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平成18年の正月


今年の正月は例年に比べ一段と寒い冬の一月となった。

山陰北陸地方 東北地方 北海道には大雪が降り雪による災害が起きている。

この異常気象による寒さの傾向は世界的なものであって,何処の国においても寒い冬が襲っている。

詳しいことは判らないが,海面が温暖化によって温度が上昇し,それが遠因で地球上に寒い冬をもたらしているようだ。

温暖化現象は地球上の至る所で四季を通じ色んな影響を与えている。

その中で大国アメリカが温暖化防止条約の京都議定書から離脱し,

アメリカからでる大量の廃棄ガスは今も野放し状態のままになっている。

アメリカという国は,世界から自国のためだけにしか行動できない国だとl理解されたとしても仕方がない。

その国が,世界の為にするのだとして,その先頭に立って,テロ撲滅の為に,テロとの戦をしている。

ブッシュがイラクでの戦争を引き起こしてしまっている。

今そのイラクでは色んな武装勢力がイラク国内で混乱を引き起こし,

イラクの状勢は総選挙は行われても尚混乱は続いている。

苦しみ続けているイラク国民の身にもなってあげてくださいと言いたい気持である。

ブッシュが盛んに正義のための戦争だと叫んだとしても,世界全体は協力する国は少なく,

イギリス オーストラリア,日本などが軍を出し,お義理で仕方なくお付き合いしている感じである。

アメリカ内でのブッシュの影響力にも陰りを生じ,アメリカ国民による支持率はぐーんと低下状態が続いている。

それに比べ日本の小泉首相は衆議院選挙での大勝の余韻があってか,余裕をもつているような感じだ。

でもこの所,姉歯設計事務所による鉄筋構造偽装問題,それに関連の木村建設 ヒューザーなどの

利益優先の経営が問題化され,続いてライブドアのホリエモンの逮捕が続き,

さらに自衛隊関連施設の工事に関係しての談合・天下り問題が話題となり, 

そして米国からの牛肉輸入が早期解禁でBSEを起こすかも知れない脊髄のついた牛肉の輸入されているのが発覚、

以前から続いている靖国参拝による中国・韓国からの首脳同士の会談は中絶のままである。

4点セットか,5点セットの問題が連続的に発生し,政権は揺さぶりをかけられて窮地に追い込まれつつある。

靖国問題と米国牛肉早期解禁を除いて,後の3点の問題は今頃になってから明るみに出てくること自体が変である。

小泉首相が構造改革を唱えだした時に,まず一番最初に取り上げてやらなければならない問題だった。

それが首相がこの今年の9月に止めようという直前にまで発覚しなかったのは,どう考えてもおかしい話である。

当時のホリエモン問題でも誰もが常識的に考えたならば,到底ありえないことを,

恰も自民党改革の成果によるシンボルのようにもてはやされ,受けとめられていた。

それが国会で問題視されてからの,小泉首相の国会答弁が又ふるっている。

「マスコミなと゛も持ち上げたのが原因だから」としている。

常識が働かない人たちによって政治がすすめられている。ホリエモン現象が起きた時,これは異常現象だと

感じるのが普通の常識人で,直ぐに直感的におかしいと感ずる感覚が一般的な考え方である。

だが政治に携わっ人々には,特に自民党の人たちは,ホリエモンが政治改革の成果であり,そう考え寵児扱いをしていた。

選挙時に自民党幹事長武部幹事長はホリエモンは「我が息子であり弟である」と言いきり,もてはやしている。

国民の誰もがそのテレビ画面を見ている。竹中平蔵金融相も同様であった。

事件発覚後,自民党幹事長の弁解は誰も若い人達に対し,息子のように弟のように思っているとの弁解している。

子供に説くような説明なので,いつも判り難く説明する小泉首相に比べ,

国民にとって,大変おかしい弁解だと納得できたと思う。

此処に至って,武部幹事長の次男への3000万円送金のメールの存在が話題になりだして来た。

武部幹事長の次男とホリエモンとは友達のようで,だから自然に我が息子の言葉がでたことは理解できる。

メールの存在は民主党側から出されているが,肝心な名前が書かれている箇所は黒く塗りつぶされている。

当事者に身の危険が及ぶといけないからとの配慮があっての事らしいが,小泉首相はガサネタとしている。

ガサネタである一番の理由は武部幹事長並びにホリエモンが否定しているからだとのことである。

3000万円の献金は闇献金で違法である。以前にも献金しているようなメールの文面にも読める。

徹底的な解明が必要で,結果をば固唾を飲み全国民はその解明に期待している。

小泉首相がいうようなガサネタであるのかどうかがである。ただうやむやに終わる事だけ是非避けて欲しい。

これが本当ならば大変な事である。

小泉首相は選挙時に持ち上げている自民党首脳の様子を撮影し報道する事が,

マスコミがホリエモンを持ち上げたことになるのだろうか。

犯罪にかかわった可能性のある人物をば自民党幹部がこぞって選挙時に利用し持ち上げたのは事実である。

さらに3000万円の闇献金をうけていたとするならば重大である。

だが当時はそれによってかどうか,一般国民は郵政民営化改革にイエスの投票行動を起こし,大量得票を得た。

そして多数の自民党衆議員が当選している。

小泉首相により構造改革がなされていない証拠として,4点セットが今頃になってぞろぞろと出てきていることである。

これらの事件の発覚が,もし衆議院選挙前ならばどんな選挙結果になっていただろうか。

だが今さらに如何に自民党幹部達によるどんな矛盾がどれだけ多く露呈しようとも,

政権は衆議院議員絶対多数の状態をば確保しているのだから,いたって安定状態にある。

党議拘束,それに反対する人たちに離党勧告ができ,その反対した人たちに対立候補を立て倒す前例が出来あがり,

益々に自民党は安定してきている。

健全な安定かどうかは別の問題ではあるが。

幹部に物言わぬ,いえない,議論もできない人形集団である自民党が小泉政治改革でもって見事に完成された。

首相の国会演説に対し,今だかってないほどの万来の拍手が起こり鳴り止まないことのようだ。

このような現象は誰が見ても異常な現象である。

日本にとって早く異常な状態から脱却され改善される事こそが急務である。

旧態以前の政権が長期に続くのをやめさせ,徹底的に政・官・民の癒着構造を調査し解体できる体制を作る。

そのことこそが今の日本にとって一番必要な政治改革であろう。




ルネサンスにゆかりの深い
イタリアの地へ、短い旅をした




平成18年1月1日天声人語からの引用


この時代を考えるために、時代をさかのぼってみる。

そんな思いもあって、ルネサンスにゆかりの深いイタリアの地へ、短い旅をした。

 ローマ発の列車で半島を横切り、バスに乗り換えて着いたのが古都ウルビーノだ。

早朝、小高い丘から眺めると、古い城壁の下に霧がわいていた。

 16世紀の初頭、この地にはレオナルド・ダビンチや、「君主論」のマキャベリも来たことがあるという。

ふたりは、共同で大きな川の流れを変える計画も立てていた(R・マスターズ『ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ』朝日選書)。

