ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


随想 

平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 

平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成12年1月  2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 

平成13年1月 2月分  3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分10月分11月分 12月分 

平成14年1月分  
2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分  6月分  7月分  8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

平成17年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分  10月分 11月分 12月分

平成18年1月分 2月分 3月分 4月分  5月分 6月分 7月分 8月分  9月分 10月分   11月分 12月分

平成19年1月分 2月分 3月分  4月分  5月分 6月分 7月分 8月分


 




7月になって



7月は暑い。本当の真夏である。暑さの為に段々と外出するのも億劫となってくる。

思いがけなく四号台風が今年初めて日本列島を襲った。

それ以前に中越地震があって,被災者にも二重の災難がふりかかっている。

京都の夏の風物詩祇園祭りの頃に台風が重なってくることは珍しいことである。。

京の夏を彩るのは,なんといっても祇園祭である。伝統のある「コンチキチン」のお囃子の音がそばまで聞こえてくるようだ。

この頃は特に京都では鱧料理が美味しい季節でもある。

鱧料理は暑くて食欲の落ちた季節には,あっさりとしてい,てこの時期食べるのに丁度良い。

又体力をつけるために,土用の丑にはウナギが古くから食べられている。

そのウナギと言えば,中国産のものに抗菌剤が含まれていることが判り,問題化されるようになってきている。

中国産の全食品に対し,日本でも厳しい目が注がれるようになってきた。

日本での食品の自給率は大問題である。

全てが安易に輸入に頼っていても良いものだろうか。?

主食ぐらいは自給できるくらいに回復しておくのは,国としての最低の義務であると考える。

この7月は,なんと言っても参議院選挙が実施されたことである。

国会を延長してまでして,自民党に有利になるよう選挙日が決められての参議院選挙であった。

その前に色んな大切な法案が,十分な審議することなく成立されていった様子を国民はテレビを通じ見て知っている。

それに閣僚の政治資金スキャンダルが多発し,閣僚の自殺者も出た。総理の任命責任が厳しく問われていたが,放置のままである。

その結果,自民党与党が惨敗している。その参院選後に付け足したような赤城農林大臣の罷免するだけでは国民は納得いかない。

阿部首相の選挙開票最中からの首相「続投」宣言には国民は怒っている。

参議院は野党が多数になって,衆議院では小泉政権時の「郵政民営化イエスかノーか」で国民を騙し圧倒的多数の議員を擁している。

与野党の衆参両院での議員数が逆転している。

当然に参議院惨敗の責任をとって阿部首相は早く首相を辞任し,自民党内から新しい党首を出して再起すべき所であるのが

自民党に安部首相に代わるべきを首相がいないのかどうか,早々に阿部首相は続投を宣言してしまった。

過去の例では宇野総理, 橋本総理は即座に責任をとって首相の座を下りているが,安部総理は辞めない。

どうしてなのだろう。?

