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九月になって





蒸し暑い猛暑が過ぎ去ったが,九月になっても尚も暑い日が続く。

まだまだ夏の暑さである。

お彼岸さんになっても暑さは納まらない。

八月の間続いていた蝉の鳴き声はいつの間にか聞こえなくなってしまっている。

京都の時代祭り(十月二十二日)は今年から室町時代が加わるようだ。

年月の過ぎるのは早いものである。年齢と共にそれが加速度化されて行くように思える。

台風は今年八月にあったが,九月にはこない。

静かな秋の始まりだが,暑さが九月末頃まで続いていた。

国内の政局は俄然に熱くなって,突如安部首相が辞任し,国会が中断したまま自民党の総裁選挙が続く。

福田氏と麻生氏との間で争われたが,何の成果もなく始めから有力視されていた福田氏が選ばれた。

これまでの自民党ではこのような事態において,密室の中での長老達の話し合いで決まっていったものであるが,

それだけでも自民党は進歩したと言える。

なんと言っても国会が空白状態になってしまっているのはもったいない話である。

安部氏は参議員選挙後に早く辞めるべきだった。

変な人が首相になると,このようなこともあるということである。

五十才台の安部氏から,七十歳の福田氏に変った。

福田氏は見た感じでは常識的な人に見える。

安部さんのようなことは決して起こるまいと考えるが,難問が山積している。

年金問題, 政治家の金との問題, 格差社会の解消問題, そしてペルシャ湾への給油活動ために給油艦派遣する

テロ対策特別措置法には規定されていないイラク作戦への燃料転用疑惑があった可能性を指摘されている。

政府の早急に取り組むべきことは沢山あり過ぎる。

福田首相だけに全責任を負わせて,解決するのは無理な問題が多い。

その閣僚はとりあえずに安部首相の閣僚人事が受け継がれている。

今までの国会論戦を見ていると,政府の年金問題の抜本的解決 与野党共にの政治家と官僚の天下りなどの

金の問題がまず早く解決されるべき問題である。

一時問題化していた政治家の年金問題は今どうなっているのだろうか?

政治資金とやらが給付されているが,寄付金を集めて使い道については幾ら説明を聞いても納得ができないことが多い。

それも閣僚になったり,党首になったりすると俄然その人がクロースアップされ話題になってくる。

その政治家には、そのような過ちは,クロースアップされ問題化される以前に既にあったということである。

その人が閣僚になったり,党首になったりすると,世間で問題視するようになるのは少しお可笑しな話である。

誤った事をしていても,重要な地位に就かないならば,それでそのまま済むのが政界というのは不思議な世界である。
 
「政治資金法」をインターネットで検索すると

「日本に於いて、個人企業労働組合団体などから政党への政治献金を制限する代わりに、1994年に政党助成法が成立した。

助成金の総額は国民1人あたり年間250円で決められる額で、直近の国勢調査で判明した人口を元に計算される。

2007年の総額は2005年の国勢調査により約319億4000万円である。

その半分は1月1日現在の政党の所属議員数の割合に応じて配分され(議員数割り)、

もう半分は直近の国政選挙の得票率(衆議院総選挙と過去2回の参議院通常選挙)に応じて各政党に配分される(得票数割合)」

                                                                インタ-ネットよりの引用

「国会議員の給料」でも検索もしてみた。

都心に建てられた高価な議員会館の問題もある。政治家の手厚い保護のもとにあって国民には税金が重くのしかかる。

二世 三世の議員が多いの理由がわかるような気がする。

庶民の生活と大いに違う境遇にい.るから,そのような人たちが政治をしているから,国民の痛みが通じずに判らないのもよく理解できる。

まず一番の足元の政治改革をばせずして,小泉さんは改革・改革と叫ながらび,格差社会 福祉・医療での歪をば作り出してしまった。

大いなる改変したことはよくわかるが,その結果を見ずして総理大臣を辞めてしまっている。

沢山な小泉チルドレンをば作り出し,そのために今や,まともな政治が行うことのできない状態にある。

安部さんにその後を継がせて,政治を任せていたこと自体もおかしい話だ。

安部さんはまず国民に信を問うのが普通であった。

福田さんも同様に,どのような政治をされるのか,多分穏かな政治をされると思うが。

何時になって国民の信をば問われるかが問題である。

国民が信頼していない政府に政治を任せることは,国民にとって極めて不幸なことである。

ねじれ国会は当分続くが,衆議院解散し総選挙で福田さんが信頼されるならば,野党は福田さんとの話し合いになんとしでも応ずるべきである。

いまの現状では政府が国民によって信頼されているかどうかがわからない状態になっている。

いくら話し合いといっても筋が通らないことである。

国民から信頼されていなければ,当然に早々に下野すべき話になると思うのだが。

政権交代が常態的になることが日本の政治にとって好ましいことである。

全て一挙に解決は出来ないだろう。

政党は国民の信頼を勝ち取るための競争をばして欲しいものである。

権力などそして,お金でもって,票を買ったりすることが有れば即刻その議員は議員資格を剥奪し永久に政界から追放すること位はすべきである。

なんとしても戦争だけはご免である。

テロ対策特別措置法はアメリカの戦争を助けるための法律ように思える。

自民党が固執すればするほど,その確かさが増してくるような気がする。

戦後60年経っても,アメリカの言うとおりに動かない政権しか作れない,続かないのでは悲しいことである。

アメリカによる半植民地下の日本国家である。

テロ対策特別措置法での海上自衛隊員の派遣費用,石油代金はどのくらいにかかっているのだろうか。?

疑問は次から次にわく。

今までに真の立派な議員が出てきていないということである。

それに政治制度や,官僚を含めて政界の浄化がまず第一のように思う。

世の中は政治によって動き,全てが国民生活の末端にまで行き渡っている。

だから世の中を良くするには,まず政治をよくすることにある。

突然ミャンマー(ビルマ)の僧侶から発して,国民まで巻き込んでの軍事政権への反対デモが報道されている。

段々広がりを見せている中で,軍隊によってる容赦のない発砲があり,多くのビルマ国民が亡くなり,日本の報道写真記者も銃弾に倒れている。

国民を守るべき軍隊が国民に銃をむけるなんて,丁度日本での第二次大戦(大東亜戦争)を思い出すような光景である。

なすすべも無い状態にミャンマー(ビルマ)は混乱のルツボ中にある。

銃でもってしか国民を従わせることができなければ,悲しいかな政治とは言えない。

国民全体が監獄の中で飼われているようなものである。

民主主義の為に,イラクのフセインを殺したアメリカは制裁処置するだけでもって,それ以上に深入りしようとしない。

何とか日本が率先して東亜の盟主(lリーダー) ? として,なんとかしないといけない状況にある。

是非中国とも協力しながらもミャンマー(ビルマ)を早く民主政治が行われるように働くのが本当の日本の外交ではないだろうか。

軍人が威張るような国や社会には碌なことは無い。

武力でもって国民を威喝させ従わせているだけである。軍部だけと,その周辺が潤っているだけである。

日本の国もそのような時代に再びならないことを切に願うものである。

イラクのニュースはあまり入ってこない。

武力闘争が沈静化しているのかどうかもわからない。

今の国連には,指導力が全くないように感ずる。国連の強化が急務である。

あのような韓国の人が何故国連事務総長になったのかが不思議でならない。

歴代の国連事務総長は以下のとおりである。

国際連合事務総長
氏名 在職期間 出身
1 トリグブ・リー 1946年2月-1952年11月 ノルウェーの旗ノルウェー
2 ダグ・ハマーショルド 1953年4月-1961年9月 スウェーデンの旗スウェーデン
3 ウ・タント 1961年11月-1971年12月 ビルマ連邦国民連合政府の旗ビルマ
4 クルト・ヴァルトハイム 1972年1月-1981年12月 オーストリアの旗オーストリア
5 ハビエル・ペレス・デ・クエヤル 1982年1月-1991年12月 ペルーの旗ペルー
6 ブトロス・ブトロス=ガーリ 1992年1月-1996年12月 エジプトの旗エジプト
7 コフィー・アナン 1997年1月-2006年12月 ガーナの旗ガーナ
8 潘基文(パン・ギムン) 2007年1月- 韓国の旗大韓民国

                                    インターネットより引用

韓国の盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金正日主席が南北朝鮮の国境を越えてされた南北会談は喜ばしいことである。

