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随想
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身体障害者補助犬法があるとはしらない。障害を持つ人にとっては非常に大切な事である。
健康な身体ですごしている者には理解が困難である。
生体腎臓移植で、臓器売買の疑いが浮上した
10月3日の天声人語からの引用
作家でイタリア文化研究家の澤井繁男さんは、あのはやり歌の「人生いろいろ」を
「腎生(じんせい)いろいろ」と置き換えてもいいくらいだという。
10代から、腎臓の病に悩まされてきた。
「即日のうちに透析を受けなければあと二箇月の生命(いのち)ですよ」。
そう言われて人工透析を始めたのは27歳だった。
その後、34歳で腎臓移植手術、44歳で再透析、51歳で腹膜透析……。
昨年出版した『腎臓放浪記』(平凡社新書)に書いている。
「兼好法師は、死は目の前にあるのでなく背後から迫ってくるものだと言った(『徒然草』一五五段)。
私は二回ほどその死に黙殺される体(てい)で追い越されて生き残った」。
ルネサンスを研究する澤井さんが、その原義の「再生」を思いつつ、
自らの「いのちの再生」を見つめ続けた貴重な記録だ。
移植登録をしていた澤井さんへの提供者になったのは、17歳で心臓死した見ず知らずの女性だったという。
「移植対象の『臓器』は具体的な形ある肉塊から、ひとつの、
たとえば神とか仏とかの抽象へと変容して、〈いのち〉になったと思う」
愛媛県宇和島市にある宇和島徳洲会病院での生体腎臓移植で、臓器売買の疑いが浮上した。
愛媛県警は、移植を受けた患者らを臓器移植法違反の容疑で逮捕した。
臓器売買の可能性は、以前から指摘されていたともいう。
実際に「売買」にまで至った経緯と、それを許した制度や仕組みの欠陥を明らかにして、
繰り返さない手だてをとってほしい。
人間を形作り、その命を支えているものが、金銭で取引されてはたまらない。
この「随想」に既に書いていると思うが,若い頃,アメリカ映画の「コーマ」という題名の映画を観たことがある。
ミステリー映画で,臓器を売る組織があってそこで,或る女性が盲腸手術でコーマにされようとするストーリーである。
コーマは日本語て゛「昏睡」である。
昏睡した人たちが沢山天井から宙にぶら下げられ,「臓器」が必要とする人たちに
コーマの人から臓器が提供され売買されてゆく映画であった。
コーマにされる人たちは医師によって犯罪的にされて行く人たちであった。
移植などの医療が進むと,とんでもない事件が発生する可能性が秘められている。
医師たるもの「医師の倫理」はj益々にキチンと守るべきである。
名誉心とか営利に走るようでは医師としての資格は,そこでなくなる。
各医学会でも厳重に医師の倫理の義務ずけが必要になってくる。
そこには助かる人と殺された人がいる。
動物の世界のような弱肉強食の世界になりそうだ。
既にアメリカでは何十年も前に問題化されていたことが日本に今頃になって問題になってきている。
政府の低医療費政策がそれに拍車をかけているのだ。
国立病院並びにそれに準ずる病院は政府は経済的支援は惜しむべきでない。
さもないと医療の荒廃はさらに進行する可能性がある。
世界の中で日本が「絶対的平和」を国是として軍事費をば医療・福祉に廻すことにすればよいだけである。
元日本スケート連盟会長が、
背任の容疑で警視庁に逮捕された。
10月4日の天声人語からの引用
トルストイの長編小説「アンナ・カレーニナ」には、人々でにぎわうロシアのスケート場が出てくる。
そこには、名手や、こわごわ動く初心者、子ども、老人がいた。
「名手!」と呼ばれた男が、リンクに入る。
「レーヴィンはスケートで立つと、外套(がいとう)を脱いだ……まるで自分の意志だけで自由に動くように、
スピードを増したり、減じたり、方向を転じたりしながら、滑って行った」
(集英社ギャラリー『世界の文学』工藤精一郎訳)。
トリノの冬季五輪の場面を思い起こすまでもなく、フィギュアスケートの魅力の一つは、
人の体が氷の上で縦横に描きだす軌跡の美しさにある。
風を切り、跳び、回る。
その躍動感は、かりそめにもせよ、重力から解き放たれるような興趣を生む。
長く日本のフィギュアスケート界の中心に居た久永勝一郎・元日本スケート連盟会長が、
背任の容疑で警視庁に逮捕された。
02年に長野市で開かれた世界フィギュアスケート選手権大会で、
運営に携わったイベント会社に水増し請求させ、実際にかかったよりも多くの費用を支払った疑いがある。
そのイベント会社から還流してきた金を事実上の「裏金」とし、連盟の幹部らが利用していた疑いも浮かんでいる。
「フィギュアのドン」と呼ばれ、一時は国際スケート連盟の副会長も務めていた。
元々はフィギュアスケートの選手だったという。
「名手!」と呼ばれ、リンクに縦横に軌跡を描いたこともあったかも知れない。
しかし今は、大きな組織を預かる身となってからの軌跡が問われている。
どの世界にも「ドン」がいる。その「ドン」が正しい常識的な人ならばよいが,名誉とか儲けに眩んだ人が
なるととんでもない事件が起きる。
フィギュアスケートのような人々を魅惑する綺麗な世界を我々に見せてくれる人たちのトップが疑惑に
包まれた人では仕方ない。
ノーベル物理学賞といえば、あのアインシュタインは、
10月5日の天声人語からの引用
宇宙のはじめに、大爆発があった。
このビッグバンの直接証拠を宇宙の電波観測でとらえた米国の学者ふたりに、
今年のノーベル物理学賞が贈られる。
素人の身には、ビッグバンの前は何がどうなっていたのかといった問いも浮かぶ。
妙な言い方だが、近づけば近づくほど遠ざかるような謎と魅力が、宇宙にはあるようだ。
ノーベル物理学賞といえば、あのアインシュタインは、受賞の報を日本に向かう途上に聞いた。
1922年、大正11年の晩秋に来日し、「相対性博士」として各地で大歓迎を受けた。
この訪日の時に博士が残したという言葉を先日、安倍首相が国会の演説に引用していた。
「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、
それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」
これとは別に、帰国の直前に述べた言葉がある。
「地球上にもまだ日本国民のごとく……謙譲にしてかつ実篤の国民が存在していることを自覚した」。
そして、山水草木は美しく、日本家屋も自然にかない、独特の価値があるので、
日本国民が「欧州感染」をしないようにと希望した。
しかしその後の日本は、欧州の列強に感染したかのように外国を侵略し、敗戦に至った。
戦後は、開発で多くの美しい山水草木が失われ、昔風の日本家屋も姿を消していった。
アインシュタインの希望した「美しさ」とは逆の方に進んでしまった。
こうした歴史への反省をしっかりと示さないせいか、首相の繰り返す「美しい国」は、
なかなか焦点を結ばないようだ。
安部首相は美しい国の言葉に酔ってか,首相本人の考え方,これからしようとする事は
日本国民をば美しくない方向に導こうとしている。
美しいという言葉に騙されないようにしよう。
国民を選挙で騙し終れば「豹変」するだけのことである。
「豹変」の事実は国民は施政方針で見たはずだ。
嘘をついても歴代の首相を見ていて罪に落ちいった人はいない。
騙された国民が馬鹿だけのことである。
米カリフォルニア州のジョージ・ブッシュ小学校を、
10月6日の天声人語からの引用
自分の名前にちなんで名付けられた米カリフォルニア州のジョージ・ブッシュ小学校を、ブッシュ大統領が訪れた。
手に手に星条旗を持つ子どもたちに大統領が歩み寄り、手を触れ合う写真が本紙に載っていた。
イラク問題で逆風を受ける中、中間選挙が来月に迫り、大統領は「逃げ切り」を図る戦略だという。
ブッシュ小学校がある町では、こう演説した。
「我々はイラクにとどまり、戦い、そしてイラクで勝つだろう」
元気そうなブッシュ小学校の子らの写真を見ながら、大統領がイラク戦争を始めた03年3月に読んだ、
