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正月になって



新しく年が変っても,若い頃のような気持ちで゜清新な気持ちでもって新年を迎えるような気分になれなくなってきている。

でも世の中はいつも新しく前進し,又はしていてほしいものである。

だが人間の営みの様式が変っても,人間のしている内容そのものは,昔のままのような気がしてならない。

正月になり,年が改まっても正月気分になれないような不景気がこの所続いている。

株価は暴落し,円安が続き,それでいて石油高騰のために物価は上昇しだしている。

それに対し,個人の収入が上がらないから,生活が必然的に苦しくなっている。

アメリカでの低所得者向けのサブプライムロ-ンの破綻に発した世界金融情勢によるというものだが,

何とか改善の兆しが見えてきてよさそうなものである。

どこまで世界に対しアメリカが迷惑をばらまいているのた゛ろうか。

アメリカ政府がその責任を感じ対処しているのかどうか,大いに疑問である。

殆んどが民間に任せきりのようだ。

これはアメリカ政府による失政が端緒だから,アメリカが全力もって対処すべきことである。

でもブッシュは政府の主導の下において,戦争は相も変わらず尚も続いている。

儲けるのはアメリカの軍需産業だけであって,そのために世界は深刻な影響をば受け,それにアメリカ若者.軍人達も多勢が死んでいっている。

アメリカがやろうとする世界での再軍備編成問題は,その死ぬべき軍人をば外国に肩代わりさせようとするものではあるまいか。

世界の中でのアメリカ天国がまだまだ続いている。現在行われている大統領選挙結果が唯一の頼みだ。

毎日が厳しい寒い日が続いているので,外出するのにためらいがちになりがちだ。

明治神宮 成田山新勝寺 川崎大師 伏見稲荷大社 熱田神宮 住吉大社 への参拝客は

今年も相変わらず大勢の人たちが初参りしている。

景気回復を願って参拝する大勢の人出があった。最後,には国民は政府よりも,何よりもただ神頼みによる為なのか。

正月行事が続けることができる日本はまだまだ良いのかもしれない。

福田政権は戦前回帰のような怖さはないが,なんとなく生ぬるい感じはゆがめられない。

新聞報道によると自尊心の高い人のようだが低姿勢な政治姿勢は感じられる。

早く内閣総辞職し衆議院解散。そして総選挙で新しい議員の下、政治をやる気構えを持って欲しいものである。

参議院で否決され,衆議院での三分の二の多数決で再議決する方法をとり続けるのは誰が見ても「可笑しい現象」だ。

民意をはっきりさせるには,まず早く総選挙を施行して是非を問うべきである。

民主党に政権が渡れば,永遠に自民党に政権が戻らないものではないはずである。

大いに政党同志によって政権交代はあるべきことだ。

両党が国民に向かっての政治で大いに切磋琢磨し,政権を争って欲しいものである。

それが本当の民主主義ではなかろうか。

今までに長期間続いた「自民党長期政権が政界の腐敗」の一番の要素であったことを自民党は自覚していない。

政権が取れなくなったからといって政界再編とかの姑息な手段で政権維持を努める事は

日本そして国民にとって大いにマイナスだけのことで,国民は怒るであろう。

今までの自民党の長期間の政権維持こそが政治腐敗の根本原因になっていることを是非知るべきだ。

何時の時代も政権交代はドンドンとやればよいことである。

両党には根本的な顕著な政策の違いは見えてこない。

国民に向いて真面目に政治をいか様に実践し,国民のために,国民をよろこばせ支持を集めるかの違いだけである。

福田内閣の支持率は低下を続けている。

:現在はどの法案成立も衆議院か゛三分の二以上あるから,自民党は何でも出来る。これは歪んだ政治情勢である。

あの時の民意はただ「郵政民営化反対イエスかノー」かで,国民を騙したとった議員席数で,当時の首相だった小泉純一郎氏に責任はあり続ける。

変人首相が出ることによって,その後に色んな方面での弊害でもって国民は苦しんでいる。

ブッシュも又始めの人気は何処にいったのか,アメリカ憲政史上に残るような汚点であるイラク戦争を開始し

イラク国民 アメリカ国民そして世界中人たちに大迷惑を与え続けている。

現在アメリカ大統領予備選挙が行われているが民主党候補ヒラリ-・クリントン氏とオバナ氏の間で熱戦が繰り広げられている。

ブッシュは完全に過去の人になっている。

これほど戦争好きな大統領も珍しかった。

でも中東地域は尚も不安定である。自爆テロがあちこちで起きており,人々が殺されている。

元はといえばブッシュの気まぐれによる「テロとの戦」が原因である。

そして驚くような巨額な戦費が使われている。

軍需産業のための戦争が,美名のもと何時の世にも続けられて止む事がない。








ベートーベンが交響曲第5番「運命」を仕上げたのは
1808年の初めとされる









平成20年1月1日の天声人語よりの引用


ベートーベンが交響曲第5番「運命」を仕上げたのは1808年の初めとされる。

第3番「英雄」の完成前に想を得て、第4番を書いても放たず、

5年の推敲(すいこう)を重ねた一発必中の作品だった(『名曲解説全集』音楽之友社)

