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2月になって





今年の二月は例年に比べて非常に寒い日が続く。この冬初めての雪が積もる日があった。

これまで比較的に穏かだった冬だったのが,雪もちらつく日もあったりして,

二月に入ってから急な寒さにはこたえる。今までが暖かな冬だったのかもしれない。

外出する日も少なくなり家に閉じこもりがちである。

パソコンの前に座り囲碁をしたりするようになっている。

確かに長い間,囲碁をしていないと力は落ちるようだ。

囲碁をするようになった反面にはゴルフをする機会が少なくなっている。

身体の健康にはゴルフ 頭の体操には囲碁が良いように思う。

囲碁は学生時代に覚え,勤務の間とか,休息時間にする程度で上達にはほど遠い。。

ゴルフの方は始めだして約15年前後でこちらも上達はしていない。

両者共に,かなり,本気になり熱中しない限り上達の見込みがないようである。

これらは気分転換には良いことだ。

国内では色んな異変が起きている。

中国産餃子の薬物混入事件, 軍艦イージス艦が漁船と衝突した事件で両者共に大きく報道されている。

自衛艦といえば比較的穏かだが,これはまさしく軍艦であって,ミサイルが発射できる高性能の軍艦であるようだ。

高性能である故に多分何百億円もする軍艦なのだろう。もっと値段はするかもしれない。

国民からの税金で低所得であえいでいる人たちの税金を使って買われているのである。

そんなに国民にとって必要なものなのだろうかどうか。?

原爆を各国が落としあいすれば,世界は破滅するくらいのことは,誰が考えても直ぐに理解できることだ゛。

武器も家電製品と同様,古くなれば故障もしてくるし,最後は捨てることになるだろうと考える。

今までにこの方面にどれだけの費用が投入されているのか,国民には知らされていないし,全くわからかい。

そのような情報は政府側だけが知り,野党にも知らされないような政治が行われているらしい。

軍の機密は昔も現在も変わりはないのだろう。

情報はせめてどの野党にでも知る権利を与えるべきである。

我々の生活に直結している事柄である。

報道で知る限りで,軍艦イージス艦は漁船がよけてくれるであろうと考え,自動操縦していたようだ。

東京湾海域の船の位置を示したテレビ報道を見ていると,同じ時間帯に沢山な船が航行していたことを示している。

漁船と軍艦イージス艦の違いは「アリと象」との大きさの違いである。

そんな軍艦に当たられば漁船は木っ端微塵に吹っ飛んでしまうことは間違いない。

二人親子の漁民の方は行方不明で多分死亡していることだろう。魚船の船体の一部しか回収されていない。

船の航行には規則があって,赤いランプと緑のランプが合図で,回避する船側の規則が決められているようで゜ある。

その規則を守らず,漁船の方が回避するだろうと,軍艦が運航している態度は,丁度昔の軍隊をば想起させられる態度である。

イージス艦とやらはわが国に何故に必要なのか.判らない。何隻保有しているのかもわからない。

科学の発達と同時に武器も進化してゆくことだろう。

医学での最新医療器械とは全く別な性質の進歩である。

兵器の進歩は殺人の方法の進歩であるが,医療器械の進歩は人命救助の為の進歩である。

一見矛盾したことを人間は平気で容認しているところがある。

戦後,国民は戦争には懲りごりしている。

平和国家を目指すならば,人命を救助することに協力する国家に是非なってほしいものである。

アメリカの軍隊が駐留することによって,余計な迷惑を日本国民がうけることになるだろう。

自衛とか 防衛とかいっている間は良いが,それが軍隊に変化するとき,今の状態では必ず軍隊が威張る時代がくるように感じられる。

今回の事件を見ている限りの態度は,自衛隊でなくまさしく軍隊そのものの態度である。

軍隊とは,普通の国民が軍人にとられ,教育され,愛国精神をば注入され規律を強制し,国民全体が苦しめられきたものである。

その苦しさを決して忘れてはいけない。「軍の命令は天皇陛下の命令である」と軍人達は天皇陛下万歳を唱え死んでいった時代を

日本人は経験している。

今では宮内庁が天皇家を利用し,国民の思いと反したことをおしすすめ天皇家を苦しめているようにも感じられる。

一方の中国餃子事件は政府の効率主義の結果,安く済めば何でも良いとの姿勢が食品において暴露している。

やはり自国の食品自給率は下げるべきではないことを教えてくれた事件である。

食を外国に依存している日本の状態をば是正するようにとの神仏からの啓示かもしれない。

食は生命の根源で,多くを外国に任せておく政治こそが間違っている。

バブル政治も,小泉内閣による効率優先政治も間違っている。

もっと世界が一つになって,安心して食を世界に依存できるまでにはまだ時期的に早いと考える。

日本国内での自給率をもっと上げるべきである。

又は供給している国での生産に深く日本自身がが立ち入って,監視すべきである。

民間任せでは駄目だ。

世界の情勢はアメリカ大統領待ちの雰囲気で,民主党ヒラリー・クリントン氏とオバマ氏の間で選挙戦が繰り広げられ

大接戦が報じられている。

オバマ氏が大統領になれば暗殺されるかも知れないとの噂の報道があったりして,アメリカとはやはり物騒な国だと感ずる。

物騒な国であるアメリカが世界中のいたる所に基地を持ち続けて,軍隊を派遣しているとはどうしたことなのだろうか。

本当に世界の治安を維持する為なのだろうか。?