米国の少女の文章を思い起こした。
間もなく13歳になるシャーロット・アルデブロンさんが、開戦が迫るころにメーン州の町の教会でしたスピーチだった。
イラクへの攻撃は、自分と同じような子どもたちを殺すことになると述べる。ネットを通じ、世界を駆け巡った。
「私のことを見て下さい。よく見て下さいね……みんなが破壊しようとしているのは、私みたいな子どものことなんです」
それから約3年半、イラクでどれほど多くの命が失われてきたことか。
子どもたちだけではなく、大人や米兵、派兵した国々の青年たち……。
それぞれが胸に抱き、あり得たかも知れない数々の未来とともに、永遠に失われた。
攻撃で殺傷されるのが「自分たちの子どもたちだったらどうしますか。
めいだったら? おいだったら? 近所の人だったら?」と、シャーロットさんは述べた。
その問いは、戦争を始めた国や、それを支持した国に、今もなお向けられている。
イラク戦争はそれを始めた国並びに支持した国にも重い責任がある筈だ。
イラク戦争は終らずに日本はいまだに航空輸送で戦争への支援は続けている。
アメリカから見習う事は此処まのだ。
核実験をすると宣言した北朝鮮に対し
10月7日の天声人語からの引用
核実験をすると宣言した北朝鮮に対し、国連の協議が進んでいる。
国際社会の懸念を逆なでするような、相変わらずの傍若無人ぶりにはあきれる。
しかしこの国が、曲がりなりにも国連に席を持っていることの意味は小さくない。
「国際の平和及び安全を維持すること」を第1条に掲げた国連憲章が発効して、今月24日で61年になる。
冷戦と呼ばれた東西対立の時代から現在までの軌跡は、第1条の目的の達成が極めて困難だったことを物語る。
しかし今のところ、これに代わるほどの平和維持の仕組みは無い。
いかに不完全ではあっても、二度にわたる世界大戦の惨禍を経てたどりついた貴重な場には違いない。
日本にも、この仕組みをより実効性のあるものにしてゆく責務があるだろう。
「国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである」。
200年余り前に、ドイツの哲学者カントが著した『永遠平和のために』の一節だ。
「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」ともある(岩波文庫・宇都宮芳明訳)。
人類は「諸国家の連合」は手にしたが、コスタリカのように常備軍を廃した国は例外的だ。
現実に他国の方に向けてミサイルを発射したり、核実験の脅しをかけたりする国々がある以上
、対応する力は備えざるを得ない。
ただ「永遠の平和」のための条件の一つが「全廃」という指摘にはうなずける。
カントは「時とともに全廃」と述べた。
その日は、それこそ永遠に来ないかも知れない。
しかし、来る可能性が全くないと、今から決めつけたくはない。
多分世界中に将来核は蔓延することは間違いない。北朝鮮だけの問題ではない。
「平和」に対する世界での構築ができていない。
核を使えば人類はお終いであることは誰もが理解できる。
そのような核を一部の国々がもてあそんでいるシステムをなくすことである・
核をもって脅かすような大国に核放棄を言う資格が無いはずだ。
アメリカに追随するだけの日本は参加せず,5ケ国の話し合という北朝鮮の主張にもうなずける所がある。
日本は世界の中で唯一の被爆国としての独自の主張をして行くべきである。
地球上からの核廃絶に対しリードできる国は世界の中では唯一の被爆国日本が堂々と主張すべきだ。
本当に情けないアメリカ追従国家になり下がっている。
これではいつまでたってもアメリカの半植民地国家である
「伊藤公資料館」は、
初代の総理大臣を務めた
伊藤博文が生まれた山口県光市に
10月8日の天声人語からの引用
「伊藤公資料館」は、初代の総理大臣を務めた伊藤博文が生まれた山口県光市にある。
97年の開館以来、歴代の総理の書を収集し、展示してきた。
これまでに25人分が集まった。
佐藤栄作氏以降では、三木武夫氏以外はそろっている。
先月9日から明日までは、「七人の宰相」という特別展を開いている。
山口県出身者にしぼった展示だ。
今年春に準備を始めたころは、8人目が会期中に誕生するとは予期していなかったという。
急きょ安倍晋三氏に依頼したが、間に合わなかった。
見学者のおおむねの感想は、「昔の人はうまい」だ。
山県有朋も桂太郎も堂々たるものだ。
安倍氏の祖父の岸信介氏には、「達者ですなあ」という声が聞かれた。
流れるような筆遣いだ。
実弟の佐藤氏からは丹念さが伝わってきた。
いまは山口県勢と小泉純一郎氏以外の書は保管庫に入れられているが、上手な人もいれば、つたない人もいる。
ただ、みんな一生懸命書いているように見える。
小泉氏の「無信不立」(信なくば立たず)には、勢いは感じられる。
永田町の自民党本部の売店にも、安倍氏の色紙はまだ売っていない。
下関市の地元事務所によると、支援者の子どもたちには、「夢」や「真実一路」などと書くことが多いそうだ。
父晋太郎氏は竹下登氏に競り負けたため、書は資料館に所蔵されていない。
竹下氏の書は「我が道を行く」だ。
所蔵品の中で、ひらがな交じりはこれしかない。
「美しい国へ」や「しっかりと」が万一寄贈されたとしても、一人だけ浮き上がることにはならない。
山口県からの首相続出は明治維新の後遺症が続いているという事である。
薩長,特に長州が明治維新をリードしている。
勝てば官軍で戊辰戦争で官軍が負ければ今の時代も変っているかもしれない。
日本中に立派な人材がいたはずだ。
明治維新の後遺症は早くになくすことである。
凡才が日本をリードする変った時代が到来するのもそのせいかも。
古代を調べていて天皇系は万世一系ではない。訳のわからんことが幾らも起きている。
その時々のリーダーは天皇を上手く利用している。
明治維新の錦の御旗もその一番よい例である。
大東亜戦争時には天皇が神格化され「天皇陛下万歳」と叫んで優秀な人たちが多数死んでいっている。
戦後をリードした為政者はその残りがやったともいえる。
サンクトペテルブルク大学東洋語学部が、
今年度の国際交流基金の日本語教育賞を受賞した。
10月9日の天声人語からの引用
明治の末年、夏目漱石の門下生の集まりに、青い目の和服姿の若者がいた。
ロシアの大富豪の御曹司で、セルゲイ・エリセーエフという。
寄席に通い、芭蕉を卒論に東京帝大を卒業するほど日本語が達者だった。
ある時、漱石の作品を翻訳していて、疑問がわいた。
「庭へ出た」と「庭に出た」とどう違うのですかと質問すると、文豪も答えに窮してしまった。
ロシアに帰国すると、サンクトペテルブルク大学の日本語教師となった。
講読テキストに漱石の『門』を使い、師を驚かせている
(倉田保雄『エリセーエフの生涯?日本学の始祖』、中公新書)。
エリセーエフが教鞭(きょうべん)を執ったサンクトペテルブルク大学東洋語学部が、
今年度の国際交流基金の日本語教育賞を受賞した。
多くの日本語教師や日本研究者を育てたことが評価された。
授賞式のために来日したビクトル・ルイービン日本語学科長によると、
エリセーエフ以来、エキゾチックな東洋の国へのあこがれが日本語学習の動機だったが、
最近は日本の科学技術や漫画、アニメなど多様な関心が若者をひきつけているそうだ。
ただし、旧世代に属する学科長は「私は、漫画は嫌いです」と顔をしかめていた。
過去100年、ロシア社会は動乱にもまれ続けた。
その中で日本研究を続けることは大変なことだったろう。
エリセーエフ本人も結局、ロシア革命後に西側に亡命している。
米国時代の教え子の一人が後に駐日大使を務めたライシャワーだ。
エリセーエフは、1975年にパリで病没した。
漱石の60回忌にあたる年だった。
ある京都にある外国系のホテルに入りやたらに英語が氾濫しているのに驚いた。
フロントでそのわけを聞くの外国人の宿泊者が多いからそのようにしているとの事であった。
世界が共通化するのが良いのか,固有の文化を残すのが良いのか判らない。
沖縄とか東北地方の言葉で,これ日本語かと驚く事もある。漢字はなんとなく理解できる。
英語もわかりドイツ語も少しはわかる。他の言語はわからない。
