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平成十九年一月のこと





一月は寒い。でも地球温暖化のせいかそんなに寒さは厳しくない。雪が少し散らつくことがあるも,雪が積もることはない。

これで良いのかと思うほどだが,寒さが嫌いなものにとって有り難い暖かい冬である。

年末年始の間は,休暇も何もしないですごしたような気持ちである。

心が改まり,年が変わったという気分にはなれない。

昔と現代とでは異なる。全てが変わって来たように思う。

昔は年の瀬の最後の日までせわしく働き,元旦になると一挙に何か新しく厳粛な気分で新年を迎えたものだ。

それで,新年はなにもかも新鮮に見えたものである。だがそれがなくなって来ている。

これも時代の流れの所為なのであろうか。

国内での政局の動きに休むことはない。閣僚の問題が次から次へと続いて起きている。

中でも柳沢厚生労働大臣の「女性は子供を産む機械だ」との発言かが問題化してその騒ぎは止む気配がない。

野党並びに女性軍による反発がすごく出て,又安部首相が柳沢厚生労働大臣を擁護する発言することもあって

政局を揺るがすまでにいたってきている。

愛知県知事選挙 北九州市長選挙にも影響を与えた。一勝一敗で愛知県知事選挙は楽勝だったのが辛勝に終わっている。

有権者の目は厳しい。

安部首相が柳沢厚生労働大臣を擁護する限りにおいて,政局に何処までも影響を与え続けることであろう。

首相の支持率が下がり続けている。

自民党の選挙の顔として選ばれた筈が何の益にもなりそうもない。

女性軍に強いとされた安部首相にとって手痛い泣き所でとなっている。

厚生労働大臣を更迭させない限り,何時までも尾を引くことになるであろうか。

改憲問題を焦点にするとか.いろいろののことをいわれているが,常識をはずしたような総理大臣には

常識的な閣僚がつかず常識的な施政は無理であることの証なのか。

ともかくも阿部首相には早く退陣してほしいものである。

過去の言動からして,強硬な右翼的思想の人に日本を任すことはできない。

アメリカのブッシュも又ぼろほろになっている。

なんとか地球温暖化について,アメリカとして取り組むことを示してくれたことは未来へのほのかな一歩前進である。

だがイラク政策では,ブッシュはイラク収拾についてさらなるアメリカ兵の増派を考えているようだ。

始めは大量破壊兵器を持っているかもしれない,そしてテロとの戦いで戦争が始まりイラクをば自由と民主主義国家に変える

最後はイラクの秩序を回復するための戦へと変わってきている。

だったら何も始めからイラクで戦争を始めなければ良かったのではないかと思うのだが。

強権下とはいえどもイラクでは一応フセイン大統領により社会秩序は維持されていた。

今ではシ-ア派とスニン派との部族対立が激化し,イラク市民が多数毎日のようにして殺され続けて

その数が十万人ともいわれる人達が犠牲になっている。

アメリカ兵も同様に多数の兵士達が死んでいっている。全く気の毒な話だ。

戦費もベトナム戦争当時の金額を上まわってきているようだ。

(今がわかる時代がわかる「世界地図」)や,(「タブ-」による世界地図帳)によると世界の軍需企業ビック20では

アメリカの武器輸出は世界で一番に突出している。

一位アメリカ145,5億ドル 二位ロシア43億ドル 三位インド20億ドル 四位イギリス0.1億ドル五位中国 0.3億ドルで,

これが正確なものかどうかは判らない。

日本でも,国民が知らない間に世界で三菱重工が25億ドル19位 川崎重工業が13.2億ドル34位の軍事企業として

日本企業もランキングされているようだ。

どちらにしろ戦争が起きなければ兵器産業が儲からない。ブッシュはアメリカ産業に大いに貢献しているとも言える。

兵器産業がある限りにおいて,戦争は絶えないだろう。原始時代の石と棍棒で戦うぐらいの時代ではなくて

ハイテクを駆使しての戦争となれば人的な被害がj益々に増大するのは当然のことである。

原子爆弾 水素爆弾にいたっては地球を全て破壊しつくしても,まだ残るぐらいの大量の核が保存・貯蔵されている。

既得した大国の核については黙認し,新しく核を保有しようとする国に対し経済制裁の手段などで核の拡散を制限しようとしている。

人類が生き残るためにも,地球上から核は一斉に全てを放棄すべきだ。

人間とは本当になんと馬鹿な存在かとつくづく感ずる。







こう詠んだ宮沢賢治のふるさと、
岩手県の花巻市を訪ねた。






平成19年1月1日の天声人語からの引用

夜更けに空を仰ぐ。

雲間に、全天一の輝きをもつ恒星シリウスが青白い光を放っている。

その右上にオリオン座の雄大な四辺形が浮かぶ。

「オリオンは高く うたひ/つゆとしもとを おとす」。

こう詠んだ宮沢賢治のふるさと、岩手県の花巻市を訪ねた。

 夜が明けると、薄日の差す空から、はらはらと雪が落ちていた。

ほおにひとつ、またひとつ、はかなくとけてゆく。

雪をかぶった小さな広場に足を踏み入れると、賢治の童話「雪渡り」の世界が目に浮かんできた。

 「堅雪かんこ、凍(し)み雪しんこ」。

こう言い交わしながら、人間の子どもと狐(きつね)の子たちが心を通わせてゆく。

動物も人間も、一度だけの生を生きる者同士という思いが感じられる。

 雪で人工的なものが白く覆われたせいか、山や川と人との間に一体感が生じているように見える。

悠久の自然と命ある生き物とは対照的だが、銀河系の片隅でたまたま時を同じくして巡り合ったもの同士と考えれば、

交感があっても不思議ではない。

 賢治がかつて教えた農学校を前身とする花巻農業高校に、こんな碑文がある。

「われらに要るものは 銀河を包む 透明な意志 巨きな力と 熱である」

 近くには、賢治が農民や若者を指導したという建物が保存されている。

入り口に、こう書かれている。

「下ノ畑ニ居リマス」。


賢治はもう、畑には居ない。

しかし、生き物だけではなく、宇宙や大地の鼓動にも耳を澄ませた精神を、今こそ生かしたい。

雪の民家の戸口に、正月飾りがきらめくのを眺めながら、賢治の居場所を思った。








無限の宇宙,無限の時間の中での世界でただ一人の存在だと,世界の各自一人ひとりが感ずるようになれば

もっと世界には平和な時代がやって来てよいはずだ。







書の世界で生きる達人の作を集めた
「現代書道二十人展」を見てきた






平成19年1月3日の天声人語からの引用


毛筆で字を書くことは、めったに無い。

何かの折に筆で記名を求められると、少したじろぐ。

いざ筆を紙に下ろすと、手加減次第でいかようにも太く、あるいは細くなってしまう頼りなさに戸惑う。

そして同時に、力の入れ具合で千変万化する毛筆の融通無碍(ゆうずうむげ)な魅力をも感じる。

