随想 平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成12年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成13年1月 分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分10月分11月分 12月分 平成14年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成17年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成18年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成19年1月分 2月分 3月分 4月分 3月になって 3月ともなると,寒さも緩んでくる。暖かい日が多くなってきており.奈良でのお水取りも終わり春も本格的になってきた。 桜便りも温暖化のせいか何処も早く開花宣言が行われている。 ゴルフにはまだ寒いから行く気にはなれない。 阿部首相は何をしているのか自分の思いを遂げるためだけに執着して,国民の気持ちをば理解しようとする姿勢が見えてこない。 それが首相としての指導力というものなのだろうか。 もっと国民によく説明し,理解させ国民の意見を広く聞いてから実行に移してほしいものである。 教育改正法案,:憲法改正のための法案(国民投票法案)などなど。 これらの法律は改正になるのか改悪なのかはわからない。 日本の憲法は「戦争放棄」を誓い,戦後ずーと何処の国とも交戦していない。 世界に誇れる立派な平和憲法がある。 それをどうして変えようとしているのか,理由がわからない。 アメリカと共同で戦争するためのものならば,国民にそれを周知させてからにすべきである。 決していつものように騙すようにして,政府の思い通りにすることが決してあってはならない。 どうもこの人の目指すところは「美しい日本の国」でなく,あの戦前のような「恐ろしい日本の国」のように思えてきてならない。 既に徐々に日本の国は潜在的に戦前回帰へと進行しているように,自分自身が身をもつて肌で感ずるようになってきた。 戦争で苦労をした人々の数か減るにつれ,戦争の恐ろしさ,悲惨さ,馬鹿らしさが日本の国民から次第に廃れてきている。 「美しい日本の国」を唱えながらも,再び「悲惨な恐ろしい日本の国」にしようとしていることである。 安部首相は戦後生まれで,裕福の家庭で苦労知らずのボンボンで育ち,その実感を感じることは無理なことなのであろう。 戦後の貧困からの脱出のため,多くの国民が戦争のために大変苦労をしてきたものである。 平和と豊かさになれきってしまった現在の世の中,それが次第に変化しつつあることがわかっていない人たちが多い。 世の中の流れは愛国精神でこりかたまり,一つの方向へひた走りに走る世の中に変わってゆく兆候がうかがえる。 それに反対する人々は,非国民呼ばわりされ,不敬罪・反社会的な人物で、反逆罪として多数の人たちが戦前牢獄につながれていった。 そして当時世の中は監視社会になっていった。 そのような人々には,特高警察によって,常時,監視の対象者となり,危険人物として見張られていた。 言論の自由は完全に封殺され,それとは逆に言論界全体が次第に体制側をば擁護,弁護し体制の推進する役割を担わせられていっている。 言論界は多分法律で縛られてしまい,その法律にしたがってのことだと思う。 歯車が狂って,勢いずくと,その狂った歯車の動きをば途中で止めることはできなくなってしまう。 今の世の中,すっかり弱肉強食の社会で,アメリカがすすめるプラグマチズム(実用主義)至上主義社会に変わってしまい 実利主義で,役に立たないものは切り捨てられる社会となってきた。 若い人達の世界ではニート フリーター達が社会にあふれかえっている。職を求めてハロ-ワークに通うも適った職は見つからずにいる。 安部首相の「若者に再チャレンジのチャンス」をという言葉だけが踊っている。 その中身は何をどのように具体的にするのかが何も伝わって来てこない。政治とは言葉の遊びではない。 仲良しクラブと称されている灰色閣僚の辞任すらできない人に何ができるのかと,国民の不満感は極度に高まってきている。 でも「郵政改革法案に対してイェスかノ-か」との衆議院選挙の:結果による衆議院員数の力が今もひきずっていて, 現在も政府の思い通りに全ての事が運ばれているそしてできる。 郵政改革法案に反対していた自民党議員をも続々復党させている。何のためのあの法案でおおさわぎしたのだろうか。 全ては後の祭りである。 小泉前首相の思いを達成させるためで中身は何も伴ってはいない。その後遺症で安部政治がおこなわれている。 これは全てうまく国民を騙した前小泉首相の演技力のオカゲによるもので,あって今も負の政治の遺産を引きずっている。 国民をうまく騙し続け,政治をしてきたのが,戦後ずーと続いてきた自民党政治ではなかったのか。 国民に対して「憲法改正はイエスかノ-か?」でもって総選挙解散し,民意を聞いてから問題のある関連法案の決議をするのが 本当の民主主義というものである筈なのだが。 利権・金への誘惑でもって集め得た政党支持者の票だけの政治が今も引きずり続け行われるようであってははいけない。 本来の民主主義に基ずいて政治が行われるべきである。 世界ではイラクは益々に泥沼化し,少々のアメリカ軍の増派では追いつかない位にテロによって 毎日のようにイラク人の死者が何十人も増え続けていって止まることはない。 スンニ派とシ-イ派の対立が益々に深まり,内戦状態のようでバクダットでは両派の住民の住み分けが始まっている。 アメリカのブッシュは何を考えているのかが全く判らない。 戦争によって,だがそのお陰でアメリカの石油産業・兵器産業が潤い儲けていることはだけは想像できる。 日本は,いつまでもアメリカに追従してイラクでの航空支援をば続けようとしている。それも,これから二年間もである。 どうしてなのだろうか。アメリカの半殖民地国家の宿命でもあるのだろうか。! 中国の温家宝首相が今回訪日して中国と日本との間の「氷を溶かす」の旅に来日された。 このことはアメリカ一辺倒の外交からの脱却の助けになればと願う。 アメリカも中国との外交に力を民主党政権に変われば,加速化されるとの報道されている。 阿部氏はブッシュと心中するつもりなのだろうか。 日本にもこれが良い機会で,中国並びにASEANとも友好関係を更に発展させ,ヨーロッパにおけるEU諸国に負けないような アジア隣国同士が仲良くしてゆく大国家連合体を早く形成させるべきである。 その初めとしてアジアの大国である中国と友好関係は絶対の必要不可欠である。 是非日本の国是として進めて欲しいものである。 韓国出身の国連総長は今のところアメリカの番犬化しているのか,マスコミに報道される機会が少なく,その様子が全くわからない。 これでは駄目で,日中をはじめアジア諸国が一緒になり国連を援助してゆくべきである。 アジアは一つになりで,大アジア国家になれば,自然に境界争いも消失する。 そのような大アジア共栄圏をつくるべきである。それくらいを目指す大首相が早く日本からでるべきである。 今回の中国の温家宝首相の訪日は日本国民に対して数々の好印象を残し帰国されて行ったと思う。 日本が統治する朝鮮で 1919年の3月1日に起こった 反日独立運動 平成19年3月1日の天声人語からの引用 幕が開く直前に、群衆の歌声が流れる。 「きょうは三月一日、美わしき故国三千里の山河……」。 日本が統治する朝鮮で、1919年の3月1日に起こった反日独立運動を題材にした戯曲の一節だ。 「敵よ立ち去れ 朝鮮独立万々歳」と続く(金南天「三・一運動」『現代朝鮮文学選』創土社)。 当時、朝鮮軍司令官だった宇都宮太郎大将の日記などが見つかった。 運動を鎮圧する中で起きた虐殺を隠蔽(いんぺい)し、抵抗したために殺害したことにするといった機密が記されている。 一方で、朝鮮人の恨みは自然とも書き、民族運動家や宗教者らと意見交換もしていたという。 他国による支配を恨むのが自然なことは、日本と朝鮮の立場が逆だったらと考えれば明らかだ。 遠い本国から植民地を眺めるのとは違った、生身の現場に立つ責任者の厳しさや、心の動きのようなものが伝わってくる。 この運動の鎮圧のために心身を労したことが、3年後の死の直接の原因となったと、息子の故・宇都宮徳馬氏が書いていた。 (『アジアに立つ』講談社)。 「父は、朝鮮人に対しては、日本人に対する以上の親愛感をもっていたらしい」 徳馬氏は、京大在学中に左翼運動に加わり、不敬罪で検束された。 戦後は衆参両院の議員を務め、リベラルな硬骨漢として知られた。 アジアへの思いは深く、平和と軍縮を強く訴え続けた。 徳馬氏は、お前の精神の師匠は誰かと問われれば、やはり父の名を第一に挙げるとも述べている。 日記には、受け継がれたその精神の源流もつづられているはずだ。 このような日本の軍人であっても立派な先人がいた。 これからは植民地ではなく,一つの対等のアジア国家連合体を作るべきである。 この当時の朝鮮は韓国と北朝鮮が日本の植民地下にあった。このことに対する日本の罪は重い。 それにより第二次大戦後はソ連とアメリカの支配下に置かれ,38度線で二つの国に分断された。 これは日本が植民地下していなければこのようなことは起きなかったかもしれない。 北朝鮮も運命に翻弄された国家で,拉致問題だけ取り上げ,経済制裁するのはアメリカの戦略にのってしまった結果ではないのか。 アメリカの後押しと北朝鮮拉致があっての日本の阿部首相では仕方ないことだが, 大局的には韓国の金大中が進めて来た太陽政策は間違っていない。 暖かい目で北朝鮮 そして拉致問題も見続けるべきである。 経済制裁は日本が大東亜戦争に突入したのも世界からの経済制裁されたのが原因であり, 経済制裁下,石油なとの資源か゜なくなり,苦し紛れに東アジアに侵攻していった日本の過去を思い出すべきである。 北朝鮮と国交回復すれ拉致問題も自然解決されるはずだ。 最近の言葉から 平成19年3月2日の天声人語からの引用 最近の言葉から。 兵庫県赤穂市で、登校する小学生の安全を40年間、 ボランティアで見守ってきた藤田哲之さん(75)が、高齢のため立ち番から退いた。 藤田さんに感謝する集いで、逆に、感謝のあいさつをした。 「40年間、みんなよく注意をして、事故なしで、だれもけがしないでくれた。ありがとうと頭を下げます」 東京の「井の頭自然文化園」のゾウ・はな子が、今年還暦を迎えた。 メッセージが次々に届いた。 「ぼくが飼育係になるまで長生きしてね」「小さい頃から楽しませてくれてありがとう」 映画「不都合な真実」などを通じた気候変動問題の啓発活動で、 米科学誌が「06年に最も影響力のあった政策指導者」に選んだアル・ゴア元米副大統領が述べた。 「私は地球温暖化と言わず、気候クライシス(危機)と呼ぶ」 03年の鹿児島県議選を巡る選挙違反事件で、鹿児島地裁が被告12人全員を無罪とし、 「架空の事件」で起訴が行われたことを示唆した。 「人生を壊された悔しさは言葉にならない。 警察には家族に土下座して謝ってほしい」と被告のひとり。 詩人の谷川俊太郎さんが、高校生に「インスピレーションがわく瞬間はありますか」と問われた。 「あります。日本語という豊かな畑に植物みたいに根を下ろして、 自分を空っぽにして待ってると、水を吸い上げるようにして、言葉が出てくる」 「人間は200年も300年も生きられない。 だったら、自分の思うまま、自分らしくやろうよ」。 前巨人・桑田真澄投手、38歳。大リーグを目指す。 戦後の俳壇をリードした飯田龍太さんが、 86歳で亡くなった。 平成19年3月3日の天声人語からの引用 山の上に、橙(だいだい)色の春の満月が現れた。 「名残り惜し気に山を離れるとやがていさぎよく中天に昇った」。 そこから、あの代表句が生まれた。 〈紺絣(こんがすり)春月重く出(い)でしかな〉(飯田龍太『俳句・風土・人生』講談社学術文庫)。 戦後の俳壇をリードした飯田龍太さんが、86歳で亡くなった。 父・蛇笏から俳句誌「雲母」の主宰を引き継ぎ、会員4千人の大結社に育てあげた。 しかし92年には通刊900号で終刊を表明し、その潔さを強く印象づけた。 〈一月の川一月の谷の中〉。 今は笛吹市となった山梨県の境川村に住み続けた。 平穏な農山村であることを愛し、その味わいを「炊きたての白いご飯」にたとえた。 「手軽な菜のものに手作りの味噌汁があればもう最高の美食」(『紺の記憶』角川書店)。 東京という巨大な存在については、厳しい視点を持っていた。 俳句は、どこに住んでも「地方」なのだと知るところから生まれる詩(うた)だと説く。 「東京も、東京に住むひとには、瞭(あきら)かに『地方』と考えたとき、はじめて足下が見えてくる」 好きな季節を問われると、いつも早春と答えたという。 野山が春めくと「牧場に放たれた仔馬のように、山を駆け、川を飛ぶ。 ときに猿のように喬木(たかぎ)の梢に揺られて昇天のおもい」もした。 もう現実にはないような情景だが、どの地に育った人であれ、その琴線に触れてくるような不思議な句の底には、 この情景が映っていたのではないか。 それを抱き続けた魂が、近づく春の足音を聞きながら旅立った。 〈春の鳶(とび)寄りわかれては高みつつ〉 野山もそして街にもいつまでも平和な姿でありたいものです。 死刑執行の補佐役を 買って出る刑務官の、 心の揺れを描いている 平成19年3月4日の天声人語からの引用 昨年亡くなった作家、吉村昭さんに「休暇」という小編がある。 新婚旅行の特別休暇を取るために、死刑執行の補佐役を買って出る刑務官の、心の揺れを描いている。 刑務官は、絞首刑でつり下がった囚人を脇で支える役を引き受け、代償に休暇をもらう。 だが執行時の生々しい記憶が旅先にまでついてまわる。 国家の命令で人を殺す者の、心身の負担を、吉村さんは冷徹に凝視する。 国内でこのところ、死刑判決が急増している。 凶悪な事件が多いためか、厳罰を求める空気が社会に濃いといい、「死刑のハードルが低くなった」と感じる裁判官もいる。 一方で執行は減る傾向にあり、獄中の死刑囚は100人に達する見通しだ。 現場だけでなく、死刑を命じる法相の心の負担も、小さくないことをうかがわせる。 米ニューヨーク州で95年、警察官2人が射殺された事件を機に世論がうねり、死刑制度が復活した。 その法律に、州知事は2人が生前に使っていた2本のペンで署名した。 美談めいて伝わる逸話は、死刑から報復感情を切り離すことの難しさを物語っている。 フランスの文豪ユゴーは、「死刑台は様々な革命で転覆されていない唯一の建物だ」と述べた。 その仏で先ごろ、死刑を禁じる条項が憲法に加えられた。 「罰することと復讐(ふくしゅう)は違うのです」。 ドビルパン首相が議会で語ると、大きな拍手がわいたそうだ。 被害者の無念、遺族の悲しみ、世間の怒り、さらに社会正義……。 それらの先兵として、人に、人を殺せと求める。 それだけでも、死刑はむごい刑に思われてならない。 格差社会と自由が交差したなかで犯罪が急増している。政治の貧困の結果である。 その責任をば政治家は感じているだろうか。 中国の雲南省のある県が、 森林保護区のはげ山を ペンキで「緑化」したというのだ 平成19年3月5日の天声人語からの引用 「青いキリンを見せてくれたら大金を出す」と大富豪が持ちかける。 イギリス人は議論を重ね、ドイツ人は図書館へ、アメリカ人は軍を世界に送る。 日本人は品種改良に明け暮れ、中国人は青いペンキを買いに走った (早坂隆『世界の日本人ジョーク集』中公新書ラクレ)。 そのまんまの話が中国から届いた。 雲南省のある県が、森林保護区のはげ山をペンキで「緑化」したというのだ。 採石場跡の岩肌を7人が45日で染め上げた。 写真を見ると、樹木とは似ても似つかぬ毒々しい色だ。 住民は「植林のほうが安かった」と県当局の奇策にあきれている。 中国では、国際オリンピック委員会が五輪候補地の視察に訪れた01年冬にも、北京市内の枯れ草がたちまち緑になった。 「差不多(チャープトゥオ)」。 大した違いはないのだから気にしなさんな、という日常語である。 細部にとらわれない大局観は何ごとにも必要だ。おおらかな大陸流も悪くない。 だが、内外に影響が大きい自然環境や食品安全をこの感覚で扱われてはたまらない。 見かけの力は侮れない。 だからつい、困った時のペンキ頼みとなる。 ペンキは素材の腐食を防ぎつつ、外に向けては見る者の心に作用する。 部屋を塗り替えれば気分が変わるし、銭湯の富士山は浮世の憂さを晴らしてくれる。 造花、人工芝からカニ風味かまぼこまで、代用品への執念は暮らしを豊かにしてきた。 そっくり技術の極意は、本物にとことん迫りながらも本物とは一線を画する点にある。 ここをわきまえないと、笑い物だ。 青いのはペンキであって、キリンではない。 ペンキによる緑化はいただけない。森林が無秩序に伐採されてゆく緑化への努力は日本にも言える。 