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随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集


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十月になって



十月に入ってから初めて秋らしくなってきている。暑さは遠をのき,涼しい日が続くようになった。

丁度気候的には過ごし易い時期である。

不思議なことに,毎年この頃は台風の季節だが台風はやって来ない。

七月,八月には台風が何回か日本列島を襲って来たのが嘘のようである。

平穏な毎日が続く。十月二十一日の京都時代祭りには今年から室町時代が始めての参列があり催されている。

室町時代が加わらなかったのは室町時代を創めた足利尊氏が朝敵とされていたからである。

京都の時代祭りは明治時代に始っており,その為によるものでもあった。

若い人たちには理解できないことが常識として通用していたのが,第二次大戦の終戦までの日本である。

時代祭りの日は平日なので,観覧することがができず,テレビでもって京都放送による時代祭り行列中継を観ていた

だが室町時代直前になって終わってしまっているので,大変残念な気がした。

色んな事情があると思うが何故に全中継ができなかったのだろう。是非続けてもらいたいものだ。

深草地区の藤森神社関係者有志による室町の踊りが見られなかったのが残念だった。

このところ国内の政治で,福田内閣に変ってからから,国会運営で特に過激な行動が見られなくなってきている。

これは自民党が参議院選挙において完全に敗北した影響によるものであろう。

だが福田自民党党首と小沢民主党党首による党首会談があり,二党による大連立話が持ち上がってきて,

二度,会談が行われたようだ。

小沢民主党党首が党に持ち帰り民主党役員会にはかったところ,全役員による反対でもって不成立に終わっている。

これは国民を置き去りにした党首同士の密室会議である。

国民が期待もして予定されていた国会での両党首討論はなかった。

読売新聞社の渡辺会長が発案し,森元首相によって仲介されたとの噂がされている。

これは国民を全く愚弄した話で,政党の存在意義を失わす事に対してただ憤慨するばかりである。

自民党と民主党の大連立を組むということは,第二次大戦下での挙党一致体制の,あの大政翼賛会を作るようなものである。

国民の意思が何にも反映されなくなり,ほんの一部の人たちの意思て゜もって政治が行われることになる。

読売の渡辺会長といえば野球大リーグの再編成の時に大いに活躍した人物である。

政治と野球を混同してしもうたのか,一新聞記者上がりの人が,個人の思いを実行に移すことは,

言論人として許されざるべきことではないのか。言論人に値しない人物である。

野球ならいざ知らず,政治にこんな形で関与するのは非常識も甚だしい。

このようにして政治の裏側に廻って,社会をば混乱させているような人物はいたるところ中央・地方を問わずよく見かけ,ありうる話である。

防衛省の汚職事件は,益々広く深く守屋事務次官のゴルフ接待問題から大きな広がりを見せてきた。

防衛省は,これまでの小規模の防衛庁のままでよかった。

何故に防衛庁から防衛省に格上げする必要があったのだろうか。

予算を沢山獲得し,山田洋行のような防衛ビジネス産業の人たちに儲けを多くするため,

そのため軍事予算を多く獲得するためだけではないかとも考えたくなる。

アメリカの「死の商人たち」は,あらゆる機会に戦争ビジネスを拡大し,世界中に戦争をばらまいている。

これでは戦争はいつまでたっても,世界の中から戦争は止まない。

軍隊だけでなく要人の防備などに銃器で武装した株式会社社員がイラクなど中東地域で活躍している報道が伝えられている。

商売が繁盛するためには,株式会社として,なんとしても,戦争は必要となってくる。

そのような人たちが増えれば増えるほど,世界は平和からは遠のいてゆく。

なんとしても,このような社会システムは国際法で厳しく制限し,なくす必要がある。

ブッシュの所謂「テロとの戦い」でもってアメリカ中が一時湧き上がり、これまでにイラクで4000人近いアメリカ兵士達が亡くなっていっている。

そしてイラク人の人たちにいたっては,数万人以上も亡くなり,或いは行方不明になっている。

馬鹿な一指導者が輩出したが為に,大変な人数が殺されて,世界の人々に大変な被害を被ることになった。

アメリカは本当に民主主義国家なのだろうか。? これでは民主資本主義に元ずいた好戦国家ではないだろうか。?

