさんできている。アメリカ文化の浸透が普遍化されきてのことなのか。

「忠に孝に」の教えは薄らいできた。

忠は誰が考えても民主主義精神の平等 主権在民の精神に反している事は間違いない。 

「孝」は人間としての当然の考えでありいつも不変である。昔の教育勅語は内容として全てが悪くはない。

でも教育勅語という形した考え自体はいただけない。民主主義精神に反している。





初めてバナナがくだものの年間購入量の第1位


11月6日の天声人語より引用


作家よしもとばななさんは、アルバイト先で見たバナナの花に魅せられ、筆名に選んだ。

「あんなに大きく変なものがこの世にあるなんてそれだけで嬉(うれ)しい」。

バナナに寄せる恋情を『パイナツプリン』(角川書店)に書いている。

 いつか熱帯植物園でバナナの花を見たことがある。

花は巨大な苞葉(ほうよう)に覆われ、その紅色が目をひく。

夜にだけ開き、芳潤な蜜を求めてコウモリが飛来するという。

 花を目にする機会はあまりないが、実ならだれもが知っている。

ことし発表された総務省の家計調査で、初めてバナナがくだものの年間購入量の第1位に躍り出た。

長らくミカンが1位で、リンゴが2位、バナナは3位だった。


 フルーツの王者となったのを機に、日本バナナ輸入組合は好調の秘密を調べてみた。

大半の果物は食後のデザートという脇役なのに、バナナは朝食や間食の主役として消費が伸びていた。

ナイフがいらず、栄養源として価格も手頃なことが人気の理由とわかった。

 かつてはメロンと並ぶ高級果実だった。

輸入が始まったのは1903年で、台湾産の「仙人」という品種70キロ分が神戸港に運び込まれた。

大変な珍品で、庶民の口には入らなかった。


戦後も、1963年に輸入が自由化されるまで、子どもが風邪で寝込んだおりでもないと買えないぜいたく品だった。

 そんなバナナも風邪をひく。

業界用語で、産地の気温異常や倉庫での温度管理のミスで低温にさらされ、果皮が黒ずんだ状態をいう。

家庭でうっかり冷蔵庫に入れられるのも、熱帯育ちには酷な仕打ちである。



バナナは昔は高級くだもので一般の人間の口に入らなかったが,今や大衆化されて且つ安価で栄養のある果物である。

今の日本ではバナナを疎かにしている所がある。豊かに供給してくれている国々に対して日本人は感謝すべきである。




気温の上昇が原因で、
西日本では師走紅葉も珍しくない



11月7日の天声人語より引用


 朝晩、ひんやりしてきた。なんて思っていたら、きょうはもう立冬である。

でもまだ、冬の気配を探しあぐねる人も多いのではないか。

 啓蟄(けいちつ)や立秋など、もともと中国で生まれた二十四節気は、日本の気候とは微妙にずれている。

それが近ごろ、いっそう目立つ気がする。


きのうの本紙「日曜be」に、日本の紅葉は50年前より2週間以上も遅くなったと書いてあった。

気温の上昇が原因で、西日本では師走紅葉も珍しくない。

 読んですぐ、明治神宮外苑のイチョウ並木を見にいった。

樹齢100年近い木々は、ほとんど緑色の葉に覆われていた。

わずかに色づきかけていたが、「山吹色のトンネル」になるには、あと15日ほどかかりそうだ。

 並木の一角で、結婚式の記念撮影をしていた。

花嫁の両肩もあらわなウエディングドレス姿が、冬までの距離を感じさせた。

傍らで仲間とスケッチをしていた男性は、葉を濃淡2種の黄色に描いていた。

「見たままの緑色じゃ、秋らしくないもの」

 並木をじっくり見ると、車道沿いの方が黄葉がやや早い。

排ガスなどの悪影響があるのだろうか。


紅葉とともに落葉の時期も遅くなるから、樹木の成長や年輪の幅にも変化が表れるに違いない。

そんなことを、ぼんやりと思いながら、都心を歩いた。

 30分ほどで国会議事堂の前に出た。

敷地の外周は100本を超すイチョウの大木で、ぐるりと囲まれている。

外苑のより少し黄色みがかって見えた。

この議事堂が完成したのは二・二六事件があった昭和11年、1936年のきょう、11月7日のことだった。



紅葉は続く。春夏秋冬のある日本にいて四季の移り変わりは当然視しているが,そんな日本の国土にすんでいる。

そのことにまず感謝すべきである。



パリの市内でも、多くの車が放火され炎上



11月8日の天声人語より引用


晩秋のフランスから、そのきらめく風光とはおよそ似つかわしくない映像が次々に届いている。

パリ郊外の移民街で始まった暴動が全国に広がり、パリの市内でも、多くの車が放火され炎上したという。

 暗闇の中で車が激しく燃えさかるさまは、現場の大きな混乱と恐怖とを伝えてくる。

暴動が起きた地域は、全体の中では小さな点と点なのだろうが、これほどまでに広がるとは。

移民社会が抱える問題の深刻さを示しているようだ。

 フランスへの移民は、北アフリカの旧植民地の出身者が多く、「郊外の荒廃」は、

低家賃の集合住宅に移民が定着した70年代から指摘されていたという。

84年刊の『フランスの異邦人』(林瑞枝著 中公新書)には、

北アフリカのアラブ人一般が「ネズミ」と呼ばれることがあると書かれている。

 その子どもたちを、一部の町の人々は、ならず者、盗人、よた者などと呼んだという。

「嫌悪と蔑(さげす)みのこもったこうした言葉で常日頃あしざまにいわれれば、

聞かされる子供のほうとて素直にはなれない……悪循環である」と林さんは記す。

 この第2世代には、親たちのような祖国がない。

