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春が定まる月が明けた。
国土の隅々にまで舗装が広がる以前は、ぬかるみの候でもあった。
〈春泥(しゅんでい)にとられし靴を草で拭(ふ)く〉稲畑汀子。
雪解けや春雨の泥にまみれながらも、輝く季節の到来に心は軽い
▼ぬかるみの多くは、しかし、そうした高揚とは無縁だろう。
防衛省がはまった泥沼も深い。
省に昇格させた大臣は失言で去り、事務次官は汚職に追われた。
新体制で出直したところにイージス艦の事故である。
両足の泥は、草でぬぐえる程をとうに超えている
▼きのうの衆院集中審議で、福田首相は声を詰まらせて「国民の皆さんに心配かけない自衛隊、防衛省になってもらいたい」。
せっかくの人間味も、ひとごとのような「要望」では台無しだ
▼制服幹部と石破防衛相は事故当日、海の警察である海上保安庁より先に、海保の了解もなく乗員から事情を聴いていた。
口裏合わせの疑念を、石破氏は「何が起きたか把握するのは組織として当然」と突っぱねた
▼自衛隊は輸送や通信に自前の手段を持つ。
それを駆使した「速攻」に、非常時には好きにさせてもらうという思い違いはないか。
そのくせ、事故の第一報は遅れ、説明も二転三転、組織の体をなしていない
▼一報の遅れや判断ミスを、軍事アナリストの小川和久さんは「ひな鳥症候群」と呼ぶ。
第一線は上からの指示を口を開けて待ち、上層部は現場の情報を口を開けて待つ。
そこに生じる空白の時間は、国民を危険にさらすかもしれない。
ぬかるむ巣にひなばかりでは、日本の守りは泥にまみれるだけだ。
自衛隊というものの立派な軍隊である。警察予備隊に変更しても良いのではなかろうか。
警察などが手に負えないような騒乱状態にあるときだけに活動する。
だが昔のような軍隊に成長してきているように思える。
国民をまず守ることを第一義とした存在であり続けてほしい。
他の国への援助は国連が主体でその一構成員であるような存在であってほしい。
他の国,まして国民に迷惑かけるようならばその存在意義は失われる。
太陽系のさいはてに未知の「惑星X」が
存在する可能性が報じられた
平成20年3月2日の天声人語よりの引用
春の声を聞くと、ゆるむ夜気に星も潤む。
夜空を仰いで、無限と悠久にわが身の卑小を思えば、逆におおらかな気分がわいてくる。
〈好きなもの イチゴ珈琲(コーヒー)花美人 懐手(ふところで)して宇宙見物〉と言ったのは物理学の寺田寅彦。
俗世と天空のはざまに自らを置き、悠々たる構えである
▼天文をめぐる話題も想像をかきたててくれる。
先ごろは、太陽系のさいはてに未知の「惑星X」が存在する可能性が報じられた。
地球とほぼ同じ大きさで、約1000年をかけて公転しているという
▼太陽系の惑星は、一昨年までは「9人きょうだい」だった。
だが冥王星が降格になって一つ減っていた。
これで元通りと喜ぶのは、しかし気が早いらしい。
いまのところは神戸大学の向井正教授らによる理論上の予測で、星の姿が確認されたわけではない
▼土星までの六つは古くから知られていた。
18世紀、土星の外側に天王星が発見される。
その軌道観測をするうち、さらに外を回る惑星の存在が理論的に浮かび上がった。
夜空を探して見つかったのが、目下のさいはての海王星である
▼その海王星のはるか彼方(かなた)に惑星Xの軌道はあるらしい。
一周に要する1000年をさかのぼれば、紫式部が源氏物語を書いたころになる。
だがその時間さえ、宇宙では刷毛(はけ)の一払いにも足りない
▼わが銀河系だけで、太陽のような恒星が2000億はある。
そうした銀河が宇宙に約1000億という。
無限感の行きつく果てにたたずめば、「イチゴ珈琲花美人」に幸せを覚える我らが営みは、
小ささゆえに限りなくいとおしい。
宇宙の存在からすれば人間の一生の営みなんかはほんの些細なものである。
まして人間存在自体が不確かなものであることに気ずくはずだ。
招かれざる春先の使者、黄砂の今季第一陣である
平成20年3月3日の天声人語よりの引用
中国の砂漠地帯で起きる「黒い嵐」について先ごろ小欄に書いたら、読んだ人から、
「砂進人退」という言葉が現地にあると教えられた。
砂が広がって人を退ける意味だという。
中国内陸の砂漠化は深刻らしい
▼その一帯から舞い上がった砂が、昨夜あたりから日本に飛来している。
招かれざる春先の使者、黄砂の今季第一陣である。
きょうは西日本を覆って広がるそうだ。
雨の降らない地方では、空がぼんやり霞(かす)むかもしれない
▼厄介者ながら、かつては春の風物詩でもあった。
「霾(つちふる)」と言って、春の季題にもなっている。
〈霾や太古の如く人ゆきゝ〉杜門。
近ごろは「風情」とはいかない。
洗濯物を汚し、体にまとわり、ときに飛行機の発着を妨げる。
生活そのものを、砂がざらりと不快にする
▼本場の北京あたりも、前は今ほどひどくなかったらしい。
30年ほど前に訪れた文芸評論家の山本健吉は「ものみな黄色い薄膜を張ったようで、
柔らかみを帯びている」と、のどかに記している。
いまや北東アジア一帯で、風物詩は気象災害へと姿を変えている
▼健康被害への心配もある。
日本の環境省は先週から、日韓とモンゴルで観測した飛来情報をネットで提供し始めた。
ところが肝心の中国が気象情報を「国家機密」として封印している。
そのぶん予報の精度は霞むそうだ
▼「砂進人退」とは逆の、「人進砂退」という言葉も中国にある。
砂漠緑化のスローガンだという。
黄砂を退ける知恵を出し合うためにも、
関係国への情報提供を渋っている時ではないだろう。
黄砂の流れには国境がない。発生地の中国を責めるものでもないがなんとか対策はないものだろうか。
これだけ科学が進んでいるのだから宇宙よりも何よりもまず地球の改良が優先されても良いものだ゜と考えるが。
国境越えてくるものには国境越えて協力し合うようにすべきものである。
5月にロシア大統領になる
メドベージェフ氏はまだ42歳だ
平成20年3月4日の天声人語よりの引用
「アダムとイブの国籍は我が国である」という小話が、かつてのソ連にあった。
「裸で暮らし、一つのリンゴを分け合い、それでいて天国の住人と信じている」(『世界のジョーク・警句集』自由国民社)
▼ソ連が消えて17年、ロシアの衣食住は自虐話を懐かしめる程度には向上した。
「米国製の車は世界最速だが、ソ連では世界で最も速く動く時計が生産されている」(同)の一編も今は昔。
行きつ戻りつ、「まともな大国」への歩みは続くと思いたい
▼5月にロシア大統領になるメドベージェフ氏はまだ42歳だ。
米国大統領の座に迫るオバマ氏より、さらに4歳若い。
自分より下の世代が世界を動かすのかと、流れ去った時をかみしめた
▼もっとも、55歳のプーチン氏も首相として政権にとどまるらしい。
これを、2人こぎ自転車に例えて「タンデム体制」と呼ぶそうだ。
危なげな一輪車を8年乗りこなした後部座席の先輩が、ハンドルにも手を伸ばすのだろう
▼強権で築いた安定と、原油高がもたらす繁栄。
その陰で、万事に国家が介入し始め、大統領選も退屈な官製ショーの趣だった。
安定と繁栄の両輪は、自由の風なしには心地よく回らない。
自由の音、ロックが好きという新大統領にかじ取りも任せてみたい
▼友人にタンデムを愛する夫婦がいる。
普段は夫を尻に敷く妻が、ひとたび緑の愛車にまたがれば後席でペダルを踏むことに徹する。
重くて小回りが利かず、速度が出るタンデムは倒れた時こそ怖い。
前が見えない後席で、余計なことはしないに限る。
若いロシア大統領が誕生しているが実権はプ-チンにあることは誰の目からしても明らかだ゛。
そのことを知りながらロシアの人たちは何故に選んだのだろう。
プ-チンさんの顔つきや行動はどう見てもゲシュタポの悪いイメージがぬぐいきれない。
東京のカラスが6年ぶりに増えたそうだ
平成20年3月5日の天声人語よりの引用
ぽつねんと電柱あたりに止まっていても、何か良からぬことを考えている風情がカラスにはある。
下を通る時は身構える。
頭がよく、まれに人を襲うという話を聞いているせいだろう
▼東京のカラスが6年ぶりに増えたそうだ。
このほど都が発表した昨年12月の生息数は、前年より1割多い1万8200羽。
最多だった01年の半分だが、捕獲作戦による減少傾向が途切れた
