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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


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五月になって



五月は気候的には一年のうちで一番良い季節の一つでもある。

寒くもなく,暑くもない五月晴れのもとで何をするにも良い季節になってきた。

子供の頃に住んでいた所の氏神さんである藤森神社の藤森祭りが五月五日にあった。 

そして上・下賀茂神社の祭りである「葵祭り」がそれに続き催されている。

祭りの規模.・内容も戦後に比べ,時が経つにつれ徐々に立派なものになってきているようだ。

このような時代になってきたことに対し感謝すべきである。

戦後は,食べるだけが精一杯で,祭りのことなんかあまり関心が薄かった時代でもあった。

そんな情勢の中,祭はひっそりと細々と催されていたような気がする。

母から伝え聞いた話では,さらに昔の大正時代の終わり頃,街道(筋違橋通り)が舗装されていない頃に

藤森神社の駈け馬が街道であり,各家庭の座敷から駈け馬が見らることができたようだ。

長い街道筋を駈け馬が走りぬける姿を想像するだけでも勇壮な祭りの風景が思い浮かんでくる。

その他に長い武者行列や神輿(三台)のお通りなどがあって,京都(昔も今も伏見からは,旧京都市街を指して"京都"と言っていた)から

わざわざ藤森祭りを見学に見えたとの古い記事をもみかける。

藤森神社の祭りが昔はそれほどに有名なお祭りであったようだ。

藤森神社は五月五日の菖蒲の節句の発祥の地でもある。

このお祭りの日に必ず食べた「さば寿司」が懐かしく思い出される。

平和である「今」をば有り難く感謝しなければならない。

国内情勢を見ると何か日本の政治は混沌としてきている。

多数の議員を擁する自民党と国民の思いとの差に大きな乖離を生じている。

そのために阿部内閣の支持率の低下が著しい。支持する人よりも不支持の人が多くなってきている。

でも前小泉政権時代に獲得した衆議院数でもって安部首相はガムシャラに次から次へと十分な審議なく諸法案を通している。

絶対多数の自民党の衆議院員数では怖いものなしで,何でもできる。

多ければ多いほどに,奢ることなく国内外の情勢をよく見きわめ,法案審議に慎重に国民の意思をできる限り聞くように努力すべきだ。

特に憲法に関する法案に関してはより慎重であるべきだ。

これは「郵政民営化賛成か反対か」のレベルの話ではない。

「郵政民営化賛成か反対か」だけを国民に問いかけた衆議院数でもって,そのときの人数でもって,強引に

十分な審議なしにいろんな法案が素通りのようにして通過させている。

こんなことでよいのだろうか。??

これでは政党なんか,ない方がよりましな政治が行われるのではないかと思える。

阿部首相によって,松岡利勝農政大臣が殺されたのではないかと考えられるようなショッキングな事件が起きた。

本人の松岡氏は閣僚を早く辞めたいようだったが,首相と自民党が圧力をかけ,辞めさせず自殺に追い込んでいる。

こんなにも本人が思いつめ,自己の意志を示すことができない現在の政治に対し大変な矛盾を感ずる。

自分の意志は政党に全て委ねて,自分の思い通り行動できない政党とは一体なんだろうかと感ずる。

松岡氏の遺書には「阿部首相 万歳」と書かれていたことが報道されている。

松岡氏は「非」を認め早く辞職すべきだったし,早く辞めさせてあげるべきだ゜った。

「天皇陛下万歳」を唱え死んでいった第二次大戦中の兵士達の境遇が連想されてくる。

だが兵士達は何も悪いことはしていなく,強制的に徴兵され,当時の体制によって殺されたようなものである。

だが松岡氏の場合には本人は罪らしきことは犯している。

罪を償い,辞めるに辞められないで最後は自分自身で首をつって自殺している。

政治とはあまりにも非情な世界である。

非常で恐ろしい体制にならないよう,現在の我々は十分に気をつけ政治に注目し続けるべきである。

今の政治情勢は昔の軍国日本へと再び変わって来ているようにみえる。

安部自民党は何を考えているのだろうか。?