ふたりの巡り合わせの妙を思いながら、フィレンツェを経由して、レオナルドの生地のビンチへ行った。

 「生家の跡」といわれている石造りの家は、オリーブの木の立ち並ぶ丘にあった。

前は小さな谷で、視界は大きく開けている。

夜空の広がりや闇にきらめく星々が、やがてルネサンスの巨人となるレオナルド少年の心を大きく羽ばたかせたのだろうと想像した。

 ルネサンスは、清新な機運を広く引き起こした。

丘を吹き渡る風の中で、その言葉の意味が「再生」だった
ことを改めて思った。

最近、日本では、長く信頼してきたものが崩れている。

安全や安心の土台も大きく揺さぶられている。

世界を見ても、力の強い者の強弁がまかり通る場面が続く。


人間が、苦難を重ねて築いてきた大事なものが壊されてしまうのではないか。

 「再生」は、時を超えて、今の時代のために発せられた警句のようだ

信頼というきずなを、再び結びたい

そう思いつつ、丘を下りた。




信頼は人間にとつて,一番の道徳的な基本である。信頼のない所には安心して誰もは住むことは出来ない。

小泉改革とは,中味はと言うと欧米化追随政策である。

効率主義・能率主義か゜優先する社会をつくることだけが改革であってはならない。

「遊び」とか「ゆとり」はどのようなところにでも必要不可欠なものである。

人間は何のために生きているのかと,本質的な所を考えると,ゴールというものはありえないものである。

世の中一つの価値観でもつて統一してしまうことは不可能なことである。

東洋的なものにもきっと良さがある筈だ。

普遍的な真理を改革の名のもとでどんとんと放棄されてしてしまうことは悲しい現象である。

改革と称している中にも,改悪していることがある,何もしない事がベストのことさえある。

政治家の二世三世四世だけでもって,所謂政治家一家によってずーと日本の政治がすすめられているあやふさに,

国民は早く気ずくべきである。そのような政治から早く抜け出す事である。

政治家を志す人には倫理感のテストを通った人だけが立候補できる制度を作るべきである。

国民の安心とか安全はそのような所がしっかりした人による政治が進められないと不可能である。

地盤 看板 カバンに頼った人たちだけの政治屋からは安心とか安全からは遠ざかった政治しか

出来ないと考える。

政治による影響は社会の隅々にいたるまで,歪みが出てくるものであることを政治家は肝に銘じて欲しい。





江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の展示




1月3日の天声人語からの引用


正月の開館日を早めたと聞いて、昨日、東京・両国の江戸東京博物館にでかけた。

冷たい雨が降ったが、館内は、家族連れや子どもたちでかなりのにぎわいをみせていた。

 江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の展示(22日まで)に、人だかりができている。

中でも、小舟と大波と富士山とを組み合わせて描いた「神奈川沖浪裏」の前で立ち止まる人が多かった。

 舟をのみ込まんばかりに逆巻く波のかなたに、雪を頂いた富士山が小さく見える。


何かに襲いかかろうとする無数の手のような波頭の描写には、鬼気迫るものすら感じられる。

 北斎の絵は、印象派の画家のゴッホやモネに影響を及ぼした。

ドビュッシーが、交響詩の「海」を作曲する際に、「神奈川沖浪裏」から啓示を受けていたという説もある。

時空を超えて、強く呼びかける一枚だったのだろう。


そう思って、しばらくたたずんでいると、「おたから、おたからーっ」という威勢のいいかけ声が聞こえてきた。

 寄席に見立てた一角があって、昔の物売りの声を聞かせる人が演じていた。

この日は、七福神が描かれている昔の「宝船絵」が入館者に配られた。

正月の江戸の町では、枕の下に敷いていい初夢を見るようにと、「宝船売り」が「おたからーっ」の声とともに売り歩いたという。

縁起のよい初夢の筆頭には、富士山があげられた。

 この年が、どなたにとっても、穏やかで幸せの多い年でありますように。

北斎が描いた数々の富士の姿を思い浮かべながら、「宝船」をかたわらにして、この文をつづった。



京都博物館によく通うようになった。仏像を見ていると心が和む。

仏は衆生の悩みを解消してくれるはずである。

博物館の展示物を見ていて,昔の人たちの方が心豊かな生活をしていたのではと考えることがある。

ゆったりとした時が,昔の方が流れていたように思えてくる。

現在,歳末から正月にかけての年の境目がなくなってきた。

スーパーは一年中開いており,最近では百貨店も二日から開店する所が出てきている。,

昔に比べ年中無休のところ多くなってきた。

ゆとりのない休みを知らない人々が増えてきて世の中益々に世知辛くなったとも言える。

刃傷沙汰は犯罪になるが,戦争は犯罪にならない。巨悪者は犯罪者とならず,小悪者が犯罪者になる。

ホリエモンは小悪者だったのか。大きなメスを誰か゛ふるうことができるのだろうか。





「交通戦争」といわれた




1月4日の天声人語からの引用


今日から仕事始めの人も多いことだろう。ひっそりとした通りにゲタの音が響く三が日も悪くなかったが、

街や職場に活気が戻るのはうれしい。

戻ってきてほしくないのは交通渋滞と排ガスだが、車の動きも本格化する。

 昨日、車が絡んだ記事が目にとまった。

昨年1年間の全国の交通事故の死者数が、7千人を下回ったという。

1956年、昭和31年以来というから、ほぼ半世紀ぶりだ。

 「交通戦争」といわれた70年前後には年々1万数千人が死亡していたから、おおむね半減したことになる。

罰則の強化や、警察、消防、地域の人たちが力を尽くしてきたことの効果が表れてきたのだろうか。

しかし減ったとはいえ、昨年は6871人もの命が失われた。

その家族や周囲の人たちの悲嘆は、はかりしれない。

負傷者も100万人を大きく上回って、約115万6千人にのぼっている。

 運転者が、「凶器」を操っているという自覚を持って交通ルールを厳しく守るのは当然だ。

その上で、人が常に車に襲われかねないような今の道や街を、そうならない形に変えてゆけないものだろうか。

 例えば、市街地では、歩道の無い道路は原則として人と自転車の専用にする。

行き場を失った車をどうするのかは、地域の意向を尊重しつつ知恵を絞る。

そのくらいの発想の転換を試みる時ではないか。

 政府は、年間の死者5千人以下を目標に掲げているという。

死者の数値目標とは、やはりかなしい。

「ひとりでも減らし、減らし続ける」を掲げて、人と車との新しい関係を探ってゆきたい。





多分自動車が多く氾濫することにより交通事故が起きるのだと考える。

昔は籠(カゴ)にぶつかり死ぬ事もないし,牛車 馬とかにぶつかり死ぬ事も少なかったと想像する。

最近の報道では,ぶつかりそうになるとコンピュターが察知しね独りでに制御されて自動車のブレーキがかかったり

速度が出なくなる自動車ができるようになる報道をばみかける。

便利さは,凶器にもなるようであり良いことずくめはなさそうだ。






手元に届いた年賀状の多くには、
戌(いぬ)の字



1月5日の天声人語からの引用


手元に届いた年賀状の多くには、戌(いぬ)の字や犬の姿が様々にあしらわれていた。

その中で、前の戌年よりも目についたのは、愛犬の写真を印刷したものだった。

生後16年、14歳などの添え書きもあり、この長寿・高齢の世を飼い主と共に歩んでいるさまが浮かんだ。

人間とのつきあいが長い生き物だ。