日本政府はその所を良くわきまえアメリカとお付き合いしてゆくようにすべきである。

昨今の国連の存在が全く不明な状態で悲しい現実である。

中東地域は不安定なままであって,自爆テロが続き死傷者が続出していて,現代版の万里の長城がつくられてもいるようだ。

チベットにおいて中国との軋轢があり死傷者が出ている報道がある。

中国でもソ連邦からのロシアへの変化のようなものがあって良いように考える。

アメリカ軍撤退後のイラクはどうなっていくのだろうか,再び内戦でフセインのような独裁者が出現しなければ治安が維持できないのか。

国連の役割を担うべきことが沢山有るにもかかわらずに国連の報道が皆無に近いような状態である。

国連がアメリカの傀儡になっては駄目で,独立するためにも他の国の土地に国連本部をば移すべきである。





中国製冷凍ギョーザ
農薬の混入したのを食べた人たちが、
中毒の症状を訴えた






平成20年2月1日の天声人語よりの引用


あぶない食べ物の筆頭といえば、古来フグだろう。

美味なだけにあきらめきれず、フグは食いたし命は惜しし、となった。

江戸期の俳人蕪村もそのくちだったか、〈河豚(ふぐ)汁のわれ生きてゐる寝覚めかな〉と詠んでいる

▼その河豚汁を、ギョーザと言い換えねばならないような事態である。

正確には中国製冷凍ギョーザ。

農薬の混入したのを食べた人たちが、中毒の症状を訴えた。

千葉と兵庫両県で、3家族の10人がめまいや嘔吐(おうと)、全身のしびれに襲われた

▼うち3人は一時重体に陥った。


「スーパーに並ぶ食品で命の危険にさらされるとは思いもしない」と息子が死に瀕(ひん)した母親は憤る。

ほかにも不調の訴えが相次いでいる。

こんなことでは昔のフグなみに、口に入れるのが「肝試(きもだめ)し」になってしまう

▼人件費の安い中国は、今や「世界の工場」と呼ばれる。

だがその産品に、輸出先の国々で逆風が吹きつのっている。

残留農薬や有毒物質の混入など、消費者を逆なでする問題が後を絶たないからだ

▼笑えない話を、中国人ジャーナリストの莫邦富(モー・バンフ)さんが本紙に寄せていた。

江蘇省の農婦が農薬を飲んで自殺を図った。

病院に運ばれたが、命に別条はなかった。

なんと農薬が「偽農薬」だったからだという。

粗悪な品が出回る社会を象徴するような悲喜劇だろう

▼おりしも中国は、日本の正月にあたる春節が近い。

帰省者を迎え、家族がそろって、湯気の立つ水餃子(ギョーザ)に舌鼓を打つのが習わしだ。

おいしいものを笑顔で食べたい。

その思いに、国の違いなどないはずである。






餃子事件は日中の捜査当局が連携して調査しているようだが,中国側の発表では製造過程・包装過程で混入された様子が

考えられないとのことであるが,袋の外側からでも実験してみたところ,浸透することがわかり日本側で起きているのか。

まさかであるが,迷宮入りの様相を示して来ている。








大学の研究班が「世界で最も暗い物質」を作った、
というニュースが米国から届いた




平成20年2月2日の天声人語よりの引用


水墨の抽象画で知られる篠田桃紅さんの作品を拝見して、黒という色について考えたことがある。

本当の「黒」は真っ黒の一歩手前、明るさのある黒で、沈静であって死ではない。

そんな篠田さんの文章が記憶にあったからだ

▼〈あと一歩に無限のはたらきを残し、それはわが手のなすところではなく、

天地自然、神、宇宙、とにかく人間のはかり知れない大きな手にゆだねる〉。

そういう考え方が好もしいと、随筆集『墨いろ』につづっている。

黒白(こくびゃく)の世界の凄(すご)みに感じ入ったものだ

▼篠田さんの言う「あと一歩」は、科学でも神の領域に近いようだ。

大学の研究班が「世界で最も暗い物質」を作った、というニュースが米国から届いた。

色は光が反射して生じる。

だが、その物質は当たった光の99.955%を吸収してしまうそうだ


▼一般的な黒い塗料だと5%から10%も反射する。

新物質は0.045%で、これまでの最高記録より約3倍暗い。

だが真っ黒ではない。

どんな物質も、光を完全に吸収することはないのだという。

「あと一歩」の深淵(しんえん)は、墨の芸術にも、科学にも底がない

▼神の領域から目を転じれば、身の回りには「黒」が目立っている。

今やファッションにとどまらない。

和洋菓子に始まり、綿棒、まな板からトイレットペーパーまで。

白が当たり前だった日用品にも広がっている

▼不吉を連想させもするが、黒に非日常の粋を重ねる人も多いようだ。

自然の中に色の乏しい季節である。

深遠な黒の世界を楽しむには、いまが好季かもしれない。






黒は暗い感じを与えるが,それに赤が少しだけ加わるだけでぐんーと粋に感ずる。

伊達政宗の軍隊が黒装束にその裏には赤地の布がチラリとのぞかせて戦い

其処からシャレた衣装の状態を「伊達(だて)」と名付けるようになったとか。







フランスのサルコジ大統領昨秋に離婚し、
14歳下の人気歌手カーラ・ブルーニさん(39)と
結婚したらしい







平成20年2月3日の天声人語よりの引用


フランスのサルコジ大統領は「本音の人」である。

昨秋に離婚し、14歳下の人気歌手カーラ・ブルーニさん(39)と結婚したらしい。

在職中に配偶者を代えた仏元首は、本当かどうかナポレオン以来とも聞く。

要職だからと、私生活を犠牲にする気はないようだ

▼パリで4年前、公演後の楽屋にカーラさんを訪ねたことがある。

缶ビールを片手に、来日への思いを気さくに語ってくれた。

その応対ぶりから、仕事にも恋にも正直な人とお見受けした。

大統領とは生き方も一致したのだろう

▼自分に正直に、本音で生きてゆくのは楽じゃない。

周囲との摩擦、好奇の目。

「結婚は忍耐」と言う通り、夫婦がそれぞれ我を通せば破局に至ることもある

▼されど人生は一度きり。


二人をうらやましく思うかどうかは別にして、つまらぬ遠慮や辛抱で消耗したくはない。

そうはいかないのが普通だろうが、辛抱しすぎると命が縮むというからご用心だ

▼夫婦げんかを我慢すると早死にしやすいという説を、通信社が報じた。

米ミシガン大学の研究者が、192組を17年追跡した結果だという。

相手の言動を不当と感じた時、感情を押し殺して我慢し合う夫婦は、言い争って解決しようとする夫婦の倍の死亡率だった

▼江戸川柳に〈喧嘩(けんか)には勝ったが亭主飯を炊き〉とある。

言うだけ言われたおかみさんが「職場放棄」で反撃に出る。

これならそろって長生きだろう。

夫婦げんかや離別を長寿の秘訣(ひけつ)としてお勧めするのではない。

愚痴も我慢もほどほどに、仲むつまじいのが一番です。





何かフランスのサルコジ大統領はどうも好きになれない。何故大統領になれたのかが不思議である。

前のミッテラン大統領の方が重厚でアメリカと対立してでも自己主張していたように思えるが,

サルコジ大統領はアメリカの腰巾着のようで,独立的・対抗的な様子は感じられない。世界にとって淋しいことだ。






きょうは立春





平成20年2月4日の天声人語よりの引用

 きのう、近所の桜並木は雪に包まれた。

枝にまで積もり、予定されていた花芽の観察会が流れた。

地元の樹木医、石井誠治さんによると、昨夏の日射のお陰で芽はよくついているようだ。

見上げれば確かに、春の卵がいくつも冬空に震えていた

▼週末の散歩で通った梅林では、もう何本か咲いていた。

薄紅の花に寄り、ほのかな和の香りに深呼吸する。

根元の土を霜柱たちが持ち上げていた。

冬の大地から、春が伸びる

▼きょうは立春。

今年も名ばかりの節目になりそうだが、ここからの冷え込みは字面も音も弱々しい余寒(よかん)となる。

寒寒寒(カンカンカン)という乾いた一本調子に、遠からず暖(ダン)の音が混じり始めるのだろう

▼〈立春の光ついばむ雀(すずめ)かな〉中島伊智子。

陽光も新たに昼の勢いが増せば、暮らしの随所に色が戻ってくる。

それが近年、春の接近に紛れて不穏な色がちらつくようになった。

スギ花粉である

▼強風にうねるスギ林は、薄黄の煙幕を街へと送る。

雄々しき生命の営みも、花粉に泣く身には敵の出撃風景でしかない。

ただ、物言わぬ樹木の代理人として石井さんいわく。

「きれいな環境に慣らされた体が、取るに足らない異物にも反応するようになったのです。

都市化や排ガスも怪しい。

木だけの責任ではありません」


▼前年夏の天候が大切なのはスギの雄花も同じで、東京の花粉は去年の倍と聞く。

「カン」と「ダン」の間の不協和音。

音源ばかりを責めてもせんないが、後れをとれば梅も桜も台無しとなる。

寒寒寒のリズムが続くうちに、目鼻の防備を固めたい。






春の気配が感じられない時期に立春と言われてもピーンと感じられない。

寒い二月である。これまでが平穏な暖かい冬がおかしいのかもしれない。

春はいつも待ち遠しい季節である。







その昔語りに、詩人は、戦争に
駆り出される民衆の苦悩を重ね合わせた








平成20年2月5日の天声人語よりの引用


中国、唐代の詩といえば酒や雪月花を思いがちだが、社会の不条理を憤る作品も多い。

たとえば白居易(白楽天)が、役人につらくされる貧しい炭焼きを詠んだ「売炭翁(ばいたんおう)」を知る人もいるだろう

▼その白居易に、「新豊の折臂翁(せっぴおう)」という物語風の詩がある。

臂とは腕のことだ。

新豊という地で、詩人は腕の曲がった老人に出会う。

わけを聞くと、「若いときに兵役を逃れるために、自ら石で腕をたたき折った」と打ち明ける。

その昔語りに、詩人は、戦争に駆り出される民衆の苦悩を重ね合わせた


▼悩みは古今変わらないと、韓国からの報道にあらためて思った。

プロサッカーの選手ら92人が兵役法違反の罪で起訴された。

わざと肩を脱臼するなどして兵役逃れを企てたという。

石ではなく、バーベルを使ったりしていたそうだ

▼韓国の男子は高卒後に徴兵検査を受け、2年ほど兵役につく。

その間サッカーはできない。

選手生命が危うくなるのを案じて、ことに及んだらしい。

運動選手の旬は短い。

義務感との板ばさみに悩んだ末だろうと想像する

▼反骨の詩人、金子光晴を思い出す。

先の戦争中、長男を兵に取られまいと、部屋に閉じこめて松葉をいぶし、煙を吸わせた。

ぜんそくの診断書をもらうためだ。


その企ては成功する

▼金子は当時の心情を、〈戸籍簿よ。

早く焼けてしまへ/誰も。

俺(おれ)の息子をおぼえてるな〉と詩の一節に残した。

しかし長男は、仮病工作に不正義を感じて悩んだという。

個人と国家という答えのない間柄が、韓国の件からも透けて見える。





兵役は強制的に徴兵される制度である。現在は自衛隊は志願制である。

でも戦争となれば富国強兵で徴兵されることになる。

それを逃れるために腕を折ったり肩を脱臼したりなどして徴兵逃れしている。

それが本当に正しい人間の道で「人殺し」することなくて立派な行為で゜あると思う。

そんな時代が来ないことを切に願い努力しなければならない。

昔の兵隊は1銭5厘で集められ,こき使われ死んでいった。






広島ではスノーボーダー7人が
吹雪の中で行方不明になった








平成20年2月6日の天声人語よりの引用


きのうの本紙川柳欄の〈雪国にごめん都の三センチ〉に、思わずにやりとした。

わずかな雪で交通機関は乱れ、転倒者が続出する。

作者は埼玉の人らしい。

雪深い地のたくましさを思い、いささかの自嘲(じちょう)を込めて詠んだとお見受けした

▼思えば、雨や風に対する受け止め方は、日本中、そう違いはない。

10ミリの雨は、どこに降っても「10ミリ」だろう。

5メートルの風もしかりである。

しかし雪は、暖地なら数センチでニュースになる。

片や豪雪地なら、この程度はチリが舞ったほどでしかあるまい

▼江戸時代の越後人、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』には、雪の激しさと暮らしの労苦のさまが詳しい。