年金問題も急浮上してきている。政府は何をしているのか,それに今まで何をしてきたのか。

何か国民から疑問を提出がなければそのままに過ごす気でいたのろうか。

社会保険庁の長官をはじめ官僚の天下りに対し大変な額の給料が支払われている。

集めた年金の支払われたお金が無駄遣いされている。それでもって払った人には十分な年金は支払われない。

同じムジナ同士でもってこのような問題が抜本的に改善ができるのだろうか,大変疑問である。

段々と,物言えぬ社会に変わりつつある。戦後世代による戦前回帰の気運が高まってきている。

国民は投票でしか意思表示できない。

それとは違った目的でもって,政党自体ははコケの生えたような組織化が進んできてしまった。

政党の意図とは関係なしに目先の損得関係だけでもって政党の組織化がすすんでいる。

なんとか,まともで美しい国になって世界に誇れるような日本国に変わってほしいものである。

これだけの諸問題が噴出してくれば「美しい日本国」の言葉も安部首相の口から出なくなってきてしまった。

世界を眺めると相変わらずに中東地域 イスラム圏で戦争が絶えていない。

アメリカのブッシュの考えるように簡単に収まろうとはしていない。

でもイラクて゜のアメリカ兵の戦死者は大変な数に上ってきている。

ベトナム戦争において,徴兵逃れを指摘されているような最高司令官ブッシュのもと,でアメリカ国民は本当に可哀想である。

戦争したいならば,まずブッシュさん貴方自身がまず危険な前線に立って指揮されることを望みます。

若いアメリカの兵隊が貴方の言うテロとの戦いだとする戦争でもって,3500人超もの人たちが戦死し,負傷した軍人はさらに多くいる。

イラク国民に至っては戦争のために,どれだけか遥かに多くの罪のない人たちが死んでいっている。

なんとかしないと,その数はドンドンとこれからも増え続けるばかりだ。

一刻の猶予ないことである。それにもかかわらずに日本はそのイラクに対し航空自衛隊の任期を二年間延長している。

ブッシュさん貴方の思量浅き決断でもって,結果多くの人たちに迷惑を与え,

短い人生にさせてられている多くの若者達のことを知って欲しいものである。

戦争によって儲かる人たちの為,に戦争をしているようにしか見えてこない。

核兵器は既にこの世に存在している。

現在,の戦争が,何かのひょうしで核による地球破滅につながる機会になってしまうことをよ-く理解してほしいものです。

世界中への核拡散は,いずれ将来誰にでも核を作り,手に入れることができる世の中になることは確実である。

世界中全体でもって早く,核放棄,並びに戦争放棄の道をば真剣になって世界中が模索すべき時である。

人の命は地球より重く尊いものです。ES細胞の医学へ利用の法案をを拒否権でもって命の大切さを強調された

ブッシュさん,貴方がそれだけ真摯なキリスト教徒を自覚されるならば,人の命の尊さについて十分理解できておられるようですが,

でも貴方の影響で中東地域では毎日のように多くの人命が失われていっています。







魚とは、逃げた時から成長が速まる生物である







平成19年5月1日の天声人語からの引用

「魚の定義」というジョークがある。

《魚とは、逃げた時から成長が速まる生物である》。

手元に寄せて逃した一匹ほど、大きいものはない。

悔しさが想像を膨らませ、人に話すたびに両手の間隔が広がっていく。

 米アラスカ沖のベーリング海で3月、メバルの仲間のヒレグロメヌケ(メス)が捕れた。

体長1メートル強、重さ27キロの巨体。

朱を帯び、でっぷり丸い腹も見事だが、年齢がすごかった。

推定100歳である。

 魚の年齢は、頭の骨にある耳石(じせき)か、ウロコのしま模様で勘定する。

木の年輪と同じ理屈だ。

メヌケの長寿は米海洋大気局(NOAA)が耳石から割り出した。

この海域は水温が低く、底にいる魚の成長は特に遅い。

大きな個体は、それだけの歳月を生き抜いた証しだ。

 食卓に縁の深いアジやサバは5年、タイなら20年ほど生きるという。

ただし、ほとんどの魚は小さいうちに他の生き物に食べられてしまう。

魔の手は、水の上からも伸びてくる。

 魚と人の関係を思うとき、金子みすゞの代表作「大漁」に行き当たる。

〈朝焼小焼(あさやけこやけ)だ/大漁だ/大羽鰮(おおばいわし)の/大漁だ。

/浜は祭りの/やうだけど/海のなかでは/何万の/鰮のとむらひ/するだらう。〉。

底引き網にかからなければ、あのメヌケはどれほど生きたのか。

弔いは盛大だったことだろう。

 魚は大切な栄養源だ。

漁業や釣りは彼らの平均寿命を少し縮めているはずだが、縮めた分は我々に上乗せされている気もする。

ならば魚も本望か。

年齢不詳の丸干しをかじりながら、身勝手な仮説を転がしてみた。







魚は人類にとって大切な食物資源である。魚にとって迷惑な話だと思うが。

まさしく弱肉強食の世界である。釣りの経験はあるが,つれないことの方が多かった。

その土地の人たちは不味くて食べないような小魚を天ぷらにして食べた若い頃の記憶がある。

そのときに朝方と夕方がよく釣れることを体得した。







20年前の憲法記念日、
朝日新聞の阪神支局が襲撃され、
記者2人が死傷した








平成19年5月2日の天声人語からの引用


持ち場にもよるが、20年前はスーツを常用する新聞記者はそれほど多くなかったと思う。

現場で動きやすい軽装が一般的で、使い込んで、戦友のようになった一着があったものだ。

 実際、その薄手のブルゾンは、持ち主の分まで戦っているように見えた。

20年前の憲法記念日、朝日新聞の阪神支局が襲撃され、記者2人が死傷した。

29歳で命を絶たれた小尻知博記者の上着が、支局にある襲撃事件資料室で初めて公開された(3日まで)。


 サイズはM。左ポケットのわきに、卵大の穴が開いている。

至近距離から放たれた400粒の散弾が、ひとかたまりで脇腹に飛び込んだ跡だ

色あせた青い木綿の生地は、運ばれた病院で切り裂かれ、左半分が褐色に染まっている。

展示ケースに収める前、手にとり、そっと顔を近づけてみた。

古着のにおいだけがした。

 事件の1週間前、統一地方選挙の開票日に支局で撮られた写真が、小尻記者の残像として広まった。

書棚の前で左手に紙を持ち、はにかむように笑いながら、記者はあのブルゾンを着ている。

京都の百貨店で買ったという分身は、時を超え、忘れてはならない怒りを発信し続ける。

 小尻記者のもう一つの分身、当時2歳だった一人娘はこの春、父親と同じメディアの道に進んだ。

一連の朝日新聞襲撃事件はすべて時効となったが、表現と言論の自由を守る闘いに終わりはない。

 憲法は明日、施行60年を迎える

その半分も生きられなかった仲間の無念を引き取り、彼のブルゾンを心に羽織って歩いてゆこうと思う。






言論は言論でもって戦うのが民主主義というものではないのか。実弾でもって相手を倒すのはもってのほかでのことである。

さらにはお金の実弾も許してはならない。

気に食わぬことを発言するものに対し,弾圧 さらには殺すにいたっては論外である。

犯人が捕まらないのは司法も同類ではないかと疑われても仕方ない所がある。

戦後の一党支配体制が持続してきたことに対して常に鋭い目を注ぐ必要がある。








山河や文化、同じ言葉を話す懐かしい人々







平成19年5月3日の天声人語からの引用

朝日歌壇賞と俳壇賞の二冠を持つオランダ在住の歌人、モーレンカンプふゆこさんの短歌に

〈窓口で法律用語を調べつつ日本国籍破棄を告げけり〉がある。

33歳で異国に帰化した際の、凜(りん)とした決意だ。

 作者はしかし、森で拾った木の実にまで望郷の念を募らせもする。

〈手の中に団栗(どんぐり)といふ故国あり〉。


ふゆこさんが思い続ける日本は、いつまでも、海外の同胞が慕う国でいられるだろうか。

 パリ駐在から帰国し、3年ぶりに住んだこの国は改めて新鮮だった。

朝のホームに整然と並ぶ人たち、静かな満員電車。

小ぎれいで安全な街、眠らぬコンビニと自販機。

このささやかな日常の安定こそ、守り伝えるべきものに見える。

 国籍を捨てて、なお残る祖国とは何だろう。

山河や文化、同じ言葉を話す懐かしい人々。

その一切がつつがなくあるために、国家の仕組みと約束事がある。

軍事同盟が「傘」なら、平和憲法は「繭」のように、日本社会に寄り添って平安を包んできたのではないか。

 窮屈な繭を抜け出し、傘の下で舞うチョウになりたいと欲する人もいる。

だが、世界の現実に合わせて理想を遠慮すれば、情けない現実が大きくなるだけだ。

 朝日俳壇の選者だった石田波郷(はきょう)に、「焦土諷詠(ふうえい)」と称される作品群がある。

〈香水の香(か)を焼跡(やけあと)にのこしけり〉。

廃虚から書き起こした香り高い志は、四季の美しさや産業技術と並ぶ財産だ。

世界がこの水準に追いつくまで、あるべき姿を輝く繭から発信する。

 ここで悠然と待つのが人類愛にかなうと思うが、どうだろう。





誰の目からしても現在の日米の関係は戦後ずーと異常である。敗戦国の宿命を背負っているのか。

新聞で読んだ現在クラスター爆弾を保持してしいるのは日本国土の海岸線で使うことによって,敵国に占領されぬため

保持しているとの幕僚長談話を読んだ事がある。

そんなことせずに,早く降伏していれば原爆も落とされず各都市での空襲によるじゅうたん爆撃から救えたのではないのか。

竹槍で戦うとの当時の国民達は悲壮な教育でもって洗脳されていた。二度と過ちは犯さないでいよう。








49人の手品師が在京の民放2社を相手に、
計約200万円の損害賠償を求める裁判を起こした。






平成19年5月4日の天声人語からの引用


日本初の手品本は約300年前、江戸元禄期の『神仙戯術(しんせんげじゅつ)』とされる。

手品研究家の平岩白風(はくふう)さんによると、明(みん)の書物を和訳したものだ。