未だ始めての@最年少首相だからその判断力に乏しい為なのか,それともAアメリカからの圧力があって辞められない事情でもあるのか,

又はB小泉前首相などの入れ智恵でもって「鈍感力」を大いに発揮してのことかなのか全く不明である。

小泉・安部改革とやらの歪が此処になって一挙に判明しだしてきている。特に阿部氏のタカ派的体質は国民は知っている。

タカ派的体質に,いろんな不祥事件と相重なって,自民党が大敗したものと考えてよいのではないだろうか。

これだけ「衆議院員の数」の横暴が目につき,格差社会の拡大,日米相互援助協定,それに憲法改正の下準備して,

自衛隊をアメリカと一緒に戦えるようにすれば自衛隊に戦死者が゛出て,自衛隊に志願する人が少なくなって,

徴兵制度へと移行することは必然的な自然の推移である。

「談合」 「天下りなど官僚」による税金の無駄使いなど目に余るものがあった。

政治家の政治資金規正法を甘くし政治資金が何に使われていのか全く不明である。

参院選挙後,全ての政治団体の収支に一円以上の領収書添付が義務付けされるようになってきているが,

既に成立した自民党だけによる成立した法案では資金管理団体だけの五万円以上とされている。

中には支持者の方の慶弔費に領収書はもらえないからと反対する自民党議員もいるらしい。

でも最近の葬祭では香典を包むようなお葬式は少なくなってきており,

政治資金の中から何故に出す必要があるのか,やむを得ない場合は,自費で出すべきたちのものである。

政治資金は候補者が当選するために票を買うための資金に使われていたと考えられても仕方ないことである。

話は飛ぶがアメリカの大統領選挙では莫大な資金が大統領候補者に献金が集まっている。

そのような資金を何に使用されるのか,民主主義国家を自慢している国として訳のわからない現象が起きている。

欧米に真似して日本が効率主義でもって競争社会を目指せば,当然,勝ち組と負け組みが出てくるのは自然の道理である

全ての人が勝組にはなれない。必ず負ける人達が出がてくる。

以前の日本では全て国民が中流意識を持っていた時代もあった。

国がきちんと援助すべき所は充分援助していたのが日本の良さであった。

現在進められている効率一辺倒だけでは駄目である。

それが自民党をぶっ壊すとして小泉改革とやらが始まり,その結果を見ずに,小泉首相は辞めて行っている。

阿部首相の惨敗は小泉前首相にも責任があり,小泉 安部両首相に対しての参議院の審判であったともいえる。

さらにその上に阿部さん自身の「タカ派」的な傾向に対し,国民が非常な警戒心をもったものだと考えられる。

安部首相の政治動向は「安保反対」時代の岸首相の孫として,先天的な資質により,元岸首相だけの縁での赤城農相の就任要請は

本来的に間違った選択の仕方である。日本国が私物化されるのは国民としてたまらないし,黙ってはいられない。

それに戦後長く自民党独裁政治が続いた国家が存在することは,世界の中の民主国家で゜極めて稀な例であって,他に類例を見ない。

テレビ解説 新聞論調をみていても,このまま衆参両院の逆転が続くことは,日本政治にとって大変不幸な出来事である。

阿部首相の支持率は如何に内閣改造しようとも,如何に頑張ろうとも上昇するとは思えない。それが常識だ。

首相としての資質の無さを今回如実に示している。

安部首相は早く辞任すべきである。若いから,これからこともあり,本人のためでもある。

首相を続けることは本人のためにも良くないし,国家のためにもである

本人は参議院の惨敗は,閣僚の不祥事が原因だと言いたいのだが,阿部首相の基本政策・路線そのものに対して多くの国民が大変危惧していた。

現在の阿部首相の姿は,絶大な首相という権力を放すまいとして,ひたすらしがみつき,すがっているようにしか見えてこない。

:政治権力に頼ってなんとか人気を回復しょうと狙っているとしか思えない。

現状では首相の座を辞任することが最高の選択で,一番国民のためでもある。

国民の為に首相は存在するのである。首相が自分の思うまま,国民をほしいまま自由にできるものでないくらいはわかっている筈だ。

改めて阿部首相は誰の為に,何のために首相をしておられるのかを聞きたい。

そして新しい首相の下に衆議院解散することこそが^ベストかと考える。

自民党だけによる今までのように独善的な行動がとりえた時代は終わった。

地方政治おいても与野党が一致して同一知事,市長をば推薦し選ぶのはやめるべきである。利権政治は権力の独裁下で必ず発生する

真の改革はこれから始まろうとしている。

欧米の真似だけが最高の改革でないことが世界の政治を見ていて理解できることである。

国連中心に世界の中で平和主義を貫きとうす日本、世界で始めて且つ唯一の核の被曝国家である日本がなすべき最大の責務がある。

アメリカのブッシュも死に体の政府である。小池防衛相は何のための訪米しているのか判らない。ネオコン副大統領とも会っている。

アメリカの民主党による大統領予備選挙が行われようとしていて,色んな報道がある。

今の日本からはそのようなたくましさは感じられない。これからのことである。

世界の情勢はさらに混沌としているのは中東イスラム世界でイラクは勿論のこと隣国のアフガニスタンにまで移って来ている。

多数の韓国人人質がタリバンによって拘束され,既に二人の人質が殺害されている。

タリバンの要求はアフガニスタン側に捕虜として捕まっている人達との人質交換の要求にあるようだ。

アフガン政府も,人質確保しているアメリカも,それに従おうとしていない。

現在韓国政府は苦しい立場に置かれている。

毎日のようにイラクでは自動車爆弾によるテロが続発して市民の死亡数は益々に増え続けている。

何のためのブッシュのイラク侵攻だったのかがj全くわからない。

どう見ても,イラクの人のためでなく,アメリカの利益のためだけの戦争にしか見えてこない。

現在のイスラム世界は,アメリカ中心とした西欧世界によって,混乱の中に落とされているようにしか思えない。

北朝鮮問題のように,全てがアメリカに主導権があるのだから,アメリカがまず平和をもたらそうとする気持ちに変わらない限り

終わりは見えてこない。

アメリカ民主党政権が発足してどのように変化がおきるかが最大の鍵である。

テロ特別担置法延長によって日本がさらに税金の無駄使いが続けられようとしているが,

衆参両院の逆転現象では続けることはそれが困難になってきている。

ダラダラと現状を続けテロとの戦いを続けることは兵器産業を儲けさせるだけで日本の税金の無駄使いである。

国内でもっともっと使うことが沢山あるはずだ。

軍事費に費やすお金があれば,国民の暮らしを向上させるためにまわすべきで,国民のため有効に使われるべきで゜ある。

この逆転状態は此の儘すすめば参議院の任期六年間は少なくとも続きそうであり,政権再編成が起きるか,政権交代以外に

この現象が解消されることは無い。

政治家が国民のためを考えるならば,jまず此処は国民の意思を早く問うべきである。

戦後ずーと続いた自民党独裁政治からの抜本的に政治のあり方を変えることこそが

阿部首相が常によく言っている戦後レジ-ム(体制)からの脱却にもつながることになる。

全ては政治が良くならなければ,世の中は良くならないのが現実である。医療・福祉の世界もその例外ではない。







香港が中国に返されて、きょうで10年になる





平成19年7月1日の天声人語からの引用


熱帯魚店の水槽の底で、白黒太じま模様の生き物が漂っていた。

えさを探しているのか、せわしなく脚が動く。

香港から広まった観賞用ヌマエビの仲間だ。

柿の種ほどしかなく、水質や水温が急変すると死ぬ。

購入したら、時間をかけて水を合わせるのが長生きさせるコツという。

 香港が中国に返されて、きょうで10年になる。

一国二制度という「水合わせ」は、返還から50年続く約束だ。


2割の水が入れ替わった計算にしては、それ以上の中国化らしい。

 今、香港人の4割が本土の人と結婚する。

香港株式市場の時価総額の半分は大陸銘柄で、観光客も半数が本土から訪れる。

他方、中国政府を意識するメディアは自己規制に傾き、香港人による自治を意味する「港人治港」の展望も心細い。

 香港は「蒸し暑い真夏の夜、青緑色の南シナ海をフワフワ揺れる、

宝石とガラクタと人を詰め込んだ小さな船」(上村幸治『香港を極める』朝日文庫)。

であれば、もやい綱の片端を北京が握り直し、ぐいと引き込んだ図が浮かぶ。

 かの地を体感したのは返還前年の夏だった。

突き出し看板の満艦飾、生ゴミと香辛料の異臭、汗も凍るかというビル冷房。

それらは、資本主義の水で育った「東洋の真珠」の、虫の息にも思えた。

されど真珠は呼吸を続ける。

 淡水エビは、もともと海にいた種が陸封されたものだという。

鳥などから身を守るため、多くは地味な色合いになった。

さて香港はどんな色で生き残るのか。

さしずめ経済というえさは安泰だ。

気がかりは政治の水である。






中国の一党独裁体制では多数の異なった民意を救うことができない。旅行していて中国へ行き,みやげ物を売りにくる

商売の仕方は資本主義以上である。

中国の人たちの商魂のたくましさに驚く。中国全体が香港化して,一党しかない政治体制をば変えた方がよいではないかと思ったりする。

だが十億人もいる国民と,広大な土地を保持する国としては独裁体制をしかないと秩序を維持できないのかもしれないと思ったりする。







とろける日本社会に憤りの文字が





平成19年7月2日の天声人語からの引用


喜怒哀楽のうち、表情や動作で示しにくいのは「怒」かもしれない。

だから人はそれを語り、書く。

詐欺で捕まる元公安調査庁長官、原爆投下を「しょうがない」と表現する現職防衛相。

とろける日本社会に憤りの文字が並んだ6月の言葉から。

 牛ミンチ偽装のミートホープ社は「悪知恵のデパート」の様相

「どの社も品質保持をぎりぎりのコストでやっている。

肉をごまかすという安易な手段に強い怒りを感じる」と、取引をやめたアスカフーズ(秋田県横手市)の営業部長。

 「女の子なので、たとえこんなことになるとしても、きれいな顔で見送ってやりたかった」。

東京・渋谷の繁華街近くで温泉施設が爆発

娘の遺体と対面した千財信行さんは言葉を失った。

 山口県光市の母子殺害事件で差し戻し後の控訴審集中審理。

被告の元少年は改めて殺意を否認し、

遺体を押し入れに入れた理由を「ドラえもんが何とかしてくれると思った」。

妻子を殺された本村洋さんは「聞くに堪えない3日間だった」

 6月から上がった住民税に問い合わせが殺到。

大阪市城東区役所を訪れた無職の女性(79)は「もう食べていけない。

なんで年寄りからこんなに取るのか」

 無理を重ねた「強行国会」の終幕にふさわしく、与党だけの賛成で重要法案が次々と成立した。

「延長してその結果、混乱が阻止できれば意味があるが、延長でも混乱だと意味がない」(扇千景参院議長)。

 政治に抱く喜怒哀楽については、行動で示す場が国民に等しく用意されている。

投票まであと27日。





これで日本国民が怒らなければ,よほどのお人よしである。怒って当然のことが続発している。









 久間防衛相が、出身地でもある長崎への原爆投下について
しょうがないなという風に思っている」と語った









平成19年7月3日の天声人語からの引用


 「しょうがない」とは、手の打ちようがないということだ。

例えば天変地異である。

軽いところでは「しょうがない/雨の日はしょうがない」(『雨が空から降れば』別役実作詞、小室等作曲)のように使うのが正しい。

 久間防衛相が、出身地でもある長崎への原爆投下について「あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、

しょうがないなという風に思っている」と語った。

「選択肢としてはあり得るのかな」と。

 本人は「説明の仕方がまずかった」と謝り、安倍首相は「国民に誤解を与える」と注意した。

問題はしかし、言い回しではなかろう。

人類史に残る無差別大量殺害を、物わかりよろしく「整理」できる神経が問われている。

 米国は、2発の原爆が日本の降伏を早め、多数の命を救ったと正当化した。


久間氏も、だから「北海道はソ連に占領されずにすんだ」とみる。

もっともらしい解説には用心したい。

乾いた戦略論にとらわれすぎると、きのこ雲の下に思いが至らないからだ。

 自らも被爆しながら長崎で救護を続けた永井隆医師は、自宅の焼け跡で、溶けたロザリオが絡まる緑(みどり)夫人の骨を見つける。

享年37。


まだ温(ぬく)いのをバケツに拾い、歩いた。

「私の腕の中で妻がかさかさと燐酸(りんさん)石灰の音を立てていた。

私はそれを『御免(ごめん)ネ、御免ネ』と言ってるのだと聞いた」(『ロザリオの鎖』)。

 核兵器は、勝手に天空から降っては来ない。

造る者と使う者と、それを命じる者が必ずいる。

ならば止める者になろうではないか。

「しょうがない」わけがない。






i日本の防衛大臣として「しようがない」言葉は発言すべきことではない。正直そうな人のように見られるが大臣として

二度と再び過ちは繰り返さないと決意されるべきところである。

戦後間もなく高校生の頃にホームルームの時間にアメリカ基地反対の討論していた時に

僕が「日本は戦争に負け占領されたのだからアメリカの基地があるのはしょうがないのではないか」と発言して,

女子学生にそんなことを言う者がいるから基地はなくならないのだとひどく叱られた記憶がある。

でも戦後60年以上経った今。アメリカの基地は沖縄を中心に日本国内いたる所にある。

何のためにあるのだろうか。?

;既に米・ソの冷戦は終わって世界は国連を中心に動いている。。

基地の存在する必要性は無いはずだ。基地に対して日本の思いやり予算が使われている。

アメリカ軍の基地司令本部が日本移転してくるようだ。

そんなことに対してもしょうがないとしかいえないのだろうか。

現在は戦後60年以上も経っている。

日本は堂々とした独立国家である。日本には専守防衛の為の自衛隊もある。

それでもアメリカ基地は日本国内いたるところでの存在はしょうがないことなのだろうか。?








