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今年の12月は


今年の12月は殊のほか寒く冷たい日が多い。地球が温暖化しているとのことだが,なんだか寒い日が続く。

年の瀬の頃には雪が積もっている。

寒気が日本列島を覆って,北海道 日本海側地帯に大雪が降り,その中で雪かきで屋根から落ち滑って亡くなった人もいるようだ。

天候は気まぐれである。此れだけ科学が進歩し,進んだ世の中でも自然に順応しながら人間は住んでゆくより仕方のない存在である。

人間は自然の摂理には勝てない。

宿命というか,運命と言うか仕方のない人間としての存在である。そのために宗教の存在意義がある。

昔から,世界を征服した偉大な人たちでも必ず死んでいっている。

大きな墓を作っても,不老長寿のくすりを求めても,必ず終わりには人は亡くなるものである。

宗教がいかに科学的に理論づけられようとも,人間の弱さを補うだけのものとして,それ以上にはならないと考える。

場合には新興宗教ては犯罪を犯す場合が多々ある。

オーム真理教、京都のなんとか統一教会の如く人の弱みを利用しての犯罪がある

昔の人たちの智慧の蓄積はどの人にとっても必要だ。歴史上の偉大な宗教者の声に是非耳をかたむけてほしいものだ。

それによって人間に勇気や 励みそして将来への希望を与えてくれるに違いない。

日本では行基は別として 弘法大師 伝教大師 栄西 法然 親鸞 道元 日蓮たちの祖師達の教えに

長い歴史による磨きがあり,その教えに間違いはない。

根本のところではどの宗教も,キリスト教などでも同じであるはずだ。

年令とともに「欲」の哀れさが少しずつわかってきたように思う。

ブッシュ並びに小泉首相の権力欲は極めて旺盛である。

ブッシュは無謀な世界征服の野心に燃え 小泉は日本を蹂躙することを願っての行動ガ目立つ。

権力維持の為のマスコミで報道される「小泉劇場」に国民は惑わされ続けてきた。

報道するマスコミが悪いのか,騙された国民が悪かったのかの判断はできない。

小泉首相は確かに改革と称し,社会の色んな面で「変化」をばもたらした。それだけは間違いない。

その結果に対し将来での良し悪しは現在全くにわからない。

責任ある人,普通の人間ならばここまでの変化は出来ないはずなのだが。

テレビでみるかぎり,屁理屈の多い口だけの軽い人物のように感ずる。

温かな人情味豊かな日本的な社会から実利や利益を重んずる欧米型社会に変えてきている。

そのつけは何時の世にか,これから後々の世にまで受け継がれてゆくことになろう。

政治家にはどの社会においてよりも,より一層の立派な人物像が望まれる。

そのような人が是非なってもらいたいものだ。

舞台劇場で見てそれでお終いとか,お笑いとか,役者の演技を見それが楽しかったといったものとは

政治家は全く性質が違った立場の人たちでなければならない。

その結果庶民への色んな方面への,いつの世にまで,そして多方面にわたり影響を与え続ける。

その証が,日本は第二次大戦後まで富国強兵で大勢の国民が戦死し戦災で又栄養失調などで亡くなって来ている。

政治家は私利私欲の目先の小手先だけでする政治活動で終わるのものではない筈である。

多くの国民の運命をば担って政治をばやっている自覚に乏しい。目覚めてほしい。

政治家の仕事は全国民の生活向上・安全が至上命令である。

今まで政治家になるために「地盤」「看板」「カバン」が必要だと言われてきた。

政治家の二世三世四世には生まれながらにしてそれらは自然についている。

その人たちに政治家としての素質があるかどうかは全くの別の問題である。現在の政治家で大いに疑問を持つ。

今の政治では政治家になるために「地盤」「看板」「カバン」は絶対必要条件になってきてしまっている。

アメリカも全く同様の傾向にある。

今回の小泉劇場では「看板」が飛びぬけて影響し,その影にカバンがちらつき,それに地盤が続いた。

政治家は決して役者ではない。

キチンとした立派な政治の仕事をする役割りを与えられている存在である。

政治家になって,ただ私利私欲を増大させるための手段では決してあってはならない。

このような政治のイロハが理解していない人たちが政治家を志したり,活躍しているように思える。

又そのような政治を応援している人たちも,私利私欲のために群がり,たかっている人たちが大勢いるのが現状だ。

政治家には知る限りでは二千万円余の年俸に それに新幹線交通費は無料 

なんだか判らない歳暮とかの餅代として300万から400万円

秘書給料代支給など,贅沢な生活費と議員年金による老後生活が保障されているようだ。

それでも足りないと言うのは何に必要なのだろう。

当選するための日頃のコマメナ活動費とは,言い換えれば日頃こまめに票を買収し続ける行為ともとれるのではないのだろうか。

昔から「政」「官」「民」の三位一体で政治が続いてきたといわれている。

それらの輪の中に入った人たちには,だから怖いものなしでいた。

権力を握った人たちが私利私欲とからめて悪用され,それが長期の自民党政治が続けられた原動力となってきたと考える。

そして最後は戦争をば起こし,全国民をばドン底に落としてしまったのが今までの政治の流れであった。

どう見ても今回の小泉解散は一種の権力の乱用であった。

否決されてからの解散でなく,公約マニフェストを具体的に選挙前に示し選挙で勝つべきだった。

「その時になれば適切に考える」。そして自分の意見が否決されれば国民に信を問うとして解散している。

これでは権力の乱用といわれても仕方ない。

信を問う選挙にはタレントめいた美人候補を多数立てて郵政民営化イエスかノーで答えよと,

そして他のことは「その時になれば適切に考える」,

議員が多数が当選すれば数の論理で,なにもかも法律を通しやりたい放題にできる。

靖国参拝もイラク自衛隊派遣延長も「その時になれば適切に考える」で当選し,選挙後はサッサツと実行に移している。

その時になっても決して適切に考えてはいない。小泉首相には国民の意見・世論なんか全く眼中にない。

靖国参拝で「韓」「中」との間がこじれに対して,小泉首相は靖国参拝は個人の心の問題で総理一人で日本への

他国からの内政干渉だと言い張っている。応援団の最右翼が安部官房長官のようだ。

そんなことだれが聞いてもおかしい話ではないでしょうか。

天才的なペテン師と言われても仕方がない。

これでも日本の総理大臣なのだろうか。国民を本当に愚弄にした話である。

どのような政治が理想かとの答えは明らかだ。

日頃の全体の国民への政治活動が評価され,何もせずとも自然に立派な議員さんだと選挙民に思われ,

そして私利私欲につながるような日常活動は一切しないようにする。

世界の中で「平和大国」を志す日本を目指して,アジアさらには世界をばリードしてほしいものである。

そのような人物が今の政界にどれだけいるのだろう。そのような人がこれからも是非出てきてほしいものである。




学校からの帰りに殺害された
広島市安芸区の小学1年の女子児童



12月1日の天声人語より引用

右の手のひらを、胸のあたりで下に向ける。

そして水平に小さく回す。

手話で、「子ども」を表す手の動きの一つだ。

頭をなでるようなしぐさからは、幼い命をいとおしむ気持ちまでが伝わってくる。

 身長120センチというから、ちょうど手話で「子ども」を表す時の右手の下あたりの背丈になるのだろうか。

学校からの帰りに殺害された広島市安芸区の小学1年の女子児童は、

その体を折り曲げられ、家庭用ガスコンロを梱包(こんぽう)する段ボール箱に押し込められた姿で発見された。

いたいけな子に対するむごい犯行に、胸が詰まる。

 事件が発生してから8日後の昨日、30歳の男が、殺人と死体遺棄の容疑で広島県警に逮捕された。

県警によると、通学路沿いのアパートに住んでいる日系ペルー人で、容疑を否認したという。

 調べでは、事件の直前、容疑者が自宅の前で女児と話をしているのが目撃されたという。

段ボール箱などの遺留品の捜査でも容疑者に行き当たったというが、

取り調べは始まったばかりで、犯人と確定したわけではない。

県警は捜査を尽くして、事件を究明してほしい。

 小1女児、小1女児、小2女児、小1男児、小2女児。

昨年までの約10年間に、全国各地で下校中に子どもが殺害された事件をたどると、

低学年、特に入学して間もない1年生が被害に遭う例が目立つ。


例えば、せめて小学校の低学年まではバスで送迎をするといった手はないものだろうか。

 下校時の安全を百%確保することは難しい。