山崩れ洪水の原因にもなる。人ごとではない。 徳川幕府の鎖国令があり、キリシタンへの弾圧が強まった 平成19年3月6日の天声人語からの引用 あの少年使節たちは、このスペインの古都にも来ていたのか。 トレドの丘でそんな感慨を覚えたのは20年ほど前だった。 16世紀の終わりごろ、九州のキリシタン大名が遣わした天正遣欧使節の4人のひとりが、 ここで病に倒れ、手当てを受けたと聞いた。 トレドの後、4人はローマで法王に謁見(えっけん)し、出国から約8年後に帰国する。 激動の時代で、17世紀に入ると徳川幕府の鎖国令があり、キリシタンへの弾圧が強まった。 使節のひとりで、帰国後に司祭として布教していた中浦ジュリアンも捕まり、長崎に送られた。 掘った穴の上に逆さづりにし、信仰を捨てて「転ぶ」合図をすれば助命するという拷問に耐え、ついに息絶える。 中浦を含む、この時代に殉教した日本人188人をローマ法王庁が「福者」とするという。 従来、福者は男性の指導的な信徒が主だった。 今回は一般信徒がほとんどで、女性や子どもにも多く光が当てられる。 『クアトロ・ラガッツィ??天正少年使節と世界帝国』(集英社)を著して大佛次郎賞を受けた若桑みどりさんは、その中で 4人の悲劇は日本人の悲劇だったと書く。 「日本は世界に背を向けて国を閉鎖し、 個人の尊厳と思想の自由、そして信条の自由を戦いとった西欧近代世界に致命的な遅れをとったからである」。 そして「ジュリアンを閉じ込めた死の穴は、信条の自由の棺(ひつぎ)であった」とも記す。 約400年たったが、信条の自由が世界中に行き渡ったとは、まだ言えない。 自由の貴さ、そして人間のむごさと強さを改めて考えさせられる。 弾圧は時代により内容が変わっていつ時代にも起きている。 為政者の思い通りの弾圧はどの時代にもあったし,あるのではなかろうか。 東京都心の愛宕山に登った 平成19年3月7日の天声人語からの引用 強い春風の中、久しぶりに東京都心の愛宕山に登った。 山とは言っても海抜26メートルというから、10階建てのビルくらいか。 それでも江戸時代には、町並みや海を見渡す絶好の眺望の地として知られ、浮世絵に描かれた。 明治期にも、地理学者の志賀重昂が『日本風景論』に眺めの良さを記した。 「東京愛宕山に登りて四望す、なほかつ広遠の気象胸中より勃発(ぼつぱつ)するを覚ゆ」(岩波文庫)。 今は白梅の咲く、その頂からの眺めは変わった。 周りには数十階建てのビルが林立し、視界はさえぎられている。 かなり以前からそうなってはいたが、これからの東京の姿を左右する都知事選を前に、そこで転変を顧みたいと思った。 「大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいいところではない」と芥川龍之介が書いたのは大正期だった。 東京の変化は激しく「殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいもののみである」 (『芥川龍之介全集』岩波書店)。 変容は更に続いた。車のために道を広げ、建物の軒を思うさま天に伸ばしてきた。 国の人口減や、右肩上がりの時代の終焉(しゅうえん)も指摘される中、多くの街とつながる首都の未来を各陣営はどう描くのか。 東京のかなり上空を飛んだ時、さしもの高層ビルも地面にへばりついているように見えた。 富士山を背にした東京は浮世絵の時代に戻ったかのようで、この街を支え続けてきた大地や川、海、空の大きさを感じた。 そうした自然と、どう手を携えるのか。 知事選を、広い視野で東京を眺め、未来を選ぶ機会にしたい。 テレビで見ている限りおいて,ヨーロッパは古い町並みが何時までも保持されている。 東京も大阪もアメリカの大都会と見間違えるくらいに高層ビルが乱立している。 アメリカ一辺倒のアメリカ追従日本の象徴なのだろうか。 イラクの戦場に身を置き、 傷を負って帰国した米兵の扱いの 問題が浮上した 平成19年3月8日の天声人語からの引用 アメリカの山あいの町から3人の青年がベトナム戦争に送り出される。 捕虜になり、辛くも脱走するが、心と体に負った傷は深かった。 帰還兵らを主人公にしたマイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」は、人格を変える戦場の狂気を描いた秀作だ。 イラクの戦場に身を置き、傷を負って帰国した米兵の扱いの問題が浮上した。 帰還兵らは米陸軍病院について「2年間、治療方針が示されなかった」 「壁一面にカビの生えた外来用病室に住まわされた」などと訴えている。 訴えの底には、戦場でどんな思いと体験をしたか分かってほしいという悲痛な願いが感じられる。 イラクの市民の側の犠牲も含め、戦場の本当の悲惨は現場に居なければ分からないのかも知れない。 米国の作家ヘミングウェイは、第一次世界大戦の戦場での砲撃で重傷を負い、後に「武器よさらば」を書いた。 こんな一節がある。 「戦争以上に悪いものは存在しません」「敗戦はもっと悪いぜ」……「敗戦がなんですか? 家へ帰れます」(谷口陸男訳・岩波文庫)。 日本の政府・与党が、イラク復興支援特別措置法の期限を延長する方針だという。 派遣を延長される側の身にもなって、よく考えているのだろうか。 肌身で戦争を知らない大統領が始めた戦争を、戦場を知らない首相と、 戦争を知らない世代の次の首相が手放しのようにして支持し、支援する。 危ういことだ。 現在は、刻々と過去になり、歴史となる。 大統領とふたりの首相には、書き直せない歴史を今つくっているという厳粛さに乏しい印象を受ける。 本当に戦争を知らない世代に政治をまかすことになるのは必然であるが,同じ過ちだけは繰り返して欲しくない。 核のある時代戦争は人類破滅への道である。 政治資金収支報告書に事務所の光熱水費として 計上された5年分の約2880万円は、 平成19年3月9日の天声人語からの引用 「その金額は、身に覚えがありません」。 もしも、事務所というものに口があったとしたら、少しとがらせて、こんなふうにでも言うのだろうか。 松岡農林水産相の資金管理団体の事務所を巡る光熱水費の謎は、そんな空想を誘う。 議員会館にある事務所の光熱水費は、もともと無料だという。 従って、政治資金収支報告書に事務所の光熱水費として計上された5年分の約2880万円は、 「事務所くん」には本来なら覚えのないものだろう。 それともこの事務所には、無料の対象から外れるような特別に高価な仕掛けでもあるのだろうか。 空想のついでに、イソップ物語の「木こりと斧(おの)」の話に飛んでみよう。 木こりが誤って斧を川に流してしまう。 現れた神が金の斧を手に「お前のか」と聞く。 正直者の木こりは違うと答え、次に神が示す銀の斧でもないと言う。 最後に本人の斧を出すとうなずいたので、神は三つとも、木こりに与えた。 それを聞いた男が、わざと斧を流す。 神が金の斧を示すと「それだ」と答え、自分の斧も没収されてしまう。 松岡氏と同様に議員会館だけを事務所にする幾つかの議員のところでは、光熱水費は計上されていないという。 「うちの事務所の水は、他のとは違って金の色」とでも言うのでは、「斧」を失うことになるだろう。 松岡氏のホームページには「真実一路」が信条とある。 北原白秋が「巡礼」でうたった。 「真実一路ノ旅ナレド、/真実、鈴フリ、思ヒ出ス」。 その立派な信条に沿って、鈴を振って思い出し、よく説明してみてはどうか。 議員の常識は国民の常識とかなり異なっている。問題閣僚は速やかに辞めるのが当然である。 其の議員をかばい続ける首相の能力のなさにはあきれかえる。 1945年3月10日の東京大空襲などを記録 平成19年3月10日の天声人語からの引用 焦げ茶色の鉛筆に、時代を映す標語が刻んである。 「何んでも大切いくさの資源」。 1945年3月10日の東京大空襲などを記録し、 伝えてきた「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)が今月、新装開館した。 国民学校の教育といった戦時下の庶民の暮らしぶりや、それを破壊した空襲の実相が展示されている。 東京大空襲では、一夜で約10万人の命が奪われたとされる。 昨日、その被災者や遺族が、国に損害賠償と謝罪を求める集団訴訟を東京地裁に起こした。 国家補償が整備された旧軍人・軍属と、一般被災者との格差が問い直される。 原告側は、旧日本軍による中国・重慶への大爆撃などが米軍の作戦に影響を与えた点についても責任を問う考えだという。 「戦災資料センター」の館長で作家の早乙女勝元さんが編んだ『母と子でみる 重慶からの手紙』(草の根出版会)も、 日本の侵略や重慶爆撃が先にあり、その結果として東京大空襲があったと述べる。 もちろんそれは、東京大空襲が仕方がなかったなどということではない。 米軍による民間人への無差別爆撃を問うのと同じように、日本による民間人への爆撃を肝に銘じ、省みることの大切さを指摘している。 空襲を受けた記憶を持つ国や街は、日本や中国に限らない。 ドイツのドレスデンやスペインのゲルニカの惨事が知られ、戦後もベトナムやアフガニスタンなどがあり、イラクでも多くが犠牲になった。 3月10日。それは、そうしたあらゆる国と街の記憶をつなぎ、未来に伝えることを胸に刻む日でもある。 無差別空襲 原爆投下に対してのアメリカ軍の責任はどのようになっているのだろうか。? イラクでは今も同じようなことが起きている。 暖冬を引き継いだこの春、 命の蠢動(しゅんどう)はいつになく気ぜわしい 平成19年3月11日の天声人語からの引用 温雅な句風で知られた後藤夜半(やはん)に〈跼(かが)み見るもののありつつ暖し〉がある。 春先、地面に多彩な命がうごめき出す。 土を割って出た草花や、這(は)い出してきた虫を、作者は身をかがめ、いつくしむように見つめている。 暖冬を引き継いだこの春、命の蠢動(しゅんどう)はいつになく気ぜわしい。 春の虫の代表格モンシロチョウの初見が、松山市では平年より28日も早かったそうだ。 初めて見かけるチョウを「初(はつ)蝶(ちょう)」といい、俳句の季語にもなっている。 〈初蝶やいのち溢(あふ)れて落ちつかず 春一〉。 冬が暖かかった今年、虫たちはさぞ生命力旺盛と思いきや、そうでもないことを動物学者、日高敏隆さんの随筆に教えられた。 日高さんによれば、多くの虫にとって冬の寒さは必要不可欠なのだという。 休眠する虫たちは、5度以下の低温にさらされることで、春を迎えるための変化が体内で進む。 チョウの場合、寒い時期を十分に過ごせなかったサナギは、卵もあまり産めない、ひ弱な成虫になってしまうそうだ (『春の数えかた』新潮文庫)。 暖冬が続けば、多くの虫は滅びてしまうかも知れない。 休眠せずに、寒さにじっと耐えているゴキブリのたぐいばかりが生き残る、と日高さんは案じている。 冬は寒く、夏は暑く。 季節がきちんと尽くされることが自然界には大切なのだ。 啓蟄(けいちつ)もすぎた日、夜半(やはん)をまねて、春の土に目を留めてみるのも興がある。 〈地虫出てはや弱腰と強腰と 祐里〉。 押し出しのいいやつ、恐縮しているやつ、黙々たるやつ……。 うごめく中に、誰かに似た虫がいるかもしれない。 暖冬が地球汚染によるものならば早く対策を実行させるべきである。 汚染大国アメリカ 中国の動きが大変気にかかる 暖冬を引き継いだこの春、 命の蠢動(しゅんどう)はいつになく気ぜわしい 平成19年3月12日の天声人語からの引用 温雅な句風で知られた後藤夜半(やはん)に〈跼(かが)み見るもののありつつ暖し〉がある。 春先、地面に多彩な命がうごめき出す。 土を割って出た草花や、這(は)い出してきた虫を、作者は身をかがめ、いつくしむように見つめている。 暖冬を引き継いだこの春、命の蠢動(しゅんどう)はいつになく気ぜわしい。 春の虫の代表格モンシロチョウの初見が、松山市では平年より28日も早かったそうだ。 初めて見かけるチョウを「初(はつ)蝶(ちょう)」といい、俳句の季語にもなっている。 〈初蝶やいのち溢(あふ)れて落ちつかず 春一〉。 冬が暖かかった今年、虫たちはさぞ生命力旺盛と思いきや、そうでもないことを動物学者、日高敏隆さんの随筆に教えられた。 日高さんによれば、多くの虫にとって冬の寒さは必要不可欠なのだという。 休眠する虫たちは、5度以下の低温にさらされることで、春を迎えるための変化が体内で進む。 チョウの場合、寒い時期を十分に過ごせなかったサナギは、卵もあまり産めない、ひ弱な成虫になってしまうそうだ (『春の数えかた』新潮文庫)。 暖冬が続けば、多くの虫は滅びてしまうかも知れない。 休眠せずに、寒さにじっと耐えているゴキブリのたぐいばかりが生き残る、と日高さんは案じている。 冬は寒く、夏は暑く。 季節がきちんと尽くされることが自然界には大切なのだ。 啓蟄(けいちつ)もすぎた日、夜半(やはん)をまねて、春の土に目を留めてみるのも興がある。 〈地虫出てはや弱腰と強腰と 祐里〉。 押し出しのいいやつ、恐縮しているやつ、黙々たるやつ……。 うごめく中に、誰かに似た虫がいるかもしれない。 寒いことも必要だとされる中で暖冬をば喜んでばかりではいられない。 一つの世界で長く続いた仕組みや慣習にも、 すぐには止まれないところがあるようだ 平成19年3月13日の天声人語からの引用 「とび出すな 車は急に止まれない」という交通標語があった。 車に向かって言うなら「とび出すな 子どもは急に止まれない」だろうが、 すぐには止まれない車が迫る怖さが巧みに言い表されていた。 一つの世界で長く続いた仕組みや慣習にも、すぐには止まれないところがあるようだ。 野球界の長年の悪習といわれ、04年に球界を揺るがせた「栄養費」の問題が、それ以後も続いていたことが分かった。 プロ野球の西武ライオンズが、学生と社会人のアマチュア選手ふたりへのスカウト活動で、 計1300万円近くの金銭を学費や栄養補給費として渡していたと発表した。 05年に、不正をしないことを各球団で申し合わせた後にも続いていたことは、悪習の根深さをうかがわせる。 西武の悪質性が際立つが、球界の体質も気になった。 以前から隠蔽(いんぺい)体質が指摘されてきた電力業界でも、新たな問題が浮上した。 先日、東京電力が、原発の緊急炉心冷却システムに絡む故障を国に届けなかったことが分かったが、 今度は東北電力で、原子炉が自動的に緊急停止したのに国に報告していなかったという。 98年のこととはいえ、原発の内側という、世間から見えにくいところでの営為に絡む問題が続くのは残念だ。 業界の独特の慣習や傾きといったものの根は深い。 改めるのには抵抗もあるだろう。 しかし放置すれば企業や業界の命取りになり、人や社会に大きな害を及ぼす。 危険が目前に迫ってからでは、どんな車でもすぐには止められない。 だから常に注意を払い、ルールを守る必要がある。 ルールが一番基本である野球界でのルール違反が発覚してきた。現在の司法界においもルール違反が常習化しているのには 司法の番人で自認している人たちが黙認していることに対して驚きをば隠しえない。 大阪から高知に向かっていた全日空機が、胴体着陸した。 平成19年3月14日の天声人語からの引用 前輪の出ない飛行機が下りてきた。 後輪が滑走路をつかみ、二輪で走る。 やがて機首の下が滑走路に着いて火花が散ったが、 幸い火災にはならず、全員が無事帰還した。 大阪から高知に向かっていた全日空機が、胴体着陸した。 危機への対処が、全体としてうまくいったのだろう。 着陸後、機内では大きな拍手がわいたという。 40年前、大阪発大分行きの全日空機で、右の後輪が出なくなった。 大阪空港に引き返し、左の後輪と前輪で無事に胴体着陸した。 この時の機長だった茂木敏夫さんが、当時のことを記している。 前年は、羽田空港沖や松山沖などで4件もの墜落事故があった。 悲惨な記憶が生々しいはずの乗客を念頭に、状況をよく説明したという。 客室にも行き「機長を信じスチュワーデスの指示に従って下さい」と述べた。 いよいよ着陸する時には、「何んとはなしにさっぱりした気分だった」(『片脚着陸』扁舟舎)。 着陸後の茂木さんの様子を、副操縦士が書いている。 乗客らの後に機を離れる時、茂木さんに促されて先に行って振り返ると、 上着をおもむろに着て、クシで髪を整えながら悠然と歩いてきたという。 今回も、乗員の冷静さもあって、機内は平静だったようだ。 しかし、このカナダのボンバルディア社製の同型機にはトラブルが相次いでいたという。 出ない脚を手動操作で出したことも2回あった。 脚が出ない飛行機は、死と隣り合わせだ。 いくら機長や乗員が踏ん張っても、大事故は必ず防ぎきれるものではない。 見事な着陸は、悲痛な警告に見えた。 事故で何も被害者が出ていないことは不幸中の幸いである。何時惨事につながるか判らない。 後悔は先にたたずである。 身の回りで急激に増えたのは CDやDVDのような薄い円盤だ。 平成19年3月15日の天声人語からの引用 「円盤」といえば、空飛ぶ円盤やレコードを連想する時代があった。 今、円盤といえば何だろう。 