それは、イギリスの地下鉄爆破テロで指摘されたパキスタン系の移民2世の位置とも似ている。

 「人生を見つめる/もろく、くるしい人生なんだ/みんな郊外そだちさ……それでも生きる権利がある/郊外 郊外 郊外」。

フランス語でしか詩をつくれない、ある移民2世の歌だという。

「郊外」に生まれ、広がった暗部が、「自由、平等、博愛の国」を揺さぶっている


イスラム対キリストの対立として捉えるのでなくて,貧と富の対立の歪みからきている。フランスの「自由、平等、博愛の国」は外向けだけの顔

国家観であることが判る。





フジモリ元大統領が、
今度はペルーの隣のチリに現れ、
拘束された。


11月9日の天声人語より引用


5年前、滞在中の東京から本国のペルーへ突然ファクスで辞表を送りつけたフジモリ元大統領が、

今度はペルーの隣のチリに現れ、拘束された。

逮捕命令を出しているペルーは身柄の引き渡しを要求した。

意表を突く、相変わらずの出没ぶりだ。

 なぜチリを目指したのか。チリ側が引き渡しに応じない可能性が大きいとフジモリ氏がみた、との説がある。

チリとペルーは、領海線の解釈を巡って外交関係が悪化しているという。

 隣国同士にありがちな争いにみえるが、両国の間には、19世紀に「太平洋戦争」と呼ばれる戦いがあった。

争いの原因は、当時の戦争の主役ともいえる火薬の原料の硝石だった。

1879年、国境付近の硝石の産地などを巡って戦い、チリが勝った。

 しかし、国境を巡る問題は長く尾を引いた。


フジモリ氏は、ずっとしこりになっていたチリとの国境問題を大統領在任中に決着させ、国家元首として初めてチリを訪問している。

 そんなチリ政府との良好な関係が、今回のフジモリ氏の行動の背景にはあったのかもしれない。

しかし、チリ政府にとって、取り扱いを決めるのは、そう容易なことではあるまい。

 「私は、ここ、両親が生を享(う)けた土地にただ一人でいた。突然、光が私を照らした。

長い、しかし決定的な何秒間であった。当面、日本にとどまらなければならない!」。

フジモリ氏は、5年前に東京のホテルでしたという「決意」を、『大統領への道』(中央公論新社)に書いている。

地球を股にかけた出没を、どんな決着が待っているのだろうか。



フジモリ元大統領が日本に亡命していたことはどれだけの人たちが知っていたのか。

ペル―もチリも日本からして地球の裏側の国になる。その国の事情には疎い。

何処の国にも同じようなことが起きているようだ。

フジモリ元大統領は貧困者からの人気があるとの情報だが,正確な判断はできない。

イラクでフセイン元大統領が裁かれている。本当に正しい裁きができるのかどうか。

第三者が゙裁判すべきであって公平さが失われてしまう。国連の司法裁判所のような所が裁くべきであるように思うのだが。




 来春から、禁煙の治療に保険が適用される見通し



11月10日の天声人語より引用



少年の頃に見た写真で忘れられないものの一つに、サマセット・モームの肖像がある。

作品集の巻頭の写真で、晩年の作家が、やや右向きに座っている。

左手に持つたばこの先から流れる一筋の煙が、年輪を刻んだ渋みのある顔を斜めに横切っている。

大人の世界を見る思いがした。

 後年たばこを吸い始め、記者になってからは激しく吸うようになった。

取材が終わったといっては1本、記事を書き始めるといって1本、

途中で言葉を探しながら1本、書き終わって1本という具合だった。


当時の写真のほとんどは紫煙とともにある。たばこ依存の時代だった。

 来春から、禁煙の治療に保険が適用される見通しだという。

個人の意志や努力の問題とみられてきた禁煙を、「ニコチン依存症」という病気に対する治療とみなすそうだ。

 吸わない人たちからは、そんなことに自分たちの払う税金や保険料を使うなという反論もあるだろう。

しかし、「依存症」の減少が、たばこが原因とされる病を減らし、

医療費の大きな節約になるという話が本当なら、一つの試みではある。

 若い日のたばこ依存からの転機は、ひどい二日酔いの朝に来た。

たばこも見たくない状態で、ふと、いつまで吸わずにいけるか試そうと思った。

3日たち、1週間たっても特につらくはない。

以来延々と、20年以上続いている。

 もっとも、年に数本、火をつけることがある。

モームの大人の世界とはほど遠いが、大人の小さな玩具として。

たばこはきっぱりやめるに越したことはない が、休み休みでもいいのではないか。




政府のやることはわからない。タバコの税金を値上げしようとしている。それもわずかな率であって,国民の病気を犠牲に強いて

税収入をあげようとしている。そのようにしか見えてこない。

一方で禁煙指導料を設置するとか。これは支離滅裂である。

本当に国民の健康を真剣に考えてくれているのか。!

即刻ブータンに見習いタバコ発売禁止に踏みだすべきである。長い目でみるならば国民のためである。

コロンブスが世界にタバコを世界に普及させて以後のことで,梅毒もそうであったようだ。その被害は世界に蔓延した。

コロンブス以前に住んでいた世界の人達はタバコは吸っていなかったからタバコによる害のない健康な生活が享受していた。

タバコがいろんな病気の元凶であるとわかっている現在,即刻にタバコ先進国ブータンに見習い政府は発売禁止すべきで゙ある。

国民の健康を犠牲にしてどうして福祉国家といえるのだろうか。!