〈されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興のたのしみは夢にも知らず〉。

雪を恐れ、そして畏(おそ)れる心情を、言葉を尽くして説いている

▼その雪を甘く見たのだろうか、冬の山から報道が相次いだ。

長野のスキー場では、大学生2人が雪崩で亡くなった。

広島ではスノーボーダー7人が吹雪の中で行方不明になった


。こちらは幸い、全員無事に見つかった

▼吹雪と雪崩は難儀の双璧(そうへき)だと、『北越雪譜』は言う。

現代の管理されたゲレンデも変わりはない。

まして一歩踏み出せば、豪雪に慣れ育った人々をも葬ってきた、ごまかしのない純白の世界である

▼雪氷学の草分けだった中谷宇吉郎は、状況次第で様々に姿を変える雪を「天から送られる手紙」と呼んだ。

それを悲しい手紙にしてしまってはなるまい。

うっすら3センチの都会でも、白銀の招くスキー場でも、甘く見るのは禁物である。




雪の中での登山は危険が潜んでいる。幸い全員無事でよかった。荒れ小屋で退避していて助かったようだ。

楽しい行楽が雪の中では悲劇に暗転する。







大統領選挙の候補者レースは、
山場のスーパーチューズデーを終えた






平成20年2月7日の天声人語よりの引用


敵の多いことを恥じる必要はない。

だが敵の名に恥じない者を敵にせよ、と言ったのは明治の文人国木田独歩だ。

「卑しき敵は持ちたるだけにて此方(こちら)の敗北なり」と言葉をつないでいる

▼アメリカ民主党のヒラリー・クリントン、オバマ両上院議員は、互いをどう思っているのだろう。

相手にとって不足なしか。

それとも不倶戴天(ふぐたいてん)の憎い敵か。

大統領選挙の候補者レースは、山場のスーパーチューズデーを終えた。

ともに譲らず、笑顔も涙も今後に持ち越された

▼党内で勝たなければ、秋の本選挙には進めない。

いまの一騎打ちは、いわば準決勝にあたる。

片や共和党はどうやら、マケイン上院議員に流れが定まってきた。

ベトナム戦争で捕虜になったが5年後に生還した国民的な英雄である

▼大統領選挙の候補者たちは、箸(はし)の上げ下ろしまでを有権者に吟味される。

なかでも今回、ヒラリー氏への視線は執拗(しつよう)だ。

集会で涙ぐんだときは、「同情狙いのうそ泣き」とも言われた。

ハンバーガーを食べてチップを渡さなかった、と報じられたりした

▼有名税でもあろう。

だが、もとは無名に近かったオバマ氏に追い上げられ、知名度に安住してはいられなくなった。

お決まりの激しい批判の応酬をへて、双方が土俵中央で、がっぷりの四つに組む

▼むろん互いに「敵の名に恥じない敵」に違いない。

その敵同士が、本選挙で共和党と政権を争うとき、今度は味方になる。

戦い終えて、美しくノーサイドといくものかどうか。

まれに見る接戦は、人間観察の興味も連れてくる。





スーパーチュウズデ-ではヒラリ-クリントンさんは三勝一敗で一息ついた感じである。

接戦は尚続くようだ。戦いが続くほうが良いのか,共和党のように早く決着する方が良いのかわからない。

議論を尽くしてもらう方が有権者としてはありがたいのではないかと感ずる。中傷合戦だけは醜い。

止めるべきである。









中高生が情報交換のために
インターネット上につくる「学校裏サイト」が、
問題になっている。





平成20年2月8日の天声人語よりの引用


写真家の土門拳に、路上でチャンバラごっこに興じる子らを写した一枚がある。

半世紀ほど前の光景だ。

長い棒きれを握りしめて、結構真剣に立ち回っている

▼振り回した棒が当たれば痛そうだ。

やられた子は、コブをつくって泣き出すかもしれない。

だが、そんな泣きっ面で、お互い相手の痛みを知ったものだ。

力の加減も覚えた。

友達の泣き顔は、自省心や思いやりを養う身近な先生でもあった

▼相手の表情と向き合わないから、酷な言葉が書けるのか。

中高生が情報交換のためにインターネット上につくる「学校裏サイト」が、問題になっている。

学校別に生徒らが立ち上げる掲示板だ。


匿名で書き込めるため、しばしば誹謗(ひぼう)中傷の場と化してしまう

▼実名をあげて、「シんでください。

デブの豚」「援助交際している」……。実例を聞くと、まさに書きたい放題である。

友達の泣きっ面など思いもしないのか、誰が書いたかバレないからか。

悪意ばかりか鈍麻と卑怯(ひきょう)が、寒々とした言葉から透けて見える

▼日教組の教研集会でも先ごろ、取り上げられた。

「書き込むごとに自分の心がカサカサになる」と、ある中学の先生は、学年集会で諭したそうだ。

英国の作家ワイルドの名作『ドリアン・グレイの肖像』を思い出す

▼すさんだ生活を続ける男の肖像画が、その心を写し取るように、醜く姿を変えていく。

肖像画は実は男の「魂の姿」だった――そんな筋立てである。

サイトのゆがんだ言葉が、心の肖像でないことを祈りつつ、暴走を防ぐ手だての必要を思う。







学校裏サイトにお目にかかったことはない。集団イジメに使われているようだ。

良い方に学校や先生の運営に対する不満をぶっけるサイトならば良いのだが。

掲示板の管理者が良識的な生徒によるならば有益なものになると思う。






相撲部屋という「畑」にも、けいこにまじって、
暴力という「似て非なる雑草」がはびこっていた。






平成20年2月9日の天声人語よりの引用


「似て非なるものを憎む」は中国の孔子の言葉とされる。

畑に生えて穀物を害する雑草は、穀物の苗によく似ている。

うわべだけの似非(えせ)君子がはびこっては道徳を損なう

――と弟子に憤りを語ったそうだ

▼相撲部屋という「畑」にも、けいこにまじって、暴力という「似て非なる雑草」がはびこっていた。

時津風部屋の若手力士、斉藤俊さんが急死した事件で、当時の親方と兄弟子3人が逮捕された。

だが、「この部屋だけか」という疑念がぬぐえない

▼兄弟子らは斉藤さんを鉄砲柱に縛りつけた。

平手で何十発もはたき、木の棒で激しく打ち据えたという。

さらに30分におよぶ「ぶつかりげいこ」で土俵に倒しては、金属バットで殴ったりした。

斉藤さんはぐったりとなった

▼土俵はむろん、鉄砲柱も修練を積むための設備である。

神聖をうたう場での集団暴行は、穀物の畑に、雑草が堂々と茂っているさまを思わせる。

「かわいがり」という隠語は、旧弊を大目に見る、あうんの了解にも聞こえる

▼戦前に玉錦という名横綱がいた。

小兵ながら猛げいこではい上がった。

生傷が絶えず、絆創膏(ばんそうこう)だらけの姿は「ボロ錦」と呼ばれた。

当時のけいこは荒く、厳しさもひとしおだったらしい

▼そのさまは文壇きっての角界通だった舟橋聖一の『相撲記』に詳しい。

要領をおぼえて体を楽にさせる者は大成しない、と作家は言っている。

だが耐えるのは「けいこ」であって「暴力」ではあるまい。

角界をあげて似て非なるものを絶つ決意こそ、無念の死へのつぐないである。






相撲の世界の実態をみせつけられた事件であつた。ひどい親方が管理人になっているから弟子達は哀れだ。

親方は未成年者を預かってるから教育者であるべきだ。

集団暴行の何ものでもない修練が行われていた。昔の軍隊を思い出す。







04年、花びらにほぼ青の色素だけを持つ、
世界初のバラが誕生する






平成20年2月10日の天声人語よりの引用


食品のパッケージで青色は珍しい。

例外的に売れたのはスポーツ飲料だったと、何かで読んだ。

確かに、食欲をそそる赤や緑に比べ、青は無機的で冷たい印象だ。

生命から一番遠くにある色かもしれない

遺伝子組み換えで生まれた青いバラが来年から花屋に並ぶという。

生態系を守る法律に基づいて、開発者のサントリーが政府の許可を得た。

「天然」の高級バラ以上の値がつくらしい

▼バラには青の色素がなく、いくらかけ合わせても「青く見える花」しかできない。

そこで、青色を作る遺伝子をパンジーから取り入れ、赤みを抑える工夫を重ねた。

04年、花びらにほぼ青の色素だけを持つ、世界初のバラが誕生する


▼愛好家が挑み続けたブルーローズは「あり得ない物」の代名詞として、不可能の意味を持つという。

最相葉月さんは、01年の『青いバラ』(小学館)で自問した。

「不可能であったはずの青いバラが現れたら、二十一世紀の辞典はこの訳語をどう書き換えるのだろうか。

夢の実現、それとも、夢の喪失」

▼人類が何世紀も追ってきた夢が、科学のひと押しで現実へと姿を変える。

飛行機やインターネットほどの実利はなくても、あり得ぬ花の流通も進歩には違いない。

細工した異色の生命が人の目を楽しませるのだから

遺伝子操作には、神の領域を侵すといった批判がある。

店先の青い命に戸惑う人もいよう。

要は他の科学技術と同様、人は全能という慢心を戒め、使い道を誤らないことだ。

変哲もない茎の先に、希望と不安が仲良く咲いている。





青いバラの花は夢の実現だが,バラは赤い花か魅惑的だ。