▼都は、85年水準の7000羽を目標に駆除を続けている。
だが、生ゴミの袋を網で覆うなどの対策が、特に繁華街で手薄だという。
栄養たっぷりの東京育ちは、一度に産む卵が4〜5個と多めで、捕獲だけでは限界がある
▼『カラスはなぜ東京が好きなのか』(平凡社)を書いた松田道生氏は、
都市の複雑なつくりが故郷の森に似ると見る。
バブル期に残飯が増え、分別徹底のためにゴミ袋が黒から半透明になった。
森の樹上から小動物を狙うように、カラスは電柱から生ゴミを容易に見つける
▼「一羽ずつ見るとかわいいのですが」と駆除担当者。
確かに、ただ生きているだけなのに、これほど嫌われやすい鳥もいない。
「タヌキは間抜けでキツネはずる賢いという、本来の習性とは全く異なる見方をしていないか」(松田氏)
との問いに、はっとする。
カラスは実は遊び好き、街の掃除係でもある
▼都市のカラスは、えさの過半を人間の活動に依存するらしい。
数の増減は私たちの食生活のムダをも映す。
ならば残飯を減らすことから始めたい。
悪意も善意もなく、カラスは今年も繁殖期を迎える。
カラスは現在住んでいる近辺でも多く見かける。
ゴミの集配場に集められたゴミ袋をつついて破りゴミをばら撒くので市民も困っている。
両端に桶を下げ、真ん中を肩に担ぐ
同じことをすると、がぜん不安定になるのが自転車だ
平成20年3月6日の天声人語よりの引用
江戸中ごろに始まる金魚売りは涼しげな商売で、夏の季語でもある。
とはいえ、品物が泳ぐ水桶(みずおけ)を運んで売り歩くのは重労働だ。
炎天下、よろけることもあった。〈金魚売り己(おの)れの影へ水零(こぼ)す〉中村苑子
▼明治までの金魚売りには天秤棒(てんびんぼう)が欠かせない。
両端に桶を下げ、真ん中を肩に担ぐ。
昔の旅姿にある振り分け荷物のように、前後に等しく荷を下げ安定させた。
同じことをすると、がぜん不安定になるのが自転車だ
▼転ぶと命にかかわるから、前後に幼児を乗せれば交通違反となる。
黙認してきた警察が「禁止」を強く打ち出すと、母親らから「送り迎えができない」「買い物に困る」と悲鳴が上がった
▼警察庁は、安定して走れる自転車なら3人乗りを認める方針に転じ、メーカー団体に試作を要請したという。
安定の工夫とは、低い重心や三輪化だろうか。
ともあれ、母の声が行政と産業界を動かし、交通ルールを変えようとしている
▼細腕に力を込め、よろよろと進む3人乗りは「子育て奮戦中」の見えない旗を掲げている。
老いる日本が子を欲する時に、国が四角四面に育児の足を奪っては時代感覚を問われよう。
かといって、危険な習慣を放ってはおけない。
3人用の開発とともに、数年しか使わない「特殊車」の負担を軽くする道も皆で考えたい
▼幼子を事故から守り、子育ての現実にも気を配る。
どちらも譲れぬ安全と利便とを、社会の天秤棒にどうぶら下げるか。
「金魚え〜金魚〜」の声に群がった人々のように、関係者総出でワイワイやれないか。
二人の子供を乗せることの出来るような自転車が開発されても良い筈だ。
酒が「嫌な記憶」を深めるとの説が
平成20年3月7日の天声人語よりの引用
作家の山口瞳が飲み助について書き連ねている。
「純粋である。
だから酒にむかってゆく。
傷つきやすい。
だから酒を飲む」(『酒食生活』ハルキ文庫)。
大日本酒乱党を宣言した人らしい心意気だが、凡人の当方、その境地には遠い
▼「悪い酒」は翌朝がいけない。
失恋にせよ人事にせよ、やけ酒に走らせた現実は微動だにしていない。
二日酔いが加わり、飲み代が消えているだけだ。
さらには、酒が「嫌な記憶」を深めるとの説が本日の科学面で紹介されている。
東大の松木則夫教授らによる動物実験だ
▼箱のネズミに弱い電気刺激を与えると、次からは箱に入れただけで身をすくめるようになる。
こうして恐怖を学習したネズミを、アルコールを注射する群としない群に分け、その後の反応を追った
▼2週間後、「しらふ」の群は箱ですくむ時間が半減したが、「酔った」群はほぼ同じだった。
どうやらアルコールには、一度思い出した記憶を強める働きがあるらしい。
松木教授が語る。
「嫌なことを思い出しながら飲むと、友の激励は忘れても、元の記憶はかえって強く刻まれかねない」
▼ありもしないやけ酒の効用に、科学がとどめを刺したかに見える。
ネズミが示す通り、つらい出来事も悔しい体験も、時が薄めていくものだ。
明日を全力で生きるための本能かもしれない
▼悲喜こもごもの異動の季節。
職場という小さな箱で、身をすくめている人もいよう。
気分転換の早道は、心だけでも箱から出すことだ。
外は「楽しい記憶」の手がかりであふれている。
酒が憂さ晴らししてくれるように思うがそうでもないようだ。むしろ深めるとか。
時が薄めてくれることは容易に理解できることだ。
時間は大切である。でも浪費しているようにいつも感じている.。
冷凍ギョーザの件で手料理が見直されている
平成20年3月8日の天声人語よりの引用
10年ほど前、下町のステーキ屋での話だ。
1000円の定食を出す小さなチェーン店。
べろんとした肉は安いなりの味ながら、生野菜のドレッシングが妙にうまい。
店主に言うと、種明かしがあった
▼バブルの頃、都心の高級店で10倍の値の肉を焼いていたという。
今は材料も作り方も本部の指示に従う身だが、サラダの味つけはこっそり自己流を通しているとのこと。
「おいしい内規違反」に、料理人の意地を見た
▼家庭の食卓でも、ひと手間、ひと工夫が「ウチの味」を膨らませることがある。
それでは、手作りの基準とは何か。
本紙の会員サービス、アスパラクラブの「おかずアンケート」(約1万4000人)が面白い
▼例えば、缶入りミートソースを使ったスパゲティ。
「手作り」と思う人は25%にとどまった。
袋入りの素(もと)で作るマーボー豆腐は41%、市販のつゆ・たれを用いた肉じゃがは62%が手作りと認めた。
女性はお年を召すほど判定が辛くなるようだ
▼冷凍ギョーザの件で手料理が見直されている。
素性確かな食材は安心だが、「さあ一から手で作るぞ」と力んでは続くまい。
されば手作りの基準を緩め、ひと手間から始めるのもよかろう。
缶ソースのスパゲティも、バジルの葉をちぎれば手作り感が出る
▼アンケート結果を見た料理研究家、高城順子さんは「失敗しないと上手にならないから、恐れずに作ってほしい。
食べてしまえば証拠隠滅」と励ます。
失敗作を笑って囲めるのも家族である。
同じ台所からいずれ、来客が由来を聞くほどの一品が生まれる。
中国の冷凍餃子事件には驚いた。何が原因していたのか最終的な結論は聞かない。
中国側から中国には原因がないと発表され日本にもないとすると何処にあることになるのだろうか。
結論は別にして二度と起きない体制をば日本政府としては放置しておくことは出来ないはずだ。
日本人の生命に拘わる重大なことがらである。
その桃が、古くは厄よけの霊力を持つ木として信仰を集めていた
平成20年3月9日の天声人語よりの引用
桃の節句を過ぎてなお、弥生の空は、春の誘いと、冬の名残に揺れているようだ。
人の思いも、どこか似ている。
たとえばこの季節の旅。
春を迎えに南へ行くか、冬を追って北へ向かうか。
楽しくも心迷うものがある
▼とはいえ遠出はかなわず、せんだって手軽な「春」を迎えに隣の山梨県を訪ねた。
桃の産地である。
早生を育てる大きなビニールハウスで、早咲きを楽しませてもらった。
山々は雪で白いが、20度あまりに保たれた中は花盛りである
▼かすかに聞こえる羽音は、授粉のために放たれたミツバチの乱舞だ。
下草も青々と伸びている。
萌(も)える青草を踏んで野山を散策する楽しみは、「踏青」といって晩春の季語でもある。
ひと月早い「春の野」に寝ころべば、体はほどけて眠気を催す
▼2月の異名を「梅つ月」という。
3月は「桜月」である。
凜(りん)と咲く梅、艶(えん)と散る桜。
2人の姉に挟まれて、桃はおとなしい末っ子のようにつつしみ深い。
その桃が、古くは厄よけの霊力を持つ木として信仰を集めていた
▼歌人の生方たつゑさんは幼いころ体が弱かった。
母親は、桃が咲くと湯船に花枝を浮かべて湯浴(ゆあ)みをさせた。
体の中の鬼を追い出すからと言い、「手のひらを丸めてすくったお湯を、肩にも、背にもかけてくれた」。
そんな回想を残している
▼男には立ち入りがたい、母と娘の世界だろう。