来年の年賀状


11月11日の天声人語より引用



切手の位置に子犬をあしらった、来年の年賀はがきの1枚を手に取る。

裏返す。まだ真っ白な面に文字を書き入れ始めるのは、やはり今年も年末ぎりぎりか。

 作家の池波正太郎さんは、並外れて準備のいい年賀状について随筆を残している。

「年が明けると間もなく、来年の年賀状の絵を描き、印刷屋へ出す」

 「いくらなんでも気が早すぎる」「セッカチだねえ」などの声も耳に入る。

しかし、千枚を超える年賀状を年末に書いていたのでは、とても書ききれない(『作家の四季』講談社)。

 夏から秋、そして師走にかけて、少しずつ宛名(あてな)を書いてゆく。

これもまた、たのしみだという。

「第一に字が下手だから、習字にもなるし、忘れかけていた人の名前を思い出して、おとろえかけた記憶力を再起させる役にもたつ」。

今から20年前、池波さんが還暦を幾つか過ぎた頃の文である。

 今時分から師走にかけて、ぽつり、ぽつりと届くのが「喪中につき、年賀状は欠礼……」といった文面の便りだ。

既にその訃報(ふほう)には接している場合も多いが、あの人の周りで今年そんなことがあったのかと知って、しんみりすることもある。

 毎年、あまりにも早く年賀状が刷り上がってくる池波さん宅では、こんなやりとりがあったという。

「もしものことがあったら、どうしますか?」「かまわないから、その年のぶんは出してしまうがいい」

「でも……」「みんな、たのしみにしてくれているのだから、そうするがいいよ」「わかりました」。

池波さんが67歳で他界して、今年で15年になる。




毎年の年賀状が恒例化して,年賀は常にご無沙汰しているのをわびるような感じになって続いている。

最近は自筆で書かなくなって,パソコンで工夫しデザインで出すよぅになった。

個性のあるパソコン年賀状も増えて来ている。

ただ印刷によって作られたものとは,違った味のある年賀状が年々次第に増えて来ている。

一方自筆のものは少なくなってきている。





この季節に「枯れ葉よ……」の
印象的なメロディーを



11月12日の天声人語より引用


小さな子供たちが列になって歩いている。

付き添う保育士は、大きなポリ袋をいくつも提げている。

中には、みんなで近くの公園から集めた枯れ葉が詰まっている。

 来週、保育園で焼き芋をするという。

そのサツマイモも、小さな菜園でみんなで育てているそうだ。

燃えあがる枯れ葉に包まれながら、イモがほっこりと焼けてゆく。

ほっとするその情景は、子供たちの記憶に長く残るだろう。


 〈わが歩む落葉の音のあるばかり 杉田久女〉。

かさり、というかすかな音は、人のつぶやきにも似ている。

強い風に吹かれて一斉に転がるときには、無数の風車のように、かしゃかしゃと鳴る。

春のさくらがそうだが、枯れ葉もまた、時を逆回しにして、かつてのことを思い起こさせる。

 「枯葉をかき集めるのはシャベル 思い出もそして未練も/北風はそれらを運んでゆく 忘却の冷たい夜へ」。

詩人ジャック・プレベールが作詞したシャンソン「枯葉」の翻訳の一節だ。

「あのころ 人生はもっと美しく 陽はもっと燃えさかっていた」(『世界詩人全集』新潮社)。

 この詞は知らなくとも、この季節に「枯れ葉よ……」の印象的なメロディーを思い起こす人はかなりいるだろう。

プレベールとの共作が多いジョセフ・コスマが、第二次大戦が終わった1945年に作曲した。

 やがてイブ・モンタンの歌で世界に広まった。

ジュリエット・グレコが世に出た曲としても知られている。

うつろいゆく人生を哀切な旋律に結晶させたコスマは、100年前、ハンガリーのブダペストで生まれた。



枯葉の美しい季節でもある。地面が一面紅葉で埋め尽くした景色は一味違った紅葉の景色である。

人生も同様に必ず誰にも,枯葉の季節がやってくることは必定である。仏の教えをだすまでもない。





米占領軍は日本のどこかに
危険な兵器が隠されていないか



11月13日の天声人語より引用



60年前の今ごろ、米占領軍は日本のどこかに危険な兵器が隠されていないか調べ回っていた。

東京・駒込にあった理化学研究所も疑われた施設の一つだ。

 11月下旬、米将兵らが現れた。

「原子爆弾を作る機械だ」と決めつけ、粒子加速機サイクロトロンを壊しにかかる。

重さ200トン、同位体や原子核など先端研究に欠かせない装置だ。

 「何かの間違い。占領軍から使用許可を得ている」。

開発に10年を費やした仁科芳雄博士がいくら訴えても、将兵たちは耳を貸さない。

解体して東京湾に沈めた。無念のあまり、博士は吐血して病に伏した。


 「核物理の分野では高水準にあった日本が、サイクロの破壊で10年は後れをとった」。

東大名誉教授で仁科記念財団理事長の山崎敏光さんは語る。

海中投棄が報じられると、米科学界からも「恥ずべき蛮行だ」と非難の声がわいた。

 仁科博士の業績を伝える特別展が昨日、東京の国立科学博物館で始まった。

海に消えた巨大装置の設計図のほか、後進たちと交わした手紙も公開された。

戦前、中間子理論を米学者に酷評された湯川秀樹博士は「心外だ」「心細い」と書き送った。

慰める仁科博士の復信が温かい。

「せっかくの新理論だ、何とか仕上げよう」と。


 書簡を整理した中根良平・元理研副理事長は筆まめぶりに驚いた。

多い年には湯川博士が関西から3日に1通を出し、仁科博士も東京からこまめに返した。

心通う便りの行き来がなかったら、湯川理論は完成せず、

復興日本に希望を与えた初のノーベル賞もなかったかもしれないと考えた。





仁科博士の努力が進駐軍の無智により捨て去られてしまった。進駐軍(占領軍)に文句がいえない時代のことである。

同じような事が今も日本の中で行われているのではないかといぶかることがある。

日本の政府がアメリカの進める迎撃ミサイル開発に協力させられるのも同じことである。

本当に無駄なことにアメリカの要請によって莫大な資金が使われようとしている。

ミサイルが飛び交う時は人類破滅の始まり位は誰もが気が付かないことはないだろう。

ミサイル産業にお金を拠出したいならば理解できる。兵器産業も同様である。

他国から無駄な出費を強いられる日本は半植民地国家であることに違いない。

進駐軍(占領軍)は今も日本国土に大勢に日本の「思いやり予算」で駐留している。

沖縄の人たちが絶対反対しても政府とアメリカだけでことが運んでいる。

間違いなくこれでは占領軍だ。政府は占領軍のいうことを聞く半殖民地政府である。




一発の銃声がおこり浜口首相は
腹部をおさえてうずくまった



11月14日の天声人語より引用


東京駅の丸の内口と八重洲口を結ぶ中央通路に、直径5センチほどの丸い目印がある。

多くの人が気づかないまま、通り過ぎるか踏みつけていく。

 少し離れた柱に、「浜口首相遭難現場」という表示板がある。

「昭和5年11月14日午前8時58分、内閣総理大臣浜口雄幸は、岡山県下の陸軍特別大演習参観のため……

1等車に向ってプラットホームを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった」

 東京駅によると、撃たれた場所は、いまの9・10番の東海道線ホームにあたる。


ホームが改修を重ねたため、現場の目印は、ホームの真下の通路に移されたようだ。

 浜口は財政を引き締めるとともに、軍縮と国際協調の外交を進めた。

そこを右翼に襲われた。

「うむ、殺(や)つたナ」と同時に「殺られるには少し早いナ」と思った浜口は、一命を取りとめる。

そして、暗殺に限らず、殺人は「野蛮国若しくは未開国にあつては……幾分(いくぶん)か恕(じょ)すべき点があると思ふのであるが、

