随想 平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成12年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成13年1月 分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分10月分11月分 12月分 平成14年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成17年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成18年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 9月になって 9月に入ると,さすがに暑い日も少なくなってくる。食欲の秋であり,行楽のシーズンでもある。 運動に適した季節であって,ゴルフの他,何か目的がないと運動をしないのて゛神社仏閣を訪れ 境内をできるだけ歩くようにしている。 運動の目的の他,今まで知らなかったそこの神社仏閣の来歴などをも調べるようにしている。 運動と趣味を兼ねそなえての勉強となる。 主に奈良・平安時代の古い神社仏閣や史跡をば対象にしている。 京都では平安時代の真言宗 天台宗の寺院が主になってくる。 奈良になると法相宗 律宗 華厳宗などの奈良仏教である。 面白い事に,これらの仏教にもそれぞれ何々派と呼ばれ,時代とともに沢山な宗派の教えに分かれていっている。 丁度キリスト教や,イスラム教にも沢山な宗派に分かれているようにだ。 まして政界における自民党内において森派 津島派 丹羽・古賀派 谷垣派 河野派 高村派などなとに分かれいて 活動するのもうなずける。 あまりにも長かった小泉内閣もついに終り,安部内閣が発足した。でもこの内閣に新鮮味は全く感じない。 官邸を強化するとして何人かの補佐官が任命されているのが,それが少しは目新しい気がする。 これもアメリカの大統領補佐官制度を真似しているようだ。 アメリカの大統領は国民から直接選挙で選ばれている。補佐官を作る意味もある程度理解できるが 日本では,首相は議会で一番多くの議員がいる党から選出されている。 それならば本来ならば議員の声をよく聞いて行動するのが本筋である。 だがアメリカも日本も,共にに天下をとれさえすれば大統領 首相の命令を聞かないものには,刺客までも送りつけ 反対の人達を追い出している。或いは 又党議拘束をかけ反対している人達を賛成させたりして 自分の思い通り政治をばしているのが現状である。 それがブッシュ 小泉の両リーダーの政治手法であった。だから大統領 首相の権力乱用は恐ろしい。 これでは民主主義とは名ばかりである。 当選すれば上意下達あるのみで,リーダーの声をよく聞きなさいの政治が押し進められてきた。 選挙が終るまでは,あまりにも本音を国民に聞かせようとする努力はしていない。むしろ逃げている。 此処の所が一番大切である。 だが安部晋三氏には今まで色々言ってきた経緯があり,行動してきたことがある。 だが途端にそれらを打ちけそうとしている。。 又代々の遺伝子もある筈だ。現在までの国会での答弁などを聞いていると今までと違うことを話している。 君子は豹変するのか。! ご先祖の家訓を守りたい気持は我々も持ちあわせている。 それは一個人の家の話である。老舗と称するところには大体家訓によって長持ちしている。 それに最近,近代になって大きくなった会社では創業者による社訓があるようだ。 でも政治に携わる人たちは民衆の声をよく聞き,それに随って弾力的に政治を進めて行くのが 政治家本来の務めかと思う。 大体お世話するという行為こそは,「しんどい仕事」なのである。 それを特により好んで政治家になろうとしているのだから,それだけの覚悟をしてのことと考える。 まさか権力と,それに伴う利益配分機能だけに魅了され,政治家が志したのだとは思いたくないし,本人も言えない。 安部晋三内閣には森派 丹羽古賀派からが一番に閣内に入閣した人が多く,谷垣派からは全くナシである。 官房長官とか 幹事長も森派が占めている。 気心が判った人たちで支えているのて「仲良し内閣」と揶揄されているようだ。円満な内閣が一番良いとは思わない。 異論もあるようだ。 同じような考えだけでの内閣ではかたょつた方向に暴走しかねないことがあるので, 過去によく聞く話として,中曽根内閣では異質な後藤田官房長官がその役をはたしていたということである。 いつまでもアメリカの「操り内閣」だけでいてもらいたくない。 安部さんは,今まで断絶していた東南アジアの外交改善に注目し,一番初めに中国訪問,次が韓国の予定だった。 中国訪問から韓国にいたる過程のなかで,北朝鮮の核実験実施のニュースが飛びこんできた。 それによって最初の東アジア訪問の意図した安部さんの効果も少し薄れてしまった感じがある。 アメリカのライス国務長官はこの安部さんの行動を高く評価している。 タカ派のライス国務長官に評価されるだけに安部さんは立派なタカ派の人である事を証している。 北朝鮮がミサイルと核を持つ国だとすれば日本にとって極めて脅威な存在となる。 ミサイル発射と核実験も,アメリカと「対話」したい北朝鮮の思いつめたシグナルだといわれている。 民主主義国家アメリカが一番民主主義のもとの「対話」を何故に拒否し嫌がるのかわからない。 「対話」こそが民主主義の基本である。 基本を忘れ,武力でもって「戦争」に傾く国がどうして民主主義国家といえるのだろうか。? 徹底的な対話をば国連の場でしてほしいものである。六ケ国でも二ヶ国でもよい,大いに話し合ってもらうことである。 アナン事務総長の次に韓国の藩氏が次期国連事務総長に決定した。 韓国と北朝鮮は同一民族ある。その韓国から国連事務総長が誕生した。 同胞である北朝鮮に対し,国連事務総長として最高の良い解決方法を示してほしいところである。 次期国連事務総長に対して北朝鮮問題解決に大いに期待するところがある。 北朝鮮現政権が倒れると,国民が難民化し周辺諸国に流れる恐れがあるとか。 難民化しようとも,日本・中国・ロシアそして東南アジア全員でもって,助け合い支えあっていけけないものなのか。 安部さんのお得意な拉致問題もその過程で自然解決できる筈と考える。 益々の北朝鮮制裁強化では,底辺にいる北朝鮮国民達だけにしわ寄せがひどくなって困り, その人たちだけに被害を被るだけとなる。 なんとかアメリカと北朝鮮とで徹底的な「対話」がなされるべきである。 ブッシュさんがクリントン大統領時代に話し合いしても解決しないから「対話」しないというのも, 時代は時々刻々移り変わり,変化しているのだから何か良い解決方法が見つかる筈だ。 対話こそが最善の解決策である。 なんとかして同一民族の二国をば,同じ一つの国家に戻すよう世界の人たちが協力すべきである。 朝鮮を長年にわたり植民地支配してきた日本にも大きな責任がある筈だ。 北朝鮮は恐ろしい国家だと喧伝するだけでは世界になにも平和をもたらしはしてくれない。 新しい国連事務総長のもと,世界が協力する一番よい機会が到来してきている。 一歩一歩,平和への歩みを前進させて欲しい。 庶民の暮らしを描き、 88年に、アラビア語圏で初のノーベル文学賞を 受けたマフフーズ氏が94歳で亡くなった 9月1日の天声人語からの引用 カイロで、モスクの尖塔(せんとう)が見え隠れする狭い路地を歩いたことがある。 道に面した古い建物のそこここから、大きな出窓が突き出している。 通りからその中は見えないが、内側からは通りの様子が見える。 マシュラビーヤと呼ばれる格子窓だ。 「彼女は……マシュラビーヤに向い、その扉を開けて中へ入った。 それから閉ざされた檻のような場所にたたずみ、 格子窓にいっぱいあいている小さな丸い隙間から道路の方へ視線を投げながら左右に顔を動かした」。 旧市街に住む一家の物語をつづるナギーブ・マフフーズ氏の『バイナル・カスライン』 (河出書房新社・塙治夫訳)の一節だ。 真夜中に戻る夫を迎えるため、妻が起き出した場面で、読者を一気に旧市街にたたずむ家の中へ引き込む。 庶民の暮らしを描き、88年に、アラビア語圏で初のノーベル文学賞を受けたマフフーズ氏が94歳で亡くなった。 マシュラビーヤの通りを歩いたのは3年余り前で、マフフーズ氏に取材を申し込んでいた。 いったんは日時も決まったが、少し前に「家で倒れた」と連絡が来た。 この国民的作家は、時代と世界についても発言を続けていた。 イスラム過激派に「背教者」と宣告され、首を刺されたこともある。 その前に、警官の護衛を断っていることについて「自分を監獄の中に入れるのを拒否しているのだ」と本紙に述べた。 カイロの街の生き生きとした営みへの思いも、深かったことだろう。 じかに聞けなかったのは心残りだが、描かれたマシュラビーヤの世界にも、それはしっかりと息づいている。 イスラム世界もニュースでは大変なことになっている。イラク始め,イスラエルの周辺諸国パレスチナ・レバノンとの 衝突事件は心痛む事件である。 平和なアラビアンナイトの世界は何処に吹き飛んでしまったのか。 描かれたマシュラビーヤの世界とは知らない。 イスラム圏と西欧世界との接触が原因しているようだ。 立場の強い人がやはり一歩下がらないごとには,ものごとの解決に到らないのではないのか。 「闘う政治家」が、どんな場合にも 日本を「美しい国へ」導くとは限らないだろう。 9月2日の天声人語からの引用 新刊の著書の題を「美しい国へ」とし、立候補の記者会見では「美しい国日本」を繰り返す。 安倍官房長官は、どうしても「美しい国」を自民党総裁選のキャッチフレーズにしたいようだ。 「美しい」という言葉は耳に響きがいいし、反対も唱えにくい。 「美しい国へ」と言うからには、今の日本には美しくないところがあると考えているのだろう。 確かに現実の社会は生やさしいものではないから、美しくないところもある。 その美しくない点は何なのかを明示し、どう美しくしてゆくのかが具体的に示されないと、 「美しい」という言葉は空虚に響く。 安倍氏は『美しい国へ』(文春新書)で、政治家を「闘う政治家」と「闘わない政治家」に分けて見る、と書いた。 闘う方とは「ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家」だという。 一政治家の意気込みとしては理解できる。 しかし、「闘う政治家」が、どんな場合にも日本を「美しい国へ」導くとは限らないだろう。 「国家のため」という旗印のもとで、悲惨な道をたどった国は少なくない。 スパッとは割り切れないことについて、より悪くない選択をするのが政治家の務めではないか。 歯切れの良い「二分法」は、時には危うさにつながる。 総裁選は、安倍氏が優勢という。 戦いとしては、興趣は薄いかも知れない。 しかし自民党は、05年分だけで157億余円の税金を政党交付金として受けている。 それに見合うまっとうな論戦と選考とを示せないようでは、美しい、とは言えない。 あまりにも低調な自民党総裁選挙で興味はまったくなかった。 これほどに結果のわかるような選挙ならばしなくともよかったのではないのか。 又首相はあまりにも国を預かるに若すぎ,危険な人物のように思えてならない。 候補者全員が小泉亜流で勿論何も面白くないのも当然のことである。 東南アジア外交を中心に置いた谷垣さんが一番まともで次期総裁に期待する。 消費税の福祉目的増税もなっとくゆくが毎日の生活必需物質には 所得の低い人には考慮すべき所がある。。 04年10月23日に起きた 新潟県中越地震の震源を指し示すくいだ 9月3日の天声人語からの引用 山あいの棚田の真ん中に、一本のくいが立っている。 高さ約1・5メートルというが、背丈の伸びた稲に隠れて、上の方しか見えない。 04年10月23日に起きた新潟県中越地震の震源を指し示す、くいだ。 震度7を観測した川口町で昨年10月、町内外から約100人が集まり、「体験防災キャンプ」が開かれた。 この時、全地球測位システム(GPS)の端末を使って、震源を突き止めてみようという話になった。 気象庁によると、北緯37度17分30秒、東経138度52分が震源だ。 小中学生のメッセージが書き込まれたくいをみんなで運び、この田んぼにたどりついた。 「ここで取れるコメを震央米と名付けたらどうか」。 参加者から、そんな意見が出た。 昨年は、田んぼは使い物にならなかった。 あぜにひびが入り、全体が傾いて、山からの地下水も止まった。 星野秀雄さん(66)は重機を使って、1年かけて元に戻し、今年5月に田植えをした。 地震のつめ跡はまだ、あちこちに残っている。 小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅には、干してある洗濯物から見て、半分近くが依然入居しているようだ。 多くの田んぼは今年も作付けができず、雑草が生い茂っている。 星野さんの田んぼは、これまでは順調にきている。 穂が垂れ始め、台風さえ来なければ、豊作になる見通しだ。 魚沼産コシヒカリだから、震央米の味は間違いないという。 今月20日ごろに稲刈りをする予定だ。 「くいがあると、作業には邪魔で邪魔で困るんだが、地震の思い出を残すには仕方がない」。 星野さんはそう話した。 嫌なことは早く忘れたい気持は誰もは同じだ。 モハメド・オマル・アブディンさん(28)が スーダンから日本にやって来たのは 8年前盲学校で勉強するのが目的だった 9月4日の天声人語からの引用 モハメド・オマル・アブディンさん(28)がスーダンから日本にやって来たのは8年前のことだ。 盲学校で勉強するのが目的だった。 目の病気で徐々に視力が落ち、小学校の終わりごろには文字が読めなくなった。 友達に本を読んでもらい、口頭で試験を受けて、大学の法学部に進んだ。 しかし、ノートもとれず、限界を感じていた。 そんな時、視覚障害者を支援する日本の団体が留学生を募っていた。 アブディンさんは「日本の視覚障害者の生活を知れば、自立の道を探れるのではないかと考えた」と語る。 福井県立盲学校で日本語と点字、はり・きゅう・マッサージを学んだ後、短大でパソコンを習得した。 03年に東京外国語大学に進んだ。 スーダンでは20年余り続いた内戦がようやく終わった。 ところが、西部のダルフールで別の内戦が起き、今も抗争がやまない。 そんな中で、アブディンさんは昨夏、300人分の点字器と点筆をスーダンに持ち帰り、点字を広める運動に寄付した。 15万円の資金を集めるのに、障害者を支援する筑波大学のサークルや友人らが協力してくれた。 里帰りで、もう一つ持参したのが、鈴の入ったサッカーボールだ。 日本で視覚障害者のサッカーチームに加わっている。 アブディンさんは再び資金集めを始めた。 今度は、パソコンでアラビア語を読み上げるソフトを買うためだ。 母校の大学に贈り、そこから普及させる考えだ。 「日本で学んだのは、読み書きを教えることの大切さです。 