民俗学者の南方熊楠が、大正の頃に、こんな寿命にまつわるルーマニアの伝説を記している。

 天の神が生き物たちを召集し、その寿命と暮らし方とを定めたという。

人間は、世界の王として君臨し30歳と決められたが、短いと不満をもった。

次に、常に重荷を負って50歳と宣告されたロバが、「どうか20年差し引いていただきたい」と言うのを聞いた人間が、

その20年をもらい受けた。

 次に犬が呼ばれた。主人である人間の家や財産を守って40年と聞いて震え上がり、半分にして下さいというので、

また人間がそれをもらう。

さらには、60歳とされたサルの半分も得て、人の寿命は100歳と決まった(『日本の名随筆』作品社)。

 この伝説には、人間は、ロバや犬たちの寿命をもらった分、その動物の苦労も背負ったとも記されている。

あたっているかどうかはともかく、とりあえずは、友人たちと愛犬の健勝を祈った。

 この前の戌年だった94年は、細川、羽田の両政権が倒れ、「自社さ」の村山政権ができた。

政治の上では変化の多い年だったが今回はどうだろう。

年が改まり、秋には首相が代わるとされているようだが、「犬が西向きゃ尾は東」ほどに当たり前にゆくのかどうか。




日本人ほどに年賀とか干支にこだわる国民はすくないのでないかと考える。今年は戌年である。

人間に一番身近に存在する動物で,狩猟時代から人間との関係は深い。

今も,犬を連れ散歩する人たちを良く見かける。

大きな犬を連れている人より可愛い小さな犬を連れて散歩している人たちをよくみかけるようになってきた。




北陸など日本海側で記録的な大雪が




1月6日の天声人語からの引用


「三八(さんぱち)豪雪」と呼ばれる歴史的な雪害がある。

昭和38年、1963年の1月、北陸など日本海側で記録的な大雪が降り続き、交通がマヒした。

 当時、金沢大学の教官だった作家、古井由吉さんは、

雪下ろしでの「際限もない反復」作業を小説「雪の下の蟹」に書いている。

「全身が快く汗ばんでいる。久しぶりのことだった。

血行が健やかになってゆき、神経がやさしい獣のようにまどろんでいた」(筑摩現代文学大系)。

 雪下ろしが「私」に解放感をもたらすという印象的な場面だが、現実の世界での作業は重く厳しい。

時には人の命が失われるほどだ。

暮れから日本列島の各地で、雪の記録が更新されている。106地点で、12月の積雪記録を書き換えたという。

鹿児島は88年ぶりで、世界自然遺産に登録されている屋久島の縄文杉の枝が雪の重みで折れた。

 寒さの方も記録的だ。

12月の気温は、北日本と沖縄を除く各地で1946年に地域の平均気温の統計を取り始めてから最も低かった

 この寒さが今後どうなるのかは分からない。

しかし猛暑の夏と酷寒の冬が、これ以上幅を利かすようなら、

日本のくっきりと分かれた四季が「二季」になりはしないだろうか。


春と秋という穏やかな季節が、強烈な夏と冬にのみ込まれなければいいのだが。

 この冬の大雪の影響は新聞社にも及んでいる。

出来る限り、いつも通りに新聞をお届けしようと、原稿の締め切り時間を通常より繰り上げて、

印刷や発送にかかっている。

窓の外に雪はないが、雪の国を思いながら執筆する昨今だ。





日本はニ季になりそうである。酷寒の冬と酷暑の夏になって穏やかな季節の春と秋とは短くなる。

温暖化がさらに進めばそうなるかもしれない。

やはり春と秋は待ち遠しい。

春が必ずやってくるからこそ,寒い冬に耐えられることができるものだと思う。

人生もそうではなかろうか。





句読点の結晶を見る思い





1月7日の天声人語からの引用


長さが一定で改行のないこのコラムでは、句読点の置き方に制約がある。

字数があふれて削るテンもあれば、半端な位置のマルに手を焼く日もある。

句点も読点も、一筋縄ではいかない。

 どの道にも専門家はいるもので、たとえば群馬県高崎市の元高校教諭、

大類(おおるい)雅敏さんは句読法を研究して40年になる。

『句読点活用辞典』など著作も多い。

同学の士が集まると「モーニング娘。」の「。」は是か非かなどと議論に花が咲くそうだ。

 大類さんによると、西洋ではプラトンの昔から句読法が盛んに研究されてきた。

コンマ、ピリオド、セミコロンと種類も多い。

日本では紫式部のころには文章に句読点がなかった。

疑問符や感嘆符も江戸期の輸入品である。

 大類さんが句読点にひかれたのは20代後半、権田直助という幕末の学者の著作に接してからだ。

権田は神官にして医家で尊皇の志士でもあった。

政治犯として幽閉された明治初年、句読研究に没頭し、「国文にもきちんとした句読法を確立せよ」と主張した。

生家の跡が埼玉県毛呂山(もろやま)町にある。

 句読点といえば、福島県猪苗代町の野口英世記念館で見た、母シカ自筆の手紙が忘れがたい。

「おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけました」。

どうか帰国して下されと英世に訴える書状だが、実物を見ると、マルの一つひとつが字ほどに大きい。

しかも行の隅でなく中央に置かれている。


 幼い頃に覚えた文字を思い出してつづった手紙だという。

テンも兼ねた大きなマルが、母親の一途な思いを伝える。

句読点の結晶を見る思いがした。





句読点の打ちかたについて真剣に考えた事がない。文章での点 丸は適当につけている。

何事も研究すれば際限なく奥深いと感ずる。句読点よりも書く内容の方が大切だとも考えるのだが。

その人の思いが文章になり,句読点になって書かれてゆくように思うが.浅い考え方かもしれない。






この年末年始は、高速道路の混雑がひどくなかった




1月8日の天声人語からの引用


大雪にもかかわらず、この年末年始は、高速道路の混雑がひどくなかった。

渋滞が昨冬より4割減り、長くても30キロほどだった。

料金自動払いの車が増えたほか、多くの運転者がピークを避けたらしい。

 中日本高速道路によると、これまで最長の渋滞は1995年暮れ、名神と東名にまたがった154キロである。

帰省ラッシュに雪が重なり、琵琶湖の東から浜名湖の西まで延々とつながった。

バブル景気のころは東北道や九州道でも、進まない車列が100キロに及んだ。

 さかのぼれば、自動車などなかった紀元前から、渋滞は都市を悩ませてきた。

首都大学東京の大口敬・准教授らの研究では、ローマ帝国は馬車の渋滞に苦慮している。

一時カエサルは日中に都心へ乗り入れることを禁止した。

その分、夜間の交通量が増え、哲学者キケロは夜の馬車騒音を嘆いた。

 水の都ベネチアでは、ゴンドラの渋滞が問題になった。

水路の混雑や事故を減らすため、政府は16世紀、ゴンドラの大きさや形を定めた。

車検制度と同じ考え方である。

 石油危機の1970年代、米国では2人以上が乗る車専用の車線が設けられた。

相乗りで朝夕の渋滞を緩和する狙いだが、意外に不評だった。

車は個人の足と信じる人たちが、同乗を嫌ったようだ。

 渋滞を防ぐため、日本の学界では、高速道路を乗り入れ予約制にしたらどうかという研究も進んでいる。

限度に達したら乗り入れを止める。


「道路網が整い、100キロ級の渋滞はもう起きない」という楽観論も聞くが、

渋滞解消の努力はたゆみなく続けてほしい。




人間便利になれると子供の頃は近くでも自転車でいったものである。それが今では自動車に変っている。

都市での地下鉄網・新幹線網の発達は自動車産業界が反対しているとか。その代わり高速道路網を促進

しているとか。

そんな狭量な産業界ではないと信じているのだが。?