しかし、幼い命が再び絶たれないよう、手だては探り続けたい。






小泉改革政治が押し進めてきた弱肉強食政治の副産物である。

今の日本に欧米化が進み,弱いものをいたわる精神が乏しくなって来ている。

強いものが勝ち,弱いものが負ける,さらには強いものに食われる立場に置かれている。

それが普通の社会になって来た。

貧富の拡大を押し進める小泉政治の結果であることにきずいている人たちがと゛れだけいるのだろう。

多くの学校が要塞化され,ガードが強化されてきている。

それだけでよいのかどうか根本的に考え直すべきである。

昔では考えられない事が起き始めている。

教育の誤りと,それによるいたわりの精神が少なくなってきたことに早くきずくべきである。






「耐震偽装マンション」を買わされた人たちの救済策




12月2日の天声人語より引用


「耐震偽装マンション」を買わされた人たちの救済策の全体像が、なかなか見えてこない。

耐震データを偽造した建築士の他、見逃したり、売ったりした側の責任の取り方が判然としないが、

すぐにも必要な代わりの住まいや税金の扱いでは、自治体による違いもみえる。

 川崎市では、今年度中の固定資産税などを免除し、市営住宅の使用料を3カ月に限り免除する。

横浜市も原則3カ月間、市営住宅を無料にするという。

一方、東京都では、税の面での優遇措置はとっておらず、


昨日始まった移転先としての公的住宅の家賃についても「同規模の住宅並みの負担をお願いする」という。

 自治体は、マンションの住民に対して、退去の勧告や使用禁止命令を出す立場にある。

危ないから出ろと言っておいて、お金の面での救済がなければ、

被害者は、住めないマンションのローンと新しい住まいの家賃との二重の支払いを強いられる。

 川崎市では、災害で住まいを失った場合に準じて優遇を決めたという。

東京都では、自然災害ではなく人為的な被害で、責任の所在もはっきりしているから優遇はしない方針という。

 住めない家を買わされたことと、常に地震による倒壊の恐怖を抱えていることで、

被害者は皆、同じ立場にある。

その救済策が、マンションがどこに建っているかだけで大きく違うのは、被害者には割り切れないだろう。

 行政の「横並び」は、目立つのを嫌う役所仕事の問題点となってきた。

しかし、被害者にとって前向きと思えるような線での横並びなら、悪くない。


実利・効率至上主義の精神の徹底化による弊害である。官が監督に徹底すべき所を疎かにして

民に委託した所に最大の誤りがある。これも小泉改革の成果?の一つである。

「民にできることは全て民に任す」その結果厳重に監査する所が見逃され,効率化 実利に走ったが為である。

効率化とサービスとは相反するところが多く,両立はありえないことがわかっていない政治の貧困の結末である。

これも立場の弱い人をば悪者に仕立てて政治の責任逃れが行われようとしている。





遠い昔、小学校に通った道には、
地域の人たちの幾つもの目があった。



12月3日の天声人語より引用



昨日の夕方近くだった。

広島市の女子児童の殺害事件について書いたコラムへの感想のお便りを手にした。

幼い子をもつお母さんで、住んでいる九州の町でも、

先日児童が車の中から声をかけられ、注意を促すプリントが配られたという。

 PTAなどが巡回し、安全マップを作ったそうだ。

親や学校、地域の人たちが死角をなくそうと必死になっている様子がうかがえた。

そこへ、茨城県で幼い女の子の遺体が発見されたとの報が入ってきた。

そして夜には、栃木県内で行方不明になっていた女児と確認された。

子どもを守ろうとする努力への挑戦にすらみえる。

 広島市の事件で逮捕された容疑者は犯行を認める供述を始めた。

弁護士に不可解なことを言ったという。

「悪魔が自分の中に入ってきて体を動かした」。

日本の通学路は「悪魔」の所業を許すような恐ろしい道になってしまったのか。

 遠い昔、小学校に通った道には、地域の人たちの幾つもの目があった。

何か変化が見つかれば、その信号は波のように伝わっていくようだった。


今は見知らぬ人が居ても必ずしも変化とは感知されないし、都会は見知らぬ人で満ちている。

 先日のコラムは、幼い子の頭をなでるようなしぐさで「子ども」を表す手話のことから書いた。

九州からのお便りに、こんな一節があった。

「『愛す』『大切にする』の手話は、円を描いた手の下にもう片方の手をそえます。

寒い時、手の甲をこするように」

幼い子のいる人もいない人も、手と手を合わせて、「守る目」をつくれないものだろうか




昔は幼い人 弱い人たちを助ける風習が一般にあったが,欧米化が進むと同時に社会の連帯感 つながりが

薄れてきている。

これも政治の不始末の結果,教育行政によって社会全体の風潮の流れを変えない限り小手先だけに終わってしまう。

小泉改革の成果?の表れの一つではなかろうか。





捕手の大切な仕事。
英語が得意でない日本人に務まるのか





12月4日の天声人語より引用


米大リーグ入りを決めた城島健司捕手の英語力を、米紙が相次いで取り上げた。

「試合中に話すのは捕手の大切な仕事。英語が得意でない日本人に務まるのか」と。

 英語に定評のある長谷川滋利投手も、渡米直後は言葉の壁に泣いたそうだ。

英語に疲れるとトイレに逃げ込み、日本語の本を読みふけった。

それが今や通訳ぬきで会見し、英語習得法を説く本まで出版した。


 中国の卓球リーグに飛び込んだ福原愛さんは、みごとな中国語を操る。

発音も本格的で、地元のテレビ番組に出演して人気が高まった。

ゴルフの宮里藍さんも英語で堂々と応じている。

 逆に日本へ来た外国人選手はどうか。

たとえば角界は徹底した日本語漬けで知られる。

朝青龍関も入門してすぐは言葉に苦労した。

顔色の悪い兄弟子をいたわるつもりで「関取、顔悪いっすね」と声をかけ、猛烈に叱(しか)られている。

 予習なしで来日し、通訳はおらず、日本語学校にも通わない。

それなのにみるみる上達するのはなぜか、と早大教授の宮崎里司さんは外国人力士や親方ら約30人に面談した。

わかったのは、相撲界がサブマージョン式の言語教室になっていたことだ。

英語で水没や浸水を意味する。

泳ぐかおぼれるか、異言語の海に手荒く放り込む。

 英語の海にこぎ出せば、誰にもトイレに隠れたくなる日があるだろう。

けれども大リーグは弁論大会ではない。

日米の野球に通じたバレンタイン監督も「形容詞の用法や動詞の時制が理解できても

捕手の仕事には役立たない」と米紙に語っている。





サッカーの盛んな国と野球の盛んな国がある。日本は珍しく野球が盛んである。

戦後アメリカに真似て草野球を良くしたものである。アメリカ崇拝気分が世の中に蔓延していった。

野球が盛んなことはわるくないことだったが。

戦後1ドールが360円の時代が長く続いていた。

文通していたアメリカのメールフレンドから家に二台のテレビがあったり,各家に一台の自動車が

あると書いていたので,なんと豊かな国だと感心したものだ。

日本の優秀な青年達がフルブライト給付生となってアメリカ留学して,その後彼等が帰ってきて日本を背負う時代となって

アメリカ文化に益々に箔がついて来た。

それが今やハンバーガー文化までが立派だと感じ日本文化の良さが吹き飛んでしまったている。

それから日本人はアメリカ文化を吸収することに汲々となって英語ができないと半人前の世の中になった。





内閣府で募集した障害者週間の作文の
高校生・一般市民部門で最優秀賞





12月5日の天声人語より引用



滋賀県に住む山本まゆみさん(27)は、スーパーで買い物用のカートを回収するのが主な仕事である。

一日中、1階から4階まで歩きまわる。回収箱にたまった牛乳パックやトレーの整理もする。

夏は汗だくになり、冬は手がかじかむ。

 山本さんは知的障害がある。

工場で働いた後、あこがれていたスーパーの求人に応募した。

7年前のことだ。最初は、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」をなかなか言えなかった。

いまでは、お客さんから「よくがんばっているね」と声をかけられる。

 そうした日々をつづった「私のまわりの人達」が、

内閣府で募集した障害者週間の作文の高校生・一般市民部門で最優秀賞に選ばれた。

そこでは、「お店で仕事をする事がとても楽しいのです」と書かれている。

 作文には、同じ障害のある男の子が登場する。