▼〈ダダダダーン〉は世界で最も知られた旋律だろう。

指揮者の金聖響さんは近著『ベートーヴェンの交響曲』(講談社現代新書)で「冒頭のわずか四つの音が、

次々といろいろな楽器に受け継がれ……一点の隙(すき)もない巨大な建造物になります」と解説する

▼冒頭の4音は、すべての弦楽器とクラリネットで響かせる。

そろえるのが難しいそうだ。

ベルリンフィルのカラヤンは、指揮棒を一、二、三と振って〈ダダダダーン〉。

バーンスタインがウィーンフィルを振った時は、一、二で〈ダダダダーン〉だったという

▼この旋律を「運命が戸をたたく音」とする説には異論も多い。

確かなのは、人の一生は2世紀前の名曲のように

「どの一つの音も完璧(かんぺき)に計算された構造物」(金さん)にはならないことだ


▼冒頭でダーンと決まるのは故郷と親兄弟ぐらいで、あとは才覚と努力でどうにでも。

ところが、この「公平の原則」が怪しくなっている。

富める者がさらに富み、階層や格差が再生産される社会はいずれ行き詰まる

▼年末ジャンボの吉凶はすでに決し、次の幸せを願う人の波が神社仏閣を埋めている。

さて、08年はあなたの戸をどんな音でたたくだろう。

運命に任せる人生では不公平にも勝てない。

戸は内側から、自分でダダーンと開けたい。







開けるにしても日本という大枠の限度がある。その限度について考えれば色々と有ってきりがないことである。

それも含め人生での「運命」というものだろうか。








元日、記念の年を迎えた東京タワーにのぼった







平成20年1月3日の天声人語よりの引用

 元日、記念の年を迎えた東京タワーにのぼった。

エレベーターが1時間待ちと聞いて、外階段で大展望台を目指す。

何度か休みながらも、進む方向は上しかない。

この塔が背負った時代が、まさにそうだった

▼1958(昭和33)年の開業は、戦後復興から高度成長へと、日本全体の上げ潮を告げた。

タワーには総合電波塔の役割とは別に、国産の資材と技術で世界一を建ててみせる意味があった

▼いま、地上150メートルからの眺めは平凡だ。

地平線はあまたの高層ビルでぶつ切りにされ、点線になっている。

西では六本木ヒルズと東京ミッドタウンのタワーが、助さん・格さんのように空を突く。

それでも赤白の鉄塔には、時が醸した黄門様の存在感がある

▼東京タワーの半世紀は、ざっくりと昭和が30年、平成が20年。

両方にまたがるバブル期から、日本は下り階段に迷い込んだ。

だから、建設中のタワーをとらえた白黒写真はまぶしい。

50年前の正月、4本の塔脚が姿を現した。

国中が「伸びゆく姿」であふれた昭和30年代は甘い香りを放つ

▼今年夏、約10キロ北東で新東京タワー(仮称)の建設が始まる。

高さは「旧」の倍近く、地上デジタル放送などの送信はいずれ「新」に移るかもしれない。

しかし、デートや修学旅行の思い出までが移ることはない

▼昔話を、それも「良き時代」を語り出せば成長は止まるという。

だが、語りたい、語るべき過去があるのはいい。

敗戦13年でこれができたのだからと、気合を入れ直す道もある。

階段を下りながら、そう思った。







日本は悲しい現実としてアメリカのそっくり型の都会ができてしまっている。

大戦後の植民地下に置かれた悲哀を感じなければならない。

まだ今も日本は完全に独立していないのが現実である。

誰が真の独立国家にしてくれるのか,立派な政治家の輩出を早く願うものである。

日本の都会風景は見ただけではアメリカと見間違うほどの景色に変っている。

テレビで見るヨーロッパなどの風景とは全く違っていることで知るはずだ。







交通事故死者7年連続の減少で、
5000人台に収まったのは54年ぶりだ。







平成20年1月4日の天声人語よりの引用


登校中にトラックにひかれ、タレント風見しんごさんの長女えみるさん(当時10)が亡くなってから間もなく1年になる。

風見さんは年末のブログに書いた

▼「笑顔で満ちるときが、たくさんの人たちに、たくさんの場所に訪れますように。

天国まで届きますように。それが君の名前だから。

だけど出来ることならば、2007年のお正月がもう一度やってくればいいのにと、真剣に思ってしまうチチを許して下さい」

▼えみるさんら、07年の交通事故死者は5743人。

7年連続の減少で、5000人台に収まったのは54年ぶりだ。

シートベルトをする人が増え、エアバッグが広まり、飲酒運転の罰が厳しくなったのが背景という

▼いい流れだが、遺族にすれば1割減も2割減もない。

大切な人が今ここにいるか、いないか。

平穏な日常と不測の悲嘆の間には、戻せぬ時間と底なしの谷があるだけだ。

年に100万人の負傷者にも、重い障害が残る人は多い

▼犠牲者の無念、家族の悲しみ、加害者の悔いを、事故撲滅の力に変えることはできる。

声の通る語り部が「谷」の向こう側から叫び、平穏な日々を送る者が耳を傾ける。

飲酒運転への厳しい視線は、子を失った親たちが訴え続けた結果でもある

▼風見さんは交通安全の講演で語った。

今でも「ただいま」という声が聞こえて玄関に向かうことがあるそうだ。

そのたびに、心が壊れそうになるという。

たくさんの壊れそうな心が合わさり、社会の共感が安全対策を促す、無謀運転を追い詰める。

この流れを太くしたい。






いろんな腐敗政治による犠牲者もかなりいるはずである。

今までにどうして厳しい取締りと,より安全な交通体制の確立がどうして出来なかったのだろうか。出来ないのか。

健全な政治,真面目に,行政 立法 司法がそれぞれ独立し,健全に活動されない社会て゛ない限りのにおいては

無理な話のことなのかもしれない。








福田首相は年頭会見で、内閣改造の見送りを表明した





平成20年1月5日の天声人語よりの引用


欧州によくある石造りの古い建物は、窓を大きく取れないのでたいてい薄暗い。

その代わり、小さな窓が切り取る景色には絵画に通じる味がある。

正月休みと週末に挟まれた小窓のような金曜日、08年が動き出す音が聞こえてきた

▼福田首相は年頭会見で、内閣改造の見送りを表明した。

理由の一つは「これから実力を発揮しようという方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれない」。

