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七月になって


暑い日が続くと同時に雨の日も多い。六月は雨の日が比較的に少なかったが,そのためかどうか

梅雨が一月遅れできたように雨の日が多くなっている。大体に祇園祭の頃に梅雨が終わるのが例年だが,

今年は祇園祭り後にも雨が続いている。各地での土砂災害がテレビで報道されている。

小泉首相の奇妙な行動が目に付く。何を思ってのことか,突然にイスラエルを訪問している。

そしてイスラエルの首相にパレスチナとの和解の為に,日本がヨルダンと一緒になって仲介役をしても

良いと伝える。

それから間もなくして,レバノンの民兵組織ヒズボラとイスラエルとが戦闘状態になつていった。

アメリカの兵器の在庫が増えてきたのかどうか,毎日のようにイスラエル軍の空爆が続く。

何故,これだけ多くの戦争が地球上で続けられるのかあきれはてる。

イラクでもシーア派同士の殺し合いが続いている。

レバノン状勢の緊迫さが増加するにつれ,イラクでのことはニュースとしては小さな扱いとなってきている。

だが毎月イラクでは千人以上の死者が続いている。イラクの民主化どころか内戦状態である。

第二次大戦後,朝鮮戦争に始まり,ベトナム戦争 カンボジア内戦 アフガニスタン戦争 ブッシュ親子によるイラク戦争 

レバノンの戦闘と続く。このレバノン戦争はイスラエルによってアメリカとの代理戦争をしているような気になってくる。

海外のBBC放送・CNN放送のテレビニュースを見ていると連日のようにレバノン戦争のことが報じられている。

報道ではレバノン市民がヒズボラを支持し,たたえていることに驚きを感じた。

今で゙は,イスラエルの侵攻がうまく行かないのか,国連によっての調停で停戦が成立した。

レバノン イスラエルともに多数の死傷者が出ている。

発端はヒズボラが二人のイスラエル兵を捕らえ釈放しないからのようである。

こんな小さな原因が,イスラエル側に何百人,レバノン側には約千人余の犠牲者がでるような激しい戦闘が行われた。

小泉首相が日本となんのゆかりもない所のイスラエルへどうして出かけたのか,

今もって不思議でならない。

ブッシュの言いつけでも有ったのかどうか,それしか考えられそうもない。

それにしても小泉首相は奇妙な人である。 

奇妙な人といえば八月十五日に靖国神社参拝している。21年ぶりの首相による公式参拝である。

靖国神社は大東亜戦争の戦前・戦中は陸軍省 海軍省の管轄下にあった。

どうみても靖国神社は戦争遂行する為の機関としての役割りが担わされていたようにしか思えない。

一般市民が1銭五厘の赤紙で召集され,強制的に軍人にならされて,

そして最後には名誉の戦死,神として靖国神社に祀られていった。

その間滅私奉公,お国の為に立派に戦って,即ち多くの敵をば殺し,靖国神社に祭られている。

その機関としての役割りを担っているようにしか思えてこない。

1銭五厘の赤紙 靖国神社は軍国の日本人が考えだした富国強兵のため戦争を容易に安価にする為の機関であった。

戦前は徹底的な愛国精神教育がおこなわれていた。戦争に逆らう事の出来ない環境がつくりだされ,

国民が戦争反対 さらに徴兵に応じなければ「非国民」扱いで監獄ゆきであった。

だから国民は誰もが政府に反対しない体制が作り上げられてしまった。

国会も大政翼賛国会で国会としての機能は全く停止していた。

効率的に戦争できる仕組みの一部が靖国神社ではなかったのか。

人が神になりえるのは神道しかない。世界中で見ても珍しく他国には見ない。

明治維新後の富国強兵のため日本人が考え出した神社が靖国神社ではないだろうか。

戦後,現人神の天皇が人間天皇に代わった。

同様に靖国神社も変るべきである。

付属施設の遊就館は第二次大戦戦争賛美の館のようである。まだ参観はしてはいないが。

普通,神社にお参りすると,そこの神社に付属施設がある。

大体にそのような神社では昔から伝わる神社ゆかりの貴重な品々が陳列展示されている。

各神社の付属施設は以前にはあまり見なかったものだが最近はあちこちで作られるようになっている。

第二次大戦で亡くなった兵隊さんのお墓は神道形式で細長く背が高い。

墓地を訪れると特に目立つ。その前でお坊さんがお経をあげ霊を弔われている。

慰霊をまとめて祀る必要があるかどうかを,まず問い直すべきである。

一歩間違えると戦前に回帰し,戦争の為の手段につかわれかねない。

そのことを侵略された国々の人たちが恐れていることではないのか。我々も勿論非常に恐れていることだが。

今後1銭五厘では兵隊を集めることはできない。

誰もが死ねば神にならなくとも仏にはなれる。

不戦を誓うならば原爆碑の隣に慰霊碑を建てるべきである。

「二度と過ちは犯しません」と誓う碑だけがあればよい。

それは戦争でもって無駄とも思えるような死に方された人々の魂に対し報う一番の供養である。

小泉首相のいうように靖国神社に祭られた人があって現在の繁栄した日本があるとは思わない。

当時の政治指導者により赤紙でもって強制的に徴兵され,徹底的な愛国教育がほどどこされ

日本の為・家族の為を信じ無駄な死を強いられた人たちである。

そして結果は国土は焦土化し,国は徹底的に破壊されてしまった。

勿論一般市民の数え切れないぐらい多数のひとたちが無駄な死を強いられている。

その間為政者により,戦争遂行手段として靖国神社が大いに利用されている。

戦後,破壊から復興を遂げてきたのは「貧しさに耐えで辛抱と忍耐・努力」でもつて敗戦後にとり残された

世代によってなしとげられたものである。

靖国に祀られたような人たちによって現在の繁栄がもたらされたとは考え難い。

当時の政治体制の犠牲者でもって,死にたくないのに殺され,靖国に祀られたような人たちである。

霊は何の言葉も発しない。

生きているものが勝手にお祀りしているだけのことである。

多分に亡くなった霊達は心のそこから「自分達のようには絶対に無駄な死を強いられないようにはなってくれるな」と

願っていると信ずる。

一般市民の霊たちも「無駄な死を強いられないように」と叫んでいるに違いない。

小泉首相が教えてくれた一番の教訓が首相の権力がいかに飛びぬけ大きいかという事を国民は痛いほど知った。

戦後始めての自衛隊派兵 郵政民営化への解散総選挙での刺客を送り込み事件などなどで

首相が自分の思い通り意思を貫いてきた。

まだまだとんでもない首相が出現すれば,またまた恐ろしい事になる。

そのためにも首相は国民が直接選挙できるようにすべきだ。

格好が良いだけで賛成票を入れる。政治家の一面だけを見るのでなく,全体像をば観るべきである。

とんでもない人が権力握れば大変な事になることを小泉首相がよく教えてくれた。

それを生かさねばならない。

戦後できあがった不滅の真理,「不戦国家日本」の伝統を守り通してほしい。

新潟県の田中知事は落選,キャラクター選挙に選挙民が飽きてきたのかどうか,

対照的に「もったいない」で当選した滋賀県の女性の嘉田知事誕生は意外な結果であった。

地盤看板カバンが三点セットがないと政治家になれないという時代は早く過去のものにしたいものだが。

だが二世三世四世がはびこるような政界ではまだまだ民主化がされていない。

それを言っても今は仕方ない。ただ戦争だけ,推進するような人が首相になって欲しくない。

質問に対し「その時になって適切に考える」のような曖昧な答弁しか出きない首相は

首相に値しないのではないのか


そのひとが現在一番の自民党有力総裁候補といわれている。

その人は改憲論者で靖国参拝は続けたいようだ。親米派としても名高い。

戦前回帰へ 戦争への道は着々と進んで来ている。アメリカの日本の半植民地化はさらに強固なものとなる。

東南アジアの平和は遠のくだろう。

禍は小さなうちに取り除かないと,濁流になれば手の施しようがなくなる。

そのような人が自民党総裁になれば自民党もこれでお終いではないのか。

格好とか目先の事だけ考え自民党総裁を決めてもらっては困る。








日米両首脳会談



7月1日の天声人語からの引用

ビーフ、ジュークボックス、ラブミーテンダー。ワシントンでの日米両首脳の記者会見で、

「笑い」が起こったという場面だ。

 ブッシュ氏は、日本が米国産牛肉の輸入を再開することに礼を述べたうえで、

首相も牛肉を食べて非常においしいと言ってくれたと付け加えた。

ブッシュ氏からすれば、輸入再開は、相手が「卒業旅行」に携えてきた、おいしい手みやげだったのではないか。

 エルビス・プレスリーの大ファンの小泉氏に、大統領はジュークボックスを贈ったという。


「最初にかけたのは何でしたっけ、『ハウンドドッグ』?……うん、彼はエルビスが大好きなんだ」

 小泉氏は、そのプレスリーの曲名を口にして会見を締めくくった。

「サンキューベリーマッチ、アメリカンピープル、フォー・ラブミーテンダー」

 相手の趣味を考えて何かを贈り合うのは、はたから見ていてもほほえましい。

そこで起こる「笑い」なら明るいが、この会見での「笑い」には、ひっかかるものがある。

親しさを強調したいのは分かるのだが、公の場で見せつけては、心地よいジョークにはなりにくい。

 日本には、地元の了解は後回しにしたままの米軍再編や、冷え切った東アジアの外交など、難問が山積している。

一方の大統領の支持率は低迷している。

ふたりは、そろってテネシー州のメンフィスを訪ね、プレスリーの邸宅「グレースランド」を見学した。