将来は母国で、そうした活動をして、視覚障害者の仕事の場を広げたい」 障害者の気持はやはり障害を持った人たちが一番理解できる。 このことは世界どこの国でも同じことであるはずだ 街には人工音があふれている 9月5日の天声人語からの引用 地上3階まで吹き抜けとなっている地下3階の床に立つと、足元に波音が響いた。 次いで静けさが訪れ、今度は鳥のさえずりが頭上を通り過ぎていく。 「自然のゆらぎ」を室内音に反映する。 そんな空間が、東京・渋谷の商業施設「表参道ヒルズ」にある。 表通りのケヤキ並木が風や光に姿を変える。 その不規則な変化をカメラがとらえ、コンピューターで音を出す間隔を微妙に変えていくという。 天井で直径約1メートルの半球形スピーカーがゆっくり首を振る。 音は光の束のように届き、床でも直径5メートルほどの円内しか強く聞こえないという。 100を超す大小のスピーカーがあり、時と場所によって音がうつろう。 静寂に感じる間をおいて浴びる「音のスポットライト」が心地よい。 「間は魔に通じる」。 歌舞伎では間の大切さや難しさを、こう表現する。 間をとるという古来の発想が、コンピューターを通して演出した音のつくりものらしさを薄めるのかもしれない。 「変化させても、変化させられた音という感じがのこる」。 作曲家の高橋悠治さんはコンピューター音楽の難しさを、一瞬ごとに変化する風の音と比べて述べる。 「おなじように発音されるおなじことばの微細な表情の翳りを何千年も読みとってきた人間の耳をだますことができない」 (『音の静寂 静寂の音』平凡社)。 街には人工音があふれている。 街頭の大画面が絶えず発する音に、店外まで響くBGMが絡む。 携帯電話の音も入り交じる。 時には、私たちの耳が読みとってきた自然の「間」との調和を大切にしたい。 自然の音は自然が発する音が一番だ。コンピュターで如何に真似ても人工音である。 身近に自然は少なくなって来ている。でも地方での過疎化は急速にすすんでいる。 休日に自然を求め郊外へゆくのが現代人の生き方のようになってきている。 昔の人が味わった世界をばコンピュタ―で再現とは寂しいかぎりである。 宮崎県のJR日向市駅 9月6日の天声人語からの引用 工事中の階段を上ってホームに立つ。 かすかに杉の香りがただよう。 思わず深呼吸した。 宮崎県のJR日向市駅。 高架上の新駅が12月完成をめざしている。 線路ごとすっぽり覆うアーチ状の屋根は、地元産の杉材でできている。 景観を大事にするホームからは遠くに日向灘が望める。 旅立ちを心待ちにしながらも、どこか立ち去りがたい。 そんな思いを抱かせそうなたたずまいである。 明治以来、駅は、新しい文明が届く窓口だった。 「これからは地域の文化や伝統を発信する窓口に」という篠原修・政策研究大学院大学教授ら 専門家と市や県、JRが協力した。 「木の町」の日向市は、そんな発想で造られる駅の第1号になる。 次いで08年には、「維新精神」の高知駅がお目見えする。 県産杉材を使った大屋根が駅前広場から立ち上がってホームを覆う、大胆な設計という。 10年完成の北海道・旭川駅は、「川のまち」である。 背後を流れる忠別川と河畔の豊かな緑を取り込み、一帯を公園にする。 メンバーの建築家、内藤廣さんによれば、駅は「帰っていく場所」でもある。 「地方の再生があるとすれば、駅から始まるしかない」が持論だ。 駅ほど多様な人が訪れる場所はない。 駅をよりどころに町をよみがえらせ、町を離れようとする若者の心に働きかける。 駅は町づくりの序章でもある。 れんが造りの東京駅丸の内駅舎は10年、開業当時の3階建てに復元される。 周辺をどうするか、専門家が検討している。 東京駅は日本の顔といっていい。 皆で大いに議論してはどうだろう 町も駅も日本中同一化しているように思えてきてならない。 「東京駅は日本の顔といっていい。」が 大体に無理な注文である。 駅に個性をは゛見つけ出し難い。大体に今の駅は何処も無機質である。 均一化されようとする町を,昔の風情をば残す事の方がもっと大切だ。 秋篠宮妃の紀子さまが昨日、 その第3子を無事に出産した 9月7日の天声人語からの引用 秋篠宮妃の紀子さまのご懐妊が発表された今年2月、この欄で北原白秋の一節を引用した。 「薔薇(バラ)ノ木ニ/薔薇ノ花サク。/ナニゴトノ不思議ナケレド」。 夫婦が子を授かるのに何事の不思議はないが、おめでたいことと記した。 紀子さまが昨日、その第3子を無事に出産した。 今度は、あの時のように「ナニゴトノ不思議ナケレド」とは言い難いものがある。 出産という重い体験には、危険が伴うからだ。 今回の分娩(ぶんべん)は帝王切開だった。 この「帝王」については、古代ローマのカエサルがそうやって生まれたからという説や、 これを俗説として否定する説などが事典類には載っている。 いずれにせよ、危険が全く無いはずは無い。 18世紀のフランスの啓蒙(けいもう)思想家だったジャンジャック・ルソーの母は、 ルソーを生んでから間もなく他界したという。 今から30年以上前になるが、出産した直後に亡くなった人が身近にもいた。 この世に命を生み出すことは、いわば命がけであり、それをご夫妻や周囲の人々、医療チームが力を合わせて成し遂げた。 母子ともに健やかとは、何よりだ。 ご懐妊の時、男の子が生まれるのも、女の子が生まれるのも、どちらもうれしく、おめでたいことと書いた。 これは今も変わらない。 親が皇族だから、きまりによって皇位継承の絡みが生じる。 それはそれとして、人の生誕という厳粛な営みを前に、男でよかった、あるいは女なら……などと言うのは、はばかられる。 身長48・8センチ、体重2558グラム。 この小さな生の始まりを祝い、静かに見守ってゆきたい。 現在,古代に関心があり色々と調べているが,継体天皇の時代の頃がわかり難く,天皇が大和に入るのに 大変な年月と時間をかけている。何故だったのだろうか。 その頃の天皇家には不可解な事だらけで,昔学校で習ったような万世一系でなかったのが 天皇家であるように思えてきてならない。 天皇家は維新前後頃からと,それに古代の天皇家とそのつながりのあった藤原氏との権力は絶大だった。 しかしながら,それに反し武士が台頭してきて,動乱時代では天皇家は忘れがちである。 余談ながら秋篠の姓は元は天穂日命の末である野見宿禰から土師氏へそして菅原氏へから秋篠氏へと。 秋篠宮はその奈良にある秋篠寺から名前をもらわられているようだ。 9月11日は、それを世界中の人が口にする特別な日だ。 9月8日の天声人語からの引用 あの日あの時、どこでどうしていたか。 9月11日は、それを世界中の人が口にする特別な日だ。 いわば世界が総立ちとなった日から、間もなく5年になる。 この間、米国は多くの自国の兵士を失い、民間人を含む更に多くの他国の人を死に至らしめた。 イラクでは大量破壊兵器は見つからず、「大義なき戦争」だったことが分かった。 それでもブッシュ大統領は自由をもたらしたと述べた。 米国に追随した小泉首相は自衛隊を派遣し、隊員は危うい場面にもさらされた。 9・11のテロを憎むことでは世界中に異論はないはずだが、その対処では違った。 戦争で応えるしかないというやり方を、真剣に省みる時だろう。 「自分たちや自分たちの家族の名のもとに戦争をしないで」。 9・11テロで家族を失った人たちの団体「ピースフル・トゥモローズ(平和な明日)」の合言葉だ。 政府によって犠牲者が戦争の口実にされることを潔しとしない。 そんな人たちの代表はアフガニスタンやイラクを訪れ、爆撃の一端に触れ、現地の人と語り合った。 「あなたがたは自分をアメリカ人であると名乗ることを恥じるべきだ」。 この団体が編んだ『われらの悲しみを平和への一歩に』(岩波書店)には、寄せられた非難のメールも載っている。 しかし、人と人が面と向かって初めて分かることは多い。 ニューヨークのテロ現場の前に立ったのは9・11の半年後だった。 うつろな空間の大きさに、受けた傷の深さを実感した。 しかしこの国が、実際にイラクにまで戦争を仕掛けるとは思いたくなかった。 9月11日のニュ−よ−クの出来事は忘れない。表面だけでなく,その深層に何があったのかを理解すべきである。 ブッシュのような行動をとるならば平和は世界に訪れる事がないのではないのか。 恐ろしい事である。だがその恐ろしさもひきずっているのが今の世界状勢である。 世界には独裁者はいらないということである。北朝鮮にそしてイタルトコロニ・・・・・・・・・。 総裁選に立候補した3人世襲議員という点では一様だ 9月9日の天声人語からの引用 「麻、垣、三」。自民党の総裁選に立候補した3人がそろって記者会見した。 そのたたずまいや語り口は三者三様だが、世襲議員という点では一様だ。 以前、「康」と言われた人もそうだった。 もし4人がそろったら、色合いはさらに濃くなっていた。 とても高齢とは言えない3人が並んだのに、やや清新な印象が薄いと感じたのは、 それぞれの姿に父祖の世代を重ねて見るからかも知れない。 古来、地盤、看板、鞄(かばん)といわれてきた議員当選への三条件が整っているようなところも、 古い時代にさかのぼるような気にさせられる。 資金力を示す鞄では、安倍官房長官の急伸が著しい。 安倍氏が代表を務める政治団体が昨年に集めた政治資金は、3億円近くあった。 官房副長官、党幹事長、官房長官と、小泉政権の中枢のポストを務めるにつれて増え、5年で2倍近くになった。 まさしく、看板に鞄がついてきている。 衆院選での地盤の強さはそれぞれ秀でているはずだが、 自民党の国会議員団という「地盤」での強弱は、かなりあるという。 総裁選後のポストや発言力の確保などを狙って、永田町の草木は安倍氏へ安倍氏へとなびいているようだ。 19世紀英国の保守党の大物ディズレーリは首相も務めた。 スエズ運河の株買収で知られ、安倍氏も自著に彼の言葉を引用している。 そのディズレーリは若い日、これといった地盤も看板も鞄も無く、国会議員に挑戦した。 落選、落選また落選、もう一度立っても落選で、ようやく5度目に当選した。 3候補の方は、一様に一発当選組だった。 自民党総裁は安部さんに決まった。即ち日本の総理大臣である。大丈夫だろうかとの気持は誰にも必ずあるに違いない。 よく熟考しての日本の将来を考え行動するようなタイプに見えてこない。小泉首相同様に軽い人に見える。 ハンサムな所は誰も国民が全て認めるところである。 女性による支持率上昇もうなずける。 戦前のような「美しい国日本」にはなってほしくはない。女性達による投票率は高い。 でも国の将来のことをしっかり考えて,軽い投票行動は決してしないでほしい。 今のままならば徴兵制度が再びしかれる可能性は出てくる。 名誉の戦死の軍人の母親にならないようにしっかりと現実を注視してほしい。 ジャンボの退役は 9月11日の天声人語からの引用 日航が手持ちのジャンボ29機を、3年かけて退役させていくという。 ハイテク化する以前のジャンボは、これですべて消えることになる。 ジャンボが日本で初めて就航したのは70年のことだ。 それまでの2倍近い客を一度に運ぶことができることもあって、海外旅行ブームに拍車をかけた。 しかし時代は変わり、燃費や使い勝手の良さから、大型機より中小型機の方が重宝されるようになった。 ベストセラー機の退役もやむを得ないようだ。 新品は1機約260億円だった。 約25年使って下取りに出すと、いくらになるのか。 これまでの例では、「二束三文にしかならない」そうだ。 せいぜい数億円で、米国など海外に売られていく。 イスラム教徒の巡礼用チャーター便になるものもある。 買い取った航空会社の中には、機内の表示は日本語のままで飛ばしているところも少なくない。 価値のあるエンジンだけ取り外して再利用し、機体はスクラップにしてしまうことも多い。 数億円なら個人の大金持ちでも買えそうだが、燃料代や置き場所の問題もあり、 そういう商談は今のところないという。 日航の整備士は入社後、まずジャンボの整備の教育を受けてきた。 520人が死亡した85年の墜落事故は、忘れることのできない「負の歴史」だ。 ジャンボの退役は社内でも複雑な感情を持って受け止められているという。 40年以上飛び続けた国産機「YS11」も今月末、定期路線の就航を終える。 最後の3機が、鹿児島空港を中心に飛んでいた。 航空日本の技術は第二次大戦後にストップした。外圧によるものであった。 軍事関係に関するものは日本は全て放棄した。 正しい選択であったと思う。それが再び持つべきだとの議論だけでもすべきだという話題があるが, 世界で唯一日本だけが体験した被爆経験を広める義務がある。 古本探しの楽しみと思っていたが、 インターネットを利用するようになって、 事情が変わった 9月12日の天声人語からの引用 お目当ての本を求めて古本屋に入っても、なかなか見つからない。 むしろ、思いがけない掘り出し物がある。 それが古本探しの楽しみと思っていたが、インターネットを利用するようになって、事情が変わった。 ネットで検索できる限り、世界中の古書のストックを調べることができる。 先日も、35年前に出た東京裁判に関する英文の研究書を、米国の古書店から送ってもらった。 仕事の面では大助かりだが、効率一本やりの本探しは、どこか寂しい。 古本でも新刊でも、店頭での予想外の出会いがほしい。 かつて国際政治学者の岩間陽子さんが、恩師の故高坂正堯氏の思い出を、 雑誌「アステイオン」(96年秋号)に書いていた。 ドイツに住んでいた岩間さんが、「ミュンヘンは歴史を学ぶにはよい街ですね。 趣味の良い本がとりそろえてあるような、中くらいの本屋さんがあるので、ぶらぶらしていて楽しい街です」と言うと、 教授は「あなたは運を信じていますね」と答えたという。 高坂氏の考えは、大きな書店でコンピューター検索で調べるのが正攻法ではあるが、 中くらいの本屋が好きという人は運を信じているというものだった。 「すべての本を読むには、人生はあまりに短く、歴史はあまりに複雑である」と師は語ったという。 確かに、本との出会いには運命めいたものがあるように思う。 失恋、入試の失敗、親を亡くしたとき、不思議なことだが、慰めと勇気を与えてくれる本が、いつもどこからか現れる。 人と同様、本との出会いも、効率では計れないものがある。 「空の顔」が交代する節目を迎えているようだ。 今や情報世界である。インターネットだけでもかなりの知識が獲得できる。テレビも有る。 本だけが知識の宝庫でもない時代だ。古本もインターネットで試みてみると簡単だ。 同じ古本でも汚れとかは実際に手にして見ないと判別できない。 電子図書館の充実を望む。 本でいちいち根気よく調べるよりも検索一発で判れば新しい世界がぐーんと開けてくる思いでいる。 自販機の前面に、「収益金の一部は、 『緑の募金』に寄付されます」と 9月13日の天声人語からの引用 自動販売機に120円を入れて、缶コーヒーを買う。 自販機の前面に、「収益金の一部は、『緑の募金』に寄付されます」とある。 隣の普通の自販機と値段は変わらない。 どういう仕組みで、いくら寄付されるのか。 