エレベーターに興味があるらしく、週末にはいつもスーパーのエレベーターの前で遊んでいる。

「私は、心の中で『いつまでもここであそんでいていいよ』といいたくなります」。

そう書いたが、最近、姿が見えず、心配でたまらない。

 山本さんは、どんなことにも積極的だ。

月に2回、男女混成の障害者のサッカーチームで練習する。

夏には、障害児のサマースクールにボランティアとして参加した。

 あす、東京で、表彰式が開かれる。

山本さんは、最優秀賞の小学生、中学生とともに、自作を朗読する。

「今私に悲しい事は、なにもありません。楽しいことがいっぱいあるからです」。

そんな元気な声が会場に響くはずだ。






旅行していて偶然知的障害者が作った作品の展示会場に出会った。

素晴らしい作品で手にいれようとして値段をみると一人前以上の値段がついていた。

多分値段は正常な人達がつけたのだと考える。

以前知的障害を持つ人に情緒的に非常に優れた人に接したこともある。

その人と話しているとホッとするような30歳台の子供?だった。

本当のことをスラスラと話してくれ,こちらがいつもホッとした気分になった。

ずる賢さは全く見られない。

こんな人でまともに政治ができれば,どれだけ世の中が良くなるのにかと感じたことがある。

全くに素直である。

歌を唄うと音痴でなくて上手にうたっていた。

知能と情緒とはべつものであることを知る。むしろ人間らしさの面では我々見習うべきところが沢山有った。





流行語大賞に「小泉劇場」が選ばれた




12月6日の天声人語より引用


年末恒例の流行語大賞に「小泉劇場」が選ばれた。

劇場型政治家などと言われるご本人も、いろいろな劇場に出かけるのを好んでいるようだ。

 任期の延長論が出ても、次の総裁選までと「楽日」を示すのも小泉劇場流だが、

このところ一段と耳を疑うような発言が続いている。

きのう、日中韓の首脳会談の延期を中国政府が発表したことについて述べた。

「私はいつでもいいですけどね。向こうが延期する。それでも結構です

 イソップ物語の狐(きつね)と鶴を連想した。

狐が鶴を招き、スープを平らな皿に入れてすすめる。

飲めなかった鶴は、今度は狐を招いて、首の長いツボに入ったスープを出した。

相手がいやがり、傷つくことをしていれば、いつか逆の立場に立たされかねない。

 小泉流の対応には「外国の圧力に負けない」という点で評価する見方もあるのだろう。

しかし、圧力に負けないのと聞く耳を持たないのとではずいぶん違う。

 先月末には、靖国神社への参拝について、「思想及び良心の自由」を規定した憲法19条を引き合いに出して、

「まさに精神の自由だ」と述べた。

首相の参拝については裁判所の見方が分かれているが、大阪高裁などでは違憲判断が示された。

首相は、憲法によって憲法を尊重し守る義務を負っているのだから、慎重に構えるのが国の最高責任者の態度ではないか。

 今年の、もう一つの流行語大賞は「想定の範囲内(外)」だった。

やがて楽日になって小泉劇場がはねた時、日本はどうなっているのか。

「想定」の内か外か、心配な段にさしかかっている。



小泉首相は個人が靖国参拝するのに何故に「韓」「中」が非難するのか判らないとそして

「内政干渉」だというような政治音痴な発言をする首相が属する自民党衆議院議員の多数を

日本国民が選んだのだから訳がわからない。


その時は郵政民営化反対か賛成かを聞く選挙に終始し,善良そうな美人女性議員を多数対抗馬として擁立した。

恰も反対する人間は悪い人のような仕組み・雰囲仕掛けを作っての選挙で

選挙時靖国参拝はどうするかを尋ねると「その時になれば適切に考える」,そして全ての質問にそのように答えていた。

これで大勝したのだから国民は小泉に政治のことに関し,全部白紙委任したようなものである。

騙されたとしても全て後の祭りである。

韓国 中国との首脳会談はまず小泉首相が在任の間はありえないだろう。

初めからキツネのような人間だと感じてはいたのだが,誰もそのようにおもわなかったのだろうか。






2016年の夏季五輪に向けて




12月7日の天声人語より引用


2016年の夏季五輪に向けて、国内の候補都市を来年8月末までに一本化するという。

既に手をあげている東京都、福岡市や模索中の札幌市は、五輪の開催を景気回復や道路、

新幹線整備などの「起爆剤」とみているそうだ。


 五輪は独特の輝きを放つ催しだ。

肥大化や招致競争の過熱、選手の薬物汚染などの問題は深刻だが、いつも多くの感動的な場面が生まれ、人を酔わせる。

開催される都市や国の夢を担ってきた。

 東京五輪は、焦土からの完全な復興を国際社会に示すという戦後日本の大きな夢を背負っていた。

それが1964年、昭和39年の秋に実現したとも言えるが、一方で、五輪成功の旗印のもとに、街は大きく造りかえられた。

 五輪の少し前の東京を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(山崎貴監督)が公開されている。

東京タワーが建設中だった昭和33年の都心の街での、さまざまな人模様が描かれる。

大通りはともかく、裏通りと路地の多くは、自動車ではなく、まだ人と自転車のものだった。

 東京での職場は光り輝いているものと思い描いてきた集団就職の少女の夢が、いったんは破れる。

しかし、そこには、路地の網の目のように張り巡らされた人の心の結びつきがあった。

 東京に限らず、改造の度に、都会からはこうした心の路地や自然が失われてきた。

もし2016年に五輪が来たら、その都市はどんな変化をするのだろうか。

巨額の出資を伴う「起爆剤」や「再開発」が、残されていた貴重なものすら取り払うことのないように願いたい。




失われるものと得るものからするならば京都には失うものが遥かに多い。

地方都市へ行くとしみじみと京都の神社仏閣の多さに目を見張らせる。

京都に長年住んでいても全ての神社仏閣は知らない。奈良や滋賀をいれば益々にその数は増える。

そのために京都は何処へ行くも人人で一杯である。

平和文化都市を宣言してほしいものだ。だから京都サッカーチームのメーンスタジアム建設が難航しているようだ。

そのような施設が一つ有っても良いと思うのだが。

巨椋池を干拓した土地が多くあるので大規模な動物園とか植物園のような施設があっても良い地域である。

手狭な市内の動物園から移動してくればよい。






アメリカと戦争が始まったよ





12月8日の天声人語より引用


ラジオから日本軍の真珠湾攻撃の報が流れてきた。「アメリカと戦争が始まったよ」。

若き日の池波正太郎が言うと、日清・日露戦争を体験した祖母は平然として「また戦(いく)さかえ」とこたえた。

「ちえッ。落ちついている場合じゃないよ」とどなりつけて家を飛び出す。

日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和16年12月8日の朝である。

 東京・浅草の家を出て日本橋で友人と会った後、レストランに行く。カキフライでビールを2本のみ、

カレーを食べてから銀座で映画「元禄忠臣蔵」をみた。

「映画館は満員で、観客の異様な興奮のたかまりがみなぎっていた。

いずれも私のように、居ても立ってもいられない気持で映画館へ飛び込んで来たのだろう」(『私の一本の映画』キネマ旬報社)。

 「聴きいる人々が箸(はし)を捨てた、フオークを捨てた、帽子もオーヴアも脱いだ……全員蕭然と直立し頭を垂れ、

感極まつてすゝり泣く人さへあつた」。

東京・神田でラジオの開戦の放送を聴く人々の姿で、「同じやうな感激の光景は全国至るところに描かれた」と、

本紙3面のコラム「青鉛筆」は伝えた。

 真珠湾攻撃の報を聞いたチャーチル英首相は、すぐルーズベルト米大統領に電話した。

大統領は「いまやわれわれは同じ船に乗ったわけです」と言った。

 チャーチルは、感激と興奮とに満たされたと自著に記した。

「日本人についていうなら、彼らはこなごなに打ちくだかれるだろう」(『第二次世界大戦』河出書房新社)。





「神代の時代」から日本は負けた事がないとして大東亜戦争に突入した。殆どシンガポール侵攻後は負け戦だった。

国体護持のために総力を使って沖縄戦  都市空襲 原爆投下などの無駄な抵抗を続け犠牲者を増やしつづけていった。

そのような経過の反省が現在微塵もみられない。再び同じような歴史を繰り返すような状勢である。

目を覚まし,もうそのような世界の時代でないことを認識すべきだのに。!!