 あけぼの学園の成人式では




1月9日の天声人語からの引用


山下寿明さんは自力では起き上がれない。

言葉を話すこともできない。食べものは、おなかに小さな穴をあけて直接胃に入れている。

 東京都世田谷区にある重症心身障害児の通所施設「あけぼの学園」でも今週、成人式が開かれる。

今年お祝いする2人のうち、1人が山下さんだ。

この20年間に、山下さんは知的な成長を確実にしてきた。

だれも教えていないのに、テレビを見たいときにはテレビに視線を向けて声を出すようになった。

ビデオが終わりそうになると、声を出して家族を呼ぶ。

 初めて会う人には、ニコッと笑顔を見せる。

そのあと、家族に向かって、頭を上下に動かし、目をパチパチさせる。

「よその人にちゃんと気を使ったよ」という合図だ。


 その一方で、からだはしだいに動きにくくなっている。

おさないころは腹ばいや背ばいで移動していたのに、いまはできない。

たんがつまりやすいのも心配だ。

母親の絹子さんは「ここまで生きてくれたことに感謝しています。

育てることは大変ですが、私の生きがいになっています」と語る。

 やはり、あけぼの学園に通っている岩城明子さんが成人式を迎えたのは6年前だった。

赤い晴れ着を着て、ちょっとはにかむ当時の写真を母親の節子さんに見せてもらった。

節子さんは「あなたはもう大人なのよ、と声をかけると、にっこり笑って応えてくれた。

本当に大人に見えました」と話す。

 あけぼの学園の成人式では、話すことができない子どもに代わって、ともに歩んだ20年を親が語る。

その言葉が毎年、積み重なっていく。





昔情緒が人一倍豊かで,優れた障害児に出会ったことがある。

誠に純真で今でも忘れない人との出会いであった。






赤ちゃんがさらわれた仙台市の光ケ丘スペルマン病院





1月10日の天声人語からの引用


旧約聖書のイザヤ書に、こんな一節がある。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(新共同訳)。

赤ちゃんがさらわれた仙台市の光ケ丘スペルマン病院の「光ケ丘」の由来だという。

スペルマンは、1955年の病院創設に力を尽くした枢機卿の名前だ。

 「光ケ丘」には「苦しみを通して喜びを見い出すの意味がこめられています」と、

病院のホームページにはある。

幸いにして無事に戻ったが、小さな命が引きずり込まれた闇は深かった。

 身代金を要求した脅迫文は漢字カタカナ交じりで、手書きだったという。

カタカナには、文に覆面を施すような不気味なところがある。

ひらがなでは、どこかに日ごろの書き癖が出るとでも考えたのだろうか。

 「何ニシロ 警察ノ臭イガスレバ スベテ中止」「赤チャンヲドンドン返セナクナッテ行ク」と冷酷に書く。

一方で、「本当ニイイ赤チャンダト思イマス」などと揺さぶる。

計画は周到に立てたつもりだろうが、やはり逃げ切れるものではなかった。

 病院の管理面では教訓を残した。無防備な多くの命を守る手だてが十分ではなかった。

人の出入りを、より厳しくチェックする必要があるが、監視カメラだけでも、

万一の時に犯人を速やかに追う手がかりになる。

 事件が大きく報道された後に報道協定が結ばれた。

取材や報道を控えるのはメディアの根幹にかかわるが、

協定がなければ結果は違っていたのかも知れない。

生後10日余りの命が、50時間の闇を抜けて、両親のあたたかい光に包まれた。



自分の借金返済に子供を誘拐して身代金を要求する手段は昔から絶えたことがない。

現在の借金制度にメスを入れるべきである。カードローンで高金利を担保に貸し付ける制度は

戦後のアメリカから直輸入で便利さはあるが,危険性は遥かに高い。

日本で古くからあった質屋制度ならば,借金返済できなければ質が流れるだけである。

古い制度に変るべきである。人間の欲望を増長する所に欧米文化の特質が見える。





きのう1月10日は「110番の日」




1月11日の天声人語からの引用


きのう1月10日は「110番の日」だった。

各地で、それにちなむ行事もあっただろうが、110番通報を巡って残念なことが報じられた。

7人もの犠牲者が出た長崎県大村市のグループホーム「やすらぎの里さくら館」の火事で、

2分間の「空白」があり、消防の出動が遅れたという。

 ホームからの火災の一報は、8日午前2時25分ごろ、県警本部に110番通報で入った。

県警からの連絡で大村署が大村消防署に電話した。

消防署側の説明では、受けた消防士は再確認を求め、いったん電話を切ったという。

2分後に警察から電話を受け、34分に消防隊が出動した。

 消防署側では「1分1秒を争う状況では、あってはならないこと。

大変申し訳ない」と話している。

2分で、あるいは誰かを救えたかも知れないと思うと、やりきれない。

この2日前に、消防署に「市内のホテルで火災」との虚偽通報があったというが、痛恨の足踏みとなった。

 この火事は高齢社会で急増するグループホームのもろい一面も浮かび上がらせた。

「これまではケアの質ばかりを考え、防災は二の次だった」。

長崎県内で三つの施設を運営する認知症高齢者グループホーム協議会長の渡辺登さんの言葉が重い。

 高齢者の施設で働く介護職員の一番のストレスは「夜勤時の不安」という

介護労働安定センターのアンケートもあった。

火を出さないことが基本だが、素早く火を感知する手だても整える必要があるだろう。

 110番と119番は、いざという時の「いのちの回線」だ。

一時(いっとき)も途切れないでほしい。




110番119番は便利である。日本の治安対策消防救急対策に欠かせなくなっている。

これだけ携帯電話が発達普及すればますますにその活用方法がある。ありがたい制度である。





いつかは訪ねてみたい
信越国境にある秋山郷も



1月12日の天声人語からの引用


行ったことはないが、いつかは訪ねてみたい。

信越国境にある秋山郷も、そんな旅ごころを誘う場所の一つだろう。

平家の落人伝説の残るその地が、豪雪で孤立している。

 「秋山には古(いにしへ)の風俗おのづから残れりと聞(きき)しゆゑ一度は尋(たづね)ばやとおもひ居りしに……

米味噌醤油鰹節茶蝋燭(らふそく)までをも用意して……」。

新潟の文人、鈴木牧之が秋山郷を訪ねたのは、江戸後期のことだった。

この『北越雪譜』(岩波文庫)には、心引かれた地へ旅立つ思いや現地での見聞が記されている。

 牧之が秋山郷への旅で著した別の一冊『秋山記行』(東洋文庫)には、当時の集落を描いた絵が載っている。

見ているうちに、先日見た一枚の写真が絵に重なってきた。

それは、雪で孤立状態になった秋山郷を上空から撮影したものだった。

 絵の方では、かやぶきの家がわずかに点在している。写真の方の家は大きく数も多い。

しかし厚い雪がその家々の屋根を覆っているので、昔の秋山郷のたたずまいがよみがえったかのように見えた。

 やはり江戸の後期に書かれた『信濃奇勝録』が、当時の人々の様子を伝えている。

争ったり怒ったりすることなく、質朴で「太古の人の如し まことに世外の一世界なり」

 冬場には道が閉ざされてきた秋山郷は、隔絶の地であればこそ、うつろわない暮らしや文化を伝えてきた。

しかし今では、人々の暮らしは周囲と行き来することで成り立っている。

地上の道は閉ざされたが、牧之の時代には思い及ばなかった空の道も使って、一世界と世界とをつなぎ続けたい。






日本で小型飛行機による交通はまだまだ発達していない。抑制しているのかどうか。

小型ヘリコプターが校庭とか広場に或いはそのような遊び場兼用の広場が作られても良い。

今のように都会ばかりに人口が集中することもなくなってくると思う。





宮沢賢治がよく通った
今の国立天文台水沢観測所の敷地内にある
木造2階建ての旧本館は






1月13日の天声人語からの引用


宮沢賢治がよく通ったという岩手県水沢市の旧緯度観測所の古い本館が、

解体の直前に一転して保存される方向となった。

代表作「銀河鉄道の夜」の構想を育んだとも考えられている建物だ。

保存を訴える全国の賢治ファンの声を受けて、水沢市では市有にする方針という。

 今の国立天文台水沢観測所の敷地内にある木造2階建ての旧本館は、1921年、大正10年に建築された。

その年に、賢治は現在の花巻市の農学校に教諭として赴任した。


それ以後、地球の自転軸のふらつきなどを調べる観測所に、しばしばでかけた。

 「その前の日はあの水沢の臨時緯度観測所も通った。

あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ」。

童話「風の又三郎」の原型とされる「風野又三郎」の一節だ。

詩「晴天恣意」の下書きの一つには「水沢緯度観測所にて」という副題が記されている。

 先日の夜、その旧本館を訪ねた。

小さな望楼付きの洋風の建物は、雪明かりの中で、大きな黒い影のように立っていた。

半月が浮かび、星はあまり見えない。

 「銀河鉄道の夜」の初稿ができたのは、観測所に通っていた24年ごろだった。

22年には愛する妹トシが亡くなっている。

それまでそこに居た人が永遠に居なくなる。

その深い悲しみが、少年ジョバンニが友のカンパネルラを失う物語に投影しているように思われる。

 旧本館に近づくと、ガラス窓の奥に小さな赤い電球の明かりが見えた。

闇の中の一点の光。

それは、「銀河鉄道」が掲げるともしびのように、ぽうっと静かに息づいていた。




ただの建物の維持だけならばもったいない話でもある。古いものはなくなり,新しいものに変わってきている。

それは大昔からの出来事である。

日本独特の五重の塔は平安時代を中心に日本中に多くあった。

寂しい山道を歩いていて突然に林の影から突然大きな高い五重の塔が聳え,見えればどれだけの昔の人に驚きと感動を

与えたかと想像するだけでも楽しい。




現代学生百人一首」の入選作




1月14日の天声人語からの引用


東洋大が募集し、約5万8千首が寄せられた「現代学生百人一首」の入選作を読む。

三十一文字をつづりながら、自分や周りや世界を見つめている姿が目の前に浮かんでくる。