 書の世界で生きる達人の作を集めた「現代書道二十人展」を見てきた(東京・上野松坂屋で 8日まで)。

それぞれの作風を伝える漢字のみ、あるいはかなまじり、そしてかなが主の作品が並ぶ。

漢字の持つ潔さや主張性、かなの、はかなそうでいてしなやかな様がうかがえる。

 作品に近づいて筆の運びを想像していると、書には現代人が忘れかけたものを思い起こさせるところがあるという気がしてきた。

それは、書かれた文言が古来のものというよりは、書が、いわば無数の曲線で成り立っていることから来るようだった。

 文字、特に漢字は直線が印象的だが、人間が書いたものは厳密な直線にはならない。

どの線も、わずかにせよ丸みやくねりを持っている。

それが、活字とは違って、書き手の独特の息吹を伝えてくる。

 文字を手で書きつづることは、手や筆を翻し、回すことにつながる。

これと大きく異なるのは、手で打つ、あるいは指で押すというパソコンなどを使った文字の入力だ。

 文字の世界だけではなく、テレビのチャンネルにしても電話にしても、回すから押すへと変わった。

この「押す時代」を押し戻すことは難しいだろう。


しかし時には、回すという古(いにしえ)の動作に立ち返ってみたい。






書く字には一人ひとり個性が認められる。だがパソコンの時代,その書く字を見る機会がすくなくなってきているものの

書かれた文書には個性は認められる。

書道展によく参観する機会があるが,その量に圧倒されて何が何かはわからなくなる。

国立博物館で有名な宗教家 並びに天皇の「書」をみる機会があるが,その個性・人間性が想像できて楽しい。







正月の各地、各家庭に伝わる雑煮が






平成19年1月4日の天声人語からの引用


通りが静まり、いつもよりゆったりと時が流れてゆく。

そんな思いを誘う三が日が過ぎた。

正月の各地、各家庭に伝わる雑煮が、このゆったりとした時間とよく溶け合っているのを確かめた人も多いのではないか。

 だいぶ前の1月の今頃、同僚と雑煮の話になった。

彼の故郷では、トビウオを焼いて干したもので出しをとるという。

当方ではハゼを焼いて干したものを使う。

生地は列島の南と北にはるかに離れていても、同じように海と向き合っていたのかという思いがした。

 雑煮の持つゆったり感は、出しの材料をかなり前から準備することだけで醸し出されるのではない。

例えばかつて実家では、年末になるとダイコンとゴボウをゆでて千切りにし、板に載せて外に出していた。

夜は寒気で凍(し)み、昼は日光でとける。

それを3日ほど繰り返し、ほのかに甘みが出たものを使っていた。

 近年、ゆったりゆっくりのスローを冠した「スローフード」という言葉や運動を耳にする。

画一的なファストフードに対し、その土地に根ざした料理を大切にする考え方だ。

今でも土地の数だけありそうな雑煮は、さしずめ日本のスローフードの代表格か。

 この運動の起点となった、北イタリアのブラという小さな町に立ち寄ったことがある。

休日で、人々は球技や屋外での壁登りなどをしていた。

年齢層は幅広く、老若男女そろって楽しむ雰囲気だ。

 昼時、駅前の食堂に入った。

パスタと豆の温かいスープには、ほっとする味わいがあった。

今思えば、あの地に根ざした雑煮の味だったのかも知れない。





ホテルで正月料理を食する機会があったが,家庭での昔の正月での荘厳な感じを思いだすと

遥かに昔の正月の方が良かったものだとつくづくと感ずる。





猪にとっては不本意な扱いではないか



平成19年1月5日の天声人語からの引用

 「??今年は猪年であります」。

昨日の年頭の記者会見で、安倍首相が干支(えと)に触れた。

そして、またあの「美しい国」を持ち出し、それに向かってたじろがず、一直線に進んで行く覚悟と述べた。

 すぐに「猪突猛進(ちょとつもうしん)」が思い浮かぶが、猪のつく言葉には猪への厳しく皮肉な視線がある。

この「猛進」は向こう見ずに突き進むことだし、「猪武者(いのししむしゃ)」は敵に向かって思慮もなく無鉄砲に突進する武者だ。

なまいきでこざかしいことをいう「猪口(ちょこ)才(ざい)」もある。

 これは猪にとっては不本意な扱いではないかなどと思いつつ、東京の上野公園に出かけた。

猪の剥製(はくせい)や人間とのかかわりなどを展示した国立科学博物館の「亥年(いどし)のお正月。

イノシシを知る」展に、なるほどと思わせる説明文があった。

 「実際には、イノシシは臆病(おくびょう)な生き物で、むやみやたらに突進しているわけではありません」

突進は、何かを恐れてやむなくということもあるのだろう。

 近くの東京国立博物館でも、干支にちなんだ「亥と一富士二鷹三茄子」展が開かれている。

望月玉泉の屏風(びょうぶ)絵には、猪が萩(はぎ)の花の中に寝そべる姿が描かれている。

臥(ふ)して眠る猪をさす「臥猪(ふすい)」は、亥年を寿(ことほ)ぐ意味を込めて「富寿亥(ふすい)」とも表記するそうだ。

 「臥猪」は、鎮めて安泰にする意味の「撫綏(ぶすい)」との語呂合わせとして使われたこともあるので、

天下泰平を祈る吉祥画とみることもできるという。

世の平穏は誰しもの願いだが、首相が「一直線」になることには異論も少なくないだろう。

「猪首相」などとは言われないように願いたい。





「美しい国日本」が首相のキャッチフレーズだが.確かに何年も前に海外旅行して帰ってくると日本が如何に整然とした

国であるかを感じたことがあった。「美しい国日本」をいまさらに取り上げる必要もないのではないかと思う。

戦前のような勇ましくて「恐ろしい国日本」にはなってほしくはない。







全国に9カ所ある女子少年院の一つだ





平成19年1月6日の天声人語からの引用


仙台市の青葉女子学園は、全国に9カ所ある女子少年院の一つだ。

毎年春になると、創作オペレッタの準備にかかる。

手作りの音楽劇である。

 教官が漢字1字のテーマを与える。

昨年は「今」だった。

それをもとに約20人の少女たちが手分けして脚本や歌をつくる。

目標を持てない少女と、不満や不安、不幸を抱える四季の妖精たちが出会い、

それぞれが生きる力を取り戻す物語に仕上がった。

6月の学園祭で保護者らを招いて上演された。

 そうした20年にわたる営みが、今年度の人事院総裁賞に選ばれた。

公務員の地道な活動に贈られる賞だが、今回の主役はむしろ少女たちだ。

ピアノの伴奏もする教官の北村信子さんは「私たちの仕事は彼女たちの力を引き出し、支えることです」と語る。

 覚せい剤や傷害、盗みなど非行の内容は様々だが、だれもが心に深い傷を負っている。

それが歌やせりふから伝わってくる。

「なんでこんなにつらいの。

なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないの」「素直でいたい。だけどうまくいかない」「私なんて、いない方がいいんだ。