前任者は「私の内閣」と呼んだが、福田氏の口ぶりは逆に評論家を思わせ、「ひとごと感」さえ漂う

▼誰もが聞きたい衆院解散、消費税引き上げについては、質問は出たのに答えず、23分で終了した。

政治決戦の年とは思えぬ、のっぺりとしたやりとりだった

▼米国では大統領選挙の幕が開いた。

日本の政治風景を水墨画とすれば、こちらは原色の自己主張を塗り重ねた油絵だろう。

どの候補の語り口にも自信があふれる。

初戦のアイオワ州で民主党の3位に沈んだヒラリー・クリントン氏は、笑みを浮かべて巻き返しを誓った

▼日米の政治風土やメディア観は違うが、少なくとも弁論で切り結ぶ覚悟がなければ、どの国の有権者もついて来ない。

福田氏が「主役にする」と宣言した生活者に真っすぐ伝わる言葉を、今年こそ聞きたいものだ

▼年明けの原油相場は史上初めて1バレル=100ドルに達し、株安とドル安がまた進んだ。

天下大乱の兆しである。

来週からは小窓ではなく、総選挙へと続く大きな扉が開く。

指導者は存分にメッセージを発し、有権者はその資質を見極める好機だ。






アメリカ大統領選挙だけが世界の頼みである。

これだけのアメリカ政治によって世界中が翻弄されるならば各国にも何票かの投票権が有ってもよいぐらいである。

だが現状ではアメリカの人達の良識を信ずる以外に仕方ないことである。世界中が傍観しているだけである。







現代っ子の食生活を「ニワトリ症候群」と呼ぶそうだ






平成20年1月6日の天声人語よりの引用


去年の暮れにこの欄で、「農山漁村の郷土料理百選」について書いた

うち三つをあげて「どんな料理か見当もつかない」と首をかしげたら、「教えましょう」と便りをいただいた

▼熊本育ちの二木貴美子さんは「いきなりだご」の作り方を伝授してくださった。

「だご」とは団子。

輪切りにしたサツマイモを、練った小麦粉で包んで蒸す。

戦後の食糧難の時代に母親がよく作ってくれたと、思い出も一緒に、びっしりつづられていた

▼群馬の持田祥子さんからは「おっきりこみ」の実物をいただいた

練って伸ばした小麦粉を幅2センチほどに切ってある。

野菜たっぷりに煮込み、ふうふう吹いて食べるそうだ。

消化が良いので、冬の夜食にも最適という。

なるほど体の芯まで温まる心地がする

▼栃木の「しもつかれ」の由来を本にまとめたのは、東京の松本忠久さん。

大根とニンジンを大量におろし、炒(い)った大豆やサケの頭などを入れて蒸し煮にする。

鍋にいっぱい作って、丼で食べるのが正しい食べ方なのだという

▼素朴ながらふるさとの味は、みんなで卓を囲む楽しさとともにあるようだ。

故郷からのUターンもきょうが区切り。

温かい思い出を胸に“日常”へ帰る子もいることだろう

▼現代っ子の食生活を「ニワトリ症候群」と呼ぶそうだ。

独りで食べる「孤食」、朝食を抜く「欠食」、家族がばらばらなものを食べる「個食」、好きなものばかり食べる「固食」。

頭を取ればコケッココとなるからだ。

新しい年、鶏の鳴かない日が一日でも多くなればいいと願う。








健康維持にはタバコの害,禁煙と食生活が三割ずつ影響しているそうだ。食生活は健康とは不可分である。

中国の農薬入り餃子の例を出すまでもなく,食生活が大切であることを教えてくれている。

それに適度の運動など,親からの遺伝子による影響以外に環境因子として重要なことである。

戦後の食糧難の時代の食事が案外に健康な食生活だったなのかもしれない。

脂肪分を多くとりすぎるのはアメリカのハンバーグ食品に象徴される戦後の食変化によるものである。

地方の癌発生率の多さには郷土食が関係していることも有るから要注意である。







世界で最も過酷といわれるそのラリーが、
30回の節目の年に中止された






平成20年1月7日の天声人語よりの引用


「ダカール」という地名は高校生のころ、サンテグジュペリの小説『南方郵便機』で知った。

『星の王子さま』の作者でもあるこのフランス人は、砂漠を実に美しく描く。

翻訳の行間に、逃げ水の向こうで揺れる白い街を想像したものだ

▼作中、サハラ砂漠を越えてくる郵便機の安否を気遣い、エンジン音に耳をすますくだりがある。

今ならそれは、ラリー車が疾走してくる音だろうか。

アフリカ西岸のこの街は、砂漠を走る「ダカール・ラリー(通称パリ・ダカ)」のゴールとして一躍有名になった

▼世界で最も過酷といわれるそのラリーが、30回の節目の年に中止された。

競技をねらったテロの恐れがあるためだ。

もともと治安の定まらない地域である。


コースの変更は過去にもあったが、中止は初めてという

▼国際テロ組織アルカイダの一派が、フランスを標的に動きを強めているそうだ。

危険に立ち向かう冒険ラリーも、テロ組織に暗躍されては冒険ではすまなくなる

▼「冒険の扉に連れて行ってやろう。

ただし、運命に挑戦する扉を開けるのは君だ」。

それが、ラリーが始まったころの標語だった。

近年は商業化が著しく、冒険精神は薄れたとも聞く。

華々しさを増すイベントは、現地の人々の目には、どう映っていたのだろう

▼『南方郵便機』の時代も、仏の植民地支配に背く人々で、この地は不穏だった。

憎悪や敵意の温床は、冷めないままに残されたのだろうか。

温床を取り除くことなしに砂上の冒険を享受するのは、もう難しくなったように思われる。





ラリ-には興味がなく遠い国でのできごとにしか認識できない。何のためにするのだろうか。

冒険精神だけのスポーツなのだろうか。






一本の木でも、葉の表情はすべて異なる。






平成20年1月8日の天声人語よりの引用

 20年目に入った平成の世は、19年前のきょう始まった。

あの日曜をたどりながら、東京都立川市の昭和記念公園を訪れた。

落葉樹のケヤキやコブシはすっかり裸である

▼地元の画家、群馬直美さんの「葉っぱの詩(うた)」展が園内で開かれていた。

原寸大に描いた木の葉の細密画は、朱や黄が差した色合い、枯れっぷり、髪ほどの葉脈、虫食いの小穴まで引き写す。

写真を超えた生々しさである

▼自称「葉(よう)画家」の群馬さん、葉へのこだわりは学生時代から四半世紀になる。

どの一枚にも濃密な物語があるという。


道端の落ち葉は大声で「親」の名を叫ぶそうだ。

周りを見回し、空を見上げると、兄弟たちがヒラヒラ手を振っている。

作品集『木の葉の美術館』(世界文化社)の一節だ

▼一本の木でも、葉の表情はすべて異なる。

群馬さんは、この〈みんな違う、みんな主役〉の状況に感嘆する。

「私たちも一枚の木の葉。

ありのままの自分で輝きだしたら、地球は今よりずっと幸せそうな一本の木になるに違いありません」

▼新緑の頃の差異は小さいが、虫に食われ、鳥につつかれ、雨風に打たれて、木の葉は個性を蓄える。

散る時も別、そのあとも、土に還(かえ)る者、たき火で天に昇る者と「十枚十色」。

一枚ずつ名前をつけてやりたくもなる

▼昭和、平成。

黙して時代を越えてきた樹木の営みに、切れ目なき命の流れを思う。

冬の一日、葉を落とした木々と小さな「葉画」に囲まれていると、生死の境が一瞬ぼやけた。

生を終えても続きがあるような、ほっとする感覚だった。






葉っぱの一生の絵本があったように記憶している。

何にでも生の営みがあり精一杯に生活して一生を終わっている。

小さなものの営みにも宇宙の営みを感じ取ることもある。







東京都杉並区の区立中学校が、
大手進学塾の講師を招いた
夜間授業を計画した





平成20年1月9日の天声人語よりの引用

〈教育とは、学校で習ったすべてを忘れたあとに残るものをいう〉。

アインシュタインの言葉だ。

学校教育の「頼りがい」は常に問われてきた。

教師は不本意だろうが、答えの一つが教育産業の隆盛である

▼東京都杉並区の区立中学校が、大手進学塾の講師を招いた夜間授業を計画した。

夜の教室を使い、正規料金の半額ほどで塾の指導を受けられる工夫だ。

民間出身の校長の発案で、2年生19人が受講を希望していた

▼ところが、きょう予定されていた初の授業は、東京都教育委員会の指導で先延ばしされる。

生徒全員が出られない/特定業者に教室を供する/教材づくりに教員がかかわる――の3点に疑義があるという

▼授業の理解を助けるための補習は別にあり、夜間塾は「できる子を伸ばす」試みといえる。

週3日で1万8000円の月謝を出せない家もあろう。

一方、少子化に悩む塾にはそれなりの商魂があるはずで、教室で営業されるという心配も分かる

▼だが教師の過労が言われる中、公教育の建前を並べるだけでは、学力をめぐる保護者の焦りは消えない。

お金のかかる私立校や塾が現にあるのだから、ここは塾に行けない子への福音と考えたい。