遺伝子組み換えして何故に其処までするのかとの疑問はある。







育毛ケアで効果が薄かった大阪の男性(58)が大手業者を訴え、
430万円を返してもらう和解が成立したそうだ






平成20年2月11日の天声人語よりの引用


 17世紀のフランス国王、ルイ13世は心労ゆえに薄毛となり、22歳でカツラをつけた。

廷臣たちがそれに倣い、カツラはやがて上流階級の正装として各国に広まったという

▼時は移れど、世に「自分を変えたい」願望は尽きない。

光頭の書き手による『ハゲの哲学』(金子勝昭、朝日文庫)はこうクギを刺す。

「ハゲを隠しているという意識につきまとわれているかぎり、変貌(へんぼう)できない」。

ましてや、隠せぬままに変わり損ねた落胆は大きかろう

▼育毛ケアで効果が薄かった大阪の男性(58)が大手業者を訴え、430万円を返してもらう和解が成立したそうだ。

業者は「必ず生えるとは言っていない」と反論したが、原告の強い不満に折れた


▼「前後」の写真を見る限り、憤りは当然だ。

毎週の頭皮ケアや補助食品に、男性は約680万円と4年の時を費やした。

生える保証のない育毛にこれほどお金がかかり、その出費と手間をいとわぬ客層があることに驚く

▼あるべき物が無いのを恥じる心に、業者は手を差し伸べる。

毛が戻って前向きに変われるのならいいが、見てくれや世間体に追われる人生はもったいない。

頭髪の気になり具合は「自分の人生をどの程度自分のものにできたかを測るものさし」(金子氏)でもある

▼脱毛への備えを説いた『ハゲてたまるか』(下川裕治、朝日新聞社)で、精神科医が語る。

「人は交通事故を笑えないが、バナナの皮で転べば笑う。

大したことではないからだ。

精神的にハゲを克服するポイントです」。

そう、大したことはない。







禿には年齢者にとっては大変な悩みの種だが,それを商売にして儲けている業者がいる。

禿は目に見えるが,健康食品の身体に対する効果は目に見えない。

そのようにして高齢者・病弱者が健康食品乃至薬物に対して大金を投ずる人たちがいるに違いない。

薬効のない健康食類を厚労省は厳重に管理すべきだが放置されているままである。,

それに大新聞がその広告を堂々と載せ広告代金をもらい金儲けしている大新聞がある。

良心として少なくとも人を騙すような手助けをば大新聞たるものはすべきではない。

一方で薬効がない薬などのことを批判する新聞・雑誌類に記事を載せているにも拘わらずに

人を欺く健康食品の広告でもって金儲けしている矛盾があるように見受ける。








小さなかごの中で(沖縄の本島)、幾度となく
繰り返されてきた米兵による性犯罪が、
また起きた







平成20年2月13日の天声人語よりの引用


「小さなかごに、あまりに多くの卵を入れている」。

何年か前に沖縄を訪れた米国防総省の元高官は言い表した。

「かご」は沖縄の本島、「卵」とは米軍基地のことだ

▼国土の1%にも満たない土地に、国内の米軍専用施設の75%を抱え込む。

「基地の中に沖縄がある」と言われるさまは、米国高官にも異様に映ったらしい。

実際に、那覇市から車で北へ走ると、フェンス囲いの「卵」が次から次へと姿を現す

▼小さなかごの中で、幾度となく繰り返されてきた米兵による性犯罪が、また起きた。

38歳の海兵隊員が女子中学生に暴行した疑いで逮捕された。


家まで送ると言って誘い、車内で乱暴したという。

少女は泣きながら携帯で助けを求めた

▼島の怒りの源流は、1955年にさかのぼる。

海岸で女の子の遺体が見つかった。雨に打たれ、手を固く握りしめていた。

沖縄を怒りで震わせた「由美子ちゃん事件」である。


6歳の子は米兵に暴行され、殺された

▼あまりのむごさに、島ではしばらく、生まれた子に「由美子」と名づける親はなかったと聞く。

以来、米軍は事件のたびに「良き隣人になる」と誓いをたてた。

だが、そのつど裏切る。

沖縄には怒りのマグマが蓄えられていった

そのマグマは、95年の少女暴行事件で爆発する。

米軍は綱紀粛正を約束した。だが、嵐の日の約束は晴れれば忘れられるのか、その後も犯罪はいっこうに絶えない。

そして「またか」の涙である。

五十年一日のように事件を繰り返されては、「汝(なんじ)の隣人を愛」せるわけがない。







米軍は沖縄で何をしているのだろう。戦争の影響を濃厚に引きずっている。日本の政治もアメリカか半植民地政策が

続けられている。膨大な基地を抱えた沖縄の島民は本当に気の毒である。








大人は民法では明治半ばから「20歳」とされている








平成20年2月14日の天声人語よりの引用


「少年よ大志を抱け」のクラーク博士が札幌農学校の開校にあたって着任すると、細かい校則ができていた。

博士は「規則で人は育てられない」と言い、

「ビー・ジェントルマン(紳士たれ)だけで十分だ」と校則を廃したという

▼元気ざかりの生徒である。

不始末もあったようだ。

だが、博士は「何をしていいか、だめか、自分で考えて判断する」よう求めた。

10代後半の少年らを「大人」として遇したということだろう

▼いまなら何歳をもって大人とすべきか。

民法では明治半ばから「20歳」とされている。

一世紀ぶりに年齢を引き下げる是非を、鳩山法相が法制審議会に諮問した。

憲法改正を問う国民投票法が、18歳で投票できると定めたのがきっかけである

▼「大人とは」の定義は多彩だ。

「20歳」は明治の平均寿命や、精神的成熟度からはじいたそうだ。

いまや寿命は大きく延びた。

つられてか、物心ともに親がかりの歳月も延びている。

30歳までは未成年、という声も聞こえてくる

▼「大人とは」に続けて、「裏切られた青年の姿」と言ったのは太宰治である(『津軽』)。

人はあてにならない。

太宰によれば、その発見こそが、青年が大人になるための必修科目らしい。

賛否は置き、人は人にもまれて大人になるのに違いない

▼とはいえ「紳士たれ」だけで己を律する自信はなく、裏切られての溜(た)め息も御免こうむりたい。

年を重ねても、「大人」たることは容易ではない。

その大人が若い世代の「大人年齢」を審議する。

思えばなかなかの難役である。





鳩山法相が18歳に選挙権者に下げさせる審議を指示したようだが機械的に死刑者は執行すべきと

同じような突飛なことを大臣たるものが軽々しく行動すること事態が大臣の資格がないのではないだろうか。

それに現実に死刑執行に署名している。

世界の流れとして死刑廃止の世界情勢の中において法の最高責任者がこのような状態では

司法界が政治家・社会などとの癒着でもって無法状態のようなことが行われていても仕方がないのかもしれない。








映画の市川崑監督が92歳で亡くなった







平成20年2月15日の天声人語よりの引用


映画の市川崑監督が92歳で亡くなった。

生前の姿は、くわえたばこと切り離せない。

毎日ほぼ100本を煙にしていた。

テレビ局のスタジオでも、片手に台本、片手に水を入れたバケツを灰皿がわりにぶら下げて、

演技をつけていたそうだ

▼その煙好きが、ここ数年はたばこを断っていた。

「もう少し長生きをして、もう1、2本撮りたい」と願ったからだ。

「最後にしたい作品になかなか巡り合えない。

いさぎよくなれない」と語っていたのは、映像への尽きない追究心ゆえだろう

▼人間の内面を、説明に頼らず映像に語らせる。

その巧みさは“魔術師”とも呼ばれ、記録映画「東京オリンピック」で一つの頂点をきわめた。

陸上男子100メートルで、決勝に臨む選手の唇が祈るように震える。

大柄な投てき選手が神経質に何度も手の汗をぬぐう

▼斬新に過ぎたのか、映画は「芸術か、記録か」と一騒動を起こした。

だが空前のヒットになる。

日本の勝ち負けに一喜一憂した五輪が、異なる視線と色彩で立ち現れる。

その驚きは、わが少年時代の思い出でもある

▼〈乾ききった砂の匂(にお)う褐色のからだ/熟れたぶどうの匂う白いからだ/熱い鉄と油の匂う黒いからだ……〉と、

映画作りに加わった詩人の谷川俊太郎さんは五輪をうたった。

そうした世界の多様な匂いを、美しい映像は運んできてくれた

▼生涯作品は70余。

「原動力は、キザですが、映画好きという一点。

食事より映画を撮りたい」と晩年語っていた。


次なるロケ地を、雲の上から品定めしておられるだろうか。





一時を風靡した市川監督である。92歳とは長命である。

タバコを吸っていなければもっと長生きされていたかもしれない。

タバコは百害あって一利なしである。

全ての癌の原因要素 動脈硬化の促進 脳卒中心筋梗塞や呼吸器障害の原因であることは

医学的に定説になっている。92歳と長命だからとしても

タバコの害は確実にあることは既に実証されている。

タバコを吸っていて後悔している人たちを沢山聞き知っている。

タバコは発売禁止しても良いほどものだが,大手を振って街角で売られている。

一方でメタボリックシンドローム予防促進を防ぐための指導がなされようとしている。