過去,現在,において,世界中アメリカが関与してきて,世界中迷惑を被ってきた国々が余りにも多くある。

ビルマ パキスタンなどのように軍人によって政治を行われている国より,民主国家であるという話ならば少しは理解ができるのだが,

どうもブッシュのような間違った大統領をばアメリカ国民が選出したことにより世界中が迷惑を被った。

その盟友だったとされてきた日本においても,小泉政治はもう一度見直す必要があるのではなかろうか。

変革による社会の歪が顕著になりつつあるのは,それとも戦後長期に渡った自民党独裁政治による副産物なのだろうか。










命の保証もない現地に
日本のフリー写真家も身を挺(てい)し、
生々しいフィルムを世界に発信した。








平成19年10月1日の天声人語よりの引用


「泥と炎」と形容された戦火の果てに、インドシナ3国の首都が相次いで陥落したのは1975年のことだ。

4月にカンボジアと南ベトナム、8月にはラオス。

命の保証もない現地に日本のフリー写真家も身を挺(てい)し、生々しいフィルムを世界に発信した。

 「誰も行かないところへは、誰かが行かなければならない」。

武力弾圧下のミャンマー(ビルマ)で落命したカメラマン、長井健司さんの口癖だったという。

戦争や紛争を伝えるジャーナリストに脈々と受け継がれてきた情熱であり、使命感だろう。

 4年前、戦争不可避のイラクから、日本の大手新聞、テレビは撤退した。

入れ替わるようにフリーの写真家らが現地を目指した。


「攻撃される側」から報道するためだ。

茶の間に届いた映像や写真の多くは、その情熱がもぎとった真実だった。

戦火の下に、長井さんもいた。


 物静かな人だったという。

先天性の障害に苦しむイラクの少年に、紙おむつを届ける優しさもあった。

功名心ばかり先走る者もいる業界である。

そこにあって、紛争解決のために何ができるか、をいつも考えていた。

 戦場カメラマンの武器は「笑顔」だけだと聞いたことがある。

憎めない笑顔を持つか否かが、生死を分ける局面もあるらしい。

今回はしかし、背後からの問答無用の射殺だった。

こんな蛮行には、やわらかな武器は使いようもない。

 遺体は、右手がビデオカメラを握る形に硬直しているそうだ。

非業の死と、命と引き換えの最後の映像が、ミャンマー民主化の力になることを願う。






軍事政権独裁政権を見逃しているアメリカがイラクの民主化の為にと武力進撃した真意が何処にあるのか判るようだ。

儲けのためならばなんでもするブッシュのような人たちと,何とか民衆のためにと考えている一般の人たちがいるということだ。






きのうの福田首相の所信表明からは、
前任者の掲げた大きな政治理念が消えていた。







平成19年10月2日の天声人語よりの引用


一頭の鹿が自分の姿を水に映して、立派な角(つの)にうっとりしていた。

そこへ突然、猟犬が現れた。

森へと逃げたが、自慢の角が枝にからまって邪魔をする。

命からがら逃げのびた鹿は、「美しいものはしばしば仇(あだ)になる」と悟ったという。

 古い寓話(ぐうわ)の一節である。

鹿を自民党に置き換えれば、見栄えばかりの「角」はもう結構、といったところか。

きのうの福田首相の所信表明からは、前任者の掲げた大きな政治理念が消えていた。

広げた風呂敷は小さめで、「低姿勢」という国民へのおわびが包んであった。

 安倍さんがうっとりした「美しい国」はひっそり看板を下ろし、憲法改正も所信表明から外れた。

官邸を飾る書も「凜(りん)」から「和」に変わった。

福田さんの「バランスと調整」を象徴する一文字である。

 淡々、飄々(ひょうひょう)が持ち味だろうし、自分の言葉に酔うのは禁物だ。

とはいえ首相の演説は、総務部長のそれとは違う。

平たい言葉の羅列では、せっかく風呂敷から取り出した「希望と安心」も国民の胸には響かない。

 古川柳に、身上をつぶしながら風流を捨てられない様を揶揄(やゆ)した〈売家と唐様で書く三代目〉がある。

総裁選を争った3代目の麻生さんを「粋な唐様文字」に例えるなら、福田さんはさしずめ「楷書(かいしょ)の首相」か

端然としてまじめ。

だが人臭さや迫力には乏しい。

 昨日の演説で、その楷書ぶりを再認識した人も少なくあるまい。

手堅さは買うにしても、首相が「そつのない総務部長」では国民は寂しい。

そのうち独自の「角」が生えてくるのだろうか。







福田首相の手腕には安心感があるが,今の政治情勢を如何にして国民が納得できる政治ができるか。

戦前回帰を思わせる人たちに比べれば安心感がある。

難局をどう打開するかは見えてこない。防衛省汚職 年金問題 格差社会の是正 老人福祉医療問題と

積来の自民党政治,そして小泉政冶の悪いところが一挙に出てきているようだ。

これも参議院選挙で逆転して問題化が顕著になってきている。企業と官僚との癒着ももっと洗い出すべきだ^。








鉄の暴風」と言われる沖縄戦の悲劇は、
自然の営みではなく、
人間の愚かな営みの果てに起きた。






平成19年10月3日の天声人語よりの引用


ざわわ ざわわ……と繰り返す「さとうきび畑」は、好きな曲だ。

沖縄の悲しみを、情感を込めて歌う。

だが以前から、少し気になっていたところがある。

〈むかし 海の向こうから いくさがやってきた〉のくだりである。

 戦争は、海に生まれた台風ではない。

「鉄の暴風」と言われる沖縄戦の悲劇は、自然の営みではなく、人間の愚かな営みの果てに起きた。

「いくさがやってきた」が呼び起こすイメージは、美しすぎはしないか。

やって来たのは、武器を携えた「日米の軍隊」だったのだから。

 日本軍は住民を避難させず、戦いにも駆り出した。

軍民混在の戦場は、「ありったけの地獄を集めた」(米軍報告書)と形容された惨状を生む。

集団死(自決)も各地で起きた。

軍の強制があったことは沖縄では常識である。

 その記述が教科書から消されることに、沖縄は怒った。

抗議の県民大会は11万人でうねった。

「分厚い教科書の中のたった一文、たった一言かもしれません。

しかし、その中には失われた多くの尊い命があります」


高校生、照屋奈津美さんの訴えが胸を突く。

 大学に進んで、日本史の教師になりたいという。

醜くても真実を教科書にとどめ、沖縄の痛みを共有してほしい。

そんな願いを込めた、本土への呼びかけでもあっただろう。

 ざわわ……は、詞と旋律が深い悲しみをたたえ、それゆえに人を癒やす不思議な歌だ。

その癒やしの花が、「ありったけの地獄」に根ざしていることは、知っておきたい。

島の悲しみが、容易には消えないことも。







戦争の愚かさをずーと伝えた行くべきである。戦争が美化されれば再び悲惨な戦争に巻き込まれる。

尊い犠牲のもとに現在の平和があることを知るべきである。その犠牲の尊さを絶やしてはいけない。






この米国のテキサス州は死刑が飛び抜けて多い
ブッシュ氏が、死刑執行署名に悩んだとは聞かない







平成19年10月4日の天声人語よりの引用


米国のテキサス州といえば、思い浮かぶのはカウボーイだろうか。

西部の荒くれ気質でもあるまいが、この州は死刑が飛び抜けて多い。

76年に死刑が復活してから400人目の執行があったと、先ごろ報道された。

 ブッシュ大統領は以前、この州の知事だった。


批判されると、「テキサスに来たら人を殺さないよう気をつければいい」と言っていた。

西部劇の保安官さながらだが、ことはそう単純ではない。

貧困ゆえの犯罪など、米社会の病理が深く潜んでいる。

 ブッシュ氏が、執行署名に悩んだとは聞かない。

転じて日本の歴代法相は、かなり苦悩したらしい。

だからだろう。

鳩山法相が、「自動的に執行が進む方法はないのか」という趣旨の発言をした。

