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三月になって


三月になると共に比較的に温暖な日が増して来ている。だが稀に寒い日もある。

奈良のお水取りも済み,お彼岸さんが終わると暖かい日が続く。春らしい日が続くようになってきた。

でも京都の神護寺に登るとわずかながらも残雪を発見した。

冬だと雪は当たり前だ゙が今頃に雪を見るのは大変に珍しい。それだけに寒い場所でもある。

神護寺は京都の西北に当たる山深い山地に有る。

弘法大師が帰唐後に始めて本格的な修行され,最澄も灌頂した寺院でも有名である。

登るのには大変難儀した。

その麓までは曲がりくねった周山街道を自動車で走って行けるが,その後が大変である。

でもなんとか登りおえた。途中の茶店のおばさんは50年間登り降りしているとか。

そんなことを考えると自分の軟弱さに反省させられる。

国際情勢はイラクの状勢が混沌として来ている。

ブッシュも大変なことをしてくれたものだと今さらに嘆きたくなる。

丁度ブッシュがイラク戦争終結宣言して三年が経っても

イラクでは死傷者が毎日のように出て安全ではない。

今日もテレビをみているとベトナムの風景映画が放送され,

若い美しいベトナム女性が現在のベトナムを紹介しているのを見た。

ベトナム戦争当時は恰もベトナムが敗退すると民主主義が敗北となり,世界が共産化されてしまうような

恐怖心でもって,アメリカ軍と南ベトナム軍の連合軍と,北ベトナム軍が戦い,結局はアメリカ軍がベトナムから撤退して

ベトナムに初めて平和が訪れている。

北ベトナムがベトナム全土を支配し,戦争は終結している。それだけの事件だったが。

ベトナムの人達にとって大変な時期であった。

でもその後も大変で,空中から散布された枯草作戦の薬品によって生まれた二頭一体の奇形児べトちゃんとトクチャンの

分離手術するため来日し,日本で手術が実施されている。

戦争によって,多数のベトナム国民の被害だけで゙なく,アメリカ帰還兵の戦争後遺症者で悩み続けていたのが,

今では全てが夢のような出来事のように何もかも忘れたように過ぎ去ってしまっている。

あのベトナム戦争騒動とは,今となればなんだったのか,?と問いかけたい。

戦争は大国アメリカの主導で行われていた。

今のイラク戦争もそうである。

非常に不思議なことに当時,「世界の共産化」に対し真面目にその恐ろしさの為,戦争が行われ続けた。

その戦争に対し,次第にアメリカで反戦デモが盛り上がっていった。

そのアメリカが又同じようなことを現在イラクで行っている。「テロ」の撲滅のためにである。

過去の夢の話ではない。

今現にイラクで真面目になって「テロとの戦い」が同じように毎日続けられている。

ブッシュはベトナム戦争と違うとは説明しているが,後から見れば同じで゙有るに違いない。

その犠牲者になる人達は本当に気の毒な話である。

徐々に傀儡政権のイラク兵が,その戦争での肩代わりするようになってきて,

アメリカ軍は引き下がりイラク人達の死傷者がぐーんと増え出して来ている,

アメリカ兵の戦死者を少なくするための賢い,ずるい方法・手段とも思えてくる。

民主主義なんかいらない,戦争のない平和がほしいとのイラク国民の声が聞こえてくるような気がする。

ベトナム戦争とイラク戦争で大きく変った所はイラク戦争に日本がその戦争に参戦しているという現実である。

空軍による後方支援と,イラク復興と称し自衛隊がイラクに派遣がされている。

混乱のために今では自衛隊の撤退がままならぬ状態のようだ。

ブッシュのポチであり続けた小泉首相の決断のせいである。

さらにはこれからはアメリカと一緒になって戦うため,憲法まで変え戦争に参加しようとの計画がされだした。

現実に自衛隊員の訓練がアメリカで,アメリカ軍人の指揮官のもとで行われている。

丁度今のイラクへ兵のように,日本の自衛隊員がアメリカ軍の尖兵となって戦おうとする法律をば,

日本の政治家によって真面目に計画されだし戦争する自衛隊ができる現実のものになりつつある。

丁度第二次大戦の戦争体験者が少なくなり,歯止めをかける人が少なくなって来て,

戦争の恐しさや,無情さや,馬鹿らしさを知らない世代が日本の主流になってきたことによるものなのか。?

戦後ずーと「人の命は地球より重い」といわれて来た時代が続いた。

その前の第二次大戦中は「人の命は羽毛より軽い」と教育され特攻隊でもって無理やり若い青年が自爆し,

尊い命を,短い命でもって絶っていった。

今もって,広島長崎の原子爆弾投下は戦争を早く終わらせるための手段で,正当な出来事だとの認識が一般的にある。

大勢の命が無慈悲に,自分と関係ないような形で亡くなっていった多くの人たちがいる。

その後遺症に悩む人たちも今も絶えない。

当時の敗戦国日本国民達は「二度と過ちは繰り返しませんと」誓った。

未だに,こんな異常な世の中にある世界をば正常な世界と認識し,アメリカのいうまま,その要請でもってか

日本の政治家たちが戦争するための状況を熱心に作ろうとしている。

政治家たちは自分達の自発性でもって戦争準備していると錯誤している。

何かと例に出されるのは,「北朝鮮が日本に攻めてきたらアメリカの援助が必要だから

アメリカの言うようにしなければならない」との論法でもって再軍備が正当化されていくようだ。

だったらまず北朝鮮と国交回復し,北朝鮮との間に平和条約を締結して,

国民同士仲良くし往来をできるようにすれば良いのではないかと。

そうすれば自然拉致問題も一番早くに解決できる。

経済制裁,国交の凍結は最悪なやり方である。風と太陽の例の童話で語られているように,

北朝鮮に対してノーベル平和賞を受賞した韓国前大統領金大中さんは太陽政策のやり方が

ベストであると指摘している。

今の世の中にあって,アメリカとの安全保障条約は時代遅れである。

これは明らかに不平等条約であるから速やかに解消し早く日米平和条約にすべきである。

アメリカの沖縄基地からグァムに移転する費用をば,何故に日本がそんなに負担しなければならないのかが

理解できない。日本は未だにアメリカの属国,半占領地下に有るようなものだ。

こんなに多くの日本国内にアメリカの基地が何故必要なのか此れも理解できない。

此れでは日本はアメリカの半植民地である

明らかな事は日本か゜第二次大戦でアメリカ軍に敗北し,日本は何年間,アメリカの占領下におかれという事実である.