身の回りで急激に増えたのはCDやDVDのような薄い円盤だ。 フロッピーディスクやMOディスクの中にもあり、膨大な情報が蓄えられる。 小さい体に大きな記憶を載せた電子の円盤だ。 この、軽くて持ち運びにも便利な円盤が絡む情報の流出が後を絶たない。 大日本印刷で流出した、取引企業から預かった個人情報は、約863万人分にのぼったという。 情報を持ち出したとされる、大日本印刷の業務委託先の元社員が、窃盗の罪で東京地検八王子支部から起訴された。 5年近く電算処理室で勤務していたという。 空前の規模の流出による影響は大きいが、起訴の被害額は「250円」だった。 この落差に時代が映っている。 電子データのような情報は刑法の「財物」ではないので、情報を盗み出しても窃盗罪に問えない。 それで、大日本印刷からMOディスク1枚という250円の財物を盗んだとした。 コーヒー1杯ぐらいの金額だ。 「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンは一片のパンを盗んで投獄されたが、 今の時代にこの額で罪に問われることはまれだ。 「情報漏洩(ろうえい)罪」を新設しようとする動きもある。 しかし内部告発のような、結果として社会に有用なことまで断罪するのは得策ではないだろう。 情報の管理が肝要だが、防護の盾を巡らせても、守りきるのは容易ではない。 絶対に破らせないと盾が言い、どんな盾でも破ると矛が言う。 新しい円盤を巡る、矛と盾の攻防だ。 個人情報が喧しくいわれる中で情報を盗み出すメディアが小さく便利になってきている。 「情報漏洩(ろうえい)罪」があっても良いようにおもうのだが。 民間病院の小児科医師が、 うつ病にかかって自殺したのは 過労やストレスが原因だとして、 平成19年3月16日の天声人語からの引用 仕事が立て込む。 さらに、あちこちから声がかかる。 体がもたないなどと言いつつ、笑顔でこなそうとする。 いつでも便利な「コンビニ記者」などと周りから呼ばれる、そんな青年が、昔いた。 仕事が、各人に完全に平均して課せられることは多くない。 仕事の量と難しさに多少のデコボコがあるのが、世間の大方の職場だろう。 しかし、それが限度を超えて続けば、健康や命にもかかわってくる。 東京都内の民間病院の小児科医師が、うつ病にかかって自殺したのは過労やストレスが原因だとして、 妻が労災を認めるよう訴えた訴訟で、東京地裁がそれを認めた。 多い時は、宿直が月に8回もあって睡眠不足に陥ったと認定し、自殺は過労が原因とした。 被告となった労働基準監督署の側は、発症の原因は小児科医個人の「脆弱(ぜいじゃく)性」と主張していたが、判決は退けた。 人が、どれほど「脆(もろ)く弱い」のかを決めるのは難しいのではないか。 数値にはなじまないし、本人が亡くなっているのだから。 90年2月、環境調査会社の男性が突発性心機能不全で亡くなった。 40歳で、その頃は月に370時間も働いていたという。 朝出勤する時、幼子が言った。 「おとうさん、またあそびにきてね」。 戸が閉まると母親にたずねた。 「おとうさんのおうちはどこなの」(全国過労死を考える家族の会編『日本は幸福か』教育史料出版会)。 「おとうさんなんでしんだんだろうね。 はたらいてつかれたの?……しゃしんにうつっているおとうさんほしい」。 父あての手紙は、その死への幼く切ない問いかけだ。 医師は決してスーパーマンではない。医療環境を非常に厳しくしたのは小泉政権である。 その被害はこれからいたるところに噴出してくることであろう。 医療界は競争原理を導入したり環境破壊は益々に医療荒廃を加速化させるだけである。 国立病院に準ずる病院は全責任をもって国が責任を持つべきである。 自治体が破産する時代だから医療界も特別でないというのは,アメリカのような裕福な人たちだけが十分な医療が受けられるような 世界にしてはならない。 日本のように万人が平等な医療を受けられる制度はアメリカの方が真似をしようとして来ている時代である。 日本の医療制度を全世界に発信させるべきである。世界同時に軍事費はゼロにするように,平和への貢献を推進すべきである。 堀江貴文被告は、天からの視座を楽しみ 「天下取り」を心に誓ったという。 平成19年3月17日の天声人語からの引用 東京の都心に遅い初雪が舞った昨日、超高層の六本木ヒルズの展望台に行った。 眼下に、かすんだような街並みが広がる。 この高層階に居を構えたライブドアの前社長、堀江貴文被告は、天からの視座を楽しみ「天下取り」を心に誓ったという。 堀江被告が裁かれた東京地裁らしい建物も遠望できる。 そこで言い渡された判決は起訴事実をすべて認め、被告に厳しいものだった。 粉飾した業績を公表し株価を不正につり上げた、あるいは証券市場の公正を害する悪質な犯行などと断罪し、執行猶予を付けなかった。 まだ一審の段階で、上級審でも有罪になるとは限らない。 それはそれとして、判決は、本業の業績が上がっていなかったのに粉飾し、有望企業に見せかけたと指摘した。 堀江被告は、逮捕される前年の05年に『僕が伝えたかったこと』(マガジンハウス)を出した。 「現代のビジネスでもっとも大切なのはスピード」と述べる。 自分たちがナンバー1になるために、どこで差をつけるかといえば、突き詰めればスピードしかないともいう。 常に他を出し抜こうとして、ひたすら突っ走る。 そんな傾きがうかがえる。 企業が成長してゆくのには、ある程度の時間がかかるはずだ。 その必要な時間を極力省き、成長の速さを世間や市場に強調しているうちに、スピードが「法定速度」を超えてしまったのだろうか。 ライブドアは、まるで映像の「コマ落とし」のような異様な速さと動きとで膨らみ、はじけ、しぼんだ。 天からの視座を頂くあの丘には、冷たい風が吹き渡っていた。 ゆがんだアメリカの資本主義制度のアダ花が堀江被告等の事件である。 アメリカ絶対崇拝気運が戦後の敗戦国国民に受け入れられた。 これからはもっと日本の伝統に基ずいた勤勉 真面目な国民が報われる時代に変えるべきである。 長いこと一緒に遊んだおもちゃは家族も同じ 19年3月18日の天声人語からの引用 作家になる前の野坂昭如さんが作詞したその歌は、高度成長期の子どもたちを夢の世界へと導いた。 「そらにキラキラおほしさま/みんなスヤスヤねむるころ――」(おもちゃのチャチャチャ=補作詞・吉岡治、作曲・越部信義)。 玩具に命が宿る構想は、95年の米国映画「トイ・ストーリー」にも通じる。 長いこと一緒に遊んだおもちゃは家族も同じ。 いよいよ捨てる時の寂しさは忘れがたい。 各地の公民館などに、おもちゃの病院が生まれている。 修理者を育てるおもちゃ病院連絡協議会(東京)の推計では、全国に300病院、ドクターは3000人。 地方は「医師不足」で、これから退職する団塊の世代に期待がかかる。 東京都足立区が4月に開く「おもちゃトレードセンター」は、区民が中古を持ち込むと点数化され、別の品と交換できる仕組みだ。 壊れたものはボランティアが修繕し、直せなければ部品を再利用する。 区内の玩具メーカーも協力を約束した。 人形のバネがロケットを救い、消防車の歯車で子犬が生き返る、玩具の臓器移植だ。 不燃ごみを減らしつつ、モノを大切にする心を育てたいという。 壊れたら捨てる、飽きたら買い替えるのでは、おもちゃたちも踊る気にならない。 「私はおもちゃ持参で疎開した世代。 ままごとのタンスをマッチ箱で作ったくらいだから、人形も絵本もボロボロになるまで手放しませんでしたね」。 1962年の夏、NHKの初代「うたのおねえさん」としてあの歌を日本中に広めた、眞理ヨシコさん(東洋英和女学院大学教授)の感慨である。 使い捨てが美徳のように思われるしゃかいであってはならない。ものを大切にする心は日本国民にずーと持ち続けていたこころである。 欧米思想が世界で一番という考えが一般に思われていることが悲しく思うのは日本人の誰にもあるのではなかろうか。 山梨県小菅村が 「無議会状態」に陥ってから、 半月ほど過ぎた。 19年3月19日の天声人語からの引用 議員がひとりもいない。 山梨県小菅村が「無議会状態」に陥ってから、半月ほど過ぎた。 10人の村議が全員そろって辞めた。 きっかけは、1月の知事選での選挙違反だった。 供応などで8議員が書類送検され、あとの2人も「連帯責任」という理由で辞職した。 もはや議会の定足数を満たさない。 報酬だけもらうわけにもいかぬ。 そんな思いもあったらしい。 新年度予算案は宙に浮いたままだ。 村財政は借金で首が回らないが、日々の行政は淡々とこなされている。 当面の光熱費などは、村長の専決処分で払える。 人口は930人ほど。 投票があった8年前の村議選の最下位当選は49票だ。 村が出した議案を、議会が否決や修正することもないという。 これまでと同じような議会が必要なのか。 再生を期す村議選を前に、素朴な疑問も浮かぶ。 統一地方選後半の4月22日の投票日に向けて、村にふさわしい民意の集め方が問われる。 あるべき議会の姿を考えてみる。 これは各地で直面する課題だ。 政務調査費のむだ遣いは、いまや全国共通の問題だ。 「もみ消しも口利きもできなくなった。 議員を続けてもいいことないな」と語る市議もいる。 今週は、いよいよ13都道県で知事選が告示される。 東京都知事選など華やかな対決が注目されがちだが、身近な自治体の議員選から目が離せない。 そもそも議員の仕事とは何なのか。 そのために何人が必要なのか。 その報酬はいくらがいいのか。 このくらいは考えて、一票を投じるとしよう。 関心が低ければ、その質が落ちることは間違いないのだから。 議員が正確に国民の意思をつたえているかというと疑問にかんずることがある。 良いことなければ議員なりたくないような人には議員になってもらいたくない。 米国はイラクに先制攻撃を掛けた。 19年3月20日の天声人語からの引用 イラク戦争が始まって、きょう20日で4年になる。 それを前に米国では、国防総省へのデモ行進や、星条旗で覆ってひつぎに見立てた箱を担いだ反戦デモがあったという。 この4年、星条旗で覆われた数多くの本物のひつぎが担がれ、ほかの外国の旗で覆われた幾つものひつぎも担がれてきた。 そして、さらにおびただしい数のイラクの人たちが犠牲になり、葬られた。 この戦争の墓標は、今も増え続けている。 米国は、大量破壊兵器の存在という、後には否定された理由を掲げてイラクに先制攻撃を掛けた。 攻撃への懸念が国際社会に根強い中で、イラクに無理やり腕を突っ込んでかき回したが、まだ治まりがつかない。 「常備軍(アーミー)とは常置政府がふりまわす腕(アーム)にすぎない」。 19世紀の中葉に『森の生活』を著し、米国の「森の詩人」として知られるヘンリー・D・ソローは、その『市民の反抗』(飯田実訳・岩波文庫)では、 暴政に対して厳しい視線を向けた。 ソローはある時、人頭税の支払いを拒んだかどで投獄される。 不払いは、奴隷制に抗議するためであり、のちには、彼が侵略戦争だとみたメキシコとの戦争をひき起こした政府への抗議が加わったという。 このメキシコとの戦争によって、米国はニューメキシコ、カリフォルニアの広大な土地を獲得した。 「これなどは、常置政府をみずからの道具として利用している比較的少数の個人のなせる業(わざ)である」。 ソローならば、イラク戦争をどう評するだろう。 戦費となる納税を拒否するのかどうか、聞いてみたい気がする。 馬鹿なイラク戦争をブッシュは始めたものである。これではどれだけ続くかの泥沼である。イラクの人たちには大変迷惑している。 どのように終わるかはもっと国連が関与すべきである。その姿は全く見えてこない。 原発の制御棒も 19年3月21日の天声人語からの引用 見たことは無くても、名前を聞けばどんなものかの見当はつく。 原発の制御棒も、そうした名は体を表すものの一つだろう。 核反応を制御するはずの肝心要の棒が抜け落ちる事故が幾つもあったことが、次々に明るみに出ている。 石川県の北陸電力の志賀原発1号機では8年前、制御棒が抜け落ちたために臨界の状態となり、 核分裂の反応が勝手に起きてしまった。 制御を失った迷走は15分ほど続いた。 もしも制御がきかない状態が長く続いていたらと想像すると、背筋が寒くなる。 原発の事故をテーマにした米国映画に「チャイナ・シンドローム」があった。 この題名は、原発が制御不能になって暴走し、どろどろに溶けた炉心が地球を貫い 米国の反対側の中国に達するという意味から来ている。 映画では、たまたま事故の時に原発内で取材していたジェーン・フォンダが扮するジャーナリストらが、 それを明るみに出そうとする。 そこに圧力や妨害が起こり、隠蔽(いんぺい)と公表を巡るつばぜりあいが描かれる。 志賀原発の臨界事故が長く隠蔽されていたことについて、北陸電力の社長が述べたという。 「作業が夜中の2時とか3時とかで、だれも見ていないよという感覚もあったのではないか」。 現場の責任は重い。 しかし、他の電力会社も含め、現場に隠蔽を選ばせてしまうような傾きはなかったのだろうか。 核分裂を制御するのが制御棒だが、制御棒を制御するのは人間だ。 その人間の方の仕組みがきちんと働かないのでは、制御棒という名は体を表さず、その名に背くことになる。 原発は薬でいうならば劇薬である。取り扱いには特別な注意を払ってやってもらいたいことである。 きょう告示される東京都知事選に立候補するという4人が 19年3月22日の天声人語からの引用 「人は変わるものだ」「いや人は変わらない」。 どちらも人間についての正しい見立てのようであり、どちらとも言えないような気もする。 「人は自らの短所を知っている」「いや、自分では分かるまい」。 これも、どちらも正しいようであり、違うようでもある。 きょう告示される東京都知事選に立候補するという4人が、テレビ朝日系の番組で自らの短所を述べるのを見て、そんな連想をした。 それぞれこう言っていたようだ。 現都知事は「短気」、元県知事は「多弁」、建築家は「夢を見る。完璧(かんぺき)を求めること」、元区長は「柔軟すぎるところ」 短気の人は、時に、その短所を包み込むかのような笑みを浮かべていた。 多弁の人は、どんなテーマでもいくらでもしゃべれるという構えを見せた。 夢の人は、他の人たちとは違う夢を独自のユーモアを交えて述べた。 柔軟の人は、かたくみられがちな党のイメージとの落差を、巧みに訴えようとしているようだった。 短所を、売り込みの急所に変える。 それぞれに、役者ではある。 テレビの劇場で演じられる知事選という芝居なのか。 「人間世界は悉(ことごと)く舞台です、さうしてすべての男女が俳優です」(シェークスピア「お気に召すまま」坪内逍遥訳)。 「人は見かけだ」「いや、見かけによらない」。 この見立てにも、どちらとも決めかねるところがある。 映像には、本音を透かして見せる力と、見かけを強調する力とがある。 東京の知事選に限らず、候補者が文字にしたものや、文字になった情報も手に、明日への選択をしたい。 都知事で石原知事が当選している。政界の裏をみるような気持ちである。普通の人ならば反対されて落選するのが当然の人が 当選するのには驚きである。高齢で週に三日しか登庁しない人が当選するとは東京は魔物である。 政治がそのような政治家にまかされているから何時まで経っても日本はよくはならない。 遠い古代には、病気は 悪魔の仕業と考えられていた。 19年3月23日の天声人語からの引用 はるか遠い古代には、病気は悪魔の仕業と考えられていた。 4000年以上前のアッシリアの粘土板に、こんな呪文が刻まれているという。 「頭の、歯の、こころの、心臓の痛みの病気よ……悪い精よ、悪魔よ……家から立ち去れ」 (春山行夫『クスリ奇談』平凡社)。 医師は魔術師のような色彩が濃かったが、医学を科学として確立したのがギリシャのヒポクラテスだった。 この「医学の祖」の時代から現代までに、医学、医療は大きな進歩をとげた。 その現代医療の現場が、一つの薬の使い方を巡って混乱しかねない状態に陥った。 インフルエンザ治療薬「タミフル」を服用した10代の患者を中心に、飛び降りや転落といった異常な行動が指摘されている。 厚生労働省は、原則として10代の患者には使わないこととしたが、10歳未満ならいいのかといった疑問や戸惑いが起きている。 日本では、昨年度に860万人がタミフルを服用したという。 そのカプセルを飲んだひとりだが、確かに高熱が急速に治まった記憶がある。 しかし今回のように、年齢で制限する事態になるとは思ってもみなかった。 厚労省と製造・販売元は異常行動との関係を更に詳しく調べ、速やかに公表してほしい。 ヒポクラテスは「病を治すものは自然である」という説を立てたという。 治療法として自然の回復力を重んじつつ、病人や症状についての注意深い観察の大切さを説いた。 ひとりひとりの患者の症状をよく診る。 そしてその患者にふさわしい処方をすることを、現代のヒポクラテスたちには期待したい。 医学は日進月歩である。でもその治療する側の医師にとっては其の心は時代により変わってはいけない。 どの病気も自然にまかしていればよいものでもない。