必要のない存在で終わってしまうんだから」

 それでも最後は、「信じる心、胸に、今未来へ旅立とう」と歌う。

出演者も合唱隊もみんな涙ぐんだという。

 少女の一人はこんな話をしてくれた。

「夢があるからがんばれる。

私には大切にしたい人がいる。

そうしたせりふで、自分の気持ちを客席の親に初めて伝えることができた」。

そして、「みんなでつくり、励まし支え合ったのも、初めての体験でした」。




少年院は正しい道に立ち直るための施設である。遺伝もあろうが大部分が環境のせいである。

病気も同じことだ。環境さえ整えば立ち直ることが100%可能である。

貧すれば鈍するで政治の力が大きいものがある。







女性のスポーツが快く思われない時代は長かった





平成19年1月7日の天声人語からの引用


今では想像しにくいが、女性のスポーツが快く思われない時代は長かった。

日本の女性が五輪に初めて出た1928年アムステルダム大会で、陸上800メートル2位となった人見絹枝はこう書いた。

「人生はすべて戦いである。女も戦う時代だ」(『女子スポーツを語る』ゆまに書房)。

得意の100メートルで敗れ、初体験の距離に挑んで手にした成果だった。

 新しがり屋をモボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)とはやす一方、

女性が太ももをさらして競走するなんてはしたないとする時代を生きた

彼女が生まれて今月で100年になる。

 短距離や走り幅跳びで世界記録を出すかたわら、記者として働き、後輩の遠征費用を募って歩いた。

「努める者はいつか恵まれる」(『炎のスプリンター』山陽新聞社)。

若い人を励まし続け、銀メダルから3年後の同じ8月2日、病で24歳の生涯を閉じた。

 それから61年後の同じ日、バルセロナ五輪のマラソンで、有森裕子さんが陸上女子2人目の表彰台に立った。

影響を受けた人に、同じ岡山出身の人見の名をあげる彼女もまた、闘うランナーだ。

 走ることで生活費を得る。

その権利は個人に属する。

今は当たり前のこの原則も、10年ほど前までは違った。

競技団体と3年間渡り合い、これを認めさせたのが彼女だった。

 「きちんと練習し、自己最高を目指した上で終わりたい」。

有森さんは昨年、そう言って練習を再開した。

40歳で走る2月の東京マラソンがひと区切りになる。

自らの存在を問い続けて走る女性の言葉には、背筋の伸びる思いがする。




運動そのものは健康には良い。だが過激になれば健康を害する。プロの運動家は別として健康に良い運動を

目指したいものである。





全国で300を超す自治体が、
開票時間の短縮合戦に挑もうとしている








平成19年1月8日の天声人語からの引用


ことしは統一地方選がある。ほとんどの有権者に投票の機会が訪れる。

今回は見逃せないことが、ひとつある。

全国で300を超す自治体が、開票時間の短縮合戦に挑もうとしているのだ。

 元三重県知事で早大大学院教授の北川正恭氏らが呼びかけた。

名づけて「コンマ1秒の節約」。

だらだらと前例を踏襲するお役所仕事に、創意工夫で風穴をあける。

速報性を高め、選挙への関心も高める。

そんな民主主義を鍛える狙いは、マニフェスト運動とも重なる。

 すでに実績もあげている。

たとえば、長野県小諸市は昨年の知事選で、開票所のレイアウトを一新し、作業台も10センチ高くして、前回の半分以下の34分で終えた。

福島県知事選では、相馬市が職員を2割減らしながら、前回の61分を25分に縮めた。

 新開発の技術などない。

候補者ごとに集票容器を色分けする。

疑問票の有効、無効の選別基準を具体的に徹底する。

過去の投票用紙で予行演習をする。

こうした小さな改善の積み重ねが、大きな効果をあげる。

その経験は、他の業務の合理化にもつながるかもしれない。

 経費も節約できる。北川氏は「すべての自治体が1時間ずつ縮められれば、4年間で50億円近い人件費を減らせる」と試算する。

開票時間を短縮する知恵比べが、役所の意識改革と節約の一石二鳥になるのなら、もっと広がっていくに違いない。

 きょう、成人の日を祝う、ほやほやの新有権者は初めての一票に、どんな思いを託すのだろう。

投票した候補者の当落だけでなく、「コンマ1秒の節約」の結果も、お楽しみに。





選挙が投票所に行かなくとも家庭でボタンを押せば投票できる時代が来てもよい。

投票用紙の集計の必要性もなくなる。

現在テレビ放送で電話投票が宣伝されている。もっと費用を掛けネットで投票できる時代が来てもよい。

不確かなネットによる住民登録がまかり通っている世の中であるにもかかわらずにだ。

まだまだ投票での不正を恐れるならばネットによる住民登録をも中止すべきではないだろうか。

ネット投票が可能となれば投票率100%も現実のものとなってくる。






昭和という時代が一歩遠のいてゆく気がする






平成19年1月9日の天声人語からの引用


松飾りを外した家と、まだ飾っている家が混在する通りを歩きながら考えた。

平成の時代も、来年は20年になる。

昭和という時代が一歩遠のいてゆく気がした。

 昨年末から昭和を象徴するような人たちの訃報(ふほう)が相次いだ。

財界のご意見番と言われた諸井虔さんに続き、年明けには、

昭和の国民的食品となった即席ラーメンを発明した安藤百福さんが亡くなった。

 大阪の闇市のラーメン屋台の前で、人々が行列して辛抱強く待っている。

安藤さんの脳裏に焼き付いた終戦直後の風景が、後に食の風景を変えるような発明につながったという。

昭和の時代が、安藤さんを通してもたらした発明とも言えるだろう。

 〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉。

この中村草田男の句は昭和6年、1931年1月の句会に出されたという。

師の高浜虚子は句会では選び採らなかった。

しかし、帰りのエレベーターでたまたま同乗した草田男を見て「あの句は矢張り採って置こう」と言い、

虚子選に追加された(宮脇白夜『新編・草田男俳句365日』本阿弥書店)。

 句は大雪の日、かつて学んだ東京の小学校の前で生まれた。

降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識が空白となり、

現在がそのままで明治時代であるかのような錯覚と、明治時代が永久に消えてしまったとの思いが同時に強まったという。


 今日、防衛庁が防衛省になる。

長く「庁」だったことには、軍が暴走した昭和の一時代への深い反省が込められていたはずだ。

年ごとに昭和が遠くなっても、その反省だけは、遠いものにしたくない。







防衛庁が防衛省になって,さらには陸軍省 海軍省にならないことを願う。

明治維新前後の尊皇思想が高まっていって第二次大戦まで突っ走り敗戦にいたった。

宮内庁が宮内省になるようになれば戦前回帰である。

昭和生まれのものが平成生まれにはなれない。

だが政治流れ・機構はそうではないように思える。






狭い国土に車の密度が濃い、
日本の車社会の姿がうかがえる。




平成19年1月10日の天声人語からの引用


7880万。これは、運転免許証を持つ人の05年末の数だ。

7921万。こちらは自動車の保有台数で、数の上では1人にほぼ1台となる。

狭い国土に車の密度が濃い、日本の車社会の姿がうかがえる。

 事故とは常に隣り合わせで、ここ数年は年に90万件以上が発生してきた。

ところが昨年は88万件台になり、死者は6352人と前年より500人以上減った。

 警察庁によれば、6千人台前半にとどまったのは、ほぼ半世紀ぶりだ。

昨年は飲酒運転への批判が高まり、取り締まりを強めたことも働いたのだろう。

 トヨタ自動車が飲酒運転を防ぐ車を開発するという。

運転者の目の動きやハンドル操作などを読み取る装置を付け、飲酒運転と判断したら自動的に車を減速、停止させる。

販売台数で世界一をうかがうメーカーにしては取り組みが遅いようにも感じる。

いわば、はねられる側の安全にも意を致すのが時代の流れだろう。

 ほぼ1世紀前に「未来派」という芸術運動がイタリアに興った。

その「宣言」は、当時台頭する車への礼賛に満ちている。

「世界の華麗さが新しい美によってゆたかになったことをわれわれは宣言する。

それは速度の美だ……咆哮(ほうこう)をあげて機銃掃射のうえを走りぬけるような自動車は、

『サモトラケのニケ』の像より美しい」(塚原史『言葉のアヴァンギャルド』講談社現代新書)。

 ルーブル美術館の至宝のギリシャ彫刻も、古いものの象徴にされてしまった。

確かに「速度の美」は世界を豊かにした。

しかし、その周りに形作られた影も限りなく濃く、大きい。






交通事故の多発が飲酒運転取り締まり強化 違法駐車取り締まり強化でもって交通事故は減少傾向に有る。

一方誰もが運転でき,規則もととのっていない自転車による事故が増えてきている。

自転車運転免許許可制があってもよいのではなかろうか。



この100日間で、美しい国づくりに向けて、
礎を築くことができたと思います







平成19年1月11日の天声人語からの引用


「この100日間で、美しい国づくりに向けて、礎を築くことができたと思います」。

先週の記者会見でこう自賛した安倍首相は、築けたという礎の最初に、改正教育基本法の成立を挙げていた。

その法律をつかさどる伊吹文部科学相の政治団体に、不適切な経理処理の疑いが浮上した。

 家賃のかからない議員会館を事務所にしながら、年間総額約4700万円を事務所費に支出したと政治資金収支報告書に記していた。

このうち1千万円程度は、会食費などに充てていたという。

まるで、事務所自身が飲み食いをしていたかのような錯覚を起こしかねない。

 この100日余の間に政権を揺るがす疑惑が幾つも発覚し、政府税調会長と行政改革担当相が辞任した。

松岡農林水産相についても、議員会館に事務所のある資金管理団体が年間2千万〜3千万円の事務所費を計上していたことがわかった。

 伊吹、松岡両氏には、国民によく説明する義務がある。

「任命者として国民に対し責任を感じている」。

行革相の辞任の時にそう述べた安倍首相も、しっかりと把握して報告してほしい。

 そもそも政治団体の支出のきまりには、世間では通らないような甘さがあるようだ。

事務所費や人件費などの経常経費には、領収書の添付の義務はなく、使い道の明細を報告する必要もないという。

 ごまかしはないという前提で作られたきまりかも知れないが、実態はそれほど美しくはないようだ。

勝手に飲食し、高い家賃をどんどん請求する。

そんな人を食ったような事務所が、他にもないとは限らない。





事務所費の使い勝手放題は論外である。

何かわからぬ「教育基本法」案が取り上げられている。第二次大戦を子供の頃に体験したものとして

「愛国心」の強要だけはして欲しくはない。「愛国心」の一方で非国民呼ばわり売国奴が流行した。

法律に乗ってしまうと悪用され軍国国家の一員として徴兵が強要され.戦場で名誉の戦死をして.