この本が紹介する「戯術」の種(たね)は、しみじみ素朴である。

 例えば「勝手に動くひょうたん」。

中に小さめのウナギかドジョウを入れておき、塩と胡椒(こしょう)を溶いた水を注いでふたをするだけだ。


なにぶん仕掛けが天然素材だから、ひょうたんの動きが弱々しくなったところで幕だろう。

魚がちょっと気の毒でもある。

 49人の手品師が在京の民放2社を相手に、計約200万円の損害賠償を求める裁判を起こした。

硬貨を手品用に違法加工した事件の報道で、たばこがコインを貫通する仕掛けなどをばらされた、という。


「種という手品師の共有財産が侵害された」と訴える。

 だまされまいと舞台を凝視する客の前で、シルクハットからハトが出る、ウサギが出る。

拍手をしながら謎解きに挑戦する人はいても、そのまま眠れなくなることはまずない。

幻惑は、心地よい余韻を残して消えていく。

 手品師と客の間には「これは芸」という暗黙の了解がある。

だからこそ落ち着いて驚くことができる。

「種も仕掛けもないのでは」と思わせたら、それはもう魔術のたぐいで、お客は落ち着かないだろう。

 逆に、はなから種が割れていたら、演者の手際を追うだけの味気ない見せ物になる

転がるひょうたんより、中にいるウナギの身の上が気になり、やはり楽しめない。

知りたくもあり、知りたくもなし。

種との間合いは、このあたりがいい。






種もしかけもない手品はこの世にはない。だからといって手品がすたれることがない。その種を秘密のベールに包まれていたからである。

次第に手品も廃れてゆくものか。テレビの前での手品もしんどい話だと思う。







「パリで一番うまいクロワッサン」を発表した。







平成19年5月5日の天声人語からの引用

三日月はその形から「月」の字を生んだ。

出番が日暮れ時なので「夕」にもなった。

象形文字の面白さだ。

かたやフランス語では、満月に膨らむ途中だから「成長」と同系の名詞となり、同じ形のパンの名にもなった。

 フランス在勤中の昨秋、週刊フィガロスコープが「パリで一番うまいクロワッサン」を発表した。

目隠しテストで64店を食べ比べた結果、日本にも店があるピエール・エルメが1位に輝いた。

 同誌によれば、良いクロワッサンは「かじると表層が崩れ落ち、ちぎれば静かに抵抗する」そうだ。

パリ6区のエルメ本店で買ってみたら、三日月というよりひし形だった。

かぶりつくと、解説の通り皮がサリサリと落ち、中身はしっとりと粘った。

パリ一番の月は、食卓をクズだらけにして消えた。

 菓子職人として知られるエルメ氏は、焼き上がりに「手で引き裂いて、かすかな鳴き声を聴く」という。

そこまで繊細な一品ではなかったが、仏西部の家庭に居候していた当時、週末の食卓には決まってこのパンが現れた。

ゆったりした遅めの朝食に、バターの濃厚な香味が花を添えた。

 クロワッサンはオーストリアの発祥という。

1683年、オスマントルコ帝国軍の包囲を耐え抜いたウィーン市民が、敵のシンボルの三日月をパンにしたのが始まり。

形は優美でも「戦いの食べ物」なのだ。

明日はフランス大統領選の決選投票である。

右か左か、男か女か。審判までに残された朝食は2回。

大接戦を伝えられる両候補は、いくつ三日月をほお張ることだろう。






フランス大統領選挙は男性のサルコシ゛が勝利した。負ければ女性のロワイヤル氏が勝ってヨロツパはドイツと共に

二人の女性大統領が出現することになった。フランス人はそのことを意識して男性をえらんだのかどうか。

どちらにしてもヨーロッパは米ソの間での一極であってほしい。

フランスは日本にとっても遠くて近い存在である。






房総半島の山あいで田植えをした




平成19年5月6日の天声人語からの引用


棚田保存の活動に参加して、連休の一日、遠くに海を眺める房総半島の山あいで田植えをした。

地元農家のお膳立(ぜんだ)てで、段をなす田の一枚一枚に、鏡のような水が張られている。

 〈田一枚植えて立去る柳かな〉。

名高い芭蕉の句からは、慣れた身ごなしで、すいすい苗を植える姿が浮かぶ。

だが日ごろ農作業と縁遠い弱卒は、そうはいかない。

腰が定まらず右往左往し、田の中は足跡だらけに。

植え付けにも難渋し、進まないことおびただしい。

 古く、田植えは女性の仕事とされ、従事する人を早乙女と呼んだ。

力のいる田打ちや代掻(しろか)きが男の仕事だった。

〈生きかはり死にかはりして打つ田かな 鬼城〉。

土に生かされ、土を頼みに命をつなぐ。

往時の労働の厳しさを思うと、粛然とさせられる。

 〈粒粒皆辛苦(りふりふかいしんく)すなはち一つぶの一つぶの米のなかのかなしさ〉と

詠んだのは山形県出身の斎藤茂吉である。

戦前は、小作制度や飢饉(ききん)が農家を痛めつけた。

収穫しても自分たちの食べる分はない。

白い米粒が農民の「辛苦とかなしさ」を象徴した時代は長く続いた。

 戦時中は妙な米の炊き方があった。

一昼夜水に漬け、膨張しきったところで火にかける。

食糧不足を補うために政府が広めた。

名付けて「国策炊き」。


量は増えても、しょせん水膨れだから、腹はすぐに減ったそうだ。

 さまざまな時を経て、幸か不幸か、素人の米作りが歓迎される時代である。

労働の厳しさにも、一粒のかなしさにもほど遠いけれど、参加者の数だけ、米に関心を持つ人は増えたことだろう。




お米は昔から主要な食料として大切にされてきた。狭い日本の土地で段々畑での田圃風景を見る。

狭い土地が有効利用されている。人々が辛苦の末の耕作である。減反政策でそのような所はどのようになっているのだろうか。







大統領候補に浮上していたサルコジ氏のことだ




平成19年5月8日の天声人語からの引用


フランスの内務省は、高級ブティックや画廊が並ぶ一角にある。

小さな広場を挟んで、向かいは大統領府のエリゼ宮

パリ在勤中は散歩コースだったが、このあたりに来るとテロ警戒の治安要員が増え、なんとなく早足になった。

 内務省から大統領府までは、正門の直線距離にして約70メートルある。

警官に怪しまれながら歩測したので間違いない。

04年2月、その歩測をもとに、国際面にこう書いた。

「そぞろ歩きの観光客でも1分の道のりを、あと3年走り続ける男がいる……ハンガリーの血を引く、

ちょっと風変わりな姓を覚えておくのも悪くない」

 内務大臣として人気を固め、次の大統領候補に浮上していたサルコジ氏のことだ。

おとといの決選投票で、彼はとうとう広場を渡りきり、三色旗が翻るアーチに飛び込んだ。

 55年1月生まれで、安倍晋三首相と同学年になる。

新世代らしく、選挙で訴えたのは「過去からの断絶」と「変革」だった。

フランス史で断絶、変革といえば、18世紀末の大革命だろう。

 サルコジ当選が決まると、革命発祥の地でもあるバスチーユ広場では、その剛腕ぶりを嫌う若者たちが警官隊と衝突した。

同じ夜、これも革命ゆかりのコンコルド広場は、剛腕による改革に期待する人々で埋まった。

 この国の現実を映す二つの広場から、任期5年は始まる。

弱者を断絶の先に取り残さず、変革に包容していけるのか。

エリゼ宮から栄光の凱旋門(がいせんもん)までは、シャンゼリゼ通りを1.5キロの道のり。

新大統領とフランスを、その緩い上り坂が待つ。






フランスのドゴ-ル大統領 シラク大統領もアメリカに対して存在感示してきた。サルコジ新大統領はどんな大統領になるのか。





大阪府吹田市の遊園地、エキスポランドで起き
たコースターの死傷事故で、
点検不備の疑いが出ている。








平成19年5月9日の天声人語からの引用


内外で100以上を乗り比べたという宮田珠己さんは、著書『ジェットコースターにもほどがある』(小学館)で、

この遊具の魅力を「四拍子の手の動き」に例えた。

指揮棒のように、滑らかに流れる動感である。

だがその一曲は、異音とともに途切れた。

 大阪府吹田市の遊園地、エキスポランドで起きたコースターの死傷事故で、点検不備の疑いが出ている。

金属疲労を見落としたまま「絶叫度は満点」と宣伝していたとすれば、これは人災となる。


 『遊園地のメカニズム図鑑』(日本実業出版社)の著者、八木一正さんは、

ジェットコースターの変遷を「人類の恐怖体験の進化の歴史」と書いた。

始まりは18世紀、ロシア貴族の氷滑りらしい。

20世紀前半の米国に登場した本格型は、大西洋の単独横断飛行から凱旋(がいせん)した

リンドバーグに「飛行機より怖い」と言わせた。

 加速や回転による恐怖が月並みになると、乗り心地を不安にする工夫が続く。

立たせて重心を上げ、ぶら下げ型で足の踏ん張りを奪い、乗り物ごと暗闇に放り込む。

より怖く、もっと刺激をと、お客と業者の二重奏が共鳴した。


 日本の遊園地は、速度や落差、走行距離などで世界一を競い合ってきた。

コースの「谷」で押しつぶされるような重力を、「山」では体が浮くような無重力を味わえるのは遊園地の中だけだ。

 しかし、そうした非日常の体感は200%の安全が前提だ。

客は安心とセットの恐怖感にお金を払い、心おきなく悲鳴を上げる。

砂粒ほどの危険が、絶叫の意味を一変させてしまう。







エキスポランドでのジェットコースターで転覆事故が起きている。絶対あってはならないことが起きた。

点検を少なくして利益を少しでも上げようとしている形勢がある。利益追求の思想とアメリカ式冒険心が

悲劇を生んでいる。そこまでしてスリルを味わうことがないと考えるのに。







1945年春、沖縄師範学校女子部と
沖縄県立第一高女の卒業式のために
準備された「別れの曲(うた)」だ






平成19年5月10日の天声人語からの引用


歌われなかったことで、永遠の生命を与えられた歌がある。

1945年春、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高女の卒業式のために準備された「別れの曲(うた)」だ。