適切な治療法が求められる。 タミフルはインフルエンザには効果があるようだ。 でも薬には必ずといってよいほどに副作用がある。其の副作用は全員にはでるものではない。 いたって稀である。はかり知りえない副作用があるからといって自然に放置していて良いものでもない。 タミフルはウイルスに効く薬として珍しいものである。 以前にもウイルスに効く薬といわれるものがあったが自然に使われなくなっている。 医療界に経済原理をば導入し医療界を混乱に巻き込ました前小泉首相の責任は重い。 17歳だった城山三郎さんは、 忠君愛国の大義を信じ、 海軍に志願入隊した 19年3月24日の天声人語からの引用 作家の城山三郎さんが亡くなった。 経済小説という新しい分野を切り開いた。 貴いこの仕事は、経済という一分野を超えた大きなものに貫かれていたように思われる。 四半世紀前、城山さんはネパールに旅をした。 ヒマラヤを仰ぐ山国の湖畔で悠々と草をはむ牛がうらやましく、生まれ変われるならネパールの牛になりたいと思う。 そして、戦争末期にも同じ思いをしたことを想起した。 17歳だった城山さんは、忠君愛国の大義を信じ、海軍に志願入隊した。 そこで一部の職業軍人たちが愛国者の顔をしながらいかに醜いかを知る。 理由もない体罰、ひっきりなしに振るわれるこん棒。 兵士が芋の葉をかじる時、士官たちは天ぷら、トンカツを食う。 演習の時、河原でのんびりしている牛を見て、牛の方がいいと思った。 「大義名分のこわさ、組織のおそろしさ。 暗い青春を生きたあかしとして、とりあえずそれだけは書き残しておかねばならない。 そこからわたしの新しい人生がはじまった」。 「大義の末」や「男子の本懐」などが生まれ、組織と人間を見つめる目に磨きがかかった。 「旗」という詩がある。 「旗振るな/旗振らすな/旗伏せよ/旗たため……ひとみなひとり/ひとりには/ひとつの命」(『城山三郎全集』新潮社)。 旗一つで人をあおり、絡めとるようにみえる組織的な動きには、死の直前まで反対の声をあげ続けた。 「戦争で得たものは憲法だけだ」とも述べたという。 それが、城山さんを貫く思いであり、書き記そうとしてきたことの本質だったのかも知れない。 戦争体験者がすくなくなるにつれて,その悲惨さ 馬鹿らしさがわからない人たちが増えて 安部首相のような人が政界に君臨することになった。 一番危険と感じていた一人である。人間は馬鹿で体験しないと身につかないものだろうか。 知識は積み重ねろ事ができても智恵は一代かぎりのものである。 立派な人が他に沢山いると思うが,目先のことで政治が行われているように感ずる。 携帯の使用はここ5年間、 迷惑行為の1位か2位を占めている 19年3月25日の天声人語からの引用 たしか作家の開高健さんだったと思う。 アラスカの川でのサーモン釣りについて、次のような感慨を述べていた。 体長1メートルにもなる大物が掛かると、釣り人は糸を切られないよう必死の格闘を強いられる。 腰まで流れに漬かり、魚の動きに合わせて左へ右へ。 こけつ、まろびつ、ときに引き倒されて溺(おぼ)れそうになる。 「どっちが釣られているんだか、分からない」と。 よく似た思いを、道具に対して抱くときがある。 昨今ならさしずめ1億台に迫った携帯電話か。 仕事の連絡、遊びの誘い、その他もろもろ、どこにいても追いかけてくる。 多くの人が24時間の臨戦態勢だ。 使っているのか、使われているのか、分からなくなってくる。 電車内でのマナー違反も臨戦態勢のゆえだろう。 たとえば得意先からの電話をむげに黙殺は出来まい。 同僚、家族、知人……。 すぐ連絡がつくことを前提に世の中が動くから、マナーは後回しにされてしまう。 日本民営鉄道協会によれば、携帯の使用はここ5年間、迷惑行為の1位か2位を占めている。 「いっそ携帯OKの車両を設けたら」。 そんな意見が先ごろ、他紙の投書欄に載った。 携帯を使いたい人はその車両に乗り、ほかでは全員が電源を切る。 これならペースメーカー使用者も安心だろうし、不愉快も減りそうだ。 逆説めいた発想に説得力があった。 なにせ1億台の「巨魚」である。 「使われている」ことを認めつつ、溺れぬように付き合っていかねばならない。 マナーについては、モラルを唱えるばかりではなく、実態に即した知恵も必要だろう。 携帯電話も進化しているようだ。誰もが気軽に使っている時代となった。電話としては使うがメールとして打ち込むのに慣れないと 不便である。パソコンの方が楽に使える。テレビ インタネットが使える時代だがまだまだこれからである。 もう少し大きくとも良いがもっと便利になってほしい。勿論小さい方が良いことはよいのだが。 南西の沿岸付近を震源とする大きな地震が、きのう起きた。 石川県輪島市や七尾市などでは震度が6強に達し、 19年3月26日の天声人語からの引用 能登半島の北部の海岸沿いには、斜面に小さな田が連なった千枚田がある。 かつてここを訪れた作家の佐藤春夫は、山にはい上がろうとする緑の波濤(はとう)のようだと述べ、こう詠んだ。 〈千枚の青田渚になだれ入る〉(『佐藤春夫全集』臨川書店)。 青田がなだれ入る渚(なぎさ)から南西の沿岸付近を震源とする大きな地震が、きのう起きた。 千枚田のある石川県輪島市や七尾市などでは震度が6強に達し、死者や多くの負傷者が出る惨事となった。 津波はさほどではなかったようだ。 しかし現地からの写真では、家が崩れたり、国道が地割れで裂かれたりしていて、揺れの激しさがうかがえる。 「能登はやさしや土までも」という表現がある。 この地方のおだやかな人情と文化、豊かな自然は、日本の原風景にもたとえられる。 99年には春夫が詠んだ千枚田で、駐日外交官と家族らが田植えや稲刈りに挑戦した。 だが、地上の営みがどれほど豊かであろうと、どんなに心優しき人々が暮らしていようと、 そういうことにはお構いなしにある日突然、大地は揺れる。 これが、地震という自然災害の怖さと残酷さだろう。 今回はたまたま、日曜日の午前中という経済活動がゆったりした時間帯だったが、地震は時を選ばない。 04年の新潟中越地震で母子3人が乗った車が土砂に埋まり、男の子が救出された現場の県道が開通した。 地震で閉ざされていた道がようやく通じる一方、新たな被災地で道が断たれる。 地震国の厳しさを象徴しているが、空輸を含む救援の道だけは、断裂も閉鎖もさせないようにしたい。 今回の能登半島の地震は日本国内で起きている。テレビの放送を見ているとイライラしてくる。 もっと早く救援できないものかと。自衛隊が一番に出動してよいことである。 災害救援自衛隊を特別につくるべきである。戦争するだけが自衛隊であるはずではない。 イラクまでわざわざ行って救援援助しているのに,どうして国内で援助することができなくなっているのかと 変に自衛隊の存在を見る。政治家のやることはわからない。 いまどき照明不足で学べない子はいない。 19年3月27日の天声人語からの引用 卒業式の定番曲が入れ替わるなかで、この春「蛍の光」は何回歌われたのだろう。 苦学を表す蛍雪(けいせつ)は貧しくて灯油を欠き、蛍の光や雪あかりを頼りに書を読んだ中国の故事による。 いまどき照明不足で学べない子はいない。 入学商戦の学習机は「目に優しい調光式」だという。 光は正義に通じる。 不正を白日の下にさらすのが善で、闇から闇に葬るのが悪。実際、 世の中には一定の明るさを求められる状況が多い。 8人が死傷した兵庫県宝塚市のカラオケ店火災を受けて、全国の自治体が同業者を立ち入り調査した。 7割の店で違反が見つかり、誘導灯などに不備が目立った。 サッカーのJ1に初昇格した横浜FCは、本拠地の球技場が暗いと指摘された。 照度がリーグ規定の1500ルクスに届かず、改修を要請されている。 しかし、都市の明るすぎる夜には異議もある。 「暗くて、身体の動きも少ないが、しかし眠くないときがある。 人間がものを考えるのはそういうときだ」「(輝く夜が)人に常に動き回ることばかりを強いて、じっと考える能力を喪失させた」 (乾正雄『夜は暗くてはいけないか』朝日選書)。 いくらでも光がほしいのは、避難通路やスポーツ施設のように「悩むより動け」の環境だろう。 一般に、過度の明るさは沈思黙考を妨げる。 はっきりと見えなければ、あとは考えるしかない。 集中と直感、想像力を、暗さが脳に要求する。 思考が内に向かい、より本質に迫れることもある。 夏に蛍が飛ばず、冬に雪が積もらない街では、そんな闇の効用を学ぶ機会も少なくなった。 「蛍の光」の歌詞は懐かしい。でも現在の実態とはあってはいない。「君が代」の国家もそうである。 懐かしむ心とやはり本当の歌が作られて実態にあったほうがよい。 東京の人が明治神宮の広大な境内を歩いていて何の不思議さも感じないのと同じようなものである。 最近の言葉から 19年3月28日の天声人語からの引用 最近の言葉から。スポーツライターの乙武洋匡さんが4月から、東京の小学校の教壇に立つ。 「みんな違っていてもいいんだという『五体不満足』のメッセージを伝えたい」 定期的に痰(たん)の吸引が必要なことを理由に保育園への入園を一時拒否された 「彼が解放されない限り、ぼくは救われない。 解放されたとしても、彼の一生をつぶしたことになると思っている」。 彼とは、66年に静岡県で一家4人を殺したとして刑が確定し、再審を求めている袴田巌死刑囚。 一審担当の元裁判官、熊本典道さんが述べた。 無罪を主張したが、合議で死刑に決まったという。 「財政に強い議会」作りを進めてきたという北海道栗山町の議長が語る。 「議員が財政に強くなると、議会の監視力が高まる。 カネがないと分かっていれば『あれやれ、これ作れ』なんて言う議員はいなくなる」 フィギュアスケートの安藤美姫さんが世界選手権を制した。 「トリノ五輪の後つらい時期があったが、みんなに励ましの言葉をもらって乗り越えることができた」 本紙で来月始まる男性の投稿欄「男のひといき」に、作家・北村薫さんからエールが届いた。 「大切なものって、日常に転がってたりしますよね。 猫の爪(つめ)が刺さった瞬間の痛みや、子どもと道を歩いている時の幸せ、夕焼けのきれいさ。 人間の心に食い入ってくるものが、日常の中にはあります」 幼い頃に受けた「いじめ」と母の記憶だ 19年3月29日の天声人語からの引用 一休さんのような少年僧が、暗い道に張られた縄に足をとられた。 地面にしたたかに顔を打ち付け、血が噴き出す。 しかし、少年は泣くこともなく寺に帰ってゆく。 「衣を着たときは、たとえ子どもでも、お坊さんなのだから、喧嘩(けんか)をしてはいけません」。 少年は、縄を仕掛けた連中が近くに潜んでいるのを感じたが、この母の教えを守った。 母は、血だらけで帰ってきた彼の手当てをし、抱きしめて言った。「よく辛抱したね」 80歳で亡くなった植木等さんが『夢を食いつづけた男』(朝日文庫)に書いた、幼い頃に受けた「いじめ」と母の記憶だ。 住職だった父は、部落解放運動の闘士でもあった。 治安維持法違反で入獄したり、各地の社会運動に出かけたりして寺に居ないため、植木さんが檀家(だんか)回りをせざるをえなかった。 父・徹誠さんは後年、「スーダラ節」の「わかっちゃいるけどやめられない」のくだりについて、「親鸞の教えに通じるものがある」と言ったという。 「人間の弱さを言い当てている」 おだてられてその気になったり、お呼びでないところに出てしまったり、あげくには、ハイそれまでよになってしまったり。 人の弱さと浮世の切なさとを、底抜けの明るさで歌い、演じた。 「無責任男」として有名になったが、根は誠実で、思慮深い人だったという。 いわば、世の中の「無責任感」を一身に背負うという責任感が、あの笑顔を支えていたのではないか。 耳に残る数々の「植木節」は、戦後の昭和という時を共にする多くの人の道連れであり、応援歌でもあった。 教育の大切さがわかる。その教育基本法が今の政府によりいとも簡単に変えられようとしている。 今の衆院議員数ではなんでも政府はできるようになっている。 安倍首相が「船出」に挙げるのは、 改憲して新しい憲法を制定することだ 19年3月30日の天声人語からの引用 安倍首相が掲げている政治目標に「戦後レジームからの船出」がある。 レジームという言葉は、フランス革命で倒されたアンシャン・レジーム(旧体制)を連想させる。 この旧体制は絶対君主制で、国民は極めて抑圧されていた。 安倍首相が「船出」に挙げるのは、改憲して新しい憲法を制定することだ。 その憲法を改める手続きを定める国民投票法案が成立する公算が大きくなっているという。 手続きを決めるものとはいえ、ことは国の最高法規にかかわる。 発足から半年の安倍政権の軌跡をみると、これだけ重みのある法案をきちんと取り扱えるのかと不安になる。 この政権に向けられた疑念に「政治とカネ」の問題がある。 それを象徴するのが松岡農水相の光熱水費疑惑だ。 無料のはずの議員会館の光熱水費を5年で3000万円近くも計上していた。 説明を拒む農水相が閣僚や議員としての適性に欠けるのは明らかだが、それをかばい続ける首相の適性もまた問われている。 国会での多数の力に寄りかかっているのだろうか。 フランス革命の少し後に生まれ、「アンシャン・レジームと革命」を著した歴史家で政治家のトクヴィルは 「多数者の専制」が少数者を脅かす危険を警告した。 「どんな政府であれ、力のあるところには卑しい根性が近づき、権力には追従が付きものであると思う」 (『アメリカのデモクラシー』岩波文庫・松本礼二訳)。 民主政治の国では、多数派が優位に立つ。 しかし、数に物を言わせて「船出」を強行するとしたら、国が沈むことにもなりかねない。 「レジーム」という変な横文字が飛び交う社会自体が不健全である。「レジーム」というような言葉を使うような戦後体制は変えてほしい。 戦後にしかなし得なかった世界唯一の立派な「戦争放棄」を謳った平和憲法は絶対に変えないことである。 変な言葉をやたらにつかったりするアメリカ追随するような戦後の体制をば早々に変えるべきである。 堂々と「憲法改正イエスかノか」の衆議院解散総選挙で民意をきいてからにしてほしい。 憲法は将来の日本の指針を決め法律の根幹であることを阿部首相はご存知あるのだろうか。? 花は、ほんのりと薄紅に染まって風にゆれている 19年3月31日の天声人語からの引用 毎年ながら、こんなに白に近いものだったかと思いながら見上げる。 しかし白そのものではもちろんなく、花は、ほんのりと薄紅に染まって風にゆれている。 東京あたりではソメイヨシノが満開になった。 新1年生を待つ無人の小学校の校庭で、あるいは思いがけない通りの角で、春本番を告げている。 〈さまざまのこと思ひ出す桜かな〉。 いつもながら、分かりやすすぎて憎いような、芭蕉の一句が浮かぶ。 せかされるように、花びらを散らし始めた桜もある。 3月の末日、明日からは新しい職場や学校に移る人も多いだろう。 列島の至るところに、これまでの住まいを離れる多くの人と、それを見守る更に多くの人たちがいる。 今年、「団塊」の世代の先頭の一団が還暦を迎えた。 2007年問題などといわれて久しい。 確かに、人口ピラミッドに特別大きな出っ張りを描きながら年を重ねてきた面々がまとまって去るのは、 ことによれば大事(おおごと)かもしれない。 しかし考えてみれば、団塊などと一塊にしてみたところで、中身は一人一人別々だ。 継承に悩む職場がある一方、重しが消えて風通しがよくなるところもあるのではないか。 この団塊に限らず、人は人を、その属する集団や出身などの塊で見がちだが、個別のばらつきの方がはるかに大きい。 それを、改めて知る春なのかもしれない。 唐の詩人が詠んでいる。 〈年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず〉。 私事で恐縮ながら筆者も今年が還暦。 ご叱正(しっせい)、ご愛読に深謝しつつ、切りのいいこの年度末で、次と代わります。 より多くの人たちが「天声人語」を読まれ続けるべきである。ハッとすることがよくある随筆欄であり 伝統を踏まえてより良い社会になる指針となって成長してほしいものである。 明日から「天声人語」の筆者が交代します。04年4月から担当してきた高橋郁男論説委員に代わり、 福島申二、冨永格(ただし)両論説委員が執筆します。 福島記者は主に社会部で多様なテーマの取材にあたり、編集委員も務めました。 02年から3年間はニューヨーク特派員としてイラク戦争前後の国連や米大統領選を報道しました。50歳。 冨永記者は経済部と外報部の取材経験が長く、2度のブリュッセル勤務で欧州統合の最前線を伝えました。 欧州には通算10年滞在し、04年から今年1月まではパリ支局長でした。50歳。 京都の神社を尋ねて 以前のこと,現在住んでいる近くの郊外の京都府久御山町佐山にある双栗神社を訪ねたことがあった。 最近,その近くの大阪府枚方市樟葉にある交野天神社を訪れることにした。 この神社の有る場所に,継体天皇が飛鳥京に入る前,一時期の間皇宮を構え滞在されていたところである。 :継体天皇(450-531)は越前の方から弟国宮 樟葉宮それに筒城宮を構えて約20年後に奈良の飛鳥に入られている。 