暴言か、問題提起か、と波紋を広げている。

 「ベルトコンベヤー」「順番通り」などと言葉が過ぎたようだ。

だが、法相の苦悩は、遠い世界の話ではない。

死刑を命じる大臣の後ろには、主権者がいる。

ほかならぬ私たちだ。

その、いわば代表として、心の重荷を負うのだから。

 刑務所で、1500冊もの点訳奉仕をした死刑囚がいたと、矢貫隆さんのノンフィクション『刑場に消ゆ』(文芸春秋)で知った。

強盗殺人を犯したが深く悔い、13年間、罪をあがなうように打ち込んだ。


 執行の日、刑務官たちは緊張でこわばっていた。

「参りましょう」と静かに促したのは、囚人自身だったという。

法相だけではない。

執行する人の重荷も相当なものだろう。

悩みを大臣まかせにせず、死刑制度を考えてみたい。






ブッシュだけではない。日本の法務大臣もわけのわからん人がなっている。






出資法違反容疑で
警察の捜索を受けた
「エル・アンド・ジー」のことだ






平成19年10月5日の天声人語よりの引用


ぴりりと利かせた風刺は、川柳の命だろう。

〈江戸っ子の生まれそこない金を貯(た)め〉も、ワサビの利いた一句である。

金離れが良く、宵越しの金など持たない気っ風(ぷ)は、あの時代の粋とされた。

 粋な江戸っ子なら、喜ぶより困ったのではないか。

出資法違反容疑で警察の捜索を受けた「エル・アンド・ジー」のことだ。

ネット上などに独自の市場を開き、そこで使える疑似通貨を、「使っても減らない金」と宣伝して会員を募っていた。

 使い切っても、また全額補充してもらえる。


その疑似通貨を「円天」と称していて、天から降るカネを思わせる。

眉唾(まゆつば)のカネを客寄せにして、巨額のカネ(本物)を集めていた。

年利36%の配当をうたって、全国の5万人から1000億円を集めたというから驚く。

 集めた金は配当に回し、自転車操業を続けていたらしい。

だが資金が尽きたのか、いつしか配当も疑似通貨になった。

天から降る金も無尽蔵ではなかったとみえ、今はそれも止まっている。

 金を作るには「三角術」が必要だと、夏目漱石は皮肉っている。

義理をかく、人情をかく、恥をかく、の三角だという(『吾輩(わがはい)は猫である』)。

さらに道義と順法も欠いた「五角術」が、この会社の錬金法だったのだろう。

 金銭への淡泊さを粋がりつつ、江戸っ子にも〈これ小判たった一晩居てくれろ〉の本音はあったようだ。

冒頭の句からは、小金持ちへのやっかみも透けて見える。

隠しきれない人間の性(さが)だろう。

そこに付け込む「五角術」が、手を替え品を替え、生き延びている。




「円天」通貨は正常な人間が考えればおかしい話である。それにより大勢の人たちが騙されて金をとられている。

法冶国家として見過ごしているのはどうしてなのか理由がわからない。





朝青龍騒動で協会を批判したとして、
先月、元NHKアナウンサーの取材証を没収した









平成19年10月6日の天声人語よりの引用


リベラルな言論人だった清沢洌(きよし)は太平洋戦争中、日記をつけていた。

『暗黒日記』の名で知られるそれの最初の日に、言論が窮屈になって「お上への評論はけしからん」ということになり、

「言論報国会」ができた、という旨を書いている。

 記憶の彼方(かなた)の一節を思い出したのは、日本相撲協会のおかげだ。

朝青龍騒動で協会を批判したとして、先月、元NHKアナウンサーの取材証を没収した。

「評論家」の肩書でテレビに出演したのが、「けしからん」と気に障ったらしい。

 ひいき筋以外は無用、とでも言いたかったのか。

言論統制との声もあって、さすがに処分は取り下げた。

だがこの件で、協会に付いていた「疑問符」はさらに膨らんだ。

続いて明るみに出た、けいこ中の力士の急死が、大波のように協会の旧体質を揺さぶっている。

 その協会が昨日、力士の師匠、時津風親方の解雇を決めた。

師匠の責任は無論重い。


だが協会は、初めはことを軽んじ、黙殺していた。

文部科学省の苦言で一転、躍起になった。

事実をきちんと調べたのか、と疑問は残る。

 「回し団扇(うちわ)」という言葉が角界にある。

行司がいったん上げた軍配を、思い直して逆の力士に上げ直すことだ。

ぶざまな右往左往は、差し違えより恥ずかしいとされる。

 昨日の処分に「回し団扇」などないとは思うが、これで千秋楽、では考えが甘い。

むしろ体質改善に向けての触れ太鼓にすべきだろう。

ただでさえ減っている新弟子が、部屋で泣き泣き「暗黒日記」をつづるようでは、角界の将来も暗い。







白昼に堂々といじめと犯罪が行われている。それが「かわいがり」とかの愛のムチと言われている相撲社会の封建制

蜜室性が気になる。どこかにも日本の社会に温存されている古いしきたりのように思える。

司法界と相撲界の密着ぶりが気になる。







世話のしやすい小型魚に
大きな魚を生ませれば、
養殖は安上がりとなる





平成19年10月7日の天声人語よりの引用


美食家の北大路魯山人はマスを好んだ。

「素人目には一見似たものではあるが、味からいえば鮭(さけ)より鱒(ます)の方がはるかに優(まさ)る」と書く

(「星岡(ほしがおか)」昭和7年10月号)。

茶漬けにした汁が「とても鮭の及ぶところではない」そうだ。

 「味覚は体験に学ぶほかなし」とする魯山人が今に現れたら、この不思議なマスをどう料理しただろう。

東京海洋大の研究チームが、ヤマメの両親にニジマスを生ませてみせた。

 生殖にかかわる特殊な細胞をニジマスから取り出し、ヤマメの稚魚に入れる。

すると、オスの稚魚はニジマスの精子、メスは卵を持つヤマメに育ち、かけ合わせたらニジマスができた。

代理の親から生まれた魚だ。

 研究者は「5年後にはサバからマグロを」と語る。

世話のしやすい小型魚に大きな魚を生ませれば、養殖は安上がりとなる。

いっそメダカで狙ってほしいが、近縁であることが「手品」の条件らしい。

ヤマメとニジマスほどではないものの、サバとマグロも近い。

 魯山人は、なぜかマグロには冷たかった。

「まぐろそのものが下手ものであって、もとより一流の食通を満足させる体(てい)のものではない」と断じている。

トロを出され、親はサバなんです先生と講釈を聞けば、ひっくり返るに違いない。

 魚に強弱はあっても上下はない。

サバにすれば、マグロの脂身がこうまで珍重されるのは解しがたいことだろう。

何をうまいと感じるかは人それぞれだが、多数派の好みで魚の価値が決まり、その序列を科学までが追いかける。

なるほど「陸の都合」は全能だ。







科学は夢幻?に発展するものだろうか。








下半身がつながって生まれたベトナムの双生児は







平成19年10月8日の天声人語よりの引用


「今まで子どもの空に包まれていたものは、じぶんたちの世界の半分にすぎなかったのです」。

ドイツの児童文学『ふたりのロッテ』(岩波書店、高橋健二訳)の一節。

別れた両親に一人ずつ引き取られた双子が、偶然出会って姉妹だと確信し、親のよりを戻そうとする物語だ。

 人種にもよるが、双子は出産100回にほぼ1組とされる。

二つの人生はもつれながら次第に離れ、それぞれの終着を迎える。

ロッテとルイーゼのように9歳で重なる人生もあれば、7歳で離れるそれもある。

 下半身がつながって生まれたベトナムの双生児は、88年の分離手術でベトちゃん「と」ドクちゃんになった。

一昨日、兄のベトさんが亡くなった。

分離前から脳を患い、26年の生涯はベッドの上だった。

 弟のドクさんは右足一本ながら、松葉づえで社会生活を送る。

病院で働き、昨年12月には結婚もした。


きのう営まれたベトさんの葬儀では「兄が私にくれた人生を精いっぱい生きてゆく」と語った。