先人の言葉を続ければ〈まずはやってみなはれ〉(西堀栄三郎)だ

▼杉並区教委と学校側は「疑義を晴らして始めたい」としている。

国の将来がかかる人づくりで、公と私をことさら分断しても無益だ。

官民の知恵を合わせ、教育現場にようやく顔を出した試行錯誤の芽である。

どう伸びるか、全国が見ている。





能力があっても親の収入の差で伸び悩んでいる子供にとってはは福音かも知れない。

でも選ばれた者たちにしか機会を与えられなければ同じような差別ともいえるのではないのか。






ねじれて5カ月の国会で、
福田首相と小沢代表の党首討論が実現し






平成20年1月10日の天声人語よりの引用


画面左に現れた民主党の小沢代表はこう始めた。

「総理、明けましておめでとうございます。

えー新年早々から、総理にとってはあんまり気分の良くない、愉快でない話をしなくてはならないんですけれども……」。

小沢さん、それがあなたの仕事です

▼ねじれて5カ月の国会で、福田首相と小沢代表の党首討論が実現した。

何度か密談はしたようだが、有権者の目が届く場所で両党首が一戦交えるのは初めてだ

▼悠長で紳士的すぎる前置きが示すように、小沢氏には政権を奪うぞという迫力が見えない。

「政治行政への不安、不満、不信なんちゅうのが日本社会に充満している」という認識は正しいが、たたみかける材料と技量を欠いた

▼年金から入ったのはいい。

だが、関係職員を総動員して国民の不安を解消せよという追及に、福田氏は「私も本当にね、考え方は同じだと思いますよ」。

柳に風の受け答えに、ゆるい笑いが議場を包んだ。

質問が給油法案に移り、小沢氏の声が熱を帯びた。

口も滑らかになった。

でも時間切れだった

首相はへらへらしているようで、言い逃れを含め言いたいことは言えていた。

「福田屋」と染め抜いた暖簾(のれん)を、小沢氏の武骨な腕が押している図だ。

テレビの音声で一番元気があったのは進行役の衛藤委員長、次がヤジだった

小沢氏はかつて「不器用で口べたな東北かたぎ」と自己評価し、北国から文句が出た。

来るべき総選挙では党首の発する言葉と、その発し方で一票の行方が決まる。

今からでも弁舌を磨くべきではないか。







どうも民主党の小沢党首には本気で自民党を倒そうとの意気込みが見えてこない。

幹事長まで勤めた自民党に対する愛着があるのか。

国民が一番望まないところの大連立構想が頭にあるように思えて仕方ない。







自費出版で急成長した新風舎が
経営に行き詰まった





平成20年1月11日の天声人語よりの引用


初めて新聞に載った記事や写真は忘れがたいものだ。

筆者の場合は「ソフトクリーム」だった。

入社研修の春、初夏を思わせる百貨店の屋上で、冷菓をほおばる子供を撮らせてもらった。

売店と気象台に話を聞いて、季節物の短信にした

▼翌朝の地域版を見て、自分の文章に羽が生えた気分になった。

パソコンもネットもない28年前である。

手書きが活字になり、読者のもとに飛んでいく感覚は格別だ。

この思いにプロもアマもない。

自分史や随筆を、見知らぬ人に読んでもらいたい気持ちは分かる

▼自費出版で急成長した新風舎が経営に行き詰まった。

「著作が書店に並ぶ」と宣伝し、費用を著者と分担する手法で約1万5000人の本を出した。


ところが、本屋にないなどの苦情が続き、裁判も起きていた

▼魅力は、時に魔力にもなる。

原稿へのほめ言葉に期待しすぎると、後で落胆しかねない。

NPO「自費出版ライブラリー」(東京)の伊藤晋理事長は言う。

「まれに『佐賀のがばいばあちゃん』のようなヒットも出るが、自費出版はそう売れない。

それでも、無名の記録として残す意味がある」


▼誰しも、自分の創作や人生を形に残したいと願う。

自費出版の盛況は、この国の豊かな文字文化のたまものでもあろう。

「庶民の作品群」は、だから店頭での人気では測れない価値を宿している

▼新風舎は前金を払った約1100人の本を制作中だった。

誰かの手に取られる日を夢見てつづった労作だ。

「羽」を待ちわびる文字たちが、つつがなく飛び立つことを祈る。





自費出版は誰もの夢だが現実に費用がかかりすぎ出来ない。

まず自己表現の手段として今ではインターネットで出来るようになっている。







松下電器産業が今年の秋、
海外で定着したブランド「パナソニック」に
社名を変える







平成20年1月12日の天声人語よりの引用


チョコ、マロン、モモとくれば、ケーキかアイスと思う方が多いだろう。

実はこれ、犬の名前の上位三つだ。

ペット保険大手のアニコムが、06〜07年秋に「どうぶつ健保」に加入した0歳の約6万8000匹を集計した

▼犬ならポチ、猫ならタマと、昔は仲間を代表する名があった。

今時のペットは家族の一員ということか、名前は甘くかわいく、動物臭がすっかり抜けた。

チョコは3年続けて首位だという。名は世に連れである

▼松下電器産業が今年の秋、海外で定着したブランド「パナソニック」に社名を変える。

あの「ナショナル」も消える。

創業90年の節目に、「あまねく響く」を意味する一つの名で飛躍を期すそうだ


▼「世界ブランド番付07年版」で、パナソニックは78位。

日本企業では、全体で6位のトヨタ、ホンダ、ソニー、キヤノン、任天堂の下だった。

「社員の努力が三つの名に分散していた」(社長)という改名の弁には得心がいく

▼「明るいナショナル」は高度成長期の合言葉だった。

白黒テレビに流れるCMの混声合唱は、右肩上がりの国土にあまねくこだました。

中高年には「家電のポチ」とさえいえるその呼称が、名実ともに歴史になる

▼通常、名前を改めても中身は変わらない。

ポチがワンとほえ、チョコがニャンと鳴くわけではない。

ポチと同じく、松下やナショナルにも長く親しまれたゆえの通りのよさがある。

あえて捨てるからには、鳴き方までも変える覚悟がいる。


そんな再出発になろうか。

ちなみにポチの名は今、223位である。



時代が変れば会社経営も異なってくる。だが根っこの部分は変るはずがないと考える。

不易流行である。

パナソニックも広く浸透しつつある。





登山がナショナリズムと結びついていた20世紀半ば、
「大英帝国」の威信を背負っての初登頂だった








平成20年1月13日の天声人語よりの引用


世界最高峰の頂上はやはり特別な場所なのだと、登山家の田部井淳子さんの話を聞いて思ったことがある。

田部井さんは女性で初めてエベレストに登った。

1979年に、それまでに登頂に成功した女性3人を招いた催しがあった

▼「なぜエベレストをめざしたのか」。

司会者の問いに、中国人女性は「国家と人民の名誉のため」と答えた。

ポーランド人女性は「女性の勝利のために」と語ったそうだ


名誉や勝利に値したのは、ひとえに「世界最高」の形容詞ゆえだろう

▼その場所に人類初の足跡をしるしたエドモンド・ヒラリー卿が、故郷のニュージーランドで亡くなった。

登山がナショナリズムと結びついていた20世紀半ば、「大英帝国」の威信を背負っての初登頂だった

▼養蜂を営む家に生まれた。

登頂記『わがエヴェレスト』によれば、養蜂は、日々緊張しながらも、きっと豊作だと夢を抱いて、長い労働に耐える仕事だという。

幼時から手伝った家業が、細心にして楽天家という、登山家向きの性格を養ったようである

▼頂上アタックでは“二の矢”だった。

1次隊が断念してめぐってきた機会をものにした。

すべてを眼下に見ながら、多くの登山家を退けてきた世界最高峰が「気持ちよく円みを帯びた頂を持っていてくれた」ことに感謝したそうだ

▼ヒラリー卿が小さな十字架を置いて去った頂を、半世紀あまりで約3500人が踏んだ。

とりわけ近年は大衆化が著しい。

温暖化も進む。

人為に痛めつけられるヒマラヤを、最後まで気に病んでいたという。





エベレストに登る過程が困難が為に人々は敬服するのである。

自然を征服したような傲慢な気持ちだけは持たないことである。

あくまでも自然の偉大さを感じ取るだけのことて゛ある。







内戦の続くアフガニスタンの子らが
「爆撃と爆発の音」や「銃を持つ男」を抜いて、
「幽霊」というのが一番多かった







平成20年1月14日の天声人語よりの引用


4年前にバグダッドを取材したとき、支局の入ったホテル一帯が、夜間に何度かロケット弾で攻撃された。

そのつど跳ね起きた。

耳の奥に轟音(ごうおん)がへばりついて、ドアがバタンと閉まる音にも、どきっとしたものだ

▼米軍の空爆を取材した知人は、帰国後も後遺症が尾をひいた。

干した布団をたたく音に身構えたりした。

彼によれば、空爆の下、ある家族はみんなで大声で歌っていたそうだ。