『好きにならずにいられない』は首相の好きな曲の一つだというが、ふたり並んだところで口にする場面は、

あまり想像したくない。




ブッシュと小泉首相の様子を見ていると対等に話はできていない。飯島秘書官の指示によるものなのか。

次の首相になる人の秘書官にもなるような報道もある。

若くて勇ましいひとは何をしでかすか,明日の日本が不安でならない。







淡水で選に入ったのは、マキノ町だけだった。





7月2日の天声人語からの引用


「やがて、山塊に縁取られた巨大な容器に、水が満々とたたえられ、残照をあびて盛りあがり、

あふれんばかりになっている光景がひろがった」。

辻原登さんが昨年、本紙に連載した小説「花はさくら木」の一節だ。

主人公の一人、田沼意次が京から琵琶湖畔に向かう時の状況を、こう描写している。

 現代でもJR湖西線の鈍行列車に乗れば、1時間近く車窓を占拠する湖の大きさが感じられる。

その北西岸、滋賀県高島市マキノ町の浜辺が今年、「快水浴場百選」の一つに選ばれた。

水質や景観などをもとに、環境省が全国から選んだものだ。

 海水でなく、「快水」としたのは、川や湖も選考対象にしたから。

しかし淡水で選に入ったのは、マキノ町だけだった。

海に比べ、川や湖は生活排水の影響を受けやすいためだという。

 7月に入ったきのうは、各地で海開きや山開きの行事があった。

マキノ町でも浜開きの神事が執り行われ、水の安全を祈願した。

小雨交じりの曇り空で、残念ながら観光客の姿はまばらだった。

 ちょっと水に入ってみたが、まだ少し冷たい。

透明度はさすがで、ゴーグル越しに大きなコイ2匹が泳いでいるのが見えた。

クラゲがいないのもうれしい。

プール感覚だが、もちろん塩素臭さはない。

水からあがっても肌がべたべたしないのが心地よい。

まさに、快水だった。

 
こんな、いい環境のせいなのだろうか。

自分の流した水がすべて、この「巨大な容器」に入るのかと思うと、

湖岸の宿でも洗面やシャワーの際、ふだん以上に気をつかっている自分に気づいた。




湖に詳しい学者知事が誕生して,琵琶湖については安心しておられるのではないだろうか。




都道府県費の捜査用報償費も約6割減っている





7月3日の天声人語からの引用


夏のボーナスで、ひと息ついた。この時期、そんな勤め人は多いだろう。

お金というのは不思議なもので、目の前にあれば使いたくなる。

それが自分の金なら散財もご愛敬だが、公費なら話はそうはいかない。

 先ごろ国会で気になる質疑を聞いた。

警察の捜査費問題だ。

捜査費のうち国費分が00年度決算の約80億円から、04年度には約26億円に激減していた。

5年間でほぼ3分の1だ。同じ期間に都道府県費の捜査用報償費も約6割減っている。

 本来は、協力者への謝礼や追尾中の駐車代といった経費にあてる金だ。

それを各地で組織的に飲み食いに回していて世論の批判を浴びた。

その途端、しぼんだ。

まるで、もともと多すぎて、浪費を招いていたように見えてしまう。

 不自然さを問われた国家公安委員長は減った理由を並べた。

情報収集に長じたベテラン捜査員が大量に退職したから。

インターネットやDNA鑑定など捜査の手法が多様化したからなどなど。

わかったような、わからないような。

もやもやする思いでいたら、面白い報告書を見つけた。

 高知県の監査委員4人が今年2月にまとめた。

捜査費の急減を「適正に執行されているものであれば、なぜここまで減少したのか理解に苦しむ」と指摘している。

調べた事例も具体的だ。

3人の捜査員が同じ日に同じ店で別々の協力者に会ったが、領収書の発行番号は連続していた。

出張先から帰る日に駅の売店で協力者への謝礼品を買ったなどなど。


 改めて自分のボーナスの明細を見た。

公費になる納税額を確かめずにいられなかった。





取り締まるべき立場の警察が不正では。






キュリー夫人博物館」を巡りながら、




7月4日の天声人語からの引用


ワルシャワで、キュリー夫人の生家跡に行ったのは厳冬期の2月だった。

雪道の先にある「キュリー夫人博物館」を巡りながら、

物理学、化学と二つのノーベル賞を受けた人の幼い日の姿を思い描いた。

 成人してパリの大学に学んだが、極貧状態だった。

娘エーヴの『キュリー夫人伝』(白水社・河野万里子訳)に、こんな一節がある。

「七階の屋根裏部屋が凍りつくこともあった……石炭の蓄えは、すでに尽きている。

だが、これぐらい、なんだというのだ。ワルシャワから来た娘が、パリの冬ごときに負けてたまるか」


 重ね着してベッドに入り、毛布の上にも服を重ね、その上にいすまで置いたという。

苦学力行の末にラジウムの分離に成功し、科学の新しい世界を開いた。

 ラジウムの製法で特許を取る道があると知らされた時情報を独占しておくのは「科学の精神に反する」と断った

私利よりも公を優先する思いがしのばれる

 年々膨大な研究費を計上する現代日本では、公的研究費の不正流用が繰り返し発覚している。

早大理工学術院の松本和子教授は900万円を教授名義の投資信託口座で運用していたという。

 「科学には、おおいなる美がある……実験室にいる科学者は、単なる技術者ではありません。

まるでおとぎ話を聞いたときのように胸を打たれて、自然現象の前で目を輝かせている子どもでもあるのです」。

このキュリー夫人の言は、おおいなる美に至るには純な心が要る、とも聞こえる。

白血病のため66歳で逝ったのは、1934年の7月4日のことだった。



キュリ-夫人の映画はビデオで何回か見ている。廉価なDVDもでてきている。

主演のグリア・ガースンは美人だ。見ていない人は一度是非みてください。科学者の厳しさが理解できる。

そして未知への挑戦で命をば落としている。宿命といえばいえるのだが。






月日の上を歩む人もまた旅人かといった連想




7月5日の天声人語からの引用

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」。

芭蕉の「おくのほそ道」の冒頭だ。この「月日は永遠の旅人……」の一節からは、

月日の上を歩む人もまた旅人かといった連想も浮かんでくる。

 「人生とは旅であり、旅とは人生である」。

サッカーの日本代表、中田英寿選手の「引退宣言」の見出しに、そんな文言があった。

29歳の青年と、「人生とは旅……」との取り合わせに、面白みを覚えた。

 確かに、サッカーの世界では、多くの旅を重ねてきた。

国内にとどまらず、外国に進出した。

日本選手のさきがけのひとりで、時代のフォワードだった。

 ゲームでの働きも、その風貌(ふうぼう)にも、独特の存在感があった。

何かに噛(か)み付いてゆく、たけだけしさを備えていた。

その姿が見られなくなることには、一抹の寂しさがある。

しかし「中田英寿の旅」は、まだこれからも続く。

 歌集「独り歌へる」に、「私は常に思つて居る、人生は旅である」と記したのは、若山牧水だった。

サッカーとは懸け離れた世界に住んだが、やはり、独特の働きと風貌とを備えていた。

牧水は続ける。

「我等は忽然として無窮より生れ、忽然として無窮のおくに往つてしまふ、

その間の一歩々々の歩みは実にその時のみの一歩々々で、一度往いては再びかへらない」

 月日は永遠であり、途絶えることがない。

人の方は、世代というもので連綿と連なっているが、ひとりの人間にとっては、一度行き着けば繰り返しは無い。

その一度だけの、いわば片道の旅の重さや悲哀や妙味を、改めてかみしめた。



人生は二度はない、新しい一度だけである。過ぎた時間が多くなればなるほどに実感できる。




北朝鮮がミサイル発射」の速報が流れている





7月6日の天声人語からの引用


サッカーのせいか、昨日はいつもより早く目が覚めた。

テレビをつける。ドイツとイタリアの熱闘の隅に「北朝鮮がミサイル発射」の速報が流れている。

やってしまったか。

愚かなことだ。2発、3発と数が増える。

他国の方角にミサイルを放つ。

相変わらずの傍若無人ぶりに憤りつつ、日本のどこかに落ちないかと不安がよぎった。

 この国が信用できないことは拉致問題でも分かっているが、その統治の実像はなかなか見えない。

一国の基本を定める根本法は憲法だ。

03年刊の『北朝鮮憲法を読む』(リイド社)を開く。

 著者の翻訳家・保田剛さんによると、98年の改正で序文が付けられた。

「朝鮮民主主義人民共和国は、偉大な領袖(りょうしゅう)金日成同志の思想と領導を

具現したチュチェの社会主義祖国である」と書き出される。


 「金日成同志は、『以民為天』を座右の銘とし、常に人民と共にあって」との一節もある。

中国の古書に「王は民を以って天と為し、民は食を以って天と為す」とあるという。

「つまり、古来より、為政者にとって最重要課題は、『国民を飢えさせることなく、食べさせること』にあった」

 北朝鮮の飢餓問題が指摘されて久しい。

時に伝えられる都市や農村の写真などを見ていると、素朴で穏やかな表情で写っている人々の奥に、

もの言えぬ人々の気配がある。

 国民は、自国が何をしているかも、世界からどう見られているのかも知らないのだろう。

この国には、国際的な約束を破ってミサイルの発射を命じた者たちがいる一方で、耳目を閉ざされた人の群れがある。



一民族ニ国家の悲劇を朝鮮の方々は味わっている。それは戦後のことである。