法治国・文明国に於ては、絶対に容(ゆる)すべからざる重大なる犯罪である」と書いた(「随感録」)。

 容体が悪化し、翌年8月に死ぬ。

それを待っていたかのように、満州事変が起こり、5・15事件、2・26事件と続く。

テロと陰謀が渦巻き、およそ法治国・文明国とはいえなくなる。

 中央通路から、丸の内南口に回り、改札口を出る。そこにも小さな丸い目印がある。

「平民宰相」といわれた原敬がここで刺殺された。

浜口襲撃に先立つこと9年、そういえば、これも今ごろの季節だった。




昔のような気骨のある政治家がいない。

身体を張ってでも平和国家を作ろうとする政治家はいない。

いるかも知れないが見つからないだけなのかもしれないと思いたい。




飛鳥寺は、大化の改新にもゆかりのある史跡だ


11月15日の天声人語より引用



日本で一番古いという仏像を見たのは、2年前の春だった。

奈良県明日香村の飛鳥寺の本尊、釈迦如来の座像で、3メートル近くある。

7世紀の初め、女帝の推古天皇が仏師の鞍作鳥(くらつくりのとり)(止利)につくらせたという。

 後年火災で焼けた。修復のあとが痛々しい。

しかし、一部は当時のままだという顔のあたりをしばらく眺めていると、

かすかな笑みの中に古代のおおらかな息吹が感じられた。

 飛鳥寺は、大化の改新にもゆかりのある史跡だ。

645年6月、豪族の蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は飛鳥寺に入った。

そして甘樫丘(あまかしのおか)の自邸にこもった入鹿の父、蝦夷(えみし)とにらみ合ったという。

 その甘樫丘のふもとの遺跡で、入鹿の屋敷の一部だった可能性のある建物などの遺構がみつかった。

今回発掘された柱の穴から想定される建物や塀は、小規模なものだ。

しかし、94年には、すぐ近くから焼けた木材や土が見つかっている。

1400年近く前の時代への想像をかきたてる発見だ。

 「冬(ふゆ)十一月(しもつき)に、蘇我大臣(そがのおほおみ)蝦夷(えみし)・児入鹿臣(こいるかのおみ)、

家を甘橿岡(うまかしのをか)に双(なら)べ起(た)つ。

大臣の家を呼(よ)びて、上(うへ)の宮門(みかど)と曰(い)ふ。

入鹿(いるか)が家をば、谷(はさま)の宮門と曰ふ……家(いへ)の外(と)に城柵(きかき)を作(つく)り

、門(かど)の傍(ほとり)に兵庫(つはものぐら)を作る……

恒(つね)に力人(ちからひと)をして兵(つはもの)を持(も)ちて家(いへ)を守(まも)らしむ」(『日本書紀』岩波書店)。

この記述の通りだったとするならば、丘は砦(とりで)のようだったのかも知れない。

 今、この丘には誰でも登れる。

坂の上の見晴らし台から大和三山も一望できる。

古代の権力が激しくせめぎあった舞台は、時にさらされ、穏やかな風景となって心をなごませてくれる。


歴史は面白い。古事記 日本書紀の一部には勝った政権の神話がつづられている。戦争に強いいうことは一番野蛮で勇敢な一族であった。

それが平安時代以後頃になると一変して日本で一番の雅びの人たちに変身している。古代へのロマンは続く。

系図は必ず誰かの天皇が始祖になっている。それが家柄を証明しているものとなる。仕官には系図が必要だったとか。

今生きている日本人は古代人の血は必ずかよっている。それは誰かは判らない。

10代前頃までさかのぼることのできえる家系は少ない。





天皇家の長女、紀宮清子(さやこ)さまが


11月16日の天声人語より引用


昨日の朝、東京はぐんと冷え込んだ。歩いていると、指先がかじかみそうだった。

その寒気に包まれた都心を静かに行く車の中で、白手袋の手が、小さく何度も振られた。

 天皇家の長女、紀宮清子(さやこ)さまが、黒田慶樹(よしき)さんと結婚し「黒田清子さん」になった。

式後の記者会見では、ふたりとも、はればれとしてうれしそうだった。

 「うちのドンマインさん」。天皇陛下は、紀宮さまのことを話す時にそう呼ぶことがあるという。

皇后さまが先月、71歳の誕生日の際に、宮内記者会からの質問に文書で答えた。

 「清子は、私が何か失敗したり、思いがけないことが起こってがっかりしている時に、

まずそばに来て『ドンマーイン(気にかけないでの意)』とのどかに言ってくれる子どもでした」。

それは今も変わらないという。


一般家庭とは違ったしきたりや制約のある暮らしの中で、心の支えになっていた様子がうかがえる。

 「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた」。

この安西冬衛の一行詩を、学習院女子高等科の卒業アルバムに記していたという。

詩情あふれ、そして潔いこの一句を、少女のころから胸に抱いていたのだろうか。

 「眼覚めに夏鶯/美しき五月の朝なり/海の見える食堂でアトホーム/

カルセオラリアといふ黄な花の鉢植/よき紀年日なり……冬」。

冬衛が「38回目」の結婚記念日に、仕事先から妻の美佐保さんに送ったはがきだ(安西美佐保『花がたみ』沖積舎)。

黒田さんたちが末永くお幸せであるようにと願う。そして、世の新婚の人たちにも幸多かれと祈りたい。



第二次大戦中の頃は天皇は現人神で人間なのかどうか疑っていた頃があった。全ての国民がそのような教育をば

小さい頃から受けていた。美智子皇后の失語症 雅子皇太子妃のノイローゼなと皇室を不自由な生活を強いているのは

誰なのだろう。何かの圧力がかかっていて不自由な生活を強いているのは間違いない。

そのような生活から解放してあげることはできないのだろうか。




先の総選挙で小泉首相が国民に問いかけたのは、




11月17日の天声人語より引用


 「民主主義の強さを確認するものだ」。

京都での記者会見で、ブッシュ米大統領は、先の総選挙での小泉自民党の圧勝について、そう述べた。

「日本は改革すべきかどうかを問いかけ勝利した」に続くくだりだ。

首相を祝福したいのは分かるが、やはり違和感がある。

 小泉首相が国民に問いかけたのは、「日本は改革すべきかどうか」というよりは

「郵政民営化法案に賛成か反対か」だった。

国民の関心がそう高くなかった、たった一つの法案への賛否を問う異例の総選挙だった。

それを評して、なぜ「日本という国の改革を問うた」となるのだろうか。

 単に「改革が必要かどうか」なら必要と答えるのは当然で、何をどう改革するのかで国民の意見は分かれる。

その議論が尽くされてはじめて、民主主義の強さが確認されるのではないか。

 この日、国会の信頼にまでも及びかねない事件が摘発された。

酒販店でつくる「全国小売酒販組合中央会」の元事務局長を、警視庁が業務上横領容疑で逮捕した。

この会の関連する政治団体では、多額の使途不明金が政界に流れたのではないかとの疑惑が浮上している。

 その政治団体の元幹部が述べたという。

「業界生き残りの法律を金で買うという判断だった」。

酒の販売の免許制度の見直しを巡る動きというが、そんな金の受け渡しが事実なら、

絵に描いたような政治の腐敗ぶりだ。

 ブッシュ大統領はこうも述べた。「日本は自由と民主主義を広める良き友人だ」。

米国も日本も、民主主義の強さを常に点検していないと、独善に陥ることになる。



選挙がすめば何もかもが,白紙委任されているのが今の殆どの国の民主国家で起きている。

票の買収とか義理・人情 ・騙しなどなどで権力者になろうとしたり,権力者に近ずこうとしているの人たちが 

今の民主主義である。イラクなどでは銃で脅かされての投票もあるであろう。

そのような民主主義に固執するのは利益で,多分イラクでは石油目当てが日米ともがその本音であるだろう。

イラクにとっては何もフセイン時代と変りはない。フセインがアメリカに変っただけのことである。