手軽に出来る早く喫煙者を取り締まる法律があって,その恐ろしさをば徹底させるべきである。

高価だと吸わない。なければ吸わない人の話は聞く。対策を早く取るべきである。

歴史的にタバコは梅毒と同じ頃にコロンブスによってもたらされたとか。







思えば2月は不思議な月だ





平成20年2月16日の天声人語よりの引用


早ばやと、わびしげに暮れていたころに比べると、2月も半ば、日脚がずいぶん伸びてきた。

冬至を折り返し点として逆算すれば、10月の終わりごろの日差しを、いま浴びていることになる

▼2月を「光の春」とも呼ぶそうだ。

目や肌に、光の強まりが感じられる。

とはいえ地表はまだ寒さの底である。

光は乱舞して誘うのだが、裸体の木々は用心深い。

雑木林のクヌギやエノキは、堅い冬芽をしっかりと閉じたままだ

▼八ケ岳をのぞむ山梨県北杜市の「オオムラサキセンター」を、先日訪ねた。

羽が鮮やかな紫に染まる、日本の国蝶(こくちょう)が育っている。

観察用の雑木林には、朽ち葉が散り敷いていた。

オオムラサキの越冬幼虫は、葉にもぐって、静かな眠りについている

▼散り重なった葉の層の、真ん中あたりに居場所を定めるそうだ。

風雪をしのぎつつ、地面の湿気も遠ざける知恵である。

芽吹きのころに起き出してきて、若葉をはんで滋養をもらう。

羽化して夏に舞う夢を、落ち葉の寝床で見ていることだろう

▼「太陽暦の作者は雪国に親切だった」と新潟県育ちの仏文学者、堀口大学は言った。

果てしなく思える2月が、短い日数で終わるから。

そして「待ちに待たれた3月が来る」。


思えば2月は不思議な月だ。

「春」ながら冬がきわまる。

だが寒さの底で、何かが兆している

▼列島への寒気の南下は、なお厳しい。

日本海側は週明けまで雪の空という。

されど、〈雪 イトド深シ/花 イヨヨ近シ〉柳宗悦(やなぎ・むねよし)。

遠い兆しに心を澄ませば、春が半歩、近づく気もする。





二月の次には必ず゜に三月が来る。季節の移り変わることには狂いがない。

陽気の狂いは地球温暖化のためにおかしくなってきている。






この「自分の中では」が、最近ちょっと気になる






平成20年2月17日の天声人語よりの引用


今季の方針を聞かれ、プロ野球の監督が答えた。

「自分の中では守備力重視です」。

女子フィギュアの星が大会への抱負を語る。

「自分の中では、トリプルアクセルを跳びたい」

▼この「自分の中では」が、最近ちょっと気になる。

各界の発言録ともいえる本紙を調べたところ、検索できる84年以降、約300本の記事に登場していた。

9割は最近10年のもので、90年代半ばまではあまり出てこない

▼たどれる最古の発言は87年、ビートたけしさんである。

写真誌への殴り込み事件で有罪判決を受け、記者会見で神妙に語った。

「6カ月もたったことなので、自分の中では解決したと思っている」と

▼殴り込みはまずいが、これが本来の用法だろう。

「自分の中では」は、当時のたけしさんのように気持ちの整理がついた状態など、微妙な胸中を説明する表現だった。

それが昨今、飾りのように多用されている

▼断言しては押しつけがましい、あるいは言い切るだけの自信がない時、

私たちは「別の見方もあろうが」というニュアンスを飾りで加えたくなるものだ。

意見対立や仲間外れを嫌い、場の空気を読むのに熱心な現代人の知恵だろうか。

さりげなく張る予防線は奥ゆかしくもあり、軟弱にも聞こえる

▼やりとりからトゲや毒、火種を取り除く工夫をボカシ言葉と呼ぶそうだ。

「わたし的には」「〜かな、みたいな」など多々ある。

「自分の中では」も、その一つらしい。

優しく、余白を残す言い回しは処世術だが、会話を弾ませる大切な熱を奪うような気がする。






日本人の「あいまいさ」が利点とする人と欠点とする人がある。イエスかノーかでは困る。

「あいまいさ」はその中間があっても良いとの考えから来ているのではないかと思う。







東京マラソンを皇居北のお堀端で見た







平成20年2月18日の天声人語よりの引用


きのうの東京マラソンを皇居北のお堀端で見た。

配られた読売新聞の小旗を毎日新聞本社前で振ることになった。

後から来る走者ほど笑顔が目立つ。

ウサギ、カエル、ウシのかぶり物、力士の着ぐるみもいた。

競走とお祭りが、同じ道をゆく

▼銀座に先回りして先頭集団を待つ間、この催しの魅力は都心の車道を走る「非日常感」だろうと納得した。

行く手には車のない清潔な道が延び、歩道から見上げるのとは違う左右対称の空が広がる

▼初回の去年より6万人多い15万人超が申し込んだという。

博報堂生活総合研究所の嶋本達嗣さんは、本紙で「他者と適度な距離感を保ちつつも、

ゆるやかな連帯を味わえる」と人気の背景を分析していた

▼参加できた約3万人は、3万の思いを胸に走った。

障害や病気を乗り越えた「証し」を求める人がいた。

知り合いに雄姿を見せたい人もいただろう。

そして、走ることの幸せが皆の背中を押していた

▼五大陸を走破したフランス人、セルジュ・ジラールさんに聞いたことがある。

走行中は脳がさえるので、計算を楽しむそうだ。

女性ランナーの草分け、ゴーマン美智子さんは「レース翌日に暖かく着込んで、ゆっくりゆっくり走る時が最高」と語っている

▼銀座から地下鉄に乗り、勝者のゴールは自宅のテレビで見届けた。

道路網といい交通機関といい、東京は恵まれている。

足と小銭を生かせる街ともいえる。

青空のおまけもついた一日を振り返り、思った。

都心に車のない、歩いてよし走ってよしの日がもっとあっていい。







あまり運動しないこの時期のマラソンは身体には良い。争うことのないマラソンを楽しめるのは都民にとって良い話である







器と料理は、媒体と情報の関係に似ている







平成20年2月19日の天声人語よりの引用


無地の食器は料理を引き立てる。

自らの個性を封じ、背景に徹することで、食材の色が一つ前に出るのだろう。

白い皿は何かを盛ることで生かされ、逆に、何も載せなければ物悲しいものだ

▼器と料理は、媒体と情報の関係に似ている。

古くは紙と文字。

白地に黒い情報を盛られて、紙は新聞や本になる。

CDと音楽、DVDと映画の関係もしかり。

媒体や、それを動かす機械は「伝える中身」がなければ価値を生まない

▼かれこれ6年となる次世代DVDの規格争いで、ソニーや松下電器が主導する「ブルーレイ」の勝ちがどうやら見えてきた。

競う東芝は、事業からの撤退を発表するようだ


▼世界標準の「皿」を目指した戦いは、「料理」を握るハリウッドの大勢と、米最大のスーパーを味方にした側が優位を固めた。

巨費を投じ、技術を尽くした機器も、伝えるべき情報を元から断たれ、売り場を失えば倉庫で眠るしかない。

まさに「美器を作らんとする者は美食に通ずべし」(北大路魯山人)である

▼家庭用ビデオの「VHS/ベータ戦争」は決着に13年かかり、多くの消費者が泣かされた。

「負け皿」をつかめば料理に不自由するという教訓から、今回は買う側も慎重だった。

東芝が早めに見切れば、混乱はそれだけ小さくなる

▼「勝ち皿」も安泰ではないらしい。

インターネットからパソコンに、映像をじかに取り込む手法が広まれば、皿の価値は薄れていく。

鍋から口へとはしを運ぶことを、礼儀作法では下品と言い、映像ビジネスの世界では進化と呼ぶ。





家庭用ビデオ競争と同じかと思われたのがDVD競争が早く解決して良かったと思う。

安くて映像・情報が取得できれば゛何よりものことである。

そのうちに食の方も宇宙食のようなものが普遍化して健康で簡単な食で済む時代が来るかもしれない。

昔このような食器というものが有ったとして博物館で鑑賞する時代が来るかもしれない。







海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」が
漁船に衝突し、漁師の親子が不明となった。








平成20年2月20日の天声人語よりの引用


ギリシャ神話の主神ゼウスは娘の女神アテナに、あらゆる邪悪と災厄から身を守る盾を授ける。

アテナはこれに、見た者を石に変える魔物メドゥーサの首をはめ、攻める力を重ねた。

盾の名はアイギス、英語の「イージス」である

▼海の要塞(ようさい)にも例えられるイージス艦は、数百キロ圏内にある200の目標を同時にとらえ、必要とあらば破壊する。

はるか上空から海面、水中までを見通す「全能の目」の持ち主も、平時には小舟一つに気づき遅れるものなのか


▼海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」が漁船に衝突し、漁師の親子が不明となった。

あたごはハワイでのミサイル試射を終えて横須賀へ、漁船はマグロ漁に向かっていた。

長さ12メートルの出船に対し、入り船は165メートル。

ひとたまりもなかったろう

▼あたご乗員によると、両船とも衝突を避けようとしたそうだが、遅かった。