靖国神社に祭られ若くしての人生がお終いとなる。

「硫黄島からの手紙」の映画を見た。DVD映画で見る戦場での臨場感は見事である。

敵味方ともお国のため戦い死んでいった人達の話である。

個人同士何の関係もなくして敵味方となり憎しみあっている。戦争とはそんなものである。

平和の如何に大切であることをしみじみ感じさせる映画であった。






洋菓子の不二家が消費期限切れの牛乳で
シュークリームを作っていたことが発覚した







平成19年1月12日の天声人語からの引用


 繁華街に買い物に出た時のことらしい。

サザエさんの背中で、タラちゃんが大きくのけぞっている。

傍らの店に立つペコちゃん人形の頭を揺らしたいと、駄々をこねている。

 仕方無く、サザエさんは自分がペコちゃんのようになって、背中のタラちゃんに押されるがままに頭を揺らしている。

本紙に1958年に掲載された「サザエさん」の一コマだ。

 洋菓子の不二家のシンボルとなったペコちゃんが「誕生」したのは、このマンガが載る8年前の50年だった。

『不二家・五十年の歩み』によると、図柄は外国の雑誌の挿絵からヒントを得、人形の第一号は日劇の大道具係に頼んで作ってもらった。

名前は、牛の愛称の「ベコ」をもじったという。

 きのう、東京の銀座店では、ペコちゃん人形の脇に社長の「おわび」を記した紙が張り出された。

消費期限切れの牛乳でシュークリームを作っていたことが発覚した。

当面、全国の約890の直営店やフランチャイズ店で、洋菓子の販売をやめるという。


 不二家は100年近く前に横浜で創業し、居留する外国人を相手に洋菓子などを売っていた。

やがて東京に進出し、大手の菓子メーカーになってゆく。

ペコちゃんは戦後間もなくから、その軌跡を見続けてきた。

 「はじめからソロバンづくでは、製品はつくらない。

ただ、よい製品さえつくれば、ソロバンの方は自然と合ってくれるものだ
」。

創業者の信念だという。よいお菓子は、うまいだけじゃなくて、安心して食べられなくては……。

ペコちゃんも、そう思っているはずだ。






不二家は小さい頃からの親しみのある菓子店である。期限切れの牛乳で菓子を作ることは商道徳として決して許せない。

だが個人的には1-2日過ぎた饅頭を食べてなんら異常を認めていない。それ以上の賞味期間外ものはほかしている。

期限ぎりぎりの饅頭は何割かが安く売っているからついついそれを買ってしまうからのことである。






イラク戦争が泥沼化する中





平成19年1月13日の天声人語からの引用


米テキサス州のクロフォードといえば、ブッシュ大統領が休暇を過ごす所として知られている。

一昨年の夏、その地に赴き、道ばたで座り込みをしながら大統領に面会を求めたのがシンディ・シーハンさんだった。

前年に、当時24歳だった息子のケーシーさんをイラク戦争で失った。

 座り込みの後、ニューヨークの集会で述べた。

「もう二度と息子の声を聞くことはないのです……イラクに大量破壊兵器はなかった……何のために戦争をして、

何のために息子たちは死ななければならなかったのでしょう」

 イラク戦争が泥沼化する中、ブッシュ大統領が、兵の増派を柱とする新戦略を発表した。

「過ちがあった点については、私に責任がある」と述べた。

しかし増派は、シーハンさんのような母や父、妻子らを更に増やすことになりはしないか。

 大統領の過ちとは、大統領の言う送り込んだ兵の数ではないはずだ。

国際社会の多様な声に耳を貸そうとせず、単独行動主義に傾いて先制攻撃をかけたことが、そもそもの過ちではなかったか。

 イラクを攻撃して街や国を壊すことは、軍事の超大国にとって難しくはなかった。

一方で、破壊による混沌(こんとん)から秩序をつくり出すことはできず、日々おびただしい命が失われ続けている

 壊れた街ならば、つくりなおすのも不可能ではない。

しかし、壊された命をつくりなおすことは誰にもできない。

民族や国籍を超越した生命体を畏(おそ)れる姿勢が、この戦争でも問われている。

その問いは、戦争を始めた国だけではなく、同盟諸国にも向けられている。





無理やりにつけた理由で戦争が開始された。戦争の様子はテレビで生中継のように毎日のように放送されていた。

当時のブッシュのアメリカでの支持率が90パ-セントでアメリカ中の国民は沸いていた。

でも中には「戦争反対」をして愛国心法で取締りされて投獄されている人達の姿が,日本のテレビでは放送されていた。

アメリカでは厳重な放送の取締りがあったようだが,日本では放送されていた。

その愛国心が教育基本法で盛り込まれたようになった。

拡大解釈され反戦平和運動の取り締まりにつかわれないことを願う。







火に神秘を見た往古の名残か




平成19年1月14日の天声人語からの引用


きょうとあす、左義長(さぎちょう)の火が各地で燃えることだろう。

どんど焼き、とも呼ばれる小正月の祭事である。

高く組んだ竹や木に、松飾りなどを結わえて焼く。

火に神秘を見た往古の名残か、その炎を「若火」とあがめる地方もある。

 古人の畏怖(いふ)した火に、東京で野外教育のNPOを主宰する大西琢也さん(31)が魅せられて10年になる。

マッチやライターを使わない「原始の火」を求め、きりもみ式の火起こし術を磨いてきた。

 地面に置いた木の板(火錐臼(ひきりうす))に鉛筆よりやや太い棒(火錐杵(ひきりきね))をあてがい、

手のひらではさんで、押しつけるように回す。

続けていると煙が出て、熱く焦げた木くずがたまってくる。

ケシ粒のようなそれが「火の赤ちゃん」だ。

 それで成功、ではない。

放っておけば種火はすぐに消える。

「赤ちゃん」を麻の繊維でくるみ、指でつまんで大きく腕を回す。

こうすることで中に空気を送り込む。すると麻玉はぽっと燃えあがる。

炎の誕生である。

 力まかせでは火はつかない。大西さんは失敗を重ね、謙虚になった。

「木には火が隠れている。人間はそれをいただくだけ」。

「起こす」のではなく「いただく」のだと悟ると、不思議に上達した。


3年前には空気の薄い富士山頂でも成功した。

 「燃す」という随筆を、幸田文はかつて朝日新聞に寄せた。

庭で紙くずや枯れ葉を燃やしながら、その熱をいとおしみ、「ものの最後の力だと思うと、

その火を惜しまずにはいられない」とつづった。

「最後の力」で餅や団子を焼いて食べ、一年の無病息災を願う左義長もある。





お祭りはその土地土地でずーと受け継がれ続いている。神さんのご利益は時代によって変遷しいるようだ。

でも超自然的な現象への畏怖も又時とともに異なって来ている。

火は便利であるとともに,恐れの対象でもある。動物に火をかざすと動物は逃げる。

火に神秘さを認めるのは現代も]昔も同じことである。






どんなに悲惨なことが起きていても、
メディアで報じられない限り






平成19年1月15日の天声人語からの引用


どんなに悲惨なことが起きていても、メディアで報じられない限り、世界の多くの人々にとってはないに等しい。

助けも届かない。

 NPOの「国境なき医師団」が「06年、最も報じられなかった10の人道的危機」を挙げている。

まず、毎年何百万もの命を奪っている結核、栄養失調がある。


それに、人々を生命の危機と恐怖に陥れているスリランカ、中央アフリカ、ハイチなど八つの国での紛争を加えた。

 米国の3大テレビネットワークの夜のニュースは昨年、このうち5カ国での紛争は全く取り上げず、残りも合わせて7・2分間報じただけという。

まさに忘れられた危機だ。

栄養失調の新しい治療食ができても、やせ衰えた子供たちに届かない。

 英国BBCテレビの記者が報道の量に関して調べた興味深い結果がある。

健康へのリスクなどについてのBBCニュースの1年間の本数で、

そのリスクによると見られる年間の死者数を割り、記事1本あたりの死者数を概算した。

多いほど、危険の割に報道が少ないことになる。


 筆頭は喫煙で約8600人、次が肥満で約7500人だった。

牛海綿状脳症(BSE)に感染した牛肉を食べることによる変異型クロイツフェルトヤコブ病は0・5人、エイズは20人だった。

喫煙や肥満はBSEに比べるとニュースになりにくい。

しかし、健康への影響を考えれば、もっと報じられていい、というのが結論だった。

 人々の命を脅かすものに対して、メディアは常に敏感であらねば。

声なき声を、ニュースを追う者にとっての戒めと受け止めたい






特に身近な喫煙の恐ろしさに現代人は無頓着のように思われる。

ほとんどの成人病の原因・ 誘因の対象として挙げられている。

特に内科医師は喫煙を止めさせるようにするのが大切な仕事である。禁煙なくして成人病をば防ぐことができない。

なんとかしてやめさせる。

だが喫煙を止めない人がいて,成人病に罹患し長期入院してやつと止めることができる人もある。

それからテレビ新聞などで効果が疑われるような食品・薬品などが大々的に宣伝されていることがある。

関西テレビの「驚き発見」の納豆による体重減少効果があることの虚偽報道が問題になっているが.