寄付金は「緑の羽根」の活動をしている団体に入る。 担当者によると、飲料メーカー側の提案で4年前に始めた。 今では全国に約2300台あり、売り上げの約2%、飲料1本あたり約2〜3円が寄付金に回る。 負担するのは、飲料メーカーと自販機設置者だ。 平均1台あたり年約1万2千円になるという。 透明性を図るために半年ごとに、「この自販機から××円募金しました」という表示を掲示しているそうだ。 ほかに、福祉や医療関係の団体に寄付金が回る自販機もある。 自販機は電気を消費し、環境に悪影響を与えるイメージが強い。 緑への貢献をうたうことは、業者にとって環境に優しい印象づくりになる。 街頭やビル内の自販機は飽和状態で、新たに設置してもらうのはなかなか難しいが、 募金自販機は売り込みやすい利点もある。 何台も並んでいるところに、募金自販機を1台置くと、その売り上げが一番になることが多いそうだ。 買う側としても値段が同じなら、募金になる方が気分がいいのかもしれない。 米国には4兆円以上も慈善団体に寄付する大金持ちがいるが、自販機はあまりない。 日本は「寄付文化」がないとよくいわれるが、自販機の普及は世界一だ。 1回の寄付金はごくわずかとはいえ、日本的な新しい芽が育っているようにも感じられる。 自販機で何か買う事が慈善につながるようならばうれしい。チリも積もれば山となるだ。 表題をつけても自動的に表題が消されてしまうし,文章も変る。 便利な世の中に変りつつある。 「未来市場完全攻略ガイド」 まるでゲームの攻略本のようだが 9月14日の天声人語からの引用 静岡文化芸術大の学生23人が1年がかりで調べた成果が、1冊の本にまとまった。 「未来市場完全攻略ガイド」(ルーパス出版)という題名は、まるでゲームの攻略本のようだが、 中身は地道なデータ分析だ。 高齢化社会では何が売れて、何が売れないのか。 総務省が出している「家計調査年報」をもとに、約500種類の商品やサービスについて、 世帯主の年齢別に支出額を調べた。 60代や70代以上でも支出の多いものが、高齢化社会での売れ筋になるのではという狙いだ。 一見して当たり前という分析が多いのは仕方がないのかもしれない。 野菜や魚、和菓子への支出は、年をとればとるほど多くなる。 肉や洋菓子はその逆だ。 とはいえ、意外な発見が少なくない。 野菜の中でもモヤシだけは40代をピークに減っていく。 食べにくいものや固いものは高齢者ほど減る傾向にあるが、餅とせんべいへの支出は増え続ける。 コメの消費は増えるのに、ふりかけは減っていく。 年齢につれてタクシー代の増加は著しい。 植木の手入れや畳替えへの支出も減らない。 指導教授の坂本光司さん(59)は、「中小企業が新たなビジネスチャンスをつかむために参考になるのでは」と話す。 分析に取り組んだ学生たちによると、今後有望なのは、旅行関係や和食の食材、胃腸薬、栄養剤、タクシーだという。 新聞については、「悪くない」という答えだった。 書籍や雑誌への支出は減っていくが、新聞への支出額は、「50代以上は高位横ばい」なのだそうだ。 敬老の日も近い。 みなさまのご長寿を願いたい。 日本は長寿世界一というものの医療費一部負担率増額は,決して神の声によって自然にできたものではない。 小泉政治の悪政治の結果の賜であり,言い換えれば自民政治の結晶の結果である。 長寿・敬老の日は空疎に聞こえてくる。 酒を飲んで運転したために 9月15日の天声人語からの引用 酒は、百薬の長と言われるほどの効用がある一方で、人を変えてしまう魔力がある。 車も、多くの効用がある半面、ハンドルを握ると人が変わると言われるような魔力を備えている。 この二つの魔力が重なった時にどれほどの惨禍をもたらすかは、考えなくても分かることだ。 酒を飲んで運転したために引き起こされる悲惨な事故が絶えない。 01年に飲酒運転の罰則が強化され、死亡事故はいったん減ったが、最近は微増の傾向がみえる。 罰則の重い「危険運転致死傷罪」を逃れるため、事故の後に逃走する者もいる。 時間をかせいで、酔いをさまそうということらしい。 これなどは、飲酒運転で人を殺傷するかもしれないが構わない、 そして被害者がどうなっても構わないという「構わん罪」を二重に犯している。 運転者本人の自覚が肝心だし、酒を飲ませた側の責任も重い。 しかしもう少し広く見れば、いわば普通の人を瞬時に殺人者に変える魔力を持つ車をつくり、 売っている側も危機感を持つべきではないか。 販売台数が世界でトップクラスとか、累積で1億台を売ったといった業績も大事だが、被害者や、 人をあやめる運転者をひとりでも減らす手だてをどれだけとってきたのだろう。 「飲んだら動かない車」の開発に取り組むメーカーもあるようだが、遅すぎてはいないか。 「あなたと周囲の人の安全のため、飲酒運転はやめましょう」「飲酒は車を凶器に変えます」 「飲酒やめますか。人間やめますか」。 こんな「警告」を車体や広告に掲げる時代が来ないとも限らない。 テレビで見たが世界ではアルコール検知で自動車が動かない風景である。 そこまでしてアルコールを飲む事もあるまいのにと思うのだが。 これだけ飲酒事故が明るみに出れば徹底すべきである。 グリム兄弟の「ハーメルンの笛吹き男」の物語だ 9月16日の天声人語からの引用 中世のドイツの町に不思議な男が現れる。 男は、報酬をもらえるなら、人々を悩ませているネズミを全部退治してやると約束する。 グリム兄弟の「ハーメルンの笛吹き男」の物語だ。 男が笛を吹くと、家々からネズミが現れ、男の後をついて川に入り、おぼれた。 しかし、金が惜しくなった町の人たちは支払いを拒絶する。 男が再び笛を吹くと、今度は子どもたちが集まってきて、男について町から消えてしまった。 先週亡くなった歴史学者の阿部謹也さんは、この伝説を手がかりに、 中世ヨーロッパの庶民の生活を浮き彫りにした「ハーメルンの笛吹き男」を著した。 西洋史学でほとんどとりあげられなかった民俗学の分野や民間伝承、さらに都市下層民の生活に目を向けようとした、 という(『阿部謹也著作集』筑摩書房)。 阿部さんは以前、「一言政治」で注目された小泉首相を「ハーメルンの笛吹き男」にたとえることについて、 「自然なこと」と述べた。「小泉さんの言葉が空虚なのは、理念や理想が欠如したまま語られるから」(アエラ)。 そしてそれがまかり通るのは「私たち日本人全体が理念や理想を必要と思わず、 今もって“社会”ではなく“世間”の中で生きているから、にほかならない」。 “世間”とは「金や名誉、義理」などへの関心でできた世界のことだ。 小泉内閣で「構造改革」の旗振り役だった竹中総務相が、参院議員を辞任したいと述べた。 任期は4年近く残っているが、「笛吹き男」と共に旗も去ってゆくのか。 改革はまだこれからのはずなのに。 残してくれた改革とやらはどんな結果がもたらされるのか。?? 第二次大戦では為政者の過ちの為に 国民が大勢がオトナシクに死んでいった。 そんなにも我慢せずに「笛吹き男」に何か起きれば賠償請求を廻すようにしよう。 「命をかけでやった」という政治だから当然の事である。 放置自転車と長く闘ってきた歴史がある。 9月17日の天声人語からの引用 先日、東京都内の地下鉄駅近くに自転車をとめておいたら、あっという間に撤去されてしまった。 ルール違反をしたのだから仕方がない。 集積所に行ったところ、撤去した駅ごと、日付ごとに、ずらりと自転車が並べられていた。 2500円の手数料を払って、返してもらった。 「それはよかった。うちなら5千円ですよ」。 豊島区の放置自転車対策の担当者に、そう慰められた。 手数料は区や市によって異なるそうだ。 豊島区には放置自転車と長く闘ってきた歴史がある。 区内にある池袋駅周辺などの放置自転車については、鉄道会社にも責任があるとして、 税金を課す条例をつくったこともある。 結局課税はしなかったが、鉄道会社から駐輪場用地を提供させることに成功した。 アフリカやアジアなどの発展途上国に自転車を寄付する活動も18年間続けている。 静岡市や広島市など12の自治体と組み、引き取り手のない、状態のいい自転車を送る。 現地の修理技術を高めるため、いったん分解して船積みしている。 これまでに5万台を超えた。 現地では医師や病人を運ぶ救急車として使われたり、情報を伝える「回覧板」代わりになったりしているという。 いらなくなった自転車を海外に捨てることができると誤解している人が多く、 そういう問い合わせが絶えないのが悩みだそうだ。 内閣府の調査では、池袋駅の放置自転車数は一時全国トップだったが、今では10位まで下がった。 とはいえ都内では最悪だ。 ちなみに全国ワースト3は名古屋、大阪、新大阪の各駅。西高東低のようだ。 北朝鮮への中古自転車の輸出がストップしたから益々に町に自転車が氾濫するのではないか。 子供の頃自転車は大切に使ったものなのだが。 古今東西の名言 9月18日の天声人語からの引用 英米でよく使われるが、日本ではあまり見ないのが、引用句辞典である。 古今東西の名言を、人物や主題別に編集してある。スピーチなどの隠し味に使うのだ。 試みに「オックスフォード政治引用句辞典」を開いてみた。 まずは古典的と言えるチャーチル英首相の「血と労苦と涙と汗のほかに差し上げるものはない」。 第二次世界大戦中、英国の士気を奮い起こした言葉だ。 ケネディ米大統領は就任演説の「国が諸君のために何ができるかを問うな。 国のために何ができるかを問いたまえ」が引いてある。 ブッシュ現米大統領もいる。「テロリストと彼らをかくまう者を区別しない」。 勇ましいが、フセインがアルカイダと関係があると決めつけ、イラク戦争を始めてしまった。 「この十字軍、テロとの戦争は、時間がかかる」は、イスラム教徒を怒らせた「十字軍」の表現が後に撤回された。 この部分はまるで迷言集だ。 日本で政治引用句を集めたら、どうなるか。 佐藤栄作首相の「沖縄が返らない限り、戦後は終わらない」は当確だろう。 自民党総裁選の予備選で予想外の敗北を喫した福田赳夫首相の「天の声にも、変な声もある」も、いい味がある。 最後に小泉首相だが、イラク特措法の「非戦闘地域」について「私に聞かれても分かるわけないでしょう」、 靖国参拝は「心の問題だ」と断定した。 政治にとって言葉は命。言葉を大事にしないと、政治が貧しくなるという見本だ。 ポスト小泉を選ぶ総裁選も大詰めだ。 それなりの応酬はあったが、引用に値する言葉を残せるだろうか。 ポスト小泉を選ぶ総裁選に期待するほどに無意味 滑稽なことはない。 顔ぶれをみていて後世に残すような言葉を吐くような人たちに見えない。 所詮コップの中での争いでコップが割れないようにそーとした争いに見えてくる。 竜巻 9月19日の天声人語からの引用 江戸後期の戯作者(げさくしゃ)、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」には、竜が浜辺で天に昇る場面がある。 「光を放ち、浪をまき立(たて)、南を投(さし)てぞ飛去(とびさり)ける」(岩波文庫)。 竜巻という言葉は、その形が、天に昇る竜を想像させるところからきているという。 竜巻が起きる時に、雲の方から垂れ下がって来る漏斗状のひものようなものについて、 物理学者で文学者だった寺田寅彦が書いている。 「西洋人は象の鼻に譬(たと)えているが、東洋人の目から見れば竜の尾とも見られないことはなかろう」 (『寺田寅彦全集』岩波書店)。 台風の雲の下では、竜巻や突風が起きやすいという。 九州に上陸した台風13号は、風が猛威を振るった。 被害が大きかった宮崎県延岡市では、特急列車が横倒しになった。 列車の窓に屋根瓦や木が飛んできたと乗客は言い、運転士は車体が浮き上がるのを感じたという。 台風で、列車を倒すほどの風に突然のように襲われるという恐怖は、 これまではあまり体験しないものだったのではないか。 竜巻だったのかどうか、よく検証してほしい。 台風の通り道にあたる九州は、繰り返し被害を受けてきた。 近づく台風に対し、しっかりと構えることでは、他の地域よりは慣れていたはずだ。 宮崎県では、昨年の台風で竜巻の発生が確認されている。 台風に伴う突風や竜巻について、新しい構えや観測の手だてが要るのかも知れない。 自然は時に、それまでとは違った振る舞いをみせることがある。 台風は、すぐ近くまで来ていなくても大風をもたらす。 そんな構えで昇り竜とも対したい。 竜巻と台風の違いがはっきりと判らない。アメリカではひどい竜巻の映画を見たことが有る。 正岡子規の命日の糸瓜忌に 9月20日の天声人語からの引用 光が差したかと思うと、すぐに厚い雲に閉ざされる。 はるか北方を進んでいる台風の影響なのか、きのうの東京の空は気まぐれだった。 どんよりとした空の下、庭先の棚のそこここに、大ぶりの黄色い花が咲いている。 花が終わって実を結び、ぶらりと長く垂れ下がった糸瓜(へちま)が十と幾つ。 正岡子規の命日の糸瓜忌に、JR山手線の鴬谷駅からほど近い根岸にある「子規庵(あん)」を訪ねた。 1902年、明治35年、子規はこの地で、重いカリエスの病床にあった。 亡くなる少し前に残した文がある。 「余は四五日前より容態が急に変つて、今迄も殆ど動かす事の出来なかつた両脚が 俄に水を持つたやうに膨れ上つて一分も五厘も動かす事が出来なくなつたのである」 (『子規全集』講談社)。 この「九月十四日の朝」と題する文は、子規が口述したのを弟子の高浜虚子が筆記した。 その5日後に他界する。 〈糸瓜咲て痰(たん)のつまりし仏かな〉。 当時の住居を再現したという庵で、絶筆となった句を思い浮かべながら庭に下りる。 そう広くはないが、草木がいっぱいに茂っている。 秋の七草のフジバカマはまだつぼみだが、萩は、弓のようにしなった枝に小さな白い花をたくさんつけている。 子規に、こんな句があった。〈白萩のしきりに露をこぼしけり〉。 子規の生涯は、34年と11カ月だった。 「仰臥漫録」などに記されたような病苦の中で俳句と短歌の革新に力を尽くし、 澄明で詩情あふれる言葉を死に至るまで紡ぎ続けた。 明治に改元される前年の生まれで、来年が生誕から140年になる。 子規は34歳と11ケ月でなくなっている。やはり天才である。ぎりぎりの逆境にあったから天才なのか。 人間の一生出来ることといえばしれたことである。 感銘をうけるのはその生き方があればこそなのかもしれない。 きのう安倍官房長官が21代目の自民党総裁に選ばれた 9月21日の天声人語からの引用 街頭に戦車が並び、首相が非常事態を宣言する。 タイ・バンコクからの報道は、軍が政権交代に絡むクーデターの異様さを刻々と伝えてくる。 近代の日本では、クーデターは、旧陸軍の青年将校らが「昭和維新」などを掲げて企てた1936年、 昭和11年の二・二六事件があった。 きのう日本では、「政権交代」が投票で行われ、安倍官房長官が21代目の自民党総裁に選ばれた。 票は、雪崩をうって安倍氏になびくとみられたが、麻生外相、谷垣財務相も一応の存在感は示したようだ。 戦後生まれで初めての総裁・首相の誕生となる。 