たおやかなひとときには、桜や梅より桃の花がよく似合う。
〈子も猫も母の近くに桃の花〉永田英子。凜でなく、艶でもなく。
さて、どんな一字を桃に献じようか。
桃の季節だが,近くには桃の花は見ることができない
激しい一騎打ちが続く米民主党の大統領候補者選びで
平成20年3月10日の天声人語よりの引用
スポーツと観衆について、一つの「法則」があるそうだ。
勝者が得るものと敗者の失うものの差が大きいほど興奮は増す、のだという。
人気チームの戦いも、親善試合では盛り上がらない
▼激しい一騎打ちが続く米民主党の大統領候補者選びで、勝ちと負けの落差は「雲と泥」である。
米国民は盛り上がらずにはいられまい。
渾身(こんしん)の腕相撲を伝えるような報道は、太平洋のこちら側でさえ、連日引きも切らない
▼オバマ氏の勢いに、一時、ヒラリー・クリントン氏の手はつきかけた。
しかし先週、「残り1センチ」から五分に戻した。
理由が様々に分析された中、「もっと勝負を楽しみたい」という有権者の気分を誰かが指摘していた。
まだどちらも負かしたくないのだろう、と
▼盛り返したものの、彼女の泣きどころは、やはり「ヒラリー嫌い」の多さだろう。
嫌われる理由を、「女だからか。
それとも、ああいう女だからか」とあげつらわれる。
大統領になれば「好き」と「嫌い」で社会が分裂しかねない、などと負のイメージが足を引っ張る
▼米国人は過去の大統領の品定めが好きだ。
多くが最高と認めるのが南北戦争時のリンカーンである。
伝説的な雄弁に加え、国家分裂の危機を救ったからだ。
多民族の国ゆえに、「一つのアメリカ」という言葉は日本人の想像をこえて重い
▼勝負の分かれ目は「心の準備」だとも言われる。
女性と黒人。
どちらを大統領に迎える心の準備が、米社会に早く整うか。
民主主義の守護者を自任する国での、思えば歴史的な戦いである。
アメリカの動きは日本にとっても大変であって,ブッシュに振り回された記憶が生々しい。
世界の大統領を選ぶほどに世界に与える影響は大きい。他人事ではない。
だが選挙権がないから傍観するのみである。だが大変気にはなる所である。
日本銀行の総裁人事が迷走している
日銀は通貨の元締だ
平成20年3月11日の天声人語よりの引用
蛇の頭と尻尾(しっぽ)が争う、古い寓話(ぐうわ)がある。
いつも頭の行く所へ付いて行かなくてはならない尻尾は、不満たらたら。
天に向かって「私は頭のお付きじゃない」と訴え、たまには先を歩かせてほしいと頼む
▼天は訴えを聞き入れるが、そのため蛇はあっちにぶつかり、こっちにつまずいて、地獄の川へと向かっていく。
頭と尻尾が張り合って蛇が迷走するさまが、衆参両院の「ねじれ」に、つい重なってしまう
▼いまは日本銀行の総裁人事が迷走している。
日銀は通貨の元締だ。
「物価の番人」とも呼ばれ、金利を調整して暮らしの安定に大役を担う。
総裁は政治から独立した司令塔であり、外に向けては日本の金融政策の「顔」となる
▼政府は、副総裁の武藤敏郎氏を提案した。
参院で多数の民主党は、かたくなに反対の構えだ。
この人事が流れれば、総裁不在という異例の事態になるという。
そうなれば市場が動揺する。
株価急落も案じられると聞けば、わが経済オンチの頭でも職の重みの見当はつく
▼「不在は許されない」と言いつつ、自民は自民で、予算案などの採決を衆院で強行した。
そうして民主が燃やす反対の炎に、わざわざ油を注いだ。
「蛇の胴体」ともいえる国民に分かりづらい、頭と尻尾の政争が、このところ多すぎはしないか
▼蛇の頭と尾の話は、ラ・フォンテーヌの『寓話』(岩波文庫)に登場する。
短い話は、〈こういうあやまちに陥った国家こそ不幸〉と結ばれている。
国民を冷たい川に落とすことのない、実のある「ねじれ」であってほしい。
現在,衆議院の民意が正しいのか参議院の民意が正しいのかこんな大切なことでも自民党は
衆議院を解散して民意を聞かないところにおかしい点がある。
,どちらか゛頭か尻尾かの問題であるかは判らない。
三分の二の衆議院可決権の方が参議院の可決を無視できる法律が間違っている。
これだけ官僚並びに自民党の不祥事事件を目にすると
「聾(ろう)学校」という名前を、
「聴覚特別支援学校」に変える動きがある
平成20年3月12日の天声人語よりの引用
かなしい恋の物語、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』は、名せりふ満載である。
若い2人が、敵同士である互いの家名を捨てたいと嘆く場面は、特に名高い
▼〈名前ってなに? 薔薇(ばら)と呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま〉(小田島雄志訳)。
共感を誘うのは真理を突いているからだろう。
だが半面、名前そのものにも消しがたい「香り」は宿る。
呼び換えることで、名前の纏(まと)うもろもろが、失(う)せてしまうこともある
▼「聾(ろう)学校」という名前を、「聴覚特別支援学校」に変える動きがある。
学校教育法の改正を受けての措置だという。
それに待ったをかける静岡市の山本直樹さん(35)の話が、先ごろ本紙に載った。
自身も聾学校で学び、「聾」という言葉に誇りがある
▼全日本聾唖(ろうあ)連盟も改名に反対している。
学校は長い歴史を持ち、手話などの聾文化を育んできた。
さまざまな香りが、その名にこもる。
そして「特別支援学校」では、聾者が、支援される低い側に位置づけられると、山本さんは心配する
▼お役所表現はしばしば、冷ややかな香を放つ。
最近の筆頭は「後期高齢者」だろう。
75歳以上につけられた名称だ。
「ついに年齢の断崖(だんがい)に追い詰められた感」などの不評が、本紙声欄に寄せられている
▼別の名前にしてみても現実はそのまま、かもしれない。
しかし、たとえば枝豆を、以前の役所統計のように「未成熟大豆」とつづれば、居酒屋の品書きは味気ない。
老いの日々を温めるような呼び名はなかったのだろうか。
役所というものの,その中の誰かがかんがえついたことである。国民の間から願望があるならば変えても良いが
むやみやたらに変えるのも如何なものであろうか。
「聴覚障害者学校」ではどうだろうか。些細なことを弄繰り回す所が役所で肝心な正体は不明で国民は従わざるを
得ないところがある。
1冊あたりの製作費は約3000万円
海外の道路事情の報告書だが、
内容は猫もまたぐお粗末さらしい
平成20年3月13日の天声人語よりの引用
古書の世界は奥が深い。
値段もピンからキリにわたる。
二束三文の投げ売りもあれば、値の張る稀覯本(きこうぼん)もある。
漱石の『吾輩(わがはい)は猫である』の初版など、上中下そろった美本だと300万円ばかりするらしい
▼名高い『猫』もたまげるような、とびきりの「稀覯本」を、国土交通省が秘蔵していると聞いた。
1冊あたりの製作費は約3000万円。
海外の道路事情の報告書だが、内容は猫もまたぐお粗末さらしい。
カネの出どころは、あの道路特定財源である
▼民主党の細野豪志衆院議員が調べ上げ、国会で質問した。
国土交通省が「国際建設技術協会」なる団体に、9000万円余で発注した。
むろんOBの天下り先である。
3カ月ほどでまとめ上げ、3部しか製本しなかった。
そもそも誰も読まない前提としか思えない
▼中身の多くは、世界銀行の資料やインターネット事典などからの拝借という。
独自の分析や考察は見あたらない。
「天下り先を養うためだけの報告書。
税金が自分の金であるかのような錯覚がしみついている」と細野氏は憤る
▼税の蜜壺(みつつぼ)に無数のストローが、巧妙に突っ込まれている。
これは、その1本にすぎないと誰しも想像がつく。
かくて公金は「かけ流し」の湯のように、暗い溝に落ちていく
▼〈役人は人民の召使である〉と漱石の猫は作中で言う。
続けて、権力を笠に着るうちに勘違いして、人民など何ほどでもなくなってくる、と公僕精神の退廃を嘆いている。
それから1世紀。
猫の嘆きに細野氏の怒りが重なる百年一日ぶりが、やりきれない。
お役人たちは確かな天下り先をつくり一生身分は安泰のようである。
近年、かつてない「魚ばなれ」が食卓に起きている。
平成20年3月14日の天声人語よりの引用
魚偏(うおへん)に雪と書けばタラ、冬だとコノシロ、では神は?