子供の気が爆音に向かないようにして、心の傷を防ぐためだった

▼音ばかりではない。

戦火は五感すべてを通して、子供の柔らかい心をえぐる。

東京で開かれている「カブールの幽霊」という展示会を見て、そう思った。

内戦の続くアフガニスタンの子らが「幽霊」を描いた絵約350点が並んでいる

▼6年前、ユニセフがアフガンの子らに、「最も怖い」ことと「最も嫌な」ことを聞いた。

「爆撃と爆発の音」や「銃を持つ男」を抜いて、「幽霊」というのが一番多かった。

それを知った東京のNPOが、幽霊を描いてもらった


▼黒こげ、血まみれ、飛び出す内臓や骨……。

酸鼻と、子供らしい感性や色彩とが入り交じる絵は、見るに切ない心の投影だ。

子らをさいなむ幽霊とは、「対テロ戦争の最前線」にされる祖国の荒廃にほかならない

▼その対テロ作戦への給油活動が、来月にも再開される。

しかし、あまたの「幽霊」を見るにつけ、対米支援ではなくアフガン支援の論議こそが、より深まるべきだと思いは募る。

腕力頼みの荒療治だけでは、幽霊の跋扈(ばっこ)はやまないだろう。





世界では想像を絶するようなことが日常茶飯事に起こっている。

住民とは無関係に世界情勢の荒波に翻弄されているようだ。

国連がもっと力強くなり指導すべきである。世界の国々特に大国のエゴの犠牲者である。







東洋大学が全国から募った
第21回「現代学生百人一首」である








平成20年1月15日の天声人語よりの引用


この国もまだいけそうだと少し安心した。

東洋大学が全国から募った第21回「現代学生百人一首」である。

中高生らが寄せた約6万首から100首が入選した

▼〈両親の働く姿に胸打たれそっと終わらすマイ反抗期〉中3・樋口絢美(あやみ)。

家族への思いと温かい観察眼に驚かされる。

〈ほうれん草のおひたし最近水っぽい握力落ちた母の細腕〉高3・千葉幸。

〈仲間とのそば打ち語る父の顔白髪頭の少年がいる〉高3・馬場史織

▼柔らかな視線の先は親だけではない。

〈おじいちゃんみんなの話題と違うけど私はちゃんと聞いてるよ〉高3・岸友佳里。

〈帰るねと言ったら急に話し出す祖母の顔見てまだいようかな〉高2・内田菜月

▼〈おばあちゃんさっきも言ったよその話忍びよる影そっと肩抱く〉高3・関口亜沙実。

精いっぱいの愛情表現だろう。

三十一(みそひと)文字の受け皿を得て、心底の優しさが紡ぎ出されたかのようだ

▼恋や勉強、職業訓練の歌には実感がこもる。

大好きな君に会えるの期待して今朝もいつもの各駅停車〉高2・長谷亜也。

〈片隅に積み上がってる参考書夏物語るマーカーのあと〉高3・野呂友里恵。

〈初めての機械実習緊張の心の角を切り飛ばしてる〉高1・泉田純次

▼去年の猛暑は意外にも、家庭を見つめ直す作品を残した。

〈エアコンで家族が集う夏の居間異常気象がもたらす絆(きずな)〉高1・小玉千陽(ちはる)。

その絆さえあれば、会わずとも思いは飛んでゆく。

気持ちはつながる。

〈受験費用心配しなくて良いからと父のメールに涙こらえる〉高3・小林麻未




和歌は百人一首は味あうと雅な世界であるが競技となればそうはいくまい。







救急体制のSOSに聞こえる
医師や看護師の不足から救急の現場は激務となり、
それが医師を遠ざける悪循環である







平成20年1月16日の天声人語よりの引用


命を守る音とは知りながら、救急車のサイレンは落ち着かない。

渋滞を突いて現場に急ぐのか、それとも、はやる気持ちを乗せて病院へとひた走るのか。

人様のことでも心が波立つのに、車内で聴くサイレンはどんなものだろう

▼大阪府富田林市で昨年暮れ、体調を崩した89歳の女性が30の病院に受け入れを拒まれ、亡くなった。

多くは別の患者の処置中だったという。

動かない救急車の中で、悪い知らせを聞き続けた家族の絶望を思う

▼救急患者がいくつもの病院に拒まれる例が後を絶たない。

救急車の出動は増えたのに、医療費の抑制で病院の当直態勢は心もとない限りだ。

医師や看護師の不足から救急の現場は激務となり、それが医師を遠ざける悪循環である

▼救急病院は、軽症者向けの1次、入院や手術が必要な人の2次、命が危ない場合の3次に分かれる。

中核である2次病院の5.6%、235カ所が、この2年で救急の看板を下ろしてしまったそうだ

▼2次に向かうべき患者が3次に流れ、救命センターが満床になる例がある。

救急隊員も医師も看護師も、命を救いたいのに善意が輪にならない。


奈良県の救急専門医が大阪本社版の声欄に訴えた。

「多くの専門医が使命感と情熱を燃やした高度救急医療の灯が、医療費削減で細りゆく感がある」

▼待ちわびる身に、近づくサイレンは安堵(あんど)の響きであるはずだ。

高齢化で救急の需要はさらに高まるが、これでは病室に入るまで安心できない。

窓外をさまようピーポーの音色は、救急体制のSOSに聞こえる。





小泉改革の一番の悪い結果である。大病院は何度も言っているが,国が゜補助し面倒を見ないから採算が合わないことはやらない

現象が出てきている。国立の大病院での体験学習して聞いたいた話ではこの「医療行為は大勢の人手がかかり

採算が合わないがやっている」ような高度の医療が行われているところで採算が大切だ,効率主義を進めてきた結果が

出てきたといえる。若い頃に夜中起されて診療することは非常につらい経験もあった。

それでいて100パーセントの診療を望まれても,効率を良くせよと言われても,出来ないことを強いていることである。

効率主義 採算重視の結果が目に見えた形で救急医療に出て来たと見てよいだろう。

救急医療などに何時わが身がお世話になるかと思うと今の医療制度は欠陥だらけである。

もっと実際に従事゜している人々の意見をば政治家は耳にすべきである。

大病院はゆったりとした医療条件にしないといけないことは常に強調してきている。

現在はあまりにも効率一辺倒への医療政策が偏りすぎている。

神さんが医療を担ってはいないのてある。

同じ人間が努力していることを忘れているのではなかろうか。

「これでは病室に入るまで安心できない。」のではなくて今のままでは病室にいても充分な医療体制になっているのか

大いに疑問である。独立法人化が一番悪かった政治政策で,病院長の嘆きの声を医学の雑誌などで目にすることが多い。







阪神大震災から13年になる






平成20年1月17日の天声人語よりの引用


35年前の冬に流行(はや)った「そして神戸」は〈神戸、泣いてどうなるのか〉と始まる。

〈船の灯(あかり)うつす濁り水〉の港周辺はいま、ホテルの建設ラッシュに沸いている。

観光業界は「復興を遂げた安全で新しい街」を売り込む構えだという

▼阪神大震災から13年になる。

6400人を超す犠牲者への追悼と防災の教えを、後世にどう語り継ぐか。

復興への闘いは、時の経過とともに「風化との闘い」に移っていく

▼神戸では、講習を受けて市民救命士になる人が増え続けている。

見知らぬ人に助け出された恩返しにと、救命士を育てる人もいるそうだ。

街に根づく防災意識は震災の遺訓といえる。

9月の「関東」と並び、1月の「阪神」は大地震への備えを促す早鐘の役割を担う

▼東京都も「首都直下地震」への備えを急いでいる。

首都圏でマグニチュード7級が起きると、帰宅が難しい人が650万人出る。

中央防災会議の想定だ。

この人数が一斉に、徒歩で自宅を目指したらどうなるか

▼昨年2月の東京マラソンは、群衆の移動には思わぬ時間がかかることを実証した。

3万人の参加者全員がスタート地点付近を通過するのに、20分かかっている。

8車線の道路でこれだ。650万人が街頭にあふれ出せば消防車や救急車は動きがとれず、被害は広がるばかりだ

▼「阪神」の後、歩いて帰宅する訓練が盛んに行われた。

しかし、いま専門家が呼びかける心得は「帰宅を焦らず、安全な場所で待つ」だという。

備え方は絶えず見直されている。

年に2度鳴る早鐘の功績である。





天災を克服手段はないのだろうか。人間がすることも解決できないような政治家では

到底無理な話のように思える。お寒い政治が続いている。







日本郵政の「再生紙はがき」で偽装が発覚した









平成20年1月18日の天声人語よりの引用


時代小説の池波正太郎は、書き損じの原稿を小さく切ってメモ用紙にした。

「紙への執着」は昭和初めの幼少期からという。

小遣いがあれば紙屋に走り、粗末なワラ半紙を買う。

四つに切り、墨とクレヨンで紙芝居を作るのが無上の喜びだった

▼お年玉で「上等の、真白(まっしろ)な画用紙を二十枚も買うときの胸のときめき、豪勢な気分」が随筆に残る。

そして「現代の家庭における紙類の氾濫(はんらん)」を嘆いた(『一年の風景』朝日文庫)