安倍氏も当選後のあいさつでそれを強調していたが、戦後は、あの戦争を挟んで戦前の昭和と深くつながっている。 常に、昭和の時代を総覧しながら国政にあたってほしい。 若さは一つの魅力だが、政界での経験の少なさを懸念する向きもある。 それがむしろ、利権にしがみつく政権党の古い体質を破る力になればいいのだが。 海千山千の面々が取り囲む中で、かじをうまくとれるだろうか。 二・二六事件当時の岡田啓介首相は、襲撃されたが危うく難を逃れた。 「総理大臣になると、見えなくなるものが三つある」。そう述べたと伝えられる。 「一つは金である。権力によって不自由をしなくなるから……つぎには人間が見えなくなる。 とり入ってくる側近にかこまれて、ほんとうの人材を見失うからだ。 そして最後には国民が見えなくなる」(戸川猪佐武『日本の首相』講談社)。 安倍氏が、戦後生まれで初の「裸の王様」にならないようにと願いたい。 安部さんに期待する人が世のなかに有るから不思議である。 ただ戦争へのみちへ進まない事だけを期待したい。変な気をば起こして「美しい国日本」が破滅への一歩への 日本の国にならないことだけを願う。 国旗日の丸は、 9月22日の天声人語からの引用 「TOKYO 1964」の文字と五輪マークの上に、大きな日の丸が浮かんでいる。 故・亀倉雄策さんのデザインによる東京オリンピックのポスターだ。 白地に真っ赤なまん丸。このくっきりとした日の丸の意匠の持つ力強さを、十二分に引き出した名作だ。 オリンピックに限らず、様々な競技会で掲げられる日の丸は、しばしば感動を呼び起こし、人々の心をつないできた。 君が代も、表彰台の場面ではあまり抵抗なく聞く人が少なくないだろう。 しかし、日の丸に向かって立ち、君が代を歌い、あるいはピアノで伴奏することが義務だとしたら話は違ってくる。 卒業式や入学式で、国旗に向かって起立しなかったり、 国歌斉唱を拒否したりした東京都立学校の教職員が大量処分を受けたことをめぐる訴訟の判決が出た。 東京地裁は、違反した場合に処分することを定めた03年の都教委の通達は「少数者の思想、良心の自由を侵害し、 違法」とした。 都側は、判決の趣旨をよくくんでほしい。 表彰台の日の丸を見て起こる感動は、今そこに上がりつつある旗そのものから来るのだろうか。 選手の努力、支えた人々、そして力を尽くして競い合った世界の選手たちへの敬意などが重なり合って生まれてくるはずだ。 感情が自然にわき起こるからこそ、日の丸も君が代も共鳴する。 入学式や卒業式でも、国旗や国歌が感動を呼び起こすことはあるだろう。 しかし、起立や斉唱を強制することには無理がある。 生徒や、式に立ち会うひとりひとりの心の中にはためくものを大切にしてゆきたい。 日の丸の国旗 君が代の国歌 愛国心などなど 第二次大戦時の亡霊が大手をふって, まかり通って強制されない社会をば願う。 歴史をしらべていると力の強い一番優れた豪族が国を統合し天皇を称しただけで, それも天皇そのものが古代の歴史では混沌として何回か変り明確には判っていない。 地方には有力氏族が乱立しており天皇家と結んでいる。聖武天皇が大仏を発願し地方の豪族の力をそいでいる。 同じように戦国時代の最終段階で豊臣秀吉が朝鮮征伐 伏見城築城などして地方の大名の力をそいでいる。 同じような発想でことをすすめているように思える。 歴史家の間では古事記 日本書紀に書かれたことを引用してもが誰も相手にしていないのが現状のようだ。 でも今まで親しんできた国旗 国歌 愛国心を否定するものではない。 マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンは、 いずれも20世紀のジャズを代表する巨人だ 9月23日の天声人語からの引用 マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンは、いずれも20世紀のジャズを代表する巨人だ。 ふたりは26年の生まれで、マイルスは5月、コルトレーンは今日が誕生の日にあたる。 存命ならそろって80歳だ。 マイルスはトランペット、コルトレーンはサックスで前人未到の地に立ったが、両人とも一時は麻薬中毒だった。 「ヤクでやつれて、大酒を飲んでいるトレーンのひどい有り様を見るのは本当に嫌だった」と、 先に抜け出したマイルスが述べている(『マイルス・デイビス自叙伝』宝島社文庫)。 自叙伝によれば、コルトレーンがマイルスのバンドに居た頃、怒ったマイルスが楽屋でコルトレーンを殴りクビにした。 『コルトレーンの生涯』(学研M文庫)に似た場面がある。 「コルトレーンはまったく無抵抗のまま、マイルスのなすがままになっていた」 やがて麻薬と手を切ってマイルスのバンドに復帰し、更には独立してバンドを持った。 そして64年、伝説のアルバム「至上の愛」を録音する。 彼が「神へのささやかな贈り物」と記したこのレコードを初めて聴いた時、ジャズにはあまりなじみのない身にも、 強く迫るものがあった。 絞り出し、身をよじるような音の流れに、切なさを覚えた。 寺山修司が述べている。 「ぼくらにとっても、白人にとっても黒人にとっても、結局全部だれにとっても、 ジャズは外国人の音楽??故郷喪失の音楽だって気がした」(「ユリイカ」)。 黒人にとって「異国」で生まれたジャズの核心には、そんな深い喪失感があるのかも知れない。 日本のジャズピアニスト秋吉敏子さんが「賞」をもらっている。聞いていても判りやすいジャズである。 本場中国料理がが日本人には食べられないのが日本の中華料理が美味しく食べられる。 同様に日本人に理解しやすいジャズを弾いてもらっているのかもしれない。 京成電鉄の京成高砂駅近くの踏切が、 今月28日に手動式から自動式に切り替えられる 9月24日の天声人語からの引用 警報音とともにハンドルを回し、ゆっくり遮断機を下げていく。 最後のところで微妙にハンドルを操って、お年寄りや自転車が無事に渡り切るのに合わせる。 一種の名人芸だ。 東京と千葉を結ぶ京成電鉄の京成高砂駅近くの踏切が、今月28日に手動式から自動式に切り替えられる。 都内の旅客用鉄道では、最後の手動式踏切だった。 切り替えとともに、国土交通省が「賢い踏切」と呼ぶものに生まれ変わる。 私鉄では特急や快速、各駅停車など速度の異なる電車が、入れ代わり立ち代わりやってくることが多い。 「賢い踏切」は、電車の種別に応じて、警報を鳴らし始めるタイミングを変える。 通行人の待ち時間をできる限り減らすための工夫だ。 自動式への切り替えで安全度は高まるというが、名人芸を見た後では不思議な気もする。 人間と機械のどちらがより信頼できるかは、常に難しい問題だ。 この踏切から直線距離で西北に約8キロいったところに、東武鉄道の竹ノ塚駅がある。 駅近くの踏切で昨年春、歩行者ら4人がはねられ、2人が死亡する事故があった。 手動で遮断機を操作していた保安係が、電車の接近を示すランプがついていたのにもかかわらず、 遮断機を上げてしまった。 事故後、踏切は自動化された。 それに加えて、始発から終電まで2人の監視員が踏切の両側に常時立っている。 踏切内に人や車が取り残されてしまった場合に備えているそうだ。 ここで再び事故が起きる可能性は低いように思われる。 悲惨な事故があってようやく、機械と人間が協力し合う場ができた。 複雑化してきた交通事情を判りやすいものにしたいものだ。 ネクタイにも目が行く気がする。 9月25日の天声人語からの引用 げん担ぎは何ですか。自民党総裁選の投票日に、 こう聞かれた安倍晋三氏は立候補表明の日と同じネクタイにしたと答えた。 「家内が、よいと言うので」という濃紺と銀系のしま模様だった。 「タフガイは水玉模様のタイをしめない」。 こんな記事が本紙の投稿欄に載ったことがある。 米国などでは、煮え切らない人物がよくする柄だとの見方が広がっているそうだ。 確かに、大統領選の候補者は深紅一色とか赤や紺のしま模様が多い。 政治家とネクタイといえば、中曽根康弘元首相を思い出す。 20年前の秋、党の集会で「女性は私のネクタイの色や服はよく見ているが、 何を言ったかは覚えていないらしい」と口を滑らせた。 その夏の衆参同日選で勝った、おごりもあったろう。 国会で批判されると「女性は男性より鋭い審美眼でテレビを見ているから注意しようという意味だ」と弁明した。 中曽根氏の「戦後政治の総決算」と安倍氏の「戦後体制からの脱却」の志向の近さが言われるいま思う。 あれから政治はどう変わり、二つの「戦後」は何が同じでどこが違うのか。 「戦後日本は豊かになってモラルが低下した」「戦後日本のあり方を問う」。 こんなふうに使われる最近の「戦後」は、日本の現状に対する批判の単なる枕詞(まくらことば)であることが多い。 安倍氏の「戦後」にもその雰囲気は漂う。 きょうの民主党大会で、小沢一郎代表が新体制を築く。 あすには安倍内閣ができる。 初対決の国会で「戦後」はどう論じられるのだろう。 濃密な応酬になればなるほど、ネクタイにも目が行く気がする。 安部内閣には失望した。自民党をぶっ壊す派閥解消の自民党が森派を中心の自民党に再びよみがえってきたと 感じたのは自分ひとりだろうか。 む 「闘う政治家」を自認する新首相との 戦いぶりを、じっくりと見たい 9月26日の天声人語からの引用 今日、小泉首相が退任する。 この政権の功罪は、これから歴史的な評価を受けてゆく。 多くの国民の耳目を政治に集めたこと、印象的な一言や「迷言」の数々、アジア外交を滞らせたことなど、 忘れがたいことが、それこそいろいろあった。 在任は約5年半に及んだが、この重圧の中でも体調を大きく崩すようなことはなかったようだ。 心身が並外れて丈夫なのか、あるいは気に病まない独自の術を備えていたのだろうか。 大相撲の千秋楽の日、総理大臣杯を朝青龍に授与した安倍・自民党新総裁が述べた。 「官房副長官では何回か渡していますが、特別な重さがありましたね」。 40キロのトロフィーを、うめきながら持ち上げたという。 迫り来る地位の重みを感じたのかも知れない。 脳神経外科医・三輪和雄著『病める政治家たち』(文芸春秋)に、こんなくだりがあった。 「成人病(がん・心臓病・脳卒中)のサンプルを眺めているような気がする。 強烈な欲望、攻撃性、多忙、上昇志向などが、いかに人間の身体を蝕(むしば)んでいくか、の典型をみることができる」 民主党の代表に再選された小沢一郎氏が、昨日入院した。 近著に「剛腕維新」「小沢主義」と名付けて力強さを強調するが、91年には狭心症で入院したことがある。 今回、民主党は、体調不良を訴えたための「検査入院」と発表した。 いよいよ安倍・新首相との対決という時に、大丈夫なのだろうか。 まずは健康が最優先だが、復帰した日には、「闘う政治家」を自認する新首相との戦いぶりを、じっくりと見たい。 安部さんには何も期待できない。憲法改正 愛国心強制 自衛隊のアメリカ軍と共同作業 ミサイル防衛の為のアメリカへの 出費 アメリカ軍再編援助 恐ろしい事が目白押しに控えている。 どれもやってもらいたくないものばかりである。 国連への協力 韓国の藩国連事務総長を全面的に助けて日本と韓国と二人三脚で平和の為に邁進してほしい。 安倍晋三・新首相は 9月27日の天声人語からの引用 安倍晋三・新首相は、郷土・山口が生んだ幕末の志士、吉田松陰を、よく演説や著書で引き合いに出してきた。 『美しい国へ』(文春新書)では、松陰が好んで使ったという孟子の 「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾(われ)ゆかん」を引いている。 そして、こう述べる。 「政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである。 確たる信念に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ」。 小泉・前首相にも通じていそうな「信念」への強い傾きだが、問題は「確たる信念」の中身で、 それがこれからは「首相の信念」として問われる。 いわゆる歴史認識についての「あいまいさ」も、国会の場などで論議になるだろう。 政治思想史学者だった丸山真男が、第二次大戦が終わった45年に記したノートに、同じく孟子を引いたくだりがある。 「間違つてゐると思ふことには、まつすぐにノーといふこと。 この『ノー』といひうる精神??孟子の千万人といへども我行かんといふ精神??は就中(なかんずく)重要である」 (『自己内対話』みすず書房)。 格言の持つ幅の広さが感じられる。 丸山は、このノーといえない弱さが問題であり「まづ人間一人一人が独立の人間になること」とも記した。 歴史を省みた言葉として、今も重みがある。 新首相は昨夜の記者会見で「しっかりと」を連発した。 その新しい内閣の方は「要がしっかりと見えない扇」を思わせる。 安倍氏の言う信念と実行力が、まだよく見えないからかも知れない。 どんな「要」になるのかを、しっかりと、見届けてゆきたい。 「政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである」 此れだけは勘弁してオトナシク何もしないで下さい。 靖国神社参拝で東南アジアの人たちを困らせないように願いたい。 やりたい事は選挙前に堂々と話し,国民が納得する審判を仰いでからにしてください。 「やるのかどうか 稀にはやらない」と選挙前に話していて選挙に勝てば「やってしまう」首相もいた。 選挙前には曖昧さを残さずに男らしく正々堂々と立ち向かってください。 その「うつくしま」を提唱してきた 佐藤栄佐久知事が、 辞職するという。 9月28日の天声人語からの引用 「阿武隈山脈はなだらかだつた」。 福島県生まれの詩人、草野心平が「少年思慕調」と添え書きした詩「噛(か)む」の1行目だ。 「だのに自分は。よく噛んだ。鉛筆の軸も。鉛色の芯も。/ 阿武隈の天は青く。雲は悠悠流れてゐた」と続く。 幼い日々を顧みる詩句に、故郷の自然の豊かさとのどかさが溶け込んでいる。 「小学校は田ん圃の中にぽつんとあり。春は陽炎につつまれてゐた」(『草野心平詩集』岩波文庫)。 近年、福島県は「うつくしま」という言葉で、その魅力をうたってきた。 確かに、太平洋から奥羽、越後山脈に至る広大な地は、いくつもの山川を抱き、 各地に独自の文化が息づいている。 その「うつくしま」を提唱してきた佐藤栄佐久知事が、辞職するという。 実弟が、県が発注した阿武隈川流域の下水道工事の談合事件で東京地検に逮捕された。 県で一番の権力を持つ知事の弟が、県の工事で法を破ったのだとすれば、やはり責任は重い。 長く県政をあずけてきた県民にとっては、目をそむけたくなる事態かも知れないが、 捜査の行方をよく見届けるようにしたい。 「事上磨錬」。中国・明の儒学者、王陽明のこの言葉が、佐藤氏の座右の銘だという。 県のホームページにはこう書かれている。 「日々の物事に当たって、その一つひとつに真剣に取り組むことが大切であり、 それが自分を磨くことになる、という意味です」 日本青年会議所の役員から参院議員を経て、県政の頂点に立った。 