金大中氏が行われてきた太陽政策は間違っていない。

南北朝鮮が早く一つの国になれば,自然に日本の拉致問題も早く解決すると思う。

世界は何かあると直ぐに制裁するだけではなくて,やはり平和的解決を見つけ出すのが「正道」のように考える。

過去でのアメリカなどの制裁によって,日本が大東亜戦争を引き起こされたことを忘れないように。

今是非とも国連に大いに期待したいものである。

又ビルマ(ミャンマー)で活躍したインターネットが人類の明るい未来を作る手段になることを願うものである。

地球上からの核保有国が全面的に核廃棄 恒久平和 アメリカでない所への国連本部の移動,変更 

各国が膨大な軍備に使う費用を全て民政に転用使用することになれば,平和な世界が築けることが判っていてもできていない。

国際司法制度を確立して,強力な国連軍の強化により,世界の治安の安定が必須である。






強い揺れが伝わる直前に地震の発生を知らせる「速報」が、
来月1日から一般に提供される

84年前のきょう、関東大震災が起きた。







平成19年9月1日の天声人語よりの引用


谷川俊太郎さんに「カーラジオの中のモーツアルト」という詩がある。

詩人はラジオから流れる優美な調べを、楽しいドライブに一体化させる。

〈記憶が流れ 心がはためき/今はもう私自身が音楽だ〉。

 心地よい旋律が突然途切れて、ラジオから「緊急地震速報」が流れる。

急迫した場面に、これからは運転中に出くわすかもしれない。

強い揺れが伝わる直前に地震の発生を知らせる「速報」が、来月1日から一般に提供されるからだ。

 NHKのテレビ、ラジオのほか、一部民放も流すという。


そのラジオでの放送を、案じる声がある。

運転中の人があわてて、急ブレーキを踏みはしないかというのだ。

あちこちで事故が起きては、「減災」どころか「加災」になってしまう。

 84年前のきょう、関東大震災が起きた。

民衆には情報が届かず、「富士山が噴火した」といったデマに翻弄(ほん・ろう)された。

苦い体験が、2年後のラジオ放送開始を促したそうだ。

いまや、揺れる前からの速報である。

強い味方だが、パニックになっては台無しだ。

 世の中には、「知らせない」という安全策もある。

たとえば、ある旅客機は、離陸寸前にトラブルが起きても、安全高度に上がるまで警報音が出ない。

ミスの許されない場面で操縦士を動揺させないためらしい。

 だが、やはり「速報」はありがたい。

あわてず騒がずハザードランプをつけ、ゆっくりと脇に寄せて止める。

これが基本動作である。

モーツァルトを楽しみつつも、心に備えを。

常在戦場の教えも、地震国には大げさではない。







地震予知報道してどれだけの効用があるか。正確な情報ならば役にたつに違いない。

地震を起さない研究が進んでもよいが。






かな人生は、生きていてよかったと思う瞬間を
積み重ねる作業といえる






平成19年9月2日の天声人語よりの引用

山形県の温泉宿で夜明け前、雨に打たれながら露天ぶろにつかった。

注ぎ込む湯と雨粒の音、谷からの虫の声が、湯気の中で混然一体となっている。

黒い塊だった正面の森が刻々と緑を取り戻す。

自他の生命を実感するひとときだ。

 生きていてよかったと思う瞬間が、誰にもある。

温泉での小さな幸せとは比べようもないが、アフガニスタンで人質となっていた韓国人の場合は、

故郷の土を踏むその時だろう。

今朝にも全員が帰国する。

 2人が殺され、韓国政府は犯罪集団との直接交渉を強いられた。

解決の陰で身代金のうわさが絶えず、国内では自己責任を問う声があると聞く。

だが、生きて帰ってこそ、感謝も反省もできる。

 豊かな人生は、生きていてよかったと思う瞬間を積み重ねる作業といえる。

きょうを生きれば、明日いいことがあるかもしれない。


人質生還の吉報に、この夏、いわれなく絶たれたいくつもの生が浮かんでくる。

 ネットが結んだ男3人にさらわれ、惨殺された女性がいる。

幼くして父を亡くし、お母さんと支え合って生きてきたという。

母娘のささやかな日常と、いくつもの未来を引き裂いた獣の業には、憤りで総身が震える。

 東京本社版の声欄で、自分が生まれた時にたばこをやめた父をたたえる一文を見た。

投稿者の女性(19)は「禁煙してくれたお陰で、一緒に過ごせる時間も増えたことになる」と親の健康を祝す。

どんな命も、たくさんの愛情と善意に支えられている。

とりわけ生にまつわる喜びと怒りには、まっすぐに向き合いたい。








イスラム圏は危険である。ブッシュによるイラク攻撃での副産物なのだろうか。

お金で買われた権力に媚びった民意が世界の民主主義国家に蔓延しているように思える。

本当の民主主義の世界は何時来るのだろうか。








母国に根づいた楽器や民謡をこよなく愛し、
旋律や和声に採り入れたのが19世紀後半の作曲家、グリーグだ。
明日が没後100年にあたる。







平成19年9月3日の天声人語よりの引用


「やれやれ、またドイツか」と思う主人公を乗せ、ジャンボ機はハンブルク空港に降りる。

機内に小さく流れる音楽。

「それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった」

 この場面から始まる長編小説を村上春樹さんが出して、20年になる。

作品名となったその曲は、針葉樹が香るメロディーの中にも東洋を感じさせる。

インドの民族楽器、シタールが使われているせいだろう。


 もちろん、民族楽器はノルウェーにもある。

母国に根づいた楽器や民謡をこよなく愛し、旋律や和声に採り入れたのが19世紀後半の作曲家、グリーグだ。

明日が没後100年にあたる。


 ハルダンゲルバイオリンという楽器がある。

4本の弦の下に細い共鳴弦が張られ、バグパイプのように厚く重なった音が出る。

日本で一人だけのプロ演奏家、山瀬理桜(りお)さんは「ノルウェー土着の音は、

グリーグを通じてクラシック音楽全体に影響を与えています」と教えてくれた。

 代表作ペール・ギュント組曲の「朝」は、この楽器の共鳴弦を、高音から順につま弾いた旋律で始まる。

イプセンの戯曲にグリーグが音楽をつけ、後にムンクが劇場ポスターを描いたと聞けば、この国の文化の集大成のようでもある。

 民族音楽に楽譜はなく、耳から耳へ伝承されるという。

だから奥行きと味わいがある。「人生は民族音楽に似ている。

それが短調なのか長調なのか、誰にも分からない」。


ノルウェー王国の公式サイトが掲げるグリーグの名言だ。

北国の「文化の森」は深い。







心に響く音楽は何時までも聴きたいものである。

日本人には琴とか雅楽 琵琶などの響きが心に伝わる気がする。








松岡氏、赤城氏に続く
藤農水相の辞任劇






平成19年9月4日の天声人語よりの引用


細部はともかく、童話「3匹の子豚」の大筋は揺るがない。

うかつな長兄と次兄がひどい目に遭い、賢い3番目が仕返しをする。

60年代にNHKが放送した「ブーフーウー」も上から、いばりん坊、くたびれ屋、しっかり者だ。

 さてさて、物語を締めるべきウーが、ブーやフー以上の早さでこける間の抜けた展開である。

遠藤農水相の辞任劇だ。

わらと木の家が世論に吹き飛ばされた後、衆目の中で築かれた家はれんがではなく、わらより軽い紙造りだった。


 松岡氏、赤城氏に続く「ジ・エンド」。

悲劇も喜劇もなんと短いことよ。

鬼門ゆえの「身体検査」だったのに、体温計で血圧を測るたぐいの見当違いをしていたのか。

 国の補助金をかすめ取り、昨日まで返さずにいた農業団体。

そこの組合長が、8日間とはいえ監督官庁の大臣を兼ねた。

ご本人も「ここだけは」と尻込みしたようだが、国益を損ねる失敗人事である。

 参院で与野党が逆転し、国会は緊張感に満ちている。

閣僚に求められる「清潔偏差値」は上がり、与党は即断を迫られた。

攻勢にわく野党も心するがいい。

カネ、素行、交友関係。

政治家は「身ぎれいな大物」をよしとする時代になった。

 他の閣僚の辞任を勘定に入れれば、安倍政権は「7匹の子ヤギ」状態だ。

あの子もこの子も、産んだ端から醜聞というオオカミの腹に消えた。

配役をいじれば、興行主も青くなる三文劇が勝手に幕を開け、客席は失笑と「金返せ」の渦。

大根ばかりを責められない。

これでは、お代は総選挙で戻すことになる。







遠藤農水相,この人が大臣にならなければ一件は闇にあるままだろうか。

自民党の恫喝の一例をみるようだ。







年金の泉にある金は本来、
具体的な氏名と結びついた、
つまみにくい金である。