 〈私って何なのかしらと問う鳥に貴方は貴方と言い放つ空〉中2・甲斐菜摘。

〈未来というワケのわからぬ存在を私の形に切り抜いていく〉高3・武井怜。

〈喜・哀・楽仮面の上に描くたび己の顔をうしなう道化師(ピエロ)〉中3・増田菜穂子。

 学びの中の一瞬をうたう。

〈図書館の窓よりトンボ迷い込み草野心平に留まり、また飛ぶ〉高3・佐々木勇翔(ゆうと)。

〈暴れだす牛の鼻環(はなかん)必死でつかむ感覚頼りの胃汁の採取〉高3・福島麻衣。

 家族へのまなざしがある。

〈花型のにんじん入りの弁当が昨夜の喧嘩を反省させる〉高1・代島千沙都。

〈病室で流した涙の理由はね痛みじゃなくて母のぬくもり〉高2・高橋麻未。

戦後60年がたった。

〈祖母が言う戦地に向かう祖父の背を涙こらえて送った日のこと〉高2・富樫拓也。

選外佳作からも一首。

〈悲劇の日、忘れられない60年止まったままの11時2分〉高2・女子。

 人と人のさまざまなつながりがある。

〈こんなにも明るく晴れた天気でもみんなケータイうつむきかげん〉高1・山崎純平。

〈なずなですあつかいにくい子なのですけれどわたしはあいしてるのです〉中2・福山なずな。

 若い感性に力強さが宿る。

〈刈られても刈られた分だけまたのびる芝のあおさに力みなぎる〉中2・鈴木奏慧(かなえ)。

〈人生のブランコたまにはバックする大きく前へこぎ出すために〉高1・田中結。





歌はやはり雅が伴った方が良い。感動には変りはないのだが。




 今年から大学入試センター試験に英語の聞き取りが



1月15日の天声人語からの引用


苦手な英語を長時間聞き続けていると、きまって集中力がとぎれる瞬間が訪れる。

慌てて耳を引っ張ったり指で掃除したりするが、もう遅い。

話の筋に追いつくのは至難のわざである。

 外国語学習者が例外なく体験することのようだ。

感覚としては車の燃料切れに近い。

在米中に同じ思いをした作家村上春樹さんは、その自覚症状を「ウルトラマンの電池切れ」と描写している

(『やがて哀しき外国語』講談社)。

 今年から大学入試センター試験に英語の聞き取りが登場する。

長年の読解偏重批判にこたえた措置だ。

50万人もの受験生が、一斉に同じ再生装置を耳につけ、30分間聴覚をとぎすます。

ためしに市販の模擬テストCDを聞いてみたが、会話はかなり早口で、思ったより手ごわい印象だ。

 試験中に騒音でもしたら受験生は集中できない。

いくつかの大学に尋ねると、「試験日は音量を控えて」と近隣にお願いしたそうだ。

たとえば普天間飛行場に近い琉球大学は、ヘリコプターや軍用機が試験日に会場上空を飛ばないよう、

防衛施設局を通じて米軍に申し入れた。

 首都大学東京は、キャンパス周辺の大型商業施設や映画館に音響を抑えるよう要請した。

どこも快諾してくれて、当日はジャズ演奏や大道芸が中止になるそうだ。

 本番中に問題を聞き直すことはできない。

勝負は一度きりだ。

思わぬ騒音で気が散り、「電池切れ」を起こす受験生がいないとも限らない。

せっかくの勉強の日々が悔し涙で終わらぬよう、

今度の土曜の夕方、会場近くの方々はどうかくれぐれもお静かに。




受験術があるかぎり,子供の頃の大切な時期が受験勉強に追われるのは可哀想である。

受験も将来への糧になれば良いがそれだけで終わるのも悲しい話である。

英語会話には何度も挑戦しているが,満足度は少ない。

でも他の言語に比べれば理解はし易い程度である。





湯タンポ



1月16日の天声人語からの引用


朝晩めっきり冷え込む季節は体調を崩しやすい。

ちょっと風邪気味かなと思った先日、ホームセンターの家庭用品売り場で、

子ども時代に使っていた湯たんぽと再会した。

 カメの甲羅のようなブリキ製のあれである。

昭和30年代には、今のような軽くて暖かい寝具は出回っていなかったから、湯たんぽは欠かせなかった。

ただし栓が小さいので熱湯を入れるのは難しい。

毎晩母に入れてもらっていた。ネルの袋も母の手作りだった。

 作家の故向田邦子さんも回想している。

「湯タンポは翌朝までホカホカとあたたかかった。

自分の湯タンポを持って洗面所にゆき、祖母に栓をあけてもらい、なまぬるいそのお湯で顔を洗うのである」

(『父の詫(わ)び状(じょう)』)。

湯たんぽの周りでは、時間がゆっくり流れていた。

 もともとは中国伝来である。清代の小説『紅楼夢』にも登場するという。

日本でも元禄期には使われていたらしい。

かつては陶製だったが、昭和初期から金属製が普及した。

高度成長期に広まったガスや電気の暖房器具に追われて、ほとんど姿を消していたものの、今また注目されている。

 店頭には、ゴム製やプラスチック製も並ぶ。

湯たんぽは空気を乾燥させないので、肌にやさしい。

電気の消し忘れもない。こうした様々な効用が見直されている理由だろう。

 湯たんぽという名前も、とても温かそうだ。

「たんぽ」とは、器をたたいたときの音から来たという説と、

中国語で湯たんぽを意味する「湯婆」の唐音が語源だが、

それが忘れられて、「湯(ゆ)」が付け加えられたという説がある。






湯たんぽに病気の時の冷水枕が昔は良く使われていた。電気コタツ 電気毛布にとり代わり

頭を冷やすものとして,冷凍庫で冷やされたパックがつかわれるようになった。

湯たんぽの前は石とか陶器を熱くして布に巻いて暖を取っていたことを読んだことがある。




阪神大震災で亡くなった




1月17日の天声人語からの引用


1996年の1月17日に出版された『瓦礫(がれき)の下の小説』(集英社)を開く。

その1年前の阪神大震災で亡くなった重松克洋さんが書きためていた小説と詩を編んだ遺稿集である。

 当時20歳で関西学院大2年だった重松さんは、西宮市内のアパート「若葉荘」の1階に住んでいた。

地震でアパートが崩れ、その下敷きになる。

後日、友人たちが瓦礫の中から泥だらけの原稿用紙約200枚をみつけた。

 「俺達は、神様に踊らされているんだよ……明日のために、一時的な幸せを与えられて、

人は生きさせられてるんだよ」「小さな幸せの中にいることが、本当の幸せなんだよ。

難しく考えなくてもいい」。

小説「時の輪」では「時の輪から抜け出したいんだ」という言葉を残して自殺する友人とのこんなやりとりが描かれる。

人の生に、正面から向き合おうとした軌跡のようだ。

 昨年の1月17日、神戸は雨だった。市内の追悼の会を取材した後「若葉荘」に向かった。

関西学院大に近い住宅街のその場所は駐車場になっていた。

敷地の一角に花が供えられ、手を合わせてしのぶ人たちがいた。

 重松さんは高校時代に「歩く」という詩を書いた。

「この道が続く限り/僕は歩き続けるだろう/たとえ道がなくなったとしても……

なぜなら歩き続けることが自分の証明であり/歩き続ける限り僕は生きているからだ」

 今年も1月17日が巡って来た。

あの日から11年の月日が流れた。

しかし、亡くなった人たちは、今も、これからも、それぞれにつながる人々の中で生き続け、

歩き続けてゆくだろう。





災害で亡くなった人は気の毒である。さらには戦争などによる人災で死んだ人はもっと気の毒に思う。

災害は仕方ないが人災だけは人間として少なくする努力が必要である。できるはずだが。





ライブドアを、東京地検が家宅捜索した


1月18日の天声人語からの引用

六本木ヒルズは、東京の都心の坂の上にある。

中心の森タワーは54階建てで、高さが238メートルある。

肩をいからせた巨大な甲冑(かっちゅう)のような姿は、遠くからでも目に飛び込んでくる。

その38階にあるライブドアを、東京地検が家宅捜索した。

 強制捜査を受けたからといって、必ずしも罪を犯したと決まったわけではない。

しかし、世間の注目を集め続けてきた企業に対する今回の捜索の陣容には、

検察の意気込みの強さがうかがえる。

 容疑の一つとして「風説の流布」があげられた。

相場を変動させたり、売買で利益を得たりする目的で意図的な情報を流すことは、

証券取引法で禁じられている。


ライブドアの関連会社が、企業の買収に絡んで偽りの事実を公表した疑いがあるという。

 堀江貴文社長は、ヒルズの38階に入居した理由について、

東京タワーを見下ろせる唯一の場所だからと自著に書いている。

「この絶景を毎日見られることを想像してみてほしい。

地上をこの手で握りしめたような気になる。

そして、ふつふつと熱いものがこみ上げてくる。

『絶対に天下を取るぞ』と」(『プロ野球買います!』あ・うん)。

 インターネットの関連企業の成長はめざましく、ライブドアは、その中心にいた。

劇的に膨張してゆく過程で、利益の追求と資金集めに走るあまり、法を無視するようなことがあったのだろうか。

 家宅捜索は、夜を徹して行われた

それは、四方八方からの多くの目にもさらされていた。

「天下取りの塔」で、何が起きていたのか。捜査の行方を見守りたい。





ライブドアは徹底的に事件解明してほしい。IT産業だからとしてそんなに若者が簡単にゲームで

お金儲けできるシステムこそが変である。

根本のところに切り込まない限り,小悪者を取り締まるだけに終わる。

何か今の世の中の流れはおかしい。I T産業バブルが起きている。バブルはいつかは崩壊するが

どれだけの後遺症を残しておわるものか。20歳台そこそこで何億円もする自己ジェット機が買えることこそが

異常な社会である。小泉首相は改革による成功者もいるように賛辞をば送っていた。

普通の大多数人々は色んな締め付けら四苦八苦している,しかし成功者がいる事によってその改革の成果をば

誇示していた人物その人が犯罪者であったとすれば,やはりその政治の責任はとるべきである。

犯罪者を生じさせ,後の大多数の国民が泣かされているのが今回の構造改革とやらである。

しかし国会議員様たちとそれにつながる人たちだけは特別であるが。






耐震強度の偽装事件をめぐる国会の証人喚問で




1月19日の天声人語からの引用



「申し訳ございません。拒絶させてもらいます」。

耐震強度の偽装事件をめぐる国会の証人喚問で、小嶋進・ヒューザー社長の回答拒否は、30回近くに及んだ。