海は穏やかで視界も良く、暗闇でも航海灯がある。

ちゃんと見張っていれば起こりえない事故に思えてならない

▼あたごは1400億円を投じた最新鋭艦で、自衛隊でも最強の一隻といえる。

国民を守るべき高価な盾が、同胞に災厄を及ぼしては悲しすぎる。

機械の目と、乗員の目。

自衛隊は二つを大急ぎで磨き直すべきだ

▼現場海域は東京湾に近く、多くの漁船や貨物船が行き交う。

逃げも隠れもしない漁船を避けるのに、最先端の探知システムなどはいらない。

わが巨体の周囲には民間の船がいるだろうという想像力と、「弱者」を見逃すまいとする海の守り手の責任感。

それで足りる。





イージス護衛艦「あたご」が一隻1400億円もする。何隻保有しているのかそんなものに大金を積み込むようなことをせずに

もっと他のことに費用を転用すればよい。

護衛と攻撃とは表裏一体で大変に物騒な兵器を所持しているのかと考えさせられる。平和国家日本に徹しなさいと言いたい。








キューバのカストロ国家評議会議長(81)が、
国家元首を退く








平成20年2月21日の天声人語よりの引用


「人間を動かす二つのテコは恐怖と利益である」(ナポレオン)。

この二つで人と歴史を動かした男の実感だろう。

では、老革命家を内から動かしたのはどちらのテコなのか

▼キューバのカストロ国家評議会議長(81)が、国家元首を退く。

「心理的にも政治的にも、私の不在に備えるのが義務だ」と。

権力ではどうにもならない高齢と病気。

その現実に押されての決断だ

▼20世紀半ばのキューバは、砂糖などの基幹産業を米国資本が握る半植民地だった。

怒れる青年弁護士カストロは武力蜂起に失敗し、亡命先のメキシコで盟友ゲバラと出会う。

同志82人が中古のヨットで母国に潜入して以来、半世紀も国を率い、米国をいら立たせた


▼カリスマ指導者の「引退」は、自由な報道と野党のない国では珍しい。

うかつに権力を手放せば、政敵や民衆の反撃に遭うかもしれない。

地位だけが今日の利益を生み、明日の恐怖を退ける。

だが、こうして「内なるテコ」がいつまでも働かず、歴史のハンマーに葬られた者は多い

▼ナポレオンは暗殺を恐れ、ひげは自分でそっていたと伝わる。

自らも恐怖に動かされていたわけだ。

それでも武運は尽き、島に流され、造らせた凱旋門を棺(ひつぎ)で抜けることになった

▼並外れた権力者は、並外れて孤独だ。

どうかすると側近や親族さえも信じられなくなる。

カストロ氏は幸せにも、弟に譲るらしい。

そして、自身は「一兵卒として戦い続ける」そうだ。

「恐怖と利益」を吟味し、それだけが最晩年を安らかに過ごす道だと判断したのだろう。





いかなる権力者でも年齢と病気には勝てない。キュ-バの将来がどのようになってゆくかは判らない。

何故かグァンタモ基地のような前近代的なアメリカの基地がキュ-バに存在するのも不思議なことである。







在日米軍が基地あげての「自主閉門」である
沖縄、岩国の将兵と家族ら5万5000人に
終日の外出禁止令が出た






平成20年2月22日の天声人語よりの引用


江戸の世に閉門という刑罰があった。

武士や僧侶の屋敷の門を封じ、昼夜の出入りを禁じて謹慎させる。

医者を呼ぶこと、火事から逃げることは認められていた

▼世間に合わせる顔がないと恥じ入ったか、在日米軍が基地あげての「自主閉門」である。

沖縄、岩国の将兵と家族ら5万5000人に終日の外出禁止令が出た。

中学生暴行、飲酒運転、住居侵入と不始末が続いては、基地のゲートは内から閉ざすほかない


▼きょう22日は、全国の米軍こぞって「反省の日」だという。

外出禁止が長引けば、周辺の飲食店なども「閉」の危機を迎える。

基地経済の足元から開門を望む声を待つ腹かと、勘ぐりたくもなる

▼ここに、真っ先にこじ開けたいものがある。

わが自衛隊の閉鎖体質だ。

イージス艦に衝突された漁師の親族に、幹部は「報道陣には知らんぷりを」と求めたらしい。

カメラの前で自衛隊をなじり、何度も泣かれてはかなわないという意味なら、ひどい

▼事故の連絡が遅れたうえ、重要な情報がなかなか明かされないのも腹立たしい。

見張りが漁船の灯火に気づいたのは、先に発表された衝突2分前ではなく12分前で、その後も自動操舵(そうだ)で直進していた。

自衛隊に不利な証言が後から出てくるのはどうしたことか

▼戦闘集団には秘密主義がつきものだが、それに振り回されては知る権利も文民統制もおぼつかない。

大漁を信じる親子船を切り裂いた経緯に、隠すべき情報はなかろう。

組織防衛と保身にばかり熱心で、国民には門を閉ざす「自分を守り隊」では困る。






何故に多数のアメリカ兵士と家族の存在が多数の日本基地にいるのかがわからない。

その観点からだけ観察すれば,まさしくアメリカの半植民地である。

平和国家を目指す日本にとってはマイナス要素ではなかろうか。








東京の真ん中に、近所づきあいもなく暮らし、
それでいて全国の耳目にさらされる旧家がある
変えるべきもの、ならぬものとは別に、
あるべき論を超えて変わっていくものがある。
皇室もそうだろう









平成20年2月23日の天声人語よりの引用


都会に住んでいると、近所づきあいは深まりにくい。

マンションなら、両隣の家族構成がだいたい分かる程度だろうか。

東京の真ん中に、近所づきあいもなく暮らし、それでいて全国の耳目にさらされる旧家がある

▼そこの長男である皇太子さまが48歳を迎える会見で語った。

「家族のプライベートな事柄ですので、これ以上立ち入ってお話をするのは差し控えたいと思います」。

重ねての質問にも「これは本当に家族の内の事柄ですので」と拒まれた

▼記者たちの関心は、皇太子ご一家が自発的に皇居を訪れる機会が少ないという、宮内庁長官の「苦言」である。

天皇陛下の意をくんだものとされる。

皇太子さまは「できる限り心がけてまいりたい」と述べるにとどめた

▼東宮御所から皇居までは車で5分。

ほど近い実家への訪問が年に2、3回というのは決して多くはないが、ご一家なりの事情もあろう。

息子夫婦と談笑したい、孫と遊びたいのはどの親も同じ。

そして、何か問題があるのなら親族間で解決するしかないのも、またしかり。

周囲や国民が一喜一憂してどうなるものでもない

▼旧家には時代を貫く伝統があり、天皇家では大半が公務の色を帯びる。

継承すべき事柄も多い。

されど「家族内の事柄」まであれこれ論じられる立場は、定めとはいえお気の毒でもある

▼変えるべきもの、ならぬものとは別に、あるべき論を超えて変わっていくものがある。

皇室もそうだろう。

東京の真ん中で暮らす家族の姿は時を映し、時を重ねて伝統は深みを増してゆく。






武家が権力握っていたときには天皇家は貧していた。その時に昔の陵墓も荒廃していて不明ととなっていたのが

幕末頃の尊皇思想の高まりと同じくして陵墓が探索・整備されて立派なものになっていっている。

それと同時に天皇の神格化が進んで大東亜戦争で侵略戦争に利用されていった。

そのようなことのないように再び天皇家が利用されないようなシステムを作ることが天皇家の幸せにも通ずることである。

普通の旧家の状態にするのが公務とやらで人間らしく生活できないのはお気の毒なことである。

嫁がれた人々が精神的な病に冒されるのも天皇制度そのものに無理があるのではなかろうか。

同じような旧家の人間として一生生活できる環境を作る必要があるのではないかと考える。

皇室に関連した公務員が全国で何名いるのだろうか。? その人たちのために皇室があるのだろうか。








教育研究開発センターが
小学生の漢字力を調べた








平成20年2月24日の天声人語よりの引用


若い世代の漢字力を案じる一文を、1974(昭和49)年の当欄が書いている。

教え子の高校3年生から便りをもらった先生が、一読びっくりしたそうだ。

「秋も段々深まりました。姉も段々色づきました」。

「柿」のつもりが「姉」に間違えたらしいと、当時の筆者は苦笑ぎみだ

▼いまの筆者はその年に高3だった。柿を姉とは間違えなかったが、何かのおりに祖父を「粗父」と書いた。

「年寄りを粗末にするな」とクラスで教師にからかわれ、頭をかいた覚えがある

▼ベネッセ教育研究開発センターが、小学生の漢字力を調べた。

それぞれの学年で、学習ずみの字に応じて、計約9000人を対象に「書く力」を試した。

その全体の正答率「58%」を、不肖の筆者はどうとらえようか

▼送り仮名はむろん、書くときの「とめ」や「はね」から点画まで、厳しく採点された。

わが日常を省みれば、パソコンにほぼ丸投げの要素である。

6年間に学ぶ漢字は1006字ある。

正答率を「低い」としかって恥じない自信は、恥ずかしながらない

▼日本語に精通する数学者ピーター・フランクルさんが愉快なことを言っている。

故国ハンガリーはノーベル賞受賞者の輩出率が高い。

その理由を、人々は「ハンガリー語が難しいから」と答えるそうだ(『望星』1月号)