 〈業なりて巣立つよろこび/いや深きなげきぞこもる/いざさらばいとしの友よ/何時(いつ)の日か再び逢(あ)わん〉。

式直前、3割の生徒が看護要員として前線に送られる。

夜の兵舎での卒業式では、練習を重ねたこの曲ではなく、出征兵士を送る「海ゆかば」が斉唱された。

3日後、米兵18万人の本島上陸が始まる。

 戦場動員された「ひめゆり学徒」222人は15〜19歳だった。

戦闘や捕虜を拒んだ自決により123人が死亡した。


生存者の証言を収めた映画「ひめゆり」が、近く東京で公開される。

 柴田昌平監督は13年をかけて、22人の肉声を集めた。

亜熱帯のまぶしい景色の中で、時に淡々と、時に絞り出すように、すさまじい体験談が延々と続く。

試写室の闇に、重いため息がこぼれた。

 ひめゆり平和祈念資料館に並ぶ遺影に向かい、新崎昌子(あらさき・まさこ)さん。

「ここに来ると、同級生は今も16歳の顔でほほ笑んでいます。

孫と同じ年です。

私があの世に行く時は、友達が味わえなかった平和な時代のお話を、いっぱいお土産にしたい」

 「別れの曲」は毎年の慰霊祭で歌い継がれているが、証言者のうち3人が映画を待たずに亡くなった。

忘れたくて、一度は砕き捨てた記憶かと思う。

その破片をカメラの前でつなぎ合わせてくれた元ひめゆりたち。

かけがえのない「記憶の束」を両手で抱え、次世代に運び届けたい。







学徒動員で若い青年男女が多く命を落としていっている。人生の始まりの年代でもって「戦争」という政治の渦に巻き込まれ

死にたくない命を奪われている。その尊い経験  犠牲でもって二度と誤った道には進まないようにするのが

残された者たちの大きな大切な仕事である。






私たちの食生活は、
農業や社会のありようを映して
千変万化である。








平成19年5月11日の天声人語からの引用


健康食品の雑穀や菓子原料に生き残る粟(あわ)は、かつては広く栽培されていた。

〈足柄(あしがら)の箱根の山に粟(あは)蒔(ま)きて 実とはなれるを逢(あ)はなくもあやし〉。

万葉集の作者不詳歌は、粟は実ったのに君に会えないのはなぜかと、実らぬ恋を嘆いた。

「逢はなく」「粟無く」の掛詞(かけことば)がいい。


 五穀と称された主要穀物で、今も盛んに作られているのは米、麦、豆の三つ。

粟や黍(きび)はすっかり珍しくなった。

私たちの食生活は、農業や社会のありようを映して千変万化である。

 地球温暖化対策の切り札とされる燃料「バイオエタノール」の生産急増が、世界の食卓を揺さぶり始めた。

トウモロコシやサトウキビが燃料生産に回り、飼料と食糧向けが高騰中だ。


大豆農家はトウモロコシに乗り換え、大豆で作る食用油や、油が原料のマヨネーズも上がる。

オレンジ畑はサトウキビ畑に化け、ジュースも高い。


値上げの食物連鎖だ。

 作物はより高く売れる方へとなびくから、人の口に入っていたものが車の腹へと消える。

だが、人の足を動かしてきた作物でタイヤを回すことが環境や人間に優しいとは、すんなり信じがたい。

 新燃料を推すのは、京都議定書を袖にした米大統領だ。

改めるべきは燃料より、大型車を手放せない生活習慣にもみえる。

メキシコでは、トウモロコシで作る国民食トルティーヤの値上げに抗議デモが起きた。

民の台所事情に目配りは欠かせない。

 人は古来、飢えないために田畑を耕してきた。

穀物を排気管の中で消費する世の中を、五穀豊穣(ほうじょう)の神はどう眺めているだろう。









「子育て指南」の緊急提言を知ったら、
驚くような中身ではないが、
国の提言となれば話は違う








平成19年5月12日の天声人語からの引用


「橋のない川」を著した作家の住井すゑさんは、「子育て」という言葉を嫌った。

子どもの管理に通じる意識を、そこに見たからである。

 「子どもこそいい迷惑。

彼等(かれら)にとって、親という名の権力の下請人(したうけにん)によって管理される毎日なんて、

たのしかろうはずがない」と20余年前の随筆に書いている。

もう亡くなったけれど、政府の教育再生会議が準備してきた「子育て指南」の緊急提言を知ったら、何を思っただろう。

 「子守歌を歌い、おっぱいを与える」「食事中はテレビをつけない」

「早寝、早起き、朝ご飯を習慣づける」「うそをつかないなどの徳目を教える」……。

驚くような中身ではないが、国の提言となれば話は違う。


それはたちまち価値観を押しつけ、下請け人たることを親に求める言葉になってしまう。

 さすがに国民の反発を案じる声が政府内からも出た。

「待った」がかかったのは良識ある成り行きだろう。

「高みにいて人を見下したような訓示とかは、あまり適当じゃない」。

伊吹文科相の見解に、我が意を得たりの人は多いのではないか。


 自由主義教育を説いたフランスの啓蒙(けいもう)思想家ルソーに、味わい深い一言がある。

「世界でいちばん有能な先生によってよりも、分別のある平凡な父親によってこそ、

子どもはりっぱに教育される」(「エミール」岩波文庫)。

 分別ある父母を望むのは、教育現場をはじめ、多くに共通した願いだ。

そうした願いを、薄っぺらな説教の羅列で果たせると考えているなら、再生会議は能天気に過ぎるだろう。






子供への細かいところまで決める前に,政府がやらねばならないことが放置されている。無駄なところに気を配らなくとも

時代が政治が良くなれば自然に子供への教育に跳ね返ってゆくものである。

子供への干渉は大人たちの世界が乱れているからであろう。まず政治がただしくなければならない。






東京・上野公園に出かけ、
国立科学博物館の特別展「花」をのぞいた







平成19年5月13日の天声人語からの引用


目を閉じて、ありったけのピンク色を思い出してみる。

濃いのと薄いのと、二つしか浮かばない。

網膜の記憶に残るそれは、桃と桜だろうか。

だが、一群のカーネーションを前に思った。

この色には豊かな幅と奥行きがある。

 夏の日ざしの東京・上野公園に出かけ、国立科学博物館の特別展「花」をのぞいた。

植物の生殖器官である花は、色と香りで虫や鳥を誘い、子孫を残すための花粉を運ばせる。

そんな不思議で美しい世界を、様々な切り口で楽しめた(6月17日まで)。

 自然界の花の色で、最も多いのは黄色、次が白だという。

赤はバラの印象が強いが、実はそれほど多くない。

この時期、会場の主役はカーネーションである。

「ピンク」の語源であるナデシコの仲間だ。


 定番の赤と白、その間をいくつものピンクが埋めている。

黄、薄緑、オレンジに、遺伝子組み換えによる青系もある。

これほど多色の花なのに、国内の代表産地が愛知県一色(いっしき)町というのが面白い。

 日本に定着した母の日は、米国伝来の戦後文化の一つだ。


100年前の米東部、5月に逝った母をしのぶ女性教師が、

母親への感謝を生前に伝える運動を呼びかけたのが始まり、とされる。

その思いが全米に広がった。

 〈母の日も母の差配や厨(くりや)ごと〉森光ゆたか(朝日俳壇)。

家事を仕切る人であれば、祝祭は日常に埋没しがちだ。

だからこそ、きょうは思いをカタチにしてみる。

手渡すか、耳に贈るか、久しぶりに字にするか。

「千の風」に手向ける方も多かろう。

ありがとうは、何色でもいい。






花は人の心を癒してくれる。花の無い世界は考えられない。





子どもの病気と思われてきたはしかが、
近年は10〜20代の若者に増えているそうだ








平成19年5月14日の天声人語からの引用


マラソンのアベベ選手が東京五輪で優勝したとき、放送局のアナウンサーが妙なコメントをした、と聞いたことがある。

たしか、「子ども時代にはしかを克服した名選手」と讃(たた)えた、と記憶している。

 失笑を買ったのは、はしか(麻疹)は当時、子ども時代に誰でもかかる病気だったからだ。

「命定め」とも言われ、子どもが育つ通過儀礼のように見られていた。

年長者ほど症状が重いとされ、「早く済ませておけ」といった空気さえ周囲にあった。

 子どもの病気と思われてきたはしかが、近年は10〜20代の若者に増えているそうだ。


今季は首都圏を中心に流行が広まり、上智大学では全学を1週間休講にした。

他にも、感染が心配される一部学生を出校停止にした大学がある。

国立感染症研究所によれば、01年の大流行のレベルに達しつつある。

 咳(せき)や高熱のあと、赤い発疹が広がるため、古い文献では「赤斑瘡(あかもがさ)」と呼ばれた。

「はしかみたいなもの」と、不安を打ち消す例えに使われる割に手ごわく、50年代には約9000人が命を落とした年もあった。

 東京五輪の2年後にワクチンが導入されると患者は減っていった。

今ならアベベへの“称賛”も、素直に受け入れられるかもしれない。

そのかわり幼少期に感染せず、免疫の不十分なまま成長する人が増えた。

目下の流行には、そうした背景があるようだ。


 日本は感染者がまだ多く、米国から「はしかの輸出国」と非難されている。