戦前は日本が植民地支配していた。

日本は支援を継続すべきである。一民族一国家になれるよう援助を惜しむべきはない。

経済制裁の被害は国民がまともに受けるだけである。







誰もが、七夕の願い事を書いてつるしていい





7月7日の天声人語からの引用


通り道の小さな図書館の入り口に、あおあおとした一本の笹(ささ)が立てられていた。

脇の机には、赤や青の短冊の束と鉛筆が置いてある。

誰もが、七夕の願い事を書いてつるしていいらしい。

 幼い字の短冊が幾つもある。

悪くない風習だと思って見ていると、警備の人が寄って来て言った。

「久々に、書いてみませんか」。

久々過ぎてまとまらないということにして遠慮したが、駅の方へ歩きながら、あれこれ考えてみた。

 〈あの国の指導者が、早く省みますように〉

北朝鮮がミサイルの発射を認めたが、その言い方が相変わらずだ。

「わが軍が行った通常の軍事訓練の一環である」。

確率の大小はともかく、日本海上空を飛ぶ飛行機を撃墜しかねない危険なことをしておいて、「通常」とは。

 古い映画に、こんなせりふがあった。

「俺(おれ)は地中海の水平線上にうたれた巨大な疑問符なのさ」(『ゴダール全集』気狂いピエロ)。

ジャンポール・ベルモンドが口にすれば味わいもあるが、この「朝鮮半島にうたれた巨大な疑問符」はいただけない。

 〈増税を言う前に、税金の浪費をなくしますように〉。

衆院の国政調査活動費や科学研究費の流用、官製談合、天下りの害などが絶えない。

〈輸入を再開するなら、正確な産地表示が伴いますように〉。

米国の牛たちには、罪も恨みもないけれど。

 〈みんなが健康で過ごせますように〉。

この辺りが万人の願いか。

王貞治監督が入院した。

「逆境に強い王さんですから」と長嶋茂雄氏。

〈病を乗り越えた姿が、早くグラウンドで見られますように〉




七夕さんが願いごとをきいてくれないような社会になってきた。

ロマンが薄れてきている。東洋的な優しさがなくなってきたがためだろうか。

願い事は山ほどにある。願い事を聞く立場の七夕さんも大変な世の中になってきた。





 やはりあの人ならと思った




7月8日の天声人語からの引用


ある人が何事かを起こすか、何事かを言ったとする。

そのことを聞き知った側の反応は、おおむね二分される。

「まさかあの人が」と「やはりあの人なら」の二通りだ。

 やはりあの人ならと思ったのは、6日夜の自民党幹部との会食であったという小泉首相の発言だ。


「プレスリーの館に行っている時にテポドンが飛んで来なくて良かった」

 確かに、歌ったり、ものまねしたりしてはしゃいでいる時に発射されれば、大きな批判を受けただろう。

しかし、首相が「ラブ・ミー・テンダー」などを口ずさんだ時、ミサイル発射の準備は進んでいた。

いわば「知らぬが仏」の状態だった。

 どこが(自衛隊の派遣可能な)非戦闘地域で、どこが戦闘地域なのか、いま私に聞かれたって分かるわけがない」。

3年前、首相は国会の場でそう言ってのけた。

今回は、あんなにはしゃいでいる場合ではなかったとでも言うのが普通ではないか。

自衛隊員や、国民の安全を、ひとごとのように語るさまに、今更ながらあきれる。

 会食の出席者からは「首相は運が良い」という声があがったという。

他にどんな発言があったのかはつまびらかではないが、運の良しあしという話だろうか。

党の幹部数人が同席していたという。

首相に忠告などしても「馬耳東風」ときめこんでいるのか、

それとも「糠(ぬか)に釘(くぎ)」、あるいは「同じ穴の……」ということか。

 内閣の官房長官が繰り返し北朝鮮を非難し、制裁の検討を表明しているのとは裏腹な、

政権党の軽い一面がうかがえる。国政が、首相の運頼りではたまらない。





北朝鮮のミサイル発射はアメリカに向けてのものだった。

大騒ぎする前に何故に北朝鮮がミサイルを撃たなければならなかったかを知っておくべきである。

ミサイルはアメリカには届くが,韓国 日本には充分届く兵器である。

これからも警戒するよりも,仲良くするように常に努めるべきである。

韓国と北朝鮮は同一民族の国である。

アメリカの邀撃ミサイルを沢山買うよりも仲良くなればその必要がなくなる。

買わなければ困るのがアメリカで,拉致とかミサイルなどでもって北の悪の象徴になってきていた。

平和になれば兵器産業は大打撃をこうむる。

故に北朝鮮問題が政治化されすぎている。

それを一番推進してきていたのが自民党次期総裁有力候補者である。 






古い町の名前が全国で次々と消えていった





7月9日の天声人語からの引用


仙台市で今月6日、「歴史的町名復活検討委員会」の初会合が開かれた。

「美しい響きをもった、昔の町名がなくなってしまったことに、さみしい思いをしている」。

会の冒頭、市長はこう述べた。

 肴(さかな)町や本材木(もとざいもく)町など、

伊達政宗の時代にまでさかのぼった町名の復活が検討される一方、懸念の声もある。

住民にとっては、運転免許証などの住所を変更しなければならないし、

名刺や会社案内の刷り直しも必要になるからだ。

 「住居表示に関する法律」が62年に施行されて以来、古い町の名前が全国で次々と消えていった。

それを復活させようという試みが各地で始まっている。

先駆けとなったのは金沢市だ。

大坂冬の陣で活躍した藩士の名をとった「主計(かずえ)町」を99年に復活させた。


推進条例を制定し、名刺などを刷り直す際に限度額内で補助する制度もつくった。

 大分県豊後高田市でも昨年、半世紀ぶりに昔の町名が復活した。

長崎市は来年にも、長崎くんちの祭事に参加する単位の町名を復活させる見通しだ。

 古い町名を知る人が少なくなり、現在の町名の方が定着しつつあるという側面もある。

しかし、あまりにも個性のない名前が多い。

「市街地の地名をみんな『中央』と名付けてしまった都市でも、遅すぎることはない。

カネとヒマはかかるだろうが、自らの大切な拠り所である地名を取り戻そう」

(今尾恵介『住所と地名の大研究』新潮選書)。

 住民の協力を得ながら、町の名前を考えていくことは、

地域の人々のつながりを再生させるきっかけの一つにもなるのではないか。




古い町名が簡単に捨てられて新しい市名になっている。町名には深くて古い歴史がある。

町の名前に残すことは歴史を保存する一番の方法でもある。

「昔があって今がある」ことを忘れがちになっている。




フランスの主将ジダンが退場




7月11日の天声人語からの引用


踵(きびす)を返した後の頭突きで、フランスの主将ジダンが退場。

サッカーのワールドカップの決勝は、いささか後味の悪いものになった。

 世界の頂点をめざす争いは、連日激しかった。

反則ぎりぎりや、相手の反則を誘うような手も使う。

そんな誘いがあったかどうかは分からないが、あの頭突きは一線を超えていた。

 ジダンは今年、スペインリーグの試合で、プロで初めてのハットトリックを決めた。

記念のボールには仲間がサインする習慣があるが、そうしなかった。

「マドリードのとある病院の小児科病棟を訪れた時に、ダニエル君という男の子に出会ったんですよ。

そのダニエル君に、あの記念ボールをプレゼントしたいと思ってね」

(中谷綾子アレキサンダー『サッカーW杯 英雄たちの言葉』集英社新書)。

 「ワールドカップでも、一人でも多くの未来を担う少年少女たちに、サッカーを通じて希望や夢を伝えたい」。

ジダンの言というが、これも彼の一面なのだろう。

中谷さんによれば、彼はこうも言う。

「私たちは宇宙人でも魔法使いでもありません。

皆さんと同じ人間なんです」。


生やさしくないサッカーの世界は、更に生やさしくない世の中を映す鏡でもある。

 決勝の舞台は1936年のベルリン五輪のスタジアムを改修したものだった。

あの時はヒトラーが五輪を政治利用し、第二次世界大戦が近づいていた。

 そのスタジアムでの大会終幕の画面に、吹雪のように白いものが舞う。

ザクザクという軍靴の音の中でではなく、歓声と平和の中で開かれ続けるようにと念じた。





あのジダンの頭突きには驚いた。簡単に頭で突いて容易に相手を転倒させている。

一瞬のことだった。頭突きの鍛錬とは恐ろしいものである。

選手が相手に野次を飛ばすだけで反則にすれば解決出来るように素人は考えるのだが。




ミサイル防衛(MD)システムの前倒しの配備を、
防衛庁や在日米軍が検討







7月12日の天声人語からの引用


「ある意味で、彼の残りの人生は、贖罪(しょくざい)のようなものだった」。

第二次世界大戦中、米国の原爆開発計画に加わった物理学者ウィリアム・シャークリフさんが先月、

97歳で死去した際、息子のアーサーさんが述べた。

「広島と長崎への原爆投下の後、彼はそれを自分が支援してしまったことに、

ほとんどぞっとするほどの恐ろしさを感じていた」
(ニューヨーク・タイムズ紙)。

 あのアインシュタインは、ルーズベルト米大統領に対して原爆開発を促す手紙に署名したことを、後に深く悔やんだ。

シャークリフさんは技術情報グループ長などを務めた。

実際に開発に携わった人が抱いただろう「取り返しがつかないことをした」という悔恨がうかがえる。

 シャークリフさんは、80年代にレーガン政権が掲げた戦略防衛構想(SDI、スター・ウォーズ計画)に反対していた。

敵から飛来するミサイルを迎撃する構想だ。