大新聞・テレビでも効果があるかどうか判らない思われるものが堂々と宣伝されている。

政府が許可しているものに悪いものがないとして禁煙を拒む人がいる。

政府が先頭になり禁煙の恐ろしさを報道するか,販売禁止に踏み込むべきである。

販売禁止すればすこやかな健康な老年を迎えるためにも,是非タバコ販売は禁止すべきである。

そのような意気込みが必要だ。






人の本性の発露の器として、
和歌は魅力を保ち続けている







平成19年1月16日の天声人語からの引用


古今和歌集の仮名序に、印象深い一節がある。

「やまと歌は、人の心を種として、万(よろづ)の言(こと)の葉(は)とぞ成れりける」。

和歌は、人間の本性がことばという形にあらわれるものだという(『新日本古典文学大系』岩波書店)。

 それから約1100年の時が流れたが、人の本性の発露の器として、和歌は魅力を保ち続けている。

東洋大が募った「現代学生百人一首」に、6万首以上の応募があったという。

その入選作からは、時代と共に変わり、また変わらない人の本性と営みが垣間見える。

 〈好きだったその気持ちだけで十分と我に思わす六月の青空〉高2・佐々木愛。

〈降り立ちて遠くを見れば夕焼けに消えてくバスの孤独な陽炎〉高2・荒井恵。

人生の切なさは、いつの世にも変わることはないようだ。

 身の回りのものや仕組みは変わってゆく。

〈パソコンで電子の海に組み込んだホームページは僕だけの船〉高3・山崎佳士。

〈「このままじゃあんたニートになるしかない」母の辞書に「冗談」は無い。〉高1・大日方駿介。

 祖父母に向ける視線には、やわらかさがある。

〈ばあちゃんが着ていたパジャマ手にとって毛玉の数ほど思い出あった〉高3・阿部さくら。

〈笑み浮かべ稲刈眺む介護5の祖父暖かき陽の中にをり〉高2・穂苅裕毅。

 みずみずしい感性が光る。

〈人間って皆個性を主張してなんだか似てる色えんぴつに〉中3・村尾幸帆。

〈羽化といふその瞬間の危ふさに力漲る蝶の前足〉大3・花俣明子。

羽化を待つような不安と期待とが、若い心には、宿り続けてほしいものだ。





歌の心は誰にもあると信ずる。でもそれを表現すことはむつかしい。規則とやらもあるらしい。

でも読んでいて,なんとなく歌 俳句は理解できる。

数学理科などの答えは一つのことが多くて,理論整然としたところがある。

でも文学的 芸術的表現に対して答えは色々にあるように思える。

評価も時代によって変わることもありえる。






この行動の原点は、広島の原爆にあったという。





平成19年1月17日の天声人語からの引用


ひと回り前の亥年だった95年の今日、阪神大震災が起きた。

それから流れた12年は、例えば当時の小学1年生が大学生になるほどの長い年月にあたる。

あの震災の記憶をこれからどう伝えてゆくのか、懸念する声もあるだろう。

 日本では誰もが未来の被災者になりうる??。

12年前にそんな思いをつづって本紙に寄せ、市民自らが鉛筆やワープロで体験を記録に残そうと訴えたのが、

神戸市で被災した高森一徳さんだった。

出版社を経営する傍ら「阪神大震災を記録しつづける会」の代表を務め、手記集を毎年出し続けた。

 目標とした10冊目の「阪神大震災から10年 未来の被災者へのメッセージ」の校正を終えた04年の暮れ、

惜しくも心不全のため57歳で急死した。

「公の記録から漏れた普通の人のささいな記録を残したい」。

この行動の原点は、広島の原爆にあったという。

 高森さんの父は、45年8月に軍人として広島市に入り被爆した。

晩年に被爆手帳を申請する際、太田川の橋のたもとで見た言葉のことを説明した。

 「国破れて山河在り」。

誰かがチョークで書き残したこの言葉が別の人の記録と合致し、被爆体験として認められた。

「小さなことだが誰かが記録してくれていたおかげ」と、高森さんは生前に語っていたという。

 12年前の本紙を開く。

日を追って死者数が増えてゆく。

20日の朝刊に文字だけの見開きの面がある。

犠牲者の名前と年齢と住所で、二つの面がすべて埋まっている。

戦後最悪となった災害の墓碑銘を、「未来の被災者」への無言の伝言として記憶し直した。






災害には自然災害と人間が引き起こす災害の二種類がある

自然災害はある程度しかたないことだが,人間が引き起こす災害は絶滅すべきだ。

広島・長崎の原爆被害は人間が引き起こした一番の悪い災害である。

原爆をアメリカが投下したのが悪い,投下するような状態を引き起こした日本が悪いと言い合っている間は

被害者は助からない。「二度と過ちはくりかえしません」の気持ちを世界にメッセージを伝えることこそが

大切なこれからの我々の任務ではなかろうか。








芥川賞は、早世した芥川龍之介と親しく、
「文芸春秋」を創刊した菊池寛が
直木賞と共に1935年に創設した。







平成19年1月18日の天声人語からの引用


「きみ、芥川賞を貰う前に、芥川賞、知っとった?」。

遠藤周作に聞かれた開高健は「あたりまえでしょう」と答えた。

 「いつ頃、知っとった?」「子供の頃から知っておったですよ」

「情けないことだが、ぼくは堀田(善衛)さんが貰うまで、芥川賞って知らなんだよ」

(『芥川賞の研究』日本ジャーナリスト専門学院出版部)。

 40余年前の対談だが、ふたりの醸し出す対照的な雰囲気が伝わってくる。

芥川賞は、早世した芥川龍之介と親しく、「文芸春秋」を創刊した菊池寛が直木賞と共に1935年に創設した。

「亡友を記念するという意味よりも、芥川・直木を失った本誌の賑やかしに、

亡友の名前を使おうというのである」と、賞の構想を述べている。

 136回目の受賞者に決まった青山七恵さんは、23歳の旅行会社員だ。

一昨年に文芸賞を受け、2作目で芥川賞を手にした。

「ひとり日和(びより)」(文芸秋号)は、初めて親元を離れた20歳のフリーターの女性が主人公で、

遠縁にあたる70代の女性・吟子の家に居候する。


 東京の四季の移ろいを背景に、失恋や転職などどこにでもありそうな日常がつづられる中で、

やや謎めいた吟子の存在と、その言葉に面白みがある。「型からはみ出たところが人間。

はみ出たところが本当の自分」。あるいは「外の世界って、厳しいんだろうね」と問われ、答える。

世界に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」

 世代を超えた会話は、現実には希薄になった。


それを、居候が感じ取る「日和」の中に映し出す趣がある。





芥川賞 直木賞ともに文芸界への登竜門になっている。必ずしも流行作家になるとは限らない。

でも大変な賞であることには間違いない。







公共工事での談合が繰り返されてきた






平成19年1月19日の天声人語からの引用

 「浜の真砂は尽きるとも……」は、石川五右衛門の辞世の歌と言われる。

「世に盗人の種は尽きまじ」と続く。

盗人を、談合と読み替えたくなるほど、公共工事での談合が繰り返されてきた。

 今度の舞台は、国などが発注した水門の工事の入札だ。

公正取引委員会は、国土交通省の元課長補佐らが現職当時に大手メーカーの談合に関与したと判断し、

官製談合防止法を適用することを決めた。

 この法律が、中央省庁に適用されるのは初めてだ。

深刻なのは、国が発注する公共工事の予算の多くを握り、

談合防止を他の省庁や自治体に要請する立場にある省自身が疑われたことだ。

 業者が正当な競り合いをせず、価格をつり上げてうまみを吸う談合は、いわば税金を盗むのに等しい。

今回の疑いが事実とするなら、あの「盗人を捕らえてみれば我が子なり」を連想させる。

国交省に、ことの真相が解明できるのだろうか。

 この国では、役所と業界との癒着もまた、真砂が尽きるとも……のたぐいに見える。

それを支えてきたのは天下りだった

中央省庁の官製談合が指摘されたのを機に、政府全体で天下りの根絶に向けて真剣に動き出すべきだ。

それが税を正しく使う道にもつながるはずだ。

 明治の末期、静岡市は印刷物や消耗品の購入を競争入札にしたという。

その結果、市会議案書や市報、燃料用松材などが、前年よりも2割から6割安く調達できた(武田晴人『談合の経済学』集英社)。

税金を無駄に使わず、予算を節約する精神は、1世紀を経ても学ぶところがありそうだ。





行政で税金を投入しての工事に今もって談合でもって業者がお互いに工事を譲り合う体質は変わらない。

中央省庁による官製談合 地方行政による官製談合ともに止むことはない。

政府が率先しての天下りを止めさせるべきである。

業者の正当な競い合いは阻止すべきではない。

なにもかもがグルになって世の中動いているのではないかと思うことがある。








日銀という心臓が、金利という脈搏を変えないことを決めた。



平成19年1月20日の天声人語からの引用


「日本銀行は誰のものか」。

経済学者だった大内兵衛氏は、「朝日ジャーナル」が創刊された59年に、そんな表題の論文を寄せた。