日々の物事に当たって磨いてきたはずだが、18年という日々は長すぎたのだろうか。 首相の是非秘書の名前くらい公表してほしいものである。 有名になった飯島秘書官を首相の近くでテレビに映っているのを見かけるのだが, 最近の言葉から 9月29日の天声人語からの引用 最近の言葉から。 9・11の同時多発テロから5年たった。 山口県下関市の中村佑(たすく)さんは、当時30歳だった息子匠也(たくや)さんを世界貿易センターで失った。 「テロは絶対に許されないが、実行犯を憎みたくはない。 憎しみが憎しみを呼び、テロや戦争が繰り返されてきた。 そんな憎しみの連鎖に加わることになるから」 オウム事件裁判で、松本智津夫(麻原彰晃)被告の死刑が確定した。 松本サリン事件の被害者、河野義行さんの妻澄子さんは今も意識が戻らない。 「死んでいることと生きていることは全然違う。(松本被告への)憎悪より、妻が生きていることへの感謝。 この方がはるかに大きい」と義行さん。 松本被告の四女が、オウム問題の報道で知られる江川紹子さんを後見人に就けるよう裁判所に申し立てた。 江川さんは「後見人を引き受けることにはためらいはあった。 しかし、償いの気持ちを助けてあげたいと思った」と述べた。 森光子さんが主演する舞台「放浪記」が通算1800回に達した。 「ここまで、とても速かったようなポツポツと来たような、いろんな思いが交錯しています」とあいさつした。 鹿児島県鹿屋市の牧多美さんは84歳の現役助産師で、1万人以上の赤ちゃんを取り上げてきた。 昭和20年8月15日には防空壕(ごう)でお産に立ち会う。 敗戦を知って思った。「子どもたちが未来をつくっていくんだ」 主に福岡市で活動する「あすなろ五行歌会」の失語症の人たちが、五行歌の作品展を開いた。 「帰ってきた/言葉に/一こずつ/キスして/あげたいくらい」 埼玉県川口市で、 市道を歩いていた保育園児たちが、 乗用車に次々とはねられ、死傷 「あれあれっ」。助手席からの声に、あわてて正面を向く。 前方左手の電柱が、一気に目の前に迫ってくる。 とっさにハンドルを右に切って、危うく衝突を免れた。 30年以上も前の、一瞬の脇見運転の記憶だが、思い返すたびに背筋が寒くなる。 埼玉県川口市で、市道を歩いていた保育園児たちが、乗用車に次々とはねられ、死傷させられた。 運転していた容疑者は、カセットテープを入れ替えようとして脇見運転したと供述したという。 日課の散歩の途中、突然命を奪われた園児や家族の悲しみは、計り知れない。 大惨事に至った原因を徹底的に調べてほしい。 現場は、日本の至る所で見かけるありふれた通りのようだ。 ハンドルを握る以上、注意を怠ってはならないが、散漫に陥る可能性は残念ながらゼロではない。 だからこうした道を今のままにしておけば、悲惨な事故はまた起こり得る。 人と車との関係が、改めて問われていると思う。 車が、あたかも道の主役であるかのように振る舞い、人を道から追いやってきた車社会をどう考えるのかという問題だ。 人と車を、今より格段に分離してはどうか。 例えば、歩道の無い道には車は進入させない。 逆に言えば、車の入る道には必ずガードレールや歩道を設ける。 それでも事故の根絶は難しいが、出来ることを積み重ねるほかはない。 安全のためにかかる費用は、税金を使うだけではなく、車を造り、売り、使う側も負担する。 犠牲を繰り返さないための手だてをどうとるのか。 惨事は、車社会全体の責任をも問うている。 自動車の惨事は後をたたない。整列して並んで歩いている所へ自動車が飛び込むのはもってのほかである。 歩道を作り自動車が乗り上げられない工夫はなかったのだろうか。 痛ましい事故である。 平城宮跡資料館 奈良の薬師寺へ行くのが途中で 平城宮跡があり薬師寺に行かず平城宮跡を見学する。 これだけの規模で遺跡が残っているのは珍しい。平城宮の朱雀門が同じ大きさで,昔あつた所に再現されている。 広大な土地で再現している遺跡はほんの僅かな所である。 平城宮がこんな形で残っているのは奇跡にちかいのではないか。平城宮跡は世界遺産に組み込まれている。 田圃だったからまとめて買い上げられたからとのボランテイアの会話から理解できた。 付近に国立奈良文化財研究所がある。確か明日香村に有る飛鳥資料館も国立奈良文化財研究所の付属施設だった。 同じように平城宮跡資料館があり誰もが無料で入館できる。大勢の小学生 中学生が見学に来ていた。 沢山な資料で一回訪問では理解は困難である。 此処で初めて知った事は奈良時代が74年間であることに驚いた。 奈良平安と並び称されているからもっと奈良時代は長いものだと思い込んでいた。 平安京時代前の長岡京時代は10年である。奈良時代の前の藤原京時代も10年である。 その前の飛鳥時代は天皇制が確立したのがはっきりしていないので大体に100年位としても奈良県内に都があったのは ぜいぜいに150年から200年くらいのものである。もっと短いかも知れない。 千年の都と言われる京都からすると奈良時代は遥かに短い期間である事に気ずいた。 大工道具などが展示してあるが,かなり進歩したもので東大寺・興福寺などの大建築が建てられる事が できたことも理解できた。 奈良時代は和銅3年(710年)に元明天皇(女帝)が藤原京より平城京に遷都して, 聖武天皇の時,紫香楽宮,恭仁京(740年-745年),難波京へと一時的な遷都があった元の平城京に戻っている。 桓武天皇によって延暦3年(784年)に長岡京に遷都するまでの 74年間が平城京に都があった。 戻る 8月分 9月分 10月分
庶民の暮らしを描き、 88年に、アラビア語圏で初のノーベル文学賞を 受けたマフフーズ氏が94歳で亡くなった 9月1日の天声人語からの引用 カイロで、モスクの尖塔(せんとう)が見え隠れする狭い路地を歩いたことがある。 道に面した古い建物のそこここから、大きな出窓が突き出している。 通りからその中は見えないが、内側からは通りの様子が見える。 マシュラビーヤと呼ばれる格子窓だ。 「彼女は……マシュラビーヤに向い、その扉を開けて中へ入った。 それから閉ざされた檻のような場所にたたずみ、 格子窓にいっぱいあいている小さな丸い隙間から道路の方へ視線を投げながら左右に顔を動かした」。 旧市街に住む一家の物語をつづるナギーブ・マフフーズ氏の『バイナル・カスライン』 (河出書房新社・塙治夫訳)の一節だ。 真夜中に戻る夫を迎えるため、妻が起き出した場面で、読者を一気に旧市街にたたずむ家の中へ引き込む。 庶民の暮らしを描き、88年に、アラビア語圏で初のノーベル文学賞を受けたマフフーズ氏が94歳で亡くなった。 マシュラビーヤの通りを歩いたのは3年余り前で、マフフーズ氏に取材を申し込んでいた。 いったんは日時も決まったが、少し前に「家で倒れた」と連絡が来た。 この国民的作家は、時代と世界についても発言を続けていた。 イスラム過激派に「背教者」と宣告され、首を刺されたこともある。 その前に、警官の護衛を断っていることについて「自分を監獄の中に入れるのを拒否しているのだ」と本紙に述べた。 カイロの街の生き生きとした営みへの思いも、深かったことだろう。 じかに聞けなかったのは心残りだが、描かれたマシュラビーヤの世界にも、それはしっかりと息づいている。
イスラム世界もニュースでは大変なことになっている。イラク始め,イスラエルの周辺諸国パレスチナ・レバノンとの 衝突事件は心痛む事件である。 平和なアラビアンナイトの世界は何処に吹き飛んでしまったのか。 描かれたマシュラビーヤの世界とは知らない。 イスラム圏と西欧世界との接触が原因しているようだ。 立場の強い人がやはり一歩下がらないごとには,ものごとの解決に到らないのではないのか。 「闘う政治家」が、どんな場合にも 日本を「美しい国へ」導くとは限らないだろう。 9月2日の天声人語からの引用 新刊の著書の題を「美しい国へ」とし、立候補の記者会見では「美しい国日本」を繰り返す。 安倍官房長官は、どうしても「美しい国」を自民党総裁選のキャッチフレーズにしたいようだ。 「美しい」という言葉は耳に響きがいいし、反対も唱えにくい。 「美しい国へ」と言うからには、今の日本には美しくないところがあると考えているのだろう。 確かに現実の社会は生やさしいものではないから、美しくないところもある。 その美しくない点は何なのかを明示し、どう美しくしてゆくのかが具体的に示されないと、 「美しい」という言葉は空虚に響く。 安倍氏は『美しい国へ』(文春新書)で、政治家を「闘う政治家」と「闘わない政治家」に分けて見る、と書いた。 闘う方とは「ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家」だという。 一政治家の意気込みとしては理解できる。 しかし、「闘う政治家」が、どんな場合にも日本を「美しい国へ」導くとは限らないだろう。 「国家のため」という旗印のもとで、悲惨な道をたどった国は少なくない。 スパッとは割り切れないことについて、より悪くない選択をするのが政治家の務めではないか。 歯切れの良い「二分法」は、時には危うさにつながる。 総裁選は、安倍氏が優勢という。 戦いとしては、興趣は薄いかも知れない。 しかし自民党は、05年分だけで157億余円の税金を政党交付金として受けている。 それに見合うまっとうな論戦と選考とを示せないようでは、美しい、とは言えない。 あまりにも低調な自民党総裁選挙で興味はまったくなかった。 これほどに結果のわかるような選挙ならばしなくともよかったのではないのか。 又首相はあまりにも国を預かるに若すぎ,危険な人物のように思えてならない。 候補者全員が小泉亜流で勿論何も面白くないのも当然のことである。 東南アジア外交を中心に置いた谷垣さんが一番まともで次期総裁に期待する。 消費税の福祉目的増税もなっとくゆくが毎日の生活必需物質には 所得の低い人には考慮すべき所がある。。 04年10月23日に起きた 新潟県中越地震の震源を指し示すくいだ 9月3日の天声人語からの引用 山あいの棚田の真ん中に、一本のくいが立っている。 高さ約1・5メートルというが、背丈の伸びた稲に隠れて、上の方しか見えない。 04年10月23日に起きた新潟県中越地震の震源を指し示す、くいだ。 震度7を観測した川口町で昨年10月、町内外から約100人が集まり、「体験防災キャンプ」が開かれた。 この時、全地球測位システム(GPS)の端末を使って、震源を突き止めてみようという話になった。 気象庁によると、北緯37度17分30秒、東経138度52分が震源だ。 小中学生のメッセージが書き込まれたくいをみんなで運び、この田んぼにたどりついた。 「ここで取れるコメを震央米と名付けたらどうか」。 参加者から、そんな意見が出た。 昨年は、田んぼは使い物にならなかった。 あぜにひびが入り、全体が傾いて、山からの地下水も止まった。 星野秀雄さん(66)は重機を使って、1年かけて元に戻し、今年5月に田植えをした。 地震のつめ跡はまだ、あちこちに残っている。 小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅には、干してある洗濯物から見て、半分近くが依然入居しているようだ。 多くの田んぼは今年も作付けができず、雑草が生い茂っている。 星野さんの田んぼは、これまでは順調にきている。 穂が垂れ始め、台風さえ来なければ、豊作になる見通しだ。 魚沼産コシヒカリだから、震央米の味は間違いないという。 今月20日ごろに稲刈りをする予定だ。 「くいがあると、作業には邪魔で邪魔で困るんだが、地震の思い出を残すには仕方がない」。 星野さんはそう話した。 嫌なことは早く忘れたい気持は誰もは同じだ。 モハメド・オマル・アブディンさん(28)が スーダンから日本にやって来たのは 8年前盲学校で勉強するのが目的だった 9月4日の天声人語からの引用 モハメド・オマル・アブディンさん(28)がスーダンから日本にやって来たのは8年前のことだ。 盲学校で勉強するのが目的だった。 目の病気で徐々に視力が落ち、小学校の終わりごろには文字が読めなくなった。 友達に本を読んでもらい、口頭で試験を受けて、大学の法学部に進んだ。 しかし、ノートもとれず、限界を感じていた。 そんな時、視覚障害者を支援する日本の団体が留学生を募っていた。 アブディンさんは「日本の視覚障害者の生活を知れば、自立の道を探れるのではないかと考えた」と語る。 福井県立盲学校で日本語と点字、はり・きゅう・マッサージを学んだ後、短大でパソコンを習得した。 03年に東京外国語大学に進んだ。 スーダンでは20年余り続いた内戦がようやく終わった。 ところが、西部のダルフールで別の内戦が起き、今も抗争がやまない。 そんな中で、アブディンさんは昨夏、300人分の点字器と点筆をスーダンに持ち帰り、点字を広める運動に寄付した。 15万円の資金を集めるのに、障害者を支援する筑波大学のサークルや友人らが協力してくれた。 里帰りで、もう一つ持参したのが、鈴の入ったサッカーボールだ。 日本で視覚障害者のサッカーチームに加わっている。 アブディンさんは再び資金集めを始めた。 今度は、パソコンでアラビア語を読み上げるソフトを買うためだ。 母校の大学に贈り、そこから普及させる考えだ。 「日本で学んだのは、読み書きを教えることの大切さです。 将来は母国で、そうした活動をして、視覚障害者の仕事の場を広げたい」 障害者の気持はやはり障害を持った人たちが一番理解できる。 このことは世界どこの国でも同じことであるはずだ 街には人工音があふれている 9月5日の天声人語からの引用 地上3階まで吹き抜けとなっている地下3階の床に立つと、足元に波音が響いた。 次いで静けさが訪れ、今度は鳥のさえずりが頭上を通り過ぎていく。 「自然のゆらぎ」を室内音に反映する。 そんな空間が、東京・渋谷の商業施設「表参道ヒルズ」にある。 表通りのケヤキ並木が風や光に姿を変える。 その不規則な変化をカメラがとらえ、コンピューターで音を出す間隔を微妙に変えていくという。 天井で直径約1メートルの半球形スピーカーがゆっくり首を振る。 音は光の束のように届き、床でも直径5メートルほどの円内しか強く聞こえないという。 100を超す大小のスピーカーがあり、時と場所によって音がうつろう。 静寂に感じる間をおいて浴びる「音のスポットライト」が心地よい。 「間は魔に通じる」。 歌舞伎では間の大切さや難しさを、こう表現する。 間をとるという古来の発想が、コンピューターを通して演出した音のつくりものらしさを薄めるのかもしれない。 「変化させても、変化させられた音という感じがのこる」。 作曲家の高橋悠治さんはコンピューター音楽の難しさを、一瞬ごとに変化する風の音と比べて述べる。 「おなじように発音されるおなじことばの微細な表情の翳りを何千年も読みとってきた人間の耳をだますことができない」 (『音の静寂 静寂の音』平凡社)。 街には人工音があふれている。 