それが抜かれ続けていた。









平成19年9月5日の天声人語よりの引用


 ローマの観光名所トレビの泉で、怪しい男を詰問したことがある。

磁石つきの棒を水中に差し入れ、底の硬貨をすくい取っていた。

「盗(と)れびの泉」である。

男は「捨てたものを拾っているだけさ」と首をすくめた。

この道30年だという。

 道ばたの1000円札は、他人の机上の10円玉よりつまみやすい。

誰のものか分からないから、罪悪感のかんぬきが外れる。


年金の泉にある金は本来、具体的な氏名と結びついた、つまみにくい金である。

それが抜かれ続けていた。


 社会保険庁の発足以来、職員が横領した保険料や給付金が1億4000万円を超すと発表された。

収納を担った市区町村の職員も、別に約2億円をくすねていた。

泉の周囲でザルを構える密漁者の姿が浮かぶ。

 不良職員の懐に「消えた年金」である。

中には数千万円かすめた者もいる。

架空の人物の記録を何十年分も作る。

被害者に未納の催促がいかないよう細工する。

お役所仕事らしからぬ熱意にあきれた。

しかも、これがすべてとは限らない。

 お金が個人から役所に移ると持ち主の輪郭は曇る。

匿名の魔力は、罪悪感を道ばたに転がす。

だがその金は、肩越しに放ったコインではなく、国民が将来に託した「私金」だ。

1円に至るまで、見えない糸で誰かとつながっている。

糸を引きちぎり、とがめもなく退職した悪人がいる。

 トレビの金は大掃除で集められ、慈善団体に渡る。

2年前、泉の清掃員らが大量の硬貨を盗んで捕まった。

年金ちょろまかしは、当事者の背信という醜さで、磁石男よりこちらに近い。






年金で疑問に感ずることは年金額は役人が計算した額が示されるだけである。

その元の基礎になる数字については全く感知せずに役人がすることに絶対間違いないと信じてきた

それが国民に衝撃を与えた。年金額は正確なのかどうか疑いだせばきりか゜ない。

議員年金だけは全く正確であることに違いないだろう。







「場違い」な境遇で懸命に生きる動物には、哀れが漂う。







平成19年9月6日の天声人語よりの引用


夏休みが終わる頃、徳島市の動物園で人気者のキリンが死んだ。

あまりの暑さに水を飲みすぎたらしい。

アフリカ原産でこれだから、ペンギンやシロクマにはひときわ難儀な夏だったろう。

ご苦労様でした。

 「場違い」な境遇で懸命に生きる動物には、哀れが漂う。

このほど目にした「南極の豚」の写真に、その思いを強くした。


1959年秋に日本を出発した第4次観測隊の逸話である。

 寄港地のケープタウンで生後1カ月の子豚を2匹買った。

つがいを昭和基地で繁殖させ、新鮮な食肉を得るつもりが、手違いで2匹とも雌。

残飯で育てるうちに情が移り、誰もトンカツにしようとは思わなくなる。

雪嵐の4月に1匹が凍死、翌日、連れが後を追った。

 南極で越冬した同僚によると、生鮮食品は今も貴重だ。

電灯光で育てたキュウリは1本を40人分に切り、プチトマトは4等分したという。


失敗した豚の飼育計画は、越冬報告で遠慮がちに触れられた。

あとは、雪まじりの岩場を「散歩」する2匹の白黒写真が残るだけだ。

 極地の環境を守る国際ルールにより、南極には動植物を持ち込めなくなった。

極地ならずとも、人の手で海を越える生物は生態系を乱す。

日本の山川では、アライグマやブラックバスなど生命力の強い外来種が幅を利かせている。

 最強のヒトはどうだろう。

科学の力であらゆる自然環境に適応し、地球のどこにでも住める。

だが動物にはない文化の壁ゆえに、強いだけでは異郷になじみ難い。

里帰りの多い横綱が、身をもって示した通りである。







地球も変動する。無常でないものは何一つないと釈尊は説かれているが,

凡夫はかわいそうに又は,けしからんことだと怒ったりしているのが現状です。








男女が何にでも挑戦できる時代に、
必修は似合わない









平成19年9月7日の天声人語よりの引用


『土佐日記』の紀貫之(きの・つらゆき)は冒頭から女性になりきり、カナで書き進む。

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」。

女装の文章は、男は漢文という表現の掟(おきて)をすり抜け、女流文芸の隆盛に一役買った。

高い垣根が男女を隔てていた時代の奇手である。

 千余年を経て、垣根は消えつつある。

女装も男装もすることなく、大抵のことは「男女がすなる」だ。

女の子の柔道や剣道、男の子が踊る姿は当たり前になった。

 中学校の体育で武道とダンスが男女とも必修になるという。

学習指導要領の見直しが固まり、早ければ11年度から2年生まで全員が両方を習うことになる。

武道の重視は、改正教育基本法の「伝統と文化の尊重」を受けたものだ。

 日本武道館が先ごろ編んだ『日本の武道』の中で、早大教授の菅野純さん(臨床心理学)が「武道の教育力」を並べている。

偽りのない自分に出会う、相手や場の空気を読む力がつく、けじめや節度を覚える……。

確かに、武道は礼節の教科書には違いない。

 だが、暗い過去もある。

戦中の武道教育は「攻撃精神」「必勝の信念」「没我献身」などの言葉で語られた。

『日本の武道』は「本来の学校武道の良さが見失われてしまったことは極めて憂慮すべきことであった」と悔やむ。

 ことさら国家や精神性と結びつけるのは、武道にも不幸だ。

国の号令で習わせて礼節や公徳心が身につくものでもない。

多くの「道」から選び取られてこそ、武道も輝きを増す。

男女が何にでも挑戦できる時代に、必修は似合わない。






オリンピックで女子柔道 マラソンなどは昔にはなかったように思います。







台風9号は、朝夕のラッシュ時に首都圏を直撃した







平成19年9月8日の天声人語よりの引用


きのうの朝、風雨激しい住宅街を歩いた。

道に色々と落ちている。

ちぎれ飛んだ緑の葉に、サルスベリが散らした薄紅の花。

ひしゃげて裏返ったビニール傘は、持ち主を送り届けて、あるいは道半ばで力尽きたのか。

30本まで数えてやめた。

 台風9号は、朝夕のラッシュ時に首都圏を直撃した。

ニュースの映像では、透明な傘が風雨と苦闘していた。

大荒れになると分かっている日こそ、使い捨て覚悟のビニール傘が重宝がられるのだろう。

テレビの気象予報士も1本握りしめていた。

 上や横から来るものは安い傘でもしのげるが、足元から忍び寄る水は厄介だ。

東京では多摩川が危険水位を超え、世田谷区の740世帯に避難勧告が出た。

 そのころから、堤防の内側では30人以上が河川敷などに次々と取り残され、何人かは濁流に消えた。


増水する川で、いったい何をしていたのか。

実はそこが住所だった。

河川敷には路上生活者のテントがたくさんあり、ビラや拡声機で避難を促したが一部が逃げ遅れたらしい。

 格差が広がる大都市の底に、情報の海から孤立して暮らす人々がいる。

約600人とされる多摩川の民もそうだ。

彼らの「家」は、流されても被害統計には載らない。

社会の最も弱い所を天災は正確に突いてくる。

 台風の季節は続く。

今回は、走る電車の窓ガラスが割れ、路上の信号機の支柱が折れるなど珍しい被害が出た。

そしてホームレスの大量救出劇。

都市型災害が新たに残していく貴重な教訓を、ビニール傘のように使い捨てるわけにはいかない。








テレビで社会の異常な現象が報道されて,ミャンマーの僧侶たちと市民のでもに続く軍隊の発砲鎮圧事件が

世界にテレビや インターネットで放映されるようになってきている。

生々しい映像が世界に流れる世の中になってきた。 政治の浄化に役立つとおもう。







「蚊」とひとくくりにされるが、国内には100種類ほどいる







平成19年9月9日の天声人語よりの引用


徳川300年の太平の眠りを破ったのは黒船だった。

そんなに仰々しくはないけれど、太平楽な眠りを1匹の蚊に破られるのも、天下の不愉快事の一つだろう。

私見だが、蚊が出るのは暑さの盛りよりも、一段落した今ごろの方が多いのではないか。

 「蚊の鳴くような」その声も、浅い眠りの耳元には十分大きい。

羽音をもうろうと聞き、見当をつけて頬(ほお)のあたりをひっぱたく。

何度かしくじれば、呪いの言葉を吐いて布団をひっかぶるしかない。

だがすぐに暑くなるから、はねのけて、また迎撃の仕儀となる。

 不愉快は古来不変らしく、遠く鎌倉初期にも恨み節が残る。

〈夏の夜は枕を渡る蚊の声の僅かにだにも寝こそ寝られね 藤原良経〉。