 テレビの中継を見て、歯がゆい思いをした人も多かっただろう。

しかし法律では、正当な理由があれば証言を拒否できると定められている。

自己に不利益な供述を強要されないという憲法の規定もある。

 拒否が連発された喚問には、ほとんど意味が無かったかといえば、そうではない。

小嶋社長が回答を拒んだのは、こんな項目についてだった。

「構造計算書の偽造を、いつ、どこで知ったか」「ヒューザーで急きょ開かれた会議の内容」

「販売中のマンションが問題物件だと、いつ認識したのか」


 いずれも、事件の核心部分にあたる。

回答を拒むのは認められた権利の行使だが、証人にとっては不利な事態を招く一面もある。

肝心なところで明確に否定しないことで、暗に認めたとも取られかねないからだ。

世間が、やはり後ろ暗いところがあるのかといった見方に傾くとしても、口を開くよりはいいと考えたのだろうか。

「黙して語らず」というが、黙してもなお語るところがあったように思う。

 フランスの政治思想家で法学者だったモンテスキューが述べている。

「自由とは法律の許すすべてをなす権利である」(『法の精神』岩波文庫)。

 国会で黙された部分の実相が、「法律の許すすべて」の範囲を踏み外していなかったかどうか。

その究明はこれからだが、沈黙は、問題のありかを繰り返し指し示していた。




素人にわからないところで手抜きできるシステムを作った所に問題がある。官から民への移行が遠因である。

今回の民でできることは全て民へ移行が構造改革の基本理念であった。

でも官から民への移行はいくらでもできる。全て人間のやることで基本的な所で間違えば大事に至る。

1000円てしかできないことを100でしろと民に移したとしても,官から民へ移ることは物理的にできる。

だが今までのように内容が伴ったもとのとして,できるかどうかである。

この間の阪神大震災で高速道路の鉄橋が倒れていた写真が報道されていたが,

鉄筋の強度不足でもあったのかどうかはわからない。そこまで調査がされているのかどうかである。

織田信長のように「鳴かずんば殺してしまえホトトギス」では困りものである。

少なくとも政治家として「鳴かずんば泣かして見せよホトトギス」の豊臣秀吉か。

「鳴かずんば泣くまで待とうホトトギス」の徳川家康のような人物が出てきてほしいものである。





高利貸を「アイス」と呼ぶ。
行政も消費者金融などの業界も





1月20日の天声人語からの引用


 アイスクリームは氷菓子だから、高利貸を「アイス」と呼ぶ。

熱海の海岸での貫一、お宮の別れの場面で知られる尾崎紅葉の「金色夜叉」には、

「高利貸(アイス)」が何度も出てくる。

 金に目がくらんで資産家のもとに走った許婚者・お宮を恨んだ学生・貫一が、「高利貸(アイス)」になる。

そして、金力でお宮と社会への復讐(ふくしゅう)を図る。

明治期に新聞に連載されて評判をとり、芝居でも繰り返し上演された。

 森鴎外が述べている。

「金色夜叉は高利貸の小説だ……人間は己れが生存するに足る丈の物を得て、

そこに満足することをあきたらないとして、機会の許す限、出来得る限、生活の増長を謀るものだ、

生存を願ふのではない、増殖を願ふのだ」(『鴎外全集』岩波書店)。

 この「あきたらなさ」とは、人間の業のようなものだろうか。

それは、時として人を駆り立て、金色の夜叉に変えてゆく。

金銭の貸し借りを巡っても、さまざまな悲劇を生んできた。

 日本ではこれまで、貸手の側に有利な奇妙な制度が続いていた。

金を貸す時、借り手が「任意」で支払う場合には、

法律で定められた上限より高い金利を取ってもかまわないというのである。

最高裁が、そんな実態を正す画期的な判決を出した。

事実上の強制があれば、上限を超えた分の支払いは無効とする初めての判断を示した。


 これまで支払いに苦しんできた人は数多い。

行政も消費者金融などの業界も、速やかに是正に動いてほしい。

放置し続けるようなら、業界は現代の「高利貸(アイス)」、

行政はそれを保存する「冷凍庫」などと呼ばれかねない




高利貸しの野放しは徹底的な政治の放漫であり.人間の業というか性を野放しにしての制度自体の

見直しが必要である。貸す側の徹底的な監督責任を全うして

担保制度と質屋制度以外の貸し金業は廃止の方向に持って行くべきである。

現在人にお金がなければ我慢して過ごすような習性を身につけさせるべきである。





コニカミノルタホールディングスが
写真フィルムなどのフォト事業と
カメラ事業から撤退




1月21日の天声人語からの引用


新聞社に入社して、まだ間もないころの夜だった。

取材で撮ってきたフィルムを暗室で現像したが、何も写っていない。

シャッターを切るたびに巻き上げたつもりだったが、フィルムの入れ方が悪く、空回りしていた。

 フィルムを使わず、撮った像をその場で確認できるデジタルカメラでは、まずこんなミスは起きない。

銀塩(フィルム)からデジタルへ、写真の世界で新旧の移り変わりが激しく続いている。

 コニカミノルタホールディングスが、「サクラカラー」の名で知られた

写真フィルムなどのフォト事業とカメラ事業から撤退するという。


ニコンもフィルムカメラからの事実上の撤退を発表した。

こうした流れの中で「撤退しません」という富士写真フイルムのコメントが目についた。

 「人間の喜びも悲しみも愛も感動も全てを表現する写真は、

人間にとって無くてはならないものであり……その中でも銀塩写真は、

その優れた表現力等でデジタルに勝る優位さもあり、写真の原点とも言えるものです」。

なかなか熱がこもっている。

 簡便さでは、デジタルの方がかなり優位なのだろう。

しかし写真とは、絶え間なく流れてゆく時間の中で、ある一瞬をとらえるものだ。

そんな「時の肖像」をとどめる手だてとして、愛好家の間ではアナログの人気も根強いそうだ。

 フィルムが空回りした写真は、取材の相手方におわびし、翌朝撮り直して何とか掲載日に間に合わせた。

30年以上前の失敗だが、その後しばらくは、何も写っていないあのフィルムが夢の中に現れることがあった。




コニカミノルタのアナログ写真からの撤退は当然の帰結で時代の流れかと思う。

アナログ写真は退色して薄くなって写真自体見ることが出来なくなる。

デジタルならばいつまでも退化はしない。半永久的でこれからは本とか雑誌 新聞もデジタル化して

検索が簡易になれば学問は飛躍的に進むと感ずる。

インターネットでの検索は便利だがインターネットに載ったものでしか対象にならない。

インターネットでデジタルブックからの検索で容易に新しく発見している。





きのうが初日の大学入試センター試験




1月22日の天声人語からの引用


 きのうが初日の大学入試センター試験では、遅刻を心配した受験生が多かったことだろう。

雪で朝の交通がかなり乱れた。

今年の高校3年生はゆとり教育を受けた最初の学年だが、会場に駆けこむ姿にはゆとりも何もあろうはずがない。

 受験生の遅刻といえば、去年、列車を乗り違えた生徒を助けるため、東北新幹線が通過駅の宇都宮に止まった。

JRには賛否の声が寄せられた。

8割は「心温まる話」と好意的だった。残りは「甘すぎる」「不公平だ」

 京都市では一昨年、茨城県から来た受験生が会場をまちがえ、涙ながらに交番へ駆け込んだ。

見かねた警官がパトカーに乗せ、サイレンを鳴らして約20キロ先まで急送する。

700件を超す反響が京都府警に届いた。やはり8対2で賛成が多かった。


 韓国ならこんな論争は起きない。

入試の日には受験生を遅刻させまいという熱気に包まれるからだ。

韓国事情に詳しい静岡県立大助教授の小針進さんによると、日本以上の学歴社会で、

出身大学が一生を左右してしまう。

「だから試験日には、官民挙げて生徒を助けようと張り切ります」

 なかでも「修能」と呼ばれる統一試験が大変な騒ぎだという。

遅刻者に備えてパトカーや救急車が駅前に待機する。

離島の生徒を運ぶのは軍用ヘリだ。通勤ラッシュに巻き込まないよう、大人たちは出勤時間をずらす。

 センター試験は、その前身の共通1次試験のころから、よく寒波に見舞われる。

風邪もつらいし、雪による遅刻もこわい。

もう少し春近い時分まで、試験日を移せないものだろうか。



こんな季節の受験生は気の毒である。もう少し暖かくなった季節で雪の心配なくインフルエンザの心配もない

季節にするようにできないものだろうか。一年の勉強の成果を発揮する時に雪によるとらぶるとか

病気に罹っての受験では実力も発揮できないのではないのか。春近い頃が無理なら

一次試験ならば秋でも良いはずだが。





判断に迷うなら、住民に聞いてみよう。





1月23日の天声人語からの引用


あちら立てれば、こちらが立たぬ。

やるべき事業は山積みなのに、お金はない。

この時期は、どの自治体も新年度の予算案づくりに悩んでいる。

 判断に迷うなら、住民に聞いてみよう。

そんな発想で千葉県我孫子市が、今回の予算編成から方法を変えた。

新規事業を選ぶ過程を逐次、市のホームページに載せて、13万人余の市民から意見を募っているのだ。

作業の進み具合を公開する市町村はあるが、これほど住民が口をはさめる制度は、まだ珍しい。

 まず昨年12月半ばに、各課が要求した計207の新事業の概要と目的、金額を並べた。

全部で30億円かかる試算の下に、市が来年度に使えるのは10億8千万円ほどだと書いた。


それぞれの事業に優先度の高い順からA、B、Cの評価と、その理由もつけた。

 たとえば「電子入札の導入」(727万円)は「発注コストを減らせる」から「A」。

「はしご車のオーバーホール」(2787万円)は「他市町村の実施状況から判断しても延長できる」から「B」などと。

 さらに歳出を減らす調整を市役所で続けて、12月28日と1月18日付でも採否の状況を公表した。

この間、住民からの意見は「うちの地元の排水事業がないのはなぜか」など3件だけ。

不満殺到に備えていた担当者は、回答を掲載しながら「まだ制度が知られていないのかなあ」。

意見は24日まで募集中で、作業はいよいよ山場だ。

 
自分たちの税金の使い道を決める予算こそ、主権者たる住民の出番だ。

選挙での一票だけじゃない。