 ベトナム戦争で、米軍は大量の枯れ葉剤を空中散布した。

ゲリラが潜む密林と食料源を根絶やしにするためだ。

薬剤には猛毒のダイオキシンが含まれ、生まれ来る「子どもの空」を今も覆っている。

ベトさんたちは被害の生き証人だった。

 体温と痛みを共有した兄弟も、人生は「等分」とはいかなかった。

弟は各国で講演し、枯れ葉剤の非道を訴える。

兄は同じことを、病床から無言で発信し続けた。

ただ生き延びて、身をもって告発する。

余人にできない重い務めを立派に果たした。







ベトナムの双生児の話は気の毒なことだ。アメリカの「戦争のための戦争による」犠牲者であった。

破壊兵器はドンドンと進化してアメリカ以外の他国で使用されている。

福祉などの必要な金銭をば節約してそれを購入している馬鹿な国が今も世界に沢山ある。






古今の孝行話を集めた『二十四孝』には
身をなげうって親に尽くす孝行息子らが顔を並べる。







平成19年10月9日の天声人語よりの引用


何事につけても中国の歴史や故事はスケールが大きい。

親孝行ひとつ見てもなかなかのものだ。

古今の孝行話を集めた『二十四孝』には、身をなげうって親に尽くす孝行息子らが顔を並べる。

 真冬に魚を食べたがる母親のために、王祥は川の氷に腹這(はらば)って、氷を解かして魚をとった。

郭巨は母とわが子を養えず、子を生き埋めにして母親の食いぶちを保とうとした。

呉猛は、母親が蚊に刺されないように、自分は裸になって寝た。


蚊をおびき寄せるために体中に酒を塗ったというから、恐れ入る。

 いずれ劣らぬ24話だが、息子が老母を敬うタイプが名高いのは、世の琴線に触れるからか。

だが今の日本は、それとは逆の親不孝が横行しているらしい。

厚生労働省が高齢者への虐待を調べたところ、息子からの暴力が最も多いことがわかった。

 家庭内の加害者の37%は息子で、夫、娘の各14%を引き離す。


被害者の約8割は女性というから、息子が老いた母につらく当たる実態が浮かび上がる。

 親子2人暮らしで虐待が起きる例は多いと聞く。

介護が必要な場合、衣食住の心得に乏しい息子は追いつめられやすい。

孤立の中で、親への恩愛が憎悪へとねじれていく。

虐待者の心の淵(ふち)を思えば、それもまたつらい。

 『二十四孝』は落語にもある。

こちらは親不孝息子の、付け焼き刃の孝行談だ。

蚊をおびき寄せようと酒を飲んで寝たが、目が覚めても刺されていない。

実は老母が夜通し団扇(うちわ)であおいでくれていた、という話。


親を困らせるのも、この程度なら罪は軽いのだが。







博物館の展示品を見ていて現在の人間は退化しているのではないかと考える場面にでくわすこともある。







ミャンマー(ビルマ)で逝った長井健司さんの撮った映像は、
まさに命と引き換えの遺作だった








平成19年10月10日の天声人語よりの引用


ベトナム戦争報道で名をはせた写真家の沢田教一は、約2万コマのネガを残した。

それを丹念に調べた人がいる。

激しい戦闘の中でも必ず、初めの数コマは何も写さずに「空撮(からど)り」されていた。

 フィルムがきちんと巻き上げられているかを確かめた痕跡だ。

目の前で起きることを「逃さない」ための、プロ魂だろう。

だが魂を込めた記録が日の目を見ないこともある。

たとえば、ロバート・キャパ。

第2次大戦のノルマンディー上陸作戦の写真は、助手の現像ミスであらかたが無に帰した。

 キャパは地団太を踏んだという。

もし、それが「遺作」だったら、天国でも悔しがったに違いない。

ミャンマー(ビルマ)で逝った長井健司さんの撮った映像は、まさに命と引き換えの遺作だった。

軍事政権の手で闇に葬られては、ジャーナリスト魂は怒りで震えるだろう。

 テレビ各社が先ごろ報じた映像には、現場からビデオカメラらしいものを持ち去る治安部隊の姿があった。

当局がカメラを隠している可能性は、きわめて高い。


 民衆の苦難や悲劇を写す。

それは「レンズを向けた人々から多くを託されること」だと、かつて、ある写真家から聞いた。

シャッターを押したその瞬間に、伝える義務を背負う。

被写体の悲しみが深いほど、義務は重いと。

 その務めを残して、長井さんは旅立った。

当局が返さないのは、都合の悪い何かが写っているからなのか。

自由の乏しい国である。

レンズが最後に見たものと、弾圧の下から市民が託したものに、日を当てなくてはならない。







ビルマに対しての日本の対応に腹立たしい気持ちである。政府は軍事政権を認知して援助している結果なのだろうか。

一方では北朝鮮に対しては。? 人道上は両国とも余り変わりないように思えるのだが。







有給の服喪休暇を取っていた京都市の職員42人が処分された






平成19年10月11日の天声人語よりの引用


作家の井上ひさしさんは、執筆が遅いので名高い。自ら「遅筆堂」を名乗るほどだ。

あるとき、締め切りの言い訳に窮して、「田舎のお袋が死にました」。

担当者は、まんまとかつがれた。

早く帰郷するように上野駅まで車で送ってくれた、と自戒を込めつつ回想している。

 井上さんも驚くだろう。

「身内に不幸が…」と嘘(うそ)を言うなどして、有給の服喪休暇を取っていた京都市の職員42人が処分された。

5年で計127回にのぼっていて、給与の過払いは100万円を超えるらしい。

 この間に12回という剛の者もいた。

ある年は5回も身内を「冥土へ送っ」ていた。

「不幸続きで気の毒に思っていた。

休暇のために『死なせた』とは思ってもみなかった」と上司は困惑気味だ。

 不心得者の「犠牲」になったのは、おじ、おばが大半という。

なるほど彼らは重宝な存在だったかもしれない。


父母は2人、祖父母なら4人が相場だが、おじ、おばは数に決まりがない。

何度も嘘がつけるし、「死なせる」罪悪感も親兄弟より薄い。

職場の掲示や香典もないから、お手軽でもある。

 とはいえモーセの十戒は「殺すなかれ」を説き、仏教の在家の五戒も「不殺生」を第一に置く。

でまかせとはいえ、身内を人身御供にして休む日の朝、寝覚めがよろしいはずもないと思う。

 井上さんも、気分は重かった。

上野駅で担当者が手渡してくれた紙包みには、香典の5千円札が1枚。

あの時ほど筆の遅さを悔やんだことはないと、短い随筆『原稿遅延常習者の告白』で猛省している。






民間企業ではありえないことが官庁では平気で行われている。余りにも遅い処置である。

規律面ではもっと他の面でもあるのではなかろうか。





「米」の字を分解したとおり、
米作りには八十八回、手がかかるという







平成19年10月12日の天声人語よりの引用


春先から、房総半島にある棚田を保存する活動に参加してきた。

この秋とれた玄米を、先日、送ってもらった。

棚田育ちに特有の、やや小粒なコシヒカリである。

稲を立派に育てた小さな田は、いまごろ、ひと仕事を終えた穏やかさで、秋の陽(ひ)に憩っていることだろう。

 冬枯れの土手を焼き、春に畦(あぜ)を塗り、水がぬるめば代(しろ)を掻(か)く…。

米」の字を分解したとおり、米作りには八十八回、手がかかるという。

我が手が面倒を見たのは、その1割にも足りない。


農家にお任せだった。

それでも米粒を手にすくえば、しみじみと愛着がわく。

 久しぶりの玄米飯は、土鍋で炊いた。

水でざっと洗い、一晩浸して火にかける。

炊き上がった色はさえないが、精米で消える栄養をたっぷり纏(まと)っていると思えば、一粒ひとつぶが輝いて見える。

 〈一日ニ玄米四合ト 味噌(みそ)ト少シノ野菜ヲタベ…〉は宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の一節だ。

