随想 平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成12年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成13年1月 分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分10月分11月分 12月分 平成14年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成17年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成18年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
皐月になって 桜の季節が終わると共に五月晴れの季節になった。天候が不順なので健康には要注意である。 緑が目に映える季節で一年で絶好の季節である。時々に涼しくなり頻繁に着替えをすれば良いが 面倒で夜中布団から飛び出し寝ていてひどい風邪にみまわれた。自分の不養生で誰にも当たる事が出来ない。 やはり風邪とはいえ病はつらいものである。時々そのような患者さんが訪れられる。 出歩くのに暑くもない寒くもない絶好の季節の到来である。 何とか政治の方面でも,小沢小泉両首脳討論以後に強行採決するような気配が自民党に見られなくなった。 一番恐れていたことは,次から次へと衆議院の数の力を頼って,どの法案も可決してしまうのではないかとの思いは 気鬱に終わった。 やはり政治家たちには,日本の為になるような政治をして頂いているのだから, より良い日本にしようとするの思いはどの政党も同じだ。 国民が納得いく政治を進めてほしいものです。 難しい法案が目白押しに続いているからこそ,余計にそのことが案じられる。 国民に信を問うたのは「郵政民営化イエスかノ-だけの選挙」で,現在はその時の衆議院の人数であることを, 与党 野党共に大いに意識してのことた゜と思う。 次回小泉首相の後任になる人が小泉首相との違いをアッピールし, 自己の政策を国民に判りやすく解説提示して,参議院選挙でもって国民の信を問うことにより良い政治を進めて欲しい。 常識的に誰もが変だと感じていただろうホリエモン 村上ファンドともに犯罪行為で巨額の利益をえていることが 次第に判りだしてきている。これらは異常現象であった。 今までの日本の国民性からして,二人のようなものがこれからの若者のお手本になれば, 日本もこれで終わりかなと感じていたのが,やはり,とんでもない人たちであったことが判明しつつある。 額に汗を流し,歯を食いしばり戦後の荒波時代を乗り切ってきた人たちによって今の日本の発展・繁栄がある。 昔から受け継がれてきた「忍耐」「勤勉」の精神は日本の良き伝統であった。 日本人の「勤勉さ」が否定されればこれからの日本の発展は認められなくなろだろう。 でも現在はなんとなく次の時代への過渡期のように思えてくる。 欧米一辺倒の政治姿勢をば,日本としての本来のよさが反映される世の中に立ち直るべき姿に変えて欲しい。 便利さ 速さ 効率化だけを上げることだけでもって暖かい世の中であることは決してなりえない。 さらに悪い事に,今の世の中は弱肉強食になりつつある。 ある程度の不便さがあっても良い,効率が悪かろうとも 温かさ 思いやりのある人間性ある社会をば 目指してほしいものである。 江戸時代,さらに古くは平安 奈良時代 もっと昔の一番長く続いたといわれている縄文時代の人たちと 今の人達との生活を比較し,どちらがゆったりとした幸せな生活を人々にもたらし, 時間が流れていたのかは判らない。 戦乱に明け暮れた鎌倉・南北朝時代,室町・戦国時代は好まない。 明治維新から第二次大戦終戦時まで異常なエネルギーを間違った方向に使われてきた。 世界的には,ブッシュは純粋で無智な人々を騙し,きれいな事を言いながら,自己の利益のために好戦家となって 世界の人々に対し大いなる迷惑をかけている。 そのブッシュ, 小泉の時代もその正体を暴露しながら,終わろうとしている。 でもイラクの人たちの生活は再び強権であって安定していたフセインのような時代には戻れない。 国民自身の模索で新しい枠組みを作られるか,国連を純化され誰もが信頼できる強力な力を持った国連の組織に変り その指導にもとずいた新しい国作りが始まることを願う。 イラクの人々はアメリカの傀儡政権だけ嫌うであろう。 毎日のようにイラクで何十人もの人たちが死亡する報道に接すると なんとかならないものかと考えるのだが。 現在世界中が強国に翻弄されている。 波乱の多い中東地域に,早く平和が訪れないものかと祈る。 誰もがそのように願っているが実現は困難のようである。 でも平和になることを願わない人たちもいるのではないかと考えたりもする。 それは兵器産業などに頼り,生活している人々である。 戦力が大国の証のようだが,核戦力の時代には通じない事くらい誰もが直ぐに理解できることだと思う。 世界で現在戦費に費やす金額で日本は世界第四位らしい。 是非ともこんなところに国民の税金をば使ってもらいたくない。 国を守って強くすることは,結果的に国を滅ぼす事に通ずる。 これは富国強兵の第二次大戦前の日本が良い例である。 これからの日本は不戦国家,平和国家の大国を目指し,世界の模範となって欲しいものである。 予算書に「検索機能」をつけた 5月1日の天声人語からの引用 ちょっとした進化だ。 鳥取県がホームページに載せた予算書に「検索機能」をつけた。 技術的に難しいことをしたわけではない。 ただ、情報を見せる側から、読む側へと、視点を百八十度転換させた点が新しい。 どの自治体でも予算書は公開している。だが、担当課ごとに事業名と金額を並べるだけだ。 税金の使い道は、みんなが知りたいのに、お役所は「見たければ、ご勝手に」という態度なのだ。 それが「検索」で変わる。キーワードを入力すれば、すぐに調べられる。 試しに、韓国との交流事業を見る。 情報公開の欄の「予算編成」から、平成18年度当初→知事段階→知事査定とたどる。 出てきた検索ボタンで「日韓」を引くと16項目が並んだ。 国際課や水産課など部局をまたいで一覧できる。 鳥取県には情報公開で得をした経験がある。 予算書を見た県民から、コピー機のリース料が割高だ、と指摘された。 調べると、県予算は単年度主義なので、複数年契約の割引がなかった。 そこで政府にOA機器リース契約特区を提案し、地方自治法の改正も経て、長期契約に切り替えた。 おかげで来年までの3年で3億円を節約できる。 金額の大きさとともに、特区申請や法改正があったことにも驚く。 どうやら、役所の内部情報をもっと読みやすく公開すればするほど、行政の無駄は省けそうだ。 鳥取県が予算書に「検索」を付けたのは、その先駆けといえる。 きょうから5月。「メーデー」で検索すると、労働団体の集会への「知事祝い金30万円」も載っている。 さて次は何を見てみようか。 インタネットによる検索機能が色んな所で活用されだして来ている。ITの進歩の御蔭である。 ドンドン色んな方面で活用できればとの思いはつのる。 1956年その年に、 水俣病が公式に確認された 5月2日の天声人語からの引用 「もはや戦後ではない」と経済白書が書いたのは、1956年だった。 その年に、水俣病が公式に確認された。 以来半世紀、首相は小泉氏まで22人いるが、現地には一人も足を運んでいない。 公式確認の日から50年になる昨日も、水俣に首相の姿はなかった。 患者団体の「水俣病互助会」の人たちはこの日、 公式確認につながる患者たちが診察を受けたチッソ付属病院跡などを見て回った。 「半世紀たっても未認定患者問題を解決させきれないことを、国は恥ずかしいと思ってほしい。 悲しい記念日です」。 49歳の胎児性患者の娘を持つ、81歳の女性の認定患者が述べたという。 熊本県の水俣市などが主催する慰霊式は「水俣病慰霊の碑」の前で、小池環境相らが出席して営まれた。 「不知火の海に在るすべての御霊よ 二度とこの悲劇は繰り返しません 安らかにお眠りください」。 碑文は広島の原爆慰霊碑の言葉を連想させる。 広島の碑の方は「過ちは繰返しませぬから」だった。 原爆の惨害も有機水銀の垂れ流しによる水俣病も、共に繰り返しは許されない。 その繰り返してはならないものを、水俣の碑は「悲劇」と表した。 「悲劇」という言葉は、この「50年の日」を前にした小泉首相の談話にもあった。 「このような悲劇を二度と繰り返さないために……」。 対応を怠った為政者の側が発する言葉としては、違和感がある。 首相の「悲劇」には、過去のものというような気配が漂う。 「劇」ならば、始まりがあり、終わりがある。 しかし水俣の惨禍は、終わってはいない。 水俣病は戦後の大きな公害の一つであった。医学の発達がそこまで達していなかったと言えばそうだが, 原爆被害者同様に再び同じようなことがでないことを祈るだけである。 タバコ発売継続もいずれ公害になる時期が来るはずだ。百害あって一利なしである。 日本が米国の世界戦略に一段と組み込まれ 5月3日の天声人語からの引用 政府は「在日米軍の再編」と言うが、 これでは、日本が米国の世界戦略に一段と組み込まれてしまうのではないか。 日米同盟が「新たな段階に入る」と宣言した外務・防衛担当閣僚の合意内容を見て、そう思った。 米陸軍の軍団司令部が神奈川県の基地に来て、陸上自衛隊の司令部が「同居」する。 沖縄から国外に出る部隊がある一方、日本本土へ移るものもある。 沖縄の負担軽減の名目で、日米の軍事的な一体化や、本土の沖縄化が進みかねない。 戦後、米国は戦争を繰り返してきた。 ベトナム戦争では、国防長官が後に「間違いだった」と述べた。 イラク戦争では、大量破壊兵器について結果的に誤った内容を国連で演説した国務長官が「人生の汚点」と語った。 過ちのたびに多くの命が失われた。 小泉首相は、再編のための法案の提出を先送りするという。 再編は国の針路を左右するだけではない。 経済や財政にも影響するような膨大な出費を約束して、後は頼むでは済むまい。 「私が日本を見ていて一番うれしいのは、経済が軍事的な影響力から逃れている点だ」。 先日、97歳で亡くなった米国の経済学者ガルブレイスさんが、04年の日本経済新聞で述べている。 米国については、国際的な影響力を強めようとすればするほど不人気になり恐れられると分析して、続けた。 「誤りの根源は、企業の利益と軍事的な影響のもとで外交政策が実行されていることにある」。 『不確実性の時代』などで日本にも多くの読者をもち、一世紀近くも世界を見続けた人の言として、重みがある。 今の日米同盟はどう見てもアメリカが主体で日本が従の位置にある。日本がうまくアメリカの戦争に引きり込まれる 準備段階だと認識している人がどれだけいるのだろうか。 「朝日新聞襲撃事件資料室」が設けられた。 5月4日の天声人語からの引用 新しい壁に、短冊が掛けてある。 〈憲法記念日ペンを折られし息子の忌〉。 87年の5月3日、ここ兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で銃撃されて死亡した 小尻知博記者の母、みよ子さんが詠んだ。 建て替えられた阪神支局の新局舎が、この春に完成し、中に「朝日新聞襲撃事件資料室」が設けられた。 昨日そこに立って、凶行のすさまじさと卑劣さを、改めて胸に刻んだ。 茶色に変色した「犯行声明文」の現物がある。 文章のところどころに小さな四角い穴があいている。 鑑定するために警察が切り取った跡だ。 「すべての朝日社員に□□を言いわたす」の二文字は「死刑」だった。 小尻記者や重傷を負った犬飼兵衛記者が、仕事の後にすきやきを囲んで座っていたソファが、 当時のように置かれている。 撃たれた小尻記者が頭をうずめた黒いソファには、チョークの白い線が、 その時の姿を伝えるようにうっすらと残っている。 暴力で言論を封殺しようというようなやり方に屈することはできない。 自由な言論活動は、メディアのためというより、まっとうな社会を築くために不可欠なものだ。 戦前に、新聞としての任務を果たし得なかった苦い歴史を繰り返さないためにも、である。 支局の入り口のそばには、以前のようにして一本の桜が立っていた。 長い間、支局員たちを見守り、あるいは犯人を見たかも知れない。 見上げると、枝先に花が二つ、三つ咲き残っている。 青い空を背にして、白い象眼のように浮かんでいた。 犯行現場の局舎は消えたが、小尻記者は心の中に生き続ける。 言論の封殺は健全な社会形成発展にとってマイナスの作用しかない。 大規模商業施設「表参道ヒルズ」で 5月6日の天声人語からの引用 高速道路が渋滞し、行楽地に行列ができるこの時期は、場所によっては都心の方がすいている。 しかし昨日、東京都心の表参道に長い行列ができていた。 開業から約3カ月になる大規模商業施設「表参道ヒルズ」で、 開店してから行列の最後尾が入店するまで10分以上かかった。 ファッション関係などの100近い店を目当てに、連休を利用して遠くから来た人も多かったようだ。 6階建てなので、同じヒルズでも超高層の六本木ヒルズとは印象が違う。 六本木が肩を怒らせた戦士なら、通りに沿う長さが約250メートルに及ぶ表参道ヒルズは大きな船か長城のようだ。 敷地は同潤会青山アパート跡で、並行する古いケヤキ並木との調和を心がけたという。 中のエスカレーターや通路には、人がびっしりと連なった。 この混雑の中、地下3階の写真展には行列が無かった。 映画「ベルリン・天使の詩」などで知られるヴィム・ヴェンダース監督と、 妻で写真家のドナータさんの「尾道への旅」だ(「O(オー)」で、7日まで)。 敬愛する小津安二郎監督の「東京物語」の舞台となった町へ昨秋旅をした。 約半世紀前の「東京物語」の場面を胸にしつつ撮られた町並みや海や人の姿は、 その地とは縁の無い身にも懐かしさを呼び起こす。 ヴェンダース監督は本紙に述べている。 「土地にはそれぞれの歴史があり、風景がそれを語りかけてくる」。 表参道ヒルズを設計した安藤忠雄さんは、街の記憶を受け継いで未来に伝えることを考えたという。 時には立ち止まって、風景が語る街の記憶に耳を澄ましたい。 東京の景色は東京以外の人間にとっては未知の世界である。表参道ヒルズと六本木ヒルズの高層ビルが建っているようだ。 前者が商業ビル 後者がビシネスビルで東京の新しい名物になっている様子はわかる。 何処へ行っても世界中同じ風景だといった状態になってもらいたくはない。 インド人のコンピューター関連の技術者と その家族が続々と来日 5月7日の天声人語からの引用 東京都江戸川区に住むインド人が千人に達するそうだ。 8年前には100人ほどだったが、ここ数年で急増した。 昨年1年間だけで300人近い増加だという。 背景にはITブームがある。 コンピューター関連の技術者とその家族が続々と来日している。 若い技術者は「日本はハードウエアが得意。 インドはソフトウエアが得意。 一緒にやっていけるパートナーです」と口をそろえる。 ジャグモハン・チャンドラニさん(53)は80年代初め、成田空港にも横浜港にも近いという理由で江戸川区に移り住んだ。 紅茶の輸入や料理店の経営を手がけてきたが、知らないうちにまわりにインド人のコミュニティーができていったという。 「江戸川インド人会」の会長を00年から務めている。 会長としての悩みは、学校のこと。 一昨年、3歳から13歳までを対象にして近くにつくられた「インド国際学校」は、早くも手狭になってしまった。 「親が若いから、子どもも小さい。 帰国した時のために、インド式のカリキュラムでヒンディー語や算数を習っておかないといけません。 日本の帰国子女問題と同じです」 インドのハーブや食材を取り扱う店もでき始めた。 6月には歌や踊りを交えた大々的なパーティーを区内の公園で開く予定だという。 といっても周辺は、ニューヨークや東南アジアなどにある、いわゆるインド人街といった風情ではない。 目に見える形でなく、インターネットや携帯電話で結ばれた、 困った時にお互いが助け合う新しい「電子上」のインド人街が生まれつつあるようだ。 コンピュターで日本はハ-ド面が強くて,インドはソフト面が強い状態は何故にそのようになったのか。 新しい情報技術が開発されることを期待する。 知ったのが「全国障害者とともに歩む 兄弟姉妹の会」だ。 