イラクのサマワでの任務を
終えて帰国した自衛隊員が





12月9日の天声人語より引用


 一日が無事に終わると、カレンダーの日付に丸をつけた。

ただし、その日の夜にではなく、翌朝にだった。

なぜなら、攻撃は決まって夜だから。

イラクのサマワでの任務を終えて帰国した自衛隊員が、本紙の取材に語っていた。

宿営地での緊迫感がうかがえる。

 国内で待つ人たちも、一日一日を祈るような思いですごしてきたに違いない。

幸い、今のところ犠牲者は出ていない。

しかし、これは隊員の細心の備えや日々の努力と幸運とによってもたらされた薄氷の無事だった。

 小泉内閣は昨日、自衛隊のイラクへの派遣期間をもう1年延ばすことを決めた。

イラク戦争そのものの正当性が強く疑われ、米国内でも撤退を求める声が高まっているが、

さほどの議論もないまま延長が決まった。

 藤原帰一・東大教授の言葉を借りれば、国際政治は米国による徳川幕藩体制のように動いている

(『不安の正体!』筑摩書房)。

「将軍はもちろんブッシュ大統領、そのブッシュにどれだけ近いか忠誠を競い合うわけです」。

各国が「大名」とすれば、英国が親藩、日本は譜代だろうか。

 イラク戦争に反対した、いわば外様のドイツのメルケル首相が、ライス米国務長官を横にして記者会見で米側を批判した。

「民主主義の原則や法律、国際的ルールを守らなければならない」。

米中央情報局(CIA)が東欧などに秘密収容所を設け、独国内の空港を無断利用した疑惑についての発言だ。

 「将軍」への批判は広がっている。

日本は付き従うことなく、撤退への道筋を独自に描く時期に来ている。





戦いを知らない自衛隊員がアメリカの指揮官のもとで猛訓練しているテレビ放送を見た。

このことは時代錯誤も甚だしい。

日本は,ブッシュと道連れの自殺行為でもするつもりなのかと,小泉変人首相に聞きたい。

訓練とはいうものの自衛隊がアメリカ指揮下にはいること自体が日本は半植民地国家である。

アメリカは仮想敵国として北朝鮮 場合によると中国も そして日本を前線基地へと。

だからアメリカの司令部を横須賀にもってきたいのだろうか。

日本はアメリカの沖縄化され戦場となる可能性が増える。

アメリカへ飛ぶ邀撃ミサイルを何故に何百億円も出してアメリカと共同開発するのでしょうか。

親米派でタカ派の安部晋三官房長官が首相になれば,そのいきよいよいが益々現実味を帯びてくることだろう。






日本ではなじみの深い赤十字のマークは




12月10日の天声人語より引用


ところ変わればマークも変わる。

日本ではなじみの深い赤十字のマークは、イスラム教圏では赤くて細い月の「赤新月」になる。

 十字の形が、キリスト教を連想させるからだ。

この二つに加えて、赤いひし形を第3のマークとして認めることがジュネーブの国際会議で決まった。

 赤い十字のマークは、創立者アンリ・デュナンの祖国で、赤十字の創設に寄与したスイスに敬意を表し、

国旗の配色を逆にして定められた。

マークには宗教的意味合いは含まれていないというが、かつては日本でも赤い十字を避けた時期があった。

 日本赤十字社の前身の「博愛社」は1877年、明治10年に設立された。

西南戦争での両軍の負傷者の救援がきっかけだった。

キリスト教の布教のための活動ではないかという誤解を避けるため、日の丸の下に横一文字を書いたマークの旗が掲げられた

(桝居孝『世界と日本の赤十字』タイムス)。

 新しいマークは、これまで赤十字と赤新月のどちらもの使用を拒んできたイスラエルの「ダビデの赤盾社」が、

赤十字運動へ加盟する道を開くという。

赤いひし形の中に、各国の組織が独自のマークを入れることが可能で、

赤盾社が認めるように要求してきた「ダビデの星」を中に組み込むことができる。

 イスラエルについては、イランの大統領が、「地図から消されるべきだ」「ドイツなどに移せばよい」などと述べて波紋を呼んでいる。

対立の根は深い。

しかし、使うマークは違っていても、赤十字運動という場を共にすることは決して無益ではないはずだ。





赤十字はなんとなく平和を感ずるマークである。

経過はどうであれ再び戦争で赤十字が活躍しないような仕組みの世界へ貢献をすべきである。

戦争はよくない。戦争は決してよくない。平和が一番である。何もかも失うのが戦争なのです。






防犯ブザーを持って




12月11日の天声人語より引用




小1の少女が下校中に連れ去られた栃木県今市市の学校周辺を歩いた。

少女の通学路の一つは雑木林をぬける細い道だった。

行き交う人影はない。

散り敷いた落ち葉を踏む自分の足音だけが聞こえた。

 持って来た防犯ブザーを鳴らしてみた。

ビーンビーンと人工的な音が響く。

説明書によれば音量は90デシベルだが、ここでは無力だ。

人家は遠く、だれの耳にも届くまい。頭上で鳥がけたたましく鳴いた。

 携帯用の防犯ブザーが商品化されたのは1959年である。

業界団体によると、もとは痴漢やひったくり犯から女性を守るのが主な用途だった。

次いで外回りの銀行員らに広まる。

子どもが襲われる事件が続いた数年前から需要が増え、今や全国の低学年児に行き渡りつつある。

 広島市の事件で命を奪われた少女もふだんは防犯ブザーを持って登校していたようだ。

ただ当日は電池切れで自宅に置いたままだったらしい。

持っていたとしても、魔の手を遠ざけることができたかどうかはわからない。

 栃木県を離れ、少女の遺体が見つかった茨城県へ向かう。

車で東へ2時間弱、発見現場の山林は昼間でもほの暗かった。

狩猟の下見で男性が通りかからなければ、発見は遅れていたはずだ。

事務机を並べた簡素な祭壇に、少女の好物なのか、乳酸菌飲料や鶏の空揚げが供えられていた。

 きのうは京都府の学習塾で惨劇が起きた。

小学生の通学や塾通いにこれほど不安を感じた時代があっただろうか。

このごろは防犯ブザーだけでなく、寺社のお守りを結わえたランドセル姿が急に増えた気がする。





異常な時代である。昔はこのようなことはあったとしても稀であった。文化の影響は恐ろしい。

まずはプラグマチズム,実利主義,効率主義優先のアメリカ文化からの決別である。

価値観の変化が時代の様相を変えてしまっている。そしてアメリカ追従政治の普及。

儲ければただよいの実利主義によるようなホラー映画,バーチャルナ世界のゲームが

日本人に悪影響を与え浸透してきている。

丁度アメリカがイラクなどでテロ撲滅と称して戦争しているように,物事の根本へ視線がいっていない。

テロの原因は世界の貧富の差の拡大が根本にある。それを無くさない限りテロはいつまでも続くであろう。

アメリカ同様に日本でも貧富の拡大が問題視されてきている。

変人小泉首相の行革の偉大なる?結果によるのだろう。


弱肉強食の論理が子供の世界にまで波及してきたと考えるのが普通である

暖かみのある社会に戻す事が根本的な解決方法である。

政治の貧困が全ての根本的な原因にある。

普通は学校は社会に解放されているのが当然で,今までは誰もが親しみを持つて往来できていた。

その学校が要塞化されて子供に「知らぬ人を見れば疑え」としか教えられない社会は異常である。

変人小泉首相の政治に原因がある。

「嘘は泥棒の始まり」と昔の人はいったものである。

平気で詭弁が使えるような人が日本のトップではどうも仕方がないことである。

そして一見に無駄なことのようだが遊びの精神が失われてきている日本独自の東洋的な美徳が

失われてきていることにもよる。






「今年の漢字」は「愛」だという。
だが残念ながら「崩」という字に

行き当たった。





12月13日の天声人語より引用


 「今年の漢字」は「愛」だという。

きのう、「日本漢字能力検定協会」が発表した。

阪神大震災が起きた95年の「震」で始まって以来、「倒」「毒」「戦」「災」のような暗く苦しいことを表す字が続いたが、

初めて明るい印象の字が選ばれた。

愛・地球博や紀宮さまの結婚などに絡めて応募する人が目立ったという。

 しかし、日々ニュースに向き合っている身で振り返ってみると、残念ながら「崩」という字に行き当たった。

今年は、前年末の大津波による南海の楽園の崩壊で始まった。

春には、JR西日本の列車が脱線してマンションに激突するという、

日本の鉄道への信頼が根本から崩れるような大惨事が起きた。

 児童を狙った凶行が相次ぎ、通学路の安全が崩れ去った。

ついには学習塾までもが殺害の現場になった。

子を持つ親たちは、立っている大地が崩れるような思いを日々強いられている。

 丈夫なはずの鉄筋コンクリート造りのマンションで次々と崩壊の恐れが明らかになった。

入ったばかりの住まいを捨てなければならない理不尽な被害が続出している。

 そして日本経済の柱の一つとも言える東京証券取引所では、機能がマヒしたり、間違った情報が取り消せないまま流れたりした。

これまで築かれてきた様々な仕組みが、次々と崩れてゆくかのようだ。

 そんな年の瀬に選ばれた「愛」である。「愛」もまた、崩れやすいものかも知れない。

しかし、この「愛」の字には、崩壊の連鎖を何とか押しとどめたいという願いが感じられる。

「来年広げたい漢字」に見えてきた。




世界に天皇制を布いている国がどれだけ有るのだろう。

同じように地球に生まれてきて,その人の運命が誰も知らない人の手によって生まれてから

敷れて強いてしまうのも気の毒な話である。

「愛子」さんの将来について国民一人一人が真剣に考えてあげる必要があるのではないのか。

皇后美智子さんが失語症になり,皇太子妃雅子さんがノイローゼになるような重圧を誰によってかけられているのだろうか。

あのような東京の一等地の広い皇居を継ぐのだと考えるだけで気の重い話である。