この「四合」が、戦後すぐ、「三合」と書き換えられて教科書に載った。

食糧難の折、四合は多すぎると横槍(よこやり)が入ったらしい。

米にとっては誇らしい時代だった。

 消費の減ったいまは、一日三合あったら食べきれまい。

減反を重ねても余り、価格は下がる一方だ。

農家は高齢化が進んで先行きは厳しい。


市場開放という大波の中に、棚田などの零細な米作りは消えかかっている。

 稲作には日本の歴史や文化、精神が溶け込んでいるという。

その尊さを担うように、猫の額のような田んぼは、40余キロの玄米を実らせた。

来年また会えればいいと思う。






田植え機を使っていないところは皇居と伏見お稲荷さんの田植え祭りだけかもしれない。






親が子の名に込める思いは、時をへても変わらない
近ごろは“個性派”が、はやっているようだ






平成19年10月13日の天声人語よりの引用


芭蕉の研究などで知られた国文学者の井本農一さんが、兄弟の名前について書いている。

農業をさせたかったのか長男を農一と名付けた父親は、弟には工次、その下には商三という名前をつけたそうだ。

 だが井本さんは、長じて文学の道へ進む。

工次さんは工業をやらずに農学部へ。

商三さんの方が工学部を出て技術屋になった。

〈父のもくろみは見事に外れてしまったわけである〉と、微苦笑のにじむ筆致でつづっている。

 親が子の名に込める思いは、時をへても変わらない。

近ごろは“個性派”が、はやっているようだ。

ただし、読みづらい。


「雪月花」「美星空」「騎士」といった字面だけでは、見当もつかない。

「せしる」「うらら」、それに「ないと」と読むそうだ。

出産を控えた女性向けの雑誌には、同様の名前が数多く紹介されている。

 女児の名の「“子”離れ」が言われて久しい。

このごろは男児の斬新さにも目を見張る。

漢字の意味は美しく、音の響きは滑らかに。

「名は体を表す」を願っての、一生ものの贈り物である。

唯一無二のものに、という思いが親に強いらしい。

 名前はしかし、珍しいからと秘蔵はできない。

自分のものでありながら公に供し、他人も使う。

“個性”が強すぎると他人の使い勝手は悪くなりがちだ。

 娘たちに茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)と洒落(しゃれ)た名をつけたのは森鴎外だ。

片や夏目漱石は筆子、恒子…と並べた。


問われれば漱石をひいきにしつつ、いまの親のセンスに、わが古さを思う。

どの子も贈り物が気に入るように、祈りながら。





名前には両親或いは祖父の思いが込められているようだ。






軍家のほか、尾張、紀伊、水戸の御三家に伝わる品々には、
天皇や公家をも制した武威が宿るかのようだ







平成19年10月14日の天声人語よりの引用

仁孝天皇の皇女和宮(かずのみや)が、大行列で江戸に下ったのは1861年(文久元年)初冬。

翌年、15歳で徳川14代将軍家茂(いえもち)に嫁いだ。

幕府の権威を保つための政略結婚だったが、和宮は同い年の若将軍と相愛の夫婦になった。

 家茂は長州征伐の陣中で病没する。

20歳の亡きがらは、妻がねだった西陣織と共に江戸に戻った


和宮は〈うつせみの唐織衣(からおりごろも)なにかせむ綾(あや)も錦も君ありてこそ〉と泣き崩れたという。

 上野の東京国立博物館で「大徳川展」を見た(12月2日まで)。

将軍家のほか、尾張、紀伊、水戸の御三家に伝わる品々には、天皇や公家をも制した武威が宿るかのようだ。

東に「落ちる」前の和宮が宮中で着たらしい打ち掛けも、初公開された。

 関ケ原の戦いと明治維新。

二つの「乱」に挟まれた2世紀半の太平は、武家文化に余裕と落ち着きをもたらした。

徳川宗家の18代当主、徳川恒孝(つねなり)さんは「沈んだ美意識」と表現する。

国宝級の刀剣がたたえる輝きは「未使用のすごみ」だろうか。

 格式を重んじる幕府のひざ元では、実を貴ぶ町人文化が開花した。

食品や雑貨は、関東の物産より、洗練された上方の品が「下り物」としてあがめられた(中江克己『江戸ことば100選』青春新書)。

和宮はさしずめ、究極の下り物ということになる。
 

 公家に寺社、武家、大衆、そして舶来と、文化の担い手がそろう江戸期。

それらの競い合いや交流に、めりはりの利いた四季が彩りを添えたことだろう。

キンモクセイが香る上野公園を帰りながら、日本文化の豊かな根を思った。








天皇家や宮家は代々その時代の権力者によって利用されてきているように思える。

何故続いているのかも考える必要がある時代になって来ているように思うのだが。

全国至る所,何処の鎮守の神社にも天皇家の祖先関係が祭られている例が多い。

そんなことをも知らずして,勝手に願い事しながらも

お宮さんにお参りしているのが普通の祭礼風景である。







暑さだけではない。
雨無しの日が長く続き、
降れば滝のように叩(たた)きつける。








平成19年10月16日の天声人語よりの引用


兵庫県の但馬地方で農業を営む奥義雄さん(72)から、今年はキンモクセイの花が遅かったと便りをもらった。

電話で聞くと、身近な自然を観察しながら、長く日記をつけてきた方だという。

 いつもなら9月19日ごろから甘い香りが漂うのに、今年は気配がなかった。

あきらめかけた10月3日にやっと匂(にお)ってきた。

ここ35年で、これほど遅いのは初めてという。

「酷暑の影響でしょうか。


自然の歯車がおかしい」と案じておられた。

 9月の残暑も記録的だった。

暑さだけではない。

雨無しの日が長く続き、降れば滝のように叩(たた)きつける。

そんな、「渇水か豪雨か」の二極化も著しい。


自然の歯車の、もろもろの変調の背後に、地球温暖化の不気味な進行が見え隠れしている。

 その温暖化が、米国の前副大統領アル・ゴア氏へのノーベル平和賞で、くっきり輪郭を現してきた。

もうだれも目を背けられないという焼き印が押された。

氏は「伝道師」を自任して啓発を続けている。

今回の受賞は、その評価を超えて、世界に「今すぐの行動」を求めた鐘の音でもあろう。

 「上農(じょうのう)は草を見ずして草を取る」という言い習わしがある。

良い農夫は雑草が芽を出す気配を知って摘み取る、の意味だ。

「中農は草を見て草を取り、下農は草を見て草を取らず」と続く。


 温暖化に対し、私たちに「上農」の聡明(そうめい)さはなかったようだ。

せめては「中農」の愚直さで向き合わないと、地球は危うい。

下農にはなるな――キンモクセイの遅咲きは、自然の鳴らす、ひそやかな鐘とも聞こえる。





草刈する機会が少なくなっているが,炎天下での仕事はつらいものである。

今年の夏は例年になく暑かった。地球温暖化の影響か。





上司から「給料泥棒だ」
「存在が目障りだから消えてくれ」など
と言われ続けた会社員が首をつった。






平成19年10月17日の天声人語よりの引用


『言葉を友人に持とう』という短文が、詩歌や劇作で活躍した寺山修司にある。

〈言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、

人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならない〉と、少々物騒なことを書き残している。

 過激な一節はむろん、天才的な言葉の使い手だった寺山の自負である。

〈マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや〉。

詩歌や言葉の数々は、多くの人の心を一突きにして、忘れがたい印象を残した。

 だが、心ない者がナイフを振りかざすと、人を死に追いやる。

上司から「給料泥棒だ」「存在が目障りだから消えてくれ」などと言われ続けた会社員が首をつった。

東京地裁は一昨日、暴言と自殺の因果を認め、労災と判断した。

 「会社を食い物にしている」「お前のカミさんも気がしれん」。

残された遺書には殺伐とした言葉が並ぶ。


口をつく言葉は、音や調子しだいで、字づら以上に凶暴になる。

浴びた側の心の傷を、裁判長は「人格や存在自体を否定するものがあった」と指摘している。

 「褒(ほう)する辞は限りあれども、貶(へん)するに限りなし」と言われる。

ほめる言葉に比べて、けなす言葉はいくらでも湧(わ)いて出る。

人間の性(さが)を突く卓見だろう。

その性を野放しにしたような世の上司には、今回の認定は厳しい警告だ。

 冒頭の文で寺山は、言葉は薬でなくてはならない、とも書いている。

〈深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉〉である。

けなすだけでは上司の器ではない。






ひどい上司も世の中にいるものだ。







伊勢名物、赤福の偽装である
名前の由来は「赤心慶福」






平成19年10月18日の天声人語よりの引用


甘党なら、あんころ餅は心のふるさとのような存在かもしれない。

「ここだけは安泰」と信じた旧来の和菓子ファンは、帰る所を失った心地ではないか。

伊勢名物、赤福の偽装である

▼包装ずみの商品を冷凍保存し、包み直して売っていた。


品切れを防ぐため、70年代から続くやり方だという。

解凍し、再包装した日を製造日と偽った品は、過去3年の出荷量の2割近くになる

▼小欄にとって、赤福の後味はほろ苦い。

8月、北海道銘菓「白い恋人」の賞味期限偽装を取り上げた。

経営者が赤福の伝統を目標にしていたことを紹介し、こう書いた。

「今年創業300年の赤福の餅は、ごまかせない『製造日限りの販売』だ。

伝統にはそれぞれ、理由がある」

▼読者の皆様から「赤福にはもちろん、天声人語にも裏切られた」というおしかりや、

「天声人語も犠牲者だ」とのご意見をいただいた。

いずれにしても老舗(しにせ)の看板に目が曇り、公式サイトの言い分をうのみにした不明は恥じるほかない

思えばここ30年ほど、赤福の評判は冷凍庫の中で保たれていたわけだ。

風味に自信があるなら、冷凍品がまじる事実を堂々と明かせばよかった。

銭勘定の下心をうそというあんこで包んでは、伝統さえも凍え死ぬ

▼赤福は、長旅で疲れたお伊勢参りの旅人を癒やす餅から出発したと聞く。

名前の由来は「赤心慶福」。

偽らない心で、善男善女の幸せを一緒に喜ぶ志である。