5月8日の天声人語からの引用 いずれは弟の親代わりにならなければいけない。 増田美登(みと)さん(41)は、ごく自然にそう考えていた。 六つ違いの弟はダウン症だ。 勤めていた外資系の証券会社が大阪から撤退する時、東京に移るか、会社をやめるかを迫られた。 生まれ育った大阪が好きだったが、それ以上に、弟を残しては行けなかった。 弟の面倒を見るには福祉を勉強しておいた方がいい。 そう考え、大学に入り直して、2年間勉強した。 そのころ、知ったのが「全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会」だ。 略称を「きょうだいの会」といい、きょうだいに障害者がいる人たちが集まり、悩みや困っていることを語り合っている。 増田さんは「悩みがあったわけではないのですが、同じ立場の人たちといると、心が軽くなった」と語る。 きょうだいの会が発足したのは1963年だ。 年に1度の全国総会が先月開かれた。 会長を務める田部井恒雄さん(58)は、昨年亡くなった四つ下の弟が知的障害者だった。 「きょうだいは親とは違います。 それぞれが自立して暮らしながら、心を通わせ合うのがお互いのためにいい」と話す。 増田さんは4年前、埼玉で介護の仕事を見つけ、引っ越した。 きょうだいの会の考え方に刺激されたところへ、「大阪以外でも仕事を探すやろ」と姉が背中を押してくれた。 今は結婚して東京に住む。 弟は両親と一緒に暮らし、作業所に通っている。 増田さんが将来の希望を聞くと、「一人暮らしをしたい」という答えが返ってきた。 なんとか夢をかなえさせてあげたい、と増田さんは思っている。 知的障害者の支援が肉親だけでなく公的な機関が責任をもってできる世の中になって欲しい。 弱者切り捨て時代になって来て,特にその思いが強い。競争でもって民営化といわないでほしい。 公の役割りの必要性が強いはずである。大病院も全く同じことだ。 弱者を扱う対象が狙われる時代になってきている。 アイヌ民族初の国会議員となった萱野茂さんは、 5月9日の天声人語からの引用 「狩猟民族は足元の明るいうちに村に帰る??」。 94年に参院比例区で社会党(当時)から繰り上げ当選し、アイヌ民族初の国会議員となった萱野茂さんは、 98年に北海道に戻った。 6日に79歳で亡くなったが、アイヌ文化の振興に大きな功績を残した。 01年には、出身地の平取(びらとり)町の二風谷(にぶたに)にミニFM局を開いた。 「言葉は足を持っている」と考えたからだという。 今では、ここからアイヌ語を交えて発信されるネットラジオ「FMピパウシ」が、地球各地で聞かれている。 大きな仕事の一つはアイヌ語の収集だった。 『萱野茂のアイヌ語辞典』(三省堂)は約600ページの力作だ。 日本語からも引ける。「こんにちは」にあたる「イランカラプテ」は、 「あなたの心にそっと触れさせていただきます」の意とある。 山菜の「行者にんにく」は「プクサ」で、萱野さんがまとめた『アイヌの昔話』(平凡社)には 「プクサの魂」が収められている。 生えているプクサを一本も残さず取りつくした村長の妻が病気になる。 その命を救うため、ある娘が干したプクサをまいて神の許しを請い、妻は助かる。 この話は「山に生えている草にも木にも、みな魂があって、役目があって、天国から遣わされてきている」ことを物語る。 萱野さんは、自然と共に生きてきたアイヌ民族を誇りとした。 国会議員としては、明治政府が同化政策のために定めた「北海道旧土人保護法」に代わる 「アイヌ文化振興法」の成立に尽力した。 戦後も一部生き続けてきた旧法が廃止されたのは、わずか9年前のことである。 アイヌ民族の人たちは日本にどれだけの方がいるのだろう。 もともと日本人は北方民族と南方民族の混血だといわれている。有史以来でも朝鮮 中国から高度の技術や知識を 持った人たちが一緒になって日本民族が形成されている。どうしてアイヌ民族の人たちだけが特別なのだろうか。 検事による取り調べの一部を、 ビデオで録画・録音する方針 5月10日の天声人語からの引用 つかこうへいさんの『小説 熱海殺人事件』の容疑者・大山金太郎は警察で、 容疑者のあり方を記した小冊子を渡される。 「自白道」のくだりがある。 「調子に乗ってすぐ自白しないこと。起承転結の、古典的骨格にのっとって自白すること……」(角川書店)。 調べ室では、ベテランの木村伝兵衛刑事らが、「平凡な容疑者」を励ましたり脅したりして 「一流の犯罪者」に仕立てようとする。 その過程が、鋭い文明批評的な視点で描かれる。 まさに芝居のように面白い取り調べだが、これがもし、調べが録画される時代だったら、伝兵衛はどんな手を使うのだろう。 最高検察庁が、検事による取り調べの一部を、ビデオで録画・録音する方針を固めた。 これまでは「密室でのやりとり」だったから、画期的な変化だ。 09年5月までに始まる「裁判員制度」を前に、審理を迅速にするのが狙いという。 制度を定着させるための現実的な対応の一つなのだろう。 「容疑者を落とそうとするなら、産婆に当たれ」。 静岡県警が、先輩刑事の経験や教訓を後輩に伝えようとして編んだ「刑事の語録」の一項だ。 真相を明らかにするためには、自分の足で容疑者の出生から調べるという意気込みを示す。 かねて「取り調べの可視化」を訴えてきた日弁連側は、一歩前進だが警察での録画が必要だという。 警察庁は、録音や録画は取り調べの機能を害するとの立場だ。 問題は、どうしたら、適切な調べで真相に早く迫れるかだろう。 外国の例にもあたりながら、録画活用の道を探ってほしい。 刑事さんの仕事は大変である。そこに素人の「裁判員制度」が発足されるが,アメリカ映画で見るように うまくゆくものなのだろうか。どうもこの制度は日本国民になじまないような気がする。 アメリカの思考の方法に二者選択の考え方があるが,日本人の考えに曖昧さが尊ばれてきた歴史がある。 全てをアメリカ流に日本を変える必要性はない。東洋的な発想での何か良い方法があるはずだ。 犯罪もアメリカ流になってきたので,裁判もアメリカ流に変えたいとの意図でもあるのかどうか。 我々は訴訟時代の幕開けの時代の初めにいる。それが本当に幸せになるかかどうかは判断に苦しむ。 萩原朔太郎は、この季節を愛した。 5月11日の天声人語からの引用 公園の梅の木の下に、青い実が落ちている。 先刻の小糠(こぬか)雨で実の皮にできた滴が、5月の東京の空を映す。 やがて雲間から日が差し、木々の若葉が光り始めた。 「若草の上をあるいてゐるとき、/わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく…… ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして」。 萩原朔太郎は、この季節を愛した。 「若くさの上をあるいてゐるとき、/わたしは五月の貴公子である」(『月に吠える』)。 20代の頃に妹に送った手紙には、新緑は、夏の盛りのどす黒いような不快な青とは違うと書いた。 「見るからに晴々した透き通る様な青です」。 朔太郎は、昭和17年、1942年の5月11日に55歳で他界した。 詩誌「四季」の追悼号には、高村光太郎や斎藤茂吉、室生犀星らの文が並んでいる。 中に、「師よ 萩原朔太郎」と題する三好達治の詩があって、毎年この時期になると読み返す。 詩人としては認められていたが、世間の常識とは大きな隔たりを痛感しつつ生きた朔太郎に、 まず「幽愁の鬱塊」と呼びかける。 「あなたのあの懐かしい人格は/なま温かい熔岩(ラヴア)のやうな/ 不思議な音楽そのままの不朽の凝晶体」だったとうたう。 「夢遊病者(ソムナンビユール)/零(ゼロ)の零(ゼロ)」と書き、 「あなたばかりが人生を ただそのままにまつ直ぐに 混ぜものなしに 歌ひ上げる」と記した。 確かに朔太郎の詩句は、詩の源泉からわき出る、混じりけのない流れだったかも知れない。 逝って64年。 自らを貴公子と呼んだこの季節には、若草の上をゆく姿が、薫風の中によみがえるような気がする。 文学は人間性を取り戻す糧である。感性高き人たちで殺伐とした世の中でのオアシスの役目をはたしてくれている。 トヨタの新しい目標と課題は 5月12日の天声人語からの引用 企業の粉飾をただす目付け役が、企業と共に粉飾する役回りを演じていた。 所属する公認会計士がカネボウの粉飾決算に加担していたとして、金融庁が10日、 中央青山監査法人に7月からの一部業務の停止を命じた。 監査する約5500社の中には、日本を代表する企業も含まれている。 その一つのトヨタ自動車はこの日、06年3月期の連結決算で売上高が21兆円余に達したと発表した。 米フォード・モーターを上回り、来年の決算では米ゼネラル・モーターズを抜く可能性が強まったという。 世界のトップの位置が目の前だ。 自動車の生産を始めてから約70年、国内生産の累計台数は、 昨年までで日本の総人口に匹敵する1億2千万台余に達した。 終戦後には倒産の危機もあったが、その後は業績を伸ばし続けた。 トヨタ車への支持と信頼を得るために、血のにじむような努力が続けられてきたことだろう。 その努力を認めた上で、あえて述べる。 世界一の自動車会社になるということは、世界一多くの事故にかかわり、世界一大きな影響を環境に及ぼすことになりうる。 その厳粛な立場を忘れてほしくない。 事故や排ガスを減らす手だてを探り続ける、世界一重い責任がある。 売れるだけ売って、後は行政や利用者の責任、というのでは困る。 奥田碩(ひろし)会長は一昨年、トヨタの弱みの一つとして「社員の間にあるおごり」をあげた。 「急速な業績拡大は、傲慢(ごうまん)で成功におぼれる傾向が出るので注意したい」。 トヨタの新しい目標と課題は、心の粉飾を戒める「自己監査」かも知れない。 トヨタが世界一の自動車会社になることは逆に事故や排ガスを減らす手だてを探り続ける為に世界一重い責任をも伴う。 安全で廃棄ガスを伴わない自動車の開発に全力を投じてほしいものです。 沖縄は15日、本土復帰から34周年を迎える 5月13日の天声人語からの引用 沖縄は15日、本土復帰から34周年を迎える。 昨日、沖縄本島の3地点から米軍の普天間飛行場のある宜野湾市をめざして「5・15平和行進」が始まった。 普天間飛行場の移転先に最も近い集落がある名護市辺野古地区からも、300人余がスタートした。 参加者からは、辺野古崎への移設を基本にすることで政府と折り合った稲嶺恵一知事への厳しい意見が相次いだという。 知事は小泉首相との間で、政府案を基本に協議を続けることを確認した。 「基本に」が曲者で、どこまでが基本の範囲かが分からない。 政府は地元振興のために新法を検討する方針という。 基地を新設するため、金にものを言わせたとの印象がぬぐえない。 首相は、この秋に退陣するという。 知事も、年内に行われる知事選に出ない意向らしい。 移設の実行は後釜任せか。 引退間際の合意が、沖縄の未来を決めることになる。 沖縄出身の言語学者で民俗学者だった伊波普猷(いはふゆう)は、 絶筆となった昭和22年の『沖縄歴史物語』の末尾に書いた。 「地球上で帝国主義が終りを告げる時、沖縄人は『にが世』から解放されて、 『あま世』を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る」(『伊波普猷全集』平凡社)。 「沖縄学の父」といわれる伊波は、自己決定権を奪われた沖縄の運命を問い続けた。 こんな言葉を、繰り返し口にしていたという。 「深く掘れ 己の胸中の泉 余所(よそ)たよて 水や汲(く)まぬごとに」。 自立への希求と、「余所に頼る」ことの戒めには、没後60年近くたった今も重みがある。 沖縄だけが唯一本土決戦の戦地となり,占領下での何故日本復帰が遅れたかを掘り下げ考える作業があっても 良いはずだ。これからも日本がアメリカと良い関係を保つ基礎的問題を抱えている。 きょう閉館する東京・神田須田町の交通博物館は、 5月14日の天声人語からの引用 56年前の客車の座席に、もの言わず腰を掛けている老夫婦がいる。 山手線の運転シミュレーション装置を巧みに操る小学生がいる。 きょう閉館する東京・神田須田町の交通博物館は、男性の鉄道ファンを指す「鉄(てっ)ちゃん」だけでなく、 鉄子に鉄爺(じい)、鉄婆(ばあ)、まさに老若男女でごった返している。 カメラを向ける対象は、生まれた時代や住んでいた地域の違いによって一様ではない。 「毎日の通勤電車だった」「帰省のたびに乗った」。 それぞれの思いの残る列車や連絡船の模型に見入る姿があちこちで見られた。 当初の東京駅近くからこの地に移って70年。 空襲でも焼け残り、東京大空襲の当日から約10カ月間休館した以外、展示を続けてきた。 戦後の来場者数は延べ3千万人近い。 遠足や修学旅行で訪れた記憶のある方も多いだろう。 老朽化に加え、手狭になったこともあり、閉館せざるをえなくなったという。 明治末から大正初めにかけて中央線の起点だった旧万世橋駅の階段が、館内にそのまま残されている。 草むしたホームに向かってゆっくり上っていくと、不思議な時間旅行の気分が味わえる。 多くの展示物は来年さいたま市につくられる博物館に移されるが、 今の施設を小規模な形でいいから残してほしいという声も、入場者から聞かれた。 陳列されている蒸気機関車C57と同じ年に生まれた菅建彦館長(66)は「閉館間際になって、年配のお客さまが増えました。 日本人の鉄道への愛着を強く感じます」と話す。 最後の日は特にイベントなどはせず、静かに幕を引く予定だという。 京都にも梅小路に旧機関車が保存されているようだが,興味が薄いのでまだ訪れていない。 煙を吐く列車のトンネルに入ったときの苦しさを思い出すだけである。 古代の五重塔への興味があって,それに対して日本的なロマンを感じている。 自分の見たものを伝える言葉を吟味し続けて 5月15日の天声人語からの引用 「もしお昼ご飯を食べている最中なら、いまラジオを切ったほうがよいかもしれません」 第二次世界大戦でドイツの敗北が目前に迫る45年4月、米CBS放送のエド・マロー記者はそう言って、 連合軍が解放したばかりのドイツ中部のブッヘンバルト強制収容所のリポートを始めた。 収容されていた2万人は飢えと結核で1日200人の割合で死んでいた。 庭には骨と皮だけの遺体の山があった。 生きている者も死相が現れている。 「私はここで見、聞いたことのほんの一部を伝えたに過ぎない。 そのほとんどについて、私は語る言葉を知らない」(田草川弘『ニュースキャスター』、中公新書)。 ジャーナリズム史上に残るこのリポートが放送されたのは、実はマローが収容所を訪れた3日後だ。 他社の記者が一刻を争って衝撃的なニュースを世界に伝える中、彼は自分の見たものを伝える言葉を吟味し続けて、 抑制された文章にまとめ上げた。 マローといえば、50年代前半、米国で反共ヒステリーが荒れ狂った「赤狩り」の時代に、 その立役者だったマッカーシー議員の虚言を暴いて、政治の流れを変えたことで有名だ。 日本で公開が始まった米映画「グッドナイト&グッドラック」もその時のマローが主人公である。 彼の原点には、強制収容所のリポートで見せた言葉の持つ力とその限界に対する鋭い感覚があったと思う。 マローは収容所で生き残った人の言葉を伝えている。 「ここについて書くには最低2年はいなければなりません。 でも2年もいたら、何も書きたくなくなりますよ」 ジャーナリストによって戦争の悲惨さを伝えてもらい,反戦の気運が誰の心の中に住みついてくれれば 地球上から戦争という人間らしくない野蛮行為がなくなる日を待つ。ジャーナリストの仕事・責務は重い。 人間とはどうしてこんなに愚かなことを繰り返すのかあきれるばかりである。 広島でも長崎でも、原爆は 5月16日の天声人語からの引用 広島でも長崎でも、原爆は地面すれすれで炸裂(さくれつ)したのではない。 広島は約600メートル、長崎では約500メートルの高さで爆発した。 かつて爆心地でその辺りを仰ぎ見た時、 熱線や放射線をより広い範囲に浴びせるための悪魔的な計算なのかと思った。 その瞬間の爆心地周辺を想像する度に、背筋が凍り付く思いがする。 国が、被爆した人を原爆症と認定する時、これまで爆心地からの「距離の壁」があったという。 被爆してがんなどを患う被爆者9人が「原爆症と認められないのは不当だ」とした訴訟で、 大阪地裁が「壁」を破る判決を出した。 