交野天神社を訪れ驚いたことに,双栗神社へ来たのではないかと思うほど,神社の正面に鳥居があり参道から入って 神社の拝殿にいたる道筋か全く同じであり,間違えて双栗神社に再び来たのではないかと驚くほど似ていた。 神社前の鳥居から東に向かい,途中で直角に北方面に向かって進み,拝殿は南向きに建っていることである。 飛鳥・奈良時代から平安京時代の頃はいたるところが広々とした原野であって,そこに神社が建てられたと想像する。 だから一定の形式で神社が建てられていたことは考えられることである。 それから,何処の神社に訪れる度にもその参道と拝殿との関係を観察しながらお参りするようになった。 山城国の一宮である上賀茂神社・下賀茂神社も同じように参道を東に向って進んでゆき,途中で直角におれ 北の方向に向かってゆく形式には一般と変わっていなかった。 だから拝殿は南を向いて建てられている。 下賀茂神社は長い間京都に住みながらも一度も訪れたことがなかった。 今回初めて訪れ,広大な境内が町並の家屋によって囲まれるているような形で, 昔の山城の原野を想像するするような多くの大木が茂たなかにあって,森閑とした森の中にある。 都会の中にいることを忘れてしまうほど゛静かな森林になっていた。 「糺森」として京都市民に親しまれている場所である。 上賀茂神社は以前若い頃に2-3回訪れたことがある。 でも其の頃の神社は,町並みが途絶えてからかなり歩いた場所に神社があったように記憶している。 でも今回訪れて見た時は,神社の前まで町並みが押し寄せ門前には茶店が並んでいた。 下賀茂神社は東向きの参道が短くて途中に摂社河合神社がありここの神社の神主の生まれで「方丈記」を書いた鴨長明が出ている。 「方丈記」にでてくる住んでいた小屋が展示してある。折りたたみ式の一間の家屋であったようである。 晩年は伏見醍醐の小野に住んで「方丈記」を書いたようだ。 下賀茂神社の北向きの参道は二本あって立派で広く長く続いていて一方では駈け馬に使われているようだ。 上賀茂神社は逆に北向きの参道が長く東向きの参道が短かった。 両者共に山城国の一宮だけあって大変に立派で「葵祭り」,「駈け馬行事」、「曲水の宴」などが催されて広く世間に知られている。 昔は全国,地方ごとに一宮 二宮 三宮があったようである。 山城国(京都市周辺)は一宮だけで上・下賀茂神社がそれに相当している。 滋賀県大津の近江国には一宮として,建部大社がある。 此処も広い境内をもつも,参道は東に向いて途中で直角に北に向い拝殿は南向きになっている。 奈良の春日大社も同じような形式で建てられている。 古い神社は大体,同じような形式で建てられていたのではないかと考えるようになった。 だが一番近くの,この現在住んでいる地域の氏神神社でもある御香宮神社は北向きに門を入って参道があって, 拝殿は南を向いて建っている。一般に見られる東向きの参道はない。 しかしながら門前の舗装された道路の少し西の辺りにに大きな鳥居が建っている。 これが昔参道だったかもしれない。 これは桃山城が在った頃の大手門にいたる道筋にあたり,其のときに参道が失われ,桃山城が廃城になって 元の場所に神社が戻ってきた時,鳥居だけが道路に建てられたのではないかと考える。 幼い頃から親しみある稲荷大社, 藤森神社も東を向いて参道があり直角に曲がり南向きの拝殿がある形式では建っていない。 稲荷大社は西向きに拝殿が建って東向きの参道だけである。 藤森神社は南向きに拝殿は建ってはいるが参道は北向きだけのようだが,途中に直違橋通りから入る東に向かう参道がある。 どちらが本当の参道なのかは判らない。 宮司さんの話では参勤交代の行列が通ったとき神社の前を進むとき槍などは下げて通っていったとの話を聞いているので 北向きだけの方の参道が本当なのかと思ったりもする。 だが直違橋通りから入る参道も立派なので本来はこちらが方が本当の参道だったかもしれない。 それぞれの神社の建立の歴史から,参道もかなり変化されてきているのではないかのかと考える。 東京の都会の真ん中にある広大な明治神宮や,又広大な敷地をかかえている桃山御陵の近くの乃木神社などのように, 近代での新しい神社などでは,そのような形式は見てとれないのは当然と考える。 昔古い神社は 原野に建てられたような神社は,東に向いて途中で直角に北に向かって歩いて行き拝殿が南向きにたてられているのが 一般的な建て方だと思うようにいたった。 戻る 2月分 3月分 4月分
このような日本の軍人であっても立派な先人がいた。 これからは植民地ではなく,一つの対等のアジア国家連合体を作るべきである。 この当時の朝鮮は韓国と北朝鮮が日本の植民地下にあった。このことに対する日本の罪は重い。 それにより第二次大戦後はソ連とアメリカの支配下に置かれ,38度線で二つの国に分断された。 これは日本が植民地下していなければこのようなことは起きなかったかもしれない。 北朝鮮も運命に翻弄された国家で,拉致問題だけ取り上げ,経済制裁するのはアメリカの戦略にのってしまった結果ではないのか。 アメリカの後押しと北朝鮮拉致があっての日本の阿部首相では仕方ないことだが, 大局的には韓国の金大中が進めて来た太陽政策は間違っていない。 暖かい目で北朝鮮 そして拉致問題も見続けるべきである。 経済制裁は日本が大東亜戦争に突入したのも世界からの経済制裁されたのが原因であり, 経済制裁下,石油なとの資源か゜なくなり,苦し紛れに東アジアに侵攻していった日本の過去を思い出すべきである。 北朝鮮と国交回復すれ拉致問題も自然解決されるはずだ。
最近の言葉から 平成19年3月2日の天声人語からの引用 最近の言葉から。 兵庫県赤穂市で、登校する小学生の安全を40年間、 ボランティアで見守ってきた藤田哲之さん(75)が、高齢のため立ち番から退いた。 藤田さんに感謝する集いで、逆に、感謝のあいさつをした。 「40年間、みんなよく注意をして、事故なしで、だれもけがしないでくれた。ありがとうと頭を下げます」 東京の「井の頭自然文化園」のゾウ・はな子が、今年還暦を迎えた。 メッセージが次々に届いた。 「ぼくが飼育係になるまで長生きしてね」「小さい頃から楽しませてくれてありがとう」 映画「不都合な真実」などを通じた気候変動問題の啓発活動で、 米科学誌が「06年に最も影響力のあった政策指導者」に選んだアル・ゴア元米副大統領が述べた。 「私は地球温暖化と言わず、気候クライシス(危機)と呼ぶ」 03年の鹿児島県議選を巡る選挙違反事件で、鹿児島地裁が被告12人全員を無罪とし、 「架空の事件」で起訴が行われたことを示唆した。 「人生を壊された悔しさは言葉にならない。 警察には家族に土下座して謝ってほしい」と被告のひとり。 詩人の谷川俊太郎さんが、高校生に「インスピレーションがわく瞬間はありますか」と問われた。 「あります。日本語という豊かな畑に植物みたいに根を下ろして、 自分を空っぽにして待ってると、水を吸い上げるようにして、言葉が出てくる」 「人間は200年も300年も生きられない。 だったら、自分の思うまま、自分らしくやろうよ」。 前巨人・桑田真澄投手、38歳。大リーグを目指す。 戦後の俳壇をリードした飯田龍太さんが、 86歳で亡くなった。 平成19年3月3日の天声人語からの引用 山の上に、橙(だいだい)色の春の満月が現れた。 「名残り惜し気に山を離れるとやがていさぎよく中天に昇った」。 そこから、あの代表句が生まれた。 〈紺絣(こんがすり)春月重く出(い)でしかな〉(飯田龍太『俳句・風土・人生』講談社学術文庫)。 戦後の俳壇をリードした飯田龍太さんが、86歳で亡くなった。 父・蛇笏から俳句誌「雲母」の主宰を引き継ぎ、会員4千人の大結社に育てあげた。 しかし92年には通刊900号で終刊を表明し、その潔さを強く印象づけた。 〈一月の川一月の谷の中〉。 今は笛吹市となった山梨県の境川村に住み続けた。 平穏な農山村であることを愛し、その味わいを「炊きたての白いご飯」にたとえた。 「手軽な菜のものに手作りの味噌汁があればもう最高の美食」(『紺の記憶』角川書店)。 東京という巨大な存在については、厳しい視点を持っていた。 俳句は、どこに住んでも「地方」なのだと知るところから生まれる詩(うた)だと説く。 「東京も、東京に住むひとには、瞭(あきら)かに『地方』と考えたとき、はじめて足下が見えてくる」 好きな季節を問われると、いつも早春と答えたという。 野山が春めくと「牧場に放たれた仔馬のように、山を駆け、川を飛ぶ。 ときに猿のように喬木(たかぎ)の梢に揺られて昇天のおもい」もした。 もう現実にはないような情景だが、どの地に育った人であれ、その琴線に触れてくるような不思議な句の底には、 この情景が映っていたのではないか。 それを抱き続けた魂が、近づく春の足音を聞きながら旅立った。 〈春の鳶(とび)寄りわかれては高みつつ〉 野山もそして街にもいつまでも平和な姿でありたいものです。 死刑執行の補佐役を 買って出る刑務官の、 心の揺れを描いている 平成19年3月4日の天声人語からの引用 昨年亡くなった作家、吉村昭さんに「休暇」という小編がある。 新婚旅行の特別休暇を取るために、死刑執行の補佐役を買って出る刑務官の、心の揺れを描いている。 刑務官は、絞首刑でつり下がった囚人を脇で支える役を引き受け、代償に休暇をもらう。 だが執行時の生々しい記憶が旅先にまでついてまわる。 国家の命令で人を殺す者の、心身の負担を、吉村さんは冷徹に凝視する。 国内でこのところ、死刑判決が急増している。 凶悪な事件が多いためか、厳罰を求める空気が社会に濃いといい、「死刑のハードルが低くなった」と感じる裁判官もいる。 一方で執行は減る傾向にあり、獄中の死刑囚は100人に達する見通しだ。 現場だけでなく、死刑を命じる法相の心の負担も、小さくないことをうかがわせる。 米ニューヨーク州で95年、警察官2人が射殺された事件を機に世論がうねり、死刑制度が復活した。 その法律に、州知事は2人が生前に使っていた2本のペンで署名した。 美談めいて伝わる逸話は、死刑から報復感情を切り離すことの難しさを物語っている。 フランスの文豪ユゴーは、「死刑台は様々な革命で転覆されていない唯一の建物だ」と述べた。 その仏で先ごろ、死刑を禁じる条項が憲法に加えられた。 「罰することと復讐(ふくしゅう)は違うのです」。 ドビルパン首相が議会で語ると、大きな拍手がわいたそうだ。 被害者の無念、遺族の悲しみ、世間の怒り、さらに社会正義……。 それらの先兵として、人に、人を殺せと求める。 それだけでも、死刑はむごい刑に思われてならない。 格差社会と自由が交差したなかで犯罪が急増している。政治の貧困の結果である。 その責任をば政治家は感じているだろうか。 中国の雲南省のある県が、 森林保護区のはげ山を ペンキで「緑化」したというのだ 平成19年3月5日の天声人語からの引用 「青いキリンを見せてくれたら大金を出す」と大富豪が持ちかける。 イギリス人は議論を重ね、ドイツ人は図書館へ、アメリカ人は軍を世界に送る。 日本人は品種改良に明け暮れ、中国人は青いペンキを買いに走った (早坂隆『世界の日本人ジョーク集』中公新書ラクレ)。 そのまんまの話が中国から届いた。 雲南省のある県が、森林保護区のはげ山をペンキで「緑化」したというのだ。 採石場跡の岩肌を7人が45日で染め上げた。 写真を見ると、樹木とは似ても似つかぬ毒々しい色だ。 住民は「植林のほうが安かった」と県当局の奇策にあきれている。 中国では、国際オリンピック委員会が五輪候補地の視察に訪れた01年冬にも、北京市内の枯れ草がたちまち緑になった。 「差不多(チャープトゥオ)」。 大した違いはないのだから気にしなさんな、という日常語である。 細部にとらわれない大局観は何ごとにも必要だ。おおらかな大陸流も悪くない。 だが、内外に影響が大きい自然環境や食品安全をこの感覚で扱われてはたまらない。 見かけの力は侮れない。 だからつい、困った時のペンキ頼みとなる。 ペンキは素材の腐食を防ぎつつ、外に向けては見る者の心に作用する。 部屋を塗り替えれば気分が変わるし、銭湯の富士山は浮世の憂さを晴らしてくれる。 造花、人工芝からカニ風味かまぼこまで、代用品への執念は暮らしを豊かにしてきた。 そっくり技術の極意は、本物にとことん迫りながらも本物とは一線を画する点にある。 ここをわきまえないと、笑い物だ。 青いのはペンキであって、キリンではない。 ペンキによる緑化はいただけない。森林が無秩序に伐採されてゆく緑化への努力は日本にも言える。 山崩れ洪水の原因にもなる。人ごとではない。 徳川幕府の鎖国令があり、キリシタンへの弾圧が強まった 平成19年3月6日の天声人語からの引用
あの少年使節たちは、このスペインの古都にも来ていたのか。 トレドの丘でそんな感慨を覚えたのは20年ほど前だった。 16世紀の終わりごろ、九州のキリシタン大名が遣わした天正遣欧使節の4人のひとりが、 ここで病に倒れ、手当てを受けたと聞いた。 トレドの後、4人はローマで法王に謁見(えっけん)し、出国から約8年後に帰国する。 激動の時代で、17世紀に入ると徳川幕府の鎖国令があり、キリシタンへの弾圧が強まった。 使節のひとりで、帰国後に司祭として布教していた中浦ジュリアンも捕まり、長崎に送られた。 掘った穴の上に逆さづりにし、信仰を捨てて「転ぶ」合図をすれば助命するという拷問に耐え、ついに息絶える。 中浦を含む、この時代に殉教した日本人188人をローマ法王庁が「福者」とするという。 従来、福者は男性の指導的な信徒が主だった。 今回は一般信徒がほとんどで、女性や子どもにも多く光が当てられる。 『クアトロ・ラガッツィ??天正少年使節と世界帝国』(集英社)を著して大佛次郎賞を受けた若桑みどりさんは、その中で 4人の悲劇は日本人の悲劇だったと書く。 「日本は世界に背を向けて国を閉鎖し、 個人の尊厳と思想の自由、そして信条の自由を戦いとった西欧近代世界に致命的な遅れをとったからである」。 そして「ジュリアンを閉じ込めた死の穴は、信条の自由の棺(ひつぎ)であった」とも記す。 約400年たったが、信条の自由が世界中に行き渡ったとは、まだ言えない。 自由の貴さ、そして人間のむごさと強さを改めて考えさせられる。
弾圧は時代により内容が変わっていつ時代にも起きている。 為政者の思い通りの弾圧はどの時代にもあったし,あるのではなかろうか。 東京都心の愛宕山に登った 平成19年3月7日の天声人語からの引用
強い春風の中、久しぶりに東京都心の愛宕山に登った。 山とは言っても海抜26メートルというから、10階建てのビルくらいか。 それでも江戸時代には、町並みや海を見渡す絶好の眺望の地として知られ、浮世絵に描かれた。 明治期にも、地理学者の志賀重昂が『日本風景論』に眺めの良さを記した。 「東京愛宕山に登りて四望す、なほかつ広遠の気象胸中より勃発(ぼつぱつ)するを覚ゆ」(岩波文庫)。 今は白梅の咲く、その頂からの眺めは変わった。 周りには数十階建てのビルが林立し、視界はさえぎられている。 かなり以前からそうなってはいたが、これからの東京の姿を左右する都知事選を前に、そこで転変を顧みたいと思った。 「大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいいところではない」と芥川龍之介が書いたのは大正期だった。 東京の変化は激しく「殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいもののみである」 (『芥川龍之介全集』岩波書店)。 変容は更に続いた。車のために道を広げ、建物の軒を思うさま天に伸ばしてきた。 国の人口減や、右肩上がりの時代の終焉(しゅうえん)も指摘される中、多くの街とつながる首都の未来を各陣営はどう描くのか。 東京のかなり上空を飛んだ時、さしもの高層ビルも地面にへばりついているように見えた。 富士山を背にした東京は浮世絵の時代に戻ったかのようで、この街を支え続けてきた大地や川、海、空の大きさを感じた。 そうした自然と、どう手を携えるのか。 知事選を、広い視野で東京を眺め、未来を選ぶ機会にしたい。 テレビで見ている限りおいて,ヨーロッパは古い町並みが何時までも保持されている。 東京も大阪もアメリカの大都会と見間違えるくらいに高層ビルが乱立している。 アメリカ一辺倒のアメリカ追従日本の象徴なのだろうか。 イラクの戦場に身を置き、 傷を負って帰国した米兵の扱いの 問題が浮上した 平成19年3月8日の天声人語からの引用 アメリカの山あいの町から3人の青年がベトナム戦争に送り出される。 捕虜になり、辛くも脱走するが、心と体に負った傷は深かった。 帰還兵らを主人公にしたマイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」は、人格を変える戦場の狂気を描いた秀作だ。 イラクの戦場に身を置き、傷を負って帰国した米兵の扱いの問題が浮上した。 帰還兵らは米陸軍病院について「2年間、治療方針が示されなかった」 「壁一面にカビの生えた外来用病室に住まわされた」などと訴えている。 