そういう軽めの人物が初代防衛相となり、
自衛隊という重い組織をきょうまで預かっていたかと思うと、







平成19年7月4日の天声人語からの引用


芝居に出てくる馬は、前脚と後脚を別の役者が演じる。

何かの拍子に馬がこけ、役者の体や顔がのぞいては興ざめだ。

一度でもみっともないのに、あっちでゴロリ、こっちでポロリと続いた日には、もはや進退窮まり、幕を下ろすしかない。

 久間防衛相が、原爆投下をめぐる「しょうがない発言」の責任を取って辞める。

過去にも不用意なコメントで物議を醸してきた人だ。


そういう軽めの人物が初代防衛相となり、自衛隊という重い組織をきょうまで預かっていたかと思うと、何やら背筋がひんやりする。

 安倍内閣では、すでに何人かの閣僚が馬から転げ出て、姿丸見えで右往左往するの図。

首相はそんな馬脚大臣たちをかばおうとしたが、もう3人がいなくなった。

 この内閣には、政権誕生までの論功で登用された人も少なくないと聞く。

「産む機械」「ナントカ還元水」「しょうがない」。

問題発言や問題行動がこう続くと、首相の任命責任に触れざるを得ない。

 「投げたことのない人をピッチャーにしたり、三塁手だった人にキャッチャーをやらせたりしたから、うまく回転しなかった」。

森元首相はおとといの講演で内閣をそう評した。


だが守備位置の前に、そもそも試合に出る資格はあったのか。

安倍監督の見る目も問われる。

 山道が険しくなり、乗ってきた馬を降りなければならない地点を「馬返し」と呼ぶ。

富士山や日光の地名にも残る。

参院選という尾根を控え、馬は脚から消えていく。

自ら挑んだ山登りとはいえ、安倍さん、いよいよの徒歩ですよ。






徒歩でも頑張る阿部さんだけの日本ではないはずだ。








国会議員の06年の収入に、雑所得なる項目がある






平成19年7月5日の天声人語からの引用


「雑」の字にはいくつもの意味がある。

雑種や雑居あたりは色んなものが入り交じる様。

雑用、雑音などの含意は、主要でない、余計なというところか。

先日公開された国会議員の06年の収入に、雑所得なる項目がある。

 所得の中で、印税、テレビ出演の謝礼、講演料などが、分類しにくいという意味の「雑」に放り込まれている。

様々の実入りが合わさった副収入は、雑のすべての意味を併せ持つ。

 所得を報告した衆参710人で、雑所得の稼ぎ頭は安倍首相の2616万円だった。

去年出版された『美しい国へ』が50万部を超す売れ行きで、印税が膨らんだらしい。

続いて民主党の小沢代表。

やはり自著の『小沢主義(イズム)』などで2000万円を稼いだ。

 テレビ出演の収入を報告した議員は82人いた。

ワイドショーの常連のような顔も思い浮かぶ。

経験や見識より、生放送で気の利いたことを言えるテレビ勘が重宝されるようだ。

謝礼は1回数万円が相場だという。

 なるほど、訴える力は政治家の条件だろう。

手や口を動かしての収入だから、「雑な所得」も土地売却や株取引よりは労働報酬に近い。

ただし、その源泉は肩書だ。


上位お二人の本は、与野党の顔でなければあれほどは売れぬ。

テレビ議員の大半も、バッジが外れたらお呼びはかかるまい。

 政治資金の中では小遣い銭ほどの額でも、肩書ゆえの収入であれば公の色をまとう。

慈善に使う細やかさを政治家に期待するのは、おめでたすぎるだろうか。

雑には粗いという意味もある。

「雑に消える所得」では寂しい。







一回のテレビ出演代が一ヶ月の国民年金代の人もいる矛盾。

そのような政治家により年金代が決められて.ずさんな集めた年金の使用が明るみに出ている。

それで国民がノーと回答を出しても最高責任の首相は辞めようとしていない。






気象庁の予報では、この夏は暑く、残暑も厳しい





平成19年7月6日の天声人語からの引用


何が暑いってこれほど暑苦しい様はなかろうという戯(ざ)れ歌である。

〈西日さす九尺二間(くしゃくにけん)に太っちょう背(せな)で子が泣く飯が焦げつく〉。

真夏の夕日がべったり当たる裏長屋で、子守と炊事に追われる肥えた母親。

わずか6畳分の空間で「ママ」が二つも熱くなってはたまらない。

 気象庁の予報では、この夏は暑く、残暑も厳しいそうだ。

冷房機器が行き渡っても、日本の盛夏はなお「しのぐ」季節である。


とりわけ、ふくよかなご同輩は夜間がつらい。

この皮下脂肪を脱いで、枕元に畳んでおくわけにはいかない。

 国立環境研究所によると、20世紀末の東京では、気温が27度を下らない夜はひと夏に4、5回だった。

それが、2011〜30年には3倍に増えるとみる。

気温35度以上の昼も5割増しだ。

 極地の氷が解けて沿岸部が水没するといった警告には、実感がわかない人もいよう。

しかし、蒸す夜が遠からず3倍になると知れば、話は違う。

うだる熱帯夜が嫌なら、今夜から省エネに努め、温暖化を遅らせるしかない。

 「西日さす」が枕に振られる落語「青菜」では、屋敷で働く植木屋が暑気払いの酒肴(しゅこう)にあずかる。

井戸から出した直し酒と、氷に盛ったコイの洗いだ。

酒食や怪談で涼が取れた時代はいい。

ほかに手がない事情はあろうが、気温も少しは低かったはずだ。

 環境研は、冬の「零下の夜」は3分の1に減ると予測する。

寒がりは助かるなと、のんきなことは言うまい。

この夏の冷房を絞れば、来年が少し楽になる。

生涯の寝苦しさを均(なら)すつもりで、心したい。







暑い夏である。暑いから夏だと思っているが温暖化がさらに夏を暑くしている。

温暖化は人為的なものである。






タカラトミーの「リカちゃん」が、発売40周年を迎えた







平成19年7月7日の天声人語からの引用


「大人になったらなりたいもの調査」(第一生命)で、女子の首位は10年続けて食べ物屋さんだという。

保育士や看護師の人気も根強い。

幼い頃、あこがれの職業を、着せ替え人形と相談した人もいるだろう。

 タカラトミーの「リカちゃん」が、発売40周年を迎えた。

累計5300万体。

日本の少女文化を担い続ける。

50歳前後までの女性なら、多くが一度は彼女と遊んだはずだ。

 開発者の小島康宏さん(66)にお会いした。

かつてのタカラはビニール用品専門で、業界の空気は「膨らませ屋が何を」だったという。

社長は「3年は売る」と意気込み、3年後には「あと10年」に。

小島さんは腹を据え、長女の名前を里香とつけた。

 少女漫画の悲話をまね、リカの父は行方不明という設定。

子供が遊ぶ時は、これが地域により「出漁中」や「東京へ出稼ぎ」になった。


後に、父親はフランス人の音楽家と「発表」された。

その種のあこがれは、双子の妹や白い家具など、膨大な商品群を生んだ。

 この40年で日本女性の寿命は11歳延び、産む子供の数は2.2人から1.3人に減った。

自由時間や選択肢は増えたが、幸福感はどうだろう。

リカちゃんの購入層は約5歳若返り、幼稚園児が主となっている。

おとぎ話で遊べる時期が、昔より早めに終わってしまうのだろう。

 夢がより現実的になっても、「なりたいもの」が社会に優しく役立つ仕事なのには救われる。

その情操を育むのに、リカちゃんも一役買ったのか。

「永遠の11歳」は目に星を浮かべ静かにほほ笑むだけだ。





子供の夢を育んでくれるリカちゃんがいるらしい。







しかし雨は、やはり疎まれがちだ





平成19年7月8日の天声人語からの引用


日照りが続いた後なら、「喜雨」「慈雨」と歓迎される。

しかし雨は、やはり疎まれがちだ。

日々のあいさつでも、「あいにくの空模様」「足元の悪い中」などと、忌むように言い交わされることが多い。

 だが雨好きもいる。

詩人の薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)は、梅雨の雨がしとしと降る日を、

「好きな本を読むのすら勿体(もったい)ない程の心の落ち着きを感じます」と随筆に述べている。

そんな日は、静かに心の深みに降りていって、独を遊ばせ、独を楽しみたいと言う。

 仏文学者の辰野隆(ゆたか)も、降りはじめると、雨を眺めながら、聴きながら、いつも気分が快かった。

「雨。雨。雨。……雨滋(しげ)き国は何処かにないであろうか」と記し、

自分の前世は田んぼの蛙(かえる)か田螺(たにし)だったらしいと言っている。

 静かな感傷を許さない「暴れ雨」が、近ごろは目立って増えている。

短時間に滝のように降り、瞬く間に冠水や浸水をもたらす雨だ。


気象庁によれば、1時間に80ミリ以上だと「圧迫感があり、恐怖を感じる」という。

とても心の深みで独を遊ばせるどころではない。

 片や、数日から1カ月ほど、ほぼ雨無しが続く頻度も増えている。

つまり「降らないか、降ったら土砂降り」という二極化が進んでいる。

渇水を案じて待ち望んだ慈雨が、たちまち災いの雨に変わる。