明治の文人正岡子規も蚊を「刺客」と呼んで憎んだと、文芸評論家樋口覚さんの『短歌博物誌』(文春新書)に教わった。

 「田舎の蚊々、汝(なんじ)竹藪(たけやぶ)の奥に生れて、其(そ)の親も知らず、

昼は雪隠(せっちん)にひそみて伏兵となり、夜は臥床(がしょう)をくぐりて刺客となる……」。

滑稽(こっけい)味を添えつつも「汝の一身は総(すべ)てこれ罪」と難じ、恨みは深そうだ。

 「蚊」とひとくくりにされるが、国内には100種類ほどいる。

温暖化で生息域が北上しているものもあるようだ。

媒介する病気の危険地域が広がる、と心配する専門家もいる。

 太平の世、蚊が実は怖い虫だと、つい忘れがちだ。

せんだっても、米国をパニックに陥れた西ナイル熱の病原体を、日本の蚊も媒介すると分かった。

しつこさに根負けし、ままよと刺されるのは、避けた方がよさそうである。







色んな病気が蚊が媒介するようだ。世の中の出来事でも何も関係ないような人たちで,直接接触ないのに

蚊のような人たちによって媒介され,色んな人たちに被害を与えることがあるのではなかろうか。

蚊は被害を与えている意識を全く感じてはいない。








政治家には、相手の心の奥底に
言葉を投げ込む能力が必要だ








平成19年9月11日の天声人語よりの引用


防衛大学校の初の卒業生に、生みの親の吉田茂元首相は異例のエールを送った。

「君たちが日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。

どうか耐えてもらいたい」。

吉田の安保論には様々な評価があるが、理と情がこもる直言は半世紀を経て語り継がれる。

 政治家には、相手の心の奥底に言葉を投げ込む能力が必要だ。

何としても伝えるという情熱と、鍛えた話術が、内なる思いを大きく飛翔(ひしょう)させる。

どれが欠けても言葉は届かない。

 安倍首相は昨日の所信表明で、戦後レジームからの脱却が必要だから続投なのだと語った。

だが前日には、インド洋で自衛隊が活動できないなら辞めるような発言もした。

職にとどまる根拠が怪しくては、どんな言葉も飛んでいかない。

 「論座」10月号で、東大の石田英敬教授(情報記号論)が首相の話し方を診断している

興奮すると舌が回らず、せき込むような早口になるそうだ。

これでは心がこもらず自信なげだから、「しっかりと」を連発して深みにはまると容赦ない。

 弁舌の技量はさておき、首相の地位がおのずと与えるはずの重みが、何とも感じられない。

おやじの小言と似たような話でも、高僧の説法は響くものだ。

ところが、参院選の大敗で政権の正統性が揺らぎ、安倍氏が賭すべき職は軽くなった。

 政治家、それも首相の言葉が翼を欠く窮地である。

それでも弁舌を業とする者の定めで、語れば採点され、黙せば減点される。

せめて明日からの国会論議では、国民の心に届く言葉を、一つでも投げ込んでほしい。







インド洋で自衛隊が活動できないならば首相を辞めなければならないほどに日本にとって重大なことなのか。

福田首相も固執している感じで,日本一隻だけが給油活動しているのではいないようだ。

多くの国が給油活動を止めている事実が全く報道されていない。

戦争は憲法で禁止されてその援助も出来ないはずだ。イラクでの飛行機で輸送している活動も禁止すべきである。







政府高官のコメント「首相はルビコン川を渡った」である







平成19年9月12日の天声人語よりの引用


首相の「職を賭す」発言を伝える新聞で、久しぶりの表現に出合った。

政府高官のコメント「首相はルビコン川を渡った」である。

過去の記事を調べたら意外に多くて、年に3、4回は紙面に登場している。

 イタリアのルビコン川は、ローマに攻め上るシーザーが元老院令を犯して渡った史跡。

転じて「後戻りできない決断や言動」の例えに使うが、日常会話にはまず出てこない。

 文化庁の国語世論調査によると「そうは問屋が許さない」を使っている人が24%いた。

そもそも、問屋の役割を知る人が減っているのだろう。

正しくは「卸さない」だが、流通革命で問屋の立場は弱まり、卸さねば小売業者はメーカーや産地と直取引を試みるだけだ。

 「出る釘(くぎ)は打たれる」は19%が使っていた。

本来は杭(くい)だが、打たれる杭を見た人がどれだけいるか。

元の史実や事物の通りが悪くなると、故事や慣用句は使いづらい。

存亡の危機。

どんな言葉も、誤用を含め、ちまたの会話に登場してこその命といえる。

「使っている鍬(くわ)は光る」ともいう。

 同じ調査で、書けない漢字を調べる手段を聞いた。

「紙の辞書」に次ぐのは「携帯電話の漢字変換」だ。

30代以下は携帯が首位、20代では8割を占める。

慣用句に疎くても、機械と組んで「憂鬱(ゆううつ)」や「薔薇(ばら)」を平気で使う時代がきた。

これで難字も生き残る。

 作家の出久根達郎さんは「漢字を正しく書けることは、それほど重要でなくなるかもしれない」と語る。

書くから打つへ、日本の手書き文化は、もうルビコンの向こう岸に近い。







そんなに国のことを深く思い感じている安部首相とはおもえない。そんなに大層な人でもなさそうだ。

所詮ボンボンで苦労しらずの二世議員である。








安倍首相が突然、辞意を表明した







平成19年9月13日の天声人語よりの引用


まず浮かんだのは、復古的な国粋主義を唱えた政治家、平沼騏一郎だ。

昭和14年に首相に就くも、国家の手本とするナチスドイツが

ソ連と不可侵条約を結んだ衝撃から、8カ月で政権を投げ出した。

迷言「欧州の天地は複雑怪奇」は流行語になった。

 安倍首相が突然、辞意を表明した。

代表質問を受ける直前に、随分な職場放棄である。

小沢さんに袖にされたから、はなかろう。

同じ泣き言でも「疲れた。

政治への気力がうせた」の方がまだ得心がいく。

 「我が国の将来のために続投を決意した」はずだ。

インド洋の自衛隊に「職を賭す」のではなかったか。

参院選の結果を見れば遅きに失し、最近の言辞からすれば早すぎる。

ただの無責任にとどまらず、最後まで頃合いというものを心得ておられぬ。

 00年の九州沖縄サミットを思い出す。

安倍氏は新米の官房副長官として、会議の中身を記者団に説明する役だった。

「次代を担う」にしては口べたで、それゆえ誠実そうでもあり、線が細くも見えた。

 辞意の裏には、健康不安もあったと聞く。

心身ともに絆創膏(ばんそうこう)だらけだったのだろう。

気の毒だが、それを隠すのは指導者の振る舞いではない。

時宜を踏まえ、区切りよく辞める機会は何度かあったはずだ。

 戦後レジームからの脱却、美しい国。


浮遊する観念的な言の葉が、安倍氏の業績、ではなく思い出となる。

広げたままの大風呂敷を残し、国民の心に届く言葉の一つもなく、不可解な退場に至った。

主の気まぐれで右往左往の永田町。

ここの天地も複雑怪奇である。





美辞麗句だけの言葉が残る。身体だけは本当大切にしていただきたいです。







タワー2本が100分で消えた
ニューヨークのテロ現場は、雨になった。







平成19年9月14日の天声人語よりの引用


6年で七曜をひと巡りし、今年の「9・11」は火曜日に戻ってきた。

タワー2本が100分で消えたニューヨークのテロ現場は、雨になった。

追悼式の遺族の輪に、山口県下関市の中村佑(たすく)さん、静美(きよみ)さん夫妻がいた。

 次男の匠也(たくや)さんは地方銀行の駐在員だった。

骨のかけらも見つからなかったが、最初の旅客機が突っ込んだ北棟102階に出勤していたはずだ。

享年30。

新婚の妻が残された。

 両親は絵を手向けた。

米国に赴任した息子が、最後の母の日に贈ったバラ。

庭で挿し木にしたものが根づき、毎年、薄赤の花が咲く。

それを静美さんが和紙に描いた。

「感情が乱されるから」と、夫妻は息子の名が読み上げられる前に式を後にした。

 佑さんは「あれから世界はウニのようにとげとげしくなるばかりです。

日本も巻き込まれ、よからぬ方に傾いている」と語る。

涙で見た景色は再開発で消えていくが、それで区切りがつくものでもない。

実行犯への憎しみから、より大きな平和へと、遺族の心の旅は続く。

 狂信者の身勝手で3000人が死に、狂信者を追う「聖戦」の中でその何十倍もの民が死ぬ。

米大統領の対テロ戦争は、人類共栄の目的にかなうのか。

理由なく殺される人を増やしただけではないか。

 「9・11は国旗を振る日ではなく、和解を考える日にしたい」。

遺族団体の創設者は武力に頼る政策を嘆いた。

願いは式で歌われた「明日に架ける橋」の詞に重なる。