汚名返上のためにも健康のためにも、幼児期のワクチンの接種が、何より大切である。





確かに大人の麻疹は重症になる率が高い。昔は子供の頃必ず麻疹に罹った。でも治療法は対症療法しかなかった。

今では麻疹ワクチンがあり ガンマーグロルビンがあり治療法は格段に進んでいる。

流行しても学校での休校は無かったように記憶している。







憲法改正のための国民投票法がきのう成立した





平成19年5月15日の天声人語からの引用


かくれんぼに飽き、おにごっこに疲れた昔の子どもたちは、両者の面白さを併せ持つ「缶けり」を考えついた。

ルールは地域や世代によって異なるらしいが、決めたその場でまず一回。

これが子ども遊びの楽しさだ。

 憲法改正のための国民投票法がきのう成立した。

どうしても、一日でも早く国民投票という缶けりをしたくて、安倍くんと仲間が決めたルールである。

 国民投票それ自体、憲法改正の是非という、より大きな決定を問う決まりごとだ。


それも、国会の発議を受けて国民が判断を下す、最後にして最重要のルールである。

安倍首相は、これをいま決めることで改憲に弾みをつけたいのだろう。

 それにしては、「参加者」が少ないような気がする。

法律となった与党案は、衆参両院とも与党の賛成多数で可決された。

一緒にルールを練ってきた民主党は、途中で離れてしまった。

国民の間で、差し迫った課題として改憲論議が高まっているとも思えない。

 参加者の数ということでは、別の心配もある。

護憲派のボイコット戦術を警戒するあまり、国民投票法には最低投票率の定めがない。

改憲論議が高まらないまま手続きが進めば、投票率は上がらず、一部の意見に沿って憲法が改められかねない。

 「国の姿を決める缶けり」をフェアで白熱したものにするには、多くの参加者と、十二分の議論が欠かせない。

言い出しっぺの責任だ。

国民はついてきているか。

夕焼けの空き地に、安倍くんの影だけがのびていないか。

首相はいま一度、周りを見渡してほしい。






とんでもない法律が成立したものだ。改憲は郵政民営化よりも大切な政治的事項である。

それが絶対多数の与党の数でもって成立している。

首相も議員も政治音痴達があつまっているのか。やはり此処のところは改憲イエスかノーかを国民に聞いてからにすべきことである。

国民の間で、差し迫った課題として改憲論議が高まっているとも思えない。





職場の健康診断にウエストの測定が加わるらしい





平成19年5月16日の天声人語からの引用


 欧州路線の飛行機だったか、安全ベルトが回りきらない肥満男性と乗り合わせたことがある。

継ぎ足しベルトのお陰で離陸できたが、今度は座席テーブルが腹につかえて水平にならない。

傾いたままの機内食を、彼は手慣れたしぐさで平らげた。

 職場の健康診断にウエストの測定が加わるらしい。

生活習慣病を招くメタボリック症候群対策で、厚生労働省が来春からの義務化を決めた。

経営側は「従業員の内臓脂肪まで面倒見ない」と抵抗したが、押し切られた。

 男性は腹囲85センチ、女性は90センチ以上でメタボの疑いという。

飛行機に普通に乗れても安心できない。

同僚の目もある職場健診で、ここを巻き尺が一周するかと思えば、腹より心がへこむ。

 堂々たる腹囲はかつて、物心両面の余裕の証しとされた。

いわゆる太っ腹だ。

食べるのがやっとで、体力を浪費できない貧しい国ではいまも、「栄養の黒字」を示す肥満は財力のシンボルだ。

 訳書『いじわるな遺伝子』(NHK出版)は「食欲とはその昔、食べ物が豊富にあるなど考えられなかった世界で築かれた本能」だと説く。

食糧を求めて山野を駆けめぐる必要がなくなり、運動不足が叫ばれる社会になっても、人間の本能は変わらない。

スキあらばエネルギーを蓄え、節約する「怠惰の遺伝子」が脈々と受け継がれている。

 腹回りを国が心配してくれるとは豊かさの極みだが、医療費は膨らみ続ける。

もはや、国を挙げてヒトの本能に逆らうしかないのだろう。

勝つのは国家か、遺伝子か。

思えば壮大な実験である。






豊かさが病気を増やしている。日本食は健康に良いといわれているが,アメリカ式食事情が輸入されて

病気も輸入されることになった。

メタボリック症候群は食改善 運動が大切な要素となる。






日本列島の「季差」を思う五月である。







平成19年5月17日の天声人語からの引用


雨のにおい、というものがある。

木々の葉が洗われ、青い香気が降り注ぐ。

地面のちりが、たたかれて舞う。

やがて、湿った土の香りが立ち上る。

そんな気の利いたものではなく、実は慌てて開いた傘のにおいだったりする。

 沖縄地方が、きのう梅雨入りした。

これでも平年より8日遅いという。

南から少しずつ、天気予報の傘マークが増えていくのだろう。

同じ日、梅雨のない北海道の釧路や根室では桜が開花した。

日本列島の「季差」を思う五月である。


 ずいぶん前のことだが、作家の山口洋子さんが、雑誌の随筆か何かで

「折り畳み傘を持ち歩く男はイヤ」という趣旨のことを書いていた。

目先のちっぽけなリスクを意識し、いつも準備万端、計算ずくで動く男。

なるほど、ロマンや男気にこだわる山口さんが嫌いそうなタイプだ。

 厳しいが鋭い男性論を読んで、しばらく傘を持ち歩くのをやめた記憶がある。

でも、にわか雨に何度かやられるうちに、私の傘は遠慮がちにかばんに戻り、前と同じ底のあたりに寝転んだ。

 必需品とは言わないが、取材でも営業でも、外回りの仕事には折り畳み傘が重宝する。

夕立に遭い、ぬれねずみで約束の相手に会うわけにはいかない。

こんな言い訳からしてすでに、小さな仕事人間の癖(へき)だろうか。

 確かに、都会なら雨宿りの場所などいくらでもある。

軒に飛び込み、しばし休んだ後の、雨上がりのにおいも悪くない。

街路樹も歩道も清々と生き返る。

時には、雨の気まぐれを五感で楽しめるような、時間と心の遊びを持ちたい。





今年は雨の少ない梅雨で終わるようだ。これも温暖化現象による気象異常化によるものか。







民営」刑務所の発想だ。






平成19年5月18日の天声人語からの引用

作家の安部譲二さんは86年の『塀の中の懲りない面々』で、刑務所を海の底にたとえた。

「塀の外の海面がどんなに変わっても、底のところはまるで何時(いつ)もと同じままなのです」。

そして、受刑者を管理するノウハウも時代によって大きく変わることはないと。

 だからこそのニュースなのだろう。

高いコンクリ塀ではなく金属フェンス、鉄格子の代わりに強化ガラスという「明るい刑務所」が、山口県美祢(みね)市にできた。

大手警備会社など、民間が運営する国内初の施設だ。


 職員は刑務官などの公務員と民間が半々。

定員は、初めて刑務所に入る男女各500人だ。

安部さんが「冷蔵庫に閉じこめられたようなもの」と書いた独房には、ベッドとテレビがつく。

受刑者の居所や動きは、上着のICタグで追う。

 犯人を捕らえ、裁判にかけ、刑を言い渡す。

ここまでは国家権力そのもので、国の独占は揺るがない。

だが、その先の収監、教育、職業訓練は、より効率的に民間で肩代わりできるだろう、というのが「民営」刑務所の発想だ。

 その昔、刑務所は「堅牢(けんろう)かつ虚飾を廃す」と決められていた。

様変わりである。更生の期待が大きい初犯の受刑者なら、実社会に近い開放的な環境で、復帰に備えてもらうのも悪くない。

国営より安上がりとなれば、なおさらだ。

 外国人受刑者の急増などで、日本の刑務所は定員超過が続く。

刑務官も足りない。

メディア注視の中で真新しい個室に住まう人たちは、どうかこれ一度で懲りてほしい。

次は「海の底の冷蔵庫」かもしれない。




司法の民営化は既にこれまでに行われているように感ずる。






愛知県長久手町の立てこもり事件で、
県警機動隊の特殊部隊(SAT)に所属する
林一歩(かずほ)さんが殉職した






平成19年5月19日の天声人語からの引用

「命をかけて世のため人のため……」。

警視庁警察博物館の3階。

鎮魂の言葉に続き、殉職警察官の古びた制服が並ぶ。

包丁で血に染まり、魔法瓶爆弾が袖を奪った。

添えられた警察手帳の写真は、どれも実直なまなざしで正面を見据えていた。

 愛知県長久手町の立てこもり事件で、県警機動隊の特殊部隊(SAT)に所属する林一歩(かずほ)さんが殉職した。


暗闇を裂いて、近隣へと放たれた凶弾を止めたのは、防弾衣ではなく23歳の体だった。

 最初に撃たれた警察官の救出時、林さんは10メートルほど離れた路上で支援中だったという。

防弾衣をつけ、仲間が盾をかざしていたが、弾丸は肩口から左胸に飛び込んだ。

最前線の厳しさを思う。

 愛称「いっぽ君」は警察官になって5年。

結婚し、生後10カ月の長女がいる。「小さな一歩」を見ないままの最期ではなかったか。

上司は「物静かで落ち着きがあり、身体能力が非常に高かった」という。

同期124人のトップで警察学校を卒業していた。


 逮捕された元暴力団組員は、人質にした元妻らにからんでいたらしい。