それを運命付けられている「愛子」さんのことを考えてあげるのも「愛」についてかんがえるに相応しい年でもある。

「老舗」を継ぐ事に悩んた挙句に飛び降り自殺した人の記事を読んだ事がある。

皇室の方にも普通の生活をしていただき,幸せにしてあけるのも愛ではないのだろうか。







「右手にそろばん、左手に論語」




12月14日の天声人語より引用


みずほ証券が株を大量に誤って発注した問題で、与謝野経済財政・金融担当相が述べた。

「誤発注と認識しながら、他の証券会社がその間隙(かんげき)をぬって自己売買部門で株を取得するというのは

美しい話ではない。行動の美学を持つべきだ」

 今回、いわば瞬時に何億、十何億円という利益を得たとされる証券会社が幾つかある。

発注後に間もなく間違いと気付いたが、システムの不備で訂正が利かず市場を巡ったジェイコム株をつかまえた会社だ。

 生き馬の目を抜く舞台で、俊敏に仕事をしたに過ぎないとも言えるだろう。

しかし一方では、本当にこれでいいのだろうかという思いもわいてくる。

 「右手にそろばん、左手に論語」。

利潤の追求と道徳という、一見相いれない二つのものをあえて両の手に掲げたのが、

明治期の実業家の草分け、渋沢栄一だった。


著書の『経営論語』には、こんな一節がある。

「古くから、『盛(さか)って入るものは盛って出づ』といふ諺がある。

一攫千金の相場で儲けた金銭なぞが即ちそれで……」

 銀行家でもあった渋沢は、投機には一切手を出さなかったという。

「論語とそろばん」が両立しにくい分野だと考えたのだろうか。

「商売の徳は売る者も買ふ者も共に利益を得て悦ぶ所にある」とも述べている。

 兜町の東京証券取引所の前身である東京株式取引所は、渋沢らの提唱によって、明治11年、1878年に開設された。

商売にも道徳的な美を求めた創設者の目に、今の巨大な市場は、どう映ることだろうか。

あえて、辛口の言葉を聞いてみたい気もする。





どんな商売でも根本には道徳 倫理というものがなければならない。

我々の仕事は特に強調されてもされすぎることはない。

儲けに走れば本当の仕事が見えなくなる。

昔の洪庵先生なんかはいくらその人が病気がよくなってもその人の生活が出来なければならないので

そのことをも考えて治療せよと説いておられる。日本の保健制度は堅持して発展させるべきである。




耐震強度を偽装した姉歯秀次元建築士が




12月15日の天声人語より引用


アドリア海に注ぐイタリアのルビコン川は、古代ローマ時代にカエサルが「賽(さい)は投げられた」と言って渡った故事で知られる。

河口近くの町で見たルビコン川は、幅十数メートルの小さな流れだった。

 橋のたもとにカエサルの像が立っている。

渡れば元老院に背くことになるその一線を、彼は越えた。

川は小さかったかもしれないが、歴史への刻印は大きかった。

 耐震強度を偽装した姉歯秀次元建築士が、一線を越えて法に背いたのは、1998年ごろだったという。

昨日、国会の証人喚問で証言した。

鉄筋を減らすのはこれ以上は無理だと、木村建設側に何度も言ったという。

それでも「減らしてくれ」と言われる。


「断ると収入が限りなくゼロになる」。

そして、ついに「やってはいけないと思いながらやった」

 木村建設側は偽装への関与を否定した。真相はまだ分からない。

しかし、一線を越えた後、建設され続けた偽装の疑いのある建物は、数十棟にも及ぶという。

その一つ一つで営まれていた人々の暮らしが大きくゆさぶられた。

捜査による早期の解明を待ちたい。

 20年近く前、出張先のローマで、高層住宅の一角が突然崩れ落ちたという現場を見た。

別の建物では、ひさしが崩れてけが人が出ていた。

その一方、2千年も前のカエサルの時代の建築は往時の姿をとどめている。

「永遠の都」の皮肉な一面だった。

 国会で、今後の改善策を問われた元建築士は、民間の検査機関の審査を厳しくチェックしてほしいと述べた

偽装建築士が、偽装対策を語る。皮肉な問答だった。





「安物買いの銭失い」と昔からよくいわれている。

安くてよいものなんてありえないと誰かが言っているのをテレビで見たことがある。

でもいくら安くとも直ぐ壊れてしまうのではたまらない。

だから電化製品はどうしてもメーカー品を買うことにしている。

最近は修理すると修理代の方が高くつくので新しいものを買っている。その方が利巧だから。

一つが故障しだすとアチコチと故障が続く場合が多い。

これだけ不況が続くと手抜き工事もありえることなのか。

でもやはり最低の道徳 法律を犯してでも儲けようとする根性が理解できない。


効率化,利益優先の行き着く所がこの世界なのであろう。

その政治をば変人小泉首相は一生懸命に進めてきている。

悪貨が良貨を駆逐するとはこのことなのか。早くやめて欲しい小泉政治である。

小泉首相も最近は辛抱すればよい生活が待っているような嘘はつけなくなってきている。

「米百票」の例えは何処かへ飛んでいってしまったのか。

それにしてもあの衆議院選挙のマジックには驚きであった。






「創作四字熟語」だ




12月16日の天声人語より引用


「郵刺客者(ゆうしかくしゃ)」「セパ琢磨(たくま)」「大株主命(おおかぶぬしのみこと)」。

住友生命が募集した今年の出来事や気分を表す「創作四字熟語」だ。

 こんな作品もある。住宅や駅にサソリやヘビが出没した「行方悲鳴(ゆくえひめい)」。

少子化の傾向が止まらない「減子次代(げんしじだい)」。

クールビズが広まった「薄衣多売(はくいたばい)」。

世界の各地で大きな地震や災害が起きて、「津々揺々(つつゆらゆら)」。大方は、11月までの動きにちなむものだ。

そこで主に直近のニュースに即して、及ばずながら思案してみた。

 ブッシュ米大統領が演説して、イラクの大量破壊兵器についての機密情報が間違っていたと認めつつ、戦争を正当化した。

イラク人の死者は、民間人だけで約3万人ともいう。


謝罪とざんげがないのでは、「先制薮主(せんせいぶっしゅ)」の強弁と言われても仕方がないのではないか。

 その大統領による先制攻撃をいちはやく支持した小泉首相の責任も、改めて問われる。

大統領の開戦責任と、つながっているからだ。

大事な日米関係が、「ブ唱小随(しょうこずい)」でいいはずがない。

イラクへの自衛隊派遣の1年延長も「米意和達(べいいわたつ)」のように、あっけなく決まった。

 国内では、耐震偽装の問題が深刻だ。鉄筋を不当に減らされた「中空楼閣(ちゅうくうろうかく)」が幾つも建てられた。

株を巡っての騒動も相次いだ。

買い占めに走る「株主総買(かぶぬしそうかい)」があり、誤って発注された株を大量に手に入れたものの、

利益を取るかどうか対処に迷う「握銭苦悩(あくせんくのう)」と「取捨忖度(しゅしゃそんたく)」があった。

 この一年、殺伐としたニュースが目立った。

最後ぐらいは、明るい出来事に期待したい。除夜の鐘までには、まだ少しだが間がある。




「戦争反対」「平和維持」「米軍撤退」「国民幸福」「家庭円満」「治安維持」「世界友達」「兵器遺棄」「食品安全」「健康増進」

「心身健康」「暴力追放」「科学進歩」「自然温暖」「太陽青空」「運動爽快」「将来希望」「心豊身健」「同行二人」「犯罪追放」

「交通安全」「地球希望」「将来保障」「老後安心」「近所円満」「神仏信仰」「青春回顧」「天災万全」「職場神聖」「一日一生」

思いつくままに四語を書き来だしててみました。

器用な造語は自分には出来そうもないし不可能のようなので。






ふたりのどちらが、科学や人類により貢献したか




12月17日の天声人語より引用


アインシュタインは、1922年、大正11年の暮れの今頃、京都、奈良を夫婦で旅していた。

ノーベル物理学賞の受賞が決まったばかりで、東京や仙台、名古屋などでも盛んな歓迎を受けた。

東京では小石川植物園で帝国学士院の歓迎会があり、記念写真が残された。

 戦後の昭和39年、その植物園に英国からリンゴの苗木がやってきた。

ニュートンが万有引力を発見したとの逸話のあるリンゴから接ぎ木されたものだった。

その時、科学の巨人ふたりの接点が小石川にできた。

 「ふたりのどちらが、科学や人類により貢献したか」。

アインシュタインの特殊相対性理論などの発表から100周年の今年、英王立協会が投票を募った。

 「科学への貢献」では、協会の科学者も一般人も、ニュートンの方がかなり多かった。

「人類への貢献」では、科学者の6割がニュートンだが、一般人では、票は半々に分かれた。


 2000年に、本紙が、この千年の傑出した「日本の科学者」を読者から募集した。

「日本の」なのに、科学に国境はないというのか、外国人を挙げる人もいた。

そのトップはアインシュタインで、ニュートンは5番目だった。

 アインシュタインは、自宅の書斎にニュートンの肖像を飾っていたという。

「ニュートンにとって自然は一冊の開かれた書物であり、その文字を難なく読むことができた」とも述べた

(金子務『アインシュタイン劇場』青土社)。

昨日、冬空に枝を差し伸べる小石川のリンゴの前で、自然という書物を前人未到の目で読み解いたふたりのことを考えた。





天才出現によって飛躍的に科学が発達するとか。

アインシュタインの理論はわからないが,ニュートンの法則はなんとなく理解できる。

発明と発見はべつものである。多分アインシュタインもニュートンも発見だと思う。

誰もが普段見聞していることに新しいことを見つけることが可能である。

未知の世界発見はまだまだ続くことと思う。

発明も多分100年先には現在のもの全てが古くなっていることだろう。

100年後地球が全滅していたということだけはないことを願いたい。