〈暗闇が訪れ/痛みがあふれたら/荒れ狂う流れに架かる橋のように/僕がこの身をなげうつよ〉







アメリカでは9.11事件が,日本の真珠湾攻撃のように使われているが。だがそれ以前にアメリカは相手側にそれ以上の

打撃を与えているようなことはしていなかったのだろうか。

当時の日本をば追い詰めたようなことをしていないのか。アメリカにも反省すべきことがあったと思う。

日本都市への絨毯爆撃,:広島長崎への原爆投下。戦争に負けた後,日本はその後遺症を背負い耐乏生活を強いられててきた。

日本国は鬼畜米英から超親米国家に変り,今もその影響下で国際的に行動している。その被害世代が我々であった。






「8人目の孫」が職を投げ出した後は、
13人目の子と3人目の孫の争いらしい。
政治の世襲化を煮詰めたような光景に、つい嘆息する。







平成19年9月14日の天声人語よりの引用


ツクツクボウシが季節を結ぶ独唱を終えつつある。

ここ数日で、虫の声は樹上から草むらに移った。

動いたのは自然の音源だけではない。

取材のざわめきもまた、首相官邸や国会から自民党本部へと所を変えた。

 自民党の総裁選が告示された。

優位とされる福田康夫氏は戦後13人目の首相の長男、麻生太郎氏は同3人目の孫だ。

「8人目の孫」が職を投げ出した後は、子と孫の争いらしい。

政治の世襲化を煮詰めたような光景に、つい嘆息する。


 40歳まで会社員だった福田氏は、首相になった父上の秘書官として政界に入った。

後継ぎで衆院選に出た時は「独立した一人の人間として見てほしい」と父離れを強調した。

「あんな年寄りと比べないでよ」は初登院の弁だ。

 逆に「祖父は私の原点」と、近さを糧にしてきたのが麻生氏。

22歳で米国に留学し、母親に車をねだった。

「危ないから」と拒まれ、大磯に手紙を出す。

吉田茂はたちまち説得してくれた。

「孫にいい顔する祖父をかわいいと思った」と自著にある。

 血筋との距離のとり方は各様だ。

親の仕事や地位は選べない。

政治の家に生まれても、向き不向きがあろう。

地盤だ看板だと担がれ、祭られ、重圧につぶれる人もいる。


首相であれば国民の不幸だ。

お二人が並の七光りでないことを願う。

 虫なら、木で鳴くか草で鳴くのかは血が決める。

ほかも選べただろうに、父や祖父と同じ木、同じ草で、まさに鳴かんとする両人。

どちらの声になるにせよ、「有権者の血」しか引かない大多数の耳に届けばよいが。






首相と縁のない議員は首相候補になれないのかと思うほどに旧態化してきている。







居宅を断腸亭と称し、
名高い日記「断腸亭日乗(にちじょう)」を
42年にわたって書き継いだ。









平成19年9月16日の天声人語よりの引用


近所の公園に、淡い紅色をした秋海棠(しゅうかいどう)の花がひっそり咲いている。

日陰を好む花だという。

木立の下の暗がりが、そこだけ明るいように、ぽっと色づいている。

 またの名を断腸花と呼ぶのは、悲しみを誘うかのような風情のゆえらしい。

作家の永井荷風は、この花を愛(め)でて庭に植えた。

居宅を断腸亭と称し、名高い日記「断腸亭日乗(にちじょう)」を42年にわたって書き継いだ。

戦前から戦中、戦後を自由な精神で貫く日記の筆を起こしたのが、90年前のきょうである。


 〈九月十六日。秋雨連日さながら梅雨の如し〉。

以来、死の前日まで、時勢に背を向け、それでいて確かな時代への目は変わらなかった。

盛り場や色街を徘徊(はいかい)しながら、中国への侵略を「長期戦争に窮し果て、

俄(にわか)に名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用い出した」と見通していた。


 別の日には〈米国よ。

速(すみやか)に起(た)ってこの狂暴なる民族に改悛(かいしゅん)の機会を与えしめよ〉と激しい。

玉音放送を知って、〈あたかも好し……祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ〉。

世捨て人ゆえに、目は覚めていた。


 荷風は日記を公表するつもりで書いたそうだ。

今ならブログを開いただろうか。

インターネット上の日記ともいえるブログの開設者は、国内で800万人を超す。

閲覧者は4000万ともいう。


誰もが表現者になれる半面、言葉による暴力といった負の面もある。

 「断腸亭日乗」には、登場する人々へのあけすけな批評はほとんどない。

言葉の達人はきっと、言葉の切っ先がいかに鋭く人を突くかを、よく知っていたのだろう。






日記は正直である。マスコミ以外から意見をドンドンと発表できる時代になってきて在り難いことである。

無意味な暴言は控えているはずだが。マスコミに追従するだけでは何も書く必要がないことである。

だが情報はマスコミによって会得するところである。






冷ややかさは、
自分が迷惑をかけたくない気持ちの
裏返しでもあろうと、








平成19年9月17日の天声人語よりの引用


米国勤務から戻って間もないころ、エレベーターの中で舌打ちされたことがある。

乗って行き先のボタンを押し、そのまま立っていた。

すると、若い背広姿が「チェッ」と言いながら、脇から腕をぐいと伸ばして扉を閉じるボタンを押した。

 米国では、ボタンを押さずに扉が閉まるのを待つ。

それに慣れていたのだが、ここは日本でした。

人が降りたときも、誰かがすぐさま「閉」を押す。

「時間の無駄」と言わんばかり。

待っても2、3秒だろうに、どうもせっかちである。

 バスの中で高齢者が転ぶ事故が増えている、と聞いた。

お年寄りは動作が遅い。

迷惑をかけるのを案じ、止まる前に席を立つ。

あげくに転ぶ例が多いと国土交通省は説明する。

もたつくのを責める冷ややかな空気が、この国には濃いようだ。

 冷ややかさは、自分が迷惑をかけたくない気持ちの裏返しでもあろうと、作家の藤原智美さんは見る。

たとえばレジで順番を待ちながら財布の小銭を調べる。

そんな人ほど、遅々とした高齢者がいると、いら立つのではないかと言う(『暴走老人!』文芸春秋)。

 米国は老若男女がおおらかだった。

財布など、値段を聞いてからおもむろに取り出す。


飛行機を降りるときも、前の人が歩き出してようやく自分の手荷物を下ろす。

だからだろう。

他人のモタモタにも寛容だ。

 国交省は「高齢者がゆとりをもって乗降車するのを社会が当然のことと容認する」べきだと提言している。

翻訳するなら、お年寄りには堂々ともたつく権利がある、ということである。






年をとれば若い人のように素早い行動はできない。寝たきりではつまらない。

元気で生活できる活動年齢を引き伸ばすことである。

自助努力が必要で何時までも若い気持ちでいることだ。






ブラジルでの柔道世界選手権で、
女子48キロ級の谷亮子選手が
7度目の優勝を果たした








平成19年9月18日の天声人語よりの引用


分野を問わず長く活躍していると、出始めの頃の呼称がだんだん似合わなくなるものだ。

美空ひばりは天才少女から女王になった。

呼び換えは、長くて太い、豊かな現役生活の勲章といえる。

 この人の「ヤワラちゃん」もそろそろではないか。

ブラジルでの柔道世界選手権で、女子48キロ級の谷亮子選手が7度目の優勝を果たした。

「ちゃん」づけがはばかられる32歳の母親の偉業だ。


 93年、カナダ大会での初優勝の弁は「おいしいカップケーキをたくさん食べたい」。

以来、妊娠中で欠場した前回を除くすべての世界選手権を制し、優勝回数は男女を通じ最多となった。

鋼(はがね)の小動物のような強さ、速さは衰えを知らない。

 今大会の日本勢は苦戦続きだった。

特に男子は、井上康生、鈴木桂治の両選手が2回戦で敗退するなど、不振を極めた。

最後にかけた技をより重視する国際審判の流れに戸惑いもあるようだが、谷選手はそんな細事を投げ飛ばした。

「2位なのに代表か」という国内選考での疑念も押さえ込んだ。

 柔道からJUDOへ、古来の武道は上手に国際化した。

カラー柔道着などの異物はその代償だ。

国際柔道連盟の理事選挙で山下泰裕氏が落選するなど、この競技は「家元」の手をどんどん離れていくかに見える。

だが、それがJUDOの進化だ。

発祥国の誇りにかけて精進するしかない。

 来年の北京五輪、各国の「ヤワラさん対策」は過去にない周到さになるだろう。

支えは、変わることなき格闘技の鉄則。

どこの畳でも、何色で組んでも、強い方が勝つ。






柔道は日本のお家芸である。是非頑張って欲しいものだ。