「国は審査基準を機械的に適用すべきではなかった」と指摘、 爆心地から3キロ以上の距離で被爆した原告を含む全員の不認定処分を取り消した。 被爆国・日本には、人類初の核兵器がもたらした惨禍の実相を把握し、伝える役目がある。 その積み重ねが、惨禍を世界に知らせることになる。 核兵器の廃絶を目指す運動に尽力した湯川スミさんが亡くなった。 日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏の妻で、世界連邦世界協会の名誉会長だった。 戦後、スミさんは夫と米国に渡った。 同じ研究所に居たアインシュタインが、原爆開発の一端となったことを深く後悔し、 秀樹氏に言ったという。 「戦争が起こらない仕組みをつくらないといけない。そのためには世界を連邦にするしか道はない」 共感し、自らも核廃絶を希求した秀樹氏は、がんを患ってからも言い続けた。 「君が運動の先頭に立て」。 この言葉を胸に抱き続け、96歳で夫の元に旅立った。 原爆の悲惨さを世界に伝えつつ,国連の強化,世界連邦こそが究極の恒久平和を達成できる近道である。 原爆がある限り第三次大戦は起こりえない。あるとすればそれはそれは人類の自殺行為である。 人間はそこまで馬鹿だとは思いたくない。 リビアの地底に石油という燃える水気があるとは 5月17日の天声人語からの引用 地中海に面したアフリカのリビアという地名は、古代ギリシャのころの著述に登場する。 「リビアの奥地に入ると、そこは人も住まず水もなく、獣も棲息せず雨も降らず樹木もない荒野で、 ここには水気のあるものは全くない」(ヘロドトス『歴史』岩波文庫・松平千秋訳)。 リビアの地底に石油という燃える水気があるとは、「歴史の父」ヘロドトスも気づかなかっただろう。 その大量の水気が、今ではこの国を支えている。 1969年に共和国になり、カダフィ大佐による独特の路線を歩んできた。 米国とは長く敵対的で、レーガン大統領は大佐を「狂犬」と呼び、首都トリポリを空爆したこともあった。 ライス米国務長官が、リビアに対する「テロ支援国家」リストへの指定を近く解除して、 26年ぶりに国交を完全に正常化すると発表した。 9・11の同時多発テロ後の03年に、リビアが大量破壊兵器の開発計画の廃棄を 発表したことなどを評価したためという。 ライス長官は、イランと北朝鮮の指導層に、リビアと同様の戦略的決定を下すよう促した。 大量の核兵器を持つ米国が、まず自ら劇的に削減しないのは解せないが、 核兵器がこれ以上つくられないことは望ましい。 大量破壊兵器の存在を旗印に、米国はイラク戦争を始めた。 しかし、それは見つからず、多くの命が失われた。 リビアとの今回の無血での正常化を機に、米国は先制攻撃を自制すべきだろう。 ヘロドトスは、こうも述べた。 「平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬ」 ブッシュはずるい男だ。核を持たない国を狙って「ならず国家」として戦争をしかける。そしてアメリカ国民の支持率をあげ しかし戦争でもって若いアメリカ兵士が多く死ぬのを少なくするためにその代替方法を考え出している。 日本がそれに乗らないことを切に願う。 北朝鮮から日本の領海に侵入する工作船 5月18日の天声人語からの引用 船体の塗装ははげ落ち、幾つもの威嚇射撃の弾痕が見える。 海上保安庁の巡視船との銃撃戦の末に沈没した北朝鮮の工作船が 東京・品川で公開されたのは、3年前だった。 行列して見たあの工作船が、覚せい剤の密輸に絡んでいた疑いが濃いという。 船から回収された携帯電話の通信履歴には、韓国籍の男や暴力団組長の事務所との交信があった。 この組長らが、北朝鮮から数百キロもの覚せい剤を密輸入した容疑で、警視庁などに逮捕された。 密輸が、北朝鮮による国家犯罪だったとの疑いが強まった。 北朝鮮から日本の領海に侵入する工作船は、 拉致というもう一つの重大な国家犯罪にも使われてきた疑いがある。 展示された工作船を前にした時、過去の数々の拉致事件を思い浮かべると、 暗い船内から拉致された人たちの悲鳴が聞こえるようで胸が詰まった。 中学生だった娘を日本から拉致された父と、 高校生だった息子を韓国から拉致された母とが、ソウルで手を握りあった。 国家犯罪が強いた、あまりにも過酷な巡り合わせによる「親類」だ。 その手のつながりが、ことを進める新しい一歩になればと思う。 約半世紀にわたって対立してきた「在日本大韓民国民団」(民団)と「在日本朝鮮人総連合会」(総連)のトップが、 きのう会談した。共同声明には「反目と対立を和解と和合に転換させる」とあった。 北朝鮮が参加しなかった88年のソウル五輪のテーマが「壁を超えて??和合と前進」だったことを思い出す。 道は険しくとも、壁を超え、手を携えて進んでほしい。 あまりにも北朝鮮による拉致事件が政治に利用されすぎているように思える。 早く日朝国交回復し仲良くなるのが最大の早期解決方法である。 同一民族の韓国の方達の思いはもっと強いはずである。 早期解決できる日本のリーダーが出てほしいものである。アジアで仲良く出来ずしてどうして 世界と仲良くできるのかと疑いたい。誰もが戦争は望まないはずだ。 「ヒューザー」の小嶋進社長が警視庁などに逮捕 5月18日の天声人語からの引用 機体に弱い所があるそうです」。 ある飛行機メーカーの社長であるあなたに、部下があわてて報告してきたとする。 その新しい飛行機は、明日には航空会社に納入する約束になっている。 遅れれば契約違反だ。 納入を取りやめるか、それとも、黙って納めて代金をもらうか。 欠陥を知りつつ、黙って引き渡して代金を手にすると、あなたは「不作為の詐欺」に問われるかもしれない。 引き渡し直前に強度不足を知りながらマンションを売ったのは「不作為の詐欺」にあたるとして、 「ヒューザー」の小嶋進社長が警視庁などに逮捕された。社長は、容疑を否認したという。 今たとえ話に出した飛行機には、墜落という取り返しのつかない大惨事の可能性がつきまとっている。 ここは、契約に違反してでも、納入をいったんあきらめるところだろう。 マンションには墜落はないが、弱ければ、地震で壊れて人命が失われる可能性がある。 小嶋容疑者は以前、マンションの引き渡しを延期する選択もあったのではないか、という本紙の取材に色をなして答えたという。 「物件の引き渡しは契約で定められた義務の履行だ」 建築士の名義貸しといった「形式犯」から入った耐震強度偽装事件の捜査は、詐欺という次の段階に及んだ。 全容解明に向けて歩を進めてほしいが、刑事責任の追及は、再発防止の面では限界がある。 なぜ偽装がまかり通ったのか。 今の仕組みの欠陥を洗い出し、再構築に向けて手を打つ。 それは、行政の役目であり、猶予は許されない。 地震は、待ってくれないのだから。 もとをただせば村上フアンドの村上氏が話すところのの「もうけることが何故にわるいことですか. むちゃくちゃもうけました」に代表されるような利益第一の考え方が, これはアメリカ流の考え方で,浸透した結果でのことで,もうけとは社会に貢献するような 仕事をした結果にあたえられるもので,「もうけ」が目的になればそのような社会は必ずに破滅する。 小泉改革とはそのような形で進んできたように思える。 幼い子が殺される事件が 5月20日の天声人語からの引用 きのう広島地裁で開かれた小学1年の木下あいりさん殺害事件の公判で、父親の建一さんが意見陳述した。 「無力な子供たちが、これ以上犯罪に遭わない世の中になることを心から願います」 病院で、あいりさんは、目を開けたまま横になっていたという。 「娘を見たとき、目の前が真っ暗になり、全身の力が抜けて、地獄に突き落とされた思いでした」 愛らしく、家をにぎやかにしていた7歳の娘の命が突然絶たれるという悲しみは、計り知れない。 幼くて、まだ力も弱い子供に対する卑劣な凶行は、憎んでも憎みきれないものがある。 幼い子が殺される事件が、今度は秋田県で起きた。 藤里町で下校の途中に行方不明になった小1の米山豪憲君が、遺体で発見された。 首に絞められた跡があった。集団下校をしていたが、もうすぐ自宅という辺りで、ひとりになったという。 集団下校でも、最後には、ひとりになる子が出てしまう。 そうならないような仕組みが、何とかつくれないものか。 地域や家庭によって事情は様々だろうが、「ひとりも、ひとりにはしない」ということが、 無力な子供たちが犯罪に遭うのを少しでも減らす手だてになりそうだ。 「星になって遠くに行ってしまったから、もう二度と会うことができないんだよ」。 5歳になるあいりさんの弟に、建一さんは、そう話したという。 「息子は幼稚園などで描く絵に、あいりの星ばかり描いています」。 いたいけな地上の星たちが遠くに行ってしまわないように、そして行かせないように、しっかりと手をつなぎたい。 社会の一番の弱者である子供がターゲットになってきている。異常な社会が作られたのも,競争社会の副産物である。 世の中の社会現象は政治の結果が反映されるものである。 神奈川県大磯町に居を構えた吉田氏 5月21日の天声人語からの引用 「大磯」といえば、吉田茂元首相を指す時代が戦後の一時期続いた。 大磯へ年賀、大磯へお中元の挨拶(あいさつ)、大磯へ架電。 神奈川県大磯町に居を構えた吉田氏のことを、 まな弟子だった佐藤栄作元首相は日記の中で何度も大磯と表現している。 東京から南西に約60キロ。 多くの政治家が訪れ、「海千山千楼」と呼ばれた邸宅は、死去から2年後の69年、 佐藤氏のあっせんで西武鉄道の手に渡った。 しかし維持費が年数千万円にのぼることもあり、同社は町への譲渡を打診。 経営再建が急務になった昨年、売却話が本格化したという。 とはいえ町も財政難で、国に買ってもらって保存できればという声が町民の間で強まっている。 近くに住み、署名約5万人分を集め、先月首相官邸に持ち込んだ関野好一さん(76)は 「自然あふれる庭園がマンションになってしまっては困る」と話す。 英国のチャーチル元首相は吉田氏より4年前に生まれ、2年前に亡くなった同世代の政治家だ。 絵画や回顧録について2人が語り合った記録が残っている。 葉巻をくわえた愛煙家としても共通点がある。 晩年を過ごした、ロンドン郊外の邸宅はそのまま残され、観光客に公開されている。 書棚や机上は、つい先ほどまで本人が書斎にいたかと思わせる様子だ。 大磯も床の間や応接間はきちんと保存されている。 しかし残念ながら、書斎はきれいに片づけられていた。押し入れの中に、黒い電話機があった。 生前は受話器をあげるだけで、首相官邸につながったという。 やってみたが、もちろんどこにもつながらなかった。 吉田茂氏は戦後の日本の混乱期を舵を握った人である。半植民地国家と独立国イギリスのチャーチルとは比較できない。 東京・新宿御苑を歩いた。 5月22日の天声人語からの引用 きのうは、二十四節気のひとつ「小満(しょうまん)」だった。 「草木が茂って天地に満ち始める」ころだ。 季節を感じたくて、東京・新宿御苑を歩いた。 高さ15メートルを超すホオノキが、淡い黄白色の大輪の花を咲かせている。 甘やかな香りにうっとりする。 日本庭園の池では、シラサギが一羽、悠然とたたずんでいた。 その横を、カルガモのつがいが通り過ぎていく。 吹き渡る風にそよぐ葉の緑は、深く濃くなったり、浅く淡くなったりする。 いったい、目の前には何種類の緑色が広がっているのだろう。 若草、萌黄(もえぎ)、松葉、青緑、常磐(ときわ)、若竹色……。 心身ともに癒やされる。 100年前の5月に、新宿御苑はできた。 かつては皇室専用のゴルフコースが設けられていた。 管理事務所の前のヒマラヤスギの近くが1番ティーグラウンドだった。 昭和天皇もよく通い、スコアは100を切る腕前だったという。 苑内の温室では、オジギソウが薄紫色の花をつけていた。 花もかわいいが、やはり葉っぱが面白い。 鳥の羽根のように開いた2〜3センチの葉を指で突っつくと、すーっと閉じて下を向く。 いかにも、しゅんとしたように見えるが、しばらくすると元に戻る。 その動きを見ながら、ふと小泉首相の発言を思い浮かべてしまった。 先月、この御苑で「(桜は)ばっと散るからきれいなんです。 私も引き際、散り際を大事にしたい」と述べた。 この秋に首相を辞める思いを、桜になぞらえた。 でも政治家は続けるのなら、いったん閉じて下を向いても、 そのうちにまた開くオジギソウが似つかわしかったりして。 キツネ首相をライオン首相と言う人たちもいるが。だから比較的長持ちした政権だったのかもしれない。 この五年間が良くなったのかどうかは判らない。でも変化が一番あったことは認める。 その変化が良い変化かどうかはこれからの事である。 変人首相であったことだけはまちがいない。 ムンクは国民的な画家イプセンの方は、近代劇の祖 5月23日の天声人語からの引用 ノルウェーの画家ムンクは、絵の主題として人間の死や病のほかに、性をよく選んだ。 乙女と裸の娼婦(しょうふ)と尼僧を一枚に描いた「女性三相」を出展した19世紀末の個展は、 激しい非難を浴びたという。 「会場のボイコットだとか、警官を呼べとか叫ばれたのである」と、ムンクは述べている (R・スタング『エドワルド・ムンク』講談社・稲冨正彦訳)。 個展の会場に現れて、「とても興味深いですな」とムンクに語りかけたのが、 既に「人形の家」などで知られていた、同じノルウェー出身の劇作家イプセンだったという。 「今に見ていてごらんなさい、私と同じようになりますよ??敵が多ければ多いほど、友人も増えるというふうにね」 言葉の通りに、ムンクは国民的な画家となった。 イプセンの方は、近代劇の祖とも言われるようになる。 「人形の家」の女主人公のノラは、夫にこう言い残して家を出てゆく。 「わたしたちの家庭は遊び部屋みたいなものでした。わたしは実家ではパパの人形つ子でした。 こゝではあなたの人形女でございます」(岩波文庫・竹山道雄訳)。 イプセンが他界したのは、今から100年前の1906年5月23日だった。 その2年後に、夏目漱石が朝日新聞に連載した「三四郎」にはこんな一節があった。 「イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠を尤(もつと)も明かに感じたものだ。 吾々も追々あゝ成つて来る」 時は移った。 しかし、世の中の制度と人間との間には、悩ましいものがあり続けている。 そこに光を当てたイプセンは、今もなお新しい。 ムンクの絵は人間の本質をみつめたギョッとするような絵画で.イブセンの小説は旧習を打破したともいえるが, 一方では現代の少子化への源泉・原因となったともいえる。 イブセンの小説がなければ,大家族制度の良き慣習?が維持されていたとも言えられるのだが。 旧ユーゴスラビアの作家イボ・アンドリッチは 国家反逆罪に問われて投獄されたこともある 5月24日の天声人語からの引用 「いずれも訳者が愛惜してやまない作品である」。 旧ユーゴスラビアの作家イボ・アンドリッチの短編集『サラエボの鐘』(恒文社)に 、訳者のひとりとして田中一生さんはそう記した。 先月、旧ユーゴ文学の翻訳と紹介を半世紀にわたって続けた功績で、 セルビア・モンテネグロ政府から勲章が贈られた。 アンドリッチは19世紀の末、オーストリア・ハンガリー帝国の行政下にあったボスニアに生まれた。 国家反逆罪に問われて投獄されたこともある。 61年に「自国の歴史の主題と運命を叙述しえた叙事詩的力量」によってノーベル文学賞を受けた。 バルカン半島は、民族対立や政治的混乱の印象が強い。 アンドリッチは「然り、ボスニアは憎悪の地です」と書いた。 そのうえで「対照的に、これほどの強い信頼、気高い強固な人格、これほどの優しさと激しい愛」が 見られる土地は少ない、と述べている。 旧ユーゴが崩壊した後、セルビアと行動を共にしてきたモンテネグロが独立することが、 国民投票で確定的になったという。 福島県とほぼ同じ面積に、60余万の人が住む。 小さな国の先行きはまだ不透明だが、「独立」への思いは強かった。 「ドリナの橋」などの代表作があるアンドリッチは、「橋ほど善にして貴重な物はなにもない」という。 「それは人間が障害と出くわした処、だが怯(ひる)むことなく……可能な限りこれを克服し、架橋した場所を示している」 流血の歴史を克服し、民族が自立しつつ共存する。 