今年はケヤキの葉がよじれ、枯れが目立った。




12月18日の天声人語より引用


「今年はケヤキが不気味な枯れ方をしています」と東京近郊の読者からお便りをいただいた。

「葉が縮れたまま散らない」とある。

家のそばのケヤキ並木を観察してみた。

くすんだ茶色の葉が枝先で絡まり合い、素人目にも様子がおかしい。

 ケヤキの巨樹がある立川市の国営昭和記念公園を訪ねた。

樹木医の川原淳さんによると、専門家の間でも話題になり始めたところだという。

異変に気づいたのは春先で、花が例年になく多く咲いた。

夏には緑の葉が茶色に変わり、秋には縮み出した。

「病気ですか」と心配する来園者もいた。

 関東地方だけではない。京都府立植物園でも今年はケヤキの葉がよじれ、枯れが目立った。

名古屋市の東山植物園では、カエデやモミジは例年通りだったのに、ケヤキだけ十分に色づかないまま秋を終えた。

山陰や九州でも同様の例が見られた。

 「ケヤキの葉が枯れたまま落ちない現象は十数年前からあるが、今年は特にひどい」。

植物の生態に詳しい国立科学博物館の萩原信介さんは話す。

病虫害ではないようだが、葉と枝を切り離す離層という部位が十分に育たず、北風に吹かれても古い葉が枝から落ちない。

 ケヤキは古名を槻(ツキ)と言う。

万葉集にも歌われ、戦国時代にはお城の造営に使われた。

現代では公園や街路でおなじみで、「けやき通り」や「けやき平」はあちこちにある。

 地球温暖化のせいかどうか原因はまだ不明だ。

米国の思惑もあって人類共通の温暖化対策がうまく進まない。

しびれを切らしたケヤキが身を挺(てい)して何か警告しているのだろうか





ケヤキで思い出すことは,何処かの寺院でこの仏像は何の樹で出来ているかと尋ねた所,答えがケヤキと帰ってきた。

その他仏像には 檜 松 桂の樹で作られていると書いてあり,聞いたりももして知る。

子供の頃に祖父が育てた桐の余りで手製のバットを桐で作った所 

振るのに軽かったが数度使っている間に折れてしまった。桐はタンスか下駄が一番良い。

ケヤキの枯れが自然に起きていることは不気味である。地球温暖化が原因ならばなおさらである。

アメリカのブッシュ大統領の廃棄ガス制限の京都議定書の不参加は大国のエゴそのものである。





ドイツの作家ケストナーの『飛ぶ教室』だ。




12月19日の天声人語より引用


毎年クリスマスが近づくころに読み返したくなる本がある。

ドイツの作家ケストナーの『飛ぶ教室』だ。

寄宿学校を舞台に一群の生徒たちと、彼らを取り巻く人々との交流の物語である。

 主人公の一人は、貧しい給費生のマルチン。

冬の休暇直前に故郷から手紙が届いた。

父親が失職し、旅費が工面できないという。

他の生徒が帰省する中、学校に居残る彼を舎監のベク先生が見つけた。

「どうしたわけなのだ」「いいたくありません」

 泣き崩れるマルチンに先生は20マルクを渡す。

「クリスマスの前日に贈る旅費は返すにはおよばない。

そのほうが気もちがいいよ」(高橋健二訳)。

その晩遅く、息子の帰還に驚く両親にマルチンがまっ先に言ったのは、「帰りの汽車賃もぼく持ってるよ」だった。

 何度読んでも、ここで目頭が熱くなる。

本が書かれた1933年は、ヒトラーが政権を取った年だ。

世界が不況に沈み、多くの人にとって、貧困や失業は生々しい問題だった。

 今からみれば、主人公の抱える友情やライバル関係の悩みは甘っちょろいかもしれない。

最近ドイツで映画化された「飛ぶ教室」では、学校への不適応や両親の離婚など現代の状況を織り込み、大胆に改作していた。

 しかし、原作の伝えるメッセージに変わりはない。

ケストナーは言う。

「どうして大人は子どものころを忘れることができるのでしょう。

子どもの涙は、決して大人の涙より小さいものではありません」。

子どもを暴力や欲望の対象としか見ない悲劇が続く年の終わりに、改めてこの名作を読もうと思う。




小さな善意が子供にとって大きな宝にも思えてくる。このような世界が広まる世の中になってほしい。

子供を狙う犯罪が多発する世の中でなんとか・・・・・。

小泉首相の弱肉強食政治の影響でで,全ての原因のもとには政治の貧困さがあげられると考える。

多分小泉首相はこのことを理解していないし,出来ない人だ。





0歳から100余歳まで、
1年ごとの年齢のもつ意味合いを



12月20日の天声人語より引用


 0歳から100余歳まで、1年ごとの年齢のもつ意味合いを、各界の著名人がその年でしたことと並べてつづる。

英国の動物行動学者デズモンド・モリスの『年齢の本』(平凡社)は、ユニークな視点で描かれた一冊だ。

 「15歳は門出の年だ。青年期の若者が成人期にまさに入ろうとする時期であり、刺激的な世界に胸をときめかす」。

ビリー・ホリデイがニューヨークで歌い始めた年とある。

日本なら、プロ棋士・羽生善治の誕生を挙げるところか。

 モリスは、日本を含む多くの国々が、この年齢を義務教育の修了年限にしていることにも触れている。

日本の場合は、進学や就職といった試練に直面するこの年を「15の春」と形容してきた。

 この人の「15の春」はどうなるのか。

フィギュアスケートのグランプリファイナルで優勝した浅田真央さんの見事な演技の映像を見ていて、そんなことを思った。

 今年の7月1日の前日までに15歳に達しているのが、トリノ五輪の出場資格の規定だった。

浅田さんが15歳になったのは9月だった。この年齢制限の規定は一貫しておらず、その時々で変わってきた。

 年端も行かない小学生のような幼子に、才能があるからといって練習や演技を強要しているのなら、より強い規制も必要だろう。

しかし今回は「門出の年」に達した人の出場資格だ。

伸び盛りの若い人には、独特の胸のすくような勢いがある。

重力のくびきを離れる瞬間の姿が五輪で見られないのは残念だ。

今の線引きの仕方がくびきになっていないかどうか、再考する価値はある。




年齢を重ねると共に一日 一月 一年の過ぎる時間が早くなってくる。同じ時間のはずなのだが早く過ぎる。

子供の頃は一日たっぷりと遊んだ。今は何もしていないのに一日が過ぎているような感じだ。

誰にも時間は平等に神から与えられているはずだ。それを如何に有効に使うかどうかは個々の人にある。

スポーツは勝つためだけにはないはずだ。




警察が建築基準法違反の容疑で家宅捜索




12月21日の天声人語より引用


その場所を一つ一つ書き出すだけで、この欄の字数は尽きてしまう。

きのう、警察が建築基準法違反の容疑で家宅捜索した先は、約100カ所にものぼった。

1都5県で、500人以上の捜査員を動員したという。


 これまであまり例を見ないほどの大規模な捜索だ。

耐震データの偽装は、大きな社会不安を引き起こしている。

そして、偽装の疑いにからむ関係先は多く、入り組んでいる。

事件解明への国民の期待を背にした、捜査機関の構えがうかがえる。

 押収した資料は、膨大な数量になる


そのどこかには、偽装を巡って関係者がしてきた様々な行為の痕跡が、暗号のように潜んでいるのだろう。

 推理小説作家の日影丈吉に、暗号にまつわる随筆「偽装の論理」があった。

「暗号は、読めなくては意味がない。読ませるために、かくす。つまり偽装の伝達である。

だから、ただかくすのではなくて、標識をおきながら、かくす」(『日影丈吉全集』国書刊行会)。

 偽装の発覚から1カ月あまりがたって、暗号はさらに分かりにくさを増しているのかもしれない。

しかし、元建築士を含んだ「偽装の輪」があったのかどうかを明らかにするためには、

押収した資料や関係者の供述の辛抱強い突き合わせが欠かせない。

 まだとりざたされていないところでも、偽装が行われているという疑いをもつ人が93%にのぼったと

本社の世論調査の記事にあった。

列島の至る所で、日に日に不安がふくらんでいるようだ。

その発端となった問題の暗号を解くための第一歩が、ようやく踏み出された。




大きい鉄筋の建造物被害が続出していても,それを行い儲けた人への刑はあまりにも少さすぎるのではないかと思えてくる。

場合によると大勢の死者が出る可能性があることだ。罪をもっと重くすべきである。

鉄筋は長持ちして半永久的だと聞かされたことがあるが,それは全くにうそで゙あることをこの度のことで知った

鉄筋への信頼感は全く薄らいだ。徹底的な調査はしてもらいたいものである。

誰が悪いのか判断できない仕組みで,結局に建造物は建ってしまつている。

だが一番大切なのはそのようなことのできる制度に変えてきた政治そのものにもメスを入れて

罪を追求すべきである。不備な制度が事件を起こしている。

これからドンドン出てくると考える。





アンデルセンの生誕200年の記念展が





12月22日の天声人語より引用


「小サナル早附木売ノ娘」。

デンマークの作家アンデルセンの「マッチ売りの少女」が、明治期に翻訳された時の題だという。

古くから日本にもなじみ深いアンデルセンの生誕200年の記念展が、

東京・大手町の逓信総合博物館で25日まで開かれている。

 アンデルセンは、英国の作家ディケンズと交流があった。

英国への招待を受けて送った手紙の複製がある。

「私は今、あなたのところに向かって旅をしています……私はロンドンが好きではありませんし、

2、3日以上は決してそこに留まらないでしょう……田舎の空気に触れたいと思います」

 筆まめだったというが、母親あての手紙は長くみつかっていなかった。

最近、デンマーク王立図書館の研究員が発見した。

記念展には、その複製も展示されている。

「いつもと同じようなおたよりをいたします……最近の旅行記がやっと書き終わりました……お母さんはお元気ですか?