そんな「私的な発砲」が前途ある命を奪ったかと思うと、どうにも怒りが収まらない。

10メートルの弾道の両端に、とんでもない身勝手と、若い使命感がある。

その落差が悔しい。

 職に殉じた警察官は、03年以降で27人。

それぞれの後ろには、体を張って守ろうとした市民生活と、本人の暮らしがあった。

殉職は一度に二つの命を奪う。

今回は有望な機動隊員と、若い父親である。

銃と、それをもてあそぶ者を改めて憎む。




今の日本で銃の無い社会をつくることは本気になればできることと思うのだが。







愛煙家は知っておいてほしいと、
今月末の世界禁煙デーを前に









平成19年5月20日の天声人語からの引用


たばこを吸いながらバスを待つ人がいたとしよう。

バスが来たら、吸いかけを消して乗り込む。

日本ならこれが普通の光景だろう。

ところがニューヨークには、バスをやり過ごして吸い続ける人が時折いる。

 たばこが高いからだ。


店や銘柄で差はあるが、おおむね1箱が7ドル強。

本45円ほどとなれば、火を付けた直後にバスが見えたとき、

舌打ちしつつも消さない愛煙家がいて、おかしくはない。


 値段が高いだけでなく、街全体がたばこに極めて厳しい。

建物の中で吸える所は、自宅のほかはまずない。

市内に数店の「シガーバー」以外は飲食店も御法度だ。

市民の喫煙率は19%というが、煙に遭遇するのがまれなためか、喫煙者はごく少なく感じられる。

 先ごろの厚生労働省の発表によれば、日本の男女計の喫煙率は24%と、過去最低を更新した


ニューヨークと5ポイントしか違わない。

その割に喫煙者が多いように思えるのは、受動喫煙を被る場面が多いせいだろう。

 わけても飲食店はひどい。

隣のテーブルでスパスパやられるのは茶飯事だ。

同じ卓を囲む仲間に気を使い、こっちに向けて煙を吐く迷惑者もいる。

仲間は大事だが他人はどうでもいいらしい。

 禁煙広報センター(東京)が一昨年、喫煙者に聞いた。

約2000人の半数が、1箱500円ならやめると答えたそうだ。

日本はたばこが安すぎるし、煙の居場所に寛大すぎるようだ。

「スモハラ」(スモークハラスメント)という言葉がある。

愛煙家は知っておいてほしいと、今月末の世界禁煙デーを前に思う。








喫煙は癌のリスク,心筋梗塞・脳梗塞の原因といわれだしてかなり年月が経っている。

それに対し癌撲滅のために癌検診施設を増やし癌検診医を増加させるのが厚労省の案のようだ。

思い切ってタバコの発売禁止に踏み切れば,癌になる人は確実に減少することは確実だ。

タバコと癌の因果関係は医学界では30年から40年以前から指摘されていて,癌発生の大きな要因であることは

定説になっている。

そのタバコを発売禁止すれば,癌検診施設や医師を増やす必要は無いし,簡単にして費用がかからずに癌撲滅できる

のにどうしてできないのか,不思議でたまらない。

癌で亡くなっている人たちは現在も多くおられる。

タバコの煙は何処にでも充満している社会をば追放することこそが一番である。









空に浮く力を得る主翼は、
飛行機のシンボルであり生命線だ。








平成19年5月21日の天声人語からの引用


300メートルの上空から、「星の湖のようにパリの明かりが見えた」とリンドバーグは回想している。

米国の東岸を飛び立った小型機を操り、

「翼よ、あれがパリの灯だ」で知られる初の大西洋横断飛行を成し遂げて、きょうで80年になる。

 パリに着陸すると、歓迎の群衆が殺到した。

機体はもみくちゃにされ、記念品にするために部品がもぎ取られた。

人の波で翼が折れるのではないかと、リンドバーグは心配になったそうだ。

 時は移り、簡単には折れそうもない巨大な翼が、先ごろ名古屋から米国に空輸された。

さ30メートルのそれは、米ボーイング社の新旅客機「787」の主翼である。

請け負った三菱重工業が、まず1号機用に作ったものだ。

 空に浮く力を得る主翼は、飛行機のシンボルであり生命線だ。

その主翼を、ボ社が外注するのは初めてという。

日本の「ものづくり」の確かさゆえだろう。


ボ社では787を「メード・ウイズ・ジャパン(日本との共作)」と呼んでいるそうだ。

 787の翼は最先端の素材だが、空の大先輩である鳥の翼は前肢が進化してできた。

羽ばたいて飛ぶ鳥の出現は1億年あまり前である。

ところが空を飛ぶための体の変化は、さらに1億年以上前の爬虫類(はちゅうるい)から始まっていたことが、

最近の研究で分かってきた。

 計り知れない時をかけて、鳥は空へ上がり、飛行を研ぎ澄ましてきた。

片や人間は、引力に逆らう技術を手中にして、まだ百数年である。

とても大空で我が物顔などできない。

謙虚に、慎重に、翼の安全を目指してもらいたい。





日本の航空業界は第二次大戦後に解体されて,世界でも有力な航空技術が無に帰している。

アメリカによる占領国家の悲哀である。その後も飛行機を作ろうとする本格的な動きが無かった。

YS11の旅客機があっただけである。

飛行機自体作ることは何も悪いことでもないのに何故解体されてしまったのだろうか。

「永遠に戦争放棄した日本国」で爆撃機 戦闘機を作るのは悪いことはわかっている。







岡山県であった男子プロゴルフツアーの大会で、
東京の私立高校1年生、が優勝した。







平成19年5月22日の天声人語からの引用


伝説の歌手、尾崎豊はデビュー曲「15の夜」で大人の世界に背を向け、盗んだバイクで走り出した。

それも青春だが、大人のルールの中で勝負する15歳がいてもいい。

しかも勝ってしまうとなれば、なおのことだ。

 岡山県であった男子プロゴルフツアーの大会で、東京の私立高校1年生、石川遼(りょう)さんが優勝した。

15歳8カ月での快挙は、米欧のツアーを含めても最年少記録らしい。

 経験や小技が物を言うゴルフで、若さはハンディにもなる。

初日が強風で流れ、2日分を回った長丁場の最終日に若い体力が爆発した。

初出場の少年に敗れたプロは面目を失ったが、

人気で女子に押される男子ゴルフ界にすれば、救世主かもしれない。


 子どもの頃はぜんそくに苦しんだ。

父親についてゴルフ練習場に通い始めたのが6歳。

平均的な体格ながら、中学時代から毎日4時間、クラブを振り続けた。

高校には夜も使えるゴルフ練習場があるそうだ。


 こんな話に出くわすと、若さはそれだけでも大きな可能性なのだと思う。

怖いもの知らずの特権に、努力と環境が加わり、大人の常識や定説を時にあっさり覆す。

誰もが石川さんになれるわけではないが、「それぞれのゴルフ」を見つけることはできよう。

 健康に学業、友人や家庭。

大人への道のりにかかわる要素は多い。

努力で変えられるものと、変わらないもの。

そのどれもが「15歳の一部」にすぎない。

一つや二つ思い通りにならなくても、人生の選択肢はたっぷり残っている。

前方には、広大なフェアウエーがうねるだけだ。








高校一年生で15歳8ヶ月の石川遼君のプロの男子ゴルフツァーでの優勝はたいしたものである。

アマとプロとの壁は厚い中での優勝とは驚きである。ゴルフを少ししているものとしてプロは天の人のように

思っている中でのアマでの優勝は驚きである。

ゴルフ暦15年近くある自分として恥ずかしいかぎりである。








時は移り、犯罪者の扱いはすべて公権力に委ねられた








平成19年5月23日の天声人語からの引用


開拓期の米西部。客に顔を切られた娼婦(しょうふ)の仲間が、蓄えを出し合い、犯人に賞金をかけた。

若い賞金稼ぎは無法で鳴らした男を相棒に誘い、こうクギを刺す。

「賞金の話はするなよ。競争相手が増えるからな」。

92年の米映画「許されざる者」の一場面だ。

 プロの賞金稼ぎは、追跡から処罰までを一手に引き受ける。

体を張る代わりに、報酬は早い者勝ちだ。

映画では、町の秩序を独占しておきたい保安官とも戦うことになる。

時は移り、犯罪者の扱いはすべて公権力に委ねられた。

 凶悪事件の解決につながる情報提供に、今月から国が最高300万円の報奨金を出すことになった。


私費による懸賞金は珍しくないが、国費から出す制度は初めてだ。

警察庁がまず指定した五つの殺人事件には、3週間で計92件の情報が寄せられた。

 近所づきあいが減り、モノがあふれるこの社会。

聞き込みと遺留品から犯人に迫る捜査は旗色が悪い。

賞金で事件への関心を高め、新たな証言や、犯人周辺からの密告を待とうというわけだ。

映画にならえば「賞金の話をしてくれよ。協力者が増えるからな」である。

 だが、何十億円もの賞金がかかる「9・11テロ」の首謀者でさえ、どこかに消えたままだ。

お金の引力とて万能ではない。


それに「玉」の情報を買おうとすれば、捜査員を振り回す「石」も交じるだろう。

 古今東西、事件に何のかかわりもない者が捜査に協力する時、犯罪への怒り、被害者への同情に勝る動機はない。

報奨金は、正義感を呼び覚ます名脇役であってほしい。