その過程で大勢の人たちが犠牲になっている。歴史は繰り返すしているだけのことである。

今回ブッシュは核兵器の材料はイラクで見つかっていないが間違った報告で戦争に踏み切ったと。

でも戦争でフセイン独裁体制を倒したのはただしかったと発言して,アメリカ世論が5%のブッシュの支持率をあげている。

勝ってなものである。

誰もが頼みもしていないのにアメリカの価値基準で他国に侵略して占領下に置いている。

歴史に残る偉大なるブッシュアメリカ大統領である。





ロシアでは今年から11月7日は
革命記念日が祝日ではない
ただの日になった。




11月18日の天声人語より引用


ロシアでは、今年から、革命記念日が祝日ではないただの日になった

1917年の11月7日(旧暦10月25日)に、レーニンの率いるソビエト政権が樹立された。

記念日は、旧ソ連の崩壊後は「和解と合意の日」と名が変わったが、祝日としては生き残っていた。

 革命は一段と遠くなりにけりかと思うと、国民感情はそう単純ではないようだ。

今月、インタファクス通信が「最も肯定的な現代史上の人物」にレーニンが選ばれたとする世論調査の結果を伝えた。

54%が肯定的に評価した。

次いでソ連の初代秘密警察長官が45%、最後のロシア皇帝が40%と続いた。

 プーチン政権下で経済成長が続いても、その主力のエネルギー産業に関係のない人への恩恵は少ない。

貧富の差や汚職の深刻さが、革命や遠い時代への郷愁を生んでいるらしい。

 レーニンに関しては、プーチン大統領と親密な間柄の映画監督が、

赤の広場の廟(びょう)で公開している遺体を埋葬せよと言い出し、論議を呼んでいる。

廟にはスターリンの遺体も一時安置されていた。

 レーニンの別荘のコックで、その死後はスターリンの別荘の料理人になった人がいた。

プーチン大統領の祖父だ。


「なぜか粛清はまぬがれた。

スターリンのまわりにいた人間で被害を受けなかったのはわずかだったが、祖父はその一人だった」(『プーチン、自らを語る』扶桑社)。

 世論調査で、スターリンを否定的に評価した人は45%いたが、肯定的な人も37%いた。

遠ざかった「二大国の時代」への郷愁かも知れない。

プーチン大統領は20日に来日する。



歴史の表舞台での活躍している人が入れ替わる。ロシア革命で死んだ人たちはお気の毒である。

でもロシア皇帝を廃止したのは功績だったとしか言われなくなるのか。

世界中の皇帝は少なくなってきた。秦の始皇帝の墓が発掘されて中国の古代史は進歩した。

日本でも平安時代までの御陵の発掘の許可があってもよいのだではなかろうか。





鉄とコンクリートを組み合わせた鉄筋建築が
世界の都市に広まっていった



11月19日の天声人語より引用


古代ローマのアウグストゥス帝の時代に、ウィトルーウィウスという技術者がいた。

彼の『建築書』には、魔法のような働きをする建築材料が記されている。

 この「自然のままで驚くべき効果を生ずる一種の粉末」は、ナポリ近郊のベズビオ山の周囲の野に産出する。

「これと石灰および割り石との混合物は、他の建築工事に強さをもたらすだけでなく、突堤を海中に築く場合にも水中で固まる」

(森田慶一訳・東海大学出版会)。

 この粉末は火山灰で、古代のセメントの原料だったという。

近現代に至って、鉄とコンクリートを組み合わせた鉄筋建築が世界の都市に広まっていった。

無機的で殺風景だが、何より半永久的という丈夫さが売り物だった。

 ところが、建築して間もない首都圏のマンションやホテルで、地震への弱さが問題になっている。

千葉県内の建築士が、耐震性にかかわる構造計算書を偽造していた。

建築コストを抑えることで、「仕事を増やしたかった」というが、弱い建物に日々身をあずけている住民は、たまったものではない。

 構造計算書などを基にした建築確認申請は、検査会社が検査している。

しかし、偽造を認めた建築士は「ノーチェック状態だった」と述べた。

建設会社や建築現場の人たちは、使う鉄筋などに疑問を持たなかったのだろうか。

「コスト削減が業界の流れ」という建築士の言葉も気になる。

 常に倒壊の恐怖につきまとわれている住民の救済が第一だが、

建築確認の仕組みの点検も急ぐ必要がある。

地震は待ってはくれないのだから。





姉歯一級建築事務所の偽造を認め「ノーチェック状態だった」と述べているのは恐ろしい事である。

でも国会喚問をテレビで見ている限り,誰もが自分が正しいと主張しているかのように見えてくる。

効率 利益優先が落とした結果である。

効率化にも限界があり 最後は良心である。小泉首相の進めている構造改革は間違っている。

弱いものいじめのなにものでもない。

自民党政治家に苦労を知らない二世 三世 四世が多くいる事が それを認めていること自体が間違っている。

そこのところがまず改革すべき所で゙ある。日米問わずにだ。




インフルエンザの特効薬タミフル




11月20日の天声人語より引用


 家の薬箱に、タミフルがある。今年初め、家族がインフルエンザにかかった折に処方された残りだ。

淡い黄色の小さなカプセルがこれほどまでに世界の注目を浴びるとは思っていなかった。

 スイスのロシュ社が独占供給する薬である。

新型インフルエンザが懸念される中、事実上ただ一つ有効な内服薬として各国が備蓄に乗り出し、

テレビや新聞が連日取り上げている。

 英紙は、「効能も品質も同じ薬を量産するには3年かかる」というロシュ社の主張を伝えた。

台湾では「わずか18日でタミフルの開発に成功」と報じられた。

「特許など構わず、独自に作れ」と訴える声は途上国に多い。

 あおりで、中華料理の香辛料でおなじみの八角という実が、産地の中国で高騰している。

タミフルの合成に必要なシキミ酸が八角から抽出されると報道され、秋から出荷が急増した。


ただし八角をそのまま食べても予防には役立たない。

 前世紀で最悪のインフルエンザは、1918年のスペインかぜだ。世界の人口の半数が感染した。

当時の本紙には「感冒猛烈、東京で死亡千三百」「薬の本場ドイツから輸入届かず」などの記事がみえる。

実効散、消熱散、守妙といった名の薬の広告も目立つ。

在庫不足で値上がりした薬があれば、副作用の訴えから細菌混入がわかって販売を禁止された薬もある。

 以来80余年、医学はめざましく進歩したはずなのに、世界的な大流行への備えはあまり進歩していないようにみえる。

たった一社の一つの薬に、人類の命運を背負わせるような方策しかないのだろうか。




タミフルが必要なときに医師の手に入らない状態にある。

特許がスイスのロッシュ社にあって世界の他の会社は作れない。

日本の製薬メーカが作れるようになれば,早い段階で作ることができると思う。

このような事態の時には誰もが作れるようにすればよいと思う。

SARSの時のような徹底した隔離の防疫が一番たいせつである。

空騒ぎだけならば製薬会社が儲けるだけである。

毎年の冬に発生するインフルエンザに対するタミフルが手に入らない事も問題だ。

日本のo157 中国のSARS騒動などは再び起きないのだろうか。

世界中の化学兵器産業の白日の下への解明も必須である。




大学の授業内容も、様変わりだ


11月21日の天声人語より引用


今からふた昔前、東京都内のある大学の教授が、授業の出席率の悪さに業を煮やして、こんな試験問題を出した。

問題用紙には教授を含む数人の顔写真が刷られ、「私はどれでしょう」

 翌年、学生の間に出回ったノートのコピーに教授の写真が添えられていたのは、言うまでもない。

授業に出ない学生にも言い分があった。

毎年、すこしも変わらぬ単調な授業だったのだ。

かつては自分の好きなテーマだけを延々と講義して、学生の興味や関心を顧みない大学教員が多かった。