関西弁のどの部分が標準語でないのかは判らない。
いつも使ッている言葉が標準語と思っているからである。
9日の昼前、「北朝鮮が核実験」との報に
10月11日の天声人語からの引用
「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」。
9日の昼前、「北朝鮮が核実験」との報に、
米国の水爆実験の死の灰を浴びて死亡した久保山愛吉さんの「遺言」を思い起こした。
1954年、太平洋のビキニ環礁の近くでマグロ漁をしていて被曝(ひばく)した。
東京・夢の島の「第五福竜丸展示館」に行った。
開館して30年になる。
船の前には、久保山さんたちをテーマに連作を描いた米国の画家ベン・シャーンのデッサンなどが並んでいた。
壁に、原水爆実験の歴史が示されている。
45年の米・アラモゴード以来、2千回を超す核実験が行われてきた。
ほぼ半数が米国で、旧ソ連が次ぐ。
冷戦下、国連の常任理事国を中心とした国々が競って核兵器を増強した跡が歴然としている。
世界が核の不拡散と取り組むようになって久しい。
しかし、核大国が自らの核兵器の大幅削減には消極的という面もあり、残念ながら保有国は増えてきた。
こんな流れがあるとはいえ、今の時代に新たな核武装が許されるはずはない。
国際社会が足並みをそろえることが肝要で、間違えば取り返しがつかないことにもなりかねない。
「第三次世界大戦がどのようにおこなわれるかは私にはわからないが、
第四次世界大戦で何が使われるかはお教えできる。
石だ!」(『アインシュタインは語る』大月書店)。
福竜丸展示館の、久保山さんの「遺言」を記した碑の前に、生前愛したバラが植えられていた。
真っ赤なバラの上に、抜けるような青空が広がっている。
この空が失われる日が、決して来ないように念じた。
ビキニ水爆事件は知っている。堂々と太平洋の真中で水爆実験を何千回もアメリカはしていた。
原住民の人たちにも被爆被害が出たている。その水爆をアメリカは何千発をももっている。
原爆よりも被害は遥かに大きいとか。
今さらに北朝鮮が小さな原爆を持ちたがるのは金正日体制を維持したいが為である。
そこに焦点に根冶治療をする必要がある。今のままでは対処療法にやわってしまう。
術者が脛にキズ持つ人たちばかりだから出来ない。
日本が唯一できる国である。
今の安部さんに世界的なリーダーシップを願うのは無理な話である。
今ここにある当たり前の平和が、
いつか揺らぎかねないからだ
10月12日の天声人語からの引用
そろって小さな手をあげて、園児が道を渡ってゆく。
そばを犬を連れた人が通る。
色づいた木々の葉が散りかかる。
こんな情景が身にしみるのは、深まる秋のせいだけではない。
北朝鮮が核兵器を手にしたとすれば、今ここにある当たり前の平和が、いつか揺らぎかねないからだ。
1914年に第一次世界大戦が始まったころ、ドイツの作家ヘルマン・ヘッセは「平和」という詩を書いた。
「みんなそれを持っていた。
/だれもそれを大切にしなかった……おお、平和という名は今なんという響きを持つことか!」(高橋健二訳)。
開戦で、学者や作家は感激的な調子で愛国心をあおった。
世界市民的な思いが強かったヘッセは、住んでいたスイスの新聞に書いた。
「愛は憎しみより美しく、理解は怒りより高く、平和は戦争より高貴だ」
彼は裏切り者、売国奴とののしられ脅迫を受けたという。
それでも二つの大戦に反対し続け、終結した45年に「平和に向って」を書く。
「『平和!』だが、心は敢(あ)えて喜ぼうとしない。
/心には涙のほうがずっと近いのだ。
/私たち哀れな人間は/善いことも悪いこともできる。
/動物であると同時に神々なのだ!」。
度重なる戦禍の果てにようやくたどりついた平和の重みとかけがえのなさが感じられる。
暴走する北朝鮮の「核」を、どうしたら不発のまま終わらせられるのか。
この難問については、「国益」を超えた「人類益」の立場で、ことにあたってほしい。
各国は今の世界にだけではなく、未来に対しても大きな責任を負っている。
11日、小型機がマンハッタンの高層アパートに激突した
10月13日の天声人語からの引用
霧の中で、B25がニューヨークの摩天楼に激突??。
米軍の爆撃機がマンハッタンのエンパイアステートビルに突っ込んだのは、1945年の夏だった。
この時、ビルは崩壊しなかった。
11日、小型機がマンハッタンの高層アパートに激突した。
建物は崩れなかったが、現場からの映像に、9・11のテロで炎上し崩壊する摩天楼の姿を重ねた人も多かっただろう。
現地の人たちが、悪夢の再来かと恐れたとしても無理はない。
今回はテロではなく、何かのトラブルが原因ではないかと伝えられる。
摩天楼とは、天をこするほどの高い建物だ。
テロの記憶も薄れない中、摩天楼の周りを民間機が自由に飛び回れるのだろうか。
ワシントン・ポスト紙によると、墜落は、ヘリコプターや小型機が低空で飛ぶことが可能な空域の近くで起きた。
近くには、北朝鮮の「核」への対応を協議する国連本部もあり、少しずれていれば、
墜落は世界にも影響を及ぼしかねなかった。
現地では、ヘリコプターや小型機を車のように使う人もいるという。
都市の安全確保と飛行の規制には、独特の兼ね合いがあるのかも知れない。
19世紀米国の詩人ホイットマンは、マンハッタンへの愛着を『草の葉』に繰り返し記した。
「ウォルト・ホイットマン、一つの宇宙、マンハッタンの息子」「ああ林立する帆柱に縁どられたマンハッタンほど
みごとで堂堂たるものがどこにあろう」(岩波文庫・酒本雅之訳)。
林立する摩天楼に縁取られた現代のマンハッタンには、テロの不安という憂愁の霧も漂っているようだ。
崖に上って降りない救出の様子がテレビ放送されていた。二日にわたりやっと犬が救出され,涙ぐむ人たちの様子を見て
日本はつくづくに「平和」で良かったと実感する。
非核三原則 戦争放棄の戦後の政治の基本政策に間違いが無かったことを証明している。
この原則を守り世界の人々と等距離に付き合いする事が大切である。
アメリカべったりの政策ではいつか平和に破綻が来ると思う。
イスタンブール生まれの作家
オルハン・パムク氏が、ノーベル文学賞を受賞する。
10月14日の天声人語からの引用
狭い海峡を挟んで、アジアとヨーロッパが向き合っている。
トルコ最大の都市イスタンブールは、文明の十字路にある。
「糸杉やすずかけの木、屋根の風景、夕暮れの憂い……物売りたちの声、
モスクの中庭で遊ぶ子供たちの騒ぎ、これらがみなひとつになって、
わたしはこれからこの町以外では生きていけないだろうと感じた」。
『わたしの名は紅(あか)』(藤原書店・和久井路子訳)にこう記した
イスタンブール生まれの作家オルハン・パムク氏が、ノーベル文学賞を受賞する。
『わたしの名は紅』では、オスマン帝国の時代に、
西洋から伝えられた絵画技法を巡って細密画家たちの間で起こる事件を描いた。
04年に来日した時、「私が描いたのは、東と西にはさまれた人間たちの物語です」と述べた。
パムク氏の仕事場からは、イスタンブールの海峡を見晴らせるという。
そこからは、東と西が交錯した歴史の足音が聞こえ、
行き来した人々の姿が見えるような思いがするのかも知れない。
トルコは今、欧州連合(EU)への加盟交渉で苦境に立っている。
障害の一つは、第一次世界大戦時の「アルメニア人に対する虐殺」について発言したパムク氏を
、国家侮辱罪で訴追したことだ。
その後訴訟は取り下げられたが、パムク氏はこう述べている。
「過去の罪に向き合う開かれた社会なら、アルメニア人の痛みは語られるべきだ」
日々、文明の十字路に身を置きつつ、歴史と向き合うことの大切さをかみしめているのではないか。
文学賞は発言とは別だろうが、波紋を呼ぶ授賞となった。
ノーベル賞は色んな役割りを特に「平和」「科学の進歩」への役割りが大きかった。
京セラ創始者である稲森氏の京都賞はまだ有名には到ってはいないが世界に同じような貢献するまで
発展することを期待したいものである。
人間と動物を結ぶ通訳として
10月15日の天声人語からの引用
葬儀場の最寄りの駅に、道案内の看板があった。