当時マッカーサーの声は天の声の時代が続いていた。

その後もずーとその影響下に有って,日本の政治が押し進められてきたという現実がある。

自民党政権で首相交代後必ずに総理大臣のアメリカ詣が今もつづいている。

そして自民党による政治が戦後ずーと続いて来た。

この間のメール事件のように,自民党がピンチになれば自然に自民党に民主党が助け舟を出して

民主党は自滅している。

驚いたことにはあのようなガサネタをば一千万円で買おうとする根性である。

永田議員が一千万円で買うといえば,それくらいならば民主党で用意できるとの野田国会対策委員長の発言が

新聞記事で読み,議員の金銭感覚には一般庶民とはるかかけ離れた所にあることを知った。

政治はポロイ商売だととして,二世 三世 四世議員達が政界にはびこっている。

初めて政治家になった議員も,又子供に議員になるようにする傾向に有る。

地盤 看板 カバンは親譲りだから,何の心配も要らず,政治の才能とは別途に政治家になれる。

次期総裁にのぼっている人たち全部がそのような人たちばかりが候補になっている。

美人であるならば小泉チルドレン達には直ぐにはなれるが,

総理総裁を狙うには,何代もの時間とお金をかけないとなれないものかと

思いたくなるようなご時勢である。

大きな展開があった。民主党の前原党首が辞任し,民主党内で議員による選挙があり,

候補者として小沢一郎氏と管直人氏との間で選挙があった。

話し合いで決めるより選挙のほうが良かった。

そして小沢一郎氏が当選して民主党党首となっている。

小沢さんは自民党時代に色いろと問題があって「豪腕」と称されて表の役割りよりも裏方で

色いろと問題あるようなことをもされて来た。そのイメージは国民に定着している。

だが今の状態の野党の民主党を立て直すには,このような人物が一番必要である。

薬に例えるならば「劇薬」である。

上手くゆけば著効があるが,場合によるととんでもない事態が生ずるかも知れない。

本人も自分も変るのだと公言しておられるから,良いほうに変る事を是非願いたい。

そして日本国民のために活躍されることを切に望みたいものである。

色んな人材が民主党内にもおられる筈だ。

挙党体制で臨むならば,きっと良い政治ができる。

なんとなく日本に明るさが少しさしかけてきたような状態である。

一党独裁よりも強い野党の出現が今是非必要である。

タカ派の安部晋三さんだけは是非避けたい。

ナショナリズムはよくない,是非インタ-ナショナルリズムでもって,これからの日本は進んで行くべきだ。

あの人が自民党総裁総理になれば,さらに日本は再び戦争へと一歩前進する。

愛国をば説く時代よりも人類愛を説く時代である。戦前の教育は徹底的に愛国精神をばたたきこまれた。

「過ちは再び繰り返さない」でほしい。





ライブドアの「送金メール」問題をめぐる
民主党の永田寿康衆院議員の会見




3月1日の天声人語からの引用


宛(あて)先のところが黒く塗りつぶされている。

発信元も塗りつぶされている。

そんな電子メールのコピーを前にして、どうして本物だという確証が持てたのだろうか。


昨日、ライブドアの「送金メール」問題をめぐる民主党の永田寿康衆院議員の会見の中継を見ていて、

幾つもの疑問がわいた。

 永田議員によれば、メールは、元々の情報提供者から仲介した人物を通して持ち込まれたという。

「仲介者」は、メールの発信元は堀江貴文・ライブドア前社長だが、

ごくわずかの人を相手にする時のアドレス名だから明らかにできないと言っていたという。

 情報提供者については、存在するかどうかも含めいまだに不明だ。

これでは、怪文書を国会の場に持ち出したと言われても仕方がない。

永田議員はメールの信憑(しんぴょう)性が立証できなかったと述べたが、

民主党は、騒ぎが落ち着いた後も経緯を調べて、国民の前に示す必要がある。

 「神、宿命、運命、運勢、または近所の人の肩へとたやすく移ってしまう離れ易い負担」。

アメリカの新聞記者だったアンブローズ・ビアスの著した警句集『悪魔の辞典』(創土社)の「責任」の項には、そうある。

 今の民主党の責任とは何か。

国会を混乱させたことについての党内の責任の取り方にだけかまけているのは許されない。

 国政の幾つもの問題で受け身になっていた自民党は、これで追及がかわせると考えるかも知れない。

しかし、この失態で問題が帳消しになるはずもない。

立て直して、それらの問題をきちんと追及するのが民主党の責務ではないか。




前原党首の党首辞任はとうぜんであった。それでよかった。根拠が薄弱な証拠で相手を攻めるのは間違っている。

だが実態はメールのような事があったと思われる雰囲気だったことは誰もは疑わない。

今の政界はそのように誰もはそのように感じている。




最近の言葉から


3月2日の天声人語からの引用


最近の言葉から。沖縄県宜野湾市の米軍基地職員ロン・フーラさんは、

沖縄戦で没した日本人の遺骨や遺品を21年間探し続けている。

「人間はみな同じ。国や政治は関係ない。

遺骨や遺品を待つ家族がいるから私にできることを続けたい」

 中国残留婦人らが国の責任を問うた訴訟で、

東京地裁は政治的責務の怠慢があったことを認めつつも請求を退けた。

「判決は残念というより、無念。祖国とは何なのか。

本当に情けない……息がある限り頑張る」
と原告の鈴木則子さん。

 戦時中の言論弾圧事件「横浜事件」の再審で横浜地裁が示した裁判打ち切りの免訴判決に、

元被告の妻木村まきさんが語る。

「免訴はずるい。どこまでも逃げ切ろうとしている」

 寺からの仏像盗難が続いた。

警備強化の動きがある一方で奈良・法隆寺の古谷正覚執事長が言う。

「仏教は基本的に性善説。お参りにきていただいた人を疑ってかかることはしません。

防犯カメラを不快に感じる方もいるでしょう」

 子どもを守る試みが各地で続く。

99年に小2の男児が殺された京都市立日野小では校門は開いたままだ。


「驚くでしょ」と坂野治利校長。

一度は閉めたが、地域の人が出入りさせてと望んだ。

「人を守るのは人でしかない。門を開けて、逆に事件のあった学校だと訴え続けたい」

 トリノ冬季五輪のカーリング女子で「チーム青森」が強豪と互角に勝負した。

小野寺歩さんが少しはにかみながら言った。

「日本で盛り上がっていると聞いてうれしい。

それが自分にとって、メダル以上のものだと思える」





性善説の通らない社会が悲しい。貧すれば窮するで.根本は格差を生み出した政治に責任があることは

間違いない。第二次大戦中の疎開先で泥棒が頻発していた。

飢えをしのぐのに必死の状況を作ったのも,それも政治であった。

当時「勝つまでは欲しがりません」と説かれていた。同じく小泉政治が始まる当初は「痛みに耐えて,米百表の話」で

国民を煙に巻き見事に「格差有る社会」を実現させた。弱肉強食社会で,弱いものの被害事件の多発,

それにフリーター ニート 失業による自殺者の多発を生み出した。




日本航空で




3月3日の天声人語からの引用


会社にせよ、役所にせよ、もろもろの組織には内輪もめがつきまとう。

そこでは、いつもは隠れている人間の業があらわになっていて、正視しづらいものがある。

 役職の階段を上りながら、周りを敵と味方に色分けして勢力の拡大を図る

自らの今と将来のために突き進むことが横行すれば、組織は乱れる。

乱れた時には、やはり役職者の心構えに戻ることだろう。

例えば、役職は「授かりもの」であり、それに伴って受け取る人材は「預かりもの」、という考え方だ。

 しかし、人間とは弱いものだ。

役職は「取りにゆくもの」で組織は「わがもの」という手合いが支配する時もあるだろう。

「取るもの・わがもの」の時代が長く続いたのでは、いずれ行き詰まる。

 組織が行き詰まり、内紛が一気に噴きだした日本航空では、過去にどんな経営が行われてきたのだろうか。

「連判状」まで飛び出した内紛は、劇としては目を引くが、外からは、利用者をないがしろにしているように見える。

その会社が飛ばす飛行機に、本当に安心して乗れるのかと、一抹の不安を覚える人も少なくないだろう。

 経営が行き詰まった会社が再生するには、必死で生まれ変わるしかない。

それでも、倒産するところがある。

日航には、すべてひっくるめて2兆円にものぼる有利子債務があり、客離れも進んでいる。

今のままでは、先が危うい。

 ギリシャ神話のイカロスは、太陽に近づきすぎて翼のろうが溶けて墜落した。

半世紀余り飛び続けてきた日航の翼は、地上の争いがもとで、溶け落ちかねない。




独占的に官営だった日航が民営化されてこの様子である。世界の潮流に乗らずに全てを「官から民へ」でなく

肝心な所はやはり官庁が監督して健全化をはかるべきだが,その監督官庁が乱れてきているのだから

どうすれば良いのかと言いたいところである。やはり政権交代しかないのか。





桃の節句の方が好きだった




3月4日の天声人語からの引用


「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節句よりも、桃の節句の方が好きだった」。

母が嫁入りの時に持ってきた雛(ひな)人形は「長い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした。??

私は、それが好きだったのかもしれない」。

自著『昭和恋々 パートII』(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彦さんが70歳で亡くなった。

 テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。

確かに人生の機微を切れのいい文章でつづり、卓抜なテレビドラマにした。

描いたものは人々の心のひだであり、時代のひだでもあった。

 改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの数々が現れる。

三輪車、木造校舎、縁側、汽車、番傘、割烹着(かっぽうぎ)……。

時とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。

 「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。台所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、

うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。

写真と文を組み合わせた「焚火」の一節だ。

 古物屋の大時計の写真の脇には、こう記されている。

「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役は??〈歳月〉である」

 いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を尽くした。

久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾灯だった。

一筋の光跡を描きながら、その列車が遠ざかってゆく。




いつの時代でも歳月が主人公であることには間違いない。どの時代をとっても過去から隔離された現在はありえない。

現在には過去がいつも内包している。京都博物館で見た雛祭りの祭壇には魅了され二回見にいった。

京都では左が男雛で右が女雛である。昔の祭壇のものは全てがそのようになっている。

古いものは豪華である。博物館に寄贈されるようなものだからそのようであるのかもしれない。



日本では山あいの町でも省エネに





3月5日の天声人語からの引用

米紙ワシントン・ポストが先日、徳島県の上板(かみいた)町役場の庁舎内ルポを1面に掲載した。

酷寒の日を除いてこの冬連日、役場内の暖房を止めたことを紹介し、

「日本では山あいの町でも省エネに全力を注ぐ」と感嘆の調子で報じた。

 マスクをはめた職員たちの写真を載せ、

庁内でもコートを着たまま「省エネは国民の義務です」と語る幹部の言葉を引いた。

ただし、行間には「感心はするが、そこまでやらなくても」という本音もにじむ。

 なにしろ「米経済に打撃を与える」という理由で、温暖化対策を進める京都議定書から離脱した米国である。

寒さをこらえて働く日本の公務員は向こうの読者には奇異に映ったことだろう。

それでも暖房なしで冬を乗り切った自治体の奮闘が米国で報じられることは無意味ではない。

 上板町に続いて、環境省も先月下旬から省内の暖房スイッチを止めている。

給湯もやめた。最初の1週間で二酸化炭素の排出量が6トンも減ったそうだ。

身を挺(てい)して温暖化に立ち向かう姿勢には共感を覚えた。

 ところが霞が関の環境省を訪ねるとたちまち拍子抜けする。

寒さに震えるどころか、省内はぽかぽかと快適このうえない。


庁舎は日比谷公園を見下ろす26階建てビルの最上部数階分だ。

朝と夜に暖房を続ける階下の厚生労働省から暖気がたっぷり昇ってくる。

 環境省の測定では暖房を止めた週の平均室温は23度7分だった。稼働時の24度5分と差がない。

今までが過剰暖房だっただけのことではないか。


こちらは、海外であまり詳しく報じてもらわない方がよさそうだ。





「官尊民卑」は明治時代から続く日本の特色である。いや世界的な傾向かもしれない。

誰もが公務員になりたがると競争がし烈になってくる。

そういえば中国でも「科挙」の試験が難関で誰もがそれを目指し苦しんだそうだ。

IT産業 株売買での億万長者の出現で少し世界が変りつつある。

どうもこの傾向も公正な社会での現象ではなさそうだ。

温暖化による世界的な気象異常に対して世界が足並みがそろわないといけない。

地球という唯一の世界に住んでいくもの同士,互いに地球を大切にしないと未来は見えてこない。






島の新聞「ベインブリッジ・レビュー」の発行人で、
編集長でもあったウッドワード氏だった。






3月6日の天声人語からの引用


 米太平洋岸のシアトル市の近くに、ベインブリッジという小さな島がある。

今はフェリーで市内に通勤できる緑豊かな住宅地だが、

戦前は日系人がイチゴ摘みに従事する貧しい農作地帯だった。

 太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)からほどなく強制収容所に送り込まれたのが、

ここに住む日系人240人である。

64年前の3月のことだ。


近くに海軍の施設があったため、破壊活動の疑いをかけられたのだ。

軍がやって来て、1週間以内の強制退去を命じた。

 そのときに抗議の声をあげたのは、島の新聞「ベインブリッジ・レビュー」の発行人で、

編集長でもあったウッドワード氏だった。


「米国生まれの2世は我々と同じ市民権を持っている」と社説に書いた。

 広告主が降り、読者も次々と離れたが、主張は貫いた。

日系人を通信員に任命して、収容所での暮らしぶりを報じた。

「この混乱が終わったら、君たちは帰って来るんだ」。

収容所への手紙で励まし続けたのである。

 戦後になって、彼の行いは高く評価された。

日系人の苦難を背景にした90年代のベストセラー小説で、

映画にもなった「ヒマラヤ杉に降る雪」を覚えている人もいるだろう。

物語に登場する日系人のために論陣を張る新聞記者は、彼がモデルだと言われている。

 02年に島を訪れてみたが、ウッドワード氏はすでに亡くなり、新聞も他人の手に渡っていた。

船着き場に立ちながら、あの寒い3月の朝、日系人がフェリーに追い立てられる光景を想像した。

そして、だれの身であれ、不正は座視できないと考えた人の勇気を思いおこした。



世界に良心がばら撒かれている。そうでなければ地球は争乱状態である。

でも現在の世界は馬鹿なリーダーであるブッシュにより振り回されている。

これも政治家の二代目である。

政治家の世襲は禁止するような世の中にならない限りに世界には闇が続く。

民主主義は堕落し,本来からかけ離れ,地盤 看板 カバンがないと政治家になれない時代に退廃している。




 チャーチルは、ここでの演説で
「鉄のカーテン」という言葉を使った





3月7日の天声人語からの引用


今から60年前の3月5日、英国の前首相チャーチルは、招かれて米国のミズーリ州に居た。

この州出身のトルーマン米大統領と演説会場に向かう前首相は、Vサインを掲げて写真に納まっている。

前年の第二次大戦の勝利がさめやらぬといった面持ちだ。

 チャーチルは、ここでの演説で「鉄のカーテン」という言葉を使った。

「バルト海のシチェチンからアドリア海のトリエステまで、大陸を縦断して鉄のカーテンが降ろされました」

(小沢弘明『ヤルタ会談と鉄のカーテン』岩波ブックレット)。

世界を東と西に区切る「鉄のカーテン」は冷戦の時代を象徴する言葉となった。

 当時ソ連で独裁体制を敷いていたスターリンは、チャーチルの演説から7年後に死去した。

その3年後に第1書記のフルシチョフがスターリンを批判してから50年がたった。

ロシア革命から数えれば来年で90年になる。

 20世紀は「戦争と革命の世紀」とも言われた。

中国は「鉄のカーテン」演説の3年後に革命で生まれた。

人口13億余に達したその国が今、世界から一段と注目されている。

 国全体では2けた近い経済成長を続けながら、


農村では衣食住の最低レベルの生活すらできない人が2千万人以上いる。

都市の急激な経済発展と裏腹に、農業・農村・農民の「三農問題」が大きな壁になっている。

深刻な環境汚染は日本の戦後と重なって見える。

 中国は日本と一衣帯水の地にある。

これからどうなってゆくのかが気がかりだ。

互いに無用のカーテンを下ろすことなく、しっかり向き合っていければいいのだが。




中国とは政冷経熱と言われて,小泉首相の靖国参拝のお蔭で政治は冷えている。

でもお隣同士で昔から中国とは深い関係が続いている。

中国に学んだ時代があり,戦争した時代もあった。

国民同士の交流は続いている。近い例で京都の清水寺に行くと門前町も寺院内も中国の人たちで

ひしめきあっている。中国にいったような錯覚にとらわれるくらい中国語が沢山聞こえてくる。

入寺代金が他の大寺院に比べて300円で安い。

中国の人のためによるのかと思われるほどである。中国と一番にこれから仲良くして行かねばならない。






耐震強度を計るものさしが
複数あることが報じられた






3月8日の天声人語からの引用


「度量衡」の度は長さ、量は容積、衡は重さをあらわす。

日本に初めて度量衡の制度ができたのは701年、大宝元年の「大宝律令」によるとされる。

 「刑部(おさかべ)親王・正三位藤原朝臣不比等……を遣して律令を撰定せしむ。

是に於て始めて成る……始めて度量を天下諸国に頒つ」(『続日本紀』現代思潮社)。

度量衡のものさしが幾つもあったのでは、世の中が混乱する。

それを統一するのは権力者で、力を世に示すことでもあった。

 マンションなどの耐震偽装の問題を巡って、耐震強度を計るものさしが複数あることが報じられた。

偽装によって耐震強度が足りないとされた東京都新宿区のマンションについて、

新しい構造計算法で計算し直したところ、一転して「安全」となった


 どの計算法を使うかによって「強度」が変わるのでは、その値で線引きする公的支援の仕組みが揺らぎかねない。

買って住む人の安全を第一に考えているのか、という疑問もわく。

 明治期に「米屋の嫁」と題する絵が小学校の「修身」で使われたことがある。

座った女性の前に米をはかる枡(ます)が二つある。

大きさが少し違っていて、女性は驚いた様子で描かれている(松本栄寿『「はかる」世界』玉川大学出版部)。

舅(しゅうと)から大きい枡で米を仕入れ、小さな枡で売るように言われ、

「あまりのひどさに、女性が嫁ぎ先を去り実家に帰らせてもらうと言うと、舅もその意見を変えた」

 同じ一升の米をはかる枡に違いがあってはよろしくない。

まして安全をはかる枡なら、誰もがうなずけるしっかりしたものがいい。





本当に安全かどうかが問題である。尺度はそのための手段である。

地層とか構造物の内容により安全性が変るのではないかと素人として考える。

でも法律はお金儲けのために,歪めてもらいたくない。





沖縄返還される土地の原状回復の補償費
400万ドルを日本政府が肩代わりする密約





3月9日の天声人語からの引用


外務省の電報案なるもの及び沖縄駐留の給油機が問題となる。

調査を要する」。1972年、昭和47年3月27日、佐藤栄作首相は日記にこう書いた

(『佐藤榮作日記』朝日新聞社)。

 当時国会では、社会党議員が、米国との沖縄返還交渉の疑惑を取り上げていた。

外務省の極秘公電の写しを示し、

返還される土地の原状回復の補償費400万ドルを日本政府が肩代わりする密約があると迫った。

政府は全面的に否定した。


 翌月、毎日新聞記者と外務事務官が、公電を漏らした疑いで逮捕された。

その日、首相は記した。

「この件としては一段落だが、この節の綱紀弛緩はゆるせぬ。引きしめるのが我等の仕事か」

 当時、対米交渉にあたっていた吉野文六・元外務省アメリカ局長が先日、この密約があったことを認めた。

国会で追及された時には、「いま先生がおっしゃったようなことは全然ございません」などと繰り返していた。

その人の、逆の証言は重い。