漢字にならって日本で作られた国字には、魚偏の文字が一番多いという。
判じ物さながらの難読ぞろいだが、日本人と魚の深い縁を示す証しでもある
▼大正の頃は「一大国民が食糧の主要なものを海にあおいでいる例は他にない」と、
欧州の地理学者を驚かせた。
ところが近年、かつてない「魚ばなれ」が食卓に起きている。
さばくどころか、さわれない若い人もいるらしい。
歯止めをかける取り組みが、各地で芽生えている
▼東京の築地市場の一角では「おさかなマイスター講座」が昨秋から始まった。
目利きや料理の仕方などを初心者も学べる。
11回で12万円余と受講料は高めだが人気は高い。
卒業生には、知識を周りに広める「語り部」の期待もかかる
▼秋田での講座は、魚介を生物学的に学んだあと、料理をする。
先月は秋田大の石井照久准教授がハマグリの心臓やエラの講義をし、酒蒸しにして参加者と食べた。
「いただくものの命のさまを知ることは、人生の滋味になる」と、料理好きの石井氏は言う
▼親が子に伝える「料理」をつづった、石垣りんさんの詩を思い出す。
〈鰹(かつお)でも/鯛(たい)でも/鰈(かれい)でも/よい。
丸ごと一匹の姿をのせ/よく研いだ庖丁(ほうちょう)をしっかり握りしめて…頭をブスリと落すことから/教えなければならない〉
▼様々な魚偏が、人の命につながる。
乱獲を戒めつつ舌鼓を打ちたい。
ところで冒頭の「鰰」は秋田の特産ハタハタ。
獲(と)りすぎによる激減の教訓を残した美味(うま)くて苦い魚である。
動物蛋白源として魚離れ即ち食事の欧米化でもって色んな成人病が増え続けている。
反面に従来の日本料理は欧米では健康食として見直されている。
自然は色をかえすのに、
人は歳々年々同じからず
平成20年3月15日の天声人語よりの引用
東京が春先の雨に煙ったきのう、武蔵野と呼ばれる西の郊外を歩いた。
散見する落葉の木々は、まだ裸のままだ。
作家の藤沢周平さんは生前、このあたりに住み、雑木林の冬姿を好んだ
▼〈冬の木々は、すべての虚飾をはぎとられて本来の思想だけで立っている〉と随筆に書いた。
そして、〈もうちょっと齢(とし)取るとああなる、覚悟はいいか〉と自らに問うている。
来し方をごまかすことのできない立ち姿を、裸の木々に見たのだろう
▼その木々も、春がめぐれば緑をかえす。
雨は雑木林を遠くにけぶらせ、けぶる中で冬芽がゆるむ。
きのうの雨は、さしずめ「木の芽雨」である。
北の地方では、初めて雪を交えずに雨だけが降り続く、いわゆる「雨一番」だったかもしれない
▼梅は凜(りん)、桜は艶(えん)。
ならば桃にはどんな一字を献じようかと過日書いたら、たくさん便りをいただいた。
うららかの「麗」をはじめ、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)の「蕩」、可憐(かれん)の「憐」、それから「雅」「満」「優」「華」……。
美しい意味の「姚」など「女」を含む字が似合う、というご意見もあった
▼亡き母や夫の面影を、桃の花に重ねる方もいた。
自然は色をかえすのに、人は歳々年々同じからず。
命あふれる季節だからこそ、花にひそむ思い出のトゲが胸に刺さり、ふと悲しみは滴るのだろう
▼〈好雨時節を知り、春に当たりて乃(すなわ)ち発生す〉(杜甫)。
よい雨は時を心得ていて、春になると降り出して万物を育む。
麗、蕩、憐、雅……それぞれの思い描く一文字にも、ひと雨ごとに春が近づく3月である。
日本の四季は恵まれていて一年中暑くもなく寒くもなく四季は移り変わりして違った情緒を味わえる。
恵まれた土地に住んでいることに感謝すべきである。
ブラジル出身者が背負う日の丸は、
スポーツにおける国籍にどれほどの意味が
あるのかを問いかける
平成20年3月16日の天声人語よりの引用
日本籍に転じた最初のサッカー選手は、03年に56歳で急逝した吉村大志郎氏だ。
旧日本リーグの草創期、ブラジルの日系2世「ネルソン吉村」は、釜本邦茂氏と組んでヤンマーを強豪にした
▼98年、吉村氏はワールドカップがあったフランスで、前年に日本籍となった呂比須(ロペス)選手と顔を合わせる。
自分だけがW杯に出たことをわびる後輩を、氏はこう制した。
「何を言うてんのや。
お前は僕らの代表やないか」(加部究『サッカー移民』)
▼吉村氏の足跡は一本の道になった。
三都主(サントス)、闘莉王(トゥーリオ)ら各選手も続き、今度はJ1川崎のジュニーニョ選手が日本人になりたいと表明した。
昨季の得点王だ。
国籍を得て、例えば「寿仁如」が実現すれば日本代表候補とされる
▼ブラジル出身者が背負う日の丸は、スポーツにおける国籍にどれほどの意味があるのかを問いかける。
当然、有力選手の「国替え」はW杯の熱狂に水を差すという意見もあって、代表になるには国際サッカー連盟の資格審査が要る
▼心おきなく応援するため、私たちも胸の中で小さな審査をしている。
ラモスは日本人を妻にし、三都主は日本の高校を卒業、闘莉王は日系3世でもあり、みな日本語を話すと。
どこかに「日」の字を見つけ、納得している自分がいる
▼今年は、日本からブラジルへの移民が始まって100周年だ。
あらゆる分野で「僕らの代表」が行き来し、血と技と魂が溶け合い、力になる。
思えばこの球技も、夢や欲や国籍さえも溶かし合わせて、世界を一つにできるほどの魔力を蓄えた。
野球もサッカーもさらには国技である相撲にも外国から来た人たちが大活躍している。
スポーツの国際化としてすましてよいものだろうか。
勝つためにお金を積んで強い人をよんできて日本と言えるのかどうか
まずスポーツから国境をなくすという意味では大変に良いことだ。
勝負に勝つためだけならば大変に疑問がある。
卒業式から入学式へと続くこの時期、
学校は国への「敬意の姿勢」で満たされる
平成20年3月17日の天声人語よりの引用
立っている時の消費カロリーは座っている時より多い。
揺れる電車内では倍にもなるらしい。
目上の前で立つのは、あなたより疲れる姿勢で敬意を示していますという、無言の訴えだろう
▼卒業式から入学式へと続くこの時期、学校は国への「敬意の姿勢」で満たされる。
君が代に起立しない教職員は、国歌と国旗を前にして他より消費カロリーが少ない、つまり国への敬意が足りぬと処分される
▼永井愛さん作・演出の芝居「歌わせたい男たち」の再演が東京から始まった。
毎年立たない社会科教諭、説得に努める校長、戸惑う伴奏係の音楽講師。
卒業式直前の騒動に笑いながらも、観客は「内心の自由」を考えさせられる
▼不起立教諭の名古屋弁をまねて「立ってちょ〜、歌ってちょ〜」とすがる校長とて、
教育委員会と現場の間でもがく善人だ。
善人がみな困り果てる不条理。
永井さんが再演の理由を語る。
「初演から2年半、学校の状況は変わっていない。
演劇賞をもらった私たちだけハッピーで終わっていいのかと」
▼減給や停職は生活に響くから、渋々立つ先生が増えたそうだ。
昨今、式の運営で自由になるのは紅白幕ぐらいとも聞く。
踏み絵とお仕着せで晴れの日は整然と、しかし息苦しく運ぶ
▼五輪の君が代に歓喜し、心細い海外で大使館の日の丸に安らぐ。
国への思いはそうした自発の感情の積み重ねで、一時の強制でどうなるものでもない。
様々な内心と人間関係を乱し、学校が費やすカロリーは甚大だ。
そのまま喜劇になるような現実は笑えない。
国歌君が代の内容はどう見ても天皇制が長く続きますようにとの願いの内容である。
国旗はその手段として使われてきた。第二次大戦などの国家間の戦争では大活躍してきている。
国の象徴的な存在であった。第二次大戦敗戦時に全てを変えておけばよかったともいえる。
よみがえる平和国家のシンボルはどうすればよいのか
政府が真剣に考え提案し国民が賛否を問えばよいことだが。
懐かしさの問題として,戦争が懐かしいととらえる人は誰一人としていないものと信ずる。
戦争体験は嫌な思い出である。再び起こらないことである。
そんなところでも国歌斉唱 国旗掲揚に拝礼をとらえる必要がある。
役所や政府が強制的に強要してすむ問題でなく,根本的に解決が必要である
秘境の代名詞だったラサへ、
中国軍は1951年に進駐した。
それ以来の抵抗と鎮圧の悲劇は
平成20年3月18日の天声人語よりの引用
チベット通の友人から、最近こんな体験を聞いた。
ラサの街でミネラル水が必要になった。
現地のガイドに頼むと、あちこち店を回るが買おうとしない。
目の前にあるのになぜかと聞くと、「漢族の店では買いたくない」と吐き捨てるように言った
▼秘境の代名詞だったラサへ、中国軍は1951年に進駐した。
それ以来の抵抗と鎮圧の悲劇は、今なお、きなくさい余香をとどめている。
加えて近年は、胡錦濤政権が力を注ぐ「西部大開発」による、漢族の経済的な席巻が著しい
▼つのる不満が、湿ることのない火薬に引火したのか。
チベット人の僧侶や市民を巻き込んだ大規模な騒乱がラサで起きた。
治安当局と衝突して流血の事態になり、多くの死傷者が出ている
▼表向きには、双方の融和が進んでいた。
ラサのポタラ宮前では、高い掲揚台に中国国旗が毎日あがる。
町並みは整備され、生活は「漢化」が目立っていた。