普通は「××家式場」などとあるものだが、「かば園長葬儀式場」と書かれていた。
埼玉県宮代町にある東武動物公園の初代園長を務めた西山登志雄さんが亡くなった。
77歳だった。
式場にはカバがあふれ返っていた。
巨大な銅像や置物、ぬいぐるみ……。
祭壇にも花を使ってカバの絵が描かれていた。
「ぼくはカバが大好きである。
カバもぼくが好きである」。
そう言っていた西山さんらしい、前代未聞の葬儀だった。
戦争直後の46年、16歳で飼育係として上野動物園に入った。
以来、カバを始め様々な動物を育ててきた。
70年代には、西山さんを主人公にした漫画が少年誌に連載された。
『ぼくの動物園日記』(作・飯森広一、集英社)を読んで、
動物が好きになった子どもはたくさんいるのではなかろうか。
最近、別の出版社から復刻版も出版された。
飼育係になりたての西山少年が、
母を亡くしたサルやカバたちに愛情と熱意を持って接していく、心温まる漫画だ。
人間と動物を結ぶ通訳として、動物の思いを伝えた著書も多数ある。
「どうしたら動物と仲良くなれるかと悪戦苦闘するうちに、かれらのあまりのすばらしさに、
いつか動物の側に立ってものを考えるのが習性になってしまった」(『動物賛歌』新日本出版社)。
西山さんが上野から転じた東武動物公園には、ズーという名のカバがいる。
オスで32歳。
開園以来、ここに住む人気者だ。
西山さんを送る日、濁った水の中をズーはゆったり気持ちよさそうに泳いでいた。
動物園で飼育に携わっている方と接した事がある。その方の風貌といい言葉がなんともいえない
穏やかさと温かさを感じた。
動物に精魂を込めて接しておられる人には自然そのような風格が出てくるのかと教えられる事があった。
官庁で、飛行機を使った出張の旅費の不正受給が発覚
10月16日の天声人語からの引用
ぽつりぽつりと記事になる。
1年前の財務、厚生労働省から始まり、ことし7月に法務、国土交通、9月には総務省ときた。
そろそろ、次が出るころか。
官庁で、飛行機を使った出張の旅費の不正受給が発覚し、返還させる事態が相次いでいる。
手口は、みな似たりよったりだ。
割引切符や格安パックを利用したのに、普通運賃で乗ったことにする。
旅行業者に高額の領収書を発行させる、などだ。
ところが、請求の際に添える航空券の半券には、割引の種類を示す記号がついている。
そこから足がついた。
会計検査院が昨年、財務、厚労両省でのごまかしを見つけた。
それを受けて、ほかの省でも自前で調べてみたら、あるわあるわ。
手口はせこいが、積もり積もって金額は膨れあがった。
それぞれの発表によると、財務省は5年で1108万円、法務省は5年半で1716万円、
総務省は4年半で1976万円、国交省は1年だけで443万円にのぼる。
なんと、日銀にいたっては7年で7300万円に達した。
減給、戒告、訓告といった処分も続出した。
こうなれば、どの省も、ほおかぶりは許されない。
自治体も事情は同じようなものではないのか。
これしきの差額をもらって何が悪い。
そんな開き直りは許されない。
割引運賃の利用を義務づけて、カード払いの控えも提出させる。
企業では当たり前のことに過ぎない。
ほとんどの省庁はいまも、公費出張でためた航空会社のマイレージの私物化を黙認している。
「血税で出張重ねてただ旅行」。こんなふざけた態度にも、うんざりだ。
官公庁の無駄ずかいが次から次に明らかになってきている。談合 カラ出張などによる裏金作りと,その話題は
毎日のようにテレビ 新聞で報道されている。
地方政治がいかにずさんにされているかが判る。
公金の無駄な費用の浪費は何故にこんなに続くのかとあきれはてる。
地方政治では与党 野党の対立が厳しくないところが大きな原因であるとも考えるのだが。
バングラデシュの金融機関「グラミン(農村)銀行」と
創始者のムハマド・ユヌス氏が、ノーベル平和賞を受賞する
10月17日の天声人語からの引用
それまでの常識を覆し、貧しい人たちに無担保で金を貸す。
額は少ないが、それはやがて人々が自らの足で立つ貴重な礎となった。
バングラデシュの金融機関「グラミン(農村)銀行」と創始者のムハマド・ユヌス氏が、ノーベル平和賞を受賞する。
30年前、42世帯に計27ドルを貸したのが始まりだという。
それが、約7万の農村で660万人以上に貸し付けるまでになる。
このマイクロクレジット(少額融資)は、90年代には世界にも広がっていった。
どうやってこの革命的なアイデアを思いついたのかと問われ、答えた。
「一般の銀行のやり方をよく見て、あらゆることを逆にしてみたんですよ」
(『ムハマド・ユヌス自伝』早川書房・猪熊弘子訳)。
例えば、借り手を銀行に来させるのではなく、銀行側が借り手の家を訪ねる。
バングラデシュのような保守的な国で女性の顧客を増やすには有効だった、という。
「昔から、銀行で性差別が行なわれていた。銀行は女性には金を貸そうとはしないのだ」
一般の銀行は株主に高い配当金を払う。
グラミン銀行は、借り手の人がローンで家を手にしたり、
生活水準を向上させたりするための活動に励んできたという。
ユヌス氏は、米国に留学して経済学を修めた。
71年にバングラデシュが独立した後に帰国し、大学で経済学を教えていた。
しかし大飢饉(ききん)の惨禍に直面する。
人々を救おうと教壇を去り、「貧者の銀行」を掲げて実践の道へ踏み出した。
その経済の専門家の試みが、長い道のりを経て、平和の賞と新鮮な出会いを果たした。
グラミン{農民)銀行とは日本における農協による資金調達のようなものなのか。
実態はわからない。お金に困った人たちに低利子で融資するような制度のようだ。
アメリカから直輸入の高金利による無担保融資とは話が違う。
日本には昔から「購」があって毎月に掛け金をかけお金に困った人が借りられる制度である。
質屋も庶民の気軽にお金が借りられる制度でお金が返せなければ質流れで借金がゼロになる。
今のクレジットによる高金利無担保融資は人間の無限な欲望を 本能を悪用しての高利貸しである。
そして金利の為だけに働らなければならない無限地獄に陥る事となる。
政府はやっと20%の上限の枠をつけたが金利はそれでも高すぎる。
質とか購のように節約条件がある人たちだけにお金が借りられる制度とか,
思い切って政府が借りる理由によって無担保無利子融資制度を作るべきである・
このような制度は既にあるのかもしれない。
ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひと
10月18日の天声人語からの引用
ここはどこだろう。
まっくらだ。
ワタシがだれなのかもわからない。
まわりには、ワタシのようなものはいないようだ。
これから、どうなるのだろうか。
てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。
いつかどこかで、ふたつのものがあわさってワタシというものがはじまったようなのだ。
まだみてはいないが、このそとには、せかいというひろいところがあるらしい。
そこには、オトコといういきものとオンナといういきものがいて、
それがであってあたらしいいのちができる、ときいたきおくがある。
ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。
せまいこのばしょではきゅうくつだ。
そろそろ、せかいのほうにうつるころなのだろうか。
「カッパ」といういきもののせかいでは、そとへのでぐちで、きかれるそうだ。
アクタガワリュウノスケさんによると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。
「おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、よくかんがえたうえでへんじをしろ」。
「いやだ」といえば、でなくてもいいらしい。
あれあれっ、そとへおしだされそうだ。
すごいあつりょくだ。
だれも、でたいかどうかきいてくれない。
きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい。
ついに、そとへでた。
ひかりがまぶしい。