「金融は産業の血液であるが、中央銀行はその心臓である

。全国の各銀行はその血管である。

金利は、すなわち脈搏(みゃくはく)である」

 日銀という心臓が、金利という脈搏を変えないことを決めた。

この利上げ見送りという結論は、政治の圧力によるものではないかとの見方があるようだ。

 確かに、自民党の幹部らが利上げを牽制(けんせい)する発言をしていた。

日銀の福井総裁は圧力説を否定したが真相は分からない。

 旧西ドイツの中央銀行総裁を務め、「ドイツマルクの守護者」とも称されたというフォッケ氏が、次のような趣旨のことを述べている。

中央銀行の指導管理を、政治すなわち政府に従属させようとするなら、

その政府機関は、通貨や金融問題で中央銀行の当局者より高度の専門知識と実際的経験を有することが必要だ(『健全通貨』吉野俊彦訳・至誠堂)。

 この通りだとすれば、政治や政府が圧力で日銀を指導管理することは、本来は不可能なのだろう。

それなのに疑われるのは、やはりあの村上ファンドへの出資があったからか。

 フォッケ氏は、中央銀行は各家庭の主婦のささやかな家計や一般大衆預金者に対して責任を負っているとも述べた。

福井氏も思いは同じかも知れない。

しかしゼロに近い預貯金の金利とはけた違いの利益をあげる出資を、総裁になっても続けていた。

そのことへの疑問が、日銀が打ち出した「脈搏」への疑問にもつながっている。




金利はお金を借りているものにとってはありがたいが,預けている側にとっては大変だ。

政府や日銀の的確なるバランス感覚を期待したい。

日銀総裁が桁違いの利益を上げて,一般大衆が泣くのだけは御免である。





岩波ホールで上映中の「赤い鯨と白い蛇」は







平成19年1月21日の天声人語からの引用


岩波ホールで上映中の「赤い鯨と白い蛇」は地味ながら味わい深い。

太平洋戦争中に若い士官と女生徒が交わした約束から、物語は紡ぎ出される。

 若い士官は空襲で家族や縁者をすべて亡くした。

天涯孤独となり、淡い思いを寄せ合う女生徒に「自分がこの世に生きたことを覚えていてほしい」と頼んで落命する。

女生徒は約束を守って戦後を生きてきたが、老いの身に認知症が兆す。

そして、「私が忘れたら、あの人は二度死ぬことになる」と涙をにじませる。


 せんぼんよしこ監督(78)は中国の大連で生まれ、香川京子さんの演じる「老いた女生徒」と同じ時代を生きてきた。

脚本を読んでいて、「二度死ぬ……」のせりふに引きつけられた

「忘れないで、という願いにつなげた作品を撮ろう」と思った。

 アフリカのある部族には、死者を二通りに分ける風習があるという。

人が死んでも、その生前を知る人が生きているうちは、死んだことにはならない。

生者が心の中に呼び起こすことができるからだ。

記憶する人も死に絶えてしまったとき、死者は真に死者になるのだという。

 戦後も62年、風習になぞらえれば、戦争犠牲者は続々と「真の死者」になりつつある。

映画は、やがては思い出す人もいなくなる死者たちへの鎮魂でもあろう。

老境の忘却の悲しみは、いつしか「忘れません」という控えめなメッセージとなって観(み)る者に届く。

 戦前生まれの多くにとって、戦後は簡単に「去る者は日に以(もっ)て疎し」とはならなかった。

戦後世代はそのことを忘れず、肝に銘じたい。





生死一如の宗教的観点からするならば,二度死ぬことはない。でも人情として二度の死を痛む気持ちはある。

少しでも生きている間は健康で長生きしたいのは人情である。

誰もが幸せな人生が一番である。







ミネラルウオーターが日本の家庭に急速に広がった






平成19年1月22日の天声人語からの引用


加藤楸邨(しゅうそん)に〈水売(みずうり)や暑さたとへば雲のごと〉という句がある。

ミネラルウオーターが冬でもよく売れるようになったのは、ここ10年ほどのことだという。

昨年は国産と輸入をあわせ、2リットルのペットボトルにして全国でざっと10億本分が消費された。

 ミネラルウオーターが日本の家庭に急速に広がったきっかけは、82年に飲料容器にペットボトルが認可されたことだった。

それから四半世紀で、この浸透ぶりはめざましい。

 水道の蛇口をひねれば飲める水が出る。

それが日本の良さの一つだろう。

なのに都会の水は清潔であっても、あまりにまずくなった。

リサイクルが難しいペットボトルには抵抗感もあったが、ついに手を伸ばし、

「カネで水を買う時代になったか」と敗北感にも似た気分を味わったのはいつだったか。

 映画『硫黄島からの手紙』で印象深かったのは、兵士たちが米軍だけではなく、水とも戦っていたことだ。

総指揮官の栗林忠道中将は家族への手紙で、渇水のつらさを何度も訴えている。

「湧水(わきみず)は全くなく、全部雨水を溜(た)めて使います。

それですからいつも、ああツメたい水を飲みたいなあと思いますが、どうにもなりません」

(梯(かけはし)久美子『散るぞ悲しき』新潮社)。

 水との戦いは過ぎ去った話ではない。

ユニセフによると、安全でない水が原因で命を失う幼児は世界で年に約180万人にのぼるという。

水くみに追われ、学校に通えない子供たちも数多い。

 水の豊かな国に住み、世界各地の水を消費する。

そんな私たちだからこそ、水の大切さを忘れたくない。





外出して例えば神社仏閣でボトルの自動販売機がないと腹がたってくる。それほどに自動販売機が普及している。

水道水でなく直ぐに自動販売機が何処にあるか探す。便利な時代になったものだ。







「しがらみのなさ」を訴えて立候補したタレント、






平成19年1月23日の天声人語からの引用


何かの物を表す漢字には、その物の形がそのまんま字になったように見えるものがある。

「柵」もその一つで、「さく」の他に「しがらみ」とも読む。

 川の流れに杭(くい)を打ち並べ、両側から竹や柴(しば)を絡みかけた柵には、いかにも物が絡みつきそうだ。

何かを絡め取るには役立つが、人生の柵といえば、ままならなく切ないことを思わせる。

 「しがらみのなさ」を訴えて立候補したタレント、そのまんま東さんが宮崎県知事に当選した。

前の知事が官製談合に絡んで辞職した後の選挙だった。

政党や役所、業界とのしがらみのなさに、有権者が新鮮味を感じたことはあるのだろう。

 「最終的な目標って何ですか?」。

ドラマプロデューサーの小林由紀子さんとの雑誌の企画で問われた東さんが

「出身が宮崎県なんで、何か故郷に貢献できたらいいなぁ」と答えたのは、04年のことだった(「日経WOMAN」)。

 早稲田大の学生になった時は、「誤解を恐れずに言えば、それ(生活ぶり)を“庶民レベル”に落としたんです」とも述べた。

タクシーから電車に、寿司(すし)は回転寿司にと変えたという。

 それなりの準備はあったにせよ、泡沫(ほうまつ)候補とみる人もいたというから、短期間に起きた票の雪崩は大きかった

小泉前首相は、いわば自民党の古いしがらみを断ち切ると訴えて有権者を引きつけた。

あの時各地で民意が雪崩を打って小泉劇場に向かったように、今回は東さんの「しがらみ劇場」に流れたのか

統一地方選や参院選でも、候補の取り合わせによっては、雪崩が起きるのかも知れない。







今日のテレビで,石原東京知事と一緒にそのまんま東さんが出ていて石原知事が誰それさんを副知事にしたら良いと

忠告した所,「石原知事に副知事になってもらうと有り難い」と即座に返答したのには面白い人だと感心した。







天才とは99%のパースピレーション(発汗)と、
1%のインスピレーション(霊感)によってできるものである






平成19年1月24日の天声人語からの引用


発明王エジソンが述べたという「天才」についての有名な言葉がある。

「天才とは99%のパースピレーション(発汗)と、1%のインスピレーション(霊感)によってできるものである」。

ほとんどは汗と努力によるもので、まれに霊感が閃(ひらめ)くと読める。

 このエジソンについて、日本初のノーベル賞を受けた湯川秀樹博士が自著に書いている。

「自分の才能が発現することにたいする方法論的な意識というか、どうしたらいいかというようなことは、

ほとんど考えなかったという場合のひじょうに典型的な例だと思いますね」(『続々 天才の世界』小学館)。

 博士によれば、エジソンは「経験的な直観型の天才」だという。

その湯川博士が、努力の末に訪れた閃きに導かれ、あの中間子理論にたどりついたころのものとみられる日記が、本紙で公開された。

 27歳の博士が、生まれた子の名前を決めたり、大学内の野球大会で奮闘したりしながら理論を詰めている。

日記のコピーを見ると、後に中間子と名付けられる粒子が、「〓(ガンマダッシュ)」の記号で繰り返し登場する。

天才物理学者の思考の跡が、いわば同時進行で見える。

 エジソンは「私の言葉が誤解されてしまったようだ」とも述べたという。

「99%の汗ばかり強調されている……99%の汗が実るのは、1%の閃きを大切にしたときなのだ」