 その現代版とも言えるミサイル防衛(MD)システムの前倒しの配備を、防衛庁や在日米軍が検討しているという。

北朝鮮のミサイル発射がきっかけだが、有効性だけでなく、憲法が禁じる集団的自衛権の行使との絡みなど課題も多い

 確かにミサイル発射は脅威ではある。

「たたかれる前にたたけ」といった思いもあるだろう。

しかし「必ずたたかれる」と、誰がどう判断するのかすら不明だ。

専守防衛という戦後日本の基本姿勢が崩れる恐れもある。

 戦争は、自衛の名目で繰り返されてきた。

脅威に憤るあまり国の針路をあやまっては、それこそ取り返しがつかない。



邀撃ミサイルを買ってもアメリカの兵器産業を喜ばし,それは恐ろしいほどの税金の無駄ずかいである。

こんな所に税金を使うぐらいならば手厚い介護・医療のの方にお金を廻すべきである。

アメリカの兵器産業の為に緊縮財政を強いて国民を困らせている。

 それも誰が見ても無駄使いなことである。




これほど大きな価値を生む嘘の世界も無い



7月13日の天声人語からの引用



ドイツの劇作家ブレヒトは、ナチス時代に北欧や米国に亡命した。

「ハリウッド」という詩がある。

「毎朝、パンをかせぎに/市場へいくと買われるのは虚偽/売り手にまじってならぶ私は/

希望に満ちて」(『ブレヒトの詩』河出書房新社)。

 映画監督フリッツ・ラングも、ナチス時代にドイツから米国に渡り、ハリウッドで撮影した。

戦後、彼はゴダール監督の『軽蔑(けいべつ)』に出て、ブレヒトの「ハリウッド」を口ずさんだ。

「嘘(うそ)を売っている市場……」となっていた。

 欧州からの皮肉な視線を感じるが、作り物を嘘というなら、これほど大きな価値を生む嘘の世界も無い。

監督や俳優は腕によりをかけて嘘をつくり、数限りない嘘を人々は喜んで受け入れた。

 近年はテレビに取って代わられたが、日本でテレビの本放送が始まった53年といえば、まだ映画が全盛だった。

「ローマの休日」や「シェーン」が公開された。

ヒット作が多いこの年公開の作品に、改正された著作権法が適用されるのか??。

米国の映画会社が「ローマの休日」などの格安DVDの販売差し止めを求めた仮処分申請で、

東京地裁は申請を却下する決定をした。

 04年1月1日施行の改正で、保護期間は50年から70年に延びた。

原告は、公開から50年の終わりの03年12月31日午後12時は、04年1月1日午前0時と「接着」していると主張した。

地裁は、保護の基本単位は時間ではなく「日」であり、03年の大晦日(おおみそか)で著作権は消滅したと判断した。

 著作権の保護には限りがある。


しかし「美しい嘘」の輝きに、限りはない。






映画などの文化産物がただ営利のためだけにあるとは思いたくない。多勢に鑑賞されてこそその値打ちがある。

ツマラナイ映画は淘汰されてDVD化されていない。

一人でも多くが見てもらうとよいような作品だけがDVD化され販売されている。

名作は人類の財産である。






イタリアのマテラッツィ選手に頭突きを見舞って
退場となったフランスのジダン選手が






7月14日の天声人語からの引用

心の上に刃がある。

「忍」は心をしっかりと持って耐え忍ぶという意味になる。

逆に、耐え忍ぶことができず、堪忍袋の緒が切れたのが「忠臣蔵」の松の廊下での刃傷の場面だ。

 サッカーのワールドカップ(W杯)の決勝で、

イタリアのマテラッツィ選手に頭突きを見舞って退場となったフランスのジダン選手が、仏テレビに出演した。

「母と姉を傷つけるひどい言葉を繰り返された。


1度や2度ならともかく、3度となると我慢できなかった」。

ジダンの顔も2度までで、3度目に堪忍袋の緒が切れたということか。

 「ひどい言葉」は、本人からは「とても口には出せない」という。

それでも、英紙が報じた「テロリスト売春婦の息子」について「まあそうだ」と答えた。

 「売春婦の息子」は、日本語で見ると強烈だが、イタリアでは頻繁に使われる侮辱の言葉だという。

それにしても、本人と家族を深く傷つけることは確かだ。

 「テロリスト」には、9・11の米国への同時多発テロで加速したアラブ系の人々への差別意識がうかがえる。

W杯の試合開始前のピッチには「人種差別にノーを」という大きなプレートが置かれていた。

それだけ、実態は深刻なのだろう。

 危険な頭突きは、決して認められない。

本人も「後悔はしていない」と言いつつ、一方では「特にテレビを見ていた子供たちに謝りたい」と述べた。

映像を見た世界の多くの幼い心に、なにがしかの傷を残したとすれば残念だ。

ただ、
あの頭突きは、相手の胸元だけではなく、差別を抱えた時代をも突いていたようだ。





ジダンの頭突きは見事である。ジダンの言い訳も理解できる。アラブ世界の不安定さがサッカーの世界に

反映されてのことか。ジダンが一方的に悪いとは言えない。

喧嘩は手を出すものだが手はだしていなかった。





鬼子母神に人波は




7月15日の天声人語からの引用


先日、恒例の朝顔市でにぎわう東京の都心にある鬼子母神にでかけた。

他人の子を奪って食う鬼女が、仏に娘を隠されて悔い改め、後に子授けや安産、子育ての神としてまつられたそうだ。

 平林たい子に「鬼子母神」という短編がある。

事情を抱えた幼い女の子を養子に迎えた女性の思いがつづられる。

鬼子母神は末尾に登場するだけだが、幼子についての描写が鮮やかだ。

「この艶やかな目、どんな良質の水銀の裏打ちある磨きのよい鏡よりもよく澄んでいるこの目は、

まだいくらも人生を映していないということで真新しく、こんなに綺麗(きれい)なのだ……」


 小さくてみずみずしい命が静かに息づいているさまは、「翼のない天使」という言葉を思わせる。

未来という、不透明であり、可能性をも秘めた時の連なりを前にして、無防備にたたずんでいる。

その姿に、古来、親や周りの大人たちは、深いいとおしさや不安を味わってきた。

 近所の小学1年生の男児を殺害した容疑で逮捕された秋田県藤里町の畠山鈴香容疑者が、

水死した当時9歳の長女について「橋から過って川に転落した」という趣旨の供述をしたという。

「ふたりで居た」「気が動転して助けは求めなかった」。

そんな意味の説明もしているという。

 畠山容疑者は、これまでもたびたび供述を覆してきた。

一緒に居ながら助けを求めなかったのはなぜか、といった疑問も浮かぶ。

慎重に、真相に迫ってほしい。

 赤、青、紫。色鮮やかな朝顔に囲まれた鬼子母神に人波は絶えず、それぞれの願いを胸に、手を合わせていた。



畠山容疑者の心の中は複雑である。異常性格者か。二人も殺しての後の行動が不可解である。

子を奪って食う鬼女が、仏に娘を隠されて悔い改めて鬼子母神に。

鬼子母神のカケラも見つからない犯罪行為が行われている。

戦後の親になる世代になる人たちの教育が問い直されている。






津軽海峡を挟んだ函館港には、摩周丸が





7月16日の天声人語からの引用


煙突を改造した展望台から、青森港が眼下に広がる。

海面すれすれをカモメが飛んでいく。

88年に廃止された青函連絡船で、最後まで就航していたのは8隻だった。

青森に係留されているのは、そのうちの八甲田丸だ。

 観光客向けに公開されているが、最盛期に比べ客数は5分の1に減った。

船体の塗装ははげ、老朽化は著しい。

補修費を集めるため、商工会議所が中心となって今月初め、「守る会」がつくられた。

 津軽海峡を挟んだ函館港には、摩周丸が浮かんでいる。


事情はこちらも同じだ。

維持費がかかる中、どうやって保存していくか、模索が続いている。

ほかでは羊蹄丸が東京の「船の科学館」に、大雪丸が長崎港に係留されている。

大雪丸は約10年間、海上ホテルとして利用されたが、昨年末営業を終えた。

 羊蹄丸の元航海士で、連絡船のその後を調べている川村修さん(48)によると、

残る4隻は海外に売られ、数奇な運命をたどったという。

石狩丸と空知丸はギリシャの船会社の所有になり、エーゲ海やアドリア海でフェリーとして活躍した。

黒海航路に転じ、ルーマニアやトルコの港につながれていたが、いまは引き取り手を探している。

石狩丸はスクラップとして、すでにインドに曳航(えいこう)されたとの説もある。

 フィリピンでカジノホテルとして利用されていた十和田丸と、インドネシアに売られた桧山丸は、

もう自力では動くことができないそうだ。


 こう見ていくと、いくら赤字とはいえ、ふるさとに残った八甲田丸と摩周丸は、

随分幸せな余生を送っているように思える。




時代の流れには逆らえない。無常流転の世界の出来事である。






それが「車椅子(いす)街日記」だ






7月17日の天声人語からの引用

 図書館に行くたびに、待ってましたとばかりに職員が出てくる。

4人で、車いすごと2階の閲覧室に運び上げてくれる。

ありがたいのだが、職員はへとへとだ。


「早くエレベーターをつけてほしい」と車いすの男性がつぶやく。

 そうした4コマ漫画が、東京に住む村上トオルさん(42)の体験から生まれている。

村上さんは慶大生の時、オートバイで転倒し、脊髄(せきずい)を傷つけた。

卒業するころ、漫画で生計を立てようと思った。

自宅で仕事ができるからだ。

漫画雑誌に投稿し、注文が来るようになった。

 題材は野球やOLだった。

村上さんは「歩けず、つらい生活の中で、楽しいことを考えようとした。

昔やっていたこと、やれたらいいなということを描いていました」と話す。