こんな思いを込めた試みが住民自治を育てていく。





特定議員によるとか,有力議員の陳情よりもずーと進歩している。ホームページで直接住民の意見を取り入れる事は

良いことである。汚職も減る事だろう。公明正大な政治ができるはずである。






ライブドアの堀江貴文社長が
東京地検に逮捕されたと聞き




1月24日の天声人語からの引用


巨大な円柱がぽっきりと折れて崩れる。台座からは彫像が転がり落ち、下で人々が惑う。

ライブドアの堀江貴文社長が東京地検に逮捕されたと聞き、

「崩壊の画家」といわれるモンス・デシデリオが繰り返し描いた悪夢のような破局の場面が思い浮かんだ。

 これまで堀江社長は、既存の仕組みを打ち崩し、新しい世界を構築しようとしているともみえた。

膨らみ続けてきたそのライブドア自身が今、崩壊と破局に直面している。

 この閉塞(へいそく)感の漂う時代に、ライブドアは何か新しい夢をもたらしてくれるのではないかと期待する人たちがあり、

その勢いを利用しようとする動きもあった。逮捕の波紋は、極めて大きい。

 きのう国会で、前原民主党代表が堀江社長について「衆院選で、自民党が票寄せパンダとして利用した」とただした。

首相は、家宅捜索を受けた件と、選挙で堀江社長を応援したこととは「別の問題であると考えております」と述べた。

肝心の「それなら、どう別だと考えているのか」についての答えは無かった。

 首相は堀江社長に、「君のような若者が政治に入ってくるのは素晴らしいですよ」と立候補を促している。

堀江社長は、自民党本部で武部幹事長と並んで出馬の会見をし、

選挙区では「小泉首相の改革路線がだめになることにストップをかけたい」と述べた。

あのころは、両者はほぼ一体と見えた。
このまま「別の問題」では済むまい

 無限の膨張を唱えたライブドアの軌跡と行き着いた所。

それは小泉劇場で加速した、時代の危うさを映す鏡のように見える。


小泉改革の行きつく理想像がホリエモンのような会社を創ることにある。その官から民への民で犯罪による儲けで

世の中を混乱を起こさせている。直感的に一週間で何億円も儲かるシステムを作った政府が悪い。

欧米はどうあろうとも,汗水たらし稼ぐのが商売の常道であることは古今とわずに変りはないことが真理である。

持ち上げた自民党執行部は責任をとり辞職して素直に国民に謝るべきである。

マスコミのせいにするのは小泉首相らしき今までのやりかたであった。

「辛抱」 「辛抱」を説いて騙し続けたやりかたも戦時中の政府の全く同じ手段である。

憲法改正などにより,しかもそれが戦時体制へと政治の流れが変りつつある。大きな流れになれば既に手遅れで,

後は非国民の続出だけがある。今こそに早期発見早期治療が必要である。


もし起訴されれば、堀江被告となる。





1月25日の天声人語からの引用


ライブドアの堀江貴文社長が逮捕された後、紙面では堀江容疑者という表記を使うようになった。

もし起訴されれば、堀江被告となる。

被告の方は昔から使われていたが、逮捕された人を容疑者と呼ぶようになってからは20年もたっていない。

それ以前は原則として呼び捨てだった。

 一般的には、逮捕された人が起訴されるとは限らない。

まして有罪かどうかは、さらに先の裁判で決まる。

逮捕された人が、すぐに犯人扱いをされないようにという流れの中で呼称も変わってきた。

 堀江容疑者には、社長以外にもメディアがつけた愛称や呼び名が幾つもあった。

多くは、彼とその会社のめざましい勢いに注目するものだった。

破壊者、挑戦者、救世主。昨春は、東京商工会議所の新入社員調査で「理想の社長」の1位にも選ばれた。

 逮捕後の昨日、新聞各紙に載った呼び方を拾う。

IT長者、時代の顔、改革の旗手、ネット界の寵児(ちょうじ)。

ワシントン・ポスト紙は「IT業界の大君」だった。時流に乗ってもてはやされる。


そんな人を表す寵児という呼び方が目につく。

その寵児の波乱の軌跡を伝える記事が多い。

 自民党が堀江社長を総選挙に担ぎ出し応援したことにからんで、公明党の冬柴幹事長が述べたという。

「マスコミはどうですか。すごく持ち上げたじゃないですか」。

すんなりうなずくつもりはない。

しかし、取材相手との距離をどう取るのかは、常にメディアが問われることではある。

 耳目を集める「寵児」に、安易に飛びつくようなことがなかったかどうか。

改めて考えてみたい。





現在までの経過をみるならば,ホリエモンは犯罪者になることは間違いない。

彼の信念の何でもお金で買えるの方針で,無罪もお金で買おうと努力している。

腕利きの古手のヤメ検を大勢雇うとか報道されている。こんな人物を無罪になれば

日本も闇である。さらには何かホリエモンを応援した人たちに,なんとなく闇献金があるような様子で

其処の所も徹底的に調べてほしいものである。






メディアの方に矛先を向けたのには




1月26日の天声人語からの引用

前原民主党代表が23日の国会で、自民党は堀江貴文ライブドア前社長を「衆院選の票寄せパンダ」に使ったとただした。

小泉首相は、捜査と選挙の応援とは別の問題だと答えた。

その夜、堀江前社長が逮捕された。

翌日になると、首相は「不明だと言われれば、それまでですけどね」と述べた。

 ところが、この一言ではとどまらなかった。

「あのメディアの持ち上げ方、何ですか。

自分の持ち上げ方を棚にあげて、改革まで私の責任と批判している」


 昨日のこの欄では、「マスコミはどうですか。すごく持ち上げたじゃないですか」

という公明党の幹部の発言について、こう書いた。

「すんなりうなずくつもりはないが、取材相手との距離をどう取るか、メディアは常に問われている」

 目に余るような持ち上げ方をしたかどうかは、それぞれのメディアが自らの責任で省みることだ。

教訓とすべきものもあるだろう。

しかし「ホリエモン人気」を票集めの広告塔や「刺客」として利用したその党の総裁が、

メディアの方に矛先を向けたのには少々驚いた。


それこそが「棚にあげて」ではないだろうか。

 見過ごせないのは、自民党が一方的に「ホリエモン」を利用したのではないことだ。

ライブドアの側も、自民党という巨大な後ろ盾を、「世界一」の会社に膨らませるために利用しようとしたはずだ。

それはまるで、票と金を狙う共演に見えた。

 首相には、問題を追及された時に、ちゃんと説明せず口をつぐんでしまう傾向があるようだ。

今回も責任の転嫁で終わってしまうのだろうか。





自分のことを棚にあげて相手を攻撃するのは,子供でもしている。それは悪いとは言わないが一国の総理大臣ならば

それだけでは通じない。やはりこのような場合には自己反省する人に首相になってほしかった。

なんやかんやと保身に明け暮れて,総理を辞めてゆく。

今までにしてきた改革とやらのこれから起こる結果責任はどうしてとるのだろうか。

多大な犠牲を強いられてきた国民はただ馬鹿をみるだけである。






モーツァルトは最も純粋に音楽を書いた
天才と考える人は





1月27日の天声人語からの引用


作曲家ロッシーニが「ベートーベンをどう思うか」と問われ「彼は偉大な音楽家だ」と答えた。

それではモーツァルトはと重ねて聞かれると「彼こそ唯一の音楽家だ」と返事したという。

 「私もほとんど同感です」と音楽評論家の吉田秀和さんが自著に書いている(『モーツァルト』講談社学術文庫)。

「モーツァルトは最も純粋に音楽を書いた天才と考える人は、大ぜいいます」と続け、20代の手紙の一節を紹介する。

 「どんなに恐るべき個所だろうと、音楽はけっして耳をそこなうようになってはならず、

やはり耳を満足させる、つまりどこまでも音楽でなければなりませんから」。

これは「音楽は美しくなければならない」という信条の告白だと吉田さんは記す。

 モーツァルトは250年前の1756年の1月27日、オーストリアで生まれた。

神童と言われ、短い生涯の中で歌劇「フィガロの結婚」「魔笛」など多くの不朽の曲を残した。

 「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」と文芸評論家の小林秀雄は書いた

(『小林秀雄全作品』新潮社)。

素人の身で勝手に言葉を探すなら、モーツァルトの音は光の中でかろやかに跳びはねつつ、

透き通った美しいかなしみをたたえているとでもなるだろうか。


 生誕から150年の1906年1月27日、東京芸大の前身の東京音楽学校で、誕生記念の音楽会が開かれた。

それから100年、生地ザルツブルクには欧州連合の首脳らが集う。

国境を超えて愛されたモーツァルトにあやかり
、欧州の協調を演出する狙いだという。




天才モーツアルトの音楽は聞いていて,心がなごむ。心は軽やかになる。音楽が平和のために

貢献できれば,さらなる大天才と言いたい。



最近の言葉から


1月28日の天声人語からの引用

最近の言葉から。阪神大震災から11年。

1歳半の長男、大志ちゃんを亡くした上仲まさみさん(44)が、兵庫県芦屋市の小学校で子どもたちに語りかけた。

「ありがとう。あなたたちは震災の後、今日まで元気に生きてきただけで、すばらしいです」

 04年の豪雨被害で仮設住宅に住む福井県美山町の田中ちえこさん(72)は、今度の大雪でも苦しんだ。

「いま、若い人がいない。年寄りばっかりですわ。人の家どころじゃない。頼めんのですの」

 大阪市政で「口利き」の是非が議論に。「わしらは口利きをしますという看板を掲げて市議をやっとんねん」。

大平光代・前助役は市議にこう言われたという。

自民市議団幹事長は「市民と行政の橋渡しをしている議会を一方的に悪者にするのは理解に苦しむ」

 宮城県川崎町で農業を手がける田中清さん(57)は元デザイナー。

何百万の値が付く世界に虚構を感じ道を変えた。

「どうせ生きるんだったら、都心で高いマンションなんか買うより、こっちを目指した方がずっといい」

 高知県酒造組合が「土佐宇宙酒」を売り出す。

ロシアの宇宙船で旅した酵母を使う。蔵元は「香りが高く、優しい甘みがします」

 夏目漱石が名作「坊っちゃん」を発表して、100年。