あたらしいせかいのはじまりだ。
からだに、ちからがわいてくるようなきがした。
ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひとが、
ワタシのハハオヤのハハオヤだとは、まだしらなかった。
医学も時代におとらずに,進んできたのかどうか,医師の倫理は昔から叫ばれつつ゜けている。
医師に倫理が必要な事は間違いないことである。
それが時代と共にそれが何処まで許されるかである。
体外受胎についてはどうか。
そのうちに精子と卵子を結合させ,後は培養器のようなところで胎児が養育される
時代が来る可能性は充分ありえる。借り子宮でなく,それが培養器のような器械となる。
他の医学の領域では日進月歩,目覚しい進歩があり,さらに際限なく進歩しつづけている。
生まれる過程や死の過程も変る可能性は充分にありえるのではないのか。
でも人間の生死は絶対に変えることは出来ない。
宗教では人命は大海の浮木の穴に亀が首を突き出すほどに非常な偶然でこの世に生を受けた身であると
説かれている。これも永遠の真実である。
故に人間の命は大切で,それを大量に破滅させるもの即ち「戦争は絶対悪」である。
それに対して「絶対平和」が叫ばれつづけてもよいことである。
永遠とうたわれたローマも滅びたのは
10月19日の天声人語からの引用
帝政ローマ時代の歴史家タキトゥスが『年代記』に記している。
「偉大な指導者とて、死すべき人間だ。が、ローマ国家は永遠だ」。
この一節を引用したあと、歴史研究家の弓削達(ゆげとおる)さんは「そうではなかった。
ローマですら、そうではなかった」と書いた(『永遠のローマ』講談社)。
約半世紀にわたってローマ帝国を研究した元フェリス女学院大学学長の弓削さんが、82歳で亡くなった。
永遠とうたわれたローマも滅びたのは、一ローマの問題ではなく、人類の文明一般の問題であり、
現代の問題なのだと『永遠のローマ』で述べている。
1945年の8月、今の一橋大の学生寮で終戦を迎えた。
玉音放送と真っ青な空、せみ時雨。
時間の止まったような静けさ。
それが「ぼくの平和の原点になった光景」だと、本紙に語っている。
自由が抑圧され、押しつぶされるような時代が二度と来ないようにと願い、時代への発言や行動を続けた。
90年の春、キリスト教系3大学の学長と連名で、
天皇の即位儀礼の大嘗祭(だいじょうさい)に反対する声明を出し、
元右翼団体幹部に自宅を銃撃された。
後に述べた。
「戦後の唯一の配当が今の平和憲法、つまり神権天皇制を否定したもの。
これがつぶれちゃうから声をあげたまで」
きのう国会では、安倍政権になって初の党首討論があった。
安倍首相は、憲法改正への意欲を述べた。
北朝鮮の「核」が、平和への脅威として急浮上している。
国民の安全の確保と平和の維持が、政治の使命だろう。
「戦後の唯一の配当」への、各党のまなざしが問われている。
安部さんは軽い,あまりにも軽すぎる。小泉首相は軽さは同じだが変った頑固さがあった。
それが信条といってもよいが,安部さんにはそれも認められない。
祖父岸首相のアメリカべったり主義が顕著である。
間違った信念の持ち主である。
日本が再軍備して強軍を持とうとも,核を持とうとも北朝鮮を追い詰めれば
窮鼠猫をかむで,日本はひどい事になる。
日本は独自の平和外交を展開してゆくべきである。
安吾は、ちょうど100年前の1906年10月20日に、
新潟市で生まれた
10月20日の天声人語からの引用
「走高跳 坂口 一米五七 一等」。
後に作家となる坂口安吾は、1924年、大正13年の秋に東京で開かれた全国中等学校陸上競技会で優勝した。
それを伝える本紙からの抜粋だ。
この日は大雨で、助走路の状態が悪かったという。
他の選手たちが左足で踏み切るところは、水たまりになっていた。
「私はそうでないところでふみきるから、楽々と勝った」。
安吾は、右足からの踏み切りだった。
(「世界新記録病」『坂口安吾全集』筑摩書房)。
運動に熱中していた17歳のころの、青春の記録だ。
安吾は、ちょうど100年前の1906年10月20日に、新潟市で生まれた。
新潟市は今年、生誕100周年を記念して「安吾賞」を創設した。
安吾のように、反骨精神で社会に挑戦し、感動や勇気を与えた個人や団体が対象で、
劇作家の野田秀樹さんが初の受賞者となった。
戦後、「堕落論」などで注目された安吾の反骨ぶりは、並大抵ではない。
「実現されねばならぬことは、たゞ一つ、自由の確立といふことだけ」と述べている。
自由の確立とは、権威や組織に頼ることなく、自らの意思で生きることだろう。結果については、
すべて自らが背負う覚悟が要る。
安吾は、凡人ならたじろぐこの厳しい世界に、ずいっと入ってゆく。
それは、まずまねのできないことだ。
しかし、誰の人生にも、ひょっとしたらそんな瞬間はあったのではないか。
そう感じさせるところが、安吾の生と文学にはあるようだ。
なにものかに管理される社会が続く限り、安吾は読み継がれてゆくだろう。
坂口安吾の戦後の堕落論は有名である。
先日の凱旋門賞で3着となったディープインパクトから、
欧州で禁止されている薬物が検出されたという。
10月21日の天声人語からの引用
「パリ……凱旋門賞だというのに、寝坊しちまった」。
競馬評論家としても知られた寺山修司が、日本からメジロムサシが出走した1972年の凱旋門賞のことを、
「ヨーロッパ競馬日記」に書いている。
「メジロムサシは人気もなかったが気合もなかった」(『競馬無宿』新書館)。
この日、メジロムサシは18着だった。
先日の凱旋門賞で3着となったディープインパクトから、
欧州で禁止されている薬物が検出されたという。
イプラトロピウムという気管支拡張剤で、日本では禁止薬物に指定されていない。
どうして、こんなことになったのだろう。
故意なのか、あるいは不注意だったのか。
思いがけない衝撃が駆け回ってしまったが、経緯をしっかりと解明し、十分に説明してもらいたい。
故意に薬物を使うドーピングの歴史は古いという。
ドーピングという言葉は、南アフリカの先住民カフィール族が景気づけに飲んでいたお祭り用の酒
「ドップ」に由来しているといわれている(『くすり』東京大学出版会)。
古代ローマの時代には、二輪馬車競技の競走馬に、発酵してアルコールができる蜂蜜液を飲ませていた。
これが「スポーツ」でのドーピングの始まりで、19世紀に入ってから、自転車やサッカー競技に広まったという。
人間のドーピングと違って、少なくとも馬自身には責任がない。
そのことが救いだが、哀れさも感じる。
もう少し、人間たちが気をつけてやれなかったものか。
国境をはるかに超えてパリの地に立ち、強敵と頂点を競ったひきしまった姿がよみがえる。
勝つことだけが競馬ではない。常にビリを走り続けていた競馬の馬が有名になったこともある。
今年7月、福島県矢祭町がネットを通じて本を募集したところ
本を買わずに図書館をつくるための、苦肉の策
10月22日の天声人語からの引用
蔵書約148万冊で、公立図書館では国内最大級といわれる東京都立中央図書館に
、「緊急のお願い」という紙が張られていた。
「最近、図書の隠匿や雑誌の切取りなどの悪質な行為が発生しています」。
見つけた場合は厳正に対処する、と警告していた。
開架式の棚にある約23万冊の本は、だれでも閲覧できるようにしてある。
担当者によると、それらの本などに、これまでにない被害が連続した。
警察に被害届を出したが、犯人はつかまっていないという。
約23万冊といえば、それだけの本がたった3カ月で集まってしまった自治体がある。
今年7月、福島県矢祭町がネットを通じて本を募集したところ、全国から続々と段ボールが宅配便で送られてきた。
町長によると、以前から図書館をつくってほしいという声が町民の間で根強かったが、町の財政は厳しい。
本を買わずに図書館をつくるための、苦肉の策だった。
3千人近い人たちが送料自己負担で本を送ってきた。
亡くなった夫の蔵書4300冊を送ってきた名古屋の女性もいた。
町内の中高年や中学生がボランティアで仕分け作業をしているが、先は見えない。
百科事典や文学全集もある。