菓子としての素朴さ、作り手の愚直さ。

そうした持ち味のあれやこれやが、営利の厚氷の中で震えている。





賞味期限改ざんの例はいたるところで起きていて今も続いている。それも信用を第一とする老舗で起きている。







インド洋で、
自衛隊が米艦船に供給した油は、
何に使われたのか







平成19年10月19日の天声人語よりの引用


名探偵「ブラウン神父」のシリーズは、推理小説の世界で人気がある。

その一編に、「賢い人は木の葉をどこへ隠す?」「森の中に」という問答がある。

なるほど、同じものの中に紛れ込んでしまえば、誰の目にも分かりにくい

▼同じタンクに入った油は、葉っぱどころではない。

識別不能だ。

インド洋で、自衛隊が米艦船に供給した油は、何に使われたのか。

「賢さ」ゆえではあるまいが、米軍の膨大な燃料消費に紛れて、多くが「使途不明油」になっている

▼自衛隊の給油は、アフガニスタンでの「不朽の自由作戦」に限られている。

それがイラクでの作戦にも使われたふしがある。

イラクに巡航ミサイルを撃ち込んだ米艦にも給油していた。

ほかにも、目的以外に転用された疑いが、つきまとって消えない

▼その給油を継続するための法案を、政府が国会に提出した。

国際的な対テロ行動への協力は必要だろう。

とはいえ、不透明さに不信を抱く国民は少なくない。

補給艦の航泊日誌が破棄されていたことも分かり、輪をかけている

▼イラクでは多くの市民が空爆などの犠牲になった。

中には、日本の「油」が間接的に死に追いやった人がいたかもしれない。

そんな心配さえ、荒唐無稽(こうとうむけい)とは思えなくなってくる

▼無料の「日の丸ガソリンスタンド」だけが貢献か、といぶかる声も聞く。

テロ封じ込めは大切だが、貧困など、テロの温床を消す漢方薬的な協力も軽くはないはずだ。

テロリストという葉っぱを引きちぎっても、根っこを残せば森は枯れないのだから。






給油支援法は賛否が拮抗して判断がむつかしい一度は総選挙をして福田首相は国民に聞くのが一番だ。







魚博士で知られた末広恭雄さんによれば、
鰹が珍重されるのは鎌倉時代からだ。







平成19年10月20日の天声人語よりの引用


三陸沖の秋の味、戻り鰹(がつお)の漁がようやく最盛期を迎えた。

まるまる太った紡錘形が続々と水揚げされている。

夏を過ごす北方の海域が、今年は暖かかった。

ついつい長居をしたとみえ、南下が遅れていた

▼青葉のころ、黒潮にのって北上する。

それが初鰹で、風薫る季節の小気味いい食感が愛されてきた。

だが、脂の乗りは、北の海でたっぷり餌を食べた戻り鰹がまさっている。

もっぱら通に好まれる地味な存在だったが、最近は初鰹をしのぐ人気らしい

▼魚博士で知られた末広恭雄さんによれば、鰹が珍重されるのは鎌倉時代からだ。

だが鰹ぎらいもいた。『徒然草』の兼好法師も、その一人だったとみえる。

こんな魚が上流階級の食卓にのぼるようでは世も末だ、と手厳しくやっつけている

▼当節、鰹にかぎらず、魚が食卓にのぼる機会は減っている。

今年発表の水産白書によれば「かつてない魚離れ」が起きている。

「料理が面倒だから」が理由のひとつだ。

ほかにも、まな板がくさくなる、いやな匂(にお)いが部屋にこもる…。

魚にさわれない若い人もいるそうだ

▼うろこを落として、腹を割く。

魚料理はたしかに、ほかの料理より生々しい。

〈刺す焙(あぶ)る殺す吐かせる削(そ)ぐ締める荒事ならで厨(くりや)の言葉〉(久々湊盈子(くくみなと・えいこ))。

他の命をいただいて生きる。

殺生の手ざわりを、一番自覚する家庭料理かもしれない

▼旬を迎えた戻り鰹をまるごと買えば、刺し身に塩辛、アラ汁と余すところは少ない。

さて週末。

命をいただくありがたさに思いをいたし、秋の幸を満喫するもいい。






食生活が豊富になり色んなものが手に入るようになった。魚は日本国民の蛋白源として一番にとられていた。

魚は健康食品である。

それが肉類を取ることによって欧米型の疾病が増えてきている原因の一番だ。






きのうまで東京で開かれた日本肥満学会をのぞいた






平成19年10月21日の天声人語よりの引用


太るに任せながらもさすがにまずいと思ったのは、小走りか何かで「揺れる胸」に気づいた時だ。

認めがたいことに、腹や尻が負けじと波打ち、全身の脂肪がぷるぷるしている。

その不快にも、いつしか慣れた

▼心機一転の手がかりを求めて、きのうまで東京で開かれた日本肥満学会をのぞいた。

主役は、内臓脂肪が重病につながるメタボリック症候群で、講演や討論の多くに「メタボ」の表題がついた

▼体験に触れる発表者もいた。

糖尿病の専門家は、日に4本だった缶ビールを1本に、つまみをカイワレとワサビ漬けにして6キロ減を保つという。

別の医師は「夜の宴席など、やめられないものはやめない。

朝と昼でなんとかする」と宣言した。

健康管理のプロとはいえ、中年男が考えることは似たようなものだ

▼経済産業省が、12年ぶりに日本人の体格を調べた。

女性はほぼ全年代で細身になったが、中年男性は肥えた

40代では「やや太り気味」が平均的な体形になってしまった

▼畑違いにも見える経産省の体格調査は、服や車など身近な工業品づくりに、最新データが欠かせないためという。

体形の変化を追いかけ、モノは時代時代で進化する。

戦国武将の鎧(よろい)や絶対君主の寝台は、今の大人には小さかろう

▼誰しも、おいしい物をたらふく食べる生活を夢見る。

体が膨れたって、工業社会のモノたちは先回りして待っていてくれる。

だが体験に照らせば、大きめの服やイスは油断できない。

ここまでおいでと手招きするからだ。

ご同輩、健康あっての美食である。





喫煙と美食による内臓肥満は成人病の大敵である。それに運動不足か加わる。







携帯電話が野放しの状態だ





平成19年10月22日の天声人語よりの引用


長崎空港で、滑走路に向かう全日空機の無線が使えなくなった。

ルールに反し、携帯電話の電源を切っていない乗客がいたため、一部で「携帯が原因か」と報じられた

▼ところが、管制塔でも同時刻に無線が不調だったことが分かり、携帯電話のぬれぎぬは晴らされたという。

この騒ぎのお陰で、何かの時は乗客の携帯が疑われると知った。

「空騒ぎ」も時に無駄ではない

▼かたや、間違っても落ちない安心からか、電車の優先席では携帯電話が野放しの状態だ。

電磁波は約20センチの距離で心臓ペースメーカーを狂わせる恐れがある。


外出のたび、逃げ場のない車内で「凶器」に囲まれ、心で悲鳴をあげている人もいるだろう

▼しばらく前の声欄(東京本社版)に、帰宅中の目撃談「携帯メールで殴り合い寸前」が出た。

優先席でメールに夢中の若い女性。

前に立つ初老の男性が注意したら「うるさい」と一喝され、女性に加勢する酔客らも参戦した。


場が収まり、投稿者が「殴られますよ」と声をかけると、男性は「2度あります」と答えたそうだ

▼警告と違反が同居する「走る無法地帯」とは情けない。

車中の飲食や化粧も見苦しいが、優先席の携帯電話は人様の体調にかかわる。

迷惑が見えないからといって、罪悪感まで消えていいはずがない。

鉄道会社は実効ある対策を講じる時だ

▼優先席で携帯を切る習慣を機内並みの「常識」にするまで、何人が心で悲鳴をあげ、何人が殴られるのか。

弱者や善人に勇気を強いていては、豊かな情報社会の離陸はおぼつかない。






携帯電話をいじっていない風景はみられなくなった。日常に溶け込んでいる。電波を完全に住み分けして携帯以外の電波には

影響与えない方法はないものだろうか。








防衛省の守屋武昌・前事務次官が、
取引先業者とゴルフ三昧(ざんまい)の
間柄だったことがわかった








平成19年10月23日の天声人語よりの引用


葉末に露の多い季節である。初めは露に濡(ぬ)れないように注意深く歩いても、いったん濡れてしまえば大胆になる。

「濡れぬ先こそ露をも厭(いと)え」のことわざには、一度過ちを犯すと、繰り返しても良心が痛まなくなることへの戒めがこもる

▼過去に多くの公僕がたどった背徳の轍(てつ)を、この人も踏んだのだろうか。

防衛省の守屋武昌・前事務次官が、取引先業者とゴルフ三昧(ざんまい)の間柄だったことがわかった。

利害関係のある相手と100回以上繰り返していたというから、たがの外れ方は並ではない

▼家族のために、業者に便宜を図ってもらったともいう。

反対に、業者の資金繰りでは口を利いていた疑いがある。

「大物次官」と持ち上げられて、長く組織に君臨した慢心か。

倫理の土俵の割りようは、野放図にさえ見える

▼守屋氏の次官時代、自衛隊はイラクに派遣された。

庁から省へと格上げにもなった。

昇格の際、氏は制服組を前に訓示し、「24万の隊員一人一人が、それぞれの部署で責任を果たす強い使命感」を求めている

▼言行不一致にも思える言葉に、先の大戦中の、ある中将が重なる。

南方の司令官だったその人は軍刀を掲げ、「君たちだけを死なせはしない」と激励して、特攻機を死地に送った。

だが米軍の攻撃が迫ると、部下を置いて逃亡した

▼いま、守屋氏に裏切られた思いの自衛官もいるだろう。

国会に呼んで質(ただ)す動きも急だ。

説明責任を果たす使命感が求められよう。

のらくらと、服を濡らした露が乾くのを待つようでは






武器を使わないことを戦後の国の方針として歩んできた日本が高価な武器をアメリカから輸入されるようになり

日本内での武器産業も日の照る場所に出てくるようになって,武器取り扱い業者と防衛省との癒着が顕著になり起きた事件である。

「戦争放棄した国」にどうして高価な大量の武器が必要なのか根本的に考えるべきである。








官官をむしばむ病は、十年一日のごとく重い






平成19年10月24日の天声人語よりの引用


古めかしい言葉を久しぶりに聞いた。

福田首相がおととい記者団に、「情けない気持ちだ。

“つかさつかさ”できちんと対応してほしい」と心中を語った。

辞書を引くと、漢字なら「官官(つかさつかさ)」と書くらしい。

あらゆる役所、役人をさす言葉である

▼防衛省は、インド洋での給油の真相を、闇に葬ろうとしていた。

厚生労働省は、C型肝炎の感染者の資料を地下倉庫に放り込んで、知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。