街頭の大画面が絶えず発する音に、店外まで響くBGMが絡む。 携帯電話の音も入り交じる。 時には、私たちの耳が読みとってきた自然の「間」との調和を大切にしたい。 自然の音は自然が発する音が一番だ。コンピュターで如何に真似ても人工音である。 身近に自然は少なくなって来ている。でも地方での過疎化は急速にすすんでいる。 休日に自然を求め郊外へゆくのが現代人の生き方のようになってきている。 昔の人が味わった世界をばコンピュタ―で再現とは寂しいかぎりである。 宮崎県のJR日向市駅 9月6日の天声人語からの引用 工事中の階段を上ってホームに立つ。 かすかに杉の香りがただよう。 思わず深呼吸した。 宮崎県のJR日向市駅。 高架上の新駅が12月完成をめざしている。 線路ごとすっぽり覆うアーチ状の屋根は、地元産の杉材でできている。 景観を大事にするホームからは遠くに日向灘が望める。 旅立ちを心待ちにしながらも、どこか立ち去りがたい。 そんな思いを抱かせそうなたたずまいである。 明治以来、駅は、新しい文明が届く窓口だった。 「これからは地域の文化や伝統を発信する窓口に」という篠原修・政策研究大学院大学教授ら 専門家と市や県、JRが協力した。 「木の町」の日向市は、そんな発想で造られる駅の第1号になる。 次いで08年には、「維新精神」の高知駅がお目見えする。 県産杉材を使った大屋根が駅前広場から立ち上がってホームを覆う、大胆な設計という。 10年完成の北海道・旭川駅は、「川のまち」である。 背後を流れる忠別川と河畔の豊かな緑を取り込み、一帯を公園にする。 メンバーの建築家、内藤廣さんによれば、駅は「帰っていく場所」でもある。 「地方の再生があるとすれば、駅から始まるしかない」が持論だ。 駅ほど多様な人が訪れる場所はない。 駅をよりどころに町をよみがえらせ、町を離れようとする若者の心に働きかける。 駅は町づくりの序章でもある。 れんが造りの東京駅丸の内駅舎は10年、開業当時の3階建てに復元される。 周辺をどうするか、専門家が検討している。 東京駅は日本の顔といっていい。 皆で大いに議論してはどうだろう 町も駅も日本中同一化しているように思えてきてならない。 「東京駅は日本の顔といっていい。」が 大体に無理な注文である。 駅に個性をは゛見つけ出し難い。大体に今の駅は何処も無機質である。 均一化されようとする町を,昔の風情をば残す事の方がもっと大切だ。 秋篠宮妃の紀子さまが昨日、 その第3子を無事に出産した 9月7日の天声人語からの引用 秋篠宮妃の紀子さまのご懐妊が発表された今年2月、この欄で北原白秋の一節を引用した。 「薔薇(バラ)ノ木ニ/薔薇ノ花サク。/ナニゴトノ不思議ナケレド」。 夫婦が子を授かるのに何事の不思議はないが、おめでたいことと記した。 紀子さまが昨日、その第3子を無事に出産した。 今度は、あの時のように「ナニゴトノ不思議ナケレド」とは言い難いものがある。 出産という重い体験には、危険が伴うからだ。 今回の分娩(ぶんべん)は帝王切開だった。 この「帝王」については、古代ローマのカエサルがそうやって生まれたからという説や、 これを俗説として否定する説などが事典類には載っている。 いずれにせよ、危険が全く無いはずは無い。 18世紀のフランスの啓蒙(けいもう)思想家だったジャンジャック・ルソーの母は、 ルソーを生んでから間もなく他界したという。 今から30年以上前になるが、出産した直後に亡くなった人が身近にもいた。 この世に命を生み出すことは、いわば命がけであり、それをご夫妻や周囲の人々、医療チームが力を合わせて成し遂げた。 母子ともに健やかとは、何よりだ。 ご懐妊の時、男の子が生まれるのも、女の子が生まれるのも、どちらもうれしく、おめでたいことと書いた。 これは今も変わらない。 親が皇族だから、きまりによって皇位継承の絡みが生じる。 それはそれとして、人の生誕という厳粛な営みを前に、男でよかった、あるいは女なら……などと言うのは、はばかられる。 身長48・8センチ、体重2558グラム。 この小さな生の始まりを祝い、静かに見守ってゆきたい。 現在,古代に関心があり色々と調べているが,継体天皇の時代の頃がわかり難く,天皇が大和に入るのに 大変な年月と時間をかけている。何故だったのだろうか。 その頃の天皇家には不可解な事だらけで,昔学校で習ったような万世一系でなかったのが 天皇家であるように思えてきてならない。 天皇家は維新前後頃からと,それに古代の天皇家とそのつながりのあった藤原氏との権力は絶大だった。 しかしながら,それに反し武士が台頭してきて,動乱時代では天皇家は忘れがちである。 余談ながら秋篠の姓は元は天穂日命の末である野見宿禰から土師氏へそして菅原氏へから秋篠氏へと。 秋篠宮はその奈良にある秋篠寺から名前をもらわられているようだ。 9月11日は、それを世界中の人が口にする特別な日だ。 9月8日の天声人語からの引用
あの日あの時、どこでどうしていたか。 9月11日は、それを世界中の人が口にする特別な日だ。 いわば世界が総立ちとなった日から、間もなく5年になる。 この間、米国は多くの自国の兵士を失い、民間人を含む更に多くの他国の人を死に至らしめた。 イラクでは大量破壊兵器は見つからず、「大義なき戦争」だったことが分かった。 それでもブッシュ大統領は自由をもたらしたと述べた。 米国に追随した小泉首相は自衛隊を派遣し、隊員は危うい場面にもさらされた。 9・11のテロを憎むことでは世界中に異論はないはずだが、その対処では違った。 戦争で応えるしかないというやり方を、真剣に省みる時だろう。 「自分たちや自分たちの家族の名のもとに戦争をしないで」。 9・11テロで家族を失った人たちの団体「ピースフル・トゥモローズ(平和な明日)」の合言葉だ。 政府によって犠牲者が戦争の口実にされることを潔しとしない。 そんな人たちの代表はアフガニスタンやイラクを訪れ、爆撃の一端に触れ、現地の人と語り合った。 「あなたがたは自分をアメリカ人であると名乗ることを恥じるべきだ」。 この団体が編んだ『われらの悲しみを平和への一歩に』(岩波書店)には、寄せられた非難のメールも載っている。 しかし、人と人が面と向かって初めて分かることは多い。 ニューヨークのテロ現場の前に立ったのは9・11の半年後だった。 うつろな空間の大きさに、受けた傷の深さを実感した。 しかしこの国が、実際にイラクにまで戦争を仕掛けるとは思いたくなかった。
9月11日のニュ−よ−クの出来事は忘れない。表面だけでなく,その深層に何があったのかを理解すべきである。 ブッシュのような行動をとるならば平和は世界に訪れる事がないのではないのか。 恐ろしい事である。だがその恐ろしさもひきずっているのが今の世界状勢である。 世界には独裁者はいらないということである。北朝鮮にそしてイタルトコロニ・・・・・・・・・。
総裁選に立候補した3人世襲議員という点では一様だ
9月9日の天声人語からの引用
「麻、垣、三」。自民党の総裁選に立候補した3人がそろって記者会見した。 そのたたずまいや語り口は三者三様だが、世襲議員という点では一様だ。 以前、「康」と言われた人もそうだった。 もし4人がそろったら、色合いはさらに濃くなっていた。 とても高齢とは言えない3人が並んだのに、やや清新な印象が薄いと感じたのは、 それぞれの姿に父祖の世代を重ねて見るからかも知れない。 古来、地盤、看板、鞄(かばん)といわれてきた議員当選への三条件が整っているようなところも、 古い時代にさかのぼるような気にさせられる。 資金力を示す鞄では、安倍官房長官の急伸が著しい。 安倍氏が代表を務める政治団体が昨年に集めた政治資金は、3億円近くあった。 官房副長官、党幹事長、官房長官と、小泉政権の中枢のポストを務めるにつれて増え、5年で2倍近くになった。 まさしく、看板に鞄がついてきている。 衆院選での地盤の強さはそれぞれ秀でているはずだが、 自民党の国会議員団という「地盤」での強弱は、かなりあるという。 総裁選後のポストや発言力の確保などを狙って、永田町の草木は安倍氏へ安倍氏へとなびいているようだ。 19世紀英国の保守党の大物ディズレーリは首相も務めた。 スエズ運河の株買収で知られ、安倍氏も自著に彼の言葉を引用している。 そのディズレーリは若い日、これといった地盤も看板も鞄も無く、国会議員に挑戦した。 落選、落選また落選、もう一度立っても落選で、ようやく5度目に当選した。 3候補の方は、一様に一発当選組だった。
自民党総裁は安部さんに決まった。即ち日本の総理大臣である。大丈夫だろうかとの気持は誰にも必ずあるに違いない。 よく熟考しての日本の将来を考え行動するようなタイプに見えてこない。小泉首相同様に軽い人に見える。 ハンサムな所は誰も国民が全て認めるところである。 女性による支持率上昇もうなずける。 戦前のような「美しい国日本」にはなってほしくはない。女性達による投票率は高い。 でも国の将来のことをしっかり考えて,軽い投票行動は決してしないでほしい。 今のままならば徴兵制度が再びしかれる可能性は出てくる。 名誉の戦死の軍人の母親にならないようにしっかりと現実を注視してほしい。
9月13日の天声人語からの引用
自動販売機に120円を入れて、缶コーヒーを買う。 自販機の前面に、「収益金の一部は、『緑の募金』に寄付されます」とある。 隣の普通の自販機と値段は変わらない。 どういう仕組みで、いくら寄付されるのか。 寄付金は「緑の羽根」の活動をしている団体に入る。 担当者によると、飲料メーカー側の提案で4年前に始めた。 今では全国に約2300台あり、売り上げの約2%、飲料1本あたり約2〜3円が寄付金に回る。 負担するのは、飲料メーカーと自販機設置者だ。 平均1台あたり年約1万2千円になるという。 透明性を図るために半年ごとに、「この自販機から××円募金しました」という表示を掲示しているそうだ。 ほかに、福祉や医療関係の団体に寄付金が回る自販機もある。 自販機は電気を消費し、環境に悪影響を与えるイメージが強い。 緑への貢献をうたうことは、業者にとって環境に優しい印象づくりになる。 街頭やビル内の自販機は飽和状態で、新たに設置してもらうのはなかなか難しいが、 募金自販機は売り込みやすい利点もある。 何台も並んでいるところに、募金自販機を1台置くと、その売り上げが一番になることが多いそうだ。 買う側としても値段が同じなら、募金になる方が気分がいいのかもしれない。 米国には4兆円以上も慈善団体に寄付する大金持ちがいるが、自販機はあまりない。 日本は「寄付文化」がないとよくいわれるが、自販機の普及は世界一だ。 1回の寄付金はごくわずかとはいえ、日本的な新しい芽が育っているようにも感じられる。 自販機で何か買う事が慈善につながるようならばうれしい。チリも積もれば山となるだ。 表題をつけても自動的に表題が消されてしまうし,文章も変る。 便利な世の中に変りつつある。 「未来市場完全攻略ガイド」 まるでゲームの攻略本のようだが 9月14日の天声人語からの引用 静岡文化芸術大の学生23人が1年がかりで調べた成果が、1冊の本にまとまった。 「未来市場完全攻略ガイド」(ルーパス出版)という題名は、まるでゲームの攻略本のようだが、 中身は地道なデータ分析だ。 高齢化社会では何が売れて、何が売れないのか。 総務省が出している「家計調査年報」をもとに、約500種類の商品やサービスについて、 世帯主の年齢別に支出額を調べた。 60代や70代以上でも支出の多いものが、高齢化社会での売れ筋になるのではという狙いだ。 一見して当たり前という分析が多いのは仕方がないのかもしれない。 野菜や魚、和菓子への支出は、年をとればとるほど多くなる。 肉や洋菓子はその逆だ。 とはいえ、意外な発見が少なくない。 野菜の中でもモヤシだけは40代をピークに減っていく。 食べにくいものや固いものは高齢者ほど減る傾向にあるが、餅とせんべいへの支出は増え続ける。 コメの消費は増えるのに、ふりかけは減っていく。 年齢につれてタクシー代の増加は著しい。 植木の手入れや畳替えへの支出も減らない。 指導教授の坂本光司さん(59)は、「中小企業が新たなビジネスチャンスをつかむために参考になるのでは」と話す。 分析に取り組んだ学生たちによると、今後有望なのは、旅行関係や和食の食材、胃腸薬、栄養剤、タクシーだという。 新聞については、「悪くない」という答えだった。 書籍や雑誌への支出は減っていくが、新聞への支出額は、「50代以上は高位横ばい」なのだそうだ。 敬老の日も近い。 みなさまのご長寿を願いたい。 日本は長寿世界一というものの医療費一部負担率増額は,決して神の声によって自然にできたものではない。 小泉政治の悪政治の結果の賜であり,言い換えれば自民政治の結晶の結果である。 長寿・敬老の日は空疎に聞こえてくる。 酒を飲んで運転したために 9月15日の天声人語からの引用 酒は、百薬の長と言われるほどの効用がある一方で、人を変えてしまう魔力がある。 車も、多くの効用がある半面、ハンドルを握ると人が変わると言われるような魔力を備えている。 この二つの魔力が重なった時にどれほどの惨禍をもたらすかは、考えなくても分かることだ。 酒を飲んで運転したために引き起こされる悲惨な事故が絶えない。 01年に飲酒運転の罰則が強化され、死亡事故はいったん減ったが、最近は微増の傾向がみえる。 罰則の重い「危険運転致死傷罪」を逃れるため、事故の後に逃走する者もいる。 時間をかせいで、酔いをさまそうということらしい。 これなどは、飲酒運転で人を殺傷するかもしれないが構わない、 そして被害者がどうなっても構わないという「構わん罪」を二重に犯している。 運転者本人の自覚が肝心だし、酒を飲ませた側の責任も重い。 しかしもう少し広く見れば、いわば普通の人を瞬時に殺人者に変える魔力を持つ車をつくり、 売っている側も危機感を持つべきではないか。 販売台数が世界でトップクラスとか、累積で1億台を売ったといった業績も大事だが、被害者や、 人をあやめる運転者をひとりでも減らす手だてをどれだけとってきたのだろう。 「飲んだら動かない車」の開発に取り組むメーカーもあるようだが、遅すぎてはいないか。 「あなたと周囲の人の安全のため、飲酒運転はやめましょう」「飲酒は車を凶器に変えます」 「飲酒やめますか。人間やめますか」。 こんな「警告」を車体や広告に掲げる時代が来ないとも限らない。 テレビで見たが世界ではアルコール検知で自動車が動かない風景である。 そこまでしてアルコールを飲む事もあるまいのにと思うのだが。 これだけ飲酒事故が明るみに出れば徹底すべきである。 グリム兄弟の「ハーメルンの笛吹き男」の物語だ 9月16日の天声人語からの引用 中世のドイツの町に不思議な男が現れる。 男は、報酬をもらえるなら、人々を悩ませているネズミを全部退治してやると約束する。 グリム兄弟の「ハーメルンの笛吹き男」の物語だ。 男が笛を吹くと、家々からネズミが現れ、男の後をついて川に入り、おぼれた。 しかし、金が惜しくなった町の人たちは支払いを拒絶する。 男が再び笛を吹くと、今度は子どもたちが集まってきて、男について町から消えてしまった。 先週亡くなった歴史学者の阿部謹也さんは、この伝説を手がかりに、 中世ヨーロッパの庶民の生活を浮き彫りにした「ハーメルンの笛吹き男」を著した。 西洋史学でほとんどとりあげられなかった民俗学の分野や民間伝承、さらに都市下層民の生活に目を向けようとした、 という(『阿部謹也著作集』筑摩書房)。 阿部さんは以前、「一言政治」で注目された小泉首相を「ハーメルンの笛吹き男」にたとえることについて、 「自然なこと」と述べた。「小泉さんの言葉が空虚なのは、理念や理想が欠如したまま語られるから」(アエラ)。 そしてそれがまかり通るのは「私たち日本人全体が理念や理想を必要と思わず、 今もって“社会”ではなく“世間”の中で生きているから、にほかならない」。 “世間”とは「金や名誉、義理」などへの関心でできた世界のことだ。 小泉内閣で「構造改革」の旗振り役だった竹中総務相が、参院議員を辞任したいと述べた。 任期は4年近く残っているが、「笛吹き男」と共に旗も去ってゆくのか。 改革はまだこれからのはずなのに。 残してくれた改革とやらはどんな結果がもたらされるのか。?? 第二次大戦では為政者の過ちの為に 国民が大勢がオトナシクに死んでいった。 そんなにも我慢せずに「笛吹き男」に何か起きれば賠償請求を廻すようにしよう。 「命をかけでやった」という政治だから当然の事である。 放置自転車と長く闘ってきた歴史がある。 9月17日の天声人語からの引用