 昨今は、どうも風潮が変わったようだ。

某国立大が教員に配っている授業のやり方ハンドブックを見ると、次のように書いてある。

ユーモアを交えて学生の興味をかきたてる。

1回ごとの講義を読みきりでまとまったものにする。

ビデオなどの映像に訴える。


 毎回の授業の概要をプリントして配るのは常識だという。

授業内容も、様変わりだ。

政治学を例にとると、かつてはルソーの「社会契約論」などの古典を読んだり、欧州議会史などをこまごまと講義したりしていたが、

今は郵政民営化などの現在の問題を使ったり、現職の日本の政治家を研究する授業もある。

 ところがおもしろいもので、学生の間ではこんな意見も聞いた。

「現代は情報があふれて、どれを読み、何を信じるべきか迷う時代。

授業が現代の素材を扱うとその延長のような気がしてしまう。むしろ古典を読みたい」

 いつの時代も、学生の不満の種は尽きないと言うべきか、何事も配合とバランスが難しいというべきなのか。

考えさせられる。




まず大学で学ぶ学問は初歩である。難しいことを教えるのでなくて,学問への興味を引き出す事が必要である。

学校での教えがその人物にマイナスなることを与えない事が第一である。

学問は独学でも出きる。その独学への道へのアドバイスであればそれで良いと考える。

学問は限りなく深いことを知らすべきである。





東京国際女子マラソンで見事に復活優勝した
高橋尚子選手の優勝インタビューでの言葉に





11月22日の天声人語より引用


「24時間はみんなに平等に与えられているもの。

どうか、なんでも夢を持って一日一日を大切に過ごして欲しい……」。

東京国際女子マラソンで見事に復活優勝した高橋尚子選手の優勝インタビューでの言葉に、

不思議な説得力が感じられた。

 インタビューの前段では、こう言った。

「陸上をやめようかとも思ったこともありました。

でも、一度夢をあきらめかけた私が結果を出すことで、今、暗闇にいる人や苦労している人に、

『夢を持てば、また必ず光が見えるんだ』ということを伝えたい、私はそのメッセンジャーになるんだと、

走りながら自分に言い聞かせていました」

 現実の世界は厳しい。

夢を口にすれば、きれいごとに聞こえる。

しかし、身をもって力を尽くし、闇の中に光を見た人の口から外に流れ出ると、

夢という言葉に現実的な強い力が宿るように思われた。


 大きな、アテネ五輪という目標を失った後に独立し、新しい支援チームと手探りで道をたどってきた。

今回の大会の間際には、足に肉離れを起こした。

レースで将来に響くような事故があれば、本人もチームも批判されていただろう。

 長い、起伏のある過酷な道を行くマラソンは、レースそのものが人生行路を思わせる。

大きな一かたまりで競技場を出た選手たちが、やがて小集団に分かれる。

それもばらけて直線になり、ついには一人一人が点と点になって戻ってくる。


 高橋選手は「チームのきずなが私を勝たせてくれました」とも述べた。

夢を持てば闇の先に光が差すという、一つの願いが通じた。



高橋選手の努力には他の人に真似できない所を見る。何処の世界のことも同じだ。

山があれば必ず谷にぶつかる。それが真理である。




自民党が、結党から50周年を記念する大会を


11月23日の天声人語より引用


自民党が、結党から50周年を記念する大会を開いて「立党五十年宣言」を発表した。

「我々は国民の負託に応え、情理を尽くして幾多の問題を克服し、国家の安全と経済的豊かさを実現すべく、

つねに主導的役割を果たしてきた……」

 戦後の復興期から半世紀のほとんどの間、政権を担ってきたという自負がほとばしるような文面だ。

記念の「宣言」である以上は、勢いづくのは仕方がないのかも知れない。

しかし、「情理を尽くして」のくだり一つをとってみても、世に異論はずいぶんあるだろう。

 「人情と道理」を尽くすことは、かなり難しい。


長い歴史の中では、数を頼んで国会に臨んだこともあったはずだ。

議席を多く占めれば占めるほど、その危険と誘惑とは増えてゆく。


今のような時だからこそ、党の内外で、情理を尽くすよう努めるべきではないのか。

 宮沢元首相が、気になる発言をしていた。

「ポスト小泉もこんな言論が封殺された状況では展開のしようがない。もっと自由な議論がなきゃいけないでしょうね」。

そんな状況があるとすれば、長く党名に掲げ続けてきた「自由」と「民主」も揺らぐだろう。

 50周年の記念に、自民党本部では、前庭にコブシの木を植えた。

「生命力が強く、過酷な状況でも立ち枯れしない。

自民党もどんな逆風が吹いてもくじけないように、と選んだ」そうだ。

 コブシという名前は、集合果が握り拳に似ていることに由来している。

しかし、実際の政治では、くれぐれも数にまかせて拳を振り下ろすようなことがないように願いたい。




力のごり押しだけは願い下げたい。自由な討論があってよい。権力で自分の違った意見を排除するのはいかがなものか。

今の自民党は小泉独裁政治が行われている。

自民党に誰もがしがみつくのか。

そのところをば少し考えれば改革すべきところの急所が判ってくるはずだ。





約4分の子連れ運転となった。


11月24日の天声人語より引用


パリの地下鉄の運転室に入ったことがある。

もちろん取材の許可は得ていたが、レールの先をにらむ運転士の視野に入らないよう、立つ位置には常に気を使った。

 今月、電車を運転中に3歳の長男を運転室に入れたとして、関東の私鉄、東武鉄道の運転士が懲戒解雇された。

この件が報道されると、東武本社には賛否の意見が約2千件も寄せられた。

ほとんどが「厳しすぎる」と解雇に批判的だった。


 東武によると、30代の運転士で、埼玉県から千葉県へ向かう普通列車を運転していた。

この乗務で勤務が終わる予定だった。

途中駅で、運転士の妻が長男と2歳の長女を連れて先頭車両に乗り込んだ。

 父親の姿に興奮したのか、男児が運転室のドアをたたき「パパ」「パパ」と声をあげた。

妻はむずかる女児を抱きかかえて手がはなせない。

注意しようと運転士がドアを細く開けたすきに男児は運転室に駆け込んだ。

連れ出そうとすると、泣いてしゃがみこむ。約4分の子連れ運転となった。


 解雇処分を巡っては、本紙にも賛否の意見が寄せられた。

「もしも大事故が起きていたら運転士は一生後悔したはず。

解雇されて当然」「3歳児が将来、解雇理由を知ったら深い傷になる」

 安全運行がすべてに優先するのは言うまでもないし、家族を先頭車両に乗せるべきではなかった。

それでも、多くの人命を預かる仕事だと再認識させたうえ、

再び乗務の機会を与えるかどうか検討するといった選択肢はなかったのだろうか。


勤労感謝の日のきのう、電車の運転室のドアの前で思いを巡らせた。



家族を運転席に入れるのは言語道断である。でも少し罰則もきつすぎるようにも感ずる。




三島由紀夫は



11月25日の天声人語より引用


19世紀のフランスの詩人ボードレールの散文詩「パリの憂愁」には、

人間の首にとりついて離れない魔物「噴火獣」が出てくる。

三島由紀夫は、初期の代表作「仮面の告白」の自序原稿の一つに「人みな噴火獣(シメエル)を負へり」と訳詩一行を記した。

 「仮面の告白」は、戦後間もない昭和23年、1948年の今頃から書かれた。

「さて書下ろしは十一月廿五日を起筆と予定し、題は『仮面の告白』といふのです」と、編集者に書き送っている

(『決定版 三島由紀夫全集』新潮社)。

 それから22年後の70年の11月25日に、三島は東京の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を訴え、割腹自殺した。