この独立が、人々をそんな未来へと導く橋になればいいのだが。 民族の差 国家間の対立 男女の差 宗教の差 貧富の差 習慣の差 などなど対立要素は沢山存在する。 それらが解消されれば戦いは止んで,地球上の人間は本当に幸せになれるのだろうか。 ライブドア前社長・堀江貴文被告の自筆だという文書のコピー 5月25日の天声人語からの引用 電子メールのように印字されたものではない。 細かい筆遣いまで見える文面が、どこか新鮮だ。 ライブドア前社長・堀江貴文被告の自筆だという文書のコピーを見た。 月日がゆっくりと過ぎる拘置所での生活が「これまでの人生を振り返る良い機会になりました」とある。 そして「今まで生き急いできたかなとも思うようになりました」。 以前は「人の心はお金で買える」と述べていたが、心境の変化なのか。 起訴事実の否認など、自己主張もしている。 以前の目標は「株の時価総額世界一」だったはずだが、文書では「時価総額経営」をしていたつもりはないと述べる。 株式会社である以上は利益拡大をめざすべきで、その考えは、事件の前後で変わっていないという。 ライブドアに限らず、利益拡大をめざすのが企業一般だとしても、 その度はずれた追求が世の中を激しく揺さぶってきたという面は見逃せない。 バブル経済や、はじけた後の不況によるリストラなどで、家計は痛めつけられた。 多重債務者や、経済的な理由による自殺も増え、幾つもの偽装問題が起きている。 ドイツの作家ミヒャエル・エンデは「モモ」「はてしない物語」などで日本でも親しまれた。 幻想的な作風の中には、文明批判が込められている。 経済と金融システムを、がんに見立てたこともある。 「つまり、それは生きつづけるために、常に成長し増殖しなければならないのだ」(『エンデのメモ箱』岩波書店)。 利益拡大という果てしない成長にせかされて、生き急ぐ。 現代人への、悲痛な警告だ。 ホリエモンはあまりにも若すぎる。政権が短期間に金儲けできるシステムを日本に導入し解放したことが 間違いの根本である。資本主義経済・競争社会が人間にとってベストであるかが問わている。 果てしなくゴールのない目標に向かい人類は試行錯誤している。 小泉改革での,国家が関与しなければならないことへの国家の関与の放棄が問題である。 国の207番目の「伝統的工芸品」に指定された 5月26日の天声人語からの引用 木の皮を煮たり漬けたり裂いたり、長い時間をかけて糸にする。 それを織って布にし、帯や帽子に加工する。 山形・新潟県境の山村で、70人ほどの女性が受け継いでいる「羽越(うえつ)しな布(ふ)」づくりは、 縄文、弥生を思わせる技術だ。 昨年、国の207番目の「伝統的工芸品」に指定された。 まとめ役を務めている五十嵐勇喜さん(70)は「公に認められたことで、 後継者を育てていく自信がわいてきた」と話す。 喜びの一方で、指定に伴って行われる予定の「伝統工芸士」の試験を受けようという人が一人もいないことが悩みだ。 経済産業省の外郭団体の「伝統的工芸品産業振興協会」が実施している試験は、実技とペーパーテストがあり、 それぞれ70点以上とらなければ不合格となる。 羽越しな布に携わる人たちの平均年齢は約70歳。 「40年ぶりとか50年ぶりに筆記試験と言われても、尻込みする者がほとんど」だという。 正倉院は何県にあるか、室町時代の工芸品は何か、伝統的工芸品を所管しているのは何省か。 かなりの難問ぞろいだ。 全国の伝統的工芸品の産地でも、合格者が数人しかいないところが少なくない。 あくまで名誉的称号で、経済的恩恵がないのに試験を受けるのは面倒だという声が各地で聞かれた。 長老が受けないと若手が受けづらいことも、受験者が増えない一因のようだ。 「落とすための試験ではない。 勉強するいい機会として受けてほしい」と協会は説明するが、 伝統技術を受け継ぐ人たちに筆記試験が本当に必要なのかどうか。 現在のやり方はかなり疑問に思える。 伝統技術を受け継ぐ人たちに筆記試験をする必要性があるかどうかは疑問である。 伝統技術こ,その技術が問題で知識ではない。技術は文章に書けない。解説できない。 身体で憶えるしかないものである。 結果が大切なのであって,理屈ではない。伝統技術には今までに日本で絶えてしまったものが多くある。 教育基本法を改める法案を読む 5月27日の天声人語からの引用 政府、民主党がそれぞれに出した、教育基本法を改める法案を読む。 今の法には無くて双方の案にあるのは、「愛国心」のくだりだけではない。 「公共の精神」という言葉が双方とも前文に出てくる。 政府案は「公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」とある。 民主党案では「公共の精神を大切にする人間の育成」となっている。 公共心のある人間を育むことで通じている。 かなり重視していることが分かるし、文案はなかなか立派だ。 しかし、公共心が公共の利益を計ったり、公に尽くしたりする心だと考えると、 法案を出した側の公共心には疑問がわいてくる。 国会議員らが国政の調査に使う目的で税金から支出される「国政調査活動費」のうち、 衆院では02、03年度だけで約5千万円が、高級料亭などでの酒食に使われていた。 以前からの慣行だというから、累計では更に膨大な額になるのだろう。 国会を停滞させた民主党の「偽メール事件」も、公共の利益に反するものだった。 1億円もの献金を受けた疑惑にまともな説明をしない元首相がいれば、 それを党全体の問題と考えない政権党もある。 「憲政の神様」といわれた尾崎行雄は、きちんとした審議をしない議会を「議事堂ではなくて採決堂だ」と批判した (浅野一郎編『国会入門』信山社)。 本社の世論調査では、教育基本法について「今の国会では採決をせず、議論を続ける方がよい」が7割を超えた。 「愛国心」の審議より前に、育むべき公共の精神とは何かから論議を始めてはどうか。 「愛国心」は教育して身に付けるものでなくて,心の底から自然に湧き出るものである。 「愛国心」を法律で規程して教える事を義務化し,点数をつけたりするのは間違っている。 第二次大戦の頃を思い出す。 徹底的な愛国教育を受けて国家のために命を捧げよとのところまていってしまった。 その結果が軍隊の徴兵制度,特攻隊攻撃とかの異常現象を生んだ。 国旗 国歌斉唱への強制化と同じようにつながって,大変危険なことである。 「命の大切さの教育」をば教育基本法に盛り込むべきだ。 全国展開するラーメン店チェーンが 大幅な値下げに踏み切ったから 5月28日の天声人語からの引用 2日続けて同じ店で、ラーメンを食べた。 具もめんもスープも同じに思えたが、消費税別で1日目が390円、2日目は290円だった。 全国展開するラーメン店チェーンが大幅な値下げに踏み切ったからだ。 担当者によると、材料を大量に仕入れることで、品質を落とさずに原価を削減したそうだ。 ギョーザやご飯ものを加えたセットメニューをできるだけ注文してもらい、 全体の売り上げを減らさないようにしていきたいという。 上には上というか、下には下というか、近くには「税込み290円」をうたう別のチェーン店もあった。 激しい価格競争があるようだ。 朝日新聞のデータベースで今年初めからみると、「値上げ」ということばを含む記事は約350本、 「値下げ」は約240本だった。 ハンバーガーやコーヒー豆、東京の銭湯料金、東京ディズニーランドのチケット……。 原油高騰に加え、デフレ脱却のかけ声もあって、このところ値上げのニュースが目につく。 作家の小林信彦さん(73)は、戦争直後の体験を引いて、しばしばインフレへの懸念を書いている。 「インフレをコントロールする、とよく学者はいうが、『デフレをまともにコントロールできない政府・役人が、 インフレをコントロールできるはずがない』とぼくはつぶやく」(『にっちもさっちも』文春文庫)。 値下げしたラーメン店は以前の倍以上の客で、行列ができていた。 今後客は増えるのか減るのか、値段はどうなるのか。 身近な経済を知るために、1カ月後、1年後にも定点観測してみようと思った。 ラーメンが税込みで290円は非常に安い。何処へ行っても見ないもので一度食べてみたいものだ。 吉野家の牛丼に代表される380円が最低の食事代である。 長崎市の漁協が募っていた アジの一本釣りの研修生に応募 5月29日の天声人語からの引用 10年余り会社勤めをしていて、漁師になりたいと思ったら、どうすればいいのだろう。 福岡に住んでいた山本幸徳さん(38)はインターネットで「漁師」を検索してみた。 社団法人・大日本水産会の主催する「研修生募集フェア」の案内が出ていた。 3年前のことだ。 フェアの会場で、長崎市の漁協が募っていたアジの一本釣りの研修生に応募した。 半年の研修の後、面倒を見てくれた漁師の下でさらに半年修業を積んだ。 退職金などで、250万円の中古の漁船を買って、独り立ちした。 漁師は全国で毎年1万人近くずつ減り、今や二十数万人に落ち込んだ。 一方で、毎年1千人余りが新たに漁師になる。その多くが転職組だ。 全国漁業協同組合連合会はホームページで、「漁師になりませんか」と呼びかけている。 「充実感が得られる仕事」がうたい文句だが、甘い仕事ではないとクギを刺すことも忘れない。 「陸のサラリーマンの仕事とは全く違う。 半端な気持ちやあこがれでは続かない」「収入も決して多くは望めない」 山本さんは明け方に1人で沖に出て、夕暮れまで魚を追う。 昼は船の上で弁当を広げる。土曜も日曜もない。 「サラリーマン時代に比べ収入は減ったが、自然を相手に1人で仕事をしたかったので、つらくはない。 がんばった分だけ返ってくる。 海は裏切りません」。 昨春結婚したことも、大きな支えになっているという。 今年で5年目になる募集フェアが今月、東京と大阪で開かれた。 山本さんの後輩として、約60人が研修生の候補に選ばれた。 大いなる自然を相手の職場はそうない。魚師は体力仕事だが若ければ一度試みるも良いのではないのか。 頑張ればそれだけの見返りも有るようで,土曜日も日曜日がないのはつらい所である。 インドネシアのジャワ島の大地震 5月30日の天声人語からの引用 インドネシアのジャワ島の大地震は、日がたつにつれて犠牲者の数が増えている。 がれきの下には、まだ多くの人が埋まっているという。 重機が乏しく、スコップや素手での作業が続く。 震源から約50キロの所にそびえるムラピ山の動きが不気味だ。 火山活動が活発で、今月半ば、政府が周辺住民に避難勧告を出した後、火砕流が起きた。 直接の噴火災害の他、うわさによるパニックが起きる心配もある。 大地震で危機にさらされた人々にとって、今後大噴火が起きるかどうかは重大な関心事だ。 不安にかられると、デマや憶測に左右されやすくなる。 「いつか大噴火するかも知れない」。 これは間違いとは言えない。 しかし、「明日噴火する」といった明確な予測は、地震も含めて今の科学にはできない。 デマを防ぐには、正確な情報を迅速に届ける必要がある。 ムラピ山は、千年前の1006年に大噴火し数千人が死んだ(理科年表)。 その後も噴火を繰り返してきた。 しかし、そこで暮らす人たちにとっては、かけがえのない存在なのだろう。 周辺には、壮大な仏教寺院跡の世界遺産・ボロブドゥールもある。 「ずっとここに住んでいる。ムラピ山がどうなるか分かっている。 心配なんかしていない」。 今月中旬、山すその78歳の長老の言葉が、英字紙・ヘラルド朝日に載った。 この落ち着きようは、遺跡を流れる悠久の時を思わせる。 魅力的だが、大地震では無事だったのだろうかと気に掛かる。 ひとりでも多くの命が救えるように、日本からも、より早く、より多くの支援を届けたい。 自然災害は何時起こるかわからないので起こったときが恐ろしい。 地震もいつ発生するかわからない。これだけ科学が発達していても火山噴火 地震発生などの予知は困難である。 インドネシアのジャワ島の大地震では裕福でもない地域での発生はなおさら大変だ。 災害の救援の方法で大変でがれきの下の大勢の人たちを助け出すのが困難である。 国際的な支援が求められる。 国連に災害支援部隊のようなものがあって災害時には直ちに出動できるように 常に待機しているシステムが出来ても良いと思うのだが,既にそのようなものがあるかもしれない。 最近の言葉から 5月30日の天声人語からの引用 最近の言葉から。 38年前に福島県いわき市で見つかったフタバスズキリュウは新種の首長竜と分かった。 発見者で、今は市アンモナイトセンター主任研究員の鈴木直さんは、訪れる親子に語りかける。 「太古からの命のバトンリレーの中で人は生きている」 小泉首相に靖国神社参拝の再考などを求めた経済同友会の提言に、首相が「商売と政治は別」と反論した。 同友会の北城恪太郎代表幹事が再反論する。 「経済も含めて国の政策は決めるべきではないか」 朝日新聞阪神支局襲撃事件から19年になる。 新築した支局にできた資料室を訪れた女性が「見学者カード」に記した。 「『ものが自由に言える』のは、平和でなければ保証されません。 ごく普通の私たちに何が出来るのか問われていると思います」 元ハンセン病患者の人権回復運動に尽力する多磨全生園の前自治会長・平沢保治さんが、講演で語る。 「外国にも何度も行き、日本中に行きました。 それでもただ1カ所だけ、行けないところがあります。ふるさとです」 63年ぶりに帰国した旧日本兵の上野石之助さんは、妻の故郷のウクライナではイシノスキーと名乗っていた。 里帰りを終え、かの地へ旅立った。 「美しい、すてきな国に日本はなった。本当に本当に、うれしかった」 ケンケンはオスのトカラヤギだ。この春、新入生のいない鹿児島県いちき串木野市の土川小学校に「入学」した。 「ケンケンは生きた教材」と教頭先生。 「ヤギと過ごす学校生活。子どもたちの心に永遠に残る思い出になるでしょう」 奈良の東大寺へ それこそ久しぶりに奈良の東大寺にいってみた。 東大寺前の公園は,何度も通っているが東大寺の中に入るのは 何十年ぶりのことで゙ある。 週日で,小雨が降る午後にもかかわらず,驚いたことの一つは修学旅行生と思える人たちが何組もいて, 大変に混雑していた。 普通一般の方もちらほらみかけるが,傍に寄ってみると中国語を話している。白人の外国人も多い。 殆どが修学旅行生と外国人達の方ばかりのようである。南大門の両側に建つ仁王像の大きさにも驚いた。 どこの寺院でも南大門には仁王像はみかけるものだが,こんなに飛びぬけ大きいのは見かけたことがない。 あまりにも大きすぎて,巨大で飛びぬけている。 子供の頃に観た印象よりもさらに大きく感じた。運慶 快慶の作である。 又奈良は鹿たちである。鹿が修学旅行生まとわりついて離れない。 鹿センベイが与えてもらえるからである。子供の頃も同じような光景を思い出す。 伽藍の周りの回廊も広い。その下に入るのは遮断されているから歩けないが,かなり広い。 大仏殿は外観は常に見ているから驚きは少ない,大仏自体も見て驚かなかった。 だが蓮弁が下の所に真近くにみられるように置いてあるのをみると大変に大きい。 丈六の仏像の大きさにビックリしているものにとって,大仏はやはり大仏だった。 大仏造立は国家を統一するための聖武天皇によっての大事業である。 初めて藤原氏から聖武天皇は皇后として所謂光明皇后を迎えている。 この時に藤原氏の権勢が初めて確立した時でもある。 藤原氏の氏寺である興福寺 氏神である春日大社が近くに建っており,今も大勢の参拝者で賑わっている。 小雨と大勢の参拝者で,ゆっくりとみることもできなかった。 多分いつもはもっと大勢の人達のことだから,今後ともに,行くこともそんなに多くあるまい。 東大寺に訪れる前に立ち寄った奈良国立博物館には京都の禅林寺の隣にある若王子神社に有って 明治維新の時,廃仏毀釈で民間に流れ奈良国立博物館所蔵で彫刻部門では唯一の国宝に指定されている。 この薬師如来像に一番興味があった。 平安時代前期の作で端正な顔だちと,なだらかな流れるような衣の線が美しく国宝に指定されたるだけの ことがある。 写真で見ていたよりも小さく感じた。 同じような仏像を以前大津市にある三井寺で見たことがある。 これも同じ頃の作品であって,三井寺が始まる以前の大伴氏の氏寺であった頃のものである。 同様に京都の若王子神社の境内で大伴の字の入った瓦が拾われており. 此処も大伴氏の氏寺で有った可能性が考えられる。 若王子神社は禅林寺の一部であったと書かれた本もあるが独立した寺院であったと考える。 禅林寺が建つた時代より古い仏像になる。 奈良国立博物館所蔵の薬師如来像は大伴氏によって造佛されたたのではないかと想像する。 大伴氏は伴善男が応天門の変である火事事件の謀略でもって政界から藤原良房氏により追放されてしまっている。 このことで,完全に藤原氏の天下が確立された。 戻る 4月分 5月分 6月分