年金問題に続く失態だ。

官官をむしばむ病は、十年一日のごとく重い

▼漢字博士の白川静さんによれば、「官」はもともと軍の駐屯地をさしたらしい。

軍の守護霊を安置した神聖な場所というから、庶民は近寄り難かった。

防衛省にはいまなお、独りよがりの聖域意識があるのではないか

▼「官」の応用に「管」がある。

やはり「つかさ」の意味があって、管理、管制などと用いられる。

ただ、元の意味は「細長い筒」だから、見聞や了見が狭い例えにも使われる。

厚労省の官僚は、「管僚」と呼ぶ方がふさわしいかもしれない

▼防衛省の失態は文民統制の根っこを揺さぶっている。

厚労省のそれは、国民の命を脅かしている。


政治家も私たちも、軽く見られたものである

▼忘れてはならないが、宰相の「宰」も「つかさどる」という意味だ。

「辛」とは肉を切る包丁。

生(い)け贄(にえ)をさばいて祖先に供える長老、つまり官官の頂点に立つ責任者である。

その人が「情けない気持ち」では、国民も情けない。


剛刀でさばくようなリーダーシップを、たまには見たい。





聖域なき改革が小泉元首相の掛け声だった。武器産業と防衛省の癒着こそ何の国民に利益を与えないところを

改変せずに置いていて,大切な部門での改変で国民生活が大変になってきている。





老舗(しにせ)や特産の金看板が、
相次いで墜(お)ちている







平成19年10月25日の天声人語よりの引用


秋田の「きりたんぽ鍋」には素朴な味わいがある。

漫画家の東海林さだおさんはある日、鍋の材料をあれこれ購入した。

だが必須とされる秋田特産の比内地鶏は、店になかった。

やむなく「比外鶏」を使ったと、近刊の著書でユーモラスに書いている

▼今なら比内地鶏と銘打っていても、信じられない。

秋田の業者が、卵を産まなくなった廃鶏に「比内」の衣装を着せて長年出荷していた。

きりたんぽ鍋のセットにも偽の鶏肉を使っていたと聞けば、湯気の向こうの笑顔も曇る

▼老舗(しにせ)や特産の金看板が、相次いで墜(お)ちている。

食べ物不信が募るさなか、北海道の食肉業ミートホープの社長らが警察に逮捕された。

こちらは、豚や鶏を混ぜたミンチ肉を「牛肉」と偽って出荷していた

▼背信行為を小紙が特報したのは、内部告発によってである。

これが呼び水になったかのように、井戸の底から醜聞がわき出した。

「白い恋人」に「赤福」、「比内地鶏」。

内部から漏れ届いた良心の声が嘘(うそ)の仮面をはがしていった

▼食べ物職人の意気を懐かしむ短文が、往年の名記者、長谷川如是閑(にょぜかん)にある。

ある老人の売る煮豆は絶品だった。

ところが家が焼けて竈(かまど)も釜も失った。

新しい設備で煮たが、味に納得がいかない。

煮ては捨て、煮ては捨てて、決して売り物にはせず、ついには廃業してしまった。

遠く明治の話である

▼儲(もう)けにかまけてモラルを見失った現代の老舗など、顔が赤らむことだろう。

あまたの醜聞に「食への信頼」を吹き飛ばされて、迎えた食欲の秋を何としよう。




老舗の信用でもって,現在の若い人たちは儲け第一の商売をしている。戦後道徳の退廃によるものか。








文部科学省が公表した全国学力調査の結果も







平成19年10月26日の天声人語よりの引用


個性派の俳優で昨年亡くなった岸田今日子さんは、風変わりな子どもが好きだった。

ほかの子とテンポが合わないような子がいるとうれしくなってしまう。

随筆にそうつづっている

▼ところが自分の子が生まれると、勝手が違った。

「早くご飯を食べなさい」「宿題はしたの?」。

わが子が仲間はずれになりはしないかと気にかかる。

今や、ただの大人になってしまったのだろうか――

筆づかいからは、深い溜(た)め息が聞こえてくる

▼親なら誰もが「ただの大人」なのだろう。

文部科学省が公表した全国学力調査の結果も、気にかかるに違いない。

何しろ都道府県の成績がきっちりと出た。

表には出ないが、市町村や学校ごとの順位も分かっている。

うちは、よそはと、心騒ぐ人も多いことだろう

▼順位の思わしくなかった府県は、教委の口ぶりも苦い。

「衝撃を受けた」と嘆くのは最下位の沖縄だ。

「考えられる限りのことはやってきたつもりだったが」と大阪。

高知は「子どもには申し訳ない」と敗軍の将さながらである

▼結果の分析は難しい。

だが順位は分かりやすいから、口の端にのぼりがちだ。

上位は誇り、下位は落胆する。

不毛な明暗ばかりが市町村へ、学校へと広がっては、鳴り物入りの調査はむなしくなる

▼岸田さんに話を戻せば、小学校高学年でも割り算ができなかったそうだ。

母親に教わって、数を割る意味が分かった瞬間、違う世界が見えてきたと語っていた。

調査は来年もある。

順位大事のテスト対策がはびこり、分かる喜びを奪わないか心配だ。







学力偏重の社会が如何に危ないか教育者達は理解できていない。現在道徳は地に落ちている。







そんな言葉も取り込んで、
代表的な国語辞典の『広辞苑』(岩波書店)
が10年ぶりに改訂される







平成19年10月27日の天声人語よりの引用


「鬼」と聞けば恐ろしいものを想像する。

若者言葉に「鬼ダチ」というのがあるそうだ。

ダチは友達だから、怖い悪友のことかと思ったら、外れ。

とても仲の良い友達をさすらしい

▼いまどきの若者は、「鬼」を最上級を示す接頭語に使うのだという。

「鬼かわいい(すごくかわいい)」などの言い方があると
、『みんなで国語辞典!』(大修館書店)に教わった。

若い世代や業界に飛びかう新語を、広く募集して編んだ辞書だ

▼生まれては消え、消えては生まれ。

うたかたのような新語の中にも、生き延びて市民権を得るものがある。

そんな言葉も取り込んで、代表的な国語辞典の『広辞苑』(岩波書店)が10年ぶりに改訂される。

「うざい」「いけ面(めん)」「デパ地下」「メル友」など1万語が追加される

▼日本語として独りで歩き始めたかどうかが、掲載の物差しだという。

91年の改訂では「いまいち」「断トツ」などが独歩を認められた。

98年には「どたキャン」「素っぴん」などが、晴れて「広辞苑一家」のメンバーになっている


▼一度掲載されれば原則として削除されないから、言葉には安住の地になる。

長い命を得る新語もあろうが、せわしない時代である。

一時の春を謳歌(おうか)したあと、ひっそりと寂れていく言葉も多いのではないか

▼辞書を言葉の師と仰ぐか、しもべとして使うかは、人それぞれだ。中には、読み物として付き合う人もいるという。

開けば広がる、あいうえお順の大宇宙である。

「鬼ダチ」になって、深い味わいに時を忘れるのも悪くない。





広辞苑には大変お世話になった。戦後本などが不足していた時代広辞苑を拾い読みして知識を集積したものである。

今はインターネットを通じて判らないことを検索すると教えてくれる。






NHKの「きょうの料理」が放送開始から50年になる。






平成19年10月28日の天声人語よりの引用


外食がとびきりのぜいたくだった時代、日本人の栄養と食欲はもっぱら台所が引き受けた。

半世紀が流れ、「食悦」に震えるツボは胃から舌に移ったかに見える。

それでも家での食事は、乱れた生活のリズムを正してくれる

▼NHKの「きょうの料理」が放送開始から50年になる。

初回は1957(昭和32)年11月4日だった。


最初の料理「かきのカレーライス」の材料表記は6人分。

当時の食卓が浮かんでくる

▼4人に1人が栄養不足とされた初期の放送には、レバーや鯨など、安くて滋養豊かな素材が使われた。

江上トミ、土井勝、村上信夫ら、戦後の「食育」を担った面々が、生放送で名調子を競ったものだ

▼昭和30年代。

豊かではなかったけれど、都市も農村も、これから豊かになるんだという予感と熱に満ちていた。

料理番組は、家計に優しい今夜のおかずを提案しながら、時には、いつかは手が届くであろう「一流の技」を紹介した

▼ほどなく帝国ホテル料理長となった村上は、画面でテリーヌを焼きながら

「もう皆さんは、ひき肉料理のベテランと伍(ご)しても絶対に負けません」と、まん丸な笑顔で主婦を励ました。

テレビがまいた種が、家庭の味という無数の実を結び、親から子へと受け継がれてゆく。

リレーはまだ続いているだろうか

▼番組のテーマ曲は、25歳の冨田勲氏が前日に頼まれ、一晩で仕上げた。

転がるようなマリンバの旋律は、まな板で弾む包丁を連想させて楽しい。

まな板と包丁のない家など想像もできない昔の、味わい深い絶品である。






戦後の食糧不足で育ったときの者として味のうまさには無頓着のところがある。

むしろこの食品は健康に良いか否かを直ぐに考える習慣になっている。







ゆがんだ愛は社会悪にも転じうる





平成19年10月29日の天声人語よりの引用


新築の高値もあってか、中古マンションの取引が活況だという。

わが集合住宅の郵便受けにも「売り物件求む」のチラシが絶えない。

中の一枚を、腹立ち紛れに手元に残してある

▼東京の高級住宅地に暮らす会社経営者が、結婚を控えた息子のために3LDKを探しているらしい。

「室内は息子夫婦の好みで改装」「会社名義での購入も検討中」とある。

子の門出に何かしてやりたいのは親心だが、新居まで買い与えるのは甘やかし過ぎではないか

▼ひとしきり叩(たた)かれたボクシング一家も、同じ思い違いをしていたようだ。

お父さんは弱い対戦相手を選び、息子たちに勝ち星を与え続けたと聞く。

揚げ句に、次男は世界戦でまとめて恥をかいた。

「父離れ」からの再出発となる

▼子を虐げる親、親をあやめる子の悲報に接し、「愛」があるだけ過保護のほうがマシなのかと、自問する。