5年後、筆を折り、会社に勤める。

好きな女性ができて、結婚するため、安定した収入がほしかった。

 しばらくして、障害者の移動を手助けする団体から「機関紙に描かないか」と言われた。

結婚して、日々の暮らしも悪くないと思えるようになった。

身近な出来事を漫画にした。

それが「車椅子(いす)街日記」だ。


いまは別の情報誌にも「車イスがゆく」を連載している。

どちらもインターネットで読むことができる

 プールで腕だけで泳いでいると、おぼれたと勘違いされる。

お土産を買いすぎて、坂道を上れない。

ふっと笑いを誘われる。

車いす生活の現実もちらりと見える。

 昨年、女の子が生まれ、うれしいことが加わった。

村上さんは「車いすの生活にも、楽しいことがある。

そのことをもっと伝えたい」と語る。






図書館にはよく出かけ利用しているが,車椅子の人には出くわさない。これだけインターネットなどの

情報化が進んで来ているので色んな利用方法があるのかどうか。

不便を強いられている人たちの苦労が理解できない。

自分がその立場になって初めて判る世界ではいけないのだが。






主要国首脳会議(G8サミット)の舞台となった
古都サンクトペテルブルク






7月18日の天声人語からの引用


ロシアでは初めての主要国首脳会議(G8サミット)の舞台となった古都サンクトペテルブルクは、

18世紀にピョートル大帝によって築かれた。

ロシア革命の後は、レニングラードとも称した。


 帝都の時代に、国民詩人プーシキンが叙事詩「青銅の騎士」でうたった。

「ここにこそわれわれは都市を築こう。

/われわれがヨーロッパへの窓をあけ/海辺にしっかと足をふまえて立つのはここだと/

自然がきめてくれているのだ」(木村彰一訳)。

 この「ヨーロッパへの窓」で開かれたサミットは、北朝鮮のミサイル発射などの緊急課題の対処に迫られた。

国連の安全保障理事会が、全会一致で北朝鮮を非難する決議を採択し、

サミットでも非難声明を出したことは一定の圧力にはなるだろう。

 サンクトペテルブルクでは、ドストエフスキーが後世に残る作品を執筆した。

この街を舞台とする「罪と罰」では、非凡人にはすべてが許されると考える青年ラスコーリニコフが、金貸しの老女を殺害する。

文芸評論家・荒正人氏は、この殺人は、目的と手段の問題と考えてみてもよいと述べた。

 「現世のナポレオンたちは……目的が手段を正当化すると考えている。戦争、革命、建設など、

いずれも、目的のための手段にすぎない。

目的は、理想だから、いつも美化される」。

そして、目的のために多くの人間が手段と化し、人間としての自由は奪われる、と。

 冷戦の時代の論評だが、手段を選ばない「現世のナポレオン」が消えたわけではない。

国連もサミットも、歯止めの機能が一層問われる。




サミットが金持ちクラブになってしまえばお終いである。サミットに入っていない国の人たちの気持はどうであろうか。

国連より良く機能しているとなれば世界もお終いである。






酸素の缶詰が全国発売されている




7月19日の天声人語からの引用


大手コンビニのチェーンで先月から、酸素の缶詰が全国発売されている。

スプレー缶のような形をしており、ノズルから出る酸素を吸い込む仕掛けだ。

 1缶600円で、2秒の噴出を35回ほど繰り返すことができる。

1回約17円の計算になる。効能は、ストレス解消とリフレッシュだそうだ。

だれが買うのかと思うが、広報担当者によると、予想以上の売れ行きだという。

 「ミネラルウオーターが売り出された時、売れると思いましたか。

ペットボトル入りのお茶はどうでしたか。

酸素を買う時代が来ても不思議はありません」。

そう説かれると、そんな気がしないでもなくなってくる。

 酸素といえば、国会議事堂の中には、「酸素ボックス」というものがある。

衆院本会議場の出入り口のわきにある、電話ボックスを改造した古びた箱だ。

議員専用で、中にある酸素ボンベを自分で操作して吸い込む。

ちなみに、参院にはない。

 衆院事務局によると、66年の議院運営委員会で、「本会議が深夜まで続くと、頭が痛くなったり眠くなったりする。

気分転換にもなる」と提案があり、直ちに設置された。


当時の首相は佐藤栄作氏。

前年には日韓条約をめぐる強行採決があり、国会が大もめの時代だった。

 最近は牛歩戦術や徹夜国会がほとんどなくなったこともあって、あまり使われていないという。

酸素の缶詰の存在を知っていた衛視の一人は、「先生方も随分若くなって、

これからはコンビニで買う時代になるんでしょうかね。

こういうボックスは消えていくのかもしれません」と話していた。





空気の中には酸素は充分含まれている。さらに酸素を買うとなれば呼吸機能が落ちている人ならば

気持が理解出きるが,気分転換のために酸素を買うとは如何なものだろうか。






全鐘紡の野球チームを率いた総監督が、
18日に95歳で亡くなった前・高野連会長の
牧野直隆さんだった。





7月20日の天声人語からの引用


「今からすぐに日本の吉田茂首相に電報を打とう」。

1953年5月、フィリピン紙が一面トップで伝えた。

「失われた日比の友情を回復するのに外交官はいらない。

オール鐘紡のようなチームをよこすことだ、と」。


国交が回復する前、反日感情の強い現地に渡った全鐘紡の野球チームを率いた総監督が、

18日に95歳で亡くなった前・高野連会長の牧野直隆さんだった。

 親善試合に全力を尽くして引き分けた翌日、反日的とされる新聞の好意的な記事を見て「体の力がスッと抜けた」

(自著『ベースボールの力』毎日新聞社)。

「理屈ではない。スポーツが人に与える生の感動が、状況を変えたのだ」

 当時、マニラ郊外のモンテンルパ刑務所には、100人を超す日本の戦犯が収容されていた。

試合の3日後にそこを慰問し、大統領との会見では釈放を嘆願した。

2カ月後、全員が特赦された。


 渡辺はま子さんのヒット曲「ああモンテンルパの夜は更けて」は、この刑務所の死刑囚が望郷の思いを込めて作詞、作曲した。

彼女は、全鐘紡チームが行く前の年に刑務所を訪れ、それを歌った。

渡辺さんの歌に加えて野球遠征などが特赦を後押ししたのだろう。

 学生野球、社会人野球を経て、高校野球の世界では、現場の声を生かす改革を進めた。

外国人学校に門戸を開いた時に述べた。

「規則が受け入れを拒むなら、規則のほうを変えるべきだ」

 週1日休養の勧め、投手の肩の検査、「勝利至上」への戒め。

柔軟な発想の奥底には、「ベースボールの力」への固い信念と熱い思いがあった。





戦後急速に野球が盛んになった。スポーツは野球しかなかった。アメリカの国技である。

サッカーが盛んなのは最近のことである。いろんなスポーツが盛んになるのは喜ばしい

ことである。





ガス瞬間湯沸かし器の事故で揺れる
パロマのホームページには





7月21日の天声人語からの引用


「“良心”に基づく安全性と省エネ性の追求??」。

ガス瞬間湯沸かし器の事故で揺れるパロマのホームページには、製品や会社の沿革の説明に寄り添うようにして、

宣伝文句が並んでいる。

事故が報じられる前には、こんな趣旨のものも載っていたという。

「25年間1200万台以上 不完全燃焼無事故の安心給湯器」

 パロマ側は当初、事故は安全装置の不正な改造が原因であり、責任はないという姿勢だった。

それが数日で一転して、91年ごろには会社トップも事故発生を知っていたことを認めた。

 「ひとにやさしい“あんしん”技術。それは、パロマの責任です」ともある。

事故を知りつつ放置したとすれば、責任は極めて重い。

“良心”や“あんしん”は、崩れ去りそうだ。

 事故が続いていたころにパロマのトップだった小林敏宏氏は、創業家の3代目だ。

昨年、長男に譲るまでの約四半世紀、パロマの社長を務めた。

「私が安全を強調しすぎたため、(事故の)報告が出しにくくなったかもしれない」と述べている。

「安全の強調」が社内の風通しの悪さの理由にされたのでは、「安全」の立つ瀬がない。

 同族会社としての弊害があったことを認めた発言ともとれるが、問題は同族会社かどうかではない。

ガス器具という、常に消費者の安全にかかわる製品を扱う者としての責任の自覚と、その果たし方にある。

 パロマのホームページにはこんな文もある。

「もっと豊かであんしんな明日へ。

パロマは歩み続けます」。
基本に安全が無ければ、豊かさも、安心な明日も無い。



瞬間湯沸し器を使う事が少なくなってきた。戦後間もなくは盛んで便利なものと感じていたが

不燃ガス発生で凶器に変るとは知らなかった。色んな便利なものがつくことにより事故につながったものか。

ガスは恐ろしいとの気持はいつもあった。





昭和天皇が、靖国神社にA級戦犯が
合祀(ごうし)されたことに不快感を






7月22日の天声人語からの引用


「あの戦を境にして、『神と人間』『君主と象徴』という対極の生を生きられた天皇が、

長い戦争と平和とに隈(くま)どられた昭和という時代を引き連れて、永遠の眠りに就かれた」。

89年1月7日、昭和天皇の逝去の報を受けて、本紙の社会面に、そう書いた。

 その前年の4月の日付で、昭和天皇が、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことに不快感を示した