皐月になって
桜の季節が終わると共に五月晴れの季節になった。天候が不順なので健康には要注意である。 緑が目に映える季節で一年で絶好の季節である。時々に涼しくなり頻繁に着替えをすれば良いが 面倒で夜中布団から飛び出し寝ていてひどい風邪にみまわれた。自分の不養生で誰にも当たる事が出来ない。 やはり風邪とはいえ病はつらいものである。時々そのような患者さんが訪れられる。 出歩くのに暑くもない寒くもない絶好の季節の到来である。 何とか政治の方面でも,小沢小泉両首脳討論以後に強行採決するような気配が自民党に見られなくなった。 一番恐れていたことは,次から次へと衆議院の数の力を頼って,どの法案も可決してしまうのではないかとの思いは 気鬱に終わった。 やはり政治家たちには,日本の為になるような政治をして頂いているのだから, より良い日本にしようとするの思いはどの政党も同じだ。 国民が納得いく政治を進めてほしいものです。 難しい法案が目白押しに続いているからこそ,余計にそのことが案じられる。 国民に信を問うたのは「郵政民営化イエスかノ-だけの選挙」で,現在はその時の衆議院の人数であることを, 与党 野党共に大いに意識してのことた゜と思う。 次回小泉首相の後任になる人が小泉首相との違いをアッピールし, 自己の政策を国民に判りやすく解説提示して,参議院選挙でもって国民の信を問うことにより良い政治を進めて欲しい。 常識的に誰もが変だと感じていただろうホリエモン 村上ファンドともに犯罪行為で巨額の利益をえていることが 次第に判りだしてきている。これらは異常現象であった。 今までの日本の国民性からして,二人のようなものがこれからの若者のお手本になれば, 日本もこれで終わりかなと感じていたのが,やはり,とんでもない人たちであったことが判明しつつある。 額に汗を流し,歯を食いしばり戦後の荒波時代を乗り切ってきた人たちによって今の日本の発展・繁栄がある。 昔から受け継がれてきた「忍耐」「勤勉」の精神は日本の良き伝統であった。 日本人の「勤勉さ」が否定されればこれからの日本の発展は認められなくなろだろう。 でも現在はなんとなく次の時代への過渡期のように思えてくる。 欧米一辺倒の政治姿勢をば,日本としての本来のよさが反映される世の中に立ち直るべき姿に変えて欲しい。 便利さ 速さ 効率化だけを上げることだけでもって暖かい世の中であることは決してなりえない。 さらに悪い事に,今の世の中は弱肉強食になりつつある。 ある程度の不便さがあっても良い,効率が悪かろうとも 温かさ 思いやりのある人間性ある社会をば 目指してほしいものである。 江戸時代,さらに古くは平安 奈良時代 もっと昔の一番長く続いたといわれている縄文時代の人たちと 今の人達との生活を比較し,どちらがゆったりとした幸せな生活を人々にもたらし, 時間が流れていたのかは判らない。 戦乱に明け暮れた鎌倉・南北朝時代,室町・戦国時代は好まない。 明治維新から第二次大戦終戦時まで異常なエネルギーを間違った方向に使われてきた。 世界的には,ブッシュは純粋で無智な人々を騙し,きれいな事を言いながら,自己の利益のために好戦家となって 世界の人々に対し大いなる迷惑をかけている。 そのブッシュ, 小泉の時代もその正体を暴露しながら,終わろうとしている。 でもイラクの人たちの生活は再び強権であって安定していたフセインのような時代には戻れない。 国民自身の模索で新しい枠組みを作られるか,国連を純化され誰もが信頼できる強力な力を持った国連の組織に変り その指導にもとずいた新しい国作りが始まることを願う。 イラクの人々はアメリカの傀儡政権だけ嫌うであろう。 毎日のようにイラクで何十人もの人たちが死亡する報道に接すると なんとかならないものかと考えるのだが。 現在世界中が強国に翻弄されている。 波乱の多い中東地域に,早く平和が訪れないものかと祈る。 誰もがそのように願っているが実現は困難のようである。 でも平和になることを願わない人たちもいるのではないかと考えたりもする。 それは兵器産業などに頼り,生活している人々である。 戦力が大国の証のようだが,核戦力の時代には通じない事くらい誰もが直ぐに理解できることだと思う。 世界で現在戦費に費やす金額で日本は世界第四位らしい。 是非ともこんなところに国民の税金をば使ってもらいたくない。 国を守って強くすることは,結果的に国を滅ぼす事に通ずる。 これは富国強兵の第二次大戦前の日本が良い例である。 これからの日本は不戦国家,平和国家の大国を目指し,世界の模範となって欲しいものである。 予算書に「検索機能」をつけた 5月1日の天声人語からの引用 ちょっとした進化だ。 鳥取県がホームページに載せた予算書に「検索機能」をつけた。 技術的に難しいことをしたわけではない。 ただ、情報を見せる側から、読む側へと、視点を百八十度転換させた点が新しい。 どの自治体でも予算書は公開している。だが、担当課ごとに事業名と金額を並べるだけだ。 税金の使い道は、みんなが知りたいのに、お役所は「見たければ、ご勝手に」という態度なのだ。 それが「検索」で変わる。キーワードを入力すれば、すぐに調べられる。 試しに、韓国との交流事業を見る。 情報公開の欄の「予算編成」から、平成18年度当初→知事段階→知事査定とたどる。 出てきた検索ボタンで「日韓」を引くと16項目が並んだ。 国際課や水産課など部局をまたいで一覧できる。 鳥取県には情報公開で得をした経験がある。 予算書を見た県民から、コピー機のリース料が割高だ、と指摘された。 調べると、県予算は単年度主義なので、複数年契約の割引がなかった。 そこで政府にOA機器リース契約特区を提案し、地方自治法の改正も経て、長期契約に切り替えた。 おかげで来年までの3年で3億円を節約できる。 金額の大きさとともに、特区申請や法改正があったことにも驚く。 どうやら、役所の内部情報をもっと読みやすく公開すればするほど、行政の無駄は省けそうだ。 鳥取県が予算書に「検索」を付けたのは、その先駆けといえる。 きょうから5月。「メーデー」で検索すると、労働団体の集会への「知事祝い金30万円」も載っている。 さて次は何を見てみようか。 インタネットによる検索機能が色んな所で活用されだして来ている。ITの進歩の御蔭である。 ドンドン色んな方面で活用できればとの思いはつのる。 1956年その年に、 水俣病が公式に確認された 5月2日の天声人語からの引用 「もはや戦後ではない」と経済白書が書いたのは、1956年だった。 その年に、水俣病が公式に確認された。 以来半世紀、首相は小泉氏まで22人いるが、現地には一人も足を運んでいない。 公式確認の日から50年になる昨日も、水俣に首相の姿はなかった。 患者団体の「水俣病互助会」の人たちはこの日、 公式確認につながる患者たちが診察を受けたチッソ付属病院跡などを見て回った。 「半世紀たっても未認定患者問題を解決させきれないことを、国は恥ずかしいと思ってほしい。 悲しい記念日です」。 49歳の胎児性患者の娘を持つ、81歳の女性の認定患者が述べたという。 熊本県の水俣市などが主催する慰霊式は「水俣病慰霊の碑」の前で、小池環境相らが出席して営まれた。 「不知火の海に在るすべての御霊よ 二度とこの悲劇は繰り返しません 安らかにお眠りください」。 碑文は広島の原爆慰霊碑の言葉を連想させる。 広島の碑の方は「過ちは繰返しませぬから」だった。 原爆の惨害も有機水銀の垂れ流しによる水俣病も、共に繰り返しは許されない。 その繰り返してはならないものを、水俣の碑は「悲劇」と表した。 「悲劇」という言葉は、この「50年の日」を前にした小泉首相の談話にもあった。 「このような悲劇を二度と繰り返さないために……」。 対応を怠った為政者の側が発する言葉としては、違和感がある。 首相の「悲劇」には、過去のものというような気配が漂う。 「劇」ならば、始まりがあり、終わりがある。 しかし水俣の惨禍は、終わってはいない。
水俣病は戦後の大きな公害の一つであった。医学の発達がそこまで達していなかったと言えばそうだが, 原爆被害者同様に再び同じようなことがでないことを祈るだけである。 タバコ発売継続もいずれ公害になる時期が来るはずだ。百害あって一利なしである。 日本が米国の世界戦略に一段と組み込まれ 5月3日の天声人語からの引用 政府は「在日米軍の再編」と言うが、 これでは、日本が米国の世界戦略に一段と組み込まれてしまうのではないか。 日米同盟が「新たな段階に入る」と宣言した外務・防衛担当閣僚の合意内容を見て、そう思った。 米陸軍の軍団司令部が神奈川県の基地に来て、陸上自衛隊の司令部が「同居」する。 沖縄から国外に出る部隊がある一方、日本本土へ移るものもある。 沖縄の負担軽減の名目で、日米の軍事的な一体化や、本土の沖縄化が進みかねない。 戦後、米国は戦争を繰り返してきた。 ベトナム戦争では、国防長官が後に「間違いだった」と述べた。 イラク戦争では、大量破壊兵器について結果的に誤った内容を国連で演説した国務長官が「人生の汚点」と語った。 過ちのたびに多くの命が失われた。 小泉首相は、再編のための法案の提出を先送りするという。 再編は国の針路を左右するだけではない。 経済や財政にも影響するような膨大な出費を約束して、後は頼むでは済むまい。 「私が日本を見ていて一番うれしいのは、経済が軍事的な影響力から逃れている点だ」。 先日、97歳で亡くなった米国の経済学者ガルブレイスさんが、04年の日本経済新聞で述べている。 米国については、国際的な影響力を強めようとすればするほど不人気になり恐れられると分析して、続けた。 「誤りの根源は、企業の利益と軍事的な影響のもとで外交政策が実行されていることにある」。 『不確実性の時代』などで日本にも多くの読者をもち、一世紀近くも世界を見続けた人の言として、重みがある。 今の日米同盟はどう見てもアメリカが主体で日本が従の位置にある。日本がうまくアメリカの戦争に引きり込まれる 準備段階だと認識している人がどれだけいるのだろうか。 「朝日新聞襲撃事件資料室」が設けられた。 5月4日の天声人語からの引用 新しい壁に、短冊が掛けてある。 〈憲法記念日ペンを折られし息子の忌〉。 87年の5月3日、ここ兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で銃撃されて死亡した 小尻知博記者の母、みよ子さんが詠んだ。 建て替えられた阪神支局の新局舎が、この春に完成し、中に「朝日新聞襲撃事件資料室」が設けられた。 昨日そこに立って、凶行のすさまじさと卑劣さを、改めて胸に刻んだ。 茶色に変色した「犯行声明文」の現物がある。 文章のところどころに小さな四角い穴があいている。 鑑定するために警察が切り取った跡だ。 「すべての朝日社員に□□を言いわたす」の二文字は「死刑」だった。 小尻記者や重傷を負った犬飼兵衛記者が、仕事の後にすきやきを囲んで座っていたソファが、 当時のように置かれている。 撃たれた小尻記者が頭をうずめた黒いソファには、チョークの白い線が、 その時の姿を伝えるようにうっすらと残っている。 暴力で言論を封殺しようというようなやり方に屈することはできない。 自由な言論活動は、メディアのためというより、まっとうな社会を築くために不可欠なものだ。 戦前に、新聞としての任務を果たし得なかった苦い歴史を繰り返さないためにも、である。 支局の入り口のそばには、以前のようにして一本の桜が立っていた。 長い間、支局員たちを見守り、あるいは犯人を見たかも知れない。 見上げると、枝先に花が二つ、三つ咲き残っている。 青い空を背にして、白い象眼のように浮かんでいた。 犯行現場の局舎は消えたが、小尻記者は心の中に生き続ける。 言論の封殺は健全な社会形成発展にとってマイナスの作用しかない。 大規模商業施設「表参道ヒルズ」で 5月6日の天声人語からの引用 高速道路が渋滞し、行楽地に行列ができるこの時期は、場所によっては都心の方がすいている。 しかし昨日、東京都心の表参道に長い行列ができていた。 開業から約3カ月になる大規模商業施設「表参道ヒルズ」で、 開店してから行列の最後尾が入店するまで10分以上かかった。 ファッション関係などの100近い店を目当てに、連休を利用して遠くから来た人も多かったようだ。 6階建てなので、同じヒルズでも超高層の六本木ヒルズとは印象が違う。 六本木が肩を怒らせた戦士なら、通りに沿う長さが約250メートルに及ぶ表参道ヒルズは大きな船か長城のようだ。 敷地は同潤会青山アパート跡で、並行する古いケヤキ並木との調和を心がけたという。 中のエスカレーターや通路には、人がびっしりと連なった。 この混雑の中、地下3階の写真展には行列が無かった。 映画「ベルリン・天使の詩」などで知られるヴィム・ヴェンダース監督と、 妻で写真家のドナータさんの「尾道への旅」だ(「O(オー)」で、7日まで)。 敬愛する小津安二郎監督の「東京物語」の舞台となった町へ昨秋旅をした。 約半世紀前の「東京物語」の場面を胸にしつつ撮られた町並みや海や人の姿は、 その地とは縁の無い身にも懐かしさを呼び起こす。 ヴェンダース監督は本紙に述べている。 「土地にはそれぞれの歴史があり、風景がそれを語りかけてくる」。 表参道ヒルズを設計した安藤忠雄さんは、街の記憶を受け継いで未来に伝えることを考えたという。 時には立ち止まって、風景が語る街の記憶に耳を澄ましたい。 東京の景色は東京以外の人間にとっては未知の世界である。表参道ヒルズと六本木ヒルズの高層ビルが建っているようだ。 前者が商業ビル 後者がビシネスビルで東京の新しい名物になっている様子はわかる。 何処へ行っても世界中同じ風景だといった状態になってもらいたくはない。 インド人のコンピューター関連の技術者と その家族が続々と来日 5月7日の天声人語からの引用 東京都江戸川区に住むインド人が千人に達するそうだ。 8年前には100人ほどだったが、ここ数年で急増した。 昨年1年間だけで300人近い増加だという。 背景にはITブームがある。 コンピューター関連の技術者とその家族が続々と来日している。 若い技術者は「日本はハードウエアが得意。 インドはソフトウエアが得意。 一緒にやっていけるパートナーです」と口をそろえる。 ジャグモハン・チャンドラニさん(53)は80年代初め、成田空港にも横浜港にも近いという理由で江戸川区に移り住んだ。 紅茶の輸入や料理店の経営を手がけてきたが、知らないうちにまわりにインド人のコミュニティーができていったという。 「江戸川インド人会」の会長を00年から務めている。 会長としての悩みは、学校のこと。 一昨年、3歳から13歳までを対象にして近くにつくられた「インド国際学校」は、早くも手狭になってしまった。 「親が若いから、子どもも小さい。 帰国した時のために、インド式のカリキュラムでヒンディー語や算数を習っておかないといけません。 日本の帰国子女問題と同じです」 インドのハーブや食材を取り扱う店もでき始めた。 6月には歌や踊りを交えた大々的なパーティーを区内の公園で開く予定だという。 といっても周辺は、ニューヨークや東南アジアなどにある、いわゆるインド人街といった風情ではない。 目に見える形でなく、インターネットや携帯電話で結ばれた、 困った時にお互いが助け合う新しい「電子上」のインド人街が生まれつつあるようだ。 コンピュターで日本はハ-ド面が強くて,インドはソフト面が強い状態は何故にそのようになったのか。 新しい情報技術が開発されることを期待する。 知ったのが「全国障害者とともに歩む 兄弟姉妹の会」だ。 5月8日の天声人語からの引用