 吉野元局長は、こうも述べた。

「沖縄が返るなら日本が払いましょう、ということになった。

佐藤栄作首相の判断だった」。


34年前、佐藤首相は何を思いながら「電報案なるもの……調査を要する」と書いたのだろうか。

 政府は今回も、「全くそうした密約はなかったと報告を受けている」などと否定している。

これほどの証言があるのに、永遠に白を切り続けるつもりなのか。

折しも、在日米軍の再編で、巨額の費用負担などを巡る交渉が続いている。

「沖縄密約」には、遠い昔の出来事ではすまされない現実味がある。



「密約」は国民側から見ると明らかに犯罪行為である。

一人の人物が勝手に一国の事を決するのは如何なものか。

民主主義とは国民の意見の集約したものを具現するのが政治家の仕事である。

政治家は権力を握れば勝手放題なことをしでかすのが今までの実体である。

密約がわかるのは遥か後世になってからのことである。

昭和47年まで沖縄はアメリカの占領下にあった。

今も日本全体がアメリカの占領下にあるのではないかと思える事が続出している。

それは中国とは全く違う所である。中国は共産党下で貧富の差は日本よりさらに激しい。

アメリカに何故にグァム移転で大金を支払う必要があるのか判らない。




双方合わせたのが遺失物で、
それが拾われて拾得物となる






3月10日の天声人語からの引用


忘れ物と落とし物は違う。

電車の棚に置いてきた物を、落とし物とは言わない。

いつの間にかポケットから消えた鍵を忘れ物とは言わない。

双方合わせたのが遺失物で、それが拾われて拾得物となる。

 拾得物で一番多いのは、やはり傘類だという。

警察庁の04年の統計では約15%を占め、次いで、裸の現金、小物の衣類、財布類となっている。

全体では1千万点を超えた。


 遺失物法の改正案が先日、閣議決定された。

膨大な品々を効率的に処理するため、6カ月だった拾得物の保管期間を3カ月に縮める。

また、警察署ごとに管理している情報を集約して、インターネットで公開するという。

時の流れを映す改正だが、要は、再び手にしたいと望む人にできるだけ早く、

より多く戻る仕組みになればいい。

 現代ドイツの作家ジークフリート・レンツの小説『遺失物管理所』(新潮社)は、

忘れ物や落とし物を巡る人模様を描いている。

駅の管理所を舞台にして、婚約指輪や芸人のナイフ、僧服などにまつわる物語がつづられる。

 窓口で、物をなくして駆け込んで来る人や届け出る人に日々応対している青年ヘンリーが語る。

「嘆いたり、不満を口にしたり、自分を責めたり。

そして、希望の光が差し込んできたり、ぼくがうまく慰めたりできたときの、

あの喜びよう……ぼくまでその人に負けず劣らず幸福な気分になってしまうんですよ」(松永美穂訳)。

 なくす、届ける、見つける。あるいは、見つからない。

現実の警察や駅の遺失物管理所でも、それらが日々交差している。






遺失物は殆ど戻る事がない。財布にいたってはなくすれば戻る事がない。忘れ物をすることが良くある。

寺院内での忘れ物は戻る事が多い。やはり不心得な人が少ないせいなのか。



「改革なくして成長なし」を副題に掲げた

3月11日の天声人語からの引用



量的緩和を解除し、ゼロ金利は当面維持する……。

この日本銀行の政策変更によって、日本はどうなってゆくのか。

専門家の間でも、「役割は終わった」、あるいは「当面続けた方が良かった」と見方が分かれた。

 先月93歳で亡くなった都留重人さんは、経済の「平熱」を計ることの難しさを説いていた。

人間には平熱があり、体温計を使って危険信号を読める。

「経済のばあいには、平熱とは何かということについて、専門家のあいだでも、なかなか意見が一致しないのだ」

(『経済を見る眼』岩波新書)。

 日本の戦後を代表する経済学者の一人で、リベラルな論客だった都留さんは、一橋大の学長などをつとめた。

1947年、昭和22年には、最初の経済白書を執筆している。

当時は「経済実相報告書」という題だった。

日本をどう再建するのかを世に問うた異色の白書として読み継がれ、

後年『第一次経済白書』として講談社学術文庫に収録された。

 こんなくだりがある。

「経済が危機に立ったときには、われわれは否応なしに、ものごとをいままでになく

透明かつ直接的につかむことを余儀なくされもするし、またそうしなければならない」

 2001年の経済財政白書は、小泉内閣のキャッチフレーズ「改革なくして成長なし」を副題に掲げた

そのころ都留さんは「成長それ自体を目的とすべきではない」と語っている。

 
「成長」という言葉に振り回されることなく、ものごとを透明かつ直接的につかむようにとの思いが込められていたのだろう。

改めて、かみしめたい。







成長は誰のためにあるのか。大勢の犠牲の上に成長があるならばそのような成長はいらない。

何のための成長なのか判らない。はっきりと言える事は「国民を騙し騙しして自己の政権をまっとうした事である。

戦争されるよりもましかの時代の小泉政権の時代であった。変人首相の「改革なくして成長なし」

は何をどのように変え何が成長したのかさっぱり見えてこない。

政権を維持した期間だけは誰にでもはっきりと見える。言葉の魔術でもって強引にことが進んだような

政治としか思えない。お札の模様の顔が変ったのも目に見えた変化である。






「数独(すうどく)」という日本ゆかりのパズルだ



3月12日の天声人語からの引用

失業者が街にあふれた大恐慌時代、米国ではジグソーパズルやクロスワードが大変な人気を集めた。

紙片をつなぎ、隠された言葉を探すことで、人々は現世のつらさを一時忘れた。

 いま欧米でジグソーやクロスワード以来の流行と言われているのは「数独(すうどく)」という日本ゆかりのパズルだ。

書店や駅売店にはsudokuと題するパズル本が並び、高級紙が娯楽面で出題を競う。

あまりの熱中ぶりに「乗務中は数独禁止」と社員に命じた航空会社もある。

 世界的な流行は東京都台東区の小さな出版社から始まった。

社員18人のニコリ社だ


社長の鍜治(かじ)真起(まき)さん(54)が20年ほど前、

縦横9列のマス目を数字で埋める古い遊びを見つけ、自社のパズル誌に載せた。

1から9まで一桁(けた)の数、言わば独身の数しか使わないパズルだから、数独と名付けた。

 ニュージーランド出身の元判事が日本を旅行中、たまたま書店で数独を見て夢中になる。

自分で大量に作問し、英タイムズ紙に新企画として持ち込んだ。

一昨年の秋に掲載が始まると、他紙も懸賞品をつけて追随した。

昨年は米新聞界へ広がった。


 数独ブームをどう見るか。

「クロスワードと違って言語の壁がない」「数の神秘に触れる気がする」。

流行先の国々から記者がニコリ社を訪れ、盛んに分析を試みる。

「数独で鍛えるから日本の生徒は数学が強い」という記事もあったが、これは美しき誤解だろう。

 昨日までイタリアのルッカでは、初の世界大会も開かれた。

和名のパズル数独は、ジグソーやクロスワードのように長生きするのだろうか。


春めく風に誘われて、ふらりと旅に出たくなった。



数独にはさっぱりお目にかからない。何処で買うのだろうか。




平成の大合併が、今春で一段落




3月13日の天声人語からの引用


春めく風に誘われて、ふらりと旅に出たくなった

 南アルプス(山梨)の、みどり(群馬)が芽吹くころ、つがる(青森)平野に、さくら(栃木)は咲くだろうか。

ハイキングなら、妙高(新潟)、安曇野(長野)、八幡平(岩手)あたりが楽しそう。

 川くだりもいい。

千曲(長野)、阿賀野(新潟)、四万十(高知)や紀の川(和歌山)、吉野川(徳島)の清流を堪能したい。

島めぐりは淡路(兵庫)、佐渡(新潟)から江田島(広島)、長崎県の壱岐、対馬、五島を回り、天草(熊本)、

奄美(鹿児島)、宮古島(沖縄)にも足を延ばそうか。

 くつろぐには、やっぱり温泉でしょう。

下呂(岐阜)、あわら(福井)、那須塩原(栃木)に行こうか、九州の雲仙(長崎)、嬉野(うれしの)(佐賀)にしようか。

お湯につかって夜空を見あげれば、北斗(北海道)の星々が輝いているかもしれない。

 瀬戸内(岡山)で水遊びをして、阿波(徳島)で踊りあかすのも愉快だな。

伊賀(三重)と甲賀(滋賀)の忍者の里ツアーは、子どもが大喜びしそう。

おいしいものが食べたくなったら、

さぬき(香川)うどんも、魚沼(新潟)産のコシヒカリもある。

 いわゆる平成の大合併が、今春で一段落する。

3月末までの5年で、市は100ほど増える。

この間に誕生した新しい市の名前を並べただけでも、ちょっとした行楽気分に浸れる。

でも、本当に出かける時には地図を持ち歩こう。

伊達は北海道と福島にあり、山県(やまがた)は山形でなく岐阜にある。

匝瑳(そうさ)(千葉)や宍粟(しそう)(兵庫)なんて読みにくい名前も多いのだから。


確かに沢山な新しい市が多くできた。それは何のために行われたのかが理解がもうひとつ出来ない。

地方のボスが簡単に出来なくなったことと,まず政治が予算が大勢の人たちで行うから無駄が少なくなるのか。

でもマイナスの面として歴史ある地名が消失し,地帯の画一化が進行してくることだろう。




米軍基地だった




3月14日の天声人語からの引用


 昔、米軍の基地を「包囲」しようとしたことがある。

ただし、ひとりで、てくてく歩いて??。

東京西郊の立川基地は、戦後長い間、米軍基地だった。

大学の休みに基地沿いに歩いて、その大きさを実感しようとした。

まだベトナム戦争が続いているころだった。

 ゲートから、フェンスの外の道ぞいに歩いた。

しかし、行っても行ってもフェンスは途切れない。

かなりの暑さの中、3時間近く歩いたところで「包囲」を断念した。

地図を見ると、歩き終えたのは、まだ外周の半分足らずだった。

 立川基地は1977年、昭和52年に日本に全面返還され、やがて自衛隊の駐屯地や公園になった。

しかし戦後60年が過ぎても、返還されていない基地が全国には数多い。

 神奈川県の厚木基地の米空母艦載機を山口県の岩国基地へ移す計画を巡る岩国市の住民投票で、

「反対」が多くを占めた。市民の反対が強く切実なことが改めて示された

 あの遠い夏の日の基地「包囲」のころは、基地と日々隣り合って暮らす人々の切実さには、

あまり思いが及ばなかった。今、沖縄をはじめとしてこの列島にあり続ける米軍基地の多さを考えると、

日本は世界の戦場とつながっているという現実が目の前に迫ってくる。

 国の安全保障の問題では、地元の意向がすんなりとは通りにくいかもしれない。

しかし基地の存在が大きくなり重くなることは、その地の人々の日常を、より戦場と強く結ぶことにつながる。

自治体、政府の側はもちろんだが、基地から離れている身でも、それを忘れないようにしたい。





こんなに基地が多くなれば成る程にその地域の戦争での被害が多く出る事は間違いない。

そんなにどうして基地が必要なのか,?