(ヘンリー幸田『天才エジソンの秘密』講談社)。

 湯川博士の汗と努力が実ったのも、1%の閃きを逃さなかったからこそなのだろう。

その汗に、野球で流した汗が入っていたかどうかは、小さな謎だ。






努力の末による閃きは何かわかるような気がする。努力に努力を重ねても報われないことが沢山あってのことだと思う。

濡れ手に粟はいつかしぼんでしまうことだろう。






ブッシュ氏の約1時間に及んだ一般教書演説の模様を
昨日、CNNの中継で見た







平成19年1月25日の天声人語からの引用


??「アメリカ合衆国大統領!」。

先導の声が響き、ブッシュ氏が上下両院合同会議の場に現れた。

ダークスーツに青いネクタイを締めている。

主役の登場で、拍手がわき起こる。

 約1時間に及んだ一般教書演説の模様を昨日、CNNの中継で見た。

この演説にはつきものだという拍手は確かに繰り返されていたが、鳴りやまないほどのものはあまりなかった。

やはり、国民だけでなく世界中が注目するイラク戦争の泥沼化が、影を落としていたのだろうか。

 先日は、イラク問題で自らの過ちを認めるような演説をした。

しかし、この日は省みる姿勢は見せなかった。

かわりに目についたのは、終盤での演出だった。

 大統領は、傍聴席のローラ夫人のそばに座っていた数人を次々と紹介し、持ち上げた。

プロバスケットのスターの一人のムトンボ選手は、アフリカの故郷に病院を建てたという。

地下鉄で線路に落ちた人を身を挺(てい)して助けた男性について、大統領が言う。


「彼は『私は英雄ではない』と主張する。

そして『私たちの自由のために海外で命をかけている若者たちがいる』と言った」


 最後には、イラク戦争に派遣された若い兵士が紹介された。

敵の攻撃にひるまず、胸と腕を撃たれながら戦い続け、勲章を受けたという。

大統領は「こうした勇気と思いやりの中に、アメリカの精神と特性がある」と述べ、

「この国は、まともであり、立ち直りの早い国でもある」と締めくくった。

 世論調査で支持率が3割を切っている大統領の、自らへの応援演説のようにも聞こえた。






勲章を受けるために命を投げ出すなんて馬鹿らしい。徴兵厭避は犯罪になり拘束されてしまう。

法律とは恐ろしいものである。どんな演出してもブッシュには一つの流れが見えてくる。






作家の藤沢周平さんが亡くなって、今日で10年になる。
出身地の山形県鶴岡市では先日、「寒梅忌」が開かれた







平成19年1月26日の天声人語からの引用


白く、そしてあかく咲き始めた梅の向こうに、青空が広がっている。

一筋の飛行機雲が流れてゆく。

東京都心での開花は平年より早い。

寒気の中で、いつもながらの凜(りん)としたたたずまいを見せている。

 作家の藤沢周平さんが亡くなって、今日で10年になる。

出身地の山形県鶴岡市では先日、「寒梅忌」が開かれた。

没したこの時季と、端正で香り高い梅の花に、人柄や作風を重ねての命名という。

 清楚(せいそ)な梅の姿には、人を昔の時代にいざなうような風情がある。

時代小説に大きな足跡を残した作家をしのぶにふさわしい名前と言えるだろう。

 多くの読者を江戸の時代へといざない続けた藤沢さんは時々、なぜ時代小説を書くのかと問われたという。

「時代小説の可能性」の中では、こう述べている。

「時代や状況を超えて、人間が人間であるかぎり不変なものが存在する。

この不変なものを、時代小説で慣用的にいう人情という言葉で呼んでもいい」(『藤沢周平全集』文芸春秋)。

 不変なもの・人情を見つめ、それを澄明な文章世界の中に描いた。

「たそがれ清兵衛」をはじめ、主人公の多くは、時代の主流ではなく傍流の人々だった。

それが様々な困難に直面し、悩み、そしてついに足を踏み出す。

その姿は時を超えて、人生の哀歓と響き合う。

 藤沢さんは死の3年前、東京都文化賞を受賞した。

「40年も東京に住んでいながら、顔はまだ山形に向いていて」と、あいさつしている。

傍流への思いと傾きは、東京という現代の「主流」に対しても貫かれていたのかも知れない。




藤沢周平作品には心の奥底を揺さぶるものがある。人柄によるものであろう。「たそがれ清兵衛」をDVD映画でみたが

それなりに感動した。「武士の一分」が今上映されているが又見よう。

山田監督の人柄に負うところが大きいと思う。





演説とは福沢諭吉による訳語






平成19年1月27日の天声人語からの引用

 「演説」という言葉は、福沢諭吉による訳語だという。

「演説とは英語にて『スピイチ』と言い、大勢の人を会して説を述べ、

席上にて我思うところを人に伝うるの法なり」(『学問のすゝめ』岩波文庫)。

 「演説」は出身藩だった旧中津藩で使われていた「演舌書」なる書面に由来するという。

「舌」という語句が俗なために「説」に換えた。

福沢本人がそう述べたと慶応義塾のホームページにはある。

 昨日の国会での施政方針演説で、安倍首相は、福沢の「出来難(いできがた)き事を好んで之を勤むるの心」という言葉を引用した。

困難なことにひるまず、前向きに取り組む心こそが、明治維新から近代日本をつくっていったのではないかと述べた。

 支持率が下がる中で、明治という時代の勢いにことよせて心意気を示そうとの思いは理解できる。

しかし、演説にカタカナが目につく首相が「カントリー・アイデンティティー」をまた持ち出したのは、やや理解しにくい。

 首相は「カントリー……」は「我が国の理念、目指すべき方向、日本らしさ」だという。昨年の所信表明演説での言い方の繰り返しだが、

その中身とカタカナで呼ぶ必然性が、よく見えない。

 福沢は、演説や講義での、やさしい行き届いた説明の大切さも説いている。

例えば「円き水晶の玉」を、「円きとは角の取れて団子のような」「水晶とは山から掘り出す硝子(ガラス)のような物」と解き聞かせれば、

相手が子供であっても腹の底からよく分かるはずだという。

首相の「我思うところを人に伝うるの法」は、これからのようだ。





判りやすく話すのが演説というのは納得する。流暢に話されるが全く何を話しているのか判らない話もある。





ヒラリー氏が来年秋の大統領選に名乗りを上げた






平成19年1月28日の天声人語からの引用


米国のクリントン前大統領は92年の選挙で、「一つ買ってくれたら、もう一つはタダ」というキャッチコピーを考えた。

「もう一つ」とはヒラリー夫人のことだ。

つまり、「自分が当選すれば、有能な妻が一緒にホワイトハウスに入ります」

 社会派弁護士の夫人は、地方政治家の夫より有名なほどだった。

名案と思いきや、「夫と並んで大統領になりたがっている」と攻撃を浴びる。

メディアとの「油断のならない関係」に思い至ったと、夫人は自伝『リビング・ヒストリー』(早川書房)で回想している。

 そのヒラリー氏が来年秋の大統領選に名乗りを上げた。

6年前に上院議員になり、国政の実績も積んできた。

かねて民主党の有力候補と目されていただけに、主役登場の趣がある。

いまも人気の高い夫を従え、「もう一つはタダ」を、今度は夫人が訴えることになるのだろうか

 民主党の候補者指名でヒラリー氏を脅かす存在は、アフリカ系(黒人)の若手、オバマ上院議員だという。

3年前の全国党大会で、地方議員ながら基調演説者に抜擢(ばってき)された。

またとない幸運を、氏はしっかりとつかむ。

 「一つのアメリカ」への団結を語って喝采を浴びた。

「オバマって誰?」と首をかしげていた聴衆を、たちまち熱狂の渦に巻き込んでいった。

カリスマ的雄弁は全米に知れ渡り、勢いに乗って国政への階段を駆け上ってきた。

 共和党からも有力者が名乗りを上げている。

米史上初めて白人男性ではない大統領が誕生するかもしれない。

そんな興味ものせて、タフなレースの号砲が鳴った。





ヒラリ-クリントン女史がアメリカ大統領に。でもお金の臭いが強烈に感じる人のように思える。社会派弁護士ということだが

どうしてなのだろうか。アメリカ社会の負の部分を色濃く感ずる人にも思える。

オバマ上院議員はどんな人かはわからない。






お代は政務調査費という名の税金で払った。




平成19年1月29日の天声人語からの引用

 しゃぶしゃぶ33件、うなぎ・ふぐ23件、すし23件など。

2年間で769万円の飲食費を使った。

お代は政務調査費という名の税金で払った。


 東京都の自民党品川区議団が、その全額を返還したのは昨年末のことだ。

隣の目黒区の公明党区議6人が、やはり不適切な使い方を理由に、一斉に議員辞職した直後だった。

自治体が議員報酬とは別に、議員や会派に調査研究の必要経費として渡す政務調査費が、各地で批判されている。

 本紙都内版には「温泉街の視察に妻と娘を同伴」

「白紙領収書で架空請求」「国会議員のパーティー券購入も」といった記事が連日、載っている。

まるで詐欺ではないか。

そう思っていたら、兵庫では県議2人が政務調査費をだまし取った疑いで書類送検されていた。