これもやはり、温暖化と無縁ではないらしい。

 大雨に見舞われた九州でも、短時間に猛烈な雨の降った所が多い。

凶暴な雨である。


しかし「人為の故なきにしもあらず」なら、これを「天災」と忌むだけでは事足りないのかもしれない。





暑い夏での夕方に降る雨は涼しさを恵んでくれありがたい。

夕立後の床机に座り団扇であおいだ昔が懐かしい。







当節は代わって、人材派遣会社である。






平成19年7月9日の天声人語からの引用


時代小説を読んでいると「口入れ屋」という稼業が時おり出てくる。

奉公口や日雇いの仕事を斡旋(あっせん)する業者である。

店に来る町人や浪人者の人物を瀬踏みしつつ、職をあてがう。

小説のこと、情に厚い善人もいれば、腹の黒いのも登場する。

 当節は代わって、人材派遣会社である。

和紙に筆の時代と違って、日雇いの場合だと、携帯電話やメールで働き手を指図して派遣する。

規制緩和の波に乗って、業界全体で大きく売り上げを膨らませている。

 腹の「黒っぽい」業者もあるようだ。

日雇い派遣者からの不透明な天引きが、業界あげての問題になっている。


一度の勤務ごとに数百円。

名目は「業務管理費」「データ装備費」などさまざまだが、使途ははっきりしない。

 保険料だと説明されたのにケガをしても出ず、「詐欺」と怒る人もいる。

厚生労働省は一斉指導に乗り出すことになった。

全額返還を決めた大手もあるが、業界全体の総額は100億円を超すと見られる。

ちりも積もればと言うが、取りも取ったりである。

 〈搾取した金は善窃取した金は悪〉と、川柳家の井上剣花坊(けんかぼう)は詠んだ。

昭和初期に川柳を「社会詩」と言った人だ。

「搾取が善」とは無論、資本家への痛烈な皮肉である。

ひそみに倣って、不透明な天引きをどんな種類の「取」とみなすべきか。

 〈明日と云(い)ふ希望を暗い国に置き〉という、やりきれない句も剣花坊にある。

日雇い派遣者には、低賃金に悩む若い世代も多いという。

希望まで失うことのないよう、国にはきっぱりした姿勢がほしい。





「搾取が善」とは無論、資本家への痛烈な皮肉である」。資本主義とは使用者からの中間搾取であるとも言えるものか。

これだけ格差社会 働きたい人に働き口を与えないのは何といっても政治が悪い。

実利主義 功利主義 実用主義のアメリカ的な発想による経済政策が駄目にしてきた。

それが前小泉,首相から始まった改革とやらの成果?である。騙されたことに対して大いに怒るべきである。

経済界には世界での競争力をつけるためだとして税金が軽くなっている。逆に庶民には重い。







この政治団体の場合、経費を裏づける領収書はいらない。
だから赤城氏は「公表すべきものはした」と強気だ






平成19年7月10日の天声人語からの引用


森永乳業提供の育児相談サービス「エンゼル110番」が、

相談してきた人に「実家のありがたみ」を聞いている。

家事・育児の手助けや精神的援助を抑えて、首位はしっかりと金銭的・物的援助だった。

夫の実家からの支援にも抵抗はなく、「甘え上手なママ像」と分析されている。

 赤城農水相の政治団体が、両親が住む茨城県の実家を事務所とし、

05年までの10年間に約9000万円の経費を計上していた。

実家のありがたみで、家賃は無料らしい。

では、それだけの額になった根拠は何かとなる。

 赤城氏は、電話代や切手代と、別の事務所の経費も合算したと説明した。

いったん事務所ではないと認めたご両親も「地元の活動拠点だ」と修正した。

親心か。

 この政治団体の場合、経費を裏づける領収書はいらない。

だから赤城氏は「公表すべきものはした」と強気だ。

法律を盾に、疑惑に口を閉ざした前任者と同じ言い方である。

安倍首相も、同じようにかばっている。

安倍氏と赤城氏は、おじいさんたちも首相と農相の関係だった。

 赤城氏は、東京にある妻の実家にも、別の政治団体の事務所を置いている。

無論、濃密な親類づきあいは悪いことではない。

実家は優しく、頼りになる。

だが、都合よく使ってばかりでは全国の実家が泣く。

 赤城氏は予定通り、きょうにも欧州に出かけるという。

帰国の予定は参院選の最中だ。

このまま国民が納得できる説明がなければ、与党の候補者にも迷惑が及ぶだろう。

政治家なら法律への「甘え上手」だけは慎んでもらいたい。







赤城氏はもっと早く辞めさせるべきだった。前農相の松岡氏と同じだ。参議院選挙後辞めさせるとは間の抜けた話である。

これが安部首相の首相としての実力である。






性善説にはそれなりの覚悟がいる
行政の基準にしては、妙に軟らかい





平成19年7月11日の天声人語からの引用


都市近郊の畑地に野菜の自動販売機がある。

透明な個室のそれぞれで、朝もぎのトマトやキュウリが100円玉の投入を待っている。

昔ながらの野菜直売所にはのどかな風情があるものだが、「代金は箱へ/金百円也」をこの世情で貫くのは厳しかろう。

性善説にはそれなりの覚悟がいる。


 「消えた年金記録」の救い方が固まった。

その極意は、申し立てが「明らかに不合理ではなく、一応確からしいこと」だという。

行政の基準にしては、妙に軟らかい。

安倍さん、参院選を前に、一世一代の性善説である。

 保険料を納めた確からしさは、家計簿や給与明細、「消えた」期間の短さなどで判定する。

そうした証拠類がなくても、話に筋道が通り、人柄や態度が良ければ給付を認めるという。

 「確認に来なきゃ確認しないだけ」「年金を自分自身で救出し」(朝日川柳)といった状況からは、一歩前進だ。

「役所発」の不手際という負い目もあるのだろう。

 性悪説の監視カメラがにらみを利かす世の中で、行政の、柄にもない性善説が正直者を救うならそれもいい。

ただ、もともとが納付者のお金である。

相談窓口では、救済ではなく返還だと肝に銘じてほしい。

かといって公金を、売れ残りの野菜のように「ひと山いくら」で放出されても困る。

 性善説を唱えた孟子は、誰もが持っている善の兆しとして、人のことを哀れむ惻隠(そくいん)、

不正を恥じる羞悪(しゅうお)などを挙げている。

政府はこの際、格差解消には惻隠、「政治とカネ」には羞悪と
、万事、孟子流で臨んではどうだろう。






行政の人たちは性悪説の人たちによって行われているように思えてならない。

又法律の番人達の司法関係者もそのような人たちで行われているように思えてならない。

間違っていれば良いのだが。それも又全部の人とは思わないが。







目の前の不条理に手を出せない。
同じもどかしさを、間接民主主義に感じることがある。







平成19年7月12日の天声人語からの引用


漫画家の東海林さだおさんがテレビの料理番組に身もだえする様子を書いている。

画面にはチャーハンを作るフライパンの大写し。

右上あたりのご飯と具が混ざっていないのに、先生は「そろそろいいですね」。

思わず「頼む、頼むからそこんとこ混ぜてくれ」(『東京ブチブチ日記』文春文庫)。

 目の前の不条理に手を出せない。

同じもどかしさを、間接民主主義に感じることがある。

国会審議や党首討論を見ながら身もだえした経験はなかろうか。

「そこんとこ、まだ生煮えだぞ」と。

 参院選が公示される。

いよいよテレビの前のあなたが、画面のチャーハンに木じゃくしを突っ込む時である。

有権者の思いが重なれば、国政の味つけや盛りつけは違うものになる。

 一票では変わらないと斜に構える御仁がいるが、棄権の零票ではなお変わらない。

年金も格差も税金も、これから数年の政治決断はその先の暮らしにはね返る。

だから、若い人には重い一票になる。

自身に痛みの波が及んだ時、あの日は海で遊んでいたと悔やんでも遅い。

 先の国会では、安倍首相の執念で重要法案が次々と成立した。

それを可能にした与野党の勢力図はしかし、前首相が「郵政選挙」で遺(のこ)したものだ。


この間、ずっと軽んじられた第二院の選挙ではあるが、そんな政治の姿と現首相への評価を下す好機となる。

 平凡な民主国家に生きる幸せをかみしめたい。

寝ていれば、誰にも間違いなく投票日はやって来る。

安倍さんに期待する人も、失望した人も、木じゃくしを握りしめて待とう。






今回も不在投票をした。不在投票は昔のようにむつかしくない。投票は必ず続けたい。

毎日の生活をに良くしたいが為である。理想の100パーセント投票率は可能であろう。

家庭から電話線のような投票線を各家庭に配線し,家庭で器械のボタンを押すようにできれば可能である。

多分に票を買って当選しているような人たちは必ず落選することは間違いない。







役所の男子トイレで、
紙に包まれた1万円札が
続々と見つかり、







平成19年7月13日の天声人語からの引用


万円札の平均寿命は3〜4年だという。

1000円札の1〜2年より長生きなのは、釣り銭の役回りがないためだ。