まして首都に近いような所に何故に基地が必要なのか。

世界中に基地をばら撒いているアメリカは逆にその国を監視し,攻撃できる態勢にあるともいえるのでは

ないのだろうかと思いたい。

歴代の首相は黙々とそれを受け入れている。

世界中がそうならば世界一の覇権国家であることを如実に示している事となる。

日本国民が投票で反対を叫んでいても,基地を押し付ける国がそのような国が民主主義国家といえるのだろうか。

「民主主義」という言葉の遊びをば乱発しているアメリカの国である所のブッシュといえないのだろうか。




信頼していた相手に裏切られるようなことが発覚した場面



3月15日の天声人語からの引用


「三月十五日に御用心を」「なに奴(やつ)だ、あれは?」「占い者が三月十五日に御用心をと申しております」

「連れてまいれ、これへ……」。

シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』(岩波文庫・中野好夫訳)の一場面だ。

古代ローマの独裁者シーザーは、紀元前44年の3月15日に、元老院の議場で暗殺された。

 「ブルータス、お前もか」は、倒れる時の言葉だが、「わが子よ、お前もか」と伝える書もある。

いずれにせよ、信頼していた相手に裏切られるようなことが発覚した場面で使われる一言となった。

 先日来の日本航空の内紛では、経営陣の交代を要求して「連判状」がつくられたという。

その中にある名前を知って、「お前もか」などと誰かがつぶやく場面があったかも知れない。

 日々、大勢の人の命をあずかっている航空会社が、内紛などにかまけていていいはずはない。

日航には、しっかり立て直してもらいたいと思っていたら、

今度は、低価格の運賃が売り物だという航空会社で、問題が発覚した。

 新興のスカイマークエアラインズで、旅客機の機体に付いた傷を抜本的に修理せずに、

期限を9カ月も超過して飛ばし続けていたという。

いったん事故が起きてしまった時の惨状を考えれば、いくら小さな傷でも放置できないはずだ。

 航空業界では、安全や安心への国民の信頼を裏切るような出来事が絶えない。

大事に至る前に発覚したからいいようなものの、こんなことが一体どこまで続くのだろうか。

シーザーの一言を、しばらくは忘れたい気にもさせられる。





競争社会が招いた成果或いは結果ともいえる。安全と効率はどうしても相反するところがある。

両立はむづかしい。安全を本分とする所は国家が責任をもってやるべき事柄で,

何もかも民間に移行して競争させれば安くですむとの発想が狂っている。

狂った発想の首相は早く辞めて欲しい。



前原代表の手元の小法師は倒れたままだった



3月16日の天声人語からの引用


衆院の副議長を長く務め、民主党の国会対策委員長に今月就任した渡部恒三氏は、

党内では「黄門さま」とも呼ばれているそうだ。

その渡部氏が役員会で取り出したのは、印籠(いんろう)ならぬ「起きあがり小法師」だった。

地元会津の民芸品で、倒れても起きあがる縁起物だが、前原代表の手元の小法師は倒れたままだった。

 「転び方が悪かったのかなあ」と渡部氏。

小道具を操りながら、とぼけた感じを漂わせる。

苦境に沈む党を何とか持ち上げようと、ひなびた芝居を演じているようにも見える。

 きのう、民主党と永田寿康議員の連名の「『偽メール』に関する謝罪文」という広告が新聞に載った。

「メールは全くの偽物」とし、「事実無根」を2度繰り返す。

白旗を掲げて早々に幕を引きたいのかも知れないが、これで反転攻勢に回れるのだろうか。

 若い日の渡部氏は、後に自民党の総裁になる石橋湛山氏に傾倒していたという。

石橋氏は1956年、昭和31年12月に首相に就任したが、翌1月に病に倒れ、

2月には党幹部らに辞意表明の書簡を書いた。

「友人諸君や国民多数の方々からはそう早まる必要はないという御同情ある御考えもあるかもしれませんが、

私は決意いたしました」(『石橋湛山全集』東洋経済新報社)。


 国会の審議に出席できない以上、辞任すべきだとも記した。

国会は常にその機能を十分に果たさなければならない、という国民への義務感が読み取れる。

 このところ国会では、国民の暮らしとは関係のない騒ぎが続いた。

そろそろ、こちらを向いてもらいたい。



渡部氏はなかなかに味が有る人である。こんな人では日本の首相はつとまらないのだろうか。

最近は政府と財界との軋轢場面を見なくなってきている。

そんな所が格差社会を作る原因となっているのだろうか。




裁判員制度が、09年5月までに導入




3月17日の天声人語からの引用


くじで選ばれた市民が、裁判官とともに事件を審理する。

そんな裁判員制度が、09年5月までに導入される。

全国の市民と裁判官を対象にした最高裁のアンケートで、

市民の「判決」に大きなばらつきがあることが分かった。

 「生活費のために借金を重ねた男が、取り立てに来た知人を包丁で刺殺した」という例で、

相当と思われる量刑を尋ねると、裁判官の意見は懲役10年前後に集中した。

市民の方は、死刑から執行猶予まで様々だった。

 市民の常識を裁判に反映させるのが新制度の狙いだという。

これだけ開きがある市民の見方をどう裁判に反映させるのか、そして適切な判決が得られるのか。

なかなかの難問だ。

 難しいのはそれだけではない。

実際の裁判では、罪を犯したかどうかが激しく争われ、審理が長くなることもある。

仕事やいろいろな事情を抱える中で、選ばれた人たちが本当に裁判員になってくれるのかという疑問も残る。

 日本で市民が裁判の判決に加わるのは、裁判員制度が初めてではない。

大正時代に陪審法が成立し、昭和の初期から15年間は陪審制があった。


陪審員の条件にこうある。

「男子ニシテ三十歳以上タルコト……国税三円以上ヲ納ムルコト……読ミ書キヲ為シ得ルコト」。

陪審員を辞退できる条件の一つには「六十歳以上ノ者」とある。

裁判員法では「年齢七十年以上の者」となった。

 二つの法律の成立には約80年の隔たりがあり、社会のありようは変わった。

しかし、法廷に立つ市民の緊張感は変わるまい。

それが、法廷の新鮮な目となる可能性がある。




アメリカの慣習を真似ての裁判制度が発足しそうだ。

これでよいのだろうか,日本人の慣習に馴染んだ制度かどうかである。

犯罪は巧妙になりつつある中での慣れない市民がどれだけに真実に迫れるかどうかである。

法律を詰め込んだロボットにでも判断してもらう方が今の日本に合っているのかもしれない。




イラク戦争が始まって、20日で3年




3月18日の天声人語からの引用


イラク戦争が始まって、20日で3年になる。ブッシュ米大統領は、開戦の1カ月半後に、

主要な戦闘作戦が終結したと宣言した。

しかしイラクでの戦闘は今も続き、テロもやまない。

 今週も、イラク駐留の米軍が「テロ容疑者の拘束」のためとして民家を攻撃し、

子どもや女性を含む市民が死亡したと伝えられた。


ほかにも、米軍は中部地区で「イラク戦後最大規模となる掃討作戦を始めた」と発表した。

イラクの現実は、「戦後」という言葉からは懸け離れている

 イラク人の死者は、民間人だけで3万人を超えたとされる。

米側の死者は2千人を超え、英国は100人に達したという。

犠牲者の無念や、家族の嘆きの深さは計り知れない。

 この戦争は、国際社会の総意ではなく、ブッシュ政権に他国が追随する形で始まった。

先制攻撃の理由に掲げた大量破壊兵器は、結局無かった。

この「大義なき戦争」を小泉政権は支持し続けた。

 ブッシュ氏は、フセイン政権の圧制からイラク国民を解放したという。

だからといって、世界を巻き込み、おびただしい犠牲者が出たこの戦争を正当化できるはずもない。

 ブッシュ氏が16日に発表した「国家安全保障戦略」では、

強硬な姿勢をやや、やわらげ、外交に比重を置く構えがうかがえる。

「大義なき戦争」への反省が込められているのか。

それともそんな気はないのに、ここで変更した方が今後の国益にかなうということなのか。

超大国が、その時々の国益にかなう物差しを世界に押しつけるだけでは、

恐れられはしても、敬意は得られまい。






泥沼化したイラク戦争で,強制的にアメリカが政権を交代させただけの事である。

戦争はいつまでも続くであろう。油田だけにアメリカ軍を駐留させる方がイラクの人たちの

被害がすくなくてすむとおもえる。

今のままならば第二のフセインが出現するまで内戦は続くのではないのか。

アメリカは恐れられはしても、敬意は得られまい




全国にお寺は約8万あるが、後継者不足




3月19日の天声人語からの引用


戒名には院、居士、信士など号がつくことが多い。

その違いを「院は浄土へのグリーン席、居士は指定席、信士は自由席」と座席料金にたとえて講釈する寺がある。

「せっかくならグリーン車で」。戒名料を奮発させようという魂胆のようだ。

 「何ともあざとい商法。仏の教えからほど遠い」。

そう嘆く文化人類学者で東工大助教授の上田紀行さん(47)によると、

全国にお寺は約8万あるが、後継者不足はいよいよ深刻だという。

ある宗派の調査では、同門の35%が無住になる不安を抱えていた。


 そんな中、住職を公募する寺が仏教界で話題を呼んでいる。

新潟市の妙光寺で、求めているのはこんな人材だ。

年齢25〜30歳、大卒で就労経験があり、仏教を学ぶ意欲が高く、

人の話を誠実に聞ける方。

修行中は月12万円が支給される。

 彼岸を前に訪ねると、妙光寺は過疎地の荒れ寺ではなかった。

子や孫がいない人も永代供養を受けられる霊堂をいち早く開き、県外会員が多い。

財政は安定し、檀家(だんか)の動きも活発という。

それなのに公募に踏み切ったのはなぜか。

 「お寺は世襲と決めてかかる必要はありません」と住職の小川英爾さん(53)は話す。

4人の娘はそれぞれに進むべき道を選んだ。「婿をもらえ」と強いるつもりはない。


自ら決めた60歳で退職する前に後継者を育てておこうと考えた。

 ともすれば宗門の古い殻にこもりがちな仏教界だが、改革の芽はたしかに伸びている。

若手の僧侶らの間で流行している言葉の一つは「ボーズ・ビー・アンビシャス」。

坊さんよ大志を抱け、である。





人心の荒廃と宗教心への目覚めは反比例する。昔道徳教育があった。それに近い倫理教育があっても

良いのではないだろうか。靖国神社問題と同じで,政治と宗教とのかかわりをもって真剣に検討すべきである。

こんな評論家が出現している限りにおいては宗教界は救われない。







巡回診療車を運転して




3月20日の天声人語からの引用


高橋克彦さん(50)は国立病院機構・沼田病院の車庫長である。

もう1人の運転手と交代で、週に2回、巡回診療車を運転して、群馬県北部の山間部を回る。

乗るのは医師と看護師、事務職員だ。

 トラックなどを改造した車は4台目、車庫長は3代目だ。

8コース、29カ所を約1カ月で一回りする。

35年に及ぶこの巡回が、公務員の地道な活動に贈られる人事院総裁賞に選ばれたのを機に、

車に乗せてもらった。


 この日のコースは4カ所だ。国道からはずれ、雪に覆われた畑のそばで止まると、お年寄りが数人乗ってきた。

「病院は近くにないし、バスは本数が少ない。とても助かる」。

医師が「体調はどうですか」と聞く。

血圧の高い人が多いようだ。風邪気味なので、と薬をもらう人もいる。頼もしいかかりつけ医なのだ。

 初代の車庫長を務めた小野里和夫さん(73)は「昔はほとんど舗装がなく、雨が降ると、ぬかるみのようになった。

チェーンをつけて山道を上がったものです」と語る。道は良くなり、自家用車も増えた

しかし、車を持たないお年寄りは今も少なくない。

 年間延べ2千人を超えていた受診者は、1700人ぐらいに減った。

経費がかかり、回り持ちの医師の負担も大きい。


それでも、前村道生副院長は「高齢化が進む中で、お年寄りを見捨てるわけにはいきません。

なんとか続けていきたい」と話す。

各地で巡回診療に携わる人たちも同じ思いだろう。

 4カ所目の診療が終わり、高橋さんが運転席に座る。

「待っている人がいる。それだけでも来たかいがあります






政治によって道を良くし,自動車の普及させることによって無医村の困難は克服される。

同じようなレベルの医療を国中に普及させるには救急車,救急ヘリコプターのような交通手段でもって

政府の手で改善させる事である。採算は絶対に合わないことは明々白である。

民でできることは民でも,これだけは官でもってしか出来ないことである。

減っていく過疎地の医療をば充実させるにはこれしか方法がない。





彼岸の中日




3月21日の天声人語からの引用


昨日、東京の都心部の墓地を通ると、前日の嵐で吹き飛ばされた花が幾つも墓の間に落ちていた。

彼岸に入ってから供えられたような新しい花もあった。

 「今日と言ふ日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀(ひばり)は天に翔(かけ)り過ぎて、

帰ることの出来ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た」。

国文学者で歌人でもあった折口信夫の小説『死者の書』(中公文庫)は、彼岸が物語の節目になっている。

 舞台は奈良の都だ。貴族の姫・郎女(いらつめ)が、春の彼岸の中日に念願の千部の写経をなしとげる。

その夜、神隠しに遭ったように屋敷から姿を消す。


そして郎女と、以前に刑死して山に葬られた皇子(みこ)の魂の交感がつづられてゆく。

 この幻想的な小説を原作にして、人形美術家の川本喜八郎さんが監督した人形アニメーション映画「死者の書」が、

東京・神田の岩波ホールで公開されている。

NHKの「三国志」の人形制作でも知られる川本監督は、生身の人間が演ずる時につきまとうにおいのない、

澄明な世界をつくりあげた。

 郎女は、皇子の魂を鎮めようとして一心に機を織る。

義務や理屈ではなく、何かにつかれたようにして持てる力を尽くし、完成させる。

ひたむきな表情に、やがてやすらぎも宿った。

 現実の世界ではまぶしすぎるような営為が、人形の細やかなしぐさや表情によって真実味を帯びる。

川本監督は、「過去の戦争や現在のテロが生み出す、すべてのやすまらぬ魂のことを思って作った」と述べている。

郎女は、ひたむきさが秘める可能性を静かに示しているようだった。





何時までも彼岸日は忘れられない日本であることを願いたい。




野球その強豪相手の決勝戦で、
日本チームは見事に優勝





3月22日の天声人語からの引用


「勝利に向かって常に前進せよ」。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にキューバチームが出発する前、