ほとんどがきれいな本で、高価なものも多い。
とりあえず3万5千冊を来年1月に開館する図書館に並べ、残りは収蔵庫や小中学校に置く予定だ。
ボランティアのまとめ役の男性(66)は「一冊たりとも粗末に扱いません」と話す。
「本屋もなかった町を、本の町に変える」。
町長の新しいキャッチフレーズだ。
27日から読書週間が始まる。
現在のようにインタネット テレビ ラジオなど沢山な情報を手に入れる手段が増えて来ている。
だが本の役割りが小さいようだがまとまった正確な情報は本に頼らざることは昔も今も変らない。
図書館の利用度は減る事が無い。
「超重症児」という言葉を
10月23日の天声人語からの引用
「超重症児」という言葉をご存じだろうか。
重い知的障害と身体障害のうえに、絶えず医療が必要な人たちだ。
超重症児を積極的に受け入れる、と宣言した東京都立東部療育センターが開所して、まもなく1年になる。
病室のベッドに横たわる内藤悟志君は16歳だ。
生まれつき頸椎(けいつい)に障害があり、首から下が動かない。
言葉も不自由だ。
自分で呼吸ができず、人工呼吸器をつけている。
たんもしょっちゅう吸引しなければならない。
母親の幸子さんは「いきなり呼吸が止まったことがこれまで何度もありました。
いつも油断できないのです」と語る。
看護師が見回るとともに、フロアの中央にある看護師詰め所でも、呼吸や心臓の動きを注意深く見守る。
この施設は都がつくり、「全国重症心身障害児(者)を守る会」が運営する。
約90人の入所者のうち、半数以上が悟志君のような超重症児だ。
医療の進歩で、乳幼児で亡くなることが減り、重い障害があっても生きていけるようになった。
超重症児は施設への入所と在宅を合わせ、全国で数千人いるといわれる。
有馬正高院長は「命を守るだけでなく、生きていて良かったと思えるようにしてあげたい」と話す。
言葉をかけながらリハビリをする。
訪問学級の先生もやって来る。
悟志君は体は動かないが、確実に知的な成長をしている。
言葉が少しずつ増え、病室から出たい時には、「出して」と言うようになった。
フロアに出してもらい、他の入所者と一緒に遊ぶ。
そんな時の笑顔をいつまでも見続けたい。
それが家族の願いだ。
人間としての生は本当に少ない。重症度の違いが有ろうともそれを助け合う事が出来るのは人間としての
良さである。
自民党が神奈川、大阪の衆院補選で勝利
10月24日の天声人語からの引用
ある桶(おけ)屋が「大風が吹いて欲しいものだ」と言う。
「大風がふく時は砂石(しやせき)散乱して、往来の人眼(がん)中に入らば必盲人出来べし」。
そうなれば三味線屋が繁盛し、猫が多く捕まる。
「鼠(ねずみ)おのづからあれさはぎて、桶をかじりなん」。
江戸期に刊行された「雨窓閑話」の一節だ(『日本随筆大成』吉川弘文館)。
「風が吹けば桶屋がもうかる」は、思いがけない影響が出ることを言う。
自民党が神奈川、大阪の衆院補選で勝利した。
従来持っていた議席を確保した形だが、北朝鮮の「核」問題が突然の風となって影響を及ぼしたようにみえる。
投票前、有権者の一部には、こんな意識の流れがあったのではないか。
核実験は許せない??脅しにとどまらない現実の脅威だ??脅威に対して強いのはどちらか??
安倍首相は「北」に対して強硬だ??今回は自民党に入れようか。
安倍氏が素早く中韓両国を訪れたことは、自力での「風」になった。
しかし、小泉前政権が残した負の遺産を忘れるわけにはいかない。
大きなマイナスをプラスの方に向けたとは言えるが、
前政権でのアジア外交の停滞がなければ会談はずっと以前から出来ていたはずだ。
「核」の風が吹き募る中で、民主党の内部に足並みの乱れを感じた有権者も少なくはなかっただろう。
民主党は、国民の皮膚感覚のようなものへの感知の仕方が鈍いのではないか。
「風が吹けば……」には、「あてにならない期待をする」という意味もある。
相手の失策や混乱といった「風」を期待しているようでは、政権の奪取はおぼつかない。
北朝鮮の「核」の風が吹いての自民党の補選での勝利とも考えられない。
安部さんの正体が周知徹底されていない。
無党派層の行動が正しいのだが。今回は女性票が多かったとか。
選挙の洗礼は此れからが始まりである。
地方政治の堕落は自民党や民主党の争与党化によって権力・利益になびく体質が原因である。
小沢民主党党首のいう地方議会でも自民党との対立は
政治家として当然のことを言っているだけのことである。
著述の表現などで筆禍を招いた「文字の獄」
10月25日の天声人語からの引用
「維民所止」は「維(こ)れ民(たみ)の止(とど)まる所(ところ)」と読む。
紀元前に編まれた中国最古の詩集『詩経』の一節だ。
はるかに下った清の時代、科挙の予備試験にこの題を出した査嗣庭(さしてい)という人が、罪に問われた。
当時の皇帝は雍正(ようせい)帝だった。
「維」の字は「雍」の字の首をはね、「止」は「正」の首をはねたとされた(陳舜臣『中国の歴史』平凡社)。
査嗣庭は投獄されて獄死し、一族も獄につながれた。
著述の表現などで筆禍を招いた「文字の獄」の一例だ。
現代版の「文字の獄」だと批判される事件が、中国で起きているという。
「官の世界は真っ暗闇。権力や金をものにする術にだけはたけている」。
重慶市彭水県の男性公務員が、こんな意味の詩を作って携帯メールで流したところ、
「党と指導者のイメージを傷つけた」として逮捕、起訴された。
この県では、トップの党委員会書記が収賄容疑で逮捕されたり、幹部と業者との癒着が疑われたりして、
住民の不満が高まっていたという。
現代中国の汚職はかなり深刻のようだが、日本も、それを他人事(ひとごと)と言える状態ではない。
先月、知事を辞職した佐藤栄佐久・前福島県知事が、収賄の容疑で東京地検に逮捕された。
県のトップに君臨し、弟と組んで汚職にまで手を染めていたのが事実だとすれば、罪は重い。
前知事が、本紙に述べている。
「裸の王様と言われるかもしれないが、弟の土地取引についても談合疑惑についても、本当に知らなかった」。
「『王様』の世界は真っ暗闇……」と告げる人は、だれも居なかったのだろうか。
一党独裁の政治では汚職はつきものである。地方議会での多党独裁でも同じ事である。
汚職は歴史始まりから続いている。
対立軸があって汚職もオトナシク少なくなるものだと思う。
歴史を知ることは、
10月26日の天声人語からの引用
英国のジェーン・オースティンの小説で、若い女性が歴史について語る場面がある。
「八分通りは作りごとなのでございましょうに、それがどうしてこうも退屈なのか、
私は不思議に思うことがよくございます」。
この言葉が、「歴史は現在と過去との対話だ」と述べたE・H・カーの著書『歴史とは何か』の扉に掲げられている
(岩波新書・清水幾太郎訳)。
退屈な作りごとにせよ、過去との対話にせよ、歴史を知ることは、現在を考え、未来を思うためには欠かせない。
人生の必修科目の一つかもしれない。
日本の高校で、世界史が必修になったのは94年だった。
日本史など他の科目との絡みで議論があったが、若いうちから世界史を学ぶのは大切なことではある。
その必修の世界史を教えていないのに教えたことにしたり、
教えたことにして県教委にうその報告をしたりしていた高校があることが、相次いで明るみに出た。
このままでは卒業出来ないと知った生徒たちの衝撃は大きかっただろう。
問題の裏には、入試対策があるという。
実際に受験する科目に絞って勉強したいとの気持ちが生徒の側に強いのは、分からなくはない。
しかし、それを教える側までがやみくもに認めるのはおかしい。
受験まで数カ月しかない。
履修には50分授業が70回必要だという。
受験に絡まない勉強を受験の間際にするのは、つらいかもしれない。
しかし、やるしかない。学校も全力をあげて生徒たちを支援するほかはあるまい。
学習指導要領の定めが妥当なのかどうかは、いずれ検討するとしても。
世界史の必須はわかる。でも今頃に急に問題化されだしたのか。それに遭遇する生徒達は
可哀想である。広い行動での沢山な生徒を集めての講義がどれだけ生徒達に身についたか。
此処の所は今年だけ政治的に例外にして卒業させるべきである。