訴えの底には、戦場でどんな思いと体験をしたか分かってほしいという悲痛な願いが感じられる。 イラクの市民の側の犠牲も含め、戦場の本当の悲惨は現場に居なければ分からないのかも知れない。 米国の作家ヘミングウェイは、第一次世界大戦の戦場での砲撃で重傷を負い、後に「武器よさらば」を書いた。 こんな一節がある。 「戦争以上に悪いものは存在しません」「敗戦はもっと悪いぜ」……「敗戦がなんですか? 家へ帰れます」(谷口陸男訳・岩波文庫)。 日本の政府・与党が、イラク復興支援特別措置法の期限を延長する方針だという。 派遣を延長される側の身にもなって、よく考えているのだろうか。 肌身で戦争を知らない大統領が始めた戦争を、戦場を知らない首相と、 戦争を知らない世代の次の首相が手放しのようにして支持し、支援する。 危ういことだ。 現在は、刻々と過去になり、歴史となる。 大統領とふたりの首相には、書き直せない歴史を今つくっているという厳粛さに乏しい印象を受ける。 本当に戦争を知らない世代に政治をまかすことになるのは必然であるが,同じ過ちだけは繰り返して欲しくない。 核のある時代戦争は人類破滅への道である。 政治資金収支報告書に事務所の光熱水費として 計上された5年分の約2880万円は、 平成19年3月9日の天声人語からの引用 「その金額は、身に覚えがありません」。 もしも、事務所というものに口があったとしたら、少しとがらせて、こんなふうにでも言うのだろうか。 松岡農林水産相の資金管理団体の事務所を巡る光熱水費の謎は、そんな空想を誘う。 議員会館にある事務所の光熱水費は、もともと無料だという。 従って、政治資金収支報告書に事務所の光熱水費として計上された5年分の約2880万円は、 「事務所くん」には本来なら覚えのないものだろう。 それともこの事務所には、無料の対象から外れるような特別に高価な仕掛けでもあるのだろうか。 空想のついでに、イソップ物語の「木こりと斧(おの)」の話に飛んでみよう。 木こりが誤って斧を川に流してしまう。 現れた神が金の斧を手に「お前のか」と聞く。 正直者の木こりは違うと答え、次に神が示す銀の斧でもないと言う。 最後に本人の斧を出すとうなずいたので、神は三つとも、木こりに与えた。 それを聞いた男が、わざと斧を流す。 神が金の斧を示すと「それだ」と答え、自分の斧も没収されてしまう。 松岡氏と同様に議員会館だけを事務所にする幾つかの議員のところでは、光熱水費は計上されていないという。 「うちの事務所の水は、他のとは違って金の色」とでも言うのでは、「斧」を失うことになるだろう。 松岡氏のホームページには「真実一路」が信条とある。 北原白秋が「巡礼」でうたった。 「真実一路ノ旅ナレド、/真実、鈴フリ、思ヒ出ス」。 その立派な信条に沿って、鈴を振って思い出し、よく説明してみてはどうか。 議員の常識は国民の常識とかなり異なっている。問題閣僚は速やかに辞めるのが当然である。 其の議員をかばい続ける首相の能力のなさにはあきれかえる。 1945年3月10日の東京大空襲などを記録 平成19年3月10日の天声人語からの引用 焦げ茶色の鉛筆に、時代を映す標語が刻んである。 「何んでも大切いくさの資源」。 1945年3月10日の東京大空襲などを記録し、 伝えてきた「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)が今月、新装開館した。 国民学校の教育といった戦時下の庶民の暮らしぶりや、それを破壊した空襲の実相が展示されている。 東京大空襲では、一夜で約10万人の命が奪われたとされる。 昨日、その被災者や遺族が、国に損害賠償と謝罪を求める集団訴訟を東京地裁に起こした。 国家補償が整備された旧軍人・軍属と、一般被災者との格差が問い直される。 原告側は、旧日本軍による中国・重慶への大爆撃などが米軍の作戦に影響を与えた点についても責任を問う考えだという。 「戦災資料センター」の館長で作家の早乙女勝元さんが編んだ『母と子でみる 重慶からの手紙』(草の根出版会)も、 日本の侵略や重慶爆撃が先にあり、その結果として東京大空襲があったと述べる。 もちろんそれは、東京大空襲が仕方がなかったなどということではない。 米軍による民間人への無差別爆撃を問うのと同じように、日本による民間人への爆撃を肝に銘じ、省みることの大切さを指摘している。 空襲を受けた記憶を持つ国や街は、日本や中国に限らない。 ドイツのドレスデンやスペインのゲルニカの惨事が知られ、戦後もベトナムやアフガニスタンなどがあり、イラクでも多くが犠牲になった。 3月10日。それは、そうしたあらゆる国と街の記憶をつなぎ、未来に伝えることを胸に刻む日でもある。 無差別空襲 原爆投下に対してのアメリカ軍の責任はどのようになっているのだろうか。? イラクでは今も同じようなことが起きている。 暖冬を引き継いだこの春、 命の蠢動(しゅんどう)はいつになく気ぜわしい 平成19年3月11日の天声人語からの引用 温雅な句風で知られた後藤夜半(やはん)に〈跼(かが)み見るもののありつつ暖し〉がある。 春先、地面に多彩な命がうごめき出す。 土を割って出た草花や、這(は)い出してきた虫を、作者は身をかがめ、いつくしむように見つめている。 暖冬を引き継いだこの春、命の蠢動(しゅんどう)はいつになく気ぜわしい。 春の虫の代表格モンシロチョウの初見が、松山市では平年より28日も早かったそうだ。 初めて見かけるチョウを「初(はつ)蝶(ちょう)」といい、俳句の季語にもなっている。 〈初蝶やいのち溢(あふ)れて落ちつかず 春一〉。 冬が暖かかった今年、虫たちはさぞ生命力旺盛と思いきや、そうでもないことを動物学者、日高敏隆さんの随筆に教えられた。 日高さんによれば、多くの虫にとって冬の寒さは必要不可欠なのだという。 休眠する虫たちは、5度以下の低温にさらされることで、春を迎えるための変化が体内で進む。 チョウの場合、寒い時期を十分に過ごせなかったサナギは、卵もあまり産めない、ひ弱な成虫になってしまうそうだ (『春の数えかた』新潮文庫)。 暖冬が続けば、多くの虫は滅びてしまうかも知れない。 休眠せずに、寒さにじっと耐えているゴキブリのたぐいばかりが生き残る、と日高さんは案じている。 冬は寒く、夏は暑く。 季節がきちんと尽くされることが自然界には大切なのだ。 啓蟄(けいちつ)もすぎた日、夜半(やはん)をまねて、春の土に目を留めてみるのも興がある。 〈地虫出てはや弱腰と強腰と 祐里〉。 押し出しのいいやつ、恐縮しているやつ、黙々たるやつ……。 うごめく中に、誰かに似た虫がいるかもしれない。 暖冬が地球汚染によるものならば早く対策を実行させるべきである。 汚染大国アメリカ 中国の動きが大変気にかかる 暖冬を引き継いだこの春、 命の蠢動(しゅんどう)はいつになく気ぜわしい 平成19年3月12日の天声人語からの引用 温雅な句風で知られた後藤夜半(やはん)に〈跼(かが)み見るもののありつつ暖し〉がある。 春先、地面に多彩な命がうごめき出す。 土を割って出た草花や、這(は)い出してきた虫を、作者は身をかがめ、いつくしむように見つめている。 暖冬を引き継いだこの春、命の蠢動(しゅんどう)はいつになく気ぜわしい。 春の虫の代表格モンシロチョウの初見が、松山市では平年より28日も早かったそうだ。 初めて見かけるチョウを「初(はつ)蝶(ちょう)」といい、俳句の季語にもなっている。 〈初蝶やいのち溢(あふ)れて落ちつかず 春一〉。 冬が暖かかった今年、虫たちはさぞ生命力旺盛と思いきや、そうでもないことを動物学者、日高敏隆さんの随筆に教えられた。 日高さんによれば、多くの虫にとって冬の寒さは必要不可欠なのだという。 休眠する虫たちは、5度以下の低温にさらされることで、春を迎えるための変化が体内で進む。 チョウの場合、寒い時期を十分に過ごせなかったサナギは、卵もあまり産めない、ひ弱な成虫になってしまうそうだ (『春の数えかた』新潮文庫)。 暖冬が続けば、多くの虫は滅びてしまうかも知れない。 休眠せずに、寒さにじっと耐えているゴキブリのたぐいばかりが生き残る、と日高さんは案じている。 冬は寒く、夏は暑く。 季節がきちんと尽くされることが自然界には大切なのだ。 啓蟄(けいちつ)もすぎた日、夜半(やはん)をまねて、春の土に目を留めてみるのも興がある。 〈地虫出てはや弱腰と強腰と 祐里〉。 押し出しのいいやつ、恐縮しているやつ、黙々たるやつ……。 うごめく中に、誰かに似た虫がいるかもしれない。 寒いことも必要だとされる中で暖冬をば喜んでばかりではいられない。 一つの世界で長く続いた仕組みや慣習にも、 すぐには止まれないところがあるようだ 平成19年3月13日の天声人語からの引用 「とび出すな 車は急に止まれない」という交通標語があった。 車に向かって言うなら「とび出すな 子どもは急に止まれない」だろうが、 すぐには止まれない車が迫る怖さが巧みに言い表されていた。 一つの世界で長く続いた仕組みや慣習にも、すぐには止まれないところがあるようだ。 野球界の長年の悪習といわれ、04年に球界を揺るがせた「栄養費」の問題が、それ以後も続いていたことが分かった。 プロ野球の西武ライオンズが、学生と社会人のアマチュア選手ふたりへのスカウト活動で、 計1300万円近くの金銭を学費や栄養補給費として渡していたと発表した。 05年に、不正をしないことを各球団で申し合わせた後にも続いていたことは、悪習の根深さをうかがわせる。 西武の悪質性が際立つが、球界の体質も気になった。 以前から隠蔽(いんぺい)体質が指摘されてきた電力業界でも、新たな問題が浮上した。 先日、東京電力が、原発の緊急炉心冷却システムに絡む故障を国に届けなかったことが分かったが、 今度は東北電力で、原子炉が自動的に緊急停止したのに国に報告していなかったという。 98年のこととはいえ、原発の内側という、世間から見えにくいところでの営為に絡む問題が続くのは残念だ。 業界の独特の慣習や傾きといったものの根は深い。 改めるのには抵抗もあるだろう。 しかし放置すれば企業や業界の命取りになり、人や社会に大きな害を及ぼす。 危険が目前に迫ってからでは、どんな車でもすぐには止められない。 だから常に注意を払い、ルールを守る必要がある。 ルールが一番基本である野球界でのルール違反が発覚してきた。現在の司法界においもルール違反が常習化しているのには 司法の番人で自認している人たちが黙認していることに対して驚きをば隠しえない。 大阪から高知に向かっていた全日空機が、胴体着陸した。 平成19年3月14日の天声人語からの引用 前輪の出ない飛行機が下りてきた。 後輪が滑走路をつかみ、二輪で走る。 やがて機首の下が滑走路に着いて火花が散ったが、 幸い火災にはならず、全員が無事帰還した。 大阪から高知に向かっていた全日空機が、胴体着陸した。 危機への対処が、全体としてうまくいったのだろう。 着陸後、機内では大きな拍手がわいたという。 40年前、大阪発大分行きの全日空機で、右の後輪が出なくなった。 大阪空港に引き返し、左の後輪と前輪で無事に胴体着陸した。 この時の機長だった茂木敏夫さんが、当時のことを記している。 前年は、羽田空港沖や松山沖などで4件もの墜落事故があった。 悲惨な記憶が生々しいはずの乗客を念頭に、状況をよく説明したという。 客室にも行き「機長を信じスチュワーデスの指示に従って下さい」と述べた。 いよいよ着陸する時には、「何んとはなしにさっぱりした気分だった」(『片脚着陸』扁舟舎)。 着陸後の茂木さんの様子を、副操縦士が書いている。 乗客らの後に機を離れる時、茂木さんに促されて先に行って振り返ると、 上着をおもむろに着て、クシで髪を整えながら悠然と歩いてきたという。 今回も、乗員の冷静さもあって、機内は平静だったようだ。 しかし、このカナダのボンバルディア社製の同型機にはトラブルが相次いでいたという。 出ない脚を手動操作で出したことも2回あった。 脚が出ない飛行機は、死と隣り合わせだ。 いくら機長や乗員が踏ん張っても、大事故は必ず防ぎきれるものではない。 見事な着陸は、悲痛な警告に見えた。 事故で何も被害者が出ていないことは不幸中の幸いである。何時惨事につながるか判らない。 後悔は先にたたずである。 身の回りで急激に増えたのは CDやDVDのような薄い円盤だ。 平成19年3月15日の天声人語からの引用 「円盤」といえば、空飛ぶ円盤やレコードを連想する時代があった。 今、円盤といえば何だろう。 身の回りで急激に増えたのはCDやDVDのような薄い円盤だ。 フロッピーディスクやMOディスクの中にもあり、膨大な情報が蓄えられる。 小さい体に大きな記憶を載せた電子の円盤だ。 この、軽くて持ち運びにも便利な円盤が絡む情報の流出が後を絶たない。 大日本印刷で流出した、取引企業から預かった個人情報は、約863万人分にのぼったという。 情報を持ち出したとされる、大日本印刷の業務委託先の元社員が、窃盗の罪で東京地検八王子支部から起訴された。 5年近く電算処理室で勤務していたという。 空前の規模の流出による影響は大きいが、起訴の被害額は「250円」だった。 この落差に時代が映っている。 電子データのような情報は刑法の「財物」ではないので、情報を盗み出しても窃盗罪に問えない。 それで、大日本印刷からMOディスク1枚という250円の財物を盗んだとした。 コーヒー1杯ぐらいの金額だ。 「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンは一片のパンを盗んで投獄されたが、
今の時代にこの額で罪に問われることはまれだ。 「情報漏洩(ろうえい)罪」を新設しようとする動きもある。 しかし内部告発のような、結果として社会に有用なことまで断罪するのは得策ではないだろう。 情報の管理が肝要だが、防護の盾を巡らせても、守りきるのは容易ではない。 絶対に破らせないと盾が言い、どんな盾でも破ると矛が言う。 新しい円盤を巡る、矛と盾の攻防だ。
個人情報が喧しくいわれる中で情報を盗み出すメディアが小さく便利になってきている。 「情報漏洩(ろうえい)罪」があっても良いようにおもうのだが。 民間病院の小児科医師が、 うつ病にかかって自殺したのは 過労やストレスが原因だとして、 平成19年3月16日の天声人語からの引用 仕事が立て込む。 さらに、あちこちから声がかかる。 体がもたないなどと言いつつ、笑顔でこなそうとする。 いつでも便利な「コンビニ記者」などと周りから呼ばれる、そんな青年が、昔いた。 仕事が、各人に完全に平均して課せられることは多くない。 仕事の量と難しさに多少のデコボコがあるのが、世間の大方の職場だろう。 しかし、それが限度を超えて続けば、健康や命にもかかわってくる。 東京都内の民間病院の小児科医師が、うつ病にかかって自殺したのは過労やストレスが原因だとして、 妻が労災を認めるよう訴えた訴訟で、東京地裁がそれを認めた。 多い時は、宿直が月に8回もあって睡眠不足に陥ったと認定し、自殺は過労が原因とした。 被告となった労働基準監督署の側は、発症の原因は小児科医個人の「脆弱(ぜいじゃく)性」と主張していたが、判決は退けた。 人が、どれほど「脆(もろ)く弱い」のかを決めるのは難しいのではないか。 数値にはなじまないし、本人が亡くなっているのだから。 90年2月、環境調査会社の男性が突発性心機能不全で亡くなった。 40歳で、その頃は月に370時間も働いていたという。 朝出勤する時、幼子が言った。 「おとうさん、またあそびにきてね」。 戸が閉まると母親にたずねた。 「おとうさんのおうちはどこなの」(全国過労死を考える家族の会編『日本は幸福か』教育史料出版会)。 「おとうさんなんでしんだんだろうね。 はたらいてつかれたの?……しゃしんにうつっているおとうさんほしい」。 父あての手紙は、その死への幼く切ない問いかけだ。 医師は決してスーパーマンではない。医療環境を非常に厳しくしたのは小泉政権である。 その被害はこれからいたるところに噴出してくることであろう。 医療界は競争原理を導入したり環境破壊は益々に医療荒廃を加速化させるだけである。 国立病院に準ずる病院は全責任をもって国が責任を持つべきである。 自治体が破産する時代だから医療界も特別でないというのは,アメリカのような裕福な人たちだけが十分な医療が受けられるような 世界にしてはならない。 日本のように万人が平等な医療を受けられる制度はアメリカの方が真似をしようとして来ている時代である。 日本の医療制度を全世界に発信させるべきである。世界同時に軍事費はゼロにするように,平和への貢献を推進すべきである。 堀江貴文被告は、天からの視座を楽しみ 「天下取り」を心に誓ったという。 平成19年3月17日の天声人語からの引用 東京の都心に遅い初雪が舞った昨日、超高層の六本木ヒルズの展望台に行った。 眼下に、かすんだような街並みが広がる。 この高層階に居を構えたライブドアの前社長、堀江貴文被告は、天からの視座を楽しみ「天下取り」を心に誓ったという。 堀江被告が裁かれた東京地裁らしい建物も遠望できる。 そこで言い渡された判決は起訴事実をすべて認め、被告に厳しいものだった。 粉飾した業績を公表し株価を不正につり上げた、あるいは証券市場の公正を害する悪質な犯行などと断罪し、執行猶予を付けなかった。 まだ一審の段階で、上級審でも有罪になるとは限らない。 それはそれとして、判決は、本業の業績が上がっていなかったのに粉飾し、有望企業に見せかけたと指摘した。 堀江被告は、逮捕される前年の05年に『僕が伝えたかったこと』(マガジンハウス)を出した。 「現代のビジネスでもっとも大切なのはスピード」と述べる。 自分たちがナンバー1になるために、どこで差をつけるかといえば、突き詰めればスピードしかないともいう。 常に他を出し抜こうとして、ひたすら突っ走る。 そんな傾きがうかがえる。 企業が成長してゆくのには、ある程度の時間がかかるはずだ。 その必要な時間を極力省き、成長の速さを世間や市場に強調しているうちに、スピードが「法定速度」を超えてしまったのだろうか。 ライブドアは、まるで映像の「コマ落とし」のような異様な速さと動きとで膨らみ、はじけ、しぼんだ。 天からの視座を頂くあの丘には、冷たい風が吹き渡っていた。 ゆがんだアメリカの資本主義制度のアダ花が堀江被告等の事件である。 アメリカ絶対崇拝気運が戦後の敗戦国国民に受け入れられた。 これからはもっと日本の伝統に基ずいた勤勉 真面目な国民が報われる時代に変えるべきである。 長いこと一緒に遊んだおもちゃは家族も同じ 19年3月18日の天声人語からの引用