だが、それを「チベット文化の破壊」と感じる人も多かった
▼騒乱は、静かなデモへの弾圧か。
それとも、チベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世側の策動なのか。
互いが主張して真相は不明だ。
明治に秘境へ入った日本人僧、河口慧海(えかい)の『チベット旅行記』を思い出す
▼「母と別れる」という言葉が、かの地にあるそうだ。
自分の言うことが違っていたら最愛の母とも死に別れる。
つまり、偽りのない誠実の誓いだという。
非難合戦は不信しか生まない。
中国は大国として国際社会に実相を明らかにするべきだ。
「母と別れる」の誓いとともに。
広い国土を持ちながら尚に領土を持ちたいとする中国の強硬姿勢には理解できない。
やはり占領した国は元に戻すのが本筋と考える。
チベットは自分達の国だったのだから国家として独立されるのが当然なことであると考える。
他民族に支配されているのは良い気持ちで゛はない。
基地の多い日本政府も真に独立しているようには感じられない。
5年前のきょう(日本時間20日)、米軍はイラクに侵攻した
平成20年3月19日の天声人語よりの引用
能天気だとあきれるか、無責任だと怒るかは人によりけりだろう。
ブッシュ米大統領が先日、記者団との夕食会で「思い出のグリーングラス」の替え歌をうたったそうだ。
外電を読むと、歌詞はなかなかの代物だ
▼〈古いホワイトハウスを出て、気ままな暮らしに戻る、平壌の危機も心配しなくていい、もうすぐ我が家の芝に帰る……〉。
任期が残り1年を切った心境だという。
「笑い」が求められる例会とはいえ、難問山積みの中で結構な心臓である
▼〈古い仲間のコンディー(ライス国務長官)とチェイニー(副大統領)は、
僕にサウジの石油の話をするが……〉の一節もあった。
3人とも石油会社の幹部の経歴がある。
イラク戦争の狙いは、やはり石油でしたかと、問い詰めてみたくなる
▼5年前のきょう(日本時間20日)、米軍はイラクに侵攻した。
宿敵フセイン大統領を早々と追い落とした。
だがすぐに泥沼となり、イラク市民と米兵の犠牲が増え続けた。
大義名分だった大量破壊兵器はどこにもなかった。
「愚挙」と難じる声は時を追うごとに高い
▼「苦しいときこそユーモア」は欧米の常だ。
とはいえ国を追われて帰る家もない、多くのイラク難民を思えば、笑いもさめる。
眉をひそめた出席者もいただろうと思ったが、総立ちで拍手を送ったらしい
▼〈あなたがた(記者)も私をいじめた日々を懐かしむ……〉。
歌はやや調子はずれだったようだ。
その「ブッシュの日々」は歴史にどう位置づけられるのか。
世界が軋(きし)み、米の傷も深いイラク戦争の5年である。
アメリカがイラクに侵攻したのは五年前のことだったのだろうか。年月の経つのは早いものである。
大東亜戦争が終わったのは開戦から四年目だった。大変に長い年月のように感じていた。
イラク戦争はそれよりもさらに長くて泥沼化しているイラク国民は大変に気の毒である。
日銀総裁人事の混迷で
総裁のいすは空席になった
平成20年3月20日の天声人語よりの引用
一本目の矢は相手のかたくなな鎧(よろい)にはじき返された。
うろたえて二の矢を放ったが、今度はろくに敵陣に届かずに落ちた。
下手な弓攻めを見るような日銀総裁人事の混迷である
▼とうとう総裁のいすは空席になった。
戦後初の事態だという。
総裁任期は昨日までと決まっていた。
降ってわいた話ではないのに、である。
射手がつたないからか、相手が頑迷なのか、それとも矢が粗末なのか、国民には分かりづらい
▼二番目の矢、元大蔵事務次官の田波耕治氏の採決にあたって、
首相は「良識をもって臨んでくださると思う」と民主党を牽制(けんせい)した。
片や民主は、「わざわざ賛成できない人を選んでいる」とそっぽを向いた。
理は我に、非は彼に。難じ合いの繰り返しに国民はうんざりだ
▼すぐれた政治能力を「より賢く妥協すること」と言ったのは司馬遼太郎さんである。
妥協を合意と置き換えてもいいだろう。
それには、譲歩を引き出す知恵と、小異にかまけない大局観が必要だ。
どちらを欠いても握手は遠のく
▼2代前の総裁だった速水優さんは、在任中にデフレと格闘した。
ゼロ金利政策、株の買い取り……。
大胆な策を矢継ぎ早に放った。
「日銀は日本経済の良心でなくてはならない」と、言い続けたそうだ
▼政治の思惑に流されず、策をあやまたず。
金融政策の司令塔としての戒めであり、自負でもあったろう。
その総裁が、米国発の金融危機が風雲急を告げるなかで不在である。
荒海の舵(かじ)さばきを任せられる三の矢を、首相はいつ放つことができるのだろうか。
日銀総裁不在は自民党政治の終わりの始まりになるのか。
海の向こうの大リーグで、日本の熟年選手が夢を追っている
平成20年3月21日の天声人語よりの引用
寒の戻りのなかで、プロ野球のパ・リーグがきのう幕を開けた。
いよいよ球春である。
雨と寒さを心配していたら、3試合ともドーム球場だった。
これならファンは前夜、ぐっすり眠れただろう
▼春先の冷え込みを余寒という。
対になる語は残暑だが、昔は「余熱」とも言った。
その言葉を中国では、
年配者がもう一(ひと)頑張りする意味でも使うそうだ。
「余熱を発揮する」と言えば、冷めない情熱を世の役に立てることだという
▼この人たちの挑戦を余熱と言っては失礼か。
海の向こうの大リーグで、日本の熟年選手が夢を追っている。
「失うものはないから」と言う桑田真澄投手。
邦人大リーガーの道をひらいた野茂英雄投手。
華やかな実績に彩られつつ、過去への安住を拒む。
ともに今年、40歳を迎える
▼めざす「開幕1軍」は容易ではない。
息子のような若手もまじっての、チーム内の生き残り競争だ。
傷んだ体を治療し、つらいリハビリに耐えて、夢に迫る。
「野球をするのが好き」という、少年のような野茂投手の言葉がいい
▼人生の達人だった臨床心理学者の河合隼雄さんが、「年齢を括弧(かっこ)に入れる」ことを勧めていた。
「年齢を忘れる」のとは違う。
年齢は自覚しつつ、それはそれとして何かに挑む。
しゃかりきになるより豊かで味わい深い、と
▼年度のあらたまる季節、余熱を生かす計画をお持ちの方もおられよう。
仕事や趣味、あるいは奉仕。それぞれに心弾むデビューであればいい。
熟年投手のチャレンジ精神に励まされながら、齢(よわい)は括弧に入れて。
野球の国際交流は国境が無くなる端緒になればと考える。
日本選手が活躍するアメリカの野球が身近なものに感ずる。イチローの活躍は目覚しい。
作り手が個性をこめた豆腐が減るかもしれない
平成20年3月22日の天声人語よりの引用
豆腐という食べ物の魅力について、食通で知られた作家の池波正太郎さんが書いている。
〈春夏秋冬、いずれの季節にもぴたりと似合った料理ができる〉
▼たしかに、これからの季節なら木の芽田楽、夏は冷や奴(やっこ)、秋には温かい餡(あん)をかけ、北風が吹いたら湯豆腐。
わが舌も、すぐさま四季を思い出す。
折々に、奮発して「こだわり豆腐」など買い求め、品評しつつ舌鼓を打つのも楽しみだ
▼そんな、作り手が個性をこめた豆腐が減るかもしれない――豆腐好きなら気をもむ話が小紙東京本社版に載った。
豆腐を固めるには凝固剤を使う。
その一つの「粗製海水塩化マグネシウム」、いわゆる昔ながらのニガリの扱いが、4月からぐっと厳しくなるからだ
▼海水から塩を作ったあとに残るニガリは、製法などの違いで成分比が千変万化する。
それがゆえ、豆腐の個性的な味わいを生んできた。
だが、来月からは一定の規格に合わないと売れなくなる。
食品衛生管理者を置く新たな決まりも、零細の多い業界を追いつめている
▼「食の安全」のためと厚生労働省は言う。
大切なことである。
だがニガリは古くから、今のように使われてきた。
問題はなかったようだ。
羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹き、角を矯(た)めて牛を殺す。
お役所仕事の得意技に思えるのは、豆腐ファンの難癖か
▼水に漬けた大豆をひき、煮立てて滓(かす)を取り、できた豆乳に凝固剤を加える。
簡単ゆえに奥深い人の営みを、池波さんは豆腐に見た。
営みに応じた、四角四面でない柔らかさが、よろずの行政にほしいと思う。
確かに豆腐は良く食べる方だが美味しい豆腐と不味い豆腐がある。その一つにニガリが関係していれば
それを統一すれば同じような豆腐だけになる。それではマズイことになる話だ。
桜葉の芳香に酔い、やれ関東だ、
いや関西だと言い合える日々をまず大切にしたい
平成20年3月23日の天声人語よりの引用
あんを薄皮で巻く関東流と、つぶつぶの道明寺粉でくるむ関西風。
どちらの桜餅にも欠かせない塩漬けの桜葉は、ほとんどが伊豆の大島桜だという。
国内産と聞いてホッとするご時世である
▼葉の移り香、生地の舌ざわり、あんの甘み。
それぞれ、こちらに味わうという心構えがなければ、五感をすり抜けそうな淡さだ。
それでいて、開花宣言にも負けない鮮烈な季節感がみなぎる。
〈花の日に先んじてこそさくら餅〉丸山海道