贈り物で弾む交遊もあれば、しぼむ仲もある。






平成19年9月19日の天声人語よりの引用



平安期の随筆『枕草子』に、達筆で知られる藤原(ふじわらの)行成(ゆきなり)から唐菓子が届く話がある。

餅皮に具を挟んだ餅餤(へいだん)だ。

清少納言は紅梅を添えた礼状で「ご自分でお持ちにならぬとは冷淡な」と返した。

餅餤と冷淡をかけた才女の遊びである。

 クールな行成、年上の清少納言に気があったかどうかは知らないが、女性に物を贈る習いは古今東西を問わない。

豊かな世なら花束や装身具、時代をさかのぼれば食べ物も喜ばれただろう。

 チンパンジーのオスもメスに贈り物をするそうだ。

京都大霊長類研究所などのチームが突き止めた。

西アフリカで野生の群れを2年観察したところ、オスがパパイアやバナナを農家から盗み、メスに分け与える例が25回あった。

 自然界では、生存にかかわる食料が最強の品だ。

贈り先は若く、多くが発情中。


オスは前後して、そのメスと交尾や毛繕いをしていた。

果物は求愛の小道具ということになる。

見返りを期待したプレゼント行動が確認されたのは初めてという。

 強い子孫を残すため、メスは強いオスを求める。

体格や腕力ばかりか、食料をどこからか調達してくる才覚も強さの要素らしい。

オスは自分の子を増やそうと人里に踏み入り、果物泥棒のリスクを冒す。

身につまされる自然の摂理だ。


 本能が支配する雌雄の営みと違い、男女の間合いは難しい。

贈り物で弾む交遊もあれば、しぼむ仲もある。

大前提は、贈られる側にも多少の好意があることだ。

実は清少納言、宮仕え仲間でも美男で教養あふれる行成が、一のお気に入りだったとか。








昔もそして動物の世界も男女の関係はおおらかで有ったような気がする。







政府認定の拉致被害者だけでも、
12人が帰国していない。







平成19年9月20日の天声人語よりの引用


北朝鮮が拉致を認め、日本中が国家犯罪に凍りついたあの秋から5年。

北は核カードを振り回し、拉致問題に進展はない。

きのう、横田滋さん(74)、早紀江さん(71)ご夫妻にお会いした。

 30年前、新潟でさらわれた長女めぐみさんは、10月に43歳を迎える。

両親はそう信じる。

母は「秘密の仕事をさせられている」、父は「どこかに監禁されているのでは」と案じた。

情報は乏しく、2人の想像はいつも沈黙の闇へと消える。

 世論が冷えたとは思わない。

全国からの励ましは千羽鶴だけで段ボール6箱とポリ袋二つ、届き続ける手作り小物や服と合わせ一部屋を埋めつつある。

「めぐみが戻った時、こんなに多くの人が応援してくれたのよと広げて見せるのが夢」だという。

 政府認定の拉致被害者だけでも、12人が帰国していない。

冷たい国際情勢の波間に、同胞の顔が浮き沈みしている。

引き裂かれた親兄弟が日本海の両側で老いてゆく。

独裁者も年を重ねるが、彼の退場を待つ余裕は肉親にはない。

 めぐみさんの衣類や教科書を手に取れば、新潟時代がよみがえり、身も心も崩れそうになる。

だから見ない。

早紀江さんは「部屋は今の生活のにおいだけにしておきたい。

そのほうが闘いやすいから」と悲しく笑った。

 ここまで強くなれるものかと言葉をのみ、子を奪われて弱い親はいないと思い直す。

それでも相手は国家だ。

生身の個人を矢面に立たせるわけにはいかない。


他人事(ひとごと)にせず、最後の一人が戻るまで声を上げる。

誰が首相になろうと、そこは変わらない。








朝鮮が一つの国家になれば自然解決される問題である。そのような気運は出てきているように感ずる。

日本がそれに「水」をささないことである。支援はつつけるべきである。

アメリカの思惑に乗って多くの高価な邀撃ミサイルを買わないことである。







徳育不振の子のブラックリストが学校から警察へ――
道徳を新たな教科「徳育」にするのを見送る方向という









平成19年9月21日の天声人語よりの引用


近未来の悪夢を一つ。

凶悪犯が捕まるたび、生い立ちと共に過去の「徳育」の成績に関心が集まる。

「やっぱり」の事例が続き、徳育不振の子のブラックリストが学校から警察へ――。

幸い、それは取り越し苦労に終わりそうだ。

 次の学習指導要領を検討している中央教育審議会が、道徳を新たな教科「徳育」にするのを見送る方向という。

安倍首相が設けた教育再生会議の提言は通りそうにない。


 広辞苑の「徳」の項に『徒然草』の一文が引かれている。

「人に本意なく思はせて我が心を慰まん事、徳に背けり」。

人に嫌な思いをさせて悦に入るのは徳に反するという教えだ。

それは「争ひを好む失なり」、つまり戦いに興じるあまりの弊害だとも説く。

 安倍氏は、戦後レジームなるものに戦いを挑み、政策の幹や枝葉に、復古の色をにじませた。

とりわけ教育改革では思い入れが強すぎ、色使いも塗りも雑になったようである。

この秋、紅葉と入れ違うように、政策の枝葉から安倍色が抜けていく。

 公共心や品格は、生涯を通じて育み、磨くものだ。

大事な子供時代は、成長に応じて親や教師が範を垂れ、助言し、人格の離陸を見守る。

そういう丁寧なやりとりが要る。

検定教科書で教え込み、一律に評価するのは見当違いだろう。

 もちろん、人間の幹を太くするのはやはり道徳で、そこから国語や算数の枝が元気よく伸びてゆく。

大切な幹であればこそ、せっかちな品評や、押しつけの肥料は控えた方がいい。

成績表という坪庭の外で、大きく真っすぐに育てたい。






我々が子供の頃は修身があった。

今の子供達にはやさしく宗教を教えても良いと思うのだが。

特定の宗教ではなくて概説的なものでよい。宗教は芯のの所では一つである。






自民党の総裁選,両候補はきのう、
日本記者クラブの公開討論に臨んだ








平成19年9月22日の天声人語よりの引用


芸風の違うスター2人の共演が「ツーマンショー」だ。

持ち歌の交換あり、デュエットあり、トークあり。

ひとつ間違えば双方のファンを裏切る茶番となるが、はまればワンマンにない盛り上がりを見せる。

 自民党の総裁選はどちらだろう。

両候補はきのう、日本記者クラブの公開討論に臨んだ。

丸々2時間、これをNHKが生中継した

聞きほれる論争はなかったが、いくつかの発言をメモした。

 一番の肩透かしは、年金対策を問われた福田氏の「コツコツと信頼を回復する」だ。

「問題を解決するのが政治家。

起こすのが仕事ではない」には噴き出した。


麻生氏に街頭の明るさはなかったものの、指導者の必須が「孤独に耐える力」とは味わい深い。

福田氏は「辞める時の決断」と答えた。

 その二つを欠く安倍首相が招いた総裁選。

本来、政治ショーどころか大ピンチだ。

しかも出演の世襲コンビには、単独で客をわかせる芸はないように見える。

この瀬戸際のニュース素材を、しかし、自民党はかれこれ10日売り続けた。

 にこやかに群衆に紛れる両候補の姿が、連日のように茶の間に伝えられる。

報道ではなく、党の宣伝ビデオを見るようだ。


福田氏はフラダンスを眺め、麻生氏はせんべいを焼いた。

「結構いい人かも」と思わせたら、参院選以降の傷も少しは癒える。

焼け太りである。

 自民党のツーマンショーは明日まで。

他党は楽屋で、舞台が国会に戻るのを待たされている。

新首相のデビューに、まさか、バックダンサーとして花を添えるつもりはあるまい。






国会中断しての自民党劇は見ていても面白くない。






懸案のテロ対策特別措置法をめぐって、
日本政府が「印籠(いんろう)」と頼んだのは、








平成19年9月23日の天声人語よりの引用


画家の辻まことに、「虫類図譜」と題する愉快な画文集がある。

色々な事物を虫に見立てて皮肉っていて、国連もやり玉にあげている。

〈できの悪い粗悪品を、美しいものとよばなければならない〉と手厳しい。

 美名と裏腹に、冷戦下で機能しなかった時代の冷笑だ。

今なら、こう悪(あ)しざまには言われまい。

とはいえ利害と思惑のぶつかる国際社会で、黄門様のようにはいかない。

「お墨付き」である決議も、厳しい折衝をくぐって日の目を見る。

 懸案のテロ対策特別措置法をめぐって、日本政府が「印籠(いんろう)」と頼んだのは、決議の前文の「謝意」だった。

インド洋で給油活動を続ける根拠になると踏んだ。


米国に働きかけて文言を潜り込ませたが、ロシアは反発して棄権した。

安保理の足並みを乱したと、風当たりが強い。

 安保理は国連の心臓部だが、協議の多くは決議文の言葉選びに割かれる。

取材していた頃、最後にわずかな言葉を換えて採択された決議があった。