先日、東京都内の地下鉄駅近くに自転車をとめておいたら、あっという間に撤去されてしまった。 ルール違反をしたのだから仕方がない。 集積所に行ったところ、撤去した駅ごと、日付ごとに、ずらりと自転車が並べられていた。 2500円の手数料を払って、返してもらった。 「それはよかった。うちなら5千円ですよ」。 豊島区の放置自転車対策の担当者に、そう慰められた。 手数料は区や市によって異なるそうだ。 豊島区には放置自転車と長く闘ってきた歴史がある。 区内にある池袋駅周辺などの放置自転車については、鉄道会社にも責任があるとして、 税金を課す条例をつくったこともある。 結局課税はしなかったが、鉄道会社から駐輪場用地を提供させることに成功した。 アフリカやアジアなどの発展途上国に自転車を寄付する活動も18年間続けている。 静岡市や広島市など12の自治体と組み、引き取り手のない、状態のいい自転車を送る。 現地の修理技術を高めるため、いったん分解して船積みしている。 これまでに5万台を超えた。 現地では医師や病人を運ぶ救急車として使われたり、情報を伝える「回覧板」代わりになったりしているという。 いらなくなった自転車を海外に捨てることができると誤解している人が多く、 そういう問い合わせが絶えないのが悩みだそうだ。 内閣府の調査では、池袋駅の放置自転車数は一時全国トップだったが、今では10位まで下がった。 とはいえ都内では最悪だ。 ちなみに全国ワースト3は名古屋、大阪、新大阪の各駅。西高東低のようだ。 北朝鮮への中古自転車の輸出がストップしたから益々に町に自転車が氾濫するのではないか。 子供の頃自転車は大切に使ったものなのだが。 古今東西の名言 9月18日の天声人語からの引用 英米でよく使われるが、日本ではあまり見ないのが、引用句辞典である。 古今東西の名言を、人物や主題別に編集してある。スピーチなどの隠し味に使うのだ。 試みに「オックスフォード政治引用句辞典」を開いてみた。 まずは古典的と言えるチャーチル英首相の「血と労苦と涙と汗のほかに差し上げるものはない」。 第二次世界大戦中、英国の士気を奮い起こした言葉だ。 ケネディ米大統領は就任演説の「国が諸君のために何ができるかを問うな。 国のために何ができるかを問いたまえ」が引いてある。 ブッシュ現米大統領もいる。「テロリストと彼らをかくまう者を区別しない」。 勇ましいが、フセインがアルカイダと関係があると決めつけ、イラク戦争を始めてしまった。 「この十字軍、テロとの戦争は、時間がかかる」は、イスラム教徒を怒らせた「十字軍」の表現が後に撤回された。 この部分はまるで迷言集だ。 日本で政治引用句を集めたら、どうなるか。 佐藤栄作首相の「沖縄が返らない限り、戦後は終わらない」は当確だろう。 自民党総裁選の予備選で予想外の敗北を喫した福田赳夫首相の「天の声にも、変な声もある」も、いい味がある。 最後に小泉首相だが、イラク特措法の「非戦闘地域」について「私に聞かれても分かるわけないでしょう」、 靖国参拝は「心の問題だ」と断定した。 政治にとって言葉は命。言葉を大事にしないと、政治が貧しくなるという見本だ。 ポスト小泉を選ぶ総裁選も大詰めだ。 それなりの応酬はあったが、引用に値する言葉を残せるだろうか。 ポスト小泉を選ぶ総裁選に期待するほどに無意味 滑稽なことはない。 顔ぶれをみていて後世に残すような言葉を吐くような人たちに見えない。 所詮コップの中での争いでコップが割れないようにそーとした争いに見えてくる。 竜巻 9月19日の天声人語からの引用 江戸後期の戯作者(げさくしゃ)、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」には、竜が浜辺で天に昇る場面がある。 「光を放ち、浪をまき立(たて)、南を投(さし)てぞ飛去(とびさり)ける」(岩波文庫)。 竜巻という言葉は、その形が、天に昇る竜を想像させるところからきているという。 竜巻が起きる時に、雲の方から垂れ下がって来る漏斗状のひものようなものについて、 物理学者で文学者だった寺田寅彦が書いている。 「西洋人は象の鼻に譬(たと)えているが、東洋人の目から見れば竜の尾とも見られないことはなかろう」 (『寺田寅彦全集』岩波書店)。 台風の雲の下では、竜巻や突風が起きやすいという。 九州に上陸した台風13号は、風が猛威を振るった。 被害が大きかった宮崎県延岡市では、特急列車が横倒しになった。 列車の窓に屋根瓦や木が飛んできたと乗客は言い、運転士は車体が浮き上がるのを感じたという。 台風で、列車を倒すほどの風に突然のように襲われるという恐怖は、 これまではあまり体験しないものだったのではないか。 竜巻だったのかどうか、よく検証してほしい。 台風の通り道にあたる九州は、繰り返し被害を受けてきた。 近づく台風に対し、しっかりと構えることでは、他の地域よりは慣れていたはずだ。 宮崎県では、昨年の台風で竜巻の発生が確認されている。 台風に伴う突風や竜巻について、新しい構えや観測の手だてが要るのかも知れない。 自然は時に、それまでとは違った振る舞いをみせることがある。 台風は、すぐ近くまで来ていなくても大風をもたらす。 そんな構えで昇り竜とも対したい。 竜巻と台風の違いがはっきりと判らない。アメリカではひどい竜巻の映画を見たことが有る。 正岡子規の命日の糸瓜忌に 9月20日の天声人語からの引用 光が差したかと思うと、すぐに厚い雲に閉ざされる。 はるか北方を進んでいる台風の影響なのか、きのうの東京の空は気まぐれだった。 どんよりとした空の下、庭先の棚のそこここに、大ぶりの黄色い花が咲いている。 花が終わって実を結び、ぶらりと長く垂れ下がった糸瓜(へちま)が十と幾つ。 正岡子規の命日の糸瓜忌に、JR山手線の鴬谷駅からほど近い根岸にある「子規庵(あん)」を訪ねた。 1902年、明治35年、子規はこの地で、重いカリエスの病床にあった。 亡くなる少し前に残した文がある。 「余は四五日前より容態が急に変つて、今迄も殆ど動かす事の出来なかつた両脚が 俄に水を持つたやうに膨れ上つて一分も五厘も動かす事が出来なくなつたのである」 (『子規全集』講談社)。 この「九月十四日の朝」と題する文は、子規が口述したのを弟子の高浜虚子が筆記した。 その5日後に他界する。 〈糸瓜咲て痰(たん)のつまりし仏かな〉。 当時の住居を再現したという庵で、絶筆となった句を思い浮かべながら庭に下りる。 そう広くはないが、草木がいっぱいに茂っている。 秋の七草のフジバカマはまだつぼみだが、萩は、弓のようにしなった枝に小さな白い花をたくさんつけている。 子規に、こんな句があった。〈白萩のしきりに露をこぼしけり〉。 子規の生涯は、34年と11カ月だった。 「仰臥漫録」などに記されたような病苦の中で俳句と短歌の革新に力を尽くし、 澄明で詩情あふれる言葉を死に至るまで紡ぎ続けた。 明治に改元される前年の生まれで、来年が生誕から140年になる。 子規は34歳と11ケ月でなくなっている。やはり天才である。ぎりぎりの逆境にあったから天才なのか。 人間の一生出来ることといえばしれたことである。 感銘をうけるのはその生き方があればこそなのかもしれない。 きのう安倍官房長官が21代目の自民党総裁に選ばれた 9月21日の天声人語からの引用 街頭に戦車が並び、首相が非常事態を宣言する。 タイ・バンコクからの報道は、軍が政権交代に絡むクーデターの異様さを刻々と伝えてくる。 近代の日本では、クーデターは、旧陸軍の青年将校らが「昭和維新」などを掲げて企てた1936年、 昭和11年の二・二六事件があった。 きのう日本では、「政権交代」が投票で行われ、安倍官房長官が21代目の自民党総裁に選ばれた。 票は、雪崩をうって安倍氏になびくとみられたが、麻生外相、谷垣財務相も一応の存在感は示したようだ。 戦後生まれで初めての総裁・首相の誕生となる。 安倍氏も当選後のあいさつでそれを強調していたが、戦後は、あの戦争を挟んで戦前の昭和と深くつながっている。 常に、昭和の時代を総覧しながら国政にあたってほしい。 若さは一つの魅力だが、政界での経験の少なさを懸念する向きもある。 それがむしろ、利権にしがみつく政権党の古い体質を破る力になればいいのだが。 海千山千の面々が取り囲む中で、かじをうまくとれるだろうか。 二・二六事件当時の岡田啓介首相は、襲撃されたが危うく難を逃れた。 「総理大臣になると、見えなくなるものが三つある」。そう述べたと伝えられる。 「一つは金である。権力によって不自由をしなくなるから……つぎには人間が見えなくなる。 とり入ってくる側近にかこまれて、ほんとうの人材を見失うからだ。 そして最後には国民が見えなくなる」(戸川猪佐武『日本の首相』講談社)。 安倍氏が、戦後生まれで初の「裸の王様」にならないようにと願いたい。 安部さんに期待する人が世のなかに有るから不思議である。 ただ戦争へのみちへ進まない事だけを期待したい。変な気をば起こして「美しい国日本」が破滅への一歩への 日本の国にならないことだけを願う。 国旗日の丸は、 9月22日の天声人語からの引用
「TOKYO 1964」の文字と五輪マークの上に、大きな日の丸が浮かんでいる。 故・亀倉雄策さんのデザインによる東京オリンピックのポスターだ。 白地に真っ赤なまん丸。このくっきりとした日の丸の意匠の持つ力強さを、十二分に引き出した名作だ。 オリンピックに限らず、様々な競技会で掲げられる日の丸は、しばしば感動を呼び起こし、人々の心をつないできた。 君が代も、表彰台の場面ではあまり抵抗なく聞く人が少なくないだろう。 しかし、日の丸に向かって立ち、君が代を歌い、あるいはピアノで伴奏することが義務だとしたら話は違ってくる。 卒業式や入学式で、国旗に向かって起立しなかったり、 国歌斉唱を拒否したりした東京都立学校の教職員が大量処分を受けたことをめぐる訴訟の判決が出た。 東京地裁は、違反した場合に処分することを定めた03年の都教委の通達は「少数者の思想、良心の自由を侵害し、 違法」とした。 都側は、判決の趣旨をよくくんでほしい。 表彰台の日の丸を見て起こる感動は、今そこに上がりつつある旗そのものから来るのだろうか。 選手の努力、支えた人々、そして力を尽くして競い合った世界の選手たちへの敬意などが重なり合って生まれてくるはずだ。 感情が自然にわき起こるからこそ、日の丸も君が代も共鳴する。 入学式や卒業式でも、国旗や国歌が感動を呼び起こすことはあるだろう。 しかし、起立や斉唱を強制することには無理がある。 生徒や、式に立ち会うひとりひとりの心の中にはためくものを大切にしてゆきたい。
日の丸の国旗 君が代の国歌 愛国心などなど 第二次大戦時の亡霊が大手をふって, まかり通って強制されない社会をば願う。 歴史をしらべていると力の強い一番優れた豪族が国を統合し天皇を称しただけで, それも天皇そのものが古代の歴史では混沌として何回か変り明確には判っていない。 地方には有力氏族が乱立しており天皇家と結んでいる。聖武天皇が大仏を発願し地方の豪族の力をそいでいる。 同じように戦国時代の最終段階で豊臣秀吉が朝鮮征伐 伏見城築城などして地方の大名の力をそいでいる。 同じような発想でことをすすめているように思える。 歴史家の間では古事記 日本書紀に書かれたことを引用してもが誰も相手にしていないのが現状のようだ。 でも今まで親しんできた国旗 国歌 愛国心を否定するものではない。 マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンは、 いずれも20世紀のジャズを代表する巨人だ 9月23日の天声人語からの引用 マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンは、いずれも20世紀のジャズを代表する巨人だ。 ふたりは26年の生まれで、マイルスは5月、コルトレーンは今日が誕生の日にあたる。 存命ならそろって80歳だ。 マイルスはトランペット、コルトレーンはサックスで前人未到の地に立ったが、両人とも一時は麻薬中毒だった。 「ヤクでやつれて、大酒を飲んでいるトレーンのひどい有り様を見るのは本当に嫌だった」と、 先に抜け出したマイルスが述べている(『マイルス・デイビス自叙伝』宝島社文庫)。 自叙伝によれば、コルトレーンがマイルスのバンドに居た頃、怒ったマイルスが楽屋でコルトレーンを殴りクビにした。 『コルトレーンの生涯』(学研M文庫)に似た場面がある。 「コルトレーンはまったく無抵抗のまま、マイルスのなすがままになっていた」 やがて麻薬と手を切ってマイルスのバンドに復帰し、更には独立してバンドを持った。 そして64年、伝説のアルバム「至上の愛」を録音する。 彼が「神へのささやかな贈り物」と記したこのレコードを初めて聴いた時、ジャズにはあまりなじみのない身にも、 強く迫るものがあった。 絞り出し、身をよじるような音の流れに、切なさを覚えた。 寺山修司が述べている。 「ぼくらにとっても、白人にとっても黒人にとっても、結局全部だれにとっても、 ジャズは外国人の音楽??故郷喪失の音楽だって気がした」(「ユリイカ」)。 黒人にとって「異国」で生まれたジャズの核心には、そんな深い喪失感があるのかも知れない。 日本のジャズピアニスト秋吉敏子さんが「賞」をもらっている。聞いていても判りやすいジャズである。 本場中国料理がが日本人には食べられないのが日本の中華料理が美味しく食べられる。 同様に日本人に理解しやすいジャズを弾いてもらっているのかもしれない。 京成電鉄の京成高砂駅近くの踏切が、 今月28日に手動式から自動式に切り替えられる 9月24日の天声人語からの引用