▼銀座百店会の冊子「銀座百点」3月号で、食の書き手たちが和菓子について語り合っている。
君島佐和子さんは「和」のおいしさを「主張してくるのではなく、迎えにいかなくては分からない」と表現していた
▼それを、平松洋子さんが「気候や風土、文化や美意識と不即不離」と受け、岸朝子さんが「和菓子の文化は奥深い。
どんな入り口からでもいいからまず入って」とまとめた
▼予期せぬ「入り口」もある。
戦争末期、都心にある虎屋の倉庫が空襲で焼け、軍に納めるはずのようかんが焦土に甘いにおいを放った。
焼け出された人々は、店の許しを得て銀紙に包まれたお宝を掘り出し、
湯気が立つのを泣きつ笑いつ、むさぼったという(黒川光博『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』)
▼砂糖の配給は途絶えて久しく、味わうどころではなかったろう。
和菓子を存分に楽しむには、うまさを迎えにいけるだけのゆとりが心身に要る。
桜葉の芳香に酔い、やれ関東だ、いや関西だと言い合える日々をまず大切にしたい。
平和の「和」でもある。
和菓子は京都は特に種類が多いように思う。千年の都だったからそれだけの歴史の重みがある。
観ているだけでもきれいである。色んな工夫がしてある。
お茶の家元が京都に残り和菓子の文化を支えている。和菓子が虎屋で戦時中も作られていて戦災に会い
和菓子が食料と化した時代があった。サツマイモで作られた手製の和菓子を戦後良く食べた記憶がある。
味わうのではなくお腹を満たすために食べた。
きのう沖縄で、米兵による事件・事故に
抗議する県民大会が開かれた。
平成20年3月24日の天声人語よりの引用
「庭先」の話になるが、朝日新聞東京本社のコンコースが春の色になった。
イラストレーター、米澤よう子さんの「想像上のポスター」展だ。
パリの街角が薫る架空の広告が咲き競っている
▼はるか南では、春を飛び越えて夏色がにじみ始めた。
沖縄で海開きだと聞き、国土に亜熱帯がある幸せを思う。
この島の特別な位置は、しかし、観光資源である前に過酷な歴史を人々に強いてきた。
季節の変わり目に、その思いを強くする
▼きのう沖縄で、米兵による事件・事故に抗議する県民大会が開かれた。
極東最大の米軍基地の足元で相次ぐ無法と暴力。
日米の政府は県民の怒りをまじめに受け止めよと、雨の中で大会決議が採択された
▼その少し前、茨城県土浦市では、4日前の殺人事件で手配中の男が通行人を襲い、8人が死傷した。
時々刻々、日本では多くの凶悪犯罪が発生しており、米兵の非道はごく一部にすぎない。
だが、日米政府が対応を誤れば、基地の存在を問う世論がさらに盛り上がる
▼基地の街、神奈川県横須賀市でタクシー運転手が刺殺された。
なぜか車内に残されたクレジットカードの持ち主は米巡洋艦の水兵で、米軍に身柄を拘束された。
司令官は日本側の捜査に全面協力すると約束したが、どこまで行動が伴うのか見守りたい
▼一枚のポスターが周囲の空気を一変させるように、一つの出来事が日米同盟を揺るがすことがある。
その都度、不平等な取り決めは見直されてきた。
日本人が泣くたびに両国の関係がまともになる。
おかしな話である。
沖縄で゛はアメリカ基地が多すぎる。日本人として放置していて良いとは思わない。日本で唯一完全に戦場になって戦われ,
敗れ長い間占領下に置かれていた。それだけ過酷な戦争後の苦しみを味わうことの運命に置かれたことになる。
何故に日本 沖縄をアメリカは放したくないのか。日本国土を守ってくれていると考える日本人はどれだけいるのだろうか。
政治が民衆の信を失えば世の中は崩れる
平成20年3月25日の天声人語よりの引用
「信なくば立たず」は孔子の言葉である。
政治が民衆の信を失えば世の中は崩れる。
ずばりと突くだけに座右の銘にする政治家は多く、元首相の三木武夫氏は好んで色紙に揮毫(きごう)した。
小泉純一郎元首相もよく口にした
▼食糧よりも軍備よりも、治世に大切なのは「信」だと孔子は言ったそうだ。
その「信」がやせ細り、立つ瀬もなくなった政治のさまが、本紙の世論調査で浮かび上がった。
政治家を「信用している」という人は18%しかいなかった
▼うち17%は「ある程度は」という留保つきだ。
きっぱり信を置く人がたった1%とは、乱世を生きた孔子先生もあきれ顔だろう。
そればかりか官僚への信用度も、政治家と同じ数字に沈んだ。
政と官。
「公」の屋台骨を支える両者が、枕を並べて討ち死にの体である
▼政官のやることなすことが、失望を招いてきた。
大きいのはやはり年金か。
「最後のお一人まで」と見えを切った前首相はとうに去り、懺悔(ざんげ)や謝罪は風の便りにも届かない。
信じなければ欺かれることはない。
むなしい処世を政治が広めたとしたら、罪なことである
▼言葉を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと、作家の徳富蘆花(ろか)は書いている。
火薬がなければ弾は通らない。
つまり相手に届かない、と。
福田首相は日々に火薬を減らすのか、「他人事(ひとごと)節」は、ますます遠い声になる
▼かつて当たらないものの代名詞だった天気予報は、同じ調査で94%の信用を勝ち得ていた。
雨のち晴れ。
国民も本心では、こんな展開を政治に待ち望んでいるはずだ。
年金問題でそのために大きな問題が疎かになっては駄目である。
政府を信頼されずしてその政治を支えている政党が信頼されているとは思わない。
このようなことがなれば衆議院解散総選挙で国民の信を問いただすのが憲政の常道である。
衆議院の解散権は総理大臣にしかないとなれば都合の悪いときは解散せずに都合の良いときだけ
解散する権利を総理大臣に与えているのも変な話である。
北京五輪の聖火リレーで
長城の国らしく五輪史上最長という
平成20年3月26日の天声人語よりの引用
真偽に両論あるようだが、中国の万里の長城は宇宙から肉眼でも見えるそうだ。
世界最長の建造物は約2400キロにわたって連なる。
かの地に興った国々は長い間、外敵の侵入に神経をとがらせてきた
▼その57倍におよぶ13万7000キロの旅路に、中国政府が神経をとがらせている。
世界と自国を巡る北京五輪の聖火リレーである。
長城の国らしく五輪史上最長という。
だがチベット問題にからむ抗議活動や妨害が、どこで起きるかわからない
▼序幕から波乱があった。
おととい、ギリシャでの採火式に白人の男性らが乱入し、五輪マークを手錠のように描いた黒い旗をかざした。
国際的なNGO「国境なき記者団」のメンバーで、「聖火より人権を」と訴えた
▼いまのチベットは、秘境時代のように世界から遠い。
中国政府は外国のメディアを閉め出し、万里の長城さながらの情報統制を続けている。
全体像は見えず、どれだけの犠牲者がいるのかも、はっきりしない
▼五輪を生んだギリシャの神話で、火を人間に与えたのはプロメテウスだった。
その名には「先に考える男」の意味がある。
その弟にエピメテウス(後で考える男)がいた。
弟が、無思慮に妻に迎えたのがパンドラである。
妻は禍(わざわい)の箱を開けて、不幸を世界にまき散らした
▼収拾に向けてダライ・ラマ14世との対話を開く。
それが世界を和らげ、五輪を成功させる「先知恵」ではないだろうか。
五輪が終わるまでは、と門を閉ざして真相を覆い続けるなら、祭典はあやうい「パンドラの箱」になりかねない。
中国の五輪オリンピックの開催にチベット問題が影を落とすことになる。即決の解決方法はチベットの人たちに
中国に残るか独立国家になるか問いただすことである。
命のリレーを見る季節に、
命をめぐる言葉が聞こえてくる。
平成20年3月27日の天声人語よりの引用
桜前線が、ヒバリの初鳴きが、南から北へ春をつなぐ。
命のリレーを見る季節に、命をめぐる言葉が聞こえてくる。
厳しい病と向き合う先生から、卒業生へのはなむけである
▼大阪府吹田市の元教育長、延地(のべち)和子さん(62)が「最後の授業」をした、と小紙の大阪本社版が伝えている。
かつて校長を務めた中学の3年生に語ったのは、荒れる生徒を相手に体を張った思い出、
若くして先立った一人娘への愛惜、病身を支えてくれる人々のぬくもり
▼副腎皮質のがんが広がり、残された時間は多くない。
「私の命がなくなったとき、聞いてくれた人の胸に灯(ともしび)が残れば、私は第二の人生を生きられる」。
目を真っ赤にした生徒が、まっすぐに先生を見ていた
▼再発した乳がんと闘う大分県の山田泉さん(49)は、昨春に退職するまで共に過ごした中学3年生を家に招いた。
学年全員で9人。
「このメンバーで会うのは最後かもね」と言い、「いのちの授業」の総仕上げを始めた
▼この1年、各地の学校に招かれて出前授業を続けた。
行く先々で、がんを病む子らと出会い、語り合ったことを、9人に話した。
「隣のベッドの子と仲良くなっても、突然別れがくる。
そういう体験ときつい治療を乗り越えて、1秒1秒を大事に生きるあの子たちから、私は勇気をもらった」
▼漱石の『草枕』に、空に鳴き上がる春のヒバリが描かれている。
昇りつめて姿が雲に消えても、声は空に残っている、と。
2人の先生の声もきっと、巣立つ生徒の胸に、響きながら残ることだろう。