お札は国立印刷局で生まれ、日銀から浮世に出て、ぐるぐると商いに立ち会う。

日銀に里帰りした折、傷んでいれば裁断され、使命を終える。

 どなたが、何のつもりで置いたのか。

役所の男子トイレで、紙に包まれた1万円札が続々と見つかり、総額は400万円を超えた。

たまたま物好きと縁ができたがために、お札たちは便所からメディアに登場する運命となった。

 添えられた手紙には「修業の糧としてお役立て下さい」とある。

筆跡や状況から、同じ人物が全国を回ったようでもある。

珍しく死傷者ゼロの事件とあって、連日、罪のない推理が花盛りだ。

 モノやサービスと交換され、お金は初めて、本来の役割を全うする。

ぼろぼろになって、親元で切り刻まれる最期こそ本望だろう。

その意味で、便所の万札たちは薄幸この上ない。

持ち主が使う前に、お役人の管理下に置かれてしまった。

 いやいや、はなから騒ぎを「買う」つもりであれば、見事に使われたと見ることもできる。

この騒動、視聴者や読者に小口転売され、いましばらくは消費され続けるはずである。

 福沢諭吉は「黄金は愚を智にし、醜を美にし、非を直にして向かうところ敵無し」と書いた。

「よく積み、よく散ずべし」と盛んに寄付もした(福田一直『素顔の諭吉』)。

金の力を知り尽くし、役立て方を説いた諭吉翁。

便所に置き去りにされた札の右端で、何を考えていたろうか





変わった金持ちが世の中にいる。何を言いたいのだろうか。




その絹糸をなたでぶった切るような話が
北京から届いた






平成19年7月14日の天声人語からの引用


 70年の夏、開高健は執筆のため新潟の山奥にこもる。

そこで「水晶をとかしたよう」な水を飲んだ。

雪洞の天井からしたたるそれは「ピリピリひきしまり、鋭く輝き、磨きに磨かれ、

一滴の暗い芯に澄明さがたたえられている」

(『巷(ちまた)の美食家』ハルキ文庫)。

 水の味わいは本来、絹糸の繊細さにも例えられる。

その絹糸をなたでぶった切るような話が北京から届いた。

飲めない水道水を、ボトルに詰めて売っていたという。

大手4社の容器を数えたら「本物」の倍あった。

偽物天国きわまれりだ。

 中国製の飲食品をめぐり、味以前の不祥事が続いている。

水増しワインは序の口で、大腸菌のついたイカ、二酸化硫黄が残るキノコなど、健康にかかわる違反が止まらない。

とどめは、段ボールを練り込んだ肉まんだ。


 中国は食材の大輸出国である。

米食品医薬品局が06年以降に確認した違反例を、アエラの最新号が一覧で載せている。

加工品から海産物、青果まで、これでは食べるものがないと思わせる広がりだ。

不衛生を薬物で相殺するような粗さが怖い。

 悠久の時が育んだ食文化から、どう間違うと不気味な食品群がこぼれ出るのか。

思いは、いびつな経済発展に至る。

大ざっぱな物づくりに金もうけの知恵が重なると、時にまさかの欠陥商品が生まれる。

その中で、口から入る物を毒と呼ぶ。

 水は低きに流れ、低きに流れた商売は毒を生む。

荒稼ぎの悪意と小細工を内に隠し、何食わぬ顔で異国の商品棚に並ぶ毒もある。

中国政府には、低きに流さぬ堰(せき)を求めたい。






食を中国に頼っている国々として驚きである。キチンとした食品を食べることが健康の第一歩である。






その岩波文庫が、昭和2年の創刊から
今月で満80年を迎えた






平成19年7月15日の天声人語からの引用

書店にもいろいろあるが、作家の丸谷才一さんは二つに分けている。

岩波文庫を置いている店と、置いていない店と。

「そして前者が上だと思っている」と、本紙掲載のコラムで述べている。

 その岩波文庫が、昭和2年の創刊から今月で満80年を迎えた。

古今東西の名著を5433点、総数は3億5000万冊を超すというから、日本の「教養」を連綿と耕してきたと言える。

 年配の読書家には、書目分類の「五色の帯」が懐かしいだろう。

緑の帯は日本文学、赤は外国文学、社会科学が白で、青は哲学や歴史、黄色は日本の古典である。

五色を取り込んだ「読書人の一生」という戯れ歌を、文芸評論家の向井敏さんの随筆で知った。

 〈ゆめ見るひとみで緑帯/むすめざかりは赤い帯/朱にまじわって白い帯……行き着く先は黄色帯〉。

つまり、多感なころは漱石や藤村、大人びてくれば翻訳小説、青年期にはマルクスにかぶれ……老境に入って「もののあはれ」に行き着く。

来し方を重ね合わせて微苦笑の人もいることだろう。

 近ごろは、緑帯と赤帯の世代にケータイ小説の愛読者が急増中らしい。

電話で配信される小説だ。

素人ぽいのだが、人気作が本になるや次々と数十万部を売り、不況の出版業界を驚かせている。

 名作を読まないと嘆く声も聞こえるが、活字離れの一番深刻な「緑と赤」の世代である。

まずは書物の世界を覗(のぞ)いてみることが大事だろう。

若き日の丸谷さんも「片っ端から歩き回った」という名著の森への道が、ぽっかり口を開けているかもしれない。




岩波文庫は安価な教養書として親しまれてきた。でも最近は文庫本が多くなり色んな会社より発売されている。

小さな字が読みずらいと大きい字の本が売り出されている。

パソコン 携帯でも読むことができるとき益々に岩波文庫の使命は重い。






古代ギリシャの哲人ソクラテスは





平成19年7月16日の天声人語からの引用


きのう岩波文庫の創刊80年について書いたら、「一番売れたのは何か」と質問をいただいた。

答えは、157万部を数える『ソクラテスの弁明・クリトン』である。

 古代ギリシャの哲人ソクラテスは、「神々を信仰せず青年を堕落させた」と告発される。

『弁明』は、その裁判での反論演説の記録だ。

彼は死刑を宣告される。

逃亡もできたのに拒み、毒杯をあおいで死んだ。

「悪法もまた法なり」の言葉を最期に残したとされる。

 「昭和のソクラテス」と呼ばれた人を思い出す。

戦後の食糧難時代に、違法なヤミ米を拒み、極度の栄養失調で死んだ山口良忠判事である。


「自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死する」と病床日記に残した。

この秋で、亡くなって60年になる。

 「立派だ」「愚直にすぎる」。

感想は分かれよう。

だが「ザル法もまた法」とばかりに、事務所費の疑惑に頬被(ほおかむ)りする当節の大臣に比べれば、

どれほど「品格」に富むことだろう。


論法は同じでも、モラルは天と地ほどに違う。

 「李下(りか)に冠を正さず」と言う。

だが赤城農水相は、不自然極まる経理処理で「冠を正し」てしまった。

疑惑を晴らすには、李(すもも)を盗んではいないと、手を開いて見せるしかない。

この場合は領収書を示すことだろう。

 かばい続ける安倍首相にも、「仲良し内閣」と批判が募る。

首相と赤城氏は、祖父同士も「首相(岸信介)と農林相」の間柄だった。

御曹司ゆえの大甘か。

ちなみにではあるが、岩波文庫の2位は136万部の『坊っちゃん』である







やはり軽薄な社会では哲学書のような書物は是非とも若い人たちに読んで欲しいものである。







最強という台風が過ぎたら震度6強の揺れである
3年前と同じ新潟県を襲った








平成19年7月17日の天声人語からの引用


日本エッセイスト・クラブが編んだ『こころを言葉に』(集英社)に寄せた作品「いのち」で、柳澤桂子さんが書いている。

「度重なる大量絶滅や、大型動物による捕捉を逃れて、われわれの祖先は進化してきた。

それは、奇跡と幸運の積み重ねであり、今、地球上に生きている生物すべてのいのちが尊い所以(ゆえん)である」と。

 地球と生物のせめぎ合いをいやおうなしに考えさせる、つらい連休になった。

7月上陸では最強という台風が過ぎたら震度6強の揺れである。

天の叫び、地のうなりは、多くの命と生活手段を奪い去った。

 きのうの地震は非情にも、3年前と同じ新潟県を襲った。

台風の直後だからと待つこともなく、雨で緩んだ地盤を遠慮なく揺さぶった。

原子力発電所から上る黒煙の映像に、肝を冷やした人は多いだろう。

 台風も地震も、何十億年と続く地球の営みだ。

悔しいが、ヒトの歴史はその万分の一ほど。

大気や大地の気まぐれに泣くたび、地球と生物のどうにもならない力関係を思う。

 主人のように振る舞う人類も、実はこの惑星に間借りし、一瞬の文明を築いているにすぎない。

とりわけ、天災列島の上で栄える国には、弱者としての自覚と備えがいる。

そして、弱者に降りかかる災いを最小にすることこそ、文明を代表する政治の務めである。

 長崎市で参院選の遊説中だった安倍首相は、直ちに地震の被災地に飛んだ。

非常時の差配と責任は、与党であることの厳しさであり強みでもある。

ここは選挙を意識することなく、ことに当たってほしい。







災害は忘れた頃に何処に起こるかわからない。人間の営みにくせべれば自然の現象に立ち向かうことはできない。