自宅が事務所なのに、家賃を払ったように装ったという。

 春の統一地方選では、800を超す議会で選挙がある。

議員の資質を問い直す好機だ。


それに向けて先週、「変えなきゃ!議会」という集会が都内で開かれた。

議員特権の乱用などで議会への不信感が募るいまこそ、その質を高めよう。

そう訴える学者らが、10項目の改革目標を掲げた。

 その第一段階の三つを、党派を超えた全国共通の公約にしようと呼びかけている。

(1)議員が自ら議案を提案し、議員同士で討議する

(2)公聴会などを活用し、住民の発言の場を設ける

(3)議事録や質疑をインターネットで公開する。

 こんな当たり前の内容が公約になるのは、まだ実践例が少ないからだ。

あなたの街の議会は「民主主義の広場」になっていますか。





議員にはドロドロとした黒さを感ずるのはだれもであろう。其のどす黒さに魅力を感ずる国民がいるから困り者である。





捏造(ねつぞう)の疑いが指摘されている
関西テレビ制作の「発掘!あるある大事典」は







平成19年1月30日の天声人語からの引用


捏造(ねつぞう)の疑いが指摘されている関西テレビ制作の「発掘!あるある大事典」は、同名のシリーズ本にもなっている。

疑惑の一つのレタスについては、3巻目に「快眠を誘う食べ物??レタス」という項目がある。

 「『あるある』で調査してみたところ、レタスの茎を切ったときに出る白い液体の中に含まれる『ラクッコピコリン』という成分に、

実は、沈静・催眠作用があるということが分かりました」。


断定的な書きぶりで、その効果の実験の記述が続く。

数匹のマウスにレタスの汁を与えると急におとなしくなり、ほとんどのマウスが30分以内に眠ったとある。

 しかし、取材班の立ち会いでマウスの実験をした研究者によれば、成果が得られないまま取材班は帰ったという。

番組では、瞬間的におとなしくなったマウスに「眠ってしまった」と字幕が付けられていた。

 「納豆ダイエット」「快眠レタス」「味噌(みそ)汁でヤセる」。

いずれも、健康や美容への願望と手近な食べ物とが結びつけられている。

現代人は耳よりの情報を求めて、いわばパニック一歩前の状態にある。

その傾きを利用し、弱みを突いて捏造したとすれば罪は重い。

 「これが一番効く」といった、効果を一言で断定するような情報は疑った方がいい。

人の体は複雑で、一つの食品や習慣だけで劇的に変わるものではないだろう。

そう簡単には変わらないところが、生き物に備わる安定性でもある。

 「好き嫌いを減らす」「幅広く食べる」。

視聴率こそとれそうもないが、発掘すべきものは、古来の教えの中にもあるようだ。




騙されただけですむ話であろうか。統制する行政の方にも責任を感ずる。

ゆき過ぎると言論の自由を犯すことにもなりかねない。

元気で長生きは誰もが持つ願いでもある。





最近の言葉から。




平成19年1月31日の天声人語からの引用

 最近の言葉から。

阪神大震災の日、母のおなかにいて翌日生まれた神戸市の堂本太智君は小学6年になった。

誕生日に興味を示す周囲に「もうええやん」と言いたくなる時もある。

冬休みの宿題であの日のことを聞くと、父が初めて詳しく話してくれた。

「自分で震災のことを話せるようになりたい」と思った。

 東京の新大久保駅で線路に落ちた人を救おうとして死亡した韓国人留学生、李秀賢(イスヒョン)さんをモデルにした映画が完成した。

「みなさんに感謝したい。

息子は日本と韓国がより近い国になることを祈っていた」と母辛潤賛(シンユンチャン)さん。

 〈天国へのパスポートもう期限切れなのか何処(どこ)で乗るのか駅も分からぬ〉。

獄中の死刑囚の歌集「終わりの始まり」が出版された。

「尊い命を奪う過ちの重大さを多くの人に伝えなければいけない。

私にはその責務がある」と岡下香死刑囚がその意を記す。


 エチゼンクラゲ大発生の謎を追う広島大の上(うえ)真一教授が語る。

「クラゲは何も言わない。

でも、私たちに海からの警告を伝えようとしている。

人類が今の生活の仕方を改めないと、大変なことになると」

 京都市の保育園「わかば園」の吉岡寿恵(ひさえ)園長は、100歳になった。

「優しい心を育てるのは幼児期が大切。

愛情が伝われば、子どもにもこちらの考えが通じる」

 福岡県中間市の会社員西谷勲さんは東京の中学の夜間学級に励ましの手紙と寄付を毎月送り、50年続けてきた。

「仕事で苦しいとき、手紙を書くことで自分も励まされてきた……生きている限り、ずっと送り続けようと思っています」



韓国の人が日本人の酔っ払いが転落した人を助ける話には感動した。犠牲的精神で誰もができない話だ。



法禅院(檜尾寺)か深草寺か




京都市伏見区深草にある現在は「おうせんどう廃寺」という名で呼ばれている廃寺跡が法禅院(檜尾寺)跡か深草寺跡かで

京都市(j埋蔵文化財研究所)の方で迷っている状態のように見受ける。

深草には奈良時代以前での寺院は二つしか知られていない。それは法禅院(檜尾寺)と深草寺(深長寺ともいう)との二つである

でも既に現在深草寺跡は深草中学校地だとされている中で,何故に問題になるのかが判らない。

深草の土地には平安時代に入ってから大寺が次から次へと建設されている。まず仁明天皇御陵が作られた後に

始め嘉祥寺が建てられ,次にその西院をもって貞観寺が創められている。

しばらく経ってから藤原の氏寺である極楽寺が建てられた。

これらの大寺が立てられる以前の白鳳・奈良時代から「おうせんどう廃寺」はあった。

天平三年(731)に行基によって法禅院が建てられたことが行基年譜で示されており,

その行基年譜に檜尾とも記されていて檜尾寺と改められたことが明らかになっている。

行基という人物を見ていると一生を社会活動に費やしていることがわかる。

橋を渡し,池を改修したり,布施屋(飛脚の泊まる場所)を建てたりなどしていることが明らかになっている。

「おうせんどう廃寺」の南側に七瀬川が流れており,その少し東南には現在「日野ヶ池」という池がある。

この池が氾濫したり,七瀬川も現在でも氾濫し,そして氾濫していた記事が江戸時代の庄屋の記録にも読みとれる。

又七瀬川の蛇行している流れの様子が,どう見ても人工的な加工が加えられた可能性がある。

自然の流れにしては不自然な流れとなっている。特に「おうせんどう廃寺」の近くから下流に至る所辺りが顕著に見られる。

行基が「おうせんどう廃寺」の場所を選んで法禅院を建立したのも,池,川を改修しようとする

それなりの理由があったのではないかと考える。

行基が七瀬川と「日野ヶ池」にも何らかの改良を加え,氾濫を少しでも防ぐための工事をした可能性が見て取れる。

「日野」は「檜尾」に通ずる言葉である。「檜尾」は行基が育った河内の土地がそうであった。

「おうせん」は「法禅」に似通っている。明らかに江戸時代の地図には「おうせんどう」という地名が残っている。

木村捷三郎氏が住居されていた同じ町内である極楽寺町にある庄屋小西家から,明治三年作の地図を借り写された

地図が一般に広く深草学区内に流布されている。その地図によると「おうせんどう」は「追善堂」と書かれている。

檜尾寺が平安中期まで続いたことは発掘された瓦などの遺物から推測される。

真言宗の「血脈類集」には京都市伏見小野に「曼荼羅寺」を開基した仁海が異説として檜尾寺の上座になっていることが記されている。

多分其の頃まで寺院は続いていて,次第に廃寺になっていったと想像する。

小野と深草は近い。伊呂波字類抄の十巻本に「檜尾寺」 法禅寺是也 実恵僧都居住所也

東寺長者補任には東寺の二代目長者実恵は檜尾僧都と号し法禅寺是也とある。東寺は誰もが知っているように官寺である。

檜尾寺に実恵が住居していたことは確実である。実恵の弟子「恵運」と「真紹」は東山連峰の峰を境にして

東側と西側に安祥寺と禅林寺を開基している。実恵が亡くなってからまもなくのことである。

始めに安祥寺を「恵運」がそして次に「真紹」が続いて禅林寺を開基している。

安祥寺と禅林寺の辺りを歩いてみたが,共に一番近い寺院同士になっており,当時,両者の間に互いに往来していたことがうかがえる。

仁海の曼荼羅寺は間もなく焼失して現在も随心院と名前を変えて存在している。

安祥寺は京都山科で随心院の近くに当たるところに今も存在する。

禅林寺は現在真言宗から西山派浄土宗に変わっている。禅林寺永観堂として知られており,いつも行く粟生野光明寺も西山派浄土宗である。

記録から確実に言えることは法禅院→法禅寺→檜尾寺になっていったことである。

最近粟生野光明寺に訪れ,学童疎開時に観音堂と呼んでいたところが阿弥陀堂と名前がかわっていることを知った。

関係あるかどうかわからないが京都国立博物館に粟生野光明寺の十一面観音像が陳列されていた。

その観音像は時代的に粟生野光明寺創立以前に作成された観音像だと注記してあった。


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