いずれは弟の親代わりにならなければいけない。 増田美登(みと)さん(41)は、ごく自然にそう考えていた。 六つ違いの弟はダウン症だ。 勤めていた外資系の証券会社が大阪から撤退する時、東京に移るか、会社をやめるかを迫られた。 生まれ育った大阪が好きだったが、それ以上に、弟を残しては行けなかった。 弟の面倒を見るには福祉を勉強しておいた方がいい。 そう考え、大学に入り直して、2年間勉強した。 そのころ、知ったのが「全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会」だ。 略称を「きょうだいの会」といい、きょうだいに障害者がいる人たちが集まり、悩みや困っていることを語り合っている。 増田さんは「悩みがあったわけではないのですが、同じ立場の人たちといると、心が軽くなった」と語る。 きょうだいの会が発足したのは1963年だ。 年に1度の全国総会が先月開かれた。 会長を務める田部井恒雄さん(58)は、昨年亡くなった四つ下の弟が知的障害者だった。 「きょうだいは親とは違います。 それぞれが自立して暮らしながら、心を通わせ合うのがお互いのためにいい」と話す。 増田さんは4年前、埼玉で介護の仕事を見つけ、引っ越した。 きょうだいの会の考え方に刺激されたところへ、「大阪以外でも仕事を探すやろ」と姉が背中を押してくれた。 今は結婚して東京に住む。 弟は両親と一緒に暮らし、作業所に通っている。 増田さんが将来の希望を聞くと、「一人暮らしをしたい」という答えが返ってきた。 なんとか夢をかなえさせてあげたい、と増田さんは思っている。 知的障害者の支援が肉親だけでなく公的な機関が責任をもってできる世の中になって欲しい。 弱者切り捨て時代になって来て,特にその思いが強い。競争でもって民営化といわないでほしい。 公の役割りの必要性が強いはずである。大病院も全く同じことだ。 弱者を扱う対象が狙われる時代になってきている。 アイヌ民族初の国会議員となった萱野茂さんは、
5月9日の天声人語からの引用
「狩猟民族は足元の明るいうちに村に帰る??」。 94年に参院比例区で社会党(当時)から繰り上げ当選し、アイヌ民族初の国会議員となった萱野茂さんは、 98年に北海道に戻った。 6日に79歳で亡くなったが、アイヌ文化の振興に大きな功績を残した。 01年には、出身地の平取(びらとり)町の二風谷(にぶたに)にミニFM局を開いた。 「言葉は足を持っている」と考えたからだという。 今では、ここからアイヌ語を交えて発信されるネットラジオ「FMピパウシ」が、地球各地で聞かれている。 大きな仕事の一つはアイヌ語の収集だった。 『萱野茂のアイヌ語辞典』(三省堂)は約600ページの力作だ。 日本語からも引ける。「こんにちは」にあたる「イランカラプテ」は、 「あなたの心にそっと触れさせていただきます」の意とある。 山菜の「行者にんにく」は「プクサ」で、萱野さんがまとめた『アイヌの昔話』(平凡社)には 「プクサの魂」が収められている。 生えているプクサを一本も残さず取りつくした村長の妻が病気になる。 その命を救うため、ある娘が干したプクサをまいて神の許しを請い、妻は助かる。 この話は「山に生えている草にも木にも、みな魂があって、役目があって、天国から遣わされてきている」ことを物語る。 萱野さんは、自然と共に生きてきたアイヌ民族を誇りとした。 国会議員としては、明治政府が同化政策のために定めた「北海道旧土人保護法」に代わる 「アイヌ文化振興法」の成立に尽力した。 戦後も一部生き続けてきた旧法が廃止されたのは、わずか9年前のことである。 アイヌ民族の人たちは日本にどれだけの方がいるのだろう。 もともと日本人は北方民族と南方民族の混血だといわれている。有史以来でも朝鮮 中国から高度の技術や知識を 持った人たちが一緒になって日本民族が形成されている。どうしてアイヌ民族の人たちだけが特別なのだろうか。 検事による取り調べの一部を、 ビデオで録画・録音する方針 5月10日の天声人語からの引用 つかこうへいさんの『小説 熱海殺人事件』の容疑者・大山金太郎は警察で、 容疑者のあり方を記した小冊子を渡される。 「自白道」のくだりがある。 「調子に乗ってすぐ自白しないこと。起承転結の、古典的骨格にのっとって自白すること……」(角川書店)。 調べ室では、ベテランの木村伝兵衛刑事らが、「平凡な容疑者」を励ましたり脅したりして 「一流の犯罪者」に仕立てようとする。 その過程が、鋭い文明批評的な視点で描かれる。 まさに芝居のように面白い取り調べだが、これがもし、調べが録画される時代だったら、伝兵衛はどんな手を使うのだろう。 最高検察庁が、検事による取り調べの一部を、ビデオで録画・録音する方針を固めた。 これまでは「密室でのやりとり」だったから、画期的な変化だ。 09年5月までに始まる「裁判員制度」を前に、審理を迅速にするのが狙いという。 制度を定着させるための現実的な対応の一つなのだろう。 「容疑者を落とそうとするなら、産婆に当たれ」。 静岡県警が、先輩刑事の経験や教訓を後輩に伝えようとして編んだ「刑事の語録」の一項だ。 真相を明らかにするためには、自分の足で容疑者の出生から調べるという意気込みを示す。 かねて「取り調べの可視化」を訴えてきた日弁連側は、一歩前進だが警察での録画が必要だという。 警察庁は、録音や録画は取り調べの機能を害するとの立場だ。 問題は、どうしたら、適切な調べで真相に早く迫れるかだろう。 外国の例にもあたりながら、録画活用の道を探ってほしい。 刑事さんの仕事は大変である。そこに素人の「裁判員制度」が発足されるが,アメリカ映画で見るように うまくゆくものなのだろうか。どうもこの制度は日本国民になじまないような気がする。 アメリカの思考の方法に二者選択の考え方があるが,日本人の考えに曖昧さが尊ばれてきた歴史がある。 全てをアメリカ流に日本を変える必要性はない。東洋的な発想での何か良い方法があるはずだ。 犯罪もアメリカ流になってきたので,裁判もアメリカ流に変えたいとの意図でもあるのかどうか。 我々は訴訟時代の幕開けの時代の初めにいる。それが本当に幸せになるかかどうかは判断に苦しむ。 萩原朔太郎は、この季節を愛した。 5月11日の天声人語からの引用 公園の梅の木の下に、青い実が落ちている。 先刻の小糠(こぬか)雨で実の皮にできた滴が、5月の東京の空を映す。 やがて雲間から日が差し、木々の若葉が光り始めた。 「若草の上をあるいてゐるとき、/わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく…… ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして」。 萩原朔太郎は、この季節を愛した。 「若くさの上をあるいてゐるとき、/わたしは五月の貴公子である」(『月に吠える』)。 20代の頃に妹に送った手紙には、新緑は、夏の盛りのどす黒いような不快な青とは違うと書いた。 「見るからに晴々した透き通る様な青です」。 朔太郎は、昭和17年、1942年の5月11日に55歳で他界した。 詩誌「四季」の追悼号には、高村光太郎や斎藤茂吉、室生犀星らの文が並んでいる。 中に、「師よ 萩原朔太郎」と題する三好達治の詩があって、毎年この時期になると読み返す。 詩人としては認められていたが、世間の常識とは大きな隔たりを痛感しつつ生きた朔太郎に、 まず「幽愁の鬱塊」と呼びかける。 「あなたのあの懐かしい人格は/なま温かい熔岩(ラヴア)のやうな/ 不思議な音楽そのままの不朽の凝晶体」だったとうたう。 「夢遊病者(ソムナンビユール)/零(ゼロ)の零(ゼロ)」と書き、 「あなたばかりが人生を ただそのままにまつ直ぐに 混ぜものなしに 歌ひ上げる」と記した。 確かに朔太郎の詩句は、詩の源泉からわき出る、混じりけのない流れだったかも知れない。 逝って64年。 自らを貴公子と呼んだこの季節には、若草の上をゆく姿が、薫風の中によみがえるような気がする。 文学は人間性を取り戻す糧である。感性高き人たちで殺伐とした世の中でのオアシスの役目をはたしてくれている。 トヨタの新しい目標と課題は 5月12日の天声人語からの引用 企業の粉飾をただす目付け役が、企業と共に粉飾する役回りを演じていた。 所属する公認会計士がカネボウの粉飾決算に加担していたとして、金融庁が10日、 中央青山監査法人に7月からの一部業務の停止を命じた。 監査する約5500社の中には、日本を代表する企業も含まれている。 その一つのトヨタ自動車はこの日、06年3月期の連結決算で売上高が21兆円余に達したと発表した。 米フォード・モーターを上回り、来年の決算では米ゼネラル・モーターズを抜く可能性が強まったという。 世界のトップの位置が目の前だ。 自動車の生産を始めてから約70年、国内生産の累計台数は、 昨年までで日本の総人口に匹敵する1億2千万台余に達した。 終戦後には倒産の危機もあったが、その後は業績を伸ばし続けた。 トヨタ車への支持と信頼を得るために、血のにじむような努力が続けられてきたことだろう。 その努力を認めた上で、あえて述べる。 世界一の自動車会社になるということは、世界一多くの事故にかかわり、世界一大きな影響を環境に及ぼすことになりうる。 その厳粛な立場を忘れてほしくない。 事故や排ガスを減らす手だてを探り続ける、世界一重い責任がある。 売れるだけ売って、後は行政や利用者の責任、というのでは困る。 奥田碩(ひろし)会長は一昨年、トヨタの弱みの一つとして「社員の間にあるおごり」をあげた。 「急速な業績拡大は、傲慢(ごうまん)で成功におぼれる傾向が出るので注意したい」。 トヨタの新しい目標と課題は、心の粉飾を戒める「自己監査」かも知れない。
トヨタが世界一の自動車会社になることは逆に事故や排ガスを減らす手だてを探り続ける為に世界一重い責任をも伴う。 安全で廃棄ガスを伴わない自動車の開発に全力を投じてほしいものです。
沖縄は15日、本土復帰から34周年を迎える 5月13日の天声人語からの引用
沖縄は15日、本土復帰から34周年を迎える。 昨日、沖縄本島の3地点から米軍の普天間飛行場のある宜野湾市をめざして「5・15平和行進」が始まった。 普天間飛行場の移転先に最も近い集落がある名護市辺野古地区からも、300人余がスタートした。 参加者からは、辺野古崎への移設を基本にすることで政府と折り合った稲嶺恵一知事への厳しい意見が相次いだという。 知事は小泉首相との間で、政府案を基本に協議を続けることを確認した。 「基本に」が曲者で、どこまでが基本の範囲かが分からない。 政府は地元振興のために新法を検討する方針という。 基地を新設するため、金にものを言わせたとの印象がぬぐえない。 首相は、この秋に退陣するという。 知事も、年内に行われる知事選に出ない意向らしい。 移設の実行は後釜任せか。 引退間際の合意が、沖縄の未来を決めることになる。 沖縄出身の言語学者で民俗学者だった伊波普猷(いはふゆう)は、 絶筆となった昭和22年の『沖縄歴史物語』の末尾に書いた。 「地球上で帝国主義が終りを告げる時、沖縄人は『にが世』から解放されて、 『あま世』を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る」(『伊波普猷全集』平凡社)。 「沖縄学の父」といわれる伊波は、自己決定権を奪われた沖縄の運命を問い続けた。 こんな言葉を、繰り返し口にしていたという。 「深く掘れ 己の胸中の泉 余所(よそ)たよて 水や汲(く)まぬごとに」。 自立への希求と、「余所に頼る」ことの戒めには、没後60年近くたった今も重みがある。 沖縄だけが唯一本土決戦の戦地となり,占領下での何故日本復帰が遅れたかを掘り下げ考える作業があっても 良いはずだ。これからも日本がアメリカと良い関係を保つ基礎的問題を抱えている。 きょう閉館する東京・神田須田町の交通博物館は、 5月14日の天声人語からの引用 56年前の客車の座席に、もの言わず腰を掛けている老夫婦がいる。 山手線の運転シミュレーション装置を巧みに操る小学生がいる。 きょう閉館する東京・神田須田町の交通博物館は、男性の鉄道ファンを指す「鉄(てっ)ちゃん」だけでなく、 鉄子に鉄爺(じい)、鉄婆(ばあ)、まさに老若男女でごった返している。 カメラを向ける対象は、生まれた時代や住んでいた地域の違いによって一様ではない。 「毎日の通勤電車だった」「帰省のたびに乗った」。 それぞれの思いの残る列車や連絡船の模型に見入る姿があちこちで見られた。 当初の東京駅近くからこの地に移って70年。 空襲でも焼け残り、東京大空襲の当日から約10カ月間休館した以外、展示を続けてきた。 戦後の来場者数は延べ3千万人近い。 遠足や修学旅行で訪れた記憶のある方も多いだろう。 老朽化に加え、手狭になったこともあり、閉館せざるをえなくなったという。 明治末から大正初めにかけて中央線の起点だった旧万世橋駅の階段が、館内にそのまま残されている。 草むしたホームに向かってゆっくり上っていくと、不思議な時間旅行の気分が味わえる。 多くの展示物は来年さいたま市につくられる博物館に移されるが、 今の施設を小規模な形でいいから残してほしいという声も、入場者から聞かれた。 陳列されている蒸気機関車C57と同じ年に生まれた菅建彦館長(66)は「閉館間際になって、年配のお客さまが増えました。 日本人の鉄道への愛着を強く感じます」と話す。 最後の日は特にイベントなどはせず、静かに幕を引く予定だという。 京都にも梅小路に旧機関車が保存されているようだが,興味が薄いのでまだ訪れていない。 煙を吐く列車のトンネルに入ったときの苦しさを思い出すだけである。 古代の五重塔への興味があって,それに対して日本的なロマンを感じている。 自分の見たものを伝える言葉を吟味し続けて 5月15日の天声人語からの引用 「もしお昼ご飯を食べている最中なら、いまラジオを切ったほうがよいかもしれません」 第二次世界大戦でドイツの敗北が目前に迫る45年4月、米CBS放送のエド・マロー記者はそう言って、 連合軍が解放したばかりのドイツ中部のブッヘンバルト強制収容所のリポートを始めた。 収容されていた2万人は飢えと結核で1日200人の割合で死んでいた。 庭には骨と皮だけの遺体の山があった。 生きている者も死相が現れている。 「私はここで見、聞いたことのほんの一部を伝えたに過ぎない。 そのほとんどについて、私は語る言葉を知らない」(田草川弘『ニュースキャスター』、中公新書)。 ジャーナリズム史上に残るこのリポートが放送されたのは、実はマローが収容所を訪れた3日後だ。 他社の記者が一刻を争って衝撃的なニュースを世界に伝える中、彼は自分の見たものを伝える言葉を吟味し続けて、 抑制された文章にまとめ上げた。 マローといえば、50年代前半、米国で反共ヒステリーが荒れ狂った「赤狩り」の時代に、 その立役者だったマッカーシー議員の虚言を暴いて、政治の流れを変えたことで有名だ。 日本で公開が始まった米映画「グッドナイト&グッドラック」もその時のマローが主人公である。 彼の原点には、強制収容所のリポートで見せた言葉の持つ力とその限界に対する鋭い感覚があったと思う。 マローは収容所で生き残った人の言葉を伝えている。 「ここについて書くには最低2年はいなければなりません。 でも2年もいたら、何も書きたくなくなりますよ」 ジャーナリストによって戦争の悲惨さを伝えてもらい,反戦の気運が誰の心の中に住みついてくれれば 地球上から戦争という人間らしくない野蛮行為がなくなる日を待つ。ジャーナリストの仕事・責務は重い。 人間とはどうしてこんなに愚かなことを繰り返すのかあきれるばかりである。 広島でも長崎でも、原爆は 5月16日の天声人語からの引用 広島でも長崎でも、原爆は地面すれすれで炸裂(さくれつ)したのではない。 広島は約600メートル、長崎では約500メートルの高さで爆発した。 かつて爆心地でその辺りを仰ぎ見た時、 熱線や放射線をより広い範囲に浴びせるための悪魔的な計算なのかと思った。 その瞬間の爆心地周辺を想像する度に、背筋が凍り付く思いがする。 国が、被爆した人を原爆症と認定する時、これまで爆心地からの「距離の壁」があったという。 被爆してがんなどを患う被爆者9人が「原爆症と認められないのは不当だ」とした訴訟で、 大阪地裁が「壁」を破る判決を出した。 「国は審査基準を機械的に適用すべきではなかった」と指摘、 爆心地から3キロ以上の距離で被爆した原告を含む全員の不認定処分を取り消した。 被爆国・日本には、人類初の核兵器がもたらした惨禍の実相を把握し、伝える役目がある。 その積み重ねが、惨禍を世界に知らせることになる。 核兵器の廃絶を目指す運動に尽力した湯川スミさんが亡くなった。 