でもすこしでも被害,苦労をば少なくするのが人間の智恵でもある。







今春、43年ぶりの全国学力調査が行われた







平成19年7月18日の天声人語からの引用


脚本家の三谷幸喜さんが「理数コースの高校時代、数学のテストは毎回零点だった」と書いている。

恩師の「無理せず文系に進め」で救われた。

三谷さんを点数で縛り続けていたら「ラヂオの時間」も「古畑任三郎」もなかった。

 東京都足立区の小学校で、区の学力テストをめぐる不正があった。

校長と5人の教師が、誤答している子の問題文を指さして回った。

同校ではまた、保護者の了解なく障害児3人の答案を採点から外していた。

 足立区は学力調査の成績を学校一覧で公表してきた。

この小学校は05年が72校中の44位。

不正の06年には1位になった。

禁を破って前年の問題をコピーし、学校ぐるみで練習を重ねた成果らしい。

テスト業者と設問が一新された今年は59位だった。

 区教委は学校を競わせ、区の学力を底上げしようとした。

校長は点取り競争に走った。

指導力を採点されると考えたのか。


トントンと児童に合図を送る姿は、粉飾決算に精を出す社長のようで物悲しい。

残ったのは基礎学力ではなく、教育不信の赤字である。

 お茶の水女子大の耳塚寛明教授は「学力調査は利点が副作用を上回ることが条件だが、こうなると毒薬だ」と語る。

弱い分野を見極めるという薬効は、正しく服用してのことだろう。

 今春、43年ぶりの全国学力調査が行われた。

統計上は、日本の公立小中学校を縦一列に並べるだけのデータがそろうことになる。

だが、個性は一列に並ばない。


「横」に出るべきあまたの才能が、点数に縛られ、列の中で立ち枯れることを恐れる。






「改ざん」がここでも行われている。業績を少しでも良く見せて次の経営で有利に立ちたいがためである。

企業も学校もいたるところで「改ざん」が日常茶飯事のように行われている。

結局の原因は政治の貧困化によるものである。ゆとり教育が叫ばれている一方では激烈な競争社会が実現している。









 連休明けの赤城農水相は、
左のほおと額にガーゼや
絆創膏(ばんそうこう)をはって現れた






平成19年7月19日の天声人語からの引用


報道官を待つホワイトハウスの会見場に、予告なく大統領本人が現れた。

97年春、けがで松葉づえ姿だったクリントン氏だ。

重大発表かと身構える記者団に、重々しく「報道官も階段で転んだ」。

4月1日の冗談と気づき、沸いた会場に松葉づえの報道官が笑顔で出てくる趣向だった。

 連休明けの赤城農水相は、左のほおと額にガーゼや絆創膏(ばんそうこう)をはって現れた。

会見での質問には「大したことはない」「ご心配には及ばない」「何でもない」の三言だけだった。

 実家の事務所費の件もあり、これだけ拒まれると勘ぐりたくもなる。

空気を察してか、後から「肌が弱いので、かぶれたのかもしれない」とコメントを出した。

それなら会見で言えば済んだ話だろう。

 閣僚であれば、記者会見は大切にしたほうがいい。

機転と愛想で「絆創膏疑惑」を軽くさばけば、世評は動いたかもしれないのに、赤城氏は意固地で内向きな印象を深めてしまった。

説明責任というより、政治家としての反射神経や器量の問題である。

 農水相は2枚だけだったが、大量のガーゼが必要となるような災害現場は、政治と社会の底力を試す。

中越沖地震の被災地では、数千人が避難所で3日目の夜を過ごした。

仮設住宅が整い始めるのは8月という。

 猛暑の中で、家の解体費用などを案ずるのはつらかろう。

足元の苦境と闘う人々の気力は、明日への展望から生じる。

まさに、政治家の器量が問われる局面だ。


行政が今日の生活を支えるなら、将来を聞き、語り、動かすのが政治の仕事なのだから。







赤城農相は奇妙なひとである。政治は遊びではない。世襲制の中にある人たちは遊びのようなのかもしれない。

一家系で何代も政治家に適した人が続くわけが無い。親の地盤 看板を背負い仕方なくなっているようなひともある。

松下敵塾のような形で政治家を志すものは最低の政治家としてのルール モラルを習得してから立候補

できる制度を作り,国家テストで判定し,不合格ならば何年も修学するか,辞めるかの選択できるシステムをつるべきだ。

変ったような人物が政治家だけならばよいのだが大臣になるようでは早急に考えるべきことである。

現在の政治選挙に人気投票的な面に依存しているのが弊害の元である。その人を任命するのが家庭の事情となれば

この総理大臣の資質も問われるべきことである。

国民の生活がこのような人たちに依存しているとはぞーとする話である。







解散した村上ファンドの村上世彰被告に
懲役2年の実刑判決を下した








平成19年7月19日の天声人語からの引用


中世の瀬戸内海を支配した村上水軍は、陸の権力に従わない海賊衆だった。

平時は船荷の警固や水路案内、戦時には大名と結び、小船と火薬でひと暴れした。

秩序に服さず、神出鬼没、正邪を併せ持つその姿は、経済の大海原に出没する投資ファンドに通じる。

 東京地裁はきのう、解散した村上ファンドの村上世彰被告に懲役2年の実刑判決を下した。

ライブドア幹部にニッポン放送株の取得を持ちかけ、買う気を確認したところで同じ株を購入、高値で売り抜けたという。

 村上被告は逮捕前に「聞いちゃった」と語った。

判決は「その気にさせ」「言わせた」くせにと厳しい。


9歳から株を始め、長じて数千億円と情報を操る地位をつかんだ被告。

特別な立場を悪用した金もうけは「プロによる犯罪」と糾弾された。

 世界につながる経済の海には、巨万の情報が浮遊する。

判決に従えば、少しでも実現の可能性があればインサイダー情報だ。

ほとんど夢物語でも「聞いちゃった」ら身動きとれない、日本での情報収集が窮屈になると案じる向きもある。

 モノ言う株主は改革者にもなる。

株式の持ち合い、同族経営、休眠不動産などを突けば、市場のよどみが晴れることもあるからだ。

そんな期待まで裏切ったのが村上被告の罪深さである。

 身勝手な錬金術を戒めるルールを待ちたい。

判決が投資の動きを萎縮(いしゅく)させることになれば、村上流は二重の迷惑として記憶されよう。



村上ファンドはアメリカ型政治の「あだ花」のようだ。





フィアット500が発売50周年を祝った。





平成19年7月21日の天声人語からの引用

小さな小さなイタリア車の話である。

フィアット500が発売50周年を祝った。

生産終了から30年たつが、ころころと子豚似の姿はチンクエチェント(500)の名で愛され続ける。

過日の式典には各国から1500台が集まった。

 虚飾を排した13馬力の豆自動車に改良を重ね、世界で360万台が売れた。

「楽しく、可笑(おか)しく、微笑(ほほえ)ましく、そして時に哀(かな)しく……

小さな身体(からだ)の中にはイタリアの薫りがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた」(岡崎宏司『わが心に残る名車たち』光文社)。

 チンクエチェント博物館(愛知県南知多町)の深津浩之さんは語る。

「整備なしには走ってくれず、乗り心地も快適ではないが、自動車の機能はすべて備えている。

機械の本質を伝える生きた遺産です」

 生産を止めた75年、皮肉にも「簡素を是とする時代」の幕が開く。

同じ年、日本の衣料大手レナウンは〈飾らない、自分自身を偽らない生活〉を掲げたブランド「シンプルライフ」を発表した

西友が無印良品を世に問うのは5年後だ。

 衣食足りれば、関心は楽しみや安らぎに向かう。

価値観は枝分かれする。

中で一つ確かなのは、資源や環境の制約だ。

大きく激しいモノやコトは、存在理由を厳しく問われよう。

筆頭はもちろん、戦争である。


 欧州の路地裏で出会うチンクは、もともとベソをかいたような前面がつぶれ、大泣きになっていたりする。

だが、まとう空気は雄弁だ。

道具に飾りは要らぬ/まず人が汗をかけ/暑けりゃ窓を開けよ。

それは地球からの伝言にも聞こえる。






外車は結構に高価である。国産車の方が良い。電気自動車が早く実用化してもらいたい車である。





東京電力柏崎刈羽発電所が、
新潟県中越沖地震に揺さぶられ、
多くの弱点があぶり出された









平成19年7月22日の天声人語からの引用


物理学者の寺田寅彦は、防災の大切さをことあるごとに説く警世家でもあった。

1935年(昭和10年)に亡くなる直前、地震の研究に長くかかわってきた感想を、『災難雑考』と題して記している。

 プレートがぶつかり合う位置にある列島の危うさを、寅彦は「日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもの」と例えた。