作家になる前の野坂昭如さんが作詞したその歌は、高度成長期の子どもたちを夢の世界へと導いた。 「そらにキラキラおほしさま/みんなスヤスヤねむるころ――」(おもちゃのチャチャチャ=補作詞・吉岡治、作曲・越部信義)。 玩具に命が宿る構想は、95年の米国映画「トイ・ストーリー」にも通じる。 長いこと一緒に遊んだおもちゃは家族も同じ。 いよいよ捨てる時の寂しさは忘れがたい。 各地の公民館などに、おもちゃの病院が生まれている。 修理者を育てるおもちゃ病院連絡協議会(東京)の推計では、全国に300病院、ドクターは3000人。 地方は「医師不足」で、これから退職する団塊の世代に期待がかかる。 東京都足立区が4月に開く「おもちゃトレードセンター」は、区民が中古を持ち込むと点数化され、別の品と交換できる仕組みだ。 壊れたものはボランティアが修繕し、直せなければ部品を再利用する。 区内の玩具メーカーも協力を約束した。 人形のバネがロケットを救い、消防車の歯車で子犬が生き返る、玩具の臓器移植だ。 不燃ごみを減らしつつ、モノを大切にする心を育てたいという。 壊れたら捨てる、飽きたら買い替えるのでは、おもちゃたちも踊る気にならない。 「私はおもちゃ持参で疎開した世代。 ままごとのタンスをマッチ箱で作ったくらいだから、人形も絵本もボロボロになるまで手放しませんでしたね」。 1962年の夏、NHKの初代「うたのおねえさん」としてあの歌を日本中に広めた、眞理ヨシコさん(東洋英和女学院大学教授)の感慨である。
使い捨てが美徳のように思われるしゃかいであってはならない。ものを大切にする心は日本国民にずーと持ち続けていたこころである。 欧米思想が世界で一番という考えが一般に思われていることが悲しく思うのは日本人の誰にもあるのではなかろうか。
山梨県小菅村が 「無議会状態」に陥ってから、 半月ほど過ぎた。 19年3月19日の天声人語からの引用 議員がひとりもいない。 山梨県小菅村が「無議会状態」に陥ってから、半月ほど過ぎた。 10人の村議が全員そろって辞めた。 きっかけは、1月の知事選での選挙違反だった。 供応などで8議員が書類送検され、あとの2人も「連帯責任」という理由で辞職した。 もはや議会の定足数を満たさない。 報酬だけもらうわけにもいかぬ。 そんな思いもあったらしい。 新年度予算案は宙に浮いたままだ。 村財政は借金で首が回らないが、日々の行政は淡々とこなされている。 当面の光熱費などは、村長の専決処分で払える。 人口は930人ほど。 投票があった8年前の村議選の最下位当選は49票だ。 村が出した議案を、議会が否決や修正することもないという。 これまでと同じような議会が必要なのか。 再生を期す村議選を前に、素朴な疑問も浮かぶ。 統一地方選後半の4月22日の投票日に向けて、村にふさわしい民意の集め方が問われる。 あるべき議会の姿を考えてみる。 これは各地で直面する課題だ。 政務調査費のむだ遣いは、いまや全国共通の問題だ。 「もみ消しも口利きもできなくなった。 議員を続けてもいいことないな」と語る市議もいる。 今週は、いよいよ13都道県で知事選が告示される。 東京都知事選など華やかな対決が注目されがちだが、身近な自治体の議員選から目が離せない。 そもそも議員の仕事とは何なのか。 そのために何人が必要なのか。 その報酬はいくらがいいのか。 このくらいは考えて、一票を投じるとしよう。 関心が低ければ、その質が落ちることは間違いないのだから。 議員が正確に国民の意思をつたえているかというと疑問にかんずることがある。 良いことなければ議員なりたくないような人には議員になってもらいたくない。 米国はイラクに先制攻撃を掛けた。 19年3月20日の天声人語からの引用 イラク戦争が始まって、きょう20日で4年になる。 それを前に米国では、国防総省へのデモ行進や、星条旗で覆ってひつぎに見立てた箱を担いだ反戦デモがあったという。 この4年、星条旗で覆われた数多くの本物のひつぎが担がれ、ほかの外国の旗で覆われた幾つものひつぎも担がれてきた。 そして、さらにおびただしい数のイラクの人たちが犠牲になり、葬られた。 この戦争の墓標は、今も増え続けている。 米国は、大量破壊兵器の存在という、後には否定された理由を掲げてイラクに先制攻撃を掛けた。 攻撃への懸念が国際社会に根強い中で、イラクに無理やり腕を突っ込んでかき回したが、まだ治まりがつかない。 「常備軍(アーミー)とは常置政府がふりまわす腕(アーム)にすぎない」。 19世紀の中葉に『森の生活』を著し、米国の「森の詩人」として知られるヘンリー・D・ソローは、その『市民の反抗』(飯田実訳・岩波文庫)では、 暴政に対して厳しい視線を向けた。 ソローはある時、人頭税の支払いを拒んだかどで投獄される。 不払いは、奴隷制に抗議するためであり、のちには、彼が侵略戦争だとみたメキシコとの戦争をひき起こした政府への抗議が加わったという。 このメキシコとの戦争によって、米国はニューメキシコ、カリフォルニアの広大な土地を獲得した。 「これなどは、常置政府をみずからの道具として利用している比較的少数の個人のなせる業(わざ)である」。 ソローならば、イラク戦争をどう評するだろう。 戦費となる納税を拒否するのかどうか、聞いてみたい気がする。 馬鹿なイラク戦争をブッシュは始めたものである。これではどれだけ続くかの泥沼である。イラクの人たちには大変迷惑している。 どのように終わるかはもっと国連が関与すべきである。その姿は全く見えてこない。 原発の制御棒も 19年3月21日の天声人語からの引用 見たことは無くても、名前を聞けばどんなものかの見当はつく。 原発の制御棒も、そうした名は体を表すものの一つだろう。 核反応を制御するはずの肝心要の棒が抜け落ちる事故が幾つもあったことが、次々に明るみに出ている。 石川県の北陸電力の志賀原発1号機では8年前、制御棒が抜け落ちたために臨界の状態となり、 核分裂の反応が勝手に起きてしまった。 制御を失った迷走は15分ほど続いた。 もしも制御がきかない状態が長く続いていたらと想像すると、背筋が寒くなる。 原発の事故をテーマにした米国映画に「チャイナ・シンドローム」があった。 この題名は、原発が制御不能になって暴走し、どろどろに溶けた炉心が地球を貫い 米国の反対側の中国に達するという意味から来ている。 映画では、たまたま事故の時に原発内で取材していたジェーン・フォンダが扮するジャーナリストらが、 それを明るみに出そうとする。 そこに圧力や妨害が起こり、隠蔽(いんぺい)と公表を巡るつばぜりあいが描かれる。 志賀原発の臨界事故が長く隠蔽されていたことについて、北陸電力の社長が述べたという。 「作業が夜中の2時とか3時とかで、だれも見ていないよという感覚もあったのではないか」。 現場の責任は重い。 しかし、他の電力会社も含め、現場に隠蔽を選ばせてしまうような傾きはなかったのだろうか。 核分裂を制御するのが制御棒だが、制御棒を制御するのは人間だ。 その人間の方の仕組みがきちんと働かないのでは、制御棒という名は体を表さず、その名に背くことになる。 原発は薬でいうならば劇薬である。取り扱いには特別な注意を払ってやってもらいたいことである。 きょう告示される東京都知事選に立候補するという4人が 19年3月22日の天声人語からの引用 「人は変わるものだ」「いや人は変わらない」。 どちらも人間についての正しい見立てのようであり、どちらとも言えないような気もする。 「人は自らの短所を知っている」「いや、自分では分かるまい」。 これも、どちらも正しいようであり、違うようでもある。 きょう告示される東京都知事選に立候補するという4人が、テレビ朝日系の番組で自らの短所を述べるのを見て、そんな連想をした。 それぞれこう言っていたようだ。 現都知事は「短気」、元県知事は「多弁」、建築家は「夢を見る。完璧(かんぺき)を求めること」、元区長は「柔軟すぎるところ」 短気の人は、時に、その短所を包み込むかのような笑みを浮かべていた。 多弁の人は、どんなテーマでもいくらでもしゃべれるという構えを見せた。 夢の人は、他の人たちとは違う夢を独自のユーモアを交えて述べた。 柔軟の人は、かたくみられがちな党のイメージとの落差を、巧みに訴えようとしているようだった。 短所を、売り込みの急所に変える。 それぞれに、役者ではある。 テレビの劇場で演じられる知事選という芝居なのか。 「人間世界は悉(ことごと)く舞台です、さうしてすべての男女が俳優です」(シェークスピア「お気に召すまま」坪内逍遥訳)。 「人は見かけだ」「いや、見かけによらない」。 この見立てにも、どちらとも決めかねるところがある。 映像には、本音を透かして見せる力と、見かけを強調する力とがある。 東京の知事選に限らず、候補者が文字にしたものや、文字になった情報も手に、明日への選択をしたい。 都知事で石原知事が当選している。政界の裏をみるような気持ちである。普通の人ならば反対されて落選するのが当然の人が 当選するのには驚きである。高齢で週に三日しか登庁しない人が当選するとは東京は魔物である。 政治がそのような政治家にまかされているから何時まで経っても日本はよくはならない。 遠い古代には、病気は 悪魔の仕業と考えられていた。 19年3月23日の天声人語からの引用 はるか遠い古代には、病気は悪魔の仕業と考えられていた。 4000年以上前のアッシリアの粘土板に、こんな呪文が刻まれているという。 「頭の、歯の、こころの、心臓の痛みの病気よ……悪い精よ、悪魔よ……家から立ち去れ」 (春山行夫『クスリ奇談』平凡社)。 医師は魔術師のような色彩が濃かったが、医学を科学として確立したのがギリシャのヒポクラテスだった。 この「医学の祖」の時代から現代までに、医学、医療は大きな進歩をとげた。 その現代医療の現場が、一つの薬の使い方を巡って混乱しかねない状態に陥った。 インフルエンザ治療薬「タミフル」を服用した10代の患者を中心に、飛び降りや転落といった異常な行動が指摘されている。 厚生労働省は、原則として10代の患者には使わないこととしたが、10歳未満ならいいのかといった疑問や戸惑いが起きている。 日本では、昨年度に860万人がタミフルを服用したという。 そのカプセルを飲んだひとりだが、確かに高熱が急速に治まった記憶がある。 しかし今回のように、年齢で制限する事態になるとは思ってもみなかった。 厚労省と製造・販売元は異常行動との関係を更に詳しく調べ、速やかに公表してほしい。 ヒポクラテスは「病を治すものは自然である」という説を立てたという。 治療法として自然の回復力を重んじつつ、病人や症状についての注意深い観察の大切さを説いた。 ひとりひとりの患者の症状をよく診る。 そしてその患者にふさわしい処方をすることを、現代のヒポクラテスたちには期待したい。 医学は日進月歩である。でもその治療する側の医師にとっては其の心は時代により変わってはいけない。 どの病気も自然にまかしていればよいものでもない。適切な治療法が求められる。 タミフルはインフルエンザには効果があるようだ。 でも薬には必ずといってよいほどに副作用がある。其の副作用は全員にはでるものではない。 いたって稀である。はかり知りえない副作用があるからといって自然に放置していて良いものでもない。 タミフルはウイルスに効く薬として珍しいものである。 以前にもウイルスに効く薬といわれるものがあったが自然に使われなくなっている。 医療界に経済原理をば導入し医療界を混乱に巻き込ました前小泉首相の責任は重い。 17歳だった城山三郎さんは、 忠君愛国の大義を信じ、 海軍に志願入隊した 19年3月24日の天声人語からの引用 作家の城山三郎さんが亡くなった。 経済小説という新しい分野を切り開いた。 貴いこの仕事は、経済という一分野を超えた大きなものに貫かれていたように思われる。 四半世紀前、城山さんはネパールに旅をした。 ヒマラヤを仰ぐ山国の湖畔で悠々と草をはむ牛がうらやましく、生まれ変われるならネパールの牛になりたいと思う。 そして、戦争末期にも同じ思いをしたことを想起した。 17歳だった城山さんは、忠君愛国の大義を信じ、海軍に志願入隊した。 そこで一部の職業軍人たちが愛国者の顔をしながらいかに醜いかを知る。 理由もない体罰、ひっきりなしに振るわれるこん棒。 兵士が芋の葉をかじる時、士官たちは天ぷら、トンカツを食う。 演習の時、河原でのんびりしている牛を見て、牛の方がいいと思った。 「大義名分のこわさ、組織のおそろしさ。 暗い青春を生きたあかしとして、とりあえずそれだけは書き残しておかねばならない。 そこからわたしの新しい人生がはじまった」。 「大義の末」や「男子の本懐」などが生まれ、組織と人間を見つめる目に磨きがかかった。 「旗」という詩がある。 「旗振るな/旗振らすな/旗伏せよ/旗たため……ひとみなひとり/ひとりには/ひとつの命」(『城山三郎全集』新潮社)。 旗一つで人をあおり、絡めとるようにみえる組織的な動きには、死の直前まで反対の声をあげ続けた。 「戦争で得たものは憲法だけだ」とも述べたという。 それが、城山さんを貫く思いであり、書き記そうとしてきたことの本質だったのかも知れない。 戦争体験者がすくなくなるにつれて,その悲惨さ 馬鹿らしさがわからない人たちが増えて 安部首相のような人が政界に君臨することになった。 一番危険と感じていた一人である。人間は馬鹿で体験しないと身につかないものだろうか。 知識は積み重ねろ事ができても智恵は一代かぎりのものである。 立派な人が他に沢山いると思うが,目先のことで政治が行われているように感ずる。 携帯の使用はここ5年間、 迷惑行為の1位か2位を占めている 19年3月25日の天声人語からの引用 たしか作家の開高健さんだったと思う。 アラスカの川でのサーモン釣りについて、次のような感慨を述べていた。 体長1メートルにもなる大物が掛かると、釣り人は糸を切られないよう必死の格闘を強いられる。 腰まで流れに漬かり、魚の動きに合わせて左へ右へ。 こけつ、まろびつ、ときに引き倒されて溺(おぼ)れそうになる。 「どっちが釣られているんだか、分からない」と。 よく似た思いを、道具に対して抱くときがある。 昨今ならさしずめ1億台に迫った携帯電話か。 仕事の連絡、遊びの誘い、その他もろもろ、どこにいても追いかけてくる。 多くの人が24時間の臨戦態勢だ。 使っているのか、使われているのか、分からなくなってくる。 電車内でのマナー違反も臨戦態勢のゆえだろう。 たとえば得意先からの電話をむげに黙殺は出来まい。 同僚、家族、知人……。 すぐ連絡がつくことを前提に世の中が動くから、マナーは後回しにされてしまう。 日本民営鉄道協会によれば、携帯の使用はここ5年間、迷惑行為の1位か2位を占めている。 「いっそ携帯OKの車両を設けたら」。 そんな意見が先ごろ、他紙の投書欄に載った。 携帯を使いたい人はその車両に乗り、ほかでは全員が電源を切る。 これならペースメーカー使用者も安心だろうし、不愉快も減りそうだ。 逆説めいた発想に説得力があった。 なにせ1億台の「巨魚」である。 「使われている」ことを認めつつ、溺れぬように付き合っていかねばならない。 マナーについては、モラルを唱えるばかりではなく、実態に即した知恵も必要だろう。
携帯電話も進化しているようだ。誰もが気軽に使っている時代となった。電話としては使うがメールとして打ち込むのに慣れないと 不便である。パソコンの方が楽に使える。テレビ インタネットが使える時代だがまだまだこれからである。 もう少し大きくとも良いがもっと便利になってほしい。勿論小さい方が良いことはよいのだが。