発言のメモが残されていた。


当時の宮内庁長官が記していたというメモには、肉声を聞くかのような臨場感がある。

 「今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と」「親の心子知らず」「それが私の心だ」。

合祀への不快感については、過去にも側近が証言している。

メモはそれを裏付けるもので、歴史を変えるというほどではないものの、大きな発見だ。

 気をつけたいのは、このメモの扱い方だ。

冒頭の社会面の記事にも記したように、昭和天皇は、あの戦争の前と後とでは対極的な存在となった。

ひとつながりの生でありながら、歴史はそういう軌跡を描かせた。

 この、昭和の歴史と特別なかかわりをした天皇の全体像というものには、途方もない幅と奥行きがあるだろう

宮内庁長官を介して間接的にもたらされた幾つかの言葉から、その像が一気にくっきりと見えてくるものではあるまい。

 メモは一つの史料として冷静に受け止めたい。

政治などの場で過大に扱うのも控えた方がいい。

もっと大きく、昭和の歴史と向き合ったり、あの悲惨な戦争を考えたりする時の手がかりにしたい。

戦争で隈どられる時代が二度と来ることがないように。




別の見方をすれば,天皇の威力が今も強大にあることをまざまざと見せつけられた事件である。

天皇の一言が消えていない時代に住んでいることを感じた。

天皇の偉大さを再認識する機会でもあった。

靖国神社の門に見るデカデカと見る菊の御紋章が気になる。天皇の権威と靖国神社が一緒になると

どんな事になるのかと想像してみるだけでも恐ろしい気がする。

宮内庁とは本当に主権在民の国民の幸せのなるものなのかどうかと考え直してみたくなる。







40年にわたって開発を続けてきた「虫の目カメラ」だ




7月23日の天声人語からの引用


翅(はね)わつててんたう虫の飛びいづる??3日前の「折々のうた」で紹介された高野素十の句だ。

虫の一瞬の動きを描いた句は多い。

自然写真家の栗林慧さん(67)は、それをカメラで追っている。

 近著「栗林慧の昆虫ワンダーランド」(朝日新聞社刊)などの映像を見せると、大人も子どもも一様に驚く。

虫のクローズアップは珍しくないが、背景がくっきり映っているからだ。

 海に浮かぶ島々を見下ろし、何事かを考える風情のトノサマバッタ。


草むらに仁王立ちになって、頭から敵にかぶりつくカマキリ。

樹液を求めて樹上で闘うカブトムシたち。

作品を見る側も、自分が虫になって周囲に立ち向かう気分になる。

 特殊な撮影を可能にしたのが、40年にわたって開発を続けてきた「虫の目カメラ」だ。

医療用のカメラに改造を加え、先端に直径3ミリのレンズをはめ込んだ。

被写体となるカマキリやバッタの目より小さい。

「逃げることしか考えていない生き物」に向け、3センチ以下の距離までゆっくりレンズを近づけていく。


逃げるか逃げないか、長年のつきあいで、虫の精神状態がわかるようになってきたそうだ。

 自宅兼スタジオは、長崎県平戸市にある。

東京から飛行機とバス、鉄道を乗り継いで6時間。

むせかえる緑の中、虫たちのざわめきが至る所から聞こえる。

 今の都会の生活では、虫に巡り合うことは難しい。

「虫はよく死んでしまいます。

里山に連れて行って、お子さんに虫を見せてやってください。

いのちの大切さを知るには、一番だと思います」。


栗林さんは、そう話した。




高野素十は法医学の医学者である。鋭い観察は法医学者の目である。

文書に書きとめるのは文学的才能で,医師を辞して小説家 俳句などの文学者 画家などで

活躍している先人を見る。才能ははバライティである。尊敬するシュバイツァは音楽家でもある。





多くの国には国立の戦争博物館というものが





7月24日の天声人語からの引用


多くの国には国立の戦争博物館というものがある。

その国が戦争をどう振り返っているかを知るには格好の素材だ。

フランスはナポレオンの栄光を賛美し、韓国は朝鮮戦争の記憶が生々しい。

 その中でも、90年近い歴史を持つロンドンの帝国戦争博物館は、展示の幅広さで圧巻だ。

戦闘機や戦車の実物から戦争の原因、戦時下の市民生活まで、

様々な角度から戦争というものの全体像を示そうとしている。

 四半世紀前に初めて訪れた時、日本がロシアのバルチック艦隊を破った

日本海海戦(1905年)が図入りで展示してあった。


「トラファルガー以来最も偉大な海戦」と説明にあった。

かつての敵国なのにずいぶんフェアな扱いだと感心したり、いや当時は日英同盟があったから

同盟国なのだと合点したりしたものだ。

 第二次世界大戦終結50周年には、その展示が消えていた。

日本軍の捕虜になった英軍兵士の過酷な運命をこれでもかと訴えるコーナーがあった。

消え行く老兵をたたえるムードで英国中が包まれていた頃だ。

 今年、久しぶりに訪れて目を引いたのは、戦争犯罪の常設展である。

民衆が大量虐殺された旧ユーゴやルワンダなどの記録映像を上映していた。


展示を通じて、その時代時代の関心や戦争をめぐる論争が浮かび上がる。

 英国が、次の世代にどんな歴史観を伝えようとしているかもよく分かる。

熱心に見学する子供たちを見ながら、日本に国立の戦争博物館がないことの意味を考えた。

歴史の中で戦争をどう位置づけるのか。

その答えが出ていないということだろう。




戦争博物館のようなクダランものがあること自体が可笑しい。日本は原爆記念館だけで充分である。

歴史そのものが戦争の歴史である。それを断ち切ることこそが人類の悲願である。



神奈川県立近代美術館葉山での
「アルベルト・ジャコメッティ??矢内原伊作とともに」展





7月25日の天声人語からの引用

日曜日、所用のあった横浜から葉山町まで足を延ばした。

神奈川県立近代美術館葉山での「アルベルト・ジャコメッティ??矢内原伊作とともに」展(30日まで)を見た。

 矢内原氏は哲学者で、父は東大学長を務めた矢内原忠雄氏だ。

フランスに留学し、ジャコメッティのモデルを繰り返しつとめた。

その時の彫像や絵が並ぶ。

ほかにも、あの独特の針金のようにそぎ落とされた人体などが置かれている。

 「彫刻は空虚の上にやすらう」。

ジャコメッティがそう述べたと、詩人で仏文学者の宇佐見英治氏が『見る人 ジャコメッティと矢内原』

(みすず書房)に書いていた。

「じっさい彼のひょろ長い彫像は空虚から不意に出現して、

またあらぬところへ消え去ろうとするかのように見える」とも記す。


 その彫像に相対していると、消え去りそうで消え去らないものにも見えてくる。

削りに削っていっても、決して零にも無にもならない人間の生を表しているような気がする。

展示室の窓の外に、葉山の海が広がっている。

手前に並んだジャコメッティの立像が海に浮かんでいるような、取り合わせの妙を味わった。

 外へ出て海を眺める。

『見る人』にはこんな記述もある。

ジャコメッティや矢内原、イギリスの彫刻家が、地球がどんな形をしているかを議論した。

彫刻家は「でこぼこしている」、矢内原は「丸い」と述べた。

ジャコメッティは「地球は尖(とが)っている」と言った。