命には限りがある。それは等しく誰にも訪れる。色々な影響を受けて人生を送ってきていている。
又何らかの形で影響を与えて死んでゆくかもしれない。
死があるからこそ限りある人生を大切に生きなければならないことを教えてくれている。
農水省の試算によれば、飼料の輸入が止まると、
卵は7日に1個しか食べられないという。
あまりの海外依存に、首筋は寒くなる
平成20年3月28日の天声人語よりの引用
熱いご飯に卵をのせ、しょうゆをたらす。
簡単でうまい「卵かけご飯」だが米国に在勤中は食べなかった。
生卵は危ないと聞いたからだ。
帰任後、国産の卵を割って、味わったものだ
▼おいしい日本の卵だが、実は、自給率は1割しかない。
国内の鶏は飼料の9割を輸入に頼っている。
輸入のエサを食べたら、産んだ卵も「自給外」と色分けされる。
赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い、赤い実を食べた……。
童謡さながらに、卵は「輸入色」に染まってしまう
▼同じ理屈で牛肉は11%、豚肉5%と、カロリーベースの自給率は驚くほど低い。
農水省の試算によれば、飼料の輸入が止まると、卵は7日に1個しか食べられないという。
あまりの海外依存に、首筋は寒くなる
▼「卵かけご飯」で卵を受ける米には、減反の嵐が吹く。
米は余るばかりだ。
去年は価格が暴落した。
東北農政局は、作りすぎを「資源のムダづかい」と書いたポスターを作った。
あまりの言い様だと、農家の怒りが渦をまいた
▼米を作る側と、食べる側の違いを、明治生まれの仏教思想家、鈴木大拙は〈食べる人は抽象的になり易(やす)く、
作る人はいつも具体の事実に即して生きる〉と言った。
米に限るまい。
野菜も肉も、そしてギョーザも、食べる側は、生産の現場からは遠くなりがちだ
▼ご飯と卵にも、さまざまな具体の事実がある。
米は今、種もみを浸す時期だ。
鶏なら、春びなが売られるころか。
生産と流通の終着駅に鎮座して、「食べる人」を決め込んでいればよかった時代では、もはやない。
食をあまりにも外国に依存するのは時期が早すぎると思う。世界連邦国家が形成されて互いに信頼関係が樹立してから出ないと
何かのことで国同志がいがみ合い食料をストップされれば困る。やはり効率が悪かろうとも主食の確保だけしておくべきである。
自給自足は大東亜戦争の時に経験済みである。農業滅びて民族滅ぶでは困る話である。
「辺境の民」を「一人前の日本人」にするための
皇民化政策が進められる
沖縄の方言や歌はきびしく禁じられた
沖縄戦での集団死(自決)も、そうした歴史のひとつの悲劇だ
平成20年3月29日の天声人語よりの引用
沖縄本島の南端で、荒崎海岸は崖(がけ)となって海に落ち込む。
沖縄戦の末期、その磯に追いつめられた4人の女生徒が、泣きながら唱歌「故郷(ふるさと)」を歌った。
つらい体験を、ひめゆり学徒隊で生き残った宮城喜久子さんに聞いたことがある
▼砲撃のやんだ夜。宮城さんら4人は歌いながら、櫛(くし)や家族の写真が入ったかばんを海に投げた。
死を覚悟したときに文部省唱歌が口からもれたのは、沖縄の歌を一つも知らなかったからだという
▼日本政府は、明治の初めに琉球を併合した。
以来、「辺境の民」を「一人前の日本人」にするための皇民化政策が進められる。
沖縄の方言や歌はきびしく禁じられた。
学校のオルガンで弾こうものなら、教師が飛んできて怒鳴りつけた
▼沖縄戦での集団死(自決)も、そうした歴史のひとつの悲劇だ。
大江健三郎さんの『沖縄ノート』の記述をめぐる訴訟で、裁判所はきのう、「集団自決には旧日本軍が深くかかわった」と認定した。
大江さん側の勝訴である
▼軍と住民の「タテの構造」における死の強制、と大江さんは言う。
その構造は、皇民化政策でならされた島にやすやすと根を張った。
そして「軍民の共生共死」を押しつけられた地上戦で、おびただしい住民の血が流れた。
それが沖縄戦である
▼米国の著名な歴史家アーサー・シュレジンジャー氏から、「歴史は国家の応援団ではない」と聞かされたのを思い出す。
かく言う氏も、盟友ケネディ元大統領の失政には甘かったようだ。
教訓としつつ、歴史を見る目を養いたい。
日本国民が一億人が一丸となり戦争に勝ち抜く「撃ちてし止まん」がスローガンで政府の方針に逆らえば「非国民」として監獄に送られた。
そのよう時代で政府や軍には逆らうことは絶対にできなかった。
又そのようにならない教育が徹底的に行われていた。
自発的であるはずがない。
敗戦前には一億聡玉砕の雰囲気がみなぎっていた。
それが当然としか考えることができないような徹底的な体制がつくられてしまっていた。
誰もはすき好んで自殺なんかするはずかない。
今となると何故もっともっと早くどうして聖断が下りなかったのか。?と思う
大変不思議な状況に国民が追い込まれていたことは子供心にも判っていた。
深く考えてゆくと軍人達も又被害者ではなかったではなかろうか。このような状態を二度と起さないことである。
3月の言葉から
平成20年3月30日の天声人語よりの引用
咲き乱れるポピーを南房総で見た。
透けた色紙のような花を乗せ、誰に手を振るのか、長い茎が風にそよぐ。
様々な別れが並ぶ3月の言葉から
▼「60年かけてやっとかなった勉強できる喜びを感じている」。
78歳の福井孝之さんが名古屋市の明和高校を卒業した。
旧国鉄の運転士を退職後、70を超えて夜間中学から定時制に進んだ。
「年寄りだからといってあきらめたことはない」。
次は大学だ
▼同志社大の卒業式には岡崎愛子さんが車いすで出席。
05年のJR宝塚線脱線事故で下半身の感覚を失った。
「事故でできなくなったことの方が多いけれど、その分できることを見つけてやっていきたい」。
ソニー社員として東京での一人暮らしが待つ
▼横浜市の野毛山動物園で雄ライオン、モドリが23歳8カ月の大往生。
「動物には珍しく、寝たきりになった後も一生懸命生きようという意欲を見せてくれた」と、飼育係の川田攻さん
▼東京―大阪の寝台急行「銀河」。
廃止が発表されると号車番号標などが次々と盗まれ、紙で代用していた。
最終運行を前に、検修(けんしゅう)担当の徳田一彦さんは「最後だけは正規の部品をかき集めて、本来の姿に戻してやろうと思うんです」
▼石川県津幡町の河合谷小が、児童減で133年の歴史に幕。
最後の13人のうち4人が巣立つ卒業式で、松本義輝PTA会長は「誰かの親友になれるような大人になってほしい」。
昭和の初め、村ぐるみの禁酒で新校舎の建築費を工面した歴史が残る
▼横に長々と延びた小欄の体裁も本日が見納めとなります。
パン、しょうゆ、食用油、牛乳と、
必需品を選び抜いたように深まる値上げの春
いつまでとも知れぬガソリン値下げは、
客と店を浮足立たせるだけだろう。
平成20年3月31日の天声人語よりの引用
「あ」とか「お」とか、小さな声を発して読み始めた方もおられよう。
紙面一新に合わせ、小欄もご覧の通りの変わりようである。
パソコンや携帯電話で横書きを追うネット読者の方は図書館などでご確認いただきたい
▼天声人語が全国通しのコラムとなったのは、終戦間もない1945(昭和20)年の9月。
以来、この面に平たく寝そべり、森羅万象を書き継いできた。
きょうから太めになる
▼一行の字数が増えて、心持ち文はゆったりと、おもむろに底で弾んで次の行へと進む。
足の立たないプールで覚える戸惑いと、しばらく泳いでみての解放感を思い出す。
全体の分量も6字増えた。
うれしいなあ、と書けば消える字数ではあるが、限られた紙幅ゆえにありがたい
▼さて、限られた年度末の日々は増えもせず、3月が尽きる。
パン、しょうゆ、食用油、牛乳と、必需品を選び抜いたように深まる値上げの春。
いつまでとも知れぬガソリン値下げは、客と店を浮足立たせるだけだろう。
あてになるのは北へ急ぐ桜前線ぐらいか
▼年金不信、日銀総裁、道路財源。
「未決」の山を傍らに、私たちが選んだ政治はねじれ国会の深いプールでおぼれかけている。
福田首相も小沢代表も一代の見せ場に居ながら、国を導く熱と技はありやなしや
▼頼れぬ国政を前に、漏れるのは「ああ」のため息ばかり。
たまには「おお」とうなりたい。
沈滞は党派を超えた動きを生むかもしれない。
熱と技を備えた本物はどれか、今度こそ見定めよう。
そんな千秋の思いを、新装の箱の隅で新たにする。
値上げの多い中でガソリンだけが値下がりになる。ガソリンはこの所原油の値上げでガソリンは高騰してきた。
そこでの値下げだから庶民にとって大変にありがたいことである。
それに対して一ヶ月で暫定税率をば延長して再び戻すようなことのを首相は発言している。
「仁政」とは民の事情をわきまえ政治を行うべきである。
現在の高騰している時期にはやはりそのままにして時期がきたならば,
一律に戻すではなく半分だけにするとかの臨機応変に対処すべきである。
使うことのない武器購入に大金を注ぐのではなく,身近な福祉医療関連にかけるべきである。
福祉医療は小泉政権の実利主義・効率主義で悲鳴があがっている。
破綻寸前がまず最初に救急医療などに出てきているのではなかろうか。