犯人情報提供者に最高300万円の報奨金を出すのは良いが,司法の制度そのものに疑問を感ずるところがある。








そんな大臣を、
安倍首相は「法律に基づいて説明を果たされた」と
かばった。








平成19年5月24日の天声人語からの引用



仏中部の高原に、ミネラルウオーター「ボルヴィック」の水源を訪ねたことがある。

彫刻を施した石塔から、ちろちろと水が流れ落ちていた。

無料だからみんなが容器に詰めていく。

商品と同じ物かどうかはさておき、水の価格とは不思議なものだ。

 きのうの衆院予算委員会で、政治とカネが審議された。

日本有数の迷水ブランド「ナントカ還元水」も質問を浴びたが、


当の松岡農水相は「法の定めに従って対応してまいる」と繰り返すだけ。

本来無料の議員会館の光熱水費が、年何百万円にもなる理由を今回も明かさなかった。

 これほど濁った還元水もなかろう。

「なんとか」とは明確でないことをいうが、大臣が愛飲していたという水は議員会館の泉にわいているわけではない。

商標も値段もあるはずだ。

何を隠しているのか。

 松岡氏は領収書も調べていないらしい。

「一つ一つ確認するのはとてもじゃないが大変」だと言う。

そんな大臣を、安倍首相は「法律に基づいて説明を果たされた」とかばった。

 質問を聞く首相はしきりにまばたきし、黒目が定まらないようにも見えた。

正直な人である。

ぶぜんと、開き直ったかのような松岡氏とは対照的だ。

法律を盾に説明責任から逃げ回る姿は醜悪だが、本当は首相も恥ずかしいのだと、せめて思いたい。

 こういう大臣を抱えたまま「美しい国」を説く政権がある。

憲法、教育と大きなことを国民に問う以上は、よほど身ぎれいであるべきだ。

いま脱すべき「戦後」があるとすれば、カネにまつわる政治の緩さである。







民主主義の根幹である票がお金で買われていることは誰にも想像がつく。







領収書がなくても思い出は消えないが、
年金は消えることがあるらしい






平成19年5月25日の天声人語からの引用


古い手紙や写真を整理していて、飲食店のレシートが出てくることがある。

変色した日付や店名を頼りに、記念の会食の様子がよみがえる。

保存したことさえ忘れていた紙片が、若い日の妻や、まだ元気だった親を過去から連れてくる。

 領収書がなくても思い出は消えないが、年金は消えることがあるらしい。

年金保険料を確かに納めていても、肝心の社会保険庁に納付記録がないことがある。


窓口で領収書を示して、ようやく認めさせた人が現に55人いる。

 役所の仕事は、記憶ではなく記録で回っている。

本人が証明できなければ、本来もらえたはずの年金が出ない。

実際、社保庁はすでに2万件の申し出を退けた。

 社保庁が管理する年金保険料の支払い記録には、納付者を確定できないものが5千万件ある。

この宙に浮いた納付記録は、年金番号を統合した97年、本人が申請しなかったなどの理由で漏れたものだという。

 誰かが納めたのは確かだが、それが自分だと言うには、窓口で記憶をたどり、職員を納得させなければならない。

損に気づいていない受給者もいよう。

与野党にせかされて、社保庁は自主調査の検討に入った。

ずさんな管理の末、この官庁は解体・再編の途上にあり、調査の先行きは見えない。

 整理整頓の基本は「迷ったら捨てよ」だという。

その紙切れが老後の収入を左右すると知れば、捨てるはずもない。

だが、納付額は職員がしっかり帳面につけていると思うのが人情だ。

いっそ、領収書の裏に「役所を信じるな」と注記してはどうだろう。





年金問題が次から次へと大きな額の不明金が続出してきている。

政治している人は何をしていたのかと国民がいぶかるのも当然である。







企業は大急ぎで防衛策を講じている







平成19年5月26日の天声人語からの引用

 ラーメン、ビール、ソースときて、次はノコギリだという。

米系投資ファンド、スティール・パートナーズ・ジャパンが買収を仕掛けた日本企業である。

利益をため込んだ会社には増配要求も連発している。

いわゆる、物言う株主だ。


 主要企業の07年3月期決算は好業績に沸いたが、いい時ほど外資が目をつける。

豊かな不動産や独自の技術があればなおさらだ。

外資に支配されるのが嫌なら、高株価や増配で旧来の株主を満足させ続けるしかない。

企業は大急ぎで防衛策を講じている。

 買収の新手として、今月から三角合併も解禁された。

外資は日本に設立した子会社を通じて、狙った企業の株主に自社株を差し出せばよく、現金を用意する必要がない

自社株の時価総額が大きい米欧の大企業に有利な制度だ。

 これで対日投資が盛んになり、国際競争力も高まるという期待の一方、手続きが複雑で使いにくいとの見方もある。

脅威の黒船か、チャンスの宝船か、ただの幽霊船か。

三角形の輪郭はぼやけている。

 三という数字には安定と不安定の両面がある。

支える点が三つで平面は安定する。

兄弟の結束を説く「三本の矢」、三人寄れば文殊の知恵の教えもある。

逆に秘密は3人目が知ったら崩れ、むつまじい男女間もあと一人で危ない三角関係だ。

 企業の安定は、株主、従業員、顧客の「三方」に、経営者がどう目配りするかによる。

雇用と納税、優れた製品・サービスで社会の役に立ち、ほどよくもうけて株主と従業員を喜ばせる。

これ以上の買収防衛策はない。






アメリカの資本主義が世界に蔓延している。規則を決めているのはアメリカである。アメリカ資本家が強いのは当然理解できる。






生物学的には親でも、世間的には親として失格。




平成19年5月27日の天声人語からの引用


鳥の声の「聞きなし」を知っておられるだろうか。

鳴き声に耳を傾けて、似た言葉に置き換えることだ。

簡単なものではカラスの「阿呆(あほう)、阿呆」、コノハズクの「仏法僧(ぶっぽうそう)」などがある。

 やや難しくなるとフクロウを「ぼろ着て奉公」と聞く

地方によってさまざまだが、ツバメなら「土食って虫食って渋い」

ホオジロは「一筆啓上仕(つかまつ)り候」となる

夏を告げる渡り鳥のホトトギスは「特許許可局」だ。

久しぶりに聞きたくて、先だって群馬の山を歩いた。

 滴るような青葉だが、時期が早すぎたのか、美声の拝聴はかなわずに山を下りた。

だがじきに飛来して、あたりのウグイスの巣に卵を産み付けるだろう。

「托卵(たくらん)」といって、ホトトギスには抱卵から子育てまで他の鳥にお任せする変わった習性がある。

 孵化(ふか)したホトトギスは育ての親より大きくなる。

巨大なヒナに、小さな親が餌を与える図は、かなり奇異だ。

自然の摂理とはいえ、ずうずうしい習性である。

 劇作家の宇野信夫はある劇で、子不孝な遊び人を、岡っ引きが「お前は親にはなったが、

親とはなれぬ」と諭すせりふを書いた。

生物学的には親でも、世間的には親として失格。

その含みを「に」と「と」の違いに込めた。

遊び人は改心する、という筋書きだ。

 親と子をめぐる辛(つら)い話が多い。

熊本市の「赤ちゃんポスト」で男児が保護され、東京のゴミ集積場では女児が置き去りにされた。

〈ツバメの子赤ちゃんポストは無縁です〉。

川柳欄の入選作にほほえみつつ、「に」と「と」の違いを思ってみる。







鳥の声を聞いたり,鳥の姿で種類を見分ける人がどれだけいるのだろうか。

鳥の姿は雀とツバメとカラスしか知らないし,声は鶯くらいだろうか。








週末の東京を自転車で走ってみた






平成19年5月28日の天声人語からの引用

初夏の風に吹かれて、週末の東京を自転車で走ってみた。

街道で、規則通りに車道を走ると、背後からひっきりなしに車に抜かれる。

はねられやしないかと、背筋のあたりが寒くなる。

 歩道へ上がれば、歩く人に気を使って速度が出せない。

牧水の名歌を思い出した。

〈白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ〉。

なぞらえるなら〈自転車は哀しからずや歩道にも車の道にも染まずさすらう〉。

 自転車は車道か、歩道か。

古くて新しい問題をめぐって論議が起きている。

道交法上は軽車両だから車道が原則だが、危険も多い。

とはいえ歩道では人を脅かす。

ぶつかる事故が10年で5倍近く増えたというから深刻だ。

 歩道の通行規制を緩和する法改正案を国がまとめると、異論が出た。

歩行者との事故がさらに増えかねないからだ。

だが自転車で車にはねられて死傷する人も年に約15万にのぼる。

人の仲間か車の仲間か。

白鳥(しらとり)ならぬコウモリの悩みのようだ。

 自転車のありようは時代を映してきた。

昭和の初め、「二十四の瞳」の大石先生は、月賦で買った自転車で分教場へ通い、ハイカラと呼ばれた。

戦争が終わると、「青い山脈」の若人が連ねる銀輪は自由な空気を運んできた。

 骨太な運搬用が消えて、「チャリ」などと軽く呼ばれ出したのはいつからか。

歩行者への凶器とも化しつつある様は、他者への優しさを欠く時代を映しているように見える。