▼日本郵政の「再生紙はがき」で偽装が発覚した。

全納入メーカーの品で、古紙の配合率が契約値を割っていた。


日本製紙が納めた今年の年賀はがきは、40%混じるべき古紙が1%である。

契約違反はコピー用紙などにも広がる

▼古紙が多いと白さを出しにくい。

メーカーは品質を優先したそうだ。

だが、官公庁は古紙率が高い再生紙を進んで買うべしと、法が定めている。

資源保護の工夫につけ入る商魂が透けて見える

▼紙は7割が回収され、6割が再び紙になる。

ただ、古紙の混ざり具合は製紙会社しか知らず、そこに「偽りの余白」が生じた。

純白が紙の命だった頃なら、古紙を混ぜれば責められただろう。

逆が不祥事になるのがエコの時代である

▼私信の習慣は、紙の大量生産が広めた。

例えばドイツ人が1年に出す手紙は、19世紀半ばの1通強から世紀末には58通になった(『紙の歴史』創元社)。

したためた思いを環境に優しい方法で伝えたいと、再生紙を選び取る人もいよう。

ささやかなエコ意識をあざ笑う背信に、怒りを覚える。





純粋に100%再生紙使用したものがないらしい。再生紙を使用しましょうとする政治決断で再生紙が良く売れるから

再生紙と印刷してはつばいしているようだ。実利を得るには手段を選ばないエコノミックアニマル化した社会に

変貌してきているということだ。益々に欧米の影響が進んできている。








NHK記者らのインサイダー取引問題に、







平成20年1月19日の天声人語よりの引用


老舗(しにせ)の和菓子屋が、湯気の立つ饅頭(まんじゅう)を店に出す。

よく見たらネズミの歯形が二つ三つ。

NHK記者らのインサイダー取引問題に、そんな場面を浮かべた。

「売り物」の情報を裏でつまみ食いしては、報道機関は立ち行かない

▼NHKが独自に報じた外食企業の提携話。

監視当局は、東京、水戸、岐阜の記者らが放送直前のニュース原稿を内部端末で見た、とにらむ。

3人は翌日までの株売買で10万〜40万円の利益を得ており、2人は不正を認めた

▼同僚が報道を目的につかんだ情報で、ひともうけたくらむ神経をまず疑う。

取材部門の周辺にいれば、報道前の特ダネに接することはあろう。

だが、それはホカホカの「商品」だ。

ネズミに至るまで関係ない者は手を触れず、出荷を見守るのがイロハである

▼勤務中に株を売買した3人は、それぞれ前からネット取引をしていたと聞く。

約5千人の職員が放送前のニュースを読めるというから、3人だけか、その日だけかと疑うのが普通だ。

津々浦々、ネズミが端末にかじりつき、私腹を肥やす図を思う

▼不心得者の給料、特ダネの取材費、のぞき見を許すシステム。

いずれも私たちの受信料が賄う。

株安に泣く個人投資家の怒りはどれほどか。

真っ当な職員も本気で怒り、再発防止の知恵を出し合う時だ

▼特権を悪用する組織の取材に、真実を語る者はいない。

弱り目にたたり目で、政治からの圧力が増すかもしれぬ。

自戒を込めておさらいすれば、権力者にスキを見せ、大衆の不信を買い、報道機関は徐々に死んでゆく。





株式売買は汗して稼ぐ仕事ではない。それが特別に情報を知りえる立場で株式でNHK職員が利益得たことは

けしからんことである。

これはもっと他の立場でもありえることである。

ブッシュの如き戦争を始めて軍需産業に儲けをきたすようにするのは,それこそ鬼畜に劣る話である。

子供の頃の「鬼畜米英」のすりこみ教育がよみがえってくる。インサイダー取引どころではない。








あすが大寒と知ってか、
大陸から盛んに寒気が流れ込んでいる





平成20年1月20日の天声人語よりの引用


東京郊外にある我が家のスイレン鉢に、きのうの朝、うっすらと氷が張っていた。

持ち上げれば、ぱりんと割れそうだ。

こんな氷を、透明なセミの羽に似ていることから「蝉氷(せみごおり)」と呼ぶ。

はかなげな名のとおり、日が高くなるころには解けてしまった

▼あすが大寒と知ってか、大陸から盛んに寒気が流れ込んでいる。

蝉氷ぐらいで震えていては北国の人にしかられそうだが、各地でこの冬一番の寒さらしい。

南岸を低気圧が通るため、太平洋側でも雪の大寒になるかもしれない

▼「舞台風(ぶたいかぜ)」という言葉がある。

寒い時期の観劇で、幕が上がったとき、舞台から暖かい客席にすうっと流れる風だ。

道具の出し入れなどで舞台には外気が入りやすい。

それが暖まりきらないまま、客席に吹きつけてくる

▼シベリアからの風も大がかりな舞台風のようなものだと、お天気博士の倉嶋厚さんが書いていた。

日本付近を低気圧が北東に進むと、たまっていた寒気が、幕を切ったようにドッと南下してくる。

これが耳に親しい西高東低の気圧配置である

▼〈大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり〉(富安風生)。

着ぶくれしつつ火を慕いつつ、寒がり屋はうなずく思いだろう。

気象衛星からの雲の画像を眺めると、「敵」の正体は、大陸から吹く舞台風だとよくわかる

▼「芝居を見て風邪をひいた」とぼやくお年寄りが、昔は多かったそうだ。

のべつ風の吹く安普請の劇場があったからと聞く。

冬深く、一両日は列島めがけて舞台風が吹く。

体を冷やさず雪に転ばず、ひいた風邪は人にうつさず。








入試の季節を迎えた東京で、
ホテルが次々に高額な受験生プランを打ち出している








平成20年1月21日の天声人語よりの引用


石油王ロックフェラーといえば、一代で巨万の富を築いた伝説的なアメリカ人だ。

尾ひれのついた話かもしれないが、語りつがれる逸話がある

▼この大富豪は、ホテルでは質素な部屋に泊まった。

あるとき支配人が「ご子息はいつも一番良い部屋に宿泊なさいますが」と聞いた。

富豪は「彼には金持ちの父親がいるが、私にはそんな良い父親がいないのでね」と答え、風呂なしの部屋に入って行ったという

▼当節の日本には“良い父親”が多いらしい。

入試の季節を迎えた東京で、ホテルが次々に高額な受験生プランを打ち出している。

「一泊4万円」もあると聞けば腰が引けそうだが、親心のゆえか、どこも快調に予約が入っているそうだ


▼夕食には、脳を活性化させるというアラキドン酸を含む献立。

遅刻しないように、係が部屋を訪ねて目覚めを確認。

一泊約14万円のスイートルームを自習や談話のために開放……。

至れり尽くせりのサービスを、それぞれ競い合っている

▼わが30余年前は、だいぶ違った。

東京の古びた旅館は4、5人の相部屋だった。

すぐ打ち解けあって色々話をしたが、ひとりがひどい寝言持ちで悩まされた。

数日で別れたきり、互いの合否もその後も知らない、18の春の一期一会である

▼センター試験が終わってシーズンは本番だ。

高額宿泊組には「かえって緊張しないよう」、エコノミー組は「吉凶は宿によらず」と励ましたい。

もし落っこちたら、「私はどんな失敗も好機に変えようと努力してきた」という、冒頭の富豪の金言がある。






受験前の泊まりの話だけでなく,受験に勝ち抜くためには良い家庭教師について良い環境で勉強しなければならない。

貧乏人には貧乏な世界しか見えない社会が形成されているようだ。







そんな間延びしたおかしさを、
ガソリン税の暫定税率に見る








平成20年1月22日の天声人語よりの引用


歌舞伎「暫(しばらく)」では、善男善女が皆殺しになる寸前、超人的ヒーローが大声で「しばらーく」と現れ、悪党をこらしめる。

「しばらーく」から長々と待たせては、善人たちは助かるまい

▼そんな間延びしたおかしさを、ガソリン税の暫定税率に見る。

列島改造の政権が道路財源に上乗せして34年、しばらーくのはずが9度延長された。

「暫」の字もこれほど長いたなざらしは不本意だろう

▼与党はさらに10年の延長を、民主党などは撤廃を求めている。

撤廃なら高値のガソリンが1リットルで約25円下がるというから、生活防衛の一助にはなる。

だが民主党の「ガソリン値下げ隊」には人気取りのにおいがする。

ビールやたばこでも隊を結成してくれ、と思う人は多かろう

▼撤廃すれば年2兆6千億円の税収が消え、地方の道路予算が死ぬという与党の主張はどうか。

守りたいのは道路より工事にも見える。

ガソリン消費を促すような策は採れないというが、また都合よく環境の看板を掲げたものだ

▼この問題には、地域格差、財政、環境といった重い論点が絡んでいる。

油代の攻防に「分かりやすく」丸めては困る。

とうに意味をなさない「暫定」を改め、国づくりの論議を尽くすべきだ

▼歌舞伎の「暫」は単純な筋ながら、荒事(あらごと)の様式美にあふれる。

細部を究めての分かりやすさ、主人公の派手な隈(くま)取り、仰々しい装束と魅力は尽きない。

さて政治の舞台でも論戦の幕が開いた。

党利党略で隈取ったガソリン国会には、花道ではなく客席から「しばらーく」と割って入りたい。






今頃ガソリンが高い時期にガソリン代が安くなるのは結構な話だ。暫定税率廃止賛成である。

一度やってみてもよいのではないか。道路財源といわれるが利用されない道路を作っても仕方ないだけで

一部不正に利用されていることに怒りを感ずるのは誰もだと思う。

タバコの税率をもっと上げても良い。吸わない人が続出すればその人の健康に大変良いことだ。

むしろタバコは国として発売禁止にすべきである。








103歳で亡くなった日本画家の片岡球子(たまこ)さん
「落選の神様」と呼ばれた当時を、
後に女子美術大学の後輩たちに語っている







平成20年1月23日の天声人語よりの引用


103歳で亡くなった日本画家の片岡球子(たまこ)さんは、浮世絵師の渓斎英泉(けいさい・えいせん)を描いている。

自作の美人画に囲まれ、遊び慣れた風にくつろぐ英泉。

原色しま模様の弛(たる)んだ着物に、右手でつまむ白杯の硬さが浮き上がる。

86歳の作とは思えぬ軽快さだ

▼若い頃は帝展や院展によく落ちた。

落選の神様」と呼ばれた当時を、後に女子美術大学の後輩たちに語っている。

「展覧会が近づくと、みんな私を避けて通るんだよ。

ほんと悔しかった。


負けないぞと思ったね」(奥岡茂雄『片岡球子・個性(こころ)の旅路』)