言い換えで各国の思惑に配慮したからだ。

その決議を根拠に、米国は強引にイラク戦争に打って出る。

 片言隻句の違いが、何万人もの生死を左右したと言えなくもない。

外交官が、それぞれの国益を背負って扱う一語が、人の頭上に爆弾を降らせもする。

国連の美名のもとなら何でも是と思うのは、だからあやうい。

 政府には渇望の印籠だったが、特措法に反対の民主党はひれ伏すふうもない。

年金に比べれば特措法も国連も身近ではないが、ときには遠くも眺め、粗悪品でないかどうかを確かめたい。







国連が米国の言いなりになっているのが情けない話である。

国連はアメリカの外の国に移すべきである。スイスのような中立国が良い。

日本がなっても良いのではないのか。まず中立国になることである。







福田康夫氏が「天下餅」を食うことになった







平成19年9月24日の天声人語よりの引用


勝負ごとの予想屋なら、商売にならないと投げ出したのではないか。

消化試合と目された通りの戦いに勝って、福田康夫氏が「天下餅」を食うことになった。

新しい自民党総裁は明日、戦後29人目の首相に選出される。

 安倍首相の投げ出した餅である。

それを、家康よろしく「座りしまま」に食う印象だ。

「夢にも思っていなかった」と出馬を表明したら、瞬く間に派閥力学の生む上昇気流に乗った。

対抗馬の麻生氏がやや健闘したのは、古い体質への「先祖返り」に対する反発もあってのことだろう。

 父親の赳夫氏に続く「親子宰相」は史上初めてとなる。

就任の年齢も同じ71歳というから、因縁めいている。

祖父の元首相をよりどころにした安倍氏からのバトンタッチに、室町時代の『風姿花伝』の一節が頭をよぎる。

 この能楽の秘伝書は、子々孫々に奥義を授ける上で、〈たとへ一子たりといふとも、不器量の者には伝ふべからず〉とくぎを刺した。

そして、「血統が続くのが芸の家ではない。

芸の神髄が続くのが芸の家である」と、勘所を突いている。

 「芸の家」を、「政界」に置き換えれば分かりやすい。

国民にとっても、続いてほしいのは血筋ではあるまい。

政治家の神髄とも言うべき、高い志や、強い責任感のはずである。

 きのうの記者会見で福田氏は、自民党は国民の信頼を得ていない、と繰り返した。

それを回復させる器量を備えているかどうかは、これから問われる。

天下餅を平らげて胃もたれしないタフな心身のことは、言うもさらなり、だろう。





自民党内では福田氏は信任を得たのだが,国民からの信頼はどうなのだろうか。

平和的に何かをやってくれるような期待を持ちたいのだが。






その山吹色の天体へと今、
日本の探査機「かぐや」が向かっている。






平成19年9月25日の天声人語よりの引用


東京・六本木に芋洗坂(いもあらいざか)という素朴な地名がある。

江戸の昔、このあたりに青物屋があり、旧暦8月15日に大量の里芋を商いしたのが由来だ(東都歳時記)。

芋は各戸で煮っ転がし、十五夜の月に供えた。

 今夜は、芋名月とも呼ばれる中秋の名月。

雲さえなければ、日没前の東空に現れる。

その山吹色の天体へと今、日本の探査機「かぐや」が向かっている。

打ち上げから12日、旅も半ばの頃合いだ。


 「未来の資源庫」への関心ゆえか、世界的に改めての月探査ブームだという。

かぐやは、表面の様子や環境を調べて月の起源に迫り、利用価値を探る。

首尾よくいけば後々の月面着陸や、有人探査に道が開けるそうだ。

 月の正体が分かるにつれて、神話や俗説は葬られた。

そこは荒涼の世界で、地球から見えない裏手に宇宙人が集結している気配もない。

かぐやもまた、薄衣(うすぎぬ)の何枚かをはがすのだろう。

 まだ夢があった頃の『竹取物語』で、かぐや姫は「おのが身はこの国の人にもあらず。

月の都の人なり」と明かし、涙のうちに故郷に発(た)つ。

恩人の老夫婦が残る地球は穢(けが)れの星。

絶えぬ戦争や環境汚染を思えば、なかなかの洞察力だ。

かぐやが送ってくる手はずの「地球の出」の動画に、私たちは何を見るだろうか。

 人類は地球の表面をいじり、目先の利便や享楽を追求してきた。

いじり尽くした所を都会と称する。

こよいは手つかずのあばた面(づら)を見上げ、足元の厚化粧を省みるのも一興だ。

そんな月見には、芋洗坂を見下ろす不夜城、六本木ヒルズあたりが絶好である。







月に未来や希望を託すのは「かぐや姫」ではないがロマンがある。






政治は言葉がすべてだ







平成19年9月26日の天声人語よりの引用


 パントマイムの神様、マルセル・マルソーは舞台の外では多弁だった。

「マイム役者にしゃべらせちゃいけないよ。止まらないから」という軽口を、

AP通信の追悼記事が伝えている。

 84歳で逝った「沈黙の詩人」は、芸術性を削らずに無言劇を大衆化した。

観衆はマルソーの指や目を追い、演者も客の感性を信じて指や目を動かす。

そんな濃密な意思疎通が、言葉の不在を埋め、お釣りがきた。

 マイムとは逆に、政治は言葉がすべてだ。

その言葉がどうも貧しい。

最近の首相でも、小泉氏は短い断定で大衆をけむに巻いた。

安倍氏は肝心な時に説明を避け、病院から小声で別れを告げた


福田康夫氏にはぜひ、言葉を大切にする政治をお願いしたい。

 政治姿勢は人事に表れる。

自民党の伊吹幹事長は「テレビ討論に強そうだから」と起用されたらしい。

再任や経験者をそろえた新内閣も、国会論戦をにらんだ布陣と聞く。

来るべき総選挙まで、衆目の中で与野党が議論を尽くし、対案を出し合う「有言劇」を見てみたい。

 民主党の小沢代表は、口より腹や腕を駆使して政界を渡ってきた印象がある。

安倍氏との党首討論は期待外れだった。

政権を狙うのなら、国民の前に進み出て、自身の弁舌で世論をうねらせる努力が要るのではないか。

 言葉に頼らぬマルソーの芸は、軽やかに国境を越え、世界中で愛された。

ひとたび顔を白く塗った役者は「動きの人」に徹した。

政治のプロたちにも、この潔さがほしい。

それは、本職の舞台で「言葉の人」を貫き通すことである。







言葉は何処の世界 社会でも大切だ。人の人生は言葉の連続でその人の個性化がはかられている。






小説の舞台ミャンマーで、
軍事政権が僧侶や市民のデモを
弾圧し始めた









平成19年9月27日の天声人語よりの引用


竹山道雄の児童向け小説『ビルマの竪琴』にこんな一節がある。

「ビルマでは住民が坊さんを非常に大切にするから、坊さんになりさえすれば生きていかれる」。

密林で敗戦を迎えた主人公、水島上等兵はその国で僧侶となり、異郷に散った日本兵を弔う道を選ぶ。

 小説の舞台ミャンマーで、軍事政権が僧侶や市民のデモを弾圧し始めた。

多数が拘束され、死傷者が出たとも伝えられる。

死者1000人を超えた88年以来の大きな衝突だ。

 国民の9割が仏教徒で、托鉢(たくはつ)で暮らす僧侶を今も強く慕う。

24日から続いた10万人規模のデモでは、読経して歩く若い僧侶の両側を市民が固めた。

れんが色の僧服が、熱い「血の川」のように大通りを進んだ。

 発端は燃料値上げに抗議する僧侶への暴行だ。

僧侶らは民主化指導者のアウン・サン・スー・チーさんを軟禁下の自宅に訪ねた。

軍政は反政府の波の広がりを恐れたのだろう。

 スー・チーさんの父は第2次大戦中、日本の支援で英国軍を追い出し、次いで日本とも戦った独立の英雄。

「建国の父」とも呼ばれる。「民主化の母」となるべき娘は1945年、日本兵が連合国の捕虜になった夏に生まれた。

 小説の捕虜たちは、のんびりした僧侶らの生活にたまげ、収容所で論争となる。

同じ強いられるなら、軍服と袈裟(けさ)のどちらがいいか。

「お経ばかり読んでいるから未開なのさ」「その国に迷惑をかけた我々の方が野蛮だ」。

結論は出なかった。

 戦で死ぬことなかれ。

竪琴の願いを胸に、僧服の川を待つのが民主化の大海だと祈る。







日本だけが政権奪取した軍事政権ん゛名ずけたミャンマ-という国名の呼称を元のビルまで呼ぶべきである。

ビルマは以前から日本で親しまれてきた国名だった。

勝手に軍事政権が変えたような国名に従わずに,マスコミも呼ばないようにすべきである。

ビルマは日本と最も深い関係にあったような国だと当時の子供心ながら感じていた。

軍事政権を日本が認めたことによって,ビルマの国民は奴隷化?されているのではないだろうか。

外部から救いの手を出さない限り正常化はなされない。

まず「ミャンマ-」をやめ,ビルマに統一すべきである。日本政府及び日本のマスコミも悪いのではなかろうか。?