日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏の妻で、世界連邦世界協会の名誉会長だった。 戦後、スミさんは夫と米国に渡った。 同じ研究所に居たアインシュタインが、原爆開発の一端となったことを深く後悔し、 秀樹氏に言ったという。 「戦争が起こらない仕組みをつくらないといけない。そのためには世界を連邦にするしか道はない」 共感し、自らも核廃絶を希求した秀樹氏は、がんを患ってからも言い続けた。 「君が運動の先頭に立て」。 この言葉を胸に抱き続け、96歳で夫の元に旅立った。 原爆の悲惨さを世界に伝えつつ,国連の強化,世界連邦こそが究極の恒久平和を達成できる近道である。 原爆がある限り第三次大戦は起こりえない。あるとすればそれはそれは人類の自殺行為である。 人間はそこまで馬鹿だとは思いたくない。 リビアの地底に石油という燃える水気があるとは 5月17日の天声人語からの引用 地中海に面したアフリカのリビアという地名は、古代ギリシャのころの著述に登場する。 「リビアの奥地に入ると、そこは人も住まず水もなく、獣も棲息せず雨も降らず樹木もない荒野で、 ここには水気のあるものは全くない」(ヘロドトス『歴史』岩波文庫・松平千秋訳)。 リビアの地底に石油という燃える水気があるとは、「歴史の父」ヘロドトスも気づかなかっただろう。 その大量の水気が、今ではこの国を支えている。 1969年に共和国になり、カダフィ大佐による独特の路線を歩んできた。 米国とは長く敵対的で、レーガン大統領は大佐を「狂犬」と呼び、首都トリポリを空爆したこともあった。 ライス米国務長官が、リビアに対する「テロ支援国家」リストへの指定を近く解除して、 26年ぶりに国交を完全に正常化すると発表した。 9・11の同時多発テロ後の03年に、リビアが大量破壊兵器の開発計画の廃棄を 発表したことなどを評価したためという。 ライス長官は、イランと北朝鮮の指導層に、リビアと同様の戦略的決定を下すよう促した。 大量の核兵器を持つ米国が、まず自ら劇的に削減しないのは解せないが、 核兵器がこれ以上つくられないことは望ましい。 大量破壊兵器の存在を旗印に、米国はイラク戦争を始めた。 しかし、それは見つからず、多くの命が失われた。 リビアとの今回の無血での正常化を機に、米国は先制攻撃を自制すべきだろう。 ヘロドトスは、こうも述べた。 「平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬ」 ブッシュはずるい男だ。核を持たない国を狙って「ならず国家」として戦争をしかける。そしてアメリカ国民の支持率をあげ しかし戦争でもって若いアメリカ兵士が多く死ぬのを少なくするためにその代替方法を考え出している。 日本がそれに乗らないことを切に願う。 北朝鮮から日本の領海に侵入する工作船 5月18日の天声人語からの引用 船体の塗装ははげ落ち、幾つもの威嚇射撃の弾痕が見える。 海上保安庁の巡視船との銃撃戦の末に沈没した北朝鮮の工作船が 東京・品川で公開されたのは、3年前だった。 行列して見たあの工作船が、覚せい剤の密輸に絡んでいた疑いが濃いという。 船から回収された携帯電話の通信履歴には、韓国籍の男や暴力団組長の事務所との交信があった。 この組長らが、北朝鮮から数百キロもの覚せい剤を密輸入した容疑で、警視庁などに逮捕された。 密輸が、北朝鮮による国家犯罪だったとの疑いが強まった。 北朝鮮から日本の領海に侵入する工作船は、 拉致というもう一つの重大な国家犯罪にも使われてきた疑いがある。 展示された工作船を前にした時、過去の数々の拉致事件を思い浮かべると、 暗い船内から拉致された人たちの悲鳴が聞こえるようで胸が詰まった。 中学生だった娘を日本から拉致された父と、 高校生だった息子を韓国から拉致された母とが、ソウルで手を握りあった。 国家犯罪が強いた、あまりにも過酷な巡り合わせによる「親類」だ。 その手のつながりが、ことを進める新しい一歩になればと思う。 約半世紀にわたって対立してきた「在日本大韓民国民団」(民団)と「在日本朝鮮人総連合会」(総連)のトップが、 きのう会談した。共同声明には「反目と対立を和解と和合に転換させる」とあった。 北朝鮮が参加しなかった88年のソウル五輪のテーマが「壁を超えて??和合と前進」だったことを思い出す。 道は険しくとも、壁を超え、手を携えて進んでほしい。 あまりにも北朝鮮による拉致事件が政治に利用されすぎているように思える。 早く日朝国交回復し仲良くなるのが最大の早期解決方法である。 同一民族の韓国の方達の思いはもっと強いはずである。 早期解決できる日本のリーダーが出てほしいものである。アジアで仲良く出来ずしてどうして 世界と仲良くできるのかと疑いたい。誰もが戦争は望まないはずだ。 「ヒューザー」の小嶋進社長が警視庁などに逮捕 5月18日の天声人語からの引用 機体に弱い所があるそうです」。 ある飛行機メーカーの社長であるあなたに、部下があわてて報告してきたとする。 その新しい飛行機は、明日には航空会社に納入する約束になっている。 遅れれば契約違反だ。 納入を取りやめるか、それとも、黙って納めて代金をもらうか。 欠陥を知りつつ、黙って引き渡して代金を手にすると、あなたは「不作為の詐欺」に問われるかもしれない。 引き渡し直前に強度不足を知りながらマンションを売ったのは「不作為の詐欺」にあたるとして、 「ヒューザー」の小嶋進社長が警視庁などに逮捕された。社長は、容疑を否認したという。 今たとえ話に出した飛行機には、墜落という取り返しのつかない大惨事の可能性がつきまとっている。 ここは、契約に違反してでも、納入をいったんあきらめるところだろう。 マンションには墜落はないが、弱ければ、地震で壊れて人命が失われる可能性がある。 小嶋容疑者は以前、マンションの引き渡しを延期する選択もあったのではないか、という本紙の取材に色をなして答えたという。 「物件の引き渡しは契約で定められた義務の履行だ」 建築士の名義貸しといった「形式犯」から入った耐震強度偽装事件の捜査は、詐欺という次の段階に及んだ。 全容解明に向けて歩を進めてほしいが、刑事責任の追及は、再発防止の面では限界がある。 なぜ偽装がまかり通ったのか。 今の仕組みの欠陥を洗い出し、再構築に向けて手を打つ。 それは、行政の役目であり、猶予は許されない。 地震は、待ってくれないのだから。 もとをただせば村上フアンドの村上氏が話すところのの「もうけることが何故にわるいことですか. むちゃくちゃもうけました」に代表されるような利益第一の考え方が, これはアメリカ流の考え方で,浸透した結果でのことで,もうけとは社会に貢献するような 仕事をした結果にあたえられるもので,「もうけ」が目的になればそのような社会は必ずに破滅する。 小泉改革とはそのような形で進んできたように思える。 幼い子が殺される事件が 5月20日の天声人語からの引用
きのう広島地裁で開かれた小学1年の木下あいりさん殺害事件の公判で、父親の建一さんが意見陳述した。 「無力な子供たちが、これ以上犯罪に遭わない世の中になることを心から願います」 病院で、あいりさんは、目を開けたまま横になっていたという。 「娘を見たとき、目の前が真っ暗になり、全身の力が抜けて、地獄に突き落とされた思いでした」 愛らしく、家をにぎやかにしていた7歳の娘の命が突然絶たれるという悲しみは、計り知れない。 幼くて、まだ力も弱い子供に対する卑劣な凶行は、憎んでも憎みきれないものがある。 幼い子が殺される事件が、今度は秋田県で起きた。 藤里町で下校の途中に行方不明になった小1の米山豪憲君が、遺体で発見された。 首に絞められた跡があった。集団下校をしていたが、もうすぐ自宅という辺りで、ひとりになったという。 集団下校でも、最後には、ひとりになる子が出てしまう。 そうならないような仕組みが、何とかつくれないものか。 地域や家庭によって事情は様々だろうが、「ひとりも、ひとりにはしない」ということが、 無力な子供たちが犯罪に遭うのを少しでも減らす手だてになりそうだ。 「星になって遠くに行ってしまったから、もう二度と会うことができないんだよ」。 5歳になるあいりさんの弟に、建一さんは、そう話したという。 「息子は幼稚園などで描く絵に、あいりの星ばかり描いています」。 いたいけな地上の星たちが遠くに行ってしまわないように、そして行かせないように、しっかりと手をつなぎたい。
社会の一番の弱者である子供がターゲットになってきている。異常な社会が作られたのも,競争社会の副産物である。 世の中の社会現象は政治の結果が反映されるものである。
神奈川県大磯町に居を構えた吉田氏 5月21日の天声人語からの引用
「大磯」といえば、吉田茂元首相を指す時代が戦後の一時期続いた。 大磯へ年賀、大磯へお中元の挨拶(あいさつ)、大磯へ架電。 神奈川県大磯町に居を構えた吉田氏のことを、 まな弟子だった佐藤栄作元首相は日記の中で何度も大磯と表現している。 東京から南西に約60キロ。 多くの政治家が訪れ、「海千山千楼」と呼ばれた邸宅は、死去から2年後の69年、 佐藤氏のあっせんで西武鉄道の手に渡った。 しかし維持費が年数千万円にのぼることもあり、同社は町への譲渡を打診。 経営再建が急務になった昨年、売却話が本格化したという。 とはいえ町も財政難で、国に買ってもらって保存できればという声が町民の間で強まっている。 近くに住み、署名約5万人分を集め、先月首相官邸に持ち込んだ関野好一さん(76)は 「自然あふれる庭園がマンションになってしまっては困る」と話す。 英国のチャーチル元首相は吉田氏より4年前に生まれ、2年前に亡くなった同世代の政治家だ。 絵画や回顧録について2人が語り合った記録が残っている。 葉巻をくわえた愛煙家としても共通点がある。 晩年を過ごした、ロンドン郊外の邸宅はそのまま残され、観光客に公開されている。 書棚や机上は、つい先ほどまで本人が書斎にいたかと思わせる様子だ。 大磯も床の間や応接間はきちんと保存されている。 しかし残念ながら、書斎はきれいに片づけられていた。押し入れの中に、黒い電話機があった。 生前は受話器をあげるだけで、首相官邸につながったという。 やってみたが、もちろんどこにもつながらなかった。 吉田茂氏は戦後の日本の混乱期を舵を握った人である。半植民地国家と独立国イギリスのチャーチルとは比較できない。 東京・新宿御苑を歩いた。 5月22日の天声人語からの引用 きのうは、二十四節気のひとつ「小満(しょうまん)」だった。 「草木が茂って天地に満ち始める」ころだ。 季節を感じたくて、東京・新宿御苑を歩いた。 高さ15メートルを超すホオノキが、淡い黄白色の大輪の花を咲かせている。 甘やかな香りにうっとりする。 日本庭園の池では、シラサギが一羽、悠然とたたずんでいた。 その横を、カルガモのつがいが通り過ぎていく。 吹き渡る風にそよぐ葉の緑は、深く濃くなったり、浅く淡くなったりする。 いったい、目の前には何種類の緑色が広がっているのだろう。 若草、萌黄(もえぎ)、松葉、青緑、常磐(ときわ)、若竹色……。 心身ともに癒やされる。 100年前の5月に、新宿御苑はできた。 かつては皇室専用のゴルフコースが設けられていた。 管理事務所の前のヒマラヤスギの近くが1番ティーグラウンドだった。 昭和天皇もよく通い、スコアは100を切る腕前だったという。 苑内の温室では、オジギソウが薄紫色の花をつけていた。 花もかわいいが、やはり葉っぱが面白い。 鳥の羽根のように開いた2〜3センチの葉を指で突っつくと、すーっと閉じて下を向く。 いかにも、しゅんとしたように見えるが、しばらくすると元に戻る。 その動きを見ながら、ふと小泉首相の発言を思い浮かべてしまった。 先月、この御苑で「(桜は)ばっと散るからきれいなんです。 私も引き際、散り際を大事にしたい」と述べた。 この秋に首相を辞める思いを、桜になぞらえた。 でも政治家は続けるのなら、いったん閉じて下を向いても、 そのうちにまた開くオジギソウが似つかわしかったりして。 キツネ首相をライオン首相と言う人たちもいるが。だから比較的長持ちした政権だったのかもしれない。 この五年間が良くなったのかどうかは判らない。でも変化が一番あったことは認める。 その変化が良い変化かどうかはこれからの事である。 変人首相であったことだけはまちがいない。
ムンクは国民的な画家イプセンの方は、近代劇の祖 5月23日の天声人語からの引用 ノルウェーの画家ムンクは、絵の主題として人間の死や病のほかに、性をよく選んだ。 乙女と裸の娼婦(しょうふ)と尼僧を一枚に描いた「女性三相」を出展した19世紀末の個展は、 激しい非難を浴びたという。 「会場のボイコットだとか、警官を呼べとか叫ばれたのである」と、ムンクは述べている (R・スタング『エドワルド・ムンク』講談社・稲冨正彦訳)。 個展の会場に現れて、「とても興味深いですな」とムンクに語りかけたのが、 既に「人形の家」などで知られていた、同じノルウェー出身の劇作家イプセンだったという。 「今に見ていてごらんなさい、私と同じようになりますよ??敵が多ければ多いほど、友人も増えるというふうにね」 言葉の通りに、ムンクは国民的な画家となった。 イプセンの方は、近代劇の祖とも言われるようになる。 「人形の家」の女主人公のノラは、夫にこう言い残して家を出てゆく。 「わたしたちの家庭は遊び部屋みたいなものでした。わたしは実家ではパパの人形つ子でした。 こゝではあなたの人形女でございます」(岩波文庫・竹山道雄訳)。 イプセンが他界したのは、今から100年前の1906年5月23日だった。 その2年後に、夏目漱石が朝日新聞に連載した「三四郎」にはこんな一節があった。 「イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠を尤(もつと)も明かに感じたものだ。 吾々も追々あゝ成つて来る」 時は移った。 しかし、世の中の制度と人間との間には、悩ましいものがあり続けている。 そこに光を当てたイプセンは、今もなお新しい。 ムンクの絵は人間の本質をみつめたギョッとするような絵画で.イブセンの小説は旧習を打破したともいえるが, 一方では現代の少子化への源泉・原因となったともいえる。 イブセンの小説がなければ,大家族制度の良き慣習?が維持されていたとも言えられるのだが。 旧ユーゴスラビアの作家イボ・アンドリッチは 国家反逆罪に問われて投獄されたこともある 5月24日の天声人語からの引用