「登場人物の人間像は永遠でしょう」。旧制松山中学(現松山東高)OBの作家、早坂暁さんが語る。

「結局、坊っちゃんは任地を去る。

青臭い正義感は、吹き飛ばされるのです。でも戦わなくて、どうしますか。

常に戦わないと世間は悪くなっていく一方なのですから」



日本の国会であれほどの拍手を
見ることはない。




1月29日の天声人語からの引用


米大統領の一般教書演説は、例年1月末に行われる。中継番組を見るたび、あの拍手の盛大さが気になる。

閣僚はもちろん連邦議員や来賓が節目ごとに立ち上がり、感服したような表情で手を打ち続ける。

 名演説ならともかく、不出来な時でも驚くほどの拍手を浴びる。

米紙によると、あれはあれで一種の政治指標なのだという。

盛んなら善政、まばらなら悪政といった印象を視聴者に与える。

正味45分の演説で、拍手による中断が計15分ほどあれば、まずは標準的と言われる。

 日本の国会であれほどの拍手を見ることはない。

ためしに小泉首相の施政方針演説の映像を見直してみた。

「郵政民営化は改革の本丸」と訴えた去年は、数えると拍手が13回あった。

ほとんどが散発的で短く、しばしばヤジにかき消された。

 今年は違った。

大きな拍手の波が27回も起きた。

歓声も聞こえる。


総選挙での大勝を実感させる拍手喝采ぶりだが、前列に並ぶ初当選組が、

演説を盛り上げようと呼びかけあった成果でもあるらしい。


 小泉チルドレンと呼ばれる新人議員の組織「83会」が前日、こんな会報を各議員に送った。

「総理演説の要所要所で声援、拍手をお願いします。

終了後は、米国議会における大統領演説のように83会全員が立ち上がって、

30秒ほどの間応援の拍手をしましょう」

 にぎやかだったわけである。最後に起立した議員こそ少なかったものの、拍手の音量は何倍にも増えた。

しっかり目を光らせていないと、有権者の知らないところで、「小泉大統領」が出現しないとも限らない。





今の状態ならば小泉大統領である。衆議院では無敵である。党議拘束 反対者には自民党離党勧告 対立候補をたてて

戦うシステムを作り出した。立派なものである。これだけの政治改革をした人は今までの自民党の中では

見いだせられない。大人物である。憲政史上稀に見る異大なる首相の出現である。





「質屋の女房」になったのは、





1月30日の天声人語からの引用

三武(みたけ)久美子さん(58)が「質屋の女房」になったのは、二十数年前のことだ。

8人きょうだいの末っ子で、幼いころに父を亡くし、母のお供をして質屋によく通った。

それがどういう巡り合わせか、質屋さんと結婚した。

 そんな思い出を収めた『本日は定休日』(文芸社)を読み、東京・品川の店を訪ねた。

かつては路地の奥に出入り口があり、窓には格子がはまっていたそうだが、

いま、店は通りに面して明るく、格子もない。

 「いまのお客さんは、生活費というよりも、小遣いがちょっと足りないという人が多いようです」と三武さんは話す

むかし、シャンデリアを質草として持ってきた人がいたのには驚いた。

質草の主流は、衣服や電気製品から貴金属やブランド品のバッグに変わってきた。

 質屋の始まりは鎌倉時代といわれる

いまや消費者金融に加えて、銀行までが争って金を貸す時代である。

昭和30年代に全国に2万店あった質屋は、4千店に減った。

 それでも、まだまだ根強い人気がある。

三武さんはその理由を「万一、お金を返せなくても、取り立てはしないし、

事情があれば返済を待つこともあるからでしょう」と語る。

身の丈にあった借金であり、貸手には人の情もあるのだ

 東京で質屋の常連客となったのは、「地縁血縁のない上京者だった」。

そう書いたのは、ドイツ文学者の故種村季弘さんだ。

最近、三武さんの店には、アジアの国々からの「上京者」が目立つ。

病気の母に仕送りしなければならない、などと聞かされると、つい多めに貸してしまうそうだ。





質屋による融資はカードローンよりも健全な融資制度である。何故廃れてきているのか。

人間の本能をほしいままにするのが良いとする欧米文化の輸入によって健全な考え方が

追放された結果によって,ローンによる悲劇が断たない。

日本の良い文化は育てる必要がある。日本はアメリカに比べ遥かに古い文化をもっている。

中国 韓国も同様で奈良 平安時代には両国からは先進国として文化を輸入していた。

東洋と西洋文化の違いだけで,特色が有り優劣はつけ難い。

イスラム圏と西洋圏の対立を言われているが,東洋イスラム西洋ともにそれぞれの宗教的な基盤からの

文化の違いがあって,それぞれの国がその国の事情に応じそれぞれの生活を尊重して生きてゆけば良いことである。

世界が仲良くする事が一番である。民主主義の伝道師であるアメリカの正義にあふれたブッシュがいる限りには

世界に平和は訪れない。

何も民主主義が一番だとは思わない。今の日本に真の民主主義があるだろうか。

アメリカも同様のことである。

地盤 看板 カバンが続く限り民主主義がないのと同じである。

中味は上からの圧力で政治が推し進められているのは何処の国でも同じことである。

EUブロック アジア太平洋ブロック アメリカブロック アフリカブロック イスラムブロック ロシアブロックに

世界が徐々に統一されてきて,最後には一つの世界連邦ができるのが理想である。

互いに助け合いの競争をし,戦いはオリンピックのみにおいて互いに競いあうことである。





ビジネスホテルチェーン大手の
「東横イン」が、悪質な偽装工事





1月31日の天声人語からの引用

ライブドアのやり方が株による錬金術とすれば、こちらは、部屋をひねり出す「錬室術」と言えるだろうか。

ビジネスホテルチェーン大手の「東横イン」が、悪質な偽装工事をしていた。

 横浜市内のホテルでは、法律や条例で義務づけられた身障者用の設備や駐車場を、

完了検査後に通常の客室などに違法に変えていた。


チェーンの他のホテルでも、駐車場から貸事務所への改造などがみつかった。

 「もし、社長が車いすの生活になって、自分のホテルに泊まれないとしたら、どれだけ悲しいか。

そう考えてみるだけでいいのに」。

交通事故で20年前から車いすの生活を送っている42歳の男性の言葉が重い。

 反対に、西田憲正社長が記者会見で自らの違法性を評した言葉は、あまりにも軽かった。

「時速60キロ制限の道を67〜68キロで走ってもまあいいかと思っていた」。

「バリアフリー」の流れに逆行する情けない言葉だ。

 違法な改造は、かなり前からあったようだ。

94年には、仙台市内のホテルについて、市側から指摘された。

市の指導によって違法性のないように改造したのは7年後だった。

この時の「速度超過」の重みを、どう受け止めたのだろうか。

その後も違法な改造を繰り返したとは相当悪質だ。

 東京に1号店を開いて、今年で20年になるそうだ。

今の約120店舗を、2022年までに国内外で1045(トーヨコ)店にするのが、社長の目標だという。

増やしに増やし、いずれ世界のトップをめざす。

ライブドアと同じようなかけ声が、ここでもうつろに聞こえてくる。




急成長する産業には必ずに不正があると確信をもってよいのではなかろうか。

時代の流れというものの同じ業種でそこだけが上手くできる方法には限界があるのではないのか。

ビジネスホテルチエーン全国展開では時代の要請には有っていたが,急速なそのやり方の中味が

問題視されてきている。

そんなに急成長するようなものでもないのではないだろうか。




歴史を調べだすと




歴史は面白い。調べるのはさらに謎解きをするようで新しい発見があり楽しい。

歴史にとってはむやみやたらな開発は一番の敵のようだ。整備され過ぎた寺院より雑然とした寺院に古いことが

発見できる率は高いようだ。京都にこんな大きい寺院があるのかと驚く事もある。京都を知っているようで

遥かに知らない事の方が多い。調べるのが楽しみである。

この間も神社の一角の建物から,お経のような大きい声が聞こえてくるので,庭掃除している白装束の若い女性に

こんなところにお寺があるのですかと尋ねた所,「謡の宴(ウタゲ)をしております」との返答をされ,

互いにニッコリと笑うほかなかった。

初めて聞く寺院もある。本当に観光面では京都に住んでいてしみじみと幸せをかんずる。

少し足を伸ばすと古寺の多い奈良が有り,滋賀県もある。まだ,そこまで本格的に足をのばしていない。

住んでいる伏見全部知るだけでも大変だ。この間も初めて酒の月桂冠資料館に入り,

だが門前は何回も通ってはいるのだが,

伏見は伏見城の城下町で「濠」で周囲がめぐらされているのを知った。今まで疎水か或いは何か鴨川の支流かと

思っていたのが「濠」であることを知る。伏見は城下町である。その間はたかだか数十年間のことで,

平安京の前の長岡京に至ってはただの10年間の都であった。

昔の天皇の力の絶大さ,偉大さをつくづく感ずる。

寺院・神社の他にも,京都にはいたるところに御陵も多くある。

全く知らない御陵に出くわす事もある。御陵は大体に江戸,明治の初め頃に定められた所が多いから

昔から続いた本当のものかどうかは定かでない所が多いとのではないかと思う。

少なくとも平安時代終わり頃までの皇族の御陵とされている所は発掘調査されるようになれば,

どれだけの考古学の進歩に貢献するか計り知りえない。現在は立ち入り禁止になっている。

中国の秦の皇帝の兵馬踊までも至らないが,少なくとも奈良の明日香の壁画美人のような国宝級のものがなんぼか

発見されるのではないかと思うのだが。

そして新しい考古学的な発見があり,考古学の進歩につながると思う。

大覚寺に参詣したときに初めて知った事は大覚寺の横の大きな大沢の池が大覚寺のために作られたことのようで,

広沢の池も寺院のために作られているようだ。

池と寺院の関係はあまり今まで気にしておらなかったが,大きな池が自然に出来,その横に寺院が建てられた位にしか

思っていなかったのが,逆であった。

寺院のために大きな池が作られているのである。

日本でも昔の人はでっかい事が出来るものかと感心した。


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