▼歴史上の人物の「面構(つらがまえ)」シリーズは還暦後だ。

時にユーモラスに描く武将や高僧、絵師らの顔は、歴史の教科書で見るより人間くさい。

この人なら今の世をどう考え、動いたかと夢想して筆を運んだそうだ

▼奔放な画風が地位を得た頃、最晩年の横山大観からの「助言」が興味深い。

酒豪の大観は、杯を右手のつめで弾(はじ)きつつ片岡さんに話したという。

「この音が描けなければ一人前じゃない」

▼だから、人も山も内面に踏み込んで向き合った。

そうして描いた杯を弾けば、心で陶器が鳴る。

「私の富士山は理想の山じゃなく、いつも生きている山。

変な形になればなるほどいいんです」は95歳の言である。

「暴れ回るように描きたい」と、最後まで時代に媚(こ)びなかった

▼折しも本日、大観の没後50年展が東京で開幕する。

大家を通した大観と、遅咲きながら長く香った片岡さん。

ともに日本の伝統絵画を前に進めた。

「面構」の主たちを交えて、天寿の杯を交わす頃か。






片岡球子さんは大変な努力家であることがわかる。努力なくしては長生きは出来ないからである。







世界同時株安の中、
日経平均は昨夏のピークから3割ほど下げた





平成20年1月24日の天声人語よりの引用

「涙雪」というのだろうか。

この冬初めて都心が白く染まった昨日、日本橋の証券街を歩いた。

株価は少し戻したが、電光ボードを見る人は少ない。

弁当売りが歩道に青いパラソルを広げている。

どれも390円と、こちらは温かい「安値安定」だ

▼世界同時株安の中、日経平均は昨夏のピークから3割ほど下げた。

資産家の鳩山法相は「40億円損したのではないかといわれている」と、額の割にはのんきに語る。

兄の民主党幹事長と「兄弟同時損害」だという。


その万分の一でも、持ち株の評価損は消費者の心を重くする

▼住宅ローンの焦げつきに発した米国の不始末で、世界経済の体温がズルズルと下がっている状況だ。

米政府による景気対策の発表、大幅な利下げにも、市場の反応は鈍い

▼無敵の軍を思うがままに動かし、地球環境にはさほどの関心もなく、

貿易赤字はそのままに「借金」で石油がぶ飲みの消費ざんまい。

もっぱら為政者の責任だが、米国のありようが問われているかに見える。

この国が仕切る世界も、長くはないのか

▼日本の冬景色に目を転じる。

深刻なのは、株には縁遠い貧困層の生活だ。

食品や灯油の値上げは、余裕のない家計を狙い撃つ。

金満大臣の軽口、首相のすました物言いを聞くにつけ、国民生活を守る緊張感がどれほどありやと気が沈む

▼きのうの東京は今冬一番の冷え込みだった。

証券街の地下通路で、紙袋を枕にして男性が丸まっていた。

国際経済の曇り空の下で、10円にこだわる生身の暮らしが凍えていることに心したい。







鳩山法相はどう見ても政治家にしていては良くない。まして法曹界の最高責任者である。

司法界はでたらめが横行していて無法状態に近いのではないのか。

死刑がいとも簡単に許可し実行されている。でたらめの世の中を律するのが司法である。

その法相にどうして鳩山氏がなったのか不思議である。

鳩山法相が世の中のデタラメさを一番象徴化している。








御木本幸吉(みきもと・こうきち)「真珠王」には逸話が多い






平成20年1月25日の天声人語よりの引用

 人魚の涙にも例えられる真珠は古来、偶然の恵みだった。

珠(たま)を抱いた貝は珍しく、つまり人魚はめったに泣かない。

それが20世紀に入り、彼女はめっきり涙もろくなった。

水産業と宝飾業の十字路にこぼれ出た、養殖真珠である

▼アコヤ貝などの体内に異物を入れると、それを核にカルシウムとたんぱく質の層が交互に積み重なっていく。

人が泣かせた涙の粒だが、天然の真珠と同じく歳月だけが大きくする

▼世界初の養殖ビジネスで成功した御木本幸吉(みきもと・こうきち)は、外遊のたび事業をこう説明した。

「貝をだまし、月の涙のような真珠質を分泌させる。

お陰で世界旅行ができますのじゃ」。

幸吉の大言壮語は、しかし商才と努力に裏打ちされていた。

きょうが生誕150年にあたる

▼「真珠王」には逸話が多い。

明治天皇に発したと本人が言う「世界中の女の首を、真珠でしめてご覧にいれます」の言葉は伝説だ。

昭和初めの訪米ではエジソンに会った。

80歳の発明王は「ダイヤと真珠だけは作れなかった」と驚いたという

▼銀座のミキモト本店で、大正期のカタログを拝見した。

日本初のネックレスは、多くの首を「しめた」ことだろう。

型破りの創業者と、繊細な商品。

日本の産業を飛躍させた取り合わせである

▼日本経済が揺るぎない地位を固めるにつれ、粗野だが進取の活力にあふれた起業家は天然真珠の珍しさになった。

どの業界も、無難を旨とする経営者が多い。

幸吉の先の言葉も今では「世界中の女性の首を真珠で飾ってみせます」と、より丸く伝えられている。





真珠はきれいだがあまり見たことがない。人工真珠が発達しているらしい。








昨春、シベリアの永久凍土から見つかった
マンモス「リューバ」が東京で公開された







平成20年1月26日の天声人語よりの引用


タイムカプセルといえば、卒業の日に校庭の隅に埋め、忘れた頃の同窓会で掘り出すのが一つの型だろう。

昔話に花が咲き、早世した友の作文にしんみりもする。

さて、この異形のカプセルは何を語るのか

▼昨春、シベリアの永久凍土から見つかったマンモス「リューバ」が東京で公開された。

生まれて約半年の雌は凍ったまま、推定3万7000年前の姿をとどめる。


体の仕組みなどを科学の目で調査中だ

▼零下18度のケースの中、子供の腕ほどの鼻をぶら下げて、リューバは歩く姿で置かれていた。

ほぼ無傷なのは、氷を踏み抜くなどして瞬時に冷やされたためらしい。

青い照明に浮かんだ顔が優しい。

半開きの口はただ微笑(ほほえ)んでいるようにも、何か言いかけたかにも見える

▼マンモスの絶滅は約1万年前。

前後して、多くの大型動物が死に絶えた。

人類による乱獲、気候の急変など、絶滅に至る経緯には諸説あり、真相は太古の霧に包まれている

▼そのころ最後の氷河期が終わり、シベリアや北米の気温が上昇した。

これで植物の種類が一変し、降雪が増え、マンモスの食料が不足したというのが一つの見方だ。

そして今、文明が引き起こした初の気候変動が地球を覆っている

▼この惑星で40億年、主役を代えながら続いた生物のリレー。

バトンを握る人類はよろけ、今にも転びそうだ。

温暖化がこれほど進まなければ、リューバはまだ凍土の中だろう。

彼女の「伝言」は氷河期の記憶だけではない。

姿をさらし、小さな体で発した未来への警告にも、耳を澄ましたい。




地球から人類が消滅するのもマンモスが消えるのも同じである。







湯たんぽと聞くと、向田邦子さんの随筆を思い出す






平成20年1月27日の天声人語よりの引用


湯たんぽと聞くと、向田邦子さんの随筆を思い出す。

戦後間もなく、母親がよく、どぶろくを作ったそうだ。

湯たんぽにひもをつけ、瓶(かめ)に寝かせてあるどぶろくの中につるした。

ほどよく温めて発酵を促すためである

▼向田さんは昭和ひとけた生まれ。

子供のころは湯たんぽを寝床に入れてもらった。

朝起きると、洗面所へ抱いて行って顔を洗った。

生ぬるい湯は日向(ひなた)のにおいがしたという。

遠い日の冬の朝を、懐かしむ世代もおられよう

▼素朴なその暖房具が、この冬、よく売れている。

郷愁を誘うのか、近年静かな人気があった。

そこへ原油が高騰し、節約という実利も加わってブームに火がついた

▼〈コンセントみんな使つて冬に入る〉。

ユーモラスな句が朝日俳壇にあった。

だが湯たんぽを工夫して使えば、コードの何本かは抜くことができそうだ。

筆者も、古いブリキ製を引っ張り出してみた。

消したこたつに入れると、結構暖かい

▼それを、寝る前に布団に放り込む。

翌朝、洗面器にあけて使うと、なお人肌のぬくみを残している。

温暖化が危ぶまれる時代に、ささやかな功徳(くどく)を積むような満足感を味わった

▼江戸期の図説百科『和漢三才図会』は、湯たんぽを「竹夫人(ちくふじん)とともに

寒暑をしのぐ重宝な用具」と紹介している。

竹夫人とは、竹や籐(とう)で編んだ「抱き枕」のことだ。

抱きかかえたり、足をのせたりして涼をとる

▼呼び名はともかく、古人の知恵には違いない。

こちらはすっかりすたれたが、省エネとレトロの時代に、思わぬ復活がないとも限らない。




戦後間もなくの電気製品が普及していない時代には湯たんぽを良く使っていたことを記憶する








横綱の相星対決は5年半ぶりだった






平成20年1月28日の天声人語よりの引用

ずいぶん盛大に座布団が舞ったものだ。

きのうの大相撲の千秋楽、両横綱の相星決戦は白鵬に軍配が上がった。

久々に堪能した相撲好きもいたことだろう。

行儀の悪さを言われつつも、折々に舞う座布団は、ファンの正直な思いを乗せている

▼座布団ばかりではない。

昭和の初めごろまでは、羽織を脱いで投げる人もいたそうだ。

粋筋の女性客などは、帯揚げをほどいて投げた。

相撲部屋の若い衆らが拾って持ち主に届け、ご祝儀をもらう習わしもあったと聞く

▼祝儀どころか、「金返せ」の声とともに座布団が飛んだのが、前回の九州場所である。

千秋楽、優勝圏内にいた千代大海が突然休場した。

負けても優勝と決まった白鵬は、気が抜けたのか結びの一番で転がされた。

さえない幕切れへの不満が、座布団に乗って舞った

▼横綱の相星対決は5年半ぶりだった。

力を絞ったがっぷり四つの末、白鵬が渾身(こんしん)の上手投げで朝青龍を仕留めた。

白青どちらのファンも、きのうの座布団には「納得」の思いを乗せたのではないか

▼ファンに「叱(しか)られ」ても「怒られ」てはいけない。

そんな意味の言葉を、横綱審議委員会委員長だった独文学者の高橋義孝さんが残している。

叱ってくれるのは、根に愛情があるからだという

▼手に汗握る大一番で、朝青龍問題という「前門の虎」は何とか檻(おり)につないだ格好だ。

だが若手力士の死亡事件という「後門の狼(おおかみ)」は、なお捜査が続く。

ファンの「叱」が「怒」に変わる危うさを抱えたまま、日本相撲協会の厳しい綱渡りも当分は続く。





モンゴル同士の横綱対決の優勝戦では日本人として寂しい限りである。







大阪国際女子マラソンで、
30キロ過ぎの魔物は
福士加代子選手にとりついた







平成20年1月29日の天声人語よりの引用


白日の下で行われるスポーツにも「魔物」の棲(す)むところがある。

よく知られるのは高校野球の甲子園だろう。

独特の雰囲気が球児をのみ込む。

魔に魅入られたようなエラーや乱調に、幾人もが涙を流してきた

▼マラソンでは30キロ過ぎに棲むといわれる。

「30キロの壁」という言葉もある。

日曜にあった大阪国際女子マラソンで、魔物は福士加代子選手にとりついた。

快調に先頭を走っていたが、別人のように失速した。


足を運ぶのもままならず何度も倒れた

▼並はずれた健脚を韋駄天(いだてん)と呼ぶ。

仏法の守り神の名前だ。

釈迦の遺骨を盗んだ鬼を追いかけて奪い返した俗説から、足の速い人の代名詞になった。

福士選手はトラックでは名うての韋駄天だったが、初めて挑んだマラソンで魔物の洗礼に沈んだ

▼メキシコ五輪で銀メダルの君原健二さんによれば、30キロを過ぎての最終盤は「一歩一歩が血を吐く思い」だという

「だれがこんなむごいレースを考え出したのか」。

憎みながら走ったものだと、著書『マラソンの青春』で回想している

▼立ち止まる誘惑と格闘しながら、「この先の電柱まで、あそこの家まで」ともがく。

その積み重ねで、君原さんは参加した35回すべてを完走した。

「走り抜く」ことを大切にした名選手である

▼福士選手もまた、転んでも転んでも起き上がって、走り抜いた。

優勝者より大きな拍手は、悔しかっただろう。

だが前をめざす凄(すご)みを、見る者に教えてくれた。

いつの日か魔物を仇(あだ)討ちにする。その姿を見たいファンは少なくないはずだ。