「いずれも訳者が愛惜してやまない作品である」。 旧ユーゴスラビアの作家イボ・アンドリッチの短編集『サラエボの鐘』(恒文社)に 、訳者のひとりとして田中一生さんはそう記した。 先月、旧ユーゴ文学の翻訳と紹介を半世紀にわたって続けた功績で、 セルビア・モンテネグロ政府から勲章が贈られた。 アンドリッチは19世紀の末、オーストリア・ハンガリー帝国の行政下にあったボスニアに生まれた。 国家反逆罪に問われて投獄されたこともある。 61年に「自国の歴史の主題と運命を叙述しえた叙事詩的力量」によってノーベル文学賞を受けた。 バルカン半島は、民族対立や政治的混乱の印象が強い。 アンドリッチは「然り、ボスニアは憎悪の地です」と書いた。 そのうえで「対照的に、これほどの強い信頼、気高い強固な人格、これほどの優しさと激しい愛」が 見られる土地は少ない、と述べている。 旧ユーゴが崩壊した後、セルビアと行動を共にしてきたモンテネグロが独立することが、 国民投票で確定的になったという。 福島県とほぼ同じ面積に、60余万の人が住む。 小さな国の先行きはまだ不透明だが、「独立」への思いは強かった。 「ドリナの橋」などの代表作があるアンドリッチは、「橋ほど善にして貴重な物はなにもない」という。 「それは人間が障害と出くわした処、だが怯(ひる)むことなく……可能な限りこれを克服し、架橋した場所を示している」 流血の歴史を克服し、民族が自立しつつ共存する。 この独立が、人々をそんな未来へと導く橋になればいいのだが。 民族の差 国家間の対立 男女の差 宗教の差 貧富の差 習慣の差 などなど対立要素は沢山存在する。 それらが解消されれば戦いは止んで,地球上の人間は本当に幸せになれるのだろうか。 ライブドア前社長・堀江貴文被告の自筆だという文書のコピー 5月25日の天声人語からの引用 電子メールのように印字されたものではない。 細かい筆遣いまで見える文面が、どこか新鮮だ。 ライブドア前社長・堀江貴文被告の自筆だという文書のコピーを見た。 月日がゆっくりと過ぎる拘置所での生活が「これまでの人生を振り返る良い機会になりました」とある。 そして「今まで生き急いできたかなとも思うようになりました」。 以前は「人の心はお金で買える」と述べていたが、心境の変化なのか。 起訴事実の否認など、自己主張もしている。 以前の目標は「株の時価総額世界一」だったはずだが、文書では「時価総額経営」をしていたつもりはないと述べる。 株式会社である以上は利益拡大をめざすべきで、その考えは、事件の前後で変わっていないという。 ライブドアに限らず、利益拡大をめざすのが企業一般だとしても、 その度はずれた追求が世の中を激しく揺さぶってきたという面は見逃せない。 バブル経済や、はじけた後の不況によるリストラなどで、家計は痛めつけられた。 多重債務者や、経済的な理由による自殺も増え、幾つもの偽装問題が起きている。 ドイツの作家ミヒャエル・エンデは「モモ」「はてしない物語」などで日本でも親しまれた。 幻想的な作風の中には、文明批判が込められている。 経済と金融システムを、がんに見立てたこともある。 「つまり、それは生きつづけるために、常に成長し増殖しなければならないのだ」(『エンデのメモ箱』岩波書店)。 利益拡大という果てしない成長にせかされて、生き急ぐ。 現代人への、悲痛な警告だ。 ホリエモンはあまりにも若すぎる。政権が短期間に金儲けできるシステムを日本に導入し解放したことが 間違いの根本である。資本主義経済・競争社会が人間にとってベストであるかが問わている。 果てしなくゴールのない目標に向かい人類は試行錯誤している。 小泉改革での,国家が関与しなければならないことへの国家の関与の放棄が問題である。 国の207番目の「伝統的工芸品」に指定された 5月26日の天声人語からの引用
木の皮を煮たり漬けたり裂いたり、長い時間をかけて糸にする。 それを織って布にし、帯や帽子に加工する。 山形・新潟県境の山村で、70人ほどの女性が受け継いでいる「羽越(うえつ)しな布(ふ)」づくりは、 縄文、弥生を思わせる技術だ。 昨年、国の207番目の「伝統的工芸品」に指定された。 まとめ役を務めている五十嵐勇喜さん(70)は「公に認められたことで、 後継者を育てていく自信がわいてきた」と話す。 喜びの一方で、指定に伴って行われる予定の「伝統工芸士」の試験を受けようという人が一人もいないことが悩みだ。 経済産業省の外郭団体の「伝統的工芸品産業振興協会」が実施している試験は、実技とペーパーテストがあり、 それぞれ70点以上とらなければ不合格となる。 羽越しな布に携わる人たちの平均年齢は約70歳。 「40年ぶりとか50年ぶりに筆記試験と言われても、尻込みする者がほとんど」だという。 正倉院は何県にあるか、室町時代の工芸品は何か、伝統的工芸品を所管しているのは何省か。 かなりの難問ぞろいだ。 全国の伝統的工芸品の産地でも、合格者が数人しかいないところが少なくない。 あくまで名誉的称号で、経済的恩恵がないのに試験を受けるのは面倒だという声が各地で聞かれた。 長老が受けないと若手が受けづらいことも、受験者が増えない一因のようだ。 「落とすための試験ではない。 勉強するいい機会として受けてほしい」と協会は説明するが、 伝統技術を受け継ぐ人たちに筆記試験が本当に必要なのかどうか。 現在のやり方はかなり疑問に思える。 伝統技術を受け継ぐ人たちに筆記試験をする必要性があるかどうかは疑問である。 伝統技術こ,その技術が問題で知識ではない。技術は文章に書けない。解説できない。 身体で憶えるしかないものである。 結果が大切なのであって,理屈ではない。伝統技術には今までに日本で絶えてしまったものが多くある。 教育基本法を改める法案を読む
5月27日の天声人語からの引用
政府、民主党がそれぞれに出した、教育基本法を改める法案を読む。 今の法には無くて双方の案にあるのは、「愛国心」のくだりだけではない。 「公共の精神」という言葉が双方とも前文に出てくる。 政府案は「公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」とある。 民主党案では「公共の精神を大切にする人間の育成」となっている。 公共心のある人間を育むことで通じている。 かなり重視していることが分かるし、文案はなかなか立派だ。 しかし、公共心が公共の利益を計ったり、公に尽くしたりする心だと考えると、 法案を出した側の公共心には疑問がわいてくる。 国会議員らが国政の調査に使う目的で税金から支出される「国政調査活動費」のうち、 衆院では02、03年度だけで約5千万円が、高級料亭などでの酒食に使われていた。 以前からの慣行だというから、累計では更に膨大な額になるのだろう。 国会を停滞させた民主党の「偽メール事件」も、公共の利益に反するものだった。 1億円もの献金を受けた疑惑にまともな説明をしない元首相がいれば、 それを党全体の問題と考えない政権党もある。 「憲政の神様」といわれた尾崎行雄は、きちんとした審議をしない議会を「議事堂ではなくて採決堂だ」と批判した (浅野一郎編『国会入門』信山社)。 本社の世論調査では、教育基本法について「今の国会では採決をせず、議論を続ける方がよい」が7割を超えた。 「愛国心」の審議より前に、育むべき公共の精神とは何かから論議を始めてはどうか。 「愛国心」は教育して身に付けるものでなくて,心の底から自然に湧き出るものである。 「愛国心」を法律で規程して教える事を義務化し,点数をつけたりするのは間違っている。 第二次大戦の頃を思い出す。 徹底的な愛国教育を受けて国家のために命を捧げよとのところまていってしまった。 その結果が軍隊の徴兵制度,特攻隊攻撃とかの異常現象を生んだ。 国旗 国歌斉唱への強制化と同じようにつながって,大変危険なことである。 「命の大切さの教育」をば教育基本法に盛り込むべきだ。 全国展開するラーメン店チェーンが 大幅な値下げに踏み切ったから 5月28日の天声人語からの引用
2日続けて同じ店で、ラーメンを食べた。 具もめんもスープも同じに思えたが、消費税別で1日目が390円、2日目は290円だった。 全国展開するラーメン店チェーンが大幅な値下げに踏み切ったからだ。 担当者によると、材料を大量に仕入れることで、品質を落とさずに原価を削減したそうだ。 ギョーザやご飯ものを加えたセットメニューをできるだけ注文してもらい、 全体の売り上げを減らさないようにしていきたいという。 上には上というか、下には下というか、近くには「税込み290円」をうたう別のチェーン店もあった。 激しい価格競争があるようだ。 朝日新聞のデータベースで今年初めからみると、「値上げ」ということばを含む記事は約350本、 「値下げ」は約240本だった。 ハンバーガーやコーヒー豆、東京の銭湯料金、東京ディズニーランドのチケット……。 原油高騰に加え、デフレ脱却のかけ声もあって、このところ値上げのニュースが目につく。 作家の小林信彦さん(73)は、戦争直後の体験を引いて、しばしばインフレへの懸念を書いている。 「インフレをコントロールする、とよく学者はいうが、『デフレをまともにコントロールできない政府・役人が、 インフレをコントロールできるはずがない』とぼくはつぶやく」(『にっちもさっちも』文春文庫)。 値下げしたラーメン店は以前の倍以上の客で、行列ができていた。 今後客は増えるのか減るのか、値段はどうなるのか。 身近な経済を知るために、1カ月後、1年後にも定点観測してみようと思った。 ラーメンが税込みで290円は非常に安い。何処へ行っても見ないもので一度食べてみたいものだ。 吉野家の牛丼に代表される380円が最低の食事代である。 長崎市の漁協が募っていた アジの一本釣りの研修生に応募 5月29日の天声人語からの引用 10年余り会社勤めをしていて、漁師になりたいと思ったら、どうすればいいのだろう。 福岡に住んでいた山本幸徳さん(38)はインターネットで「漁師」を検索してみた。 社団法人・大日本水産会の主催する「研修生募集フェア」の案内が出ていた。 3年前のことだ。 フェアの会場で、長崎市の漁協が募っていたアジの一本釣りの研修生に応募した。 半年の研修の後、面倒を見てくれた漁師の下でさらに半年修業を積んだ。 退職金などで、250万円の中古の漁船を買って、独り立ちした。 漁師は全国で毎年1万人近くずつ減り、今や二十数万人に落ち込んだ。 一方で、毎年1千人余りが新たに漁師になる。その多くが転職組だ。 全国漁業協同組合連合会はホームページで、「漁師になりませんか」と呼びかけている。 「充実感が得られる仕事」がうたい文句だが、甘い仕事ではないとクギを刺すことも忘れない。 「陸のサラリーマンの仕事とは全く違う。 半端な気持ちやあこがれでは続かない」「収入も決して多くは望めない」 山本さんは明け方に1人で沖に出て、夕暮れまで魚を追う。 昼は船の上で弁当を広げる。土曜も日曜もない。 「サラリーマン時代に比べ収入は減ったが、自然を相手に1人で仕事をしたかったので、つらくはない。 がんばった分だけ返ってくる。 海は裏切りません」。 昨春結婚したことも、大きな支えになっているという。 今年で5年目になる募集フェアが今月、東京と大阪で開かれた。 山本さんの後輩として、約60人が研修生の候補に選ばれた。 大いなる自然を相手の職場はそうない。魚師は体力仕事だが若ければ一度試みるも良いのではないのか。 頑張ればそれだけの見返りも有るようで,土曜日も日曜日がないのはつらい所である。 インドネシアのジャワ島の大地震 5月30日の天声人語からの引用 インドネシアのジャワ島の大地震は、日がたつにつれて犠牲者の数が増えている。 がれきの下には、まだ多くの人が埋まっているという。 重機が乏しく、スコップや素手での作業が続く。 震源から約50キロの所にそびえるムラピ山の動きが不気味だ。 火山活動が活発で、今月半ば、政府が周辺住民に避難勧告を出した後、火砕流が起きた。 直接の噴火災害の他、うわさによるパニックが起きる心配もある。 大地震で危機にさらされた人々にとって、今後大噴火が起きるかどうかは重大な関心事だ。 不安にかられると、デマや憶測に左右されやすくなる。 「いつか大噴火するかも知れない」。 これは間違いとは言えない。 しかし、「明日噴火する」といった明確な予測は、地震も含めて今の科学にはできない。 デマを防ぐには、正確な情報を迅速に届ける必要がある。 ムラピ山は、千年前の1006年に大噴火し数千人が死んだ(理科年表)。 その後も噴火を繰り返してきた。 しかし、そこで暮らす人たちにとっては、かけがえのない存在なのだろう。 周辺には、壮大な仏教寺院跡の世界遺産・ボロブドゥールもある。 「ずっとここに住んでいる。ムラピ山がどうなるか分かっている。 心配なんかしていない」。 今月中旬、山すその78歳の長老の言葉が、英字紙・ヘラルド朝日に載った。 この落ち着きようは、遺跡を流れる悠久の時を思わせる。 魅力的だが、大地震では無事だったのだろうかと気に掛かる。 ひとりでも多くの命が救えるように、日本からも、より早く、より多くの支援を届けたい。 自然災害は何時起こるかわからないので起こったときが恐ろしい。 地震もいつ発生するかわからない。これだけ科学が発達していても火山噴火 地震発生などの予知は困難である。 インドネシアのジャワ島の大地震では裕福でもない地域での発生はなおさら大変だ。 災害の救援の方法で大変でがれきの下の大勢の人たちを助け出すのが困難である。 国際的な支援が求められる。 国連に災害支援部隊のようなものがあって災害時には直ちに出動できるように 常に待機しているシステムが出来ても良いと思うのだが,既にそのようなものがあるかもしれない。 最近の言葉から 5月30日の天声人語からの引用 最近の言葉から。 38年前に福島県いわき市で見つかったフタバスズキリュウは新種の首長竜と分かった。 発見者で、今は市アンモナイトセンター主任研究員の鈴木直さんは、訪れる親子に語りかける。 「太古からの命のバトンリレーの中で人は生きている」 小泉首相に靖国神社参拝の再考などを求めた経済同友会の提言に、首相が「商売と政治は別」と反論した。 同友会の北城恪太郎代表幹事が再反論する。 「経済も含めて国の政策は決めるべきではないか」 朝日新聞阪神支局襲撃事件から19年になる。 新築した支局にできた資料室を訪れた女性が「見学者カード」に記した。 「『ものが自由に言える』のは、平和でなければ保証されません。 ごく普通の私たちに何が出来るのか問われていると思います」 元ハンセン病患者の人権回復運動に尽力する多磨全生園の前自治会長・平沢保治さんが、講演で語る。 「外国にも何度も行き、日本中に行きました。 それでもただ1カ所だけ、行けないところがあります。ふるさとです」 63年ぶりに帰国した旧日本兵の上野石之助さんは、妻の故郷のウクライナではイシノスキーと名乗っていた。 里帰りを終え、かの地へ旅立った。 「美しい、すてきな国に日本はなった。本当に本当に、うれしかった」 ケンケンはオスのトカラヤギだ。この春、新入生のいない鹿児島県いちき串木野市の土川小学校に「入学」した。 「ケンケンは生きた教材」と教頭先生。 「ヤギと過ごす学校生活。子どもたちの心に永遠に残る思い出になるでしょう」 奈良の東大寺へ
それこそ久しぶりに奈良の東大寺にいってみた。 東大寺前の公園は,何度も通っているが東大寺の中に入るのは 何十年ぶりのことで゙ある。 週日で,小雨が降る午後にもかかわらず,驚いたことの一つは修学旅行生と思える人たちが何組もいて, 大変に混雑していた。 普通一般の方もちらほらみかけるが,傍に寄ってみると中国語を話している。白人の外国人も多い。 殆どが修学旅行生と外国人達の方ばかりのようである。南大門の両側に建つ仁王像の大きさにも驚いた。 どこの寺院でも南大門には仁王像はみかけるものだが,こんなに飛びぬけ大きいのは見かけたことがない。 あまりにも大きすぎて,巨大で飛びぬけている。 子供の頃に観た印象よりもさらに大きく感じた。運慶 快慶の作である。 又奈良は鹿たちである。鹿が修学旅行生まとわりついて離れない。 鹿センベイが与えてもらえるからである。子供の頃も同じような光景を思い出す。 伽藍の周りの回廊も広い。その下に入るのは遮断されているから歩けないが,かなり広い。 大仏殿は外観は常に見ているから驚きは少ない,大仏自体も見て驚かなかった。 だが蓮弁が下の所に真近くにみられるように置いてあるのをみると大変に大きい。 丈六の仏像の大きさにビックリしているものにとって,大仏はやはり大仏だった。 大仏造立は国家を統一するための聖武天皇によっての大事業である。 初めて藤原氏から聖武天皇は皇后として所謂光明皇后を迎えている。 この時に藤原氏の権勢が初めて確立した時でもある。 藤原氏の氏寺である興福寺 氏神である春日大社が近くに建っており,今も大勢の参拝者で賑わっている。 小雨と大勢の参拝者で,ゆっくりとみることもできなかった。 多分いつもはもっと大勢の人達のことだから,今後ともに,行くこともそんなに多くあるまい。 東大寺に訪れる前に立ち寄った奈良国立博物館には京都の禅林寺の隣にある若王子神社に有って 明治維新の時,廃仏毀釈で民間に流れ奈良国立博物館所蔵で彫刻部門では唯一の国宝に指定されている。 この薬師如来像に一番興味があった。 平安時代前期の作で端正な顔だちと,なだらかな流れるような衣の線が美しく国宝に指定されたるだけの ことがある。 写真で見ていたよりも小さく感じた。 同じような仏像を以前大津市にある三井寺で見たことがある。 これも同じ頃の作品であって,三井寺が始まる以前の大伴氏の氏寺であった頃のものである。 同様に京都の若王子神社の境内で大伴の字の入った瓦が拾われており. 此処も大伴氏の氏寺で有った可能性が考えられる。 若王子神社は禅林寺の一部であったと書かれた本もあるが独立した寺院であったと考える。 禅林寺が建つた時代より古い仏像になる。 奈良国立博物館所蔵の薬師如来像は大伴氏によって造佛されたたのではないかと想像する。 大伴氏は伴善男が応天門の変である火事事件の謀略でもって政界から藤原良房氏により追放されてしまっている。 このことで,完全に藤原氏の天下が確立された。 戻る 4月分 5月分 6月分