 海に薄日が差している。

かなたの水平線を見ながら、尖った地球の上で尖った像をつくり続けた人をしのんだ。





ジャコメッティの名は知らない。初めて聞くような人の名前である。

現在、前衛的なものか飽きられてきているような気がする。

芸術とはなんぞや。真 善 美が包含されていないものは芸術ではないか。




 古(いにしえ)の紙についての記述は、
中国の『後漢書』に出てくる






7月26日の天声人語からの引用


もし、世の中に紙というものがなかったらどうだろう。

書けない、拭(ふ)けない、包めない。

暮らしに無くてはならない道具、いや、道具以上の大きな存在だ。

 古(いにしえ)の紙についての記述は、中国の『後漢書』に出てくる。

「古自(よ)り書契(しよけい)は多く編むに竹簡を以てし……」(岩波書店・吉川忠夫訓注)。

書契は、文字の記録のことだ。

竹簡や絹布を使っていたが、簡は重く、絹は高い。

それで、蔡倫という人が工夫し、樹皮や麻くず、ぼろ布、漁網を用いて紙をつくったという。

帝に奏上した年は、西暦の105年にあたる。

 今年出版された『紙の文化事典』(朝倉書店)には、最近の学説では前3世紀ごろが紙の誕生の時期とされる、とある。

蔡倫は、それまでの製紙技術を集大成した人とされている。

 この本の「資料編」には、製紙会社の広告が収録されている。

「歴史を蓄える紙。/創業以来130余年/私たちにはブランドがあります」。

こう訴えるのは、王子製紙グループだ。

「人類が紙を知って約2000年/大切に??紙の未来。地球の未来」。

こちらは、王子製紙が経営統合を迫っているという北越製紙だ。


 企業にとって、生き残ることは肝心要だ。

王子側は「国際競争に打ち勝つ」と言い、北越側は「自主独立の企業文化がある」と述べる。

どちらも、現代企業には欠かせない視点であり、心構えだろう。

 真っさらな一枚の紙を思い浮かべる。

そこに何が書き込まれてゆくのか。


期待と希望がわいてくる。そんな品物を商っている会社同士にふさわしい成り行きを見せてほしい。




株式公開買付(TOB)は魔物である。最近の流行語でもある。





73年に東京で起きた金大中氏の拉致事件について





7月27日の天声人語からの引用


やはりそうだったかと、苦い思いがした。

73年に東京で起きた金大中氏の拉致事件について、韓国政府の委員会が、

当時の中央情報部(KCIA)による組織ぐるみの犯行と断定する報告書をまとめたという。


 当時、犯行現場からは、韓国大使館のKCIA要員である1等書記官の指紋が見つかった。

書記官は今も韓国に健在で、実行への関与を認めたという。

いわば容疑者の犯行声明が出たようなものだ。

 証拠がありながら、この書記官が逮捕されなかったのには訳がある。

「これでパーにしよう」。

拉致から数カ月後の政治決着の場で、田中角栄首相がこう述べて捜査を事実上終わらせたことが、

韓国が今年公開した外交文書で明らかになっている。

 犯行を不問に付した政治決着の後、金大中氏が歩んだ道は過酷だった。

80年に起きた光州事件の首謀者として逮捕され、死刑判決を受ける。

獄中から妻子に出した手紙を編んだ『獄中書簡』(岩波書店)の序文で述べている。

「日本で、私のために数百万の署名が集められ、各地でデモンストレーションが起こっているということを知ったとき、

私がどんなに強く励まされ、感謝したことか!」

 日韓の政府には苦言を呈す。

「何よりも両国の指導者の思慮のなさと過ちからくる、

両国民の間にある不信と憎悪の門の、なんと固く閉じられていることか!」

 拉致事件が起きたのは、田中首相が今太閤と言われて政権の座に就いた翌年だった。

その3年後の7月27日、ロッキード事件で逮捕された。

暑かったあの日から30年がたつ。




金大中は偉大な政治家である。太陽政策は真理である。日本にも佐藤栄作氏とか言う政治家がいたが

同じようにノーベル平和賞をもらっている。これは月とスッポンの差を感じる。

佐藤栄作氏がノーベル平和賞をもらう理由が理解できない。スゴク男前だ゛ったが。







日本語ほど難しい言語は他に見たことがない




7月28日の天声人語からの引用

 「おまえの手紙はたいへんうれしい。

しかし返事がなかなか書けない。

時間があっても、私を熱情にまでかりたてる語学への愛情が、休息をあたえないから」。

トロイの遺跡の発掘で知られるシュリーマンが、妹に送った手紙だ。

「私は今では一五か国語を話したり書いたりすることができるようになった」

(『古代への情熱』岩波文庫・村田数之亮訳)。

 数学者で大道芸人のピーター・フランクルさんも、語学に情熱を燃やした。

大学で講義ができる程度に話せる言葉は12カ国語もあるという。

そのフランクルさんが、自著『美しくて面白い日本語』(宝島社)で

「日本語ほど難しい言語は他に見たことがない」と書いている。

 漢字の多さや読みの複雑さの他に、敬語の難しさをあげる。

日本人にとっても敬語を使いこなすのは容易ではない。

文化庁の「国語に関する世論調査」では、「敬語が難しい」と感じている人が全体の3分の2を占めた。

 「お」の付け方の調査がある。

お菓子、お酒、お米は多数派で、おビール、おかばん、お手紙は少数派だった。


 半々に分かれたのは、酢だ。

おす、と聞けば雄(おす)も連想するが、すの一言だけでは、どこか心もとない感もある。

確かに「お」の付けすぎは聞き苦しいが、表現の多様さもまた、日本語の妙味の一つだろう。

 「文化の大本である日本語の良さ、面白さ、楽しさ、複雑さなどを多面的に眺めて、それを改めて学んでみてはどうだろう」。

言葉を、特技のジャグリング(西洋お手玉)のように操る、フランクルさんからの「お勧め」だ。





難解といわれる日本語に堪能だから才能が有るとは思えない。シュリーマンのような情熱で多国語を会得しようとも

思わない。いつも思うことだが世界が一つの言葉でスラスラと書かれたものとか話が理解できように通用するようになれば

恒久平和は必ず早くやってくると思う。





最近の言葉から。



7月29日の天声人語からの引用


最近の言葉から。

サッカー日本代表の新監督に決まったイビチャ・オシム氏があいさつ。

「これは結婚みたいなもの。結婚も最初の頃はうまくいく。

その後が気になる」。4年はもってほしい。

 「宇宙という地球外の空間と、海という内なる地球は、ともに未知の空間として共通だとつくづく感じた」。

海底施設で訓練中の宇宙飛行士、若田光一さんからの報告だ。

 兵庫県明石市で人工砂浜が陥没した事故で、

業務上過失致死罪に問われた当時の国土交通省職員ら4人に、神戸地裁が無罪判決。

「ほんの少しでも、『もし自分の子どもや孫が利用したら』との意識があれば、事故は防げていたのです」。

当時4歳の長女を失った金月(きんげつ)一彦さんが失望して。

 ベトナム戦争の枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児として生まれ、分離手術を受けた弟のグエン・ドクさん。