何年間も慣例化されていることに今年だけ問題にするのは如何なものだろう
文部行政の貧弱さが目に付く。
真面目な高校校長が2名,そのために自殺している。責任は誰なのか。
無差別爆撃の傷
10月27日の天声人語からの引用
眼下に、戦後の混乱したウィーンの街が広がる。
遊園地の観覧車の中で、男二人が相対している。
粗悪な密造ペニシリンの売人になったハリーに旧友マーチンスが問う。
「子供の病院へ行って、君の犠牲者を一人でも見たことがあるのか」。
キャロル・リード監督の「第三の男」の名場面の一つだ。
ハリーは、観覧車の下の方に虫のように小さく見える人々を指して言う。
「あの点の一つが動かなくなったら??永久にだな??君は本当にかわいそうだと思うかい」
(『グレアム・グリーン全集』早川書房)。
軍事史研究家の前田哲男さんは、この場面を、第二次大戦の「戦略爆撃」と重ね合わせて述べている。
「空中高く他者への生殺与奪権を保有することになった時代の不条理を鮮やかに描き出した」
(新訂版『戦略爆撃の思想』凱風社)。
20世紀の初頭に生まれた飛行機が無差別爆撃に使われ、おびただしい市民が殺されてきた。
独軍によるスペイン・ゲルニカへの爆撃から、旧日本軍による中国の重慶、連合国側による独・ドレスデン、
日本へのじゅうたん爆撃、そして原爆投下。
点のような人、あるいは点にすら見えない遠い相手への爆撃は、戦後もベトナムやイラクなどで続いた。
1938年から5年余に及んだ重慶への爆撃の責任を問う裁判が、東京地裁で始まった。
原告の言葉が重い。
「無差別爆撃は私に、一生続く身体と精神の傷を与えました」
無差別爆撃の傷は、日本にも深く残っている。
人間を単なる「点」と見た時代を省み、その実相を未来のために記憶したい。
旅行して飛行機に乗って眼下に見える風景は米粒よりも小さく,例えばその一つの自動車 人が動かなくなるとも
なんとも思わないのが人間の普通の心理である。
爆撃機エバラゲイのように広島に原爆を投じて死傷者が多数発生しても命令だからと法的責任はみとめられていない。
だが搭乗員に人間としての呵責は有ったとか,どこかで読んだ気がする。
日本での多数の都市への何回もの無差別爆撃の罪は何処にあるのだろうか。
日本では空襲の爆撃の責任の声は出ていないように思えるのだが。
京都は幸いに爆撃は無かったが,大阪での爆撃の夜の攻撃の日は,
花火のこどく遥か遠くが真っ赤な夜の空を眺めていた思い出がある。
プロ野球人生で心に残る出来事を一つ
10月28日の天声人語からの引用
プロ野球人生で心に残る出来事を一つあげるなら??。
そう問われて、新庄剛志選手が答えたという。「オレがすごい最低の打率の時にオールスターに出て…。
オールスターですよ。
打席に向かう時にペットボトルを投げられた時の、あのシーンだけは…。
死ぬ、いや死んでも忘れられない」(27日付 日刊スポーツ)。
ファン投票で選ばれた阪神時代、97年のオールスター戦直前の打率は、2割1分台だった。
第1戦では、阪神を含むセ・リーグの応援団から応援をボイコットされ、スタンドには出場を批判する横断幕が現れた。
それが、いわば地獄を見た日だとすれば、日本一となった一昨日は、天国に居るような気分だったのだろう。
試合が終わる前から、涙があふれていた。
地獄の日の後、米大リーグに行って戦い、やがて日本に戻り、チームを元気づけて、ついに頂点に立つ。
長く起伏のある軌跡、悲願の成就、そしてプロとして二度と白球を追う日が来ないことへの哀切が入り交じった涙のようだった。
日ごろから派手な振る舞いが目立った。
歌舞伎や演劇の世界に「外連(けれん)」という言葉がある。
役者をつり上げる「宙乗り」や「早替わり」といった、見た目本位の奇抜さを狙った演技を指す。
確かに見かけは外連に通じていたが、日本ハムや野球ファンの枠を超えて、見る者に訴えてくるものがあったと思う。
18歳だった1年目に買った茶色のグラブを、修理しながら今も使っているという。
そんな質朴さも備えつつ北の大地に咲いた、外連味あふれる大輪の2割打者だった。
新庄剛志選手を参議院選挙に候補として自民党 民主党にもあるそうだ。
政治よりも人気が先行する発想である。人気だけでまともな政治ができるのかと
既成政党の人たちに聞きたい。
政治はプロでも難しい。
人気だけでの議員が果たして本来の民主主義と合致することなのだろうか。
他の職業を選んで欲しい。
「人口あたりのイヌの数が最も多い都道府県は
「犬民性」ということばだけだった
10月29日の天声人語からの引用
人口あたりのイヌの数が最も多い都道府県はどこか。
イヌの登録頭数のデータは、狂犬病の予防注射を所管する厚生労働省にある。
群馬県庁でイヌの登録を担当する職員が計算してみたところ、群馬が1位だった。
人口100人あたり7・3頭が登録されていた。
三重、山梨、香川、岐阜と続く。
最も少ない東京は3・1頭だった。
本紙群馬版が理由を分析した。
海のない県が上位に多く、
山間部に出没するサルやクマから農作物を守るためにイヌを飼った名残ではという推論だ。
しかし栃木は21位、埼玉31位、奈良41位。
いささか説得力に欠ける。
「奇説」として歴史的背景にも触れた。
「生類憐(あわれ)みの令」の徳川綱吉は将軍になる前、今の群馬県の館林城主だった。
昔からイヌをかわいがる風土があったという説だ。
綱吉ゆかりの神社仏閣を見がてら、館林まで行ってみた。
イヌの姿はちらほら。
それほど多い感じではない。
駅前のペット美容室も、「うーん、そうなんですか」という答えだった。
東京に次いで少ないのは大阪、山形、福井、石川だ。
都会は住環境の問題があるし、そもそも人が多い。
日本海側が並ぶのは不思議だ。
山形県の担当者は「優しい県民性ですが」と首をひねる。
雪国は少ないのかとも思うが、雪が降れば、庭駆け回るものだろう。
秋田犬や土佐犬などを擁する「ブランド県」が上位のわけでもない。
登録がきちんと行われている県が上位なのではと説く人もいたが、否定する声もあった。
結局よくわからず、頭に浮かんだのは「犬民性」ということばだけだった。
犬の話はよく聞く。人間と同じく老齢化すると病気に罹る率が高くなる。
遥かに人間よりも寿命が短いから獣医さんに世話になることが多い。
人間のように保険制度がないから実費である。だから人間の病気よりも非常に高くつく。
獣医界も医療界と同様に先端治療が進んでいる。CT検査などもされるが大変な額がかかると
話されている。可愛さも人間同様で真剣に悩み自分の健康を害される人もいる。
テレビで見た野良犬救出劇で涙ぐむ人の気持が理解できる。
多分イラクではそのような状況でなく人間の死も鈍感になってきているかもしれない。
つくづく平和の大切さがわかるようだ。
3は不思議な数だ
10月30日の天声人語からの引用
3人寄れば、知恵も浮かぶ。
三すくみにもなる。
2より1大きいだけなのに、ものごとをぐんと複雑にしてしまう。
3は不思議な数だ。
数学者を悩ませもする。
フィールズ賞の辞退で話題になった難問「ポアンカレ予想」は、4次元以上は解けたのに、
3次元だけが未解決だった。
一見単純に見えるほど難しいということだろうか。
小学生は「3項計算」に悩んでいる。
一つの式に数字が三つ以上並ぶと、かけ算や割り算の優先など、計算規則を知らなくてはならない。
国立教育政策研究所の調査では、6年生の半分近くは3項計算ができなかった。
「計算規則が身についていない」。
全国の小中高校への出前授業を通じて算数のつまずきの原因も探っている芳沢光雄・東京理科大教授はこう心配する。
計算練習を重ねて初めて身につくものなのに、教科書の練習問題は、ほとんど2項計算。
国を挙げて算数教育に取り組むインドでは、3項の計算をみっちりやって規則をたたき込むそうだ。
おなじみのジャンケンの三すくみも、実は単純ではない。
芳沢さんは725人に頼んで1万回以上の実験をしたところ、グー35%、パー33%、チョキ32%、
また、同じ手を続ける割合は4分の1以下だった。
表か裏か、コイン投げとは違って、偶然だけには左右されない。
こう知れば、いっそう興味もわいてくる。
3の効用は、賛成か反対か、黒か白かと、横行する単純な二分法と違う道を見せてくれる点にもある。