ノーベル賞候補にもあげられた文学の他、ボディービルや剣道、映画出演といった多彩で華やかな活動の果ての行動だった。

 死の10年以上前、対談で文芸評論家の小林秀雄が述べた。

「率直に言うけどね、きみの中で恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね……ありすぎると何かヘンな力が現れて来るんだよ。

魔的なもんかな」 この対談で小林が繰り返した「魔」について秋山駿氏が記す。

「才能の魔とは、つまり、才能を持っている当の主人を亡ぼすもののことだ。

三島氏が抱いている生の『悲劇』のようなものを、早くに直覚したのであろう
」(『小林秀雄対話集』講談社文芸文庫)。

 三島が、いわば一瞬のうちに沈黙してから35年が過ぎた。

しかし作品を開けば、文字は朗々と語り始め、あやなす日本語の魅力は尽きない。

自殺の現場の部屋には、当時の刀傷が残っている。


三島由紀夫は天才と狂人が同居した人である。切腹自殺する所は狂人の面である。

数々の作品群は天才の部分かもしれない。あの時代のみに生まれたひとかもしれない。

戦争 戦後の混乱は今考えても異常であった。日本は絶対に戦争をしてもらいたくない。

そのころの坂口安吾の「堕落論」が思い出される。






皇室典範が報告の通りに改まれば



11月26日の天声人語より引用


天皇ご一家の写真が、昨日の紙面に載った。

女性天皇や女系天皇を容認するという「皇室典範に関する有識者会議」の報告書の内容を伝える特設面だ。

 もし、皇室典範が報告の通りに改まれば、写真の範囲に限っても皇位継承資格者は2人から5人に増える。

皇太子さま、秋篠宮さまに、それぞれの女のお子さま3人が加わる。

この小さな人たちの健やかな成長を願う一方で、法によって人生と将来が左右される立場の厳しさも感じた。

 有識者会議は、このままでは皇位継承が立ちゆかなくなるのを避けるにはどうすべきか、という課題に答える線で結論を出した。

骨の折れる作業だったかも知れない。

報告への評価はいろいろあるだろうが、世論の支持が比較的得やすい方向でまとまったようにみえる。

 ただ吉川弘之座長の言葉で、やや疑問の浮かぶところがあった。

「ただちに現実の制度として発効することを考えて議論を進めてきた」と説明しつつ、

皇太子ご夫妻に男子が誕生した場合の継承順位については「そういう仮定の話は議論の俎上(そじょう)に載せなかった」と述べた。

 「仮定の話」は、いつ現実になるか分からない。

それを議論の俎上に載せないのでは実際的ではないと思う。


ただ、それを有識者の会議という場で論じることの困難さも理解できなくはない。

 本社の世論調査では女性天皇への支持は多いが、第1子優先かどうかでは分かれている。

この微妙で肝心なところは、国会の場ではどう判断されるか。

論議は結論を急いで期限を切ることなく、世論も確かめながら進めてほしい。




天皇制そのものも論議して欲しい所であった。論議すること自体には誰にも迷惑はかからない話である。

皇室への不自由な生活を強いるのも国民側としても心苦しいことである。




車体に日本語を記した中古車の多さに驚いた



11月27日の天声人語より引用


アフガニスタンの街なかで、車体に日本語を記した中古車の多さに驚いたことがある。

大半が商用車で、社名や品名が元のまま残っている。

米軍による軍事掃討が続いていたころの話だ。

 例えば「○○保育園」と書かれた送迎バスが、武装したアフガン男性を運んでいる。

地雷原に近い悪路を行く米軍の車両には、大きく「ユニ・チャーム」とある。

ほかに「JA盛岡市」や「大阪ガス」も見かけた。

漢字やカナが醸すのどかな雰囲気が、戦乱の地には何とも不似合いだった。

 なぜ日本語を消さないのか。

地元カブールの業者は「文字が元のままなのは日本で無事故だった証拠。

並の日本車より高値がつく」と説明する。

現地で塗装し直す際に、わざわざ「日本語は残して」と頼む客もいるそうだ。


 日本中古車輸出業協同組合によると、日本で用済みとなった車は年式のわりに走行距離が短く、故障も少ない。

アフガンに限らず、中東やロシア、最近では南米やアフリカでも好評だという。

 盗難車を売りさばく闇のルートもあるらしい。

レバノン元首相が自動車爆弾で暗殺された事件では、神奈川県相模原市で昨秋盗まれた日本製トラックが使われていた。

警視庁の鑑識課員が国連調査団に加わり、残された破片から持ち主を特定した。

 盗まれた車の運命をたどるのは難しいが、

正規の輸出分だけで年間約110万台にのぼり、行き先は熱帯から極北まで世界160カ国に及ぶ。

職場や家庭で慣れ親しんだ車の余生である。

願わくは、戦争や暗殺とは無縁の平和な仕事に就いてほしいものだ。



世界中でトヨタのマークの自動車が見る世の中になった。勿論日本人の努力の賜である。丈夫で長持ちだとすると

世界で゙使われるのも当然の話である。



年末ジャンボ宝くじだ。



11月28日の天声人語より引用


 かねがね不思議に思っていた光景を、ことしも目にした。

場所は東京・銀座である。老若男女が朝から黙々と列をなす。

めざすは年末ジャンボ宝くじだ。大阪や名古屋、福岡でも行列ができる。

 銀座では、1番売り場の列がとくに長い。

隣の2番ならすぐ買えるのに、「1等を当てるには1番だ」と縁起を担ぐ人が多いからだ。

売る側も心得ていて、ちゃっかり1番だけ窓口を二つ設けて大量にさばいている。

それでも大安のきのうは「3時間待ち」だった。

 来月でもゆっくり買える。

「残り物には福がある」ともいう。なのに、なぜ、いま並ぶのだろう。

「先んずれば人を制す」「並ぶ努力が幸運を招く」と力んでみても、しょせん運まかせだ。

なにしろ1等は1千万枚に1枚しかないのだから。

 60年前の戦争末期、戦費調達のために売られた「勝札」が、現在の宝くじの原型だ。

1等賞金は1968年に1千万円になる。

その1等が40本に増えた76年には客が売り場に殺到し、2人の死者も出た。

その後も1等は増額され、96年に1億円を超え、99年から「1等と前後賞合わせて3億円」が宣伝文句になる。

 買いもしないで、つい3億円の使い道を考えて笑った覚えがある人もいるだろう。

かと思えば、当たりに気づかぬ人も多い。

昨年の年末ジャンボの1等約70枚のうち5枚、10億円分がまだ換金されていない。

随分と値の張る「うっかり」だ。


 億単位のお金の話で、ヤンキースの松井秀喜選手の契約額60億円余を思い出した。

宝くじなら、なんと20年続けて「3億円の大当たり」か、と。