……おたよりを楽しみにしています。僕は元気ですよ あなたのクリスチャンより」

 これまで、アンデルセンの母親への感情は冷え切ったものといわれてきた。

この26歳の時の手紙からは、母親を気遣う新しい一面がうかがえる。

 銀座の通りに出ると、救世軍の社会鍋が出ていた。

クリスマスの歌が流れ、電飾をまとったツリーが並んでいる。

 ディケンズは「クリスマス・キャロル」を著し、アンデルセンは、大みそかの夜の「マッチ売りの少女」を書いた

19世紀の歳末をそれぞれに描いたふたりの会話を想像しながら、人の波に分け入った。




アンデルセン生誕200年記念展を観る機会が有った。一生独身で世界を廻り旅行するのが好きな人であったらしい。

大きな旅行カバンが展示されていた。中国などの題材にした童話も書いている。

世界の童話の半分はアンデルセンかグリム兄弟で占めてるのではないかと思えてくる。

大人の今,読んでも心打つ話が沢山作られている。

心の乏しくなった現在の日本の大人たちの必読書にしてはよいのではないかと考える。

豊かな心の国の時代の物語である。

そういうと,アメリカではあのような心の持ち主の作家は育たないと思えてくるような現在の世相である。

同じ展覧会を見ていても見る箇所が違ってくるのも不思議である。

何冊か童話が其処においてあったので何冊かを読んでみた。






日本の人口が今の半分に減ると予想する記事





12月23日の天声人語より引用




遠くのビルの窓を染めて、いつものように夕日が落ちてゆく。

100年後の地上は、どうなっているだろうか。

ふと、そんなことを思ったのは、そのころには、日本の人口が今の半分に減ると予想する記事を読んだからだ。

 2005年生まれの赤ちゃんの数が、亡くなった人の数を下回る。

明治期に統計を取り始めてから初めて、日本の人口が自然減に転じることが、厚生労働省の推計でわかった。

政府の想定よりも1年早かった。

 私たちは今、おそらくは太古の時代からほぼ増え続けてきた人口のグラフの頂点に立っている。

これからあとは、右下がりに減ってゆく。

現在の1億2800万の人口が、このままだと、2100年には6400万になるという。

人口がそのくらいだったころを過去にさがせば、あの大恐慌が始まった昭和4年、1929年から翌年あたりになる。

 イギリスの経済学者マルサスは、18世紀末に出した『人口の原理』で述べた。

「人口は、制限せられなければ、幾何級数的に増加する。

生活資料は算術級数的にしか増加しない」(岩波文庫)。

徐々にしか増えない食糧に対する、人口の爆発的な増加の勢いを印象づける表現だった。

 今後の自然減については、国全体で幅広く対処してゆく必要がある。

しかし、そもそも、人口がいつまでも増え続けるものではないだろう。

 半分の人口といっても、現在のエジプトやトルコ並みで、フランス、イギリスを上回る。

今よりも、ひとりひとりが重みを増した、ひきしまった国に向けて、百年の計を立てる好機だ。




第二次大戦の戦時中は生めよ殖やせの時代で,兄弟で4-5人はざらで普通であった。

子供は戦力と政府は捉えていたのかもしれない。

その当時フランスなどは減少傾向で人口統計では日本はピラミッド型だったが,フランスは瓢箪型していた。

団塊の世代が老人になる頃の日本は逆三角形の時代になるのではないか。





愛国法





12月24日の天声人語より引用


英語のpatriot(パトリオット)は、愛国者を意味する。

湾岸戦争では、米軍のミサイルの名前として知られた。

「愛国法」と呼ばれる、9・11テロの後にできた法の扱いを巡って、米国内で論議が起きている。

 愛国法は、テロ対策のため、捜査機関の権限の強化を認めている。

ただ、電話の傍受のように、市民的自由を侵害する条項などは4年間の時限付きで、その期限が今年末だった。

 ブッシュ大統領は時限措置の恒久化を求めた。

民主党に加え、一部の共和党議員も反対していたが、とりあえず、この権限を短期間延長することで歩み寄った。

しかしこれとは別に、大統領が、令状なしで盗聴する権限を国家安全保障局(NSA)に秘密裏に与えていたと

ニューヨーク・タイムズ紙が特報し、大統領は批判にさらされた。

 民主党のファインゴールド上院議員が述べた。「大統領が勝手に法律をつくりあげることはできない。

そんなことをしていては、ジョージ・ブッシュ大統領ではなく、ジョージ・ブッシュ国王となってしまう」

 チェイニー副大統領は、こう反論した。

「ベトナム戦争やウォーターゲート事件で、大統領権限は制約されてしまった。

しかし私たちは、大統領権限をかなりの程度まで合法的に回復することに成功した」

 「合法的な回復」に疑問が浮かぶ。

令状なしの盗聴には民主主義社会を根本から覆す危険性がある。

愛国法が成立したのは9・11のテロ直後の「戦時」だった。

しかし「戦時」だからといって、ひそかに権限を膨らませていいはずはない。




パトリオットとは邀撃ミサイルのことだとしか考えていなかった。

パトリオットを利用する社会は悪い。

今のアメリカには「愛国法」がある。昔の日本の悪名高い「治安維持法」に相当するようだ。

内容は少し違うかもしれない。

でも主旨は同じようなものである。そのうち今の日本にも「愛国法」がアメリカから

上陸してきて施行される時代の気配を感ずる。

「愛国法」と名前をつけるとはアメリカ人は頭が良いと思う。

あたかも国を愛しない人を取り締まるとの感じを与えるが,内容は当局が個人の自由を奪い

治安維持するために盗聴も勝って次第にできる制度のようだ。

愛国者の反対は非国民である。

戦時中憲兵に「お前は非国民だ」として脅され殺されていった人たちも多くいるように聞く。






「地震に強い」と評された建築家には




12月25日の天声人語より引用


大地震に備えるには、建物を鉄やコンクリートで固めるのがよいのか、それとも柳のように揺れを吸収する方がよいのか。

関東大震災の直後、建築界でそんな議論が起きた。「柔剛論争」と呼ばれた。

 地震にからむ論争は戦後もあった。

総ガラス張りのビルが東京や大阪に建ち始めた1950年代、「地震が心配だ」

「いやガラスの持つ不安感は芸術性を高める」と応酬が続く。

こちらは「不安感論争」と命名された。


 建築評論家の宮内嘉久氏によると、不安感論争の象徴となったのは、

皇居わきに建った米出版社リーダーズ・ダイジェストのビルだった。

ガラス面が大きく、柱が細く見える。

建築学者や建設省技官らが「一度揺すってみないと安全かどうかわからない」などと盛んに批判した。

 設計したのは、チェコ生まれの建築家アントニン・レーモンド氏である。

戦前と戦後に計44年間日本で暮らし、関東大震災も体験した。

「地震に強い」と評された建築家には心外な非難で、晩年に出版した自伝でもなお憤慨している。

 レーモンド氏に師事した建築家ふたりの回顧展を見て回った。

東京・上野の東京芸術大で25日まで開催中の吉村順三展と、23日に東京駅で始まった前川國男展である。

 吉村氏は生前「大震災を見て建築家を志した」と語っている。

前川氏も建物の頑丈さには終生こだわり続けた。

どちらの会場でも、設計図や模型に顔を近づけて見入る人々のまなざしが印象に残った。

戦前から日本の建築界が耐震や免震にどれほど心を砕いてきたのか改めて思いを致した。





京都の東寺の五重の塔が地震で倒れたとの話は聞かない。

戦いで焼かれて消失していることが何度かあったくらいである。

耐震性に強い建物だが火災に弱い可能性がある。

昔の建築家のような昔堅気の真直ぐな根性が消失してしまったのか。

どの職業にもいえることである。

効率 実利 実用主義の戦後のアメリカからの精神が日本を蝕んでいる事にきずくべきなのだが

小泉首相自らが率先しアメリカの思想を日本に輸入しようとしている。

世界の流れかも知れないが,でもやはり日本固有の良さは頑固に守って欲しい






無敗の3冠馬ディープインパクトが
「第50回有馬記念」で敗れた。





12月26日の天声人語より引用


ああ、届かない。その瞬間、どよめき立つ16万余の観衆から悲鳴がもれた。

無敗の3冠馬ディープインパクトが「第50回有馬記念」で敗れた。

 千葉県船橋市の中山競馬場で観戦して思った。

なぜ、人々はこの馬に、これほど熱狂するのだろう。

前回レースでは1・0倍の単勝馬券を記念品として取り置く人が続出し、

全体の5%、5640万円が払い戻されなかった。

ギャンブルというより「お祭り」なのだ。

 強いものを見たい。

勝利の陶酔感にしびれたい。こんなファン心理を満たしてきたのは確かだ。

だが、それだけではない。

70年代のハイセイコーが石油ショックに沈む世相を、

80年代末のオグリキャップがバブル経済に躍る雰囲気を投影したように、

ディープインパクトもいまの気分を映しているに違いない。

 たとえば株価が持ち直して、景気回復が語られる浮揚感だろうか。

連戦連敗の馬が話題になったときより明らかに上向きだ。

同時に、強いものへの支持が広がりやすい世情を反映しているようにも見える。

 きのうのスタンドを埋めた人波から、総選挙で小泉首相に群がった聴衆を思い出した。

郵政解散を断行した首相の強硬さが圧倒的に支持されていた。

強い指導者なら問題を解決してくれると願ったような若者の投票行動も多かったという分析もあった。

 強いものに、すがりたい。ありがちな風潮だが、やはりどこか危うい。

その意味で、3冠馬の敗北は現実の厳しさを見つめ直す好機かもしれない。

はずれ馬券を懐に、駅へと続く「おけら街道」を歩きながら、そう思った。



なんとまあ競馬に詳しい人も世の中にいるものかと感心する。

感性が読みとれる。

競馬のことはよくわからない。

いつか草競馬で連敗続きで有名になった馬もいたようだった。





山形県庄内町で脱線転覆し、
乗客4人が死亡





12月27日の天声人語より引用



横殴りの風と雪とで、通りの向かいの家すら見えなくなる。

昔、任地の秋田市で何度かそんな体験をした。

勤め先では、支局の前の大通りの名を付けて「山王ブリザード」などと呼んでいた。

 真冬に日本海から吹き付ける風には、かなりの力がある。

海岸沿いで車を運転していると、何度もハンドルをとられそうになった。

しかしその風が、何両も連結した長い列車の脱線にまでからむとは思ってもいなかった。

 秋田発新潟行きのJR羽越線の特急「いなほ」が、山形県庄内町で脱線転覆し、乗客4人が死亡する惨事となった。

くの字に折れ曲がった車体は、尼崎市での痛ましい事故を連想させる。

 「いなほ」は新幹線の開通前は上野まで運行されていて、出張に利用したこともあった。

それまで平穏だったはずの車内が一気に覆された瞬間を思うと、胸が詰まる。

 原因の究明はこれからだが、突風が一因としてあげられている。

列車は、風速によって徐行や運転停止が定められている。

今回、現場に近い風速計での観測は20メートル以下で、通常運行の範囲内だったという。

しかし現実には脱線が起きた。最上川の長い鉄橋を渡った直後の脱線なので、

線路の下の川面から吹き上げる風の強さを指摘する専門家もいる。

 最上川の上流域が出身の歌人、斎藤茂吉が、この川の冬の厳しいさまを詠んでいる。

〈最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも〉。

今年は、いつにも増して雪が深いという。

風もまた強いとすれば、その中での列車運行の判断も、より慎重にしてもらいたい。




列車が突風で転覆とは考え難い。列車に乗っていると頑丈そうで潰れそうに思えない。

転覆した列車の映像をテレビで見ているとアメのように曲がっている光景をみかける。

列車に乗っている実感では絶対大丈夫なもののように感ずる。

満員列車で転覆だと大事故になりえる。

乗物の中で飛行機 船舶 自動車の中で゙一番安全な乗物に見えるのだが。

人災のようにも思えるのだが。

国鉄の民営化による経費節減が原因と関係しているのではないかと思えてくる。






東京の日本橋の上に空の復活を




12月28日の天声人語より引用


この一年、小泉首相の言動には、残念ながらなかなか賛同できるものがなかった。

そのまま年が押し詰まってきたが、首相は一昨日、「東京の日本橋の上に空の復活を」と述べたという。

 「お江戸日本橋七つ立ち」の古い橋だが、東京五輪を機に川沿いにつくられた高架の高速道路の下になっている。

浮世絵で描かれたような開放感はない。

その空の復活なら、あるいは賛同できるかと思い、発言をたどってみた。

 「日本橋という昔からの名所、これが上に高速道路が走っているからね。景観もよくないと」。

五輪の開催に沸いた時代はともかく、今では、「よくない」と思う人も多いだろう。

 「川の流れ、日本橋、そして、昔ながらの名所を復活すれば、単なる東京の名所になるだけでなくて、

世界的な名所になるのではないかと。夢をもって、日本橋の上を思い切って空にむかって広げてみようと」。

川のたもとを散策で楽しめるようにしたいとも述べた。

 夢を持つのは悪くはない。そう思って、久々に日本橋に行き、渡ってみた。橋は、高速道路の影の中にあった。

行き交う人たちも寒そうだ。確かに、空が開けて陽光が橋に届く方が気持ちがいいだろう。

それを待ち望む地元の人たちの思いも改めて実感した。

 そのうちに、今の日本橋の姿は、やみくもに都市開発や道路づくりに走った時代を象徴する負の遺産ではないかという気がしてきた。

この橋にとどまらず、日本のその時代と施策とを省みるという視点が伴っていればいいのだが。

「空の復活」発言にそんなことを思った。





便利さと景観保存の両立はありえない。日本橋の上にたったことがないので判らないが,

立っていててのも気がついていないのか,上には高速自動車が通っているらしい。

京都の三条大橋の上に高速道路が走れば興ざめである。

鴨川にフランス風の橋を京都市が作るとして話題となり市民の大反対で撤回されている

京都では高速道路は南の田園地域に限って出来ている。

今住んでいる近くで景観として全く問題なくて京都もやっと

近代的都市の仲間に入ったのかと大歓迎である。高速道路は大変便利である。

景観に問題はなくむしろあった方が素晴らしい景色と感じている。

京都人の常識なのか。京都には素晴らしい政治家がいる。

日本橋の上にどのようにして空を復活するのだろう。?東京は人口が多すぎる。

政府の機関の一部を地方に移転するか,皇居を移転するかしかないのではないのか。

最近日本橋の上の高速を除くとの小泉首相の鶴の一声が言い出している。

どれだけの費用がかかるのだろうか。?