そして「つり橋の鋼索が、あすにも断たれるかもしれないという、かなりな可能性を前に控えている」と警鐘を鳴らしている。

 寅彦の時代にはなかった様々な人工物が、いま、不安定な「つり橋」の上にひしめいている。

全国に55基を数える原発もそうだ。

その一つ、東京電力柏崎刈羽発電所が、新潟県中越沖地震に揺さぶられ、多くの弱点があぶり出された。

 そもそも建設の際、直下にある断層を見逃していたという。


微量だが、放射能が海や大気中に漏れた。

変圧器は黒煙を上げ、消せないまま燃え続けた。

あわてた国の調べで、他の原発のお寒い防災体制も分かってきた。

これでは55本の剣が、国民の頭上に、ゆらゆらつり下がっているようなものだ。

 根拠のない「安全神話」が、原発にもあると聞く。

様々な神話の数だけ、その崩壊する悲劇があった。

ジャンボ機もかつては、まことしやかな「墜(お)ちない神話」に彩られた。

22年前に日本で崩れたのは、記憶になお鮮明だ。

 地震はどうにもならないが、被害は人間次第。

それが寅彦の持論だった。

必要なのは空疎な「神話」ではない。

今回の教訓を生かした「実話」であろう。







原子力発電所が地震 火災に弱いでは話にならない。原発の国の基準を厳格化すべきである。

いじめのためのための厳格化はあるも,真の厳格化は必ず実施すべきである。

二重にも三重にもチェックし監督するように実施すべきである。







芥川がみずから命を絶った「河童(かっぱ)忌」だ。




平成19年7月23日の天声人語からの引用


梅雨明けは九州付近で足踏みしているが、きょうは二十四節気の大暑。

暦のうえでは暑さも盛りの時期である。

〈兎(うさぎ)も片耳垂るる大暑かな〉と芥川龍之介は詠んだ。

動物も猛暑にうんざり。

ユーモラスな情景が、まぶたに浮かぶ。

 そして明日は、芥川がみずから命を絶った「河童(かっぱ)忌」だ。

今年で80年になる。

残された手記によれば、「ぼんやりした不安」にさいなまれていた。

今なら「うつ病」と診断されたのかもしれない。


ともあれ人気作家の35歳での早世は人を驚かせた。

 芥川と同じ30代で、職場の重圧から心や体を病む人が、近年増えている。

厚生労働省によれば、心の病で労災認定された人が、昨年度は過去最多の205人を数えた。

4割を30代が占めるというから、その突出ぶりに驚く。

 体力気力がかみ合って、仕事も板につくのが30代だろう。

だが「働き盛り」は「こき使われ盛り」でもある。

男性の2割強が「過労死ライン」を超す長時間残業をしている。

そんな調査結果もある。成果主義の荒波も容赦はない。

 ストレスゆえか、30代による暴行事件も急増中だ。

逮捕・書類送検は10年で5倍に。

いまや「主役」が10代と入れ替わった。

街頭などで、カッとなって暴行するケースが多いらしい。

キレやすい30代像が、数字の向こうに浮かんでいる。

 皮肉屋の芥川は人生を一箱のマッチに例え、「重大に扱うのはばかばかしい。

重大に扱わなければ危険である」と言っている。


ストレスという火種を上手に鎮める術(すべ)が、30代ならずとも大切な今の時代である。






ストレスはさけることはできない社会になっている。でも昔のような生命に直結するような「戦争」「軍隊」のようなものはない。

でもそのようなストレスが発生する社会にならないとも限らない。

ストレス解消方法は上手な「運動」と「休養」にある。






赤坂で芸者を呼ぶのに、
領収書が出ない花代を
事務所費で落としたという








平成19年7月24日の天声人語からの引用


その昔、芸者衆のお代は線香が燃え尽きる時間で計算した。

上方落語「たちぎれ線香」では、若だんなと芸者が恋に落ち、案じた番頭が仲を裂く。

死んだ芸者に若だんなが泣いて供えた三味線は、なじみの地唄を奏で、やがて線香が消えたところでやむ。

ほろりとさせるサゲだ。

 松岡利勝氏の事務所費のことで、すとんと胸に落ちる説明を初めて耳にした。

赤坂で芸者を呼ぶのに、領収書が出ない花代を事務所費で落としたという。

「本人から聞いた」と、山本拓農水副大臣が演説会で紹介した。


 「会場を和ませる冗談」と撤回したが、テレビでは「うそをついた覚えはない」と語った。

それはそうだろう。

根も葉もない話なら「若い頃に遊んだ仲間」(山本氏)に失礼ではないか。

しかも故人である。

 大人がどう遊ぼうと勝手だが、松岡氏が説明を拒んだ水代と違い、花代は極めつきの私費といえる。

事務所のどんぶり勘定に混ぜ込んだとすれば、やぼと言うしかない。

粋人のために日々芸を磨く女性たちに笑われる。

 神楽坂の芸者を300万円で囲ったと報じられ、69日で辞めた首相がいた。

退陣表明は18年前のきょう。


前日に投票された参院選で、自民党は改選議席の半分近くを失っていた。

 嫌な客のお座敷に向かう道、芸者は三味線を運ぶ箱屋にいくらか包み、立てる線香の下端をちょいと折ってもらったという。

共に過ごす時を少しでも減らしたいという知恵だ。

投票日を控えて、閣僚の失言と醜聞が続く。

これでは、政権の線香は両端から短くなるばかりだ。







料亭で遊ぶのも良いが自費でしてほしいものである。政治資金から流用すべきたちのものではない。

公費の無駄遣いはいたるところで見かける。






平和を撮る者に約束されていた豊潤な時は、
しかし白血病に断ち切られる







平成19年7月25日の天声人語からの引用


ご家庭のアルバムで、お父さんの影は薄いかもしれない。

撮った人は写らないのが写真だ。

でも、シャッターに乗せた思いが画面に残ることはある。

写真集『カンボジアの子どもたち』(連合出版)にそう教えられた。

 戦乱と暴政を見つめてきた自然や遺跡を背に、黄金の笑みがはじける。

体より大きいバナナの葉束を運ぶ娘、水牛の背の少年。

99年から20回以上訪れた写真家、遠藤俊介さんへの信頼が、かぐわしい靄(もや)のように作品を覆う。

 かつて戦場を記録した沢田教一や一ノ瀬泰造は、この地に散った。

平和を撮る者に約束されていた豊潤な時は、しかし白血病に断ち切られる。

今月半ば、写真集が枕元に届いた3日後、29歳の遠藤さんは一ノ瀬らのもとに旅立った。

 婚約者の高瀬友香さんにお会いした。

昨夏、カンボジアの勉強会で意気投合し、直後に病気が分かったそうだ。

かの国で式を挙げる夢を支えにして、初の写真集に使うコマは病室で一緒に選んだ。

 「整理が苦手な人で、まだ膨大な画像データがあります。

私たちの子と思い、個展などの形に育てたい」。


後書きに「貧しいけれど笑顔のカンボジアを撮り続けようと決めた」とある。

平穏の尊さを伝える仕事が友香さんに残された。

 本人の写真は奥付に1枚。

子供に囲まれ、飛行機のポーズでおどけている。

そしてもう1枚。

表紙でほほ笑む少女の、とび色の瞳に小さく写り込んだ人影は、キヤノンEOSを構える。

異国の、いくつもの柔らかな記憶の奥底に、遠藤さんは永遠の像を結んでいるはずだ。







カンボジァ戦争があった。そしてその前に朝鮮戦争 ベトナム戦争 現在はイラク戦争である

アメリカのしている戦争の系譜はがよくわかる。何のためにが究明されていない。

アメリカは世界最大の軍事大国である。その関係は日本も例外ではない。






三越と伊勢丹が、経営統合を視野に
提携交渉に入った







平成19年7月26日の天声人語からの引用


明治30年代、東京の呉服業界は模様合戦にわいた。

老舗(しにせ)の三井呉服店(後の三越)は京都に染め工場を構え、復古調の元禄模様に力を入れる。

これに対し、より古く平安時代に想を得た御守殿(ごしゅでん)模様で押したのが、創業間もない伊勢屋丹治呉服店だった。

 伊勢屋は、この模様を柳橋芸者の総踊りで着せたほか、両国の花火大会でも宣伝した。

「御守殿模様の成功により、天下の三井呉服店と張り合って高級呉服店を目指す伊勢丹の姿勢に、

衆目が注がれるようになった」(伊勢丹百年史)。

 三つの世紀にわたり競ってきた三越と伊勢丹が、経営統合を視野に提携交渉に入った。

実現すれば国内最大の百貨店グループになる。


三越のブランドと優良顧客、伊勢丹のセンスと収益力を「袷(あわせ)の衣(きぬ)」に仕立てる策らしい。

 三越は明治38年、主要紙に「デパートメントストア宣言」を出し、日本初の百貨店になった。

元禄模様の芸者ポスターに列記した取扱商品の中、「欧米流行洋服類」は世紀を経て、今や伊勢丹の得意分野である。

世事は有為転変だ。

 総売上高を減らし続けるこの業界は、呉服系も電鉄系も再編の渦中にある。

そごうと西武に続いて、今秋には大丸と松坂屋、阪急と阪神が統合する。

昨日の敵は今日の友。

勢力地図がどんどん塗り替わる、いわば「百貨領乱」の相である。

 本来の百花繚乱(ひゃっかりょうらん)は多くの才能や美が集い、競い合う様をいう。

流行を争い、時代を導いた往年の百貨店がそうだった。

のれん2枚を重ねて、巻き返しの模様が浮かび出るか。

衆目が注がれよう。







百貨店業界の合併がある。全ての業界で合併が繰り返されている。

社会の発展のための途上現象なのか。






老化による嗅覚(きゅうかく)の衰えは





平成19年7月27日の天声人語からの引用


ベルギーに6年いた。

仕事場に近い地下鉄の階段はいつも、名物ワッフルの香りがした。

バターと蜂蜜とココアが混じる「においの記憶」は、冷たい雨の風景に重なる。

着任時の高揚と不安が溶け込んだ雨だ。

 未体験のにおいの印象は、それをかいだ場面と共に記憶されるという。

資生堂の調香部門を率いた中村祥二さんの説だ(『香りの世界をさぐる』朝日選書)。

初めてのにおいは一生もので、それぞれが思い出に連なるのだろう。

 米シカゴの研究チームが気になる仮説を発表した。

身近なにおいをかぎ分けにくくなったらアルツハイマー病の兆しかも、というのだ。

レモンやガソリンなど12種のにおいを、平均80歳の約600人に当てさせたところ、

的中率が悪い人ほど、後々、認知力が落ちる傾向にあった。


 老化による嗅覚(きゅうかく)の衰えは、本人も周囲も気づきにくいから厄介だ。

鼻からの刺激が減ると、老化がまた進む。

中村さんは「素人考え」として、においの刺激を繰り返し与えることで老化に対抗できないか、と提案している。

 人の五感のうち、嗅覚はどうも軽く見られがちだ。

多くの情報は目と耳から入る。

特に、パソコンや携帯電話を操る現代人は視覚に頼りすぎて、動物に劣る嗅覚がますます鈍ってきたとも聞く。

 風邪をひくと食事がまずいのは、舌ではなく鼻の粘膜がやられるためだという。

かぐ力が弱まれば、料理の風味ばかりか人生のアルバムまでが色あせかねない。

鼻の値打ちは高さにあらず。

色んなにおいを通過させ、内側の元気を保ちたい。









あと1日の参院選で、
期日前投票が空前の出足という








平成19年7月28日の天声人語からの引用

 分割した画面を開きながら、それが何かを当てるクイズ番組があった。

記憶は定かでないが、タワシかと思えばハリネズミ、はげ山のはずが実はラクダといった意外性の妙。

ボタンを押す出演者が間違うたびに、お互い様の「木を見て森を見ず」を笑ったものだ。

 あと1日の参院選で、期日前投票が空前の出足という。