▼「子どもにとって母国語が難しいことは恵み」とは、戦後すぐの「漢字廃止論」と正反対の視点だろう。

漢字を操ることが子どもの力を引き出す。

そんなピーターさんの意見に、不肖ながら一票を投じたく思う。




パソコンで書いて漢字変換しているので漢字で書こうとしたときに出てこないことがある。

漢字を知るために辞書を引くこともなくなった。

漢字の力は益々に劣ってきている。中国では略字になっているから判らないことがあるが

台湾では漢字が以前のまま使われていて,なんとなく理解できることが多い。

年配の人たちは日本語がぺらぺらと話されるので有り難いことだ。








のどかに聞こえる日本の春一番も、
正体は荒々しい風だ








平成20年2月25日の天声人語よりの引用

中国西域のタクラマカン砂漠を取材したとき「カラブラン」と呼ばれる風の恐怖を聞いた。

訳せば「黒い嵐」となるその風は、砂を巻き上げて太陽を隠し、あたりを夜のように暗くする

▼竜巻に近い風なのだろう。

子どもやヤギが何十キロも飛ばされた、砂に埋もれて死にかけた、など怖い話がいくらでもある。

〈故郷を埋め、愛する家族を生き別れにさせる……〉。

ウイグル族の人々は恨み節を口に、風と砂を防ぐ植林に余念がなかった

▼のどかに聞こえる日本の春一番も、正体は荒々しい風だ。

海は大シケ、山では気温が上がり雪崩がとどろく。

古くは、恐れをこめた漁師言葉だったらしい。

150年ほど前には長崎県の五島沖で漁師53人が遭難した。

痛ましい災難もへて、戦後に俳句の季語となって広まった

▼おととい関東に吹いた春一番は土ぼこりを盛大に巻き上げた。

クレーンを倒し、催事のテントを飛ばして、けが人を出した。

ようやく止(や)むと、返す刀で、きのうにかけて北風が吹き荒れた

▼「疾風に勁草(けいそう)を知る」と言う。

「強い風が吹いて初めて、どの草が強いか分かる」という意味だ。

逆に弱い草も分かる。

よく止まる鉄道あたりが筆頭だろうが、安全優先ならやむをえない。

満艦飾(まんかんしょく)の看板は、今にも飛びそうで不安が募る

▼気象学の関口武さんによれば、日本には2000を超す風の名前があるそうだ。

とみに死語化しているのは、風に無関心でいられる生活のゆえらしい。

その無関心が、風の怖さへの鈍感であっては、手痛いしっぺ返しを食いかねない。






春は待ちどうしい。必ずに冬の後には春がくることを知っているから冬も耐えることが出来るのだろう。

春一番にお目にかかったことがないが,遇っていても知らずに過ごしている可能性がある。







「ロス疑惑」の三浦和義元社長(60)が、
サイパン島で米当局に逮捕された







平成20年2月26日の天声人語よりの引用


少なくとも先週末まで「ミウラカズヨシ」といえば、きょう41歳となるサッカーのカズこと三浦知良さんである。

若い世代は「ほかにもいたのか」と驚くだろう。

ふた昔前の時の人が、ニュースの主役で戻ってきた

▼「ロス疑惑」の三浦和義元社長(60)が、サイパン島で米当局に逮捕された。

81年に妻一美さんを銃撃させたという殺人容疑だ。


日本では無罪が確定しているが、事件の舞台である米国も独自に捜査や裁判を進めることができ、重罪には時効がない

▼これほど呼称が変転した人も珍しい。

悲劇の夫、三浦「さん」は自らも足を撃たれ、病院で涙ながらに状況を語った。

4年後の逮捕で敬称が消え、次いで被告と呼ばれ、逆転無罪で元社長に変わる。

万引きの容疑者にもなったが、司法や報道の人権侵害を語る講演では「氏」と紹介された

▼銃撃3カ月前、知人に妻を殴打させたとする殺人未遂事件では懲役6年の刑が確定し、

あれやこれやで、拘置所や刑務所に5500日いたそうだ。


今、何度目かの容疑者に戻り、再始動させた人生が暗転の際(きわ)にある

▼27年前の真相を追い続ける米捜査陣の執念には驚く。

一国の最高裁が結論づけた事件を他国の司法が掘り返せる仕組みには、なおびっくりだ。

米連邦捜査局(FBI)のいう新証拠とは万人が納得するものなのか

▼ロスの駐車場で撃たれなければ、一美さんは昨日、55歳を迎えていたはずだ。

母は「誕生日を前に少しだけ光が差してきた」と語った。

人生、歳月、正義。様々を考えさせる仰天の報である。







三浦和義の逮捕は沖縄で未成年婦女強姦で逮捕された米兵の事件と連動しているように思える。

逮捕間もなく被告米兵は開放されている。理由は原告が訴状を取り下げたからのようである。

それは三浦和義被告逮捕から間もなくのことであった。三浦和義被告の日本高等裁判所の判決は

なんとなく理解できない事件の経過である。

傷害罪では服役している。

米国での逮捕は当然だと思っている。








緑の提灯は食材の50%以上が
国産と宣言した店に掲げてもらい、
遊びついでに、星の数で国産率を示す。






平成20年2月27日の天声人語よりの引用


イージス艦の衝突事故で、海の交通ルールを初めて知った人も多いだろう。

夜の船は左に赤、右に緑の灯火をつけ、交差時は「相手の赤を見る方」がよける。

赤で止まり、緑で進む、陸の規則に通じる色分けだろう

▼陸は陸でも、盛り場は赤い灯だらけだ。

大小の提灯(ちょうちん)が足を引き留め、夜更けともなれば顔に赤ランプの酔客が行き交う。

そんな街に、緑の提灯がじんわり増えていると本紙で知った。

日本の食材を進んで使う店の目印という


▼その一つ、都内の郷土料理店を訪ねた。

車エビをさばく板前さんは「安さだけ追っていたら日本の食文化がダメになる」と言う。

とはいえ客の懐も無視できず、おかみさんによるとマツタケは外国産だ

▼今、全国で揺れる緑提灯は300個を超す。

農業関連の研究所で働く丸山清明さんが「飲んべえの遊び」で発案した。

食材の50%以上が国産と宣言した店に掲げてもらい、遊びついでに、星の数で国産率を示す。

評価は店の良心に任せ、先の郷土料理は「80%」の四つ星だった

▼提灯のお代は、有志の応援隊が出し合ってきた。

隊則は〈赤と緑の灯が並んでいたら迷わず緑の店に入る〉のみ。

これがネオンの海のルールになれば、4割に沈んだ食糧自給率が盛り返すかもしれない

▼飲食店より力を持つのは家庭の食卓だろう。

中国製冷凍ギョーザの中毒は、国産や手作りの価値を見直させ、食の安全に気を使う人が増えた。

台所に国産応援の提灯を掲げぬまでも、売り場では心に緑の警告灯がともる。

消費者のレーダーは鋭敏だ。






国産にこだわらずに安全な食料補給に全力を尽くして欲しいものである。

加工されればどんな食材か全く不明である。








知事が3年前に作った「新銀行東京」が追い込まれた






平成20年2月28日の天声人語よりの引用


おとといの東京都議会で、石原知事と議員が妙なやりとりを交わした。

「発案者として当然、もろもろの責任を感じている」と知事。

「もろもろとはどんな責任か」「もろもろとはまさにもろもろ」

▼知事が3年前に作った「新銀行東京」が追い込まれた。

都が出資した1000億円の大半は赤字に食われ、知事は財政から400億円の追加出資を決めた。

さらなる血税投入には反対の声が多い。

そもそも、各紙の社説がここまでそろうのは珍しい

▼石原知事は失敗を認めよ(朝日)

「石原銀行」は幕を閉じる時(日経)

もう店じまいすべき(読売)

撤退への道筋を描く時だ(毎日)