たまたまに昔日本橋が作られてそのうえに高速道路がつくられた。

無駄なことに費用を注ぐのが小泉政治であったと

高速道路を移動して無くしても無駄な税金を使った小泉首相の思い出だけが残る。

日本橋は今のままにして後世に何をするにも営利・実用優先のために,このようなことをしてはならないとの

教訓の為として残すべきである。

新しく日本橋は近くに記念のための日本橋を作ればよいそれでよいのではないのか。






最近の言葉から。




12月29日の天声人語より引用




最近の言葉から。

トリノ五輪には出られないふたりが語る。

年齢制限が壁となった浅田真央さん。「うーん、少しは出たいけど、あまり気にしません」。

採点集計ミスで優勝が幻になった織田信成選手。

「納得1割。9割は悲しいです」。

トリノへ行く高橋大輔選手に「おめでとう」と声をかけた。

 今季、オリックスを指揮した仰木彬さんが70歳で逝く。

「もしものことがあっても、ユニホームを着たまま倒れれば本望だ」。

去年、監督を引き受けた時、体調を気遣う西本幸雄・元近鉄監督に言ったという。

 「乗車時間や利用頻度を考えると、全面禁煙化しても支障は生じない。

禁煙を望む利用者の立場に立つと、全面禁煙化が望ましい」。

タクシーでの受動喫煙を巡る裁判の判決で、東京地裁の柴田寛之裁判長が述べた。

 「僕は静岡が大好き。このまちが快適で楽しくなるように、条例を制定して下さい」。

中学1年生の大石悠太さんが、路上の歩きたばこを禁じる条例の制定を静岡市議会で訴えた。

 下校中に連れ去られ殺害された栃木県今市市の女児は、

事件の約2週間前にリンゴ狩りに行き、お礼の手紙を書いていた。

「りんごがりにいったのがたのしかったよ さかなにえさをあげたのがたのしかったよ」

 愛媛県の今治明徳高校矢田分校の2年生が、

日本を空襲したB29爆撃機の元搭乗員と英語で電子メールをやりとりしている。

「無差別攻撃の空襲は国際法違反ではなかったのか」「日本の真珠湾攻撃だって同じだ」。

日米開戦から64年。10代と80代が戦争を問う交信だ。





日本軍が軍港である真珠湾攻撃で何人のアメリカ人が亡くなり 

アメリカ軍機の各都市への無差別攻撃の空襲は

国際法違反で日本人が何人が亡くなって,原爆投下で何人死んだのか,

やはり犠牲者の数が大いに問題があると思う。

同一に考えるのは如何なものだろうか。どちらにしても戦争とは無慈悲で矛盾なものである。

ニューヨークのテロで亡くなって,そのために何人のイラクとか,アフガンなどで死ねば気が済むのかと同じである。

テロは根絶されずに多分政権が代わり施政方針が変らなければテロはやまず変化はこないことだろう。

戦争は悪い。平和が良い。これは誰もが理解できることだ。

ならず者国家を民主主義国家に変えるための「正義の戦い」を続けるならば,平和は永遠にこない。







一枚だけになった古いカレンダーを見やりながら




12月30日の天声人語より引用


今年も、残りわずかとなった。

一枚だけになった古いカレンダーを見やりながら、新しいものを用意する。

まだ見ぬ白い時間というような不思議な魅力が、来年のカレンダーにはある。

 JR東日本のカレンダーをめくってみた。

1月の暦の上の写真は、広い雪原の向こうを列車が行く風景だ。

かなたに雪を頂く山があって、厳しくも美しい北国の冬の写真だが、その列車の説明に「羽越本線 いなほ」とある。

山形県での脱線転覆事故で、思いも寄らない巡り合わせになってしまった。

 痛ましい事故の現場では、昨日も捜索が続いた。

改めて、犠牲者のご冥福を祈りたい。

JRは事故が防げなかった原因を一日も早く究明し、再発防止の手を打ってほしい。

 大きな街の駅では、ふるさとに向かう帰省客や家族連れが目立ってきた。

ふるさとの山や海は、遠くに暮らす人に呼びかけてくるようなところがある。

暮れには、それが強まる。

 「海なりは/こうも 聞こえるのだ/そうら/まめで暮らしているか/もう そろそろ帰って来いよ。ってな。

/不思議だというか」(『竹内瑛二郎詩集 海潮』秋田豆ほんこ)。

竹内氏は、1904年に秋田市の港近くに生まれ、地元で長く教職にあった。

 子どもたちをうたった詩からは、教室での様子が目の前に浮かんでくる。

「きょうもまた/せんせいといってくれるか/おう おう/子どもらよ」。

この一年、地上の様々なところで多くの命が散らされた。

何事もないことは何でもないことではなく、尊いことなのだと、思い知らされる暮れである。



「何事もないことは何でもないことではなく、尊いことなのだ」の言葉は響く。

過去になると苦しいことも楽しく思い出される。苦しい事は早く忘れたい気持が働くものだと考える。

戦争体験世代はどうしても戦争をしてはいけないと言いつづけたい。

「負けるが勝ちと」とよく言われるのは本当のことである。

勝つために戦争当時の政府がトコトン戦争したから当然今生きていてもよい人たちが

沢山そのために亡くなってしまっている。

いくら靖国神社に祭られ神になったとしても,生き長らえてほしかった。

そのように出来たはずだったが,勝つために戦争した。

故に尊い生命が沢山失われていってしまっている。残念だ。!

上官の命令には絶対服従で,上官の命令は天皇陛下のご命令であるといわれていた時代のことである。

命令に随わなければ殺される。?そのような時代背景も有った。






この春に逝った歌手、高田渡さん



12月31日の天声人語より引用


トリを焼く煙がもうもうとあがり、勢いよく通りに出てゆく。

東京・吉祥寺の駅前で、井の頭公園に近い場所だ。

この春に逝った歌手、高田渡さんの行きつけだった店の止まり木で、しばししのんだ。

 「鉄砲や戦車や飛行機に/興味をもっている方は/いつでも自衛隊におこし下さい/手とり足とり教えます」。

「自衛隊に入ろう」は1967年、高田さんが都立高の定時制に通う頃に作られた。

このデビュー曲が放送禁止になった。

 主義主張を正面からぶつける作風ではない。

「あたりさわりのないことを歌いながら、

皮肉や批判や揶揄(やゆ)などの香辛料をパラパラとふりかけるやり方が好きだった」と自著『バーボン・ストリート・ブルース』

(山と渓谷社)に書いている。

 何度聴いてもしんみりするのが「すかんぽ」だ。

「土堤の上で すかんぽは/レールの間に 生きていた/急行ごとに気を付けをし/人の旅するのを眺めていた」。

酒場や小劇場で自作詩の朗読を続けたドイツの詩人、ヨアヒム・リンゲルナッツの「哀れな草」に緩やかな曲を付けた。

弱い草だが「目もあり 心もあり 耳もある」と、語るように歌う。

 高田さんがドイツを訪ねるNHKのテレビ番組で、原詩に軽快な曲を付けて歌う現地の青年たちが出てきた。

気を付けする草にはこっけい味があるから、明るく歌うのも分かるが、

高田さんはその姿に、生きるものの愁いと根強さも見ていたのではないか。

 1月1日生まれで、存命なら明日が57歳の誕生日だった。

その歌は、人々の心の中に流れ続けてゆくだろう。




戦争は絶対何が何でもししてはいけない。平和が一番である。いくら理想論を言っても現実はとなる,

だがその現実を変えるために今の国連をアメリカマような大国におかずに中立国へ 

その中立国に日本がなってよいのではないのか。

日本はもっと世界平和のために働くべきである。

情けないことにアメリカべったりでは駄目である。

もっと中立国らしい国になるべきだ。

国連を充実させ全ての世界の兵器は国連が管理する。

強力な国連軍の創設 各国には治安維持のための軍隊しか持たない。

国際司法裁判制度をもっと充実させ,紛争は全て国際司法裁判所で裁き,

強い国も弱い国もその判決には絶対に随う。

どこかで小競り合いの戦があれば直ぐに国連軍と国際司法裁判所が仲裁に入る。

そのような世界を作る。

EU圏 アジア圏 アメリカ圏 アフリカ圏に統合して

最終的に世界を一つの政府の元で統治するようになることだ。

やろうと思えばできる話である。

日本が先ずアジア圏で中国などの大国と一緒に協力すればできる。

まず日本は始めに近隣諸国と仲良くする事だ。

北朝鮮問題も平和条約を結び国交回復されれば拉致問題も自然に解決する。

今,韓国は同朋であった北朝鮮を援助するのに必死である。それは当然なことである。

同一民族が日本の植民地政策で日本の変りに南北に裂かれた歴史がある。

日本はその事実を直視すべきで,そうすれば朝鮮半島に対して援助の手がさしのべることができるはずだ。

大政治家金大中氏のしようとている太陽政策は永遠の「真理」である




歴史の時代によって評価が変る




人間のする事には「絶対」はありえない。そして時は一つである。

二つの平成時代があってこちらに住みあちらに住んでの比較は出来ない。

人生も同じことで二回の人生を繰り返し比較できない。

だからブッシュ小泉のような政治家も生き延べられることにもなる。神が創った法則で法則の外では

生きることは出来ない。運命というしか仕方ないのだろう。

軍国華やかな時代には軍人になり手柄をたてることが名誉なことであった

だが今の世の中は逆の世の中で,戦争しない事が良い事,で平和を求める気持が大切な時代である。

でもその評価は少しずつ変りつつあるような気配がする。

いつまでも徴兵制度がしかれない世の中であってほしい。

その点宗教には永遠性があるような気がする。だが南都とか叡山の僧兵が暴れた時代,世界的にも十字軍が

宗教のもとに戦を続けた時代もあった。現在のイラクもイスラムの神の教えでもって

自爆テロして多くの人たちを殺している。

本来の宗教の教えには「人を殺してはいけない」の鉄則がある筈だ。でも宗教を利用しているのかどうか戦争は

いつまでたっても止まない。時代Iによって評価は変ってきても,変らない部分もあるはずである。

戦争そのものは絶対的な「悪」である。「正義の戦い」はありえないことだ。

正義の権現であるブッシュは常に世界の悪との戦いつづけたている。又小泉首相はそれに従っている。

内弁慶でブッシュの前では全てが「ハイハイそのとおりです」が続いている。

目をアジアに向けると靖国神社参拝 個人の問題がどうして悪いのかとライオン首相に変身して内政干渉だと

言い張る。そして国内政治では好き放題で改革と称し「変化」をば国民に強いつづけている。

こんな人に対して考えてもよらないような,この間の衆議院選挙で底抜けの大勝している。

なにがなんだか訳がわからない。だが世の中又どのように変わるかは判らない

時代は生きものである。結果によってそのうち小泉首相が歴史上大宰相と称されることもあるかも知れない。

現実にリストラ 倒産で亡くなった大勢の人たちは気の毒である。それからしては変人首相以上にはなれないと。

政治の影響結果はこれからも,その影響はドンドンと受けることは間違いない。

社会の現象は政治の影響下で起きていることをマスコミが理解していないようにみうける。

現小泉首相 その後の次期首相候補の全部が二世 三世の政治家ではたいした政治家は出ずに期待薄である。



間違った歴史


歴史は一つである。世界の歴史も 日本の歴史も事実は一つのはずである。

その歴史事実に対しての評価は時代によってかわってきても仕方ない。

起きた歴史事実が改ざんされるのは科学的でない。戦争のような混乱の中での歴史の事実は色んな

ことが言い出されても仕方がない。

でもある人物が違った所で住んでいたこととなると,これは間違った歴史になる。

東寺の弘法大師 これも後世に称号をもらい生存中は空海であった。その空海の後に実恵という人物が

東寺の二代目の長者になっている。長者の称号はこの人の時からつけられていて空海は別当である。

空海が当時の政権から東寺を与えられ,そこの経営を任され別当になっている。

二代目の実恵は弘法大師ほどに有名ではないが,初期の真言宗の不確かな宗教をば

確固としたものの基礎を築いた人である。

遥か後の世の江戸時代後期頃に道興大師の称号を与えられている。

一般の我々は大師と言うと弘法大師か,伝教大師位しか知らない。

この実恵が居住していた所が河内の檜尾山観心寺になっているが,調べてみると京都伏見の檜尾寺である。

この檜尾寺は平安中期に廃寺になって一般に知られなくなった。

そしてどこかも最近にいたるまで不確かであった。

檜尾寺の前の名前の寺名が行基菩薩が建てたとされている畿内49院の一つにあげられている

山城国深草郷の法禅院である。

この行基菩薩の歴史を調べるとそれにまつわる寺院が全国いたるところににあって行基作の仏像もやたらと多い。

畿内49院は行基年譜に出ていて一応歴史上の事実と考えられている。

実恵は空海から帰唐後に空海から始めてのご灌頂を檜尾寺で受けている。そのためか檜尾僧都と呼ばれている。

空海のご灌頂はこの数年後に高雄山で多数の人にしている。東寺でのご灌頂は初めて実恵が東寺に灌頂院を建て

弟子の真紹にしている。その様子が弘法大師絵伝に描かれている。

灌頂は真言僧にとって大事なことで僧侶として一人前の資格をもったとの証の行事である。

現在も真言宗の寺院では行われているようだ。醍醐寺を拝観した時に若い僧から明日灌頂があると聞かされた。

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