クイズ番組の早押しとは違い、初めから森は見えているという票である。

今回は、木を見る前に怒りを投じた人もいよう。

 選挙では、お粗末な年金行政、閣僚の事務所費や失言が盛んに論じられた。

それを「小事(しょうじ)」とし、移ろう世論を嘆く言説がにぎやかだ。

与党が大敗すれば景気は失速、外交が揺らぐという警告さえある。

 それらの当否はさておき、どんな投票行動も生活に影響する。

それを承知で国民が怒る時がある。

怒るなら小事ではなく、国家の針路や屋台骨を論じよとも言う。

正論だが、肝心の政党や政治家が大事(だいじ)を扱うに値するかどうか。

これこそ民主主義の超大事だろう。


 公示の日、安倍首相は秋葉原の電気街で「負けるわけにはいかないんです」と絶叫した。

日の丸の小旗が一斉に打ち振られる秒の間(ま)に、首相は腕の時計に視線を走らせた。

意外な余裕と見たが、同じ街でいま、店頭の大型テレビが与党苦戦の予想を伝えている。

 本日が期日前投票のピークらしい。

その票が箱に収まったところで選挙戦は終わり、審判を待つ森が現れる。

あすの「期日投票」には満を持したなりの選択があろう。

思い切りボタンを押していただきたい。






選挙は終わっているが首相の出所進退が不明で,首相の支持率 自民党の支持率は下げ止まらないようだ。






天気予報が「当たらない」ことに






平成19年7月29日の天声人語からの引用


効き目のほどは知らないが、落雷を避ける呪文を「くわばら、くわばら」と言う。

由来は諸説あって、菅原道真の領地だった桑原には雷が落ちなかったから、などと伝わっている。

 「気象庁」を三度唱えるまじないも、昔あった。

夏場、生ものを食べる前に唱えると「食あたりしない」と言われた

天気予報が「当たらない」ことに掛けた、きつい冗談だった。

 いまは随分正確になったが、外れることもある。

「8月は猛暑」としていた長期予報を、先ごろ「平年並み」に修正した。

夏の主役の太平洋高気圧が勢いに欠けるためらしい。

梅雨明けも早いはずだったのに、東日本では明けないままに8月も近い。

 短期の予報では、「降水」が当たり外れの基準になる。

近年の的中率は、翌日の天気の予報だと8割を超えている。

だが気象庁によれば、人々の満足度は数字通りにはいかないらしい。

 明日が遠足の子、慈雨を待つ農家……日々、だれもが、それぞれの「好天」を望んでいる。

予報が外れて、前夜の期待感が、朝には落胆に変わる。

やり場のない悔しさを味わったことのない人はまれだろう。

かくて2割弱の不首尾は、数字以上に人々の不評を買うことになる。

 きょうは参院選投票日である。

投票率への影響をにらみつつ、それぞれの候補者の望む「好天」がある。

ゆうべの天気予報を見て「当たり」を願った人も、「外れ」を祈った人もいただろう。

明けての結果はさておいて、一有権者としては、晴雨に左右されない投票で「天下分け目」に参加したい。






天気予報は大分に正確度は向上してきている。又当選予想 与野党の選挙結果は開票と同時に

報じられていて正確度の高さに驚くばかりである。






首相になってからの安倍さんには、
望遠鏡で遠くの空ばかり眺めていた印象が強い。






平成19年7月30日の天声人語からの引用


古代ギリシャの哲学者タレスは天文学にもたけていた。

ある夜、星の観測に熱中するあまり、井戸に気づかずに落ちてしまった。

使用人が冷やかした。

「あなたは天上のことは知ろうとするが、足元のことはお気づきにならない」

 よく知られた逸話に、安倍自民党の大敗が重なる。


首相になってからの安倍さんには、望遠鏡で遠くの空ばかり眺めていた印象が強い。

いわく「美しい国」「憲法改正」「戦後レジーム(体制)からの脱却」……。

大構えなテーマは、彼の思い描く夜空に、星座となってきらめいていたのだろう。

 だが足元には疎かったようだ。

暮らしを脅かす格差に無頓着だった。

政治とカネの醜聞につまずき、年金問題という井戸に落ちた


それからが正念場だったはずだが、腹を据えて空を仰ぎ続けるでもなく、取り繕いに追われた。

 「政治家は次の時代を考え、政治屋は次の選挙を考える」という。

首相就任時には、安倍さんは政治家だったかもしれない。

だが井戸に落ちてからは、動揺したのかすっかり政治屋になってしまった。

脆(もろ)さに失望した人は、自民支持層にも少なくなかっただろう。


 タレスは、万物は水から生まれ、水に還(かえ)ると、宇宙の原理を説いた。

その水を庶民に、為政者を舟になぞらえたのは、中国の思想家の荀子だ。

「水はすなわち舟を載せ、水はすなわち舟を覆す」

 民衆は政権を支えもするが、不満ならひっくり返す。それが一票の力だろう。

舟が覆ってなお、首相は泳ぎ続けるそうだ。

民意の波は相当荒いのだけれど。








選挙の顔として選ばれた阿部首相は何処へいったのか。本当に政治ができる人が沢山いるのに

どうして首相になれないのか。?

政治の世界は不思議な世界である。ついつい半植民地国家であることを忘れているからであろうか。






きのう75歳で亡くなった小田実(まこと)さんは、
存在感のあふれる作家だった






平成19年7月31日の天声人語からの引用


きのう75歳で亡くなった小田実(まこと)さんは、存在感のあふれる作家だった。

行動派で知られ、60年代には「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」の顔となって奔走した。

一つの時代が過ぎたと感じる人も多いだろう。

 ともにベ平連をつくった哲学者の鶴見俊輔さんは、小田さんをよく知らないまま運動に呼び込んだ。

「たまたま拾ったビンから煙がもくもく出てきて、アラジンのランプみたいに巨人が現れた」と出会いを回想する。

並はずれた実行力で運動を広げていった。

 根底にあったのは大阪空襲の体験だ。

爆弾の中を必死で逃げた。

ふるえながら防空壕(ごう)をはい出し、黒こげの死体を片付けたという。


だから米軍の北爆の写真を見たとき、煙の下で起きていることが手に取るように分かった。

「される側」の視点である。

 若い頃、世界を歩いて『何でも見てやろう』を書いた。

印象深いくだりがある。

ユースホステルで徴兵制が話題になった。

小田さんが「日本はそんな野蛮な制度はとっくの昔にかなぐり捨てた」と言うと、様々な国籍の若者の目が輝いたそうだ。

そうした体験が、憲法9条への思いにつながっていく。

 末期がんの病床でもいまの日本の空気を「戦前のようだ」と憂えていた。

家族によれば、ここ1カ月はあまり話せなくなっていた。

だが、「政治が本当にひどいときは市民は動くもんだ」と何度も口にしたという。

 市民派として、「市民」への信頼を貫いた生涯だった。

永眠は奇(く)しくも、その市民が安倍政権に厳しい審判を突きつけた夜だった。




「何でも見てやろう」は戦後の妃映していた若者にとって驚きであった。毎週あった「兼高世界の旅」のテレビ番組を良く見ていた。

世界は不思議な世界である。「兼高世界の旅」のDVD化され売り出されば良いのにと考える。






極楽寺から宝塔寺へそして寺本城 


.旧貞観寺の北側に隣接して現在の極楽寺町の場所に極楽寺が藤原基経によって.

当時叡山に伝教大師の墓廟である浄土院があって,それを模し浄土寮 礼堂などがたてられている。

それを模して基経が実母の墓の近くに追善をこめて極楽寺か゛創建されたと考えられる。

母は陽成天皇の外祖母にあたる方である。

寺院は基経が生存中に完成を見ず,その息子の時平の時に完成した。

時平は昌泰二年(899)に定額寺になるように願い出ている。清和天皇のための貞観寺と異なって

極楽寺は藤原氏の氏寺として創建された。基経没後は時平 仲平 忠平が寺の増建を継承している。

当時朝廷の崇信あっかった聖宝が請じられ開祖となったらしい。

後年青蓮院門跡覚快親王、次いで同門跡慈鎮・慈源が極楽寺別当となっている。

天台宗寺院である。

その後延長二年(924)に忠平が新たにその北に法性寺を建て忠平門流になって法性寺の方が比重の大きい寺になっていった。

天暦九年(955)に竹林院となずく子院がみられる。また本尊は阿弥陀如来と思われ「拾芥抄」に極楽寺 昭宣公 阿弥陀とある。

貞元元年(976)に地震があり転倒したがその後復興されている。永祚元年(989)三人の阿闍梨が加え置かれた。

その後藤原氏の氏寺として,法性寺・法興寺・法成寺・平等院と並んで存続していったことが知られる。

宝塔寺の南西にあたるところにある瑞光寺は明暦元年(1659)に元政上人がが草庵を結んだのが始めで

この当たり一帯は極楽寺の薬師堂だったとされている。

又鎌倉時代末より帰国した道元が山門からの圧迫で建仁寺を去って当時の別院安養寺に閑居し,

この地に興聖宝林寺を開いた。その後宇治に興聖寺として再興される。

徳治二年(1307)日蓮の法孫日像は洛外に追放された。

そのとき真言寺(向日市)において日像が時の極楽寺住持良桂と三日三晩の宗論を行い,良桂は屈服した。

極楽寺を法華道場に改めて,日像を開山に仰いで自らは二世になった。

日像は日蓮の六老僧の一人,日朗に師事したが、その後日蓮の弟子となり経一丸の名を与えられ

永仁元年(1293)日蓮の遺命により京都での布教を決行した。

上洛して京都の有力民衆の帰依を得たが延暦寺などの圧迫を受け、徳治二年(1307)から元亨(1321)までの間に三度京都から追放の院宣を受けた。

そのたびに許され元亨元年(1321)に四条櫛笥に妙顕寺を建立した。日像は妙顕寺に没したのが康永三年(1342)である。

そして遺言により此処で荼毘にふされた。又日蓮 日朗の遺骨も納められていて.西身延 巽の霊山と呼ばれている。

天正十八年(1590)になって妙顕寺日尭の弟子日銀が八世を継いで荒廃した諸堂を再建に着手し,本堂は京都大仏殿の余材が寄進され

慶長十三年(1608)に落成した。

この時,寺名は鶴林院常寂寺から深草山宝塔寺に改められた。

寺本城が何時ごろから創建されていたのかはわかっていないが,少なくとも極楽寺から日蓮宗に変更してからのことと考えられる。

京都市の史跡調査の調べでもって,瑞光寺の西側奈良鉄道を挟んだ西に当たるところに寺本城の在ったことを示している。

寺本城は戦国期末(永禄11年(1568)には滅んでなくなっている。現在の極楽寺町の道は入り組んでいて通行にはわかりがたい。

それは城が攻められないよう複雑になっているのかもしれない。

寺本氏から日銀の弟子になった日随がいて,塔中西大坊で今の大雲寺でそこを分割し,隠居する場所として直勝院を建てる。

子孫の一部は芸州(広島)の浅野候に仕えた者もいた。

芸州の武士の寺本氏によつて大五輪塔が寄進し寺本城跡地に建てたが,後に大雲寺に移されて今も在る。

京都深草に寺本城が在ったことは殆んどの人たちは知ってはいない。深草山宝塔寺だけが健在てある。

栄華を極め,この京都深草の地に別業を営んだいた藤原良房の父冬嗣が亡くなって,深草山に葬られたとされてるが,その場所はわかっていない,

又基経の墓は昭宣公の墓として小さな祠の中にこじんまりとまつられていた。


戻る

                                      6月分      7月分     8月分