だが、教師や学校に無理難題をふっかける「モンスター親」のように、ゆがんだ愛は社会悪にも転じうる

▼東京都立川市の家族問題カウンセラー、坂田雅彦さんに聞いてみた。

「ここ2年ぐらい、溺愛(できあい)型の親が目立つ。

地域や人間関係で孤独な人ほど、わが子に愛を集中しがちだ。

子どもはいずれ自立しなければならないのに、それを妨げる溺愛は虐待と紙一重です」

▼過ぎた関与は、子どもをゆっくりだめにする。

無償かつ無限大とされる親の愛を、賢く抑えるのは楽じゃない。

はやる助け舟を岸にくくりつけ、わが子の苦闘を見守る。

親ゆえの辛(つら)さだし、腕の見せどころでもあろう。






これらはお金を持っている家庭での弊害で昔からあったはずだ。ない物には無縁の話である。

奨学資金制度には大変に世話になった。






その守屋氏がきのう、国会で証言した
便宜供与については、「一切ない」と繰り返した






平成19年10月30日の天声人語よりの引用


防衛省の守屋武昌・前事務次官の座右の銘は「一人を以(もっ)て国興(おこ)り、一人を以て国亡(ほろ)ぶ」であったらしい。

中国の宋代の文人だった蘇洵(そ・じゅん)が、遠く春秋時代の名相・管仲(かん・ちゅう)を評した言葉を元にしたのだろう

▼気宇壮大は結構なことだ。

だが生身の人間の悲しさか、現実となると話はみみっちくなる。

ゴルフにマージャン、焼き肉……。利害関係の明らかな相手から、接待漬けにされていた。

夫婦そろって偽名でプレーしていたと聞けば、蘇洵もあの世で渋い顔に違いない

▼その守屋氏がきのう、国会で証言した。

軍需専門商社の元専務との親密ぶりは、癒着そのものだ。

夫婦でゴルフセットも贈られていた。


「人間として甘かった。

やってはならないことを、してしまった」と倫理規程違反をわびた

▼しかし、そこまでである。

便宜供与については、「一切ない」と繰り返した。

時折しどろもどろになるのは正直な人だからか。

議員側の追及には、いま一歩の鋭さがない。

事の次第がつまびらかになったと思えない国民も、いたことだろう

▼醜聞は福田政権を揺さぶっている。

首相はおとといの自衛隊観閲式で、「規律の保持」を厳しく訓示した。

その首相も、『一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ』と題する共著を、かつて出している。

蘇洵の言葉の皮肉な巡り合いである

▼守屋氏は先月、離任のあいさつでも「心のよりどころ」だと言って座右の銘を紹介していた。

一人を以て国防への信頼を損ねた背景と、不祥事に至った真相。

もっと、くわしく知りたいと思う。







守屋喚問で問題になった現額賀財務省の喚問は必須である。

久間元防衛長官だけが問題されているが贈収賄ではもっと多くの人たちが関与していると思うのが常識ではないだろうか。

こんな時代に日本もなってきていることをよく理解する必要がある。






不祥事をわびる「低頭」ばかり目についた10月の言葉から





平成19年10月31日の天声人語よりの引用


訪日した外国人に、以前尋ねられたことがある。

並んで頭を下げる姿を毎日テレビで見るが、何かの儀式なのか、と。

最近もしかり。不祥事をわびる「低頭」ばかり目についた10月の言葉から

▼伊勢の「赤福」は、創業300年の節目に、偽装が次々と明るみに出た。

「赤福よ、お前もか」の嘆きが広まるなか、

小紙の声欄(西部本社版)で冨岡義幸さん(50)は「喜びは利益ではなく、お客の喜ぶ顔であって欲しかった」

▼秋田特産の比内地鶏でも長年の偽りが発覚し、「比内鶏」の藤原誠一社長(76)は姿をくらました。

舞い戻っての記者会見で「楽に死ねないかと、妻と車で近辺の山をさまよっていた」。

なぜ偽装を?との問いには「ブームに乗っかって、少しでも多く売ろうと思った」

▼低頭はしたけれど、「謝罪になっていない」と総スカンを食ったのは、ボクシング一家の亀田父だ。

長男の興毅選手(20)がその後に会見し、ぎこちない丁寧語で「亀田家のせいでボクシング界全体のイメージを悪くし、申し訳ございません」。

親離れを促す声を、父はどう聞く

▼力士が急死した問題で、日本相撲協会も謝った。

リンチ疑惑に、元力士で落語家の三遊亭歌武蔵さんは「自分の行為がけいこなのか、暴力なのか。

力士の心構えを自覚していれば間違わない」と注文をつける

▼厚生労働省が命にかかわるC型肝炎の情報を放置していた。

菅直人・元厚相は「せっぱ詰まるまで隠し続ける役人の体質が全く改まっていない」。

“厄人”と記したくなる役人の多さよ。






戦後続いてきた自民党長期政権が末期症状を呈していると理解するのが正しいように考える。

正常な政権交代が頻繁に行われるのが普通の政治構造ではなかろうかと考える。

地方でも同じことが言えるのではないだろうか。







上寺と下寺




京都には寺院が大変多く存在している。普通は平地に寺院が建っていてその規模の大きい寺と小さい寺であるかの違いだけである。

でも現在も平安時代から続いている醍醐寺では上寺と下寺との二箇所で一つの寺院を形成されている。

醍醐寺は子供の頃より何度も訪れている。だが殆んどが下寺だけで上寺に登り参詣することは少ない。

醍醐寺の開山聖宝が初めて開いたのは上寺は一般に上醍醐寺ともいわれている。

それから時代が経つと共に,下寺即ち下醍醐寺へと拡張されてきている。

殆んど訪れているのは下醍醐寺だけである。醍醐寺は太閤秀吉の「醍醐の花見」で有名である。

三宝院の庭は太閤秀吉が作ったとされている。

三宝院の庭は広くて,なんとも味わい深くて美しい庭園である。写真が禁止である。

その庭のほぼ中央後方付近に藤戸石がある。

この藤戸石が何故に有名なのかは判らず,玄関脇に座って執務している若い僧に尋ねたところ,その「いわれ」を教えてくださった。

それは源平合戦の時に瀬戸内海で,平氏を攻めあぐねていた源氏の佐々木盛綱が瀬戸内海を挟んで対岸にいる平氏のもとに

行くのに浅瀬を知りたく,近くにいた若い漁夫を掴まえ聞いたところ浅瀬のある個所を教えてくれた。

聞いた後に盛綱はその漁夫がその個所を他の人に教えるのを恐れ,その場で漁夫を斬り殺し捨ててしまった。

そしてその後平氏との戦いに勝利した佐々木盛綱はその母親を呼んで何でも良いから褒美をとらせるからと言ったたところ

その母親は「殺された息子をば今此処に返して欲しい」と願ってと言ったとのことである,

その場所に在ったのがこの「藤戸石」だったとのお話を聞かしてもらった。

感動する話で,始めは石そのものが特別な石でもって珍重されていたのかと思い込んでいたのがそうでなさそうである。

その後この藤戸石は銀閣寺 細川邸 織田信長を転々として そして聚楽第にあったのを秀吉が三宝院へ運びこんだとのことである。

それほど武将に愛された藤戸石は,よく見ると左右に在る小さな石と並んで本尊の左右に控えた阿弥陀三尊佛にも見えてくる。

後ろから見ると武将の姿に見えると,庭番していたおばさんから聞いたが,何が一番に尊重され大事にされているのかは理由はわからない。

若い僧から聞いた話は心に残る大変良いお話であった。

次に上寺の在った寺院としては山科の安祥寺がある。現在の安祥寺は昔の場所と少し違った位置になるらしい。

安祥寺の開山は東寺二代目長者の実恵の弟子遊唐僧恵運である。最初上寺を建ててそれから下寺が建てられている。

上寺は現在京都大学文学部研究科で調査されて一応調査は終わっているようだ。

誰もが上寺に近寄り難い状態で,その為に荒らされず良好な遺跡として残っているようだ。

現在の下寺である安祥寺は一般公開されていないので,どのような状態の寺院かは不明である。

醍醐寺と安祥寺との丁度間に在る随心院がは当初曼荼羅寺と言われており,開山は仁海で,上寺は聖宝によって開かれている。

曼荼羅寺の上寺と下寺について一般的には広く知られてはいない。

曼荼羅寺は焼失し,その子院の一つである随心院だけが残ったことになる。

隋心院での小野小町(809-901)は隋心院が仁海(951-1046)によって開祖されるよりも小野小町の存在は約百年前もの昔の話になり

寺院内に化粧の井戸とか小町の墓碑が立てられているのが不思議に思えてくる。

東福寺の東側に在った光明峰寺が九条道家によって創建され,九条家の寺院であったが,曼荼羅寺は一条家から入寺するようになった。

九条家から一条家が別れている。一時は九条家と一条家とは対立が長く続いた時期もあり光明峰寺にも一条家から入寺することもあった。

安祥寺の恵運は檜尾寺に住持していた実恵の弟子で,j曼荼羅寺開祖 仁海は雨僧正とも言われ若い時期の記録は不詳だったところが多くて

豪快な人だったようで,檜尾寺の上座だったとも言われている異説もある。

寺院とは違うが伏見稲荷神社も奥の院 さらには三の峰 二の峰 一の峰にまつられる下社 中社 上社は寺院の上寺に匹敵して

表拝殿 (本殿)が下寺に匹敵する。これは稲荷大社が昔は稲荷山に在って平安時代なと゛の稲荷詣では田中神社辺りを通りお参りしている。

現在の本殿の辺りは藤尾神社(:現在の藤森神社)が祀られていたと考えられる。

醍醐寺と曼荼羅寺は修験道を修めた聖宝がが上寺から開山して次第に下寺に発展していったと考えられる。

安祥寺は恵運によって上寺から下寺が始められているが唐でも見聞がそのようにしているのか実際は不明である。

上寺は僧の修行の為に建てられ,下寺は一般の人たちが参詣し易いように建てられたと想像することはできる。

 




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