とりわけ明日を背負う子供たちは、そんな3の世界にもっと親しんでほしい。
3とは不思議な数字である。一番初めに思いつくのは映画「第三の男」である。なんともいえない音楽が印象的であった。
第三者は客観的な人物の意味がある。第三国人は外国の人を指す。三次元は立体的な像をいう。
三杯酢は酢と醤油とお酒か 居候は三杯目のご飯のお代わりはそっと出す。第三者機関は関係ない立場の人たちを指す。
三振 スリアウト 一日三合 三味線 三食
3について思いつくままに書き出してみた。
学校での「いじめ」が絡んだ生徒たちの自殺が
10月31日の天声人語からの引用
学校での「いじめ」が絡んだ生徒たちの自殺が続いている。
13歳、あるいは14歳という人生のとば口で、自ら命を絶つ。
痛ましい限りだが、いじめの背景には、この社会が抱える根の深いものがあるように思われる。
人はひとりでは生きがたいから集団をつくる。
結束し、仲間意識が強くなる。
指図する者と従う者ができる。
敵と味方を区別する。
結束を確認し、そこから排除すべき対象をさがす。
その弱点を突き、無ければつくり出す。
はやしたて追いつめる。
これは、子どものいじめの世界だけでなく、古来、大人の社会でも繰り返されてきたことだ。
洋の東西も問わないだろう。
時代が進み、法の支配が行き届くようになっても、残念ながら、こうした構造が社会に潜んでいることは否めない。
いじめには、大人の世界の暗い部分が影を落としているように見える。
この負の構造が暴走するのを、どうしたら止められるのか。
人が集団をつくる限り、完全に消し去るのは難しい。
やはり、いじめられる側の声や叫びに周囲が耳を澄ませ、いじめが取り返しのつかない惨禍をもたらすことを、
子どもたちに繰り返し教えることだろう。
「お母さん お父さん……いじめられて、もういきていけない」「今日、もっていくお金がどうしてもみつからなかった」
「これでお荷物が減るからね」
一つ一つの言葉を、どんな思いでつづったことだろうか。
「遺書」というにはあまりにも痛切であり、まだあどけなささえも残る文字は、
周囲だけではなく、この時代に対しても訴えかけている。
自殺した人が「いじめ」をされた人の全てとは思わない。
「いじめ」は陰惨でもっと世の中に広く深く存在し行われている。
自分の人生経験からしても数限りない「いじめ」にあってきたように思う。
言葉を変えると嫌がらせで゙ある。
大体いじめするような人は決まっている。又いじめられる人も決まってきている。
いじめする人がいじめられる事もありえる。今の世の中「いじめ」は複雑な形で世間に蔓延している。
世界の中で見るとイラクがいじめられ 北朝鮮もいじめられている。
それはそれなりの理由はあるようである。イラクでは多数の人たちが亡くなっている
世間で行われているいじめでも理由がついている。
「のろい」「くさい」「馬鹿」「ずるい」「いうこと聞かない」なだとかいろいろな理由がつけられていじめられている。
子供の頃,意地悪な人は必ずにいたものである。
反面別に正義感の強い人がいて,いじめられる人を救っていた。
だが今の世の中は殺伐としてきて,益々にいじめは深刻化してきている。
当然に教育の欠陥だが,教師自身もいじめっ子からはいじめられるのが恐ろしいので,
止めることなく,さらにいじめは増長している。中にはいじめに加担する教師まで出て来ている。
昔は親とか先生は絶対的な権威があったが,今はそれが薄れてきている。
儒教的精神での考えは古い考え方で 西洋的な考えが優れているとの考えが敷延化してきている。
やはり昔同様に,親を敬い.先生を敬い,先輩を敬い.神仏を敬うような教育が戦後全くになされ来てこなかった。
教育行政の欠陥である。人を愛し敬う心無くして,どうして愛国心をば説けるのか。
愛国心は立法化されれば政治的に利用されるだけの事である。
もっと基本的に,相手の立場にたち物事を考えるような教育が不足している。
いじめられる子の立場にたち,いじめる子にいじめがいかに悪い事であるかを教えなければ,
教育の基本が宙に浮いたままである。
教育基本法は政治に利用しようとする法律で,個人の行動を制限し悪い方向の世の中へ
誘導し利用されるだけのことである。
もっと他の人の立場にたち,他を愛する教育をば徹底的になされるべきである。
それが教育の根本的な精神である。
宇治上神社 宇治神社
住んでいる場所から宇治は近い。以前近くの槙島城について調べていた。
槙島城があったとされる場所に訪れてみたが何の手がかりなく,近くを通りかかったの人に場所を
聞いた所槙島城について書かれた碑のあることを教えてもらった。
新しく出来た公園でそこに新しい碑が建てられていた。
その碑には図面も書かれているが,実際の場所はそれからではわかってこない。
公園の近くの畑を見てみると,普通見られる畑に比べ小石が沢山混じっているのが気になった。
填島は大きな巨椋池のなかの一つの島である。
今住んでいる向島もそうで一番大きくて,他に津田島・上林島・大島などがあり填島もその一つである。
今では巨椋池は全て埋められてしまっている。ただ一つ木幡池だけがほんの僅かに残っているだけである。
槙島城は有名にしているのは足利幕府の最後の将軍,足利義昭が最後の一戦をば織田信長と槙島城で戦った事である。
この戦いでもって室町幕府である足利時代は終った。
その時の槙島城の城主は真木島昭光であった。後には島津藩に仕官している。
以前にも公園に碑が立てられる前にも,小さな碑が私有地に建てられていた。
宇治歴史資料館 とかインターネットで調べるといろいろなことが判明してきたが
槙嶋城のあった本当の場所は未だに確定されていない。
宇治の資料館での調べでは,長承2年(1133)五月 8日宇治離宮祭が行われて田楽・散樂などがこれに演奏し,
数千人・数千艘が見物したといわれ,また槙島・宇治辺の住人により競馬が奉仕される(中右記)
仁治3年(1242)7月 4日前太政大臣西園寺公経が,槙島に「花亭」を造営する(故一品記)
宝冶2年(1248)7月24日上皇・承明門院在子・大宮院桔子が,西園寺家の宇治真木島山荘」を訪れる(百錬抄)
弘安5年(1281)5月 6日楊宮馬上役の平等院勤仕をめぐり.同院寺官と宇治離宮神人が争論し,
兼平が同宮真木長者光康に紳事の遂行を命じる(勘中記)
此処からはインタネットからの引用で,この時期の城主は真木島氏で
元は槇長者、宇治離宮八幡宮(現在の宇治神社と宇治上神社)の神官の身分だった。
それが時代を経るに従い、荘園管理者(荘官)と同等の身分となり、五ヶ庄一帯の土豪(在地領主)になったと考えれる。
以上がインターネットからの引用で確かさについては確認できない。
槙嶋城をしらべているとしきりに宇治八幡離宮が出てくるので宇治神社を調べに行った。
宇治上神社と宇治神社は大吉山の麓にあって明治時代まで宇治八幡離宮で一つだったのが明治になり宇治上神社と
宇治下神社に分かれた。そして宇治下神社が宇治神社に変っている。
両神社は100メートルから200メートル距離以内に丁度上方と下方に並ぶようにして在る。
宇治上神社はの本殿と拝殿は世界遺産になって国宝に指定されている。
宇治上神社の神主さんは宮村氏で,宇治神社の方は明治ころにそこから分家した花房氏のようである。
宇治上神社の氏子は槙嶋地域だけで5月1日から5日までが祭日てある。
一方宇治神社は氏子が宇治全体で祭日は5月8日と云われている。
槙嶋城を調べていて偶然に宇治上神社より氏子が槙嶋地域だけといわれて,宇治八幡離宮と槙島城との関係を
さらに深く感じた。平等院は宇治川を挟んで丁度対岸になる。槙嶋地域はそれから1kくらい北に離れている。
菟道稚郎子が住んでいた桐原の宮は宇治八幡離宮と言われるが伝説の域をこえていない。
菟道稚郎子は応神天皇の子で兄の仁徳天皇に位を譲る為に自殺している。
宇治の名は菟道からきているようだ。菟道稚郎子の御陵は槙嶋の対岸にあるが,
大吉山の頂上にも墓が在り,地元の人達は此処が本当の墓だとしている。
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