60年前の戦争末期に始められた年末ジャンボ宝くじは買う気持になった事がない。

インターネットでの株の取引で大儲けした人の話を聞く。でも株も買う気にならない。

パチンコも少ししたがまけてばかりでやめる。中学生の頃に競馬場を見学に行った事がある。

ひろびろとして気持のよいところと思った。

でもゴルフ場に比べれば狭い。そのゴルフ場も競技に熱中するとその美しさ広さが見えてこない。

不思議な話であるが。





建築士による耐震データの偽造で工事が中断



11月29日の天声人語より引用


あたりに人気のない建設現場を、風が渡ってゆく。

敷地の囲いのすき間から建物が見える。

既に見上げるほどに高く組み上げられているが、工事はもう進まない。

 建築士による耐震データの偽造で工事が中断した、東京近郊のマンションの一つを見た。

「安全を総(すべ)てに最優先する」。

建物の覆いに掲げられた建設会社の標語だが、肝心の建物の安全の方が否定されてしまった。


建設中に廃虚となったその姿は、寒々しい。

 旧約聖書の「創世記」に、バベルの塔が出てくる。

「さあ、我々は一つの町を建て、頂きが天に達する塔を造り、それによって我々の名を有名にしよう」

(岩波文庫・関根正雄訳)。

人間のおごりを憎んだ神は、彼らの言葉を乱して互いに通じないようにしたため、塔の建設は止まった。

 現代の塔の建設を巡る言葉の乱れは、データ偽造の発覚から始まった。

建物にかかわった人たちが話すのは日本語には違いないが、互いに通じ合っていない。

 建築士や建設会社、販売会社、検査会社などが入り乱れてしゃべるのだが、

真相がどうだったのかが見えてこない。

捜査という通訳が早急に入って、言葉の乱れをただすしかないのだろう。

 やはりデータの偽造で問題になっている都内の入居済みのマンションに行く。

皮肉なことに、模範となる優良物件として、偽造の発覚前に業界団体の優秀事業賞を受けた。

外壁はグレーと茶に彩られ、落ち着いたたたずまいを見せている。

しかし、その内側には、いつ起こるかも知れない地震への恐れと憤りとが満ちているようだった。



どの建築現場にも「安全第一」と大きな標語がかかれた看板をよく見る。

その安全が違ったところで今回話題になりマンションを買った人 ビジネスホテル建設者で被害が出ている。

効率 利益第一がその原因にある。民間が利益追求するのは当然の論理である。

その監督すべき機関が民営化して利益追求に走ってしまい今回の事件が起きた。

まさかさらにその事件を裁く裁判所までを構造改革で民営化と小泉首相は言い張らないだろうか。

国立病院 それに準じた大病院の独立法人化 独立採算制にしたことは医療の世界で裁判所の民営化に

ひってきするようなことを小泉首相はしている。




人は必ずいつか死ぬ。


11月30日の天声人語より引用


 最近の言葉から。42・195キロのフルマラソンを完走する幼稚園児がいる。

大阪府四條畷(しじょうなわて)市の私立星子幼稚園の子らで、

6歳の誉田海人(こんだかいと)ちゃんは今月、7時間弱で走った。

「風が気持ちよかった。ゴールできたときはすごくうれしかった。また走りたい」

 宮崎県三股町の中学3年、福田聖伍(しょうご)君が「少年の主張全国大会」で、

白血病を克服した体験を発表し最高賞を受けた。

「人は必ずいつか死ぬ。

だからこそ、一日一日をかみしめて生きなければならないことも学びました」

 00年に西鉄高速バスを乗っ取って乗客を殺傷し、医療少年院に収容されている22歳の男性が、

重傷を負わせた山口由美子さんに会い謝罪した。

「あなたのことを許したわけじゃない。これからの生き方を見ているから」と山口さん。

一方で、母を殺害された男性は面会を断った。

 横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて28年。拉致までの13年間に父滋さんが撮った写真が展示された。

「生まれたばかりのめぐみを最初に抱いた時の重さから始まり、

あの子の言葉、香り、外の気温や風の感じまで、すべて克明に覚えている」と、母早紀江さん。

 東京都で、管理職試験の受験者が減り続けている。

受けない理由は「管理職に魅力を感じない」「自信がない」「仕事と家庭を両立したい」

 稲刈り後の田に藁(わら)を積み上げた藁塚を撮り続ける大分県別府市の写真家藤田洋三さんが、

「藁塚放浪記」を出版した。

「モノだけじゃ豊かになれないことに気付き始めた現代人が、藁塚のよさも認識してもらうきっかけになれば」





寺院を巡って



寺院巡りをしている。以前に何度も参拝しているところも再び訪れると新しい発見がある。

京都の醍醐寺と滋賀県の石山寺は遠いようにかんずるが,山岳沿いに歩けば近いようだ。

まだ歩いたことはない。お遍路さんは歩いている様子だ。

昔は乗物がないから歩くだけしか仕方なかった。だから山の尾根を伝って地図で見ると醍醐寺と石山寺を結ぶと近い。

お寺の中でお参りしている他の人の会話を聞いていると二時間位で行けるとか話されていた。

それは本当のようで,昔のこと石山寺の僧が勉強修行の為に毎日醍醐寺に通っていたことが書かれていたのを文章を読んだ。

案外に昔の人たちが健脚であったと考える。西国三十三箇所めぐりでも今は自動車などで使って簡単には廻れるが,

昔の人たちは歩く以外に手段がなかった。歩けば健康に良くて,それが観音菩薩の功徳なのかもしれないし,

観音さんが自分の願いを聞いてくださると信ずれば,精神上にも大変良い。その他の未知の力が湧き働く可能性がある。

大体に西国三十三箇所の観音寺は大体山の高いところに建てられている。昔の人たちの智慧なのか。

高地は空気が良く,高所に上れば運動量も増えてくる。まず現在の言う所の成人病は半減する事は間違いない。

それから,古い寺でも平安時代かそれ以前の瓦が落ちていないか注意して見て探すが,なかなか見つからないものである。

最近偶然始めてその瓦片をみつけた。宝物にでも出会ったような気持になった。

古い瓦の特徴は裏面に細かいガーゼのような布目があることである。

そして現在の瓦のように黒っぽい色はしていなくて,土色で,瓦の縁は唐草模様があった。

模様を見れば専門の人は瓦片を見るだけで,何時代の頃のものかが判るようだ。

瓦片のようなものが宝もののように感じるようになったのは京都考古資料館に通って展示物をみるようになり,

又京都市の古代の遺跡物の保存施設で土器や瓦の片が沢山大切に棚に保存されているのを見てからのことでもある。





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