年末に結婚する予定で、招待状が日本に届いた。

「これまで支援してくれた日本のみなさんに、私たちの門出を祝福してほしい」


 松本サリン事件の現場に、オウム真理教(アーレフと改称)の幹部らが献花。

被害者の河野義行さんは、「妻のことを思って見舞いに来てくれるのはアーレフも市長も同じ。

まだ社会的偏見があり、アーレフを排除する情勢もある。

見舞いを受けたのは、少しでもその偏見をぬぐい去りたいと思ったから」と述べた。

 原爆ドームを描き続ける広島の画家、原廣司さん。

元安川の水で絵の具を溶かし、四季折々の姿を描いてきた。

「私も、原爆ドームも、川の水も、すべてが被爆者なんです」







東京は葛飾柴又にある「寅さん記念館」は






7月30日の天声人語からの引用


車寅次郎を演じた渥美清さんが亡くなって、来月4日で10年になる。

東京は葛飾柴又にある「寅さん記念館」は、年間20万人が訪れる観光名所だ。

ここに寅さんの履歴書が展示されている。

映画の中で使われたもので、柴又尋常小学校卒業、葛飾商業学校中退とある。

 寅さんの後輩にあたるであろう柴又の小学生に、夏休みについて尋ねてみた。

葛飾区では今年から、小学校の夏休みが1週間減らされたからだ。

 始業式は9月1日でなく、8月25日。

予想通り、怒りの声が多い。

「なんでかなあと思いました」「うれしくないです」「いやだー」。

短縮を知らない子もいた。

 葛飾区は、区を挙げて夏休みの短縮に取り組んだ先駆けを自負している。

中学校ではすでに昨年から夏休みが減らされている。

教育委員会によると、週5日制になって、十分な授業時間がとれなくなったことが理由だそうだ。


先生の間では賛否が分かれたが、保護者の多くは賛成したという。

 夏休み短縮は全国的な傾向のようだ。

授業時間の確保としては、2学期制を導入した学校もある。

3学期制より、始業式や終業式、定期試験の日数を減らすことができるからだという。

学校側もいろいろ考えている。

 「一所懸命遊ぶということはとっても大事なことだと思います。

子どもが夢中になって遊ぶときには、大人はそれを応援してやる必要があります」

(山田洋次『寅さんの教育論』岩波ブックレット)。

江戸川べりに寄ったら、子どもたちが縄跳びをして遊んでいた。

短い夏を夢中になって楽しんでほしいと思った。




山田洋次氏の「虎さんシリーズ」に共感する。日本人の「情」の世界をよく描写している。

大人が子供の楽しい夏休みが減らす事による利と害の割合を考えているのだろうか。

のびのひと遊んだ子供の頃が懐かしい。





「商流」を一体として担保にする方法






7月31日の天声人語からの引用


東京都内でワイン輸入会社を営む野田宏子さん(48)は、20年あまり前に日本女性で初めてソムリエになった。

いまは7人の従業員を率いる。

そんな起業家の彼女でも、土地や建物がなければ、個人や会社の信用力でできる借金の額は、

たかが知れていた。

 それが今春、新しい融資に出合った。

在庫の商品を売って、その代金を受け取るまでの商売全体の流れ、

つまり「商流」を一体として担保にする方法だ。


さっそく在庫7万本と売り上げ見込み額を担保に、会社で5千万円を借りた。

事業を広げるためだった。

 ワインは買い付けから、売掛金の回収までに数カ月はかかる。

だが、価格は国際的に安定しており、一定の売上高を見込める。

こうした手堅さが評価された。

「ワインもダイヤなどのように高い商品価値を認められたみたいでうれしい」と野田さんは喜ぶ。

 融資をしたのは中小企業向けの金融機関の商工組合中央金庫(商工中金)だ。

昨年から始めた手法で、福岡県の海産物会社の昆布、秋田県の養豚業者の豚1万頭も担保にしてきた。

いつでも商品の状態をチェックできることが、融資の条件なので、

動き回る豚は耳にICタグをつけて個々に管理されている。

 かつては、在庫での借金は敬遠された。

貴重な商品まで質入れする経営難を思わせたからだ。

それが今や「商流」が担保になるのは、商売の堅実さへのお墨付きなのだと見なされる。

こんな新しい発想の融資が各地に広がっている。

 ようやく、不良債権の処理が峠を越えて、景気が回復してきた。

その確かな一断面だろう。



新しい商売の流れができてきているようだ。今までは1000万円の資本金と三人の役員 一人の監査役が必要だったのが,

一円で会社を創立でき役員も一人で可能のようである。

商流が担保でお金を借りられれば時代がかわったのか,行き過ぎなのかわからない。

銀行が土地を担保にしていて不良債権になり倒産した銀行もあることを経験しているが。

でも今は明らかに大企業に甘く中小企業に厳しい世の中になってきており,ホリエモン 村上ファンド事件を

経験してきている。






禅林寺


禅林寺にはよく参ることがある。寺院内の風景は宗教色が少なく,境内に居るだけで落ち着く。

開祖は真言宗の真紹で開祖堂には二代目宗叡 弘法大師と一緒に祀られている。

浄土宗に改宗したのは第七代目の永観になってからである。だから永観堂の名でも親しまれている。

広い境内は何度か訪れているが迷子になりそうである。池があり滝が有りして境内を散策するだけでも

ゆったりとした気持になる。浄土宗には珍しい東山山麓の中腹には多宝塔があって境内の景色が見事である。

残念ながら紅葉の季節 桜の季節には拝観できていない。その時分は観光客が一杯で容易に入る事が出来ない。

そのうち機会が有ればと思うのだが。

永観律師は興味ある人物で平安後期の頃の人で,常にお念仏を唱えていた人のようである

一説には一日六万回のお念仏を唱えられていたといわれる。

本堂の阿弥陀像は此処にしか見ることが゙できない「見返りの阿弥陀如来」で左に首を廻し下を向いて

居られる。阿弥陀如来が台座から降りてきて永観に対して「永観遅し」と阿弥陀仏が自分に付いてくるように

振り向かれ歩かれたとの逸話が残っている。

普通に見られる阿弥陀像の脇侍として,右に普賢菩薩と左に観音菩薩が控えておられるのが一般的である。

でも此処の阿弥陀仏は衆生がついて来るようにとの思いで,左に首曲げ優しく振り向かれておられる。

自分についてくるように諭しておられるお姿である。

左側から拝むお姿は慈悲に満ちたお顔をされているようだ。

真言宗から浄土宗に変って,永観堂といわれる所以がここにあるのかもしれない。

一般に知られている鎌倉仏教の法然 親鸞が興隆してくる以前の平安後期に阿弥陀信仰を唱えておられる。

宇治の平等院の阿弥陀 京都の六波羅蜜寺の空也上人もそうであった。

法然の鎌倉時代に始まるとされる念仏宗は平安後期から始まっている。

永観は慈善事業に尽くされて禅林寺内に薬王院を建て丈六の阿弥陀仏を祀り,

多くの病人や困窮した人々を収容されている。今で言う病院とホスピス慈善院を兼ねたような施設で

困窮した人たちを助け念仏を奨励されている。悲田梅が薬用に用いられ現在も境内に見られる。

三鈷の松がある。鈷は弘法大師像で見られる右手に持ちくるりと曲げられ握られているものでこの鈷は

何を意味するかとある密教寺院で僧侶にお尋ねした所,密教だから教える事が出来ないと返事された。

又お参りする時の言葉がオンコロロ云々で何かわからなくて難しい。

サンスクリット語をそのまま使っていると言われているが此れも意味不明である。 

禅林寺の帰りに受付でいつも字を書かれているおじさんから「夢」 悟りと智慧 菩提樹と書かれた

菩提樹の葉っぱ と 三鈷の松を入った袋を無理にお願いして頂いて帰った。


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