このレースはテレビで見ていたが始め福士選手が飛びぬけて後半に次々にぬかれてぃつた。

人生もそのようなところがあるのかもしれない。








そうした名ばかりの「偽装管理職」が、
外食やコンビニなどに広がっている







平成20年1月30日の天声人語よりの引用


かつて本紙に連載された4コマ漫画の「フジ三太郎」は、万年ヒラ社員だった。

やっと昇進話があったが、ポストには空きがない。

上司から「係長一応補佐仮代理」なる名ばかりの肩書を内示されて悲憤する。

そんな場面があった

▼「肩書が長くなるほど、仕事の重要性は減る」と皮肉ったのは誰だったか。

その点、「店長」なら、きっぱりした肩書だ。

ところが名に伴う権限はなく、そのくせ管理職と見なされて、残業代は支払われないとしよう。

ヒラの方がまだましだと、三太郎も尻をまくるに違いない

▼そうした名ばかりの「偽装管理職」が、外食やコンビニなどに広がっている。

管理職は、労働基準法で残業代や休日手当の対象外とされる。


ただ働きだから、経営側にとっては辞令一枚で人件費抑制策になる

▼日本マクドナルドの店長(46)が、それを違法だと訴えた。

判決は主張を認め、会社側に残業代など約750万円の支払いを命じた。

休日なし、残業137時間の月もあったそうだ。

過労死が危ぶまれるラインをとうに超えている

▼胃袋と足が言い争うイソップの寓話(ぐうわ)がある。

「うまいものは胃袋が食うが、俺(おれ)なしには動けやしない」と足が不平を鳴らす。

胃袋の方は、「私が栄養をあげなければ、お前はくたばる」と譲らない

▼胃袋の言い分は、いまなら企業のそれに近い。

せっせと働いて会社をもうけさせれば、おのずと栄養は社員にまわる。

一方の理ではあろう。


だが働く者の人間性を脅かすような偽装がはびこるようでは、その理もむなしい。






偽装管理職は業界全体のような気がする。なんとか効率よく経営するには名前は動でもよいから唯儲けを

目指すところがある。





ほのかな光を見る1月の言葉から






平成20年1月31日の天声人語よりの引用


こたつの中だと元気だが、外に出れば意気地がうせる。

そんな寒がりを「炬燵(こたつ)弁慶」という。

部屋の暖房も心もとない灯油高の冬に、ほのかな光を見る1月の言葉から

▼仙台市の成人式で、同僚記者が漢字1字の抱負を聞くと「挑」「誠」「夢」……と頼もしい文字が並んだ。

「克」を選んだ詰め襟の防衛大生は「防衛省の不祥事が目立つが、私は己を厳しく律する自衛官でありたい」

▼その若者たちが、恋愛をしなくなった、と言われる。

付き合うのが「面倒」なのだそうだ。

マーケティングライターの牛窪恵さんは「20代って一番いろいろな恋愛ができる時なのに。

恋愛しないのは、個人にとってもこの国にとっても大きな損失。

もったいない」と背中を押す

▼東京の渡部成俊さんは残り時間を「未来」にささげた。

がんを告げられてから、小中学校で「いのちの授業」を続けてきた。

13日に62歳で力尽きた。

妻の嘉子さんは「体はほろびても、心の隅に残った言葉が、いつか子どもの支えになればいいと話していました」

▼毎週土曜の同じ時刻に、新宿駅の地下でプラカードを掲げ、無言で平和を訴える人々がいる。

そのひとり小島治子さんは「気づいたら子どもたちが戦場にいる、というようなことは避けたい

▼奇跡ってあるのだなと、一匹のサメガレイに驚かされた。

15年前に小学生が風船で飛ばした手紙が、カレイの背に付着して海で見つかった。

書いた少女はいま大学生。

「がんばったカレイにありがとうを言わないと」。

額に入れて自宅に飾るそうだ。









伴善男の報恩寺と桓武天皇の柏原陵




報恩寺は貞観四年(862年)、中納言伴善男によって建立された寺院である。

山城国紀伊郡深草郷、現在の京都市伏見区深草にあって、もとは善男の別荘が営まれていた所である。

善男は報恩寺建立の四年後(866年)、応天門の変によって遠流に処罰されている。

報恩寺はその翌年、桓武天皇の柏原陵の兆域内にあったとの理由により、破却された。

報恩寺破却に先立って、同じ善男によって建立された嘉祥寺食堂も、仁明天皇の深草陵を汚したとの理由により

破却されている。以上が平安時代事典よりの引用で知った部分である。

これでみると柏原陵内に伴善男によって始め別荘として建立されていて,それが後の報恩寺になったことのようである。

同時に嘉祥寺食堂も、仁明天皇の深草陵を汚したとの理由によって破却されている。

現在も深草陵は深草谷口町にある。

柏原陵内の兆域に報恩寺が建てられることは,当時の御陵の領域が現在で考えられているような

厳重に境域が守られているような所ではなかったようである。

現在は御陵は厳しく監視され・立ち入り禁止で制限されている。

当時は嘉祥寺も仁明天皇御陵も広大な桓武天皇陵の兆域を犯し建てられたのではないだろうかと推測する。

平安時代事典によると柏原陵は桓武天皇の陵であって現在は京都市伏見区桃山町永井久太郎に所在する。

初め山城国葛野郡宇多野の地に葬地を定めたが、大同元年(806年)四月七日、改めて紀伊郡柏原山陵に葬られた

但し、『紀略』同年十月十一日条にも、天皇を「柏原陵」に改葬するという記事があり、

この両者を重複とみるか、再び改葬されたものとするかで説が分かれている。


兆域は東八町西三町、南五町北六町の広大なものであった。

非常に広大な御陵である。だから伴善男はその土地の中に別荘が建てられたのである。

現在の御陵に対する感覚としては考えられないことである。

また『仁部記』文永十二年(一二七五)二月十七日条は、前年に受けた盗掘を実検して「登ること十丈、壇の囲八十余丈」と記している。

平安時代にわたって度々奉幣を受ける重要な陵であったが、室町時代にはその場所もわからなくなり、比定地も諸説あったが、

幕末の国学者谷森善臣が慶応元年(一八六五)に『柏原山陵考』を著して現在地が求められて、明治になって正式に比定され現在に至っている

以上が事典からの引用部分である。

現在の柏原陵が京都市伏見区桃山町永井久太郎に所在することに疑問を呈したい。又御陵が伏見城跡地であるという別の説にも疑問を感ずる。

そこには深草に建てられたとする伴善男の報恩寺がその近辺にないからである。

「改め紀伊郡柏原山陵に葬られた」とされる記事で再び改葬されたことをあげ,伏見柏原の地に移ったとの説での肝心なことは

改葬が同じ806年に行われていることである。

伴善男が桓武天皇の柏原陵の兆域内に建てたのは866年になっている。,

改葬されてから60年もの後の出来事で,伴善男が柏原陵の兆域内に報恩寺を建ている。

だから間違いなく深草の土地に桓武天皇の柏原陵があり続けたことになる。

報恩寺は,仮に改葬されていても同じ伴善男が犯した桓武天皇の柏原陵の兆域内になければならない。

それが伏見の方に移ったとするのは,伏見の柏原に移さなければならない深い理由があったからと考える。

幕末から明治にかけての尊皇思想の高まりと共に,平安京を始めた桓武天皇と,平安京(京都)の終わりの明治天皇の御陵をば

桓武天皇の御陵の近くに祀りたい意図があって伏見地の柏原陵説が正当化されていったような工作がなされたのではないかと考える。

「京都叢書」の五巻の中で西野伊之助氏が柏原陵の諸説を列記され書かれた記事を読んでいてもそのことを強く感じる。

極度に神聖視化されていった明治天皇の御陵を一つだけぽっつり桃山に明治天皇御陵を持ってくることが出来なかつたのだと思う。

だから桓武天皇の御陵をば一緒に桃山方面にに移動しなければならなかった。

それが戦前の政治情勢・皇室情勢だったと思われる。

深草だと適当な土地が見つけ難いので伏見城の後地付近にた明治天皇の御陵を持ってきたのではないかと考える。

深草鞍ヶ谷町にある浄蓮華院では寺院の側の谷口古墳が江戸時代まで桓武天皇御陵として祀られ徳川幕府からも公認されていた。

当時刊行された都名所図会に見られる桓武天皇御陵の前で庶民達が花見見物して踊る姿こそが正しい国民と皇室をば親しく結ぶ風景である。

仁明天皇の東限は大王陵となっている。その大王陵の古墳内に桓武天皇は合葬され,その周囲に広い兆域だけを取ったのではないかと想像する。

伏見への柏原陵の作業だけが目立ってくる。そして宮内庁が現在皇室の先祖に対しての御霊の「安寧と静謐のために

日本考古学会協会・歴史学会などの16学会からの御陵に対する学術調査が宮内庁が認めていなかったのが,

今回始めで神功皇后陵と桃山御陵への外周へ立ち入り調査を認めている。

しかし我々の先祖の墓は,道路建設の為とか,ダム建設のためなど゛でもって強制的に立ち退きをば

否応なしにさせられているのが普通である。

我々の先祖と皇室のご先祖との間にどれだけの差があるのかどうか。

一番個人にとって大切なのは,やはり誰でも自分に関係した先祖ではないのかと思う。

そのことはどの人にとっても変わりないはずだ。

宮内庁の方に其処のところをどのように考えられているのか知りたいところです。

それほどに皇室を,少なくとも過去の御陵をばそのままにして,国民の大切な高い税金をば何もせずに投じ維持してゆく必然性性が

皇室・国民にとってあるのかどうか宮内庁の方に聞きたいものです。

宮内庁の存在は皇室にとっても又国民にとっても化け物のような存在である。

誰が指揮しているのだろう。まさか一人でに動いているとは考えられないが。

一度考古・歴史の16学会が御陵の調査を先祖として一番関係ある天皇家に対してと,

政治の最高責任者である総理大臣の両者に対し,御陵調査許可申請してみられればいかがだろうか。?

今までの宮内庁の態度がどうも理解できないことばかりです。

少なくとも平安時代までの陵墓は開放して,学問的に調査対象にできるようにすべき考古・歴史の学会も強く申し入れているとかである。

それにより素晴らしい学問的な進歩があるはずであることは間違いない。

医学の世界も同様に解剖がダブ-だったのが,解剖が出来るようになってからは飛躍的に医学が進歩している。

それと同じことである。

庶民の目から見ていて,宮内庁の対応は皇室関係者の方に大変な御負担を強いているはずだ。

それによって失語症や欝傾向の人たちを生んでいることを自覚すぺきです。

真に国民に開かれた皇室が実現することによって,国民と皇室とがより幸せな未来を築き上げたいものです。

宮内庁の方が真剣に対応しているのか非常に疑問に感じます。現状は皇室を利用している存在にしか見えない。

宮内庁を存続させるために皇室を国民から遠ざけ神々しく扱っているように思える。

宮内庁の実態は秘密のベールの中で仕事がなされているようだ。天皇家も我々も同じ人間同士であるはずだ。

特別扱いする必要性はないはずです。宮内庁が皇室を別格扱いしているところに大きな問題がでてきていると感じます。

近くに住みながら親 子供 孫が疎遠なのも全く変な話である。

宮内庁が存在感を誇示すればするほどに変なことが起きる可能性があると思われる。

現在では大納言伴善男が藤原良房の謀略によって応天門の火事の犯人に仕立て上げられ失脚させられた説が定説になっている。

その後藤原良房によって,平安時代の藤原氏による摂関政治の基礎が築き娘達を皇室に嫁がせ

皇室と密着し権力をば握ったといわれている。

昔も皇室を利用して権力を乱用していた時代があった。戦前もそうだった。今もそれが宮内庁により続いているように感ずる。

深草の浄蓮華院はは文政4年(1821)比叡山の僧尭覺(ぎょうかく)が有栖川宮韻仁(つなひと)親王の命により、桓武天皇菩提のために建立。

祀られている桓武天皇の肖像画は比叡山より下賜されたものであるそうです。

浄蓮華院の現在の住職にお会いすると,今も谷口古墳は桓武天皇の御陵としてお祀りし続けてているといわれていた。

谷口古墳を訪ねてこられたのは貴方が20年ぶりのことで
,同志社の学生と先生が古墳を測定に調べにこられたことがあったとかである。

報恩寺が京都市指定の「がんせんどう廃寺」と予想されているが正確には判らない。

場所的にはもう少し西方向にあったと考えてもと良いと思えるのだが。



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