カストロ議長は、盟友だった革命家チェ・ゲバラの言葉を選手たちに贈ったという。

 スポーツライターの鉄矢多美子さんは以前、ハバナのレストランの入り口に、

ゲバラが打席に立つ写真が掲げられているのを見た

。そこのメニューの最後には、こう記されていた。

「野球は、生き残るためキューバにやって来た」(『熱球伝説』岩波書店)。

 キューバは米国とは犬猿の仲だが、野球熱は同じように高い。

野球が国技で、五輪でも金メダルを三つ獲得している。


その強豪相手の決勝戦で、日本チームは見事に優勝を決めた。

 対米国戦では、飛球のタッチアップで米国の審判が疑問の判定をし、日本は敗れた。

韓国にも負けて絶望感が漂う中、米国がメキシコに敗れてやっとよみがえった。

 目の前が暗くなるようなことがあっても、いつかは光が差し込んでくることがある。

決してあきらめずにいれば、最後には勝利をつかめるかもしれないということを、日本チームは身をもって示した。

 審判に限らず、大会の運営では多くの問題点が指摘された。

そもそも米国は、国内の選手権試合をワールドシリーズと呼んでいる。

WBCというもう一つの「世界」と共存できるのかとの疑問が残る。

それはともかく昨日は、選手それぞれを生かし切った「世界の王」が、「世界一の王」となってグラウンドに舞った。

晴れやかな顔に刻まれた年輪が、いぶし銀のように輝いていた。



世界一になった王監督率いるオールジャパンの世界野球に見て一喜一鬱していてテレビ観戦していた。

イチロウのハッスルする姿が印象的で,野球で日本中をわかしたのは久しぶりでなかったか。

「対米国戦では、飛球のタッチアップで米国の審判が疑問の判定をし、日本は敗れた」のが印象的で

ナショナリストになっている。

こんな野球での各国応援合戦は大いにやっていて良い。

だが竹島問題なんかのような国際問題ではできるだけ冷静でありたい。




フリーマーケットの会場に行ってみた
話題になっている「PSEマーク」は付いてない




3月23日の天声人語からの引用


先日、フリーマーケットの会場に行ってみた。公園の中が小さく仕切られ、数十の露店が出ていた。

それぞれが家から持ってきたようなものが並ぶ。

衣類が目に付くが、電気製品もある。

 テレビ、ビデオ、ラジカセ、トースター、ゲーム機。

年季の入ったものが多い。

見たところ、最近にわかに話題になっている「PSEマーク」は付いてない。

 このマークは、漏電などの検査を通った製品にだけ許される安全性保証の印だ。

それのない家電製品の販売を規制する法の施行は5年前だったが、


猶予期間が過ぎて来月から規制されるという。

 規制の対象は中古品を扱う業者なので、フリーマーケットで売るのは問題ないというが、

「生業にしていれば事業者とみなされる」と経済産業省。

販売量や売上額に目安はないというから、線引きはあいまいだ。

経産省は土壇場に来てから、希少価値の高い「ビンテージ楽器」を規制から外すことにした。

希少かどうか、こちらもあいまいだ。

 家に戻って身の回りを見た。テレビ、ビデオ、冷蔵庫。あのマークが付いたものはない。

それだけ付き合いが長いことを物語る。


見かけで中身まで健全かどうかは分からないが、まだ働いてはいる。

当分は、この品々を道連れにしようと思った。

 家の中はそれでもいいとして、これまでリサイクル市場で活用されていた「普通の品々」はどうなるのか。

中古品が規制の対象になることを、経産省がホームページで広く周知し始めたのは今年2月だった。

混乱のもとは、こんなところにもある。




PSEのマークがあったのは全くに知らなかった。喧しくマスコミで報道されてから知る。

安全には出きる限りの努力が必要である。

新しいものが売れなくなるといけないのでPSEはあまり宣伝しなかったのかどうか。

高価なものはそんなに買い換えられない。電気製品は10年以上使われているのが普通である。




教育の現場に表れている格差



3月24日の天声人語からの引用


授業料の免除や給食費の援助を受ける生徒、児童が増えているという。

その一方、学費がかさむ私立中の受験が増え、東京では4人に1人が受けたという進学塾の調査もある。

新しい格差のようなものが、できつつあるのだろうか。

 文部科学省によると、04年度の調査では、

全国の都道府県立の高校で11人に1人が授業料の免除や減額を受けていた。

地域や学校でかなりの差があるものの、全体の人数は8年で倍増した。

 公立の小中学校で、文房具代や給食費、修学旅行などの援助を受けた児童、生徒は、

04年度までの4年で4割近く増えた。東京都内には、受給率が7割に達した小学校もある。


 その学校で、卒業文集のテーマを「将来の夢」にしようとしたが、3分の1の子が何も書けなかったという。

子どもたちが、夢や希望を思い描きにくくなってきているのなら、まことに痛々しい。

 作家・村上龍さんは、近未来小説『希望の国のエクソダス』(文芸春秋)の中で、中学生にこう言わせた。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