世界を二分しての大戦争は地球破滅につながるから絶対に起こらない。
起これば地球破滅してしまうのだから,何も準備する必要がない。
又起き.ることがないだろうことに対し大金をば注ぎ込んで準備する必要もない。
政府は身近なことに対してもっと真剣に対処すべきである。
色んな理由はともあれ,アメリカからの武器購入はアメリカの一部の人たちの利益のためだけにある。
北朝鮮問題はアメリカによって小泉首相を使って上手に利用されて来たように感ずる。
東寺と西寺
桓武天皇が平安京を建設時には平安京域内には寺院の建立することは認めo;なかったようである。
平城京内での寺院の横暴を参考にしてのことらしい。
ただ羅城門を通って朱雀大路の左右対称にして東側と西側に寺院として唯一東寺と西寺が建てられていた。
東寺は京都市南区九条町にある真言宗の寺院。教王護国寺ともいい現在も続いて広大な伽藍は存続している。
一方西寺は現在はなくなっているが平安京九条大路に沿って南面し、西は西大宮大路、東は皇嘉門大路、
北は八条大路に限られ、右京九条一坊九町から十六町に至る地域にわたって、
東寺とともに国家鎮護・王室昌栄を祈って造営された寺であった。
そのうち主要堂塔は十一〜十四町の南方部分の地を占めて造営された。
南大門・中門・金堂・講堂・食堂と中心線上に南から北へ配置され、中門から左右に出た回廊は金堂の両脇に取り付き、内庭を作る。
僧房は講堂の背面、食堂の間にあるのを北室として、東室・西室を以て講堂を囲い、その内庭、講堂の前、東と西とに寄せて経楼・鐘楼が建てっいる。
その僧房に小子房を添えるが北室には存在しない。
この小子房に関しては東寺と同じではないが相似している。
塔(五重)についても東寺の東に対して、西寺は西方を占めて立つた。
東寺の南西隅には灌頂院があるが、西寺では南東隅に同様な一院があったらしい。
主要堂塔で占めた南方の四町に対し、北方の四町は、東寺で知られるように、
大衆院(温室院を含む)、倉垣院(修理所を含む)、花園院、政所院、賤院等が、奈良時代の官寺と同様に充てられていたと考えられる。
この平安京の東西二寺は平安京造営当初から、平安京が京の機能を果たさなくなるまで存在し、
特に東寺は空海に与えられ、大師の信仰を以て真言宗の寺となり、今に至るまで法灯は絶えないが、
西寺は王室の衰えを示すかのように姿を消した。
ところで東寺・西寺と挙げた時、西寺のほうが優位にあった感を受ける。
例えば、弘仁十年(八一九)僧勤操が少僧都で造東寺別当を兼ねるが、のち大僧都になって造西寺別当に転じていることから察せられる。
また空海が天長元年(八二四)に少僧都で造東寺所別当になった時、先任者長恵が少僧都から大僧都になって造西寺所別当になっている。
やがて東寺は空海に任せられたが、西寺はそのことはなく、国家の法事、即ち国忌のごときは西寺において執り行われることが多かった。
いわば国家の管理の寺であった。
個々の建物の造立年時は案外不明なところが多く、わずかに講堂が天長九年七月五日にその御願新造仏が供養されているので、
建築はそれまでに落成していたとみられること、また嘉祥三年(八五〇)に西寺の刹柱に落雷したことが知られるにすぎない。
塔のものとみれば、そのころは造営中であったのであろうか。
また、醍醐寺の聖宝伝に西寺の宝塔を造っていることが見えるので、聖宝在世中、即ち九世紀末には建立されていたことになる。
正暦元年(九九〇)二月二日焼亡の記事があり造作しているが、西寺に行われていた国忌を東寺で行っていたこと、
長保六年(一〇〇四)に同寺にあった綱所の造作があった記事(『御堂』)も見られることから、
正暦元年の火災は同寺を焼き尽くしていたのかもしれない。
塔焼亡の記事が『明月記』の天福元年(一二三三)十一月二十四日条に見られ、藤原定家は同寺がもとより荒廃の寺といっているので、
恐らく正暦の火災以後に造立されたか、若しくは偶然にも塔は火災を免れて一つ残っていたのであろうが、それも焼けたことを語っているのである。
一方東寺は朱雀大路を挟んで対称の位置にある西寺とともに建設された平安京の二大官寺の一である。
左大寺とも称した。そうなると西寺は右大寺と称したのか。
造営着工については異論もあるが、『東宝記』一によれば、延暦十五年(七九六)に大納言藤原伊勢人が造東寺長官となり、
同十六年に笠朝臣江人が造西寺次官に在任していた『類史』(一〇七、四月四日条)の記事と併せて、
このころ東西両寺が同時に着工されたと考えられる。
弘仁十四年正月、嵯峨天皇よって東寺を空海に勅給、同年十月十日付太政官符によって真言宗定額僧五〇口の止住を許可、
他宗僧侶の雑住を禁止されて、これより東寺は真言宗根本道場となった。
天長元年(八二四)六月、空海は東寺別当に補任され、翌二年四月には、勅給時に建造されていた金堂に加えて講堂を建立し、
淳和天皇より教王護国寺の勅額を賜った。
天長三年空海は塔婆(五重塔)の造営に着工し、同五年には綜芸種智院を設立された。
種智院大学は現在も住んでいる向島地域に在る。京都から移転してきている。
承和元年(八三四)空海は東寺初代長者に補任された。
同二年正月空海は宮中において後七日御修法を初めて勤修し、
仁明天皇に上表して弘仁三年造東寺司に施入された宮家功徳料のうち二〇〇戸を割いて僧供料に充て、修学教義に資すること、
真言宗年分度者として、金剛頂・胎蔵・声明の三業修学の三人を得度させることを要望し勅許された。
このようにして東寺は鎮護国家の修法と真言宗僧修学の道場となり、空海は同年三月二十一日高野山において入定した。
承和四年(八三八)四月、空海の遺告に基づき一時定額僧を二四口に減じたが、
空海の後を継いだ実恵僧都(二代長者)は、承和十年(八四三)、この年までに新造されていた灌頂院において、
伝法灌頂(真言宗伝法職位授与)を開始した。
更に一山教学の基礎となる伝法会を開き、同十二年には綜芸種智院を売却して丹波国大山荘を買得し伝法会料に充てた。
空海が東寺在住中天長三年(八二六)に着工した塔婆(五重塔)は元慶七年(八八三)二月七日に、竣工した。
しかし天喜三年(一〇五五)雷火により焼失、応徳三年(一〇八六)に再建された。
この間寛平七年(八九五)には、食堂の千手観音像(現在東寺宝物館に安置)及び四天王像(焼失)が造立された。
延喜元年(九〇一)には宇多法皇が灌頂院にて益信より伝法灌頂を受け、同十年三月、観賢により灌頂院において御影供が開始された。
康和五年(一一〇三)には、空海が唐より請来した仏舎利を供養する舎利会が始まり、
既に開始されていた後七日御修法・灌頂院御影供とともに、平安時代に成立した東寺恒例の法会が整った。
平安時代の東寺寺内の規模の一面は、財政的には長保二年(一〇〇〇)の『造東寺年終帳』に詳しく、
法会道具類及び官符公験等については、同年の宝蔵焼亡の記録、また堂塔伽藍については大治の焼亡記録がある。
永久元年(一一一三)には、定額僧も五〇口に復旧し、弘福寺・珍皇寺・金剛寺等の多数の末寺を擁したが、治承年中大いに荒廃した。
文治五年(一一八九)、東寺草創以来四世紀たって、僧文覚が再興に着手、後白河法皇から播磨国が充てられ、塔婆・金堂・講堂・南大門を修造、
なかんずく講堂の諸尊像、南大門仁王像、中門持国・増長二天は、仏師運慶一門が修理した。
天福元年(一二三三)仏師康勝によって彫刻された弘法大師像は、延応二年(一二四〇)、それまで空海起居の僧房遺跡であった西院から、
後白河法皇皇女宣陽門院の御願により新しく建立された西院御影堂に移され、その大師像を本尊とした西院御影堂における、
毎月二十一日の西院御影供、毎日朝・日中・夕三時の生身供や女院寄進の五重小塔安置仏舎利を供養する毎月晦日の舎利講が、
中世的な東寺の寺院活動として開始され、新たに御影堂に五口の供僧が置かれた。
この大師信仰は、十四世紀初頭に後宇多上皇・後醍醐天皇に受け継がれた。
大師信仰は『弘法大師行状絵巻』一二巻(教王護国寺蔵)の成立となり、一層民衆に流布した信仰は、屋地敷地・田畠の寄進となって、
鎌倉中期より応仁の乱ごろまでに、東寺西院大師への帰依寄進の散在所領が、洛中・京郊に二百余か所集積された。
現在の毎月二十一日の「弘法さん」の起源は、ここに求められた。
ー以上は平安時代史事典よりの引用である。ー
西寺か存在したときは皇室の保護下にあって弘法大師のもとにあった東寺よりも格は上にあったようである。
東寺は今も毎月21日の弘法さんの日で賑わっているが,西寺は公園にその遺跡を残すのみとなっている。
同様にして朱雀大路の東側と西側に東市と西市が存在していた。
西市が現在の京都中央市場iに近いので発展していったとも言われるが,平安時代終わり頃には西市はなくなり東市のみになつているようだ。
平安京全体として,左京と右京があって,右京は湿地帯で徐々に廃れてゆき,左京が鴨川を越え平安京となり,東の京極に当たるところが
現在では京都での一番の中心の繁華街・歓楽街となって,「京極」には子供の頃映画や芝居小屋なんかがあって
休みには京極をうろつき,映画など鑑賞して食堂で食事するのが戦後の唯一の娯楽であったことが続いた。