警報音とともにハンドルを回し、ゆっくり遮断機を下げていく。 最後のところで微妙にハンドルを操って、お年寄りや自転車が無事に渡り切るのに合わせる。 一種の名人芸だ。 東京と千葉を結ぶ京成電鉄の京成高砂駅近くの踏切が、今月28日に手動式から自動式に切り替えられる。 都内の旅客用鉄道では、最後の手動式踏切だった。 切り替えとともに、国土交通省が「賢い踏切」と呼ぶものに生まれ変わる。 私鉄では特急や快速、各駅停車など速度の異なる電車が、入れ代わり立ち代わりやってくることが多い。 「賢い踏切」は、電車の種別に応じて、警報を鳴らし始めるタイミングを変える。 通行人の待ち時間をできる限り減らすための工夫だ。 自動式への切り替えで安全度は高まるというが、名人芸を見た後では不思議な気もする。 人間と機械のどちらがより信頼できるかは、常に難しい問題だ。 この踏切から直線距離で西北に約8キロいったところに、東武鉄道の竹ノ塚駅がある。 駅近くの踏切で昨年春、歩行者ら4人がはねられ、2人が死亡する事故があった。 手動で遮断機を操作していた保安係が、電車の接近を示すランプがついていたのにもかかわらず、 遮断機を上げてしまった。 事故後、踏切は自動化された。 それに加えて、始発から終電まで2人の監視員が踏切の両側に常時立っている。 踏切内に人や車が取り残されてしまった場合に備えているそうだ。 ここで再び事故が起きる可能性は低いように思われる。 悲惨な事故があってようやく、機械と人間が協力し合う場ができた。
複雑化してきた交通事情を判りやすいものにしたいものだ。 ネクタイにも目が行く気がする。
9月25日の天声人語からの引用
げん担ぎは何ですか。自民党総裁選の投票日に、 こう聞かれた安倍晋三氏は立候補表明の日と同じネクタイにしたと答えた。 「家内が、よいと言うので」という濃紺と銀系のしま模様だった。 「タフガイは水玉模様のタイをしめない」。 こんな記事が本紙の投稿欄に載ったことがある。 米国などでは、煮え切らない人物がよくする柄だとの見方が広がっているそうだ。 確かに、大統領選の候補者は深紅一色とか赤や紺のしま模様が多い。 政治家とネクタイといえば、中曽根康弘元首相を思い出す。 20年前の秋、党の集会で「女性は私のネクタイの色や服はよく見ているが、 何を言ったかは覚えていないらしい」と口を滑らせた。 その夏の衆参同日選で勝った、おごりもあったろう。 国会で批判されると「女性は男性より鋭い審美眼でテレビを見ているから注意しようという意味だ」と弁明した。 中曽根氏の「戦後政治の総決算」と安倍氏の「戦後体制からの脱却」の志向の近さが言われるいま思う。 あれから政治はどう変わり、二つの「戦後」は何が同じでどこが違うのか。 「戦後日本は豊かになってモラルが低下した」「戦後日本のあり方を問う」。 こんなふうに使われる最近の「戦後」は、日本の現状に対する批判の単なる枕詞(まくらことば)であることが多い。 安倍氏の「戦後」にもその雰囲気は漂う。 きょうの民主党大会で、小沢一郎代表が新体制を築く。 あすには安倍内閣ができる。 初対決の国会で「戦後」はどう論じられるのだろう。 濃密な応酬になればなるほど、ネクタイにも目が行く気がする。 安部内閣には失望した。自民党をぶっ壊す派閥解消の自民党が森派を中心の自民党に再びよみがえってきたと 感じたのは自分ひとりだろうか。 む 「闘う政治家」を自認する新首相との 戦いぶりを、じっくりと見たい 9月26日の天声人語からの引用 今日、小泉首相が退任する。 この政権の功罪は、これから歴史的な評価を受けてゆく。 多くの国民の耳目を政治に集めたこと、印象的な一言や「迷言」の数々、アジア外交を滞らせたことなど、 忘れがたいことが、それこそいろいろあった。 在任は約5年半に及んだが、この重圧の中でも体調を大きく崩すようなことはなかったようだ。 心身が並外れて丈夫なのか、あるいは気に病まない独自の術を備えていたのだろうか。 大相撲の千秋楽の日、総理大臣杯を朝青龍に授与した安倍・自民党新総裁が述べた。 「官房副長官では何回か渡していますが、特別な重さがありましたね」。 40キロのトロフィーを、うめきながら持ち上げたという。 迫り来る地位の重みを感じたのかも知れない。 脳神経外科医・三輪和雄著『病める政治家たち』(文芸春秋)に、こんなくだりがあった。 「成人病(がん・心臓病・脳卒中)のサンプルを眺めているような気がする。 強烈な欲望、攻撃性、多忙、上昇志向などが、いかに人間の身体を蝕(むしば)んでいくか、の典型をみることができる」 民主党の代表に再選された小沢一郎氏が、昨日入院した。 近著に「剛腕維新」「小沢主義」と名付けて力強さを強調するが、91年には狭心症で入院したことがある。 今回、民主党は、体調不良を訴えたための「検査入院」と発表した。 いよいよ安倍・新首相との対決という時に、大丈夫なのだろうか。 まずは健康が最優先だが、復帰した日には、「闘う政治家」を自認する新首相との戦いぶりを、じっくりと見たい。 安部さんには何も期待できない。憲法改正 愛国心強制 自衛隊のアメリカ軍と共同作業 ミサイル防衛の為のアメリカへの 出費 アメリカ軍再編援助 恐ろしい事が目白押しに控えている。 どれもやってもらいたくないものばかりである。 国連への協力 韓国の藩国連事務総長を全面的に助けて日本と韓国と二人三脚で平和の為に邁進してほしい。 安倍晋三・新首相は 9月27日の天声人語からの引用
安倍晋三・新首相は、郷土・山口が生んだ幕末の志士、吉田松陰を、よく演説や著書で引き合いに出してきた。 『美しい国へ』(文春新書)では、松陰が好んで使ったという孟子の 「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾(われ)ゆかん」を引いている。 そして、こう述べる。 「政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである。 確たる信念に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ」。 小泉・前首相にも通じていそうな「信念」への強い傾きだが、問題は「確たる信念」の中身で、 それがこれからは「首相の信念」として問われる。 いわゆる歴史認識についての「あいまいさ」も、国会の場などで論議になるだろう。 政治思想史学者だった丸山真男が、第二次大戦が終わった45年に記したノートに、同じく孟子を引いたくだりがある。 「間違つてゐると思ふことには、まつすぐにノーといふこと。 この『ノー』といひうる精神??孟子の千万人といへども我行かんといふ精神??は就中(なかんずく)重要である」 (『自己内対話』みすず書房)。 格言の持つ幅の広さが感じられる。 丸山は、このノーといえない弱さが問題であり「まづ人間一人一人が独立の人間になること」とも記した。 歴史を省みた言葉として、今も重みがある。 新首相は昨夜の記者会見で「しっかりと」を連発した。 その新しい内閣の方は「要がしっかりと見えない扇」を思わせる。 安倍氏の言う信念と実行力が、まだよく見えないからかも知れない。 どんな「要」になるのかを、しっかりと、見届けてゆきたい。
「政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである」 此れだけは勘弁してオトナシク何もしないで下さい。 靖国神社参拝で東南アジアの人たちを困らせないように願いたい。 やりたい事は選挙前に堂々と話し,国民が納得する審判を仰いでからにしてください。 「やるのかどうか 稀にはやらない」と選挙前に話していて選挙に勝てば「やってしまう」首相もいた。 選挙前には曖昧さを残さずに男らしく正々堂々と立ち向かってください。 その「うつくしま」を提唱してきた 佐藤栄佐久知事が、 辞職するという。
9月28日の天声人語からの引用
「阿武隈山脈はなだらかだつた」。 福島県生まれの詩人、草野心平が「少年思慕調」と添え書きした詩「噛(か)む」の1行目だ。 「だのに自分は。よく噛んだ。鉛筆の軸も。鉛色の芯も。/ 阿武隈の天は青く。雲は悠悠流れてゐた」と続く。 幼い日々を顧みる詩句に、故郷の自然の豊かさとのどかさが溶け込んでいる。 「小学校は田ん圃の中にぽつんとあり。春は陽炎につつまれてゐた」(『草野心平詩集』岩波文庫)。 近年、福島県は「うつくしま」という言葉で、その魅力をうたってきた。 確かに、太平洋から奥羽、越後山脈に至る広大な地は、いくつもの山川を抱き、 各地に独自の文化が息づいている。 その「うつくしま」を提唱してきた佐藤栄佐久知事が、辞職するという。 実弟が、県が発注した阿武隈川流域の下水道工事の談合事件で東京地検に逮捕された。 県で一番の権力を持つ知事の弟が、県の工事で法を破ったのだとすれば、やはり責任は重い。 長く県政をあずけてきた県民にとっては、目をそむけたくなる事態かも知れないが、 捜査の行方をよく見届けるようにしたい。 「事上磨錬」。中国・明の儒学者、王陽明のこの言葉が、佐藤氏の座右の銘だという。 県のホームページにはこう書かれている。 「日々の物事に当たって、その一つひとつに真剣に取り組むことが大切であり、 それが自分を磨くことになる、という意味です」 日本青年会議所の役員から参院議員を経て、県政の頂点に立った。 日々の物事に当たって磨いてきたはずだが、18年という日々は長すぎたのだろうか。 首相の是非秘書の名前くらい公表してほしいものである。 有名になった飯島秘書官を首相の近くでテレビに映っているのを見かけるのだが, 最近の言葉から 9月29日の天声人語からの引用 最近の言葉から。 9・11の同時多発テロから5年たった。 山口県下関市の中村佑(たすく)さんは、当時30歳だった息子匠也(たくや)さんを世界貿易センターで失った。 「テロは絶対に許されないが、実行犯を憎みたくはない。 憎しみが憎しみを呼び、テロや戦争が繰り返されてきた。 そんな憎しみの連鎖に加わることになるから」 オウム事件裁判で、松本智津夫(麻原彰晃)被告の死刑が確定した。 松本サリン事件の被害者、河野義行さんの妻澄子さんは今も意識が戻らない。 「死んでいることと生きていることは全然違う。(松本被告への)憎悪より、妻が生きていることへの感謝。 この方がはるかに大きい」と義行さん。 松本被告の四女が、オウム問題の報道で知られる江川紹子さんを後見人に就けるよう裁判所に申し立てた。 江川さんは「後見人を引き受けることにはためらいはあった。 しかし、償いの気持ちを助けてあげたいと思った」と述べた。 森光子さんが主演する舞台「放浪記」が通算1800回に達した。 「ここまで、とても速かったようなポツポツと来たような、いろんな思いが交錯しています」とあいさつした。 鹿児島県鹿屋市の牧多美さんは84歳の現役助産師で、1万人以上の赤ちゃんを取り上げてきた。 昭和20年8月15日には防空壕(ごう)でお産に立ち会う。 敗戦を知って思った。「子どもたちが未来をつくっていくんだ」 主に福岡市で活動する「あすなろ五行歌会」の失語症の人たちが、五行歌の作品展を開いた。 「帰ってきた/言葉に/一こずつ/キスして/あげたいくらい」 埼玉県川口市で、 市道を歩いていた保育園児たちが、 乗用車に次々とはねられ、死傷 「あれあれっ」。助手席からの声に、あわてて正面を向く。 前方左手の電柱が、一気に目の前に迫ってくる。 とっさにハンドルを右に切って、危うく衝突を免れた。 30年以上も前の、一瞬の脇見運転の記憶だが、思い返すたびに背筋が寒くなる。 埼玉県川口市で、市道を歩いていた保育園児たちが、乗用車に次々とはねられ、死傷させられた。 運転していた容疑者は、カセットテープを入れ替えようとして脇見運転したと供述したという。 日課の散歩の途中、突然命を奪われた園児や家族の悲しみは、計り知れない。 大惨事に至った原因を徹底的に調べてほしい。 現場は、日本の至る所で見かけるありふれた通りのようだ。 ハンドルを握る以上、注意を怠ってはならないが、散漫に陥る可能性は残念ながらゼロではない。 だからこうした道を今のままにしておけば、悲惨な事故はまた起こり得る。 人と車との関係が、改めて問われていると思う。 車が、あたかも道の主役であるかのように振る舞い、人を道から追いやってきた車社会をどう考えるのかという問題だ。 人と車を、今より格段に分離してはどうか。 例えば、歩道の無い道には車は進入させない。 逆に言えば、車の入る道には必ずガードレールや歩道を設ける。 それでも事故の根絶は難しいが、出来ることを積み重ねるほかはない。 安全のためにかかる費用は、税金を使うだけではなく、車を造り、売り、使う側も負担する。 犠牲を繰り返さないための手だてをどうとるのか。 惨事は、車社会全体の責任をも問うている。 自動車の惨事は後をたたない。整列して並んで歩いている所へ自動車が飛び込むのはもってのほかである。 歩道を作り自動車が乗り上げられない工夫はなかったのだろうか。 痛ましい事故である。 平城宮跡資料館 奈良の薬師寺へ行くのが途中で 平城宮跡があり薬師寺に行かず平城宮跡を見学する。 これだけの規模で遺跡が残っているのは珍しい。平城宮の朱雀門が同じ大きさで,昔あつた所に再現されている。 広大な土地で再現している遺跡はほんの僅かな所である。 平城宮がこんな形で残っているのは奇跡にちかいのではないか。平城宮跡は世界遺産に組み込まれている。 田圃だったからまとめて買い上げられたからとのボランテイアの会話から理解できた。 付近に国立奈良文化財研究所がある。確か明日香村に有る飛鳥資料館も国立奈良文化財研究所の付属施設だった。 同じように平城宮跡資料館があり誰もが無料で入館できる。大勢の小学生 中学生が見学に来ていた。 沢山な資料で一回訪問では理解は困難である。 此処で初めて知った事は奈良時代が74年間であることに驚いた。 奈良平安と並び称されているからもっと奈良時代は長いものだと思い込んでいた。 平安京時代前の長岡京時代は10年である。奈良時代の前の藤原京時代も10年である。 その前の飛鳥時代は天皇制が確立したのがはっきりしていないので大体に100年位としても奈良県内に都があったのは ぜいぜいに150年から200年くらいのものである。もっと短いかも知れない。 千年の都と言われる京都からすると奈良時代は遥かに短い期間である事に気ずいた。 大工道具などが展示してあるが,かなり進歩したもので東大寺・興福寺などの大建築が建てられる事が できたことも理解できた。 奈良時代は和銅3年(710年)に元明天皇(女帝)が藤原京より平城京に遷都して, 聖武天皇の時,紫香楽宮,恭仁京(740年-745年),難波京へと一時的な遷都があった元の平城京に戻っている。 桓武天皇によって延暦3年(784年)に長岡京に遷都するまでの 74年間が平城京に都があった。 戻る 8月分 9月分 10月分