 村上さんは、本紙のインタビューには、こう述べている。

「子どもは、20年後、30年後の自分の姿を、いまのおとなに見ようとする。

親たちの世代は、ちっとも楽しそうじゃない。

おとなたちを見ていても希望が持てない」

 その時々の子どもたちは、大人の姿を映してきた。

いわば、大人の鏡だ。

今、教育の現場に表れている格差のようなものも、大人の世界のそれを映し出している。





所得の格差が教育の現場にも反映してきている。昔は親の収入の少ない家庭の子弟が国公立大学に入っていたのが

今では親の収入が多いものしか大学に入れなくなってきている。

政治の歪みは社会の隅々まで反映してきている。競争社会は一方では弱肉強食社会を作っている。

「改革・改革」の言葉の裏にはそのような社会を作り出されてきている。



営業運転を始めたばかりの原発に、
運転差し止めの判決が出た





3月25日の天声人語からの引用


原子炉で燃料が核分裂する。

高温の蒸気がタービンを回して電気が起こされ、それが街へ流れてゆく。

先週、営業運転を始めたばかりの原発に、運転差し止めの判決が出た。

 金沢地裁が、石川県の北陸電力・志賀原発2号機について、

巨大地震による事故で住民が被曝(ひばく)する具体的な可能性を認めた。

営業中の原発を差し止める判決は初めてで、判決そのものが「激震」のように政府や電力業界を揺さぶった。

 判決は、国の地震調査委員会が、原発近くの断層帯で巨大地震の起きる可能性を指摘したことを挙げてこう述べた。

「電力会社の想定を超える地震動が原子炉の敷地で発生する具体的な可能性があるというべきだ」

 原告の住所は16都府県に及んでいる。

判決は、最悪の場合は、一番遠い約700キロ先の熊本県に住む原告でも許容限度をはるかに超えて

被曝する恐れがあると述べた。

この指摘は「地球被曝」ともいわれた旧ソ連チェルノブイリ原発の事故を連想させる。

来月で事故から20年になるが、周囲では今も高いレベルの汚染が続いている。

 原発事故が特別なのは被害が一過性ではないことだ

極めて毒性の高いプルトニウムの放射能の半減期は2万年を超す。

それだけたっても、半分になるだけだ。

 原発の設置の検討は慎重にし、運転や管理にも細心の注意を払わなければならない。

ところが今度は、東京電力の福島第二原発で、配管のひびを検査で見逃していたことが分かった。

日本に「原子の火」がともって来年で半世紀。原発との付き合い方を、改めて考えたい。





旧ソ連チェルノブイリ原発の事故を思い出すまでもなく,原発は危険がはらんでいる。

だからこのような場所への政府の配慮は特別なものが必要である。

注意せよだけではいけない。それだけの勤務体制など配慮の維持が必要である。





どの1冊を選びますか



3月26日の天声人語からの引用


無人島で読むなら、どの1冊を選びますか。

米国の図書館や大学はそんなアンケートが好きだ。

『カラマーゾフの兄弟』や『失われた時を求めて』などが並ぶ。

名作は名作でも、ふだんは先延ばしされがちな大著が目立つ。

 これがもし塀の中なら何を読むだろう。

いつか取材に訪れた関東地方の刑務所で、

受刑者たちが愛読するのは六法全書と国語辞典だと聞いたことがある

六法で刑の重さや釈放の時期に思いをはせ、空いた時間は辞書でまぎらわす。

そんな心理らしい。

 「今から思えば独房生活は読書と思索に最良の環境だった」。

外務省元分析官の佐藤優氏は昨年出版した『国家の罠(わな)』(新潮社)でそう振り返った。

勾留(こうりゅう)512日間に計220冊を読む。

なかでも南北朝を描いた『太平記』やヘーゲルの『精神現象学』に読みふけったという。

 同じ東京拘置所で、ライブドアの堀江貴文前社長は、

司馬遷の『史記』や山崎豊子著『白い巨塔』を読んでいるそうだ。

太古の覇王や医学部教授の波乱の歳月を独房でたどりつつ、胸に去来するのはどんな思いか。

 そういえば政財界の黒幕として知られた児玉誉士夫氏も、

府中刑務所や巣鴨プリズンで古今の名著に触れている。

「同じ本でも違う気持ちで読める。

一字一字ぴんぴんと頭の底にきざみ込まれて行く」と『獄中獄外』(広済堂)に記した。

 人生の危機にひもとく名作はひときわ滋養が高いのだろう。

投獄されて思索を深めた先人も少なくない。

もちろん凡人が読むには、孤島や獄舎でなく、自宅や通勤電車内の方が望ましいけれど。




人生は時間との戦いでも有る。ゆっくりと読書もしたいし,身体のためには運度も大切である。

情報の入る手段は現在は急速に増えて来ている。テレビ インタネット DVDの鑑賞 読書などなど

沢山なことがある。ゆっくりと読書する機会も少なくなってきているのは確かだ。





日本人は、外国語学習には熱心な方だ




3月27日の天声人語からの引用

「2カ国語を滑らかに話せる人をバイリンガル、多くの言葉が出来る人をマルチリンガルと言う。

では、1カ国語しかできない人は」 最近、取材で会った米国人に問いかけられた謎かけだ。

正解はアメリカン(米国人)である。


英語がどこでも通じると思い、外国語を学ぼうとしない米国人の驕(おご)りをちくりと刺す冗談だ

一方、日本人は、外国語学習には熱心な方だ。

本屋をのぞくと、新学期を前にNHKの英語テキストが山積みされている。

 テレビとラジオで計13種類もある。

学生時代に世話になったが、ずいぶんと増えたものだ。

付属教材のCDもあるし、タイマー録音もできる。

眠い目をこすりながら、早朝のラジオに耳を傾ける必要もない。

 戦後まもなく英語講座を担当した故小川芳男・元東京外語大学長は、生放送だったため、

毎朝4時に起きて、始発電車で放送局に向かった。

教える方も教えられる方も、一発勝負だった。

 語学の天才と言えば、19世紀にトロイの遺跡を発掘したドイツ人のシュリーマンが有名だ。

生涯に十数カ国語をマスターし、欧州の現代語ならば6週間以上はかからなかった。


こつは、寸暇を惜しんで愚直に文章を暗唱することだった。

英国国教会の説教を口まねして、英語の発音を習得した。

教材があふれて迷う時代は、逆に不幸なのだろう。

 外国語は難しい。

しかし、それは、自分たちと違うものの見方や感じ方を知る苦労でもある。

グローバリゼーションが文明間の対立を招く今のような世界をみると、その労を惜しんではいけないと思う。



確かに英語が世界を制覇している。科学の力の差であることは間違いない。

戦争の力とは別に違う。日本ではまだ古文を学ぶ必要がある。

現在の言葉は読めても漢文 古文が読めなければならない。

勿論外国語の習得も必要であるが。




富山県の射水市民病院で、
7人の患者が人工呼吸器を外されて死亡





3月28日の天声人語からの引用


明治期から昭和にかけて、文明批評に健筆を振るった長谷川如是閑に、こんな言葉がある。

「生命は刹那(せつな)の事実なり、死は永劫(えいごう)の事実なり」(「如是閑語」)。

死の永遠性に比べれば、生きている時はあっという間だと、生あるものの切なさを述べる。

 刹那の側から永劫の方へと移る境目を、どんな状態で迎えるのか。

自分の意思はどう扱われるのか、果たして意識はあるだろうか。

死というものを考える時、そんな思いもよぎる。

 富山県の射水市民病院で、7人の患者が人工呼吸器を外されて死亡していたことが分かった。

病院によれば、患者は意識が無く回復の望みがない状態で、

治療の責任者だった外科部長はいずれも家族の同意を得て外したという。

7人とは別に、呼吸器を外されかけた患者があり、

その家族は「取り外しについての説明はなく、外すようお願いしたこともない」と語る。

生と死の境目の場面での証言が食い違っている。

 病院側は、外科部長の行為が「延命治療の中止措置」だったとして「倫理的、道義的に問題があった」と謝罪した。

延命中止についての国の指針は、まだできていない。

 厚生労働省の02年度の調査では、自分が末期がんなどで痛みを伴い、

余命に限りがある場合、単なる延命治療は中止して欲しいとする市民が7割強を占めた。

前もって延命治療を拒否する考えを文書で残す「リビング・ウィル」に賛成する人は初めて半数を超え、6割となった。

 死は直視し難い。

しかし、いつかは訪れる。

あらかじめ対応を考えておくのもいいのかも知れない。



生命維持装置を装着すると死亡されずに生き長がならえるらしい。

それで本当に元気に生き返られるかどうか無理のようだ。