手を引く時(東京)役割はすでに終わったといえないか(産経)。

散々である

▼中小零細企業を救う心意気はいいが、開業時には貸し渋りは消えかけていた。

それでも存在理由を示すため、甘い審査で貸し付け、焦げつかせた。

約1000億円の累積赤字は、プロも用心する小口融資のヤブに素人が分け入った結果だ

▼知事や経営陣はもちろん、設立に賛成した都議会の責任は重く、追加出資を認めれば恥の上塗りだ。

例えば地震対策にも使えた都税を、時代感覚に欠けたお役所流が食いつぶす。

知事の面目のために公金を重ねてつぎ込めば、失敗は大の字つきで都政史に残りかねない

▼もろもろの成功に彩られた人生の秋に、しくじりを認めるのは勇気がいる。

だが〈過ちて改めざる、これを過ちという〉と論語にもある。

改めぬ「もろもろ問答」の間にも、新銀行はぼろぼろの度を深めていく。






大変である中小企業に貸付されること事態は理解できるが知事自身の票集めに公金が使用されたと理解されても

しかたがないようなことをしている。

都民の税金を扱うのだから慎重であさてもきりがない。個人的に責任をかぶるくらいの慎重さがあってもよいことだ。





2月の言葉から







平成20年2月28日の天声人語よりの引用


地球が太陽の周りを回りきるには、365日と6時間弱かかる。

端数が4年分たまって「きょう」になる。

1日もうけたと思える人は充実した毎日を送っているのだろう。

積み立て満期のような閏(うるう)の日に顧みる2月の言葉から

▼橋下徹大阪府知事が初登庁。

「大阪は破産状態。

民間なら給料が半分に減るなんて当たり前」「僕と一緒に死んでもらう覚悟で、

最後は死んで下さい」と、テレビ出演の乗りだった。

幹部職員は「いきなり死ねと言われても」

▼川崎市は、40年近い歴史がある公害部を環境対策部に再編する組織がえを発表した。

公害認定患者の男性は「イメージばかりきれいになるが、市民が吸う空気はきれいになっていない」

▼司法判断に従わず、日教組の教研集会に会場を貸さなかったグランドプリンスホテル新高輪に、

東工大の橋爪大三郎教授が喝。

「いったん約束したら、体を張っても客を守るのがホテルの責任……

近所の迷惑とかと言い始める江戸時代の発想では困るのだ」

▼瀬戸内の島々からなる愛媛県上島町の地域フォーラムで、お年寄りを訪ね歩いた女子高生が報告した。

「おばあさんから『長生きの秘訣(ひけつ)はウソをつかないことと、人の話をあまり聞かないこと』と教えてもらいました」

▼目の不自由な人が耳で楽しむ録音図書。

福島で音訳を手伝うフリーアナウンサー、馬場二三子さんは「ラジオと違って淡々と読むのがとても難しかった」。

小欄を朗読して下さる方もいる。

筆者も何度か拝聴したが、文章は声に乗って味を増すと知った。





橋下徹大阪府知事が初登庁でも何か頼りない感じはぬぐえない。タレント続きの大阪大丈夫だろうか。

大変な赤字が累積しているようである。






内裏さまと氏神さん




内裏は昔天皇がお住まいしている場所である。そのお内裏さまにお殿さんとお姫さんが十二単の官女達やお供達が飾られるのが

三月三日のお雛祭りである。女の子の節句で昔から飾られていて,子供達に喜ばれてきた。

それ以上の深い意味はないと思うが,少し深読みすると,内裏内の天皇 皇后を崇め祀った光景とも取れる。

「内裏さん」の意味からしてそのように解釈したとしてもおかしくはないはずだ。

そのようには今まで考えたことがなかったが,

最近近くの神社を調べていて其処に祀られている神がその地域の氏神にもかかわらず天皇家の祖先が祭られている。

それを単純に国民は神様として拝んできている。

氏神さんは庶民の我々願い事を何でも聞いてもらえる神様としてお参りしている。

でも少し調べてみると天照大神・応神天皇とか神功皇后などが祀られている例が多い。

応神天皇の諱(いみな)は誉田別尊(ほむたわけのみこと)

神功皇后は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)と呼ばれている。

諱即ち「やまとことば」でもって神社に書かれていると天皇かどうかは判らないことがある。

その他に稲荷神社のように神奈備山で山全体が神であったりしたり巨木 岩 瀧などが神であることがある。

神社には神話に出てくるような天皇家の祖先が神さんとして祀られているのが殆んどである。

氏神さんとして天皇家の先祖をば神さんとして拝んで゛いることになる。拝む神は自分の願い事をききいれてもらえるとして拝んでいる。

それが鎮守の森の神社即ち氏神さんである

東京のど真ん中に明治神宮がある。

まさかこんなに大きく広い神社に明治天皇と昭憲皇太后が祀られているとは,初めて訪れた時には信じられなかつた。

それで神主さんに尋ねたところ明治天皇御夫妻が神として祀られるていることを知った。

現在の天皇の祖父母に当たる方である。人間宣言された方の祖先がどうして神になり拝まれるのか。

我々も先祖の墓にはお参りしているが他の人の家の墓にはお参りしていない。

だが多分に東京都民は明治天皇をば拝みに行っているとは思てはいないと思う。

地方での氏神さん同様に神さんだと信じて拝んでいるのと同じような気持ちでもって,

拝むことによりて,色んな願い事をかなえてくれるものと思っているに違いない。

神さんのの中身は天皇家の先祖達を拝んでいること気ずかずに拝んでいる。

内裏さまも同じように,お雛様として飾っているが,その中身は天皇 皇后に模したものである。

そのように感ずる人はまずはいないだろう。

内裏さまも氏神さんも身近な存在だが,天皇家と関係していると思う人は少ないだろう。

子供の頃には強制的に各家庭に天皇・皇后のお写真がご真影として床の間の上に飾ってあった。

これは当時の政府による強制的なものだったと考える。

神様を見る気持ちでもって毎日眺めていた。

小学校の入り口通路側にに御神殿があって登校時・下校時に最敬礼をして通らないと先生に叱られたものである。

天長節の時には御神殿からご真影が講堂の真ん中に飾られ,君が代斉唱し,日の丸国旗に最敬礼していたものである。

ご真影とは天皇・皇后陛下が写っている写真のことである。

毎日の朝の校庭に集まる朝礼時には必ず東の方向の天皇がお住まいの宮城に向かって,

全員が,先生・生徒達皆が黙祷・最敬礼をさせられていた。

天皇の誕生日の天長節があり皇后の誕生日の地球節があった。

兄姉達の食料事情の良い時代は紅白饅頭が配られていたと聞く。食料事情が悪くなった我々の時代はなかった。

真面目に天皇は神だから何を食べておられるのかと疑問だらけであった。

大人達は天皇が出てくる光景のニュ-ス映画のシ-ンでは脱帽し礼をしていた人も見かけた。

これらが戦時中の光景である。

それら全ては敗戦後にはなくなっている。

だが現在も君が代斉唱や日の丸国旗に敬礼しない教師が減俸されたり,罰したりされているのは如何なものだろう。?

多分将来に昔の天皇を利用した軍国日本になることを畏れての先生達の行動だと思うが。

普通の愛国心とは全く別個の問題である。

戦後天皇が「人間天皇」を宣言されたこと自体,以前は自分が「神」であったことを認められたともいえる。

歪んだ皇室に対する習慣がなくなってはいないで現在も続いているのが現状である。

でも全国いたる所で,氏神さんとして天皇家の先祖を神として庶民の我々は

知らす知らずに理由もわからずに色々な願い事をして神さんとして拝んている。

正月には:現在の天皇の祖父である明治天皇が神として祀られた明治神宮に願い事をするため大勢の都民達が参拝に出かけている。

天皇家がまだまだ人間天皇宣言されていても神としてのシステムは今も根強く生き続いている。

国家「君が代」の内容はどうみても天皇家が永久に続く歌にしか理解できない。

真面目に天皇陛下万歳を唱えて,万歳とは長く長く年月が続くようにとの意味で戦死していった兵士達が

祀られた神社も厳然として存在している。

誤った教育の結果,多勢の純真な国民が戦死していっている。

その人たちのためにも,それに失語症 欝傾向にある現在の天皇家のあり方自体にも根本的な改善がされない限りに

再び同じような道を進み過ちを犯すことになろう。

天皇家への家族への圧力・ストレスは大変で今のような状態では解消されないと危惧している。

宮内庁は天皇系維持だけでもって公務員になっている人たちの集まりの省庁である。間違いかも知れないが。

皇室の方たちに公務とやらを強制させるべき性質ののものではないと思う。一般人と同じく自由な生活されればよいことである。

宮内庁をこれこそを民営化し,公務員を減らし,個人的に天皇家が気にいられた人達を雇用されれば良いことである。

そして皇室財産管理は全てを文化庁に任せればよい。

天皇家が自由になられることこそが本当の真の一個人の人間天皇としての存在になられることではないのか。

郵政民営化と同様,主権在民で国民の意思を問うて,宮内庁の解消の可否を断行しない限り人間として,天皇家に生まれられた方達にとっては

大変過酷な運命だけしかないのではないだろうか。

映画「ローマの休日」でその一端を知ることが出来る。

自分の家にも系図があり,宇多天皇が初代(宇多:源氏)とした古色蒼然とした紙に書かれた系図が残っている。

自慢の宝の一つなのかもしれないが。

天皇家の矛盾を思いながら大変な日本一の旧家である天皇家の重石と威厳を思い巡らし戦前回帰になるのを気にしながら生活している。



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