平和的解決への一手段ともいえる。

始めミャンマ-と聞いた時に,どんな国なのかと疑問をもったがビルマは日本と親しい国であった。








兄弟子が新入りを何度も土俵に転がし、
立ち上がれなくなるまでしごくことも
「かわいがる」と言うらしい






平成19年9月28日の天声人語よりの引用


一人旅の駅か空港で、信用できそうな人に荷物の見張りを頼むとする。

「これ見ててもらえますか」と用足しに立ち、戻ると荷物が無い。

「若い男が持ち去りました。

ずっと見てたから間違いない」と言われたら、普通は怒る。

 番をするのも、ただ眺めているのも、会話では「みる」になる。

動詞の意味は常識で判断するしかない。

誤解しようがない動詞もあるが、相撲部屋では油断できない。

兄弟子が新入りを何度も土俵に転がし、立ち上がれなくなるまでしごくことも「かわいがる」と言うらしい。

 時津風部屋の17歳の力士が6月、けいこ中に急死した。

事故とされたが、親方や兄弟子が土俵の外でも「かわいがった」ことを認めたため、刑事事件になりそうだ。

 被害者は春に入門、何度か部屋を脱走して、リンチまがいの「かわいがり」が激しくなったと聞く。

死の前日にも、実家に電話で「救出」を求めていた。

父親は「もうちょっと頑張れと言ってしまった」と悔やむ。

傷だらけの遺体と、両親が求めた行政解剖が警察を動かした。

 預かった若者を、親方夫婦が一人前の力士に育てる相撲部屋。

肉親は本来の意味で「かわいがってもらえ」と送り出し、実際、その通りにしている部屋も多い。

だが、時津風部屋は名門だ。

不合理な習わしはここ限りだろうか。

 隠語は閉鎖社会の闇に育つ。

どうか、世間並みの言葉と常識が通る角界であってほしい。

一度託されたものは責任を持って面倒見るべし。

旅行かばんならいざ知らず、手塩にかけた宝物は取り戻せない。






力士部屋は何か昔の軍隊の雰囲気を連想させる。古参の者が「いじめ」をば「かわいがり」で過酷な仕打ちするのは

どう見ても昔の軍隊そのものである。







奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡で、
国内最古の木製仮面が出土した








平成19年9月29日の天声人語よりの引用


一昨日の朝刊を手に取り、お面の写真に引き込まれた。

永い眠りを解かれたその顔は、笑っているのか泣いているのか。

木肌から、大地が封じた太古の香気が立ち上るようだ。

 奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡で、国内最古の木製仮面が出土した。

3世紀前半のもので、これまでの「最古」を400年ほどしのぐという。

遺跡は邪馬台国の有力候補地、年代も卑弥呼の治世に重なるとくれば、夢想は広がる。

 仮面は顔が隠れる大きさで、鍬(くわ)にする予定のカシの板に細工をしていた。

わずかに赤い顔料が残り、豊作祈願などの儀式で手に持って踊ったらしい。

古代人は、面で顔を覆って呪術師となり、森羅万象と交信したのだろうか。

 人間を意味するラテン語の「ペルソナ」は、もとは役者の仮面だという。

着脱自在の顔から別の人格をもらい、人は正義のヒーローにも、野獣にもなる。

素顔はしばし仮面の裏に退く。

 本物をつけずとも、現代人は心の仮面を刻々と替えて一日を送る。

男性なら夫に父親、上司に部下、夜はカラオケ大王だったり。

〈髪切ってイコール君への思慕切って凱旋(がいせん)している私の仮面〉石井睦子(朝日歌壇)。

心の仮面でこんな心機一転もできる。

 面倒なご時世、仮面は二つや三つでは間に合わない。

取り換える手際は世渡りの技だが、交換に追われて「素(す)の私」はあいまいになる。

翻って、最古の仮面の圧倒的な存在感はどうだろう。

一つで国中を幸せにしただけのことはある。

それを手にした人々も、素朴だが、揺るぎない素顔を持っていたに違いない。





仮面は古代から現在にまで続いている。







 「首相辞意」の報は津々浦々を駆けめぐった。






平成19年9月30日の天声人語よりの引用


二百十日の時節に、前代未聞の「政権投げ出し台風」が列島を襲った。

人々があきれ、怒り、いささか同情もした9月の言葉から。

 「首相辞意」の報は津々浦々を駆けめぐった。

JR大津駅前で客待ち中の個人タクシー運転手、伊藤市蔵さん(65)は「そもそも器として無理があり、

4人乗りのタクシーに6人乗せたような感じだった」。


驚きの中に「やっぱり」の思いが混じる。

 安倍氏の地元の下関市に住み、親交のある直木賞作家、古川薫さん(82)は「首相はお人よし。

酒を飲まず、食も細い。

政治家は大酒を飲み、たくさん食べ、それがバイタリティーになる」。

「可哀想で、不運な男」と残念がった。

 だが驚きもつかの間、関心はすぐ後継選びに。

東京の渋谷で街頭演説を聴いた大学院生、鈴木洋さん(26)は「麻生さんに共感する。

だけど今は国内がぐちゃぐちゃ。

まずバランスのとれた福田さんが政権につき、そのあと麻生政権になれば」

 一騎打ちの軍配は親子2代の福田氏に上がった。

新首相への期待は老若を問わず身近な政策だ

青森県で、21歳の大学生佐々木彩乃さんが「一番気になるのは年金。

ちゃんと払って満額もらいたい」と言えば、87歳の高松ソデさんは「これからの老後の歩む道を、楽に進みたい」

 「大事なのは人々が生きていくのに欠かせない安心感を作り出していけるか。

その視点がなければ短命に終わる」と、福田氏の地元群馬に住む哲学者の内山節さん(57)。

前首相の面影はすでに遠く、台風一過の国会が週明けから始まる。






安部氏もそうだったが,福田氏もまずできるだけ早い時期に解散総選挙によって国民の信頼を勝ち得る必要がある。





東福寺から泉涌寺そして稲荷神社へ





この辺りの地理関係は判りにくい。法性寺から東福寺に変る頃に藤原道家が光明峰寺を同時に法性寺内に営んでいる。

建長二年(1250)に光明峰寺開基九条道家が法性寺内の東福寺から東山内に金堂・多宝塔・御影堂・食堂・伝法堂・

経蔵・鐘楼・中門・楼門・僧坊・禅堂・丈六堂が存在した大伽藍を構えた寺院であった。

光明峰寺は真言宗寺院である。

東福寺が禅宗 、法性寺は天台宗で,  光明峰寺が真言宗で,台・蜜・禅の三宗が存在したことになる。

光明峰寺は丁度泉涌寺から北の方に行って東福寺の東側に当たる場所になる。

東福寺からの東側は急な坂を上って住宅地になっていてる。その東側には御陵がある。

仲恭天皇九条陵である。もう一人の天皇の御陵もあったが名前が覚えられなかった。

広い敷地を占有しているので,この辺りに光明峰寺があったのではないかと想像する。 

宮内省の職員の方が偶々に除草剤を撒いておられたので光明峰寺について尋ねてみたが全く知っておられなかった。

多分光明峰寺があったことは特殊な人以外には一般には知られていないと思う。

東福寺の塔頭が東福寺の丁度南側に有って,その中に光明禅寺や南明院がある。

多分に光明峰寺の名前からとったものと考えられる。

東福寺の東南に当たる場所には南明町といすう町名があり,花の苗を植えておられた女性にに聞いたところ

塔頭の南明院から来たと話されていたが,どうも不確かである。そんなに南明院が有名な寺ではないからである。

場所的には光明峰寺が在った所と思われるから南側に当たっている。そのために南明町と呼ばれた方が妥当のようだ。

日を改めて,泉涌寺に行った。そこから稲荷山を目指して歩いてみた。

泉涌寺は東福寺の東北方面にある有名な古刹である。

天長(824−834)年間に空海が草庵を営み法輪寺として営んだのが始まりとしている。

又「元亨釈書」では法輪寺の開創は斉衝三年(856)としている。泉涌寺は「御寺」と称して皇室とゆかりの深い寺院で以前に偶然に

秋篠宮御夫妻の参拝されるのに遭遇したことがある。

宮内庁の職員が30-40名が整列して自動車に乗られのをて待っておられた光景を思い出す。

一般人は通行止めにされ,20-30分間待たされたのを思い出す。

泉涌寺の門前に自動車を置いて北の方向に進むと宮家の御陵が東西の両側に立ち並んでいる。

大きい石碑の前に鳥居が建てられていて,奥の方は見られないのでどれくらいあるのかわからない。

見える範囲内だけでも10御陵以上はあるようだ。

そこを北側にずーと歩いてゆくと細い道があり住宅街に出る。

その住宅街の一隅に稲荷神社山内でよくみかける万(ヨロズ)の神が祀った一廓が在った。その横が谷で滝になっている。

門前で掃除しておられる女性に聞いたところ,私有地で稲荷神社とは関係がなくて

昔出雲神社の宮司だつたご主人が開かれた場所だとのことであった。

そこをさらに北側に歩いてゆくと稲荷神社の境内に到達する。

その丁度その西側に多分光明峰寺があった場所だと思うが,九条家の墓所だった車坂町が西側にあることを確認した。

住宅街と稲荷山への道筋は隣接している。

かなり急な坂を上ってゆくと稲荷神社の赤い鳥居が見えてきて,万(ヨロズ)の神を祀った箇所に到達する。

そこをさらに階段を昇ったところが稲荷山の四辻に到達するがそこから引き返すことにした。

四辻は丁度稲荷山の三の峰 二の峰 一の峰のループ状にお参りする基地に当たるようなところである。

そこに茶店があって道の北西側には京都が一望できるような景色の良いところがある。

岩石が露出していてその岩石について茶店の主人に聞いたところ店に訪れた専門家の人が「さざれ石」と話されていたとのことが

納得できないので,稲荷関係の色んな人たちに聞いてみたが判らないとの返事だった。

「さざれ石」はパソコンで変換してみると細石として出てくる。

遥か北側にある永観堂の廊下で開山堂に登ってゆく山の中腹でも見かけた。又南側の大岩山でも見かけている。

東山連峰をつながるような形でその石が山中に存在するのではないかと感じた。泥板岩なのか正確な石質は判らない。

どうしても気になった理由は,天平三年(731)に行基が建てたとされる法禅院の塔の礎石と同質のようなだったからである。

宇治歴史資料館のある宇治文化センターの駐車場横にも京滋バイバスのトンネルを掘ったときの貫通石として置かれている石と

何処がごつごつしたところがよく似ている。





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