管にだけに頼り生きる命とは考えさせられる。

生命維持装置がない時代は当然死んでいた命である。



かつてオウム真理教は



3月29日の天声人語からの引用


外務省、建設省、郵政省、厚生省、防衛庁。

かつてオウム真理教は、内部組織にこんな名前をつけていた。

多くの人々が殺傷されたオウム事件は、いわば妄想された国家による

現実の国家への攻撃という一面があった。

 「省庁」の頂点に居たのが元代表の松本智津夫(麻原彰晃)被告で、「神聖法皇」などとされていた。

その松本被告について、東京高裁が27日、弁護側の控訴を棄却し、裁判の手続きを打ち切る決定をした。

異議が認められなければ、13の事件で殺人などの罪に問われた「教祖」の死刑が、

控訴審で一度も公判が開かれないまま確定する。

 来月で初公判から10年がたつ。

ここまで長かった。

高裁は、弁護側が正当な理由なく控訴趣意書の提出を遅らせたと批判した。

しかし、これで終わらせてしまって本当にいいのかという思いも残る。

 弁護側は今月24日になって「28日に提出する」と表明した。

その前日の決定だった。

裁判所と弁護側の確執のようなものが、わずかでも残されている事件の全貌(ぜんぼう)の解明の可能性を

消すとしたら残念だ。

 04年の2月、死刑判決が言い渡された東京地裁の法廷で、松本被告を見た。

われ関せずという様子で、無表情に座っている。


口を閉ざし続ける姿を見れば、遺族や被害者の憤りは募るばかりだろうと思った。

 その日、拘置所に戻った松本被告は「なぜなんだ。

ちくしょう」と大声を発したという。


一つの「国家」に君臨していた男が、いつの日か、ただの人として自らを省み、口を開く。

そんな様は、やはり空想でしかないのだろうか。



天才的な詐欺師で人の命なんか何とも考えていない人物である。宗教家とはほど遠い人物である。

そのようにしか思えない。




4歳の男児ののどに
割りばし片が刺さっているのを
見逃し死亡






3月30日の天声人語からの引用


??その小さな体で生命が危険な状態にあることを訴え続けていたのに??。

4歳の男児ののどに割りばし片が刺さっているのを見逃し死亡させたとして起訴された医師の判決公判で、

東京地裁の川口政明裁判長は異例の「付言」を述べた。

 判決は、医師の過失を認める一方で、業務上過失致死については無罪とした。

「付言」では、遺族の深い悲しみに触れながら事故の教訓を述べる。

 「患者が発するサインを見逃さないことをはじめ、真実の病態を発見する上で必要な情報の取得に努め、

専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療を受ける機会を提供することが求められている」

 死亡した杉野隼三(しゅんぞう)ちゃんの母で高校教諭の文栄さんは「死を無駄にしたくない」と手記を書いた。

病院の対応に傷つくが、周りの人々のあたたかさに触れて、

隼三ちゃんのふたりの兄を育てながら立ち直ろうとする姿が描かれている。

 小学生の兄を前に「人はみんな誰でも一人では生きていけないから……」とみんなで歌った同級生。

文栄さんのかつての教え子は鉄道模型を持ってきて兄と遊んでくれた。

「憎しみと怨念(おんねん)の人生を送ってはいけない……ふたりのお子さんを立派に育てなさい」と何度も励ます人もいた。

(『「割り箸が脳に刺さったわが子」と「大病院の態度」』小学館文庫)。

 「付言」には、事故を二度と繰り返さないために、この教訓を糧とすることが隼三ちゃんへの供養となり、

鎮魂となると記されている。


その文面を目で追いながら、裁判官の「肉声」を聞く思いがした。






割り箸が喉から脳に刺さるなんて,殆どの医師は経験していないと考えるが。

当然に予想すればその検査はしていたと考える。

脳に割り箸がささった患者は助かったであろうか。後遺症はどうだったか。

医師も全能ではない。でも努力はする。過剰診療が問題になっている時代との間で悩みながら。




最近の言葉から





3月31日の天声人語からの引用


最近の言葉から。スタッフは平均62歳、上は70歳という神戸の「100円コンビニ」。

客も半分はお年寄りだ。常連客は「やさしさを感じる」

 小泉政権は丸5年を迎える。「劇場」の様を見て作家辺見庸さんは思う。

「一犬が虚に吠(ほ)えるのは多分、歴史的にいくらでもあった」

「だが、万犬もそれに倣うのか……静思すべきだ」

 奥能登の石川県大釜地区では、高齢化した5戸の集落が産廃施設を誘致する。

補償金をもとに隣の集落へ集団移転する予定だ。

一人暮らしの谷内田せつさんは「出来ることは限られてくる。ここで暮らすのは限界」

 大阪市の小見山重吉さんは61年前の空襲で大やけどをし、指が曲がった。

我慢とあきらめの戦後だったが、「どうしてジャンケンができないの」と孫に問われ、変わった。

「同じ目に遭わせたらあかん」と体験を語る。「もう恥ずかしいと言ってられへん」

 高知市の中山俊子さん(97)が、最高齢で県出版文化賞に。その詩はうたう。

「長く生きることは/哀(かな)しくて 辛(つら)いことかも/さればとて……

生きて 生きて/どうでも生き抜かねばなりませぬ」


 大阪教育大池田小では、01年の事件後も遺族の希望で被害児童の学籍を残した。

そしてこの春、7人が卒業式を迎えた。酒井麻希さんの母智恵さんが述べた。

「麻希の死から多くを学びました。

大切な人との別れの悲しみ、命の大切さ、子どもを深い愛情を持って育むことの大切さと喜び、

人と人とのつながりの大切さ。

そして、それらの生を営む社会が安全で信頼できることの大切さです」




檜尾寺


現在調べている寺院は法禅院で後に檜尾寺と呼ばれていて東寺の二代目長者となった実恵が居住していたと

されるお寺である。法禅院は行基が近畿内に49院建立した寺院の中の一つとされている。

インターネットで檜尾寺を検索して見ると滋賀県の甲賀町にあることを知り,直接どんな寺なのか興味が有り

訪ねてみた。

名神高速道路から栗東インターチェンジで降り30分ばかり自動車で走った所にあった。

甲賀町は何処でも見かける日本の田園風景を残す静かな町だった。家屋も点々と見かけるだけである。

自動車のナビゲーションを使ってのことだから全く地理不案内になり迷う事が無い。

しばらく行くと道路の行き先に看板が檜尾神社と檜尾寺が一緒に書かれている。

道路から曲がって入った所に壊れた鳥居があって,進んで行くと正面に檜尾神社が有り,

その左手に檜尾寺があった。まだ神仏混交で一緒に神社と寺院が並んでたっている。

桜が満開で綺麗に境内の前辺りに咲いていた。神社も寺院もこじんまりとした建物でかなり古い。

どう見ても神社が主で寺院が横に有るような存在である。

ナビケ゛ーションの設定の時に電話番号を入れると文殊院と出てきている。

だから土地の人たちには文殊院で知られているのかもしれない。

乃至は檜尾寺の一院とし文殊院が有るのかもしれない。

解説の看板を読んでいると最澄(伝教大師)が大同元年(806))開創し始め火尾寺と言われていたが

火事が良くあるので仁寿3年(853)円仁によって再建され檜尾寺になったと伝えられている。

本尊は十一面観音らしい。観音さんは秘仏で拝観はできなかった。

神社や寺院に誰も人影を見かけなかった。山村の神社・寺院で参る人も少ないせいもあるのだろう。

だからこれ以上に詳しい事が聞けなかった。

どう見ても神社が正面にあって,寺院が脇である。

神社の創立は16世紀頃で遥かに寺院よりも神社の創建の方が後であるが寺院が脇になっている。

実恵は848年に亡くなっている。

だから三代目天台座主の円仁も二代目東寺長者の実恵の存在は知っていたことは十分にありえる。

実恵は檜尾僧都とも呼ばれていた位で,その檜尾をとって円仁が檜尾寺と名ずけた可能性は充分ありえる。

実恵は786年から848年の人, 円仁は794年から864年の人で,854年に天台座主になっている。

座主になる一年前に檜尾寺と名ずけている。実恵と円仁はほぼ同時代の人に当たる。

実恵は真言宗の東寺の二代目長者。円仁は天台宗延暦寺の三代目座主になった人で,

互いに知らない筈はなかったと思う。

そのよにして甲賀町に檜尾寺が誕生したものと考えられる。

偶然に京都と滋賀県甲賀町に檜尾寺が存在したものではなかった。



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