手軽で、安全で、何より自分のペースで乗れる。

自転車の持つ魅力を、どうしたら取り戻せるだろう。








自転車は凶器ともなり極めて危険である。乗るルールが決められていない。

一度は自動車のように講習会を受けさせるべきである。

乃至は自転車販売時にルールの書いた本を一緒に販売することを義務付けることが必要である。

何もせず放置することは事故の増大を助長するだけである。







第74回日本ダービーで、
ただ1頭走った牝馬(ひんば)が
64年ぶりに優勝した。









平成19年5月29日の天声人語からの引用


ハードボイルド小説に出てくる女性は、男たちの強さや渋さを引き立てる役回りが多いようだ。

女が強すぎては「男の非情な世界」というフィクションの切れ味が鈍るのだろう。

競馬の世界は、このお約束が通じないノンフィクションだった。

 第74回日本ダービーで、ただ1頭走った牝馬(ひんば)が64年ぶりに優勝した。

17頭の牡(おす)を従えて、同期の3歳馬8470頭の頂点に立ったのは、馬名まで男っぽい「ウオッカ」

 本紙の担当記者は「3歳の春といえば、人間なら高校生くらい。

競走馬でも牡との体力差は開いてくる」と指摘する。

常識への挑戦だった。

角居(すみい)勝彦調教師の話がいい。

「ダービーか(牝(めす)限定レースの)オークスにするかは悩みましたが、自分がわくわくする方を選びました」

 ウオッカの父親は02年のダービー優勝馬、タニノギムレット。

ウオッカにギムレットとくれば酒好きは腰が浮くが、カクテルのギムレットはウオツカではなくジンがベースだ。

 米国の作家、チャンドラーによる探偵フィリップ・マーロウの連作は名セリフの宝庫でもある。

「タフでなければ生きられない――」と並び「ギムレットを飲むには少し早すぎるね」(村上春樹訳『ロング・グッドバイ』)も有名だ。

おとといは、少し早いのは承知で夕刻から祝杯を上げた方も多かろう。

 ウオッカは10月の凱旋門(がいせんもん)賞(フランス)に出走登録している。

昨年「日本の牡」を背負ったディープインパクトが苦杯をなめた大レースである。

秋にもう一度、今度は日本時間の真夜中に酔ってみたい。






競馬の世界も男性優位の社会であることを知った。








現職大臣が自殺した議員宿舎の部屋を見上げる






平成19年5月30日の天声人語からの引用


工事のクレーン、高速道路、チラシ配り、カラス。

朝の冷気の中で都会の音が次々と目を覚まし、何事もなかったように「翌日」が始まった。

東京・赤坂の路地に立ち、戦後初めて、現職大臣が自殺した議員宿舎の部屋を見上げる。

重い不在である。

 松岡利勝さんは、何も語らぬまま逝った。

便箋(びんせん)1枚に記した国民と後援会あての遺書は「私自身の不明不徳」「ご迷惑」「お騒がせ」といったおわびで、

一連の疑惑には触れていないという。

言葉が命の政治家として、厳しいようだが最もふさわしくない身の処し方ではないか。

 ナントカ還元水も、緑資源機構の談合事件も、政治の本質に触れる話だ。

松岡さんは捜査対象ではなかったと安倍首相は語るが、参院選を前に幕引きを急げば、彼の死はあらゆる意味で無駄になる。

 死をもっての清算を了とするような政治や社会は退化する

故人の断に粛然としながらも、62歳の男性を悼むことと、閣僚の見識を問うことはきっちりと分けたい。

疑惑に正面から反論できないのなら、真実を語って辞めるか、辞めて真実を語るか。

責任を果たす道はこれしかなかった。


 松岡さんの後を追うように、今回の談合事件で家宅捜索を受けた元公団役員が身を投げた。

闇の中で永遠に黙してしまうのは、社会正義に背を向けるも同じだ。

 赤坂一帯は、江戸時代の武家屋敷により発展した。

南町奉行、大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)の邸宅もあった。

大岡裁きなら「死んで花実が咲くものか」と諭すところではないか。

「生きて、語れ」と背中を押して。





何故自殺までに誰が追い込んだのだろうか。






5月の言葉から






平成19年5月31日の天声人語からの引用


部屋の隅で揺れる観葉植物。

茎のわきから大きな新葉が手品のように現れ、緑を深めていく。

薫風に命が躍る5月の言葉から。

 「子どもは、私たちを『親にしてくれる』大事な先生です……小さな命を大切にして下さい。

そして軽率に妊娠、出産をしないで下さい」。

熊本の「赤ちゃんポスト」に初日から想定外の「3歳児」。

自身も実の親の顔を知らない野田明紀さんが、埼玉版の読者投稿で訴えた。

 チョウが好む植物を校庭や公園に植える計画が東京都品川区で始まった。

発案のデザイナー、南孝彦さんは子どもたちの反応に

「小さな命にも卵を産むという大きな使命があると分かったようで、うれしかった」

 中国で食用になるところを地元の僧侶に救われたウミガメ。

3000キロ離れた小笠原諸島まで泳ぎ着き、卵を産んだ。

「しばらく保護して産卵を見守り、8月上旬をめどに海に返したい」と、小笠原海洋センターの山口真名美所長。

 「いろいろなことを忘れてしまう自分が許せない」。

山口県光市の母子殺害事件で差し戻し後の控訴審。

遺族の本村洋さんは妻と娘の声や癖を思い出そうと、3人で暮らした事件現場のアパートに今も行く。

 兵庫県豊岡市で、国内の自然界では43年ぶりにコウノトリが生まれた。

県の担当者、池田啓(ひろし)さんは「地元の人が田植え時期を遅らせたり、散歩の道を変えたりと、

『いつか野生に戻す』というコウノトリとの約束を忘れずにいた」。

移ろう季節に、生の尊さ、豊かさを思う。

〈若葉雨なにかやさしくものを言ふ〉西島麦南(ばくなん)。








平城宮跡地再訪問





平城宮資料館は入場料が無料である。平日でも大勢の見物者が訪れている。

特に修学旅行の小学校六年生の訪問が多いそうだ。

小学六年生から歴史を学び始め,実地に学ぶのに資料館は良い施設である。

京都平安博物館 京都考古資料館 京都歴史資料館 京都みなみ山城資料館 向日町市の長岡京資料館などを訪れているが

それぞれ特徴がある。

一番の違いはボランティアによる解説が充実しているか否かのことである。

奈良国立博物館もボランティアによる解説があって分かりやすい。

京都国立博物館では学生が先生に当たる館員の指導の下にボランティアとして解説されている。

此処の平城宮資料館での解説は,解説文を読むだけでなくボランティアによって説明されると納得することが多い。

平城宮跡地はまだ発掘の始めにあるようだ。

一帯は未だに草原で,散歩するのに最適なところのようだ。

平城宮跡地は民間から国有地になっている。遺跡も丁度水没している形なので乾燥されずによく残っているとの事である。

朱雀門が同じ大きさで再現されている。又大極殿は現在:建築中である。

平城宮は一辺約1キロ四方の中にある。各役所が有って,それに上級役人の貴族の私邸があり,下級役人の屋敷もある。

貴族の住む敷地は何千坪もある。それらが模型で視覚化されて展示されている。

長屋王の屋敷敷地跡からは多数の木簡が出土されて,当時の様子が書かれた正史である日本書紀,古事記などに書かれた

以外の生の資料を提供されることになっている。皇国史観からの考え方から脱却されるには天皇の古墳とされているものを

発掘されるならばもっと生の本当の歴史が明らかになってくると思う。

各御陵の管轄が宮内庁である限りにおいて不可能なことだと,解説のボランティアの方が話しておられたように,文化庁に管轄を移管すべきである。

天皇は統治せずで国の象徴であって,御陵さんも天皇家の御先祖とは言うものの,全国民である国家の貴重な大切な財産であるはずだ。

せめて平安時代までの御陵の調査が許可されるべきである。

そうすれば飛躍的にこの時代の歴史的な実態が解明されると思う。

橿原歴史資料館は充実していたがゆっくりと観る時間がなかった。

昔の建物を知っているものとして,雲泥の姿に変貌している。

飛鳥考古資料館や 万葉資料館にももっとゆっくり訪れてみたいと思っている。

宇治歴史資料館 大津歴史資料館 大山崎歴史資料館 城陽歴史資料館 安土歴史資料館など沢山な歴史資料館があて

その展示変えがあるので何度も訪れる機会が楽しみである。

何処にでも歴史は存在する。過去のことは調べれば調べるほどに新しいことがわかる。

又京都歴史資料館では担当者の方が親切丁寧にこちらの問いに対して,図書の調べ方などを教えていただき,

答えていただくのには本当にありがたく感謝している。

京都深草屯倉と関係ある聖徳太子の子 山背大兄王が一族と共に斑鳩宮法隆寺で自害されていった理由として「人民に災いを及ぼす

ことを避ける為」とされ,蘇我氏と戦わす゛に死んでゆかれたのは,聖徳太子の定められた十七条憲法の精神をば実際に

実践されたように思えてくる。



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