南西の沿岸付近を震源とする大きな地震が、きのう起きた。 石川県輪島市や七尾市などでは震度が6強に達し、
19年3月26日の天声人語からの引用
能登半島の北部の海岸沿いには、斜面に小さな田が連なった千枚田がある。 かつてここを訪れた作家の佐藤春夫は、山にはい上がろうとする緑の波濤(はとう)のようだと述べ、こう詠んだ。 〈千枚の青田渚になだれ入る〉(『佐藤春夫全集』臨川書店)。 青田がなだれ入る渚(なぎさ)から南西の沿岸付近を震源とする大きな地震が、きのう起きた。 千枚田のある石川県輪島市や七尾市などでは震度が6強に達し、死者や多くの負傷者が出る惨事となった。 津波はさほどではなかったようだ。 しかし現地からの写真では、家が崩れたり、国道が地割れで裂かれたりしていて、揺れの激しさがうかがえる。 「能登はやさしや土までも」という表現がある。 この地方のおだやかな人情と文化、豊かな自然は、日本の原風景にもたとえられる。 99年には春夫が詠んだ千枚田で、駐日外交官と家族らが田植えや稲刈りに挑戦した。 だが、地上の営みがどれほど豊かであろうと、どんなに心優しき人々が暮らしていようと、 そういうことにはお構いなしにある日突然、大地は揺れる。 これが、地震という自然災害の怖さと残酷さだろう。 今回はたまたま、日曜日の午前中という経済活動がゆったりした時間帯だったが、地震は時を選ばない。
04年の新潟中越地震で母子3人が乗った車が土砂に埋まり、男の子が救出された現場の県道が開通した。 地震で閉ざされていた道がようやく通じる一方、新たな被災地で道が断たれる。 地震国の厳しさを象徴しているが、空輸を含む救援の道だけは、断裂も閉鎖もさせないようにしたい。
今回の能登半島の地震は日本国内で起きている。テレビの放送を見ているとイライラしてくる。 もっと早く救援できないものかと。自衛隊が一番に出動してよいことである。 災害救援自衛隊を特別につくるべきである。戦争するだけが自衛隊であるはずではない。 イラクまでわざわざ行って救援援助しているのに,どうして国内で援助することができなくなっているのかと 変に自衛隊の存在を見る。政治家のやることはわからない。 いまどき照明不足で学べない子はいない。 19年3月27日の天声人語からの引用
卒業式の定番曲が入れ替わるなかで、この春「蛍の光」は何回歌われたのだろう。 苦学を表す蛍雪(けいせつ)は貧しくて灯油を欠き、蛍の光や雪あかりを頼りに書を読んだ中国の故事による。 いまどき照明不足で学べない子はいない。 入学商戦の学習机は「目に優しい調光式」だという。 光は正義に通じる。 不正を白日の下にさらすのが善で、闇から闇に葬るのが悪。実際、 世の中には一定の明るさを求められる状況が多い。 8人が死傷した兵庫県宝塚市のカラオケ店火災を受けて、全国の自治体が同業者を立ち入り調査した。 7割の店で違反が見つかり、誘導灯などに不備が目立った。 サッカーのJ1に初昇格した横浜FCは、本拠地の球技場が暗いと指摘された。 照度がリーグ規定の1500ルクスに届かず、改修を要請されている。 しかし、都市の明るすぎる夜には異議もある。 「暗くて、身体の動きも少ないが、しかし眠くないときがある。 人間がものを考えるのはそういうときだ」「(輝く夜が)人に常に動き回ることばかりを強いて、じっと考える能力を喪失させた」 (乾正雄『夜は暗くてはいけないか』朝日選書)。 いくらでも光がほしいのは、避難通路やスポーツ施設のように「悩むより動け」の環境だろう。 一般に、過度の明るさは沈思黙考を妨げる。 はっきりと見えなければ、あとは考えるしかない。 集中と直感、想像力を、暗さが脳に要求する。 思考が内に向かい、より本質に迫れることもある。 夏に蛍が飛ばず、冬に雪が積もらない街では、そんな闇の効用を学ぶ機会も少なくなった。
「蛍の光」の歌詞は懐かしい。でも現在の実態とはあってはいない。「君が代」の国家もそうである。 懐かしむ心とやはり本当の歌が作られて実態にあったほうがよい。 東京の人が明治神宮の広大な境内を歩いていて何の不思議さも感じないのと同じようなものである。
最近の言葉から
19年3月28日の天声人語からの引用
最近の言葉から。スポーツライターの乙武洋匡さんが4月から、東京の小学校の教壇に立つ。 「みんな違っていてもいいんだという『五体不満足』のメッセージを伝えたい」 定期的に痰(たん)の吸引が必要なことを理由に保育園への入園を一時拒否された 「彼が解放されない限り、ぼくは救われない。 解放されたとしても、彼の一生をつぶしたことになると思っている」。 彼とは、66年に静岡県で一家4人を殺したとして刑が確定し、再審を求めている袴田巌死刑囚。 一審担当の元裁判官、熊本典道さんが述べた。 無罪を主張したが、合議で死刑に決まったという。 「財政に強い議会」作りを進めてきたという北海道栗山町の議長が語る。 「議員が財政に強くなると、議会の監視力が高まる。 カネがないと分かっていれば『あれやれ、これ作れ』なんて言う議員はいなくなる」 フィギュアスケートの安藤美姫さんが世界選手権を制した。 「トリノ五輪の後つらい時期があったが、みんなに励ましの言葉をもらって乗り越えることができた」 本紙で来月始まる男性の投稿欄「男のひといき」に、作家・北村薫さんからエールが届いた。 「大切なものって、日常に転がってたりしますよね。 猫の爪(つめ)が刺さった瞬間の痛みや、子どもと道を歩いている時の幸せ、夕焼けのきれいさ。 人間の心に食い入ってくるものが、日常の中にはあります」
幼い頃に受けた「いじめ」と母の記憶だ
19年3月29日の天声人語からの引用
一休さんのような少年僧が、暗い道に張られた縄に足をとられた。 地面にしたたかに顔を打ち付け、血が噴き出す。 しかし、少年は泣くこともなく寺に帰ってゆく。 「衣を着たときは、たとえ子どもでも、お坊さんなのだから、喧嘩(けんか)をしてはいけません」。 少年は、縄を仕掛けた連中が近くに潜んでいるのを感じたが、この母の教えを守った。 母は、血だらけで帰ってきた彼の手当てをし、抱きしめて言った。「よく辛抱したね」 80歳で亡くなった植木等さんが『夢を食いつづけた男』(朝日文庫)に書いた、幼い頃に受けた「いじめ」と母の記憶だ。 住職だった父は、部落解放運動の闘士でもあった。 治安維持法違反で入獄したり、各地の社会運動に出かけたりして寺に居ないため、植木さんが檀家(だんか)回りをせざるをえなかった。 父・徹誠さんは後年、「スーダラ節」の「わかっちゃいるけどやめられない」のくだりについて、「親鸞の教えに通じるものがある」と言ったという。 「人間の弱さを言い当てている」 おだてられてその気になったり、お呼びでないところに出てしまったり、あげくには、ハイそれまでよになってしまったり。 人の弱さと浮世の切なさとを、底抜けの明るさで歌い、演じた。 「無責任男」として有名になったが、根は誠実で、思慮深い人だったという。 いわば、世の中の「無責任感」を一身に背負うという責任感が、あの笑顔を支えていたのではないか。 耳に残る数々の「植木節」は、戦後の昭和という時を共にする多くの人の道連れであり、応援歌でもあった。 教育の大切さがわかる。その教育基本法が今の政府によりいとも簡単に変えられようとしている。 今の衆院議員数ではなんでも政府はできるようになっている。 安倍首相が「船出」に挙げるのは、 改憲して新しい憲法を制定することだ
19年3月30日の天声人語からの引用 安倍首相が掲げている政治目標に「戦後レジームからの船出」がある。 レジームという言葉は、フランス革命で倒されたアンシャン・レジーム(旧体制)を連想させる。 この旧体制は絶対君主制で、国民は極めて抑圧されていた。 安倍首相が「船出」に挙げるのは、改憲して新しい憲法を制定することだ。 その憲法を改める手続きを定める国民投票法案が成立する公算が大きくなっているという。 手続きを決めるものとはいえ、ことは国の最高法規にかかわる。 発足から半年の安倍政権の軌跡をみると、これだけ重みのある法案をきちんと取り扱えるのかと不安になる。 この政権に向けられた疑念に「政治とカネ」の問題がある。 それを象徴するのが松岡農水相の光熱水費疑惑だ。 無料のはずの議員会館の光熱水費を5年で3000万円近くも計上していた。 説明を拒む農水相が閣僚や議員としての適性に欠けるのは明らかだが、それをかばい続ける首相の適性もまた問われている。 国会での多数の力に寄りかかっているのだろうか。 フランス革命の少し後に生まれ、「アンシャン・レジームと革命」を著した歴史家で政治家のトクヴィルは 「多数者の専制」が少数者を脅かす危険を警告した。 「どんな政府であれ、力のあるところには卑しい根性が近づき、権力には追従が付きものであると思う」 (『アメリカのデモクラシー』岩波文庫・松本礼二訳)。 民主政治の国では、多数派が優位に立つ。 しかし、数に物を言わせて「船出」を強行するとしたら、国が沈むことにもなりかねない。
「レジーム」という変な横文字が飛び交う社会自体が不健全である。「レジーム」というような言葉を使うような戦後体制は変えてほしい。 戦後にしかなし得なかった世界唯一の立派な「戦争放棄」を謳った平和憲法は絶対に変えないことである。 変な言葉をやたらにつかったりするアメリカ追随するような戦後の体制をば早々に変えるべきである。 堂々と「憲法改正イエスかノか」の衆議院解散総選挙で民意をきいてからにしてほしい。 憲法は将来の日本の指針を決め法律の根幹であることを阿部首相はご存知あるのだろうか。? 花は、ほんのりと薄紅に染まって風にゆれている 19年3月31日の天声人語からの引用
毎年ながら、こんなに白に近いものだったかと思いながら見上げる。 しかし白そのものではもちろんなく、花は、ほんのりと薄紅に染まって風にゆれている。 東京あたりではソメイヨシノが満開になった。 新1年生を待つ無人の小学校の校庭で、あるいは思いがけない通りの角で、春本番を告げている。 〈さまざまのこと思ひ出す桜かな〉。 いつもながら、分かりやすすぎて憎いような、芭蕉の一句が浮かぶ。 せかされるように、花びらを散らし始めた桜もある。 3月の末日、明日からは新しい職場や学校に移る人も多いだろう。 列島の至るところに、これまでの住まいを離れる多くの人と、それを見守る更に多くの人たちがいる。 今年、「団塊」の世代の先頭の一団が還暦を迎えた。 2007年問題などといわれて久しい。 確かに、人口ピラミッドに特別大きな出っ張りを描きながら年を重ねてきた面々がまとまって去るのは、 ことによれば大事(おおごと)かもしれない。 しかし考えてみれば、団塊などと一塊にしてみたところで、中身は一人一人別々だ。 継承に悩む職場がある一方、重しが消えて風通しがよくなるところもあるのではないか。 この団塊に限らず、人は人を、その属する集団や出身などの塊で見がちだが、個別のばらつきの方がはるかに大きい。 それを、改めて知る春なのかもしれない。 唐の詩人が詠んでいる。 〈年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず〉。 私事で恐縮ながら筆者も今年が還暦。 ご叱正(しっせい)、ご愛読に深謝しつつ、切りのいいこの年度末で、次と代わります。
より多くの人たちが「天声人語」を読まれ続けるべきである。ハッとすることがよくある随筆欄であり 伝統を踏まえてより良い社会になる指針となって成長してほしいものである。
明日から「天声人語」の筆者が交代します。04年4月から担当してきた高橋郁男論説委員に代わり、 福島申二、冨永格(ただし)両論説委員が執筆します。
福島記者は主に社会部で多様なテーマの取材にあたり、編集委員も務めました。 02年から3年間はニューヨーク特派員としてイラク戦争前後の国連や米大統領選を報道しました。50歳。
冨永記者は経済部と外報部の取材経験が長く、2度のブリュッセル勤務で欧州統合の最前線を伝えました。 欧州には通算10年滞在し、04年から今年1月まではパリ支局長でした。50歳。
京都の神社を尋ねて
以前のこと,現在住んでいる近くの郊外の京都府久御山町佐山にある双栗神社を訪ねたことがあった。 最近,その近くの大阪府枚方市樟葉にある交野天神社を訪れることにした。 この神社の有る場所に,継体天皇が飛鳥京に入る前,一時期の間皇宮を構え滞在されていたところである。 :継体天皇(450-531)は越前の方から弟国宮 樟葉宮それに筒城宮を構えて約20年後に奈良の飛鳥に入られている。 交野天神社を訪れ驚いたことに,双栗神社へ来たのではないかと思うほど,神社の正面に鳥居があり参道から入って 神社の拝殿にいたる道筋か全く同じであり,間違えて双栗神社に再び来たのではないかと驚くほど似ていた。 神社前の鳥居から東に向かい,途中で直角に北方面に向かって進み,拝殿は南向きに建っていることである。 飛鳥・奈良時代から平安京時代の頃はいたるところが広々とした原野であって,そこに神社が建てられたと想像する。 だから一定の形式で神社が建てられていたことは考えられることである。 それから,何処の神社に訪れる度にもその参道と拝殿との関係を観察しながらお参りするようになった。 山城国の一宮である上賀茂神社・下賀茂神社も同じように参道を東に向って進んでゆき,途中で直角におれ 北の方向に向かってゆく形式には一般と変わっていなかった。 だから拝殿は南を向いて建てられている。 下賀茂神社は長い間京都に住みながらも一度も訪れたことがなかった。 今回初めて訪れ,広大な境内が町並の家屋によって囲まれるているような形で, 昔の山城の原野を想像するするような多くの大木が茂たなかにあって,森閑とした森の中にある。 都会の中にいることを忘れてしまうほど゛静かな森林になっていた。 「糺森」として京都市民に親しまれている場所である。 上賀茂神社は以前若い頃に2-3回訪れたことがある。 でも其の頃の神社は,町並みが途絶えてからかなり歩いた場所に神社があったように記憶している。 でも今回訪れて見た時は,神社の前まで町並みが押し寄せ門前には茶店が並んでいた。 下賀茂神社は東向きの参道が短くて途中に摂社河合神社がありここの神社の神主の生まれで「方丈記」を書いた鴨長明が出ている。 「方丈記」にでてくる住んでいた小屋が展示してある。折りたたみ式の一間の家屋であったようである。 晩年は伏見醍醐の小野に住んで「方丈記」を書いたようだ。 下賀茂神社の北向きの参道は二本あって立派で広く長く続いていて一方では駈け馬に使われているようだ。 上賀茂神社は逆に北向きの参道が長く東向きの参道が短かった。 両者共に山城国の一宮だけあって大変に立派で「葵祭り」,「駈け馬行事」、「曲水の宴」などが催されて広く世間に知られている。 昔は全国,地方ごとに一宮 二宮 三宮があったようである。 山城国(京都市周辺)は一宮だけで上・下賀茂神社がそれに相当している。 滋賀県大津の近江国には一宮として,建部大社がある。 此処も広い境内をもつも,参道は東に向いて途中で直角に北に向い拝殿は南向きになっている。 奈良の春日大社も同じような形式で建てられている。 古い神社は大体,同じような形式で建てられていたのではないかと考えるようになった。 だが一番近くの,この現在住んでいる地域の氏神神社でもある御香宮神社は北向きに門を入って参道があって, 拝殿は南を向いて建っている。一般に見られる東向きの参道はない。 しかしながら門前の舗装された道路の少し西の辺りにに大きな鳥居が建っている。 これが昔参道だったかもしれない。 これは桃山城が在った頃の大手門にいたる道筋にあたり,其のときに参道が失われ,桃山城が廃城になって 元の場所に神社が戻ってきた時,鳥居だけが道路に建てられたのではないかと考える。 幼い頃から親しみある稲荷大社, 藤森神社も東を向いて参道があり直角に曲がり南向きの拝殿がある形式では建っていない。 稲荷大社は西向きに拝殿が建って東向きの参道だけである。 藤森神社は南向きに拝殿は建ってはいるが参道は北向きだけのようだが,途中に直違橋通りから入る東に向かう参道がある。 どちらが本当の参道なのかは判らない。 宮司さんの話では参勤交代の行列が通ったとき神社の前を進むとき槍などは下げて通っていったとの話を聞いているので 北向きだけの方の参道が本当なのかと思ったりもする。 だが直違橋通りから入る参道も立派なので本来はこちらが方が本当の参道だったかもしれない。 それぞれの神社の建立の歴史から,参道もかなり変化されてきているのではないかのかと考える。 東京の都会の真ん中にある広大な明治神宮や,又広大な敷地をかかえている桃山御陵の近くの乃木神社などのように, 近代での新しい神社などでは,そのような形式は見てとれないのは当然と考える。 昔古い神社は 原野に建てられたような神社は,東に向いて途中で直角に北に向かって歩いて行き拝殿が南向きにたてられているのが 一般的な建て方だと思うようにいたった。 戻る 2月分 3月分 4月分